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見返り坂は急勾配で呼吸の苦しかったこと。苦しいのは私だけではありませんでした。途中で立ち止まって一息つく人、ひゃー!とかヒーヒー言いながら歩く人、ただ黙々と足元を見つめて登る人など様々。高浜虚子の句碑「稲むしろあり 飯の山あり 昔今」三の丸北側の石垣は丸亀城の石垣の中で最も高く、20m以上の城壁が続きます。隅角部の石垣は美しい曲線美で「扇の勾配」と呼ばれています。やっと月見櫓跡へ着きました。讃岐富士が正面に見えます。これから本丸に向かいましょう。二の丸跡です。冬の桜(四季桜)が青空に映えて綺麗でした。丸亀城が見えてきました。本丸にある丸亀城天守(国指定重要文化財)は3層3階の現存木造天守。四国内で最も古く1660年に完成した高さ15mの日本一小さな現存する木造天守です。1階北側には石落や狭間(さま)があり唐破風(からはふ)や千鳥破風(ちどりはふ)などの意匠を凝らしています。ここからは見晴らしがとても良く、本州四国連絡橋(坂出市)が見えました。そろそろ下りていきましょう。石垣の見所を眺めながら二の丸井戸は丸亀城で最高所にある井戸です。現在も水をたたえ、深さは36間(約65m)あり、築城にかかわる悲しい伝説がある井戸です。登る前に眺めた丸亀城と登った後で見上げた丸亀城の印象は全く違ったものになっていました。香川県丸亀駅から坂出駅へ、乗り換えて高松駅に戻ってきたのでした。高松で年明けうどんを食べました。元日に唯一営業していたお店はかなり混んでました。まだ徳島へは帰りませんよ。午後もう一カ所行く所がありましたので。(つづく)
2020.01.14
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元日の朝食にはお節料理も善哉もありました。二人ともすべて完食でした。徳島駅から特急うずしお8号で高松駅まで行きJR土讃線に乗り換えJR予讃線に乗り換え丸亀駅に到着。駅構内には有名な丸亀の団扇やお正月らしいめでたい鶴亀の飾り物が紅白の柳餅花も綺麗でした。丸亀の汚水槽の絵は丸亀城と団扇駅から丸亀城を目指して歩きました。向こうの方に見えてきましたね。気分転換しながらひたすら歩きました。かなり上の方に見えますね。敵に攻め込まれないためには高さも必要なんでしょうね。内掘の北側中央部に堀端の高麗門(二の門)が見えてきました。城内側の櫓門(一の門)を入り振り返ったところです。かつては藩主の屋敷地だった芝生広場で飴湯がふるまわれていたので生姜を入れて頂き身体が温まりました。この人力車で上まで行けたらどんなに良かったことか。ご機嫌な相方坂道の傍らには山茶花が花盛りでした。大手門から山上に向かう山道は見返り坂と呼ばれています。笑顔でいられたのはここまででした。(つづく)
2020.01.13
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12月31日大晦日の続きです。時々雨がぽつぽつと当たってくる中、ホテルへ戻る途中で「そごう」へ立ち寄りちょっとコーヒーブレイク。その後、相方はホテルで休憩。私はあきらめきれずさっき来た道を戻ってひょうたん島クルーズへ。市内中心部に「ひょうたん島」と呼ばれる約6キロの中州があり、「ひょうたん島周遊船」はその中州を約40分で一周してきます。前のグループは10名ほど乗ってましたが、今度は私と若い女性の二人だけ。救命胴衣を着けて船に乗り込みました。とにかく橋が多く、頭上すれすれを通過するので思わず頭を下げてしまいました。ビル街や水際公園を見ながらクルーズ船は進みました。ヒッチコックの「鳥」じゃないですが、気づけば頭上に鳥の大群が船についてきます。よく見るとそれはカモメでした。ヨットハーバーもあって船はまっすぐ進んでいると思いましたが、気が付けば元のところに戻ってました。満足し足取り軽くホテルへ戻りました。午後年越しそばを食べたいと蕎麦屋さんへ。時間をずらして行きましたが、大晦日なのでどんどんお客さんが入ってきます。待ち時間は長かったですが、鴨南蛮を食べて満足。その後、おやつの時間に喫茶店へ。表通りから少し引っ込んでいるのでお客さんも少なくゆっくりできました。その後、歩いて徳島城博物館へ行きました。石垣だけが当時のままでした。公園内を数名のランナーがジョッギング中。大晦日は博物館も休館。銅像は蜂須賀家政公徳島鉄道のSL樹齢600年と言われる竜王さんのクス徳島城名残の石垣を見ながら歩き近道を通ってホテルに戻りました。大晦日は本当によく歩きました。本日の歩数は12,000歩、少々足が疲れました。(つづく)
2020.01.12
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12月31日、大晦日のことです。前日大塚国際美術館で世界の絵画を鑑賞、この日は自然の空気が吸いたくなり向かったのは眉山(びざん)ロープウェイ。前のグループが出たすぐ後のため少し待って私たち二人だけで乗りました。風景を楽しみながら約6分の空の旅でした。「眉の如雲居に見ゆる阿波の山掛けてこぐ船泊しらずも」と万葉集にも詠まれている眉山はどの方向から見ても美しい眉の形をしているためこの名前で呼ばれているそうです。山頂には桜の名所の眉山公園があります。展望台からは市内を流れる数々の川だけでなく徳島市街地や紀伊水道が見えました。「四国三郎」の異名を持つ吉野川は総延長194㎞。「そごう」の向こうに私達が宿泊するホテルが、この後一人でクルーズに出かけた瓢箪山が見えます。横綱白鳳の名前も見えた出逢いの鍵が飾ってありました。万華鏡ではなくこちらは眉華鏡(まゆげきょう)数秒ごとにカラフルに変化していく色を必死で写しました。こちらはミャンマーのパゴダに似た建物すぐ近くにあった標識頂上を回り込んで反対側から眺めた景色鬼滅の刃のキャラクターがたくさん並んでいました。代表の3体だけパチリッ!俳優さんの名前も書いてありましたが、パス。そろそろ下りることにしましょう。ロープウェイ乗り場のすぐ隣に天神社(てんじんじゃ)がありました。1809年創建、潮音寺の神像を祀り、旧藩主蜂須賀公を代々保護しました。菅原道真公の像の向かって右には梅の木が左には撫で牛ではなく知恵の牛が鎮座していました。知恵神輿と知恵牛はどちらも瀬戸内寂聴先生命名とありました。また姫宮神社も境内にあり縁結びにご利益があり、御朱印も人気が高いそうです。あいにく雲行きが悪く雨が降ってきたので急ぎ足でホテルまで戻ったのでした。(つづく)
2020.01.11
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今回で大塚国際美術館も最後ですので、少し陶板名画について補足しておきます。「大塚国際美術館マップとガイド」によりますと、二千年たっても色あせない忠実に再現された名画は・原画の著作権者、所有者へ許諾取得・現地調査、原画撮影・色の分解・転写紙に印刷・陶板に転写・1,000度から1,350度で焼き付ける焼成・技術者の手仕事により、作者の筆遣いなどの再現を追求・焼成・検品の順番を経てやっと陶板名画の完成となります。大きさも原寸大に再現されています。大塚国際美術館のB2,B3にはルネサンスとバロックの絵画が展示されています。ブリューゲルの「バベルの塔」レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」大勢の見学者を前にこれ以上近づけませんでした。(私はミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂修道院で実物を見てきました)レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」フェルメールの「牛乳を注ぐ女」フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(青いターバンの少女)最後にB3まで降りました。システィーナホールは最初に入った部屋です。二度もイタリアへ旅したにもかかわらずあまりにも多くの見学者が長蛇の列をなしていたので諦めた場所でした。これでやっと願いが叶いました。スケールの大きさにただただ感動しました。ほかにもB3には聖マルタン聖堂、聖ニコラオス・オルファノス聖堂、秘儀の間、貝殻のヴィーナス、アレクサンダーモザイク、スクロヴェーニ礼拝堂、聖テオドール聖堂等があり言葉もなくただ見上げて鑑賞するだけでした。エル・グレコの祭壇衝立復元ラファエロの「三美神」ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」ボッティチェッリの「春」(プリマヴェーラ)ジョットの「荘厳の聖母」レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」(これらの作品はフィレンツェのウフィツィ美術館で本物を鑑賞してきました。遠くから見る限り本物そっくりでした)まあ色々とご意見もおありでしょうが、時間的に海外の美術館巡りをする余裕がない者にとってはこの美術館で千点余りの作品を目の当たりにして鑑賞できただけで満足でした。館内一通りすべて見て回りましたが、もう一度ゆっくり訪れたいなと思ったほどです。2FからB3まで見て回ったので足が棒のようになり、ゴッホと同じ名前のカフェで休憩。帰りは鳴門駅まではバスで、そこから徳島駅まではJRで帰りました.夕食に海鮮料理が食べたくなり夜の街に出かけましたが、どこのお店も満席で、歩道に並んで待っている状態なので、仕方なくイタリアンのお店に入りました。いつになったら魚料理が食べられるんでしょうね。(つづく)
2020.01.10
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B1の続きです。人が少ないところを選んで回りましたので順路はモデルコースとは逆に進みました。ゴッホのコーナーゴーギャンのコーナールノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」ルノワールの作品群ダンスを踊る姿はすべて写しました。「浴女たち」ミレーの「落穂拾い」マネの「笛を吹く少年」モネの「睡蓮の池」「日傘の女」「ラ・ジャポネーズ」ドガの「エトワール・舞台の踊り子」ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」ゴッホの七つのヒマワリこれでB1をぐるっと回ってきましたが、自分が知っている作品ばかり写してしまいました。何しろ全部で1,000点余りありますから。さて、これからB2へ降りて最後にB2とB3を紹介しますね。もう1日お付き合いください。(つづく)
2020.01.09
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12月29日は徳島までの移動と鳴門の渦潮を見ただけで充分でした。その夜は年末という事でどこのお店も満員。やっと二人分の席を見つけたのは普段入ったことのない若者向けのカウンター席でした。お腹がいっぱいになってホテルへ。この日の歩数は約6,500歩。翌日の朝食はホテルのビュッフェで。本日の目的は鳴門市鳴門町にある大塚国際美術館の見学です。昨日と同じJRの列車に乗って鳴門市まで行きそこからバスで向かいました。正面玄関から入り、長さ41mのエスカレーターに乗ります。大塚国際美術館のB3から B1までは山の中にあります。地上に出ているのは1Fと2Fです。世界初の陶板名画美術館で世界26カ国の190余りの美術館が所蔵する古代壁画から現代絵画まで西洋名画がオリジナル作品と同じ大きさに複製され1,000余点展示されています。海外の美術館はイタリアのウフィツィ美術館を見学したぐらいで、これから先果たして海外に行けるかどうか自信がないので数年前からこの美術館を見学したかったのです。館内の作品はすべて撮影できました。(ただし、フラッシュと三脚などの固定具は禁止)長いエスカレーターでB3に上がるとそこに広がっていたのはシスティーナ・ホールです。ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂天井画」その迫力に圧倒されたのでした。以前イタリアを旅した時、バチカン市国で余りの行列に入るのを諦めてしまったのです。アーチ部分に描かれた5人の巫女の中で最も若く美しいとされる「デルフォイの巫女」イエスの受難を予言したと言われています。プロポーションがとれてないように見えますが、15m下から天井を眺めると素晴らしい遠近法、短縮法、明暗法を巧みに用いて完成された完璧なバランスで均衡がとれています。さすがミケランジェロだと感心させられます。私達はモデルコースを進まず先ず2Fに上がりました。「食卓の情景」「家族」「運命の女」やレンブラントの自画像が展示されてました。シャガールコーナーもありました。1Fに降りるとパブロ・ピカソの「ゲルニカ」が壁一面に広がっていました。子息、クロード・ピカソ氏に検品してもらったそうです。アンディ・ウォーホルの作品「ストゥディオーロ」トロンプ・ルイユ(だまし絵)や生と死を扱った暗い作品も多数ありました。中でもキリストの誕生や最後の審判などやはりキリストの絵が多かったです。B1はバロックと近代の絵画です。ルノアールの作品やクリムトの「接吻」ミレイの「オフィーリア」「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠」やムンクの「叫び」などが展示されていました。2F、1Fは見物する人も少なく15分ほどでB1に降りてきたんですが、大勢の人がそれぞれの作品の前で熱心に鑑賞してらっしゃったのでなかなか撮影が難しかったです。鑑賞することはできましたのですべて見て回りました。(つづく)
2020.01.08
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12月29日から1月2日まで年末年始を4泊5日過ごした四国の旅を掲載します。早朝(午前7時前)自宅を出て電車を乗り継ぎ新幹線で新神戸駅に着きそこからJR高速バスに乗り2時間ちょっとで徳島駅に着きました。乗客の皆さんは途中の鳴門公園口や高速鳴門の停車場で大半が下りて行かれました。私達は徳島駅まで行き大きな荷物をロッカーに預け昼食を済ませてから列車に揺られる事40分余り、やっとJR鳴門駅に着き、そこからタクシーで渦潮観潮船の発着場へ行きました。ちょうど午後2時の船が出たところで2時30分に乗船することに。堤防の釣り人を眺めながら進みました。約3分ほどで大鳴門橋が見えてきました。鳴門海峡は鳴門市の大毛島の東北端孫崎と淡路島の門崎との間約1,300mの狭い瀬戸です。潮汐は鳴門海峡へ流れる潮流と大阪湾に流れる潮流に分かれ、大阪湾、明石海峡を通り、5,6時間かけて瀬戸内海側の鳴門海峡北側に満ち潮となって到達します。その頃、広い太平洋に面した鳴門海峡の南側、紀伊水道は5,6時間の間に既に干潮となっており、鳴門海峡では低い水位の方、紀伊水道の方へ流れる潮流ができるのです。こういう干満差は1日4回毎日繰り返されます。(うずしお観測船リーフレットを参照)複雑な海底の地形ともあいまって渦潮ができます。潮流は普通時速13kmから15kmですが、大潮時には時速20㎞にもなり大きな渦は直径20mにも達します。激しく波しぶきをあげながら潮流が海面でぶつかり合う様子や激しい潮流が轟音を上げて逆巻き、刻一刻と変化する様子を船上から眺めることができました。しかし目の前に広がる潮の流れを写すのはとても難しく、たくさん写したのですが、実際目で見た迫力は出せませんでした。リーフレットから写真を拝借しました。壮観ですよね。帰りは徳島駅までバスに乗って帰りましたが、1時間半もかかったのでぐったり疲れてしまいました。(つづく)
2020.01.07
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長いようで短かった4泊5日の旅。今日はもう帰る日になりました。一つだけ予定していることがありますのでそこへ立ち寄ってからJR高速バスで新神戸に戻り、新幹線で名古屋まで行きます。自宅には着くのは夜になりますので昨日のことを少しだけ紹介します。せっかく香川県を訪れているのにうどんを食べてないことに気づきました。駅の案内所で聞くと元日に開いているお店はたった一店のみ。やはりお店の前には待ち人が多かったのですが、ぐっと我慢して待つことにしました。年明けうどんを食べることにしました。丸亀駅の構内に飾ってあった紅白餅の花と正月飾り丸亀城の入り口でふるまわれた飴湯、しょうがを入れていただきました。身体が温まりました。ここから上り坂が実は大変だったんですが。冬の桜がきれいに咲いていました。その後訪れた栗林公園では松山に続いて梅の花が開花したというニュースをホテルの夜のテレビで放映されてました。こちらは栗林公園で泳ぐたくさんの鯉です。土産物店(香川県のアンテナショップ)に飾ってあった大きな凧と張子の虎高松駅の角松紅白の南天が使われていました。皆様のところへお邪魔するのは夜になりますのでよろしくお願いします。
2020.01.02
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明けましておめでとうございます。昨年はご訪問ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年に続き今年も年末年始を旅先で過ごしております。大晦日、年越しそばを食べに入ったお店は満員でしたので相席で食べてきました。お店の端には年越し生そばが数えきれないほど並べてありました。その数の多さにびっくりしました。私は鴨南蛮そばを食べてきました。こちらは宿泊するホテルの角松です。こちらは大塚国際美術館の向かいにあった角松こちらは阿波踊り会館の角松飾り会館の5階、ロープウェイ乗り場に飾ってあった凧です。元日の朝食はいつものビュッフェスタイルにおせち料理がついていましたので少しずつ取り分けてお正月気分を味わってきました。さて、今日はどこを見物しようかと思案しましたが、駅の案内所で高知県までは遠いので朝早く出て夜遅くなりますと言われ、アンパンマン号列車を眺めただけで諦めました。今日はこれから香川県まで足を延ばし1日過ごしてこようと思っています。午後7時頃に帰ってきましたら皆様のところへ寄らせていただこうと思っています。PS) 朝9時過ぎの特急で高松に出て乗り換え、坂出で予讃線に乗り換え丸亀に到着。丸亀城まで歩きました。見返り坂という名前の上り坂の勾配が急で大変でした。高松駅へ戻りバスで栗林公園へ坂出で乗り換え高松へ戻り特急で徳島へ帰りました。旅行記は後日掲載しますね。今日も12,000歩散策しました。足腰に疲労感があります。
2020.01.01
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年末年始の旅も3日目になりました。今日の徳島は時折雨がぱらつき風の強いお天気となりました。それでも朝ロープウェイに乗って眉山へ上りました。眉山の頂上にあった万華鏡ではなく眉華鏡(まゆげきょう)ロープウェイ乗り場の近くにあった徳島 天神社に参拝しました。お天気が悪くなりいったんホテルに戻りました。しかし私はあきらめきれず一人でひょうたん島クルーズに出かけようと歩いて船着き場まで行きました。お客は私ともう一人若い女性の2人だけ。川の上は風が強く、涙が出るほどでしたが30分間ほど船に乗って一周してきました。詳細は後日掲載しますね。毎年武下さんに作っていただくカレンダーを今年も頂きました。愛知のポコ君&ペコちゃんが早々と神社へ参拝に出かけたと思ったらア〇タ内に作られた神社でした。今年も旅行記、6人の孫ネタなど私の拙いブログを訪問して下さって温かいお言葉を頂き本当にありがとうございました。2020年が皆様にとって幸多い年でありますよう心から願っております。それでは皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
2019.12.31
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アクアトトぎふの水族館を見て回った後は屋外に出てアシカのショーを見ました。アシカの名前はマリンちゃん。この日はデビューの日という事で中京テレビが取材に見て客席の後ろから撮影してました。皆さんもどうぞマリンちゃんのショーをご覧ください。みんなに手を振って挨拶します。さあこれからショーをお見せします。身体測定です。腕の長さと身長と胴回りを測定。写真を撮ろうとするとマリンちゃんはツツーッと滑って来てカメラのレンズをたたきます。何度も何度も繰り返し笑いを誘います。(よく仕込んでありますね)上手にボールを受けてこれからネットに入れます。上手に入りました。次は花束をくわえます。次は輪投げに挑戦です。これで15分間のショーが終了しました。マリンちゃん、よくやりましたね。マリンちゃんが雄たけびを上げました。実はこの後、マリンちゃんは客席にやってきました。前列に座る子供さんの横を通って2段目中央に座っていた私の横に来て止まり、やおら立ち上がり大きな口を開けて雄たけびを上げたのです。私はびっくり仰天し、驚きのポーズをしてしまいました。多分テレビに映ったかもしれませんが、いつ放送されるのかわかりません。PS) 実は昨日までに年末の大掃除と窓ガラス拭きを終え松の内の飾りを終えました。今朝午前7時前に自宅を出て在来線を乗り継ぎ、新幹線・新神戸で下車、JR四国高速バスに乗って2時間15分で徳島駅に到着。昼食後、鳴門まで行き高速船に乗って鳴門の渦を見てきました。今夜は徳島駅のすぐ近くのホテルで宿泊します。というわけで、4泊5日で徳島へ出かけております。後日詳しく掲載したいと思います。
2019.12.29
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3年ぶりに訪れたアクアトトぎふ、ゆったり泳ぐ淡水魚を眺めてきました。平日で館内は人が少なくこのコーナーには誰もいませんでした。写真撮影は出来ますが、フラッシュ撮影は禁止でしたので気を付けて撮影してきました。急に目の前で黒いものが動いたのでビックリしました。水槽を清掃中でした。小さなワニが休憩中でした。細長い魚はナマズの仲間です。デンキナマズです。アマゾン流域の魚が多くなってきました。ピラニアもたくさん泳いでいました。これはピラニア・ナッテリーです。そしてこちらが巨大古代魚、ピラルクーです。こうして館内を一周してから屋外に出ると30分足らずで〇〇〇ショーが始まる所でしたのでしばらく待つことにしました。(続く)
2019.12.28
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紅葉の名所観光をすべて終え、午後2時予定の昼食会場へ向かいましたが、天皇皇后両陛下の京都訪問で市内に交通規制が敷かれている影響で道路がどこも混んで渋滞、駐車場も大型観光バスで満車。結局レストランに着いたのは午後2時半頃でした。私たち二人だけ「はりはり風鍋御膳」前もって準備されていたようでちょっと火が通り過ぎていましたが、空腹を満たすには充分でした。・6種の季節のおばんざい盛込み京弁当・はりはり風鍋(京水菜、京厚揚げ、京しめじ、豚肉)・豆腐つみれ、豆腐シュウマイ、豆腐白玉、ご飯この後は自由時間で買い物をする人、近くを散策する人それぞれ。私は買い物は相方に任せ、道路を渡り嵐山、渡月橋の見える場所へ。カラフルな着物姿のグループが見えました。それはアジアからの観光客でにぎやかに記念撮影をしていました。こちらは日本の娘さん達とても対照的でした。渡月橋の上も観光客でいっぱい観光バスは市内を通れないので混雑する渡月橋をそろそろと渡り郊外をぐるっと大回りして帰途に就いたのでした。(終)
2019.12.08
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今回のバス旅、最後に訪れたのは鞍馬山です。「源氏物語」「枕草子」などにも登場し牛若丸とのゆかりも深い鞍馬山は1200年余りの歴史があり、「経塚遺物」を始め、多くの文化財があります。また約2億6千年前の地質を含み、770年に鑑真和上の高弟・鑑禎上人が毘沙門天を祀り、796年には藤原伊勢人が堂塔伽藍を整え千手観世音を祀り鞍馬寺が生まれました。昭和22年に多様な信仰の流れを統一し鞍馬弘教と名付け鞍馬寺が総本山となりました。仁王門から入りましょう。ケーブルに乗るため並んで待ちます。200m登ります。ケーブルの窓からは向こうの山の紅葉がよく見えました。多宝塔です。山茶花が綺麗でした。これから456m歩きます。私はちょっと息切れがしてきました。本殿金堂が木々の間から見えてきました。私はここで引き返しました。それでケーブルカーに描かれていたカラス天狗は見ることができませんでした。こちらはリーフレットの写真です。ケーブルには一度に18名しか乗れないので待ち時間を考えて早めに下りました。苔むした石灯篭に趣きがありました。次回は牛若丸史跡巡りをゆっくりしたいと思います。仁王門から貴船までは約2.5キロあり、山道を徒歩100分の行程だそうです。次はいよいよ最後の行程で遅い昼食になりますが、午後2時の予定です。(つづく)
2019.12.07
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モミジの永観堂から近道を歩いて南禅寺へ。曇り空で今にも降り出しそうで写真も暗くなりました。それでもかの石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と名台詞を歌った場所だけに紅葉はとても綺麗でした。昨年もちょうど紅葉の時期に訪れました。今回の旅では京都で同郷の人に数名会いました。南禅寺でも相方は知人とバッタリ。少し立ち話をしました。南禅寺を訪れた時の楽しみの一つは水路閣を見ることです。ローマの水道橋のようなアーチ型をしたレンガ造りの橋は趣きがありますよね。現在でも琵琶湖疏水の水が水路で南禅寺横を通り京都市内に引かれ上水道として使われているそうです。水路閣と紅葉を見られただけで嬉しかったです。集合時間も迫ってきましたのでバスに戻り次の目的地に向かいます。(つづく)
2019.12.06
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1週間余りで3回目の京都へ。今回(11月28日)のバス旅はちょうど天皇・皇后両陛下の京都訪問と重なり京都市内は交通規制が敷かれ錦市場はキャンセルになりました。最初に訪れたのは永観堂禅林寺。浄土宗西山禅林寺派の総本山です。永観律師の時代、境内に施療院を建てるなど恵まれない人の為に尽くし、永観堂を呼ばれるようになりました。みかえり阿弥陀がご本尊に祀ってあります。古今和歌集に「もみじの永観堂」と詠まれるほど美しい絶景で有名です。東山を背景に阿弥陀堂をはじめ多宝塔、釈迦堂、唐門、臥龍廊などが庭の緑と紅葉、池に調和してとても綺麗でした。真っ赤に紅葉したモミジの向こうに見える多宝塔(リーフレットから借用)ここで一休みしましょう。私達はぜんざいを頂きました。紅葉の時期は特に観光客が多いですね。わらべの小径を通って南禅寺に向かいます。人力車も人待ちでした。(つづく)
2019.12.05
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平安神宮で七五三の御祈祷をした翌朝早く、ホテルを出て近くでモーニング珈琲を飲みながら3階から見下ろしていると短い時間内に救急車が数台走り去り京都の町は朝からにぎやかでした。朝の新鮮な空気が吸いたくなり京都御苑を散策することに犬を連れて散歩する人、アジアからの観光客、ジョッギングやウォーキングを楽しむ人等がいてやはりここも紅葉がとても綺麗でした。向こうの方に御所が見えます。足裏で砂利の感触を確かめながら紅葉した木々を眺めて御所に近づいて行き、そこを右に曲がりました。京都御苑は本当に広いのでこの辺りで引き返します。神社近くの池には数羽の鴨が泳いでいました。朝の京都御苑は都会の喧騒とは別世界の静寂が広がっていました。では通りへ出てホテルに戻りましょう。次にホテルの7階テラスから京都御苑の方を見渡しました。御所がどれだけ広いのかがよくわかります。(昔はもっと広かったそうですが)トコちゃん家族と待ち合わせの時間までゆっくり部屋でテレビを見たりPCをやりながら過ごし、午前9時を過ぎたのでチェックアウト。歩いてトコちゃん家族が住むマンションに向かいました。(つづく)
2019.11.30
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真っ赤に燃えるようなモミジを見続けた後でホッと一息付けた瞬間でした。ここで一人引き返すことにしました。帰り道では少し角度を変えて見てみましょう。大勢の観光客を入れずに写真を撮るのは難しかったです。モミジの葉を太陽に透かして見ればこちらは鬼瓦を写したんですが、昔の建築物は造形美が素晴らしいです。東福寺を後にして方向音痴の私は道に迷わないように気を付け先に引き返した相方が待つ喫茶店へ無事に到着できてホッとしました。残るはあと一カ所。生八つ橋で有名なお店の駐車場に最近こんな大きな石像ができていました。皆さんたくさんのお土産を両手にバスに戻られ、帰路に就いたのでした。(終)
2019.11.25
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九条通り沿いにある京都第一赤十字病院の近くでバスを降り小径を歩きながら東福寺を目指します。創建は鎌倉時代。東福寺までは結構歩かなければなりません。小径の両側に真っ赤に燃える紅葉を見ながら歩けばすぐに到着しました。混雑する臥雲橋を渡りながら向こうの方には通天橋が見えました。東福寺には錦秋に染まる2000本のモミジがあります。山門をくぐり本堂(仏殿)の横を通り通天橋庭園・普門院庭園拝観券を買って庭園に入ります。大勢の観光客で身動きができないほどの混雑ぶり。それでもじりじりと前へ進むと通天橋が見えてきました。楓の雲海が広がります。庭園内をぐるぐると前の人について進みます。八角形の優美な円堂は愛染堂で南北朝時代の建築です。愛染明王が祀られています。国指定 名勝 東福寺本坊庭園(方丈庭園)は以前見たことがあるので今回はパス。ここらでちょっと一休みしましょう。(つづく)
2019.11.24
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眼下に琵琶湖を望みながらバスはどんどん山を上り比叡山を越え、比叡山の麓にある滋賀県大津市坂本の門前町にある旧竹林院へやってきました。お庭から上がらせてもらいました。里坊は延暦寺の僧侶の隠居所で今も数多く残されています。旧竹林院はこうした里坊の一つで、邸内には主屋の南西に約3,300平方メートルの庭園が広がっています。国指定名勝庭園で大正年間に建てられた2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。いずれも大津市指定文化財になっています。八王子山を借景にした庭園は滝組と築山を配し、大宮川の清流が園内をかけ巡り、手入れの生き届いた苔がしっとりした風情を醸し出しています。2階からの眺めです。テーブルにカメラを置いて撮影するとリフレクション撮影(テーブルや水面に反射した風景を撮影)ができるそうですが、前を観光客がひっきりなしに通るので撮るのが難しかったです。外に出ると忍のシダも紅葉してました。周りの木々の紅葉も綺麗でした。門前町として古来から栄えてきたので町のあちこちに歴史を今に伝える数多くの建物、史跡が残されています。大勢の女性が道路わきに座り込んで画用紙に紅葉を写生して絵具で色付けしていたのが印象に残りました。ではこれから京都へ向かいます。(つづく)
2019.11.23
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今回の旅は今までバス旅で訪れたことがある場所を再訪しました。前回見えなかったものがより深く見えただけでも収穫だったかなと思う事にします。9月24日のブログにも書きましたが、2カ月もしないうちに同じ場所を違う旅行会社の企画で訪れました。酒蔵金亀は安政元年(1854年)創業で彦根藩主井伊大老より酒造りを命じられ以来160年余りの歴史があります。今回は一番乗りだったので朝の仕込みが終わったばかりで掃除中。蔵の中には入らず以前も聞いた説明を聞き2階を見学してきました。(前回は最初に別棟で酒粕で作った食べ物を試食し1階の麹室と酒蔵見学のみでした)酒造りの道具が展示されていました。1階の売店で皆さんはお買い物お酒の試飲もありましたが、団体客が次から次へとバスで乗り付けてくるので小さなカップの底にほんの少しだけで飲み比べても味がわからないくらいでした。呑み助の男性陣も口々にこれでは味がわからんなと言ってました。添乗員さんがバス到着前から何度も「食前酒をどうぞ」と言われましたが、食前酒ほどの量はありませんでした。昼食に向かったのはいつも立ち寄る琵琶湖畔にある「鮎家の郷」でした。名物鮎料理を頂きました。ご飯とみそ汁、お漬物はおかわり自由と言われてもそうそう食べられるものではありませんよね。店内は撮影禁止、琵琶湖を眺めて時間をつぶしました。次は滋賀県から京都へ向かいます。琵琶湖大橋を渡り比叡山延暦寺行きのロープウェイの駅を見ながら山を一つ越えました。ロープウェイからの眺めは素晴らしいそうです。(つづく)
2019.11.22
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「そうだ京都へ行こう」とバス旅で京都へ出かけ只今帰りました。遅くなりましたので今夜は紅葉を少しだけ載せたいと思います。元里坊 旧竹林院の庭です。ちょうど太陽が木々の上にあり逆光になってしまいました。その周辺の紅葉です。滋賀から京都へ移動し東福寺の紅葉を愛でました。東福寺は日本人が半数、アジアの国々の人達が半数、アメリカ、ヨーロッパの人は数名でした。しかし紅葉を愛でるこの季節なので東福寺までの小径は大混雑しておりました。大通りでは観光客を乗せたバスが大勢下ろし、見物を終えた観光客をまた乗せて次から次へ出発するという忙しない光景が目の前で繰り広げられました。今夜はここまでです。また明日からしばらく旅行記にお付き合いくださいませ。(つづく)
2019.11.21
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11月10日(日)は午後3時から「祝賀御列の儀」のパレードがあるので早めに起き午前7時には朝食に移動。ホテルは満室でビュッフェも混雑が予想されると聞きましたので。1年数カ月前に胃を手術したとは信じられないほどの回復ぶりの相方の朝食です。全て完食でした。私もコーヒー2杯とこれだけ完食。朝からすごい食欲でしょ。部屋に戻りしばらく寛いでチェックアウトは12時まで良かったんですが、あわて者の二人は9時半にはチェックアウト。この道をまっすぐ進むと皇居があるそうで、早朝から沿道には大勢並んだようですね。木々の葉も少し色づき東京駅周辺も警視庁の服を着た警官が警戒中東京駅の構内はとても広く土産物屋さんで買い物したり、コーヒーブレイクをしながら、結局11時半の新幹線で帰ることにしました。当初「はとバス」に乗って都内観光の予定でしたが、パレードのために中止との連絡があり、午後1時からは交通規制も始まるとのことで。行きは霞んで見えなかった富士山が帰りは綺麗に見えました。自宅に着いたのがちょうど午後3時。早速テレビでパレードの中継を30分間見ることができました。12日(火)朝日新聞朝刊です。(終)
2019.11.13
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「ポリス スピナー リストア プロジェクト」の予定は午前10時開始で午後6時終了でしたが、私達は夕方ブロ友さんと会う約束ができたのでショーン・ヤングさんのトークショーが終わった午後3時には会場を後にして東京駅に戻りました。その前に、「ポリス スピナーの前でショーン・ヤングさんがインタビューをしている時に私がどこにいたのかよくわかる写真を1枚だけ紹介します」約200名の参加者はほとんどが男性でした。小さな私は全く見えず、エイヤっと前に出て赤いセーターを着て柱の前に立っています。ショーンさんとの距離は3mぐらいでした。____________________武蔵境の亜細亜大学からバスと電車を乗り継ぎ東京駅に到着。田舎からのオノボリサンですので外に出て東京駅の外観を写しました。あまりにも広くて一度では写せません。さあこれからチェックイン。しかしあまりにも広いので間違えてレセプションホールの方へ行ってしまいました。失礼しましたとフロントの方へ進み愛知の娘が私たち両親を招待してくれたので前もって手続きがしてあり簡単でした。部屋に案内されました。メゾネットの部屋でした。階段を上がっていくとベッドルームになります。壁には植物画が掛かりベッドルームから下を覗くとちょっと足がすくむ感じシャワールームはシースルー午後5時過ぎにブロ友さんと会う約束なので荷物を置いてロビーに戻りましょう。廊下に飾られたお花です。その内にブロ友さんから東京駅に到着したとの連絡が入りました。(つづく)
2019.11.11
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秋の味覚満載の旅、おやき体験の続きです。昼食は伊那路で。大きな白い徳利状の容器にはしめじが栽培されています。それを各自で根元から切り取ってほぐしてお肉と一緒に煮ます。信州そばと山菜ご飯を頂きます。ちょうど程よい分量でした。買い物タイムの後、軍手を準備して栗拾い体験の予定でしたが、台風の影響で前日から天気が悪く栗林に入るのは中止。栗詰め体験に代わりました。各自詰めた栗1袋とお土産の栗1袋でバッグがずっしりと重くなりました。次に飯田市へ移動。以前も訪れたことがあるブドウ園で1房だけぶどう狩り。大きそうな房を探します。私達がぶどう狩りをしたのがこちら台風17号は日本海で温帯低気圧に変わり通過していったのでこの頃には青空が出てきました。曼殊沙華(彼岸花)も咲いてました。バスで松川町へ移動して最後はリンゴ・梨食べ放題です。二十世紀の梨園です。しかし、二十世紀はあまり食べられませんでした。1個で充分でした。リンゴは青森産のリンゴがスライスしてテーブルに置いてありました。みんな二十世紀と違う梨が食べたかったよねと言ってました。こちらは眺めただけです。リンゴもまだ色づんでいませんでした。この木が赤かっただけです。以前リンゴ狩りもしましたが、木からもぎたったリンゴは硬くてあまり食べられるものではありませんでした。代わりにリンゴジャムをいくつか買ってきました。毎度のことですが、今回も参加人員が17名と少なく集合時間も早かったので予定よりも1時間早く帰れたのでした。(終)
2019.09.28
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23日(月)のことです。南信州へ秋の味覚を堪能しに出かけました。先ず立ち寄ったのは道の駅・信濃路下條そばの城。下條村は峰竜太さんの出身地だそうです。ここで「おやき作り体験」をしました。中に入れる具材は5種類ありました。(野沢菜、カボチャ、チーズ、味噌、味噌カツ)私は野沢菜とカボチャを選びました。(相方は野沢菜とチーズを)手前のお団子を二つに分けて平たく伸ばし中にそれぞれ具材を入れます。上下に焦げ目がつくまで焼きます。みんなエプロンをつけて作業します。上下に焦げ目がついたら100ccほど水を入れて水がなくなるまで蒸します。待っている間にそばを頂きます。水がなくなったらパックに入れて持ち帰ります。後は買い物タイムです。信州そばを買ってきました。店先にあった鶏頭の花これから昼食に向かいます。(続く)
2019.09.26
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信楽旬菜御膳を食べた後は集合時間までフリータイム。信楽焼の品定めをする人、土産物を買う人、狸を眺める人、それぞれの時間を過ごします。私達は何度も来ているので狸を見ながらブラブラ過ごしました。次に向かったのは岡本本家。安政元年(1854年)彦根藩主・井伊大老より酒造りを命じられて以来創業160余年の歴史ある酒蔵・金亀です。最初に通されたのは蔵を改装して造られた酒蔵カフェで米麹から作った「こうじ甘酒」を頂きました。黒ごまときな粉の味がしました。砂糖などの甘味料や保存料などの添加物は一切入ってないそうです。次に向かったのはこちらトレードマークの金の亀国宝彦根城の別名は金亀城(こんきじょう)で酒名(金亀・こんき)をいただいたそうですが岡本家初代が由緒ある名前を呼び捨てにはできないと「金亀・(きんかめ)」と呼ぶようになったそうです。酒蔵見学をしながら説明を受けました。良質な近江米や全国から取り寄せたブランド米と鈴鹿山系の豊富な伏流水、伊吹山の寒風が酒造りに適しているとのこと。米に麹菌をふりかけ寝かす部屋、一枚ずつ袋に入れて絞る昔ながらの「木艘絞り」という手法で絞る機械を見学、最後はこのタンクで寝かします。酒造見学後は試飲コーナーで試飲。売店で買い物。私は(夏)限定酒復刻、冷やしSAKEを買い求めました。藁で作った干支が面白いでしょ。夕飯はこちらで簡単に済ませました。こうして滋賀日帰り旅は終わったのでした。(終)PS) 記念に信楽高原鐡道で頂いたかわいい無事カエルちゃんを載せておきたいと思います。(ちょっと焦点があってませんが…ちっちゃなカエルさんです)
2019.09.24
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台風17号が九州に接近中というのに昨日(22日)は日帰り旅に出かけました。10名のキャンセルがでましたが、予定通り滋賀県に向けてバスは出発。土山の道の駅で休憩。甲賀流忍者の里も近いようです。貴生川(きぶかわ)駅に到着。タクシーはたぬきタクシーです。駅の階段横には楽しい絵が描かれていました。道中案内板には甲賀市の地名がすべて「こうか」と書いてありました。今まで「こうが」と読んでましたが、実際には「こうか」と読むそうです。甲賀流忍者は「こうかりゅうにんじゃ」と読むのが正しいようですね。貴生川駅11時24分発の信楽高原鉄道に約30分間乗って信楽に行きます。向かいの電車は草津線バスの御一行と一般乗客と一緒です。車窓からは素朴で美しい自然とのどかな田園風景が広がり次第に山の中に入り木々に囲まれて走るうちに終点信楽駅に到着です。駅のホームは観光客で混雑していました。信楽駅前にあった大きな狸昔はとても賑わっていた信楽ですが、数年前に訪れた時は閑散としていました。ところが、NHKの10月から始まる朝ドラの主人公が信楽で陶芸をする女性の物語という事もあって最近また混雑するようになりました。駐車場には関西方面や東海地方からの車やバスがたくさん乗り入れてとても混雑していました。ドラマが始まればこれどころではなくなるでしょうね。テレビの影響力の大きさに驚くばかりです。さて、先ずは腹ごしらえの昼食です。狸鍋に狸は入っていません(有頭海老と豚肉に野菜とうどん)五目釜飯と天ぷら三種盛と茶碗蒸し、鴨ロース、焼き鯖、卵焼き、笹しぐれ等ダイエットにはちょうどいいくらいの分量でした。(続く)
2019.09.23
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9月15、16日の2日間新鮮な自然の空気が吸いたくてドライブ。9月15日はモネの池(名もなき池)、高賀神社、関市洞戸円空記念館を訪れましたが、翌16日の敬老の日もぎふ清流里山公園(旧日本昭和村)へ里山の散策に出かけました。入口では大きな金魚が出迎えてくれます。入ってすぐ左側に「まゆの家」があります。出来上がったばかりの繭です。隣では蚕がせっせと桑の葉を食べています。路傍では萩の花が満開です。「壱の畑」には季節の花が植えられています。今の季節はコスモスです。こちらの畑では蕎麦の花が咲いています。山では既に紅葉が始まっています。懐かしい昭和の学校の外観を残すやまびこ学校は外から見ただけです。動物広場にも行きたかったんですが、現在岐阜県では豚コレラを警戒中で立ち入り禁止です。色違いの花が咲く百日紅の木もたくさんあります。大人も子供も楽しめるアスレティック施設が最近できましたが、この日はとても暑くて遊んでいる姿は見かけなかったです。気温は35度を超えていたような気がします。子ども達には「大樹の遊具」の方が人気のようです。そして楽しいイベントもありました。さてこれは何をするグループでしょうか。明日へ続きます。
2019.09.20
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高賀神社のすぐそばに関市洞戸円空記念館がありました。寛永9年(1632年)の生誕から元禄8年(1695年)関の弥勒寺で入定するまで円空の生涯は謎に包まれています。出生地も羽島市とも郡上市とも言われています。ノミとナタを手に北海道から愛媛県まで寺社や民家など約1300カ所を全国行脚し過酷な封建社会に苦しむ民衆に仏の教えを説きながら約12万体の仏像を彫り続けたそうです。この日ここを訪れたのは私たち二人だけ。受付係の女性が付きっ切りで説明して下さいました。館内は撮影禁止なのでリーフレットをコピペしました。中央左上の『一木作り三像」は3メートルぐらいある大きな3体の像で最高傑作と言われています。数年前に東京国立博物館で展示され、今度オリンピックの年にも東京で展示されるという事です。その右の狛犬は実際数年前まで神社に置かれていた狛犬です。中央左側は円空直筆の「雨乞い祈願」です。中央は(円空の最後の作品)歓喜天です。右下は観音菩薩左下は円空愛用の硯で中央は錫杖です。このミュージアムには晩年の円空仏の最高傑作が30体近く展示されています。中央に展示されている円空が木に彫刻を施している姿はリアリティ感が十分現れていました。この木は実際に山から運搬されてきたそうです。外に出るとコスモスが一面に咲いていました。百日紅も花盛りでした。モネの池(名もなき池)で買ってきた和菓子と高賀の里で買ってきた五平餅を車で食べながら帰りました。この日はとても暑い日で鰻屋さんを探し回りうな重を食べてきました。ここは高賀神社からかなり離れているので鰻を食べても大丈夫だと思いながら・・・この日(15日)のドライブはこれで終わりました。(終)
2019.09.19
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モネの池(名もなき池)を後にして向かったのは高賀神社の御神水が湧き出ている場所。(ここから山道を400m進まないと高賀神社はありません)大きな口を開けた龍の彫刻がありました。横から見るとこんな感じです。先日テレビで紹介していた御神水が湧き出ていたので一口だけ飲んできました。皆さんこの御神水をポリ容器に入れて持ち帰ります。私達が着いた頃はまだこんな感じでしたが、あれよあれよという間に車が次から次へとやって来てたくさんのポリ容器に御神水を入れて帰られました。ここはそれほど有名な場所らしいです。私達は先へ進んで高賀神社を参拝しました。この山麓一帯には昔から妖怪が住み着いたらしいです。神壇を作った後も牛や猿、虎、蛇などの形をした妖怪がたびたび出現したようです。それを退治したのが藤原高光で案内したのが鰻だったそうで、今でも鰻は殺さないでここに生息する鰻は天然記念物に指定されています。高賀山麓一帯の農耕に大切な水や雨を司る神の山に祀ってあるのが高賀神社です。これが藤原高光が妖怪を退治している像です。頭は猿、胴体は虎、尻尾は蛇の妖怪がわかりますでしょうか。藤原高光と猿虎蛇の由来読みにくいかもしれませんが、なかなか興味深い内容でした。この後もう1カ所訪れました。(続く)
2019.09.18
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昨日の続きです。大勢の見物人の隙間からモネの池で泳ぐ鯉を写しました。たくさんの鯉が泳いでいましたが、ハートマークの鯉はわかりませんでした。睡蓮の上で素早く飛び回る赤トンボ道端ではコスモスが咲きススキが群生していました。板取川の河原ではテントを張ってキャンプをしたり川遊びをする家族連れで賑わっていました。旧板取(いたどり)村の汚水管マンホールの蓋です。(現在は関市板取)さてモネの池を見た後、どこへ向かったでしょうか?(続く)
2019.09.16
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早朝に相方の運転でモネの池を目指しました。カーナビにモネの池とか住所を何回入れても表示しないので、仕方なくまあ何とかなるでしょと板取川に沿って洞戸の方へ向かいました。途中で「モネの池」まで12キロとの表示がありこの道で間違いないと進みました。午前9時半頃に到着しましたが、既にそこは観光客で一杯でした。中国や東南アジアの言葉が飛び交い、観光バスや旅館のバスからもアジアの若者が大勢降りてきました。駐車場には千葉や京都だけでなくなにわナンバー、三河、奈良など遠方からの車が多く1時間半ぐらいで遠いなぁと思った私は大間違いだったと気づきました。そこは通りから外れた鎮守の森の神社にありました。見終わって帰るご夫婦に感想を聞くと「地味な印象を持ちました。」と笑って答えられました。この池は自然の湧き水でできた池で最初は名もなき池でしたが、地域の皆さんが周りの環境をよくして睡蓮を植えました。すると訪れた人がクロード・モネの(睡蓮の)名画にあまりにもよく似ていて美しすぎるとSNSでつぶやいたのが拡散して、今では「モネの池」と呼ばれるようになって大勢の見物人が絶えない池になりました。根道神社の鳥居をくぐると右手にその池はありました。早朝だというのにもうこんなに大勢の人が見物していました。それ以降、人数はどんどん増えるばかりでした。人垣の隙間に滑り込んで撮ってきました。これがモネの池で泳ぐ鯉です。もう少し近づいて写してみましたので明日載せますね。(続く)
2019.09.15
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金華山の山頂から素晴らしい眺望も楽しめたことだし、それではロープウェイで下りることにしましょう。ここは千畳敷下という所ですね。千畳敷という名前を見るのはこれで二度目です。(2014年8月31日駒ヶ岳でロープウェイに乗って標高2,612mにある日本で一番高い駅に行きました。そこで氷河期に形成された千畳敷カールを見てきた事を思い出したんです)岐阜公園では俳句を募集してました。ピンクの花は百日紅の花です。山之内一豊の妻は長良川とも関係が深いようです。岐阜公園は緑が多く、市民の憩いの場であることがよくわかります。山歩きの後は茶店で一服季節は夏から秋に移り変わる頃ですが、菜飯のおにぎりと木の芽田楽を頂きました。もちろん運転手はサイダーです。乾いたのどを潤し一息ついたのでした。その後、田舎道をぐるりと遠回りしてドライブを楽しみながら帰ってきたのでした。(終)
2019.09.12
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さて、岐阜城の続きに戻ります。金華山の山頂に御嶽神社が祀ってありました。これから岐阜城を後にして山を下っていきましょう。岐阜城史料館です。織田信長が入城後に造られたとされる強固な石垣です。山上までこれらの石を運ぶのは大変だった事でしょう。歴史が感じられる場所でした。行きも帰りも険しい山道です。にのまる橋を渡り中には福閻魔大王が祀ってあります。太鼓櫓跡(レストラン近くの展望台からの眺めです)こちらは長良川そして向こうの方に見えるのは木曽川で伊勢湾に注いでいます。南の方には濃尾平野が広がっています。この高台から初めて360度見渡せました。なるほどここからだったら四方に見通しがきくので敵の攻撃が一目でわかりますものね。かつてここで織田信長も天下を見渡したことでしょう。(続く)
2019.09.11
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台風15号は被害をもたらしながら関東を通過していきました。進路の方々に心からお見舞い申し上げます。さて、昨日の続きです。少し前後しますが、足場の悪い山道を歩いていると突然掲示板に大きい綺麗な絵手紙と絵が現れ、ほっと心が和みました。二の門です。お城ももうすぐですね。しかしこういうのを見つけると私はコースから外れて降りて見にいきたくなります。ネットが張ってありましたが、井戸だったことがわかりました。ツツジ科の「しゃしゃんぼ」という木越しに岐阜城が見えました。この石段を上がればいよいよ岐阜城に到着です。岐阜城はかつて稲葉山城でした。金華山頂に砦を築いたのは鎌倉時代と伝えられています。戦国時代は斎藤道三の居城でした。1567年織田信長がこの城を攻略しこの地方一帯を平定し、岐阜と改称し天下統一の足場としました。城下町には楽市楽座を設けましたが、1576年岐阜城を長男に譲り信長は安土城へ移りました。そして1582年本能寺の変で倒れました。1600年関ヶ原の前哨戦で、信長の孫は激戦の末に落城し、翌年岐阜城は廃城となりました。現在の城は昭和31年再建復興されたものです。(岐阜城リーフレットより抜粋)日曜日とあって大勢の観光客が訪れ天守からの眺望を楽しんでいました。岐阜城は標高329mの高さにあります。眼下には長良川が流れ岐阜市内が一望できます。東には恵那山、木曽御嶽が、北には乗鞍、日本アルプスが連なっています。また西には伊吹、養老、鈴鹿山系が連なっています。4階望楼の間からはかつて信長が天下を見晴らしていたであろう壮大な眺望が楽しめました。3階には信長公の間があり織田信長公を中心に紹介してあります。2階は城主の間で歴代城主の紹介がしてあります。1階は武具の間で刀剣類などの武具が展示されていました。岐阜城のすぐ東には岐阜城史料館もあります。昭和50年4月に昔の武器庫、食糧庫を隅櫓城郭造りに復元してあります。信長の野望が燃えたであろう岐阜城でしばしの間、「つわものどもが夢の跡」を眺めながら感慨深くその時代に思いをはせたのでした。(続く)
2019.09.09
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静かな家の中で読書三昧も良いけれど、台風15号の直撃も免れそうなので少しドライブをしようと言うことになりました。私が岐阜県に嫁いで40数年になりますが、遠くから見ることはあっても近くまで行った事がない岐阜城を近くで見たいなと思い相方の運転で出かけてきました。途中犬山城が見えましたが、現在修復中でした。混雑する国道を避けしばらく裏道を走り岐阜に到着。岐阜城は金華山の頂上にありますのでロープウェイで登りました。(ロープウェイのチケットから拝借)朱色の三重塔を左に見て出発です。たった3分で頂上に到着、これから岐阜城を目指します。足元は悪かったです。松風橋を渡るとやっと岐阜城が見えてきました。まだまだ階段を登らないといけません。しかし足元はこんな風です。気を付けて歩かないと山から転げ落ちてしまいそうです。(続く)
2019.09.08
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最後は高山の古い街並みを約1時間散策しました。5月にイタリアの友人と2泊3日で訪れたばかり。先ずはガイドさんに教えてもらったパン屋さんへ直行。陣屋のすぐそばにありました。お店でそのガイドさんとバッタリ。顔を見合わせ大笑いしました。醤油味の団子も美味しいですよね。青雲と書かれた山岡鉄舟の青年期の銅像がありました。江戸末期に活躍した山岡鉄舟は少年期を高山で過ごしました。飛騨和牛焼肉店の屋根にはこんな人形があり、お店の外観から受ける印象とはだいぶ違うように感じました。日枝神社前の広場には百日紅の木を背にこんな像もありました。人力車の車夫さんは暇そう。その後、上三之町を散策しました。軒先にはまだ朝顔が咲いてました。布製の干支が並んでいました。表に杉玉が飾られた酒蔵が並びます。この日も試飲する人が結構いました。てっきり「だし」と読むと思いましたが、こちらは「やましゃ」と読みます。藤の季節になると綺麗なお店鶏頭が色鮮やかでした。趣がありますよね。この日の高山は28℃でしたが、冷たい食べ物が人気でした。行きは国道を、帰りは中部縦貫自動車道から東海北陸道をスイスイ走って帰りました。(終り)
2019.08.31
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厳立峡の続きです。雄大な大自然の前では自分がいかに小さい存在かがよくわかります。マイナスイオンはどうして計測するんでしょうね。三ツ滝コースは周遊するのに3時間かかります。三ツ滝の他にもからたに滝、あかがねとよ等の滝があります。(頂いたリーフレットから拝借)他にも材木滝コース(往復2時間)や仙人滝コース(往復2時間)があります。体力に自信がある人、時間に余裕のある人にお勧めのコースです。但し11月から3月までは雪のため立ち入ることはできません。さて、私達は行者橋で引き返しました。山を下って来ると流れも次第に緩やかになってきました。シダやタマアジサイが山肌に生育していました。(コアジサイではなく玉紫陽花です)しっかり運動ができたので午後1時頃の昼食が待ち遠しかったです。まつりの森で昼食です。肉につけて食べるほうば味噌がおいしかったです。飛騨桃食べ放題は期待外れでした。一人2個食べるのがやっとで一番先に引き上げてまつりの森で買い物をしました。(続く)
2019.08.30
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日帰りバス旅、今回は小坂(おさか)の厳立峡(がんだてきょう)と高山へ行ってきました。先ず厳立峡から紹介したいと思います。今からおよそ54000年前に御嶽山が大噴火して溶岩が流れ出しました。垂直に流れ出た溶岩が冷えて固まり割れ目が入ったことにより「柱状節理」ができたとされます。(名古屋大学で調査の結果)東尋坊などと同じだそうです。辺りには女郎花(おみなえし)が群生して秋の気配が漂っていました。ではこれから小坂の滝を巡りましょう。赤い橋は滝見橋。滝見遊歩道を歩いていくと滝見橋を渡るまでは良かったんですが、ここから鉄製の階段が始まります。(左側に見えますか?)雨が上がったばかりで水量が多く川のゴーゴーと激しい音を聞きながらこれから鉄製階段を100段上がっていきます。ガイドさんが「自信のない方は途中で引き返してください。」と言われたので多分登ったのは10名弱でした。相方が途中で引き返したので私はヒーヒーあえぎながら登ってきました。鉄製の階段は滑りやすく、しかも濡れた木の葉がたくさん落ちていました。滑って滝つぼに落ちないように細心の注意を払いながら歩きました。しかも急階段をのぼりながら写真も撮りました。三ツ滝が右手に見えます。上の方から三ツ滝を眺めます。迫力ある水音を伝えられないのが残念です。全ての滝を巡ってくると3時間ほどかかるそうです。私達は時間がないので行者橋から引き返しました。それでも30分はかかりました。(続く)
2019.08.29
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碧南海浜水族館見学の後は西尾市まで戻って三河工芸ガラス美術館を訪れました。白壁の門の欄間です。大きなお屋敷の奥の方へ進むとその建物はありました。入口でこれから先はカメラは使えません、スマホのみ撮影ができますと言われました。ここは2002年版ギネスブックに掲載された巨大万華鏡「スフィア」が有名です。当時は世界最大でした。(2、3人の)小グループごとに入るので「今日は30分から40分待ちだそうですからまず最初にスフィアに並んでください。以前は1時間待ちだったので見ずに帰りましたから。」とガイドさんに言われました。列に並んで30分ほど待ったでしょうか。いよいよ私たち2名の番になりました。これでは近すぎてあまり万華鏡の良さが伝わりませんね。スフィア(球・天体)と名付けられた万華鏡は生命の起源から宇宙起源のビッグバンまでをたどる壮大なストーリーが展開されます。映像と音響効果の相乗効果で臨場感があり、まるで宇宙空間に漂っているかのような感覚に包まれます。私達の前の組のカップルの姿を後ろから写させてもらいました。数分間万華鏡の世界を堪能できました。2階に上がるとまた別の世界が広がっていました。スーパーステンドグラスや彫刻鏡の部屋では日本の四季折々の草木が描かれていました。窓は上手く陽の光を取り込んでステンドグラスが映えてました。これでミステリーツアーの最終行程も終わり一行は帰路に就いたのでした。(終)
2019.08.22
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碧南海浜水族館の続きです。建物の外にはビオトープエリアがあり池や田んぼ小川が作ってありました。大きな池にはカワバタモロコやシモツゴが生息しています。自然繁殖するといいですね。あぜにはガマの穂が生えていました。日本の原風景の田んぼではお米作りに挑戦しています。猛暑の中、青空に向かってすっくと立つ向日葵に元気をもらえました。涼しい水族館から出ると外は猛烈な暑さでした。ミストもあまり効果がないようです。臨海公園を歩いているのは私とほんの数人だけ。ボヘミアン2号が展示されていました。このヨットで単独世界一周を果たしたとか。臨海公園の周囲を囲むように夾竹桃が植えられています。バスの集合時間まで時間が十分あったのでとても屋外では待っておれません。(バスは待ち時間にエアコンを切っていますので)もう一度水族館の建物に入りミントチョコ味のソフトクリームを食べました。この日は外は40度近いのではないかと思われるほど炎暑でした。いよいよ最後の目的地に向かいます。(つづく)
2019.08.21
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岡崎の八丁味噌で有名なカクキューで昼食と味噌蔵見学をした後は碧南市にある七福醸造株式会社のありがとうの里、碧南本社工場を訪れました。白醤油と白だしを作っています。昔の道具も展示されていました。昔は木樽で仕込んでいましたが、今では直径3m20㎝、高さ6m73cmの大きな深層発酵タンクで仕込みます。工場見学をしました。(その様子は七福醸造株式会社のリーフレットでご覧ください)この工場で仕事に携わる従業員さんは納豆だけは食べてはいけないそうです。納豆菌が混入するのを恐れるからだそうです。見学後、白だしを使った試食と試飲をして色々宅配便で頼んできました。次に向かったのは碧南海浜水族館です。飲食物の持ち込み禁止でしたが、撮影はOKでした。大水槽にはたくさんの魚が悠々と泳いでいました。餌の時間になると魚の動きが活発になり凄まじかったです。円柱水槽にもたくさんの生き物がいました。マアナゴが壷の中にいっぱいオニダルマオコゼとかエビ、カニ、クラゲなど骨のない生き物たちもサメも悠々と泳いでいました。ウツボは狭い所が大好き怖いウツボも普段は岩場でじっとしています。サンゴ礁の海にはカラフルな魚、形の面白い魚などがいっぱい顔の部分がブルーで個性豊か夏休みとあって大勢の子供さんが家族連れで訪れ、夏休みの自由研究などに役立てようと熱心に見学する姿がありました。ちなみに2階には科学館エリアがあってクイズラリー、油ケ淵と水、干潟の生き物、碧南市開発の歴史、情報コーナー、創作室や研修室が併設されてました。(つづく)
2019.08.20
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昨日は行き先がわからないミステリーバスツアーに参加して来ました。どこへ行くのかはお楽しみ♪ですね。バスは思っていた方向とは逆方向へ進み、(てっきり南信州方面だと思っていたので)豊田東ICで下道へ降りました。最初に着いたのは駒立のブドウ園入口にはマスカットがたくさんぶら下がってましたが、私達が案内されたのはこちらぶどう狩り30分間食べ放題とはデラウェアの食べ放題でした。日曜日とあって大勢のお客さんが訪れて葡萄棚の下でデラウェアを頬張ってました。相方はあまり食べずに早々に退散し売店へ。私もスパークリングワインを買ってきました。次は以前も(2014年7月28日のブログに掲載)日帰りバス旅で訪れたことがある岡崎八丁味噌で有名なカクキュウへ。ここでちょっと早い昼食です。冷やし豆乳味噌担々うどん御膳でした。氷水で薄めてもちょっと辛いので相方は刺激物を避けてご飯だけ食べました。(以前は担々麺もよく食べていたんですけどね)食後は味噌蔵の見学に。1つの樽の中に味噌が6トン入っています。重しの石は3トンあるそうです。職人さんが積んだ石は地震が来ても崩れないように積んであるそうです。その後、味噌汁を賞味。味噌汁も蒟蒻味噌も美味しかったです。その後、売店で買い物をしました。5年前に買った黒ビールのような味わいを楽しみにしていた八丁味噌ビールはもう生産、販売されていませんでした。残念!(後で他のメーカーさんのをネット注文しました。)(つづく)
2019.08.19
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昨日午後7時過ぎに相方を最寄の駅まで迎えに行き無事に帰宅しました。北海道で撮ってきた写真を紹介します。空港からレンタカーで1時間半かかってホテルに到着しました。ホテルは1日100組ぐらいの家族連れで賑わっていたそうです。タワーの方は中国人観光客が多かったそうです。お土産物の種類が多く値段も高め。それでもどんどん売れて行ったようです。ソフトクリーム1個が500円もしたので目が点になったそうです。毎日午後8時半からは花火を愉しめたそうです。水の教会・夜の風景です。1日朝と夜の2回1時間だけしか中に入ることはできません。午後8時半から9時半の1時間みんなで出かけて行ったそうです。こちらは朝の光景です。午前6時半から7時半だけなので相方が一人で行ってきました。水の教会の外観です。木で作った北海道の小動物たちがホテルとホテルを結ぶ通路のそばに置いてありました。通路が見えますでしょうか。このホテルは通路が長くて面白いですね。全員集合です。ママの学生時代の親友家族とジージの8名で北海道の大自然を満喫してきたのでした。
2019.08.11
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昼食を終えてからバスの出発までにまだかなりの時間がありました。以前は次々と観光バスが立ち寄って水引の行程作業を見せてもらった会館ですが、最近は2階の昼食会場に重点が置かれ1階の水引の展示場は閑古鳥でした。時の流れを痛感しました。写真(撮影可)を写していたのは私だけ。以前も掲載したことがありますが、水引でできた作品をご覧ください。[風神 雷神」も面白いでしょ。水引はこういう所にも使われています。力士の髷を結う時に使います。こちらも時の流れを感じました。こちらの畳は金の水引でできています。ご自由にお座りくださいと書いてありました。水引と言えば祝儀袋や結納を交わす際の品を思い出しますね。実際、現在の皇后様の納采の儀が小和田家で執り行われた時の写真パネルも飾ってありました。竜宮城はこんな感じでしょうか。駐車場には横浜の中学校の修学旅行で農業体験をしている生徒さんたちを乗せる大型バスがたくさん待機していました。最近都会の修学旅行に観光地を回るのではなく農業体験を取り入れる学校が増えてきているようです。すべてのバスが発車して行ったので残ったのは私達のバス1台だけになりました。私達14名が早め早めに集合したので予定よりも1時間も早く自宅に戻れたのでした。全員が頂いた水引でできた箸置きです。これで南信州のバス旅を終わります。(終)
2019.07.24
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今回のバス旅はお買い物ツアーという感じでした。南信州をバスは走りやってきたのはル・ノール・リヴィエール。お洒落な名前がついていますが、長野県上伊那郡宮田村にある北川製菓直営のオリジナルスイーツのお店です。店内の様子はお店のリーフレットから拝借しました。皆さんスイーツをたくさん買われました。もちろん私たちも。買い物が終わるとドーナツ片手つかみ取り体験をしました。二人が片手でつかみ取ったドーナツです。店主さんが1個ずつサービスしてくれました。保育園児と小学生の兄弟はさらに3個ずつサービスしてもらってママとお祖母ちゃんが抱えきれないほどで一番多かったようです。次に向かったのは馬刺しが売っているお店。ここでも皆さんたくさんのお買い物。私達は先日馬刺しを食べたばかりなのでイナゴの甘露煮にしました。どこに行っても観光バスがたくさん。その後、飯田に向かいました。ちょっと遅い昼食です。食後は夕張メロンの食べ放題です。夕張メロンのお代わりが3回も出てきました。3回分のメロンを14人で平らげましたので、一人当たり相当食べたことになります。向かいの席の男性は16切れ食べたそうです。相方は3切れ食べるのがやっとでした。お腹も膨れてこれから水引会館を見て回ります。(続く)
2019.07.23
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今回のバス旅は午前6時55分と集合時間は早かったですが、大型バスに参加者が14名という事で座席がゆったり使えました。(後続のメロン狩りのバスはなんと10名だけとか)中央道をひた走り南信州へ行ってきました。駒ヶ岳SAで休憩しましたが、山には雲が垂れこめていました。中央自動車道を伊奈インターで下りみはらしファームに向かいました。前日から当日の朝まで雨が降っていたそうで足元が悪いのでズッキーニ狩り体験は出来ず2本ずつ好きなものを頂くことになりました。茹でたスイートコーンを試食、とても甘かったので2本購入。とれたて市場で思い思いにお買い物。だちょうの卵が1個3000円でした。鶏の卵と比較して大きさがわかりますでしょうか。重さは1キロ500グラムだそうです。網目メロン1玉の重さが1キロ150グラムですのでそれよりも重いということですね。電線が気になりますが、山を覆っていた雲も大分流れていきました。近くを散策してみました。雨上がりのお花が色鮮やかでしたが、新鮮な空気が清々しく気持ち良かったです。中央アルプスの姿も少しずつ見え始めました。では次の目的地に向かいましょう。(続く)
2019.07.22
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合掌村からバスに乗り途中下車、歩いて加恵瑠(かえる)神社へ。私がお賽銭を入れてお参りすると、「あなたはますます若くなるでしょう。ケロケロ」と女性の声が聞こえてきたので笑ってしまいました。次にお参りした人には「あなたはますますお金がたまるでしょう。ケロケロ」と言うのが聞こえてきました。その次の人には「あなたはますます健康になるでしょう。ケロケロ」と言うのが聞こえてきました。そこへ関西弁を話す若いグループがやって来てお賽銭を入れずにお参りしたら何も言ってくれなかったと言いながら笑い転げていました。多分コンピューター仕掛けになっているんでしょうね。そしてフレーズは3つだけ。たまたま私は「あなたはますます若くなるでしょう」というフレーズになっただけだとわかりました。よく歩いて疲れたのでホテルの喫茶室で一休み。許可を取って撮影させてもらいました。大好きな小物がたくさん飾ってあったからなんです。ロビーにもたくさん飾ってありました。ホテルの売店で買い物をしてから駅まで歩きました。しらさぎは下呂のトレードマークです。一羽の傷ついた白鷺が温泉に入って脚の傷を癒しているのを見たというのが下呂温泉の始まりだと言われています。しらさぎ橋の上にある像は室町時代の臨済宗の僧、万里集九(ばんりしゅうく)です。江戸時代の儒学者、林羅山と共に下呂温泉を日本三名泉の一つとして全国に広めたとされています。GW後半もイタリア人と3人で本当に足が棒のようになるほど歩いて歩いて、充分運動ができました。あわて者の私達は特急の予約時間まで待てず電車を一つ早くして帰宅しました。これでGWの旅をすべて終わります。(終)
2019.05.23
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