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トランクの中の日本 ジョー・オダネル 1995 米従軍カメラマンの非公式記録 イタリア、ドイツが降伏した後、「玉砕」まで煽った好戦的な軍人政治家や新聞社がいたらしい。その偏狭な意気地の果てに日本本土においても非戦闘員に対する大量殺戮が米国によってなされた。占領後、その惨状を記録してまわった米軍従軍カメラマンが私的に撮影した非公式写真集が本書。 佐世保、福岡、神戸、広島、長崎・・・ 日本人の苦しむ姿を撮影していたそうだ。徐々に心境が変化し、許しを神に祈るまでになったそうだ。 密かに撮影していたこれらの写真は、帰国時に秘かに持ち帰り、忘れようとトランクに入れたまま45年間封印していたそうだ。1989年に開いて米国で発表したそうだ。 45年後の公開は、著者の心境の変化によるものだろうか。老いて戦争への考え方が変化したのか、社会の価値観の変化をみての判断であったのか。支援者の存在によるところもあったらしい。亡くなられているが、公表されたことは、後世への功績と思う。 1995年出版後、既に20年たっているが、掲載された数々の写真に言葉を失う。弟の亡骸を背負う裸足の少年は、火葬処理所を前に直立不動である。その姿は沽券に満ちている。 70年前の真実としての惨劇の実存を正しく理解できているのかと、問われている気がする。
Jul 29, 2015
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蒼海に消ゆ 門田隆将 2011年 祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯 山崎豊子の「二つの祖国」吉村昭の「深海の使者」にでてくる伊丹明は、アメリカ人ながら親の故郷鹿児島に学びに来て、大学を卒業し、開戦前には鹿児島出身の政治家の尽力でアメリカに帰国し、日系人収容所生活を強いられたそうだ。軍の要請で暗号解読に協力し、ドイツからUボートで要人を移送する内容の鹿児島弁暗号も翻訳したりしたそうだ。戦後は占領軍の通訳として東京裁判でも活躍したらしいが、最期は自殺を遂げたと聞く。アメリカにつくした日系留学生となる。 本書の松藤大治は、アメリカから日本に留学中に戦時突入して帰国できず、在米の親からの仕送りが途絶える中、友人等の支援をうけながら東京商大で文武両道を研鑽するも、学徒出陣に応じ、特攻隊員として出撃して戦果とともに命を落としたそうだ。剣道に秀で、頭脳明晰、人格温厚で皆に慕われる人物であったらしい。 国を支える志のある若者達を消耗させた軍と政治はやるせない。国力の違いを知り抜いている主人公が、意を決して母国アメリカへの特攻に果てる運命には言葉がでない。 自由を重んじてきた一橋寮の学生達が学徒出陣の前夜、たき火を囲んで決起に集うていると、賛美歌が武蔵野の森から流れてきて、見知らぬ津田塾の学生達が現れ、海ゆかばを一緒に合唱したそうだ。 学びを求めてやまない者の精神を断ち切り、命をさらっていく国。覚悟を決める国民。この結末は、合理的な学びを捨て、自らの論理、自らの組織の保身に溺れた指導者たちの所業の結果であるような気がする。 武力による精神・学問の支配、教条による精神・学問の支配は、許してはならないはずだ。
Jul 29, 2015
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殺人者はいかに誕生したか 長谷川博一 2010年「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く 人の命を奪った者の暴力性、凶暴性の背景を探ると生育過程で、肉親からの暴力に晒されて忍従してきた経験の者が多いらしい。その肉体的苦痛を与える暴力は、なじったり、存在を否定したり、無視したりする精神的な暴力に付随する暴力でもあるらしい。 そのような暴力的で抑圧された状況に置かれて人格形成期を過ごした場合、被ってきた来た本人が、自分は人にそのような経験はさせないと踏みとどまるようになるのではなく、自らの欲望の充足、攻撃的な嗜好を満たすために躊躇なく暴力を行使してしまう者になってしまう者がいるらしい。 マイケル・ボーマンの犯罪発生率の調査結果の説明があった。犯罪のない生育環境は、健全な人格・精神の形成に寄与するもののようだが、犯罪の多い環境では犯罪を犯しやすくなるということなのかもしれない。 生みの親の犯罪歴 有り なし 育ての親の犯罪歴 有り 40% 7% 無し 12% 3% この本に登場する犯人達の中には、自ら死刑を望み、懲りていない者も少なからずいるようだ。懲らしめようのない者に対して、社会はいったいどう対処すればよいのだろうか。
Jul 27, 2015
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耳鼻削ぎの日本史 清水克行 2015年 中国の律令国家の影響をうけていた古代にはなかったそうで、中世に女性や僧侶をあやめることを忌避していた中で、女性や僧侶への死罪にかわる刑としてあったらしく、古文書で確認できるそうだ。二度と過ちを犯さないように外形的特徴を与える程度の損傷であったらしい。 日本の中世が武士の登場で中国の律令文化から離れて独自の発展をしていく中、慣習法として耳鼻削ぎが採り入れられるようになったそうだ。戦場での戦功の証跡は首級であったが、戦域が拡がり遠隔地の戦場での論功行賞の証として代用されるようになったそうだ。懲らしめるためでなく、敵の殺害の証になったわけで、特に秀吉は提出量を競わせるまで乱用したそうだ。 また、苦しませるための厳罰として、死刑に併科されることもあったそうだ。本人の再犯防止を目的とする身体特徴の付加ではなく、見せしめとして同罪の発生を抑止するために、残忍さで民を畏怖させるため、より苦しませるために削いだそうだ。 治安を安定させるために各藩とも用いていたそうで、広島藩主の福島正則は、山賊行為等の素行の悪い地域の男女童一万人の鼻を削いで追放し、安芸では鼻削ぎとの売り買い、交渉を禁じたような文書も残っているらしい。 封建体制が安定してくると各藩では耳鼻削ぎの刑は廃止され始め、18世紀には幕府が耳鼻削ぎなどの肉刑を禁じ、入れ墨刑にて懲らしめるようになったそうだ。 伊勢崎賢治さんについて書かれた「紛争解決人」で読んだが、1989年からのリベリアの内戦の時、大統領が耳と鼻を削がれて殺害され、ビデオにとられて流通し、とても残酷で人に見せられるものではなかったと述懐されていた。残虐行為と恐怖による支配が、20世紀末においてもくりひろげられたようだ。 死罪や追放で民を畏怖させて犯罪を抑止したり、服従させたりするのは、秩序維持の原理であったわけだ。現代においてもこの原理は、万国で変わらないわけで、人間社会の時代や地域を跨いだ共通原理であるとは、寂しい秩序だ。
Jul 27, 2015
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ローマ法王に米を食べさせた男 高野 誠鮮 2012年 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか? イベントでの町おこし、本物を100年借用して陳列できた博物館、限界集落の農業をブランド化して再生、就農希望者の選抜採用、体験学習の提供、耕作放棄地の自然農法地での活用など、捨て身で、しがらみに囚われず、既成の慣習を乗り越えて、地域の発展に献身的に尽くす姿は、相当、達観した人と思いましたら、お坊さんであられました。 「寺院消滅」をよんで、現世的な生き方を強いられるようになった文明開化以降の仏門への弾圧と試練の歴史を知りましたが、めげずに、外国人とも交渉しながら、外国を逆圧力の味方にして、過疎の地域に功徳を施されている、このような起業家僧侶がおられたとは、愉快至極でした。 地域のしがらみを解き、「山川草木悉有仏性」、枯れる命をふきかえす如くで痛快です。
Jul 21, 2015
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国境のない生き方 ヤマザキ・マリ 2015年 健やかで、のびやかで、冒険的で、率直な語り口で、ご母堂への感謝と尊崇が溢れていて気持ちの良い人生論でした。子が好きなことを見つけたら、そのための勉強を許し、本人が孤軍奮闘してでも学ばせる、そうした親の度量に感心します。 何事も屈託なく受け止めて過ごせる姿勢は、迷いから無縁であるかのようですが、苦難の数々をのりきっているからできる芸当のような気もします。 好きこそものの上手なれとばかりに、子供自身の能力に子供自身の成長をゆだねる教育が、本人にも周りにもプラスマイナスはあっても最後は前に向かって回転したことがよくわかります。 日々の山や谷に惑わされず、精神的しがらみから解き放ち、本人の努力と好奇心に本人の成長を任せる勇気、経済的しがらみも子供自身で克服させる厳格な信念を、どれくらいの人が持てるものであるのかはよくわかりません。 しがらみで子供の成長力を削いでしまっているのであれば、それを解いてやるのも親の役割でありますが、可能性や選択肢の確保に重点をおく教育プロセスを重ねて、安定した教育や学習をしてしまうと、いつしかしがらみだらけの人生観に固まっていくような気もします。どこかで解かねば、希望を持つ人にはなれないようです。 著者は、10代でしがらみを断ち、自らの力で流れに立つ喜びを知ったようです。
Jul 21, 2015
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寺院消滅 鵜飼秀徳 2015年 失われる「地方」と「宗教」 「地方消滅」の予測で消滅する可能性があるとされた都市に存在している寺院を数えると、現在ある寺院の41%が該当するそうで、その変化は、人口動態、都市化、家父長制の崩壊、核家族化などの影響で確実に衰退に向かって進行しているそうだ。 1500年前の仏教伝来以来、仏教も国家と民衆の中で盛衰の歴史をくりひろげてきたわけで、近代でも明治の開花時、国家と民衆は凄まじい仏教弾圧・廃仏毀釈をしたそうだ。特に鹿児島では寺院壊滅の歴史があったというから驚く。一世紀以上たった現在では江戸期の半分くらいまでには回復しているそうだ。 佐藤優が、死にかかわっている宗教が一番強くて、廃仏毀釈も乗り越えてきた仏教は、人口減などではやすやすとは終わらないと、巻末言を寄せていた。そうなのだろう。 寺院は、大仏殿のように為政者に建立されて統治の支柱となったり、一向一揆のように民衆とともに為政者と対峙したり、江戸幕府の宗門人別改帖のように為政者の行政機関として民衆を戸籍管理したり、江戸期に高利貸・地主として経済活動をしたり、戦時中は報国会を結成して戦争に協力をしたりと、社会的な存在として、民衆、為政者と現世的なかかわりを重ねてきたことが良く分る。 明治に、廃仏毀釈で寺院を弾圧した後、神の国に邁進し、敗戦をむかえ、天皇は現人神となり、神を失うこととなる。寺院も農地改革で農地が小作人に低価格で譲渡され、寺領を失い、丸裸となったそうだ。日本は、神も仏も失うかのような近代史を繰り広げたことになる。 今後の四半世紀では、人口減、地方消滅の危機をむかえ、寺院も貧富で二極化し、さびれた寺院は消滅が避けられなくなりつつあるらしい。 来世へ導く教えにより心の拠り所として現世での救済を人々に施し、人々に現世での生を全うさせる場所が寺院であると思うが、現世での人々と密着しているが故に、共同体としての役割を発揮し、更に行政的機能を担わされた歴史を持つ寺院は、世の盛衰から逃れられなくなってしまったようだ。 心の拠り所としての存在に回帰して、来世が見えなくなっている現世で、迷いの道しるべとなって永続してほしいと思う。
Jul 15, 2015
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鉄道技術の日本史 小島英俊 2015年 SLから、電車、超電導リニアまで 1869年、明治2年からイギリスの支援で始まった日本の鉄道建設の歴史。技術と機材と人材の輸入から始まり、コピー製造で腕を磨き、自国設計・自国運用にまで発展させ、国産技術として会得した上で、世界を先導するまでになる成長の歴史は、読んでいて躍動的で頼もしく心地よいものでした。 鉄道も国策で導入された技術ではあるようですが、航空機の悲劇的な発展史と全く異なり、明治から現代までとぎれることなく、民間での鉄道網の構築も盛んとなり、日本の動脈として成長してきたことがよくわかります。不幸な事故もあったようですが、鉄道の発展は国民に祝福されてきたことは間違いないようです。発展史を知り、鉄道は平和的で、献身的で、先進的で、国民に好かれている産業であると思い至りました。 いつもそこにある、確かで、こばまない、せっつかない、人を品定めしないのが、鉄道の愛されるゆえんではないかと思えてきました。世界一をひけらかさず、皆に門戸をあけて、贅沢は手の届きそうな程度で、嫌みのない鉄道。それが日本の鉄道の魅力のような気がします。 成長産業として資本が投下され、投資家還元のために必要にかられて公認会計士をうみだしたのが、欧米の鉄道だそうですが、日本は、ゼネコン、鉄鋼、動力、電気、管制など、システム技術を国産技術として生み出したのが鉄道で、鉄道は産業史の底流にあるようです。 「新幹線の衝撃」が、技術的であることはもとより、文明的衝撃であることがよくわかりました。高速鉄道システムの実績は世界を牽引しているそうで、国際貢献するまでに先進的であるそうです。140年間の歩みをみると、会得できる能力と受け入れる人格が日本人技術者の基底にあったように思います。 さて、これまで、壁を切り開いて弛まぬ進歩を遂げてきた日本の地力は、これからもかげりはないと思ってもいいのでしょうか。
Jul 13, 2015
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「ドイツ帝国」が世界を破滅させる エマニュエル・トッド 2014 日本人への警告 ドイツの支配力が大きくなっていて、その力の源泉が、自国の規律的経済運営とともに、周辺の親密国とのドイツ圏経済圏の形成にあったとは驚きです。ユーロ圏内の貿易黒字独り勝ちだそうで、背後には旧ソビエトの教育による質の高い低賃金の東欧労働力の活用効果があるそうです。 さらに、通貨統合されたユーロ圏の各国とも平価の切り下げはできないわけで、国力に見合う賃金水準に、為替レートで調整することができず、ユーロ圏内の貿易不均衡を調整する機能がなくなってしまっているので、ドイツがメリットを独り占めする状況になっているようです。 価値観のことなる民族が理念で命運をともにできるようになるはずでしたが、超富裕層1%との国内での格差とおなじように、ユーロ域内で国別の格差が生じ、異民族にまたがる経世済民の政治・行政の実現は、金融資本主義の脅威の前で難しくなってきているようです。
Jul 12, 2015
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日本国最後の帰還兵 深谷敏雄 2014年深谷義治とその家族 凄まじい運命と格闘し、家族の命とささやかな団欒を老境で手に入れた兵士のノンフィクション。読んでいて何度もこみ上げ、目をあげることが多かった。 「ワイルド・スワン」で文化大革命の実態に驚愕し、「大地の子」で残留孤児への人間愛と差別と祖国との和解に心ふるえたが、本書は、国家と大衆からの弾圧に耐え、祖国の名誉を守り、祖国を探し、祖国に憧れ、祖国と同胞に救われ、祖国と同胞に慈しまれ、また、祖国と同胞に苦しめられもした兵士とその家族の実話であった。日本人の本質をみごとに突いたものと思う。 本人、家族のこみ上げる万感の思いは、筆舌に尽くしがたいと思う。作家になる夢を持っていた次男が記した本書は、危うい運命を助けあい、支え合い、のりきられたことをみごとに読者に伝え、感服させるものであると思う。 投獄16年間、戦後の日本のスパイであることを認めず、証拠もなく、拷問に耐えて自白もせず、中国公安は判決が下せなかった状況にあったにもかかわらず、朝日新聞は、陸軍中野学校で訓練を受けていたと誤報し、中国公安に状況証拠のひとつとされ、朝日新聞の誤報道は、翌年に無期懲役に処せられる一因になったそうだ。この後、恩赦で救出されるまで更に4年投獄されていたとは。 戦争に国民を煽った朝日新聞が、スパイ容疑の未帰還兵はスパイ学校で訓練をうけていたと中国公安に都合のよい誤報道をしたことになるらしい。報道機関としての無責任さ、記者の取材のいい加減さにはあきれかえる。 帰還の望みのない出征により、当事者同志で婚約を破棄していたにもかかわらず、投獄、虐待、罹患、受傷の末に34年を経て、国、自治体、市民の支援によって、家族と一緒に帰還を果たせた人に対して、当事者ではない第三者が重婚罪で告訴したとは。日本人の裏表をみるようだ。 こみ上げるものをこらえ、感謝の言葉を絶やさず、勤勉にみごとに生きてきた人の尊い歴史証言であると思う。
Jul 9, 2015
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悲劇の発動機「誉」 前間孝則 2007年 天才設計者・中川良一の苦闘 戦闘機のエンジン開発にまつわる日本軍上層部の大局観なき自己陶酔、自己保身、情報分析なき突貫思考、実効性の低い開発計画が多々、明らかにされる。これほどまでに技術の世界の指導者達でも愚かしかったことに唖然とします。軍国主義の教条が支配した世相の故なのだろうか。技術者も逃れられぬ陶酔であったのか。 机上の性能に目が眩み、生産性、保守性、品質管理を軽んじ、帝大卒の机上の学徒を偏重し、外国エンジンの特色をいいとこどりして、乱開発を続け、実用化技術の選択と集中はできず、設計・生産の体力を拡散させ、能力を浪費して消耗しつづけ、熟練工まで出征させて、未熟練者を動員して製造し、低品質のエンジンを実戦投入せざるをえなくなり、戦闘機の稼働率を低下させ、技術者が不調の対応に追われていく姿は、哀れで痛々しい。 日本海軍の2万5千機の内、85%は開戦前の機種で急速に旧式化していったとは。海軍は開戦後10機種を設計し、実用できたのは1種のみと。陸海の機種をあわせれば、90種の型式、164種のその変種があり、この数は、米欧の倍であったと。 エンジンについても、開戦前から評判の外国機種を手あたり次第に導入しようとして数々の設計・試作を試み、核心技術は身につかず、戦闘機を一番多く製作した中島飛行機のエンジン設計技術は、「大学の卒業設計」と言われたそうだ。同社では、23種のエンジンを開発して成功したのは6種しかなく、その中の一つ「誉」は、決戦用のエンジンとされたにもかかわらず、故障の連続で、試作時の性能が量産機では発揮できず、日本の航空戦力を消耗させたエンジンだそうだ。 米は、既存の機種を活用して大量生産し、新規は、ゼロ戦対抗機と日本爆撃機の2種に集中開発していたと。エンジンも機種を絞って開発し、基幹となるシリンダー口径は1種であったが、日本の中島飛行機は、10種の口径を試す状態であったそうだ。 最大の原因は、海軍にあり、航空技術を計画・推進する航空技術廠にあるそうだ。「総合的な時勢の動きをながめ、技術と工学と生産工業との発展を分析し、技術と兵術との将来を予測する役割の"軍事技術者"はただの一人もいなかった。」と呉海軍工廠の元技術少佐が記しているそうで、戦艦と同様に、航空機においてもまさにそのとおりであったらしい。 羽ばたけぬ高性能エンジンは、戦力消耗を招き、敗戦とともに中島飛行機もろとも消滅したが、その消耗戦の中で苦闘した技術者たちは、敗戦後、オートバイ、自動車エンジン、高速鉄道の開発・実用化で活躍することになったそうだ。 技術は、実証の蓄積と技能の錬成なしには実を結ばないと。70年以上前の話で、生産力の差による敗戦と思っていたが、科学的思考力、合理的計画能力の頭脳差でもあったようだ。単体性能に自己満足し、ものづくりに安住すると、人の役にはたたず、生産と応用の戦略がなければ、技術は羽ばたけないようだ。 それにしても、開戦の一か月前まで、米国のカーチス社の技術者が中島飛行機のエンジン工場で生産の指導をしていて、軍需工場として軍が許可したものであったとは。航空兵力の重大さは、海軍は知っていたはずで、その製造力が米国に筒抜けであることも知っていた上で開戦したことになる。精神主義にもほどがある。
Jul 6, 2015
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ふしぎなイギリス 笠松敏彦 2015年 ブレア首相時代、移民に寛大で大幅に増え、10年で130万人純増したそうだ。EU域外からの流入は抑制したらしいが、EU域内から増えているそうだ。2012年の人口は6370万人で、25年後2037年には、7330万人となり、移民増とその移民のベビーブームによるそうだ。ちなみに2040年の日本は、1億0728万人で65歳以上が36.1%で3868万人、生産年齢人口は5787万人と地方消滅ではなっていた。 イギリスは元来、移民国家だそうで、海外に発注したり、外国人がオーナーになることをいとわないそうだ。新設の原発をフランスに丸投げで発注してしまうくらいだそうだ。 また、2013年に就任したイングランド銀行総裁は、カナダの中央銀行総裁をスカウトしてきたそうで、日銀総裁を外国からスカウトするなど途方もないことと思うが、イギリスは、優秀であれば人種国籍は問題なしと判断ができる国らしい。 イギリスは、立憲君主制で、君臨すれども統治せずであるが、官僚がしっかり支えているそうだ。でも、議員と官僚の接触も制限され、行政人の倫理はできているそうだ。下院議員の給与は日本の半分で、上院は経費のみ支給で無給で、一時期、費用の流用で摘発されたこともあるようだか、議員屋商売の日本とは成熟の度合いがだいぶ違うようだ。 伝統は守られていて、毎週、首相は、女王に報告しにいく伝統だそうだ。保守党のサッチャーも労働党のブレアも毎週、女王と国政の話をしてきたことになるそうだ。なんとも、驚きだ。女王の影響がない筈はないような気になる。 英連邦・コモンウェルズが維持されていて、53か国にものぼり、英国以外にも15か国で女王が国家元首であるそうだ。英連邦の人口は20億人で二年に一度の首脳会議、4年に一度の競技大会が開催されているというから驚きだ。 寺島実郎は、イギリスは旧植民地国からも尊敬されている国で、支配者としての責任感があって統治能力は大したものと書いていた。かって支配していた国々と共同体をつくっていて、南アもマンデラはイギリス連邦に復帰したと。また、インドの官僚制度は清廉でイギリスの統治時代に由来するようなことも読んだ気がする。 池上彰と佐藤優の対談本では、イギリスは、賢く、悪いそうで、統治に服すればなんでもよくて、現地人の略奪や殺人も咎めず、報告だけはさせていたと。確かに賢く、悪い。 本書では、アルゼンチンとのフォークランド紛争の時、レーガンがちっぽけな島で戦争なんかやめといたらとサッチャーをなだめたら、沽券にかかわるから戦争せざるをえないと戦争をはじめてイギリスの気骨をみせたとあった。 長谷川慶太郎は、香港の民主制度は返還後50年間保障すると中英で合意していたのに中国が反故にしたので、イギリスの有力金融会社が香港から株式撤退したそうで、イギリスは毅然と怒りを示すだろうと。また、セウォル号以来、ロイズは韓国の海上保険の引き受けをしないそうだ。 更に、長谷川慶太郎によると、1902年に日英同盟を結ぶ時、下院が発展途上の小国と同盟するとはなぜと問い、外務大臣が日本は珍しく国際条約を守る発展途上国で、他にはないと言ったらしい。日米和親条約を1854年から1911年まで日本は不平等条約を遵守したことの評価らしい。 ところが、日本は日露戦争で世話になっておきながら、第一次大戦が勃発して日本陸軍は山県有朋、寺内正毅の反対で派兵せず、英に衝撃を与え、日英同盟は、1923年満了で更新されなかったらしい。1991年の信頼できない友達という英国の本に日本陸軍の派兵反対が記されているそうだ。 この時、派兵していれば、近代戦、総力戦を知り、学んだはずと。その後の海外に学ばずに丸暗記して戦術能力、知識ともに凡庸な将校にならずに済んだかもしれないと。その後の歴史に影響があったはずと。 日本の航空兵力においても、前間孝則によれば、第一次大戦で欧米は航空兵器に着目してその後は著しい進歩を遂げたのに、日本は、認識が遅れて10年以上の差がつき、第二次大戦の際には、追いつくために無計画な開発を繰り返してしまい、航空機乱製造により生産力が浪費されたそうです。 イギリスは、人種、民族を超えて筋のとおった姿勢を示す強い意志のある国のようだ。
Jul 3, 2015
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