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2019年8月9日、千葉県柏市・東武野田線の高柳駅工事の様子です。東武野田線の複線化工事の関係で、高柳駅に新しいプラットフォームが作られました。私の2019年7月4日のブログには、高柳駅でエスカレーターの設置工事をする様子(2019年6月25日)を載せています。↑ 千葉県柏市 東武野田線・高柳駅。↑ 2019年8月9日の様子。
2019.10.31
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2019年8月6日、夜明けの写真です。日の出まで、雲の色がどんどん変わっていきます。
2019.10.30
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2019年8月4日夕方、JR博多駅で「JR九州ミッキーマウス新幹線第2弾・ミッキーマウス&ミニーマウス」の赤い車体を写真に撮りました。JR九州は、ミッキーマウスのスクリーンデビュー90周年を記念し、九州新幹線での旅をアピールする「Go! Waku Waku Trip with MICKEY」プロジェクトの一環として、第2弾となるラッピング新幹線「ミッキーマウス&ミニーマウスデザイン」の赤い車両を、2019年8月1日から運行させました。私の2019年8月15日、16日のブログで、「JR九州ミッキーマウス新幹線第1弾・ミッキーマウス」の黄色い車体(2019年7月26日撮影)の写真を掲示しています。第1弾新幹線の車体には、九州新幹線で九州旅行を満喫しているミッキーが、ミニー宛てに手紙を書いた所が描かれています。第2弾では、ミッキーの手紙を受け取ったミニーが九州を訪れ、二人が九州を旅したり、名所で撮った写真が赤い車体にデザインされています。車体のデザインを掲示します。プラットホームに入った第1弾新幹線も、また写真に撮りました。↑ JR九州ミッキーマウス新幹線第2弾・ミッキーマウス&ミニーマウス号(九州新幹線800系)赤色。↑ 熊本・阿蘇山の草千里だと思うが、馬のデザインが可愛い。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「JR九州ミッキーマウス新幹線第1弾・ミッキーマウス号 (黄色)。
2019.10.29
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2019年8月4日に撮影した、西鉄の太宰府観光列車「旅人」の内装です。縁起物の文様をデザインしたり、縁結びの神様として知られる竈門(かまど)神社とタイアップした祈願箱を設置しています。設置してある「願いごとの紙」に願いごとを記入後、竈門神社に持参すると、オリジナル記念品がもらえます。竈門神社に行けない方は、車内の祈願箱に入れておけば、後日、西鉄電車が代わりに奉納するそうです。車内のカードホルダーから、開運カードを無料で取得することができるので、カードを頂きました。↑ 旅人(たびと)・西鉄の大宰府観光列車。↑ 内装は、5つの開運文様で構成されている。①【1号車】 「紗綾形文様(さやがたもんよう)」 【健康長寿】。永遠に続く文様の紗綾形(さやがた)は、繁栄や長寿の意味を持つ吉祥文様。モチーフとなっている卍(まんじ)は、太陽が光を放つ様子を意匠化したものと言われ、西洋でも幸運の印として知られている。②【2号車】 「瓢箪文様(ひょうたんもんよう)」 【安産】。ひょうたんは、ツルが伸びて実が鈴なりになることから、家運興隆、子孫繁栄の象徴。大宰府天満宮では、「飛梅」の下でひょうたん酒をいただく風習がある。この「飛梅(とびうめ)」だが、太宰府天満宮の神木とされる梅の木の名称。菅原道真が京都から大宰府に左遷された時、庭の梅が菅原道真を慕い、空を飛んで大宰府に来たという伝説がある。③ 【3号車】 「雷文様(かみなりもんよう)」 【厄除け】。雷文は万物を潤す雷雨を意味するため、不断長久を表す吉祥文様。左巻きと右巻きが対になって連続することから、陰陽の象徴とされ、五穀豊穣と子孫繁栄、魔除けの意味がある。④【4号車】「蝶文様(ちょうもんよう)」【家内安全】。卵から孵り、成長を経て空に舞う蝶は、その形の優美さから不死不滅の象徴として武士の紋章としても愛されてきた。向かい蝶はつがいの蝶として、和合の象徴とも言われている。⑤ 【5号車】 「梅文様(うめもんよう)」【学業成就】。「梅」は万葉集でも数多く歌われるなど、日本では古くから愛されてきた花。天神様信仰との関わりも深く、学問が栄える時に見事に咲くという言い伝えがある。↑ 旅人。「旅人」という名前は、太宰府の地で多くの歌を残したとされる歌人・大伴旅人(おおとものたびと)より付けられました。また、旅人は「たびびと」と読めるため、大宰府を旅する列車という意味も込められています。↑ 元号「令和」とゆかりの地「大宰府」。平成に代わる元号「令和」は、歌人・大伴旅人(おおとものたびと)が大宰府の地にて催した「梅花の宴」にて詠まれた歌の序文が由来となっています。「令和」ゆかりの地・大宰府の旅を太宰府観光列車「旅人」と共にお楽しみください。↑ 【1号車】 「紗綾形文様(さやがたもんよう)」 【健康長寿】。↑【2号車】 「瓢箪文様(ひょうたんもんよう)」 【安産】。↑ 旅人オリジナル開運カードを取ることができる。↑【3号車】 「雷文様(かみなりもんよう)」 【厄除け】。↑ 祈願箱。設置してある「願いごとの紙」に願いごとを記入後、竈門神社に持参すると、オリジナル記念品がもらえる。竈門神社に行けない方は、車内の祈願箱に入れておけば、後日、西鉄電車が代わりに奉納するとの事。↑ 宝満宮・竈門(かまど)神社にまつわる縁起物。「つがいの干支絵馬」 福岡在住の陶芸作家である鹿児島隆氏が毎年デザインしている絵馬。えんむすびの神社に相応しく、2頭の干支の動物が仲良く描かれている。「宝満さま」 竈門神社の御祭神である玉依姫命(たまよりひめのみこと)の御姿を象った博多人形の神縁品。「宝満鈴」 男女の仲睦ましくとの願いを込め、雄ひな雌ひなを象った博多人形の神縁品。↑【4号車】「蝶文様(ちょうもんよう)」【家内安全】。↑ 太宰府天満宮。↑【5号車】 「梅文様(うめもんよう)」【学業成就】。↑ 西鉄・太宰府駅。↑ 太宰府駅の「旅人」。↑ 西鉄・五条駅。
2019.10.29
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2019年8月3日、西鉄・二日市(ふつかいち)駅で、太宰府(だざいふ)観光列車・旅人(たびと)に乗り、太宰府駅に行きました。観光列車「旅人(たびと)」は、太宰府の地で多くの歌を残したとされる歌人・大伴旅人(おおとものたびと)より名づけられました。また、旅人は「たびびと」とも読めるため、太宰府を旅する列車という意味も込められています。「旅人」の外装は、観光名所や大宰府に咲く四季の花が描かれてます。↑ 西鉄・二日市(ふつかいち)駅に入る観光列車「旅人(たびと)」。↑ 「祝 令和元年 旅人」。【1号車】↑ 1号車。 「竈門(かまど)神社」と「紅葉」。縁結びの神様として親しまれる「竈門(かまど)神社」と、太宰府の秋を彩る「紅葉」があしらわれた。↑ 紅葉。↑ 宝満宮・竈門(かまど)神社。↑ 太宰府の四季。「FOUR SEASONS OF DAZAIFU」。↑ もみじ。【2号車】↑ 2号車。 「榎社(えのきしゃ)」と「蓮(はす)の花」。菅原道真公の御神霊が神幸される「榎社(えのきしゃ)」と、晩夏の水面を彩る「蓮(はす)の花」があしらわれた。↑ 「榎社(えのきしゃ)」。↑ 蓮(はす)の花。【3号車】↑ 3号車。「太鼓橋(たいこばし)」と「花菖蒲(はなしょうぶ)」。大宰府境内の心字池(しんじいけ)に架かる「太鼓橋(たいこばし)」と、水無月の季節を告げる初夏の「花菖蒲(はなしょうぶ」があしらわれた。↑ 太鼓橋(たいこばし)。↑ 花菖蒲(はなしょうぶ)。【4号車】↑ 4号車。「菅原道真(すがわらのみちざね)公」と「藤」。学問の神様として知られる「菅原道真公」と、春になると境内の菖蒲池に花を咲かせる「藤」があしらわれた。↑ 菅原道真公。↑ 藤原道真公。↑ 藤の花。【5号車】↑ 5号車。「大宰府天満宮」と「梅」。年間に約800万人もの参拝者が訪れる「太宰府天満宮」と、早春(冬)に咲く「梅」があしらわれた。↑ 牛車。↑ 太宰府天満宮。↑ 梅。↑ 旅人(たびと)。
2019.10.28
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2019年8月4日、西鉄の柳川観光列車・水都に乗車し、大牟田駅から二日市駅へ行きました。水都の2号車ですが、初代柳川藩主「立花宗茂(たちばなむねしげ)」ゆかりのものを中心に、ディスプレイに展示されています。1号~6号車の壁には、乗車記念カードがそれぞれケースに入っており、6種全てゲットしました。↑ 西鉄の「水都(すいと)」。↑ 1号車のドア。↑ 1号車の車内。↑ 初代柳川藩主 立花宗茂:たちばなむねしげ(1567~1642)。大友宗麟(おおともそうりん)、義統(よしむね)、豊臣秀吉、徳川秀忠、家光のもとで誠実にはたらき、勇猛な武将として戦国の世を駆け抜け、初代藩主として柳川藩11万石の基礎を築いた。① 金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと) 立花家資料館所蔵。戦場で宗茂を守った親衛隊全員が、揃いで着用した兜。側面が桃の形に似ている鉄製兜は、金箔が貼られ、立花家では「金甲:きんこう」と呼ばれてきた。② 金地三日月図軍扇(きんじみかづきずぐんせん) 立花家資料館所蔵。宗茂が戦場で用いたと伝えられる軍扇。銀の三日月が、中央を外した形で描かれており、宗茂の洗練されたセンスを感じさせる。③ 脇差 無銘(わきざしむめい)雷切丸(らいきりまる)。 立花家資料館所蔵。近世大名立花家初代・戸次道雪(べっきどうせつ:立花道雪)が雷を切った刀とされる「雷切丸」。後に立花家2代当主、立花宗茂へと譲られた。④ 大輪貫鳥毛後立頭形兜(おおわぬきとりげうしろだてずなりかぶと)。立花家資料館所蔵。黒漆塗の輪貫(わぬき)の脇立(わきだて)と、鳥毛の後立(うしろだて)がついた、厚い鉄製の頭形兜。玉虫色にきらめく尾長鶏(おながどり)の黒羽が特徴。⑤ 鉄皺皮包月輪文具足(てつしぼかわつつみがちりんもんぐそく) 立花家資料館所蔵。青年期の宗茂が着用したと伝えられる甲冑(かっちゅう)は、大ぶりで非常に重いため、宗茂は立派な体格であったと想像される。⑥ 栗色革包仏丸胴具足(くりいろかわつつみほとけまるどうぐぐそく) 立花家資料館所蔵。関ケ原合戦の頃に作られた宗茂の甲冑(かっちゅう)。胴の栗色革や草摺(くさずり)の朱漆、佩楯(はいだて)の銀箔(ぎんぱく)といった色彩に、戦国時代らしい大胆な華やかさを感じる。↑ 雷切丸拵(らいきりまるこしらえ)京都国立博物館所蔵「金熨斗刻鞘拵」写)立花家資料館監修 西岡甲房制作。↑ 合貝(あわせがい)。立花家資料館制作。「貝合わせ」という遊びに使われる。江戸時代には、他の貝とは合わない二枚貝の特性が、貞節の象徴とされ、合貝とそれを納める「貝桶:かいおけ」は、お姫様の婚礼調度には欠かせなかった。展示している合貝は、ハマグリ貝に立花家伝来の「花葉写生帖(はなばしゃせいちょう)」、「果物写生帖(くだものしゃせいちょう)」から選んだ。鉄皺皮包月輪文具足(てつしぼかわつつみがちりんもんぐそく) 立花家資料館所蔵。モデルとなった甲冑は、初代柳川藩主・立花宗茂(たちばなむねしげ)が青年期に着用したと伝えられ、大ぶりで重量感がある。↑ 金地三日月図軍扇(きんじみかづきずぐんせん) 立花家資料館所蔵。立花宗茂が戦場で用いたと伝えられる軍扇。↑ 乗車記念スタンプとシートがある。↑ 2号車。↑ 1号~6号車の壁には、乗車記念カードがそれぞれケースに入っており、6種類を取ることができる。↑ 3号車。↑ 4号車。↑ 5号車。↑ 6号車。↑ 西鉄 大牟田駅。↑ 柳川の矢部川大橋(斜張橋)。↑ 柳川の風景。↑ 西鉄 柳川駅。↑ 成田山久留米分院の巨大観音像。↑ 巨大観音像。↑ 西鉄 二日市駅で下車した。
2019.10.27
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2019年8月4日、西鉄(西日本鉄道)大牟田駅から二日市駅まで、西鉄の柳川観光列車「水都(すいと)」に乗りました。水郷で有名な「柳川」の四季と伝統をイメージしてできた車両デザインは、とても美しく楽しいです。「水都(すいと)」の名前ですが、水の都である柳川を表すとともに、博多弁で「好き」を表す「好いと!」にも聞こえる呼び名です。↑ 西鉄・大牟田駅に到着する「水都(すいと)」。↑ 水都の1号車。↑ 1号車のテーマは「菊と渡り鳥」。旧暦の9月9日、菊を用いて不老長寿を願う「重陽の節句」が行われる頃、柳川藩主立花氏の別邸である御花(おはな)の松濤園(しょうとうえん)には、大陸から渡り鳥が飛来し、越冬することから、秋から冬にかけての柳川の風物詩をデザインした車両。↑ 木蘭色(もくらんじき)。↑ 2号車のテーマは「花火と白秋祭のどんこ舟」。夏の「有明海花火フェスタ」、晩秋の「白秋祭」の年に2回開催される花火大会をテーマに、柳川の夜空を彩る花火と白秋祭水上パレードのどんこ舟をモチーフにデザインした車両。↑ 「濃藍色(こいあいいろ)」。↑ 3号車のテーマは「花菖蒲」。柳川市の花「菖蒲」が、例年5月下旬から6月上旬にかけて、掘割沿いをはじめ、市内のいたるところに咲き誇る優美な姿をデザインした車両。↑ 灰緑色(かいりょくしょく)。↑ 4号車のテーマは「からたちの花」。童謡「からたちの花」は、作詞した北原白秋の通学路が原風景となっている。矢留小学校に隣接する白秋詩碑苑のからたちが、毎年5月上旬、白い花を咲かせる様子をデザインした車両。↑ 深緑色(ふかみどりいろ)。↑ 5号車のテーマは「柳川の新緑と水流」。柳と水流は、柳川の景観の象徴。初夏、水天宮祭が行われる頃、眩いばかりの新緑をまとった柳が、掘割に影を落とした様子をデザインした車両。↑ 紺青色(こんじょういろ)。↑ 6号車のテーマは「柳川まりとひな祭り」。柳川の春の訪れを告げる「お堀開き」で、掘割に豊かな水が張り巡らされる頃から始まる「さげもんめぐり」のさげもんに欠かせない「柳川まり」をデザインした車両。「さげもん」とは、柳川に伝わる吊るし飾りの風習。女の子の初節句に、ひな壇と一緒にさげもんを飾る。↑ 臙脂色(えんじいろ)。
2019.10.26
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2019年8月4日朝、約15キロの荷物を持って、熊本駅から富合駅に電車で移動しました。フリーゲージトレインが見える陸橋に行きましたが、早朝で車両は建物の影に入っていたので、宇土(うと)城址に行ってからまた戻ることにしました。宇土駅で下車してコインロッカーを探すも、駅には無いとの事なので、荷物を持ったまま歩いて宇土城址に行きました。宇土城址は小高い丘にあり、公園になっていました。小西行長の銅像があります。キリシタン大名である小西行長は1558年、大阪・堺の豪商である小西家の子として京都で生まれ、最初は備前岡山の宇喜多直家に仕え、その後豊臣秀吉の側近として水軍を率いて活躍し、1588年、宇土、益城、八代など肥後南半分の領主として宇土を本拠としました。1589年に築城を開始後、文禄・慶長の役で先鋒として2度にわたり朝鮮半島に出陣します。1600年の関ケ原の戦いでは西軍に属して敗戦し、京都六条河原で処刑されました。42歳でした。関ケ原の合戦後、肥後一円を治めた加藤清正が、宇土城を自分の隠居所とするために大規模な改修をしましたが、隠居することなく1611年に亡くなりました。翌年幕府の命令で城は破壊され、1637年の天草島原の乱後も徹底的に破壊されました。宇土城址を見た後は歩いて富合まで歩いて行き、太陽の光があたったフリーゲージトレインの写真を撮りました。その後は鉄道で、大牟田駅まで行きました。↑ 荷物を両肩に掛けて歩く。↑ 熊本駅前。↑ 熊本駅から富合駅へ行く。↑ 富合駅着。↑ 富合駅から、フリーゲージトレインが見える場所まで歩く。↑ フリーゲージトレインの車体が見えてきた。↑ 陸橋を渡る。↑ 陸橋からフリーゲージトレインを撮影する。↑ 朝早く、太陽の光が当たらない。↑ 建物の陰で車体が暗く見えるので、太陽が高く昇るまで、宇土城址に行く。↑ JR宇土駅前。 駅にはロッカーが無いと言われた。↑ ロッカーが無いので、そのまま荷物を持って宇土城址に行くことにした。↑ 宇土のくまモン。↑ 天草三角(みすみ)線の踏切。↑ 天草三角線と九州新幹線。↑ 宇土城址に向かって歩く。↑ 宇土高校、宇土中学の入り口。 この奥に宇土城址がある。↑ 近世宇土城跡に行く。中世跡は次の機会にする。↑ 宇土城跡入口。↑ 墓地を通る。↑ 市指定文化財 宇土城跡(城山)↑ 近世宇土城跡解説。↑ 近世宇土城跡と城下町の想像図。↑ 宇土城址から墓地を見る。↑ 宇土城址は公園になっており、皆さんがゲートボールをしていた。↑ キリシタン大名の小西行長像。↑ 小西行長(こにしゆきなが)は1588年に肥後南半分の領主として宇土城主となった。宇土城築城とともに城下町を大規模に整備し、今日の宇土市街地の基礎を作った。1592年に始まる文禄・慶長の役では先鋒として朝鮮に出陣するが、開戦当初から早期の和平交渉を模索したため、軍事優先の熊本城主・加藤清正との間に深刻な対立を引き起こした。1600年の関ケ原の戦いでは石田三成率いる西軍の中心人物となり、戦いに敗れて京都で処刑された。キリシタン大名であった行長の遺体は、イエズス会宣教師に引き取られた。その死は当時のヨーロッパで大いに悼まれ、亡くなって7年後の1607年にはイタリアのジェノバで行長を主人公とする音楽劇が作られたほどであった。↑ ジュリアおたあ。豊臣秀吉による朝鮮出兵で先鋒をつとめた小西行長は、戦いで孤児となっていた朝鮮人の少女「おたあ」を宇土に連れて帰った。「おたあ」は行長の妻ジュスタに仕えてキリスト教の洗礼を受けた。洗礼名は「ジュリア」であった。関ケ原の戦いに負け、小西行長は京都で処刑されたが、ジュリアは徳川家康がいる江戸城で奥方などに仕えることになった。その後、徳川家康が駿府城(静岡県)に移ると同行し、直接家康の世話をしていた。1612年に家康がキリスト教を禁止し、ジュリアに棄教を迫るも従わなかったので、ジュリアは東京の神津島(こうづしま)に島流しとなった。その後1620年に長崎、1622年に大阪にいたことは分かっているが、その後の消息は不明。↑ 宇土城址の石垣。↑ 熊本県立宇土高校創立100周年、宇土中学創立10周年。↑ 第八代横綱の「不知火諾右エ門(しらぬいだくえもん)。宇土出身の横綱。↑ 宇土駅まで歩く。↑ 宇土駅。 次の電車が当分来ないので、富合駅まで歩くことにした。↑ 富合駅まで歩く。↑ 宇土市から熊本市に入る。↑ 陸橋が見えてきた。↑ 陸橋からフリーゲージトレインを撮影する。太陽の光が当たっている。↑ 富合駅から電車に乗り、熊本、大牟田まで行く。熊本で九州新幹線が平行して走る。↑ 田原坂。西南戦争の激戦地近くの駅。↑ 西南戦争を歌った民謡の「田原坂(豪傑節)」の歌詞。「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」。↑ JMU:ジャパンマリンユナイテッド有明造船所。熊本県玉名郡長洲。↑ 長洲駅。金魚の「ランちゃん」。 九州金魚すくい選手権大会がある。↑ JR大牟田駅。↑ 大牟田駅前。↑ 大牟田市庁舎。
2019.10.25
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2019年8月4日朝、熊本駅から電車に乗り、熊本市富合町にあるJR九州・熊本総合車両所に行きました。7時半頃、鉄橋からフリーゲージトレイン(FGT)が見えたのですが、建物の影で暗かったため、日が高く昇るまで宇土城跡に行くことにしました。掲示している写真は、宇土城跡から徒歩で戻ってきた後に撮影したものです。10時半頃です。それでも車両先頭部分は影が残っています。九州新幹線長崎ルートの建設にあたり、長崎から武雄温泉までは新幹線のフル規格ですが、佐賀県内は在来線を利用する計画だったので、新幹線の標準軌(1,435㎜)と在来線の狭軌(1,067㎜)の間隔を自動で変動できる「軌間可動電車:フリーゲージトレイン:FREE GAUGE TRAIN : FGT」が開発されましたが、コストと安全性を考え、開発中止となりました。写真はFGT第三次試験車です。車体は「火の国・九州」をイメージし、シャンパンゴールドとディープレッドでデザインされています。太陽の光に輝いて、とても美しいです。↑ 熊本総合車両所のフリーゲージトレイン(FGT)第三次試験車。↑ 軌間可動。↑ 宇土市の山並みが見える。↑ 熊本駅から宇土半島の三角(みすみ)駅まで走る「A列車で行こう」号。以前乗車したことがある。↑ 富合駅まで進む。↑ JR九州・富合駅。 九州新幹線の絵がある。↑ 富合駅を通過する「かわせみ やませみ号」
2019.10.24
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2019年8月3日、「やませみ かわせみ号」が熊本駅に19時前に到着しました。路面電車に乗るも、「熊本火の国祭り」が開催中のため、電車は途中の辛島町駅で折り返しとなっていました。辛島町から歩いて宿泊所に行き、夕食を取りました。熊本城公園の入り口まで行きますが、通りは交通規制で車が走っていませんでした。私が食事をしている時間に、この通りは「おてもやん」踊りなどパレードが行われていたようで、見ることができなかったのが残念でした。↑ 熊本駅前の歩道橋。↑ 熊本駅前。 工事が終わった。↑ 路面電車は、全て辛島町駅で折り返し。↑ 辛島町駅で下車する。↑ 夕食を取る。↑ 上ロースカツ定食。799円。↑ 祭りのため交通規制。↑ 交通規制。↑ 歩道橋から熊本城が見える。↑ 熊本城公園の加藤清正公像。↑ 城彩苑に入る。↑ 火の国夏祭り。↑ 屋台が並ぶ。↑ 祭りで踊ったグループが集まる。↑ 交通規制中。↑ 交通規制が解除され、車が走り始めた。
2019.10.23
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2019年8月3日夕方、特急「やませみ かわせみ号」に乗車し、人吉駅から熊本駅まで移動しました。夕暮れの球磨川の写真です。熊本に近づくと、新幹線の車両基地が見えてきました。九州新幹線の車両に並んで、夕日に照らされて金色に輝く車両が現れたのでびっくりしました。開発が中止となったフリーゲージトレイン(FGT)でした。九州新幹線長崎ルートの建設にあたり、長崎から武雄温泉までは新幹線のフル規格ですが、佐賀県内は在来線を利用する計画だったので、新幹線の標準軌(1,435㎜)と在来線の狭軌(1,067㎜)の間隔を自動で変動できる「軌間可動電車:フリーゲージトレイン:FREE GAUGE TRAIN : FGT」が開発されました。しかし、コストと安全性を考え、開発中止となりました。翌日は熊本城に行く予定にしていましたが、どうしても近くからフリーゲージトレインを見たくなり、再度車両を見に行くことにしました。↑ かわせみ やませみ号の記念撮影(2019年8月3日)↑ 夕方の球磨川。↑ JR九州のマルチプルタイタンバー(マルタイ)08-1X。線路の砂利を突き固めて、線路を安定させる。以前、小田急電鉄のマルタイを見た事がある。↑ 枕木を運ぶ。↑ 球磨川。↑ 球磨川第一鉄橋を進む。↑ 美しい球磨川。↑ 車内の売店。↑ 売店で「くりりあいす」を買う。↑ くりりあいす。↑ 栗の味がした。↑ 八代市。↑ 夕日とやませみ。↑ 八代市の日本製紙工場と球磨川。↑ 新八代駅。JR九州新幹線駅と在来線が交差する。↑ 熊本市富合町にある新幹線車両基地(熊本総合車両所)。九州新幹線が見える。↑ 夕日に照らされて金色に輝く「フリーゲージトレイン」が現れ、びっくりした。↑ フリーゲージトレイン。↑ フリーゲージトレイン。↑ フリーゲージトレイン。↑ 近くからフリーゲージトレインを見たいと思った。↑ 熊本駅到着。↑ くまモン。↑ くまモン。
2019.10.22
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2019年8月3日夕方、特急「かわせみ やませみ号」に乗り、人吉駅から熊本駅まで行きました。「かわせみ やませみ号」に乗車するのは、これで3回目になります。JR九州の特急「かわせみ やませみ号」は、2017年3月にデビューしました。1号車の「かわせみ車両」は青色、2号車の「やませみ車両」は緑色を基調とし、内装は地元のスギを床に、ヒノキをカウンターやテーブルに使用しています。今まで何度も満席で予約できなかった事がありましたが、車体に描かれたカワセミの絵を見ると、どうしても乗車したくなります。特急「かわせみ やませみ号」の「1号車 かわせみ車両」。↑ かわせみの絵が描かれている。↑ かわせみ。↑ 1号車 かわせみ車両。↑ 1号車内部。 床は人吉・球磨産の杉。 椅子とテーブルは檜(ひのき)。↑ 見るだけで楽しくなる。↑ トイレ。特急「かわせみ やませみ号」の「2号車 やませみ車両」。↑ やませみ。↑ やませみ車両。↑ 緑色が基調のやませみ車両。↑ 暖簾は、八代産のイグサが使われている。↑ かわせみ、やませみ。↑ カウンター。
2019.10.21
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熊本県・人吉駅前にからくり時計があります。(2019年8月3日撮影)時計は城の形をしており、城の一階部分が開くと、臼太鼓(うすだいこ)踊りを踊る人形たちが音楽に合わせて動きます。臼太鼓踊りは球磨川流域の各所で行われており、踊り手が胸につけた臼形の大きな太鼓を打ちながら踊ります。城の上階では庄屋に扮した殿様が踊りを覗き、城下町にお忍びで遊びます。城に戻り正装をした殿様の人形が最後に出てきます。扇子を持って満足な表情です。人吉の球磨川の傍に「五木(いつき)の子守歌」の石碑が立っていました。人吉市の北に五木村があります。小学校の修学旅行で九州を巡った時、ホテルの大会場で担当の方が「五木の子守歌」を歌うのを聴きました。五木のパンフレットを見ると、五木村マスコットの「いつきちゃん」シールが付いていました。いつきちゃんは「巨人の星」の作者である川崎のぼる先生が生みの親だそうです。↑ 人吉駅前のからくり時計。↑ 臼太鼓(うすだいこ)踊りを踊る人形。↑ 城から城下町を見下ろす殿様。↑ 殿様は庄屋に扮して、お忍びで城下町に行く。↑ 町中で遊んだ殿様は、城に戻り正装になる。↑ 扇を持った殿様は満足顔。↑ 人吉城の大手門。↑ 大橋と球磨川。↑ 球磨川と人吉城址。↑ 球磨川のほとりに、五木の子守歌の石碑がある。「おどま ぼんぎり ぼんぎり ぼんからさきゃ おらんど ぼんがはよくりゃ はよもどる」私は(年季が)盆までで、盆から先はいないよ。盆の時期が早く来てくれたら、早く里に帰られるのに。↑ 民謡「五木の子守歌」は年季奉公での子守をしていた球磨地方の娘たちが口ずさんでいた唄。戦後すぐの昭和24年の秋、人吉を訪れた日本調流行歌手の音丸(おとまる)さんが子守歌の存在を知り、翌年にレコード化された。多くの歌手が歌うようになり、ラジオ放送やレコードによって日本全国に広まり、日本を代表する歌謡曲になった。↑ 「五木の子守歌」で有名な五木村のパンフレット。↑ 五木村マスコットの「いつきちゃん」シールが付いていた。↑ いつきちゃんは「巨人の星」の作者である川崎のぼる先生が生みの親。
2019.10.20
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今まで何度も人吉を訪れました。必ず球磨川のほとりにある、人吉城址「水の手門」近くに行きます。私が高校生の時に見た「ザ・ベストテン」(1982年7月29日)で、河合奈保子さんがその場所に立ち、「夏のヒロイン」を熱唱しました。その時の印象は、いまだに強く心に残っています。1982年7月23日~24日で九州地方は大雨のため、各所で洪水被害がありました。長崎の大水害のニュースは、新聞の一面に載っていました。奈保子さんは7月29日に人吉文化センターでコンサートを行った後、ザ・ベストテン中継のため、人吉城の水の手門近くに移動しました。石垣の上にある公園には、河合奈保子親衛隊・九州支部の人々が沢山おり、奈保子さんを応援していました。5日前の大洪水のときは、橋桁すれすれまで球磨川が増水したこと、下流では床上浸水など多くの被害があったこと、急ピッチで復旧作業がなされており、今日から球磨川下りがスタートした事がアナウンサーから報告されました。黒柳徹子さんが奈保子さんに、大雨の被害を見たかと質問した所、奈保子さんは「はっきりとは見ていないのですけれども、今日やった会館の楽屋が水に浸かって使えなくなり、別の控室を使わせていただきました。皆さん大変だと思いますけれども、頑張って下さい」と話しました。徹子さんは奈保子さんに「あなたはこれから、どんどん九州をコンサートのため北上していらっしゃるそうですが、どうぞ皆さんにその笑顔を。お待ちの方は沢山いらっしゃるでしょうから」と言い、奈保子さんは元気に「はい!」と答えました。奈保子さんはライトアップされた人吉城城址の石垣を背景にして、「夏のヒロイン」を笑顔で歌っていました。球磨川下りの船が奈保子さんの横を通り、皆さんが奈保子さんに手を振っていました。本当に笑顔の素敵な奈保子さんでした。↑ 人吉城址の河合奈保子さん。↑ 2018年7月29日、ザ・ベストテン。河合奈保子さんの「夏のヒロイン」は5位。↑ 久米宏さんと黒柳徹子さんが司会をする。久米宏さんは「奈保子さんは、大雨が猛威を振るった九州の熊本にいらっしゃいます」と言って中継をした。↑ 中継先の人吉の奈保子さん。↑ RKKアナウンサーの原武博之さん。奈保子さんがコンサート終了後、ザ・ベストテンのため人吉城址に移動したと話された。↑ 「こんばんは」と挨拶する奈保子さん。↑ 日本三大急流の一つ「球磨川」。↑ 九州地方の熊本と人吉の位置。↑ 5日前に九州地方を襲った大雨の時は、球磨川が増水し、この辺りは水の中だったと説明があった。↑ ジャンプをしても、その上を泥水が渦を巻いて流れていた。↑ 球磨川に掛かる大橋を指さす。↑ 増水時は、橋げたすれすれまで、球磨川の水が増えた。下流では床上浸水の被害があった。↑ しかし、復旧作業が急ピッチで進み、今日から球磨川下りが再開された。↑ 黒柳徹子さんから奈保子さんに、「大雨の被害の傷跡をご覧になりましたか」と質問があった。↑「はっきりとは見ていないのですけれども」↑「今日やった会館の楽屋が水に浸かって使えなくなり」↑「別の控室を使わせていただきました」。↑ 「皆さん大変だと思いますけれども、頑張って下さい」。↑ 黒柳徹子さんから、「あなたはこれから、どんどん九州をコンサートのため北上していらっしゃるそうですが」↑ 「どうぞ皆さんにその笑顔を。お待ちの方は沢山いらっしゃるでしょうから」と言われた。↑ 奈保子さんは元気に「はい!」と答えた。↑ 奈保子さんは人吉城址を背景に「夏のヒロイン」を歌った。↑ 人吉城址と球磨川下りの船。↑ 石垣の上にある公園と、河合奈保子親衛隊・九州支部の皆さん。↑球磨川下りの船から、奈保子さんに手を振る皆さん。↑ 河合奈保子親衛隊の皆さん。↑ 人吉城の「水の手門」付近。↑ 河合奈保子親衛隊の皆さんは、この石垣の上から応援した。↑ 人吉城址の川岸。ここに奈保子さんは立って歌った。↑ 親衛隊の皆さんは、ここから奈保子さんを応援した。
2019.10.19
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人吉に来たら、必ず人吉城の本丸跡まで見に行くことにしています。人吉城跡ですが、鎌倉時代初期に、遠江相良荘(とおとうみさがらしょう:今の静岡県中部)で鎌倉幕府の御家人だった相良長頼(さがらながより)が、源頼朝(みなもとのよりとも)の任命で人吉荘の地頭となり、人吉城を修築したとされています。その時に出土した三日月模様の石から、繊細な三日月を意味する繊月(せんげつ)城とも呼ばれています。本格的な築城は12代当主の為続(ためつぐ)の時代の1470年頃とみられます。球磨(くま)郡を統一した相良氏は、八代や薩摩方面へと領土の拡大を図り、戦国大名として発展しますが、1587年の豊臣秀吉の九州征服により、相良氏は球磨郡だけを支配することになります。1589年には20代当主長毎(ながつね)が石垣工事に着手し、1639年の21代頼寛(よりひろ)の時に、球磨川に面した石垣が完了しました。その後に櫓(やぐら)など工事をして人吉城が完成します。相良氏歴代の居城として明治4年(1871年)の廃藩置県まで使用されました。(人吉城の写真は、2019年8月3日午後撮影)↑ 史跡 人吉城。(繊月城:せんげつじょう)。↑ 大手橋から多門櫓(たもんやぐら)を見る。↑ 多門櫓の中に入る。↑ 甲冑など展示物を見た。↑ 水の手門の辺り。↑ 河合奈保子さんのファンなら、良くご存じの場所。↑ はね出し石垣。 石垣の上に、石が出ている。↑ 御下門(おしたもん)。↑ 三の丸跡。↑ 二の丸跡。二の丸には、城主の住む御殿が建てられていた。↑ 人吉城 本丸跡。↑ 本丸跡。↑ 城を下っていく。↑ 於津賀社跡(おつかしゃあと)。初代相良長頼(さがらながとも)の入国前の人吉城主であった、平家の代官の矢瀬主馬祐(やぜしゅめのすけ)を祀る霊社跡。第二代頼親(よりちか)が建立した。板葺きの神殿と拝殿の2棟があったが、現在は礎石が残っている。↑ 球磨川。
2019.10.18
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2019年8月3日午後、幽霊寺として有名な、人吉市の永国寺に行きました。1408年頃、実底超真和尚(じっていちょうしんおしょう)が寺を開山しました。その和尚が描いた幽霊の掛け軸が残っています。話によると、寺の近くの男性には本妻とは別に妾がおり、本妻が嫉妬して妾をいじめるので、妾は球磨川で入水自殺し、幽霊になって夜な夜な本妻の所に現れ、本妻を苦しめるようになりました。本妻の相談を受けた和尚は、幽霊の姿を見て絵を描きました。そして、和尚は幽霊にその絵を見せました。もともと美しい容姿だった妾は、醜い幽霊の姿に驚き、和尚に成仏させて欲しいと懇願し、和尚は幽霊を成仏させたそうです。幽霊の掛け軸(レプリカ)の横には、西南の役で使用された官軍の砲弾や、西郷隆盛の書が展示してあります。寺には、西郷隆盛本営跡碑があります。1877年(明治10年)に田原坂(たばるざか)で官軍に敗れた西郷隆盛は、八代から人吉に逃れ、この地で官軍を防ごうとしました。当時人吉城は取り壊されていたので、永国寺に本営を設けました。4月27日から33日間、人吉で官軍を防ぎましたが、5月29日に小林(市)まで逃れました。寺は戦禍で燃えてしまいましたが、その時に焼け残ったのが、幽霊の掛け軸です。永国寺から人吉城まで歩き、途中で武家蔵や、繊月(せんげつ)酒造を見ました。↑ 人吉市の永国寺にある、有名な幽霊の掛け軸(レプリカ)。↑ 永国寺の入り口。「ゆうれい寺」。↑ 仁王門。↑ 永国寺。↑ 永国寺。↑ 実底超真和尚が描いた幽霊の掛け軸。↑ 入水自殺して本妻を苦しめた妾の幽霊。↑ 西南の役で使われた官軍の砲弾。↑ 西郷隆盛の書。↑ 1877年(明治10年)に田原坂(たばるざか)で官軍に敗れた西郷隆盛は、八代から人吉に逃れ、永国寺に本営を設けた。4月27日から33日間、人吉で官軍を防いだが、5月29日に小林まで逃れた。↑ 千人塚石塔(耳塚)朝鮮出兵で、豊臣秀吉は諸大名に手柄の証拠として、打ち取った敵兵の耳鼻をそぎ落として塩漬けにし、目録を提出するように命令し、相良頼房もそれを提出した。石塔はその霊を鎮めるためのもの。↑ 人吉ニ番隊士の碑。人吉二番隊士(吉田一誠、羽月威興、恒松三郎、阿川男之、宮原共太郎、甲斐思誠)の6人が、1877年(明治10年)の西南の役で、五木村平瀬の戦いで戦死した。その冥福を祈り、明治12年5月に建立された。↑ 人吉高校(向かって左)、球磨中央高校(向かって右)のパネル。↑ 南稜高校(向かって左)、球磨工業高校(向かって右)のパネル。↑ 人吉藩の家老屋敷跡。正面の堀合門は、明治初期の廃藩置県で、人吉城の建物が取り壊された時、相良家の一族であった新宮氏が拝領し、自宅の門として移した。人吉城の御館の水の手側入り口にあったもので、堀合門と呼ばれていた。現存する唯一の人吉城の建造物。↑ 堀合門。↑ 西南戦争時は、西郷隆盛の宿舎になった。↑ 人吉市立第一中学校入口。↑ 繊月(せんげつ)酒造の焼酎蔵。↑ 繊月酒造の入り口。足湯もある。↑ 繊月酒造にあるお社(やしろ)と繊月石について。お社の中の「繊月石(せんげついし)は、相良家(さがらけ)初代長頼公が人吉城の修築中、1199年に出土した石。繊細な三日月の形をした石で、それ以来、人吉城は「繊月城:せんげつじょう」とも呼ばれている。
2019.10.17
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2019年8月3日午後、人吉駅から歩いて町を散歩しました。今まで肥薩線で何度も人吉を訪れましたが、人吉城や町並みを散策するのに楽しい所です。まずは人吉にある国宝・「青井阿蘇神社」に行きました。青井阿蘇神社は806年に創建されました。阿蘇神社の3分霊をこの地に祀っています。今の建物は慶長15年(1610年)から3年かけて、相良藩の藩主相良長毎(さがらながつね)により造られています。本殿、廊、幣殿、拝殿、桜門の5棟社殿群は、2008年(平成20年)に国宝に指定されました。茅葺(かやぶき)建築物の国宝は初めてです。球磨川では釣人の姿を見ました。アユ釣りだと思います。↑ JR人吉駅。↑ 駅前のからくり時計。↑ 青井阿蘇神社の禊橋(みそぎばし)。↑ 蓮池。↑ 青井阿蘇神社と禊橋。↑ 100年前の風景写真。↑ 国宝青井阿蘇神社の楼門(ろうもん)。↑ 楼門(ろうもん)。↑ 拝殿。↑ 拝殿。↑ 幣殿(へいでん)。↓ 幣殿にある、虎、松、竹の彫刻。↑ 拝殿と幣殿。↓ 幣殿にある、草、竹、鳥、松の彫刻。↑ 幣殿、廊、本殿と続く。↑ 幣殿の松の彫刻。↑ 本殿。↑ 青井阿蘇神社の中に、「青井稲荷神社」があり、鳥居が続く。↑ 青井阿蘇神社の中に、「宮地嶽神社」がある。 ↑ むすび回廊。青井大宮司家で継承されてきた品々を見ることができる。↑ 球磨川。↑ アユ釣り。
2019.10.16
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JR人吉駅の改札そばに、「打撃の神様 巨人軍V9監督 人吉名誉市民 川上哲治(かわかみてつはる)氏」の銅像があります。川上哲治氏は1920年の人吉生まれです。「打撃の神様」、「赤バット」、そして巨人V9監督として記憶に残っています。人吉駅でSL人吉が熊本向けに出発するので、写真を撮りました。何度撮っても楽しいです。(2019年8月3日午後)↑ 川上哲治(かわかみてつはる)氏の銅像。JR人吉駅の改札口。↑「打撃の神様 巨人軍V9監督 人吉名誉市民 川上哲治(かわかみてつはる)氏」↑ 人吉椿。↑ 心に響くSLの旅。 SL人吉。↑ SL人吉がバックで人吉駅に入ってきた。↑ 人吉駅に到着。↑ 人吉駅で、SL人吉と記念撮影。↑ SL人吉が出発する。
2019.10.15
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くま川鉄道の観光列車「田園シンフォニー」の公式テーマソングを、歌手のカサンドラ(casandra)さんが歌っており、YouTubeで「田園シンフォニー」を検索すると、プロモーションビデオを見ることができます。「田園シンフォニー:作詞 カサンドラ、 作曲 新井健史」歌詞には駅名が入っており、ビデオを見るとくま川鉄道の列車に乗りたくなります。2019年8月3日、くま川鉄道・湯前(ゆのまえ)駅から人吉温泉駅に戻りました。湯前駅近くに、「湯前まんが美術館」があり、政治風刺漫画家の那須良輔さんの漫画を見ることができます。次回の機会に行くことにしました。↑ くま川鉄道観光列車「田園シンフォニー」公式テーマソングの歌手「カサンドラ」さん。↑ カサンドラさん。プロモーションビデオより。↑ 湯前駅。↑ 湯前駅前の景色。↑ 湯前まんが美術館/那須良輔記念館の案内。↑ 賽(さい)神社と、潮(うしお)神社の紹介。賽神社は男性のシンボルをかたどったご神体が祀られている。潮神社は「オッパイの神様」として親しまれている。↑ 第65回人吉花火大会のポスター。↑ 湯前駅の「田園シンフォニー 春 SPRING KT-503 ベージュ色」。↑「田園シンフォニー 冬 WINTER KT-501 茶色」。↑ 多良木(たらき)駅のえびす様。↑ 東免田(ひがしめんだ)駅。↑ おかどめ幸福駅。↑ 車窓からアオサギを見た。↑ 一武(いちぶ)駅。 剣豪丸目蔵人(まるめくらんど)の里。↑ ツクシイバラの里 錦町。↑ 球磨川。↑ 人吉温泉駅に到着。↑ 田園シンフォニー 秋 AUTUMN KT-502 赤。↑ 田園シンフォニー 夏 SUMMER KT-504 青。↑ 田園シンフォニー 白秋 HAKUSYU KT-505 白。↑ 赤、青、白。
2019.10.14
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2019年8月3日昼、くま川鉄道の人吉温泉駅で田園シンフォニー「冬」+「春」に乗車し、終点の湯前(ゆのまえ)駅まで行きました。途中には、おかどめ幸福駅があります。以前は北海道帯広市に広尾線の「幸福駅」がありましたが、1987年に廃止されたため、現在営業駅で幸福と名付けられているのは、この「おかどめ幸福駅」だけです。あさぎり駅では、田園シンフォニー「白秋 HAKUSYU KT-505 白色」+「夏 SUMMER KT-504 青色」の写真を撮り、以前くま川鉄道の観光列車であった「KUMA 1」「KUMA 2」が置いてあるのを見ました。↑ くま川鉄道の人吉温泉駅で、田園シンフォニー「冬」+「春」に乗車した。↑ 相良藩願成寺(さがらはんがんじょうじ)駅。 近くに相良藩の菩提寺である願成寺がある。↑ 田園シンフォニーの窓の「春」マークと、田園風景。↑ くま川鉄道の一日乗車券を購入した。↑ 球磨川に掛かる鉄橋。↑ 球磨川。↑ おかどめ幸福駅。 近くに幸福神社(岡留熊野座神社)がある。現在、「幸福」と名前がついている唯一の駅。↑ ハート型。↑ おかどめ幸福駅。↑ あさぎり駅。↑ あさぎり駅に田園シンフォニー「白秋」が見える。↑ 田園シンフォニー「白秋 HAKUSYU KT-505 白色」。↑ 田園シンフォニー「夏 SUMMER KT-504 青色」。↑ あさぎり駅。↑ あさぎり駅に展示されている、くま川鉄道観光列車「KUMA 1」、「KUMA 2」。↑ あさぎり駅と、あさぎり駅ポッポ―館。↑ ゴミ箱。↑ 球磨工業高校 建築科3年生制作 平成28年11月30日。↑ 終点の湯前(ゆのまえ)駅。
2019.10.13
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2019年8月3日昼、JR人吉駅でSL人吉を降車し、隣にある「くま川鉄道」の「人吉温泉駅」に行きました。くま川鉄道ですが、明治42年に旧国鉄の「湯前(ゆのまえ)線」として人吉~湯前間が開業し、平成元年にJRから第三セクターの「くま川鉄道」に変わりました。くま川鉄道の「田園シンフォニー」車両は5種類あり、人吉温泉駅に行くと「冬:WINTER KT501 茶色」、「春:SPRING KT503 ベージュ色」が連結されていました。遠くには「秋:AUTUMN 赤色 KT502」が見えました。人吉温泉駅の裏側には、国指定遺跡の「大村横穴群」があります。27の横穴があり、6~7世紀の古墳時代に造られた墓だそうです。↑ くま川鉄道・人吉温泉駅 「田園シンフォニー」車両の「冬:WINTER KT501 茶色」。↑ くま川鉄道開業30周年。(2019年10月1日)↑ 田園シンフォニー くま川鉄道。↑ 冬:WINTER KT501。↑ 田園シンフォニー。↑ くま川鉄道 人吉温泉駅。↑ くま川鉄道 田園シンフォニー「春:SPRING KT503 ベージュ色」。↑ くま川鉄道 田園シンフォニー「秋:AUTUMN 赤色 KT502」。↑ 車内の風景。↑ くま川鉄道。 人吉温泉~湯前(ゆのまえ)。↑ 人吉温泉駅の裏にある、大村横穴群。
2019.10.12
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2019年8月3日、SL人吉に乗って人吉に行きました。写真は一勝地駅~人吉駅間です。途中では、ラフトに乗って球磨川を下る、ラフティングのグループを見ました。JR人吉駅からは、くま川鉄道の人吉温泉駅に移動し、「田園シンフォニー」号に乗車します。↑ SL人吉号乗車記念 2019年8月3日。↑ 球磨川。↑ ラフティングをする人々。↑ ラフティング。↑ 渡(わたり)駅。↑ SL人吉のトイレ。↑ 人吉駅に到着。↑ 球磨川の川下りの絵。↑ JR人吉駅のパネル。SL人吉号、いさぶろう・しんぺい号、かわせみやませみ号、そしてくま川鉄道の田園シンフォニー号が紹介されている。↑ 人吉駅のSL人吉。↑ SL人吉と記念写真。↑ JR人吉駅のプラットフォームから線路を渡り、くま川鉄道の「人吉温泉」駅に移動する。↑ SL人吉が人吉駅を出発した。
2019.10.11
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2019年8月3日、SL人吉で人吉駅へ向かいます。白石駅から一勝地駅間の写真です。一勝地駅では、駅名にちなみ、必勝お守り記念入場券が発売されています。売店の乗務員の方が、SL人吉の運転士、運転助士に冷たい飲み物を渡していました。石炭を熱いボイラー室に入れる作業は、本当に大変だと思います。↑ 白石駅から一勝地駅まで、球磨川を見ながら進んでいく。↑ 一勝地(いっしょうち)駅に到着した。↑ 一勝地駅で記念撮影。↑ ボイラー室の入り口を開けて、石炭を入れる。↑ 冷たい飲み物を渡す。↑ 石炭庫から石炭をすくいとる。
2019.10.10
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2019年8月3日、SL人吉(8620形58654号機関車)に乗車しました。写真は、八代駅~白石駅間で撮ったものです。球磨(くま)川が太陽の光を受け、エメラルドグリーンに見えました。また、SL人吉のラッピング自動車が、県道304号をSL人吉と並行して走っているのを見つけ、びっくりしました。↑ SL人吉の売店。↑ トンネル内に入った。↑ SL人吉は、球磨川と平行して肥薩線を走る。↑ 球磨(くま)川。↑ SL人吉の機関士、機関助士の紹介があった。↑ SL人吉が、球磨川第一橋梁を進む。↑ 球磨川第一橋梁と球磨川。↑ ここからSLは対岸を走る。↑ 球磨川。↑ 太陽の光によって、球磨川がエメラルドグリーンに見える。↑ 後方を見ると、SL人吉の煤煙が白く残っている。↑ 球磨川がエメラルドグリーンに見える。↑ 川沿いに白っぽい煤煙が残っている。 SL人吉が進んだルート。↑ SL人吉と平行して走る黒い車。SL人吉のマークに気が付いた。↑ SL人吉のロゴマークが車体にあり、びっくりした。↑ 白石駅に到着した。↑ 白石駅。↑ SL人吉。↑ 石炭。↑ SL人吉の煙で、駅の案内表示がはっきり見えなくなった。
2019.10.09
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2019年8月3日、熊本県の新八代駅で肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」を下車した後、JR九州の「SL人吉」に乗車し、人吉に向かいました。SL人吉は8620形(ハチロク)58654号機関車で、大正時代の1922年に造られました。現役では日本最古のSLです。50系を改造した3両の客車も連結します。私は今回で2回目の乗車です。いつも予約が取れず諦めていましたが、今回残りの席をやっと予約できました。まずは新八代駅~八代駅間のSL人吉の写真を紹介します。蒸気機関車の姿を見て、汽笛を聞くと、胸がワクワクしてきます。↑ SL人吉:8620形(ハチロク)58654号機関車が新八代駅に入ってくる。↑ 八代駅に到着する。↑ SL人吉と記念撮影。↑八代駅で、「SL人吉」と「かわせみやませみ」号が両方見られた。 ↑ かわせみやませみ号。↑ かわせみ車両に、カワセミの絵がある。↑ 日本製紙八代工場の建物に描かれた、八代市の「妙見祭」の絵。↑ SL人吉の煙が視界を覆ってきた。
2019.10.08
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2019年8月3日、おれんじ食堂が山から海へと進み、不知火海が見えてきました。青い海が続きます。車窓からは、天草上島や宇土半島が見えます。天気が良かったせいか、島原半島の雲仙普賢岳がはっきり見えました。そのそばにも山が見えたのですが、佐賀県と長崎県にまたがる経ヶ岳ではないかと思います。日奈久(ひなぐ)温泉駅では、放浪の俳人・種田山頭火の人形が立っています。種田山頭火は山口県防府市の出身で、熊本県で出家しました。昭和5年9月に日奈久温泉を訪れ、日記には「温泉はよい、本当によい、ここは山もよし、海もよし、できることなら滞在したいのだが、いや一生勤きたくないのだが」と書き残しています。列車の中でも、俳句を書きませんかと紙を頂きました。日奈久温泉駅の案内図を見ていると、「太閤越えの道」が赤線で描かれています。豊臣秀吉が全国統一のため九州を攻めました。1588年4月に豊臣秀吉が肥後から薩摩へと進み、最終的に薩摩の島津義久が降伏しました。この時に豊臣秀吉と軍が肥後を進んだ道だと思います。乗務員の方からは、肥薩おれんじ鉄道の魅力や、沿線の観光名所など色々と教えて頂きました。出水に飛来するツルは白だけでなく黒も多い話や、出水市の箱崎八幡神社の巨大な鈴の話、日奈久温泉の俳句イベント、好きな山頭火の俳句、そして美味しい焼酎の話など、とても面白かったです。楽しい時間を過ごす事が出来ました。本当にどうもありがとうございました。↑ 乗務員の方から、天気が良いので普賢岳が良く見えると教えて頂いた。↑ 不知火海。↑ 天草の上島。↑ 姫戸付近。↑ 遠くに島原の普賢岳が見える。↑ 手前は天草の上島。奥は普賢岳。↑ ズームにして普賢岳を撮る。↑ 普賢岳の右側に見える山は、経ヶ岳ではないかと思う。↑ 奥は大矢野島。手前は向かって左から天草の上島、維和島、戸馳島。↑ 種田山頭火の人形。 日奈久温泉 開湯600年。「温泉はよい、本当によい、ここは山もよし、海もよし、できることなら滞在したいのだが、いや一生勤きたくないのだが 山頭火」↑ 日奈久(ひなぐ)温泉駅。↑ 駅前。↑ 日奈久温泉の案内看板。↑ 看板を見ていると、「太閤越えの道」が赤線で描いてある。↑ オレンジジュースをおかわりした。↑ 薩摩切子の紹介。↑ 薩摩焼の紹介。↑ 大島紬の紹介。↑ 出水市の箱崎八幡神社。↑ BOSEのスピーカーがついている。↑ トイレ。↑ 酒の棚。↑ 八代駅に近づいてきた。↑ 車内で記念撮影をした。↑ 新八代駅に到着した。↑ おれんじ食堂を下車し、隣のプラットフォームに移動した。↑ おれんじ食堂号は10時8分に川内(せんだい)へ出発。SL人吉は10時25分に出発。↑ 新八代駅で、おれんじ食堂が走り始める。↑ おれんじ食堂が、川内行き2便として新八代駅に入ってきた。↑ 2便の客を迎える乗務員の方。↑ 鐘を鳴らして客に出発を伝える。↑ おれんじ食堂2便が出発。↑ 乗車記念で、いろいろなグッズをいただきました。・「おれんじ食堂のひみつ」に「実は列車の色は紺ではなく、ナス紺なのです!!」と書いてあった。・日奈久名産 味自慢のニッケ玉。日奈久の松永製菓。・日奈久職人の手作りの箸。潮谷広吉商店。・晩白柚(ばんぺいゆ)の入浴剤「ばんぺいゆ風呂のかほり」。晩白柚(ばんぺいゆ)は世界最大の柑橘類で、八代地域では12月頃の収穫時期になると晩白柚をまるごと浮かべ、香りを楽しむ「ばんぺいゆ風呂の習慣があります。↑ 乗車記念。↑ 購入したバッジ。
2019.10.07
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2019年8月3日、出水駅で「おれんじ食堂」1便に乗りました。乗務員の方から美味しいコーヒーを入れていただき、朝日の射しこむ車窓を見ながら、幸せな気分になりました。列車はまず、薩摩藩と肥後藩の境で停車しました。境川が流れていますが、江戸時代は藩境なので橋が作られず、明治時代に「境橋」という石橋ができたそうです。水俣駅では、2018年11月に公開された映画「かぞくいろ ーRAILWAYS わたしたちの出発ー」で、女優の有村架純さんの撮影が行われた場所として紹介されていました。監督と俳優のサインが飾られています。朝食のハム入りパンが運ばれてきたので食べました。津奈木(つなぎ)駅を過ぎると、モノレールが山頂まで続く岩山が見えました。山頂には中世に築かれた津奈木城跡があり、別名舞鶴城と言われたので、今は舞鶴城公園になっているそうです。「重盤岩(ちょうはんがん)」という名前の奇岩があり、岩上に旗が立っています。この姿は、ドイツ・ライン川にあるローレライの岩を思い出させました。よく似ています。湯浦駅を過ぎてデザートを食べていると、山の上の佐敷城が見えました。加藤清正が築城しました。↑ 乗務員の方から美味しいコーヒーを入れていただいた。↑ 車内の風景。↑ ル・プレジールより。甑島(こしきじま)のみかん塩クッキー。↑ お菓子麦屋のデコポンマドレーヌ。↑ 「おれんじ食堂 5つの朝活」の紙が置いてあった。↑ コーヒーをコップに入れる。↑ 「おれ食:おれんじ食堂」の停車場所。↑ 薩摩藩と肥後藩の境で停車した。間には境川が流れる。↑ 江戸時代は藩境なので境川に橋が作られず、明治時代に「境橋」という石橋ができた。↑ 水俣駅で停車。↑ 水俣市の観光案内マップ。↑ いわし籠。 カツオ漁のエサとなるカタクチイワシを生かしたまま船で運ぶためのもの。↑ 2018年11月に公開された映画「かぞくいろ ーRAILWAYS わたしたちの出発ー」の紹介。↑ 國村隼さん、有村架純さん、歸山竜成さん。↑ 國村隼さん、有村架純さん、歸山竜成さん。↑ 水俣駅の映画ロケ。有村架純さんは、本来停止しないといけない位置を超えて、列車をオーバーランさせてしまう。水俣駅では、2018年11月に公開された映画「かぞくいろ ーRAILWAYS わたしたちの出発ー」の、監督と俳優のサインが飾られている。↑ 監督の吉田康弘さん。↑ 國村隼さん。↑ 有村架純さん。↑ 板尾創路さん。↑ 木下ほうかさん。↑ 水俣駅。↑ 水俣駅に停車中の「おれんじ食堂」。↑ 線路に沿って、春は桜が満開になるとの事。↑ 朝食のハム入りパン。↑ 津奈木駅。↑ 山頂に舞鶴城公園があり、麓からモノレールが通っている。写真の中央にモノレールが写っている。↑旗が立っている岩山が「重盤岩(ちょうはんがん)」。↑ドイツのローレライの岩によく似ている。↑ 九州新幹線と肥薩おれんじ鉄道が交差するあたり。↑ テーブルを広げることができる。↑ デザートが来た。↑ 佐敷城。↑ 佐敷城の石垣が見える。
2019.10.06
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2019年8月3日朝、肥薩おれんじ鉄道の出水駅で、グルメ観光列車である「おれんじ食堂」に乗りました。「おれんじ食堂」はテレビや雑誌でもよく取り上げられており、私も妻も両親も、一度は乗ってみたいと話していました。去年予約を入れていたのですが、急に行くことができなくなり、残念ながらキャンセルしました。今年は絶対乗りたいと思い、早いうちから予約をしました。本当に楽しみでした。1号車はダイニングカーで、2号車はリビングカーです。一日4便で、私は1便(出水駅→新八代)のモーニング付き列車でした。他の便もメニューがそれぞれ違い、例えば2便は、フレンチの鉄人である酒井宏行さん監修のフレンチが楽しめます。今はお小遣いが底をつくので無理ですが、いつかは2便に乗りたいものです。↑ 肥薩おれんじ鉄道の出水駅に、グルメ観光列車「おれんじ食堂」が入ってきた。↑ 「おれんじ食堂」の乗務員の方々が待っている。その横には食材、器財を置いた移動棚がある。↑ 「おれんじ食堂」が到着した。↑ 「オレンジ食堂」の車体は、JR九州の車両デザインを手がけられている水戸岡鋭治さんがデザインした。乗務員の方々が、食材などを搬入している。↑ 「おれんじ食堂」1号車。↑ HSOR 116A車両。↑ JAPAN KYUSYU WEST COAST LINE ORANGE RAILWAY. Orange Restaurant.↑ おれんじ食堂。↑ 記念撮影。↑ 平成元年8月3日。↑ 出水駅 7時56分出発。↑ 1号車の内部風景。↑ おれんじ鉄道路線図。↑ ダイニングルーム。↑ 2号車に続く。↑ 2号車の内部風景。
2019.10.05
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2019年8月3日朝、鹿児島県の出水駅で「銀河鉄道999 ダイヤモンドリングの彼方へ」のパネルを見ました。2009年7月22日、奄美大島、種子島、屋久島エリアで皆既日食があったり、JAXAの種子島宇宙センターもあることなどから、財団法人日本宇宙少年団(YAC)は鹿児島県と共同で、映画「銀河鉄道999 ダイヤモンドリングの彼方へ」を制作し、2009年9月9日に鹿児島限定で公開しました。肥薩おれんじ鉄道では、2010年から2015年まで「銀河鉄道999」のラッピング列車が走っていました。出水駅に「銀河鉄道999」のパネルが置いてあり、メーテルを見ることができます。肥薩おれんじ鉄道の車内に「芦北伽哩街道(あしきたカレー街道)」のパンフレットがありました。漫画家の村枝賢一さんが表紙を描いています。村枝さんは熊本県の芦北町出身で、作品はサッカー漫画の「俺たちのフィールド」や、「RED」、「仮面ライダーSPILITS」、「妹先生渚」などがあります。肥薩おれんじ鉄道に「たのうら御立岬公園(たのうらおたちみさきこうえん)」駅があります。芦北町の駅で、近くの「赤松館」は、昭和初期に料理番組で、初めて家庭にカレーを紹介した料理研究家の「江上トミ」さんの実家です。江上さんはテレビや本、雑誌で、料理を沢山紹介されました。パンフレットには、肥薩おれんじ鉄道の沿線にある食堂のカレーが色々と紹介されており、「芦北伽哩街道(あしきたカレー街道)」と名付けられています。駅の車庫には、肥薩おれんじ鉄道が舞台となった映画「かぞくいろ RAILWAYS 私たちの出発」のラッピング車両が少し見えました。↑ 出水(いずみ)駅のメーテル。↑「銀河鉄道999 ダイヤモンドリングの彼方へ」のパネル。↑ 星野鉄郎。↑ 車掌さん。「銀河鉄道999 ダイヤモンドリングの彼方へ」 2009年に鹿児島で公開された。↑ 肥薩おれんじ鉄道の中にあるパンフレット。↑ 沿線地域パンフレット。ご自由にどうぞ。↑「芦北伽哩街道(あしきたカレー街道)」のパンフレット。漫画家の村枝賢一さんが描いた。↑ 漫画家の村枝賢一さんの紹介。↑「芦北伽哩街道(あしきたカレー街道)」にある店のカレーを紹介している。↑「赤松館」は、昭和初期に料理番組で、初めて家庭にカレーを紹介した料理研究家の「江上トミ」さんの実家。↑ 肥薩おれんじ鉄道の「たのうら御立岬公園駅」や「赤松館」の地図。↑ 肥薩おれんじ鉄道の出水駅のプラットフォームから、車庫が見える。↑ 車庫には、肥薩おれんじ鉄道が舞台となった映画「かぞくいろ RAILWAYS 私たちの出発」のラッピング車両が少し見える。↑ 鹿児島水族館車両と一般車両。↑ 一般車両。↑ 一般車両と、「おれんじ食堂」。
2019.10.04
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2019年8月3日朝、出水駅で肥薩おれんじ鉄道の「鹿児島国体ラッピング」列車を見ました。2020年10月3日~13日に鹿児島国体、そして10月24日~26日に全国障害者スポーツ大会が鹿児島で行われるという事で、PRキャラクターの「ぐりぶー」と「さくら」が色々な競技をする姿が車体に描かれています。偶然ですが、ちょうどこの日が「鹿児島国体ラッピング」列車のお披露目の日でした。↑ 燃ゆる感動かごしま国体 2020年10月3日~13日。PRマスコットである「ぐりぶー」と「さくら」のラッピング。↑ 肥薩おれんじ鉄道 HSOR-106A。↑ かごしま国体(2020年10月3日~13日)↑ 全国障害者スポーツ大会 かごしま大会 2020年10月24日~26日。
2019.10.03
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2019年8月3日、鹿児島県出水(いずみ)市にある、出水麓の武家屋敷群を見ました。薩摩藩は3方が海に囲まれていますが、北は陸地で肥後と接しています。同藩は鹿児島の鶴丸城を中心に113か所の外城を設け、特に北の要として出水に藩最大の外城(とじょう)という行政区画を築き、優れた武士を集めて武家屋敷を作ったそうです。外城の中心地を麓(ふもと)と呼びました。この外城は約400年前に30年の歳月をかけて丘を整地し、道路を整備し、川石で石垣を作ったそうです。朝早かったので武家屋敷の中は入れませんでしたが、武家屋敷の町並みを見る事が出来ました。↑ 出水麓武家屋敷群に行く坂道。↑ 川石を積んだとされる石垣。↑ 出水保育園。↑ 出水麓伝統的建造物群保存地区。本保存地区は、台地上に形成された「髙屋敷」と呼ばれた旧武家屋敷地で、「西南の役」、「太平洋戦争」の戦災からも免れ、良好に旧態を留めている。道に面して石垣を築き、その上に生垣を設けるなど、従前の景観を踏襲している。↑ 武家屋敷群の風景。↑ 税所邸。(公開武家屋敷)税所家は代々、郷役を勤めた家で、現在の居宅は約250年前の建築。↑ 竹添邸。(公開武家屋敷)↑ 大河ドラマ 篤姫 ロケ地 竹添邸。↑ 肩にかけた荷物が重い。↑ 祝 日本遺産認定。 薩摩の武士が生きた町。↑ いずみ観光牛車茶屋。↑ 大久保利通像。 シラス「火山灰」で出来ています。絶対に触れないでください。↑ 武宮邸。(公開武家屋敷)↑ 日置流腰矢(へきりゅうこしや)のマンホール。↑ 米ノ津川を渡り、出水駅に向かう。↑ 米ノ津川と、肥薩おれんじ鉄道の橋梁が見える。↑ 肥薩おれんじ鉄道。↑ 米ノ津川。↑ 出水市のつるのマンホール。↑ 出水駅。↑ 肥薩おれんじ鉄道。
2019.10.02
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2019年8月3日、鹿児島県出水(いずみ)市にある八坂神社の「日本一のお地蔵さま」を見ました。お地蔵さまの台座からの高さは、4.2mあります。「地蔵菩薩の由来」の看板を読むと、このお地蔵さまは「放光王地蔵」で、全ての地蔵菩薩の総元締めで、霊験あるありがたいご本尊だそうです。この作者は、出水市大田に住んでいた班目(まだらめ)良夫氏実兄の班目日佛氏です。この地蔵菩薩は他の5人を含め6人によって、1刻み3礼という厳しい密教の作法に従い、一枚岩を刻んで建立されたそうです。↑ 鹿児島県出水(いずみ)市、日本一のお地蔵さまの入り口。↑ 日本一のお地蔵さまの参道。↑ 出水市の八坂神社とお地蔵さま。↑ お地蔵さまは台座から4.2mの高さがある。↑ 地蔵菩薩。↑ 境内から街を見る。↑ 水かけ地蔵。↑ 地蔵菩薩の由来が書いてあった。↑ 水かけ地蔵。↑ 時計地蔵。↑ 平良川。
2019.10.01
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