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今日は気温が下がって雪になるかもしれないと 心配してましたが、朝のうちは何とか晴れました。 道中雲行きが怪しくなりましたが、 晩秋の美濃路へ今年最後の紅葉狩りに出かけました。 田舎道を1時間ほどのんびりとドライブ。 皇帝ダリアが薄紫の花をいくつも咲かせている姿や 葉っぱが落ちてオレンジの実が鈴なりの柿の木など 田園風景を楽しみながら車を走らせました。 先ず到着したのは小倉公園。 マスクを二重にはめて冷たい空気をシャットアウト。 私は駐車場のあたりで充分だったんですが、 素足にゴム草履の元気印の相方に先導され 紅葉の写真を撮りながら後ろをついて歩きました。 自然が作り出す紅葉は本当に綺麗な色をしてますね。 これから山道を上がっていきました。 どれぐらい歩いたでしょうか、 目の前に見晴らし台が見えてきました。 私は下の休憩所で一休みするつもりでしたが、 景色が綺麗だから登っておいでよと 上から大声で何度も催促され、 ふらつく足取りで しぶしぶ階段を上がりました。 (続く)
November 19, 2017
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前回平安時代の作とされる十二神将展を紹介した 天台宗大寺山願興寺(蟹薬師)のイチョウです。 モミジも綺麗に紅葉していました。 どこからかにぎやかな鳥のさえずりが聞こえてきました。 にぎやかな声の持ち主がいました。 枯れ木の下には赤い南天の実がたくさんなっていました。 この願興寺は本堂及び本尊をはじめ仏像24体が 国の重要文化財に指定されています。 最後に商家竹屋を少しだけ紹介します。 引き戸を少しだけずらすと晩秋の陽が差し込んできました。 江戸時代の建築様式が残されています。 店 中の間 茶室は木造平屋建杮葺き(こけらぶき) 土蔵(切妻2階建て) 中庭の小菊が晩秋を感じさせてくれました。 ここ中山道御嵩宿は天保13年(1842年)頃 本陣、脇本陣の両側には たくさんのはたご屋、商家、問屋、 茶店、店、木賃宿、百姓の家が 軒を連ねていました。 時を遡ってのんびりと 懐かしい時代に想いを馳せてきました。 (終)
November 14, 2017
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昨日は寂光院の紅葉を紹介しました。 今日は紅葉は一休みです。 かの織田信長が永禄8年(1565年)9月8日に 柴田勝家をお伴にこの風光を 眺めたであろう山の上からの眺望です。 その時代に比べると下界には 名古屋の高層ビル群や遊園地などが立ち並び ずいぶん様変わりしてしまいましたが、 岐阜城、犬山城、小牧城、木曽川の流れは 昔と変わらないのかもしれません。 寂光院は真言宗の開祖、空海・弘法大師のお寺です。 高野山に金剛峯寺を創建されたお大師様です。 本堂、髄求堂、鐘楼が山の上に建てられています。 寂光院を後にして向かったのは 中山道御嵩宿。 先ずは御嵩町にある中山道御嵩館(郷土館)へ。 撮影はここまで。 こちらでは特別展として天台宗大寺山願興寺所蔵の 重要文化財、十二神将展を開催中でした。 815年伝教大師・最澄が当地に立ち寄った際、 病や貧困に苦しむ人々の様子を見て、 薬師如来の力で救おうと薬師如来像を 桜の古木で刻み安置したことが始まりです。 平安時代の作とされる彫刻美を堪能してきました。 それぞれの神将の頭の上には 十二支が彫ってありました。 御嵩宿本陣の隣の商家竹屋の中を見せてもらってきました。 その後、大寺山願興時で紅葉を愛でてきました。 その様子は後日UPします。 こちらは歴史を物語る古びた本堂と鐘楼。 ちょうどお昼時になり「みたけ華ずし」に立ち寄り 相方が大声で何度も挨拶したり叫んでも 戸の向こうでかしましい女性達の話し声がするだけで 呼び鈴を押しても反応なし。 仕方なく、 食べるはずだった 「華ずし」の写真だけ撮って引き返してきました。 御嵩宿を後にして、先日(文化の日)に お店の外まで順番待ちの人がいっぱいで あきらめたお店に立ち寄りました。 私は田舎とろろ飯。 ご飯のおかわりはとてもできませんでしたが、 すり鉢に入ったとろろは完食しました。 相方は蕎麦御膳。 お口直しは喫茶店で レモングラスジンジャーハーブティーと ネパールコーヒーを。 リラックスできましたよ。 (つづく)
November 13, 2017
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ちょうど昨年の11月14日に出かけた寂光院。 (昨年の11月14,15,16日に載せてあります) 今年もそろそろかなと出かけましたが、 紅葉を愛でるにはちょっと早かったようです。 昨年とは違う道を上りました。 岩肌から岩石がのぞいています。 山の頂上も足場がこういう岩石でした。 先ずはお抹茶を頂いて喉を潤します。 昨年は行きも帰りも 320段の石段を登り降りしましたが、 今年は登りだけスロープカーを利用しました。 おつりが出ないので二人で大きいワンコインを浄財。 高低差90mをたったの4分で 頂上まで運んでくれました。 紅葉する葉の向こうに昼の月が見えました。 (両方撮るのは難しい^^;) 山の上からの眺め。 昨年に比べてまだ紅葉が進んでいません。 それでもちらほら紅葉しているモミジがありました。 足場の悪い山のてっぺんを散策。 谷に転げ落ちないように足元に注意しながら歩きました。 帰りは石段を足取り軽く下りました。 (続く)
November 12, 2017
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神護寺参拝とかわらけ投げで厄落としをした後、 向かった先は嵐山。 有名な渡月橋も人、人、人の波。 観光バスからもマイカーからも人がどんどん出てきます。 木陰で涼んでいると、人力車も数台通りました。 これからこの近辺を散策しようと言われても 午後のもっとも暑い時間帯。 なるべく日陰を人の波に乗って歩きます。 ここら辺りはバスの旅で何度も訪れた場所。 もう立ち寄る場所もないような気がしますが、 嵐山駅に寄ろうと言われ ミストの下をくぐって駅の構内へ。 ここも座る場所がないほど混んでいました。 相方にバッグを預け、まずは用を足しに。 ところが、これが大問題でした。 あとの御一行は奥の方へレトロな1両の電車を 見に行っていたのです。 その近くには足湯もありました。 そんな事、聞かされていない私は呑気に出てきて 駅構内のお店屋さんでみんなの姿を探し廻りましたが、 見つかりません。 まさか駅のホームまで行っているとは考える由もありませんでした。 それで駐車場まで戻ればなんとかなるでしょうぐらいに考えて 痛い足を引きずりながら、手ぶらでゆっくりと 元の道を引き返したのでした。 しかし、車には誰も戻っていませんでした。 しばらく休憩してからもう一度戻り 途中でママのお母さん以外と合流できました。 ママのお母さんはトイレ中に響く大きな声で 「岐阜のお母さん、みえますか?」と繰り返されたそうで 本当に申し訳なかったです。 やっとスマホを手にして、駅で私を待ってみえる お母さんに連絡ができてほっとしました。 本当にご心配をおかけしました。 相方からは「山で遭難しても、 絶対にその場を離れてはだめなんだから。」 と 注意を受けました。 言い訳無用ですね。 その後、長男夫婦のマンションに戻り トコちゃんは着替えをして1歳の冠をかぶり みんなでお祝いの紅白まんじゅうを食べて にぎやかな時間を過ごしたのでした。 (完)
August 31, 2017
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川床料理&一升餅を背負うトコちゃん1歳のお祝いが 滞りなく終了した後で向かった先は 紅葉が綺麗なことで有名な高雄山神護寺。 神護寺楼門前の石段もかなりありますが、 それまでに高雄橋から徒歩で約400段の石段を 10分から15分登らなければ楼門までたどり着けません。 老若男女の皆さん、片手に杖を突いて上がってみえます。 実は私、 今回の京都行の前に買ったばかりの靴を履いてきて 相方からエエカッコシイで失敗しましたねと 笑われてしまいましたが、靴擦れがひどくて 痛くて歩くのが辛かったんです 長男が車で2往復する旨をもみぢ家さんに伝えると 特別の道の扉を開けてもらえて マイクロバスで送迎してもらえることができ 本当に助かりました。 楼門をくぐり境内に入ると もうすでに紅葉し始めているモミジ。 そう、ここ高雄は紅葉で有名ですね。 鬼瓦もこちらをにらんでいました。 目の前にまた石段があり、それを上ると 神護時の金堂が姿を現しました。 ここで蝋燭と線香を購入して参拝。 金堂の中では訪れた人々の読経が聞こえました。 奥へ進んでいく途中、蜘蛛の巣を見つけました。 もみぢ家の近くでも山道に たくさんの風鈴がこのように飾ってありました。 最も奥に当たる錦雲渓で厄除けのかわらけを購入し 厄除けを念じながらかわらけ投げをしました。 (左上の)かわらけが谷に向かって飛んでいくのが見えますか。 長男は私が気管支喘息で苦しんでいる姿を見て ここに案内したかったようです。 平安仏教の中心的な役割を果たした弘法大師は 唐より帰朝して809年に入山以来、 14年間住持されました。 この頃、弘法大師は高雄山の納涼房を住まいとされ 抒情あふれる詩を残されました。 (高雄山神護寺リーフレット記載の口語訳より) 私の住む高雄の納涼房から、 前方の景色を見渡すと、 谷間から雲が湧き上がり、 深い渓谷を覆っている。 又、空には雷がなりわたり、 平地であるかのようである。 風は音を立てながら、 庵に舞い込んでくる。 雨は勢いよく、暴風とともに 降り注ぐ。 平安時代二度の災害のため 堂塔のほとんどを焼失、 応仁の乱で兵火を受け消失しましたが、 自然は変わらず、四季折々の姿を 見せていたんだなぁと感慨深く 目の前に広がる景色を眺めたのでした。 涼しい木々の間を抜け 出口まで戻ってきたのでした。 送迎バスで駐車場へ戻り 次の場所へ移動です。 (明日へ続く)
August 30, 2017
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3日間お付き合い頂きました初夏の旅も 今回で終わりです。 びわ湖大津プリンスホテル37階、 地上120mのビュッフェレストランでランチを終えた 一行が向かった先はびわ湖バレイ。 日本最速の121人乗りロープウェイで 標高1,100mの山頂を目指します。 大勢の人の間から写しました。 (あっ、言い忘れましたが高所恐怖症の相方は ロープウェイには乗らず、一人バスで待機です。) 山頂には雲がかかっていました。 親子連れでソリ滑りを楽しんだり 涼を求めてやってきた人たちで混雑していました。 私は一人山頂のお花を写してきました。 足元のトンボを写しましたが、ぼけちゃいましたね。 集合時間に間に合うよう少し早めに並んで正解でした。 2基ほどロープウェイを見送りやっと乗れましたから。 帰りは反対側を写しました。 琵琶湖大橋を渡り 観光バスがいつも止まる土産物店に立ち寄り 心置きなく最後のお土産を買ってから帰路につきました。 (終)
July 20, 2017
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琵琶湖大津プリンスホテル 37階からの眺望です。 到着してすぐは曇ってました。 琵琶湖が日本で最大の面積と貯水量を 貯えていることがよくわかります。 何でも滋賀県の面積の6分の1を占めているそうですから。 湖の形が琵琶の形に似ている事から名付けられたそうですが、 地上37階からでは全体像を見ることは 不可能でした。 ランチビュッフェが終わるころには晴れてきて 遠くまで見渡せるようになってきました。 遊覧船もよく見えました。 ランチビュッフェは約60種類もあるという事でしたが、 余りの人の多さと、 このところ食欲が落ちていたので 思ったほど食べられませんでした。 これ1回きりでおかわりには行きませんでした。 それで十分じゃないという声がどこからか聞こえてきますね。(苦笑) 欲張って取ってきたパンも結局相方に食べてもらいました。 相方のフルーツ(オレンジ)を2切れ食べましたが、 スイーツを食べる気にはなれませんでした。 そして一番先にレストランを出ました。 他の皆さんは滞在時間90分間という ランチビュッフェ時間を 充分に有効利用されたようです。 相方が賑わうビュッフェレストランの様子を カメラに収めてきました。 中華や和食、スイーツのコーナーには どういうわけか足が向きませんでした。 ましてやアルコールを注文する気にも なれませんでした。 (私にしては珍しいことです。) 後で写真を見せてもらって 目で堪能しただけです。 お土産を買った後は 集合時間まで涼しそうなオブジェのある ロビーでゆっくりくつろいでいたのでした。 (続く)
July 19, 2017
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昨日琵琶湖方面に出かけた初夏の旅を振り返ります。 早朝7時過ぎに出発したエグゼクティブバスは 肘掛け付きワイドシートでフットレスト、レッグレスト、USBポート付き。 脚の短い者には届かないので利用できないフットレストでした。 まず向かったのは建部大社(近江国一之宮) 日本武尊・倭武命(ヤマトタケルノミコト)をご祭神として 祀る由緒ある神社です。 ミコトを祭る社という事で古くから歴代朝廷の尊信が篤く また武将たちの尊敬も深く集めてきました。 皆さん、ガイドさんに教わった通り 手水舎で手を清めてから参拝に向かいます。 門のところで風鈴が涼しげな音を立てていました。 山門をくぐったところに可愛いキャラクターが2体並んでました。 境内でひときわ目立つのは ご神木の三本杉です。 参拝を終え、 社の裏側に回ると菊花石と 菊紋壺がありました。 そして再び境内に出ると涼しげな瓢箪の棚が目につきました。 近づいてみると 建部神社には八百万の神様が祀ってあります。 個々の神様は省かせてもらいました。 建部大社の参拝を終えた一行は 世界的に有名な建築家、丹下健三氏が設計したという 琵琶湖大津プリンスホテルに向かいました。 地上120mの眺望抜群の 37階ビュッフェレストランで 約60種類のランチビュッフェを楽しみます。 (続く)
July 18, 2017
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今朝7時前に出かけて今夜8時半過ぎに 日帰りバスの旅から戻りました。 まず建部大社に参拝し 琵琶湖大津プリンスホテル、地上120mの 天空の37階でランチビュッフェを楽しみ 琵琶湖バレイで日本最速の121人乗りロープウェイで 標高1100mの蓬莱山の山頂へ5分で登り 琵琶湖の絶景を眺めるはずでしたが、 雲がかかり、あまり見渡せませんでした。 山頂は涼を求める観光客でいっぱい。 通常10分ごとに出るロープウェイ2基が5分刻みで ピストン輸送しても長蛇の列ができるほどの混雑ぶり。 駐車場もNO.1からNO.13A、B、C まで満車でした。 皆さん考えることは同じですね。 留守中たくさんの方々に訪問していただきました。 明日は早朝から愛知県まで出かけますので、 お返事ができないかもしれませんが、 どうぞお許しください。 (続く)
July 17, 2017
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ダンスパーティーで中休みをしていた 「オノボリサン・3年ぶりの東京」の続きです。 テヘランから来日されたMさん母子と30分間犬と触れ合い、 その後、代々木公園まで1時間の散歩に出かけた後は これまた3年ぶりの上野動物園に出かけました。 田舎者の私達には乗車する電車がわからず Mさんに案内されてただ後をついていくだけでした。 まずはジャイアントパンダから。 6月12日にパンダ・リーリーの妻シンシンが出産した 第2子になる赤ちゃんにはまだ会えません。 リーリー1頭だけが部屋を移動して 愛嬌を振りまいてくれました。 やはりここが一番人気でしたね。 アジア象の姿も表側と裏側から見てきました。 ニホンツキノワグマの白い三日月の形をした毛もしっかりと見えました。 アシカはちょうど餌の時間でした。 ニシローランドゴリラもいい顔をしてました。 (東山動物園のシャバーニにも負けていませんよ) スマトラ虎もライオンも暑いので水につかってました。 この日の東京は蒸し暑い日になりましたから。 カピバラの子供だったかな? フラミンゴも紅い体で群れていました。 東園から西園までモノレールには乗らず ずーっと歩いて回りました。 Mさんと息子さんは 両生類爬虫類館とアイアイを もう一度しっかり観察に出かけました。 不忍池では蓮の花が今にも咲きそうでした。 3年後になるのか4年後、あるいは5年後になるのか わかりませんが、再会を誓ってお別れしました。 帰りの新幹線から眺めた夕陽です。 ちょうど静岡辺り、富士山が雲の上に顔を見せていました。 自宅には午後9時頃に到着しました。 Mさんは遠路はるばるイランから 私の喉や咳に効く食べ物を たくさん持ってきてくださいました。 紅茶のように煮出したり、葛湯のように お湯に溶かして混ぜてつくるものや ゴマのお菓子や女性ホルモンが豊富な茶色い飴等々。 ピスタチオやナッツ類、乾燥イチジク等とキャンディー棒。 ドイツのハッカ飴やイランのドライフルーツやお菓子類。 そして銀製のコンポートと夏にぴったりの涼しげな 2本のブレスレットまで。 こんなにたくさん携えてくるのは重かったことでしょう。 Mさんの優しいお気持ちと温かい心遣いが伝わってきます。 3年ぶりに楽しい1日を過ごせたことと たくさんのお土産を私の為に遠路はるばる持参されたことに 深く深く感謝しております。
July 5, 2017
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オノボリサンの東京日帰り旅の続きです。 ブロ友さんの息子さんは動物が大好き。 でもテヘランの家ではペットが飼えないので たっての希望でこの店を訪れました。 息子さんだけでなく、大人3人も犬と触れ合いました。 先月愛犬を亡くしたばかりの相方もビーグル犬を抱っこ。 「袖振り合うも多生の縁」 オーストラリア・メルボルンから来日し 2週間で京都、大阪を旅行する予定のカップルと記念撮影。 ハワイから女性3代で旅行中の皆さんともパチリ! ハワイにはドッグカフェが1軒もないそうです。 30分間触れ合った後は、ビーグル犬と散歩に。 代々木公園にやってきました。 当市を出がけに傘を持って行った方が良いのではと 思ったほど厚い雲が垂れこめていましたが、 東京は次第に晴れて陽射しも強くなり 汗ばむほど暑い日になりました。 ワンちゃんも喉が渇いているらしく 途中でペットボトルの水を喜んで飲みました。 こうして 1時間の散歩が終わったのでした。 (続く)
June 30, 2017
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今日は全国的に黄砂がかなり飛ぶそうです。このところ車がすぐ汚れてしまいますので、黄砂の影響だとは思ってましたが、気象情報で黄砂の飛散情報を見て今日は外出しないようにしようと思っています。気管支喘息と花粉症のダブルパンチに黄砂が加わってトリプルパンチではとてもとても。 さて、 日帰りバスの旅の続きです。 浜名湖ガーデンパークからはままつフラワーパークへ移動。浜名湖花フェスタ2017が開催中でした。ここでも約15分で1周してくるフラワートレインが走ってましたが、私たちはもっと広範囲を散策して3000種の植物が美しく咲く風景を堪能してきました。前半は大温室までの道に咲くお花を紹介します。 まず藤棚から回りましょう。 白藤の木もたくさんありました。 コデマリの木も満開でした。 花菖蒲園を通りました。 八重桜並木でサトザクラの栽培品種である「福禄寿」というおめでたい八重桜にも出会えました。 カキツバタの池を通過。その向こうにはチューリップの庭園がありましたが、今回は省きます。 原種ツツジ園ではミヤマツツジが綺麗でした。 この後、近道をしたのですが、この山道にはつづら折りで急こう配の階段が結構たくさんあり、足腰は大丈夫だったんですが、 相方の後ろを追う私は途中で呼吸が苦しくなり薬を飲むことになりました。 後で添乗員さんから「思いやりエレベーターを使えば良かったのに。」と笑いながら言われましたが、それには遠回りをしなければならなかったんです。 (続く)
May 7, 2017
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昨日の夏日のような暑さはどこへやら 今朝から雲が厚く垂れこめ 今にも雨が降り出しそうです。 GW中に観葉植物の大きな鉢やサボテン類を すべて屋外に出してもらえてよかったです。 これから半年間太陽の光を燦々と浴び 元気になることでしょう。 さて、バス旅の続きです。 あさりご飯をお腹いっぱい食べた後は 浜名湖ガーデンパークに向かいました。 あちこちで家族連れが潮干狩りを楽しんでいました。 先日テレビで今年のあさりの異変をやってましたが、 この辺のあさりの貝毒は大丈夫なんでしょうか? 浜名湖ガーデンパークの緑地広場には GWということもあってマイカーでやってきた 大勢の家族連れが遊んでいました。 午後の時間帯で観光バスは一台もいなかったです。 ここは青い絨毯、約30万本のネモフィラを 自由鑑賞するのがメインでしたが、 残念なことに見頃はすでに終わってました。 全体的にはこんな感じでした。 それでも色とりどりのお花が たくさん咲いてましたので満足できました。 通路にたくさん吊り下げられたフラワーバスケットも綺麗でした。 こんな面白い花のオブジェもありました。 藤とニセアカシアのコラボも綺麗でした。 藤棚がたくさん作ってあり 辺り一面に藤の甘い匂いが漂っていましたが、 鳩さんたちは黄色い花が好みのよう。 鯉のぼりも風に乗って泳いでいました。 向こうのほうにネモフィラを見ながらぐるっと一周しました。 水路のこちら側ではツツジが満開でした。 乗り物で園内を一周すると15分ぐらいだそうですが、 私たちは花の写真を撮りながら散策して一周しました。 まだまだ載せきれないほどたくさん 綺麗なお花を撮ってきましたが、 これで一周してきました。 奥の方に広がる藤棚を見ながら橋を渡り この頃には緑地広場には人影もまばらに。 私たちもバス乗り場に向かいました。 (続く)
May 6, 2017
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今日は子供の日で立夏です。 暦の上では夏。 陽射しが強く、気温が25度を超える所もあり とても暑い日になっています。 昨日はホテルの外観と色鮮やかなツツジのコラボを 載せましたが、本日はツツジを鑑賞して歩く 観光客とツツジの木がどれぐらい大きいのかを 照らし合わせてご覧ください。 人の背をはるかに超える大きな木がたくさんありました。 向こうには竹島が見えました。 平成19年度経済産業省の近代化産業遺産になった 蒲郡クラシックホテルの1階だけ入ることが許されました。 フロントとロビーの様子です。 お花を撮らせてもらいました。 そして昼食に向かいました。 一杯目はそのまま、2杯目はひつまぶしのように 出し汁をかけてくださいと言われましたが、 これが不評で、皆さんうどん汁をかけてました。 鰻のひつまぶしのようにはいかなかったようです。 土産物店の壁には燕がいくつも巣をかけ、交代で 卵を温めていました。 次は浜名湖に向かいます。 (続く)
May 5, 2017
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憲法記念日の3日、またもやバスの旅に出かけました。 いつもご自宅のベッドの上でパソコンを相手に過ごされ 私の拙いブログを読むのが毎日の楽しみという内容の お手紙を頂く方の想いを胸に 今回もたくさん写真を撮ってきました。 と、その前に 昨日掲載した藤と牡丹を見に出かけた折に お洒落なフレンチレストランで頂いたランチを 少しUPしたいと思います。 前菜(香草がたっぷりと) じゃが芋のスープに海ブドウが浮かべてあります。 手作りパンにオリーブオイルとスパイス ステーキ 魚(すずき) デザート&コーヒー またもや絵に描いた餅ですが、お洒落でしょ。 これでリーズナブルなお値段でした。 さて、本題の日帰りバスの旅を紹介しましょう。 朝7時過ぎに自宅を出て、あまり渋滞にも合わず (反対車線はかなり長い距離が渋滞でした) 乗員乗客含め44名が向かった先は 以前も訪れたことのある蒲郡のいちご園 バス3台の全員がハウスの中で一斉にイチゴ食べ放題。 前回は大粒のいちごがたくさん生ってましたが、 今回はすでに食べつくされた感じでした。 昼食前なのでこれぐらいがちょうどいいのかも。 当たりはずれがありましたね。 しかし、中にはパックに緑のヘタを山盛りのツワモノも。 次に向かったのは蒲郡クラシックホテル。 以前竹島を訪れたときに遠くから見上げたホテルです。 大安吉日ということで結婚式があり、 GW中でツツジ祭りも開催中とあって マイカーや大型バスで観光客が大勢訪れていました。 混雑する中で写真を撮るのは大変でしたが、 何とかホテル前のツツジを写すことができました。 (続く)
May 4, 2017
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常盤座を見学した後はすぐ隣にある常磐神社へ。 同じ「ときわ」でも地歌舞伎の芝居小屋は常盤座。 芝居小屋は般の下が皿、 常磐神社は般の下が石です。 石段をかなり上がったところにご神体がありますが、 参拝に上っていった人はほとんどいなかったです。 (理由はこの旅行記を読んでくださった方にはわかりますね。) そして 前回登場した常盤座の役者さんで世話役のお兄様が 「秀吉の切り株を見たい?」としきりに勧めたので ついていったのは中学生の母子と私達の2組だけ。 それもそのはず、足元の悪い山の傾斜地にありました。 私も呼吸が苦しいのを我慢して後を追いました。 そしてこれが一番立派でした。 秀吉の切株(一)です。 苔むして425年余りの歴史を感じました。 秀吉の朝鮮出兵は歴史で習いましたが、 こんな山奥からも杉や檜の大木が 供出され 付知川を下って行ったのかと思うと 時の権力の大きさを感じさせられたのでした。 ちょうどその時でした。 大きな雷鳴が聞こえ、突然雨が降り出しました。 びっくりして慌ててバスに戻りました。 この日は気象情報で天候不順のため ところにより雷雨があるとは聞いてましたが、 まさか秀吉の切り株の所で雷が鳴るとは・・・ その後、アイス食べ放題のお店に寄りましたが、 画像はありません。 きな粉とバニラと抹茶の3種類のアイスを最中の皮に はさんで食べるのですが、いくら食べ放題と言っても 気温も低く寒くてほとんど食べられませんでした。 アイスもアイスクリームではなくシャーベットでしたから。 それでも中にはおかわりする人たちがいましたね。 これで「春のグルメフルコース」の全行程は終了です。 お付き合いいただきありがとうございました。 最後に こどもの日も近いので大空に泳ぐ鯉のぼりの画像をどうぞ。 (完)
May 2, 2017
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今日から5月。 こどもの日が近づいてきましたね。 昨日江南の曼陀羅寺へ藤と牡丹、ツツジを見に行った際 大空に泳ぐ鯉のぼりと木陰でお弁当を広げる家族連れを 遠くから写させていただきました。 子供たちが歓声を上げて楽しそうに遊んでいました。 さて、 ちこり村でフレッシュなちこりを肴にちこり酒を飲み、 馬籠宿でおやきを食べたり石畳を散策した後、 バスは木曽路を進みます。 向こうに見えるのは恵那山。 ここで昼食です。 昼食後はミニわらじ五平餅作りを体験しました。 蒸したまん丸のもち米とビニール手袋と串を渡されます。 串の周りに手でしっかり握ってくっつけます。 握り方がゆるいと焼く時に外れて落ちるそうです。 型の上で形を整えます。 表面が乾くまで裏返しながら焼きます。 表面が乾いたらたれをつけてもう一度焼きます。 出来上がったら「マイ・ミニわらじ五平餅」の出来上がり。 各自熱々の五平餅を頂いてきました。 次に向かったのは中津川市指定有形文化財、 芝居小屋、常盤座です。 江戸時代この山深い土地には庶民の娯楽があまりなかったので 芝居小屋で素人が地歌舞伎を演じました。 岐阜県は全国でも最も地歌舞伎が盛んなところで 中津川市では7つの団体が昔ながらの芝居を続けています。 地歌舞伎は江戸時代から400年も継承されています。 舞台には廻り舞台もありました。 奈落に降りて廻り舞台も見学してきました。 一般の客席(桟敷席)に細い板で歩(あゆみ)が作ってあります。 これは本来、売り子がお茶や弁当を売り歩くための道なんです。 鳥屋口(とやぐち)の説明は上記の通りです。 親切なお兄様(地元の地歌舞伎の役者さん)が私に 本花道(ほんはなみち)を歩くようにと熱心に勧められたので 私も役者になった気分で歩かせてもらいました。 奈落(廻り舞台)や楽屋(舞台裏)を見学してきました。 昭和の時代には歌舞伎だけでなく講談や歌なども公演されたようです。 ゆずや(皇族の方の小さなサイン)もありました。 リーフレットの写真から地歌舞伎の様子を載せますね。 地元の子供たちに地歌舞伎を通じて 伝統芸能の楽しさ、大切さはもちろん、 新しい友達や様々な方との出会いの大切さを教え、 後継者の人材育成を目指してしているそうで、 大人だけでなく子供さんたちが大活躍ですので おひねりもたくさん飛ぶようです。 (続く)
May 1, 2017
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昨日は中津川方面に日帰りバスの旅でした。 そして今日は毎年訪れている愛知県江南市にある 曼陀羅寺へ藤と牡丹を見に出かけました。 ちょうど藤祭りを開催中で 大勢の見物人で混雑してました。 東南アジアの大勢の観光客も観光バス 数台で乗り付けて見物していました。 その様子は後日載せたいと思います。 今日は昨日の日帰り旅の続きです。 馬籠宿は今までに何度も大火に見舞われ 妻籠に比べて昔ながらの建物が少なくなりました。 以前外国のお客さん達を案内した時に比べて なお一層モダンになったような気がしました。 観光客用に耐火装置を備えた建物に 建て替えられたからでしょう。 それでも外国からの観光客や高校生の集団が 大勢訪れて昔ながらの建物を写真に収めていました。 私もその一人です。 モダンなカフェでした。 石畳の両側に並ぶ建物はどれもモダンな感じがしました。 馬籠宿に咲いていたお花も モダンなお花ばかりでした。 やっと出会えた和のテイストの植物です。 ヒメリンゴ 淡い色をした枝垂桜や真っ赤な花桃を眺めながら 何となくほっとしたのは私だけでしょうか。 (続く)
April 30, 2017
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GW始まりの日に日帰りバスの旅をしてきました。 出発時間が遅かったのと交通事情が良かったので 渋滞もなく快適な旅ができました。 道路の両側には山桜やソメイヨシノ、八重桜、 ピンクと赤の花桃やミツバツツジが満開で ちょうど今が見頃でとても綺麗でした。 まず訪れたのは岐阜県中津川市にあるちこり村です。 ちこり村という名前は知ってましたが、 ちこりという植物を詳しく知りませんでした。 店頭の右側にあるのがちこりの模型です。 最初はこのような緑の葉っぱをつけます。 ちこりの花は水色の涼しげな色をした可憐な花です。 そして西洋の高級野菜チコリの国産化に成功しました。 フレッシュなサラダに使われるちこりの葉は 緑の葉を切って特別に温度や湿度管理をされた部屋で 育てられていました。 根っこの部分は芋ですので蒸留酒が造られます。 ちこりのお酒を25度から39度41度と試飲してきました。 度数が上がるごとにトロッとして美味しかったです。 中津川のちこり村では高齢者を優先的に雇用して いるので開業10年経った今でも 70代半ばの方々が現役で働いてみえます。 可愛いマスコット人形と別れを告げ 次の目的地である馬籠宿に向かいます。 バスの車窓から見えた枝垂桜が綺麗でした。 真っ赤な花桃も咲き、遠くの山からは 鶯の鳴き声も何度となく聞こえてきて これが鶯の谷渡りなのかと思ったほどです。 実はここが馬籠宿の入り口なんですが 私たちのバスの乗客22名は大半が 高齢者なので登り坂は辛いだろうと バスの運転手さんが馬籠宿を登りきった所まで 連れて行ってくれたので、下り坂を片道だけ 歩いて下っただけでした。 片道約700メートルです。 馬籠脇本陣史料館 藤村記念館(馬籠宿本陣跡) 島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡 熱々の蓬餡子入りおやきを食べてきました。 約1時間の予定で散策しましたが、 充分時間が余りました。 (続く)
April 29, 2017
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昨日岐阜県でも桜の開花宣言がありました。我が家のサクランボの花も満開です。ソメイヨシノも間もなく満開になることでしょう。さて、今回で観光列車「ながら」でのローカル線の旅も最終回です。今回は社内の様子と車窓からの眺めです。私達は行きは各駅停車のワンマンカーで、郡上大和のフレンチレストラン「ももちどり」でフランス料理を頂き帰りに観光列車「ながら・もり(森)」に乗車しました。金、土、日、祝だけ美濃太田駅から郡上八幡駅まで運行している長良1号と土、日、祝だけ郡上八幡駅から美濃太田駅まで運行している長良2号の鮎号ランチプラン。金のみ郡上八幡駅から美濃太田駅まで長良2号に乗車の鮎号スイーツプラン。とは違って私達は森号ビュープランにフランス料理付きでした。ですので、鮎号のランチは暖簾越しにしかわかりませんでした。森号は定員38名、鮎号は定員25名です。木材をふんだんに使ってある車内には天井もよく見ると、繊細な細工が施されてました。NAGARAと長良・森の文字、一つ一つ刻印が施されていました。途中、景色の良い所で列車が止まって撮影タイムですとアナウンスがありました。ほんの数分間停車しました。また日本まん真ん中温泉、子宝の湯でトイレ休憩と馬の毛で作った物が展示されてるらしいので見学タイム。発車時間になっても一人戻らないのでしばらく待ちました。とっても長閑なローカル線です。静岡県の大井川鉄道で機関車トーマスに乗った時もそうでしたが、今回もウッドジョッブの人達が仕事の手を止めて杉林の間から手を振ってくれたり、橋の上で三脚を立てて写真を撮る人、道行く母子や畑仕事をする人達が手を休め、車を止めてスマホを向けたり手をふったりしてくれた人達が結構いました。長良川をカヌーやラフティングボートで川下りをしている人たちまでこちらに向かって手を振ってくれました。こちらも窓から手を振りました。これが結構楽しかったですよ。その後、うだつの上がる街並みと美濃和紙で有名な美濃市、小瀬鵜飼と刃物の町や、最近ラグビー選手のルーティンポーズと似た印相を組む宝冠大日如来で一躍有名になった関善光寺がある関市、道の駅・半布里の郷、郷土歴史館で有名な富加町で停車しながら夏の陣で花火大会が、秋の陣で皇女和宮様等歴代将軍に嫁いだ6人のお姫様の姫道中が催される美濃太田駅に無事到着したのでした。 (完)長らく旅行記にお付き合い下さいまして ありがとうございました。
March 29, 2017
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私の不注意で右足を熱湯火傷をしたことで皆さまからご心配と優しいお見舞いのお言葉をたくさんいただきまして本当にありがとうございました。今日も皮膚科を受診し、診察と治療をしてもらいました。まだ痛みは少し残っておりますが、徐々に皮膚の色も元に戻って行くでしょうから後は薬を塗って、火傷部分が細菌感染しないように気を付けて生活していくつもりです。今週1週間はとにかく静かに過ごしますね。さて、 古今伝授の里を後にして、今回のもう一つの目的である観光列車「ながら」に乗った旅行記にもう少しお付き合いください。郡上大和の無人駅で待っていたのは私たち二人だけ。やってきたのは観光列車「ながら」の1両目だけです。九州の観光寝台列車「ななつ星in九州」はじめ数々の名車両のデザインを手掛けてこられた水戸岡鋭治氏のデザインです。乗り込むとすぐにお土産を手渡されました。バスガイドさんのようにガイドさんが車窓に広がる風景を案内されます。郡上八幡城が山の上に見えて来ました。行きは各駅停車でしたが、帰りは郡上大和駅の次は郡上八幡駅でした。ここで20数分の停車。外へ出て自由に写真を撮って下さいと言われました。先ずは車内を。そしてここでもう一両連結しました。向こうの方から二両目がゆっくり近づいて来ました。そしてゆっくりとドッキングしました。私は一両目の後ろの窓から写しました。これで二両になりました。一両目は「ながら・もり(森)」です。そして二両目は「ながら・あゆ(鮎)」です。二両目は食事(ランチとデザート)ができる車両です。後ろから見た車両です。「ながら・あゆ」の中の様子です。お客さんが郡上八幡駅で大勢乗りこみました。老若男女のカップル、家族連れ、全員着物姿の女性グループなど。さあこれから時々途中下車しながら、のんびりとローカルの旅です。(次回は最終回です。つづく)
March 28, 2017
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美味しいフランス料理を頂いた後は観光列車の乗車時間まで近くを散策をしました。郡上大和は3月に入ってからも雪が降ったそうでまだ残雪がありました。いたるところ杉林に囲まれ、この日はまだ良かったのですが、帰宅してから花粉症がなお一層ひどくなってきて、今日も雨だというのに、朝から鼻づまりと咳に悩まされています。植物園には紅白の梅が咲いており、青空に映えてとても綺麗でした。足元を見下ろすと、3~4ミリの可憐な野草がたくさん生えていましたが、マクロ撮影時にはクローズアップレンズを付けた方が良いそうで今回は花が小さいので載せるのを断念しました。牡丹の木も雪よけの白い覆いがかぶせてありました。約八百本もある牡丹の見頃は5月初旬だそうです。苔むした待合所素朴な野仏川では釣り人が糸を垂れていました。田舎育ちの私にはこういう長閑な風景が大好きなんです。篠脇城跡に登ろうと近づいていくと標識に往復1時間かかると書いてあり、残り時間15分ではとても無理なのであきらめて戻りました。そしてレストランのスタッフさんに昨年の桜が満開の頃、桜並木を花嫁道中があって綺麗でしたよとか、牡丹が見頃の5月連休にまた来て下さいね等々話をしながら郡上大和の駅まで送ってもらったのでした。遥か向こうに雪をかぶった白山が見えました。ここから今回の目的である観光列車、「ながら2号」に乗ります。(つづく)
March 26, 2017
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さあ今回の旅のもう一つの楽しみ、フランス料理の時間がやって来ました。フレンチレストラン「ももちどり」でフランス料理に舌鼓!私は赤ワインを、相方はウーロン茶です。オードブルは春野菜と小海老のサラダ、レモン風味のソース焼きたてのパンは荏胡麻(えごま)入り丸パン&フランスパン春待ち人参のスープ真鯛のポワレ(相方)仔牛のフィレステーキ(私)マロンクリームと洋ナシのシャーベットココナッツスープ仕立てズームアップするとこんな感じ珈琲でオシマイです。 お味はもちろんの事、盛付けもお洒落。レストランに入った時は2組目でしたが、お昼時なのでどこからか次から次へとお客さんが。最後に三重県から観光バスで20数名の団体さんが来られてお店は満員になりました。お腹も満たされ、レストランのスタッフに郡上大和の駅まで送ってもらう時間までもう少し近くを散策しました。(つづく)
March 25, 2017
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昨日のブログに古今伝授の里フィールドミュージアム、篠脇山荘に展示されていた土人形と土雛を載せた所、ブログの友さんからもう少しアップで見たかったとのコメントがありましたので、今日は画像を少しだけ大きくして載せたいと思います。土雛です。表情豊かな土人形です。さて、今日は古今和歌集の萩・桔梗をテーマにした書・絵・染め・布細工、陶芸(?)を紹介します。こちらもブログの友さんが楽しみにされてますので、大きくして載せたいと思います。これで部屋を半周してきました。中央には萩や桔梗の絵が描かれた着物がありました。残り半周はフランス料理の時間も迫って来たことだし、写真は撮らずにささっと鑑賞してきました。長閑な連休の午前、入場無料で解放されてましたのでもう少し多くの人達に見物に訪れてほしいなと思いながら目の保養を充分してきました。(つづく)
March 24, 2017
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古今伝授の里フィールドミュージアム、篠脇山荘で開催されていた「古今和歌集の萩・桔梗展」の会場を見学しました。市民有志グループ「古今集の植物で遊ぶ会」の方々の書、絵、染め、布細工などの作品が多数展示されていました。お雛様、桃の節句の作品も出展されてました。まず土人形から紹介したいと思います。土雛もありました。過去2年は桜、梅をテーマに開催され3年目の今年は秋を代表する植物、萩・桔梗がテーマになっていました。布で桔梗袋を作るワークショップや書の作品作りもあったようです。万葉集や古今和歌集には萩や桔梗が多く詠まれているようです。次回は布作品を少し紹介したいと思います。(つづく)
March 23, 2017
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古今伝授の里フィールドミュージアム、博物館の次に和歌文学館を訪れた私達は小川のせせらぎを聞きながらなだらかな坂道を上りました。茶屋でちょっと一息入れることに。足元一面に可憐なスミレが青く咲き春を感じさせてくれる小道を歩いていくと、マムシが出るので注意という立て看板が。湿った枯草の下から出てこやしないかとオッカナビックリ急ぎ足で茶屋へ到着。風流な室内もいいけれど、屋外で私はお抹茶を、相方は抹茶入り葛を頂きました。御菓子に近づいて頂きましょう。季節感漂う桜の花弁が綺麗でしょ。のんびり春の日差しを浴びて休憩できたのでした。茶屋の周りでは山野草がたくさん生えていて街中では味わえない春を感じさせてくれました。蕗の薹やショウジョウバカマが辺り一面に生えて綺麗でした。福寿草も群生していました。途中ちょっと中は覗けませんでしたが、 貯蔵庫なのか井戸なのかはわかりません。PS) 今夜ブログの友さんに教えて頂き初めて知りました。この石が積まれている所にある穴がシシ垣と言って、イノシシやシカの侵入を防ぐんだそうです。茶屋を後にして、次に向かったのは篠脇山荘で開催中の「古今和歌集の萩・桔梗」展です。今年は古今和歌集に詠まれた秋の植物、萩と桔梗をテーマに作品展が開催されていました。(つづく)
March 22, 2017
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やっと今月のダンス披露をクリアしたので連休の最終日の昨日、ローカル列車に乗って郡上大和までフランス料理を食べに出かけました。行きは各駅停車のワンマンカーで。郡上大和まで乗ったのは私達1組だけ。他の乗客は郡上でほとんど全員降りられました。郡上大和の無人駅で降りて目的地までどうやって行こうかと途方に暮れていると、ちょうど隣の喫茶店から帰る所だという男性に4キロ余りの道のりを車で送ってもらう事ができました。送ってもらった先は古今伝授の里フィールドミュージアム。古今和歌集の解釈などを秘伝する「古今伝授」に因む博物館を見学しました。入り口には土人形が飾られ会場内ガラスケースの中の展示物はすべて撮影禁止でした。古今伝授とはどういう事でしょうか。そして古今伝授の重要な担い手が東氏でした。学生時代に習った古今和歌集等の掛け軸や肖像画、他にもこの地方に埋蔵されていた物がたくさん展示されていました。次に向かったのが和歌文学館です。柿本人麻呂、大伴家持、紀貫之、和泉式部、藤原定家の和歌が書いてあります。そして階段またはスロープで上に上がると東常縁、松永貞徳、香川景樹、与謝野晶子、斉藤茂吉にも出会えます。文学が好きな方には興味深い所だと思いますが、残念なことに連休のこの日は私たち以外にこの館を訪れる人はほとんどいませんでした。もう少し近づいてみるとここもガラスケース以外は撮影できました。おかげさまで静かにゆっくり観て回れたのでした。(つづく)
March 21, 2017
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部屋からの眺めは昨日UPしましたが、私達が通された洋室にはベッドの上にやはり帯がディスプレイされていました。チェックインまで温泉に入ってきてくださいとタオルとバスタオルを渡されたので大浴場も露天風呂も貸切状態。贅沢な気分でゆったり浸かれました。お雛様やお花が各階に飾ってあり、温泉までの廊下も趣向が凝らしてあり、とても寛げました。チェックインを終え、部屋でのんびり過ごしいよいよ夕食に畳の大広間へ。皆さんバイキングの方へ行かれたらしく、大広間にはかしましいオバ様方5名と我々の2組だけ。全て無料宿泊券で滞在できるのですが、至れり尽くせりで、なんだか申し訳ない気持ちに。そこで、A5等級松坂牛ステーキと伊勢海老のお造りを追加注文しました。(後で娘に何も追加しなくてもいいのにと笑われてしまいました)200gと400g、どちらにいたしましょうか?と聞かれ、遠慮して200gにして大正解でした。ミディアムレアでとっても美味しく焼けてました。伊勢海老のお造りも美味しかったようです。蟹の足だけでも甘い身が詰まって食べきれないほどでした。実はこちらにもお肉が付いていたのでした。伊賀流忍者麦酒・NINJAという名前の地ビール(黒ビール)を頂きました。 デザートが出る頃にはお腹が一杯でしばらく動けない状態でした。 このホテルは夏休みとお正月に大変混雑するそうですが、2月と6月はシーズンオフなので宿泊客は140名ほどでした。1組2人からナイトツアーがしてもらえ冬は星空の観察とシカやイノシシを見るツアーが。夏休みはイベント・体験教室が開催され手作りパン、ピザ教室や木工教室、餅つき、魚のつかみ取りや屋外プール、パターゴルフなどが楽しめます。朝食はバイキング。(相方のです)昨夜食べすぎたので私は控え目にしました。やっぱりこちらでも帯のディスプレイが綺麗でした。地ビール3本を背中に背負って9時過ぎ始発の送迎車で20キロの道のりを送ってもらい電車を乗り継ぎお昼過ぎには自宅へたどり着けたのでした。(オシマイ)
February 20, 2017
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遅い昼食を済ませチェックインまで散策しました。ホテルの近くに梅林があり、白梅と紅梅が蕾から三分咲きほどでした。梅林の梅の木は老木が多く木の下にびっしり生えた苔に影を落としていました。木漏れ日が面白かったので写してみました。火の谷橋を渡ろうとすると、遠くから爆音がして5機、6機と揃って頭上を飛んでいきました。近くに陸上自衛隊明野駐屯地と航空学校がある事を後で知りました。そしてここは美杉町、四方はスギ林に囲まれています。私は2月初旬から目の周りがかゆくなり花粉症の症状が既に出ています。杉林を眺めただけでなお一層痒くなりそうであわててホテルに戻りました。ちょうどチェックインの時間でした。ホテルの部屋からの眺めです。閑話休題今日はノア君の保育園で第86回保育祭が開催されました。プロのカメラマンが入り、DVD撮影をされていたので、写真や動画撮影は禁止でした。ノア君は卒園の年なので第1部言語発表では「きたかぜのくれたテーブルかけ」を青組さん全児童で発表。第2部伝承の舞では本物の装束を着け当市NPO法人の雅楽の演奏に合わせて「朝日舞」を。(ちなみに女子は「浦安の舞」を)第3部リズム表現は小さいお友達がリズムに乗って軽快に踊ってくれました。第4部劇遊びでは「松雪草物語」を。フィナーレは青組さん全児童がもうすぐ1年生として皆さんに紹介されました。そして今年は親子3代揃ってこの保育園を卒園する記念に撮影してもらったのは我が家1組だけでした。私は写真嫌いのジージに代わって今回も息子とノア君と一緒に写りました。(前回モコちゃんの卒園時にもジージの代わりに写りましたが、その時は4代揃って写ったご家族がいらっしゃいました)86年の歴史を感じました。(つづく)
February 19, 2017
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榊原温泉口駅から田舎道を走ること約30分。20キロ離れた火の谷温泉にやっとの事で到着。玄関に入ると目の前に広がった雛人形は圧巻でした。両側に飾ってあるお花も豪華でした。他にも親王飾りがあちらこちらに。いたるところに帯がディスプレイしてあるのもこのホテルの特徴でとても面白かったです。先ずは腹ごしらえをしてからチェックインまで待つことに。そこで、目に留まったのが映画WOOD JOB!のスチールポスター。実は私達は洋画が好きで、余り邦画を見ないのですが、ある日のバスの旅で見たDVDで(少年よ大志を抱け)に感動してこの映画の事をはっきりと記憶していたのです。「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」の監督・脚本、矢口史靖氏の映画、ウッジョブ!(原作:三浦しをん「神去なあなあ日常」)のロケ地だったんです。俳優さん達や撮影クルーの皆さん達がこのホテルに泊まって撮影に出かけられたそうです。近辺にロケ地がたくさんあって、撮影場所の観光周遊マップもありました。これは映画を観た方ならすぐにわかると思いますが、映画に登場した軽トラです。ロビーでは映画も流していました。意外な所で意外な映画に出くわして楽しくなりました。またロビーには雛飾りだけでなく五月人形も飾られていました。さあ、これからチェックインまでちょっと外を散歩してきます。(つづく)
February 18, 2017
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昨日出かけた一泊の旅を振り返ります。その間、ブロ友さん方には大勢訪問していただきどうもありがとうございました。今朝は一番早い送迎車で送ってもらい列車を乗り継ぎ無事に昼過ぎには帰宅でき午後からチビちゃん達のお守りをしています。 さて、昨朝名古屋駅から近鉄を乗り継いで到着した榊原温泉口駅前は以前はお店があったそうですが、現在はお店もなく見る所も何もない閑散とした所でした。そしてd××××oのスマホも全くつながらない所でした。 駅前でホテルのフロント女性と私の双方が「もしもし」「もしもし」ばかりをくり返すだけで肝心の内容が全く伝えられないので困ってしまいました。 午前11時半からチェックインの午後3時までどうして時間をつぶそうかと悩んだほどです。こうなったらどこでもいいから歩いていこうと決意し、駅裏に出ましたが、人っ子一人、いえいえ犬や猫一匹とも出会わないただ田畑が広がっているだけでした。そこに突如現れました。なんとルーブル彫刻美術館でした。後で聞いた話ですが、本場パリのルーブル美術館からお墨付きをもらっている彫刻美術館でした。できた頃はテレビでも放映され、訪れる人も大勢いたそうですが、最近は閑古鳥だそうです。そしてもう一つ こちらは塀越しに見えた世界一高い純金の観音像です。入場料がいるので外から写させてもらいました。物は試しにかけた相方のガラケイですんなり通じたのにはビックリ。12時過ぎに車で迎えに来てもらえました。榊原温泉口駅から20キロ離れた所に火の谷温泉はありました。こちらも以前は関東や関西から訪れる人が多かったそうですが、近年はさっぱり集客ができないとの事でした。ちょうど中国からバスで日本を旅行中の御一行様が宿泊中でした。そして私達もやっとホテルに到着です。 (つづく)
February 17, 2017
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西浦温泉、龍城の膳で昼食と入浴を済ませた一行は最後の目的地、蒲郡界隈の観光にやって来ました。先ずは全員が焼き大浅蜊半身を賞味した後、海鮮市場で海産物の買い物をしました。その後、現地ガイドさんの案内で竹島・八百富神社などを1時間余りかけて散策しました。先ずは竹下内閣の時に「故郷○○」で出た1億円の内七千万円で建立されたという銅像へ。藤原俊成がここの景色を詠まれたのです。橋のたもとには木下恵介映画監督が母親と訪れた時の事を詠まれた碑もありました。新しいがっちりした橋はこの界隈では有名な財力の方が建て替えられました。橋から振り向くと山上に建つ有名なホテルもそうです。かつて天皇、皇后陛下も宿泊されたとか。遥か向こうの弘法山の頂上から三河湾を見下ろす子安大師像も。この日も冷たい海風が強く吹き付け身体を支えるのが大変でした。水鳥は元気いっぱいでしたが。この神社は階段が百一段あるので高齢者の中でも脚に自信があるグループだけで半数以上の方は最近人気の竹島水族館へ流れました。実は私はここを訪れるのは二度目でした。多分70代後半であろうガイドさんの話では80代半ばのガイドさんで1日に2,3回も101段の階段を上っている方がいらっしゃるとか。私は1回で充分ですと言われました。私も1回で充分でした。ガイドさんの話を聞きながら境内を一周。神社の前で両側にいる狛犬はこれから先、神聖な者しか通さないぞと見張っているとの事等。皆さんは百歳まで長生きできる神様に願い事をしたりそれぞれの前で願い事を。私は2回目だし、樹齢何百年のご神木の枝ぶりが面白かったので記念撮影を。そして参拝が済んだものから遊歩道を降りていきました。昔、松が避雷針になり雷が落ちて遠くの船からは岬に青白い光が見えたという場所、龍神の岬へ。水鳥は悠然と泳いでいました。遥か向こう岸には三菱の車を6000台運ぶ船が停泊。 海面を見つめると波に吸い込まれそうになるので前を歩く人たちの背中を追いながらそれでも写真を撮っている私。ちょっと傾くのも仕方ないですね。そうこうしながら竹島の周囲を一周してきました。帰りにまたコーヒータイムと買い物に立ち寄りスイスイ高速をひた走り帰路につきました。あっ、忘れてました。今回の旅はお1人様1パックの苺とわかめ1袋が付いてました。完
February 12, 2017
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食前酒に梅酒が出て龍城の膳の始まりです。先付は春菊の白和え、季節の前菜三種盛り、お造り四種盛りが出て台の物は牛ローズの陶板焼きが出ました。相方は伊勢海老入り家康鍋です。焼き物にサザエのつぼ焼き、酢の物はもずく酢、蓋物にはくわいとひじきの肉団子、煮物は赤魚の旨煮、揚物は季節の天ぷら、浅蜊釜飯と吸い物、二種盛の香の物、デザートに小豆プリンが出てゆっくりと時間をかけて頂きました。食べ物を美味しく写すのは難しいですが、お味が伝わりましたでしょうか?皆さんはこの後、温泉に浸かってゆっくりされたようですが、私は麦焼酎のホットで身体も温まったことだし、寒い屋外で湯冷めするといけないと思い今度宿泊する時の楽しみという事で温泉入りはやめました。さて、このホテルには家康に関係する物が展示されています。徳川家康誕生の地、岡崎藩の繁栄を歌った岡崎五万石の江戸小唄もありますね。 手作り甲冑です。赤い甲冑は徳川家康ではありません。他にも微笑ましい展示物がありました。ひな人形だけでなく早々と武者人形も飾られてました。今朝から当地でも雪が降りました。今も厚い雪雲に覆われ時折雪が舞い降ります。まだまだ春は遠いようですね。
February 11, 2017
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天台宗真福寺の菩提樹館はご住職の趣味である盆梅展だけでなく掛軸は横山大観筆でした。地下に降りると山下清展が開催されていました。 かの山下清画伯の作品かと思いきや、日展の審査員で彫刻家でもある別人の方のでした。 お寺のお宝とコラボして展示されてました。広い会場には数えきれないほどのお宝が展示されていました。ゆっくり鑑賞している時間はなく集合時間に間に合うよう駆け足でバスまで急ぎました。そして楽しみにしている昼食会場に向かいました。そこは三河湾国定公園、西浦半島の最先端にあります。三河湾が目の前に広がっています。この頃には雪は雨に変わりましたが、視界は悪かったです。 本日の会場です。 料亭街凪小路でグループごとに食事です。ちょうど向かいの布で仕切られた個室で昼食です。私達は鮑踊り焼きではなく、伊勢海老入り家康鍋と和牛ロース陶板焼きを選びました。(つづく)
February 10, 2017
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推敲という言葉がありますが、せっかく書き上げたブログが一瞬にして消えてしまうと本当にやる気をなくしてしまいますね。しかも一度や二度ではなく三度も消えてしまうと・・・その都度下書きをするのを面倒がったのがいけなかったのです。嫌になってだんだん内容が短くなってしまいました。さあ気を取り直してもう一度、三度目の正直で。昨日モコちゃんの習い事の送り迎えをした際、ノア君がおたふく風邪で寝込んでいるのでミラ君をおんぶして出かけましたが、おんぶに慣れてないので背中で立ってしまい、ずーっと前かがみの姿勢のまま往復したら、今日は腰痛がなお一層ひどくなってしまいました。それでも今日は西浦温泉と蒲郡方面へ日帰りバスの旅をしてきました。朝方から雪が舞う中、バスは一路高速道路を走り岡崎市にある天台宗・真福寺へ到着。「身体健康と目のお薬師様」として有名なお寺です。今回の参加者はほとんどが高齢者ですが、お寺や神社に参拝するにはたくさんの階段を上がらなければなりません。でもここはまだまだ序の口でした。自分の干支が書いてある入口から入ります。すると目の前に干支が書いてある仏様が現われました。ご住職のお話ではこのお寺は聖徳太子の時代に遡り、御本尊がある所にはその頃、池があったそうです。ある日その池の中から薬師如来がお出ましになったそうです。池の水が目のお薬師様として目の病気に効くと信じられました。今では身体の万病に効くとなったそうです。住職の読経に合わせて、自分の干支の仏様に向かって身体の悪い所を治してもらうよう参拝しました。その後、目に効く水と身体に効く水を100円で売っていたので私は母の為に目に効く水を買ってきました。信じる者は救われるでしょうか。本堂の近くに菩提樹館がありました。現在梅の盆栽展を開催中でしたので立ち寄りました。36名中訪れたのは私たち二人だけでした。受付の方はプロのカメラマンは撮影禁止にさせてもらうけれど、あなた方なら撮ってもらっても結構ですよと言われました。この盆栽はご住職の趣味で60年、70年、80年物でした。 (明日へ続く)
February 9, 2017
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2回目のオーストラリアへの旅も今日で最後です。長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。オーストラリア滞在最終日の日曜日はもう一人の友人が車で迎えに来てくれて彼の故郷Woolongonへ連れて行ってくれました。丘の上から見下ろしたウーロンゴンの街です。友達を交え4人でおしゃべりしながら海岸を散策後、彼のお母さんに海の見えるレストランで昼食をご馳走になりました。日本では息子が大変お世話になったからと言われて。とても落ち着いた静かな町でした。その後、彼の家に連れて行ってもらいご両親に会いました。玄関を入った所に既に結婚したお兄さん3人のそれぞれの家族写真が貼ってありお母さんはいくつになっても独身でいる末っ子の息子の事が気がかりだと話されました。母親はいずこも同じですよね。息子が自分の事を聞きたくないので、横になって寝ようとしたら父親から厳しく叱られたのを見て、これもいずこも同じだなと感じたのでした。オレンジジュースを飲みながら、彼の金髪で可愛い子供時代のアルバムを見せてもらいお土産まで頂いて帰りました。夕方お世話になった友人と彼女の友人を呼んで、プラネットハリウッドで4人で夕食を。飲んで食べて大いに盛り上がりました。右の二人はこの頃多分25歳かそれ以上私よりも若かったです。娘や息子ぐらいの年齢の若者も同じ気分で付き合ってくれました。みんな楽しい人たちでした。今でも近況を教え合っています。 いよいよ1週間滞在したオックスフォードコアラホテルともお別れです。 このホテルでも短い滞在中、色々と経験しました。夜中に火災報知器が作動して起こされたこと。近くのオックスフォードストリートでゲイパレードがあって20数年前、日本ではまだオープンにカミングアウトされてない頃、お化粧をした男性が綺麗な花束を持って楽しそうに男性と腕を組んで歩いてたこと。そして友人二人にも連絡で色々と心配をかけたこと。これはほんの一部で、今でも記念に持ってます。その後、外国旅行では空港で携帯を借りることにしました。 帰りに飛行機から見えたグレートバリアリーフです。 エメラルドブルーのサンゴ礁がとても綺麗でした。これで術後3か月で2度もオーストラリアへ旅立った旅行記を終わります。(オシマイ)
January 29, 2017
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やっと2週間のお手伝いも今夜で終わりました。もう1日、明日まで過去の旅行記にお付き合いください。シドニー工科大学での語学研修も金曜日で終り、週末2日間楽しんだら帰国です。思い出を目いっぱい残しておこうと思いました。結局それ以来20数年間一度もオーストラリアを訪れてません。2人の友人はそれぞれその後結婚して子供さんに恵まれ、今では良きパパとママになっています。 さて、土曜日は友人がホテルまで車で迎えに来てくれたので、友達と3人でブルーマウンテン方面に出かけました。道中ハイウェイをカンガルーが横切りビックリしました。ブルーマウンテンのハイライト、スリーシスターズを見に歩いていきました。目の前に3つの奇岩が現われました。神秘的な奇岩の前で記念撮影。こちらはカトゥーンバの滝の絶景ポイントです。約300メートル上空の空中を運転するロープウェイがありましたが、見上げただけで乗らずにケーブルカーの方に乗りました。「シニック・レールウェイ」というトロッコ列車です。最大傾斜が52度もあり、急勾配なのでほとんど真下に降りていく感じがしてスリル満点でした。 ブルーマウンテン国立公園はとても広い大森林地帯で遠くまで青く霞んで見えました。この山には一面ユーカリの木が生えているので樹木の葉から蒸発するオイルの効果でブルーの光線が大気の水蒸気などに反射して青いもやで山が青く見えるのだそうです。ブルーマウンテンという名前の由来はこれに因んでいるそうです。私はこの後、アメリカのグランドキャニオンにも出かけましたが、オーストラリアのグランドキャニオンの方を先に見学しました。この当時から空気の澄んだ山を歩くのが好きでした。友達は学生時代、ワンダーフォーゲル部に入って日本アルプスにも登っていた健脚の持ち主です。土曜日は1日中充分山歩きができました。(続く)
January 28, 2017
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日曜日まではこのまま過去の思い出にお付き合いください。月曜日になったら報告できると思いますので。 さて、20数年前のオーストラリア旅行の続きです。4日目、モニカ先生とロイヤル・ボタニック・ガーデンを訪れた後、オペラハウスの近辺を散策しました。ロイヤル・ボタニック・ガーデンには世界各国から集められた約4000種類の植物が30万平方メートルという広い面積の土地に植えられていました。大陸的なスケールの大きさにビックリしました。オペラハウスの屋根の形はシドニー湾内を行き交うヨットの帆をイメージしてデザインされたものだそうです。前の広場ではバグパイプを吹いているオジサンがいたので仲間がお金を入れました。5日目の先生の名前は忘れてしまいました。記憶がだんだんあやふやになってきました。煙突から緑の煙が出ていたので写しましたが、何の印だったかしら?春のお祝いだったかしら?先生が話されたんだけど忘れてしまいました。パワーハウス博物館の見学。科学、テクノロジー、文化、歴史、アート等技術革新による生活用品の移り変わりや女性の服装の推移、映画、テレビの特殊効果の裏側など幅広いテーマで展示されてました。日本、アジアの国々から集まった13名が金曜日の授業後、校長先生(女性)が一人一人に修了証と記念のピンを手渡されました。修了証を上手く撮れませんでした。その後ジュースとスナック菓子で簡単なパーティーが催されました。パーティーもそこそこにあわててホテルに戻ると前回もドライバーをしてくれた友人が車で迎えに来てくれていました。ボンダイビーチとギャップ公園を友達に紹介したかったのです。ミセスマッコーリーポイントの近くで結婚式があったようで花嫁、花婿とベストマン、ベストウーマンが正装して階段を下りて来ました。外国を旅している時に結婚式に出くわすのはこれで何度目になるかしら。「お二人に幸あれ」と祝福しました。その夜はシドニーカジノへ連れて行ってくれました。私は早々にギブアップしましたが、友達はスロットマシンで結構楽しんだようです。 (続く)
January 27, 2017
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今日は雪の御嶽山が窓からくっきりと見えました。今日も夕方までボランティアで出かけてました。あと3日間気合で乗り切ります。 今日もオーストラリア旅行の続きです。3日目はアンジェラ先生とデパート、David Jonesへ出かけました。珍しい豪華な帽子をかぶってみました。ちょうどスプリングフェスティバルの真っ最中。全館各階のフロアーいたるところに綺麗な花が飾られていました。赤、黄、白、ピンク、オレンジ等、色とりどりの花々の競演です。上の階へはエスカレーターで、帰りはリフトで下りました。 どこからかハーブの調べが聞こえて来ました。 しばしの間、音楽に耳を傾けました。みんながQVB(クィーン・ヴィクトリア・ビルディング)で買い物中、アンジェラ先生とおしゃべりを楽しみました。とってもキュートな方でした。サーキュラーキーでアーティチョークを食べた後、急に思いついてシドニー湾のナイトクルーズを楽しみました。歌と音楽もムードがあり素敵でしたが、夜景もとても綺麗でした。 4日目はスイス出身のモニカ先生とロイヤル・ボタニック・ガーデンへ。モニカ先生は10歳の男の子と7歳の女の子のお母さんです。シドニー湾の近くを散策しました。セント・メアリー教会は当時郷ひろみさんが結婚した教会で有名でした。イギリス様式の石造りの正統派の教会です。ニューサウスウェールズ州立美術館は神殿造りで、5階までオーストラリア、ヨーロッパ、アジア各国の幅広いコレクションがあり1階のアボリジニ芸術が特に素晴らしかったです。(続く)
January 26, 2017
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今日もボランティアで出かけました。いよいよ後半戦に入り、午前7時からのボランティアを頼まれましたが、私は9時からで精一杯です。 さて、二度目のオーストラリア旅行の続きです。1週間語学研修をしたシドニー工科大学のキャンパスです。1日目は熱帯雨林を散策し、BBQでウェルカムランチでしたが、2日目はジュディ先生とハーバーブリッジへエクスカーションに。ハーバーブリッジからの眺めです。帆船も見えましたが、写真は省きます。ハーバーブリッジの両脇に立つ塔では橋が建設されて馬で通った開通式の様子が上映されてました。教室に戻って。ジュディ先生は9歳の双子の息子さん達と5歳の娘さんがいて18歳の時に日本(埼玉県)に来たことがあるそうです。子供さん達が寂しがるので、週3日朝9時から午後3時までパートで働いていると言われました。大学の授業の後は、友人を誘ってセントラルステーションから前回の旅で再会した女性の自宅へ食事に行くことに。セントラルステーションの内部郊外まで電車の切符を自動券売機で買いました。日本の列車のように快速、急行、準急、普通なんて書いてありません。停車駅のランプがつくだけです。この夜は途中工事中のためバスで迂回しました。やっとの事で最寄りの駅に着き、友人が車で迎えに来てくれてました。みんなで夜空を見上げて南十字星をさがしました。友人のご両親はイギリスへ旅行中で不在。日本のように玄関で靴を脱ぎ、部屋の中は綺麗に整理整頓されていました。お兄さんはよく気が付く人でフィアンセと一緒でした。友人の友達も会いに来てくれて再会を喜びました。友人のいとこからも電話がかかってきて久しぶりに元気な声が聞こえました。友人の友達もいとこも日本を旅した折に我が家を訪問したことがあります。友人の手作りパスタとビーフストロガノフをご馳走になりました。余りにも量が多くて食べきれないでいると、お兄さんが「妹の料理は犬も食べないから残しても大丈夫だよ。」と助け船を出してくれました。友人は料理の他にデザートも作ってくれていました。「パバロバ」というケーキを焼いてくれていました。メレンゲのような柔らかくて美味しいケーキをたくさん食べました。(続く)
January 25, 2017
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今日も早朝からボランティアに出かけてました。 20数年前続けて出かけたオーストラリア旅行の続きです。到着した日の事は昨日UPしましたが、ホテルの8階まで前回会った友人が来てくれました。ブリズベンで買って来てと頼まれたラム酒を2本プレゼント。日本の女子高生(約900名)のツアーガイドをしてとても疲れたと言ってました。別れ際、たくさんのラブレターをもらったと笑ってました。2回目の旅の目的は語学研修でした。シドニー工科大学で1週間勉強したのです。翌日は国立公園になっている熱帯雨林の見学に。ミナムラ・レインフォレストの中をしばらく散策しました。レインフォレスト見学後はBBQ。ドライバーさんがソーセージやお肉を豪快に焼いてくれました。パン、リンゴ、オレンジジュースも頂きました。お腹を満たした後は、近くの展示室と売店へ。熱帯雨林に生息する動植物が展示されていました。当たり一帯を整備した様子も。夕方、熱帯雨林見学の帰り道でバスから飛び降り、走って日本へ郵便物を出し(これが外国旅行の私の楽しみ)忘れ物を取りに戻り、その後タクシーでオペラハウスへ。(あまり外国ではタクシーには乗らないのですが、時間的に無理だったので)慌ててトイレで着替えをしました。ブロ友さんにシェイクスピアの「マクベス」を観たと言いましたが、実際は「オセロ」が上演されていました。20年以上前の記憶は実にあいまいですね。プログラムを売ってたお兄さんに「カメラの持ち込みは駄目だよ。」と言われ「一生に一度のお願い。フラッシュは使わないからオペラハウスに来た記念に最初と最後だけどうか撮らせて下さいよ。」と交渉したら、あきれ顔をされた所。熱帯雨林見学の衣装をバッグに詰めてこれでも一応フォーマルドレスのつもり。開幕前の様子です。劇場の外のロビーではイブニングドレスやフォーマルスーツの男女が幕間にカクテルやジュースを飲んでました。オペラ「オセロ」が終わり、フィナーレでオセロ、デスデモーナ、イアーゴ等の主要登場人物の挨拶です。20数年が経ったので許してね。こうして旅の2日目は終わったのでした。(続く)
January 24, 2017
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今日もボランティアに出かけました。今週末まで旅行記にお付き合いください。 今回の旅行記は前回オーストラリアの旅から8月22日に帰国して自宅で疲れを癒し、9日目の8月31日に再びオーストラリアへ旅だったことを振り返ります。皆さんに呆れられるかもしれませんが、嫁いで20数年間ただ家庭を守ることに専念し、10年間患っていた病気を我慢しているうちに3つの臓器が癒着し、手術を経験したのでここで思い残すことがないように、胸に秘めていた想いを実現したのです。まあ留守の間に大騒動となりましたが、それは秘密という事で。今回は関西国際空港からJALで夜離陸しブリズベン経由でシドニーへ出かけました。離陸して1時間後には夕食が出て、陽が上がりブルーの空にオレンジの光が射し始め赤からオレンジへ、オレンジから黄色へと光のグラデーションを楽しんでいる頃、ブリズベンに到着しました。フライトアテンダントのお二人はブリズベンまでの勤務で、ここでお別れですと言われました。ブリズベンからシドニー行きは午前8時5分出発です。 「ブリズベンへようこそ」のボードが見る見るうちに小さくなりました。そしてブルーマウンテンでしょうか、眼下に広がる青い山並み。ブリズベンからシドニーまで勤務のお二人です。無事にシドニーへ2度目の到着。ハイドパークの中にある戦争記念館を訪れた後、ロックスのフリーマーケットへ行きました。アンティークの店やアボリジニのアートクラフトの店へ。私は鳥の作品を1つだけ値切って買いました。ついでにディジュリドューの音色が聞きたかったのですが、誰も聞かせてくれないので、吹かせてもらいましたが、全く音は出ませんでした。他にも毛糸で編んだ人形などカラフルなニット作品や鮮やかな色の布でキルト風に縫ってまるで絵画の様な仕上がりの作品も。色とりどりに着色を施されたガラス作品やマスクとろうそくを売ってるお店もありました。魔女(ウィッチ)が箒に乗って空を飛んでいました。それ以上にキュートだったのはピンク色の桃のような形をしたお尻です。顔よりもお尻の形に魅せられ娘の誕生日祝いに買ってしまいました。こちらは手の形をしたキャンドル。どのお店も楽しくて、いつまで見ていても飽きないのでした。(続く)今夜はPCが重くてなかなか捗りません。
January 23, 2017
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今朝7時半過ぎに自宅を出て、室内と屋外で夕方まで過ごしたら、少々疲れてしまいました。外は風が冷たく、頬や手の感覚がなくなりました。途中で雪まじりの霙も降りました。今週も1週間ボランティア頑張ります。 さて、オーストラリア旅行の続きです。マンリーから高速船でサーキュラーキーへ戻ると、駅でアボリジニのおじさんが大声でおしゃべりをしてました。所帯道具一式を横に置いて、通りすがりの人が投げていくお金を集め、見る見るうちに袋が一杯になりバッグに入れました。横にはぎっしり詰まったバッグが3つも4つも置いてありました。いい商売だなと思いながらしばらく眺めていました。ロックスのジョージストリートのギフトショップで出会った親子。この子も今頃は20代の若者になっていることでしょう。その頃有名だったケン・ドーンの本店へ。ケン・ドーンギャラリーで彼の大作を記念撮影。 サザンビーチの王様、ボンダイビーチへ。太平洋に面した浜辺は1キロ続きます。先住民アボジリニの言葉で「岩に砕け散る波」という意味です。その名の通り青い波と白い波頭のコントラストはとても美しかったです。その後、オペラハウスやハーバーブリッジなど市街が見渡せるワトソンズベイの上に移動。シドニーの自殺の名所ギャップ公園へ。日本では東尋坊の様な所です。100メートル近い断崖絶壁から下を覗くと足がすくみました。こちらはその当時、日本の煙草のコマーシャルに使われた場所です。夜はハーバーの夜景を楽しみながら4人で夕食にくりだしました。ホテルに娘を残し、3人でパブへ行き楽しい時間を過ごし、その後、ほろ酔いの彼女を郊外の家まで送り届けホテルに戻ったのは遅かったです。久しぶりに旧交を温め、いよいよ帰国の途に就きました。午前4時起床、5時半ごろチェックアウト。その後、色々トラブルがあったんですが省きます。キングズフォード・スミス国際空港(シドニー空港)ともお別れです。8時15分に機体が飛び立ち、眼下に広がるシドニーの街並みがみるみる内に小さく遠ざかって行くのでした。 11時頃ケアンズに着き、ケアンズを離陸するとすぐエメラルドグリーンの美しいグレイトバリアリーフの上にさしかかりました。小さな島やサンゴ礁がとても綺麗でした。無事に名古屋空港に着陸。当時はセントレア(中部空港)ではありませんでした。機内で一番明るかったキャビンアテンダントと記念撮影。手術後3か月で出かけたオーストラリアの旅、1回目はこれでオシマイです。
January 22, 2017
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日曜日から始まったボランティア活動もいよいよ折り返し時点に近づいて来ました。明日は早朝8時に集合です。後半1週間も元気に乗り切りたいと思っています。 さて、オーストラリア旅行の続きです。シドニーのオーストラリアン・ワイルドライフ・パークへ開園30分前に到着し、一番乗りでウォンバットに触ったり、コアラの赤ちゃんを抱っこした後はエミューやカンガルーに餌をやり野生の動物と触れ合ってきました。ワラビー、ウサギ、ペリカン、ペンギン、可愛いフェアリーペンギン(通称小人ペンギン)や、亜熱帯雨林を模した巨大な建物の中を飛んでいる赤や青、緑や黄など色鮮やかな体毛をした鳥類や、5mもあるソルトウォーター・クロコダイル、淡水ワニ、獰猛なタスマニアン・デヴィル等を金網の外から見て来ました。その後、サーキュラーキーの辺りを散策し、ハー・マジェスティ・シアターでは念願の「美女と野獣」のポスターを買えて娘は大満足でした。夕方、面接試験を受けてきた友人と花屋さんで待ち合わせ。3人でハードロックカフェへ流れました。壁には昨年のクリスマスに急逝した元「ワム」、イギリスのシンガーソングライター、ジョージ・マイケルのレコード(ゴールドディスク?)が飾ってありました。20年以上も前ですから、まだ30歳そこそこですね。世界一ご機嫌なお店(レストラン、バー、カフェ)で久しぶりの再会を祝ってバーボンコークで乾杯です。(ビートルーズのサイン入り写真の前で)娘はステーキサンドにカルーアミルクを、私はラム肉のステーキです。このボリューム、今ではとても食べられません。あの頃、私は若かった~♪ホテル・ニッコー・ダーリングハーバーのドアマンさんにも顔を覚えてもらえました。翌日はサーキュラーキーから高速船[ジェットキャット]に乗って オペラハウスやハーバーブリッジが見る見るうちに小さくなって15分でマンリーへ着きました。1788年フィリップ総督が第1次移民船団を率いて探検隊と共に上陸し、その際応対に出たアボリジニーの人達が実に堂々としていたので、それに甚く感動した総督は「この地にはmanly(男らしい)人達が住んでいるともらしたそうです。マンリービーチに到着。南太平洋が灯台の向こうに広がり、波が白砂のビーチに豪快に打ち寄せて来ます。サーファーたちはサーフィンを楽しみ、ビキニ姿の女性が泳いでいました。写ってませんが、砂浜では水着でビーチバレーに興じる若者がいたので、私達もサーフィンの真似をしました。ソフトクリームを食べていると、上半身裸でジョッギングしながら通り過ぎる男性に彼女は「ナイスボディね。」と声をかけました。メインストリートのコルソ通りのあるステンドグラスが綺麗だった教会波止場からビーチまで続くコルソ通りは歩行者天国になっていてにぎやかです。そこで偶然、彼女のいとこに会いました。 (続く)
January 21, 2017
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いつもこのブログで紹介しております武下さんから今日絵葉書が届きました。この百合の絵は愛知の娘の家の花壇に咲いていた百合を描かれたものです。昨年末90歳になった母が85歳まで三重からバスと電車をいくつも乗り継ぎ孫やひ孫の為にと色々詰めたキャリーバッグを引っ張り、肩にはバッグを提げて最寄りの駅から30分もかけて歩いて来て、花壇に球根を植えたり、薔薇の木を植えて来るたびに世話をしていた花の一部です。娘が愛知の母と慕う武下さんも時々ご主人の運転する車で娘宅を訪れては花壇の花を眺めていらっしゃいました。「あなたといると 心やすらぎ 元気がでます」という詩が添えられています。 2週間はボランティアとチビちゃん達のお守りがありますのでしばらくはオーストラリア旅行記にお付き合い願います。「シドニーを訪れたらモノレールに乗らなくっちゃ。」と言われたので、乗ってきました。モノレールの中でも友人に頼んで記念撮影を。 その友人とディクソン通りを歩き、チャイナタウンへ。そして当時で100オーストラリアドル(日本円で約9000円)のロブスターを3人で食べました。オーストラリアの友人は「多分、僕は一生こんな大きなロブスターは食べられないと思う。」と言いながら殻までしゃぶってました。ディナーの最初にロブスターが調理されて出てきたのでその後に色々出てきた他の料理を残してしまいました。 翌日は午前9時開園の動物園に30分前に到着。一番乗りでしたが、動物たちもまだ眠そうでした。眠そうな顔でのこのこ歩いて近づいてきたウォンバットを飼育係のお兄さんが抱っこして見せてくれました。早速頭をなでている所です。(右の写真)そしていよいよ本物のコアラと対面です。生まれて36週目の赤ちゃんコアラを飼育員さんが抱かせてくれました。コアラというのはアボリジニ語で「水を飲まない」という意味です。その名の通り、水は飲みません。ユーカリの葉、茎、蕾で水分補給します。爪が鋭いので抱き方を教えてもらい抱っこしました。身体の感触はぬくぬくと温かかった記憶があります。ほとんどのコアラがまだ眠ってましたが、お母さんのお腹の中で眠っていた赤ちゃんコアラが「朝早いから眠くて寝ていたのに、そこで騒がしいのは誰?目が覚めたじゃないか」と言わんばかりにむくむくと顔を出してきて、お母さんコアラのお腹にしっかりつかまってました。コアラの赤ちゃんは約6か月間母親の袋の中で大きくなります。その後、母親の背中や腹部に抱きついて生活し、約1年経ってからやっと独立します。(続く)
January 20, 2017
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日曜日から連日ある所へ出かけています。2週間ボランティアをする予定なんです。また時期が来たらお知らせするかも知れませんが、あと10日間はこのままお付き合いいただきます。 さて、20年以上前のセピア色の思い出、オーストラリア旅行の続きです。ミセスマッコーリーポイントから絵葉書のような絶好の眺め。向こうの方にハーバーブリッジとオペラハウスが見えます。オペラハウスはデンマークの建築家、ジョン・ユウツォン氏がデザインしたオーストラリアの象徴とも言われる建物ですが、余りにも贅沢でお金がかかる設計だったため、途中で資金調達が難しくなり故郷へ帰ってしまったそうです。その後、見事に完成しましたね。 向こうにあるのは囚人を収容した牢獄。1788年1月26日初代総督アーサー・フィリップ率いる船団がポート・ジャクソンに錨を降ろし、流刑団780名、海兵隊、及びその家族約1200名が上陸しました。 ミセスマッコーリーロードの記念碑。1816年6月13日に3マイル377ヤードの道路が完成。政府はこの道路をミセスマッコーリーロードと命名。すぐ横にはマッコーリー夫人が祖国へ帰りたいと座って泣いていたと言われる石の椅子がありました。 ビクトリア女王の像(左)ピエール・カルダンに「世界で最も美しいショッピングセンター」と言わしめたクイーン・ヴィクトリア・ビルディングは1898年にビザンチン式の宮殿を模して建てられました。 右の写真は南半球で最も高いシドニータワー。海抜324.8メートル。展望台からの眺め。眼下に町並みやシドニー湾を行き交うフェリーや、左の方にハーバーブリッジ、中央にオペラハウスの屋根が見えました。ここへはオーストラリアの友人が案内してくれました。短い脚で同じポーズを決めました。 タウンホール(市庁舎)1889年に完成しました。左はタウンホールの時計台です。チャイナタウンへ向かう途中、ザ・マジェスティ・シアター前に当時はブロードウェイミュージカルの「美女と野獣」が10月19日に上演予定と宣伝されていました。(続く)
January 19, 2017
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このところ毎日出かけていますが、とりたてて書くことでもないので、今夜ブロ友さんのブログを読んで久しぶりに思い出したオーストラリア旅行を少しだけ紹介しようと思います。もう20年以上も前の事になりますが、約10年ぐらい抱えていた婦人科の病気で貧血がひどくなり、今手術をしないと命が危ぶまれると言われて入院、開腹手術をし、1か月後に退院しました。その3か月後にオーストラリアへ旅立ちました。旅行するなら「今でしょ」と思ったからです。8月中旬に娘と1週間、8月下旬には友人と8日間語学留学をしました。これは最初の旅でケアンズに真夜中に着いた所です。日本時間午前3時、オーストラリア時間午前4時です。午前6時15分(日本時間5時15分)ケアンズをシドニーに向かってカンタス航空で出発です。そして客室乗務員(キャビンアテンダント)の皆さんと記念撮影。20年以上経ったので、多分皆さん退職されてるでしょう。左の方はチーフパーサー。右の二人は緊急時の救命具の取り扱いの説明をしてくれた人達です。(続く)
January 18, 2017
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お抹茶を頂き一息ついたところで境内のお花に目が向きました。菊薫る活け花カーネーション椿、南蛮紅、黒獅子錦魚の区別がつきません。 ツワブキ千両ハゲイトウ紅葉の間を上がっていくスーロープカー勇ましい姿の立像と野仏ほのぼのとするお迎え地蔵石灯篭スーパームーンは見えなかったので当市で眺めた十六夜もちょっとだけ。そして山登り(石段登り)の運動後にこんなにモリモリ食べました。地元の人達に人気の中華料理店で。この日も市民野球のご苦労様会でにぎやかに盛り上がってました。何人前かって?もちろんほとんど私のお腹に消えましたわよ。今週はダンスの先生に体重を落としなさいと厳重注意されてます。^^;(完)
November 17, 2016
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下山する前に犬山・寂光院の鐘楼と本堂前の紅葉をもう一度目に焼き付けました。落ち葉も緑に赤の模様が綺麗でしたが、見上げるとわずかに覗く空を背景に赤と緑のコントラストがとても綺麗でした。スロープカー待ちの人達がいらしたのを横目で見ながら先ほど一段一段踏みしめて上がってきた石段を下りました。「行きはよいよい、帰りは怖い」とは真逆で降りるのはこんなにも楽なんだと思えるのでした。ほのぼのとした石仏さんにも出会えました。時々階段の途中で立ち止まって周りを確かめた後、見上げながらファインダー越しに紅葉を愛でました。階段を下りると、茶処が目に入りました。ちょうど喉を潤したいところでした。本日の紅葉まんじゅうは売り切れ。お干菓子で一服です。運動後のお抹茶はとても美味しゅうございました。傘の内側が綺麗だったので写してみました。いかがでしょうか?向こうの紅葉は明るすぎて上手く色が出ませんでした。これから運転免許更新に出かけますので早めに更新です。(つづく)
November 16, 2016
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