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玉石混淆だが気分転換には良いので、ブログにアップした。胡蝶蘭はおまけ。http://park16.wakwak.com/~armeria/cdsyoukai.htmlflowerflowerflower
2009.02.28
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貴方は迷惑メールを1日に何通受信しますか。ビギナーならば20-30通でしょう。俺は1ヵ月に2-3通。1.通常セキュリティソフトは正常メールと迷惑メールを「仕分け」するだけで、受信拒否はしませんよ。話は逸れるが「受信拒否リスト」は全く無意味。2.メッセージルールを御存じかな。これで「差出人メルアドないし件名」を対象に「サーバーから削除」のアクションルールを設定すれば、受信ブロック可能。ただし、ルール作りがたいへん。まあ、500件位のルール作りで小康を得るといったところ。3.メルアド変更しても元の黙阿弥になるのは時間の問題。俺の場合はラッキーな事にプロバイダーが優れものの有償サービス(月数百円)を提供している。これはプロバイダーのメールボックスの中でウイルスチェックと迷惑メールチェックをやってのける。ここでフィルターに掛けるから殆どのウイルスと迷惑メールは、俺のメーラーに入って来ない。要は二段構えの防御が行われているという訳。
2009.02.28
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シバの女王はシバ王国の支配者で、ソロモンの知恵を噂で伝え聞き、自身の抱える悩みを解決するために遠方の国家からエルサレムのソロモン王の元を訪れたとされる。その来訪には大勢の随員を伴い、大量の金や宝石、乳香などの香料、白檀などを寄贈したとされる。新約聖書ではこの名での言及は無いが、代わりに「地の果て」からやって来た南の女王(Queen of the South)と表現される。 その統治期間はソロモン王とほぼ同時期の紀元前10世紀頃と推定される。シバ王国の所在については有力視される2つの説があり、エチオピア説によればその名をマケダと呼び、イエメン説によればビルキスと呼ぶ。ただし、両説ともこれを裏付ける考古学的発見は未だ皆無である。http://www.ongen.net/free/trial_browser.php?id=tr0000081831&file_id=fl0000000001&stream_flag=1
2009.02.28
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2009.02.28
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2009.02.28
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2009.02.28
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1950年代後半に、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナやイパネマといった海岸地区に住む、中産階級の学生やミュージシャンたちによって生み出された。Bossa Novaとはポルトガル語で「新しい感覚」、「新しい傾向」といった意味がある。ブラジルでは特に、1958年にアントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ジ・モラエスが作曲し、大歌手エリゼッチ・カルドーゾが歌い、まだ新人のジョアン・ジルベルトがバックでヴィオラゥン(ナイロン弦のクラシックギター)を弾いた"Chega de Saudade"(シェガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)のレコードによって知られるようになり、人気を博した。1959年には、1957年にジョビンとモライスが(古代ギリシャのオルペウスの神話を題材に)企画した劇を元にしたブラジル・フランス合作映画「Orfeu Negro(黒いオルフェ)」の劇中曲として多くのボサノヴァが使われ、世界にその存在を知らしめた。また1962年には、カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われ、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、セルジオ・メンデス等が出演。1963年には、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノヴァ・アルバム「ゲッツ/ジルベルト」がアメリカで大ヒット、特にこの中でジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」は爆発的な売り上げを記録し、アメリカの大衆に「ボサノヴァ」を浸透させた。[イパネマの娘]すらっとして日焼けして若くてきれいな彼女が歩いていくイパネマから来た彼女彼女が通り過ぎると誰もがため息サンバでも踊っているかのように軽やかにそして優雅に歩いていく彼女が通り過ぎると誰もがため息でも僕はただ淋しく眺めるだけどうやったらこの思いを告げられるんだろうもしかなうならこの心を全て捧げるのにでも彼女はまっすぐ前を見て僕のことなんか目にも入らないhttp://www.worldfolksong.com/latin/bossa/ipanema.htm
2009.02.28
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日本では、タンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴ(コンチネンタル=大陸=ヨーロッパ)ないし「ヨーロッパ・タンゴ」と呼び、それに対して元来のものをアルゼンチン・タンゴと呼んで区別することが多い。日本でのタンゴの普及は、戦前(昭和初期)にアルゼンチンから一部移入がされたものの、その後戦後にかけて移入したのは、むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり、所謂「コンチネンタル・タンゴ」の類であった。すなわち、競技ダンス・社交ダンスで用いられる一ジャンルのタンゴのための舞踊音楽であった。よって、長らくタンゴと言えばマランド、アルフレッド・ハウゼといったイメージで、多くの場合理解されていた。ただし、いったん上記の競技ダンスや社交ダンスが一般的には下火になっていた1980年代後半、米国で成功した「タンゴ・アルヘンティーノ」公演が日本にも移入し、これ以降、アルゼンチン・タンゴが普及するようになった。 [アルゼンチン・タンゴ]http://listen.jp/store/preview.aspx?pid=00602498910467&fn=00602498910467_1_11&tm=1235782031116[コンチネンタル・タンゴ]http://www.og-orchestra.com/music.html
2009.02.28
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作詞:西条八十作曲:服部良一君が み胸に 抱かれて聞くは夢の舟唄 鳥の歌水の蘇州の 花散る春を惜しむか 柳がすすり泣く花をうかべて 流れる水の明日のゆくえは 知らねどもこよい映した 二人の姿消えてくれるな いつまでも髪にか飾ろか 接吻しよか君が手折りし 桃の花涙ぐむよな おぼろの月に鐘が鳴ります 寒山寺 http://www.ongen.net/free/trial_browser.php?id=tr0000198630&file_id=fl0000000001&stream_flag=1
2009.02.27
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クリスマスカードや装飾画等によく見られる小さな羽をぱたつかせるころころとした赤子の天使。天使でイメージされる姿の代表と言ってもいいこの天使像、彼らは一般に愛を運ぶキューピッドとして知られている。しかし、このキューピッドとは本当は天使ではない。キューピッド(Cupido「欲望」)はローマ神話の神様、ギリシアでは愛の神エロスとして知られている、キリスト教とは関係のない神様なのである。赤子の天使は通常、智天使(cherubs)がそうであるとされ、キューピッドが弓と矢を持っている以外はあまり見分けはつかない。ただ、絵画の主題から、ギリシア・ローマ神話に関連したものなら当然それはキューピッドであるし、キリスト教、聖書の主題に関連したものなら智天使と断定できる。エロス(キューピッド)は、紀元前五世紀の頃から美の神アフロディーテ(ヴィーナス)の子として結びつけられる傾向が多くなり、もとは青年に近い姿をしていたものが、次第に幼い少年、童子の姿へと変えられていき、今日の姿へと変わった。智恵の天使であるケルビムは成長しつつある子供を具現するという。また、天の存在に子供の魂が近いことは明るいブルーに象徴化され、その色はケルビムの光力を象徴するものでもある。キリスト教絵画におけるケルビムは顔と翼だけの存在として描かれることもある。さらに智天使を厳密に分けるなら、子供の天使にはプット(putti)という名称がつけられている。本来の、エデンの東の園の守護者としてかかげられた力強い智天使(cherubim)と混同しないために。子供の天使にはプット(putti)という名称がつけられている。本来の、エデンの東の園の守護者としてかかげられた力強い智天使(cherubim)と混同しないために。
2009.02.27
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[舟歌]http://musico.jp/contents/player.aspx?id=r8R2NL&p=internal[謝肉祭]http://musico.jp/contents/player.aspx?id=r8R2NH&p=internal[トロイカ]http://musico.jp/contents/player.aspx?id=r8R2NQ&p=internal [夜想曲]イロナ・プルーニhttp://musico.jp/contents/player.aspx?id=r8R2NU&p=internal[悲しい歌]イロナ・プルーニhttp://musico.jp/contents/player.aspx?id=r8R2NS&p=internal
2009.02.27
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[別れの曲]http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=IiRfehDwhkE[ノクターン・遺作]http://www.youtube.com/watch?v=npScj1gv9oQ[ポロネーズ]http://www.youtube.com/watch?v=IBoubHagrSU[ワルツ]http://www.youtubeclassic.net/chopin/waltz7/1-16.html
2009.02.27
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[安来節]<素 唄>○安来千軒 名の出たところ 社日桜に 十神山○松江名所は 数々あれど 千鳥お城に 嫁ケ島○出雲名物 荷物にならぬ 聞いてお帰り 安来節○上げた白帆が 染まりはせぬか 安来港は 花吹雪 ○安来安来と 駅呼ぶ声に 見れば間近に 十神山○いつも変わらぬ 緑の色で 裏も表もない 十神 ○鶴が来ました 十神の山へ さぞや亀島 うれしかろ ○鐘に送られ 清水もどり 早やも社日の夕桜○愛宕お山に 春風吹けば 安来千軒 花吹雪○わしがお国で 自慢なものは 出雲大社に 安来節○恵比寿大黒 出雲の国の 西と東の 守り神○十神お山に 花衣着せて 添わせたいぞえ 出雲富士○旅は道連れ この世は情け 助け合うてぞ 世は丸い○安来港に 碇はいらぬ 十神水雲(もずく)で 船つなぐ○関は朝日よ 杵築は夕日 名所出雲の 西東○山晴れ山晴れ 出て山見れば 雲のかからぬ 山はない○松江大橋 流りょが焼きょが 和田見通いは 船でする○和田見恋しや 伊勢宮様の 松が見えます ほのぼのと○伯耆大山 だらりの帯よ 解いて投げたか 五里ケ浜○咲いた時より その散り際を 人に見せたい 桜花○人の手前は 薄茶と見せて 心濃茶の 四畳半○鐘に送られ 清水もどり 早やも社日の夕桜 ○汽車の窓から 社日ヶ丘は 一目千本花ざかり○出雲八重垣 鏡の池に 写す二人の 晴れ姿○国のお方と 知らずにいたが 唄で気づいた 安来節○荒い波風 さぞ辛かろう 姿かわすな 嫁ケ島○何はなくとも 出雲へござりゃ 心尽くしの 安来節○お国ばかりか 外つ国までも 唄い響かす 安来節○お国訛りを つい悟られて 唄いましたよ 安来節○私ゃ出雲の 安来の生まれ 子守唄から 安来節○狭い安来に お糸が生まれ 広い世界に 安来節○秋の色草 先出た花の 咲いた中より 咲き誇る○通う千鳥の 心も知らず 君が隠した 須磨の浦○神代ながらの 出雲の国に 昔かわらぬ 安来節○さても珍らし 月の輪まつり 夜の安来は 人の波○唄に名高い 社日の桜 安来千軒花霞 ○出雲札所は 清水さまよ 花が散ります 菅の笠 ○一夜泊りの 安来の宿に 聞くもうれしい 安来節 ○芸はなけれど 生まれは出雲 下手も自慢の 安来節 ○まとまるものなら まとめておくれ いやで別れた 仲じゃない○三味の音色は 千両のあたい 唄は万両の 安来節 ○出雲大社で 結んだ帯を 心安来の 宵に解く ○心安来に 思いは隠岐に 波を枕に 船の旅 ○熱い情に 鋼も溶ける 溶けて社日の 花と咲く ○恋と鋼は よう似たものよ 焼きよ次第で 味が出る ○宍道湖水の 朝霧晴れて 浮いたお城の 晴姿○松江大橋 柳の雨に わたしゃあなたを 濡れて待つ○咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る ○恋にこがれて 鳴く蝉よりも 啼かぬ蛍が身をこがす ○金はなけれど 日毎に唄で 心楽しく 暮らしたい ○恩を忘るな 育ての親の 手許はなるる 巣立鳥 ○咲いた時より その散り際を 人に見せたい 桜花 ○兎角世間は 枯木に見せて 裏で咲かせる 藤の花 ○思い出すよじゃ 惚れよが浅い 思い出さずに 忘れずに ○山に切る木は 数々あれど 思い切る木は 更にない ○薮の筍 どなたのために 今朝も一肌 ぬぐのやら ○露に濡れたる つがいの蝶々 しばし菜の葉の 裏住まい ○月も宿らず 汲む人もなし 木の葉がくれの 谷の水 ○安来大橋 朝もやこめて 夢の港は まださめぬ ○安来千軒 昔のことよ 今じゃ万軒 唄の街 ○親の手ほどき その子がうけて 孫も唄うよ 安来節 ○大和島根の 北から南 歌で踊らす 安来節 ○親がうたって 子供についで 孫子も好きだよ 安来節 ○今も昔も 変わらぬものは お糸まつりの うたの声 ○響け歌声 世界の空へ とどけ島根の 安来節 ○お国訛りと 神話が自慢 うたい響かせ 安来節 ○見ても聞いても 心がはずむ 日本一だよ 安来節 ○花の安来で 生まれて育ち 今じゃ世界の 安来節 ○三味の音色と 自慢の声で さすが本場の 安来節 ○みどり豊かな 島根の旅路 唄も明るい 安来節 ○唄の安来か 安来の唄か 唄で伸び行く 安来節 ○出雲生まれを 誇りに持って 声張りあげよ 安来節 ○唄いつづけりゃ 苦労も年も 忘れますぞえ 安来節 ○花の社日と 十神の山を 風が掛けたる 桜橋 ○唄は聞きもの 踊りは見もの 唄え踊れよ 安来節 ○わたしゃ出雲の 安来の生まれ 子守り唄から 安来節 ○年に一度の 月の輪まつり 唄いますぞえ 安来節 ○安来名所は 社日の桜 人の心に 花が咲く ○たった一節 唄へば知れる 本場仕込みの 安来節 ○年は取れども 鍛えた喉で 唄う自慢の 安来節 ○主の踊りで 妾の唄で 世界隈なく 広めたや ○踊るあの娘の 身振りに惚れて 習い覚えた 安来節 ○嫁御唄えば 鶴亀踊る 笑顔千両の 安来節 ○唄に聞き惚れ 踊りにみとれ 月も浮かれる 安来節 ○老いを忘れて ただ一筋に 唄い続ける 安来節 ○夢の大橋 安来と米子 かけて嬉しや 中の海 ○宍道湖水の 屋形の上で 仰ぐ大山 雪の肌 ○島根見どころ 荒波しぶき 神楽太鼓に 安来節 ○十神大橋 朝もや晴れりゃ 安来鋼の 鎚の音 ○伊予に石鎚 島根に大社 共に育てる 安来節 ○可愛いお手ゝが 十から先は 指が足りない 幼稚園 ○紅いりんごを 並べたような 子等の寝顔に 母の笑み ○親の意見と 茄子の花は 千に一つの 仇がない ○誰が生けたか 一輪差しの 春が芽を吹く 猫柳 <どじょう掬い>○親父どこ行く 腰に篭下げて 前の小川に どじょう取りに○唄に千両の 値踏みがあれば どじょうは万両の 味がある○わしが生まれは 浜佐陀生まれ 朝まとうから どじょやどじょ○たった一夜の 時雨に濡れて 乱れましたよ 萩の花○高い山から 谷底見れば 乙女姿の どじょう掬い<銭太鼓>○何はなくとも 出雲みやげ ご覧下さい 銭太鼓○可愛いけりゃこそ 毎晩通う 憎うてこの町に 蛇の目の唐傘 骨の数ほど 通わりょか○竹に雀はコリャ あちらの藪から こちらの藪へと チュンチュンバタバタ羽交えを揃えて 品よく止まる 止めて止まらぬコリャ 三千世界に 唄と踊りと銭太鼓<字余り>○今しばし 待てば添われる身を持ちながら 急いて世間を狭くする 急かなきゃ先越す人もある○落ち着いて 物の道理をよく聞かしゃんせ 美人に惚れるはそりゃ野暮よ 金の屏風も中反故(ほうぐ)人は見かけによらぬもの○嵐山 桜咲かねば ありゃ只の山 貴方も実なきゃ 只の人○ただ見れば 何の苦も無き あの水鳥の あしに暇無き 我が想い○雲の帯 雪の衣も 皆脱ぎ捨てて 素肌見せたか 夏の富士○紙投げて 筆をくわえて 硯をたかめ どう書きゃ 想いが届くやら○安来節 聞こし召さんと 八百よろずの神の 十神お山に集まりたもうは 他国の神無月○山は富士 花は桜木 あの人は武士 唄は出雲の 安来節○黄菊 白菊 茜菊 花の蕾の若菊を なぜに濡らすか 初時雨○色を捨て 欲にはなれた西行法師 富士の高嶺に 一人寝の 岩を枕に 眺め見渡す 田子の浦○泣かずんば 啼くまで待とうよ 山時鳥(ほととぎす) 人は辛抱が第一よ軒端の雨垂れ石を掘る 待てば成功の 時も来る○七転び八起きの努力は 無駄にはならぬ 富士の高嶺も麓から 塵も積もれば山となる待てば成功の時も来る ○その夢を聞いてみたいと 思うたなれど 聞くに聞かれぬ 花に眠りし 蝶じゃもの○淋しさに 小窓引き上げ 外眺むれば 浜辺に映る残月や 空に一声雁金の 声聞きゃ お顔が見たくなる○白滝の 水は夜昼落ちても 浮名は立たぬ 女の浅まし 一夜落ちても 浮名立つ○今鳴るお鐘は ありゃ明け六つの鐘 申し坊さん もう一つ撞いて 七つの鐘にして欲しや 話残した ことがある○思うて通えば 七曲りも一曲り 会わずに帰れば ただの一曲りも 七曲り○安来千軒 名の出たところ 社日桜に 十神山 十神山から沖見れば いずくの船かは 知らねども 滑車(せみ)のもとまで 帆を巻いて ヤサホヤサホと 鉄積んで 上のぼる○瀬田の唐橋 百二十五間 栗の木 松の木 欅の楼閣 せいろ橋 大津の鍛冶屋と 草津の鍛冶屋が 集まりて コラ朝から晩まで 飯(まま)も食わずに 打賃とらずに トッチンカラリヤ チンカラリンと 叩き伸ばした唐金擬宝珠(ぎぼし) 橋の上から 眺むれば しかも天下の 御條文(ごじょうもん)が 水に映りし 膳所(ぜぜ)の城○わしの生まれは 平田(ふらた)の生まれ ワカメにゃワカメ 布(め)の葉や布の葉 おばさんこんちは ご機嫌さん ただものおおきに ありがとさん 彼此おっしゃいますと 斤量(きんりょう)の目が減りますよ かけた布の葉が コナおばさん 一反とんで 二十四匁○わたすァ雲州 平田の生まれ 十里二十里三十里 西の果てから 東の果てまで 引(ふ)くずる 引(ふ)っぱってきたものを 今更暇(ふま)とて 暇とらぬ 広い世界に コナ旦那さん 主(ぬす)一人○竹になりたや コラ大阪天満の天神さんの竹に もとは尺八 裏竹はにいだいだいにいだいだい どんどん 高尾の花売りの太夫さん 絵かく字書く文書く チョヤマカドンドン 筆の軸○竹になりたや 紫竹破竹の 蛇の目の唐傘 下ろくろの竹に 可愛いと一さんと パラリと広げて 相傘さしてな 小宿通いの 程のよさ○唄はいろいろ数ある中に一に「都々逸」 二に「博多節」 三に「追分」 四つ「米山の薬師」五つ出雲の安来節<さすらい>さすらいの旅を重ねて わしゃ安来より(小原節)ハイ 押せや押せ押せ 二梃櫓で押せや(キタサノサ ドッコイショ キタサッサト) 押せば港が オハラ近くなる(おけさ)「ハァー佐渡の(ハアリャサ) おけさについ浮かされてヨ(ハアリャアリャアリャサ) 月も踊るか 佐渡島小島小島や出雲崎 これほど帆掛けて来たけれど 頼りに思うは 此処にお越しのお客様http://www.ongen.net/free/trial_browser.php?id=tr0000223813&file_id=fl0000000001&stream_flag=1
2009.02.27
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コンドルは飛んで行く (サイモンとガーファンクル)。http://listen.jp/store/preview.aspx?pid=5453900007&fn=5453900007_1_01&tm=1235706470389I'd rather be a sparrow than a snail, Yes, I would, If I only could, I surely would . . . hmm カタツムリになるならスズメになったほうがいいそう,スズメになりたいもしできるならもちろんスズメになりたいI'd rather be a hammer than a nail, Yes, I would, If I only could, I surely would . . . hmm クギになるならハンマーになったほうがいいそう,ハンマーになりたいもしできるならもちろんハンマーになりたいAway, I'd rather sail away, Like a swan that's here and gone . . . A man gets tied up to the ground, He gives the world its saddest sound, Its saddest sound . . . hmm 遠くへ 遠くへ航海に出たい去り行く白鳥のように人は大地に縛られてこの世界で一番悲しい音をたてる一番悲しい音をたてるI'd rather be a forest than a street, Yes, I would, If I could, I surely would . . . hmm 通りになるなら森になったほうがいいそう,森になりたいもしできるならもちろん森になりたい I'd rather feel the earth beneath my feet, Yes, I would, If I only could, I surely would . . . 足の下に大地を感じていたいそう, 感じていたいもしできるならもちろん大地を感じていたいYesterday (Te Beatles)http://listen.jp/store/preview.aspx?pid=5453900007&fn=5453900007_1_03&tm=1235707449050Yesterday all my troubles seemed so far awayNow it looks as though they're here to stayOh I believe in yesterday昨日 僕の苦しみすべて 遠くにあるように見えた今は どうやらここに居座ってるみたいだ本当によかったと思いを馳せる 昨日はとSuddenly I'm not half the man I used to beThere's a shadow hanging over me Oh yesterday came suddenly突然 僕はまったく昔の僕ではなくなった影が重くのしかかっている 僕の上に昨日と違うことが起きたから 突然にWhy she had to go I don't know she wouldn't sayI said something wrongNow I long for yesterdayなぜあの人は行かなくてはいけなかったのかわからない どうしても言ってくれなかった僕は何かまずいことを口走った今は焦れるだけ 昨日に戻れたらとYesterday love was such an easy game to playNow I need a place to hide awayOh I believe in yesterday昨日 恋は子供だましのゲームだった今は人から離れられる場所がほしい本当によかったと思いを馳せる 昨日はとポール・マッカートニの母親が死んだときの彼の心境を歌っているという説がある。
2009.02.27
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When I was youngI'd listen to the radioWaitin' for my favorite songs When they played I'd sing alongIt made me smile.Those were such happy timesAnd not so long agoHow I wondered where they'd goneBut they're back againJust like a long lost friendAll the songs I loved so well.Every Sha-la-la-laEvery Wo-o-wo-oStill shinesEvery shing-a-ling-a-lingThat they're startin' to sing'sSo fine.When they get to the partWhere he's breakin' her heartIt can really make me cryJust like beforeIt's yesterday once more.Lookin' back on how it wasIn years gone byAnd the good times that I hadMakes today seem rather sadSo much has changed.It was songs of love thatI would sing to thenAnd I'd memorize each wordThose old melodiesStill sound so good to meAs they melt the years away.Every Sha-la-la-laEvery Wo-o-wo-oStill shinesEvery shing-a-ling-a-lingThat they're startin' to sing'sSo fine.All my best memoriesCome back clearly to meSome can even make me cry.Just like beforeIt's yesterday once more.俺の好きなCarpentersのYesterday Once More.http://co-ko.com/030c/carpenters_yesterday_once_more.html
2009.02.27
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2009.02.26
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ドビュッシーと共にフランス印象主義の代表とされるラヴェル。その音楽は古典的ともいえる形式や構築性に則っている。また大きな特徴としてスペイン系の素材がよく用いられていることも挙げられる。これはラヴェルの母親がスペインのバスク地方出身であり、彼自身もスペインとの国境近くに生まれたことが影響している。ラヴェルの代表作のひとつである「ボレロ」も、スペインの舞曲から名称を得ている。15分近くにも渡って延々と同じリズムを刻み、2つしかない旋律をくりかえしながらクレッシェンドだけで進行していくという他にはない曲想。名バレリーナ、イダ・ルビンシテインから彼女のバレエ団のための作品を依頼されたラヴェルは、当初ファリャのピアノ曲をオーケストラ編曲するつもりだったが、中々版権の許可が下りないので、自分で最初から作ってしまった方が早いと考えた。そうして作曲されたのが、彼の最後の管弦楽作品となった「ボレロ」。フルートから順に他の楽器が次々ソロをとっていき、次第に音に厚みが加わり最後は全合奏でなだれ落ちるように幕を閉じる。俺が好きな管弦楽の一つだ。ともかく気分が高揚する。http://www.worldfolksong.com/songbook/classical/bolero.htm
2009.02.26
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[死についての名言]1.死とは、モーツァルト(の音楽)を聴けなくなることだ。(アルフレート・アインシュタイン(アルベルト・アインシュタインの従弟で音楽学者・モーツァルト研究家)) 2.武士道というは、死ぬことと見付けたり(葉隠) 3.死に至る病とは、絶望のことである(キエルケゴール) 4.人は死ぬ。だが死は敗北ではない。(ヘミングウェイ) 5.死は人生の終末ではない 生涯の完成である(マルティン・ルター) 6.戦士は死ぬ。だが、思想は死なない。(フィデル・カストロ) 7.未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語)[キエルケゴールについて]キエルケゴール はデンマークの哲学者であり、今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。キェルケゴールは当時とても影響力が強かったヘーゲル哲学あるいは青年ヘーゲル派、また内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。キェルケゴールの哲学がそれまでの哲学者が求めてきたものと違い、また彼が実存主義の先駆けないし創始者と一般的に評価されているのも、彼が一般・抽象的な概念としての人間ではなく、彼自身をはじめとする個別・具体的な事実存在としての人間を哲学の対象としていることが根底にある。「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。これは従来のキリスト教の、信じることによって救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことが画期的であった。それにしても大袈裟だね。
2009.02.26
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[コンチネンタル・ブレークファスト]コーヒー・紅茶などに、パンとバターやジャムがついた簡単な朝食のこと。[アメリカン・ブレークファスト]コンチネンタル・ブレイクファストに卵料理がついた朝食。以上 お間違い無きよう。ところが世界は広いね。米国の或るホテルの朝食メニューに「Eye-Break」というのが有った。出されたものは、多少小ぶりのビーフステーキ。大食漢の米国人でも、目を見張るという訳だ。リオデジャネイロの上の下といったホテル。コンチネンタルをオーダーしたところ、いわゆるコンチネンタルにバケツ位の籠に果物が山盛り、加えて魔法瓶位の容器にミルクが一杯。最近のホテルは国内外とも朝食はバイキング。御当地ものの品も混ざっているが不味い。矢張り俺は、ご飯・味噌汁・納豆が良いね。
2009.02.26
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cake cake cake cake
2009.02.26
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[フランス]焼きたての風味にこだわるのがフランス流。住宅街にはパン屋がいくつもあって、早朝から焼きたてのパンを楽しむことができる。1.フランスパンフランスでは、もちろん、「フランスパン」とは呼ばれていない。砂糖や牛乳などは使わず、小麦粉・イースト・塩・水だけで作られていて、形によってパリジャン、バゲット、バタール、ブール、などといろいろな呼び方があるが、いずれもパリッっとした皮(クルート)に特徴のあるパン。 2.クロワッサンバターやマーガリンをパイ生地のように折り込んで焼き上げる、三日月型のパン。その歴史は17世紀のオーストリア・ハンガリー帝国の首都・ウィーンに始まる。当時のウィーンに、トンネルを掘って侵入しようとしたトルコ軍にいち早く気が付いたパン職人に対して、褒美として三日月(トルコ軍の旗の印)型のパンを作る名誉が与えられたのがその始まり。 3.ブリオッシュマリーアントワネットの結婚によって、ウィーンのパン職人からフランスへ伝えられたと言われている。バターと卵をたっぷり使ったパンで、豊かな風味と柔らかな食感が楽しめる。フランスでは朝食によく食べられている。[イタリア]食事にはあっさりとした塩味の白パンをあわせる。一方、菓子パンには卵やバターをたっぷりと使ったり、ドライフルーツを入れたりして楽しむのがイタリア流。 1.フォカッチャ「フォカッチャ」とは、イタリア語で「火で焼いたもの」という意味。イタリア北部ポルトフィーノの郷土料理で、ピザの原型とも言われる円形のパン。ピザのように具材をのせて焼くことは無いが、生地にオリーブオイルが練りこまれ、ハーブなどで風味づけされていることが多く、そのままでおいしく食べられる。 2.パニーニ1970年代にミラノで生まれたイタリア風サンドイッチ。「パニーニ」とは「小さなパン」という意味で、そのとおり小さな丸型パンに、生ハムやモッツアレラチーズなどの具をはさんで食べる。この小さなパンには、フォカッチャやホワイトブレッドが使われる。 3.グリッシーニイタリアにはグリッシーニという細長いスティック状の食事パンがある。あっさりとした塩味とククラッカーのような食感が楽しめる。グリッシーニは17世紀にイタリアのピエモンテ州トリノで生まれ貴族階級の間で流行。生ハムを巻いてアンティパストにしたり、パスタ料理と一緒に食べたりする。[ドイツ] プレッツェルやライ麦パンなど特徴あるパンが焼かれている。日本以上にパンの種類が多い国としても有名。パン屋で扱う商品は1200種ほどもあると言われている。 1.プレッツェル中世ヨーロッパではパン屋のシンボル、語源は「組み合わせた腕」を意味するラテン語の「ブラキアテルム」やイタリア語の「ブラッチャッテロ」からきている。小麦粉、イースト、塩、水から作られ、焼く前にアルカリ溶液(通常は水酸化ナトリウム溶液であるカセイソーダを2~4%に薄めた液を使用)に漬けて焼いてあり、表面が赤褐色をしている。塩味と、カリカリとした食感がビールにあうパン。2.ライ麦パンドイツを代表するパンのひとつで、ロシアや北欧などの比較的寒冷な地域でよく食べられている。ドイツでは、ライ麦で作るパンをロッゲンブロート、小麦で作るパンをヴァイツェンブロートと言う。ライ麦と小麦を混ぜ合わせたものをミッシュブロートと言い、ライ麦の方が多いものをロッゲンミッシュブロート、小麦のほうが多いものをヴァイツェンミッシュブロートと呼び分けている。ライ麦の割合が高くなるほどしっとりと重たく独特の酸味を持つパンになる。薄くスライスすると美味しく食べられる。 [アメリカ]他民族国家のアメリカには、世界のあらゆるパンが集まっている。その中でも最もポピュラーなのは、日本で食パンと呼んでいるホワイトブレッド。 1.食パンパン食の朝ごはんといえば、この食パンを思い浮かべる人が多い。食パンとは元来、主食として食べられるパンを指すが、上蓋のない焼型で焼く山型食パンや、蓋つきの焼型(プルマン型)で焼く角食パンが一般的。2. ロールパンバターや卵を生地に練り込み、薄く延ばした生地をくるくると巻いて焼き上げたパン。いわゆる「バターロール」の表示をするためには、バターの添加量が決められている。[日本]日本では世界中のパンが食べられるといわれるほど、多種類のパンが作られている。各国の伝統的なパンからおかずパンや菓子パンまで、色々な味を楽しむことができる。 1.カレーパンカレーをパン生地で包み込み、パン粉を付けて油で揚げたパン。もともとは昭和2年に名花堂というパン屋が洋食パンとして販売したのがはじまりで、パン粉をつけて揚げるというのはとんかつから発想したのだとか。今では油で揚げるほかに、オーブンで焼くカレーパンもる。 2.あんパン木村屋創業者の木村安兵衛が考案したというパン。フィリングのあんにはこしあん、粒あんがあるが、その昔、木村屋と中村屋の取り決めには、「こしあんパンにはケシの実、粒あんパンには黒ごまをつける」というものがあったのだそうだ。 3.メロンパンパン生地にクッキーの生地をのせて焼いたパン。焼き上がりの見た目がメロンの皮のようにひび割れて見えることから名前が付いたという説や、メロンエッセンスを加えているからとか、メレンゲ(卵白を泡立てたもの)からメロンと呼ばれるようになったからなど、色々な名前の由来がある。[その他]パンは古代文明で誕生した。今では世界中に広がって食文化を支えている。各国には様々なパン事情がある。 1.カイザー・ゼンメルオーストリアやドイツのテーブルパン。丸いパンの表面に5本のカーブ(星型)の切れ目が入っており、ゴマやけしの実がまぶされていたりする。ドイツ語で「カイザー」は皇帝を意味している。 2.ベーグルアメリカのドーナツ型のパンとしてよく紹介されるが、もともとはユダヤ教の「清浄食(コーシャー食品)」として食べられてきたユダヤ人のパン。今ではアメリカのポピュラーなパンの一つで、チーズやサーモンなどをはさんで食べるのが一般的。ところで、ベーグルの作り方には大きな特徴があり、焼く直前に生地を一度ゆでること。これによって小麦粉のでんぷんがアルファー化され、独特のもちもちした食感が生まれる。 3.ピタパン中近東で日常的に食べられているパン。一次発酵させた生地を平たく薄くのばすことで、焼くと内側に大きな空洞ができる。ポケットパンとも呼ばれ、ポケットの部分に好みの具を入れて食べることができる。 4.ポンデケージョブラジルで良く作られているパン。「ポン」は「パン」、「ケージョ」は「チーズ」のこと。タピオカでん粉とチーズを入れて作る。タピオカ(キャッサバ)の粉をつかうことで、独特のもちもちした食感となる。
2009.02.26
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ナッツベリーファームは、カリフォルニア州にある遊園地の名前。アナハイムのデズニーランドと さほど離れていない。ブエナパークの州道沿いでウォルター・ナッツがいちごを販売するスタンドを設けたのがナッツベリーファームの起源である。その後スタンドは人気レストランへと発展し、長蛇の列を作る客の待ち時間にエンターテインメントを提供することを目的としてアトラクションを作っていった。1940年代には、カリフォルニア州カリコ、アリゾナ州プレスコットから本物のゴーストタウンの建物を移設し、園内にリアルなゴーストタウンを建設するに到った。このような経緯から、ナッツベリーファームの遊園地は現在も名物のレストランやジャムを売る売店が園内にあり、また古い時代のアメリカを彷彿させる独特の雰囲気を保っている。そして、ピーナッツ (スヌーピー)の公式なホームとなった。園内には12歳以下の子供を対象としたテーマパーク、キャンプ・スヌーピーが設立された。ナッツ家は経営から撤退した。遊園地はシダー・フェアへ移管されてから、ローラーコースターなどを中心とする絶叫マシンへの比重が高くなってきている。園内の総面積は160エーカーである。いくつかのゾーンに分かれており、園内はローラーコースターはもちろん、水上絶叫ボートや人工ビーチなどもある。ライド系のアトラクションは、7つのローラーコースターを含め39を数える。ナッツベリーファームは、ボーイゼンベリー (Boysenberry - ラズベリー、ブラックベリー、ローガンベリーの3種を掛け合わせたもの)を初めて栽培したことで知られており、今でもボーイゼンベリーのジャム、パイはここの名物である。ナッツのレストランは、ボイゼンベリー・パイの他チキンの料理が名物として知られている。同じオレンジ郡内にあるディズニーランドとよく比較されるが、実はこのナッツベリーファームの方が歴史は古く、その名のように元々はBERRY(いちご種)のFARM(農場)だった。ディズニーランドの誕生は1955年。ナッツベリーファームの誕生は農場からの変換期を何時とみるかで意見が分かれる。現在もナッツ名物のひとつナッツ夫人のチキン・ディナーのランチ・ボックスが販売されたのが世界恐慌後の1934年。因みにこの値段は65セントでした。このチキン・ディナーは大人気で連日長蛇の列が出来ていました。そこでナッツ氏は待ち時間を楽しんで貰おうと考え一つのアイディアが浮かべ、開拓時代の西部への憧れから、1868年築のアリゾナのホテルをはじめ、西部に打ち捨てられていた廃村から建物を移築して現在のゴーストタウン原型を完成させた。これが1940年のこと。そうディズニーランドよりも15年前ということになる。1983年にはスヌーピーをキャラクターアイドルに迎えディズニーランドのミッキイに対抗。ディズニーランドの一人勝ちを許していない。 というものの日本で言えば豊島園かな。
2009.02.26
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エウクレイデス、英語名ユークリッド( 紀元前365年? - 紀元前275年?)は古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。いわゆる「原論」の著者である。ただし、実在を疑う説もある。その説によると「原論」は複数人の共著であり、エウクレイデスは共同筆名とされる。一説によるとアテナイでプラトンに数学を師事したともいわれ、のちプラトンの死後、彼が創始した哲学学校アカデメイアで数学の教師の1人だった時期があると見られている。確実なのは彼が古代の卓越した数学者で、アレクサンドリアで数学を教えていたこと、またそこで数学の一派をなしたことである。ユークリッド幾何学の祖で、原論では平面・立体幾何学、整数論、実数論などの当時の数学が公理的方法によって組み立てられているが、これはギリシャ数学の一つの成果として受け止められている。数学に関するものとしては、他に少なくとも円錐曲線論について書いているが、その内容は失われている。ローマのバチカン宮殿にあるラファエロの有名な壁画「アテナイの学堂」にも、プラトンとアリストテレスが降りてくる階段の足元で、コンパスを使って図形を描いている姿で描かれている。プロクロスの「ユークリッド原論第1巻注釈」によると、プトレマイオス1世が彼に「幾何学を学ぶのに「原論」よりも近道はないか」と聞いたところ、彼は「幾何学に王道なし」と答えたとされている。16世紀後半になると、エウクレイデスの著作はイエズス会を通じて中国の明にも伝えられた。イエズス会士のマテオ・リッチは、徐光啓との共同作業を通じて著作を漢訳し、1607年に「幾何原本」を刊行した。こう言うと自慢話になるが、高校生時代の幾何のテストで先生の教えてくれた公理とは違う方法で解答したが、自己流の論理だったため時間切れになってしまった。返ってきた答案の採点は0点。俺のやり方でも筋道として正解になる自信が有ったので、職員室に行って、「かくかく しかじかの考え方で問題に取り組んだが、時間切れになった。俺の考え方が違っているなら0点を甘受するが、俺は絶対に間違っていない」と大声でクレームをつけたところ、先生は答案を吟味し「判った」と言って、100点を付けたね。それ以来、俺は幾何には近道が有ると思っている。それにしても、ユークリド言論には、五つの公理と公準が示されている事位は常識として知って置いた方が良いね。
2009.02.25
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座天使(ざてんし、ソロネまたはオファニム、ガルガリン)は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第三位に数えられる上級天使の総称。 名は「玉座」や「車輪」の意で、唯一神たる主の戦車を運ぶ者とされる。また、「意思の支配者」の異名も持つ。物質の体をもつ天使としては最上級にあたり、主に燃え盛る車輪の姿で描かれる。座天使の指揮官は、ザフキエルまたはラファエルとされる。
2009.02.25
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智天使は単数形ケルブ、複数形ケルビム 。「天使の階級」では第二位に位置づけられる。神はアダムとイヴを追放した後、命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたという。また、契約の箱の上にはこの天使を模した金細工が乗せられている。神の姿を見ることができる(=智:ソフィア)ことから「智天使」という訳語をあてられた。エゼキエル書によれば、四つの顔と四つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある。ルネッサンス絵画ではそのまま描写するのではなく、翼を持つ愛らしい赤子の姿で表現されている。「彼はケルブに乗って飛び、」「主はケルビムの上に座せられる。」といった記述があり「神の玉座」「神の乗物」としての一面が見られる。ケルブの起源をアッシリアの有翼人面獣身の守護者「クリーブ」とする説がある。旧約聖書によるとケルビムの姿は「その中には四つの生き物の姿があった。それは人間のようなもので、それぞれ四つの顔を持ち、四つの翼をおびていた。その顔は"人間の顔のようであり、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔"を持っていた。生き物のかたわらには車輪があって、それは車輪の中にもうひとつの車輪があるかのようで、それによってこの生き物はどの方向にも速やかに移動することができた。ケルビムの"全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に目がつけられていた「(知の象徴)ケルビムの一対の翼は大空にまっすぐ伸びて互いにふれ合い、他の一対の翼が体をおおっていた(体をもっていないから隠しているという)またケルビムにはその翼の下に、人間の手の手の形がみえていた(神の手だという)」とされている。
2009.02.25
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熾天使(してんし)は、天使の位階のひとつ。単数形はセラフ、複数形はセラフィーヌ。天使の九階級のうち最上とされている。三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれる。「民数記」にはネハシム-セラフィム(「燃える蛇たち」)が出てくるが、これは火のごとき空を飛ぶ蛇の姿であるという。「イザヤ書」には、以下のような熾天使の描写がある。主が王座の上に座って、顔を上げられるのを見た。 彼の上に、セラフィムは立っていた。それぞれには、6つの翼があり、2つの翼で、彼は顔を隠し、2つの翼で足を覆った。そして、2つの翼で飛翔した。
2009.02.25
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天使は、主として、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖典や伝承に登場する神の使いである。なお日本語の聖典中では「み使い」と呼ばれることもあり、日本ハリストス正教会では神使(しんし)とも訳す。 また英語「Angel」はギリシャ語のアンゲロス(angelos)に由来しており、原義は「神の使者」を意味する。天使は、主に二つの類に分かれる。第一は、「み(御)使い」と呼ばれる天使である。第二は、セラフィム(熾天使)・ケルビム(智天使)・オファニム(座天使)がそうであるが、多数の眼を持ち、多数の翼等を持った姿の天使である。これらは一般的な天使のイメージとは程遠い怪物的なイメージとなっている。第一の天使は、「旧約聖書」・「新約聖書」においては、翼など持たず普通の人と変わらない、成人男性か、若い男子青年の姿で現れる。または姿が見えない。姿が見える場合も、男性の姿であると考えられている。(なお、ガブリエルやミカエルは、熾天使や智天使の位階にあるが、これは、キリスト教で天使位階を論じて、彼らを最高位天使としたためである。彼らは、怪物のような姿では考えられていない)。初期のキリスト教では、(現在の一般的な天使イメージとは異なり)天使は男子青年の姿であり、しかも翼を持たなかった。なお天使が有翼の姿で考えられるようになるのは、オリエント・ペルシアの天使・精霊のイメージなどが混合されて来たためである。中世ヨーロッパにおいては、絵画から窺える限りでは、天使は有翼で、当時の西欧人の衣装をまとい、「天の聖歌隊」を構成する天使たちは美少年の姿に、大天使ガブリエルは優美な男性の姿に、また、悪と戦う使命を持ったミカエルなどは、鎧をまとい剣を帯びた、雄々しい戦士の姿で描かれていた。近世以降、無垢な子供の姿や、女性的な姿、やさしい男性の姿を取って表現されるようになった。これはルネサンス期にローマ神話のクピド(女神ウェヌスの子である愛の神)からイメージを借りたとされる。場合によっては童子の顔と翼だけで身体を持たない姿に描かれることもある。
2009.02.25
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ガブリエルは旧約聖書「ダニエル書」にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではラファエル、ミカエル、ウリエルと共に四大天使の一人であると考えられている。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある。聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガヴリーエールという名前は「神の人」あるいは「神は力強い」という意味である。ガヴリーエールは、しばしば剣と盾を持ってエデンの園の入り口を守るミカエルと混同されることがある。ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」という役割を担うことが多い。たとえば「ルカによる福音書」では祭司ザカリアスのもとにあらわれて洗礼者ヨハネの誕生をつげ、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げる。聖書本文に名前は出ないが、伝統的に「ヨハネの黙示録」にあらわれて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルであると考えられてきた。ガブリエルがマリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「受胎告知」といわている。聖母マリアの純潔を示す、白百合を携えて描かれていることが多い。また、ロザリオの祈りの喜びの元儀の第一元儀はこの「お告げ」の出来事になっている。ダ・ヴィンチの「受胎告知」に描かれているのは、このガブリエルだという事を知らない人が多いね。
2009.02.25
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天竜川の幾千万年の浸食により、川の両岸に奇岩怪石が聳え立つ大自然の渓谷。春の新緑と岩間躑躅、山桜、夏の緑と白百合、秋のもみじ、冬の雪景色と四季の変化に富む名勝に相応しい景観が楽しめる。天龍ライン下りは天竜峡港から唐笠港まで。天竜峡の絶壁の間を流れる天竜川を下る。特記事項無し。
2009.02.25
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山口市の瑠璃光寺境内にある五重塔は、大内盛見が兄・義弘の菩提のために建立し。塔の外観は安定した美しい姿を見せており、室町時代のすぐれた建築の一つであるとともに大内文化の繁栄を物語っている。雪舟庭園は、大内氏政弘が室町時代中頃に画聖雪舟に命じ築庭したものと言われている。。この庭園には、無染池(心字池)があり、室町時代の枯山水石庭の典型的なもので簡素豪放なたたずまいである。その他、山口ザビエル記念堂など有り。秋吉台は詰まらん。
2009.02.25
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愛 燦 々歌 谷 真酉美作詞作曲 小椋 圭 昭和61年 http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/aisansan.htm1. 雨 潸々(さんさん)と この身に落ちて わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして 人は哀しい 哀しいものですね それでも過去達は 優しく睫毛に憩う 人生って 不思議なものですね2. 風 散々(さんざん)と この身に荒れて 思いどおりにならない夢を 失くしたりして 人はかよわい かよわいものですね それでも未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね3. 愛 燦々(さんさん)と この身に降って 心密かな嬉し涙を 流したりして 人はかわいい かわいいものですね ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う 人生って 不思議なものですね ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね
2009.02.25
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性欲は、性的欲求充足を目的とした強い衝動である「リビドー」であると考えられている。個々にどのような欲求が生まれ、どのような方法で充足させるかは、個人差が大きく一般化することは困難である。性欲の研究についてはフロイトによる小児性欲のエッセイが著名である。こうした性欲の抑圧(欲求不満)をヒステリーの原因と想定した。またそうした性欲を根源的な性欲と名付けた。フロイトはこうして人格形成をすべて性欲に起因する欲求で説明しようと考えた。これを汎性欲論と呼ぶが、近年では多くの批判を受けている。脳生理学の発達にともない、本能的行動が脳内の化学物質による反応行動であるというアプローチもある。性欲そのものは非常に単純であり根源的な欲求である。ただしその性衝動をどう充足するかによって、性的指向は個々に変化する。女性が、自分に執着しパートナーに大切にしてもらえることを望むという性的指向が固着した場合、そのような価値観を持つ社会集団に属していた、あるいは一切執着をされなかった反動と捉えることができ、男性が容姿の優れたパートナーを所有することを望むという場合も社会的欲求の変形と見なすこともできる。好奇心から性的指向を顕在化させるケースもあり、窃視症や痴漢など、異性の秘密に対する好奇心から、異性の衣服の下の身体を見たい・触れたいという欲求を抱き、特に人目につかない部分(股間、腋の下など)に興味を示すこともある。男尊女卑的な社会では女性が頼れるパートナーに身体を預け、秘所を開くことで孤独感を癒したいという欲求が生まれることもある。キリスト教では色欲は人間の七つの大罪の一つとされる。また他の宗教でも、不適切な性欲を罪としている。仏教でも煩悩の一つとされ、不邪淫戒という戒律も存在する。ただし不邪淫戒は、妻以外の女性と性交渉をしてはならない、という戒である。釈迦の従弟である孫陀羅難陀が、出家後でも妻に惹かれてなかなか悟りを開けなかったエピソードなどがある。このように多くの宗教では、性欲とは女性の容姿に男性が惑乱させられて起こるものと考えられている。ただし、仏教の中でも上記の顕教と違い、密教では性欲の捉え方は大きく異なる。理趣経という経典には、男女の欲望や交合(性交)の妙なる恍惚、また欲望などもすべて清浄なる菩薩の境地であるなどと説いており、性欲を全否定しない。したがって世間一般では、密教や理趣経は性欲を肯定しているという見方で捉える向きもある。しかしそれも違う。これは自性清浄といい、本来人間は汚れた存在ではなく、欲望は人間として自然なものである、といった煩悩即菩提という思想が密教の根本にあるためである。俺は、こういう学者や宗教家は考え過ぎだと思う。性欲は根本に「子孫保存」の生殖本能が有り、これに快楽という欲望が乗っているだけなのじゃないか。少なくとも健常人の恋とか愛というものは、極言すれば これを美化しているに過ぎないのではないか。そして、それは おおいに結構な事だと思う。
2009.02.25
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不倫は配偶者のある男や女が、配偶者以外の異性と恋愛し、性交を行うことをいう(配偶者のいない男や女が、配偶者がいる異性と恋愛し、性交を行う場合も含む)。古くは姦通、不義密通といった。(くだけた表現では浮気と呼ばれる。この言葉は未婚の恋人同士でも使われる。)一般に不倫の代償は非常に大きい。家庭や友人関係を一気に崩壊させる危険をはらみ、経済的・精神的に深刻な打撃を受け、社会的信用はもとより、自身の社会的な基盤すらをも失う可能性がある。不倫は民法第770条の離婚事由に相当し、家庭崩壊の場合は配偶者に訴訟を起こされる事もあり、実子がいる場合は、年齢に関係なく心を激しく傷付けトラウマを植え付けてしまう。子供が心身を激しく傷つけられた場合には不倫をした本人の配偶者からだけでなく、子からも訴訟を起こされることがある。 関係の解消の際には、今までの関係を暴露すると脅されたり、口止め料や手切れ金を要求される場合もあるため、これらのトラブルも代償とされる。他方、芸能人などはスキャンダルとしてバッシングを受け、政治家などにいたってはイメージ悪化に繋がり、潔癖な人間からの支持を大幅に失う。ただしお国柄によってはスキャンダルとはならないこともある(フランスは寛容だといわれる)。政治家、芸能人、著名人やスポーツ選手などの不倫は、これを種にして発行部数や視聴率を伸ばそうとするマスコミ、写真週刊誌やワイドショーなどの絶好の取材・報道対象となり、カメラや取材陣が該当人物を連日連夜追いかけ回す事になる(セックス・スキャンダル)。平安時代では、やはり男は多くの女の元へ通うのが常識であり、一人の女性しか愛さない男は真面目人間として軽く見られた。しかし人の妻を奪うことは非常識とされ、世間の非難を浴びた。鎌倉時代には、御成敗式目に不倫密懐に関する処罰が規定され、不倫は所領半分没収の上職務罷免とされ、武家文化の中で厳しく処罰される端緒となった。御成敗式目は戦国・江戸時代を通じて各家法に強い影響を与え、武家法の基礎となった。これに対し、庶民の性風俗に関わる明確な取り決めは見られず、近世(江戸時代)以前には配偶者以外との性交渉は珍しいことではなく、近代に入っても戦前では特に農村などではその風潮が一部に残っていた。その一方では寛保2年の公事方御定書 には不義密通を死罪とする重罰規定が見られるなど、かならずしも当時の真相を覗わせる研究に一貫性はみられない。近代に入ってからも近年まで、「浮気は男の甲斐性」などと既婚男性が未婚女性と不倫にいたる限り、容認する風潮が長く続いていた。当時既婚男性が未婚女性を愛人に持つことは容認されても既婚女性が浮気をすることは容認されないとされており、既婚女性が不倫に及んだ場合1947年までは男女とも姦通罪という罪に問われた(現在の法律では刑事的責任を問われることはない)。近年になってからは、恋愛感情と結婚生活を一体のものと考えるロマンチック・ラブの思想が男女双方に受け入れられ、不倫を罪悪であると考える者は男女問わず多い。法律上、不倫は「不貞行為」(貞操義務の不履行)という。・夫婦がお互いに他の異性と性的交渉を持たない義務に反する行為である。 ・一度きりの性的交渉も不貞行為とされるが、離婚理由になるには反復的に不貞行為を行っていることが必要とされる。 ・男女間の密会が性的交渉を伴わない場合は「不貞行為」にはならない。 以上が不倫に関する記述である。黒文字と赤文字を見較べて頂きたい。法律は不倫を許容しているのか否か一見しただけで判りますか。勿論不倫しないのがBestですが、「結婚」は極言すれば「契約」です。 結婚の定義はいくつかあり、日本においては、婚姻届を出し戸籍に記載される婚姻を結婚と定義することもある。その他にも以下のような要素に着目した様々な定義のしかたがありうる。社会的結びつき 経済的結びつき 人間的結びつき 法的正当性 これらの根底にあるものは「契約」という概念である。親子の関係はタテの関係であり、生まれたら自動的に関係付けが発生し、原則的に一生の間不変である。一方、結婚というのは男と女が結びつくヨコの関係であるとされる。一般的に血縁関係にない男女であるので、結び付きは契約的になる。また、夫婦は「男と女という人間」です。結婚したからといって、異性への関心が消滅する訳は無い。稀には有りますがね。それが発展して恋とか愛になっても不思議では無い。恋愛で無くても男が商売女とsexしても不倫になるとしたら、違和感が有る。皆さんは「不倫」は「スキャンダラス」で「許し難いもの」と思いますか。勿論、法律上のぺナルティは生じますよ。
2009.02.25
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ロスアンゼルスの有名ホテル。誤解している向きが居られるので念のため。下記URLで確認してきては如何。http://appleworld.com/apl/city_ranking/usa/1176117_160393.html
2009.02.24
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ベニー・グッドマンは、クラリネット奏者。スウィング・ジャズの代表的存在として知られる。1932年には自ら楽団を結成し、NBCラジオに定期的に出演。1935年のロサンゼルスの有名なダンスホールであるパロマーボールルームでの大成功をきっかけに全米にわたる人気を獲得し、1938年にはカーネギー・ホールで最初のジャズコンサートを行うまでに至りスウィングの王様(King of Swing)の名声をほしいままにする。またグッドマンは人種差別が激しかった当時、テディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトンをはじめとする黒人ミュージシャンを積極的に雇った最初の人物として賞賛されることも多い。代表曲に、力強いドラムから始まる「シング・シング・シング」(Sing Sing Sing )が挙げられる。写真はベニー・グッドマン(右から2人目)とペギー・リー(右端)。今日は古き時代のジャズミュージッシャンの一部を紹介した。ほかにも例えばドラムのジーン・クルーパーなど大勢いる。この連中の演奏を上野の伊藤コーヒー店・神田のクロンボ・高円寺のスイングなどでSPレコードで聴いたものだ。古いものが良くて、最近のものは面白く無いなどと言う積もりは毛頭無い。また思い出に浸る積もりも無い。言いたい事は良いものは時代を超えて残るという点だ。ああ、疲れた。
2009.02.24
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グレン・ミラーはアメリカのジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バンドリーダー)。トロンボーン奏者としては目立たなかったが、1937年に自己の楽団Glenn Miller Orchestraを結成後、バンドリーダー、作編曲家として絶大なる人気を博し、第二次世界大戦の勃発による1942年の兵役まで多くのヒットを放ち、今でも世界で愛されている。「グレン・ミラー物語」という映画も良かった。除隊後も精力的に慰問演奏を続けていたが、1944年12月15日に、フランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機がドーバー海峡で行方不明になり、12月18日戦死と発表された(後の調査で、ドイツへの爆撃から帰還する途中のイギリスの爆撃機が上空で捨てた爆弾が当たり墜落したとわかった)。[主な演奏曲]ムーンライト・セレナーデ (Moonlight Serenade) イン・ザ・ムード (In The Mood) 茶色の小瓶 (Little Brown Jug)真珠の首飾り (String of Pearls) タキシード・ジャンクション (Tuxedo Junction) ペンシルバニア6-5000 (Pennsylvania 6-5000) チャタヌーガ・チュー・チュー (Chattanooga Choo Choo) オーバー・ザ・レインボー (Over The Rainbow) ムーンライト・カクテル(moonlight cocktail) (編曲)アメリカン・パトロール (American Patrol)
2009.02.24
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カウント・ベーシーはは、アメリカのジャズピアノ奏者、バンドリーダー。グレン・ミラー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグバンドの代表奏者に挙げられる。現在ジャズフアンと称する方々は、こう言う事は御存じなのかな。ベイシーのピアノスタイルは、ファッツ・ウォーラーに師事したこともあり、ストライドピアノスタイルであり、その腕はかなりの物だったと言われる。ビッグバンド演奏の中ではストライドピアノを封印し、「ワンノートスタイル」と呼ばれるシンプルな演奏方法で、「節約奏法」とも揶揄された、音楽的に必要な場所だけピアノを「叩く」スタイルに変わっていった。写真の左が本人。
2009.02.24
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ルイ・アームストロングはは、アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンである。サッチモ(Satchmo)という愛称でも知られ、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの一人である。サッチモという愛称は「satchel mouth」(がま口のような口)というのをイギリス人記者が聞き違えたとする説や、「Such a mouth!」(なんて口だ!)から来たとする説などがある。その他、ポップス(Pops)、ディッパー・マウス(Dipper Mouth)という愛称もある。アームストロングは明朗な性格と高い音楽的技術をあわせ持つカリスマ的かつ独創的な演奏者であり、洗練されていない地方的なダンスミュージックをポピュラーな音楽形態であるジャズへ発展させた。トランペット奏者、歌手としても有名。ジャズ界でも稀であるほどの天才トランペット奏者と言われ、ウィントン・マルサリスは「色々なトランペット奏者の良い所を盗もうとしたけど、アームストロングだけは盗めなかった。とにかく凄すぎるからさ」と賞賛。歌の方でもスキャットという手法を広めたことで知られ、マイルス・デイヴィスは「アームストロングは喋りまでジャズになっている」と語っている。俺の学生時代はジャズ喫茶が あちこちに有り、SP版で聴いたものだ。このサッチモのバンブルビーは圧巻だった。
2009.02.24
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ザルツブルグは、オーストリアの都市。同名のザルツブルク州の州都である。ドイツ語で特に区別して表記する場合、ザルツブルク市はStadt Salzburg、州はLand Salzburgとする。ここには奥方と一緒に訪れた。夫婦なんて融通無碍なんだな。ザルツブルクは、モーツァルトが1756年に誕生してから25歳まで住んでいたので、音楽を愛する世界の人々にとっていわば巡礼地になっている。とりわけザルツブルク音楽祭の開催される夏のシーズンはホテルはどこも満員となり、モーツァルトの生家のあるゲトライデ通りはもともと狭いがなおさら狭く感じられるほどの混雑となる。町のほとんどどこからでも見える南の高台にはホーエンザルツブルク城がある。
2009.02.24
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現在の大鳥居は、平安時代から8代目にあたり、1875年に再建された。笠木は箱になっており、拳大の石が約7t詰められている。根元は海中に置かれているだけで、自重で立っている。す。主柱の基礎は、千本杭の工法が用いられ、45cmから60cmの松杭がそれぞれの柱に約30本から100本打ち込まれている。楠は、比重が重いことと、腐りにくく、虫に強いからだ。 「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島[いつきしま]大明神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「厳島神社」となっている。原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められてたので、陸地では畏れ多いと海中に社が建てられた。平清盛が安芸守に任官され、平家の氏神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営した。社殿は、災害により何度か立て替えられているが、清盛が造営した当時の姿を伝えられているといわれている。鹿が多くて閉口した事、横に長く伸びた松?が有った記憶が有る。
2009.02.24
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錦帯橋は五連の反り橋が特徴で、山梨県の「猿橋」、そして徳島県の「祖谷のかずら橋」と並んで、日本三名橋の一つといわれている。まあ こんなものだな。何の感慨も湧かない。
2009.02.24
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長崎在住の方々には申し訳ないが、あまりピンとこない町。オランダ坂は その典型。写真が それだが、この趣は ほんのワンブロック。ここを離れると変哲の無い街並み。眼鏡橋も川の両側の家の洗濯物が干され著しく景観を損なっている。天主堂・グラバー邸・ハウステンボスなど観光ポイントは勿論有る。食べ物も卓袱料理・皿うどんが有る。これを総括して俺はピンとこない。
2009.02.24
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トーマス・アクィナスは中世の哲学者・神学者。ドミニコ会員。盛期スコラ学の代表的神学者であり、トマスが大成したスコラ学は長きに渡ってカトリック教会の公式神学となった。カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の教会博士のうちの1人。修道院にあずけられたトマスはそこで学び、ナポリ大学を出ると両親の期待を裏切ってドミニコ会に入会した。ドミニコ会は当時、フランシスコ会と共に中世初期の教会制度への挑戦ともいえる新機軸を打ち出した修道会であり、同時に新進気鋭の会として学会をリードする存在であった。家族はトマスがドミニコ会に入るのを喜ばず、強制的にサン・ジョバンニ城の家族の元に連れ帰り、一年以上そこで軟禁されて翻意を促された。初期の伝記によれば、家族は若い女性を連れてきてトマスを誘惑までさせたが、彼の決心はゆるがなかったという。同時代の人々の記録によるとトマスは非常に太った大柄な人物で、色黒であり頭ははげ気味であったという。しかし所作の端々に育ちのよさが伺われ、非常に親しみやすい人柄であったらしい。議論においても逆上したりすることなく常に冷静で、論争者たちもその人柄にほれこむほどであったようだ。記憶力が卓抜で、いったん研究に没頭するとわれを忘れるほど集中していたという。そしてひとたび彼が話し始めるとその論理のわかりやすさと正確さによって強い印象を与えていた。トマス・アクィナスの最大の業績は何と言ってもキリスト教思想とアリストテレス哲学を統合した総合的な哲学体系を構築したことである。俺が、このような話をする真意は多分判るまい。
2009.02.23
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タイのダムヌン・サドゥアク水上マーケット。エンジン・ボートに乗って、迷路のような水路を巡り巡って水上市場に。市場内には、たくさんの手漕ぎ舟が行きかい、賑わっていた。ここダムヌン・サドゥアクでは、舟自も お店そのもので、どの舟も溢れんばかりの品物を積み込んで、水路を往来し、逞しく商売をしている。お土産、果物、野菜、衣類は勿論、なんと、麺類の舟まである。東南アジアの縮図のような、異国情緒溢れる風景だった。ただし、猛烈に熱い所だ。
2009.02.23
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黒薙温泉は、黒部川の支流、黒薙川沿いに位置し、トロッコ電車の黒薙駅から近く、また渓谷美が満喫できる一軒宿。深山幽谷の「隠れ湯」。ここは新米サラリーマン時代に先輩と地方行脚した時 立ち寄った。富山から宇奈月に出て、トロッコで行った。今はトロッコ電車と称して小奇麗になっているようだが、当時は「生命の保障はしません」みたいな注意書きが有った記憶がある。そして辿り着いたのが黒薙温泉。まさに一軒宿。部屋に入ると天井はボロボロで空が見え、壁も ひび割れて隣室が まる見え。これは堪らんと先輩を残して、宇奈月に戻って宿泊した。そういう思い出が有る。
2009.02.23
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湯河原は、万葉集にも詠まれ、古くから万病に効くと評判の良質な温泉が湧く場所として知られている。自然の景観と豊かな山海の幸に恵まれ、行楽・静養に最適の地。古きよき時代の面影を今に伝える町“四季彩のまち さがみの小京都”湯河原。赤文字に注目あれ。なんと湯河原は「小京都」であった。シーズンなので梅林の写真を乗せておく。
2009.02.22
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江戸時代、幕府直轄地である「天領」として栄えた倉敷。その中心である倉敷川畔には、商人の町家や白壁の土蔵が立ち並び、柳並木が川面に揺れ、小さな路地裏でも当時の建物が修復・再生され、ギャラリーや喫茶店、土産物店などの個性的な店舗として利用されている。鶴形山の南麓を倉敷川から東西にのびる「本町・東町」一帯は、塗屋造の町家が立ち並ぶ、庶民的な雰囲気の漂う町並みとなっている。この一帯は人々の生活に密着した昔からの店舗や現役の住居が多い。「倉敷美観地区」は保存地区であると同時に今を生きる人々の生活の場でもあり、まさに生きた本物の町並みと言える。 ギリシャ神殿風の大原美術館、倉敷の代表的な米倉を改装した白壁に貼り瓦の民芸館、吉備地方の出土品を中心にした倉敷考古館なども有る。
2009.02.22
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三方五湖は若狭湾国定公園を代表する景勝地の一つ。万葉集にも歌われ四季折々の美しさを知られる湖。国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録された。三方湖・水月湖・菅湖・日向湖・久々子湖からなり、それぞれ含まれる塩分の濃度が異なり、五色の湖とも言われている。海水魚から淡水魚まで様々な魚が生息。また、水鳥の生息地であり、冬には1万羽を越える水鳥が越冬する。
2009.02.22
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マネはこの作品「オランピア」をサロン(官展)に出品したが、「草上の昼食」と同様に「現実の裸体の女性」を描いた事が批判され、落選した。その理由として、「オランピア」という名が当時の娼婦の通称であったこと、花束を持った黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性はサンダルと首に巻いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流のアカデミック絵画において考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なっており、裸体の女性がを当時の娼婦を表している事が明らかであった事が批判の対象となった。全体的な構図は、ティツィアーノが描いた「ウルビーノのヴィーナス」の構図を借用したものである。また、右側で尻尾を立てている黒猫はサロン出品の直前にマネ自身によって加筆されたものである。
2009.02.21
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「ウルビーノのヴィーナス」は、豪奢なルネッサンス風宮殿を背景に、長椅子かベッドに寄りかかる若い女性の絵画で、ローマ神話のヴィーナスを描いた作品。ヴィーナスのポーズはジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」を模倣したものと言われるが、ティツィアーノはさらに官能性を追求した作品に仕上げている。古典的、あるいは寓意的表現は見られず、異論の余地なく官能美にあふれた絵画である。 このような率直な表現は、描かれている裸身に無関心である鑑賞者にさえ、ヴィーナスは挑発的な視線を投げかけていると言われることが多い。ヴィーナスの右手は愛を表す花束を持ち、左手は画面中央に陰部を隠しながらも挑発するかのように置かれ、寓意画では貞節を意味するイヌはすぐそばで眠って描かれており、その役割を放棄している。
2009.02.21
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