吟遊映人 【創作室 Y】

吟遊映人 【創作室 Y】

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

吟遊映人

吟遊映人

カレンダー

2014.06.22
XML
テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
【北國新聞 時鐘】
20140622

ブラジルとの時差(じさ)は12時間。午前7時の試合開始(しあいかいし)は、現地では午後7時になる。応援(おうえん)で疲れたノドに、おいしいアルコールが待つ。

テレビ応援は、そうはいかない。我慢(がまん)して一日を始めることになる。時差が何とも恨(うら)めしい。小文も、読者の目に触(ふ)れるまでに紙面づくりや配達(はいたつ)という「時差」がある。大一番(おおいちばん)の行方(ゆくえ)を予知(よち)する魔法(まほう)があれば、と痛切(つうせつ)に思う。

それでも確かなことが一つ。ギリシャ戦の後も、大勢の日の丸応援団がスタンドのゴミ拾(ひろ)いに汗を流し、注目を集めるだろう。褒(ほ)められて悪い気はしないが、確か16年前のW杯初出場でも、ゴミ拾いは「世界の注目を浴びた」はず。もう連続5度目の出場なのに、まだ珍(めずら)しいものを見るように報(ほう)じられる。何を今さら、と思うが、わがゴミ拾いマナーは、ホンダやカガワほどの知名度(ちめいど)を得てはいないのだろうか。

「日本は礼儀(れいぎ)では多くの点を得た」といった褒め言葉には、何かが奥歯(おくば)に挟(はさ)まっている。試合の得点も自慢(じまん)できる強豪(きょうごう)に、早くなりなさいよ、という励(はげ)ましか。

強くなってこそ、立派なマナーも有名になる。勝ってナンボの厳(きび)しい世界、と思い知る。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

勝負の結果はすでに知るところである。
時鍾氏は大我慢をして一日を始めたことであろう。想像するに難くはない。

さて、第一線終了時からマスコミがこぞって日本人サポーターの「ゴミ拾い」について報じているが、どうも釈然としないでいた。そうなのだ、以前のワールドカップで『ゴミ拾いは「世界の注目を浴びた」はず』である。
まさに
『何を今さら』
なのである。どうしてそれを言わないのか、だから釈然としないでいたのだ。
よくいう「グローバルスタンダート」としては、ゴミ拾いは『珍しいもの』なのであろう。だから海外のメディアが何度も報じることはやむを得まい。だがしかし、日本のマスコミがこぞって美談のごとくそれを報じるのはスッキリしない。というか疑問を感じないではいられない。
本当に、海外メディアの報道に『何かが奥歯に挟まっている』と感じないのであろうか?
穿って見たとき
『試合の得点も自慢できる強豪に、早くなりなさいよ』
そういう声が聞こえないのであろうか?それ以前に穿った見方を放棄しているのだろうか。
もしくは恣意的に、あえて「美談」として扱っているのであろうか。



『強くなってこそ、立派なマナーも有名になる。勝ってナンボの厳しい世界』

いつもながら、当たり前のことをたんたんと語る時鍾氏に、私は真の大人を見る思いである。おせっかいながらA社やM社のコラム氏は三歩さがって時鍾氏の教えを乞うべきである。(自社の思想をお仕着せするばかりのコラムに未来はない。おせっかいついでにそう申し上げる次第だ。)
それにつけても、時鐘氏の真の大人の所以は先のコラムで納得した。以下は6月19日付の「時鐘」である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「互(たが)いに譲(ゆず)らず」。サッカーW杯で強豪同士(きょうごうどうし)のブラジル対メキシコ戦が引(ひ)き分(わ)けになったのを見て思い出した言葉(ことば)だ。



スポーツに限(かぎ)らず勝負ごとは戦(たたか)いである。皆(みな)が命(いのち)がけなのだ。戦後派(せんごは)の君たちは認識(にんしき)が甘い、という話にまで展開(てんかい)するのだった。そんなオーバーなと思わぬでもなかったが、厳(きび)しく言葉を選(えら)ばなければならないことを知った。

平和(へいわ)な戦いであるスポーツは国と国が戦争(せんそう)をしないために役に立つ。政治は最高の「平和のための戦い」である。国民(こくみん)の生命財産(せいめいざいさん)を預(あず)かっている政治家は国際間(こくさいかん)の戦いで譲るわけにはいかない。最初から譲歩(じょうほ)する姿勢(しせい)を感じさせては勝負にならないのである。

日本の国会(こっかい)でも「双方(そうほう)譲らず」が続いている。いや、そう見えるだけなのか。政治家と政党は自らの命をかけているのか。この試合(しあい)に政治的(せいじてき)引き分けはない。ファンが許(ゆる)さないだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

真の大人の影にはさらに真の大人(年配デスク)がいたわけである。当たり前のことであろうが、妙に納得した。現時鐘氏は、その手法から気概までを旧時鐘氏から学んだわけである。

『スポーツに限らず勝負ごとは戦いである。皆が命がけなのだ。』

旧時鐘氏の唱えたこの絶対真理は、現時鐘氏によって

勝ってナンボ

と言葉がわかり、今もコラム「時鐘」に受け継がれているのだ。私は現時鐘氏同様、戦後派であり『認識が甘い』世代である。ここは謹んで旧時鐘氏の薫陶を仰ぎたい。

話しは変わるが老父(齢八十六)はテレビ観戦しながらこうつぶやいた。

「技術も体力も日本人が劣っているわけではないのだから、死ぬ気で戦えば負けるはずはない」

「死ぬ気」とはもはや死語であり、何とも大げさな感じはするが、それもまた真理であろう。それこそが日本人のスタイルであったはずだ。
いわく、死ぬ気でばんばる、である。
旧時鐘氏や我々の父の世代は、政治も経済もスポーツもそうやって世界に近づき、そして勝ってきたはずだ。「楽しんだ」とか「勇気をもらった」という感覚は『認識が甘い』と一蹴したであろう、そういう世界だ。

幸い、昨日のニュースを見ているとゴールキーパーが吠えた。

「死ぬ気でやる!」

その覚悟やよし。彼は日本のゴールを文字通り死守してくれるはずだ。攻撃陣は何憂うことなく攻めに徹してほしい。さすれば一縷の望みもつながることであろう。頑張れ日本。

とはいえ、私は試合よりも時鐘氏が試合結果をどう扱ってくれるのか、それが楽しみである。

20130124aisatsu





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.06.22 13:22:42
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: