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書写山に行ってきた。重要な方の命日であったからである。といっても、天台宗ではないので、何か言い訳ぽいのは仕方ない。小学生の頃、よく登った山(標高370メートル)ではあるが、30年後、その記憶は、ロープウエイを出たところに簡易遊園地、その奥にお寺があった、樹齢かなりの大木があった、といった程度であり、おそらく、その断片的な記憶は、断片的な写真によって、強化されたように思う。ロープウエイに乗る。書写山に登るのは、30年ぶりである。 富豪と言えども・・・摩尼寺、清水寺型。お参りするのである。樹齢700年といえども、この天台宗の寺が開かれてから300年たってからである。「ラストサムライ」の撮影地といえども。奥の院、開山堂といえども。苔寺、瑞光院といえども。この固い道を歩いて思い出した。ここは、子供の頃、馬車が通っていた道であった。(調べた所、この馬車は2000年まで運営していた模様)
2006.10.31
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。 何を隠そう、写真はソウルなのだが、それとは、関係無しに、母から携帯メールが入ってきた。「あんたハワイいっとったん?25日の消印になっとったで」と。何を隠そうマザコンであり、母親思いである私は、昔、イランで手紙を出して以来、いや、バンコクで金がなくなって金の無心をして以来、いや、あのときは、金がなくなったと書いただけでいたずらに母を不安がらせただけで、実は金はまだ1,000円残っており、その後1週間旅行を続けたのであったな。 まあ、そういうことはどうでもよく、「ああ、1泊だけな」と気障なメールを返信しておいた。手紙の内容も、家族思いなので「今、ハワイ」とだけしか書かれていない。それが、私の優しさなのである。そんな母に6、7年前に開館した、美術工芸館に連れて行けと言われて、無理矢理連れて行ったことがある。(私の華麗なる運転で)何でも、母の師匠のような人がいっぱい作品が飾られているということであった。何でも、私には、私自身が芸術肌なので、芸術的なことはよく分からないまま、見学したのであった。 そんな訳で、今回また行ったのは、アンコールワット、パガン、スコータイ展を見るためである。といっても、何を隠そう、恥ずかしながら、まだその3つにはいっていないのである。是非、死ぬまでには行くのである。下手したらアンコールワットあたりなんかこの正月でもいってもいいかなーなんてノー天気で考えている程なのである。 何せ、学生の時は、まだアンコールワットのあるカンボジアに入国することはできなかったし、パガンのあるミャンマー(当時はビルマ)には1週間ビザしか下りず、強制両替300ドルがあり、そのお金を捻出できずに諦めた経緯もあるのだ。当時のビルマは、まだアウンサウンス-チーも有名ではなく、ネウイン将軍が幅を利かせており、通貨も75チャト札とか、適当な通貨でブラックマーケットがはびこり、ジョニ黒売れば1週間過ごせるという時代であった。将軍は簡単に通貨を1夜にして廃止して新札に代えるので、1夜にシテ文無しになるため、皆、外貨しか信じていなかった時代なのである。 そして、スコータイ、これはタイにあるのだが、自転車で横を通ったことがあるが、夕刻になると、当時は、共産ゲリラがよく出没したので、日和見組の私は、行かなかったというか、50キロほど寄り道しないといけなかったので、しんどいので安易に諦めたという時間はあるけど体力がない学生時代に相応しい理由で諦めた経緯があり、それは、今でも少し後悔している訳なのである。夢前川は、子供の頃、よく泳いだ。川は、水温が水の表面と底が違うし、流されるし、タニシや黒いトンボが飛んでいるので結構楽しかったなあ。おまけのソウル駅
2006.10.30
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歪なほどに俗化しているのでが、本来、ハワイは、スピチュアルな地域である。世界地図を広げてみるだけでも、太平洋にポツリとあるハワイ諸島、いかなる大陸からも遥か遠くに離れている。このアメリカから4000キロ、日本から6000キロ、オーストラリアから8000キロ離れ、島つたいでもないこの地にどうやって人類はやってきたのであろうか。人間、例えば、朝鮮半島から対馬が見えたら、行ってみようという気になるだろう。しかし、例えば、権力闘争に負け、大地を脱出することになっても、古代にどうやって何千キロも彼方に行くことができたのであろうか。小笠原諸島は本土から1000キロしか離れていないのに、発見は最近であり、定住できたのも明治に入ってからである。 オアフ島は、ハワイ諸島の8割の人口が住み、ホノルルには、その半分の人口(40万人)を擁し、ハワイ全体像とは別箇に扱う必要がある。バリのクタでさえ、多少スピチュアルなものを感じることはできるが、ホノルルでは、スピチュアルなものは感じられず、現代文明に属している。 風が心地良く、いつまでも歩いてみることができるのだが、島で、これだけの人口を擁し、排便処理や水の供給、ゴミ問題にアンバランスを起こしているのではないかと思うのである。ビーチ沿いに建つヒルトンホテルは2500室を擁し、シェラトン、リージェント、アラモアナ、ハイアットリージェンシー、等は軒並み1000室を越え、それぞれの建物が、くたびれているように見える。 それでも、つかぬ間の休日をゆっくり休んでいるように見えるのは、この時期日本人が少ないからであろうか。ビーチ沿いのオープンテラスでゆっくりしている西洋の人々を見ていると、誰も話なんかせず、飲み物にも口をつず、ただただ、海を眺めている。それにしても、昔から、ワイキキビーチと言うのは、有名なので、広く、砂浜も多いと思っていたが、砂浜部分はホテルや道路から0メートルからせいぜい30メートルぐらいしか砂浜がないのには驚いた。 日本人にハワイが人気あるのは、その気候である以上に、日本にいるような気がするとか、英語が通じなくても大丈夫、日本人だからといってそう差別されることも少なそうだ、本土に比べ治安がよいということなのだろう。ほとんど、ハワイの歴史には興味がないのではないだろうか。ハワイは、何より日本関係の人が多い。それは日本人旅行者、日系人、そして住み着いている日本人である。この住み着いている日本人に変な日本語の人が結構いるのである。日本語をイントネーションが少し英語化しており、ところどころに英語を入れるのだが、そこの発音は英語なのである。例えば、レストランでは、「ウォラー(水)はいりますかぁ~」という感じで、日系に近づきたい願望なのか、現地住みつきコミュニティでそうなったのか、非情に見苦しいのである。ちゃんと英語を話せる日本人や日系人は、日本人に向けて英語の単語を出す時は、「ウォータ」とちゃんと日本人に分かる発音をしてくれるのである。エドワード君は日本語ではエドワード君なのである。エダワ君ではないのである。留学崩れでそのままハワイが好きで住み着いたが、なかなか目が出ないということを非難も批判もするつもりはないのだが、何となく、英語を喋りたい、そこらの日本人旅行者とは違うのよ、という意識が見えるような感じがして、それが屈折しているように見えて、悲しいのである。モロカイ島2006年ハワイ紀行ハワイ1ハワイ2ハワイ3
2006.10.29
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今日の、ボクは、朝、イベントがあるので、その準備のために、朝から出勤しました。デジカメでその様子を撮りながら、いろいろキャンペーンガールに指示しましたが、勿論、セックスハラスメント的発言はしませんでした。指示したのはキャンペーンガール直接にではなく、それを束ねるディレクターさんにでした。彼は、二度飲み会に誘ったことがあるのですが、お酒が飲めません。上記不参考写真 お昼からは、いろいろ、いろいろな雑事の後、次の集合場所に歩いていきました。凡そなんとなく、50分かけて歩きました。おかげでお昼ご飯を食べる時間がなくなりました。考えると、朝ごはんも食べていません。コーヒーは3杯飲みました。上記不参考写真 午後3時からは、クレームの為、ケチョンケチョンに言われて、監禁状態になりまして、それは、午後5時50分までかかりました。クレームは解決せずに、持ち越しとなりました。何を言っているのか分からないとも言われましたが、それは、いつものことです。何せ、ボク自身、何をいっているのか、いつも分からないものですから。それにしても、立ちっ放しは、チト疲れました、簡潔に言うと疲労コンバイです。上記不参考写真 そのまま、神戸に帰り、自宅の駅を通り越して、午後7時に病院に行きました。ボクが病気なのは、精神的な所だけなので、ボクが病気なのではなく、ボクの知り合いが、すい臓がんで入院しているからです。半年振りにあったのですが、痩せていましたが、元気にしていました。元気だといっても、おとといも食道の一部を血留で手術したということです。5ヶ月前に腹膜炎で一度、入院したのですが、よくよく聞いていると、全部、癌に関係しているのです。53歳の気のいいおっちゃんなのですが、ボクらは冗談をいい、持って行った見舞い品のミカンをボクが食べました。何故かお土産に、お医者さんにもらった栄養ドリンクを貰いました。それって自分で飲まないといけないのではないのでしょうか?上記不参考写真 その後、一緒に見舞いに来た大学の同級生が、「モツ鍋の上手い店がある」といわれ、1つ隣の駅までモツナベを食べに行きました。もつなべを食べるのは、今指折り数えた限りでは、16年ぶりのことです。スープが旨い店でした。名前は忘れましたが、078-361-0201と手に書かれています。後でシャワーを浴びると消えます。テンションをあげる必要なない、上げると下がってしまうから、それがなかなか20代には分からないみたいんだなあ。上げるのは、モチベーションなんだけどなあ、なんていう話なんかをしたように思います。22時40分頃、よい子なので、午前様にならないように、お家に帰ってきました。上記不参考写真
2006.10.28
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北朝鮮を監視し続ける民間有志青年団の雄姿及び勇姿 監視塔の向こうに北朝鮮が見える。よく見ると、監視塔人不在。 監視小屋の中には銃を持った韓国兵がハナクソをほじくっている。なんか、北ではドラマも撮影しとるんか。一番の先頭部分には韓国軍監視施設があり、400メートルぐらい先は北朝鮮。一番、川幅が短い所。洒落にならない看板もあり。2006年韓国紀行釜山行釜山観光慶州観光ソウルの夜北朝鮮俯瞰1北朝鮮俯瞰2北朝鮮俯瞰3
2006.10.27
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富豪友達の達人さんの支持に応え、ハルジIN北京にも参加できず、ここで、金銭的問題にを暴露しよう。何ゆえ、大富豪は孤独なのである。友達や会社にも1泊ハワイ旅行イッテキマスとは言えないのである。言うと馬鹿にされるからである。あるいはあきれられるからである。ネット上なら匿名性が高いことに加え、紳士淑女の皆様しか読まないので、呆れたりが馬鹿にしたり、頭がおかしいと思ったりは全然しないのでえある。もししたとしても、口には出さないのである。口には出したとしても、書き込みまでは至らないのである。いくら飛行機がただといっても、通用しないのが狭い世間なのである。 大富豪に理解力がないのは、知人や会社関係ばかりではない。アメリカの役人、つまりイミグレーションオフィサーもなのである。「観光」と目的欄に書いてあるのに、「何故背広を着ているのですか」とあらぬ疑いをかけてくるし(ホノルル行き飛行機で背広を着ていたのは、唯一無比で私だけである)、「滞在日数1日」というのに、「何故、観光で1日だけなんですか」とあらぬ疑いをかけてくるのである。何も、アメリカ人役人に限ったことではない。日本人役人、つまり税関員もなのである。「どこに行ってきましたか?」「観光でハワイです」「何故背広を着ているのですか」とあらぬ疑いをかけてくるし(関空行き飛行機で背広を着ていたのは、唯一無比で私だけである)、「何故、荷物がないのですか」とあらぬ疑いをかけてくるのである。荷物がないわけではなく、ちゃんと仕事用カバンを持っているのである。中には着替えが入ってないだけであり、向こうで持って帰ってきたフリーペーパーと、カメラと歯ブラシと、シルバーアクセサリーが入っているのである。文庫本も2冊入っているのである。 まあ、兎に角、ホノルル空港からワイキキビーチまで、頑張って無料バスなのである。廊下水族館に行ったが、何かの店舗の中に入っているので無料なのである。ホテルは、超高級ホテルで、ハワイでは、もっとも高い部類に入り、1泊45ドルである。学生じゃあるまいし、ドミトリーなんかにはもう泊まれないのである。窓を開けると、ダイヤモンドヘッドは見えないが、素晴らしい隣地の建物の壁が見ることができるのである。プラハの春か、スエズ動乱か、戦争記念館に行ったが、入場料は無料なのである。しかし、朝飯にハワイロコモコを食べ、ハワイ価格7ドルをかけたのは事実である。やたらリムジンが走り、やたら、風通しのいいバスが走っている。JCBカードを見せると、無料で乗れるバスなのである。大富豪なのでカードを持っているので、乗り放題である。ピンクフラミンゴを眺めていたら時間も過ぎるのである。見るのはただである。海のペンギンに池の亀?と思いつつも、見るのはただである。腹が減れば、自然に生えている果物類を失敬できるのが、南国の優しさである。しかし、ちょっと、豆、巨大過ぎないかい?しかし、おやつは富豪でも食べるのである。コールドストーンってアイス屋渋谷では2時間待ちなんだって?ほんとかいな。アイスクリームを冷やした石の上でこねてるだけじゃん。よく分からないじゃん。量も昼食に匹敵するぐらい多いが、値段も6ドルである。トッピングまでしてしまった、罪な男である。しかし、罰な男ではないので2件隣のポルノショップには行っていないのである。安宿に泊まる西洋人並にビールをちびちび飲むと、安上がりなのである。夕日が沈むまで2時間いても、5ドルなのである。おまけに、ハワイとは生意気な所で、日本人を馬鹿にしていて、初めからチップ15パーセントを取っている店がほとんどなのである。15パーセントは目安なのであるが、私も大富豪なので、むかつく時はチップ1セント、感激感動激動などしたときには、20パーセントぐらいは払うのである。そういう訳で、チップを最初から取っていない店のバーで飲むのである。そういう訳で、2ドルのチップを弾んだのである。 夜はこうやって、砂浜でいじけていると、じぇんじぇんお金を使わないのである。23時、海。すっかりリゾート気分である。夕食は、一応豪勢に25ドルを散財。勿論、20ドル分ぐらいはアルコールである。ハワイビールを部屋で飲むのである。3ドルである。コナコーヒーは、1階に飲み放題があるので、ほんまに飲み放題しているのである。しかし、1本では足りないのが、男の性、2時に、コンビニにビールを買いに出かけるが、商店は何故か全部閉まっており、バーやファーストフードが営業されているだけであった。おまけに、「兄さんアソブ?」とフッカー7人に声をかけられる始末である。名刺まで無理矢理渡され、手に持って歩いていくと、後ろから大声で「ポケットに入れてよ」というので、そうしたら、「とてもよろしい」とまた大声で言われたのも事実である。空港までは、散々、散財したので、豪華に、リムジンで帰ることにした。普通のタクシー25ドル、リムジン29ドルなのである。韓国人白タクなら15ドルらしいのだが、なかなかそういうのが見つからず、まあ、25ドルなら、いつも乗りなれているが、記念にと29ドルリムジンにして、超高級ホテルに横付けしてもらうのであった。チップで入れて33ドル払っておく。オマケに空港で、5ドルのファーストフード。そんな訳で、大富豪が、関西空港から出て帰ってくるまでの42時間に散財しつくしたお金は131ドルである。日本円にして約156 万円である。それも、別途買ったハワイアン銀ジュエリーで元を取り返そうと企んでいる、根っからの商売人であり、タダでは起きない大富豪へのステップなのである。(誰かシルバーいらない?)2006年ハワイ紀行ハワイ1ハワイ2ハワイ3
2006.10.26
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必要条件ただチケットの有効期限は10月末までである。おまけに、平日の利用となる。休めるのは2日までである。十分条件ただでないと、行かないところが良い。まだ行ったことがないところがよい。夜出発がよい。2006年ハワイ紀行ハワイ1ハワイ2ハワイ3そんな訳で、窓を開くと優雅な隣の建物の壁という超高級ホテルにチャックインし、背広を脱ぎ、アロハシャツではないが、Tシャツに着替え、早々に、浜辺に出るのである。風が吹き、涼しい。まあ、いわゆるダイヤモンドヘッドちゅうやつですなあ。所有しているフ海沿いのホテル。しかし、私は泊まらなかった。状態を見に行っただけだ。ホテルのトイレは、総大理石貼りにしているが、しかし、私は、状態を見に行っただけだ、というのは嘘で、用も足したのである。所有している海は、私は責任ゆとりませんから。コンビニ(ABCストア)にあった切手販売自動販売機。なんだこれはと思い、1ドルを入れてみると、75セントの切手が出てきて、自動的に25セントぼったくられたことが判明し、少し賢くなった。今度は、郵便局に行こうと胸に誓うのであった。ブランド品には興味はないが、3時間程歩き回り、いろいろ綿密な調査をした上、町中で売られているハワイアン銀アクセサリーの卸しの店を、マンションの1室にて発見。おおよそ、街中の半額から3割。商魂逞しい私は、宿代を浮かすべく、シルバー素人にも関わらず、ヤフオクのために、数万円分のシルバーを買い込む。トイレもアロハ自転車繋ぎ場所。暖かい気候では、なかなか人々の気持ちも穏やかなんだろうが、まあ、こうやって悩んでいる人もいる。もしかして、オーバードープかも知れない。でも、私ではない、多分。顔色違うし。
2006.10.25
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南大門市場で散々散財しつくし(1,500円ぐらい)、宿に戻るにも戻れないほどに方向を失うほど適当に歩いたので、しっかり街の迷子君になった夜中の2時であった。 勿論、富豪ゆえ、財布には、金がたんまりあるので(150円ぐらい)、タクシーに乗っても良かったのであるが、テクシ(と韓国語では言う)にぼられたり、オリンピック以後出現した模範タクシー(初乗り450円ぐらいする大物)に間違えて乗るのも大変なので、これまた、迷い迷いながら、屋台の人に道を聞きながら(韓国語が得意なので、おばさんに向かって『オンニ(ねえさん)』というだけで、満面笑顔で韓日友好を草の根で謀りながら、あとは身振り手振りである)、彷徨い続けた。ふと、ソウル駅に出た。在来線の立派な駅である。今から、ちょうど、20年前、1986年、初めて韓国に来た時、空港からのバスが到着したのは、ここであった。しばし、懐かしいと思いながら、駅を眺めた。駅前に屋台があり、とりあえず、私は荷物と共に、そこに越し掛け、昨日徹夜で飲んだ二日酔いに迎え酒という若気の至りというのをいっちょうやってみるか、と試みようとしていたのであった。すぐ近くに韓国兵2人が焼酎を飲んでいて、何となく、私と目が合い、すぐさま、3人で飲むことになった。初めてのソウルといっても、明日はバンコクであり、そのまま、荷物を持ったまま、ままよ!と2件目に3人で向かったのであり、ヘベレケになったなあと思いながら、3軒目では、何故か女性が1人出てきて、4人で変なもとしようぜ、と誘われたなあ、と思い出した。変なことは、しなかったけど、韓国では、徴兵制であり、2年間半は徴兵に取られる(北朝鮮では13年、徴兵どころじゃないよね)のだが、その行く期間はある程度自分で決められるといっても、若い男、大抵、恋人がいても別れるという噂である。韓国人男はマッチョではあるが、こんな青春時代に兵隊に取られると屈折する男も多くいるだろう。男ばかりの世界へ、変な世界に行ったり、たまにの娑婆では売春宿に通い詰めるという輩も多いのではないか。 更に、韓国では、日本の三高とは比較できないほど、学歴と家柄(韓国では家門)が決定的な差を生む社会で憤怒し、弱虫ぶりを発揮するのであろう。残念ながら私も三高である。激昂、速攻、倭寇だったと思う。まあ、そんな訳もあって、韓国で1万円ぐらいを散財しまくった私は、韓国経済に大いなる経済効果を及ぼしながら、一時帰国するのであった。ソウルタワー、おまけ。 古い町並み2006年韓国紀行釜山行釜山観光慶州観光ソウルの夜北朝鮮俯瞰1北朝鮮俯瞰2北朝鮮俯瞰3
2006.10.24
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喜び組ではないが、北朝鮮のオシャレ着には、紅いパンツもある。勿論、喜び組は、日本製のパンツや化粧品である。ちなみに、儒教の国、韓国であるから処女性のありがたさは、尊いものだそうで、なかなか婚前結婚というのはおおっぴらではないと言われているが、派手なのは、結婚後である。キャバレーや合コンバスといった中高年向けの既婚者専用の遊びがあるのである。勿論姦通罪はある。韓国の女性は自転車に乗らない。ひとつの理由にしょじょ幕が破れるからだそうだ。何せ、韓国はお嬢さんのことを処女というのである。部活動もないのである。そんなに激しい運動をすれば、しょじょ幕が破れてしまうのではないかという事情もあるのかもしれない。朝練じゃ、合宿じゃ、インターハイじゃというのはないのであり、学校はお勉強をするところなのである。運動では選ばれた人々だけが、専用の教育を受けるのである。お受験も有名であるが、最近、産めよ増やせよが儒教である(?)にも関わらず、もう一人でいいよ、という家庭が多くなったのも子供に金がかかりすぎるのも一つかもしれない。出生率は日本より低くなってしまっているのである。とはいいつつ、セックスはかなりお盛んな国ではある。しかし、儒教の国だから(?)とにかく男の子を産みたがるのである。近い将来男女バランスが悪くなることが予測されている。夜になると、それこそ、整形外科の看板が光り輝く。しかし、対岸の歩道に行こうとするものの、なかなか横断歩道が少ないのである。代わりに地下街が発展しており、これは単純に、準戦時国家であるための防空壕なのである。空港からの車線が広いのも、飛行機が離発着できるようにである。韓国は日本よりブロードバンド化が進んでいるが、携帯電話もスザマジく、地下鉄の走行中も通話できるシステムとなっており、これがやたら話し声が五月蝿いのである。高麗ニンジンをすぐお土産にするのが慣わしなのだが、日本人はなかなか貰って困るものワーストに入ってしまうのではないか。朝鮮人参より高麗人参のほうが言い方にハクがあるそうである。とにかく、韓国人は、精力にかけては命を懸けている思われる節があり、人参は食うがモヤシはあまり食べない。毎日、ニンニク食って、時々イヌ食って、内臓コプチャン食って、黒山羊やヤツメウナギを食う。まあ、そんなところで、喜び組レポートを終了します。2006年韓国紀行釜山行釜山観光慶州観光ソウルの夜北朝鮮俯瞰1北朝鮮俯瞰2北朝鮮俯瞰3
2006.10.23
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実は、何を隠そう、釜山に行くといっておきながら、本当は、北朝鮮核実験問題早期解決のため、阿部定首相、虱国務長官、胡青島国家主席の特使として、かつての痴情の楽園といわれた国への潜入を謀りに行ったのであった。最近のニュースでは、国家起立が非情に乱れ、軍部に食って掛かるトラックのあんちゃんや、昼間から酔っ払って道端で眠っている兵士や、国家機関紙をキジ紙としてトイレの前で売ったりする映像が流れているが、私の使命は、国家機密であるので、言えないのであるが、金ジョン入るに罪は問わないので、亡命を勧めることであった。いずれにせよ、国家が崩壊しれば、2,300万人の難民が怒涛の如く押し寄せてくるので、韓国としても、シンパシーしながらも、大変びびっているのである。ここは何としても、ソフトランディングしなければ大変なのである。 密かに撮ってきた上部写真によると、国境に数年前に急いで北朝鮮は、建物を作ったのである。勿論、見える建物はハリボテである。人の出入りはなく、双眼鏡で見ると、よほど急いで造ったのか、窓もないとのことである。とりあえず、ソウル駅に着いて、取り急ぎ、夕日に感動するのである。 急いで、更に北に向かう為、地下鉄に乗り込むのである。座席までがステンレスヘアラインで、なかなか渋いのである。南大門に到着した頃には、夜中なのである。ボヤボヤしておれないので、まずは腹ごしらえに、南大門市場に向かうのである。遂に国境地帯に伝っていくのである。ここの高速道路は、太陽政策で数年前に出来上がったものであり、私が20年前に板門店に行った頃には当然なかったのである。今は交通量が少ないので、片道2車線であるが、真ん中にグリーンベルトがあり、北とつながれば、おそらく片道5車線ぐらいにはなるのである。しかし、正規なルートで行くと、私も密航できないのである。20年前には北が攻めてくると恐れてこんな道はできなかったはずである。おまけに、最近では国境沿いにポツポツ住宅なんかも建てられていたりもするのである。勿論、ソウルの住宅の半値であり、通勤時間90分を我慢すれば、なーんもない僻地のマイホームパパ一家の城の主になれるのである。おお、何か祈りのはちまき類に阻まれてこれより前に進むことが出来ないハムニダ!昔、朝鮮戦争で、捕虜の交換を行った橋である。韓国では朝鮮戦争を、朝鮮動乱という。何となく、満州戦争を満州事変と呼んでいるのに近い気もするのである。密使で来ている私の先に、観光客が歩いているのも、どうも気に入らないのである。鉄道も、ここから先は北朝鮮行きなのである。鉄橋の向こうは、まだ緩衝地帯であり、まだ韓国なのである。何故、そう分かるかと言えば、緑があるからである。北朝鮮は燃料不足で木を切って薪にするので禿山だらけである。いよいよ写真撮影は禁止である、これからはスパイカメラ(携帯電話のカメラ)を使うことにしよう。その前に、北朝鮮の勉強の為、北朝鮮の飲み物を飲んでおこう。遂に潜入したのであるが、子供にしか相手にしてもらえず、子供も食糧を探しに出かけたのか、全く不在であった。 仕方ないので、「喜び組」に挨拶してすごすごと還ってきた訳である。極秘裏に成功を収めてきたかどうかは、今後のニュースで結果を待つしかないのであった。川の向こうが北朝鮮である。2006年韓国紀行釜山行釜山観光慶州観光ソウルの夜北朝鮮俯瞰1北朝鮮俯瞰2北朝鮮俯瞰3
2006.10.22
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慶州は新羅の首都であった。現在の前は、李氏朝鮮であるが、その前が高麗でその前あたりがいろいろあって新羅であったように思う。高句麗や百済、渤海というのもあったなあ。 石窟庵と仏国寺は、世界遺産に登録されているが、そんなことより、遠足や修学旅行の子供達でごった返しているのであった。 子供達は、それぞれの小さなノートに、説明されている文をメモしていたのが微笑ましい。そういえば、そんな頃も私にもあったような気がする。小学校の修学旅行、伊勢、意味も分からず、事前学習していったような気がする。 日本より高いといわれるものは、ゴルフにガソリン、一部不動産のようである。慶州楽しかった?それは分からない。人間ネチョネチョプレイスか大自然が好きな様である。 大邱より新幹線でソウルに向かう。いまや、韓国といえば、キムチに焼肉に整形である。韓国といえば整形天国である。街を歩いていても、そんな先入観からか、ほとんどが整形しているのではないかと思って見てしまうのものである。男も就職などで整形するらしい。大統領も整形してるのだ、あいごー。まあ、昔のようなドギツイメイクは見られなくなったが、骨太なのか、何となくお隣の国だが、男女とも体格が違う。性格は、擬似ラテン系である。2×1席であり、飛行機でいえば、ビジネスクラス並であった。2006年韓国紀行釜山行釜山観光慶州観光ソウルの夜北朝鮮俯瞰1北朝鮮俯瞰2北朝鮮俯瞰3
2006.10.21
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無事、飛行機に乗り遅れることもなく、韓国は釜山にやってきたムニダ。もう釜山については、プロ級の情報を与えられるに違いないと思うニダ。何せ、今はインタルネットの時代、前日気になり、夜中に目覚め、釜山極悪情報を夜中2時間かけて調査したチュセヨ。おかげで、日本の大阪から韓国の大阪釜山まで、10分程度で着いた様な気がしたムニダ。そんな訳で、このバスに乗った訳ではないのですが、これから後学の為、釜山観光案内をするムニダ。ちなみに、不思議なことに、釜山は実は私の場合、初めてムニダ。まずは、釜山じぇんたいをご覧下さいハセヨ。龍頭山公園のタワーの上から、日本からのフェリーが見えるでごじゃいます。 ラブラウンジでごじゃいます。綴りも随分怪しいハムニダ。とにかく、どこへ行くかといわれますと、市場ハセヨ。市場は、何でもあるといわれる国際市場と魚中心のチャガルチ市場と、繁華街の南面市場などが、有名どころでごじゃいます。どんどん、手当たり次第口に掘り込んで下さいムニダ。フラワープも健康志向ムニダ。きっとキムチ良くなるチュセヨ。やはり、わびさびは、裏道にあるハムニダ。ゆっくり歩くと、おばちゃん(オムニ)に手を引っ張られそうになるムニダ。今は、釜山国際映画祭の期間で、とにかく集まっている人が若いムニダ。さて、お待ちかね夜編でごじゃいます。チャガルチ市場周辺をまずはぶらつきも楽しいムニダ。ビールにマッコリ、ショチュ、どんどん飲むチュセヨ。ブラブラ歩いていると、置屋があって、ばばあに引き込まれそうになるチュセヨ。ちょっと、写真を撮るのは難しいムニダ。釜山駅に行ってみると、なかなか寂れている外国人街があり、フィリピン屋台で、サンミゲルビールを飲むのはいかがでしょうハセヨ?でもここで多いのは、ロシア人でごじゃいます。大方は、デブでドハデなロシア人がウロウロしているムニダ。でも、しっかり寂れており、またやり手ババアが寄って来て、私がイルボン(日本人)と分かると、「ジキジキ」といってきて、インドでよく聞かされたえらく懐かしい言葉ですなあと思ったハセヨ。看板はロシア語のオンパレードムニダ。南面エリアは夜中も不夜城状態ムニダ。夜食は屋台でどうじょ。混んでいる店をお勧めするチュセヨ。なんで混んでいるかよく見たら女性が入っていたからに過ぎなかったんですね、チャンチャン。焼酎とアテ3品ぐらいで1,000円ぐらいチュセヨ。もう夜中の3時過ぎたハセヨ。釜山イイトコチュセヨ、今度はオマエも連れてくるよハムニダ。2006年韓国紀行釜山行釜山観光慶州観光ソウルの夜北朝鮮俯瞰1北朝鮮俯瞰2北朝鮮俯瞰3
2006.10.20
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今空港のフリーパソコンにてぱそこんをいじってて、あと15分でしゅっぱつなんかだたりなんかして
2006.10.19
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北へ行くといっても、じゃがぽっくりの北海道に行くという訳ではない。何せ関西から北海道は、四国より遠く、朝鮮半島よりも遠く、カムチャッカ半島よりは近いぐらいである。 じゃがぽっくりをご存知か。もはやどこが大人気の秘密かは私には分からないのだが、まあ、確かに食べ出したら止まらないカッパえびせん程度の病み付きではある。 アジアは麺ではじまり麺で終わる。インド方面はカレーで始まり、カレーで終わるのだが、ベトナムフォーとタイのバーミーナムをミックスしてみるという試みは、何とも奇妙な取り合わせである。こんなことはチャンプル文化のニッポンしかできないというか、食べ放題の店でしかできないといえるかも知れない。 麺は麺でもカップ麺ということで、アジアでカップ麺が蔓延してきたのも、ここ20年ぐらいであろうか。 ところで、水に沈んだバスケットコート 母校の中学校の校舎から海が見え、授業中、よく、海を見ていた。定刻に、定刻の客船が通り過ぎていた。それは、鹿児島や大分に行くサンフラワー号であって、決してまんぎょんぎょんごうではない。しかし、場当たり的に板門店まで今から足を伸ばす所存であり、平和ボケしながらも、核兵器反対のシュプレヒコールをしにわざわざ半島に向かうのである。 そういえば、日本ワールドカップの時に、ナイジェリアの男性がトロントから飛んできて、成田空港で友人と待ち合わせしていたが、友人は現れず、滞在許可の90日間、成田空港で過ごしたという自体があったなあ。そうならないようきをつけようそれでは、再び、気丈の、いや、机上の、いや、騎乗の、いや、機上の人と今からなるのである、みなの衆、達者で、アンニョン。
2006.10.19
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何を隠そう、先日、成田駅で、成田に行こうとしてついつい羽田駅に向かっていった沈着冷静言語道断健全平和の私であったが、無事、次の便にも、実はボヤボヤしていて、搭乗口まで走ったのは、ここだけの国家機密なのであるが、ほとんど、そういう理由により、最後に機内に入ったはた迷惑人であったが故に、というか、私がブラッドピット似であったが故になのではあるが、スチワデスの人がちゃんと顔を覚えてくれて、息を切らしている私を喘息持ちと順調に間違えてくれたのか、水を一杯くれたのであった。(「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約 (宇宙条約)」 昭和42年10月6日批准 参照1) そして、私は、何といおうが、これから、現地にて飯を食うという国家的プロジェクトに参加するために、機内食なんか食って、腹をいっぱいにする訳にはいかないのであった。(「ポツダム宣言」 昭和20年7月26日署名 参照2) そんな訳で、水いっぱい以外には、私は、少量のワイン1本しか貰わず、空腹のまま、多少、気圧と高度の関係もあって伸び伸びと酔っ払っていったのである。(「公職選挙法、同施行令」 明治25年5月1日 参照6) その後、12時間後、帰りの機内に戻ると、スチワデスの皆様の7割ぐらいの方々も、とんぼ返りで日本に帰るということで、同じメンツの方々であった。勿論、ジョニデップ似の私が憶えられていたことは、確かで、あれ、さっきの飛行機乗ってなかった?もう帰るの?半日しかいないじゃないの?とまで、優しい声をかけてくれたインド系スチワデスなのであった。(「月その他の天体における国家活動を律する協定(月協定)」 昭和59年7月11日発効 参照3) そのインド系スチワデスはとっても優しくて、私がデカプリオ似ということを察して、「食事、いらないよね」と優しいねぎらいの言葉をかけてくれるのであった。私の機内での重要な仕事は日本に着くまで、離陸から着陸まで従順に眠るのみということが分かってくれていた良き理解者良きサマリア人なのであった。 明後日からは、もっとフライト時間の短い釜山なので、多分、朝っても機内では飯は食わないであろう。というか、多分1時間のフライトでは飯はないであろうと、計算高く私は予想し、屈伸運動をしながら、1番に機内から出て行く所存なのである。(「軽犯罪法」 昭和23年5月1日 参照4)及び(「国民の祝日に関する法律」 明治23年7月20日 参照5) 参照1第1条 (基本原則) 月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、すべての国の利益のために、その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり、全人類に認められる活動分野である。 月その他の天体を含む宇宙空間は、すべての国がいかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ、国際法に従つて、自由に探査し及び利用ができるものとし、また、天体のすべての地域への立入りは、自由である。 (略)第2条 (領有の禁止) 月その他の天体を含む宇宙空間は、主権の主張、使用若しくは占拠又はその他のいかなる手段によつても国家による取得の対象とはならない。参照2第13条 われらは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつこの行動における同政府の誠意について適当かつ充分な保障を提供することを同政府に対し要求する。これ以外の日本国の選択には、迅速かつ完全な壊滅があるだけである。第6条 無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは、平和、安全及に正義の新秩序が生じえないことを主張することによって、日本国国民を欺瞞し、これによって世界征服をしようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久に除去されなければならない。参照3 第9条の1 締約国は、月面上に有人及び無人の基地を設置することができる。基地を設置する 締約国は、その基地に必要な地域に限って使用するものとし、国際連合事務総長に対し、直ちに、基地の場所及び目的を通報するものとする。 (略)参照4第1条 第4号 生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついた者同条 第20号 公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させる仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者同条 第23号 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣室、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者同条 第28号 他人の進路に立ちふさがつて、若しくはその身辺に群がつて立ち退こうとせず、又は不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとった者参照5 こどもの日 5月5日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。参照6 公職選挙法施行令第129条 (実費弁償及び報酬の額の基準等) 法第197条の2第1項に規定する実費弁償及び報酬の額に ついての政令で定める基準は、次の各号に定めるところによ る。 第1号 選挙運動に従事する者一人に対し支給することができる実費弁償の額の基準次に掲げる区分に応じ、それぞれに定める額 イ~ロ (略) ニ 宿泊料(食事料2食分を含む。) 一夜につき12,000円 ホ 弁当料 1食につき1,000円、1日につき3,000円 ヘ 茶菓子料 1日につき500円よく伸びろポリタソ系、ぴつたりフイツ。
2006.10.18
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空港、それは、どこの国でもない施設からどこの国でもない施設への出入り口である。アメリカでは、渡航者は犯人扱いで、指紋に顔写真を撮られた。凶悪犯罪や、犯罪の低年齢化、それはマスコミのせいである。儲かっているのは防犯カメラなどのセキュリティ関連ばかりである。最近はどこでも防犯カメラだらけである。しかし、むしろ、1980年代あたりの安心な時代よりも、安全になっている。1984年の殺人事件は1000人であるが、今は600人である。ちなみに自殺は3万人を超えている。殺されないように守るより、自分自身を守れっていうの。若年層の犯罪も、減っているのである。青少年の犯罪が最も多かったのは、当り前であるが、戦後10年である。青少年の犯罪はマスコミにクローズアップされるため、危険なイメージを煽っている。報道は急増しているが、昔から、子が親を殺したりする事件はあったが、報道されてこなかっただけである。そして、警察の統計カウントが変わってから犯罪が増えたようにみえる。2000年以降、被害届けをカウントするようになって数字が伸びたし、カツアゲを恐喝から強盗のカテゴリーに変更、ひったくりを窃盗から、少しでも怪我をしようものなら強盗致傷に変更され、強盗が莫大に増え、治安がわるくなったと騒いでいるのだが、そこに悪意がある。恐怖を煽り、恐怖を蔓延させている。景気の悪さで、人々のストレスがたまり、切れやすくなり、暴力事件が増えたというが、これまで統計に加えなかった些細な事件もカウントするようになったのであり、生死に関わる暴力事件はちっとも増えていないのである。最近は安全になりましたよ、って報道はマスコミにとって儲け口にならないのであろうか。ハンザイエンターテイメントである。安全安心市場の売上はここ5年で4割増であり、警備業者も3割の売上増である。漠然とした恐怖、それが、売上の基本である。 ジグザグに歩いたり、街をぶらぶらしたりするのも、エレベーターのなかで不必要な動きをするのも、監視される時代になりつつあり、国の中で監禁されるようになるのである。 空港の話戻るのだが、そのアメリカでは、電磁波によるボディチェックスキャナーが開発され、導入されているのである。立体的に3Dで立体的に透視するのであるが、あまりのリアルさに急所にイチジクの葉を入れることも検討されあっという。あとは、荷物の中の物体の密度を測定して、バクダンかどうか判別する機械もあるのである。アメリカは自分で内側から壁を作って、敵を作っているのだなあ。 ちっと論点のすり替えになるが、そんなことするなら、利益を確保するため特許やなんやいわずに、エイズ薬をアフリカに開放したらどうなんだろう。もう死ぬのだったら、自爆テロやるよという人間がでてきても仕方ない。恨まれるようなことをしないことが安全の第一歩なのにである。なむさん・・・
2006.10.16
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恥肉絨毯、泥濘の海、電気クラゲ、痴肉、痴門、陰肉、泉の緑、桃源郷、桜貝、舌肉、小豆、薄紅色の小球、桜貝、舌肉、小豆、薄紅色の小球、Y字の中心、中膨れ徳利、割れた果実、葡萄色のむたつき、弁天さま、肉苑、大福、岩牡蠣、淫花、ウニの割れ弾け、うるみの壷、湿ったなめし皮、満開の蘭、あけび口、百合の芽、メインスイッチ、薔薇の蕾、珊瑚球、三角のピンクの突起、真紅の躑躅、ターボスイッチ、熱い滑り、熔岩、イソギンチャック、ウツボ、神秘の突起、松明の火、ハマグリの裂き身、肉体のベル、弾け豆、肉のつまみ、吸い肉、濡れ甘納豆、雛先、半透明の実、ピンクのコア、宝石の雫、宝珠、帆立貝、斑豆、マシュマロ、雌しべ、めのう色のしこり、妖虫、ラブボタン、暗黒色の蝶、二重花層の沼、破廉恥肉片、雛鳥、生き造りのアワビ、淫層、熟れたマンゴー、軟体動物の口、ニギニギ、最深部、猫の舌、錬り壷、花びら、陽炎の羽、花肉の片鱗、カルデラ湖、黒薔薇花弁、渓谷、肥えた山脈、焦げたスキヤキの脂肉、ザクロの実、淑女たぎり沼、湿地帯に咲く虫媒花、濡れ羽、H字型のピンクの窪み、下のお口、食虫花、神殿の扉、白い肉の屏風、スイートポテト、ムール貝、スリット、甘美なひだ肉、陥没孔、紅い洞、朱い窓、痴情に水飴、ヒダヒダ、ビラビラ、恥裂、中華肉まん、鶏のトサカ、ハルジ、娯楽室、みみず、生焼けローストビーフ、焼きすぎローストビーフ、ラグビーボール、柔らかい貝の刺身、赤い虚ろ、肉紐、肉ゼリー、肉マント、肉の重なり、肉の堤、肌色のゴム鞠、花のふくらみ、蛭、可憐な扉、千匹の小さな虫、底なし沼、膨らみ、深い祠、芙蓉の花、ブヨブヨ軟肉、明太子、桃色肉、快楽の裂け目、熱い鍾乳洞、うねくる蛸、生まれた場所、うるみ肉、餌食らう鯉、奥の院、宮殿への通路、女の迷宮、坩堝、快美スポット、果実の入口、吸引口、源泉、触覚、19番ホール、女芯、神秘ホール、好き蟲、ゼリー粘膜、全宇宙と響きあう孔、谷底のすぼまり、ナマコ輪切り、爆裂口、複雑な暗渠・・・・ちょっと変な気持ちになってきたかなーみんなー。あっ、じぇんじぇん。
2006.10.16
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ここで飯を食う。ひっきりなしに客が来て、十全排骨を啜り貪り食う。 インド料理屋台 郵便 台北空港は1、2ターミナル、つながっているが、誰も移動しない。
2006.10.14
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蛙の唄が聞こえて来るよ~。ゲロゲロクワクワクワッ。毒々しいじゅうすは、舌の色が変わって楽しいな~ 台北ウォーカーにも載ったから、多分、自慢の屋台だよ~ テバテバテバ、チガチガチガ~ 日本式大阪焼のベタベタたこ焼きで勝負だよ~ さあ、もう一度、蛙の唄が聞こえて来るよ~。ゲロゲロクワクワクワッ。 海の酒のつまみ干物ぶっちぎり~。スルメ1枚70円~。 だんごだんごだんご~3兄弟~(古っ) 兄ちゃん、若いのに~、包丁さばきばっちぐ~ 瓶釣ってうれしおいしたのし~ 唄憶えた?
2006.10.14
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私の場合はですね、ちょっと、夕飯を食いにカジュアルレストランに入ったのですよ、まあ、一般的にいうと、子供向けイタリアンレストランというか、スパゲティ屋さんですね。 隣の席には、40過ぎのおっさんと、20代後半の女性で、どうも今日会ったばかりのようで、どうも、男性だけがハイテンションで、女性もまんざら拒否反応している訳でもなく、ちょとだけ困ったという感じの程度であった。おっさんは、加齢臭を撒き散らしながら座っているので、隣に座っている私のスパゲティも激マズになってしまい、大変不愉快な気分になったのでしたね。 少しの会話が漏れてくる中で、ミクシイのオフカイの二人だけの2次会ということが知れた。一瞬彼の名前は高岡と思ったが、「男現れバイブで朝河蘭ちゃんのお○んこをトロトロに…そしてスーツでスカートもエッチな染」さんとか、「ちょっとした工夫で売上が10倍になりました。確定成果2万ポイントに届きそうです。」さんとか、「こらオマエ、その浅ましくて自己主張の強い長たらしいハンドルネーム、どうにかしろ」さんではなかったことは確かでありまする。 しかし、変なハンドルネームがポンポンでてきて、その人物達を評価しているのを聞いていると、いやはや笑ってしまうのである。 かの、チェコの国民的作家、クンデラ(「存在の耐えられない軽さ」など)は、悪魔の笑いとは、物事が秩序を失い、不条理になると引き起こされ、恐るべき感染力を持つもの、しかし、同時に厳しい真面目さがない分、人々をほっとさせるものであり、天使の笑いとは、整除され、懸命に構想され、善良な意味で満ち満ちている喜びであるが、半面、その堅苦しさゆえ、どこかひきつっているという。 まあ、そんなことはどうでもいいや、ということです。オオ、それよりか、ドリームドリンク。 タピオカ入りミルココーヒー70円。 ミルクコーヒーの後はビール飲む。朝まで飲む。 バリスタコーヒー。シアトルコーヒーに似る。
2006.10.13
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ボクと仲良くしてねニセディズニーです。吉野屋時給90元(300円)夜中の奇異屋でおもちゃなどを販売寿司ポン?ホウ。ありますか・・・怪怪専売 (見えにくいですが、合法販売)2階は国際髪型。蓋酷家族と過激な名前にウサギちゃん 夜市の雑踏にて・・・鼻ほじる。 三兄弟が英訳するとSUN BROTHER恵比寿茶、エビスティー、ABCtea、何故? 恵2006年台北紀行バンコク行失敗千葉一拍台北行台北変な看板台北→セントレア→電車
2006.10.12
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セイントレア、中部国際放浪空港である。中部地方の大富豪放浪の達人さんの所有地でもある。急いで親善訪問のカチコミに行かねばと思ったが、自家用ジェットはあっても、自家用クルーザーは安すぎて所有してなかったので、定刻にしか出ないクルーザーに乗ったのであった。てっきり岡崎市あたりに向かうと思っていたが、安城市どころか、伊勢湾を横断するのであった。 四日市市のコンビナートが見える。四日市市といえば、全国のほとんどの人々が知っているのではないだろうか。残念ながら、それは日本三大公害病の町として教科書で習ったものである。四日市ぜんそくの発生地として全国的にその悪名を轟かせてしまったが、それ以外のことは知らない。津、ですから。なぎさ、ですから。発音上世界一短いとされる「つ」という名は、地元では「つう」と発音される事が多いですから。旧津市域は人口比で日本一鰻屋が多い町ですから。 ということで、放浪さんとは、ニアミスしたのであった。数十キロ程。あー、びっくりした。あとは、オダギリさんところをニアミスしたら山登りサークル個別ニアミスになるところであたが、美都さんのところもニアミスせねば完結にならないようだ。2006年台北紀行バンコク行失敗千葉一拍台北行台北変な看板台北→セントレア→電車
2006.10.11
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日本男児の意地を見せるため、私は、兎に角、行って、飯食って帰ることのできる場所を選択したのである。勿論、機内で飯を食うことはなく、水を一杯貰って、ワインを1本速攻で開けて、バク睡である。台北空港に到着するやいなや、人々を押しのけ、もう、一番に、飛行機の機内から出て、そのまま、バスに乗り(大富豪が故、その辺はタクシーを使わなかった)、チェックイン後、急いで、背広をジーンズに着替え、5分でまた外に出て、地下鉄に乗り、夜一に向かい、その後、飯も食い、マッサージ(足裏がへたくそで死にそうになる)も行き、夜市が2時頃に終わりそうになると、また違う、繁華街に行き、ビールをしばきながらも、つまみをぱくつき、午前4時に戻り、シャワーを浴び、セブンイレブンで買ってきたビールを再び開け、4時半に眠り、6時前に置き、6時半の空港バスに乗り、バスの中で首が直角になる程熟睡し、飛行機も爆睡5分で凱旋帰国したのであった。機内では、確か水を1杯飲んだ気がする。檳榔(台湾式かみタバコ)・・口の中で噛むと覚せい作用があるため18歳未満には販売禁止となっているが、煙草屋に売っている。売られている檳榔というのは、檳榔樹(ビンロウジ)の果実を加工したもので、檳榔樹の果実をキンマの葉で包むものとか檳榔樹の果実を切ってその中にキンマの果実を入れるものとか、添加物として石灰とか色素が入っている。まあ、インドのパンと同じである。檳榔をかむことは喫煙と似ていて、習慣性や常用性が高いそうだが、パンと同じで、兎に角マズイ。癖になるまでは相当の覚悟と時間がかかると思われる。檳榔の中に入っている物質が副交感神経を興奮させる作用があり、陶酔効果があって、飲酒みたいな感じになるというが、じぇんじぇん駄目であった。このビンロウ屋であるが、何故だか、近年、これを売る為に、セクシー姉ちゃんが売ってたりなんかして、それを見て交通事故が多発し、そんな服装で売ってはイケマセン、と規制されたりなんかしているよく分からない商品なのである。 それにしても台北の夜は遅い。結局、宿はとったものの、1時間睡眠にて、再び空港に戻るのであった。苦いんだ。もう眠いんだ。2006年台北紀行バンコク行失敗千葉一拍台北行台北変な看板台北→セントレア→電車
2006.10.10
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翌朝、コンベンションもイクシビションもなく、眠い目を擦りながら、早朝からせっかくなのでとうろうろしてから、再度、バンコク行にチャレンジすべく、成田空港に向かう律儀でヤケクソな私なのであったが、大富豪が故のもったいない病がまたそぞろ出てきたわけで、成田で途中下車し、成田山観光し、お祈りをするのであった。今年も来年も、死んでからもいいことがありますように。 成田駅からの門前町は15分程続き、やたら鰻屋が見られる。割と歴史もあるような感じである。 空港に近いからか、外国人参拝者も多々見受けられるのであった。 敷地は、案外広く、結構、疲れるのである。それに、皺がいっては困るので、昨日のまま、着たきりスズメの背広のままである。 ふと、きがつけば、大変ヤバイ時間になっていた。これは、昨日に続き、またもややばい状態ではないかと思いながら、急いで、成田駅までダッシュ、空港までの切符を購入。しかし、JRの成田空港行は、普通電車は、恐るべし、1時間に1本しかなく、それも1分前に出たばかりであった。急いで、京成線成田駅に向かう。飛行機のマークのみを確認して、何の疑いもなく、出発を待っている電車に乗り込んだのであった。そして、電車が出発した瞬間、オヤ、何だか、逆方向に向かっているような気がするのだ、と思ったときには、当然、電車が出発していたのであり、よーく車内放送を聴いてみると、羽田空港行であった。 しまった!と後悔しても、遅く、次の駅で電車を降りるが、また20分電車がなく、それも成田行きであり、空港には乗換えが必要ということであった。 バンコクへの飛行機が飛び立つ頃、またしても、私は、成田空港駅を降りた所であった。昨日男泣きの全泣きをした私は、今日は、メソメソ泣きの半泣きどころか、慟哭の嵐である。アイゴー! どうする、アイフル、アタシ、絶体絶命のピンチ。・・・続く・・・次号を待て(誰も待ってない)という訳で、飛べ!といいながら、飛行機だけが私をおいて飛んでいったのである。もう自家用ジェットで追いかける気もない。2006年台北紀行バンコク行失敗千葉一拍台北行台北変な看板台北→セントレア→電車
2006.10.09
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2006年10月7日、私は、びしっと、背広で決め、仕事に出かけたのであるが、仕事は、早々に終わる筈であったが、何となく、それは、長引き、ぼやぼやしながらも、速攻ダッシュで伊丹空港に向かう。 そうして、飛行機が羽田に着き、余裕をかました私は、大富豪がゆえ、時は金なりを実践すべく、少し、調べたところ、2時間に1本だけ成田空港を終点とした1本でいける電車があるではないか。仕事の長引きに加え、私のミスはここでも発覚した。成田空港に行ったこと何十回という実績により、きっと、成田には1時間少々で行けるものだと、何故だか思いこんでしまい、切符を買う。 しかし、しかしなのである。かかった時間はオーバー2時間だったのである。嗚呼、万国よ、嗚呼愛しの万国よ。成田に到着した頃、私は、バンコク行きの飛行機をデッキで見送ることになったのであった。 私は、落胆した気持ちをおくびにもださず、ふと、不幸な中で、頭に閃光が走ったのである。時刻は17時10分。トロント発のカナダ航空が、遅れてきて、16時30分に成田に到着して、ただ今通関中と表示が出ていたのを、落ち込みの中で、発見したのである。日記によると、カナダより、自殺サイトによるオフ会のために、日本に来る、楽天仲間の郡山ハルジが乗っている可能性があると踏んだ私は、出口で待ちうけた。何人か、エアカナダに乗っているとおぼしき人々が出てくる。しかし、到着から既に40分がたっており、ハルジ氏は既に出て行っている可能性もあると思いつつ、彼の濃い顔を思い出しつつも、ソレらしい、人に着いて行き、2回人間違いをしたのであった。 後姿が似ている男の後ろをニヤニヤしながら、私はついていくと2回も目があったが、やたら不審な顔をされ、これは郡山さんではないと判明。結局彼の存在は判明せず、成田空港でビールを飲み、飯を食い、バンコク在住の竹亭さんへのお土産を勝手に買ったりしていたのであるが、このままでは、引き下がれぬということで、うだうだしていると、何故か、成田周辺のどのホテルも満室で、100円10分インターネットの加算はどんどんされていくのであった。おまけについでにみたハルジ日記によると、既に、秋葉原のネットカフェで仙台行きのバス待ちをしていることも判明。やっぱり、今日着ていたのである事を、確認しつつ、やっと取れたホテルが遠く幕張メッセであった。仕方なく、幕張メッセに夜な夜な向かうホテル難民であった。さすがに30代にして空港睡眠部隊には所属できないやわな体になったものだよのお、といいながら、成田駅、千葉駅、蘇我駅で3度も乗り換え、そのたびに15分~30分という乗り継ぎの悪さに泣かされ、国際フォーラムもイクシビションも何もないのに、ガラーンとした人工的な幕張駅に佇む夜中の荒野の青年なのであった。 今頃、機内の人であるはずの私が、何故、成田駅をウロウロする浮浪者なのか。千葉スタジアム。ロッテの本拠地らしい。幕張メッセ2006年台北紀行バンコク行失敗千葉一拍台北行台北変な看板台北→セントレア→電車
2006.10.08
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考えれば、最近タイに行ったのは随分前の話であり、盆休みを利用して、私はインドからの帰り、後輩Sは日本からトレッキングに行くということで、バンコクで待ち合わせしたということがあった。1日(半日)ダボのみしようということであったが、Sは、私の奴隷らしく、従順かつ質素、暇、友愛、朴訥、明朗会計なので、何故か、空港まで迎えに来てくれていたのである。私も、急いで、外に出たかったので、荷物は機内持ち込みにして、インド人にやたら銃所持検査をされるという嫌な思いもしながらも、危機を乗り越え、バンコクに。滞在時間はほんの9時間ぐらいしかなく、すかさず、Sは、ホテルも既に手配しております、と、下僕ブリを発揮していたのであった。 急いで、二人でタクシーに乗ると、いきなりしばらくしてパンクしたのであった。他のタクシーに乗り換えようとすると、待て待て待ってー攻撃で、結局高速道路の脇に1時間路傍の人々となったのであった。こんなことでいいのであろうか。ホテルにチェックインし、ちょっとSの部屋に行くと、背広を脱ぎ捨てていて、会社のカバンがあったりして、会社帰りなのが丸分かり状態で、悲しいことであった。 ここは、人生の先輩(3ヶ月ほど。しかし、彼は1浪なので学年は2つ下)として、大いに、ホテルの隣にある歓楽街でビールを驕ってやることにした。そんな訳で、屋台や、ネオンチカチカや、肩凝りも酷くなってきたので、そしてタイの空気が懐かしくなったので今からタイに行くぞ!というのは嘘である。代わりに、明日行くのである。 でも大富豪なので、先立つものがないので、大阪市に金を借りていくことにすることも検討中である。
2006.10.07
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また居酒屋に行った。そんでもってハルカとピロコも行っている。アジアの風が吹くといっても、周りを見渡して、蟹の殻があるのをみて、「カニ」と注文し、ナベの蓋を開けるのを見て、「おでん」を頼む。焼き鳥を仕込むのを見て、焼き鳥と頼み、まだ若いにいちゃんは1人ぶっきらぼうに対応する。「関東炊き?ああ、うちは卵ないからね」「タバコ?ああ、うちは灰皿ないからね」「焼き鳥?ああ、コレ食べるの?」そして、ビール三杯つづで、凛々しい青少年2人で4000円。勘定は、ドデカイそろばんで、適当にパチパチやっておる。それが、白雪温酒蔵、まあ、適当にやってくれ。 そんな訳でもなく、私は、マレー半島より、マレーシアのボルネオ島側の方が、長く滞在したという金の字塔の記録を打ち立てているのではあるが、初めてのマレーシアは酷いものだった。何せ、タイの南部のハジャイからシンガポール行のバスに乗ったが故に、マレーシアは通過だけであり、パスポートにも、見事に、「トランジットトゥシンガポー」なんかのハンコを押されたのである。何が惨めかと言えば、端的に言うと、凡そ24時間のバスの旅であり、おおよそ、両替もしないままに、直進である。そんな訳で、マレーシア国内において休憩しようとも、飯が食えないという優位な立場に置かれるのである。簡素に言えば、腹が減るのである。腹が減っては、元々、戦もするつもりもないが、シンガポールだって、通過点で、トランジットトゥインドネシアなのである。まあ、そういう事情は、運転手にも結構分かってもらえずに、バスの同乗者のおごりで、大抵飯を食い続けてきた当り屋ならぬタカリヤであった私も、このバスでは不親切な方々ばかりで、一向に腹が減りつづけるのであった。 とても、自動販売機のジュースがおいしそうに見えた、ゴムの木の道沿いを走る艶美な季節であった。そんな訳で、飲むのもやめて今からマレーシアに行くぞ!というのは嘘である。代わりにユニバーサルスタジオに行く、というのも勿論、嘘である。
2006.10.06
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そばが好きである。 昼飯でナシゴレンを食った。インドネシアでの食事の8割は、ナシゴレンであった。ジャカルタの街はだだっぴろい。今は知らないが、土の臭いのする大都市だ。なかなかジャカルタで長期滞在している旅行者はいないようだ。安宿はジャクサ通りに集まっている。パソコンが動く速度が遅い。駄目だ。そんな訳で、パソコンやめて今からインドネシアに行くぞ!というのは嘘である。代わりに男性専科に行く、というのも嘘である。
2006.10.05
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というわけで、私の純朴な心の奥底に暗黒の誘惑、アジアの風が吹き荒れ始めているのである。勿論、外見からは、そんな風には一向に見えないのだが、その事実は歴史が語ることになるだろう。残念ながら、私の第2の故郷を標榜していたフィリピンにはもう長い間行っていないのであるが、一部報道によると、あれから、えらく英語力が落ちているそうである。マルコス政権が倒れ、アキノ政権が出来、ナショナリズムの風が吹き、大統領自ら「バイピリピノ(フィリピン製品を買おう)」などと、コマーシャルでやってたのが懐かしい。まだ当時、フィリピンのテレビでは、英語番組がほとんどで、授業も、国語の授業以外は英語でなされていた。国語の授業は一番大きい島であるルソン島の言葉タガログ語であったので、他の島の人々は、家と学校と、国語の時間の言葉が違うトリリンガルな生活を送っていたのであった。やっぱり、フィリピンでうまれt赤らにはタガログや自分の島の言葉を、と思うのは当然であるが、半面、悲しいかな英語の需要は増えていくのであった。フィリピンは結構、気軽に外国に働きに行く国民性があり、特に看護婦なんかは、高給を求めて国を出るので、国内の慢性的な看護婦不足に悩んでいるくらいである。そんな訳で、今からフィリピンに行くぞ!というのは嘘である。島国は島国でも、小豆島である。24の瞳である、みんな両目を持っていたので偶数である。
2006.10.04
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大富豪でありながらも、清純派でありながらも、私の場合、といわず、人類の一部を担っている限り、うんこの話が好きである。勿論、淑女や美女を含むあらゆる女性の前や、ブログを含む日記の前では、うんこ対談を赤裸々に語ることはない。それが、紳士道とでもいうべきであろう。 それにしても、周知の如く、現代社会において、不必要なほど、うんこが嫌われているのである。先ほどまで、自分自身であったのに、分身になった瞬間から忌み嫌われるのである。その凛々しいお姿や、麗しい臭いをできるだけ見ないよう匂わないよう心掛けるのである。自分の臭いを消す、ということは、存在そのものを消し、透明人間になりたいとでもいうべきなのであろうか。 うんこは、周知の事実として、はっきりいって、臭い。勿論、臭いのは自然の摂理として意味がある。うんこは、うんこなりに生き続けなければならない宿命にあり、その臭さにおいて、人々を遠ざけ、はやく無機物に分解し、自然に帰してくれるよう、ハエや昆虫を呼び寄せるためにあるのである。クソ蝿はクソがほんとうに好きなのである。すかトロとかいうが、あの臭いの名前こそスカトールという成分なのである。蝿が、ばい菌を運び、地上のうんこを自然に変え、新しい生命を再び生んでいくのである。美しいサイクルなのである。だいたい、うんこは、前日の消化出来なかった食物や、水、塩、腸の細胞、腸内細胞にその屍骸ちゅうわけであり、宿便という言葉は医学的にはないが、便は腸にひっつくのではなく、腸の細胞ごと(壁ごと)離れていくという訳である。それにしても、化学的に話を進めると、ちっとも臭わなくて、話も全然面白くないのである。それにしても、学校でうんこをした子をいじめてはいけないのである。それは便秘の原因になってしまうのである。そういいつつも、私も小学校中学校は一度たりとも学校でうんこをしたことがない。ただし、高校のある時期は毎日学校でうんこをしていたのである。やっぱり、そうはいっても、やはりちびったりした話が面白いのである。
2006.10.03
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完璧な歓び、官能の幸福、生の勝利、荒々しい自然の力、情熱、依存と狂気の源、時折、結婚の推進力、時には離婚の原動力、種の保存を超えた悠久の昔からあるもの、ソレを提供する世界最古の職業、強固な絆、孤独と絶望・・・時に、殺人・・・・オルガスムス、そんなところでよいでしょうか。 ケネディ大統領のダラスの暗殺については、いろいろ説もあり、いろいろ読んだが、面白い記事をみた。ケネディはホワイトハウスでのお盛んな情事のため肉離れを起こし、コルセットをつけるはめになった。そしてダラスの行進中、一発目の凶弾の際に、コルセットが邪魔をして、身をかがめることができず、二発目の致命的な凶弾を避けることになったというのである。確かに、そううい目で見ると、パレードに映るケネディの姿は、やけに背筋がピーンと張っているようにも見える。下が歴史を動かすという一部を垣間見たような気がした次第である。 「カオサンロード北のバーンランプーのスーパーでタイジャスミンティーあるだけ買って来て下さい。緑色のパッケージです。」と、狼の達人さんに言われたので、早速検討することにしたが、バーンランプー市場がどのへんか、よく分かっていないので困っている。(まあ、北側なんですぐ分かるか。なにせ、今はなき、ニューワールドデパート世代なもので。あそこの5階の男子トイレは、モーホーの巣窟で、トイレの中ではお盛んなしごき愛が催されていたなあ。とにかく、クーデタの指導を依頼され、どうしようか迷っている次第である。 昨日は、カレーでなく、下町であるのに、大賑わい(席数が少ないから)、手打ちそばやにいったのであるが、おろしそばが、1800円であるにもかかわらず、デート客以外にも、地元のおじいちゃん、おばあちゃんがぷらりと、1人でやってきて、食べて帰っていくのが、何だか不思議であった。昼飯に1人で、それだけかけることと、ほんの買い物帰りというミスマッチが何故か不思議で、流石に食い倒れの街オオサカなのだなと感心した次第であった。
2006.10.02
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地球温暖化とはいうが、人生初の不覚なことをした。地球が急速に冷えていっている。帰宅すると、冷蔵庫が空いていた。今朝水を飲んで、閉まったペットボトルを綺麗に仕舞えずに、冷蔵庫が空いてしまったのである。 私は、勿論、ペットボトルは、もう何十回も浄水器の水を入れ換えているエコロジストなのだが、こんなところで、地球を冷やしてしまった。秋じゃない。代わりに、冷蔵庫に入っていたビールや水は温かくなっていたし、賞味期限切れの食品は更に賞味期限切れになってしまっていたのである。約1日も。 玄関に置手紙が入っていた。しかしながら、猫が行方不明になったといっても、しっかり閉まっているトランクには入らないような気がするのだが、違うのだろうか。マジシャンの猫なのだろうか。ウンコだろうか。猫は、実際、隠れてウンコをする。それをネコババという。
2006.10.01
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