全35件 (35件中 1-35件目)
1
公言してはばからないのであるが、私の仕事は歴史を知ることである。自分探しの旅という甘く感傷的で充分満腹な胃袋に反比例し、空っぽのマインドを挽きずりながら歩き続けるのボレロなのである。 寒いのである。空は晴れているのに、雨が降り、堤防沿いは寒くて仕方ないのである。背広のズボンは遠慮なく濡れていくのである。淀川堤防上であります。昭和20年の大阪大空襲で、市内いたるところに身元不明の遺体が多数放置されていたのです。それらの遺体は、市民奉仕で城北公園裏の淀川の堤に集められ、千数百体の遺体が荼毘に付されました。「黒煙天に柱し、三日三晩に及ぶ」といわれて、その冥福を祈って区民の方が庭石に「千人つか」と刻んで安置されたのでありました。そんな訳で私も手を合わせるのです。づか、でないところが味噌です。淀川沿いには、わんどがある。寒いのである。もう2,3日で4月というのに、傘を持つ手がかじかむのである。堤防沿いには、天台宗の赤川寺(別名 大金剛寺)というお寺があったらしい。せきせんじというらしいが、今ココの地名は、あかがわである。いつのころからか廃寺になってしまい、伽羅の正確な位置がわからなくなってしまった。しかしお寺の僧であった覚賢が写した大般若経が残っているらしいのだが、おそらくは、今は、川の下にあるのであろう。隣にある石碑には、こう記されてある。昔京と大坂の交通の要は淀川であった。そのため、古くからさかんに開発が行われ近辺に荘園などが沢山あった。しかし、淀川の氾濫による洪水に常に悩まされる土地でもあり、その難をしずめ、荘園経営がうまくいくようにと、お寺や神社が建立された。この赤川の地にも「赤川寺」というお寺があった。が、いつの頃か廃寺となった。この寺で1225~30年に写した大般若経が残っているという。また赤川周辺の川底からは、鎌倉~室町時代の土器や瓦などが採集されている。まあ、そんな感じである。 これは、オーパーツなのか。戦慄が体を走る。コスタリカから運ばれてきたのか。 樹齢約800年の大楠。この天然記念物大楠(宝龍寺内)は大阪城築城のとき天守閣の棟があがらず困っていたところ、豊臣秀吉の夢枕に大きな白蛇が現れ「城北の大楠の主である」と告げて消えてしまい、調べさせてみると、見たこともない大楠があるという報告に「さては神のたたりだったか」と鬼門除けの祈とうを行い"楠玉大王"をまつる「楠玉殿」を建てたのことである。これにより、天守閣の棟が無事にあがったと伝えられている。そんな小話は世界中に転がっている訳だわなあ。東淀川区豊里と旭区太子橋を結ぶ渡船の碑で、昭和45年の豊里大橋開通にともない、渡船場はなくなった。淀川最後の架け橋であったようである。こういった石碑は淀川沿いにクサルッほどあるのである。 まあそういう歴史があるのである。 私は、残念も危険ながらも大阪工業大学出身ではないのだが、正門中央公会堂をモチーフにした赤煉瓦造りの「片岡メモリアルゲート」(正門)が結構目立つ。こんな所にあったとはシラナンダ。もう数年前のことなので、時代は変わったのかも知れないが、私は高校生では理系であり、関西の私学の理系というと、いわゆる感官同率という関西大学関西学院大学同志社大学立命館大学というのがあって、そのほかに甲南大学があって、次の理系のある大学と言うのが、これがなかなかないのであった。大阪工業大学(いわゆるだいこう)か摂南大学しか思いつかなかったのである。と言うわけで、私のクラスでは、40人中、関西の私学の理系を受験するのが、いきおい書き記した大学しかなかったのであった。結局、40人中、私だけが現役で大学に行き、あとは、浪人したのである。という私はオマケで受けた文系しか通らなかったので、理系大学は我が愛すべきクラスは全滅したのであった。 そういえば浪人して何人か大阪工業大学行ったよなあ、と感慨に耽りながらも、学内のトイレに行ったのであった。
2006.03.31
コメント(6)
いっそ・・・例文:こんなに苦労するならいっそ死ぬかおそるおそる・・・例文: おそるおそる大人の生活をのぞく 動物園(他五)・・・生態を公衆に見せ、かたわら保護を加える為と称し、捕らえてきた多くの鳥獣魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする人間中心の施設しからば・・・例文:恋の本質は決して性欲ではない。 このことだけは私は確信している。しからば恋の本質とは何であろうか。手加減・・・例文: 女学校は。初めてなので手加減が分からない。合わせて・・・例文:支払いは先月分 と合わせて三千円になる。足りる・・・例文:五千円あれば一週間何とか足りる。つぎつぎ・・・苦労して建てたマイホームがつぎつぎとシロアリに食われている。犀・・・熱帯地方に住む哺乳動物。鼻の・・(中略)・・・。 角は漢方薬。虎・・・アジア特産の猛獣。背中・・(中略)・・・。 皮は敷皮用。あざとい・・・例文:あざとい おんなの恨み。浅知恵・・・例文: 女の浅知恵。ヒステリー・・・わすかなことでもすぐに感情を大袈裟に表す精神の状態。欲求不満の女性に多い。おんな・・・2、一人前に成熟した女性。 優しい心根や優柔不断や決断力の乏しさが絡まり存ずる一方で、粘り強い包容力を持つ。勃起・・・急に力強く起つこと。狭義では合体を思い、陰茎がのびて堅くなることを指す。陰茎・・・男性の生殖器の一部で さおのように伸びたりする部分。ちょかい・・・2、おせっかい。軽い気持ちで女性に手を出す。ぬらぬら・・・例文:先刻、小屋に入って世話をしましたので、ぬらぬらした馬の鼻息が体中にかかって気味が悪うござんす。 腐れ・・・(例文:腐れ金、腐れ儒者、腐れ女即ち・・・例文:玄関脇で草をむしっていたのがすなわち西郷隆盛であった。意外・・・例文:鈴木の死は彼にとってそんなに意外な報告でもなく、そんなに悲しい事実でもない。 むっちり・・・例文:イナゴは軽快で、香ばしく肉にむっちりしたところもあっていいおやつになるのであった。家出・・・帰らないつもりで自分の家をそっと出て、どこかへ行ってしまうこと。火炎瓶・・・数え方1本 国賊・・・体制に対する叛乱を企てたり国家の大方針と反対したりするいけない奴。性交・・・成熟した男女が時を置いて合体する本能的行為。 あわび粥
2006.03.30
コメント(14)
私は、結構、没個性である。朝、コートをひっかけ、外に出ると、半分程度の人々がコートを身に着けていなかった。いつもの冬のはじまりもそうである。皆がコートを着始めた跡で、やっとコートの季節かと思い、私も着るのである。今年も、皆がコートを着なくなる頃、やっと、コートを私も脱ぐのであろう。 電車に乗ると、他人が読む新聞にアサハラ公判のニュースが出てるのを目撃した。もう11年である。その頃、私も東京の錦糸町に長期出張していたのである。震災で、神戸から大阪に通うのが困難なため、会社が気を遣って、いっそのこと、東京に長期出張に出してくれていたのである。下手すると、地震とオウムのダブルに遭遇するところであった。 ふと、車内で、ある噂を思い出した。科学技術庁のムライヒデオが殺害されたことを。大阪大学理学部卒のIQ200であった彼は、自分は、誰よりも頭がいいと自惚れていたのであろう。だから、多少、好き放題、無用心に話しても、誰もとがめないさ、とおごり高ぶっていたのではないか。口封じで刺殺されたことは間違いないが、いったい誰が殺したのか。 当時、ハヤカワは北朝鮮に十何回も訪問していた。勿論、遊びにいっていたのではない。そこで、彼は、おそらく北朝鮮名物のシャブとニセサツを大量に仕入れていたと噂されている。代わりに何を売ったのか。当時、オウムの末端信者やシンパは、原子力施設に作業員やバイト、研究者として多く紛れていたことは知られている。この情報を北朝鮮に売り渡していたのではないかと噂されている。シャブは自分たちだけでは裁けないので893にトン単位でおろしていたと噂されている。 ギリギリまで追い詰められたオウムの幹部、ジョーユーやハヤカワは身の危険を感じ、刑務所に逃げ込んだと噂される。ムライだけは、警察に捕まれば、何でもペラペラ喋るであろうと思われた。だから、アサハラ、893、北朝鮮のいづれかから殺されたのであろうと噂される。アサハラボスは捕まった。結局得したのは、ションベン刑で済んだジョーユーであろう。多分、警察と裏取引したのであろう。もしかしたら、スパイになっているのかも知れない。 なんてことを思い出した、気分の悪い朝であった。倒壊屋根!妄想、アルマゲ丼。
2006.03.29
コメント(8)
じっとストリーム、 じっとストリーム、 じっとストリーム、 じっとストリーム、 じっとストリーム、 じっとストリーム、 でも、じっとストリーム、 じっとストリーム~ 空から実家を見る。小さな一戸建てから、太陽の没することなき大帝国を作る息子が生まれるとは、誰が想像しただろうか。息子は、大いなる夢想家にすくすくと育った。 先日、朝の駅前を通ると、共産党系議員が演説をしていた。「皆様の税金(市税ではないが地方税交付金)を無駄にしている神戸空港を見てください。東京便以外の乗車率は4割です。こんな悪政を許していいのでしょうか」と叫んでいた。 伊丹空港はまだしも、関空と神戸空港はどちらも海上空港で距離は約22キロ、離発着航路は変わらない。変わるのは高度である。高度差は300メートルしかないのである。この差を双方200便からうろうろ亡霊のように飛行機が行き来するのである。 飛行機が、風で煽られて上下すると、緊急回避システムが自動的に発令されて、このくらいの距離ならすぐ近づいてしまう可能性もあるのだ。 風、といえば、阪神タイガースであるが、六甲山の北からの六甲おろしがある。冬場には西風もきついのである。この二つの風が、ほんの週に5日ほど吹くのである。 国交省は伊丹と関空に挟まれているために、この空港の着陸は、明石海峡上空を通過し、西側からしか入れないようになっている。着陸誘導装置も西側にしか設置されていないのであるが、風で流されるのである。 こんな空港の工事費は、他に埋め立てた土地を売っていくという。今の所、なんとか、1パーセントも売れているので、先行き悲しい。 開港してから1ヶ月、神戸空港の利用者は11万人、関空と伊丹併せて利用者が11万人減った。 それにしても、下方修正した利用者年間予測は319万人。惜しいな。毎月あと3倍必要だ。 明石大橋下は、先日お知らせしたように、イカナゴ漁で盛んである。まるで戦艦大和に群がるゼロ戦のようである。無駄無駄コーナーはまだ続く。四国と本州は3本の橋によって結ばれている。ほんの4兆5000億円のお荷物である。しかし、この最先端技術も、もう作らないとなれば、宝の持ち腐れとなり、技術者のために次の橋をかけるという本末転倒な自体に陥っていることだ。四国の山々だが、飛行機が飛んでいくのが見えた。凄いスピードで空中を流れるようにすれ違っていった。こちらも飛んでいるので、斜めに流れていくように見えた。すごく素早いアメンボに見えた。山には送電線。学生の頃、山にこもり、送電線をチェックするというバイトがあった。山の道なき道を直登していくのが、凄く厳しいのである。鍛えられたな~。それに比べ、昔の前方後円墳はスごいのう。河内の古墳群。
2006.03.28
コメント(14)
佐世保の中心でいろいろ叫んでもよかとですか。20年近く前に、村上龍の「69」を楽しく読んだ記憶があり、1960年代に10代を過ごせたら、それなりに楽しかったのになあと若干思った記憶がある。いつもあけっぱなしになっていた友達の下宿先にポツンと置かれていた本であったが、下宿人本人がいない中、一気に読んだ。佐世保では、60年代とは違い、最近は日当を貰ってデモに参加するらしく、横須賀や呉ともどもこの種の平和運動も往年の活力を全く失ってしまっている模様である。外国軍隊を引き入れその力を背景にして革命を実現し権力奪取を目論んだ連中にとり、日米安保と自衛隊は目の上のたんこぶであった。60年代の一時期、学生を巻き込み反米運動を盛り上げるのに成功した。だが、90年代にお手本のソ連共産主義が数千万人の命を犠牲にして70年間にわたる壮大な実験の幕を閉じた時、彼等も夢見てきた革命思想を放棄せざるを得なかったのであろう。次は平和憲法擁護という国産の論理を掲げた。我々が武器を捨てれば他国もそれに倣い世界平和が実現する、というのは残念ながら一方的な思い込みに過ぎない。他国にとっては、日本が自ら国防を放棄してくれるのは願ってもないことだ(米軍は金だけ払ってくれればよい)。彼等の幼稚さ加減が急速に国民の支持を失い、軍港での反戦平和運動が生彩を失うようになったのである。兎も角、佐世保の中心でまた愛を叫ばなければならない訳である。1件目、佐世保バーガー。2件目普通のマンションの一角に貸切風呂があった。いいのか、風呂を貸しきりにさせてくれるのか。本当にいいのだな、私は自問自答した。はっきり言って、「クネット」である。我輩の辞書にはない言葉であった。どうやらユニバーサルデザインのようである。握りやすく、昇降が楽、滑りにくい、といった按配であるが、ちょっとクネクネ曲がっているだけという感じもするが、考え、実現させることが素晴らしいのであろう。足腰の弱い人々が「自分自身の力で立つ、座る、上がる、下りる」という人間の最も基本になる動作をそっと支えることが「クネット」開発の基本理念である。丘にのぼり、軍港を一望。<2個目の佐世保バーガーも食う。 1キロ続くアーケードの商店街であり、佐世保市民24万人の胃袋を支えているという。そうなのか。しかし、商店街に入ってしまえば、日本中どこでも同じというのが、一般的な意見である。佐賀空港内コーヒーコーナーでは、まず、豆を買い、それを隣で挽かせ、ドリップすることを客にやらせるの方式であった。レンタカー1,000円キャンペーンの効果があったのか、2日前に予約を入れようと電話したが、全4社のレンタカー屋のうち3社が満車で、一時、やめることも検討したが、1社が空いていたので助かった。空港に着くと、レンタカーコーナーには大阪から乗ってきた人々で混んでおり(推定5組)、なかなか順番が回ってこなかったのである。何せ、私は、着くと、すぐ、帰り便のチャックイン作業をしていたので、ビリになったのである。チェックインカウンターでは「外に出られますか?」なんか聞かれてしまったのである。 寝坊の為、大阪伊丹空港に着いたのは、出発20分前であり、チェックインしたのは最後であったが、呼び出しされていたのはA氏(男性)ファミリーとBさん(女性)グループであった。飛行機が小さいので、沖止めしてあるのでバスで行くのであるが、そのバスに乗ってこないのである。 そのAファミリー(夫婦)もBグループ(女性4人)も佐賀空港レンタカーカウンターに並んでいるのであった。女性4人どこへ行こうというのだ。団体客はいないのが、佐賀空港の特徴である。きっとこのグループは1,000円キャンペーンに目がくらみ、福岡や柳川や大宰府と近いことを知ったのであろう。私の前に並んでいた親父と坊主は、親父が「ちょっとトイレ行ってくるからな」といい、ちっとも戻って来なかった。多分、大きい方をしていると思われ、申し訳ないけど、順番を抜かさせて頂いた。手続きをしていると、やっと、親父が帰ってきて坊主に「名前言ったか」と確認していた。名前を言っても、坊主では手続きできないのである。私はといえば、「1,000円キャンペーンですね。搭乗券の半券コピーさせてください」と言われた。私は「ああ!」といい、ここに来る前に、噛んでいたガムを搭乗券に丸めて、ゴミ箱に捨てたのを思い出し、すみませんといい、ゴミ箱を漁りに空港施設内に戻り、ゴミ箱を覗き込み、手を突っ込み、半券を取り出し、ガムを引っ剥がし、またカウンターに戻り、ガムが完全に取れないことを詫び、すっごく嫌な顔をされ、コピーを取っていた。ごめんよ、レンタカー屋の生娘よ。佐世保駅、あれ、違った。アテンション貸し切り風呂
2006.03.27
コメント(4)
モスクワは涙を信じない、ではなく、トイモイはナビを信じない。 自家用ジェット機は、高度を下げつつあったが、全然、管制塔から応答がない。着陸マジカ!になって佐世保に飛行場がないことに気がついた。米軍がいるから、そちらにするかと思ったが、どうやら海軍しかいない模様である。 急遽、迂回して、長崎空港か佐賀空港に向かうことに決定。機内から携帯電話でレンタカーの予約をする。事前予約すれば、佐賀空港では24時間1,000円キャンペーンを続行中だ。年内終了とかいっておいて、2月まで延長なんていっておいて、まだ1,000円キャンペーンしている。実は1年ぐらいしている。まあ、いいだろう。安けりゃいいってもんだ。安物志向である。 そんな訳で、車を借り、ナビで佐世保を指定し、走り出すが、すごく遠い。もう一度確認したら、地道で行く方法で行こうとしていた。私には時間がないのである。急いで高速道路に乗るのであった。90分で着くのである。佐世保の素晴らしいところは、高速道路を降りたらすぐ、佐世保中心街というところだ。(よく考えたらどこでもそうだった) しかし、佐賀から、佐世保までの道程は、高速道路を利用して2時間の距離であった。今日の目的は、簡単簡略に行って、大阪の梅田や心斎橋でも食える「佐世保バーガー」である。300円から500円くらいで食えるのである。マクドナルドも検索すると、2店舗あるようだが、影が薄いと思われる。モスバーガーも数少ない緑印のモスで、1,000円バーガーがおいてある。佐世保に50店舗はあると、自負している。(勿論、私が、ではなく、佐世保がである)。いずれにせよ、私は本物志向である。それに安物嗜好である。大阪で1,000円のバーガーも佐世保では500円である。 それにしても、国際通り沿いにあった(国際通り?沖縄のコザにもあったぞ)一番人気の「ヒカリ」のバーガーは一時間待ちである。そんなことでいいのか。国際通りのドンつきは米軍施設入口である。 しかし、それだけでない、造船所をも攻めるのである。佐世保重工業、略称SSK(スポーツ用品店のようだ)、重工業といえば、三菱重工業であるが、これは、はきりいって、「日本」である。ちなみに潜水艦を作れるのは三菱重工と川崎重工だけである。昔、子供の頃、神戸の川重のドッグで潜水艦を見た事があるなあ。あとは石川播磨とかあるなあ。略称、いしはりである。しかしそれだけでない、エンタープライズ入港反対運動にも参加しなければならない。まずは金網を破ることが必要だ。海軍の入口(上記写真)は、しっかり、パトカー数台の売国奴でがっちり固められている。船員バー「シューターズ」の襲撃も必要だ。このあたりの、松浦町、常盤町には外人バーが、キャバ レー、ダンスホールがたくさんあったようである。原色のネオンが夜の街を彩り、歓楽街が出現し喧噪を競ったという。今は夢の跡である。 道路では、時々米兵が運転する車を見ることができ、車のナンバープレート番号が、「ふ12-34」とかではなく「Y12-34」になっている。こいつは、駐留軍人軍属私有車両等であり、一般のナンバープレートと同じ。(つまり税金払ってる)だが、「かな」の代わりにアルファベットになっているようだ。ただ、軍業務用車両の場合は更に変わっており、本国や在外基地から持ち込まれる場合もあるため、軍・アメリカ政府当局が管理するための特殊な書式になっているようである。ちなみに特殊なナンバープレートとしては、仮ナンバー、天皇御用車(車検、税金あり)、外交官車(外交特権で税金は払ってない)、自衛隊の車(車検なし)がある。 せっかく佐世保に来たのだから、車で20分ほど転がした陸の上から九十九島観光である。夕張岳展望台で絶景をしばいて、即座に、また高速道路に乗り、空港の飛行機パーキングの時間が惜しいので、急いで離陸したのであった。市内から15分もあれば丘の上に。 残念ながら99も島は見えないのである。 佐世保市内や軍港や造船所は丸見えである。いいんだろうか、軍港、国家機密では・・・。向こうの方では、130メートルの針尾の大無線塔が見える、ア、見えないか。それにしても、景色を見ながら、佐世保バーガーを食うのである。それも2店舗、2個目である。2個目のは、ミートスパゲティの味である。アメリカっぽい味である。アメリカンらしく、コカコーラも2,3年ぶりに飲んでみた。そうして農道を帰って行く渋く輝かしい一日であった。
2006.03.26
コメント(16)
自家用ジェット機は、高度を下げつつあったが、全然、管制塔から応答がない。着陸マジカ!になって佐世保に飛行場がないことに気がついた。米軍がいるから、そちらにするかと思ったが、どうやら海軍しかいない模様である。 急遽、迂回して、長崎空港か佐賀空港に向かうことに決定。機内から携帯電話でレンタカーの予約をする。事前予約すれば、佐賀空港では24時間1,000円キャンペーンを続行中だ。年内終了とかいっておいて、2月まで延長なんていっておいて、まだ1,000円キャンペーンしている。実は1年ぐらいしている。まあ、いいだろう。安けりゃいいってもんだ。安物志向である。 しかし、佐賀から、佐世保までの道程は、高速道路を利用して2時間の距離であった。今日の目的は、簡単簡略に行って、大阪の梅田や心斎橋でも食える「佐世保バーガーエ」である。佐世保に50店舗はあると、自負している。(勿論、私が、ではなく、佐世保がである)。いずれにせよ、私は本物志向である。それに安物嗜好である。大阪で1,000円のバーガーも佐世保では500円である。 しかしそれだけでない、エンタープライズ入港反対運動にも参加しなければならないし、船員バー「シューターズ」の襲撃も必要だ。ベトナム戦争反対!べ平連の3原則は結構好きだ。「やりたいものがやる。やりたくないものはやらない。やりたいものはやりたくないものの足を引っ張らない、やりたくないものはやりたいものの足を引っ張らない」ってものだった。米国第7艦隊の原子力航空母艦「エンタープライズ」はベトナム戦争での主力空母だ。乗組員5000人、原子炉8基、爆撃機100機を搭載。こんなこと許していいのか、造反有理。 日本の中のアメリカはどこだい、沖縄、佐世保、厚木、三沢、横田、横須賀、岩国・・・まだ三沢にはいてないなあ、いけないいけない。 せっかく佐世保に来たのだから、車で20分ほど転がした陸の上から九十九島観光である。夕張岳展望台で絶景をしばいて、即座に、また高速道路に乗り、空港の飛行機パーキングの時間が惜しいので、急いで離陸したのであった。それにしても、ハウステンボスには行かないのである。何故なら本場のオランダの方が怪しくて面白いからである。8回ぐらい行ったが、もう何年も行っていないので、行きたくなってきたのである。このまま、飛行機をヨーオロッパに向けるか。というのは明日の予定である。
2006.03.25
コメント(7)
プロダクトシンガポール
2006.03.24
コメント(4)
昨年、アフリカ貧困救済キャンペーンライブで24年ぶりに再結成なんかしてみたピンクフロイド。世界で2番目に売れたアルバム「狂気」などあるスンゲエバンドだが、メンバーの名前となると影が薄い。といいつつもシドバレットとかデビッドギルモアとかいるけんど。私も、よくお世話になったし、特に、ぶっとんで、よくお世話になったし、その世界に誘われたのは確実だ。「夜明けの口笛吹き」「神秘」「ウマグマ」「原子心母」「おせっかい」「モア」「砂丘」「アニマルズ」「ザ・ウォール」『神秘』『炎~あなたがここにいてほしい』『ファイナル・カット』『鬱』とまあ、そのあたりは聞き倒したといってもよかろう、そしてとんだとんだ、ドコまでとんだ。とまあ、チャリティであるが、アフリカの貧困には、残念ながらどこまで寄与したか不明である。日本も昨年、ホワイトバンドがあったが、あれも、説明不足であり、考え方が難しかった。直接支援をするものと、日本人はたいてい思ってて、私も、資金や支援が直接アフリカにいくなどと書かれていなかったことは知らなかった。直接交渉ではなく、政策を変えて問題を解決していく活動を、アドボカシーというのだが、こんな言葉、まだ根付いていないんだよなあ、ほっておけないよ。 確かに政策を変えなければ、モノをちょっとばかり送っても、しれてるし、解決しないよね。でも、私は偽善者だから、里親になったりする。するけど、それを見返りに猥褻行為はしないよ。 猥褻行為といえば、「女は男のどこをみているのか」「なぜ男は女をバカと思ってしまうのか」という本読んでしまっってたよ、著者の学者(不細工な顔)、自宅に女呼び出して猥褻行為して、捕まってら・・・ 捕まる、ということで思い出したが、痴漢は、別に正義感ぶる訳ではないが、許せない行為である。自分自身も、男に、股間を満員電車でいじられては不快極まりないのである。 1度は、満員電車でであった。どうも、近くにいる女性がすごく不快な顔をしていて、何かゴソゴソいっている感じだったのだ。もしかしたら勘違いかも知れないが、おっさんに痴漢されているような感じなのであった。しかし、やはり確信が持てないので、満員電車でも、少し、私はモゾモゾ動き、その男と、その女性の間に挟まるように入ったことがある。それで助けたのか、何こいつ痴漢じゃないのこの気分悪い時にと女に思われたかも知れない。 もう1回は、夜、結構酔っ払って電車に乗ったら、私の横の男が、反対側の隣に座った女性の脚を触りだしたのを目撃。始めは、へっ?と思っていると、10秒程度で女性は隣の車両に逃げていった。ああ、よかったと私は思ったのだが、次の駅でまた女性がその男の横に座った。すぐさま、その男はまた手を出した、その瞬間、「このおっさん、痴漢でんねん」と私は叫んでしまった。今度は、その男が隣の車両に逃げていった。 これで、本日の予告編を終わります。自家用ジェットはボンバルディア DHC8-Q400 渦森台、神戸でも、最も高いところにある住宅街の一つ。はっきりいって景色は抜群です、きっぱりいって、不便です。
2006.03.23
コメント(12)
1~2ヶ月かかった歯医者通いが本日終了した。そこの先生の声は漫画声である。5,6前にはいなかった若い女性の先生は、多分、顔から察して娘さんである。漫画顔であるといっては人にことは言えないだけに失礼だ。 昔、東京で、歯が痛くなり、歯医者に行ったことがある。治療後、歯石を取ろうということになって、4回にわたって歯石を取ってもらうことになった。しかし、歯石を取るのはエライ先生の仕事ではないのである。そこには、若い女性の助手が2人いて、交代で歯石を取ってもらったのだが、どうも、若い女性に私の恥ずかしいところを見せているようで、えらく緊張もし、モジモジ君になってしまった三十路初旬の私であった。 以前、行っていた美容室は、店長にいつも髪を切ってもらっていたのだが、髪を洗うときは、若い女性が洗ってくれる。それも美容室なので、なんだか、どうも、若い女性に私の恥ずかしいところを見せているようで、えらく緊張もし、モジモジ君になってしまった三十路中旬の私であった。 この前、肩が凝って仕方なかったので、値段が安いオフェス街の中にある、中国整体というのに、飛び込み訪問した。店の前に置いてある割引券を取り、更に安くなったように思う。30分2,000円程度か(忘れた)。先生方は、中国人の若い女性ばかりであった。ほんまに先生かいな、何か怪しい店ではないかと邪推したが、マットウなマッサージ屋であった。それでも、パジャマに着替えて、擦られ、圧されたのであるが、どうも、若い女性に私の恥ずかしいところを見せているようで、えらく緊張もし、モジモジ君になってしまった三十路下旬の私であった。この世は魔窟である。
2006.03.23
コメント(10)
今年 3月15日TBS 540人分の個人情報 3月15日全日空 国内29空港のパスワード 3月15日 大阪府岸和田北町郵便局 18名分の個人情報3月15日鳥取市内の小学校100名分以上の個人情報3月14日愛媛県松山市の障害者施設44名分の個人情報3月14日滋賀県大津市立小学校80名分の個人情報3月14日和歌山県岩出町立小学校60名分の個人情報3月13日ドールズコート22名分のシリコンドール顧客情報と4社分の法人情報3月9日アルプス技研1,007名分の個人情報、661件の取引先企業3月8日福岡県嘉穂郵便局137名分の顧客情報3月8日住友生命8,004名分の個人情報3月8日NTT西日本2,237名分の個人情報3月8日群馬県沼田市の小学校738名分の個人情報3月8日富山市星井町の病院2,800名分の患者情報3月7日愛媛県警犯罪被害者の個人情報3月4日岡山県警1,500名分の性犯罪被害者の実名含む個人情報3月3日姫路南郵便局114件分の顧客情報3月2日宮城県鹿島台小学校700名分の個人情報3月2日さくらケーシーエス55名分の社員情報3月2日富士宮信用金庫、NEC13,619名分の法人・個人3月2日陸上自衛隊報告書など3月1日航空自衛隊60人分の隊員情報3月1日モスバーガー234名分の顧客情報、36名分の従業員情報2月24日宮崎地方検察庁8名分の個人情報2月24日東京地方裁判所149名分の個人情報2月24日NTT東日本1,400件分の顧客情報2月23日海上自衛隊海上自衛隊の機密情報2月22日名古屋市消防局1,980件の消防情報2月22日栃木県警5名分の捜査資料2月22日京都刑務所3,380名分の受刑者、2,283名分の職員2月18日鹿児島市衛生公社164名分の個人情報2月17日学習塾運営会社23名分の生徒2月13日読売理工学院1036名分の個人情報2月9日三重県伊勢市CATV局1,378名分の個人情報2月9日岐阜県各務原市消防署3,609名分の個人情報2月2日神奈川県警個人情報を含む捜査資料2月2日神戸市立高校198名分の個人情報2月2日福岡県久留米市立小学校37名分の児童2月2日岡山県備前市立小学校378名分の児童2月2日千葉県松戸市26名分の個人情報2月2日千葉県県土整備部67件の個人情報1月31日中部電力火力発電所の資料1月31日千葉県銚子郵便局受領証リスト2,460件分1月27日広島県廿日市市の病院43名分の医療情報患者1月25日自民党の篠原実県議30.000名分の有権者名簿、1,200名分の支援者名簿1月20日北海道大野町消防署2名分の患者情報1月19日筑波大学41名分の患者情報1月17日三井住友海上590名分の顧客情報1月16日兵庫県養父市運営CATV局7,375名分の顧客情報1月19日札幌私立小学校360名分の児童1月13日富士通1,950名分の顧客情報平成17年 12月27日NECフィールディング82の顧客情報12月9日関西電力1,500人分の関係者名簿、1,300件の原子力発電所の技術資料12月22日CSKシステムズ528名分の個人情報12月19日九大進学ゼミ約2,100名分の個人情報12月19日NTT東日本東京支店11件の法人顧客情報、179件社員情報の12月12日香川大学医学部3名分の患者情報12月9日関西電力1,300件の原子力発電所の技術資料12月9日JAL空港制限区域の暗証番号11月28日JR西日本2名分の顧客情報、、285名分の社員情報11月28日広島県警33名分の警察官11月14日北海道職員3,544名分の個人情報11月10日NTTドコモ東海300件の顧客情報11月9日極東ゴム原子力発電所の報告書10月11日アフラック564名分の顧客情報9月26日野村IR137名分の個人情報9月20日九州電力火力発電所の技術資料と個人情報8月30日三菱重工46カ所の原子力発電所の検査情報6月24日愛知県警6名分の捜査報告書6月23日三菱電機原子力発電所の内部情報6月7日NECファシリティーズ395名分の人事考課データ6月2日愛知県今伊勢西小学校535名分の全校児童と教職員の名簿5月1日NTTドコモ東海約800カ所の基地局5月21日福島県鹿島町農協603名分の共済会員4月14日秋田県湯沢市11,255名分の市民情報4月1日鳥取赤十字病院63名分の診療記録3月29日東京医科歯科大病院50名分の患者情報 平成16年 4月30日陸上自衛隊自衛隊の内部情報4月30日日本郵政公社東海支社郵便物・職員に関する情報3月30日北海道警察8名分の捜査書類3月29日京都府警11名分の捜査書類
2006.03.22
コメント(4)
いかなごなのであるが、20年前には20トンという漁獲量であったが、今は、600トンである、といかな合理場コーナーに自信満々に書かれていた。商魂逞しく、今は、イカナゴ入れ、とか、イカナゴナベとか、イカナゴ水あめとかも並べられて販売されている。 いかなごは、神戸市民にとって瀬戸内の春の訪れである(?)。少年時代、週に何度も海に投げ釣りに行っていたが、メバル、テッコチなど釣っていたその砂の下に、砂の中に潜っていたのだなあ。 本州と、淡路島間の海峡は、2,3キロと思われるが、今の時期、イカナゴ漁軍団が跋扈し、この間(明石と岩屋)を結ぶ通称「タコフェリー」も親切にも迂回していくため、通常の20分の航路も大幅に遅れるのである。あっぱれである。巡視艇も出ているのである。ちなみに、明石大橋は料金が高すぎるのである。昔からあるタコフェリーには頑張って欲しいものである。 先日、たまたま、車を走らせていると、古本屋ができていた。「古本とジャズ」と小さく店のガラス扉に貼られた明るい店であった。本の趣味は、私の持っている本と、2,30冊はダブっているので、相性のいい店だなと思った。大阪や京都にも、自分の趣味に合う店があるのだが、近辺にできたことはなかなか嬉しい、嬉しいが、こういう本屋は、また買う本が(既に持っているので)なくて、欲しい本はやっぱり高いので買わないという悪循環がある。 いいなあ、古本屋経営・・・でも、ほんと、儲かりそうにないよなあ。儲からなくていいから食えるだけでも、って食えるのもムツカシそうだなあ、趣味の店、或いは税金対策の店、みたいなものしかこういうのは難しいのかなあ、と思うのであった。 そうはいいつつも開店勝手に祝いとして、数冊の本を手にする私であった。(もうずっと前から開店してるのかも知れないけど)ところで、アクセスログを見ると、***.inktomisearch.comというのが結構アクセスしているが、ずっとこれはどこかのプロバイダかと思っていたが、10万アクセスを踏んだのがコレだったので、今、どこのプロバイダか調べてみると、ヤフーの検索ロボットのようである。今も過去50件のアクセスのうち2割10件がこのサーチエンジンである。私が分からないのは(もっと調べたら分かるのであるが)、これは巡回アクセスで、検索サイトの順位を上げるためのリサーチなのか、誰かが検索しているのか、何だかやっぱり分からないのである。
2006.03.22
コメント(12)
サイト上なので、女々しいことを言って申し訳ないが、1980年代というのは、私の10代の大半を過ごした、まあ、一般的に言えば、多感な時期であったので、皆様にええ加減にせいやと呆れられながら、第3弾として懐かしゴッコをせんとするなり。哲学・・・「逃走論」「チベットのモーツアルト」が出版され、ニューアカなんて呼ばれてもてはやされた。ちょっと知的になれるんじゃないかなんて思った人々も多いはず。それにしても、浅田は27歳だったことは、まあまあ驚きである。洋楽テレビ・・・ミュージックTVが出る前は、何と言っても、「ベストヒットUSA」である。多分、ビルボードなんて単語は小林克也が教えてくれたのかも知れない。一度、ジミヘンのギター破壊&ギター燃やしのライブ映像が放映され、夜中、1人、家で吠えた私であった。ウォオオオオー。 当時はビデオバンドと揶揄される、化粧+ポップのデュランデュランやスパンダーバレエ、カルチャークラブなどが排出されたが、しかし、化粧+ロック(グラムロックか)デビッドボウイやT-REX,ロキシーミュージックあたりのほうが100倍程度かっくいいかったなあ。 当時は、よく「マドンナとシンディローパーとネーナ、誰がいいか」というコネタがあったが、私の周りには「やっぱ、ネーナの腋毛だな」という意見もあった。 邦楽・・・人生最初に買ったアルバムは、何を隠そう「ソリッドステイツサバーバー」YMOである。気分よく聞いていると、オカンに「歌がないヤン、何か損した気分やね」と時代的なことを言っていた。80年代は、邦楽なんか聞いてるの、何だかダサいなという空気もあった(なかったか)ような気もするが、ファッションもマニアック路線も受けたYMOってスゲエなあ。和尚が2人でお正月~!オマエラ全員やばいんだよ~。 テクノと聞いて、イモ欽トリオの「はいすくーるララバイ」なんて思い出すんじゃねーぜ。 でも、ゴメン、ボク、中学生の頃、オフコースも聞いてたんだ。性風俗・・・ダイヤルQ2、ファッションヘルス、キャバクラ、ホテトル、マントル、ピーピングルーム、などが80年代に生まれたようだが、よくニュースや雑誌で憶えているのが、ノーパン喫茶か。京都発祥(福岡発祥説も)だったと思う。考えれば、日本人の屈折したエロ道は、歪な形で進化(?)していくものなのだなあ、と思う。しかし、当時、アジア専科の私は、専ら、バンコクのパッポンやマニラのマビニでの1杯300円ビールでチビチビビールを飲むだけという西洋人的ビンボー的楽しみを享受していた訳である。ゲーム・・・ファミコンの登場の前にあったのが、ゲームウォッチではないか。それにしても100円を払って、何故あんなにインベーダーゲームにはまってしまったのであろうか。少年ジャンプ・・・中学校3年間は毎週少年ジャンプを買った。「筋肉マン」「ドクタースランプ」「リングにかけろ」など興奮して読んだものだ。高校に入ると、立ち読みで「北斗の拳」「キャプテン翼」「ドラゴンボール」「セイントセイヤ」などのメガヒット作品を読んだような気がする。発行部数500万部というのが凄かった。雑誌は違うがビーバップハイスクールもあり、変な学ランが流行っていたが、未だに、地方の学生が修学旅行などで、京都などにきている姿を見ると、チンドン屋に見え、貴重な日本文化を継承しているのだなあ、と微笑ましく見える。田舎に行った時に女性用サンダルウンコ座りの雄姿を見たときにはナツカシズムが走るのである。1989・・・ベルリンの壁崩壊に天安門事件、ホメイニ死去、宮嵜勤事件、パナマ侵略、悪魔の詩死刑宣告事件とかなりスンゲエことがあった年であるが、ホント、世界が動いてると感じた年であった。その影に隠れて(でもないと思うが)、ビルマがミャンマーに国名変更し、コマネチがアメリカに亡命してブクブクに太った。一杯のかけそばというエセ話がもてはやされた。ニュースキャスターが涙ぐんでいたのが、騙されやすい日本人を象徴していた。ツーショットという言葉のはやったネルトン、ごめんなさい。Xデーは決まっていたのか。リクルート事件宇野ピンク事件消費税の3点セットで自民党大敗、山が動いた!の名言もあったが、山崩れた。美空ひばり死去だが、エイズ説も。太陽神戸三井銀行スタートし、太陽神戸に就職した先輩が、入行早々負け組みに。ずっと先だが小渕首相「ほらほら、平成って掲げて放送した時発表したのが私ですよ」というのが印象的な昼下がり。おばたりあん、こんなん出ましたけど~。大納会株価史上最高値、まだバブルという言葉はなかったなあ。映画、レインマンを東京に行く途中の名古屋で見たなあ。
2006.03.21
コメント(10)
大企業 1995年 平均年収722万円 → 2005年 平均年収752万円中小企業 1995年 平均年収552万円 → 2005年 平均年収500万円零細企業 1995年 平均年収425万円 → 2005年 平均年収367万円(就業者の8割)正社員数 1995年 3779万人 → 2005年 3372万人非正社員数 1995年 1001万人 → 2005年 1650万人非正社員平均収入 133万円。まあ、そんな数字はさておき、イチローは今日もかっこいいものであった。まあ、イチローのパクリ小ネタをひとつ。アメリカに渡ったばかりのイチローはまだ、少しせこかったみたい。イチローほどの人物なら、当然、ファーストクラスでの渡航になると思われるが、実は、チケットはビジネスクラスのものを買っていて、いつも、飛行機会社のご好意か、何往復もしてくれる超お得意様なのか、ファーストクラスにグレードアップされていたようです。しかし、更に顔も売れ、人間もできてきて、収入もあがり、今は立派にファーストクラスのチケットをお買い上げのようである。ちなみに、イチローは、飛行機に乗る際に、精神統一?のため、一切話しかけないでくれということを条件にしているそうである。食事も一切取らないようである。ところで、恋愛暦48年のトイモイ恋愛博士によると、男性は出会った7割ぐらいの女性に対してまあ、恋愛対象にしてもいいかのお、と思うようである。2割がどっちでもいい、1割が金をもらっても嫌。対して女性は2割が恋愛対象で、6割がどっちでもいい、2割が絶対嫌というものである。勿論、割合には個人差があり、どちらかによっていくほど、女っぽい男、男っぽい女になっていくといってもいいかも知れない。よって、男は自分勝手にズンズン進んでいくと、女は引いてしまうのである。しかし、ちょいとずつ進んでいくと、ドッチでもいい人でも徐々に恋愛対象に浮上していく場合も多いのである。多分、5パーセント程度は当たっているような気がする。そんな訳もあって、女は何故こんな好きでもなかった男と付き合ってしまったのだろうと疑問に思うこともあるのである。あるいは、いつの間に好きになってしまったのでああろうと、どちらにせよ後悔するのである。勿論、たまたま、拾い読みしたジャンクメールの受け売りである。ところで、更に、今日はスーパーでいかなご釘煮の大量売りをしているのも目撃した。神戸・垂水の春を告げる「いかなご」の佃煮についてここで発表しておこう(何を隠そう実家は神戸市垂水区なのである)いかなご の釘煮(佃煮)の由来である。JR山陽線の塩屋駅を降りると(神戸から15分程度)、いきなり駅を降りたところに構えているのが、魚屋である。駅からシテ、魚臭いのである。駅の反対側は、道路(2号線)を挟んですぐ海(瀬戸内海)である。魚屋の名前は魚友である。魚友は、垂水区塩屋町に家がまだ数軒しかない頃より塩屋で代々漁師をしておりましたとのことである。1919年(大正8年)に鮮魚店を創業致したので、だから駅前一等地にある訳なのだ。1935年、神戸市垂水区塩屋町の「魚友」松本信子に、別荘地に住んでいたお客様より 「いかなご を佃煮にしてくれないか」 と依頼されましたとさ。(塩屋は昔、ガイジンの別荘地でもあった。ジェームスさんもそのひとり)そこで醤油・砂糖(キザラ)・生姜を使用して、試行錯誤のうえ炊き上げましたとさ。その後その住人が近所の方々に配るなどするうちに評判になり、「魚友」の店頭にも置くようになりましたとさ。1960年代頃になって、神戸市垂水漁協の組合長により「くぎ煮」 (出来上がりが「さびた古釘」のよう)と名付けられましたとさ。 それとともに、神戸市垂水区の各家庭でも炊くようになり盛んになってきました。いまでは、関西の春の風物詩のひとつに挙げられるようになりましたとさ。 そのため、私も高校の帰りに駅前で「いかなご5キロ買ってきなさい」と母に厳命されるようになりましたとさ。 そういって、各家庭では釘煮を作りまくり、近所で配りあいっこし、子供は、毎日毎日食卓にあがる釘煮が嫌いになりましたとさ。高校時代は、しっかり弁当にも毎回釘煮が入っており、友達に食べてもらうという風物詩もありましたとさ。(神戸新聞2000.2.8 婦人神戸1999.4.15 広報神戸1999.3他より) 最近では作る量が莫大に増えているようである。以下のような理由が考えられている。1、 十年前より釘煮を全国の知人に昔から送られており、送り先の方々がご近所やご知り合いの方にお分けする量が増えていっている。(迷惑に思っている人の集計除く)2、 テレビやラジオ・新聞を含むマスメディアの効果による増加だけではなく、阪神淡路大震災の時にボランティアされた方や支援物資をお送り頂いた方々へのお礼の気持ちを込めてのお返しもあったと思われる。(迷惑に思っている人の集計除く)3、 釘煮を炊く地域が西は岡山県の西部(鴨方)辺りから東は奈良県、北は豊岡辺りまでに拡大している模様(迷惑に思っている人の集計除く)4、 釘煮を炊く期間が基本的に1年間の中で解禁後3週間位と僅かであること。その3週間の中でも魚の大きさが変化していく為に、垂水区付近を中心としてピーク時には早朝から魚屋さんの店頭に行列ができます。午前8時半~9時頃の第1回目の入荷分で購入できないこともあります。(ほんっまかどうかは知らない)5、 そんな訳で、私は、釘煮が好きではないのである。食べさせられすぎなのである。
2006.03.20
コメント(14)
かみ【神】・・・絶対的な超能力を持ち、自然界・人間界を左右するものと考えられた創造主。 [かぞえ方] 一柱(ヒトハシラ) やる(他五)・・・(三)問題となっている何かをする。〔狭義では、俗に、合体を指す〕ゴキブリ・・・台所を始め、住宅のあらゆる部分に住む、油色の平たい害虫。 さわると臭い。あぶらむし。飼育・・・生き物、特に家畜・ペットを飼う事。(例文:スズムシを飼育すること 30年。。例文:亭主飼育法)恋愛・・・特定の異性に特別の愛情と抱き、高揚した気分で二人だけで一緒いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。むなしくなる・・・死ぬ よりどころ【拠(り)所】・・・(二)そのものを支えており、それが無くなれば そのもの自身の成立が危うくなるもの。「生活の―・心の―〔=生きて行く上に必要な、心の支え。具体的には、生きがいを与えるものとしての宗教・愛人・家庭・研究や、自分を高めるための将来の目標などを指す〕」とうもろこし・・・〔「とう」も「もろこし」も「唐」の意〕 畑に作る一年草。黄色い実が軸のまわりに、 ハモニカの吹き口のようにぎっしり詰まって出来る。食用・飼料用。種類が多い。凡人・・・ 自らを高める努力を怠ったり功名心も持ち得なかったりして他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。( マイホーム主義から脱することができない大多数の庶民の意にも用いられる。)笑う・・・(例文:今頃のこのこ頼みに来るなんて笑っちゃうな)ネバネバ・・・(例文:ねばねばした灼熱と絶え間ない靴音と汗ばむ倦怠にひたって、すれ違う イタリア娘の腰と足を鑑賞していると・・・)しり・・・ (例文: おんなの尻を追い回す。=女につきまとって愛を強要する)いっき・・・ (例文:従来の辞書ではどうしてもぴったり訳語が見つけられなかった難解な話も この辞典でいっきに解決)救い難い・・・ (例文:救い難い駄作)ブックメーカー・・・ 金儲けのために安っぽい本をやたらに書く人。実社会・・・ 美化様式化されたものとは違って、複雑で虚偽と欺瞞とが充満し、毎日が試練の連続である厳しい社会を指す。世の中・・・ 同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものと捉えた語。 愛し合う人と憎しみ合う人、成功者と失意、不遇の人とが構造的に同居し、常に矛盾に満ちながら、一方に持ちつ持たれつつの関係にある世間。ひとり・・・(例文: 40年前のことを思い出して、私はひとり心の中で赤面しました)たむし・・・ 白癬の俗称。非常に痒い。逃げる・・・(例文:刑務所から逃げる)しんいり・・・新しく仲間(刑務所・留置場など)に入ること。肝硬変・・・肝臓がかたくなる病気。治りにくい。 おあずけ・・・(例文:結婚は当分おあずけだ)泣かす・・・(例文:本当にくれるのか?泣かすなあ)ひだるま・・・体全体に火がついて燃え上がる状態。 水瀉便・・・ しゅうっと出る激しい下痢。はまぐり・・・遠浅の海に住む二枚貝の一種。最も普通で、おいしい。おこぜ・・・背びれに毒のとげがある近海魚。 ぶかっこうな頭をしているが、うまい。 ぼさっと・・・(例文:管内に鈍感な警官がぼさっと立っていただけであった)ごそごそ・・・(例文:いやにごそごそする。タオルにくっついていたのは キリギリスであった)そうそう・・・(例文:そうそういつかの千円を返してくれないか)乗ってきたが、疲れてきたので、次回を待て。
2006.03.19
コメント(10)
サイト上なので、女々しいことを言って申し訳ないが、1980年代というのは、私の10代の大半を過ごした、まあ、一般的に言えば、多感な時期であったので、皆様の冷たい視線を浴びながら、第2弾として懐かしゴッコをせんとするなり。ドラマ・・・実は、80年代にはほとんどドラマを見ていない、というか、今も見ていない、考えれば今の所の人生ドラマを一環してみていない。しかし、題目とある程度の背景は知ってるつもりだ。「スチュワーデス物語」「少女に何が起こったか」は1、2回見たことがあるぜ。ドジでノロマなカメが教官にいたぶられながらスチュワーデスる堀ちえみ、ピアノに向かうたびに自分の身上の不幸を語りだす小泉京子。あっぱれであった。高校時代に、「高校聖夫婦」という題目を見て、単純に「いいかも」と思った私は単純な高校生であった。「不良少女と呼ばれて」はまた積み木崩しとは違った味わいがあった。やっぱり、自分の家庭のことを世間に公表しては駄目だよね。「スクールウォーズ」も臭くて最高であった。ボニータイラーの名曲が忘れられん。でもよくあることだけど、生徒が老けているんだよなあ。「ポニーテイルは振り向かない」といっても、私は、別に、ポニーテールが好きではないよ。「個の子誰の子」かは知らん。年齢を上げると、やっぱ「金妻」であろうか。一回も見てないけど。「男女7人夏物語」は見てない。そうそう、「毎度お騒がせします」も見ていない。個人的な感想をいうと、今の中山ミホのほうがいいような個人的感想を持つ。「ひょうきん族」については、まあ、何度か見た。実は、1大センセーショナルを起こした「オールナイトフジ」を1度も見ていないのが、悔やまれる所である。それでも、学校から帰って、ちょっと気晴らしにテレビをつけると「夕焼けニャンヤン」やってたなあ。あの頃10代だった彼女らも私と同じ30代だ。例外はないと思う。 それにしても、バブルが始まり、今や、24時間戦いました・・・あ、俺じゃねーよ。車・・・車にはずっと興味はなかったが、18歳で乗ってもいいということになったので免許は取った。その頃は、ソアラとかプレリュード辺りがまあまあ流行っていた。今もあるんだろうなあ。テレビCMとしてはマッドネスのヘンな動きと踊り、「シティシティーインシティー」かな。それにしても、車を持っていると軟派だったので、私は当然持っていなかった。車を見てあーやこーや、言いそうな女が嫌いだったのである。私には車も中味もなかったのである。アイドル・・・アイドルに関しては造詣が浅かった私であるが、夜、塾の帰りにラジオから流れる「ヤングタウン」の中で松田聖子の「青い珊瑚礁」が流れ、大声で歌った住宅街の中がまるで昨日のことのようである。80年は山口百恵と松田聖子が絶妙のタイミングで交代した時代である。中学生でも、ぶりっ子という言葉が流行り、ぶりっ子以上にぶりっ子の子は「ハマチ」と言われていた。 死語としての「ボイン」それは河合直子、柏原芳江、宮崎美子あたりか。取り巻きに囲まれた柏原芳江を国鉄湖西線の電車内で見たぜよ。ボインは今や巨乳という名前に名称変更したが、頭が悪そうにみられるのは、変わらない。可哀想である。ちなみに某ヒロノミヤは柏原芳江のファンであったことは、トップシークレット、でもないか。まあ、これ以上アイドルについては、専門家なので、専門的な意見や想い出は差し控えよう。事件・・・80年代の始まりは、銀座で1億円拾って、落とし主が出なかった事件だ。ランニング姿で「ランニング中に思い出しました」とお金を取りに来た拾い主の真摯な眼差しが印象深い。しかし、皆の期待を裏切って、その方はあぶく銭に溺れることなく、その後静かに生活し、静かに息を引き取ったということなのであっぱれである。 深川通り無差別殺人事件については、富士原深夜先生が、彼の履いていたパンツがBVDであることを指摘しておった。 86年はスペースシャトルが初めて空中爆発した。以前(90年代に読んだ)、何かの雑誌で「アメリカ人に聞いた人類歴史上の10大事件アンケート」というのがあって、この事件が1位に上がっていた。それほどアメリカの威信が崩れたということだったのか。 逆噴射で羽田沖に落ちた日航機、片桐機長をモジッテ高校に入ってすぐ仲良くなった片○という奴に「機長」という渾名を進呈したのは、私の慈悲であろうか。精神状態悪化の症状はずっと以前に出ていたのだから、今の管理体制ならもっと早く降板させられていたのであろう。同じ頃、ホテルニュージャパンが燃え、ヤクザもたじたじだった乗っ取り屋横井秀樹が逮捕された。大学の頃、知り合った友達の家に泊めて貰って「明日ドコ行く?」と聞かれ「ニュージャパン跡」と答えてしまったのもまるで昨日のことのようだ。飛行機といえば、オスタカヤマであるが、そろそろ真相を暴露して欲しい。 劇場型犯罪といえば、グリコモリナガ事件であり、ロス疑惑であろう。前者は警察関係から同和問題や朝鮮問題などが複雑に絡んだ問題なんだろう。後者は高卒の三浦和義がお金持ちで成功者で愛人と住んでいたという世間の妬みもあるのであろう。劇場型としては、山口組一和会抗争に、豊田商事事件もあったなあ。オスタカヤマにせよ、豊田商事社長殺人にせよ、フォーカスを始めとする写真雑誌も勢いのあった時代であった。B級事件・・・某首相が芸者に「これで愛人にならないか」と3本指を出して、芸者が300万と思ったら30万だったと言うのでキレてマスコミにリークといったつまらん事件があった。好景気に浮かれてロックフェラーセンターやハワイのコンビニを買い捲り、結局はアメリカにしてやられた。考えれば、80年代は、昭和の最後の年でもあったわなあ。芽生え・・・携帯電話が登場した。当時はショルダーフォンであり、せいぜい、いかつい不動産屋が持っている程度であった。ウォークマンが本格的に出た。私も何回買ったことか、何回、海外で売ったことか。六甲のおいしい水が売り出され、ついに安全と水はタダ伝説に終止符がうたれたのであった。といっても、相変わらず水を買うのは海外のみだったけどね。当時は、「ニューメディア」という言葉がもてはやされていた。LD,CDP,DATを憶えてるかなみんな~。イベント・・・ディズニーランドが来たのは84年であった。私が始めて行ったのは、ずっと後のことである。男7人で行き、7人でイッツアスモールワールドを合唱したのであった。みーんな飛んでいたとしか言いようがない。 ポートピア81があり、博覧会ブームに火をつけた。地元なので何回か行ったし、遠足でも行った。そこに残されたポートアイランドは、ついに閉館である。 つくば博にはいけなかったが、20年後のタイムカプセルによる手紙が心斎橋ワタル氏より2005年に実家に届いたことは記憶に新しい。新しいが、書いてある幼稚な内容は、今と変わらないことが判明して、愕然としたのであった。「この手紙を読んでいるということはノストラダムスもガセでしたな」というのが印象的な昼下がりであった。80年代シリーズ次回3号に続く、続きを待て。(誰も待っていない)
2006.03.19
コメント(8)
サイト上なので、女々しいことを言って申し訳ないが、1980年代というのは、私の10代の大半を過ごした、まあ、一般的に言えば、多感な時期であったので、少し懐かしゴッコをせんとするなり。動物・・・なめ猫、エリマキトカゲ、ウーパールーパー。まあ、なめ猫のステッカーの1枚ぐらいは持っていたぜ。多分、順調にCM作成のためにいっぱいのトカゲが死んだに違いない。82年5月惑星直列。・・・太陽水星金星地球火星木星土星天王星が一直線に並び、天変地異が起こる、といいながらほんの少しびびってた中学生時代。漫才ブーム・・・ザMANZAIが終わってから日課のランニングに出かけたことは記憶に新しい。ブームが去って高校生になって、高校近くのショッピングセンターに「ぼんち」が来ていた。まだ同じネタをやってた。そーなんですよ川崎さん、おさむちゃんです、あれー。誰も笑っていなかった。その会場には、売れる前の中森明菜とか早見優とか見た。テニスサークル、スキーサークル・・・我が大学では、テニスサークルと名打った軟派形サークルが100以上乱立していた。「おっしゃれー」という言葉が流行っていて、変な髪形した奴らがいっぱいいて、きゃぴきゃぴしているのが、少し羨ましかったが、面倒のほうが先立った。酒を飲んで暴れている方が楽しかった。「恋人はサンタクロース」「私をスキーに連れて行って」そやなあ、そんな訳で、大学時代は2回ぐらいはスキーに行ったような気がするな。1度は高校の野郎友達と.一度は大学のゼミで(女性0)。誰も、私をスキーに連れてってくれなんだ。 DCブランド ・・・現在は、DCブランドブームは去り、女性としては、もはや、コスメテックブームであろう。時々昔読んでいた硬派系女性雑誌クレアやコスモポリタンも、いまやクレアラシルやコスメポリタンに雑誌名を変えたほうがいい程度である。私もいっぱい服を持っていた。コムデギャルソン、メンズビギ、ピンクハウス、当時は名前だけは知っていたが、私は穴の開いたジーンズだけだったが、これが今頃流行っているので、私の流行は世間の20年先を行っていたということの証明にしかならない。当時は、電車を乗る時、改札口で駅員が目を細めて私のジーンズを見たのが印象的な昼下がりであった。 まあ、「夜霧のハウスマヌカン」という歌はまあまあ、哀愁があって好きだったけどね。店員だろ!ワンレン、ボディコン・・・これは、時代が元気な女性の戦闘服でしたね。我が大学には、多分、男性が8割ぐらいを占めているのだが、大学構内を歩いているのは半分が女性であった。多分、男性諸氏は勉学に勤しんでいるのか、睡眠に勤しんでいるのか、バイトに勤しんでいるのかであったのであろう。バイトの金は、ワンレンボディコン女のメッシー、アッシー、キープ君として吸い上げられていたのであろう。不運にも私から搾取する女がおらず、その金を有効に旅行先のアジアでぼったくられて散財することができたといえよう。お嬢様ブーム・・・80年代も後半になると、景気がよくなり、普通の家に住んでいても、地価が上がり、勝手に資産2億3億のお嬢様に成り下がる方々が増えた。私の緻密な計算によると、この頃まで、(本当は列島改造論まで)にいかに早く土地建物を持つかが、老後資産形成を左右していたといえる。(今は不動産を持とうが持たないが老後の資産形成にあまり関係がない)当時は、株、忠告ファンド、ビッグなにがし、MMCなにゃかんやで凄い金利がついており、金利だけで生活できるような人間がいっぱいいた。株だけで生活できるんちゃうかと勘違いした人間もいっぱいいた。しかし、私は学生だったので、銀行残高は、今と変わらない数万円を行き来していたのである。能タリン言葉・・・「うっそー」「ホントー」「かわいいー」それで全てが事足りた時代でもあった。派生系としては「ルンルン」とか「ニャンニャン」とかあったが、私も「ヒンシュクー」とか「チクル」とかまあ、未だに使ってはいる。うれピーよー。マンモスラッチー。文字体・・・山根眞一の著作に「変体少女文字の研究」という本があったが、何だか丸文字とか、楽Cとか、なのでR、とか軽チャーというアホ言葉も流行った。当時は辟易するものだえったが、今は優しくなったのであまり何とも思わなくなったのも事実である。ナウい・・・まあね新人類・・・昭和40年代以降に生まれた人間を勝手に新人類と名づけて区別されてきたのであるが、その区別は、キャンプファイヤーで火を見て逆上して踊りだしたのが40年代以降の人間、テントに戻ったのが30年代の人間ということであった、つまらん区分けであった。 E電・・・知ってる?小林アセイが可哀想だよ。あの頃は、NTTとかJTとか、その後JRとか何か略式横文字が流行りだした訳である。考えれば、その点だけは、NHKはエライのである、日本放送教会の略であるから。JTも日本たばこでNT、NTTもNDD、JRもNTでいいのになあ。80年代シリーズ次回に続く、続きを待て。(誰も待っていない)
2006.03.18
コメント(8)
今月は週末全週飛行機旅行の予定であったが、エアコンのリコールで部品交換で交換屋さんが家に来るという。私の旅に何するぞ。 そんなこといってたら、お腹が痛く、寒気もしてきた。体の調子の悪さめ、私の旅に何をする。 普段は、全然年齢的なことを何も考えていないが、先日、大阪駅の大理石に上でスライディングしたため、右手がおかしいままだ。知らず知らずのうちに体がボロっちいくなっていっているようだ。老いよ、私の旅に何をする。 あと50年もすれば、更にボロっちいくなって、回復不可能になって、生命電池が止まってしまうのであろう。私の人生に何をする。
2006.03.18
コメント(4)
まあ、はっきりいって、慶応大学、明治大学、大正大学、昭和大学、○○平成大学、と入学試験はどんどん簡単になってしまうというのは、既成の事実だが、これが事実だとすると、大化大学なんかはもう超一流である。 そんなことはどうでもいいが、大阪市には、23ほどの区があるが、その中に大正区というのがある。JRの駅がひとつだけ、地下鉄がひとつだけという川と川に挟まれた孤島的な区である。現在でも無料の大阪の渡し船8つのうち7つがこの大正区にある。区民75000人のうち、20000人、つまり4人に1人が沖縄出身または、2世3世のリトルオキナワの街なのである。 ぶらぶら歩いていると、シーサーが飾られていたり、沖縄音楽の習い事の店や、沖縄料理店を見かけることが出来る。沖縄商店街もある。 これも、大正時代、生活が出来なかった沖縄人が、大正区-那覇の航路があり、大正区の工場に大量に渡ってきたという歴史があり、また家族の絆の強い沖縄人が更に呼び寄せたという歴史がある。勿論、おもろいだけではなく、やはり悲しいことに、そこには差別があった。今でこそ、沖縄ブームではあるが、100年前の大阪展覧会では「沖縄人」「アイヌ人」「朝鮮人」「台湾人」と生身の人間が見世物にされた屈辱的な事柄もあったという。そう、生野区に比べれば少ないが、在日朝鮮人の方も多い。強制連行された人々だ。 そういいながら、野暮用の大正区を後にした。ところで大阪ドームは大正区だと思っている人も多いが、違うからね。
2006.03.17
コメント(12)
1986年2月に18歳大学1年だった私は、インド、コルカタ(カルカッタ)のダムダム空港にいた。エアインディア、香港、バンコク経由カルカッタインデリーアウトのチケットは16万円であった。勿論、最安値の格安チケットであり、そのため香港、バンコクで1時間のトランジット。 今もあるのだろうか、DSTツアーというのがあって、主催は「地球の歩き方」であり、それはこの飛行機のチケットにカルカッタとデリーでそれぞれ1泊ついている(空港送迎つき)のツアーで、実は、このエアインディアには100人以上の学生がこれを利用しており、まさに貧乏学生飛行機といったおどろどろろしい若気の漲ったフライトであった。 カルカッタに着いたのは夜中であり、建物に掲げられたヒンドゥ語のオレンジ色っぽい電光文字が暗闇の中におぼろげに浮かんでいる。そのツアーの正体を知らなかった私は、「うわー100人以上が空港で寝る訳なの?」などと考えたのであるが、100人は、バスに順次乗っていき、先ほどのどよめきが一気に消えた。今宵を空港でごろ寝。数人を残し、国際空港とは思えぬ閑散さ。 長く、震える夜を過ごした。北インドが結構この季節冷えるとは情報を仕入れていなかったなあ、思った瞬間、ほとんど何の情報も仕入れていなかったことに気がついた。ただの田舎出身無防備野郎だったのだ。サリーを来た女性が歩いて行った。「おおお、空港の中までサリーなんてサービス満点」などと思っていたのであった。ヒンドゥ教の女性は上流階級から土木作業員までほとんどがサリーだったのだ。汚れきったサリーを着て、頭にレンガを乗せるののであった。インドに来るまで、女性のほとんどが民族衣装を着ているとは知らなかった。 朝靄。ちょっとインドを垣間見てやろうと、空港と扉をエッチな気分で少し開けてみた。痩せこけた牛が一匹止っている。牛は視線を感じたのか、一応こちらを見たが、焦点が定まっていなかった。「なんだ。人間か。食えねえな」空港で残され、寝袋を敷いてごろ寝をした我々学生は、東大生、東北大学生、早稲田大学大学生、一ツ橋大学生、そして私に、大阪芸術大学生であった。我々は、朝を迎え、タクシーに乗り込み、市内に向かうのであった。しかし、タクシー料金の交渉になったとたん、英語を話せるのが、大阪芸術大学生だけだということが判明し、誰も英語が話せなかった。もはや、我々は、この芸大生の金魚の糞状態である。 タクシーの中からカルカッタ郊外をビデオでも見るようにお上りさん感覚で眺めている。牛乳缶を自転車で運ぶ人。川沿いにいつまでも続く貧民街。路上生活者にムシロ。路上のポンプで体を洗う子供達。褐色の痩せて棒のような手足。光った体。はっきりしている。視覚的に。よく見える。理解など、できないが、日本よりは隠されていない。エネルギッシュだ。 タクシードライバーとも目的地に着けば、交渉決裂。店のおやじや通行人や乞食も集まり、何やら大声でわめき散らす。どうやら、我々乗客の味方は我々だけらしい。救世主か、チャイ屋のおやじがチャイを両手に持ち現れた。「さあ、疲れたろう、これでも飲んで交渉ゆっくりしたまえ」我々は、芸大生に交渉を任せるのであった。そんなことがあって、国立の東京藝術大学もあるので、大阪芸大に入るのは、芸術的才能が必要で、それは東大や東北大学、一ツ橋より入るのが困難である、とその後5年間は思っていたのであった。東北大学
2006.03.16
コメント(10)
村で牧人をしているメロスは、妹と二人暮らしでした。 最近兄妹と暮らす勤め人ってそんなに多くないよねえ。嫌だねえ。 まもなく結婚する妹のために、メロスは野を越え山を越えて、十里も離れたシラクスの町へ衣装やごちそうなどを買い求めにやってきました。それにもう一つ、この町に住んでいる親友セリヌンティウスに会うことも楽しみでした。シラクスの町を歩いているうちに、辺りの様子が以前と変わっていることに気づきました。町の人々はみんな寂しそうでした。活気がないのです。 景気が悪いのか・・・失われた10年・・・ メロスはそのわけを町の人たちに尋ねました。「王様は人を信じられなくなって、次々と人を殺すのです。今日はまた6人殺されました。」 具体的やな。 メロスはその話を聞くと、「あきれた王だ、生かしてはおけない。」 メロスは王よりエライ人 と、買ったものを背負ったまま、王の城へ向かいました。しかし、たちまち兵士たちに捕らえられてしまいました。 でもメロスは浅はかな人 王の前に引き出されたメロスは、「人の心を疑うのはもっとも恥ずかしい罪だ。王は人々の真心さえ疑っている。」と怒って言いました。 人々を苦しめていた国王に立ち向かったメロスは、王の怒りに触れ処刑されることになってしまいました。メロスは、ふるさとに残した妹の結婚式のために、三日間だけ時間を延ばしてくれるように頼みました。「とんでもないうそを言うやつだ。逃がした小鳥が帰ってくるというのか。」「私は約束を守る。そんなに私が信じられないのなら、この町に住むセリヌンティウスという私の無二の友人を人質に置いていく。三日目の日暮れまでに私がここへ帰ってこなかったら、私の代わりにその友人を殺してもいい。」 信じられないことをいうね。友達にそんなこと頼めますか? 王はメロスの身代わりに友人を捕らえておくことを条件に願いを許しました。 城へ呼ばれたセリヌンティウスはメロスと再会し、すべての事情を聞くと黙ってうなずきました。 ゴメン、ボクなら断る、というか、メロスの人格を疑う。 メロスはその夜、一睡もしないで妹の待つ村へ走り続け、翌日到着しました。そうしてその日のうちに結婚式の準備を済ませると、疲れ果てたメロスは深い眠りに就きました。目が覚めたのは夜でした。メロスは花婿を夜明けまで説得して、その日のうちに妹の結婚式を挙げさせました。 自分(兄)の都合で結婚日を変えさせる。まあいいか。実際、仕事の日程を調整して、私がイギリスに行ける期間に結婚式を挙げてくれたのは実話です。 三日目の朝メロスは城へ戻るために走り出しました。しかし、城まで半分という辺りで前方の川が昨夜の大雨で氾濫していたり、山賊の一隊に襲われたりしました。 約束の時間は刻々と迫ってきます。どうにかくぐり抜けたメロスですが、さすがに疲れ果ててしまいました。午後の太陽がまともに照りつけて、メロスは何度もめまいを感じ、気を取り直しては2,3歩、歩きましたが、ついにがくりと倒れ込んでしまいました。もう立ち上がることさえできませんでした。 ふと、疲れ切って弱気になったメロスの耳に、水の流れる音が聞こえてきました。メロスはよろよろと起きあがって、岩の裂け目からわき出している清水を手ですくって飲みました。疲れの回復とともにわずかな希望も生まれました。既に太陽は西に傾いています。 メロスは再び黒い風のように走り出しました。友を死なせるわけにはいかないという思いで、ただただ走り続けました。最後の力を振り絞って走り続けました。 地平線にゆらゆらと太陽が沈みかけたとき、メロスは広場へと駆け込みました。大勢の群数の前で今まさに、友情の証に命まで投げ出した友人の処刑が始まるところでした。「処刑されるのは私だ。メロスはここにいる。」 はじめから行くなよ。 メロスは群衆の中からそう叫ぶと、十字架にはりつけられているセリヌンティウスに走り寄って、両足にしがみつきました。群衆はこれを見てどよめきました。人々は口々に、「あっぱれ、許してやれ。」とわめきました。 セリヌンティウスの縄がほどかれたのです。メロスは目に涙を浮かべて言いました。「私を力いっぱい殴ってくれ。私は途中でたった一度、君が殺されても仕方がないと思ったことがあった。」 鬼畜やな・・・ セリヌンティウスはすべてを察して、メロスを殴ってから、優しくメロスに言いました。「今度は私を殴れ。私はこの三日間でたった一度だけ君を疑った。」 偉いなあ。 二人は抱き合って声を上げて泣きました。この様子を群衆の背後から静かに見ていた王は、二人に近づき、顔を赤らめて言いました。「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。真実とは決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしも仲間に入れてくれまいか。どうかわしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」 そんな身分の差で仲間になれないと思うのですがあ・・・ 群衆の間から、歓声が起こりました。「ばんざい、王様ばんざい。」 単純・・・ 雨ニモマケズ 風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 三島的・・・ 欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル 少し危ない・・・ 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニイテ東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイイ 行って医者を呼んであげるほうがいいなあ・・・ 北ニケンカヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイイ宮沢賢治は、日蓮宗の盲目的信者だった。彼はその宗派の教えを世に広めることが自分の役割であると信じ込んでいた。狂信的宗教者だった。自分の魂の救済であろうと、交流のあったひとの魂の救済であろうと、一心不乱にそれに当たった。モロだね。ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレ そんな人格者がでくの坊の筈がないと思うのですがあ・・・ ホメラレモセズ クニモサレズ そんな人格者が誉められない筈がないと思うのですがあ・・・ ソウイウモノニ ワタシハナリタイ ワタシハソンナ完璧主義になれないし、なりたくない・・・
2006.03.15
コメント(6)
先日よりデジカメのボタンが全然動かなくなり、もはや買い替えかと思いきや、昨日、イスにコートを置いていて、ポケットにデジカメを入れていたのであるが、コートを持ち上げると、デジカメが床に落ちた。すると、直った。やっぱ、精密機械はテレビと同じように斜め45度でシバキ上げるのが一番かと思った。そんな訳もあって、少し酔ってはいたのであるが、本日、夜中の12時2分未明に、大阪駅でつまずいてこけた。こけたのは、数年ぶりである。ヘッドスライディングである。無性に恥ずかしいのを堪えたが、立ち上がると、結構痛かった。断じて酔っていたからではないと考える。電車に乗ってさえ、何故なんだ、と私は自問自答した。世の中には、粘り強い子と飽きっぽい子がいるのかも知れないが、よく考えれば、こんなもの性格でも何でもない。単純に言えば、大人の都合である。ピアノや水泳を学ばせておいて、つまらないと子供が匙を投げると、こいつは飽きっぽい。粘土遊びを何時間もかけてしている子は、もうご飯の時間です、寝る時間ですといっても、集中力のある粘り強い子である。誰だって好きなことをやるときには、勝手に粘り強く、つまらないこと、興味のないことは飽きっぽくなるのである。他人は他人を支配したいのである。自分の思い通りにならない弱者の他者は飽きっぽい奴であり、自分の思い通りにやってくれる奴は粘り強い奴に見えるのである。他人はそいつのためになるのだから、と勝手に思い込んでいるだけなのだ。そいつは、まだ自分の興味のある事象に出会わなくてコロコロやることを変えているだけなのかも知れない。長い時間やってれば粘り強い子ナンダロウカ(ウンコとか)、寒地で強制労働させられてすぐ嫌になってしまう子は飽きっぽい子なんだろうか。 明石大橋の架かる本州の基点は明石市でなく、神戸市垂水区の舞子である。そのほとりに移情閣(孫文記念館) というところがある。橋の建設と共に、移転されたものだ。元々は国道2号線沿いにあり、よく子供の頃、通る度に変わった建物だなあと思っていた。孫文はこそっと、ここに来ていたというのはなかなか感慨深いものである。ちなみのこの建物の外壁のコンクリートブロックは現存するものでは、日本最古のものというが、それは本当かどうかは知らない。送られてきた観葉植物(送り主自分)→邪魔だった。置場なし。
2006.03.14
コメント(6)
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 仙台 彫刻 仙台 彫刻シリーズ 仙台 ほんまに彫刻シリーズ? まあね ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ $ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ うふふ 定禅寺通り、ケヤキ並木が大きく生い茂っている。その景観の美しさから、日本の道100選(下記)にも指定されている。 あーあ、へたくそなサッカー見飽きたよ。でも何で裸でサッカー見てるの? 魯迅先生の誕生100周年記念碑と没後50周年記念碑がほぼ同時期に建てられとう。 魯迅先生は東北大学に留学しとった。 犬のくせに、何か変な棒が出て、体を支えとう。 アクロバテックな男女、仙台城バックに何をする? ロボットのような変なもをあやすカエルのようなもの。でも裏からみると、ロボットに変なものがついているのは何故?ロボットにそんなものは不要だよ。 1. 札幌大通り(北海道札幌市) 2. 大三坂道(北海道函館市) 3. 国道5号(北海道七飯町) 4. 二十間道路(北海道静内町) 5. 「こみせ」の町並み(青森県黒石市) 6. 官庁街通り(青森県十和田市) 7. 一関市道金沢線・岩が崎線(岩手県一関市) 8. 寺町通り(岩手県盛岡市) 9. 定禅寺通り(宮城県仙台市) 10. 仙台西道路(宮城県仙台市) 11. 七ヶ宿街道(宮城県白石市) 12. 広小路(秋田県秋田市) 13. 武家屋敷通り(秋田県仙北市) 14. 北口通り(山形県河北町) 15. 月山花笠ライン(山形県西川町ほか) 16. 磐梯吾妻スカイライン(福島県福島市) 17. 旧奥州(陸羽)街道(福島県二本松市) 18. 学園東大通り(茨城県つくば市) 19. つくば道(茨城県つくば市) 20. いろは坂(栃木県日光市) 21. 日光街道(栃木県今市市) 22. 旧中山道(群馬県松井田町) 23. ハナミズキ通り(群馬県大泉町) 24. 日光街道(埼玉県草加市) 25. 秩父往還道(埼玉県秩父市) 26. 房総フラワーライン(千葉県館山市) 27. 常盤平さくら通り(千葉県松戸市) 28. 内堀通り(東京都千代田区) 29. 中央通り(東京都中央区) 30. 新宿副都心街路(東京都新宿区) 31. 湾岸道路(東京都江東区ほか) 32. 山下公園通り・山手本通り(神奈川県横浜市) 33. 若宮大路(神奈川県鎌倉市) 34. 甲州街道(山梨県北杜市) 35. 富士スバルライン(山梨県富士河口湖町ほか) 36. 並木通り(長野県飯田市) 37. 北国街道(長野県東御市) 38. 白馬岳線(長野県白馬村) 39. 国道148号(新潟県糸魚川市) 40. 天険親不知線(新潟県糸魚川市) 41. 八尾町道諏訪町本通り線(富山県富山市) 42. 五箇山トンネル(富山県南砺市) 43. 百間堀通り・百万石通り(石川県金沢市) 44. 能登有料道路(石川県穴水町・金沢市ほか) 45. 板取街道(岐阜県関市) 46. 木曽三川パークウェイ(岐阜県海津市) 47. 富士山スカイライン(静岡県富士宮市ほか) 48. 天城路(静岡県河津町ほか) 49. 名古屋市道久屋大通り(愛知県名古屋市) 50. 渥美サイクリングロード(愛知県田原市ほか) 51. 旧東海道(三重県亀山市) 52. 国道260号(三重県賢島~長島)(三重県志摩市・英虞湾周回~紀北町) 53. 中宮平泉寺参道(福井県勝山市) 54. 三方五湖周遊道路(福井県若狭町) 55. 瀬田の唐橋(滋賀県大津市) 56. 滋賀県道大津草津線(滋賀県草津市ほか) 57. 哲学の道(京都府京都市) 58. 天橋立の道(京都府宮津市) 59. 御堂筋(大阪府大阪市) 60. フェニックス通り(大阪府堺市) 61. 富田林市道6号(寺内町)(大阪府富田林市) 62. 大手前通り(兵庫県姫路市) 63. 橘通り(兵庫県尼崎市) 64. 大鳴門橋(兵庫県南あわじ市) 65. 暗越奈良街道(奈良県奈良市ほか) 66. 畝傍山山麓の道(奈良県橿原市) 67. 高野山道路(和歌山県高野町ほか) 68. 那智勝浦町道大門坂線(和歌山県那智勝浦町) 69. 若桜街道・本通り(鳥取県鳥取市) 70. 大山道路(鳥取県大山町) 71. 塩見縄手(島根県松江市) 72. みゆきの道(島根県出雲市) 73. 本町楢井線・下町薬師院線(岡山県高梁市) 74. 吉備路自転車道(岡山県岡山市ほか) 75. 平和大通り(広島県広島市) 76. 美術館通り(広島県呉市) 77. パークロード(山口県山口市) 78. 菊屋横丁(山口県萩市) 79. 吉野川バイパス(徳島県徳島市) 80. うだつの町並み(徳島県美馬市) 81. 中央通り(香川県高松市) 82. 寒霞渓ブルーライン(香川県内海町) 83. 八日市道路(愛媛県内子町) 84. 南レク街路(愛媛県宇和島市) 85. 追手筋通り(高知県高知市) 86. 足摺サニーロード(高知県土佐清水市ほか) 87. 国道197号(高知県檮原町ほか) 88. 東西軸トランジットモール(福岡県福岡市) 89. 槻田あおぞら通り(福岡県北九州市) 90. 水辺の散歩道(福岡県柳川市) 91. 虹の松原(佐賀県唐津市ほか) 92. 有田町道山南川良原線(佐賀県有田町) 93. オランダ坂(長崎県長崎市) 94. 国道384号(長崎県五島市ほか) 95. 大津街道(熊本県菊陽町ほか) 96. 天草パールライン(熊本県上天草市ほか) 97. 佐伯市道山際線(大分県佐伯市) 98. 北滝ロマン道路(大分県竹田市) 99. 日南フェニックスロード(宮崎県宮崎市) 100. 橘公園通り(宮崎県宮崎市) 101. 武家屋敷通り(鹿児島県知覧町) 102. 国道223号(鹿児島県霧島市) 103. 那覇市道金城2号(沖縄県那覇市) 104. 沖縄県道黒島港線(沖縄県竹富町黒島)
2006.03.13
コメント(8)
仙台まで散歩に行ってきた。不思議なことに、(まあ、不思議でもないのだけど)、大阪から東京まで1時間、大阪から仙台まで1時間10分である。ちなみに沖縄から大阪で1時間30分である。 ところで、今日は、散歩のつもりでもあるが、修行する気分になり、その修行とは、永遠に歩き続ける、声を休めるために一言も喋らない、体のイオン化チョイ断食という重要なテーマを帯びた紀行であった。 ちなみに、そのために、仙台では、私の観光により、多大な金額を落として行ったのであった。仙台空港-仙台駅、所要時間40分往復1820円(何故か東京までの夜行バスは往復6600円)、拝観料550円、お土産(いつもは買わないが)1680円、缶ビール1本280円(空港で。私が買ったら後ろのおっさんもつられて買ってた。微笑ましい)、合計4330円を仙台経済に貢献したのであった。砂箱。東北や山陰にはこういうのがいーっぱいあるのであろう。増水に注意、でもお前の顔の方が危ないぜよ。それにしても、連絡先が、愛子とは・・・何故? ところで、仙台市内の観光とは、観光ループバスが通っていて、それで、観光コースらしいのは全て終了のようだ。昇降し放題で1日600円券である。観光協会のお勧めに歯向かう訳ではないが、そのコースは、歩いても3時間である。見るところは、●仙台駅・青葉通界隈(アーケード街)●伊達政宗公の霊廟、瑞鳳殿●仙台市博物館界隈●青葉城( 仙台城 )●宮城県美術館/佐藤忠良記念館●定禅寺通りの風景といったコースである。私も多少便乗したが、もっと極悪、猥雑、なものを垣間見たいのである。危ない臭いを嗅ぎ付けて、ブラブラしたいのである。でも疲れるのである。でも疲れるのは楽しいのである。さすが、東北随一の百万人都市である。瑞鳳殿ということだが、少し無理があるような気がしたのは、私だけであろうか。ことごとく、元の建物は燃えてしまい、現存するのは建てられて20年も建っていないのである。それでも拝観料を550円も取るのは、多少非道か、邪道のような気がする。おまけに早足で駆け巡ると、5分で拝観終了である、これでは地元民が行くはずがない。道理でタクシーおっちゃんが、渋い顔をしていた訳だ。とにかく、東北といえば、関西人から見て、伊達政宗なのである。もしかしたら、関東人から見てもそうかも知れない。街中をウロウロして、飲み屋街や横丁を発見。(事前にHPやマップで調べておけばよかった。結構あるじゃん)東一市場 東一連鎖街 http://www.sendaitown.co.jp/tg/index.html国分町通り、どうやらこの辺りが夜の街のようである。おおよそ駅からは1キロ程度離れとう。壱弐参横丁。イノダコーヒーは京都のパクリかと思いきや、京都の支店であった。文化横丁。 文化というよりチャイナの香りがするのですが・・・サンモール壱番街、まあ、普通の商店街。他にクリスロード、マーブルロード、ぶらんどーむ1番町などのアーケードがあり、散策したが、まあ、普通の商店街。東北高校乗降場所、とは何?待っていれば、いっぱい乗降するのかいな。全然関係ないけど、何か分からないが、ミニスカート率高かったような気がしましたが、何か?出た!恒例グッバイコーナー。2箇所ありましたが。参考:宮崎空港参考:長崎空港参考:松山空港土産・・・むうう・・・。
2006.03.12
コメント(10)
国内最大級の電器屋が本日オープンしたということで、行ってきた。すれ違う人々は来場記念に豚カツソースを何故だか持っている。ついでに、電化製品を持っている人々も見かける。私もオリバー豚カツソースが貰えるのかと、電器屋に何故、豚カツソースが、という疑問を呈しつつ、入っていったのであるが、タッチの差で豚カツソース1万名先着に乗り遅れたようだった。2万ヘイホウメートルの売り場面積に80万点の商品が並んでいるというが、人々の間に、キャンペーンガールやハッピの派手な服が多少見えるといった感じである。 普段は、アナログ人間なので、電気人間ではないのだが、こういった時に限ってデジカメの調子が悪くなってきているのである。どうするべきかと、思って、一応、4階から地下一階まで歩き回ったが、デジカメで、画像の美しさを求めている訳でもなく、主に日記の内容の無さを写真で誤魔化す程度にしか使用していないので、オークションで中古の安いのを買おうかと、日々考えるに至ったに過ぎないのである。そんな訳で、15分程度で店を後にしたのであった。 上記写真は、私以外には意味のない写真であるが、実際は、私にも意味のない写真である。強いて言えば、ヤボヨウで偶然前の家の近くを通ったまでである。この通りは、983通りであり、住んでいた頃には発砲事件があったりなんかして、税金を投入して、パトカーを随時配置させて893を守っていたのであった。 写真の中の道の右にある黄色いホテルには泊まったことすらある。前の自宅から3分のところである。夜遅く帰ってきて、家の鍵を会社に忘れ、戻るのも面倒で、何故か元パートナーも家におらず、チェックインしたまでである由緒正しいホテルである。 近くには遊園地があり、 何度も行こうかとは思ったものの、結局面倒なので行ったことはない。メランコリーである。 ちなみにポートピアランドはもはや閉園である。関西の遊園地はUSJに押されて、どんどん潰れていく一方である。ちなみにポートピアランドへは、会社員になってから背広で、後輩の男と2人で行ったことがある。はっきりいって、男ベックは我々だけであった。大変しぶかったと想像される。女性が悩んでいるとき、男性が励ますつもりで「大丈夫、気にすんなよ」と言う。しかし、女性は「大丈夫じゃないから相談してるのに・・・」て感じてしまうことがある?逆に、男性が悩んでいるとき、女性が励ますつもりで「わかるわ。私も同じ様な経験したことがあるの」と言って共感しようする。しかし男性は「俺の悩みはもっと特別なんだ!」と拗ねてしまうことがある?そんなものだろうか?
2006.03.11
コメント(8)
最近、ちまたでは、沖縄が流行っているので、熱い要望に応えるふりをしながら、自分のまとめとして沖縄の料理を一部を公開するとせんなり。 激烈1、店でチャンプルを頼んで、味噌汁やご飯を頼むべからず。チャンプルにはごはんも味噌汁もついておる。味噌汁はどんぶりなようなものが、ご飯は大盛りで来るので、困る。多分漬物もそれぞれに来るので、3個の漬物もくる筈だ。 激烈2、一番人気があると思われるお茶はサンピン茶である。よく空き瓶というか空きペットボトルが道端に落ちているのを見かける。バスの中にも置きっぱなしにしてある。サンピンといっても、ピンピンではない、いわゆるジャスミン茶である。 激烈3、沖縄そばの調味料は、コーレーグースである。簡単にいえば、泡盛にトウガラシを漬け込んだ調味料である。トウガラシより、泡盛の香りが強かったのは愛想だったのか。うまくいけば、これで酔えるかも知れない。つい大量にかけてしまったのである。 激烈4、アイスクリームはアメリカのフォーモーストのブルーシールである。空港にもちゃんとある。植物性の脂肪を使っているので、あっさりした何十種類もあるアイスクリームなのである。 激烈5、宅配してくれるぜんざい屋があるぞ。 激烈6、那覇のメーンストリート国際通りには、クィクリーがあるぞ。台湾企業である。神戸にも店があるぞ。タピオカを太いストローでツルリンと飲む食感がいい感じなんだよ。 激烈7、牛乳瓶かと思ったら、ヤギミルク、マズイこと請け合いである。はっきりいってペーターとハイジとクララの食生活を疑わずにはおれない。 激烈8、ソーキそばのソーキはブタのスペアリブであるが、ミミガー(ブタの顔の皮)や豚足もばんばん食う。しかし、私は普段は肉食ではないので、これは見るだけフリー。 激烈9、定番中の定番おかしは、「ちんすこう」である。しかし、これは、呼び方の順番を間違えると大変危ない状態になるので最重要注意が必要だ。しかし何を隠そう、これは琉球王朝の食べ物でもあったのである。 激烈10、沖縄穴ナシドーナツの、サーターアンダーギー名称そのものも市民権を得てきたと思える。先日の大阪での夜店にも出店されておった。ほんのりだけ、甘くて、なかなか旨かったのである。 激烈11、泡盛。勿論、飲み屋に行っても、ブランデーやウイスキーは出てこず、当然、泡盛である。しかし、ビールも侮れない。その一人当たりの消費量は大阪に次ぐ2位なのである(ビリはお隣の鹿児島県である。)つまり、鹿児島のように焼酎ばかり飲むのではなく、ビールを飲んで泡盛も飲むというのん兵衛ぶりなのである。 激烈12、シークエーサーも有名になったが、よく似た味のカラマンシーに擦りかえられることもあるので注意が必要だ。しかし、フィリピンやパキスタンで飲んだカラマンシージュース旨かったのにぜよ。きっとシークエーサーより安いんだろうなあ。 激烈13、A&Wではルートビアお代わり自由である。人気がないのであろう。多分9割の人がまずいと思うであろう。それでもひつこく残っているのは、きっとルートビア中毒者がいるからであろう。それほど世の中マゾが多いとみた。 激烈14、沖縄のクリームソーダは、紅茶色である。原料には何故かクリームは入っておらず、カラメルだけなのである、味は何故かクリームソーダである。多分、バナナにマヨネーズをかけてたべたらメロンの味がするといった錯覚と同じであろう。 激烈15、沖縄資本ハンバーガー屋、ジェフでは、ヌーヤルバーガーと、ゴーヤバーガーがあるが、ぬーやるばーがーとは、ゴーヤバーガーに豚肉をはさんだものであり、値段も10円か20円高いだけなのである。ちなみに「ぬーやる」とは、「何ということだ!」という意味である。ジェフではアメリカの真似をして、ジュースのガロン売りをしていたり、タコライスや白身魚フライランチなどハンバーガー屋らしからぬハンバーガー以外のものも売っている。まあ、ミスタードーナツの飲茶のようなものか。 激烈16、タコライス、今や有名になった感はあるが、用はメキシコのタコスが食べにくいので、タコスをばらばらにして、ご飯の上にまぶしたチャンプルーである。まあ、しいて言えば、辛くないマーボー丼である。 激烈17、うめぼし、すっぱいまん。うめぼしのミイラであるが、甘くもなってくる。飲み屋に行っても、おつまみで出てきた。何個も空港で買って、家で舐め舐めしている。 激烈18、ヤギミルク入りもずくコーンスープ。何でも混ぜればいいってものだよね。 激烈19、沖縄の野菜ジュース「充実野菜」には、ちゃんとゴーヤが入っている。 激烈20、疲れてきた。そういえば、どうするアイフルのロケが行われてたんだよネエ。コザのチャーリータコス。
2006.03.10
コメント(6)
昔、金銭的余裕もなかった頃(実をいうと今もないが)、マレーシアのとある町で、一番安い宿屋に泊まっていた。本当は一番安いかどうかは、不明なのであるが、かなり安い宿だったのであろう。その宿屋は平たくいうと売春婦を抱えた宿であり、他民族国家を表しているのか、売春婦は、中国系、マレー系、インド系、とバラエティに富んでおり、退廃的な雰囲気が微笑ましかった。 週末になると、飢えたシンガポール人がマレーシアまで国境を越えてやって来、マレーシア北部では、タイの南部ハジャイ辺りまで国境を越えてやってくる。 宿のフロント近くから、昼間から観光もせずに、外の様子をぼやぼや眺めていると、ときおり買春しにくるおやじたちが入ってくる。しかしながら、不思議なことに、ほぼ確実に、中国系の男は中国系の女を、マレー系の男マレー系女を、インド系の男インド系女を選んでいる。単純で貧乏性で雑多な私の考えからいくと、せっかくの多様性なんだから、多様性に富んだ選択の仕方があるのではないか、という疑問を投掛けつつ、その怪しい様子をただ漠然と眺めているだけであった。 タイで自転車旅行をしていた時に気がついたのであるが、小さな村でさえ、宿泊施設があった。それはたいてい娼館であった。そのため、宿泊する村や町では、できるだけ女の人に宿を尋ねるようにしていた。チェンマイを出て3日目の頃、ヘトヘトになって男にこの村で宿を聞くと、にやりと笑い、連いてこいのポーズ。高床式のお寺みたいなホテルがあった。女が出迎えてくれた。私は、分からず入ってみた。にやりと笑った男の意味が分かった。そして、村に宿泊施設はここしかない。民家にも泊めさせてもらうこともあるが、案外これは疲れる。仕方ないもうこれ以上ペダルを漕ぐ元気もない。。交渉で女性性交渉なしで女性付と同価格で泊めさせてもらった。
2006.03.09
コメント(6)
別に秘密にしている訳でもあるのだが、私の家徒歩5分以内に、この写真の車屋の他に、レクサスもある。ポルシェもミニもマセラッテイもレンジローバーも既に持っているのだが(私が、ではなく知人がである)、暇なので店に踏み入れることにしようと思ったのだが、その横にある、郵便局に不在者票を持って入っていったのである。 その後、冷やかしでいこうと考えたのだが、ふと用事を思い出し、郵便局から百メートル横にある古本屋に入った。というのも、6日ほど前から、自分ひとりで沖縄が絶賛流行中なのであるからして、沖縄関係の本を漁りに出かけたのである。しかし、さすがに古本屋は私のためには沖縄関係の本を仕入れて待ってくれている訳ではなかったので、全然関係ない本を買ったのであった。具体的に、敢えて本名を上げるとすると、「血塗られた半生」安藤昇、仙人入門、東電OLシンドローム、愚か者の正義論、世にも美しいス額入門、シングルモルトを愉しむ、貧乏くじ世代、ゴルゴ13などである。 そんな訳で、車を冷やかしに行く時間も残念ながらなくなってしまい、ポルシェの横の「たんたか」に行くのである。3つほど離れた駅に住む取引先の人が、「ここはうまいからさ」ということで、行ったまでである。彼はここが出身なので間違いないであろう。以前にも黒ブタ豚カツが旨い店を教えてもらって行ったことがある。そこは、本当に美味しかった。味噌汁が。 そんな訳で今日は車屋の冷やかしに行くことができなかったが、以前、大真面目のフリをした冷やかしでベンツというかヤナセに行ったことがある。多分、この日記の何年か前のどこかにも書かれているだろうが、探すのも面倒なので、記することも省略するが、多分、ペーペーでない部長クラスの人が対応してくれた。きっと私がビップに見えたのであろう。何せ平日であり、他のペーペー社員は出払っており、部長しかいなかったからである。おまけに平日は試乗会を行っていないという。おそらく私の風体を見て、乗り逃げされると思ったのではなく、多分、運転手が別にいると思ったのであろう。取り合えず、ベンツのいいところは、分かった。ヨチヨチ運転していても、ブッブーとクラクションを鳴らされたり、パッシングを受けにくいということである。ちなみにベンツの部長にBMWの意味を教えてもらった。「バイエリッシェ」はバイエルン地方、「モトーレン」はエンジン、「ヴェルケ」は工場。つまり「BMW」は「バイエルン地方のエンジン工場」という意味なんですよと。さすがにライバル会社を蹴落とさないとは一流の部長である。更に話を聞くと、以前BMWに勤めてましたと申しておった。これで、だいたいベンツの知識は分かった、つもりになったのであった。
2006.03.08
コメント(12)
今日、トイレに行くと、塀の向こうからキュルキュルキュルブリブリブーと言う嫌な雑音が聞こえてきた。私も、小をしながらプッププーと応戦した。以上。 昨日、夜、少し時間が空き、(実はいつも空いているのだが)20分後にミュンヘンが始まることを、ふとパソコンで映画館のページを見て気がつき、3秒後には、家を出て、イグニッションキーを回した。いつものように時速140キロで映画館に行きたかったのであるが、ガソリンがエンプティに近づきつつあることを知り、100キロに落として慎重に、人口アイランドの橋を渡った。夜、ぶらりと映画を見に行けるというのは、割と嬉しいものだ。レイトショーで1200円になっているし、やってくるのは少し暇そうな恋人達や、夜遊びに馴れている外国人ファミリーや孤独を愛する一匹羊達ぐらいなものだ。ものだといいながら、1匹山羊は私以外には、見当たらなかった。恐らく、劇場前でブラブラしているのではなく、既に席についているのであろう。 私は優柔不断なので、ここで、コカコーラとポップコーンを買うのか非常に迷った。3時間の長丁場であるが、今の所、満腹状態である。私は、売り場の前で購入すべきかしないべきかそれが問題だ、と腕を組みながら、何人かが買う様子を眺めていた。眺めているうちに、昔、駄菓子屋の前に待っているとなにかくれるよ、と言われ、待っていたら日が暮れたことを思い出し、しばし苦笑した。 ふと気がつくと、もう始まりの時間を過ぎていた。だいたい到着したのが、その始まりの時間であったことを思い出し、今、ポップコーンを買ったりしてブラブラしている奴らは、ナルニア物語か、プロミスなんだと気がついた。 映画は何だか途中で終わってしまったなあ、とう感想を持ちながら、明日の仕事に備えて家に帰らなければならないと、学生時代には考え付かなかったような思想を持ちながら、終わりのテロップもそこそこに席を立つのであった。もう深夜0時45分である。そんな時間に車で、ブラブラ帰えり、もうシャワーも歯磨きも終えているので、後は寝るだけというのが、更に嬉しかった。 神戸の山にへばりついた夜景を見ながら、帰ると、ついつい遠回りしてしまう。それは、それで楽しいものであった。 焼きそば弁当は、北海道の迷産のようである。お湯を捨てずに、そのままスープになるのが、ベリグッドアイデアで、環境保護だが、あまり飲みたくねえなあとも思う。 おかしのDOZOだが、どうぞといわれても困る訳だが、文字がロシア文字のように反対になっているのがしぶい、裏返しによんでも、「びふのふ」なので、一応日本語になっていない。 カップヌードル、ラクサ味。まあ、そんなところだ、そんなところだが、贅に入っている訳ではなく、布団に入るのであった。
2006.03.07
コメント(8)
満員御礼であった1950年代に出来たチャーリータコスを出た後、更に、コザ中心部を散策して、バスに乗った。コザに胡屋(ゴヤ)、別々なのがややこしいことに、気がついた、というより、恥ずかしい話、那覇の横にコザがあると思っていたのであった。70年代まで日本唯一のカタカナ都市であり、コザ市から沖縄市に変更になったということである。それにしても、コザは、単純に米軍が胡屋(ゴヤ)をコザと聞き間違えてできた地名であり、いまや胡屋十字路とコザ十字路があるのが、若干ややこしいのであった。普天間基地を越えて、地道で那覇市内に戻っていくのであった。那覇市内では、何をさておき、市場(マチグワー)に走った。途中屋台で買った、サーターアンダーギー(沖縄ドーナツ)でかいの1個100円をぱくつきながらである。牧志公設市場に行った。 山羊にブタの面皮、豚足、皮をはがれた魚、毒々しい原色の熱帯魚に、ゴーヤに海蛇、生ラッキョ、ドラゴンフルーツにスターフルーツと、日本のどこにもない麗しい悦楽の市場である。但し、入った瞬間だけは、鼻が慣れるまでの数秒間吐き気をもよおすのがまたシブイ。限定お菓子。メインストリートである国際通りは、ちょっと表向きの単純な土産物通りで、真面目な私には少し面白味がないと言わざる得ない。10年前に行った時と比較しようとしたが、10年前のことなので夜の飲み屋で飲んだことしか覚えていなかった。ココが一番安いという店がいっぱいあり、何と言っていいものやら。竜宮社交街、夢のようだぜ。それはそれは、乙姫ざっくざっくとおられ、お土産をもらうと、財布どころか、服までオケラになるのかも知れない。と思いきや、昼間なので、残念ながら、乙姫達は睡眠中なのであろう。近くには桜坂という飲み屋街も寂れ加減がスーパーリアリズムしている。次回はやっぱり泊りましょうか。宿泊も検討に入る。ドミトリーならどこでも1500円程度で泊まれそうである。しかし、考えれば、私もドミトリーで泊まる年齢ではないのかも知れない。学生の頃に泊まったきりである。カプセルホテルやごろねは酔っ払って何回もあるが。沖縄で一番多い動物、シーサー、電話ボックスの上にもいます。中国から来た獅子である。獅子といえば、ライオン、ライオンはアフリカを除いて、インドや古代オリエント地方にいたようである。アッシリアでは王がライオンを退治している姿が描かれておる。そういえば、イランのペルセポリス遺跡で描かれていたダリウス大王は、ライオンをしばいているのが彫られていたなあ。大王をしばいてしまったというのが、アレクサンダー大王なのだなあ。ゴーヤバーガー、ぬーやるばーがー。でももう腹いっぱいなんだ。ゴーヤ版マラカス型マスカラ。はあ、ソウナンデスか、って感じである。そうなんです。最西端らしい、ちなみに一駅前は最南端駅らしい。まあ、そういうことですか。ベース(那覇基地)の横通って。沖縄空港沖縄空港は、第一種空港(成田、羽田、大阪、関西、中部)を除いたら、その次か新千歳の次ぐらいにでかい空港である(と思う)何せ、自衛隊と時々兼用するというのだから、それも自衛隊優先というからまあ、ちょっとむかつく。それにしても、3000億円を市民に押し付けた神戸空港から乗った沖縄行き飛行機は、今までの九州便とは違う。東京便もビジネスの方がメインになるのだが、沖縄行き機内は、遊びウキウキ感が漂っている。乗客のおしゃべりも多い。背広人もほとんどいない。私も、久し振りの1時間以上のフライトで、睡眠十分取れると喜んだが、寝ていたので、すぐに到着した。ドリンクサービスも無視してもらった。空港内水俗館。子供、水槽を叩くな。沖縄、限定タバコ、値段も安い。 本土ではすっかり見当たらなくなったA&W。 昔、高校生の時に、明石駅前(地図24,25あたりにA&Wがあった)のA&Wで飲んで以来、20年ぶりのルートビアに挑戦、マズイ、店員さんは笑顔で、「お代わり自由ですよ」といってくれた。口直しに、オリオンビールを搭乗直前に飲む。オリオンビール、2年程前にアサヒビールにやられちまったんではなかったんじゃないかな。大阪から1212キロ離れて(東京は1556キロ)
2006.03.06
コメント(8)
見たことのないジュースが売られており、最終的にやけくそなのか、マジックで50円と書いた紙を貼っていたりなんかする・・・那覇空港から那覇市を省略して、長距離バスを乗ること1時間、他に乗客おらずに、今のコザ(沖縄市)に行った。中心である胡屋十字路で下車する。沖縄の芸能文化の中心はやっぱり、コザであろうと、私は予想したし、少し調べるとそうであるようであった。本当は民謡酒場に行かねばならないのかも知れない。それにしても、建物はもはや60年代70年代、ベトナム戦争後でストップしているのであろうか。廃墟化を感じる。5ドルでも500円でも。嘉手納基地入口に続く、空港通りはメインストリートであるが、なかなかシーンとしている。アメリカ人ばかりが少しブラブラしている。子供も歩いていたが、ダブダブのシャツにズボンで、黒人ファッションしているところが、なんだかねえである。中央パークアベニューにあるタコス屋。昼めしは、タコス、この店だけが流行っている。あとは、誰もいない。それでも、沖縄そばも食べておく。中の町社交街 社交街という言い方は、何とも麗しい言葉である。しかし、日中は眠っているかのようである。そうやって、普天間基地を越えて、地道で那覇市内に戻っていくのであった。続く、を待て。
2006.03.05
コメント(14)
「北向きの部屋、引っ越したらどうなの?」と書かれていた。
2006.03.04
コメント(12)
今日、コートに忍ばせていた本をどこかに落とした。多分、昼食で寄った中華料理店で落としたのだろう。 先日台湾で、貧乏のため、トイレで子供を産んだ女性がショックで気絶した。それをノラハスキー犬が気がついて救い出したとの報道があり、子供とハスキー犬の引き取り先を募集したところ、ハスキー犬ばかりの問い合わせであったという。 ライブドア事件で、沖縄にモノレールが走っていることを知った。空港から国際通りまで15分、首里まで30分、でも私は、コザ(胡屋地区)、辻、北谷、金城に行きたい。行きたいと思ったらムズムズしてきた。我慢できないので、明後日行くことにした。 最近、後輩から、タイのビーチに行きたいのですが、どこかお勧めありますかと聞いてきた。彼はプーケットに数回、コサムイ、サメットなどには既に行っているので、トラン沖に浮かぶハイ島、ムック島、クラダン島あたりに行ってくれと言った。言ったら自分も行きたくなって来た。今調べたら、シンガポールかタイのクラビまで、タイガーエアラインで往復4000円程度で行けることが判明した。夢は膨らむなあ~。あ、税金入れたら1万円ぐらいになるわ。 しかし、考えれば、私が初めてインドやタイに行ったのは1980年代半ばである。その頃、1960年代にインドに行ったことのあるおじさんヒッピーに会うと、その時代に行きたかったなあ、と、とっても羨ましかったが、いまや2000年半ばである。今、私が行くと、出会った青年は私の事をどう思うのだろうか、と思うと少し、複雑系な気分である。
2006.03.03
コメント(11)
急ぎであり重要な仕事、これは始めにやるべきだよね。急ぎでもないけど重要でもない仕事は最後に回すよね。でも急ぎであり重要でない仕事と、急ぎでないけど重要な仕事をそちらを優先的にするかが分かれ道。リーマンは前者を優先するだろうな。 こういった話題を、私は、これでも、上手く行く方法というのを書物上では、よく知っている方だ。皆、そうだろう、実行に移せないだけだ。 忙しいから考える暇がないというのが最悪で、人間とは、簡単に現状に慣れてしまい、変化を嫌う。分かっている筈だと思うんだけど。すっごく心配になるから資格を取ろうと努力したり、上昇するために現状の仕事を頑張ったりするんだよね。それが楽なんだ。でも、立派な会計士や弁護士になることより、自分のブレーンにした方がよっぽどいい、ってことも皆分かっているんだよね。 誰かに委任して、ゆっくり豊かな旅行をしたいのが本音である。 某沿線の某普通停車駅に女郎屋が数件鄙びて残っている。そんなこといっていると機能の続きじゃないけれど、オームで有名な上九一式村が本日2つに分断され村の名前が消えた。オーム、それは神聖な言葉。キリストでいえばアーメンと同じである。
2006.03.02
コメント(10)
。 インターネットの出現、オープンソースによって、いろんな知やスキルみたいなものが、高速道路のように、ビューンと滑ってある時点まで簡単に辿るつけるようになったような気がする。私の10代と、今の10代というのは、全然その辺りが違うのだろう。高速道路で、セミプロまで、短時間で多くの人が来れるようなイメージであり、セミプロで、糞詰まりになっている感じがする。何せ、道が高速道路なので、スムースに行けるので、後から後からどんどんやってくる人々がいて、前の方で渋滞を起こしている、そんな感じだ。この豆腐屋に行っている訳ではないが、時々、スターバックスに行く。スターバックスでは、入れ物(カップ)を持ち込めば、飲み物が安くなるのだが、おじさんが一度自分のコップを出したのをみたことがある。店員の女の子は一瞬顔が引きつったのを見逃さなかった。やはり抵抗あるものなのだろうか。そうだろうなあ。 先日、鹿児島に行って、空港近くに来ると、霧島町と表示が出た。霧島の温泉街はここから2時間かかるという。都会に住んでいるので、全然気がつかなかったが、平成の市町村大合弁、編入は進んでいるのだなと思った。1995年に3200あった市町村も今は2300。10年で900減ったということは1/4も減ったということなのだなあ。でも議員数が減ってなかったり何かと問題はまだまだあるんだよねえ。今調べたら今年の1月1日に50市町村が合弁編入が行われている。昨日の2つ、明日も20の合弁編入があるのだなあ。まあ、そういいつつ、日本でもブログの開設が500万を越えた。凄いねえ。政治も今はいろいろ問題になってるけど、小泉は首相続投は嫌だろうなあ。無責任に道だけ敷いて後は頼んだよ、と贅に入る予定なんだからねえ。続投すれば、自分でやらねばならなくなるからねえ。オリンピックはどこの国でも金メダルを取った選手をもっとクローズアップすれば、楽しいのになあと思ったのだが、そういうものでもないんだろうか。
2006.03.01
コメント(6)
全35件 (35件中 1-35件目)
1