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久しぶりに上野の国立西洋美術館に行って来た。現在パシール家に2カ月遊びに来ているパシール母も、もうじき家に帰ってしまう。それじゃ、帰る前に何かアクティブなことを-ということで、1月15日まで開催のクラーナハ展を観に行くことになったのだ。今日は昨日に続いて凄く寒い日だったけれど、上野界隈には人が多く、美術館の中も結構な人だった。上野には思い出が沢山ある。昨年2月に亡くなった父は国立西洋美術館の近くにある東京芸大の卒業生だった。隔年で行われる同窓会に出席するため、父が上野で催される同窓会に行く時はパシールも会場までアテンドしていた。父が同窓会に出席している間は近くの国立西洋美術館に行ったり、上野動物園で時間をつぶしていたり。上野の駅を降りて美術館に向かう途中、パシール母が「今日は、お父さんがついて来ているかもね。」と笑っていた。
2017.01.06
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今年は初盆なのに実家に帰れなかったので、代わりに今週末から実家に帰ることにした。やっぱり実家はいい。関東やシンガポールと違って空気も水も美味しいし、食べ物も違う。父が亡くなった2月以降、父が夢に出てきたり、姿は見えなくとも父がふわっとシンガポールのコンドミニアムに現れたこともある。先日も来ている気配を感じたけれど、パシールのことを心配してくれていることだけは分かった。親も大変だ。亡くなってからも子供や家族を心配しないといけないとは。成仏していても現れる時と言えば、命日、お盆、お彼岸の時期だとか。お墓参りをした方がアクセスは簡単かもしれないけれど、お墓が遠い所にある人は、そういうワケにもいかない。お墓参りに行けない人たちや仏壇や神棚が無い人たちであっても、可能な場所で、手を合わせて故人に話しかけたりするといいそうだ。その場合、くれぐれも周りに人がいない所を選ぶ必要はあるとは思いますが。
2016.09.16
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九州が大変なことになっている。連れは鹿児島出身で、多くの親戚が鹿児島、熊本、福岡に住んでいるし、パシ-ルの甥っこや従姉の旦那さんや友人の家族も長崎や福岡に住んでいる。今は祈る以外、何も出来なくて申し訳ない。絶え間なく余震も続いているし、今後は阿蘇山の噴火や原発事故が心配だ。 2月にこの世を旅立った父も70年前に恐ろしい地震に巻き込まれている。運よく助かったからこそパシールがこの世に居るわけだけど、父は死んでいても何ら不思議ではなかった。当時父は実家から離れた学校に通っていたため下宿をしていた。自室で勉強をしていたところ、急にグラっときて背後にあった壁が父の背中や頭を襲ってきたという。あれよ、あれよという間に家屋の下敷きになり、一瞬のうちに瓦礫の中に埋もれてしまったそうだ。部屋は2階だったのに、気づいてみたら1階に。その後、何度も何度も瓦礫の中から這い出ようとしたけれど、身体に乗っかっている物が重すぎて出られなかったそうだ。もがいて、もがいて、ついに力が尽きかけたその時、下宿屋の家族が父を見つけ、やっとこさ引っ張り出してくれて助かった。 父と同じ目に遭った人はいくらでもいた。でも亡くなった人たちも半端なく多かった。遺体の数も多すぎて、きちんとした葬式など出来るわけもなく、河原で多くが焼かれたらしい。父からは何度もこの話を聴いたが、地震の恐ろしさ、被害の凄まじさを父の語る時の波動で感じていた。人工地震だろうが自然の地震だろうが、今は1人でも多くの人が救われることを強く願っている。
2016.04.16
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2月16日の「父との別れ~いい通夜だった」の中に、今年一月にパシールの夢の中に父が現れた話を書いた。明るいイメージの夢で不思議な感じがしたが、同じ様な父の夢をパシールの家族も見ていたことが分かった。それは告別式が終わり、家族と話をしていて分かったこと。父が亡くなる数日前に、母、兄、叔母が父の夢を見ていたのだ。そして誰の夢にも共通していたのは全体的に明るくてホンワカしていたこと。音楽を愛し、ウケナイ親父ギャグを飛ばしていた父のことだ。最後のメッセージは、なるたけ家族に対して明るいものにしたかったのだと思う。父の死に際に立ち会った母や叔母によれば、父が息をひきとる少し前、開いた左目から、つーっと一筋の涙が流れたそうだ。それを叔母がティッシュで拭くと、突然父の舌が動いた。父が何かを喋ろうとしている様に見えたものの、結局分からずじまい。 恐らく父からの最後の感謝の言葉だったのだろう。
2016.02.22
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今朝日本に帰ってきた。今日は2月16日。本当は今月下旬に帰る予定だったのに、急な知らせが入ったから。父が亡くなった。2月14日の夜のことだ。ある程度の覚悟はしていたが、2度目の脳梗塞で倒れ、入院生活も6年目に入っていた。気力、体力共に限界だったと思う。不思議な父の夢を見たのは1月初旬だった。「あんまりゆっくりしていると、もう会えなくなるよ」と、笑いながらパシールに話しかけたのだ。あれはメッセージだったと今悟る。父は脳梗塞の状態はひどく、耳は聞こえるものの、身体はほとんど動かせなかった。話しかければ目が動き、きちんと聴く反応があった。恐らく、こちらの言う事もある程度は理解していた、と思う。夢だとは言え、パシールに話しかけてくれたのは久しぶり。倒れてからは初めてだ。現実ではないにしろ、パシールは可笑しくて、そして嬉しかった。父の死に顔は、とてもキレイだ。看護師の姪っ子も、これほどキレイな死に顔は、あまり無いと言ってくれた。今日は不謹慎かもしれないが、パシール家の実家は親戚中が集まって、お喋りやトランプで異常な盛り上がり。笑い声が絶えることがない。これでいいのだ。父は91歳の大往生。楽しく別れを告げよう。
2016.02.16
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