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私は昭和30年代に小学生時代を送った。日本全体がまだ貧しく、農村地帯の我が家は特に貧しく、本を買ってもらえるような環境ではなかった。学校に図書室はあったが、ちっぽけで形だけなものであった。小学5年生の時、学校で斡旋して本を買うチャンスがあった。私は母にねだってその「まごごろ」という本を買ってもらった。今まで買ってもらって本を読んだことは無かったので自分の本が持てたことが嬉しくて、毎日読んだ。何度も何度も同じ話を読んだ。何篇かの話がまとめられていたのだが、その中で今でも記憶にあるのは北斗七星の話である。しかし、家で本を読んだいるといつも父から「本を読む暇があったら家の仕事を手伝え!!」と叱られた。また「女の子に教育はいらない」も父の口癖だった。それ以後、本を自宅で買ってもらえたことはなかったが、学校や公民館の図書室で借りては読み耽った。私が本から一時遠ざかったのは大学時代である。実技の練習に忙殺され、本を読むことを忘れていた。この期間に本を読まなかったことが「大学生なら誰もが読んでいる本を読んでいない」とよく夫から非難されたものだった。親が本好きだと子どもは必ず本好きになる。子どもたちにはホルプの本を買った。今思えばかなりまともすぎて固い本だが、みんな本好きになった。私の家庭教育で成功したのはこの本好きの子になったということだけのように思える。
2011年02月18日
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このところトイレづいている。先日の「トイレの話をしよう」に続き、またトイレ関係の本を読んだ。1冊目は桐生操著「やんごとなき姫君たちのトイレ」次に斉藤政喜著・イラスト内澤旬子「東京見便録」、更に ウイリアム・リッチー・ニュートン著・北浦春香訳「ベルサイユ宮殿に暮らす」~この優雅で悲惨な宮廷生活~の3冊である。 「東京見便録」が一番面白かった。内容が多彩で切り口が斬新、トイレの過去・現在・未来がよく見えた。特に高齢者や障害者に役立つトイレの項は役立った。各メーカーのトイレ機器の取材も現実的で、その便利さや快適さを知るにつれて、我が家のトイレも変えてみようかと思った。内澤さんの手描きのイラストに味があってとても気にいった。ベルサイユ宮殿やそこに住む姫君たちのトイレのない不衛生な排泄生活についてはもう周知の事実になっている。その意味では「やんごとなき姫君たちのトイレ」は目新しいものはないが、トイレ以外のビデ、公衆浴場、下着、化粧などトイレ周辺のある意味下ネタ事情がこれでもか!というほど包み隠さず赤裸々かつ真面目に記述されていて、笑えた。「ベルサイユ宮殿に暮らす」はしっかりした資料を駆使しての立派な内容であったが、私にはつまらなかった。しかし住居、水、トイレ、火、照明、掃除、洗濯などどの生活部分を読んでもあまりに不合理でどうしようもなく悲惨な宮殿の実際を知って、ベルサイユ宮殿の見方が180度変わってしまった。
2011年02月07日
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またとても面白い本を読んだ。三浦しをん「神去なあなあ日常」という書名も奇抜な本である。簡単に言うと都会でニートになりかかっていた高校生が神去村で林業をしながら成長していく話である。彼が神去村に連れてこられた時から毎日連続する非常に興味深い話!!「風が強く吹いている」の時と同じく、またしても読まずにいられなくなり一気に読んだ。ここでも大自然は神様の領分、人間はそこをお借りしているという神去の人々の山に対する畏敬の念が色濃く出ていたし、なあなあとした日常は100年スパンで林業に生きる人たちならではと思わされた。また林業の様々な技能がよく書き込まれていた。最後の大祭が圧巻だった。千年杉が滑走する場面は諏訪の御柱祭を連想させた。荒々しさに満ちた、勇壮というより危険極まりない祭りが臨場感たっぷりで描かれ、読む方もドキドキした。登場人物が個性的かつ対照的かつ魅力的だった。中でも ?欠点だらけなんだけどかっこいいヨキという兄貴分の男性、いつも沈着冷静な山持ちの清一さんなどの男達に揉まれながら、主人公が自己形成していく様子がいかにもセオリーどおりで微笑ましい。爽快な本を読んだ。
2011年02月02日
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三浦しをんの「風が強く吹いている」を読んだ。ネットで見たら、この本は2006年9月に出版され、2007年には漫画化およびラジオドラマ化、2009年1月には舞台化、同年10月31日には実写映画が公開となっていた。知らなかったのは私だけだったようだ。箱根駅伝の話である。とても面白くかった。特に最後の駅伝の場面は一人一人の走者の過去や来歴、走りなどが詳しく描かれて、何度も反芻して読んだ。この作者の人の心を掴み、引きずり込む筆力はすごい。走ることの意味や生き方を考えさせられた。また「ゾーン」というものがあることも知った。ランナーズハイの更に上にある究極の状態という。駅伝なんてものには全く興味がなかったのだが、この小説を読んで改めてたすきをつないで走る駅伝という形に日本的なものを感じた。
2011年01月30日
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田口洋美著「マタギを追う旅」~ブナ林の狩りと生活 ~という大変きちんとした立派な本をやっと読んだ。 新潟県の三面(みおもて)と 信濃秋山郷と秋田県阿仁地方のマタギについて取材してその生活や狩猟法等細かく紹介していて非常に貴重な内容だった。自分が実際にその山奥の部落に入って、マタギの人たちと一緒に暮らし、くまを狩りに行って熊の腑分けを見、厳しい冬をマタギと生活をともにしてきた田口さんならではの内容で、地味だけど内容が深い。体験して得たマタギの生活の重みがある。それは面白おかしく記述してある訳ではないので、一字一字、一行一行丹念に読むしかなく、年末に借りてやっと今になって読み終えたという訳である。 このところ「牛を屠る」「僕は猟師になった」と生きるために動物を捕獲し、解体する内容の本を読んできているが、このマタギはその究極である。自然や山神に対する強い畏敬の念、山の掟に従った厳しい生活、マタギ同士の共同作業、獲物の厳密な配分など非常に倫理観が高く、潔い人たちであった。 宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の話も出てくるが、このマタギの熊に対する態度を知ると非常に深い意味が含まれていることに気づく。マタギの生き方に現代日本に生きる私達が失ってしまったものを見た思いだった。それにしても労作である。
2011年01月26日
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「トイレの神様」という歌が紅白で話題をよんでいたが、私はローズ・ジョージ著、大沢章子訳の「トイレの話をしよう」~世界65億人が抱える大問題~という興味深いタイトルの本を読んだ。綿密な取材と膨大な数字を駆使した統計資料に基づきながら世界各地のトイレ事情が展開するのだが、驚愕する内容だった。日本はトイレに関しては超先進国であることはテレビの番組などで一応知ってはいたが、その特異性と最先端ぶりはこの本を読んでいっそう極まった。まず、現代においてすら世界には排泄物の処理に関して悲惨な地域が多いこと!!特にカースト制度の影響のあるインドの実情には一体今は何世紀だんだ?と思うほどだった。手で他人の排泄物を処理する職業、頭の上に他人の排泄物を乗せて運ぶ職業、世界にはトイレがない地域がこんなに多い上、不衛生な水で死んでいく子どもが非常に多いということ。愕然とした。でもこの本の中で出てくる話に思い当たることはある。かって中国の万里の長城で扉のないトイレに冷や冷やしたし、妙齢の女性がトイレの外で下着から平然と身づくろいしている姿、スークーニャンシャンの山麓での脚置き場だけのトイレなどなど・・・。目から鱗が落ちる話ばかりだった。日本は何て公衆衛生が発達したいい国だこと!!。
2011年01月24日
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酒井順子さんの「着ればわかる」という本を読んだ。こういう発想の本はこれまで無かったような気がして新鮮だった。大体表紙からして着せ替え人形のパーツみたいである。 著者本人がいろいろな服を着る。宝塚の男役、茶摘娘、セーラー服、キャビンアテンダント、自衛隊の制服、キャバ嬢などなど。その服を着るたびに気持ちが服に合わせて変化していくのが何とも不思議だし面白い。でも人間なんてそんなものだろう。外見より中身とか言っても外見が中身を規定するのだ。だから外見を整えることはとても重要になる。在職中は私だって服装・メイク・装身具で武装して出勤していたものね。今思えば何て滑稽な見当違いなことをしてたんだろうと吾ながらおかしくなるが、その時は真面目だったのだ!!。今、着てみたい服装と言うと何だろう?何~にも思いつかない。
2011年01月06日
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千松信也さんの「ぼくは猟師になった」を読んだ。先日の「牛を屠る」の流れである。「牛を屠る」の著者は北海道大学法学部卒だったが、千松さんは京都大学卒である。それでどうして猟師になる!!という意外性にまず驚くが、この青年の歩んできた道を知ればけっこう自然な選択にも思えた。すごくおもしろかった。何でも手軽に手に入る現代社会で自分で獲物を捕って食べている生きている人がいること自体が別世界だったし、何よりもこの青年の行動力に驚く。猟期に入ると山のあちこちにわなを仕かける。けもの道を知り、そこを通る動物一匹一匹の習性(即ち自然)を知らなければ仕かけることはできない。動物との知恵比べである。わなでは、捕まえた動物を自分の手で殺さなければならない。どうやって殺すか。棒で「どつく」のである。何て原始的方法!!動物との1対1のバトルではないか。自分がやられることだってあるだろうに。更に捕獲した動物を自分で自宅に運び、捌き、解体し、精肉にして保存し、食べるのである。手を汚さない生活に慣れている私から見ると全身を血だらけにしてイノシシを解体し、内蔵を取り出し、皮を剥ぐような作業、何より生きていた動物から命を奪う作業は肝がすわってないとできないと思う。原始的だけどすごく血が通っている。捕らえた動物を全く無駄にすることなく食べつくし活かしつくすその営みには何の矛盾もない。高度文明化した現代においても自然と繋がった生活をする人がいるということに新鮮な感動を覚えた。
2010年12月28日
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佐川光晴さんの「牛を屠る(ほふる)と言う本を読んだ。「屠る」という表現は聖書でよく見ていたような気がして、聖書に関係する話かと思っていたがまるっきり違っていて、屠畜場で10年間牛をナイフで解体していた佐川さんの話だった。生きていた牛や豚を食材に変えるまでのさまざまな過程を読むとドキドキし、混乱し、葛藤があった。衝撃的作業が淡々と仕事として、技として書かれていた。イラスト図を見ると恐ろしかった。あまりに生々しく現場にいて血しぶきを浴びる臨場感が溢れていた。生きていた牛はこうやって捌かれて牛肉になって私達の前に提供されているのだ。これが私達が牛肉や豚肉を食べるということだったのだ。可愛そうとか残酷とかそんな感傷を許さない作業の流れで、高度な技が求められる。佐川さんはこの作業を屠畜と言わず屠殺という。言葉にこだわる。そこにこの仕事の本質と作者の屠ってきた牛や豚に対する思いを感じた。この作業は「殺」と言う字こそがふさわしい。佐川さんは10年間の在職中に何千頭という牛や豚を屠ってきたことだろう。人の命を生かすために動物の命を殺してきたその仕事は決してきれいごとではないが、目をそむけて隠蔽することでもない。「豚がいた教室」という映画を思い出した。子ども達が教室で豚を飼い、葛藤の末に最後に食肉センターに送って食べる話だったと思う。また、鳥インフルエンザや口てい疫など動物の疫病が流行してニュースになる度、牛を何百頭処分、鶏を何千匹処分と報道され、その処分という言葉にいたたまれない気がしていたが、この本を読んで吹っ切れた。
2010年12月17日
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白洲正子さんの「お能の見方」を図書館の隅に見つけた。何でも正宗白鳥をして「これを読んで初めてお能がわかった」と言わしめた名著1957年発行の「お能の見方」を増補改定の上、写真を新たに構成して1993年に発行されたものである。どちらにしても古い本である。吉越立雄さんの写真がとても美しい上、友枝喜久夫、金剛巌、梅若六郎、観世銕之丞、寿夫、栄夫、左近、先代喜多六平太、宝生英雄、粟谷新太郎など名手達の姿がたくさん載っていてものすごく得をした気分になった。本が古い分、故人の在りし日の芸術を目にすることができたのがとても嬉しかった。 この本は能のしきたりや技術などの案内や解説ではなく、能の成り立ちや心のようなものに重きを置いて書かれている。 葵上(前シテ) 観世 英夫 蝉丸 (友枝喜久夫)名手による著名な能の舞台写真のみならず能面や装束についても分かりやすく書かれていて、見るだけでうっとりした。ますます能が好きになった。しかし正宗白鳥が言うほどの名著とは思わなかった。 痩せ男 日永作 三井文庫蔵 狩衣(黄地梅樹に揚羽蝶 1620 白鳥町 白山長瀧神社蔵
2010年12月11日
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藤谷 治の「船に乗れ」全3巻を1ヶ月ほどかかって読み終わった。1冊1冊が途中でやめられない面白さだったのだが、11月は忙しくて続けて読めず時間がかかった。終わりまで読み、それなりの結末を得て気持ちが落ち着くとともに感慨があった。人間の成長とか人生についてじんわりと感じるものがあった。 この長い青春音楽小説の主人公は高校生だが、まるで私の大学生時代の出来事のように感じた。主人公サトルは金持ちかつ音楽一家の坊ちゃんで音楽環境にこの上なく恵まれた少年だが、私は貧しい農家の娘で家にはピアノもオルガンもなく、父親はと言えば「女の子に勉強は要らない、本など読む暇があったら家の手伝いをしろ」という人だった。実際音楽を学びたくても学ぶ環境になく、その後自分が音楽を学べたことは今思えば奇跡にすら思える。でも当時私はこのサトルに負けないほど音楽への情熱に燃えていた。大学で音楽を学び、オーケストラでバイオリンに熱中した。周囲には憧れの音楽・先生・先輩に満ち溢れていて青春は音楽とともに輝いていたのだった。この本にはそんな若い時代の音楽体験や恋愛体験、音楽に熱中し夢見るだけだった少年が現実の社会や人間関係に傷ついたり悩んだりしながら普通の大人になっていく過程が実に生き生きと描かれている。驚くことは作者は大人になってかなりの年月を経て、思い出しながら書いたと思うのに、演奏や音楽の詳細、その時の情景を克明に記述していることである。それもす体験者でなければ書けない内容ばかりでいちいち納得させられた。「船に乗れ」という題名は3巻の終わりまで出て来ない。これは、ニーチェの著作『悦ばしき知識』に出てくる言葉らしい。この本は音楽だけでなく哲学にも満ちているのだった。3巻の後半からサトルの辛い選択と現実が迫ってきて、大人になって生きていくことが容赦なく突きつけられる。最後がこの長い物語のエンディングにふさわしく特にすばらしい。久しぶりに音楽を題材にしながら人生を感じさせるいい本を読んだ。ノダメも同じように青春と音楽を題材にしているが全く異なっている。 本を紹介するポスター
2010年12月09日
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青幻社「能のデザイン」という本を読んだ(見た)。井上由里子さんのわかりやすい解説がついている。私は能楽が好きである。時々能楽堂に行って総合芸術である能の世界を感覚的に存分に楽しむのであるが、反面その知的理解は定着しない。でもどんなに知的理解があってもそれだけでは能は楽しめない。この本には能面、能装束をはじめとして、冠り物や楽器類、小道具類など能具一式が収録されていて、豊富なカラー写真で紹介されている。見るだけで楽しい。明治末期に発行された精緻な彩色木版画集、「能楽の志ほり」を完全復刻したものらしい。 浮舟 この臈たけた美しさに私はぞくっときました。(観世流11月定期能より) 普段なかなか能楽堂に行けない。お正月には何とかして能を楽しみたいと今年は早めに手を打って1月3日の観世会定期能初会のチケットを取った。観世流は観阿弥・世阿弥の時代から600余年の歴史を誇るだけに敷居が高く、目黒の喜多六平太能楽堂ほど気楽には入れない。いつもカジュアルな平服の私は入り口で来場者の盛装にまず圧倒されてしまう。でも宗家の「翁」に野村萬斎の「三番叟」、能「鶴亀」「羽衣」などめでたい番組が一流能楽師総出演で見られるとあってワクワクする。これを楽しみに11月・12月と乗り越えよう。
2010年11月10日
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穏やかな晩秋の一日、休みを取っていたのでオレンジ色に色づいたユリの木を眺めながら公園の芝生の上で本を読んだ。ジョナ・レーナー著 鈴木 昌訳「プルーストの記憶、セザンヌの眼~脳科学を先取りした芸術家たち~」 築山 節 「頭が冴える15の習慣」、 番場一雄 「一億人のヨーガ」の3冊である。大脳と食べ物関連の延長線上の本である。 プルーストの記憶、セザンヌの眼はタイトルに惹かれて選んだがつまらなかった。正直に言うとこの鈴木 昌氏の訳した本は私にはわかりにくい。その中で作曲家ストラビンスキーの章だけがすごくよく理解できて面白かった。ということはその他の芸術家について私の理解力が低すぎるということだろう。 「頭が冴える15の習慣」は冴えた脳を取り戻すために必要なのは、時折の脳トレではなく、生活改善で、足・手・口を動かす、試験を受けている状態を持つなど 脳の働きを高めるためにすぐに実行できて有効性が高い15の習慣が紹介されていた。こうしてブログを書くことも日々の炊事も頭のために良いそうである。特に目新しくは感じなかったが、現実的な方法がまとめて書かれていて、参考になった。 「一億人のヨーガ」は既に知っていることが多かったが、まとめて書いてあると頭が整理され、復習になった。頭脳と関連する呼吸法を特に注意して読んだ。最後に挿入されている番場さんのアクロバティックなアーサナには驚いた。特に痩せてはいないけど超柔軟な体である。やはりヨーギー・ヨギニ・アスリート・クライマーは体を見れば修行やトレーニングのレベルが一目瞭然である。 体がものを言う。とすると私はどうなっている?それぞれに領域が異なるが脳に関する内容で面白かった。でもあれこれ本は読むが私の物忘れは相変わらずである。 ユリの木の黄葉
2010年11月08日
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勝峰富雄著「山で見た夢」~ある山岳雑誌編集者の記憶~を読んだ。本の表紙とカバーは門坂 流さんの作品で精緻な美術作品である。ある山岳雑誌というのはもちろん「山と渓谷」である。この上なく丁寧な表現で自分のこれまでの山行記録や山に関連した記憶が綴られている。 表紙 裏定倉沢の先で本流の脇をザイルトラバースする勝峰さん自分自身がたくさんの山を登ってきた人でなければ書けないことがたくさん書かれていて、共感できる部分が多かった。しかしだ、淡々と客観的すぎロジカルすぎて私には高度すぎる。山岳雑誌の編集長を13年間もした方だけに山に登っても視点が異なっている。数年前の五月、岩崎元郎さんたちと残雪期の槍ヶ岳に登っていたら槍沢の雪渓で丁度勝峰さんと遭遇、私はもちろんそんな高名な方と面識があるはずもなかったが、岩崎さんと懇意でお二人は親しそうに話をされていた。その時垣間見た勝峰さんの体は鍛えぬいた登山家体型、雪上を歩く姿も素人離れしていた。岩崎さんが「山と渓谷の編集長の勝峰さんだ」と紹介して下さった。それだけのことだったが、今こうして彼の本を読んでいる。出会いは不思議である。その出会いがなければこんな地味な本は読まなかったかもしれないと思うと、やはり偶然は必然である。
2010年11月02日
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梓崎 優(しざき ゆう)の「叫びと祈り」を読んだ。何の予備知識もなく表紙の建物がシックで端正だったのと著者の梓崎と書いてしざきと読ませる名前が面白くて手に取った。ところがこれがめちゃくちゃ面白かった。どういう展開になりどんな結末になるのか一刻も早く知りたくて昼食の時間になっても中断できないほど、集中して読んだ。すべて外国が舞台なのだが、砂漠とかロシアの修道院とか南米アマゾンとか尋常ではない土地ばかりが登場し、尋常じゃない事件ばかりが起こる。 ミステリーということになっているが、殺人の動機が従来のものとは全く異なっていて「あっ」と驚く斬新な着想だった。それに文章が大変凝っていて彫りが深いというか立体的と言おうか、先を焦ってすばやく読み進めると異国の風景がイメージできなかった。そのためじっくり一文一文をなぞっていくように読んで頭に風景を立ち上がらせなければならなかった。ミステリーじゃなくても鑑賞に堪える筆力だと思った。5編の短編からなり、それが最後にきちんと繋がる連作推理であるが、中でも「砂漠を走る船の道」、「凍れるルーシー」「叫び」が抜群にすばらしかった。以前読んだ湊 かなえさんも新人とは思えない力量の持ち主だったがこの梓崎さんもすごい。この人たちの頭の中はどうなってるのだろう。チョークバッグを2個着けてることにも気づかないぼんやりした頭の私には想像もつかない。
2010年10月30日
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今年も熊が山や生活圏に出没して被害を与え、射殺されたニュースがかなりあった。そんな時に射殺されたクマに関する記事をougiさんのブログで見つけた。人間に害を与えるクマは射殺されて当然とする風潮の中、動物に対する温かいまなざしと深い識見を感じた。私も単独行で山にしょっちゅう行くので正直言って熊はとっても怖い。そんな折、米田一彦著「クマは眠れない」という本を見つけた。 母クマと子グマ (表紙) ougiさんのクマの写真米田さんは40年前の学生時代、リンゴ園に入り込んでいた熊を観察中に、目前で猟師がその熊を射殺。その体験以来、熊との共存方法を求め、秋田や西日本の雪山にも深入りし、熊を観察研究。熊が人に害を与えず、人も熊を駆除しなくてもよい方法を、命がけで求めてきた。その壮絶な人生がたくさんの熊の興味深い生態と共に描かれている。 著者のクマに注がれる愛情を痛いほど感じた。射殺されたクマに対する愛惜の情に胸を打たれた。同時に客観的にクマの生態を探って共存の方法を見つけようとする研究者としての視点が気持ちよかった。しかしこの米田さんの生き方は相当苦しいものだったろう。ほとんどの人はクマを加害動物としてしか見ないため、そのクマに愛情を持つ人など目の敵にされても仕方がない状況だからである。私も単にクマに対する恐怖心だけだったが、この本を読んで熊に対する見方が変わったし、熊を取り囲む様々な状況が少しわかってきた。行政の無為無策による大規模駆除、絶滅の危機に瀕しているクマの世界、新たな要因がもたらす異常行動など知らないことばかりだった。10月の今、クマは冬篭りに入る前に十分な食料を必要としている。そしてどんな穴や木の洞を見つけてあの大きな体を沈ませるのだろう。どうすればクマも生き、登山者も安心して山を歩けるのか考えさせられる本だった。。参考ハンターらに囲まれた母子グマ。母グマは泣き叫ぶ小グマを守るように、そして最後の愛情を与えるかのように体をなめはじめた。そのとき銃弾が彼女の眉間を貫いた...。里山への出没が増えたツキノワグマ。駆除という殺処分をマニュアル化して推し進める行政。2006年の駆除数は、明らかにされただけでも4000頭以上にのぼる。「クマはゴミじゃない」。ツキノワグマ研究の第一人者が、クマの異常行動の謎を解き明かし、人間と野生動物の共生の道を訴える渾身の書き下ろし。
2010年10月23日
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先日の大脳の栄養失調にショックを受けて、再度大脳の栄養関係の本を探して読んだ。生田 哲著「食べ物を変えれば脳が変わる」である。 これはものすごく勉強になった。頭が整理され客観的に脳の栄養について理解が進んだ。と言うのは前回の「大脳の栄養失調」はダイエッの低糖・低脂肪が大脳に及ぼす甚大な影響という視点だったのに対して、この本は大脳の栄養全体について書いてあったので脳の働きには何が必要なのかという全体を捉えることができた。脳を快適に働かせる栄養素はブドウ糖、アミノ酸、必須脂肪酸、リン脂質、ビタミン、ミネラルという6つの栄養素である。ブドウ糖=脳のガソリン、アミノ酸=伝達物質の原料 必須脂肪酸=神経細胞の膜をつくる成分、 リン脂質=ミエリン鞘となってケーブルを絶縁する、ビタミンとミネラル=酵素を助ける知能栄養素 だという。頭がぼけそうな年になってやっとこんな重要なことを知った。時すでに遅しである。これら6つの栄養素についてい一つ一つ分かりやすく説明されていて、その栄養素を含む食品名も出ている。読めば読むほど自分が糖分と脂肪ばかり気にして全体を把握していない愚か者だったことがよ~くわかった。特に脂肪を目の仇にして必須脂肪酸の重要性を忘れていた。最近よく聞くオメガ3、オメガ6である。この本を読んで目が覚めた。大脳を適切に働かせる食品を取りながらスリムな体を維持することは可能だ!!。自分に不足している栄養素とそれを含む代表的な食べ物をつかんだ。オメガ3を含むシソ油、DHAを含む秋刀魚、鯖、いわし、リン脂質の宝庫鶏卵である。あとはそこそこ摂っている。糖分は理想的低GI食品である玄米を食べているのでまずはOK。早速今夜の夕食には秋刀魚を料理し、息子と夫にも食べさせたのだった。
2010年10月21日
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高田明和著「脳の栄養失調」という本を読んで一大衝撃を受けた。頭が明晰に働かないのでその原因を自分なりにあれこれ考えていた矢先に見つけた本で、まさに必然である。 ダイエットによって糖分や脂肪を摂らないことが脳にどういうダメージを与えているかという視点で、肉体面、精神面に渡って詳細に書かれている。脳の働きや気分に影響を与えるセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどが食べ物でどう変化するか、食べ物による一つの反応が一つだけで終わらず次々と連鎖が続いていく様子など人間の体の精密さ・不思議さ、奥深さに目を見張った。あれこれ思い当たることがあった。私の頭がしっかり働かないのは年齢や昨年の低酸素被爆もあるけど、ここ数年間の糖分・脂肪を減らした食事に一因があるかもしれない。何ということだ!!私の脳は栄養失調になっているかも。砂糖や脂肪を含んだ食べ物はとてもおいしいとか幸せとかと感じるが、それは大脳が必要としているからだったのだ。全身の臓器に指令し統率するマスター臓器である大脳を栄養失調にしていいはずがない。となると、ここで厳しい選択を迫られる。糖分・脂肪を十分摂って小太りになり長生きするか、はたまたこれまでどおり低糖(とは言っても脳に最低限必要と言われる一日2膳のご飯は取っているし、登山中は摂り過ぎてもいる)・除脂肪の食生活を続けてスリムな体でクライミングしつつ、幸福感の乏しい生活を続けるか?結果は明白だ。明日から糖分と脂肪がたっぷり入ったチョコを理論の裏付けとともに堂々と食べ、肉類も復活させるに決まってる!!が、一方でイヤ駄目だ、この学者の説を鵜呑みにしてそんなことをしてはこの3年余の苦労が水の泡!!と囁く声もある。悩ましい!!結論は自分の体の声によ~く耳を傾けて食べたいものを食べようということにした。
2010年10月16日
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せっかくの三連休に雨が降っている。出かけるところも思いつかず、また本を読む。 以前、湊かなえ の「告白」を読んだ。この作者の作品を読むのは初めてだったがうなった。何気ない伏線すべてが積み重なって完全に整合している緻密な構成と、巧みな心理描写に舌を巻いた。舞台は学校なのだが実際に教師経験がある人でないと知らないようなことも記述されていて驚きだった。 今日は同じ作者の「贖罪」を読んだ。「告白」同様読み始めると止められなくなって一気に読み終えた。これもとても面白かった。激しくぶつけられた言葉が子どもの心に深く沈みこんで芽を出し、あらたな犯罪に繋がっていくのが何とも悲劇的だった。犯人さがしは無く、関係者の心理描写や成長の過程が独白されていく中で、最後に見事に犯人が浮き上がり、この上なく過酷な現実が突きつけられる巧みな手法、これも「告白」と同様だったがドキドキさせられた。湊かなえはすごい!!今となれば映画の「告白」を観なかったのが悔やまれる。松たか子が教師役で登場する「告白」とディ・カプリオの「インセプション」が同時に上映されていたので「インセプション」を観てしまったのだった。
2010年10月10日
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私には貴重な友人がいる。それはこのブログにも時々コメントを入れて下さるゆゆさんである。彼女は私より20歳以上も若い職場の同僚で、私たちには共通した人生の生き方がある。それは単純に言うと「現在の段階の科学的では証明されていないものを信じる」という生き方である。彼女とは多くて月3回程度しか会えないが、その日がとても待ち遠しく、逢った日は一日気分がよい。今週は「深い河を探る」からシンクロニシティの話になり、二人ともたくさん経験があるので話がはずんだ。その関連でゆゆさんからパウロ・コエーリ著 「アルケミスト」を借りて読んだ。 とても面白く、奥深かった。象徴的な出来事が次々と起こって少年の夢は実現する。随所に考えさせられる言葉があった。普段私の心の奥で科学的根拠なく経験的に把握していることが明瞭な言葉になっていたので頭がクリアになった。 ★「何かを本当に欲すれば宇宙は常におまえの味方になってくれる」 ★「不思議な物事は鎖のようにひとつづつ繋がって起こってくる」人生はこの通りである。私のこれまでの人生もこの通りだった。何の力も持たない私がここまで生きてこれたのはこの宇宙の力によるものと確信できる。しかし・・・である。人生はまだ終わっていない。なのに私はもう人生が終わってしまったかのように夢を失って情熱の残り火で小さく生きている。この年だって安全路線に安住せず夢や冒険に喜びを持つことはできるのはずである。もう失うものなんか何も無いんだし、死んだって誰も困らないんだから(夫が困る?いやいや、いなければいないで新たな展開があってそちらのほうがよかったりする!)何だって思い切ってやってみるべきじゃないか。この本はそんなことを思わせてくれたのだった。
2010年10月09日
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図書館でうろうろしていたら偶然にも(偶然というものはない、すべて必然であるとこの本の対談者は言っているし、私も常々そう感じてはいたからこれは必然であろう)遠藤周作の「深い河を探る」を見つけた。カトマンズの寺で火葬を見て「深い河」を思い出し、その記憶はずっと心の中に残存し続けていた。「深い河」は平成5年に上梓され、この「深い河をさぐる」は平成6年に単行本化された。遠藤さんは平成8年に没している。内容は各界の著名人と遠藤の対談で構成されているのだが、その人物にもテーマにも非常に興味があり、クライミングに行く電車の中で寸暇を惜しんで読んだ。 対談者は本木雅弘、青山圭秀、カール・ベッカー、笠原敏雄、湯浅泰雄、石川光男、W.ジョンストン、木崎さと子さんである。それぞれの専門分野を極めた人たちが心理学的視点、科学的視点、文学的視点、宗教的視点などから話が展開するのだが、 大変面白かった。というより日ごろから気になっていたことが非常に突き詰めて対談されていた。 中でも青山圭秀さんとの「奇跡は何を教えてくれるのか」笠原泰雄さんとの「前世は本当にあるのか」、湯浅泰雄さんとの「現象は偶然かそれとも必然か?」横尾忠則さんとの「この世を超えた世界と交信はできるのか?」などの対談は自分の心の中でぼんやりと考えていたことが対談の中で言語化されて出てきたのでものすごい興味を惹かれ、共感できた。何度も読み返した。対談者は物理学者など高レベルの知性と身につけた方が多かったので思考法が科学的で納得がいくことが多かった。いわゆるオカルト的なものだけではない確実性があった。それにしても遠藤周作さんは魅力的な人だった。今頃は輪廻転生して誰に(何に)生まれ変わってどこで暮らしているのだろうか。
2010年10月02日
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アメリカ在住のジャーナリスト柳田由紀子さんが著した「アメリカン・スーパーダイエット」を読んだ。恐るべきアメリカの肥満状況とそのダイエット法や法律・経済効果などあらゆる面についてのレポートである。300キロ以上の巨体で自分で立つこともできない人が登場するテレビ番組を見たことがある。映画「ギルバート ブレイク」には巨体の母親が登場していた。でもそれはごく稀な一部の事例だと思っていた。実際は肥満が蔓延していて成人の66%が肥満、そして肥満が原因で死亡する者は年間約30万人、1年に費やされる肥満関連の医療費は約13兆円! 肥満者の人権団体まで存在する。更に単なる肥満ではなく体重が300キロから500キロもある病的肥満が多くなっていて、ダイエッター人口もダイエット法も桁違いである。格差や銃、移民、宗教など、アメリカの抱える様々な社会問題の中でも「肥満」はアメリカならではの「国民的な病」らしい。 その病的肥満者の対策にダイエット都市ダーラム、減量寄宿学校、胃縮小手術、など想像を絶する事業も発展していて肥満者対策は大きな経済効果も生み出しているという。第1章から第9章までそこまでやるか!、そこまでありか!という驚愕の肥満関連記事満載で、一気に読みぬいた。 いやあ、恐れ入った!!アメリカは確かに病んでいる!!日本の肥満者なんてアメリカに比べれば肥満じゃない、可愛いものだと思いながらテレビを横目で見ていたらマツコ・デラックスという人が画面に映っていた。ウウゥ・・・・。日本も近づきつつあるのか?
2010年09月30日
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「醜の歴史」に続き、ウンベルト・エーコの「美の歴史」を見た。こちらのほうもかなり面白かったし、美しいものを見て感激することもできた。やはりおぞましいものより美しいもののほうが心が清んでくる。「美」は「醜」よりシンプルなのだろうか、「醜の歴史」よりはるかに解説が理解しやすかったので、少しは文章も読んだが、ほとんどは優雅なビーナスの絵や古代の端正な彫刻やパリのノートルダム大聖堂のステンドグラスなどの図を見て楽しんだ。主にヨーロッパのあらゆる分野の美しいもの=正しいもの=良きものがあますところ無く集められていてた。よくぞここまで集めたと思う。その作品を所蔵している美術館やコレクションの名前も記されていたので、世界の美術館の名前をたくさん知ることもできた。冒頭に本文に登場する全作品が分野別・時代別・系統的に並べられていてそれを見るだけですごく頭が整理された。時代とともに変遷する美の様式がよくわかったし、面白かった。 表紙 レカミエ婦人 ローザンヌ大聖堂より一段と大規模で華麗なパリノートルダム大聖堂のバラ窓 ビーナスビーナスだけでも着衣のビーナス、裸体のビーナス、ビーナスの顔と髪といくつも分類があったし、男性のアドニスも同様で、美しいものの様々な形を見ることができた。キリスト像や聖書関連の作品も豊富で、フィレンツェのウフィッツ美術館所蔵の作品が莫大だった。次のヨーロッパ登山の帰りにはそこに寄ろうと新たな願望が湧いてきた。最後のほうにはマリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン、ハンフリー・ボガード、ベッカムなど現代の美形の人たちが登場したので、これまで過去の作品だった美が突然現実的になってきて、美は連続しているのだと納得した。
2010年09月23日
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村上春樹の「1Q84」を今頃になってやっと読んだ。Book1からBook3までおよそ1600ページとかなりの分量である。読解力と知的持久力が衰えている私には珍しいことである。毎日1冊づつ読み、Book3に二日かかった!? Book1を読み始めたら面白くて止められなくなった。この作者の作品ははるか昔に「ノルウエーの森」を読んだだけだが、特に鮮明な記憶がない。しかし今回は惹きずり込まれ、次を読まずにいられなかった。作品の中にオウム、エホバの証人、ヤマギシズム、連合赤軍、父親が高名な学者である若い女性の文学賞受賞などを想像させるさまざまなものが登場してくる。そのどれもが既成事実で作者の独創的アイデアではないにもかかかわらず、事件の配置や絡ませ方や味付けが巧みで、読む側もあらぬ想像を働かせながらのめりこんでしまった。この作者のファンならとっくに知っていることらしいが、私は初めてこの作者が音楽に対して並々ならぬ造詣の持ち主であることを知った。 大体冒頭からヤナーチェックの「シンフォニエッタ」が登場する。普通じゃない。更にこの物語は「青豆」という若い女性と「天吾」という男性の話がパラレルワールドのように交互に出てくる。Book1の始めの頃はこの二人に何の関係があるのだろうと思わせるような展開であった。しかしこの手法はバッハの平均律クラビーア曲集の構成(つまりすべての調の長調と短調が交互に出てくる)にのっとって、青豆と天吾の話が交互に書かれたという。仰天した。おまけに設定されている土地が私がよく知っていて実際に行ったことがある場所ばかりである。中央線立川行き電車、二俣尾、市川、千倉、津田沼、高円寺、なんて不思議な一致だろう。津田沼の小学校の先生という人物がとっても現実感があった。しかし理解しがたいこともけっこうあった。、「リトル・ピープル」「空気さなぎ」っていうのが何なのか?想像するしかない。それにすごい旧型の恋愛物語である。これだけプラトニックだとかえって新しいかもしれない。村上春樹ワールドにはまった4日間だった。
2010年09月17日
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とても珍しい本を見つけた。ウンベルト・エーコの「醜の歴史」という分厚い本でカラーの図版がふんだんに入れてある。同作者の「美の歴史」と言う本もあったのだが、私は「醜」のほうを選んでしまったのである。ハッキリ言ってウンベルト・エーコの表現というか文章はものすごくわかりにくい。昔ショーン・コネリーが出る「薔薇の名前」という映画をとてもおもしろく観て、その後に原作を読んだら良く理解できなかったことがある。それで今回も文章はあまり読まず図説を丹念に見た。ものすごく広範囲にわたって怖いもの、おぞましいもの、醜いものが集められていて、それだけでも価値がある。 表紙 メジューサ本の帯には「現代の知の巨人エーコが絵画や彫刻・映画・文学など諸芸術における暗黒・怪奇・魔物・逸脱・異形といった恐ろしくぞっとするものを徹底的に探求。なぜ我々は死・病・欠陥を恐れるのだろう。はたまた醜さが持つ磁石のような魅力は何に由来するのだろう。」と記されている。全編醜い物で埋め尽くされているが、醜さが持つ磁石の魅力に逆らえずじっくりと見た。キリストの受難など目をそむけたいけど美しい?ものもけっこうあったが、これには耐えられないというものもあった。ブリューゲルやピカソなど著名な画家の作品がけっこうあったのも以外だった。 解剖でも惹きつけられはしたが何となく落ち着かない。次は口直しに「美の歴史」を見よう。
2010年09月15日
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図書館で本を探していたら下段の隅っこに「イタリアで家庭料理を学びたい」という本を見つけた。著者は前澤由希子さんで友人の妹さんである。友人から前澤さんの生き方を聞いてとても共感していたし、FM放送に出演された時、偶然に放送を聴いたこともあったので、親しみがあった。早速読んだらとっても痛快だった。 前澤由希子さん (HPより)大手生保会社のOLで何不自由なく毎日を謳歌していた前澤さんがイタリア料理に目覚め、夫を残してイタリアはシエナを中心に7ヶ月料理留学し、更に料理教室を開いた話である。イタリア語を学習し、夫を説得し、単身イタリアでホームステイし、語学学校、料理学校に通って自分の願いを着実にかなえていく。手打ちバスタをはじめとするさまざまなイタリア料理とイタリア語満載である。家庭料理を習いながらシエナで暮す毎日の様子が実に生き生きと素直な感想で綴られていて、とても新鮮だった。噂に聞くイタリア人のルーズさやいい加減さが悪い印象でなく、人生を陽気に楽しむ国民性として描かれている。登場する料理がおいしそうで毎日こんな料理を食べたらさぞ太るだろうなと余計な心配をしてしまった。自分の夢にまっしぐらに進んでいく姿がとても気持ちよかった。
2010年09月14日
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本の表紙に写っている男性の突き抜けた笑顔に惹かれて「奇跡のりんご」という本を手にした。いい加減な動機で読み始めたのだが、大変興味深く面白く感銘を受けた。こんなすごい人がいたという思いでだらしない日常を送っている私は目が覚めた。 木村秋則さん1949年生まれ、青森県岩木町の木村秋則さんがただ一人で家族の生活を犠牲にしつつも、無農薬・無肥料のりんご栽培に挑んでいく半生が描かれている。ノンフィクションライターの石川拓治さんはりんご栽培に無知な者にもわかりやすくこの「絶対不可能」と言われた苦闘の実際を記録していて読みやすかった。 雑草を刈らない木村のりんご園 8年の苦闘の末に花をつけたりんごの木農薬と肥料で保護されてきたりんご園を自然の力で実がなるりんご園に再生するまでの実に様々な実験、試み、木村秋則さんの諦めを知らないチャレンジには圧倒された。経済的に困窮を極めつつも初志を捨てない。私の知る東北出身の友人たちは地味だが人情味に厚く、決して手を抜かず粘り強く職務を貫徹していく人が多い。この木村さんはその典型だと感じた。すばらしい人を知り、心の奥に明るいともしびがともった気がした。さわやかな気持ちになれた。木村さんのりんごを食べてみたい。 以下資料木村秋則の言葉 りんごの木は、りんごの木だけで生きてるわけではない。周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている、 HPより抜粋 厳しい道のり農薬という環境に慣れたリンゴ園では、苦難の連続であった。害虫を妻と二人で手づかみするが、取っても取っても害虫は減らず、夜に畑へ行くと、カサカサと葉を食べる音が聞こえてくるほど、どうしようもない状況だった。何年経っても、リンゴは実らない。農薬漬けの生態系に慣れたリンゴを変えるには、どうすれば良いか。様々な試みを行うが、変化がない。そのため、夜には町でパチンコ店員やキャバレーの呼び込みといったアルバイトをしながら、 昼は農作業という毎日が続いた。無農薬でのりんごの栽培方法は、従来の農家から不可能とされてきたことであり、弘前大学農学生命科学部の杉山修一「恐らく世界で初めてではないか」と評している。
2010年07月02日
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図書館で本を探していたらバナナ酢の作り方と効能が大きく載っている本を見つけた。村上祥子著「バナナ酢毒だしダイエット」という衝撃的タイトルが踊っている。これ以上やせる必要はないが毒だしや血圧や疲労回復に惹かれて借り出し、早速作ってみた。 作り方はカンタン!!バナナ正味100グラムに酢1カップ(200cc)、黒砂糖100グラム、これを混ぜ合わせてレンジで40秒チンして一晩おけば明日から飲める。 → → これがまたとってもおいしい。強い酸と濃い砂糖にバナナのエキスがミックスされて私好みの味である。すっかり気にいって三種類作った。1.黒酢+黒砂糖 2.りんご酢+黒砂糖 3.穀物酢+黒砂糖・蜂蜜毎日飲んでいる。目覚めの朝いちでひとなめすると五感にピッと感じて目がさめ覚醒する。豆乳に入れるとトロトロになって超おいしく何杯も飲める。ジュースに混ぜてもおいしい。しかし生が一番いける。どんな効果があるか期待はあまりしないが、おいしいので続けられそう。
2010年06月20日
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剣沢小屋には談話室があり、山岳関係の図書が並んでいる。そのほとんどが著者や翻訳者からの献呈であり、裏表紙にはサインが入っているものが多い。1日目の午後は時間がたっぷりあったというより他にできることがなかったので、読書に勤しんだ。以前映画で「アイガー北壁」を観て、ハインリッヒ・ハラーの「白いクモ」を読みたいと思いながらも本がすぐ手に入るような種類のものではないためそのままになっていた。ところが奇しくも剱沢小屋でその「白いクモ」を発見した。ハインリッヒ・ハラー著 横川文雄訳 「白いクモ~アイガー北壁~」 二見書房 である。 貴重な本がそろっている本棚 白いクモ~箱入りの古い本である ハインリッヒ・ハラーはアイガー北壁を初登した人である。彼については映画「セブンイヤーズインチベット」で知っていたが、本を読んだことは無かった。早速読んだ。アイガー北壁の登攀の章と映画「アイガー北壁」のモデルの二人トニー・クルツとアンデイー・シュトイサーについての章を読んだ。悲劇的結末に終わったトニー・クルツとアンデイー・シュトイサー他二人の登攀の状況が詳しく書かれていた。想像を絶する困難な状況に果敢に立ち向かって生を繋ごうとするクルツの姿には胸を打たれた。すぐ近くにクルツがいるのにむざむざ凍死させざるを得なかった救助隊の人たちの無念さはいかばかりだったことか。映画にも登場していた坑道夫がクルツが降りてくることを信じて暖かい飲み物を用意しようとする姿も描かれていた。更に帰宅してこの本をネットで検索したら古書の部類に入る貴重なものだということが判明した。剣沢小屋で貴重な拾い物をした。
2010年05月05日
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全く今年の春はどうなってるんだろう。4月も半ばというのに寒くて登山用のフリースを着て出勤した。この異常気象は何だか怖い。毎年怖い気象が繰り返されている気がする。珍しい内容の本を見た。読んだではなく見た。どちらもカラー写真が豊富で美しい。 ★ 八條 忠基 すばらしい装束の世界~今に生きる千年のファッション~ ★ 土橋 豊 ミラクル植物記 これまで映画やテレビの時代劇、能・雅楽などでさまざまな装束を見てそのみやびやかさに憧れていたが、きちんとした知識は全くなかったから、この本は掘り出し物のように思えた。日本古来の装束が歴史・種類・色と模様・構成具などの項目に分けて細かく説明されていて非常に納得がいった。職人さんがどうやって作るかその方法も載っていて装束が現代に脈々と引き継がれていることを実感した。一方ミラクル植物記は世界の非常に珍しく変わった植物の紹介である。巨大な植物、何かに似ている植物、食虫植物、山火事を利用する植物など実に多彩で目を見張った。特に山火事で開花する植物ススキノキやディウリスパーディとか山火事で種子を散布する植物バンクシアとかもう植物が意志をもっているとしか思えなかった。不思議だ!!こんな植物を誰が創ったかと思うとやはり神がいるという気分になってしまった。
2010年04月15日
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先日「シャーロックホームズ」の映画を観たばかりだが、タイミングよく関連した本を見かけ、挿入画に興味を引かれて読んでみた。E・J・ワグナー著「シャーロック・ホームズの科学捜査を読む」~ヴィクトリア時代の法科学百科 ~である。人体と捜査方法に関するさまざまな面について小難しいことがいっそう小難しく書いてあって、ついていけない。もっと素人にわかりやすく書けないものかと思ったが、自分の理解力が落ちているのである。読むのを止めて挿入画だけを見た。とても興味深い。挿入画のごく一部を紹介します。 本の表紙 解剖台はしばしば短かったし、排泄設備もなかった 映画「ビクトリア」に始まって同じく「シャーロック・ホームズ」さらにこの本とビクトリア時代関連が続いたが、そのどれもイマイチだった。でも、こういう絵に惹かれる私って変?
2010年03月18日
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今日はとっても暖かく上着無しで歩ける陽気だった。何気なく早坂 隆著「続・世界の日本人ジョーク集」という本を手にとって読み始めたところ、とても面白くて止められず一気に読んでしまった。 ジョークの最後にくるオチに思わず何度も笑った。 この手の本は日本人をかなり意地悪く表現したものが多いという先入観と覚悟があったが、案外そうではなかった。日本人の優秀さや特色を他国との比較で表現したものが多く、いささか気持ちよく誇りが持てた。おろかな国民としてよく引き合いに出されていたのはアメリカとポーランドだった。また粗悪品が多い国としてロシアと中国、ずるがしこい国として中国などが巧みなジョークで表現されていた。ブッシュ大統領は無能力な人物として何度も登場していた。長文に傑作が多く紹介したいのですが、紙面の関係で短い一例を紹介します。 ★地球温暖化に対する世界各国の対応 ☆イギリス 温暖化の原因について徹底的に議論する。 ☆ドイツ 温暖化についての法律を厳しくつくっていく。 ☆日本 地球規模のクーラーを開発し、気温を下げようとする。 ☆インド 祈る。 ☆アメリカ 「温暖化の原因はタリバン」と発表し、アフガニスタンを攻撃する。
2010年03月05日
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天童荒太の「悼む人」をやっと読み終えた。仕事の合間に少しづつ読んだので2週間もかかってしまった。この本を読んで感じたことをどういう文にすれば自分の気持ちを表現できるのか混沌としていてまとまらない。はっきりしているのは非常に肝銘を受けたことである。人間の生と死がテーマで決して楽しい話ではない。重苦しく胸を突かれるが引き込まれてしまい、読まずにいられなかった。 船越 桂さんの彫刻の表紙 著者 天童荒太私にも「悼む人」がいてほしい。私が死んだとき誰がこの本の主人公静人(しずと)のように、「他の誰とも違うたった一人の人だということ」を心に刻んで覚えていてくれるだろうか。「誰に愛され、誰を愛し、誰に感謝されたか」と聞いてくれる人がいるだろうか。いないと思う。夫や子供は「山が好きで山ばかり行ってたよ」で終わりそうな気がする。天童荒太は私の出身地愛媛県の人である。愛媛県はもう一人の大家大江健三郎を生んでいる。しかし大江の作品は天童ほど私の心を揺すぶらない。作者は静人がしたと同じように作者自身も人が亡くなった場所に赴いて同じ体験をし、7年間もかけてこの作品を完成させたという。何という知的持久力と使命感! 悼む人はまさにこの世界に今一番いてほしい人だ。
2009年11月20日
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坂本龍一の「音楽は自由にする」というとても内容の濃い本を読んだ。彼のことは名前だけしか知らず、音楽も映画「ラストエンペラー」しか聴いた(観た)事がなかった。この本を読んで彼の全貌を始めて知った。彼の音楽を中心とした多方面の活動や膨大な作品一覧を観て驚いた。何と言う才能の持ち主だろう。更に驚く事実ばかりだった。新宿高校時代は学生運動の闘士で4週間もストライキをし、バリケード封鎖した高校の中で、アジ演説をし、ヘルメットをかぶったままドビュシーを弾いていた(という伝説)。そんな骨のある音楽家なんて聞いたこともない。芸大時代あの武満 徹を批判するビラ撒きを2回もし、武満と話をしてかえって引き込まれて感動したという、何と言う恐れをしらぬ若者だったんだ!。 音楽は自由にする 教授こと 坂本龍一読書もよくし、吉本隆明・埴谷雄高・安部公房・大江健三郎などを読む一方で映画館では高倉 健の緋牡丹博徒などを見ていたという。私はこんな固い本には全く近寄らない。高校時代も終盤のころ、西洋音楽はもう行き詰まってしまった、従来の音楽でブロックされた耳を解体しなければならないと考え、現在につながる彼の現代音楽・電子音楽などの方向性の基ができたという。~西洋音楽はもう行き詰まってしまった~確かにシェーンベルクが登場する前の段階で西洋音楽は行き詰っていたと思うが、それを自分の実感として捉え自分の音楽活動が現代音楽につながっていくというのはすごく新しくとらわれのない感覚の持ち主だと思う。私はそんなことは音楽史で知っているだけで、40年以上もバッハ・モーツアルト・ブラームスなど西洋の古典音楽を愛してきた。シェーンベルク以降の現代音楽に自分の感性がついていかない。 聴いて美しいとかいいとか感じられないのである。幼少期の音楽との関わり、YMO時代や矢野顕子との結婚、映画出演と映画音楽の作曲、など様々なできごとが語られているが、音楽・美術・演劇・映画などあらゆるジャンルに広がるその交友関係の豊かさも驚愕だった。それは現代の芸術に関して著名な活動をした人々のほとんどと思われた。それも音楽以外のほうが圧倒的に多い。音楽以外のジャンルとの交流が彼の音楽を形づくったのだろう。ぜひとも音楽を聴いてみようと言う気にさせられた。間違いなく日本が生んだ現代を代表する音楽家である。
2009年11月13日
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今回のヒマラヤ遠征で自分の英語力が著しく衰えているのを痛感した。そんな折も折、こんな本を見つけたので早速読んだ。タイトルの「英語のバカヤロー」は養老 孟司さんの言葉である。 著者はクリムゾン・インタラクティヴの古谷裕子さん。日本を代表する知性12人にインタビューしたものをまとめたものある。その12人とは養老孟司、竹中平蔵、中村修二、上野千鶴子、坂東眞理子、浅野史郎、明石 康、本川達雄、酒井啓子、松沢哲郎、古川 聡、福島孝徳の諸氏で、それぞれの専門分野で英語を使って世界で卓越した業績を挙げている皆さんである。とても面白かった。これだけ優れた人たちでもそれぞれ英語の壁に突き当たり、苦労し、努力してきたのである。特に納得する一言を抜粋します。竹中 平蔵 英語の壁は毎日感じる。でも「向かっていく精神をもつしかない」。明石 康 カタコトでも、なまっていても、自分なりの英語でよい。松沢 哲郎 英語が下手でも、すばらしい研究はみんな固唾をのんで聞きますよ。福島 孝徳 「オレは日の丸英語だぞ」という流儀を貫いてきた。
2009年10月22日
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一生をバラ一筋にささげたミスターローズこと鈴木省三の生き方を縦軸に、バイオテクノロジーの発達と青いバラの創出を横軸にして、バラに関するあらゆる視点を網羅した大作だった。バラは好きだけどこのように多面的な見方をしたことはなかったので目が啓けた。知らない内容ばかりで、毎回少しづつゆっくり咀嚼して読み、10日間ほどかかった。玄米のごはんを食べるように噛み応えがあり、噛めば噛むほど味がでてきた。時には牛のように反芻したりもした。 ノンフィクション 青いバラ サントリー開発の青いバラ 最相葉月さん鈴木省三の生い立ちやとどろきバラ園の造園など非常に興味深い内容が地道な取材・調査に基づいて書かれていた。時代背景やバラを介して見えた政財界・皇室とのつながりなどもしっかり書き込まれていて、鈴木省三を幅広く捉えることもできた。バラに関するあらゆることが書いてあった。その中で筆者と老境の鈴木省三との関わりが最もバラ育種家の鈴木を象徴していたし、温かくぬくもりがあり、示唆に富んでもいた。特に「青いバラが本当にできたとして、それは美しいと思いますか」という鈴木の言葉は深く記憶に残った。5月に青いバラの写真をアップした時、何人かの読者から「バラはやはり赤や黄色がよい」と書き込みがあった。私自身青いバラを神秘的に感じても美しいというのとはちょっと違うなという思いがあった。改めて最相葉月という書き手はすごいと唸った。最相さんだってバラに関しては素人だったはずなのに、綿密な調査、インタビューを積み重ねてこれだけの本を書く。何という知的持久力!!恐るべし最相葉月!!。前作「絶対音感」以上の大作である。さらにこの著者は『星新一 1001話をつくった人』(新潮社) 」という傑作ノンフィクションを07年に発表しているということがわかった。私は時代遅れだ。ああ、また読まなくちゃ!!。
2009年07月06日
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オーバーワークでQOLが下がり、対人関係にも疲れて元気のない娘のために親友のソーシャルワーカーから本を借りた。 水澤都加佐さんとBe!編集部の「もえつき」の処方箋~本当は助けてほしいあなたへ~である。 簡潔に要点がまとまっていて大変読みやすかった。一読して思い当たることがたくさんあった。私自身はもうこれから燃え尽き症候群(バーンアウト)になることはないが、就職3年目の娘は環境的にもハイリスクの真っ只中にある。 以下はこの本からの抜粋や引用です。仕事をバリバリとなさっている方、働き盛りの方の参考になれば幸いです。もえつきのリスクが高いのは医療・福祉・教育の専門職やボランティアなどの援助職、家族を介護している人、うまくいかない子育てに悩んでいる人、家庭内の問題に悩んでいる人、上司と部下の板ばさみになっている人、がんばり屋の人などに多い。バーンアウトの「症状」は、休みをとっても改善しない心身の消耗感、自分の価値や仕事の能力への疑念、変化への抵抗、ちょっとしたことへの過敏な反応、周囲への怒りや恨み、対人関係の苦痛、などがあげられる。こうした状態が起きるリスクが高いのは以下の3つの条件が重なった時である。1 手を抜けない大変な状態が続く2 いくらがんばっても報われない3 使命感や責任感、思い入れが強い当然ながら、適当でいいやとドライに割り切って仕事をする人よりも、その仕事に意義を感じて一生けんめいになり、かつ限界になってもがんばってしまう力のある人が、燃え尽きに陥るリスクが高いということになる。特に援助の仕事は、もともと使命感や責任感あってこそ成り立つものである。つまりこの分野においては、仕事への意欲が高い人ほど燃え尽きのリスクが高いのである。誰かの面倒ばかりみて、自分を忘れて没頭するうちに自分をかけたはずの仕事につぶされてしまう、 職場で、家庭で、人間関係の中で疲れ果ててしまう、 誰かの役に立ちたいとがんばっているうちに、いつしか自分自身が消耗し、人と関わることが苦痛になって仕事に行けなくなってしまう・・・。極度に進行した<もえつき>は、人生そのものを破壊してしまうという。これを読んだ娘は思い当たることばかりで怖いと言っていた。しかしまた、些細なことに対しても激しく叱責する上司に対して今まで不信感を抱いていたが「ひょっとしたらこの人もバーンアウトになりつつあるのでは?}という見方ができるようになったとも言う。この本には<もえつき>の進行をくいとめる方法や共依存・グリーフについての記載もされていてとても有用である。真面目で責任感があり人のために身を削って働く人がうつ病になったり燃え尽きたりするこの悲しい現代社会・・・。何とかならないものか。いや、何とかしなきゃ!!
2009年07月04日
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今日は午後とても蒸し暑かった。珍しく退勤後何も予定がなかったので、カフェでコーヒーを飲みながら本を読んだ。ルーシー&スティーブン・ホーキング゙ 作 さくま ゆみこ 訳 佐藤 勝彦 日本語版監修「宇宙への秘密の鍵」である。あのホーキング博士とその娘ルーシーさんが子どもたちのために書いた、スペース・アドベンチャーである。 ルーシー・ホーキング 青少年向けなのでとても読みやすく、楽しく読んでいるうちに宇宙の起源、太陽系、ブラックホールなどの最先端の知識が身につく趣向になっている。これまで宇宙の本は難解ですぐ飽きたが、この本は私のような理系オンチの者にもよくわかり、スリルがあって面白かった。広大無辺の宇宙、その中に奇跡のように浮かぶ私たちの地球。抱きしめたいような脆さと美しさをあらためて感じた。要所要所に惑星や銀河などについての解説や写真が添えられ、その貴重さと想像を絶する宇宙の秘密に驚いた。主人公ジョージは初めは何をしても自信がなく、いじめられっ子で弱かった。しかし隣家の女の子アニーや、宇宙探検を可能にする特別なパソコン「コスモス」を持つアニーの父エリックと友達になり、ブラックホールに吸い込まれたエリックを救出するために奮闘するうちにたくましく成長していく。その過程がとても丁寧に書かれていて少年の成長物語にもなっていた。
2009年06月26日
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今日はとても蒸し暑く、梅雨時の典型的な気候だった。年に一度か二度の土曜出勤日。天気のせいか体がイマイチしゃきっとせず、本を読んだ。 秋山 清 著「謎の古代図形」である。大変興味深い内容でおもしろかった。著者は自信を持って明確に三つの命題を提示している。 1.図形がエネルギーを発生させる 2.パワーの源は正多面体構造と準正多面体構造にある 3.正多面体には二つの究極の比率が存在する。究極の比率は大和比と黄金比だという。 大和比は1:√2 黄金比は1:1.618日本の古代建築の美しさの根源は大和比であり、西洋のそれは黄金比だという。法隆寺、金閣寺さらに能面にも大和比が用いられているという。ダ・ビンチの人体図や五ぼう星が黄金比だという。 大和比が用いられている日本を代表する建築物と能面 黄金比のダ・ビンチ人体図これまで図形がエネルギーを持つなんて想像したこともなかった。そしてそれが波動エネルギーを出しているという。さらに驚くべき事はヨガのチャクラが多面体でそれぞれ異なる多面体が示されていた。長年実習してきたヨガのチャクラと全く縁もゆかりもなかった多面体がリンクしているなんて晴天の霹靂とはこのことである。宇宙のあらゆるものが正多面体で構成されていて、形を科学すれば様々な謎が解けてくる実例がたくさん挙げてあった。驚く事ばかりだった。たまには自分の世界と全く関係のない分野の本を読むのも頭を軟らかくしてくれる。 秋山 清昭和23年、静岡県藤枝市生まれ。子供の頃より幾何学や天文学に興味を示し、特に高校の時、フィボネッチ数列に関心を持つ。昭和50年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了。工学修士。特に分子の立体構造に関心を持ち続けていたが、昭和61年頃から本格的に多面体の研究に専念。同時に宝石や鉱物の世界にも関心が深くなってきている。現在は、コスモ研究所所長として形の研究と、各方面で講演や指導に当たっている。最近は水晶の形とエネルギーの関係についての研究を行い、その特殊な仕組みを形の面から明らかにしている
2009年06月20日
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この1週間は谷川で岩登りをし、水中トレーニングを始めるなどけっこう体を使ったので今日の日曜日は完全休養日にし、本を読んだ。石川直樹「最期の冒険家」である。ものすごく面白くて一気に読んでしまった。文章が客観的でとてもわかりやすく、理解に手間取らなかった。前作の「生きているという冒険」より格段に上達している。読み手に何の混乱も退屈も与えず、知りたいと思う内容、必要な内容だけが手際よくでてくる。まずこの卓越した表現力・構成力に驚いた。熱気球で世界記録を打ち立てながら、昨年冬、単独太平洋横断中に消息を絶った神田道夫の冒険とその生き方、著者との関わりも加えたルポルタージュである。 漂着したゴンドラ(本の表紙より) 役場の職員であった神田さん 単独太平洋横断に出発熱気球の飛行というのは非常に過酷であることを知った。バーナーを炊き続けなければ下降してしまう、高度があがるにつれマイナス50度などと超寒冷に陥る、眠る事も出来ない、神田はその熱気球を手作りしたと言う。神田は三つの世界記録を持つ。高度世界記録 12,910m 長距離世界記録 2,366km 滞空時間世界記録 50時間38分 特に驚いたのが神田が高度12910mまで熱気球に乗って昇ったという世界記録!!成層圏ではないか。神か死の領域で人がいる場所ではない。通常8000mで高山病で倒れるのに登山家でもない神田が12000mの希薄な酸素と寒冷にどう対応したのか。それに60時間寝ないで飛び続けたという。凄い人もいるものである。最期の章が感動的である。著者と神田が第1回目の太平洋横断遠征で使用した熱気球のゴンドラが4年半海洋を漂った末、トカラ列島の悪石島に漂着したのである。(本の表紙)その写真を見ても神田さんが単独太平洋横断に使った籐のゴンドラを見ても「こんな物(粗末な装備)で8000m以上まで上昇するの?」というのが正直な感想である。何というリスクの高さ、でもそれこそが真の冒険なのである。この本を読んで冒険というものについて改めて考えさせられたし、石川直樹さんのファンになった。
2009年06月07日
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昨日からエネルギーが沈滞しているところに、今日も朝から雨が降っている。音楽を聴くような気分にもなれず、沈黙して本を読む。石川直樹の「今生きているという冒険」で「山と渓谷」などアウトドア関係の雑誌でよく名前をみる若い冒険家が著者ある。この青年のこれまでのセブンサミッツ世界最年少達成、Pole to Pole で北極から南極まで人力で走破した記録、ミクロネシアでの星の航海術(スターナビゲイション)、アマチュア冒険家の神田道夫と二人で熱気球に乗ってあやうく死にそうになった体験など世界各国の川、海、山、空の冒険が日常生活のように淡々と記されている。 表紙 開口健ノンフィクション賞を受賞した著者最近は植村直己のような冒険家がいないと思っていたが、その後をいく人に思えた。どんな未知の分野にでも躊躇なく自分を投じて必要な技術を学び、したい冒険をしていくのが実にきっぱりして迷いがなく、爽快である。彼はその後、手製の熱気球による太平洋横断に挑み洋上で消息を絶った神田道夫にスポットを当てたルポルタージュ「最後の冒険家」で、第6回開口健ノンフィクション賞を手にした。とても刺激的だった。自分の生き方を振り返えさせられた。私はこのところ一人で未知の旅、リスクの高い旅に出ていない。年齢と安全がその理由である。でもこれでいいのか。求め、知恵を絞れば自分なりの冒険ができるのではないか。もう私の人生は限られている。親として妻として果たすべき責任と義務は十分に果たしてきた。この先の人生は自分のために生きると心を決めたのにいつも年齢や安全や体力や長生きにこだわっている。出来る限りの冒険をして、悔いのない日々をおくるべきではないか。
2009年05月29日
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とても面白い本を見つけた。サッフィ・クロフォード、ジェラルディン・サリヴァン共著の「誕生日大全」である。著者は二人とも占星術と数秘術の専門家であり、この本は占星術、心理学、数秘術、恒星占星術などの要素を総合的に分析し、何千件にもおよぶケーススタディをまとめて書かれたものだという。生まれた人の誕生日ごとに性格、隠された自己、仕事と適性、恋愛と人間関係、数秘術による運勢、相性診断、この日に生まれた有名人などが1年365日細かく記されている。 早速自分の誕生日のページを見た。私の星座は魚座である。良い面、悪い面ともに書いてある。多視点から記されているので、当たらずとも遠からずの気もした。相性占いには恋人や友人、力になってくれる人、運命の人、ライバル、ソウルメイトなどの誕生日が記載されている。一体どうやってこの日付を割り出すのだろう。生まれた日と月の数がその人の性格に影響を与える!! ほんとに?そんなバカな・・・。とても不思議である。更にもっと大きな影響を生涯にわたって与える秘数というものがあるという。自分の秘数を計算し、その項を読んだら誕生日より当たっていた。!!だけどどうして??いわく「情熱的で・・・・・」、欠点はかなりシビアに記されていた。以前「アガスティアの葉」で占星術が出てきてその予言の確実性の高さに驚愕したが、今回も驚きである。しかし深入りしないでおこう。
2009年05月14日
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このところ宗教、それも日本の宗教関係に興味が集中している。映画「禅 ZEN」を見て道元や永平寺に探究心が湧き、野山で青岸渡寺の修験者のお札に遭遇して修験道にも関心が湧いている。もともと宗教にはとても関心があった。関心であって信仰心ではない。宗教を取り囲む建築・美術・音楽・修行法・日常生活などに強く惹かれてしまう。信仰するのではなく文化・芸術として宗教を理解したいという関わり方である。その対象はこれまで主にキリスト教だった。興味が昂じて若い時2年間ほど教会に通ったことすらある。西洋の音楽や美術はキリスト教の理解なくしては成り立たないと思っていたからである。年を重ねて最近は仏教や日本の宗教に対象が移ってきた。というわけで半月分の本を図書館で借りてきたら宗教関係の本が多数を占めていた。 1.永平寺奉賛会 写真 八木源二郎 永平寺 2.和崎 信哉 講談社 阿闍梨誕生 比叡山千日回峰行~ある行者の半生~ 3.武田 鏡村 光人社 禅の食事 4.南澤 道人 四季社 道元禅を生きる 5.Books Esoterica 少年社 密教の本~驚くべき秘儀・修法の世界~ 6.Books Esoterica 少年社 修験道の本~神と仏が融合する山界曼荼羅~ . 7.レーヌ・マリー・パリス他 南條郁子訳 カミーユ・クローデル~天才は鏡の如く~8.DVD 世界の美術館 アムステルダム国立美術館・ゴッホ美術館他読むのがとても楽しみである。
2009年02月20日
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図書館の返却日ぎりぎりで三浦雄一郎流生きがい健康術「デブでズボラがエベレストに登れた理由」をやっと読んだ。 いやあ、驚いたことばかりだった。この有名なプロスキーヤー・冒険家一家の体質が敬三さんを除くとみんな大食い・大酒のみで太りやすいとは予想外だった。雄一郎さんは60代前半身長164センチで体重86キロだったという。もちろん成人病の巣窟だろう。メタボで高血圧、高脂血症、糖尿病等すべて数値が悪く生活習慣病の百貨店だったとも書いてある。素人の私ですらモンブラン登頂のため59歳で6キロ減量して44キロに、さらにマッターホルンに登攀するために2キロ減量して42キロという涙ぐましい摂生をしたのだ。いくら何でもそれは酷すぎるし、だらしなさ過ぎるし、プロのプライドは無いのかと思ってしまった。しかしエベレストという目標ができてからの努力はこれまたすさまじかった。足にウエイト、背にザックというスタイルで3年も忍耐強くトレーニングして筋力を鍛えた。1年目 片足1キロのアンクルウエイト ザック10キロ 一般的なウォーキングシューズ 2年目 片足2,3キロのアンクルウエイト ザック15から20キロ 片足2キロの登山靴 3年目 片足5キロのアンクルウエイト ザックは25キロ 片足2キロの登山靴さらにもっと震撼させられたのはエベレストに登るために心臓の手術を2回もしている。手術なんてあんなつらいことを山のためにできるか?そこまでするか!!?普通の人はしないだろう。せいぜい白内障の手術を延期する位だ。 軽めのタイトルからこの本をあなどっていたが、とんでもなかった。プロでありながらここまで食生活がだらしなく飲食のコントロールができない自分をありのまま記述しているということにも驚いたが、さらにエベレスト登頂という生きがいを持ってさまざまな努力と工夫をし続けて目標を達成した彼を尊敬せずにはいられなかった。今やエベレストは商業登山の山と化して、ルート工作も十分してありシェルパが荷物を背負い、お金さえあれば登れると言う人もいる。しかし8800mの高度はたとえ酸素を吸ったとしてもそんな生易しいものではないと思う。それに高齢でチャレンジする。三浦ベースキャンプの低酸素室には何度もお世話になった。そこでお会いした雄一郎さんや豪太さんは素朴で温かいお人柄と感じた。しかしこの本は改めてそれだけではない敬三・雄一郎・豪太・雄大と続く三浦一家の冒険家としての精神の強靭さを教えてくれた。 さて、私は生きがいをもって目標に向かっているか?
2009年01月21日
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今日は朝から冷たい雨が降り、昨日までとうって変わった寒い一日だった。図書館から借りてた鈴木 晶著「ニジンスキー神の道化」をやっと読んだ。資料を綿密に検証しながら、ニジンスキーの生涯と彼に関わる人々の様子、バレー界・精神医学界を中心とした時代の様子がきっちりとした構成で書かれていた。驚くべきニジンスキーの生涯であった。おそらく世界一有名な伝説のバレエ・ダンサー、類まれな跳躍力を持つロシアバレーの寵児、その生き様とバレエの激しさと悲惨な最後でほとんど伝説化している。彼が踊る姿を現実に見た人はいない。もちろん私も見たことはないのだが、写真でその姿を見て著しく惹きつけられた。鬼気迫る才能を感じた。素人目にも感じたその中性的雰囲気の原因についても納得できた。 過酷ないじめにあっていたバレー学校時代、ディアギレフとの濃密な関係、結婚生活、そして精神病を病む。精神病は今でいう統合失調症なのであるが、彼を診たり関わりあった人たちがブロイラー、ビンスヴァンガー、フロイト、アドラーなど精神分析や心理学で今でも必ず名前が出てくる超一流のドクターや心理学者ばかりだったのでこれも別の意味で驚きだった。でもその症状は素人の私が読んでもかなりひどく悲惨だった。何が彼をこうしたのか?あの妖艶なバレエの天才はどこへ行ったのか?しかしこの悲劇的生涯こそが彼を伝説のバレエダンサーにしたのだろう。久々に内容のある本を読んだ。
2009年01月09日
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今朝は肩の痛みで目が覚めた。午前3時だった。風がごうごうと吹き、荒れた天気だった。寒かった。早く目が覚めたもののこの寒さでは外でウォーキングなんかしたら肩がもっとダメになると思い、いつものスケジュールを変更。とりあえずエアコンをつけてヨガをし、筋トレをし、午前中は大掃除の第1回目としてリビングを整理した。午後になって天気が落ち着いたのでウォーキング開始。いつものコースを延長して90分ほど歩き、ドトールで炭焼きコーヒーを楽しんで帰宅した。すぐ図書館に行き、年末年始に読む(見る)本を借りてきた。毎度のことながら一貫性のないセレクトである。・三浦 雄一郎 デブでズボラがエベレストに登れた理由 ・魯 大鳴 京劇への招待 ・フランツ・シュミット 藤代幸一訳 ある首切り役人の日記 ・広田 千悦子 知っているとうれしいにほんの縁起物 ・宝田 とし子 ぐんぐん元気がでるツボマッサージ ・ルネ・ターナー 通木直子 訳 リフレクソロジー 基礎から応用まで ・吉田 一紀 モハようございます あの人はなぜ、鉄道にハマるのか? ・鈴木 晶 ニジンスキー神の道化 ・日経おとなのOFF特別編集 おとなの美術館 早く大掃除や新年の準備をすませて、のんびり本を読みたいものだ。
2008年12月26日
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今日は朝から冷たい雨がしとしと降って寒い一日だった。久しぶりに本を読んだ。以前から読みたいと思っていた今井通子さんの「マッターホルンの空中トイレ」である。私のブログを読んだYさんがわざわざ小川山まで持参して貸して下さったものである。世界各国の山のトイレに関するとても興味深い記事が満載だった。特にヨーロッパとヒマラヤ地域が多かった。ヨーロッパ三大北壁やローツェなどを登攀した著者ならではの内容である。泌尿器科ドクターの視点もあったがそれよりも優雅な女性の感性を感じた。マッターホルンの空中トイレについてはその事情が良く理解できた。要するにソルベイヒュッテに三分の二が空中にせり出しているもののトイレがちゃんとある。次にマッターホルン登攀に出かけた時にはそこが使える。紙おむつは不要であるとはっきりわかった。空中トイレの存在を知らず、紙おむつを持参したこの夏 ソルベイ小屋の空中トイレそのトイレの穴からマッターホルン北壁が観察できるという。すばらしい!!。是非とも行って、空中トイレから北壁を見てみたい。それ以外にもモンテローザの名物対面式トイレやアイガーの私設トイレ、シェルパハウスの枯れ草トイレなど愉快で珍しい記事がたくさんあった。さらに驚いたのはわれらが千葉県知事堂本暁子さんの過去である。彼女が参議院議員だったというのは知っていたが、更にその前は元TBSプロデューサーで北穂の取材の時、あづき沢の雪壁を単独で登ってしまったという。 千葉県知事当選時の堂本暁子さん今井さんのヨーロッパ三大北壁登攀後、テレビのワイドショーで堂本さんに「それでトイレはどうなさったの?」と聞かれて、今井さんは「霧となって消えました。」と答えたという。トイレ事情に切り込む堂本さんも切れ者だが、今井さんのこの回答もいかにも今井さんらしく私は好きである。
2008年11月27日
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まとめ借りしていた本の返却期日が迫り、坂本菜子著「世界のトイレ快道を行く」を読んだ。私はなぜか旅をすると、トイレに関心がいってしまい、自分でもけっこうトイレの写真は撮ってきたしこのブログでも紹介してきた。この本は世界のトイレや水周りを豊富なカラー写真で紹介していてとても面白い。 「これがトイレ?」と思うようなセンスのよいトイレばかりで、単なる用足し空間ではなく、住み手の個性や暮らしや環境に合わせたコンフォートスペース(快適空間)としてのトイレになっている。アメリカスペースシャトル内 アメリカグリーンレストラン アメリカ ステーキハウス スイスアルプス山頂トイレ 専用カートに入れられたパック ブダペスト地質学研究所 台湾老爺大酒店 韓国昌徳宮 モナコ エルミタージュホテルのアンティークな洗面器・便器と床のモザイク 目黒雅叙園の飾り障子 赤坂 アルバトロス 志摩スペイン村 ガウディ洗面タワー 銀座せきてい 杉の葉を敷いた男性便器 スイスのクラインマッターホルンの山頂は寒さで水洗トイレが使えないため考案されたのが、腸づめ方式である。あらかじめ便器に長いビニール袋をセットしておき、一人が使うごとに足踏み様式によって熱処理で密封バックされるしくみ、それが60個つながるとまるで腸づめソーセージのようになる。このパックは夕方専用カートに入れられ、ロープウエイで麓の下水処理場に運ばれて処理される。厳しい自然環境の中でも知恵が光る。実はこの夏、マッターホルン登攀計画を立てた時、非常に気がかりだったのは、途中にトイレがあるかどうかということだった。通常なら丸一日かかる登攀である。その間一度もトイレに行かないのは困難だし体を悪くする。登山店や知り合いに聞いたが誰も正確な情報を持っていなかった。苦肉の策として一応最小のおむつを1組用意していった。しかし今年はトイレが必要になる前に下山した。その後今井通子さんの著書に「マッターホルンの空中トイレ」と言う本があることを知った。登山家で泌尿器専門のドクターの著書である。次に行く時までには探し出して必ず読みたい。再認識したのは日本のトイレのきめ細かな工夫と知恵、さらに美意識である。一度これらのすてきなトイレのあるホテルや施設を訪れてみたい。
2008年10月22日
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今日は日曜日だけど休足日にした。天気も芳しくなく、一日のんびり過ごした。久しぶりに図書館に行って本を借りた。本を選ぶ基準は特になく、気の向くままである。1.小林頼子 もっと知りたいフェルメール~生涯と作品~2.グリン・カー マッターホルンの殺人3.菊地敏之 我々はいかに「石」にかじりついてきたか~日本フリークライミング小史~4.長尾三郎 精鋭たちの挽歌~運命のエベレスト~5.斉藤卓志 刺青6.トム・スタンデージ 世界を変えた6つの飲み物 7.坂本菜子 世界のトイレ快道を行く「我々はいかに石に~」は何度も読んだのであるが、何か愛着を感じて書架にあるとついつい借りてしまう。秋の夜長、ゆっくりと本を読もう。
2008年09月21日
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普段何気なく、また当たり前に一緒に暮らしている家族って何だろう。家庭は「子どもが育っていく過程である」と聞いていた。その家庭を構成する家族にはじつにさまざまな家族がある。 星野仁彦さんの「機能不全家族」を読んだ。とても面白く、勉強になった。 この本を読んでまず、私は母親として機能してきただろうかと考えた時けっこう「イエス」と思ったりした。でも、 夫と私は協力して温かい家庭をきずき、両親としてバランスよくしっかり機能してきたかというと考えさせられてしまった。論より証拠、成長した子どもを見ればわかる。我が家の2人の女の子はしっかりした職業を求め、たくましく行動的である。女性モデルが私だからか?しかし長男はやさしく良識的だがたくましさに欠ける。弱い夫を男性モデルとして見てきたからだろう。夫を弱くしたのは誰か? 強い妻かもしれない。しかしそうではない。弱い夫をカバーし、生きていくために妻は強くならざるを得なかったのである!我が家の子ども達は恐ろしくも理論どおりに成長している。ニート、引きこもり、青少年犯罪者のほとんどすべてが機能不全家族だという。さらに歴史的に有名な人物の分析が生前の行動を挙げながら実に巧みにしてあって、興味をそそられた。ちなみにヒトラーは自己愛性人格障害、ダイアナ妃は境界性人格障害、ダビンチとアインスタインはADHDおよびアスペルガー、ピカソとベートーベンはADHDおよび学習障害と診断されていて実に納得できた。 日本では尾崎豊、松本智津夫、永山則夫、宮崎勉、酒鬼薔薇聖斗など、大事件に関わる人たちが出ていた。永山則夫の悲惨すぎる家庭の様子を読むと、本当にかわいそうで痛ましかった。 今、私の家庭は分解寸前である。成人した子ども達が今の一つの家庭から飛び出して、別の新しい家庭を形成しようとしている。新しい家庭と家族が増える日が待ち遠しい。
2008年09月11日
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