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2019年7月27日午後、太宰府跡近くの坂本八幡宮に行きました。新元号「令和」ですが、万葉集の歌にある、大伴旅人(おおとものたびと)が催した「梅花の宴」の32首の序文から決められました。大伴旅人の邸宅が坂本八幡宮辺りにあったと考えられており、坂本八幡宮で「令和」の額を持って記念写真をする人が沢山いました。↑ 太宰府の坂本八幡宮で、「令和」の額を持って記念撮影。↑ 祝新元号「令和」 坂本八幡宮。↑ 坂本八幡宮にて。↑ 「わが岡に さ男鹿来鳴く 初萩の 花嬬問ひに来鳴くさ男鹿 太宰帥 大伴旅人」(わがおかに さおしかきなく はつはぎの はなつまとひに きなくさおしか だざいそのそち おおとものたびと)私の住む岡に牡鹿が来て鳴いている。今年初めての萩の花が咲き、牡鹿がやってきて妻問いをしていることよ。この辺りは、太宰帥 大伴旅人(だざいそち おおとものたびと)の邸跡と伝えられている。旅人邸は、「万葉集の華」ともいうべき梅花の宴が開かれた場所としてよく知られているが、赴任後まもなく妻を亡くした旅人の暮らしは心淋しいものであった。萩の花が咲き初める初秋、牡鹿(おじか)が牝鹿(めじか)を求めて鳴く求婚の甲高い声にも、妻を思う自分の心を重ねずにはおられないのであった。↑ 坂本八幡宮の境内。↑ 坂本八幡宮縁起。この坂本八幡宮は、土地神、産土神として崇拝されている神社で、応神天皇を御祭神としている。平安時代には、この坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされている。古代には大宰府や九州を守護する寺であった四王寺が形を変えてながら、現在では坂本区の鎮守として生き続けている。↑ 新元号「令和」について。平成31年4月1日、日本政府は新たな元号を「令和(れいわ)」ち決定した。天皇陛下即位に合わせ5月1日から使用される「令和」は、645年の「大化」から数えて248番目の元号となる。「令和」の典拠は、1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集「万葉集」に収められた「梅花の歌32首 序文」にある、「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫ず」の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められた【大宰府市のコメント】の一部。万葉集の「梅花の歌」にある「梅花の宴」を主催したのは、万葉集の撰者・大伴家持の父であり、大納言も歴任した、奈良時代初めの政治家として有名な大伴旅人である。彼は、727年頃、太宰府の長官(太宰帥)として赴任し、天平2年(730年)正月13日に、太宰府の役所が管轄した西海道の官人たちを、自ら住まう邸宅に招き、この宴を開いた。↑ 境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は、寺の中心地や結界となる堺に置かれることがある。↑ 太宰府展示館。↑ 帯塚碑。高浜虚子が愛用した「博多帯」を埋めた事を記した石碑。↑ やすみしし わご大君の 食国は 倭も此処も 同じとぞ思ふ 太宰帥 大伴旅人(やすみしし わごおおきみの をすくには やまともここも おなじとぞおもふ だざいそち おおとものたびと)私がお仕えする大君が、安らかにお治めになる国は、中央の大和もここ大宰府も同じ、異なる事は無いと思っている。
2019.08.31
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2019年7月27日午後、福岡市美術館から歩いて西鉄福岡(天神)駅へ行き、太宰府駅まで乗車しました。途中の二日市駅から西鉄の「旅人」に乗るつもりでしたが、車両が見当たりません。確認すると、月に数回ある定期点検の日なので走っていないとの事でした。太宰府駅前から100円のコミュニティーバスに乗り、市内を巡回しながら「大宰府跡」に行きました。「大宰府跡」の広い空間を見渡すと、奈良の平城京跡を見た時の雰囲気を思い出します。↑ 西鉄(西日本鉄道)福岡(天神)駅。「旅人(たびと)」のⅭM。↑ 太宰府駅まで400円。↑ 西鉄福岡(天神)駅の5000型。↑ 西鉄二日市駅。↑ 西鉄二日市駅。↑ 太宰府方面に移動。↑ 太宰府行きのホームに行く。↑ 西鉄太宰府駅着。↑ 太宰府駅構内。↑ 西鉄太宰府駅 令和ゆかりの地。↑ 「旅人(たびと)」ラッピングのバス。↑ 太宰府市コミュニティバス まほろば号に乗る。100円。↑ バスは市内を巡る。町の風景を見ることができて楽しい。↑ バスは西鉄五条駅の踏切を越えていく。↑ 太宰府跡を見るために下車した。↑ 太宰府跡。↑ 特別史跡 太宰府跡。古代、西海道と呼ばれた九州一円を統括していた大宰府は、外交、貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられていた。その機構は中央政府に準じ、地方機関としては最大規模の行政組織を有していた。八世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備される。この建物は藤原純友の乱によって焼き討ちされたが、十世紀後半には再建されたとある。↑ 太宰府政庁跡国空写真。↑ 太宰府政庁復元模型。↑ 太宰府政庁南門跡。南門は政庁の南に開かれた正門で、両側には東西に延びる築地塀(ついじべい)が取りつき、政庁全体を囲んでいた。要人や外国の施設を応援するにふさわしい威容を誇っていたであろう。↑ 南門跡。↑ 礎石が並ぶ。↑ 太宰府跡全景。↑ 脇殿跡。↑ 太宰府政庁正殿跡。大宰府の長官である帥(そち)が政務を執り、これと関わる礼儀や儀式で最も重要な役割を果たした場が正殿である。大宰府は中央政府の縮小版として西海道(九州)の管内諸国を統括していた。
2019.08.30
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2019年7月27日、福岡市美術館に行き、「富野由悠季の世界ーガンダム、イデオン、そして今」を見ました。この展覧会は東京に来ないと知っていたので、福岡でぜひ見ようと思っていました。「機動戦士ガンダム(1979年)」などのガンダムシリーズや、「伝説巨人イデオン(1980年)」、「聖戦士ダンバイン(1983年)など多くのアニメーションの総監督を務めた富野由悠季さんの仕事を回顧する展覧会です。「虫プロダクション」に入社して「鉄腕アトム」制作に関わり、現在までの55年間に渡る仕事を通覧し、実際のアニメ映像、絵コンテ、デザイン画、原画、セル画など展示されていました。鉄腕アトム、海のトリトン、勇者ライディーン、無敵超人ダイターン3、機動戦士ガンダム、伝説巨人イデオン、戦闘メカ ザブングル、聖戦士ダンバイン、重戦機エルガイムなど、昔よく見ていました。展覧会の最初の部屋に入ると、富野由悠季さんの手掛けられた作品の映像が投影され、「セーリング・フライ(作詞:井荻麟(富野由悠季さんの作詞家名)/作曲:すぎやまこういち)の曲が流れていました。昔、伝説巨人イデオンの「接触篇」、「発動篇」を見に映画館へ行った時、開園前の時間に「セーリング・フライ」がずっと流れていたことを思い出しました。会場では、無敵超人ダイターン3の映像が紹介されていました。ダイターン3といえば、人間爆弾の恐怖を思い出しますが、映像で紹介されており、記憶が甦ってきました。↑ 「富野由悠季の世界ーガンダム、イデオン、そして今」 福岡市美術館。↑ イデオン、ライディーン、ザブングル、ダンバイン。↑ 草野彌生さんの作品。↑ 福岡市美術館の入り口。↑ 無敵超人ダイターン3の像。↑ 地下鉄の大濠公園駅。↑ 大濠公園駅から福岡市美術館まで歩いて行く。↑ 大濠公園。↑ 大濠公園内のスターバックス。
2019.08.29
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2019年7月27日、博多駅にて「ななつ星 in 九州」が長崎へ出発するところを見ました。窓越しに部屋の内部も少し見たので紹介します。↑ 「ななつ星」と記念撮影。↑ CRUISE TRAIN / SEVEN STARS IN KYUSYU。 クルーズトレイン ななつ星 in 九州。↑ 「ななつ星」のエンブレム。↑ 窓から部屋を見る。↑ 博多ー長崎。↑ 「ななつ星 ディーゼル機関車 DF200-7000」のエンジン。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【 ななつ星の出発の様子 】
2019.08.28
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2019年7月27日、博多駅にてJR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」を見ました。2013年10月から運行している豪華列車です。以前、由布院で「ななつ星」を見た事があり、これで2回目です。「ななつ星」は、黒い「DE10形ディーゼル機関車DE101209」に牽引されて博多駅に入りました。そして分離されました。「ななつ星」の車体は古代漆色で、車体の漆のコーティングが鏡のようです。隣に「885系かもめ」が到着すると、「ななつ星」の車体に、はっきりと白い「かもめ」の姿が写って見えました。【「ななつ星 in 九州」 DF200形7000番ディーゼル機関車】↑ JR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」。 博多駅にて。↑ DF200形7000番ディーゼル機関車。 古代漆色で車体がコーティングされている。↑ CRUISE TRAIN SEVEN STARS IN KYUSYU. / クルーズトレイン ななつ星 in 九州。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【「DE10形ディーゼル機関車DE101209」】↑ DE10形ディーゼル機関車DE101209が、「ななつ星」を牽引して博多駅に入ってきた。↑ DE10形ディーゼル機関車DE101209。↑ ディーゼル車とななつ星の客車が分離される。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【 特急「かもめ」と「ななつ星」】↑ 「ななつ星」の隣に特急「かもめ」が到着。↑ 「ななつ星」の車体に、特急「かもめ」の白い先頭の姿が写る。↑ 「ななつ星」の車体に、くっきりと特急「かもめ」の白い先頭部が写る。↑ 「ななつ星」の漆色の車体と、窓から漏れる室内の光。
2019.08.27
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2019年7月27日、博多駅でJR九州・783系 みどり号、ハウステンボス号を見ました。列車は佐世保行きです。「ハウステンボス:HUIS TEN BOSHC」はオランダ語で「森の家」という意味です。オランダのデンハーグの森にはオランダ王室のハウステンボス宮殿があります。この森の1キロ先は海岸で、SCHEVENINHEN (スヘフェニンヘン)という地名のビーチがあり、夏になると必ず行きました。日本人はこの地名をわざと(スケベニンゲン)と呼んで面白がります。20年以上前ですが、佐賀県に住んでいたとき、毎日のように長崎本線を走るカラフルなハウステンボス号を見ていました。当時、大学時代のクラブの友人が佐世保に住んでおり、私の長男が生まれて半年を過ぎて落ち着いてきたので、家族でハウステンボス号に乗り、佐世保に行った記憶があります。その時は友人の家に泊まったり、ハウステンボスで遊びました。この友人と最初に出会ったのは広島でした。大学入学時の学部オリエンテーションの時に、名簿の席が隣だったので、話をしたのがきっかけです。当初は彼と私は違うクラブでしたが、彼が誘ってくれたので、一緒のクラブで活動することになりました。大学生活は色々な事がありましたが、今思うとそのクラブで思い出を作ることができて良かったと思います。社会人になり、二人別々の会社で勤務し、疎遠になっていました。ところが、私がオランダで勤務していると、本当に偶然なのですが、彼もオランダに赴任してきて、びっくりしました。時々二人で会い、食事をしたり、オランダ、ベルギー、ドイツなどを車で遊びに行ったりしました。その後、二人とも帰国し、私はシンガポールで勤務することになりますが、彼が休暇を取って遊びに来ました。二人でシンガポールやマレーシアを車で巡り、マラッカで食事をした記憶があります。シンガポールから帰国した後に、私は佐賀県で勤務することになり、彼の佐世保の家に遊びに行きました。また、私の佐賀の家に来てもらった時は、博多にいたクラブの後輩にも声を掛けました。3人が佐賀の家で会って話をする機会が来るとは、本当に不思議な感じでした。その後輩とは年賀状の交換をしていましたが、若くして病気で亡くなったとの連絡を受け、ショックでした。私は佐賀から東京勤務になりましたが、彼も偶然東京勤務になり、私の住んでいる地域に引っ越してきました。家に来てもらったりし、本当に不思議な縁を感じました。その後、彼は福岡に帰りました。そして数年前ですが、彼と博多で久しぶりに会いました。中州川端駅近くのレストランで昼食を取り、櫛田神社の博多祇園山笠を見たり、福岡城を散策したり、大濠公園のスターバックスで飲みながら話しました。クラブのメンバーの消息を沢山聞きながら、いつの間にか自分が歳を取ったことを強く認識しました。時々九州に来て、みどり号、ハウステンボス号を見ると、いつも昔の事を思い出し、懐かしく、そして切なくなります。↑ JR九州・783系 みどりエクスプレス号。↑ HYPER SAROON 783 / ハイパーサルーン 783↑ ミドリエクスプレス号と、ハウステンボス号。↑ MIDORI EXPRESS / みどりエクスプレス。↑ HUIS TEN BOSCH / ハウステンボス号。
2019.08.26
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2019年7月27日、博多駅で「ゆふいんの森」号を見ました。博多と由布院、別府を結びます。以前私は由布院まで乗りました。車両のデザインや雰囲気が良く、とても楽しかったです。妻も母親や親戚と作る女子会で乗った事があり、車内の食事を堪能したそうです。↑ 「ゆふいんの森」号。↑ 「ゆふいんの森」のエンブレム。
2019.08.25
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2019年7月27日、博多駅で「ソニック883系 WONDERLAND EXPRESS」を見ました。1995年に走りはじめ、博多から大分、佐伯を結びます。曲線の多い路線のため、振子式電車が採用され、カーブでもスピードを出して走ることができます。ソニック883系は、車体に「WONDERLAND EXPRESS : ワンダーランド・エクスプレス」、「883 SONIC FAMILY : ソニックファミリー」と記載があります。ソニックファミリーですが、先頭部分の形が違う車両があり、それらを含めてソニックファミリーとしています。写真のソニック883は、ヘッドライトの間に6か所のスリッドがあるので、ファミリーの中の「2次車」です。↑ JR九州・ソニック883系 2次車。↑ 車体に「KYUSYU RAILWAY COMPANY / WONDERLAND EXPRESS / 883 SONIC FAMILY」とある。(JR九州 / ワンダーランド・エクスプレス / 883系 ソニックファミリー)
2019.08.24
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2019年7月27日、博多駅で撮影したJR九州「787系 AROUND THE KYUSYU」です。車体に「SINCE 1992」とあるように、1992年から博多と鹿児島を結ぶ特急「つばめ」としてスタートしました。その後、九州新幹線が2004年に新八代間ー鹿児島間で一部開通すると、新八代駅のホームで車両を乗り換えるリレー列車として博多ー新八代の「リレーつばめ」になりました。2011年に九州新幹線が全線開通すると、新幹線とのリレーは終了し、車体に「AROUND THE KYUSYU」の表記がある通り、今は九州各地を走っています。↑ JR九州・787系 AROUND THE KYUSYU。 博多駅にて。↑ 787 AROUND THE KYUSYUKYUSYU RAILWAY COMPANY 787 LIMITED EXPRESS. / JR九州787特急。↑ 787 AROUND THE KYUSYU.↑ 787 LIMITED EXPRESS. / 787特急。↑ 787 LIMITED EXPRESS SINCE 1992 / 787特急 1992年より運行。↑ 車内。↑ ボックス席。↑ 787系と「ゆふいんの森」号。
2019.08.23
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2019年7月27日、福岡県篠栗町にある南蔵院の釈迦涅槃像、不動明王像をみました。釈迦涅槃像は、全長41メートル、高さ11メートル、重さ300トンで日本一です。南蔵院は長年、ミャンマーやネパールの子供たちのために医療品、ミルクなど必要な物を送っていた所、ミャンマー国仏教会議からお釈迦様、阿難様、目連様の三尊者の仏舎利を受けたので、それを祀る場所として涅槃像が建立されたそうです。↑ 南蔵院 釈迦涅槃像。↑ 五色の布は、お釈迦様が悟りを開いたときに五色の光が現れた事を表現している。↑ 巨大な数珠。↑ 仏足の説明。仏足とはお釈迦様の足跡を石に刻んだもので、お釈迦様の足の裏の相を石に刻み、仏足として礼拝の大賞にしたとされている。足の裏の文様は、お釈迦様の尊い教えと慈悲の心が込められている。↑ 文様の名称。↑ 鐘。↑ 不動明王像。↑ 大聖不動明王。不動明王はさまざまな厄災から人々を助ける仏様。通称お不動さんと呼ばれ人々から親しまれている。怖い顔だが、心は非常にやさしい仏様。背中には仏様の知恵を表す炎があり、この火でけがれ、煩悩を焼き尽くし、右手の剣で「むさぼり、怒り、愚かな考え」を改めさせ、左手の縄で悪をしぼりとり人々を守る。一心に祈ればどんな願い事もかなうと言われている。お不動さんはこのような大きな徳を持った仏様。【御真言】のうまくさんまんだばざらだん、せんだんまかろしやた、そはたやうんたらたかんまん。↑ お百度参りの方法。↑ 不動明王とこの木の周りを回って、お百度参りをする。↑ 不動明王の近くの木だが、落雷で皮が剥がれており、そこに雷神様の彫刻がしてある。↑ 霊場開基・尼僧慈忍(じにん)祈祷の地。ここ不動の滝は、篠栗(ささぐり)四国霊場発顔の地。天保6年(1835年)、尼僧慈忍が本四国霊場巡拝の帰路、篠栗村に立ち寄った所、村人は疫病と飢餓に苦しんでいた。慈忍は疫病退散、村民息災の大願をたて、ここ城戸(きど)不動の滝にこもり、一心に祈祷を続け、弘法大師に救いを求めた。その願いが成就し村は病魔から解放され、平和を取り戻した。慈忍は、この地を弘法大師御請願の実証を得た霊地として、篠栗村に88か所霊場を創設することを発願した。慈忍は志半ばで没したが、この遺志を継いだ藤木藤助(ふじきとうすけ)翁が、村人の有志とともに本四国霊場の砂を持ち帰り、88体の本尊石仏を村内各所に安置して、篠栗四国霊場が創設された。↑ 不動の滝。↑ 第45番札所。↑ 不動霊水窟。↑ 城戸南蔵院前駅から、CT817に乗る。↑ 車内。↑ CT817 博多駅。
2019.08.22
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2019年7月27日、福岡県篠栗町にある高野山真言宗南蔵院に行きました。JR九州福北ゆたか線の「城戸南蔵院前(きどなんぞういんまえ)」駅で下車し、多々良川を越えてすぐに南蔵院があります。南蔵院といえば、住職の林覚乗さんが宝くじ、ナンバーズで約2億円当てた話が有名です。林(はやし)という名前から8、4の数字を大切にされ、宝くじを購入するときも、88組、44組の番号を選んで購入したそうです。宝くじを南蔵院の大黒天の札と一緒にしておくと、一等が当たりました。ナンバーズも購入するとき、好きな88と、奥様の名前(ふみ子さん)から23とし、8823にしたら高額当選したとのことです。私の父は、九州旅行をするたびに、南蔵院に行っています。父から色々話を聞いていたので、今回私も行って見ようと思いました。父は今まで2回ほど、宝くじで100万円を当てています。1回目は私が高校時代でした。私と弟が絶対欲しいとお願いして、高額だったNECのパソコンを買ってもらったり、母が色々支払いがあるといって残りのお金もそれに回したので、結局父親の100万円は家族のために消えてしまいました。父の付け払いは残りました。父は今でも、宝くじが当たったのに、自分の欲しい物は全く買えず、自分の借金は残ったままだったと言っています。そのため、2回目に百万円が当たった時は、私と弟には一切知らされませんでした。↑ JR九州 福北ゆたか線 「城戸南蔵院前(きどなんぞういんまえ)駅」。↑ 境内でのポケモンGOは禁止。↑ 城戸南蔵院前駅正面。↑ 駅から南蔵院までの地図。↑ ピカチュウ?。↑ 駅から道なりに沿って進む。↑ 多々良川の「城戸音橋(メロディブリッジ)」。 マレットがどこにあるか分からなかった。「この音響装置は高品質アルミ板に低温焼鈍及びアルマイト処理を行って、音のひびきや耐久性を良くし、共鳴効果を得るために音板の保護をしていますが、備え付けのマレット以外の物でたたくと、故障の原因となりますのでご協力下さい。右側通行で音板を一回づつ叩いてください。左からではメロディになりません。」↑ 多々良川。↑ 南蔵院の入り口。↑ エリフ ルートの名言「人は失敗するのではない。 努力することをあきらめるのだ。」エリフ ルート(ELIFU ROOT)は、アメリカの国務長官を務め、ノーベル平和賞も受賞した。↑ 南蔵院 境内地図。↑七福神トンネル。↑ トンネルの壁には「仲良し地蔵」のプレートが並び、プレートには仲良しの人の名前が入っている。↑ トンネル内中央にある七福神。↑ 七福神の像。↑ 必勝祈願 プロゴルファー 片山晋呉。↑ トンネルを出た所。↑ 第69代横綱 白鵬。↑ 向かって右が「大黒堂」、左が「妙見堂」。宝くじを大黒堂の札と一緒にしておくと、当たるかも。↑ 涅槃像へ行く道。↑ 三鈷の松。弘法大師(空海)が中国から帰国の時、日本の地に伽藍建立の浄地を求め、空中に投げ上げた三鈷がこの松にかかっていたという伝説による。松の葉が三本になっている珍しさからこの伝説が生まれた。この葉を持っていると「福徳円満がかなう」と珍重されている。↑ 日本一大きい釈迦涅槃像。
2019.08.21
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JR九州BEC819系「DENCHA」の内部は、特急「あそぼーい!」のキャラクターで有名な「くろちゃん:あそ くろえもん」がいっぱいいました。ロングシートのデザインも、場所ごとに違います。水戸岡鋭治さんのデザインです。香椎線で香椎駅から長者原(ちょうじゃばる)駅まで行き、福北ゆたか線に乗り換えます。そして篠栗町にある城戸南蔵院前駅(きどなんぞういんまえ)駅で下車しました。↑ JR九州BEC819系「DENCHA」。↑ 車内には、くろちゃん(あそ くろえもん)がいっぱい。↑ ロングシートには、色々なデザインがある。↑ トイレ。↑ 香椎線の上を山陽新幹線が通る。↑ 優先席。↑ ゴミ箱がある。↑ 長者原(ちょうじゃばる)駅。↑ 駅表示のマークは、長者原駅のある粕屋(かすや:KASUYA)町の英語頭文字「K」を音符で表して作られた。↑ 長者原駅で、香椎線と福北ゆたか線が交差しており、乗り換えられる。↑ 長者原駅。↑ 駅前の風景。↑ JR九州813系。↑ 篠栗(ささぐり)駅。↑ 城戸南蔵院前(きどなんぞういんまえ)駅で下車する。
2019.08.20
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2019年7月27日、「DENCHA」を見るため、博多駅から813系に乗って福岡市東区の香椎駅へ移動しました。「DENCHA :”D"ual "EN"ergy "CHA"rge train 」はJR九州BEC819系で、交流用蓄電池駆動電車です。架線のある区間では交流電力で走行しながら、バッテリーに充電します。架線の無い区間では、パンタグラフを下げてバッテリーの電力で走ります。環境に優しい電車で、車体は白に地球を表した青色です。デザインは水戸岡鋭治さんがされています。香椎駅では当然ながら「DENCHA」だらけでした。「DENCHA」の連結作業があり、連結が不完全だったのでやり直しをしていました。↑ 福岡県博多市東区 JR九州香椎駅。↑ 香椎宮が近くにある。↑ 博多駅から香椎駅まで、JR九州813系に乗車してきた。↑ 813系の車内。↑ 中央は813系、右側はDENCHA 819系。↑ DENCHA 819系。↑ DENCHA BEC819系の外装。 デザインは水戸岡鋭治さん。↑ DENCHA のマークがかわいい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【DENCHAの連結風景】↑ 連結開始。 正面のドアが開いている。↑ 作業される方の緑の旗が見える。↑ 完全に連結されているか確認する。↑ 連結が不完全だったので、再度車両を離す事になった。↑ 車両が離れていく。↑ 再度連結を試みる。↑ 無事連結が完了した。
2019.08.19
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2019年7月27日、朝5時過ぎに博多駅筑紫口へ行き、有名な「博多駅の変なエスカレーター」を見ました。市営地下鉄の地下通路から地上1階に上がるためにエスカレーターが設置されていますが、途中の踊り場までしかなく、残りは階段を歩かないといけません。元々、1階から踊り場まではJR西日本が階段を設置していました。しかし地下鉄が開通し、踊り場から地下鉄通路まで、市営地下鉄が階段を造ったとき、市の部分だけエスカレーターを1基設置しました。30年間この状態が続いていましたが、2019年5月に市交通局とJR西日本が、残りの部分もエスカレーターを設置することで合意し、工事が始まるとのニュースを見ました。昔は、このエスカレーターが途中しかないことを不思議に思っていましたが、いつしか当たり前になっていました。エスカレーターが1階まで設置されると、重い荷物を持った人は楽になると思います。↑ JR博多駅・筑紫口。↑ 3つ並ぶポスト。↑ 市営地下鉄通路から、1階のJR博多駅コンコースに進むエスカレーター。↑ 「このエスカレーターは途中から階段になります」という注意書きがある。↑ エスカレーターに乗る。↑ エスカレーターが終り、階段が見えてきた。↑ 踊り場と階段が見える。がっかりする人が多い。↑ 1階から地下鉄通路を見る。 ↑ 朝5時10分頃。 博多駅にほとんど人がいない。↑ 新幹線のりば。(ひかり広場改札口)。↑ 新幹線のりば。(中央改札口)。
2019.08.18
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妻の友人から、山口県下松市にある日立製作所(笠戸事業所)で製造された車両が、敷地内から山陽本線に行くため、県道366号線を越える時の写真を色々頂きました。面白い車両の写真があるので、少しずつ紹介したいと思います。添付の写真は、JR九州・BEC819系電車「DENCHA」です。近郊型交流蓄電池駆動電車「"D"UAL "EN"ERGY "CHA"RGE TRAIN」の略名が「DENCHA」で、今まで非電化区間は気動車を使っていましたが、次世代車両として家電式蓄電電車を投入することになりました。架線のある区間は、交流電力で走るとともに、電気をバッテリーに充電もします。架線の無い区間は、パンタグラフを下げて、蓄電池に貯めた電気で走ります。2016年から導入され、車両はJR九州の若松線、香椎線で走っており、一度見てみたいと思いました。それから、JR九州の青いCT車両の写真があったので紹介します。CTはJR九州の「コミュータートレイン(COMMUTER TRAIN)」で、近距離輸送の車両です。CTが青いのは、鹿児島車両所属を表しています。鹿児島本線でいつも見ています。車両は817系だと思うのですが、もし815系でしたらすみません。1)「DENCHA」↑ 「DENCHA」が山口県下松市の日立製作所笠戸事業所から県道366号線を横切って行く。県道は交通止めとなる。↑ JR九州 BEC819系電車「DENCHA」。2)JR九州 CT817系。 (815系でしたら、すみません)
2019.08.17
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2019年7月26日、JR九州の「JR九州 Waku Waku Trip 新幹線 つばめ800系」(ミッキーマウス新幹線 第1弾)に新鳥栖駅から乗車しました。ミッキーマウスいっぱいの車内の様子です。↑ 新鳥栖駅に入ってきたJR九州新幹線「つばめ 800系」。↑ ミッキーマウスのラッピング。↑ 電話部屋。↑ 洗面台。↑ ミッキーマウスのスクリーンデビュー90周年を記念して、九州新幹線で旅に出る「Go! Waku Waku Trip MICKEY」プロジェクトがスタート!楽しいことが大好きなミッキーマウスが、わくわくのつまった九州へ!カンカン帽とトランクを準備して、出発進行! 他にもInstagramキャンペーンをはじめ、だれもが楽しめるわくわくがいっぱいです。今回使用されるミッキーマウスは、すべて「Go! Waku Waku Trip MICKEY」のためにだけ描かれたスペシャルアート。九州新幹線だけでしか見ることができないミッキーマウスが、みんなの目の前にたくさん登場します。さあ、ミッキーマウスと一緒に、みんなも最高のわくわくを探しに旅へ出かけよう!↑ お手紙を書くってわくわくするね。/ 旅って楽しい。↑ わくわくする旅へ、みんなで一緒に冒険しようよ! / わくわくを発見!↑ どんな景色が見えるかな? / わくわくの旅へ出発!↑ トランクには九州のわくわくがいっぱい。みんなはどんなわくわくを集められるかな?↑ まちがいい探し。(A)隣り合わせの2枚のアートAとBを見比べてみよう。Bはどこが間違っているかな?↑ まちがい探し(B)↑ まちがいい探し。(A)隣り合わせの2枚のアートAとBを見比べてみよう。Bはどこが間違っているかな?↑ まちがい探し(B)↑ 問題 : ミッキーの名づけ親はだれ? 答えは後ろのパネルを見てね!↑ 問題 : ミッキーの最初のセリフはなあに? 答えは後ろのパネルを見てね!↑ 問題 : ミニーがミッキーのお誕生日に何をプレゼントした(1931年)? 答えは後ろのパネルを見てね!↑ 質問 : ミッキーの初代声優はだれ? 答え : ミッキーの初代声優はウォルトディズニー。ミッキーの声を、ウォルト・ディズニー自身が務めていたことは、よく知られています。ミッキーのデビュー当時は予算がなかったこともあり、ウォルトは、「どうせいつもスタジオにいるのだから、自分でやればいい」と考えたようです。甲高い裏声で、20年近くもミッキーの声を演じ続けました。ミッキーはウォルトの分身ともいわれ、ミッキーを描くアニメーターが、セリフを録音中のウォルトの表情を参考にすることもあったとか。
2019.08.16
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2019年7月26日、JR九州の「JR九州 Waku Waku Trip 新幹線」(ミッキーマウス新幹線 第1弾)に乗り、新鳥栖から博多まで移動しました。ミッキーマウス新幹線の数は限られているので、JR九州のホームページにある運行スケジュールを見て、乗車時間を決めました。JR九州が、ミッキーマウスのスクリーンデビュー90周年を記念して、「Go! Waku Waku Trip with MICKEY」と銘打ち、九州新幹線とコラボしました。JR九州800系新幹線(6両編成)の車体には、ミッキーが九州を旅行する姿がラッピングされており、見るだけでも楽しいです。2019年5月17日から第1弾ミッキー新幹線が運行開始しています。第2弾ミッキー新幹線は、2019年8月1日から運行します。↑ 博多駅にて、ミッキーマウス新幹線第1弾と記念撮影。6号車付近。正式には、「JR九州 Waku Waku Trip 新幹線」。↑ 博多駅のJR九州800系新幹線。車体にミッキーマウスがラッピングされている。↑ 1号車。↑ 2号車。↑ 3号車。↑ 4号車。↑ 5号車。↑ 6号車。
2019.08.15
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河合奈保子さんと柏原芳恵さんは、色々な海外の地域を訪れています。切り抜き、写真集、TV番組などを見て、分かる範囲で、二人とも行ったことがある地域を紹介します。フランス・シャモニー、パリ、(TGV高速鉄道)、ジュネーブ、香港、ロサンゼルス、ハワイ、グアム、サイパン、オーストラリアです。以前、河合奈保子さんと松田聖子さんが二人とも行った事がある地域をブログに書いたことがありますが、今回も奈保子さん、芳恵さんが訪れた地域の資料を見ると、二人とも笑顔が素敵で、旅の楽しさが伝わってきます。1) 【フランス・シャモニー】 【河合奈保子さん】↑ フランス・シャモニー近くの「レ・プラ教会(LES PRAZ CHURCH)」前にて。曇っており残念だが、もし晴れていれば、フランスアルプスの「エギーユ・デュ・ドリュ(AIGUILLE DU DRU) 3,554m」、「エギーユ・ヴェルト(AIGUILLE VERTE) 4,122m」の鋭い峰が背景に見える。オランダに住んでいたとき、シャモニーに2回ほど行き、この場所で写真を撮った事がある。↑「素敵な時間 河合奈保子写真集 撮影・黒坂了司/ワニブックス/昭和58年(1983年)10月20日発売」。ヨーロッパでの奈保子さんの写真が入っている。シャモニー、アムステルダム、ニースなどでの楽しそうな奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ フランス・シャモニーにあるエグリース広場近くの柏原芳恵さん。芳恵さんの後ろにあるのは、カトリック・サン・ミッシェル教会(Eglise Catholique Saint Michel)。↑ シャモニーからロープウェーで「エギーユ・デュ・ミニ(AIGUILLE DU MIDI) 3,842m」展望台に行った芳恵さん。ここから、モンブランを望むことができる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)【パリ】【河合奈保子さん】 「世界ウルルン滞在記」より。↑ パリ・セーヌ川のアール橋(PONT DES ARTS)に立つ奈保子さん。後ろはヌフ橋(PONT NEUF)と、シテ島(ILE DE LA CITE)。↑ 後ろのシテ島には、2019年4月15日に火災が発生したノートルダム大聖堂がある。【柏原芳恵さん】↑ 夜のパリ・シャンゼリゼ通りの柏原芳恵さん。後ろに凱旋門が見える。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3)【フランス TGV高速鉄道】【河合奈保子さん】 「世界ウルルン滞在記」より。↑ フランス高速鉄道「TGV:TRAIN A GRANDE VITESSE」に乗車する奈保子さん。↑ TGV車両内で食事をする奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ TGVと芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4)【スイス・ジュネーブ/レマン湖】【河合奈保子さん】 「出たMONO勝負」より。↑ スイス・ジュネーブの街並み。↑ ジュネーブ・レマン湖のほとりに立つ奈保子さん。レマン湖の大噴水を紹介した。↑ レマン湖の世界一の大噴水。140mまでポンプで水が吹き上がる。↑ ジュネーブにある世界初の花時計。直径5メートル。↑ 花時計を紹介する奈保子さん。↑ 笑顔が素敵な奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ ジュネーブの花時計と芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーー5)【香港】【河合奈保子さん】 「ASIAN MUSIC SCENE 1991」。香港で熱唱する奈保子さん。↑ 香港コロシアム(HONG KONG COLISEUM) で、 「エスカレーション」を歌う奈保子さん。↑「アンバランス」を歌う奈保子さん。↑ 「デビュー FRY ME TO LOVE」、「THROUGH THE WINDOW ~月に降る雪~」も歌う。↑ 電子ピアノを弾きながら「ハーフムーン・セレナーデ (HALF MOON SERENADE)」を歌う奈保子さん。奈保子さんが作曲し、中華圏では「半月小夜曲」としてカバーされて大変有名な曲。↑ 「半月小夜曲」を熱唱する奈保子さん。↑ 香港の会場で奈保子さんの「半月小夜曲」(ハーフムーン・セレナーデ)が紹介されると、会場から大きな拍手が起こった。↑ 「半月小夜曲」を熱唱する奈保子さん。↑ 「命の響きに満ちる夢」。【柏原芳恵さん】↑ 香港・アバディーンの芳恵さん。 「幸会我係(はじめまして)柏原芳恵」。 ↑ 芳恵さんが、香港・クイーンエリザベス・スタジアムでコンサートを開いた。【追加 : 北京】↑ 北京・天安門広場のよしえさん。↑ 万里の長城とよしえさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6)【ロサンゼルス】↑ 「河合奈保子写真集 PART7 デラックス近代映画/近代映画社。 ↑ ロサンゼルスの奈保子さん。ロスでアメリカでのセカンドアルバム「NINE HALF」を制作した。I think that Ms. Naoko Kawai is one of the best artists and she has made us very happy by her singing songs, her talented perfomance, especially her beautiful cute smile.I am full of happines with the fact that I could live in roughly the same period as her.【柏原芳恵さん】↑ ロサンゼルスの柏原芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー7)【ハワイ】【河合奈保子さん】↑ ハワイ・カウアイ島の奈保子さんの記事。【柏原よしえさん】↑ ハワイのよしえさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8)【グアム】【河合奈保子さん】↑ グアムの奈保子さん。 グアムには何度も行っており、沢山記事が残っている。↑ 「NAOKO PHOTO MESSAGE / 近代映画社/ 昭和56年(1981年)8月5日発行」。↑ グアムの奈保子さん。 この写真集が一番気に入っている。笑顔の奈保子さんが満載。【柏原芳恵さん】↑ グアムの芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーー9)【サイパン】【河合奈保子さん】↑ サイパンの奈保子さん。【柏原よしえさん】↑ サイパンのよしえさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(10)【オーストラリア】↑ 河合奈保子写真集 PART5 / 近代映画社 /昭和59年(1984年)4月15日発行。 ↑ オーストラリアのコアラと奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ 柏原芳恵さんが、1990年8月26日、「’90 オーストラリアン・サファリ」で、33位完走した事が書いてある。記事によると、シドニーからオーストラリア北端のダーウィンまで、6,500kmを走破するラリーで、昼と夜の気温差が30度を超える砂漠地帯を走る。芳恵さんのチームの名前は「ハロー・グッバイ」で、大部分を芳恵さんが運転した。ラリーの最中はほとんどシャワーを浴びられないキャンプ生活をし、9日目にゴールインした。31台がリタイヤし、完走48台中、33位でのゴールインであった。↑「朝日と夕日の美しさは最高でした」。完走後の芳恵さんのコメント。
2019.08.14
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河合奈保子さんと柏原芳恵さんが一緒に出演している歌番組、バラエティ番組は結構ありました。一部を紹介します。1)1984年1月の「ザ・トップテン」に、奈保子さんと芳恵さんが着物姿で並んで登場した。奈保子さんは正月休みにハワイへ行っており、本当なら前日帰国予定だったが、飛行機の故障で予定が1日ずれ、本番当日帰国し、急いでスタジオに駆け付けた。芳恵さんは4年ぶりに両親と一緒にゆっくりとした正月を迎えたとの事。奈保子さんは司会の堺正章さん、榊原郁恵さんにハワイのプレゼントを渡していた。この日の6位は柏原芳恵さんの「カム・フラージュ」、5位は河合奈保子さんの「疑問符」。↑ ザ・トップテンのスタジオにて。河合奈保子さんと柏原芳恵さんの両側は、司会の堺正章さん、榊原郁恵さん。↑ 河合奈保子さんと柏原芳恵さん。 ↑ 奈保子さんが、ハワイの飛行機の故障で帰国が1日遅れ、先ほど空港に着いて、すぐにスタジオに向かった話をした。驚いた表情の芳恵さん。↑ 河合奈保子さん。↑ 柏原芳恵さん。(2)「紅白歌のベストテン」の河合奈保子さんと柏原芳恵さん。↑ 司会の堺正章さん、榊原郁恵さんと二人が話をしている。二人とも新人賞の候補になっていると紹介されていた。ボードに歌手へのアンケート結果がシートで隠されており、堺正章さんが司会をしながらそのシートを取っては結果を紹介していた。「もし歌手にならなかったら何になっていたでしょう」という質問については、奈保子さんの欄は「スキーの先生」になっていた。それ以降の項目についてシートを取ると、全て「よくわからない」と書いてあり、観客の笑いを誘った。奈保子さんは苦笑いをしていた。奈保子さんの答えではなく、会場を笑わせようとしたスタッフが「よくわからない」と書いたのではないかと思う。最初の「スキーの先生」の答えも怪しい気がする。↑ 歌手にならなかったら何になっていたかという欄で、「スキーの先生」と紹介された時の奈保子さん。↑ その後は、奈保子さんの欄には全て「よくわからない」と記載あり、堺正章さんがそれを声に出して読んだ。↑ 「よくわからない」と紹介されるたびに、苦笑いをする奈保子さん。3)「ヤンヤン歌のスタジオ」のスター失敗名場面。河合奈保子さんと柏原芳恵さんが出演。奈保子さんが「沢田君を留学させないわ」と言うべきところ、「沢田君を大学に行かせないわ」と言ってしまい、間違いに気が付いたが正しい単語が出てこず、「留学」というセリフを教えてもらい、言い直す。ところがこんどは柏原芳恵さんがセリフを忘れてしまい、結局最初からやり直しとなる。奈保子さんと芳恵さんの顔の表情が豊かで、見るだけで楽しくなるコント。↑ 沢田君が留学するというので、河合奈保子さんと柏原芳恵さんが止めさせようと考え、「ダメ―」と言いながら教室に入ってくる。↑ 芳恵さんが再び「ダメ―」と言う。↑ 奈保子さんが「沢田君を大学へ行かせないわ」と言う。↑ 「えっ」と言われる奈保子さん。↑ 自分の間違いに気づき、「じゃなかった!!」と言う奈保子さん。↑ 手で耳を抑える奈保子さん。↑ 正しいセリフを忘れた奈保子さんに、「留学だろ」と助けの声が出た。↑ 「留学だろ」との助け舟に「えっ、そうそうそう」と思わす答える奈保子さん。↑ 改めて、「沢田君を留学させないわ」と正しいセリフを言う奈保子さん。↑ 正しいセリフを言えて、ほっとする奈保子さん。↑ 芳恵さんが「私たち・・・」と言った後、セリフが出てこず、「なんか忘れちゃった」と言った。↑ 一生懸命セリフを思い出そうとする芳恵さん。 セリフを忘れた芳恵さんに吹き出して画面から外れた奈保子さん。↑ 考えてもセリフが出てこない芳恵さん。心配する奈保子さん。↑ 「ダメじゃないか」と、あのねのねの清水国明さんのダメ出しが入る。↑ ダメ出しに爆笑する皆さん。↑ 最初から演技することになり、「すみません」と謝る奈保子さん。4)「ピンキーパンチ大逆転」 主人公だった柏原よしえさん、松本伊代さん。ロリータ星からよしえさん、伊代さんが地球に派遣され、悪と闘う設定。この回は「ロリータ星危機一髪」という話。奈保子さんはロリータ星の女王の役。↑ 1982万光年離れた「ロリータ星」から地球に派遣された柏原よしえさん、松本伊代さん。↑ ロリータ星女王の河合奈保子さんと通信した。↑ 「ピンキーパンチ」の掛け声で、宇宙戦士に変身する。↑ 出演した3人の紹介。石川秀美さん、河合奈保子さん、小泉今日子さん。↑ 左から松本伊代さん、柏原よしえさん、ウェディングドレスを着た河合奈保子さん。↑ 闘う伊代さんとよしえさん。↑ ロリータ星女王の奈保子さん。
2019.08.13
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柏原芳恵さんは沢山の歌を歌われていますが、私のお気に入りは3曲あります。一番好きな歌は「花梨」です。1982年10月にリリースされた歌です。高校時代にこの曲が流れ、歌詞とメロディーが心に残りました。恋心を持った幼なじみが東京に行き、手紙を必ず書くと言った言葉を信じて、手紙をずっと待ち続けている切ない歌です。当時、カセットテープに曲を入れて何度も聴きました。柏原さんはこの「花梨」の時に、「柏原よしえ」から「柏原芳恵」に変えています。2曲目は「渚のシンデレラ」です。夏らしい明るい歌です。3曲目は「ハロー・グッバイ」です。「紅茶の美味しい喫茶店~」は、自然に口から出ます。(1)「花梨」 柏原芳恵。 夜のヒットスタジオにて。「花梨」 柏原芳恵。 夜のヒットスタジオにて。(2)「渚のシンデレラ」 柏原よしえ。 夜のヒットスタジオにて。(3)「ハロー・グッバイ」 柏原よしえ。 レッツゴー・ヤングより。
2019.08.12
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柏原よしえさんは大阪府大阪市出身で、1965年10月1日生まれです。1979年秋に「スター誕生!」でグランドチャンピオンに輝き、1980年6月1日に14歳で「NO.1」を歌ってデビューしました。河合奈保子さんも大阪市出身で、1980年6月1日に16歳で、「大きな森の小さなお家」でデビューしており、デビュー日が同じです。「ナオナオ」、「ヨシヨシ」とお互いを呼び合い、仲が良かったです。柏原よしえさんは、途中から芸名を「柏原芳恵」に変えています。昔の切り抜きの一部です。↑ 1981年10月1日、柏原よしえさんの16歳の誕生パーティーに駆け付けた河合奈保子さん。プレゼントのオルゴール人形をよしえさんに渡す。奈保子さんは次の仕事が入っているので、10月6日に改めて会う事を約束して別れた。しかし、奈保子さんは10月5日、NHKで「レッツゴーヤング」のリハーサル中、ステージから、4メートル下に降りていた小ぜりに転落し、救急車で病院に運ばれる事故に遭い、6日にパーティーをすることができなくなった。↑ 奈保子さんとよしえさん。「ナオナオ」、「ヨシヨシ」と呼び合い、仲が良かった。↑ 河合奈保子さんが描いた、柏原よしえさんの絵。↑ 15歳の柏原よしえさん。↑ 当時は中学生だった。↑ 近代映画の切り抜き。 愛宕神社の巫女姿。↑ プールに飛び込む奈保子さんとよしえさん。↑ 水泳大会にて。
2019.08.11
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週刊ポスト 2019年8・16/23号(2019年8月5日発行)を購入し、「創刊50周年 週刊ポストの『顔』になった女優41人」の河合奈保子さんの部分を見ました。2019年8月5日の新聞(朝日新聞)には、週刊ポストの広告に河合奈保子さんの名前が無く、雑誌の表紙にも記載が無かったので購入しませんでした。しかし、2019年8月9日の新聞広告には河合奈保子さんの記載があったので、すぐに本屋に行きました。週刊ポスト1982年2月12日号で、河合奈保子さんが表紙を飾っていたことが紹介されています。↑ 週刊ポスト 2019年8・16/23号(2019年8月5日発行)。↑ 2019年8月5日 週刊ポストの広告(朝日新聞)。奈保子さんの記載は無し。↑ 2019年8月9日 週刊ポストの広告(朝日新聞)。奈保子さんの記載があったので、購入した。↑ 週刊ポスト 創刊50周年 特別復刻グラビア。 週刊ポストの「顔」になった41人の女優。吉永小百合、夏目雅子、岡田奈々、河合奈保子、後藤久美子、関根恵子、藤原紀香、松嶋菜々子、石原さとみ、綾瀬はるか。↑ 週刊ポスト 1982年2月12日号。 河合奈保子 80年に歌手デビュー。81年の「スマイルフォーミー」で紅白初出場。
2019.08.10
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2019年7月25日17時過ぎに京都駅に行き、パンダくろしお「Smile アドベンチャートレイン」号を撮影しました。和歌山県白浜町のテーマパーク「アドベンチャーワールド」とJR西日本がコラボし、特急くろしお287系をラッピングしています。正面がパンダ顔です。アドベンチャーワールドといえば、パンダ数が日本一です。以前TV番組で、父パンダ「永明」がメスに優しく、繁殖がとてもうまくいくと紹介されていました。↑ パンダくろしお「Smile アドベンチャートレイン」号。 京都駅にて。↑ 車両が動き始める。
2019.08.09
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2019年7月25日、鞍馬駅から鞍馬寺へ行きました。仁王門を過ぎると、由岐神社があります。毎年10月22日に、京都三大奇祭である「鞍馬の火祭」が行われる場所です。九十九折りの道を上がると、約30分で鞍馬寺金堂に着きます。本堂前には、星曼荼羅を模した金剛床(こんごうしょう)があります。比叡山の鉄塔が遠くに見えました。奥の院に行く道を進むと、与謝野晶子、鉄幹の歌碑や、霊宝殿があります。山道を上がると、牛若丸(源義経)が鞍馬天狗の僧正坊(そうじょうぼう)と修行をしたという木の根道が続きます。奥の院の魔王殿まであと400mの所まで歩いたのですが、それから貴船神社に行き、貴船口駅まで歩くのか、鞍馬駅まで戻るか迷ってしまいました。この日は佐賀県まで移動する予定だったので、知っている道を引き返し、鞍馬駅まで戻りました。貴船神社は、また次の機会に行きたいと思います。↑ ようこそ天狗の町 鞍馬へ。大天狗の顔。↑ 叡山電車鞍馬線 鞍馬駅。↑ 鞍馬駅から鞍馬寺や霊宝殿への地図。↑ 仁王門の入り口。↑ 仁王門。↑ 鞍馬寺。↑ 坂を上っていく。↑ 魔王の瀧の案内。↑ 魔王の瀧。↑ 由岐神社。↑ 由岐神社。↑ 重要文化財 狛犬。↑ 義経公供養塔。 800年あまり前、牛若丸が遮那王と名乗り、7歳の頃から10年間、昼は学問、夜は武芸に励んだときに住んだ東光坊の旧跡。義経公を偲んで、昭和15年に供養塔が建てられた。↑ 中門。↑ 九十九折の坂。↑ 転法輪堂。↑ 鞍馬寺本殿金堂。手前は星曼荼羅の金剛床。↑ 景色の案内。 比叡山が書いてある。↑ 奥が比叡山。↑ 比叡山。 画面右から、比叡山のロープウェイ駅、鉄塔、ガーデンミュージアム比叡の建物。↑ 竜ヶ岳。↑ 阿吽(あうん)の虎の「阿(あ)」。口が開いている。↑ 「阿(あ)」の虎。↑ 阿吽(あうん)の虎の「吽(うん)」。口が閉じている。↑ 「吽(うん)」の虎。↑ 鞍馬寺本坊。↑ 奥の院参道を進む。↑ 奥の院へ続く道。↑ 与謝野晶子、鉄幹の歌碑の紹介。↑ 与謝野晶子の歌碑。 「何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」↑ 与謝野鉄幹の歌碑。「遮那王が背比べ石を山に見て わが心なほ明日を待つかな」↑ 霊宝殿。↑ 木の根道が続く。 奥の院魔王殿まで400mの所で、残念ながら引き返した。↑ 来た道を戻った。↑ 鞍馬駅。 漫画「であいもん」と叡電のコラボ。雪平一果。↑ 大天狗。↑ 「舎那王於鞍馬山学武術の圖」源氏の子という己の出自を知り、平家打倒に夢を馳せた義経は、夜な夜な住まいの東光坊から厳しい鞍馬山の木の根道を駆け抜け、僧正ガ谷で天狗との剣術修行に燃えた。
2019.08.08
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2019年7月25日午後、叡山電鉄「宝ヶ池駅」で、「ひえい」から展望列車「きらら」に乗り換えて、鞍馬駅へ行きました。叡山電鉄「きらら」903、904号は連結されており、メープルオレンジカラーの車体です。「きらら」は、木漏れ日のキラキラした光のイメージや、沿線の修学院から比叡山に向かう道が「雲母(きらら)坂」と呼ばれている事から、名付けられました。車両の8席はガラス窓に向かって設置されており、座れば車窓をずっと堪能することができます。↑ 叡山電鉄展望列車「きらら」。 宝ヶ池駅にて。↑ 叡山電鉄 宝ヶ池駅。↑ 叡山電鉄路線図。 赤色が鞍馬線。↑ 「きらら」の車内。↑ きららの運転席。↑ 左側に、京都市東北部クリーンセンターの煙突が見えてきた。延暦寺の山からすぐに見つけることができる、とても分かりやすい目印。↑ 京都市東北部クリーンセンター。↑ 市原駅。 奥の山は採石場。↑ 貴船口駅。↑ 「きらら」のシート。↑ 車両に8席ほど、窓に向けて設置されたシートがある。↑ 終点の鞍馬駅。↑ 「きらら」904号。↑ 鞍馬線開通90年。↑「きらら」903号。↑ きらら903号、904号の連結。↑ 鞍馬駅。↑ 大天狗、烏天狗。↑ 鞍馬駅周辺の地図。↑ きららのシートに座って車窓の写真を撮る。カメラはCanon Power Shot SX720 HS。
2019.08.07
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ケーブル比叡駅の駅舎内に「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)写真館」があり、写真家の打田浩一さんが撮影された光永覚道・大阿闍梨(だいあじゃり)の修行写真が沢山展示されていました。平成2年9月18日、千日回峰行を満了された光永覚道氏は大阿闍梨になられました。千日回峰行は比叡山で7年にわたって行われる修行で、毎日深夜2時に出発し、真言を唱えながら7里半の山道を歩きながら260か所を礼拝していきます。5年目に700日を達成すると、「堂入り」という厳しい修行を行います。明王堂で9日間、断食、断水、不眠、不臥のまま真言を唱え続け、深夜には水を汲んで不動明王に供えることになっています。堂入り後3~4日すると、体から死臭が漂ってきて、水汲みで歩くだけでも大変になりますが、逆に精神は研ぎ澄まされていくそうです。以前、仕事の事で本当に悩んでいたとき、取引先の方から何かヒントになるかもしれないと言われ、二千日回峰行者である酒井雄哉(さかいゆうさい)大阿闍梨の書かれた本をプレゼントされたので読んでみました。海軍入隊や、戦後の商売や借金の事、奥様の事や、その後僧侶として修業をし、厳しい行を行ってきたことが書いてありました。1980年、1987年にそれぞれ千日回峰行を達成されています。自分が想像したことも無い人生がそこに書かれてあり、驚きました。↑ 千日回峰行写真館。 (ケーブル比叡駅舎内)↑ 光永覚道・大阿闍梨 / 撮影 打田浩一。平成2年9月18日 千日回峰行満行「大阿闍梨」となる。【千日回峰行】 最澄が「山家学生式」の中で、12年間山にこもって修行せよと定めてから40年後、相応和尚が始めた荒行が「千日回峰行」である。回峰行は7年かけて行われ、3年目までは各100日間、4~5年目までは各200日間、6年目は100日間、7年目は200日間、合わせて1,000日間行う。行中は病気やケガなどいかなる理由があっても休むことも許されず、途中で止めることは死を意味する。深夜に起きて所定のお勤めを済ませてから素足にわらじ履きで出発。歩く距離は1日およそ30キロ、礼拝する地点はおよそ260か所、同じルートを雨の日も風の日も同じ時間に飛ぶように歩き続ける。その他「堂入り」といって9日間本堂の明王堂に参籠して「断食、断水、不眠、不臥」して念仏修法に専念する。回峰行の後半、人のために祈りの行である「京都大廻り」や十万枚の「大護摩供」など厳しい荒行を満行した行者が最高の敬意を込めて「大阿闍梨(だいあじゃり)」と呼ばれる。↑ 叡山ケーブル・ロープウェイ 鉄道むすめ 八瀬かえで。(ケーブル比叡駅舎内)↑ 京阪バス。延暦寺バス停から叡山ロープウェイ駅近くまで乗車した。↑ バスからの景色。 琵琶湖と近江大橋。奥には瀬田の唐橋や、紫式部が源氏物語を書いた石山寺がある。↑ 琵琶湖の湖畔と大津市街。 中央より下部分の森に三井寺がある。↑ 「うさぎ跳びで約5分」。バス停から叡山ロープウェイ駅へ移動するときに見た案内。歩くとすぐに着く。↑ 叡山ケーブルカー 比叡山頂駅。↑ 叡山ロープウェイ駅からの景色。 京都府左京区岩倉。右上にクリーンセンターの煙突が見える。↑ 岩倉東公園。↑ 同志社小学、中学、高校。↑ グランドプリンスホテル京都。↑ 中央部分を左右に鴨川が流れている。木々が川沿いに並んでいるので場所が分かる。中央右側の森には、上賀茂神社がある。↑ 京都市立北稜高校とグラウンド。 この近くに京都精華大学がある。↑ 左上は京都市立北稜高校とグラウンド。右の線路は叡山鉄道鞍馬線。左下は岩倉東公園。↑ 右側の線路は、叡山鉄道鞍馬線。 途中に木野駅がある。右上の山の影に、京都精華大学があり、鞍馬線「京都精華前駅」がある。↑ 中央奥は、総合地球環境学研究所。 右の山の影には、京都精華大学がある。↑ 左京区岩倉。中央山の麓に、岩倉具視幽棲旧宅がある。↑ 左京区市原にあるクリーンセンター。 煙突が遠くからでも良く目立つ。叡山鉄道鞍馬線・市原駅の近く。↑ 比叡ケーブル比叡駅近くのパノラマ広場。↑ 左京区岩倉。↑ 山には京都市宝ヶ池公園がある。↑ 京都工芸繊維大学。↑ 左京区高野。↑ 中央は下加茂神社の森。それを挟むように、手前は高野川、向こうは鴨川が流れている。↑ 叡山鉄道叡山本線で、画面上部の線路が曲がっている部分に、三宅八幡駅がある。↑ 左京区高野。 高野川と叡山電鉄叡山本線。三宅八幡駅近く。↑ 上高野沢淵町付近。↑ ケーブル比叡駅。↑ 叡山電車「ひえい」。↑ ひえい。
2019.08.06
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2019年7月25日、比叡山延暦寺の東塔地域を歩きました。東塔地域は最澄(伝教大師)が延暦寺を開いた発祥の地です。阿弥陀堂、東塔、大講堂、根本中堂、文殊楼、延暦寺会館を見ました。根本中堂は2016年から10年間にわたる大改修がされており、その様子を一部見ることができます。大講堂の近くには天台宗祈念碑や、修禅大師義真尊者顕彰碑があり、中国から来られた宗教家達が記念写真を撮っていました。中学校の修学旅行で、延暦寺会館に宿泊した記憶があります。真夜中に窓の外をを覗くと、杉に巨大な蝉人間が止まっているように見えてびっくりしましたが、朝に見ると、巨大なコブでした。座禅を組み、体験として棒で肩を叩いて頂いた記憶が残っています。↑ 延暦寺の阿弥陀堂で記念撮影。↑ 阿弥陀堂と東塔。↑ 東塔。↑ 戒壇院。↑ 大講堂で記念撮影。↑ 大講堂。↑ 最澄像。(伝教大師童形像)。↑ 根本中堂。 最澄が788年に創建したお堂で、国宝に指定されている。2016年より約10年に及ぶ大改修が行われており、一部改修の様子を見ることができる。↑ 根本中堂。(総本堂)。↑ 改修の様子。↑ 根本中堂から文殊楼へ進む階段。↑ 文殊楼。↑ 延暦寺会館と大書院が見える。↑ 右は大書院、左は延暦寺会館。↑ 大書院にて。↑ 延暦寺会館。 中学校の修学旅行で泊まった。↑ 延暦寺会館の中。↑ 延暦寺会館の窓から見た、滋賀県野洲市の三上山。↑ 琵琶湖の対岸は草津市。↑ 琵琶湖に突き出ている部分は、坂本城址公園。 滋賀県大津市坂本の街。↑ 中国浙江省の天台山で悟りを開いた智顗(ちぎ)は天台大師と呼ばれた。最澄は天台山で学んだ後、伝教大師として比叡山で天台宗を開いた。1996年に智顗(ちぎ)没後1400年の法要時に、「天台宗祈念碑」が建立された。中国、韓国、日本の仏教徒が世界平和を祈念し、3か国の表記が祈念碑に刻まれている。↑ 修禅大師義真尊者顕彰碑。義真は相模国出身で、中国語に堪能であった。最澄が遣唐使として中国に渡った時、通訳士として最澄に随行した。最澄が亡くなった後、天台宗の僧首となり、修禅大師と呼ばれた。↑ 中国人の宗教者が沢山来ていた。↑ 一隅を照らそう。↑ 大講堂と中国人宗教家達。↑ 最澄(伝教大師)の教え。「一隅を照らす運動」。伝教大師の著わした「山家学生式」の冒頭に、「国宝とは何物ぞ、道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす。一隅を照らす、これ則ち国宝なり」とある。皆が社会の一隅を照らす道心ある国宝的人物となり、誰もが生きがいを持つことのできる社会を実現するための運動。↑(1) 比叡山の麓の坂本の地には、後漢の孝献帝の子孫で日本に帰化した三津首(みつのおひと)の一族が住んでおり、767年8月18日に三津首・百枝(ももえ)公の家に男の子が生まれた。それが日本天台宗比叡山の開祖となる、伝教大師最澄であった。↑ (2)幼名は広野といい、神童との誉れが高く、一を聞いて十を知る才能を発揮した。↑ (3)12歳のときに、近江国分寺の行表法師の門に入り出家した。15歳になって正式な僧となり、名を最澄と改めた。20歳の時に奈良の東大寺戒壇院で具足戒を受け、僧侶としての資格を全て得た。↑ (4)行表法師の元で修行していた頃、比叡山の麓の新宮禅院に籠り懺悔をしていると、香炉の中に仏舎利を見つけた。その仏舎利をまつり礼拝供養すると、多くの霊験が現れた。↑ (5)785年に比叡山に登り、山中に小さな庵を結び、毎日大乗経を読誦し、ひたすら座禅瞑想につとめて一心に修行した。↑ (6)ある日、香気のある古木が見つかった。それは仙人たちが護っている霊木であった。大師は早速身を清めて、一刀三礼のもと、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来の三体の仏像を刻んだ。↑(7)788年には比叡山寺(一乗止観院・現在の根本中堂)を創建し、自作の薬師如来を本尊とし、永代不滅の常燈明を手づから供えた。↑(8)794年に竣工した比叡山寺一乗止観院(のちの根本中堂)の落慶供養の盛儀には、ときの帝である桓武天皇が行幸され、この法会に臨まれたと伝えられている。桓武天皇は平安京の鬼門に当たる比叡山寺を、国家を鎮め護る道場として期待された。↑ (9)比叡山新仏教の理念を、中国天台大師の法華経に見出し、その法華経の宣布に力を注いだ。802年の夏和気氏の氏寺である京都高尾山寺での盛大なる講演会で、天台大師の名著を講ずると、大師の名声は鳴り響いた。↑ (10)天台の教えを深く知るため、唐(中国)に渡ることになり、弟子の義真を通訳につれて804年、38歳の7月6日、遣唐使の一行とともに肥前国の田浦を船出した。暴風にあい、船が沈みそうになった時、大使は仏舎利を海に捧げて平穏を祈り、9月1日に中国明州(寧波)の地に着いた。↑ (11)中国の天台宗の祖山天台山(浙江省台州)に登り、天台大師の法灯を継ぐ高僧から天台の法門を残らず伝えられた。そのとき、天台山の開かずの経蔵が大師の所持する八舌鍵で開くことができたので、天台山の僧徒はいずれも驚嘆し、秘蔵の典籍や法具までことごとく大師に授けたという。↑ (12)8カ月の在唐受法の末、当時の仏教のすべてを学び取り、805年7月に一年ぶりに無事帰国された。新たな天台の法門や真言密教の教えを世に広めるように朝廷より勅宣が下された。翌806年には南都6宗と並び、比叡山の天台法華宗(日本天台宗)が公認された。↑(13)大師とともに平安初期、仏教界の二大名星と称される弘法大師は、大師と同じく804年に入唐留学された。両師の交際は、809年に弘法大師が比叡山に登ってこられたのに始まる。その後しばらく親密な交際が続けられたが、弘法大師の真言密教至上主義は伝教大師の法華一乗の立場とは、思想的に相いれないものであった。↑ (14)816年には東国に赴き、下野(栃木県)、上野(群馬県)の地で法華経を納めた宝塔を建立し、東国強化の拠点とした。また美濃(岐阜県)より信濃(長野県)に通ずる険しい御坂峠の両麓に2院を建てて、無料宿泊所にした。↑(15)天台宗の経典である法華経は、人は全てみな仏の子として普遍的尊厳性をもつ事を強調するが、当時奈良仏教を代表する法相宗は、先天的差別説を唱え、天台の大師を攻撃したので、大師はそれらを論破した。↑「(16)852年、52歳の時、大師はついに小乗の戒律を捨て、大乗の戒律によることを宣言した。続いて「一隅を照らす」国宝的人材の養成を眼目とする「山家学生式」を定め、比叡山の学生の行動基準を法華経の精神に基づく大乗教に求めた。↑(17) 822年に病の床につき、6月4日に56歳の生涯を終えた。↑(18)大師入滅の翌823年には、桓武天皇ゆかりの年号「延暦寺」を寺号とする勅額が下され、「比叡山寺」を改めて「延暦寺」と称することになった。45年後の866年には、時の清和天皇より「伝教大師」を賜った。↑ 伝教大師最澄について。↑ 比叡山が生んだ高僧。・ 慈覚大師円仁 (天台密教の基礎を築いた)・ 智証大師円珍 (天台宗寺門派の祖)・ 聖応大師良忍 (融通念仏宗の宗祖)・ 円光大師法然 (浄土宗の宗祖)・ 千光国師栄西 (臨済宗の宗祖)・ 見信大師親鸞 (浄土真宗の宗祖)・ 承陽大師道元 (曹洞宗の宗祖)・ 立正大師日蓮 (日蓮宗の宗祖)・ 円照大師一遍 (時宗の開祖)・ 慈摂大師真盛 (天台宗新盛派の祖)
2019.08.05
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2019年7月25日、叡山ロープウェイの比叡山頂駅から歩き始めると、延暦寺行きの矢印を見たので、そちらへ進みました。ビジネス用ズボンと革靴なので、山道をゆっくり歩きました。途中で「つつじヶ丘」という場所に出ました。石仏が並んでおり、春はツツジが美しい場所だそうです。景色が良く、三千院で有名な大原が見えました。ちょうど30分歩くと、延暦寺の阿弥陀堂に着きます。↑ 叡山ロープウェイの比叡山頂駅から歩き始めると、分岐点があった。↑ 右は延暦寺(30分)、左は比叡山頂バスのりば。↑ 延暦寺(30分)ルートを選び、左側を進む。↑ 一本道が続く。↑ 定期的に案内の看板が設置されている。↑ つつじヶ丘に着く。石仏が並ぶ。↑ つつじヶ丘からの眺め。 中央奥に大原が見える。↑ 右が大原。左は岩倉。↑ 岩倉。↑ 左京区岩倉。奥は佛教大学総合グラウンド、採石場。↑ 左京区岩倉。↑ 佛教大学総合グラウンド。↑ 左京区大原。↑ 大原。 三千院は右の山影にあり、見えない。↑ つつじヶ丘を出発する。↑ カメラを地面に置いて記念撮影をした。↑ 左側は「史跡延暦寺境」。↑ 東海自然歩道。↑ 拝観券を購入する。↑ 延暦寺の阿弥陀堂が見えたので、道を進む。↑ 阿弥陀堂。↑ 阿弥陀堂正面。
2019.08.04
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2019年7月25日、八瀬比叡山口で叡山電車「ひえい」を下車し、叡山ケーブルカー、叡山ロープウェーに乗り、比叡山頂駅まで行くことにしました。9時50分に乗車し、20分であっという間に山頂駅です。↑ 八瀬の地図。↑ 叡山電車「八瀬比叡山口駅」から叡山ケーブル「ケーブル八瀬駅」まで歩く。↑ 高野川。↑ 高野川。↑ ケーブル八瀬駅。↑ 比叡山の野鳥たち。上段向かって左から、アカゲラ、アトリ、オオタカ、ジョウビダキ、ヒガラ。下段向かって左から、ベニマシコ、ホオジロ、マヒワ、ルリビダキ、ヤマガラ。↑ 「八瀬かえで」。叡山ケーブルの鉄道むすめ。↑ 叡山ケーブルカーの車内。↑ ケーブルカーの高低差は561mで日本一。線路も曲線部分がある。↑ 中間地点。 2両のケーブルカーは40ミリの鋼鉄製ロープで結ばれており、井戸のつるべのように「ケーブル比叡駅」にある滑車で動いている。↑ ケーブル比叡駅に到着。↑ かわらげ(素焼きの丸い皿)投げ広場。↑ かわらげを輪の中に投げ込む。↑ ケーブル比叡駅そばの景色。手前は、左京区岩倉付近。 左奥の建物は京都市東北部クリーンセンターで、叡山鉄道鞍馬線が近くを通っている。↑ 京都市左京区岩倉。 左上は、佛教大学岩倉総合グラウンド。↑ 叡山ロープウェイ」の「ロープ比叡駅」。↑ 叡山ロープウェイのゴンドラ。↑ 比叡山頂駅が見える。↑ 比叡山頂駅。↑ 街の景色。↑ ガーデンミュージアム比叡の入り口があった。↑ ガーデンミュージアム比叡の紹介看板。モネ、ルノワール、ゴッホなどフランス印象派の画家たちは、花や庭園、自然の風景を好んで描いており、ガーデンミュージアム比叡は、彼らが描こうとした風景をモチーフにデザインされた庭園施設。
2019.08.03
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2019年7月25日朝、叡山電車の観光列車「ひえい」に乗り、出町柳駅から八瀬比叡山口駅まで移動しました。車両前面にある金色の楕円形の輪が印象的で、目を引きます。比叡山の神秘さを表しているそうです。今回は、この「ひえい」を写真に収めることが一番の目的でした。↑ 叡山電車の観光電車「ひえい」。出町柳駅に入ってくる。↑ 「ひえい」732号。↑ 叡山電車線路図。緑色の路線が叡山本線(出町柳駅~八瀬比叡山口駅)。↑ 修学院駅近くの叡山電鉄車両基地。↑ 723号が見える。↑ 宝ヶ池駅。↑ 宝ヶ池駅から叡山本線を進む。左側は鞍馬線。↑ 三宅八幡駅。↑ 終点の八瀬比叡山口駅。↑ 「ひえい」。
2019.08.02
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2019年7月25日、叡山電鉄の出町柳駅、宝ヶ池で叡山電車を撮影しました。【出町柳駅】813号、815号、816号、712号、801号、731号、722号。【宝ヶ池駅】721号、815号、816号、722号。↑ 叡山電車 出町柳駅改札。↑ 叡山電鉄の路線図。 ↑ 813号。↑ 815号。↑ 816号。↑ 712号。↑ 801号。↑ 731号。↑ 722号。↑ 721号。↑ 815号。↑ 816号。↑ 722号。
2019.08.01
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