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[良寛]形見とて何か残さん春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉[西行]願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ[吉田兼好]誰でもみんな、本当にこの生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないのではなくて、死の近いことを忘れているのだ。しかし、もしまた、生死というような差別の相に捉われないと言う人があるなら、その人は真の道理を悟り得た人と言っていい[1]生と死のうねりをなして常住のいのちの水の流れゆくなり無二寿をおもう心に死を超えて生もおもはずたゞほがらかに[2]何処でも死ねる体で春風何時でも死ねる草が咲いたりみのったり[3]人間の永い生涯には妻が先に死んでくれた方がいいと、ちょっとでも考えない人があっただろうか、その夫が若し先に亡くなったら、ああしよう、こうしようと死後の策を考えない婦人があっただろうか、折々職しっかりした眼附と身構えを持って見合せた眼こそは、たしかに今まで生きて来た善後策を講じかかる、のっぴきならない眼附だったのである。どちらかが生きのこった時には、先ず後始末をしなければならないのである。[4]電車の窓の外は光りにみち喜びにみちいきいきといきづいているこの世ともうお別れかと思うと見なれた景色が急に新鮮に見えてきた[5]しかし、そうはいうものの、やはりわたしは、人眼をかすめて、とろとろと燃えつきてしまうような死にかたよりも、猛烈ないきおいで燃えあがり、派手にあたりに火の粉をバラまいたあとパッと消えてしまうような死にかたのほうに心をひかれる。[6]一生を頑健に生きたような人は、木が次第に枯れてゆくように、あるいは朽木がいっきに倒れるように、きわめてあっけなく安楽な死を遂げるものである。[7]いずれは逃げられない私の死に様は、果してどの様なものか、どんな変死にせよ、やはりあんまり人の目に不様でない死に様を願うのは、まだ私がしやれ気のある若さの証拠であるかもしれない。
2009.01.29
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2009.01.28
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キリシタン大名大友宗麟が1563年に築城した臼杵城。臼杵はその城下町。今も寺院が多く残っており、歴史の息吹を感じる落着いた街です。郊外には1000年の時を経てもなお神々しい姿を保つ日本一の石仏群が約4群60数体あり、すべて国の重要文化財です。 我国の代表的な石仏が、なぜ臼杵にあり、誰が刻んだのか、未だにはっきりとは分かっていない。下は臼杵石仏の中でも第一の傑作と言われている「大日如来坐像」。最高位の仏です。 上は12~13世紀の平安から鎌倉時代に彫られた磨崖仏。 臼杵は「うすき」と読みます。大分県の東海岸方向。たまには仏さんも良いでしょう。ここには、一寸したprivateな縁が有るのですが、no comment。
2009.01.28
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2009.01.27
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弓道は的に的中するのに こした事は無いのですが、作法を重んじます。例えば、射法とは弓矢をもって射を行う場合の射術の法則をいい、弓道を修練する場合には、先ず、その基準となり法則となっている射法を、よく理解することが必要です。昔から射法の形式は七道または五味七道と称して、一本の矢を射る過程をその推移に順応し、七項目にわけて説明されていますが、近世これに「残心」(残身)という一項を加えて八節となりました。次のような名称で区分されています。一、足踏み(あしぶみ)二、胴造り(どうづくり)三、弓構え(ゆがまえ)四、打起し(うちおこし)五、引分け(ひきわけ)六、会(かい)七、離れ(はなれ)八、残心(残身)(ざんしん)上記のように区分されていますが、射の運行にあたっては これらは終始関連して一環をなし、その間分離断絶することがあってはならないのです。たとえば一射は一本の竹のようなもので、この一貫した竹に八つの節があると同じです。八つの節は相互に関連する一本の竹であるけれども、また異なった八つの節であることに注意しなくてはならない という事です。それはさて置き、遠矢と言って、なるべく遠くに矢を射るのですが、寒稽古の時 弓の弦が耳たぶに当たると痛いですね。耳たぶが切断されたと思う位です。アーチェリーは弦を耳の後ろまで引かないので大丈夫。痛いと言えば、柔道も受け身を体得していないと、投げられた時かなり痛いです。
2009.01.27
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机の真ん中に「汁気の多い赤いリンゴ」が有ります。ある人はこれを取り上る、辺りに投げる、食う、等々ができます。それは空間と時間を占め、種々の属性を持ちます。「何が自然的対象であるのか」。これは誰も答える事のできない質問です。それならば「自然的対象とは何か」を説明するために、利用できる概念が有るのでしょうか。「自然的対象が何であるのか」に対する普遍的説明を与えようとすると、上述の属性の問題が出てきます。「自然的対象はその様々な属性の束であろうか」或いは「これらの諸属性を持つ実体であろか」。これは実体或いは対象性の問題となります。「赤い汁気が多い」の様にリンゴは属性を持ちますが、属性はどのように対象と異なるのか。リンゴのようなものは「赤さ・大きさ・汁気が多い」などの「属性」を持ちますが、リンゴと「赤さ」は異なった種類の概念です。なぜなら誰もがリンゴを取ったり触ったりできますが、「赤さ」を取ったり触ったりはできませんね。属性とは何で「ある」のか、どのようにして最も正しく属性を定義できるのか。これは普遍性の問題となります。「自然的対象」については、もう一つの問題が有ります。自然的対象がいつ「存在するようになる」のか、そして いつ「存在」が消えてしまうのか。確かに、リンゴは存在する事をやめるのではなく、色々な形で「変化」し得ます。例えば、リンゴは茶色くなったり腐ったりしますが、存在性としてのリンゴは依然存在し続けます。しかし、もし誰かがリンゴを食べるなら、それは変化しただけではなく、もはや存在すらもしない訳です。同一性(同じものが普遍的に時間を越えて存在する事)と変化、identify and changeについて、このような問いが存在します。このリンゴは空間の内に存在し(それは今現在部屋の中の机の上にある)、時間の内に存在する(それは一週間前は机の上にはなかったし、今から一週間後には机の上にないだろう)。しかし、空間と時間についてのこの話はどのような意味なのか。思考を進めると迷路に入りますね。精神的物質論も頭痛がするような問題ですね。今、もしハナコが部屋にいて、ハナコは精神を持つとすると、ハナコの精神はリンゴとは異なった種類のものです。ハナコの精神は非物質的ですが、リンゴは物質的対象です。ハナコの精神を物質的対象として扱った場合、その存在は空間のどこかに位置していると考えられますが、ハナコの精神が、「ある決まった場所」に位置していると言う事は、不合理に聞こえるかもしれませんが、彼女の精神は どこか部屋の中に有ると言う事はいえるかもしれません。リンゴは明らかに個別的な場所、すなわち机の真ん中に位置しています。だから、精神は根本的に自然的物体とは異なるという事は明らかに見えますが、食べるという行為を決定する精神的なものは、どのようにして実際にリンゴをかじるという自然的行為を引き起こす原因になりうるのでしょうかね。精神と物体は、もし二者が根本的に異なった種類のものであるならば、どのようにして因果的に相互に連結、関係しているのでしょか。これは心身問題と呼ばれており、現在 心の哲学と呼ばれる哲学的な学問分野に託されています。この分野で最も難解な問題は意識の問題です。心理学的考察も この意識の問題を自然科学的に説明しようと試みていますが、どの学問も意識とは何か、どのように機能しているのかを説明する事は未だできていないのです。以上 なんとなく大学時代に学んだ哲学を思い出し、自分でも判っちゃいないまま書きましたので、あまり質問はしないで下さい。ちなみに私の哲学の成績は、優・良・可・不可の可でしたから。
2009.01.27
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2009.01.26
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2009.01.26
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大阪御堂筋の銀杏。ケーキはおまけ。
2009.01.26
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奥尻島は、北海道南西部の日本海上に浮かぶ島。島の中心部から南西部よりの位置に、島内最高峰の神威山がある。また西部では温泉が湧出する。 主な産業は漁業および観光。特に夏はとれたての雲丹や烏賊が食べられる。民宿の「烏賊ソーメン」は美味だった。私は津波前に訪れた。奥尻空港があり、函館空港から1往復就航。1993年に起こった北海道南西沖地震では、島の南西部の青苗地区を中心に津波の被害を受け200人あまりの死者を出した。当時約4,700人ほどあった人口は、被害による転出などで 減少している。
2009.01.24
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天売島(てうりとう)は、北海道留萌管内の苫前郡羽幌町にある羽幌港の西の日本海に浮かぶ島。島の東側に並んで浮かぶ焼尻島とともに羽幌町に属しています。島の北西海岸は断崖が続き、ウミガラス(オロロン鳥)やウトウ、ケイマフリ、ウミウ、オオセグロカモメなどの海鳥の繁殖が確認されている。そのため、1938年に国指定天然記念物の「天売島海鳥繁殖地」に指定され、1982年には、国指定天売島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されています。ともかく海鳥の鳴き声の騒々しい島でした。雲丹が美味しかったですね。しかし一人旅はポッカリ心に穴が空きます。写真のカップルは私では有りません。
2009.01.24
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焼尻島は、北海道留萌管内、羽幌町の西、日本海に浮かび、武蔵水道を隔てて西方にある天売島とともに羽幌町に属する島。島内には多くの自然が残り、暑寒別天売焼尻国定公園に指定されている。特にイチイの原生林は、その厳しい自然環境から希有性森林相を形成し、国の天然記念物に指定されている。対馬海流に洗われているため、道北にしては温暖。産業は観光のほか漁業、畜産が主。畜産は食用羊のサフォーク種の国内有数の産地として有名。特筆するものは無いが、大自然には嘘が無い。それで充分。
2009.01.24
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利尻島は、稚内の西、日本海に浮かぶ円形の島で、北隣の礼文島と対で道北の離島としてよく知られています。島の中央には、利尻富士がそびえたち、稚内西岸からは、海上に突き出た高山として眺望できます.別名利尻富士、富士と名のつく山は数多くありますが、本家より鋭がった山容といい、海上に浮かんだ独立峰であることなど、秀逸な山姿でトップとなるのかもしれません。 この島の海岸に座り、「俺は、何で ここに居るんだ」と呟きました。判るかな。
2009.01.24
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礼文島は、日本海上に位置する日本最北の島です。最高峰の礼文岳を中心に、なだらかな丘陵性の地形が広がっていますが、冬の厳しい偏西風を 受ける西海岸は切り立った断崖絶壁が連なり、東海岸はなだらかに山並みが海へと続いています。利尻礼文サロベツ国立公園の中でも、夏には約300種の高山植物が咲き乱れる風光明媚な花の島、そして海の幸豊かな漁業と観光の島です。 この島の春は、花々が咲き乱れ天国のようです。
2009.01.24
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ベアトリーチェは、ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた少女の名です。しかし、のちにベアトリーチェは24歳で夭逝してしまう。ダンテはそれをダンテはそれを知ってひどく嘆き悲しみ、彼女のことをうたった詩文「新生」をまとめたのです。絵はダンテとベアトリーチェが天国で再会した場面です。[LA Vita Nouva]原文In quel la parte del libro della mia memoria,Dinanzi alla quale poco si potrebbe leggere,Si trova una rubrica,La quale dice:Incipit Vita Nova[New Life]英訳In that book which is my memoryOn the first page of the chapterThat is the day when I first met youAppear the wordsHere begings a new life[新しい人生(新生)]日本語訳私の記憶という本の中のその章の最初のページに 貴女に初めて出逢えた日のことがこう書かれている新しい人生が始まると
2009.01.24
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バイロンの格言が、あまりにも素晴らしいので下記します。(コメント不要)・嘘とは何か。それは変装した真実にすぎない。―「ドン・ファン」―・全ての悲劇は死によって終幕となり、全ての喜劇は結婚によって終焉となる。―「ドン=ジュアン 第3幕」―・快楽は罪だ。そしてときとして罪は快楽である。―「ドン=ジュアン」―・古きよき時代――すべての歳月は古くなるとよくなる。―「黄金時代」―・男の恋は生涯の一部だが、女の恋は全生涯だ。―「ドン=ジュアン」―・女は最初、恋人を恋するが、次からは恋を恋する。―「愛の幻滅」―・恋と結婚は同じ故郷に生まれた仲でありながら、ほとんど結びつくことはない。―「愛の幻滅」―・時だけが恋を退屈させ、慣れてくると恋は消え去る。―「愛よいつまでも」―・大義のために死ぬものは失敗することはない。―「マリオ=フェリエロ」― ・逆境は真実ヘの第一歩。―「ドン=ジュアン」― ・社会は今、強力な二つの種族から成る。つまり、退屈な連中と退屈させられている連中から。―「ドン=ジュアン」―・後悔も憧れもともに甲斐なければ、私が望むのは忘却のみ。―「メリア=チュアスに」―・数多い恋人の情を集めても、我が胸に燃える友情の火には及ばぬ。―「懐かしいメアリ=アンに」― ・友情は翼のないキューピットだ。―「翼の中の友情と恋」―・人間よ、汝、微笑と涙との間の振子よ。・死ぬことなどは、なんとも思わない。だが、この世に愛するものを残していくのはなんと心残りなことだろう!……さあ、それでは眠ることにしよう。--臨終の言葉--
2009.01.23
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写真だけ。いい気分だ。
2009.01.23
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山寺の名で親しまれる宝珠山立石寺は、比叡山延暦寺の別寺として慈覚大師により1,100年以上前に開山した東北屈指の名古刹です。本山の比叡山延暦寺より移した「不滅の法灯」は千百余年消えた事はありません。松尾芭蕉・奥の細道に次の言葉があります。岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院院扉を閉めて、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。 蝉の声が聞こえそうだ。New Yorkより、よほど良い。
2009.01.23
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「獅子は子獅子を千尋の谷に突き落とす」とか「可愛い子には旅をさせよ」と言います。1尋は約1.818mです。千尋即ち1,818m転落したら死にますよ。後者は迷子になって警察に保護されますね。子供は親の背中を見て育つものです。昔の親は無責任だったのか、よほど だらしなかったのでしょうかね。
2009.01.23
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NYグリニッジビレッジの一角に有るジャズクラブ。ジャズのメッカ。好きな人には堪らない。嫌いな人には煩くてゲンナリするクラブ。日本のブルーノートの方が高級感有るかな。人の好みで四捨五入。
2009.01.23
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SOHOには二つの異なる意味が有ります。SoHo is a neighborhood in the New York City borough of Manhattan. Originally associated with the arts, it has since become famous for both destination shopping and its downtown scene. The name is a blend of "South" and "Houston" from "southofHouston Street" .「SOus of HOuston」の略称で、アート・ショッピングで賑わっている地域です。もう一つの意味は、Small Office/Home Officeです。これは、会社と自宅や郊外の小さな事務所をコンピュータネットワークで結んで、仕事場にしたり、コンピュータネットワークを活用して自宅や小さな事務所で事業を起こすこと。出勤する時間的、経済的な無駄が省けるという利点がありますが、業務管理やコミュニケーションで問題が生じるケースもあります。今回の紹介写真は前者です。芸術家がたむろしています。もともとは倉庫だった建物を改造したという話も聞きますね。
2009.01.23
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写真だけ。
2009.01.23
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岩手県中東部、下閉伊郡岩泉町の宇霊羅山東麓にある鍾乳洞。国指定天然記念物。洞内の奥行約2500メートル。内部には大小無数の鍾乳石、石筍があり、洞内を流れる清流は透明度41.5メートルで全国一といわれ、川、滝、淵をつくり、神秘的な景観を呈しています。1967年近くに龍泉新洞が発見され、洞内に考古、地質、生物などの資料を展示した自然洞穴科学館が設けられています。JR岩泉線からアクセス。このコバルトブルーは類を見ない美しさです。
2009.01.23
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南の島に行っても寒いので、(太陽の神アポロンに もっと暖かくするように掛け合おう。)アポロンはギリシャ神話に登場する主要な神。 オリュンポス十二神の1柱とされ、古典時代のギリシアでは理想の青年像と考えられていたのです。古典時代には、主神ゼウスとレートーとの息子で、アルテミスとは双子です。後に光明神の性格を持つことからヘーリオスと混同され太陽神とされましたが、本来は予言と牧羊、音楽(竪琴)、弓矢の神。(おや、人違いしたかな。)アポロンは、のちにローマ神話にも取り入れられ、アポロの名で呼ばれる。ラテン語化されたポイボスはポエブスと呼ばれ、ローマ人からも太陽神として信仰された という次第。(これで本人に御対面。「コラーもっと暖かくしてね」)
2009.01.22
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寒さしのぎに久し振りの西表島。 星の砂、マングローブ、滝、片手の大きい蟹など自然満載。イリオモテヤマネコは どこだ。
2009.01.22
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寒いので、せめて写真だけでも暖かい所。座間味は沖縄の南、慶良間列島の島々の一つ。逆立ちして、尾を上にして泳いでいる細長い魚がいます。私はイラストのようにはコマッチャクレていません。その向こうのダイバーが私だと思って下さい。
2009.01.22
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白秋出身の九州柳川。写真は柳川御花。元禄10年に建てられた、柳川藩主・立花家の別邸。その後、明治43年に大幅に手が加わり現在に至る。7千坪の敷地には、国指定の庭園「松涛園」をはじめ、西洋館や史料館などが300年以上の時を刻む今もなお、温存されている。名勝 松涛園では、毎年シベリアから飛来する野鴨や200年以上の歳月を越えてきた松の古木などを望むことができ、本館から眺めるその景は見事。本館の造りは、当時流行った「西洋館の正面玄関に続く日本建築の大広間」というスタイル。当時の面影をそのままに残す贅を尽くした設えは、ただただ眺めるだけでも価値アリ。館内には、料亭や食事処・旅館なども充実。下の写真は、名物の柳川川下りの一齣。まあ食いけ優先ですが、御花は高い。
2009.01.22
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「和を以て尊しとなす」と言う言葉があります。この世の中では、人々が仲良くすることが最も大切だということです。これは、聖徳太子が制定した「十七条憲法」の第一条にある言葉です。立派ですね。そして、多くの会社は社是として掲げています。私はヒネクレ者なので、会社という組織体では有名無実な言葉だと思います。真の「和」なら大賛成です。実態はどうでしょうか。男性サラリーマンはアルコールが入ると、上司・部下・仲間の悪口を言いませんか。OLも おしゃべりで悪口をいいませんか。その場限りのストレス発散ならば良いのです。悪口は伝播します。言われた人は「あん畜生 今にみておれ」となります。日本の会社と言う組織体は、陰湿な面が強いです。例えば、悪口が上司の耳に入った場合、給査定・昇任昇格・人事異動など処遇に影響が出ませんか。このような体質の会社では、面従腹背・イェスマンが増えるだけです。「和」は妥協の産物です。ただし、皆が自己主張し、相互の意見を聞き、尊重した上での妥協である事を銘記するべきではないでしょうか。
2009.01.22
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豊後富士の別名をもつ美しい由布岳の山麓に広がる湯の里「湯布院」。秋から冬にかけて朝霧が出、湯布院盆地がすっぽり霧に埋まる風景は幻想的である。また、九州の軽井沢と呼ばれ、今や若い女性の憧れの地である。盆地に由布院温泉があり豊富な湧出量を誇っています。由布院盆地にはホテル、旅館、民宿を合わせて80軒が散在しています。また、湯布院は個性的な美術館や文化的なイベントなど、ちょっとしゃれた芸術文化が盛んで、古いものと新しいものがバランス良くマッチした芸術の里でもある。辻馬車が走る湯布院は日本の多くの町が失った古里の香りが濃く漂っている不思議な里です。昔し竜が住んでいたという伝説の残る金鱗湖は湖底から温泉が湧き出している湖です。昼間見ると、ただの池ではないかと思われるかもしれないが、早朝に訪れるとモウモウと湯気がたちこめ幻想的な風景となる。本当の金鱗湖を見たければ、早朝に訪れて下さい。
2009.01.21
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萩市と並び、山口県北部の中心的都市の一つであるが、行政機関は萩市に集中しており、長門市は交通の要衝となっている。以上で終わり。疲れた。写真は青海島。
2009.01.21
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日本海へと注ぐ橋本川と松本川にはさまれた城下町・萩。毛利輝元が1604年に萩の地に築城・開府し、藩府が山口に移るまでの約260年間、毛利氏の城下町として栄えました。 古い町並みはいまも往時の面影を色濃く残し、現在でも江戸時代につくられた城下町絵図を見ながら歩くこできます。また、萩は明治維新胎動の地として、吉田松陰をはじめ高杉晋作、伊藤博文など多くの逸材を輩出た地でもあります。維新志士ゆかりの場所や古い神社仏閣など、まるで歴史の本を見ているかのような風景です。 一度行けば良いでしょう。そして萩へ。
2009.01.21
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私は今までの日記で世界各国、日本各地を「一人」で駆け廻り、仕事をこなして来たように書いて居りますが、90%は事実です。しかし、私は、仕事は一人では出来ないと思って居ります。矛盾ですね。私が一人で駆け廻っている時、うしろで多数の部下がサポートしていてくれたのです。私は過酷な仕事に部下を引き連れて、過酷な苦しみを部下に お裾分けしたくない と言う気持ちも強かったですね。上司と部下の関係は、「冷たい」ビジネスの関係では成り立ちません。相互の「信頼と暖かい思いやり・優しさ」が必要です。私は「自分に甘く、部下に厳しい人間」は大嫌いです。「実るほど 頭の垂れる 稲穂」で有りたいと思ってきましたが、理想に終わった感が悔いられます。綺麗事を書き失礼。独り言です。
2009.01.21
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私が3年間働いたIrvine campus of UCLA内の生化学ホールの建物です。このcampusは医学部しか有りません。このホールの近くに我々の会社のオフィスが有り、遺伝子研究をやっていました。部下は全て米国人。それも生粋の米国人ばかりでは無く、イスラエル系・インド系・メキシコ系・中国系と雑多でしたね。それを法学専攻の私が統率するのですから、滅茶苦茶なものです。TシャツとGパンで仕事をしていました。私に限らず東部のビジネスマンみたいに背広など誰も着ていませんでしたね。ちなみに、カリフォルニアで背広を着ているのは、弁護士か会計士だけ と言って過言では有りません。立場上、二重螺旋で著名なDr.ワトソンなどグローバルな方々と知遇を得たのが取り得です。 々
2009.01.21
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皆さんは九州の国東半島を御存じですね。 ところが意外に読み方を知らない方が多いです。「くにさき」です。国東半島には石仏や古寺などの仏教遺跡が点在しており、歴史ファンにはたまらない見どころがいっぱいです。両子寺は、六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました。国宝の富貴寺大堂は平安末期の12世紀後半に創建された阿弥陀堂形式の建築で、九州最古の木造建築です。京都の平等院の鳳凰堂、岩手の中尊寺の金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂に数えられている、大変貴重な建造物です。国東を代表する見事な磨崖仏は国重文と国史跡の二重指定を受けています。 磨崖仏に行くには鬼が一晩で築いたと言われている乱積の石段を登ります。高さ8mの不動明王像と高さ6.7mの大日如来像の2体が彫られています。私は神社仏閣に、あまり興味が無いのですが、日本全土を廻る一環で訪れました。しかし、少し足を延ばせば耶馬渓・別府・湯布院・臼杵などが有ります。
2009.01.21
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この海岸は、私が少年時代に暮らした青森県八戸に有ります。白浜と芝生が連なった珍しい海岸です。この海で近所の お兄さんと赤褌で泳ぎました。手掴みで雲丹・鮑をとり、飯盒で「いちご汁」を作りました。今は、東京でも食べられますが高級料理です。「いちご」の名は雲丹の色からきています。森も有り、可憐な鈴蘭が、ひっそり咲いています。美しい美しい海岸です。悲しい思い出も有ります。一緒に泳いだお兄ちゃんは、戦争中、工場の防空壕に避難していましたが、米軍の艦砲射撃で硫酸タンクから硫酸が流れ込み、溶けて死にました。私も米軍艦載機の機銃掃射で逃げまどいました。逃げても追いかけて来るのですよ。小学校も破壊されました。「鬼畜米英」です。戦争は嫌だ。
2009.01.21
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高千穂峡は二回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って流れ出し、急激に冷却された侵食谷。上流の窓ノ瀬から下流の吐合間が中心で、1934年五ヶ瀬渓谷として、名勝及び天然記念物に指定され、1965年には祖母傾国定公園に指定。そそりたつ断崖、岩をかむ激流、千古の謎を秘めた深淵湧く岩清水、雄大にして清々しい景観です。紅葉の秋、緑の綺麗な初夏がお奨め。神武天皇の御孫にあたる建盤竜命が筑紫の国統治の命を受け、阿蘇に向かう途中、この地で四方をのぞまれた。これにより「国見ヶ丘」と伝えられている。東に五ヶ瀬川清流に沿って高千穂盆地、西には阿蘇外輪山や五岳、北には九州の尾根祖母山の連峰がそびえ、南には二上峰に続く椎葉の山々が連なっている。神話の中でもよく知られた天照大御神の天岩戸開き、あの天岩戸伝説を伝える神社。 天岩戸神社天岩戸神社には天照大御神が身を隠した天岩戸を祭る東本宮とオオヒルメノミコトを祀る西本宮があり、天岩戸神社と呼ばれているのは西本宮。百万の神々が集まって相談したと言われる天安河原。
2009.01.20
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鵜の巣断崖。我が故郷遠くになりけり。なれど心に有り。
2009.01.20
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陸中海岸の中心的スポットである北山崎は平成11年に日本交通公社が公表した全国観光資源評価の自然資源・海岸の部で、国内で唯一最高ランクの特A級に格付けされた、名実ともに日本一の景観を誇る海岸です。200メートルの切り立った断崖が8キロに渡って連なる様子はまさに圧巻。断崖の頂上にある展望台から波打ち際までは718段の遊歩道。下から見上げる断崖も大迫力です。弁天崎まで自然遊歩道もあります。登り降りはたいへんですが、海岸美を楽しみながら散策してみてはいかがでしょうか。 6月には、海岸では珍しい高山植物のシロバナシャクナゲが清楚な白い花を咲かせます。
2009.01.20
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浄土ヶ浜は、は、岩手県宮古市にある海岸。陸中海岸国立公園に属し、三陸を代表する景勝地である。約5200万年前の古第三紀(地質時代上、白亜紀の次に位置する)に形成された火山岩からなる白い岩塊と同色の小石によって、外海と隔てられた波穏やかで清明な入り江が形成される。また岩上には、岩手県の「県の木」であるナンブアカマツをはじめとする常緑樹の群生が見られ、これらによってあたかも日本庭園のような美しい景観が醸し出されている。宮古経由で来る途中には、龍泉洞という地底湖が有り、コバルト色の湖水が美しい。北の久慈経由で来る途中にはリアス式海岸が存分に楽しめ、大山崎の景観が素晴らしい。私の第二の故郷、青森県八戸に近いので庭同然の地である。
2009.01.20
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歴史的には鉄鋼業(ピッツバーグに次いで全米2位)・自動車産業(デトロイト に次いで全米2位)・工作機械(発祥地)が盛んであるが、近年は、宇宙航空 産業、ポリマー、金融業、医療産業の都市としても有名である。このクリーブランドは、ビジネス目的で行っただけ。交渉6時間、あとはオフィスと空港の往復。従ってコメント無し。
2009.01.20
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右の写真は、ボストンにあるアメリカ最大級の美術館。市民の熱意と数人のコレクターの作品寄贈により、1876年に正式開館。ハンチントン通りの現在地に新しい建物が建設、公開されたのは1909年のことである。エジプト、ギリシア・ローマ、彫刻・工芸、染織、絵画、版画、素描の各部門からなるヨーロッパとアメリカ美術のコレクションのなかには、ハーバード大学とボストン美術館の共同発掘でもたらされた『メンカウラ王と王妃』、ローマ国立美術館(テルメ美術館)の『ルドビージの玉座』と同種の『ボストンの玉座』とよばれる浮彫り台座、そしてルネサンスから現在に至る絵画のなかではとくに近世以降のコレクションが充実している。そのなかにはミレー、モネ、『ブージバルの踊り』を含むルノアールの作品などがある。しかし、この美術館を特徴づけているのは、なんといっても東洋美術のコレクションである。大森貝塚を発見したハーバード大学動物学教授モース、彼の紹介で東京帝国大学で教鞭をとったフェノロサ、その友人で日本に滞在した外科医ビゲローら、ボストン出身の熱心な日本美術収集家により、「法華堂根本曼荼羅」「大威徳明王像」「平治物語絵巻」、尾形光琳の松島図屏風」、そのほか仏像、工芸、浮世絵など、日本美術第一級の名品が収集されている。これには、この美術館の東洋美術部に勤めて収蔵品の整理・購入に携わった岡倉天心の存在を忘れることはできない。中国美術では徽宗皇帝が張萱の原本を模した『搗練図巻』などがある。右中の写真は、ハーバード大学。写真では判らないが、一種の町となっている。文系の人間にとっては、ここでMBAの資格をとる事がビジネスでの登竜門。初任給も高かったが、現在は余り人気が無い。私もフルブライト奨学資金で入学する予定だったですね。 右下の写真は、ジョン・F・ケネディの生家。この辺一帯は閑静な住宅地になっている。
2009.01.20
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衆愚政治について、日記を書いたところ、「意味が判らない」とのコメントが有りました。まあ、そうでしょう。そこで補足のために下記しましょう。現在、日本は「ねじれ国会」です。主たる原因は、自民党のだらしなさ・腐敗に有りますが、政権交代を目指す民主党の手段を選ばない与党批判と これに無責任に同調するマスコミのエールに有ります。そして両党に選挙で投票したのは我々国民です。日本は今、未曾有の危機に晒されています。立法・行政・司法の全てが。経済・金融・外交・福祉・教育・犯罪・社会問題等々、言を待ちません。これらは我々国民が天に唾した結果とも言えます。愚民とは言いぎかもしれませんが、他国から愚民といわれても反論は難しいでしょう。前回の日記は、日本の外交の弱さ、とくに対ロシア外交に絞ったので「意味が判らない」のでしょう。北方四島問題は、最近は話題にも登りません。戦後派は 知らない方が多いでしょうが、ソ連体制の時の対日行動は、許しがたい卑劣なものでした。幾つか例示しましょう。昭和20年4月5日、翌年期限切れとなる日ソ不可侵条約をソ連は延長しないことを日本に通達しました。この背景には、ヤルタ会談にて秘密裏に対日宣戦が約束されたことがあります。ポツダム会議では、原爆完成により、アメリカはソ連の参戦なくして日本を降伏させることも可能と判断しソ連参戦の回避を図ったとされます。一方、日本側はソ連の仲介による和平工作をソ連側に依頼していましたが、ソ連はこれを黙殺し密約どおり対日参戦を行いました。ソ連は8月8日深夜に日ソ不可侵条約の破棄を宣言し「日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた」として宣戦を布告。9日午前零時を以って戦闘を開始し、南樺太・千島列島及び満州国等へ侵攻。この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃でした。ソ連軍はたくさんの戦車と機関車に乗って満州にやって来ました。その機関車の先頭には、裸にされた日本人女性が縛り付けられていたのです。ソ連軍は満州で日本の女性を見つけると、白昼でも凌辱。日本女性は男に変装し髪を切り逃走をしようとしましたが、列車が止まるたびにソ連兵が日本女性を捜しに現れ、男女見分けがつかない場合、胸をつかみ、女性とわかるとひきずり降ろし、数名の兵士が凌辱したのです。樺太では夜間になるとソ連兵が家に押し込み、銃でおどしながら、夫、兄弟の目の前での凌辱が多発しました。ソ連軍は満州で、満鉄、政府、個人の財産、供出の金塊・ダイヤ、あげくに発電所・製鉄所等、今日の邦貨にすれば何十兆円ともいわれる日本の合法的資産を賠償として持ち去ったのです。昭和20年8月に戦争が終わった後、中国大陸にいた日本人たちは一部は朝鮮半島経由などで帰国しましたが、一部はソ連軍につかまり捕虜とされて、モンゴルやシベリヤ各地で過酷な強制労働をさせられ、ウランバートルのソ連収容所で日本人捕虜が虐待されて、多数の死者を出しました。「暁に祈る」という歌を御存じですか。以上の事例は、厳密では有りませんが国際法違反です。何故、日本政府は国際裁判所に提訴しないのでしょうか。北方領土問題に強腰になれないのでしょうか。このダラシない政府を選択したのは日本国民などです。ロシアになってからのプーチンの政策は、対米戦略が根底に有ります。米国も いらざるロシア包囲網を構築し利権確保に躍起です。米国国民も愚民です。米国への対抗という点を考慮しても、アフガン・チェチェン・グルジア等々へのロシアの介入・紛争。そしてミサイル配備。は、テロ対策を大義名分にした「ロシア国家統一の維持」です。換言すれば、一党独裁の上述の「旧ソ連体制への回帰」です。怖い事です。
2009.01.20
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二番煎じの日記です。衆愚政治とは、(Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合いや合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況。また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指します。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、誤った政策執行に至る場合などです。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況。プラトンは、民主政は衆愚政治に陥る可能性があるとして、哲人政治の妥当性を主張。アドルフ・ヒトラーは、ヴァイマル憲法下おける民主主義が政局や経済混乱を招いているとして、これを衆愚政治と捉え、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)による独裁政を民主的手段と、衆愚政治の弱点である煽動や民族的な怒り、テロルなどに訴えることで樹立した。イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは独裁政への魅力を戒め、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」と述べています。また、衆愚政治とは広辞苑によると、「Ochlocracy、多数の愚民による政治の意で、民主主義の蔑称。もと、古代ギリシャのアテナイでの民主主義の堕落形態を指した。」とのことです。日本は既にマスコミにより一億総白痴化が済んでいるので、衆愚政治であることは論をまたないでしょう。日本共産党委員長の演説では、戦後日本は保守政治の連続によって国民生活は悪くなる一方だったのだそうです。保守政治の連続によって日本は世界有数の経済大国になった訳です。それとも日本共産党が天下を取っていたら、今ごろ日本は世界第一の国になっていて、今や World Leader をしていたとでも言いたいのでしょうか。共産党が今「国民」に向かって何を言うべきかが分かっていないみたいです。共産主義が如何に悪いかはソ連の歴史が証明していると、「国民」は皆、いや少なくとも私は分かっています。今、日本共産党がやるべき事は、ソ連がなぜ失敗したかを徹底的に分析し、日本共産党はその失敗をしないで、その部分はどう変えるつもりだと言うことを公表することだと思います。マルクスの資本論は正しいと思う とすると、レーニン・スターリン体制が基本的に何処か間違っていたはず。そんなことは十分研究済みでしょうが、それを公表しないということに何か引っ掛かりを感じますね。やっぱり馬鹿な国民を騙そうとしているとしか思えない。私はソ連へ行ったこともないし、良く分からない。一つだけ分かっているのは、ソ連には自由がなかったことです。政党も共産党以外は認められなかった。共産党の選挙公報を見ると、自分が天下を取ったら他の政党をすべて非合法にするとは書いていない。当たり前。そんな事を書いたら誰も投票をしない。しかし、いまのまま自民党も、社民党も、自由も、・・・その他もろもろの政党をそのまま認めるとも書いていない。そこが抜けている。それとも、政権を取る気は、初めからないのか。それならそれで理解できる。野党の国会議員なんて、ただ時の政府の悪口を言っていればいいんだから本当に楽。脇道にそれましたが、衆愚政治に戻って、今の日本の最大課題は景気回復です。ところが、景気低迷の元凶は消費税を5%にしたことにある ということになってしまったようですね。自民党以外の野党は大部分が消費税の撤廃ないし軽減を謳っています。消費税を下げれば確かに少しは良くなるかもしれないですが、根本的解決にはならないでしょう。もし消費税の撤廃ないし軽減で回復することがあったとしても、それはそうしなくても景気循環の周期により、あるいは日本の大企業・中小企業の努力に負う所が多いと思いますね。消費税をなくす減らすと政治家が言うと、「それまで待とう」と思う国民は不要不急品を買い控えるから、ますます景気回復は遅れるでしよう。横道にそれましたが、選挙のとき野党が政府の悪口を言うと、そうだ そうだとなるのが日本国民の愚民である所以です。どうしたら景気が回復するかは誰にも分からない。そうだ そうだとなるのが日本の国民の大部分で、これが日本の政治は衆愚政治である証拠であると思っている理由です。
2009.01.19
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ここはハンチントンビーチです。ロングビーチをドンドン北上した所に有ります。私が柄にも無く、望郷の念に駆られた時、良く行きました。綺麗でしょう。これは夕日の写真です。桟橋のようなものが見えるでしょう。前、日記に書いたような覚えが有りますが、昼間ここに行って桟橋の上から下の浜辺を見ると、白人のホームレスが寝ていました。脇にマジックインクで「I am homeless. But I don't need any help.」と書いて有りました。立派です。励まされましたね。
2009.01.19
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ベイブリッジ(右)はゴールデンゲートブリッジと並ぶ対岸と結ぶ吊り橋です。二重構造でサンフランシスコ方面が上、オークランド方面が下を走る車道です。瀬戸大橋開通までは長きに渡って世界一長い吊り橋として君臨してきました。エンバーカデロ付近から眺める橋はそのシルエットが美しくゴールデンゲートブリッジ以上に美しいと言う人もいるほどです。渡った先に海に面する洒落たレストランの牡蠣は美味しいです。そのまた上の高台にも展望の良いレストランも有ります。フィシャーマンズワーフ(右下)で最も有名なのはピア39ですが、ここには無数ものお店やレストランが存在します。ピア39以外にもジラルデリ・スクェア、カナリー、アンカレッジ・ショッピングセンターなどがフィッシャーマンズワーフの必見ポイント。しかし、ここで茹で上げた蟹・海老を手掴みで食べるのが最高ですね。ケーブルカー(上中)は1873年に、それまで馬車中心だったこの町の交通機関にとって革命的なデビューを果たしました。偶然馬車のスリップ事故を目撃した技師が既にゴールドラッシュの金山でケーブルカーを開発していたことが幸いし、事故の事故の4年後にこの起伏の激しい市内の往来を容易なものにしてくれました。サンフランシスコのチャイナ・タウン(左下は全米随一の規模を誇り、きらびやかな装飾や漢字で書かれた看板がひしめきます。
2009.01.19
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アトランタは、ジョージア州北西部に位置します。アトランタ・シクロラマは、南北戦争のアトランタの戦いを描いたパノラマ絵画で、同名の博物館の館内に展示されている。20世紀初めに建てられた家具王ローズの家や、「風と共に去りぬ」の原作者マーガレット・ミッチェルの家も、それぞれ国の史跡に指定され、博物館になっています。1939年、「風と共に去りぬ」のプレミア公演がアトランタのロウズ・グランド・シアター(Loew's Grand Theatre)で行われ、この映画はアトランタ出身の作家マーガレット・ミッチェルの小説を基にしたものであった。プレミアにはクラーク・ゲーブル、ヴィヴィアン・リー、オリヴィア・デ・ハヴィランドらも訪れました。 ミッドタウンはビジネス街として成長を続けています。しかし、ミッドタウンは単にビジネス街であるのみならず、ビクトリア調の家屋が建ち並ぶ閑静な住宅街でもあり、美術館や演技芸術ホールが集中する芸術の中心地でもあります。
2009.01.18
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サンタモニカ。ロサンゼルスから西に位置し、美しいビーチと公園、ホテルやショッピング街が連なる人口9万人の観光都市である。休日には浜辺沿いの道で多数の男女がローラーブレードに興じています。懐かしい美しい所です。
2009.01.18
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私の第二の故郷は青森県です。紅葉の十和田湖。月下で遠くから聞こえてきた尺八の音。感動しました。津軽半島には十三湖が有ります。取り得は しじみ漁位の寂しい場所です。とくに小雪舞う初冬は、風強く暗く、いたたまれない程です。ここで津軽三味線を幻聴しました。確か松本清張の小説を映画化したもので、貧しい母と娘が吹雪の中 十三湖のほとりを歩いて行く場面が有り、そのBGMが津軽三味線でした。これとオーバーラップしたのでしょう。涙止まらずでした。尺八と津軽三味線は日本が世界に誇れる楽器です。
2009.01.18
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何事にも基本ルールが有ります。定石とは囲碁用語ですね。基本ルールに属します。囲碁における定石とは、碁盤の中の一部分(主に隅)における黒、白双方の最善の打ち方の見本であり、この通りに打てば部分的には互角になる手順を示したものです。あくまでも部分的に互角な見本であり、他の部分の配石次第で定石どおりに打っても悪い結果になることがあります。定石は不変の物ではなく、棋士達によって研究が続けられており、改変、新造、棄却が常に行われています。などと言う難しい定義より、基本ルールと言えば良いのです。俳句の季語・五七五などはスキームと言うべきかもしれませんが、これも基本ルールです。本論の「詩の基本ルール」ですが、私は「起承転結と韻」であると思います。詩吟しかり、李白・杜甫の詩しかり、子守唄しかり、ハイネ・ベルレーヌしかりです。下らない流行歌でさえサビの部分などと言っております。元来、詩は活字を読むものでは無く、朗読するものだ というのが私の持論です。朗読の強弱で「起承転結と韻」が浮き彫りになります。異論は有るでしょう。また、基本無視の詩も数多く有ります。新鮮味が有りますが、飽きられ永続しません。
2009.01.18
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昔、「Excellent Companyとは、どういう企業か」というテーマで、ハーバード大学・マサチューセッツ工科大学・スタンフォード大学を訪問し、教授達と議論しました。 内容は固い話なので割愛します。ハーバードは大学時代にフルブライト奨学資金を取り入学寸前で、あるプライベートな理由でキャンセル。私の人生での大きな判断ミスの一つです。マサチューセッツ工科大学の西の対抗馬はCaltec=カリフォルニア工科大学で台頭していますね。 下がスタンフォードの正門。狭いですが内部は広大で、教室間は自転車で移動です。日本でも筑波大学は広いですね。
2009.01.18
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