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人間、だれもが一つや二つ、コンプレックスを持っているだろう。たとえば足が短い、鼻が低い、太っている、体力がない、ブサイクである、成績が悪い、運動音痴・・・身体的特徴でなくても、片親しかいない、人付き合いが苦手、家が貧乏、気が弱い・・・ これら自分が抱えているコンプレックスを、もし、テレビの向こう側からお笑いタレントが茶化して笑いものにし、それが世間に受けていたとしたら、あなたはどう思うだろうか?そんな世の中、自分がいつ、コンプレックスを攻撃され、笑いものになるかわからない恐怖を感じるのではないだろうか? 今回のとんねるずの復刻した保毛尾田保毛男というキャラ騒動が起こした問題は、そういうこと。30年前、性的少数者を笑いものにし、人気をとったことの恐ろしさ、それが社会に定着し、バカにしてもよい空気を醸成させた「笑い」なんです。 とんねるずのキャラでもう一つ、木梨憲武扮する「のりお」なるキャラがいる。貧弱な体でおどおどした、いわゆるクラスの「いじめられキャラ」だ。くねくねした気持ち悪い動きが特徴的で後にゲームのキャラにもなったが、このキャラもスクールカーストの弱者を笑いものにするキャラであることは明白。当然、全国の学校には必ずこういうタイプの人がいた。 今回の騒動で世の中がまともになったと感じたのは、この保毛尾田保毛男というキャラを現在テレビに登場させると「これはひどい!」と声を上げる人が多くなったこと。つまり、意識が変わったということだ。この番組を作ったスタッフにとっては「たかがお笑い」かもしれない。しかし、それは昔、女性差別や黒人差別、身分制度があったころを「おかしな時代であった」と考えることができるようになっている、ようやく傷ついている人がいることがわかった、いい時代、といえよう。 足を踏んでいる人間は踏まれている人間の痛みはわからない。踏まれている側が「痛い」訴えても「そのぐらい大して痛くないだろう、世間にはもっと痛い思いをしている人がいるんだからお前はこのぐらい我慢しろ」というような、そういう人間にはなりたくない。
2017.09.30
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とんねるずが過去に作った保毛尾田保毛男というキャラを先ごろ「懐かしの」みたいなことで放送したところ、視聴者から大反発、社長が謝罪をするというニュースについて。 私はこの保毛尾田保毛男というキャラがテレビで流行っていたころ、同じとんねるずの「ナマでダラダラいかせて」という番組で気持ち悪いオタクキャラである「宅八郎」を同様に笑いのネタにしていたことでひどく傷ついた、偏見を持たれた側の人間です。 当時、宮崎事件によって世の中にオタク族という言葉が悪い意味で広がった時代。そこに現れたこのキャラはいかにも不気味で、気持ち悪くて、そして「オタクは気持ち悪いから笑ってもいい、バカにしてもいい対象なんだ」というのをテレビの向こうから強烈に世間に啓蒙した、実際クラスでもオタクである自分がいじりの対象になった、強烈に苦い体験をさせられた番組でした。そして、その一般的イメージはいまだに残っていて、何か性的犯罪があった際、その犯人がアニメや漫画などに関心があると必ずアイコンとしてニュースで報じられ、コメンテーターがまたオタクの犯罪、みたいに報道する。実際、性的加害者の過半数が身内、親族といった血縁関係者が多いことはあまり知られていない。 これと同様に保毛尾田保毛男のキャラは当時もいた性的マイノリティーをバカにしていいアイコンとして世間に認知させた。笑われることを「面白い」「美味しい」と勘違いする人間を大量に増やした。はっきりいってどちらも差別助長の放送でした。 もしこれを「たかがそのぐらいで・・・」と軽く見ている人がいたら。たとえばこれが身体障碍者、それこそ目の見えない「メクラくん」といったキャラであったらどうでしょうか?そういった人の行動を面白おかしく笑って、バカにすることが「たかがそのぐらい」と思うのでしょうか?先天性の下半身まひで足を引きづって歩いている人のまねをしたキャラを作って「面白キャラ」にしているでしょうか? はっきり言いますが、未だに芸能界で笑いのネタにしてもいいとされている「デブ」「ハゲ」「ブス」「ブサイク」「チビ」といったキャラやネタも、上のキャラ設定と全く同じです。芸人本人が仕事だからと納得しているとしても、それを納得できない、それによって馬鹿にされ、傷つけられている人が視聴者側にたくさんいます。何より「そういう奴はバカにしてもいい、笑っていい対象である」と思い込む視聴者を増やす。 笑いの怖いところは「大勢が笑っているからみんな幸せ」だと勘違いすること。実際にはそうではない笑い、いじめ動画を面白映像としてネットで公開する人がいるように、この手の悲劇はいくらでもある。 こういう笑いが昔は許された、のではない。昔だって傷つき、時には自殺に追い込まれた人だっていた。単に言う側が無神経で気が付いていなかっただけで昔から許されてはいなかった。 そこを勘違いしてはならない。
2017.09.29
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コンテンツ業界に限らずですが、世の会社では自分の社内政治のために明らかに儲かるコンテンツや商材を潰すことが「お客の事を考えて」「社内の規律のために」と言う人がいるんです。 金の卵を産むガチョウが自分の望む餌を食べない。だから殺してしまおう。なーに、代わりのガチョウはいくらでもいる。いずれそいつらの中からまた金の卵を産むガチョウが出てくるのを待てばいい。 そういう人間にせっかく育てたガチョウを奪われた飼い主の感情はいかに?
2017.09.28
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自由にやっていいけど、事前に偉い人の許可が必要、という言葉の矛盾。 たぶん、この辺でもめてたのではないかと推察する。これは自分の業界でもあって「お任せしますので好きなように作ってください」と言われたので作ったら「うーん・・・イメージと違うんですよね」と・・・なんでやねん!任せるって言ったやん!
2017.09.27
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以前、大きな会社で開発していた時の話。社内的にはまったくといっていいほど注目されていない、会社内でも出世街道とは縁のない変わり者(自分もそうだった)が嬉々として集まった、新規ゲームの開発を少人数でしておりまして。 で、新規でこれまでまったくないタイプの作品だった上にリーダーがそれを許してくれる人で好き勝手やれていた。細かいクオリティーより面白さ、インパクト重視で一点特化した作品になる。 結果、その作品が予想外のスマッシュヒット。業界的にも注目され、関わった人数が少なかったこともありそれこそボーナスの額が倍になるほど。 しかし・・・次回作になった途端、あらゆるところから開発に絡んでくる。やれこういったものでは売れない、やれこういうことを宣伝したいので○○までに画面をよこせ・・・ そのうちに前作の開発には全くかかわっていない偉い人が上に立ち「このゲームはこうあるべきである」と口を出してきて・・・ 私の仕事は以前より責任だけ増えて自由度が恐ろしく下がった。だから、正直面白さの鉱脈は失われて、その時には「もういいや」という気分になったのですが・・・ 今回、けものフレンズで監督の交番劇が話題になりました。真相はわかりませんが、自らツイッターで「残念です」と語っているからには何かあったはず。それが私のような経験であったとしたら・・・
2017.09.26
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今度アニメでリメイクされる古典的SF大作「銀河英雄伝説」の昔のOVAを思い出したように見ているのですが、この作品の特徴的なのは帝国軍と共和軍の戦いで、ありきたりの作品だと帝国側を悪と描き、民主政治を行っている共和国軍側を善とすることが多い中、民主主義によって戦争が支持され、行われるプロセス、政治家が民衆を煽って戦争を継続させようとする、実際の歴史でも見られる構図を踏襲していて。 特に、勝ちに乗じた勢いで内政への不満を逸らすために政治家が戦線を拡大する、主人公の一人、ヤンも戦争反対の立場でありつつ、国の英雄に祭り上げられ、政治利用される、軍人であるために命令に従わざるおえない。 この辺、たとえば今の国内での支持率低下を外敵を作ることで「今はそんなことをやっている場合じゃないだろ」と話題を逸らす行為に似ています。 思うことは支持率が高かろうと低かろうと、戦争やむなしなんて言っている政治家を信用しちゃいけない。どんなことをしても戦争を回避するのが外交であり、政治じゃないか。 何しろ戦争を肯定するということは、相手国民を殺し、自国民が殺されてもいい状況を作るということ。こんな異常事態を「この道しかない」的な2択で迫る政治家を信用できるわけがない。痛みを伴うなんて言いながら、その痛みを言った本人ではない人間に肩代わりさせ、自分はのうのうとしていられるのですから。 銀英伝より名言をひとつ。「泣いて馬謖を斬る」か、ふん。自分が犠牲にならずにすむなら、いくらだって嬉し涙が出ようってものでしょうな。(シェーンコップ)
2017.09.25
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「まずい給食」業者、町非難し責任転嫁する文書 これを見た時に最初に思い出したのは自分の小学生時代。当時、学校に給食室があり、毎日大きな鍋でおばさんたちが給食を校内で作っておりました。 が、後に聞いたのですがこの給食のおばちゃん、と呼んでいた彼女たち、実はとてもお給料が高かった。理由は市の職員扱いだったそうで。一日に300人近い子供の給食を朝から作る重労働ですが、その辺のお店の調理人なんかよりずっと安定して、ある意味憧れの職業の一つでもあったそうです。 ですが、最近は学校で給食を作るという公立校も少なくなった。理由はコスト削減。民間の給食センターという一括した場所で作って各校に配送するのが普通になりましたが、結局、コスト削減を民間業者に求めるとこういう結果になりやすい。 私は「値段が安いには理由がある」と思っています。いわゆる安かろう、悪かろう という市場経済では当たり前の事。しかし、こと日本ではレベルの高いものをローコストで求める消費者が「普通」です。そのしわ寄せはどこにくるか?当然、そこで働いている人たちで。 牛丼一杯300円程度で得られるサービスなんて、もともと考えればたいしたものじゃない。そこで働いているアルバイトの人の時給も最低時給をギリギリ超えているレベルのもの。しかし、仕事の内容に「プロとしての誇りを持て」なんて、よくそんな恥ずかしいことが言えるなと。 上の給食業者についても単純に責任転嫁だと思えないんです。本当に子供にいいものを食べさせたければ、それこそ高いお金を払ってきちんとした業者、設備、人を集めるべきであり。そういう基本のところをケチったうえでの「食育」なんて鼻で笑うべきで。 食べ物に異物が入っていたり不味い、というのは、相応の金額で契約しているということ。コスト削減のしわ寄せが出ているだけです。
2017.09.24
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「家庭でも禁煙」都条例案提出へ…愛煙家は疑問 まず、家庭内の喫煙問題は家庭内のお話であり、行政が口を出す領域ではないと思います。たとえばこれがDVや児童虐待のような緊急性、事件性が高いものであるなら話は別ですが、これに関しては個人の嗜好に関して行政が介入する先例になります。 おそらく、この次に来るのはエロ漫画などの性的なものを子供のいる家庭では教育上よくないから置いてはいけない、のような話ではないかと。さらにいえばどんどん反社会的と勝手に定義されればマイノリティーの趣味を「子供を口実に」規制にかかる。 私が卑怯だと思うのは、この手の意見で「子供をダシに使って自分の嗜好を押し付ける人間」です。この手の意見がまかり通るのであれば「LGBTのような奴らは子供の教育に悪い」「祝日に日本国旗を掲げないことは子供の教育に悪い」といくらでも拡大できる。 私はタバコを吸いませんし、正直タバコの煙は迷惑だと思っています。しかし、それを行政の個人や家庭への介入にされたくはない。そう思ってます。 だいたい、オリンピックに向けてそういう方向にいろいろ動くのはおかしいよ。オリンピックは政治と切り離されなければいけないのはオリンピック憲章にも書いてあるのに。
2017.09.22
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今の時代の平和ボケの危険なところは、他国が攻めてくる危機感を持たない国民が問題なのではなく、戦争で自分や家族、友人など近しい人が理不尽に死ぬことを想像できず、映画や漫画を見る感覚、感動のドラマでも演出する感覚で「戦争やむなし」みたいなことを平気で言う戦争に対する本当の想像力のない人間が増えてきたことだと思う。日中戦争前の日本国内世論も一般人やメディアもこぞって戦争やむなし!みたいな空気を作っていたのは、その前の日露戦争で傷ついたり身内をなくしたりしなかった、自分には戦争の被害は関係ない、遠く離れた海外の国でのお話だと思っていた人々であり。しかし結果は・・・ 先日、駅前で若い人が演説していて、その中で「国民が兵士となって国を守ることは当然の義務である!」なんて言ってるあなたはなぜ自衛隊に入らないのか?同じことは保守系年寄りの「日本でも若者を鍛えるために徴兵制を復活させよう」などと勝手なことを抜かしている人もいますが・・・ 以前にもコピペしましたが銀河英雄伝説より人間の行為のなかで、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは、権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。(ヤン・ウエンリー)
2017.09.21
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悪い労働環境で仕事をすることの弊害で、一番大きな点は「俺だってこの環境で我慢しているんだからお前らも耐えろ」と環境が悪いことがいつまでも改善されない、むしろ「これだけ悪い環境に耐えている、だから自分は偉い」と脳内変換を起こすことだと思う。 よくあるのがブラック企業で明らかに法律に違反していることを上司に指摘すると怠惰だと非難される、あるいは仕事に対して積極性がないと査定で低く評価される・・・ しかし、冷静に考えれば怠惰なのは問題のある社内環境を改善しない管理者側のはずであり。特に日常的な長時間サービス残業などは社会人として、上司としての管理者責任を果たしていないのはだれか?おのずとわかるはず。 会社にいるとその中のルールがまるで社会の常識のように語る輩が出てくる。しかし、この国では法律や人権を超える社則などゆるされない。明らかに違法なことをされた場合、環境改善を求める権利がある。 会社にとって社員はたくさんいる労働力の一人かもしれないけど、自分の体は代替が効かない。長時間労働やパワハラで心身を壊したツケは自分にすべて降りかかってくる。 どんな仕事もそれは同じ。それに本来、誰にとっても労働環境がいいに越したことはないはず。にもかかわらず「法律を守っていたら会社がつぶれてしまう」などというのは、ヤクザや犯罪組織を認めるのと同じだとわかっていない経営者もいる。 会社がつぶれたらお前ら路頭に迷うことになるんだぞ!それでもいいのか?という脅しに対しては、法律も守らない、社員の健康すら守れないたかが一企業が潰れても代わりの会社はいくらでもある、と思っておいた方がいい。昔のように「この会社に骨をうずめる」ほど企業も社員を守ってくれず、簡単にリストラする時代です。
2017.09.20
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お笑いの世界ではよく「体を張ったギャグ」というのがあります。それこそ熱湯風呂とか、危険な野生生物に素手で挑むとか、そういった類の。 で、最近ちょっと気になったのがYouTubeで話題になるために素人が「体を張ったギャグ」と称して、赤の他人に迷惑をかけることをやること・・・これ、体を張ったネタとは言わないんじゃないか? たとえば見つかったら怒られる、ボコボコにされる、警察に捕まるリスクに体を張った、という意味なのでしょうけど、それは裏を返せば、そういった連中のアクセスを増やす、話題になるために迷惑をかけられている側が必ずいるということに他ならない。当然、本当の意味でリスクを受け、全く見返りがないどころか悲しい、悔しい、迷惑をこうむるだけの側がいる。また、そういった連中は社会的な責任がないからこそ、こういった奇行をしても失うものがないとやってしまうケースが多い。 昔、その手のとんでもないことを世界ですることを売りにした芸人の映画がありましたが、たとえばパリコレの舞台に突然乱入とか、宗教の歴史的権威ある荘厳な式典で奇声を発するなど・・・正直面白いのではなく、このイベントや式典を無茶苦茶にした、関わっていた、このために日々努力をしていたまじめな人々を無茶苦茶にする、おそろしく下劣な内容でした。 YouTubeでアクセス数を増やすためにこの手の人間が見受けられますが、お前らは何のリスクも負ってない、単なる下種な人間だと言い続けたい。
2017.09.19
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特定の人種や民族の中にも頭のいい人はいるし馬鹿もいる、ということをわかっていない人間ほど、他国の民族、人種を雑なくくりで評価し、「だから○○人は馬鹿だ」みたいな物言いをする。一方で自分の所属する民族の一人が起こした事件などは「ああいう連中は俺らとは違う」と切り離しにかかる。 本来、こういう人間を国籍関係なく「バカ」だと思うのだが。
2017.09.18
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北朝鮮の核開発に対して日本政府は「世界の安定と平和を脅かす行為」として強い抗議声明をだしています。ここまではいい。しかし、一方で理解できない行動をしているのは、国連の核兵器拡散や開発禁止をしようという非核国の連盟に加入していない事。世界で唯一、戦争による核攻撃を受けたこの当事国が、です。 また、もっと違和感を感じるのは、昨今インドに安倍首相が訪問し、北朝鮮への制裁などに協力を求める働きかけをしました。が、そのインドも北朝鮮と同じく国際社会からの反対を受けていたにもかかわらず核武装した新興核保有国なんです。ここに、北朝鮮と何の違いがあるのか?もっといえば、アメリカや中国、ロシアといった国の核兵器はOKで北朝鮮の核は駄目だ、なんて意味不明すぎる。 これがもし、日本がアメリカの核の笠に守られているとしても、核兵器反対の方向で発言していればわかるのですが。 さらには与党内からも「非核3原則はもはや非現実的であり、日本も核武装すべき」論が出てきている。 いずれにせよ財政難のこの国で核武装化のために更なる防衛費増強は疲弊にしかならんよ。核兵器なんて使ったら大変なことになるのは先の大戦でこの国は嫌というほど味わったのだし。
2017.09.17
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チビチリガマ荒らした容疑、少年4人逮捕 沖縄県警 ふと思ったのは、「この事件がいわゆる思想とか民族的問題で発生したのではなく、単なる地元のガキの度胸試しだったことが救いである」ということ。 もちろん、沖縄戦の悲劇を象徴する場であり、多くの方々の祈りの場を荒らしたこの馬鹿どもはしっかり反省してもらいたい。が、その反省とは、罰金刑とかそういったものではなく、沖縄戦の悲惨な歴史や映像資料、生き残った者の当時の証言を強制的に一年にわたって語り聞かせる、というのはどうでしょうか。 どうしてこんなバカなことをやったかと言えば、そこにある歴史的意味を知らなかった、想像力がなかったこと。これはこの若者だけでなく、たとえば広島の平和公園の千羽鶴に火を放ったものや、平和慰霊碑にスプレーで落書きをした人間と同じ。と、同時にこれは自国のみではなく、韓国の従軍慰安婦の少女像やヨーロッパのアウシュビッツ収容所の壁にに落書きをした人間などどれも共通している。 歴史から自分たちが学ぶとしたら、こういう経緯やこの場がどういう意味を持った場所や史跡なのかを知るきっかけであり、そこからいろいろ考えることができる。思想や国籍関係なく、過去の悲劇というのはどの世界でも起きていて、だからこそ再び繰り返すことを恐れたい。 冒頭の話に戻りますが、単なる度胸試しより、沖縄戦の悲惨な歴史を知ればもっと恐ろしい現実の歴史が見えてくる。それは幽霊とかそんなものよりよほど怖い話だよ。
2017.09.16
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話題になっている映画「ダンケルク」を見てきました。第2次世界大戦においてドイツ軍の侵攻によりフランス北のダンケルクに追い込まれた英仏兵士の撤退戦である、というレベルでしか歴史的予備知識がない状態で見ました。 いやあ・・・なんだろう、戦争映画ではいわゆる英雄譚か、あるいは悲惨さを強調したものはたくさんありますが、今作はひたすら「目の前の状況を必死にかいくぐる」近視的な構成になっていて。大きな作戦内容も、俯瞰的な状況もわからない。主人公は撤退する兵士、民間人でありながらその撤退に協力する小舟の船長、撤退戦の援護に当たる飛行機パイロットの3人の視点で進むのですが、どのキャラクターもほとんど背景が見えない。ただ、戦争という状況に放り込まれた一個人のお話であり、だからこそ、戦争の大義も、後世の歴史的意図もわからず、ひたすら迫ってくる状況にあがく、そんな映画でした。 で、それでも面白い!あえて敵のドイツ兵が見えない、いきなり砲弾が飛んでくる、大きな波に振り落とされそうになる、魚雷で船が沈む、後方から機銃で撃たれる・・・強い緊張感を強いられる映画で。 ですが、自分が戦争に巻き込まれたとなった場合、おそらくこういう状況でしかないのだろうなと。それこそ自然災害と変わらない。生き残ることが精いっぱい。でも、その中でほんの僅かな人間性が輝く映画といいましょうか。 今作を見た後にTBSラジオ「荻上チキ セッション22」で今作の舞台の歴史的背景を知ったのですが、あらためて「ああ、あのシーンはこういう意味があったんだ」と深く理解した、でも、当事者の兵士にとっては自分と同じ状況だったのだろうなと。 すばらしい映画でしたのでぜひ!
2017.09.15
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ようやく個人の任天堂スイッチを手に入れまして。これまでは会社にある備品で遊んでいたのですが、どうしてもほしい、けど、どこでも売っていないという状況でしたが、先日ようやく大型量販店に朝から並んでGETしまして。 で、遊んでいて感じるのは「やはり携帯ゲームは画面に指が重ならないほうが絶対にいい」ということ。スマホのゲームで画面をタッチするタイプのゲームも否定しませんが、アクションゲームだと指が視界に入ると没入感が急に削がれる。それに開発側の人間としては画面に一定領域の死角ができてしまうのでUIが制限されたり、ボタンを押すカチッとしたフィードバックがないので入力ミスにストレスを感じたり・・・ その点、やはりきちんとコントローラー部分が画面と別れていると安心感があります。 しかし・・・これ、本当にすごい性能だよな・・・このサイズで少なくともPS3や360といった据え置きハイエンドハード以上の性能があるんだから・・・同梱で買ったスプラトゥーン2なんて据え置き画面モードと全く差がないし。 真面目にこれ一台で据え置きも携帯も済んでしまうのはすさまじいなあ・・・あとこれでインターネット出来たり電話できれば何もいらないやんw
2017.09.13
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これほんとに悪習だと思うのよ 笑いましたが、確かにその通りです。人間が仕事をする理由のほとんどは「お金のため」のはず。しかし、なぜか日本ではお金の話をすることを「あさましい、汚らわしいもの」とする傾向がある。求人を出している企業に入るのになぜ「わが社にエントリーシートを出した理由は?」と聞くこと自体、意味が分からない。 私は相手に何か仕事を頼む際、かなり早い段階で報酬のお話をさせていただきます。これはお金の話を相手に先にすることで相手が「この仕事を受けてOKかどうか」が判断しやすくなる。どんなに崇高な理念や熱い情熱を語っても、報酬があいまいにされては引き受けにくいし断りにくい、中途半端な状況になる。逆に言うと「お金」と「スケジュール」と「違法でない」ことがきちんとすれば、プロであれば断わられることはほとんどないと思います。 というか・・・いまだに就職って企業側に「雇ってやる」という空気があるんですけど、どんどん少子化し、労働人口が減っているこの国でいまだに殿様商売気分な企業は、ずっと碌な人材があつまらんよ。好き好んで社畜になる人間はいない。
2017.09.12
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[流言飛語]「netgeek」が流した「泉放送制作」デマについて 震災のデマの検証をよくやっている荻上チキ氏らしい見解で納得できるのですが。 この既存メディアを「マスゴミ」と呼び、俺はネットで真実を知っている、だから騙されない!みたいな人って、その情報元がもっと怪しい、資料も何も提示されていないまとめサイトみたいなものを世の中の真実だと思っている、むしろ騙されやすい人であるということだと思うのです。 もちろん、既存メディアであっても怪しげな情報を検証せず報道するところはあります。が、その質は少なくとも「間違った報道をしたら担当者やその上司が責任を取る」というものがあるだけ、上のようなニュースサイトとは雲泥の差で。例えるならまともな素材をまともに調理して、手違いで虫が一匹混入してしまった料理店か、最初から腐った素材をいい加減な調理して「本物の味」と宣伝して客に出し、売った後に逃げてしまう移動販売車ぐらいの差がある。 思うのは「1+1=2である」といっても当たり前すぎて誰も注目されない。しかし「1+1=6であり、私たちは騙されている」というトンデモには注目が集まる。中には本当に信じる人もいる。それがアメリカの大統領選挙でトランプを押し上げた力になった。------------------ 「デマを流し、お金を儲け、問題になったら逃げる」という手法が「得」になるようなウェブ社会のあり方は、改めていかなくてはいけないと思う。------------------- という文中のまとめはまさにその通り。しかし、こういったサイトの運営者は「単なるネットのウワサだよ、マジになるなよ」というレベルでこの手のデマを流しているのだから始末に悪い。
2017.09.12
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小学生のなりたい職業にユーチューバーというのがあって、それをバカにする世論の傾向などを見ると、自分の学生だった頃、まだゲーム開発者というのが世間的認知を全くされていなかった時代を思い出します。 私が高校の進路相談で「将来ゲーム開発者になりたい」と言ったとき、当時の高校の進路担当の先生は「そんな仕事は10年も持たん。もっと現実を見ろ」と・・・当時はスーパーファミコン全盛期ですが、社会のゲームに対する認知は「子供の遊び」以上のものではなく。漫画やアニメなんかより歴史が浅かった分、もっと低く見られていたものです。 ですが、その後ゲーム業界はどうなったか?いろいろな波や変革はあるものの、少なくともテレビを見ればスマホゲームのCMをバンバンやっている、任天堂の名前を知らない人はいない、大手メーカーには一流大学の出身者がたくさん入社希望のエントリーを出す、小学生男の子への将来なりたい職業の上位にゲームクリエイターが入っている・・・ 少なくとも私が進路の先生に猛反対された時代から20年は経過しています。それどころか当時の先生に進められた地元の有名企業は数年前、業績不振と海外競争に敗れ、倒産しました・・・ もちろん、たまたま自分が未だにこの業界で食べていけるだけであって、生存者バイアスであることは十分承知しています。しかし、だからこそ上の子供のあこがれるユーチューバーという職業も何年もしたらごく当たり前の仕事になっているかもしれない、ということです。 だから、今の基準で他人の夢を馬鹿には出来ない、そう考えています。
2017.09.10
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この国では表現の自由が認められているから、民族差別的発言も認められるべき、というのは、何もしていない相手に石をぶつけることの自由である。 つまり、それを認めろという人間にも、当然、もっと多くの反対派から石をぶつけられることを許容しなければいけない。下手したら死ぬのはてめえのほうになる。 その覚悟があるなら上の主張をしてもいい。その覚悟もない人間が、ストレス発散のために使う都合のいい表現の自由などというものはない。 過去に漫画家も、歌手も、ゲーム制作者も、ドラマ制作者も、あらゆる表現者は表現の自由のために血みどろで戦ってきた。そうして勝ち得たものと、ネットではやっているヘイト文に踊らされ、ファッション右翼的な差別主義者にそこまでの根性があるか?社会的理解を得られるか? まさか「自分は石をぶつける権利はあるけど、痛いから俺には石をぶつけるな」などという都合のいい主張ではないだろうね?
2017.09.10
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たとえば、政治家のスキャンダルでも個人的な、それこそ不倫とかそういった政治業務と関係ないことで辞める、やめないを言うのは「あの政治家は趣味でエロ漫画を描いているから政治家をやめるべき」みたいな意見だと思う。 そもそも不倫は法律上は犯罪ではない。当人、関係者、家庭内の問題。むしろそんな個人的なものを与野党、国政、地方議員問わず政治の世界に持ち込んで混乱させるな、と思う。 しかし、自分が「不倫をするような議員は辞めるべき」といっていた議員は自らの言葉の責任を取るために辞めるべき。これは政治家は言葉と行動の信用がすべての世界。それは公約と同じ。 たとえば、選挙では原発反対を訴えていたのに、内閣に入った途端、自分のHPからこっそり文言を削除するような政治家は許せない。それをされてしまったら私たち有権者は何を基準に人を選んでよいかわからなくなる。
2017.09.09
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最近話題になった関東大震災での朝鮮人虐殺事件について、面白いHPがありました。この面白い、というのはこの事件についてでたらめである、と筆者にツイッターで返してきた人の反応をデータ化して統計グラフ化、視覚化したものです。関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する意識調査 これを見るといわゆるクソリプとよばれる反応のおかしさ、条件反射のような反応に苦笑が出るのですが。 上の件とは別のお話をします。関東大震災で朝鮮人が暴動を起こしているから殺せ!とデマを信じて実際に殺害をした人たちというのは、別に普段から極右思想に偏っていた人でも、やくざのような暴れ者、ならず者であったのでもありません。一般の会社員であったり、商人、工場勤務の労働者、町内の若い衆のようなごく「普通の日本人」でした。それが予期せぬ大災害とデマの恐怖に疑心暗鬼となり、このような凶行を行った。 と、同時に当時、日本人でありながら知人の朝鮮人を自宅の納屋に匿ったり、なだれ込む群衆を「鮮人に手を下すなら下してみよ、憚りながら大川常吉が引き受ける、この大川から先きに片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、一人だって君たちの手に渡さないぞ」と大演説でもって守った警察官もいた。彼らも同じ日本人です。 この両者を分けたものは何か?それは「相手を国籍や民族のような曖昧な価値観でなく、どれだけ「人間として」見ているか?」の違いです。 最初のHPに戻りますが、クソリプを仕掛けてきた人間の意見は完全に前者のそれであり、そこには理性も思考力も何もない、きっとまたこういう災害が起きた時に、真っ先にデマを信じ、同じようなことをするタイプでしょう。 そうなってからでは遅い。だからこそ、関東大震災でのデマによる虐殺事件は多くの人間が「自分もその当事者になる可能性がある」と常に胸に刻んでおかなくてはならないのですが・・・きっと何もわかっちゃいないんだろうな・・・
2017.09.07
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動物実験で、何か芸をさせて失敗した時に罰を与えるより、成功した時に褒美を与える方が学習力が高い、という結果が出ました。 これ、人間にも当てはまるはずです。たとえば100の作業があって1つ失敗したことを叱責することより、99成功していることを褒められる方がやる気が出るし、実際、ミスも減るそうで。 翻って日本の評価って減点法が多い気がします。ですが、完ぺきにできることを「当然」みたいなことを言われるのはその人の努力を無視され、結果だけ当たり前として享受し、評価の対象にならない。逆に失敗は即、「怠惰」とか「気を抜いている」「真剣にやっていない」と・・・その割にはミスをシステム的に防ぐ努力がなく、現場に「緊張感」とか「懲罰」といったマイナス方向で防ごうとする。 しかし、こういった負の緊張はかえってミスをしやすくなる。それは本人の資質じゃなく、動物的な反射です。 自分に置き換えて考えてみればいい。誰もがミスばかり責められ、うまくいっても褒めてくれない会社に愛社精神など持てるわけない。厳しい指導、根性論がこの国では教育の基本みたいな風潮があるけど、つくづく歪んでいるよなあ・・・
2017.09.07
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私の小さい頃なので30年ぐらい前になると思いますが、親が「コーラのような炭酸飲料は骨を溶かすから飲んではダメ」みたいな風潮がありまして。 もちろん、全くの迷信です。そもそも炭酸水に骨を溶かす成分などある訳がない。では、どうしてそういう話が出てきたか?それは確実に「自分たちの子供のころにはなかった飲み物で、なんとなく気に入らないから」でしょう。 こういうことは他にもあって、カップラーメンは体に悪いものが入っている、のような。しかし、現在パッケージの裏側を見てもわかりますが、基本は小麦と塩と油の塊。このどれも日常的に食べるものですし、食べ過ぎればどれも体に悪い。 他にも、コンビニで売っている菓子パンは常温でカビが生えないのは添加物を大量に使っているからだ、とか・・・根拠のないイメージで食べ物に善悪をレッテル張りされていることがよくあります。 栄養学的に全く根拠のない迷信をいまだに信じている人がいる。それは福島で取れた野菜や果物にどんなに科学検査で放射能汚染がないことを立証しても「何となく不安」という理由で買わないことに似ています。
2017.09.06
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本当の「愛の鞭」ってのは相手じゃなく自分を叩くものだよ。暴力の言い訳に使うものじゃない。
2017.09.04
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ジャス奏者の日野照正さんが学生のコンサート指揮の最中、言うことを聞かずにドラムをたたき続けた少年をステージ上で往復ビンタというニュースに関して。 私ががっかりしたのが、この行為について日野さんが「教育の一つ」と言い訳、自己正当化をはじめたこと。なんじゃそれ?って話に・・・ 人間は感情の生き物だから「ついかっとなって叩いてしまった」はあります。それは仕方ない。しかし、ビンタは確実な暴力であり、体罰は禁止されている以上、それは指導者として反省すべきこと。 しかし、彼はその後の会見で「たいして強くたたいていない」とか「こうやってマスコミが騒ぐことが日本を悪くしている」など、体罰の責任を周りに擦り付ける発言をする。これだけでもう指導者として不信感を持ってしまう。 コピーライターの糸井重里さんが今回の件について「体罰はコストの安い管理方法、何度も脅したり殴ったりを繰り返すことになる」とツイートしていますが、まさにその通り。私の学生時代も体罰を日常にする、いつも竹刀を持ち歩く教師がいましたが、その先生を私は尊敬したことは一度もなく、むしろ嫌悪と恐怖しか感じませんでした。 教育には暴力も時には必要である、という言葉をよくこの手の事件があると聞きますが、殴られたり、蹴られる教育で育つのは「自分もそうやって育ってきたのだから教育でたたいてもかまわない」という暴力の連鎖です。それに暴力に対する耐性は人それぞれで、たった一回殴られただけで学校が恐ろしくなり登校拒否になる子もいる。それはその子が弱いから悪いのでしょうか? 一般の教師の体罰は許されないのに、日本で高名なジャズミュージシャンの体罰は許される、なんてことはありません。どんな形であっても教育に暴力を持ち込んではいけないと思います。
2017.09.03
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関東大震災における朝鮮人虐殺がなかった、という人について。 気になったのは彼らの主張が「6000人という数字は正確なものではない、だから虐殺はなかった」としていること。つまり、数字に信ぴょう性がないから事件そのものを否定しようという論法。 しかし、では広島の原爆被害者の数は、実はまだ正確に出ていない(救援に駆け付けた近隣住人の2次被害や被爆後何年もして原爆症といわれる被害を発症した例など)。他にも東京大空襲などもそれこそ被害が大きすぎて暗数が多く、±1万人以上の誤差があるのではないかとも呼ばれている。 これらの事件も上の主張をする人たちは「原爆投下はなかった」「東京大空襲はねつ造である」というのだろうか? 自分たちの耳に心地よい歴史だけが「真実」なのではない。そんなモノをねつ造してまで紡ぎあげて作った「美しい日本の歴史」「日本民族の誇り」なんて、恥ずかしくて、そこまで厚顔無恥な国民ではない。 関東大震災での被害者と、その後のデマによる虐殺の被害者は違う。これは東日本大震災での津波の被害と、その後の被災者の子供が被災先の学校でいじめを受けたのと同じぐらい異質で別の話。前者は防ぎようがない天災だけど、後者は明らかな無知からくる人災。 94年前、東京で何が起きたかをきちんと認めることは、その人災を防ぐ最大の防御壁になる。だいたい6000人の1/10の600人であったとしても、もっと少なく60人であったとしても虐殺であることを否定する要素は何もないはずなのに・・・
2017.09.01
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9月になりました。 ニュースでも昨今取り上げられるようになりましたが、夏休み明けの最初の登校日というのは統計的に見て子供の自殺者数が急増する特異日でもあり。特にいじめられている子が「また学校に行かなければならない」という不安から思い詰めて・・・というケースが多く、学校の先生や親御さんも注意をされていると思います。 で、よく「学校なんて行かなくていい。辛かったら逃げろ」という言葉がここにきてようやく社会的に理解を得られる時代になったなあと。昔は「いじめられて学校に行かないなんて怠惰でダメな奴だ」とか、場合によっては親が子供を引きずってでも学校に行かせた、なんて普通でした。それによって最悪のことになったケースには枚挙にいとまがない。 しかし、考えてみると学校、特に義務教育って非常に理不尽な制度なんですよね。特に田舎では自分の住んでいるエリアにある学校に強制的に放り込まれ、適当にクラス分けされる。そこに子供の意志とか、入ったクラスでの人間関係は関係なく。クラスでいじめられることが嫌で学校に行きたくないだけで勉強はしたい、なんて生徒はたくさんいるはず。そうなるとむしろその子にとって勉強を阻害しているのは学校という施設ではないか?ということになります。 私が思うに「学校なんて行かなくていい」という声があるからには、その受け皿になる別の社会システム、つまり、逃げ道をもっと作ってやることがその言葉を言う人間の責任だと思っています。いくら口だけで「逃げてもいいんだよ」と言っても、逃げた先に何もない、断崖絶壁しかないから子供は逃げられない。社会人であれば転職なんてことができますが、子供にはその選択肢がない。 逃げた先を作ってあげることで「なーに、いざとなったらそっちに行けばいい」と「死」という最悪の選択に至る前に考えられる社会であってほしいのですが。 あと、夏休みって宿題、いらないと思いませんか?何で休みにまで勉強のノルマを学校側は付けようとするのか?それがいまだにわからない。それが負担で学校に行きたくない子なんてたくさんいるはずです。
2017.09.01
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