全25件 (25件中 1-25件目)
1
2019年6月22日、東京上野の国立西洋美術館に行き、松方コレクション展を見ました。国立西洋美術館60周年記念として、松方コレクションの約160点が展示されています。フランス政府が日本に絶対返還しないと決めた、ゴッホの有名な「アルルの寝室」を見ることができたり、2016年にパリで発見され、上半分が失われていたモネの「睡蓮、柳の反映」につき、1年かけて現存部分を修復した絵を見る事ができました。松方幸次郎氏(1866-1950)ですが、総理大臣・松方正義氏の3男で明治維新の直前に鹿児島で生まれました。父親が明治政府に呼ばれたので東京生活をし始め、共立学校(現開成高校)から東大予備門に進みますが、寮生のストライキに参加して放校処分を受けます。その後アメリカのラトガーズ大学に行き、エール大学に転学します。民法の博士号を取った後、ヨーロッパを巡り、帰国後は父親が松方内閣を組閣したので秘書官を務め、父の退陣後は保険会社の副社長や銀行の発起人になり実業家となります。川崎正蔵氏は鹿児島生まれて川崎造船を興し、松方正義氏の依頼で幸次郎氏の留学のスポンサーになっていました。その縁で松方氏は川崎造船所の社長になります。その後は第一次世界大戦の造船需要を先読みして船を大量に建造し、大きな利益を得ます。それを絵画購入資金にします。本物を見た事がない日本人のために東京に美術館を作る目的で、絵画、彫刻、タペストリー、日本の浮世絵など3,000点以上を購入します。しかし、1927年に昭和金融恐慌で造船所は経営破綻に陥り、日本に送っていたコレクションは「欧州美術展覧会」でオークションによる売立てが行われます。ヨーロッパに残っていた絵も、イギリスのパンテクニカン倉庫の絵画は火災で焼失し、パリで保管していた絵はドイツ軍の侵攻のため、日置釭三郎氏がパリの西80キロのアポンタンという村の家に隠しました。第二次大戦後、絵画は敵国資産としてフランス政府に差し押さえられました。1951年9月にサンフランシスコ平和条約が調印され、吉田茂首相はフランスのシューマン外相に松方コレクションの返還について申し入れをしました。フランスからの返還条件の中に、美術館での絵画保管があり、国立西洋美術館を建設して、松方コレクションを展示することになりました。ただし、松方コレクションの中でも重要とされた17点は、フランス政府は返還を認めず、パリのオルセー、ルーブル美術館に飾られています。返還されなかった絵の1枚が、ゴッホの「アルルの寝室」です。オランダに住んでいた頃、よくパリのオルセー美術館に行っては「アルルの寝室」を見ました。松方氏が当時留学中の美術史家の矢代幸雄氏と画廊でこの絵を見つけた時、矢代氏は松方氏に絶対買ってくださいとお願いしたのに、松方氏が買うそぶりをしなかったので怒って別れたが、その後に松方氏がこの絵を購入しており驚いたという逸話があります。この絵を東京で見ることができるのは、なんだか不思議な気がします。作家の野上弥生子さん(のがみやえこ:1885-1985)が「真知子」という長編小説を書いていますが、欧州美術展覧会の松方コレクションについて記載している所があります。「真知子」を読みましたが、昭和初期(1928年~1930年頃)の世相、プロレタリア思想、女性の結婚について色々書いてあります。とても重いテーマでした。私が初めて買った野上弥生子さんの本は、岩波文庫の「欧米の旅(上、中、下)」です。ヨーロッパについて書いてある本は少しずつ買って集めていたのですが、野上さんが1938年(昭和13年)から1年以上、海外旅行をし、その道中について詳しく記されています。野上さんの夫は法政大学文学部名誉教授で、日英交換教授として渡欧することになり同行されました。本の目次は次の通りです。「上海、香港、シンガポール、ジョホール、ペナン、コロンボ、アデン、紅海、ポートサイド、エジプト、東地中海、イタリア、イギリス、オランダ、スイス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ドイツ再び、スペイン、落人日記、アメリカ一瞥」。当時は日中戦争中であり、ヨーロッパ旅行中はスペイン市民戦争でフランコ軍がマドリッドを占領し、ドイツ軍がポーランド侵攻を開始して第二次世界大戦が勃発しており、読むとその雰囲気や空気を感じることができます。この旅行記で一番印象に残る部分は、ニューヨークの摩天楼を見ながら想像している部分です。摩天楼が次々に火を吐き、鉈で切られる樹木のようにすっ飛んでいく怪奇と壮絶の光景についての想像が書いてあります。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの、ニューヨーク貿易センター爆破事件の映像をテレビで見た時、この記載部分をすぐに思い出しました、野上弥生子さんの「想像力」に驚きました。(欧米の旅(下)野上弥生子著 岩波文庫 ニューヨーク P341~P342より) ↑ 松方コレクション展 (国立西洋美術館開館60周年記念)↑ フィンセント・ファン・ゴッホの「アルルの寝室」。(パリ・オルセー美術館蔵)↑ 東京上野・国立西洋美術館。 クロード・モネの「睡蓮」国立西洋美術館は、建築家であるル・コルジュビエ氏の設計で、2016年にユネスコ・世界文化遺産に登録された。↑クロード・モネの「睡蓮」(部分) 国立西洋美術館の松方コレクション。↑ 松方コレクション展のパンフレット。↑ 流転の大コレクション 激動のドラマ。↑ 松方幸次郎氏。 川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)社長。↑ ゴッホの「アルルの寝室」。ゴッホは同じ構図の絵を何枚も書いているが、自分の耳を切り落としてゴーギャンと別れた後、最後に描かれた寝室の絵。↑ ピエール=オーギュスト ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」。当初フランス政府はこの絵を日本に返さない予定であったが、日本の粘り強い交渉により、日本に返還された。↑ クロード・モネ。「睡蓮、柳の反映」。2016年にパリで発見され、国立西洋美術館に寄贈された。縦2メートル、横4.25mで、発見時に画布の上半分は失われていた。↑ 1年かけて修復して絵が甦った。↑ 美術館で購入したカタログ。「The MATSUKATA COLLECTION A One-Hundred-year Odyssey」。表紙には、修復して甦った「睡蓮、柳の反映」が印刷されている。↑ 世界 名画の旅2 フランス編Ⅱ 朝日文庫 /朝日新聞日曜版「世界 名画の旅」取材班 / 朝日新聞社。P44~P57は、ゴッホの「アルルの寝室」の記事がある。松方コレクションの事が書いてある。P56には、ゴッホの「アルルの寝室」が日本に返還されなかった事について、オルセー美術館学芸員の次のコメントが紹介されていた。「この絵を熱望した日本の方々のことを思うと複雑な気持ちになります。何といえばいいのか。どうか理解してください。フランスの美術館関係者がどうしても手放す気になれなかった作品なのです」。↑ 本には、ブラングイン作の「松方幸次郎氏の肖像」や、パリ・ロダン美術館の庭にある「考える人」の写真がある。 ブラングインは船の絵を多く描き、松方氏が初めて購入した絵はブラングインの絵だったと言われている。二人は懇意であり、イギリスのパンテクニカン倉庫で保管していた絵の多くは、ブラングインの絵であった事が判明している。(2016年2月に、「パンテクニカン倉庫保管絵画等リスト:松方幸次郎氏資産」と題するリストが発見され、焼失した作品の全容が分かった。松方コレクション展に、そのリストが展示されている)ブラングインは松方氏の美術館建設構想のために「共楽美術館」のデザイン図を描いた。東京麻布の仙台坂の松方家所有の土地が美術館の候補地となっていた。松方コレクション展で、ブラングインの「共楽美術館構想俯瞰図、東京」が展示されている。↑ 幻の美術館 甦る松方コレクション / 石田修大 / 丸善ライブラリー。この本を読んで、松方幸次郎氏の事、コレクションの歴史、コレクションの内容がよく理解できた。とても勉強になった本。いまだに何度も読み返している。↑ 「幻の美術館 甦る松方コレクション」より。P62~P63。↑ 野上弥生子全小説7 真知子 / 野上弥生子 / 岩波書店。↑ 野上弥生子さんの長編小説 「真知子」。↑「真知子」P63~64で、松方氏蒐集欧州美術展覧会の絵を見た事が書いてある。小説内で松方氏は「M」となっている。1)「セガンチニの「羊毛刈」の画に向かう時、彼らは板小屋の前で一匹の羊の毛を刈っている女の背中、腰、羊を押さえつけた左の腕と鋏を動かしている右の腕の素晴らしさにまず驚かされる」。↑ 松方コレクション展で、ジョヴァンニ・セガンティーニの「羊の毛刈り」が展示されていた。2)「ロゼチの三つの作品の前では、二人ともその心を言葉に出し合った。(途中省略)婦人の半裸像が、顔面と首の特異性によって、疑いもなく詩人なる画家の妻で、若くして逝ったジダルであったことは、画の価値以外になつかしい興味であった。↑ 松方コレクション展で、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの「夜明けの目覚め」が展示されていた。ロセッティの事を小説では「ロゼチ」と書いてある。↑ ラ ミューズ 第34号 テイト・ギャラリー/講談社/1993年10月12日発行。上記雑誌の表紙には、ロンドンのテイト・ギャラリーにあるロセッティの「プロセルピナ」の絵がある。モデルは妻のシッダルではなく、友人ウィリアム・モリスの夫人ジェーン。シッダルが麻薬に溺れて死んだのは、ロセッティがジェーンを愛していたためと言われている。↑ 左はロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」。モデルはアヘンの大量服用で亡くなった妻のジッダル。右はロセッティの「プロセルピナ」でシェーンがモデル。↑ 私が初めて買った作家・野上弥生子さんの本は、岩波文庫の「欧米の旅(上、中、下)」だった。野上さんが1938年(昭和13年)から1年以上、海外旅行をし、道中について詳しく記されている。野上さんの夫は法政大学文学部名誉教授で、日英交換教授として渡欧することになり同行した。本の目次は次の通り。「上海、香港、シンガポール、ジョホール、ペナン、コロンボ、アデン、紅海、ポートサイド、エジプト、東地中海、イタリア、イギリス、オランダ、スイス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ドイツ再び、スペイン、落人日記、アメリカ一瞥」。↑ 野上弥生子さんの作品で、読んだ本。【国立西洋美術館の庭に設置されている、松方コレクションのオーギュスト・ロダンの作品】↑ オーギュスト・ロダン(1840年ー1917年)の「考える人(拡大作)」。松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「カレーの市民」。松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「地獄の門」。松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「アダム」。 松方コレクション。↑ オーギュスト・ロダンの「エヴァ」。 松方コレクション。
2019.06.28
コメント(0)
2019年6月16日、川崎市多摩区にある「川崎市立 日本民家園」に行き、古民家を見ました。23の建物を見ることができます。家の中をじっくり見ていると、懐かしい感じがしました。↑ 生田緑地にある日本民家園。↑ 日本民家園入口。↑ 日本民家園 案内図。23の建物が並ぶ。↑ 0)原家住宅。 神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町。 1911年。【高度な木造建築技術を駆使した大地主の家】↑ 1) 鈴木家住宅。 福島県福島市松川町本町。 19世紀初期。【奥州街道の馬宿】↑ 2) 井岡家住宅。 奈良県奈良市高畑町。 17世紀末期から18世紀初期。【線香屋を営んだ奈良の商家】↑ 3)佐地家の門・共待(ともまち)・塀。愛知県名古屋市東区白壁。19世紀初期。【お供が控えた武家屋敷の門】↑ 4)三澤家住宅。 長野県伊那市西町。19世紀中期。【宿場で薬屋を営んだ板葺き屋根の家】↑ 5)水車小屋。 長野県長野市上ケ屋。19世紀中期。【三つの機能をもった山里の水車】↑ 6)佐々木家住宅。長野県南佐久間郡佐久穂町畑。 1731年。【信州の「かぶと造り」民家】↑ 7)江向(えむかい)家住宅。富山県南砺(なんと)市上平細島。18世紀初期。【田の字型の間取りを持つ合掌造りの家】↑) 8)山田家住宅。 富山県南砺市桂。18世紀初期。【白川村合掌造の特徴を備える五箇山の合掌造り】↑ 9)野原家住宅。富山県南砺市利賀(とが)村利賀。18世紀後期。【曲がりの鋭いチョウナ梁が見事な家】↑ 10)山下家住宅。岐阜県大野郡白川村長瀬。19世紀前期。↑ 11)作田(さくた)家住宅。千葉県山武軍九十九里町作田 主家17世紀後期。土間18世紀後期。【イワシの地引網漁で栄えた網元の家】↑ 12)沖永良部(おきのえらぶ)の高倉。鹿児島県和泊(わどまり)の内城(うちしろ)。19世紀後期。【ねずみ返しのある食糧倉庫】↑ 13) 広瀬家住宅。山梨県甲州市塩山上萩原。17世紀末期。【芝棟と土座のある甲州民家】↑ 14) 太田家住宅。茨城県笠間市片庭(かたにわ)。主家17世紀後期、土間18世紀後期。【家の中に雨どいのある二つ屋根の家】↑ 15)北村家住宅。神奈川県秦野市堀山下。1687年。【貞享4年の墨書が残る古民家】↑ 16)清宮家住宅。神奈川県川崎市多摩区登戸。 17世紀後半。【棟に花が咲く民家園最古の家】↑ 17)伊藤家住宅。神奈川県川崎市麻生区金程(かなほど)。17世紀末期から18世紀初期。【民家園誕生のきっかけとなった川崎の民家】↑ 18)蚕影山祠堂(こかげさんしどう)。神奈川県川崎市麻生区岡上。1863年。【養蚕信仰を今に伝えるお堂】↑ 19) 岩澤家住宅。神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷(すすがや) 17世紀末。【茶畑に囲まれた山間の農家】↑ 20)船越の舞台。三重県志摩市大王町船越。1857年。【本格的な装置を備える漁村の歌舞伎舞台】↑ 21) 菅(すげ)の船頭小屋。神奈川県川崎市多摩区菅。 1926年。【担いで運べる機能的な小屋】↑ 22) 工藤家住宅。岩手県紫波(しわ)郡紫波町船久保 1751年~1763年。【馬と共に暮らした南部の曲屋】↑)23)菅原家住宅。山形県鶴岡市松沢。18世紀末期。【出羽三山に抱かれた豪雪地帯の家】
2019.06.27
コメント(0)
藤子・F・不二雄ミュージアム内では、「先生の部屋」や膨大な蔵書を見ることができます。先生が初めて購入したという、藤田嗣治さんが描かれた女性の美しい絵も飾られていました。野比家のミニチュアもあり、部屋も再現されていました。部屋にある本棚を見るのが楽しかったです。↑ バーチャルの画面で部屋を見る。↑ Fシアター入口。映画を見ることができる。
2019.06.26
コメント(0)
藤子・F・不二雄ミュージアムにある庭の様子です。
2019.06.25
コメント(0)
2019年6月16日、神奈川県川崎市多摩区長尾にある「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」に行きました。藤子・F・不二雄さんが1961年から川崎市生田で生活をされたのが縁で、その近くにミュージアムができ、ドラえもんの誕生日である9月3日に合わせ、2011年9月3日に開館しました。ローソンの事前チケット予約販売制になっており、休日に急に予約を入れようとするといつも予約一杯だったので、長い間諦めていたのですが、去年富山県高岡市の「高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」を見に行き、やはり川崎市のミュージアムも行こうと考え、今回行くことにしました。ミュージアム入口にも色々と面白い仕掛けがあり、入館の待ち時間も楽しめました。↑ 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム。↑ 壁にドラえもんの色々な目がはめてある。↑ 傘のカギのかけ方。↑ ドラえもん。↑ ジャイアン。↑ チンプイ。↑ コロ助。 (キテレツ大百科)↑ 春日エリ。 (チンプイ。マール星の王子の妃に選ばれてしまうエリ)↑ ゴンスケ。(21エモンの芋ほりロボット)↑ 入館の扉が開く間、壁に埋め込まれた沢山のディスプレイを楽しむ。
2019.06.24
コメント(0)
2019年6月16日、神奈川県川崎市登戸駅前から、藤子・F・不二雄ミュージアム行き直行バスに乗りました。直行バスは「ドラえもん号」、「パーマン号」、「エスパー魔美号」、「キテレツ大百科号」の4両あり、それぞれに藤子・F不二雄作品のキャラクターが描かれています。「エスパー魔美号」を撮影したく、ずっと待っていたのですが、それ以外の3台が順番に走っていたようで、撮ることができませんでした。また次の機会に行きたいと思います。直行バスのナンバープレートは、ドラえもんの誕生日である「2112年9月3日」にちなみ、「2112」に統一されています。↑ 登戸駅。↑ 「パーマン号」。↑ 「キテレツ大百科号」。↑ 「ドラえもん号」。
2019.06.23
コメント(0)
2019年6月16日、小田急電鉄で登戸駅(神奈川県川崎市)に行きました。「藤子・F・不二雄ミュージアム」が近くにあり、駅構内にはドラえもんなどのキャラクターが描かれています。↑ 小田急・登戸駅。
2019.06.22
コメント(0)
羽田空港国内線ターミナルで見かけた自動販売機です。熊本、岡山県総社市、富山、福島、山形、日本全国インスタントラーメン、福岡、りんごの自販機で、一部を紹介します。特に岡山県総社市の小学校給食カレーは、小学校毎に具と味が違い、それぞれに個性があり、箱の写真を見るだけでも懐かしい感じがします。↑ 2019年5月24日に就航した ANA エアバスA380「FLYING HONU : フライング ホヌ (空飛ぶウミガメ): 東京ーホノルル間フライト」の写真。↑ 羽田空港国内線ターミナル。↑ 自動販売機。↑ 「熊本県ご当地自販機」。↑ くまもん。「熊本熊」。↑ 自販機商品の紹介。↑ 自販機の中。↑ 「岡山県総社市 昭和時代の給食カレー」自動販売機。 有名な総社市小学校給食カレー。↑ ①総社小学校 ②清音(きよね)小学校 ③総社中央小学校↑ ④昭和小学校 ⑤維新(いしん)小学校 ⑥池田小学校↑ ⑦三須(みす)小学校 ⑧秦(はだ)小学校 ⑨阿曽(あそ)小学校↑ ⑩服部(はっとり)小学校 ⑪久代(くしろ)小学校 ⑫山田小学校↑ ⑬新本(しんぽん)小学校 ⑭常盤(ときわ)小学校 ⑮総社消防署版↑ 「富山のいいものうまいもの」自動販売機。↑ 「富富富(ふふふ)」は富山のブランド米。↑ 富富富。↑ 「ふくしま名産」自動販売機。↑ 福島復興イメージキャラクター「きびたん」。県鳥の「キビタキ」からデザインされた。↑ ピンク人形は「あいくー(桜縞)」。 東日本大震災により会津若松に余儀なく避難した大熊町の女性たちが出会った伝統の会津木綿。故郷へ戻れる日と自立の思いを込めて、町のマスコット「おーちゃん」、「くーちゃん」をモチーフに「あいくー」が誕生した。二本足で立つことができる。↑ ひょっとこ。 江戸時代から伝わる「ひょっとこ踊り」。息苦しくならないよう鼻に穴が開いている。被りやすい手ぬぐい付き。祭りや宴会芸に大人気。↑ 起き上がり小法師(ペア)。七転び八起き。本来は家内安全を祈願して毎年貰うものだが、最近は可愛い縁起物として広まっている。↑ 赤べこ(1号)。 400年続く会津を代表する郷土玩具。首をゆらゆら揺らすべこは、病気、魔除け、子育ての縁起物。↑ 喜多方ラーメン。「山形名産 食の都庄内」自動販売機。↑ 「まめうさ」は、山形県酒田市の庄内空港のマスコットキャラクター。↑ 「日本全国インスタントラーメン大集合!」。↑ 羽田空港ラーメン。↑ 広島県 プロ野球ラーメン カープ。↑ 北海道 恐怖 ゾンラーメン。↑ 「福岡名産 うまか!おもしろか!」自動販売機。↑ あまおうキットカット。↑ うまかっちゃんラーメン。↑ 「りんご」の自販機。↑ ヘルシーな切りたてカットりんごが、手軽に召し上がれます。
2019.06.21
コメント(0)
2019年6月15日、羽田空港第二ターミナルで、日本画家で有名な千住博さんの作品を見ました。一部を紹介します。「銀河 GALAXY」、「MOOON」、「風の渓谷」です。他にも通路に「朝の湖畔」、「夜の湖畔」が展示されていましたが、絵の前に人が沢山いたので撮りませんでした。↑ 千住博さんの作品 「銀河 GALAXY」↑ 「MOOON」。↑ 「風の渓谷」。↑ あいにくの雨。↑ 羽田空港 フォトジェニックアート。↑ 「LOVOT」の紹介。
2019.06.20
コメント(0)
東京の虎ノ門にある「虎ノ門ヒルズ」のキャラクターは「トラのもん」です。藤子プロと森ビルが共同で作っており、ドラえもんに似ています。ビルにあるオーバル広場に、スペイン・バルセロナのアーティストであるジャウメ・ブレンサ氏の「ルーツ」という巨大な彫刻があります。足を組んでしゃがむ像には、8か国語の文字が記されています。↑ 虎ノ門ヒルズの「トラのもん」。↑ 虎ノ門ヒルズ。↑ 築地虎ノ門トンネル。 虎ノ門ヒルズの下を通っている。↑ オーバル広場。↑ スペインのアーティストであるジャウメ・ブレンサ氏の「ルーツ」。
2019.06.19
コメント(0)
2019年5月26日に見かけた小田急の車両です。↑ ロマンスカーEXEα(エクセアルファ)と、ロマンスカーEXE(エクセ)。両方とも30000型。↑ ロマンスカーEXE(エクセ)。1996年にデビュー。 (新百合ヶ丘駅)沿線住民の通勤客が大幅に増えたことで、観光だけでなく通勤にも対応できるように設計されたロマンスカー。パンタグラフはシングルアームが採用された。自動ホロ装置があり、分割合併時は自動的にホロ連結、ホロ収納ができる。↑ EXE : EXCELLENT EXPRESS : エクセレント エクスプレス。↑ ロマンスカーEXEα(エクセアルファ)。2017年3月にデビュー。EXEの改良型。スーツケースを置くことができるラゲージスペースができた。手掛け、荷物用フック、傘用ホルダーが設置された。↑ ロマンスカーSE (3000型)と、ロマンスカーGSE(70000形)。 車両の前まで進むのに、30分以上かかった。↑ ロマンスカーSE (3000型)と、ロマンスカーGSE(70000形)。ロマンスカーSE(スーパーエクスプレス)は、1957年にデビューした。新宿~小田原間を60分で結ぶことを目指して開発が進められ、空気抵抗を抑えるために流線型先頭車と、1つの台車で2車両の連結部分を支える連結台車を採用し、当時の狭軌世界最高速度である時速145キロを樹立した。ロマンスカーGSE(グレイスフルスーパーエクスプレス)は、2018年にデビューし、車体にはバラ色のローズパーミリオンが使われている。↑ あさぎり号。1968年に御殿場線の電化に伴い、気動車で運行していた直通電車をあさぎり号として運転することになった。↑ ロマンスカーMSE (マルチスーパーエクスプレス)60000形。東京メトロ千代田線と直通できる車両として、2008年にデビューした。車体はフェルメールブルーを基調とし、ロマンスカー色であるバーミリオンオレンジのラインがある。↑ 横から見ると、動物の横顔に見える。↑ 小田急1000形、1160。↑ 小田急1000形、1952。↑ 小田急1000形、1752。↑ 小田急3000形、3473。↑ 小田急8000形、8561。↑ マルチプルタイタンバー。少しずつ移動しながら線路に敷かれているバラスト(砕石)をつき固める作業を行う大型の保線重機械。↑ バラストスイーパー。マルチプルタイタンバーが作業した後の路線は、バラスト(砕石)が散乱したり不足したりしており、それを補充し、整理する機械。↑ 軌道モーターカー。 運搬車などを牽引する自走式車両。100~200トンの牽引能力がある。↑ 延線巻取車。線路上の架線の張替え作業に使用する車両。↑ タワー車。線路上の架線の捕手に使用するための車両。↑ タワー車。(ハイブリッドタイプ)↑ レール探傷車。(ウルトラソニック・レールインスペクションカー)超音波でレールの傷を探す。↑ 吊架線(上)と電車線(下)。↑ パンタグラフが電車線に接触して電気を取っている。手前は3年くらい経過した電車線。擦れて平べったくなっている。↑ 小田急鉄道むすめ 石田あいこ。↑ 鉄道むすめ 船橋ちとせ。↑ 鉄道むすめ 渋沢あさぎ。↑ 海老名駅。↑ 海老名駅前。↑ 七重の塔。741年(天平13年)、聖武天皇の「国分寺建立の詔」をうけて建立された相模国分寺の伽藍。実物大の1/3のスケールで復元したもの。
2019.06.18
コメント(0)
カワセミの近くに鳩がやってきて、毛づくろいを始めました。カワセミは鳩に無関心で、見向きもしません。
2019.06.17
コメント(0)
2019年5月26日、小田急ファミリー鉄道展で撮影した、マルチプルタイタンパーです。線路の下には電車の衝撃を受け止めるため、枕木の下に石が敷いてあり、クッションの役割をしています。一日に何度も電車が通ると石の状態が悪くなり、線路が凸凹になるので、マルチプルタイタンパー(略してマルタイ)が直していきます。以前は社員が手作業で敷石を直し、大変な作業でしたが、この機械を導入することで、作業が軽減されたそうです。マルタイは、オーストリアのブラッサー&トイラー社製で、1か月の船便で、2017年11月に到着しました。車両の長さは26メートル、重さは80トン、ディーゼルエンジンです。作業量は一般平均800mです。クランプという機械で線路を持ち上げ、タンピングツールという爪で石を押し込み、つき固めます。騒音やほこりがでないように、扉が下まで動きます。↑ 小田急のマルタイ(マルチプルタイタンパー)。↑ マルチプルタイタンパーの説明。↑ マルチプルタイタンパーは、少しずつ移動しながら線路に敷かれているバラスト(砕石)をつき固める作業を行う大型の保線重機械。↑ 線路には重たい電車の衝撃を受け止めるため、マクラギの下にバラストが敷いてあり、クッションの役割をしている。これで乗り心地の良い線路を保っているが、列車荷重の繰り返しにより、レールが横へ押されたり、重みで沈んだりすることで、乗り心地が悪くなるばかりか列車運行に支障する恐れがある。そのため、バラストをつき固めて軌道の凸凹を補修し、安全で乗り心地の良い線路に直している。↑ 脱線復旧装置。 6か所にアウトリガーを設置したことで、容易に車体を高上させ、左右に車体を動かすことにより、脱線発生時に早期に復旧させることができる。↑ リフティング・ライニング装置。タンピング装置の動きに合わせてレール及びマクラギを設定した高上量に持ち上げる装置。それと同時にレールを左右へ動かし、横の歪みも補修することができる。↑ タンピング装置。持ち上げてできたマクラギ下の隙間をつき固め、締めることで軌道の凹凸を補修する装置。実際は重機械をゆっくり進ませながら、つき固め作業を行っている。↑ 線路、マクラギとバラスト(砕石)。↑ タンピングツールという爪。↑ 爪をバラストの中に突き刺し、振動でつき固める。↑ 防音扉が下がり始める。↑ 下がる途中。↑ 防音扉が下まで下がった。↑ 測定トロリー。測定トロリーは軌道状態を検知する装置。必要な髙上量や左右の移動量も算出でき、作業後の通りや高低等の測定も行っている。
2019.06.16
コメント(0)
2019年5月26日、神奈川県海老名駅近くの小田急ファミリー鉄道展に行き、小田急ロマンスカー3000形SEと、70000形GSEが並列している写真を撮りました。小田急ロマンスカー3000形SE (SUPER EXPRESS)は、新宿と小田原を60分で結ぶ計画の実現を目指して開発され、1957年(昭和32年)7月に登場しました。航空機技術を生かした超流線形の車体で、車両連結部分は連結台車になっています。1957年9月に国鉄に貸し出され、東海道本線で当時の狭軌世界最高速となる145Km/hを出しました。これら一連の試験データも参考として、国鉄で東海道新幹線0系の開発が行われました。そのため「新幹線のルーツ」と言われています。検車区には「乙女」がありました。1968年に御殿場線が電化され、3000形SEが乗り入れ車両として改造され、「あさぎり」として走行していました。ロマンスカー70000形GSE (GRACEFUL SUPER EXPRESS)は、2018年3月に運行開始しました。先頭車には展望席がついており、グッドデザイン賞(GOOD DESIGN AWORD 2018)に選ばれています。↑ ロマンスカーの小田急3000形SE(乙女)、70000形GSE。↑ 小田急3000形SE「乙女」。↑ 小田急70000形GSE。↑ 「乙女」。 国鉄0系新幹線の原型とされる。↑ 「あさぎり」号。↑ 御殿場―新宿。↑ 乙女とあさぎりの接続部分。 連結台車になっているので、切り離しができない。↑ 70000形GSE。↑ 小田急。↑ ロマンスカー70000形GSE。 2019年3月17日で1年を迎えた。
2019.06.15
コメント(0)
2017年4月9日、山口県下松市にある日立製作所笠戸事業所の横から、製造車両が見えました。イギリス鉄道385系ではないかと思います。もし385系ならば、イギリス・スコットランドのエジンバラ~グラスゴー間を走る車両です。妻の友人が撮影した写真も紹介します。最初の一枚は、2017年3月15日に下松市で行われた「道路を走る高速鉄道車両プロジェクト」の写真で、日立製作所笠戸事業所から下松第二埠頭まで、イギリス鉄道800系が陸送された様子です。もう一枚は、笠戸事業所のイギリス鉄道800系です。↑ 山口県下松市 日立製作所笠戸事業所。 敷地内と山陽本線をつなぐ線路。県道366号を通る。↑ イギリス鉄道385系が少し見える。↑ 山口県下松市「道路を走る高速鉄道車両プロジェクト」。イギリス鉄道800系が陸送中。(妻の友人撮影)↑ 日立製作所笠戸事業所のイギリス鉄道800系。 (妻の友人撮影)
2019.06.13
コメント(0)
山梨県大月駅から東京都新宿駅まで、「ホリデー快速ビューやまなし号」に乗った時の写真です。(2017年5月28日)JR東日本の215系、2階建て電車で、車両の先頭には「DDL」(DOUBLE DECKER LINER: ダブルデッカーライナー)のロゴが見えます。「ホリデー快速ビューやまなし号」。↑ 車両の先頭の紫色の中に、白色の「DDL」(DOUBLE DECKER LINER: ダブルデッカーライナー)のロゴが見える。↑ 2階へ行く階段。↑ 1階。↑ 車内の座席。↑ 車窓。↑ 新宿。↑ 新宿駅着。
2019.06.12
コメント(0)
山口県岩国市で撮影した、錦川清流線の車両です。(2017年4月10日撮影)NT3000型気動車で3種類を見る事が出来ました。NT3001 せせらぎ号(青)、NT3002 ひだまり号(赤)、NT3004 きらめき号(黄)です。上記以外に、NT3004 こもれび号(緑)があり、カワセミの絵がついています。国鉄時代に岩日線(山陽本線・岩国駅ー山口線・日原駅)が計画され、途中まで建設されましたが、19錦町駅まで開業後にそれ以降の部分が凍結され、開業部分も第三セクターに移されました。昔、何度か家族で錦川清流線車両に乗り、錦川の景色を楽しみました。錦川駅からは「とことこトレイン」というタイヤ付き観光車に乗車した事があります。トンネルの中に入ると、蛍光の絵が壁一面に見えました。↑ NT3001 せせらぎ号(青)。 ↑ NT3002 ひだまり号↑ NT3004 きらめき号(黄)↑ JR岩国駅。↑ 山陽本線 115系。
2019.06.11
コメント(0)
2019年6月2日午前、映画館で「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ / GODGILLA KING OF THE MONSTERS /マイケル・ドハティ監督/2019年5月31日封切」を見ました。見た感想としては、一言でいうと「面白かった」です。スクリーンに怪獣が出る時間が多く、楽しめました。各場面毎に、主人公たちが怪獣のそばで動き回りますが、いつも奇跡のように助かります。ハリウッド映画なので、日本の要素が少ないのは寂しいですが、俳優の渡辺謙さんが、日本人科学者の「芹沢猪四郎」として演技をされています。「芹沢猪四郎」というと、1954年(昭和29年)11月に公開された「ゴジラ」で、オキシジェンデストロイヤーを抱いて海底のゴジラの所へ向かった「芹沢大助博士」と、ゴジラ映画の「本多猪四郎」監督を思い出します。映画では、ラドンは「ロダン:RODAN」、キングギドラは「モンスターゼロ」でした。伊福部昭さんの「ゴジラのテーマ」、古関裕而の「モスラのテーマ」をモチーフとした曲に、般若心経や祭り衆の掛け声が流れるサウンドを聴きながらエンドロールを見ていると、ゴジラの着ぐるみから顔をだされた中島春雄さんの写真が画面に出てきたので、びっくりしました。「怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄/中島春雄/洋泉社」を持っていますが、表紙にその有名なカラー写真があります。中島さんが酒田で育ち、日本海軍で生活し、終戦後は東宝の専属俳優になります。ゴジラの中に入って演技をし、円谷プロのウルトラマンシリーズなどでも怪獣役をされていました。この本を読むと、ゴジラを着て演技する大変さが良く分かります。小学1年生の時に「怪獣怪人大全集1 ゴジラ/ケイブンシャ」を買い、何度も繰り返して読みました。生まれる前のゴジラシリーズの情報は、この本を読んで知りました。↑ 「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ / GODGILLA KING OF THE MONSTERS」パンフレット。↑ 高いパンフレットを買うと、特製カバーが付いている。↑ 「怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄/中島春雄/洋泉社」。↑ エンドロールにもあった、中島春雄さんの写真。↑ 「ゴジラ」1954年の足元アップ撮影用のゴジラ下半身ぬいぐるみと中島さん。足の中は下駄式のため、爪先の割れた地下足袋を履いている。↑ ゴジラ 銀座に現る!↑ 「モスラ対ゴジラ」1964年 浜松砂丘ロケにて。↑ 「モスラ対ゴジラ」。浜松砂丘ロケの合間に一服。ロケも常に手塚勝巳さんが同行して、中島さんをサポートしている。↑ 「三大怪獣 地球最大の決戦」。大11ステージのホリゾントに描かれた雄大な富士山。このゴジラとラドンはギニョール(人形)だが、スタッフと比較して背景の大きさが分かる。見事なセットを用意されて中島さんのゴジラ演技にもさらに力が入る。↑「怪獣怪人大全集1 ゴジラ/ケイブンシャ」。ゴジラ、キングギドラ、ガイガン、アンギラス。↑ ゴジラ。↑ ゴジラ、ミニラ、カマキラス、クモンガ。↑ ゴジラとモスラの卵。↑ ゴジラ。↑ ゴジラとヘドラ。
2019.06.08
コメント(0)
2016年8月21日に横浜ランドマークタワーで「大ゴジラ特撮王国」を見た時の写真です。1992年に公開されたゴジラシリーズ第19作「ゴジラvsモスラ」で、横浜のみなとみらい21が、ゴジラ、モスラ、バトラの戦いの舞台となりました。その時の戦いのジオラマが展示されていました。ゴジラを見た後、横浜の中華街で中華料理を食べて帰りました。 ↑ ゴジラ。↑ 窓からのぞくゴジラ。↑ 横浜みなとみらい21とゴジラ。↑ 横浜赤レンガ倉庫とゴジラ。 奥にバトラが飛んでいる。↑ ゴジラとモスラ。↑ モスラ。↑ バトラ。 モスラの亜種。↑ ゴジラ 潜水タイプ。↑ カイザーギドラ。 (2004年 ゴジラFINAL WARS)。↑ ガイガン。↑ キングシーサー。↑ バラゴン。↑ バラゴンとゴジラ。↑ マンダと轟天号。↑ シンゴジラ。↑ 記念撮影用ゴジラ。↑ メカゴジラ。↑ 横浜みなとみらい21地区。↑ 横浜ランドマークタワー。↑ 横浜スタジアム。↑ 横浜中華街。
2019.06.07
コメント(0)
富士急行線で見かけた車両を紹介します。富士山と車両を一緒に見ると、楽しい気持ちになります。富士急行線にある富士急ハイランドですが、高校の修学旅行で初めて行き、半日遊びました。ジェットコースターに乗ったと思うのですが、記憶がおぼろげです。宿泊先も河口湖近くだった気がしますが、引越しの時に写真が全て紛失してしまい、分からなくなりました。富士の宿泊先で記憶に残っているのは、朝食のテーブル席に多くの生徒が座らずにざわざわしていた所、担任の先生がマイクで「あみんの『待つわ』みたいに、いつまでも待ちますよ」と言っていました。当時あみんの「待つわ」が流行っていたのだと思います。それから、富士5合目で溶岩のお菓子を売っており、皆が記念に買っていました。クラスのある生徒が「朝食の味噌汁に溶岩のお菓子を入れて食べよう」と言ってお菓子を配布してきたのですが、それはお菓子ではなく本物の溶岩だったので皆怒ったという事がありました。子供たちは時々、富士急ハイランドに遊びに行っています。やはりジェットコースターが楽しいそうです。2017年5月7日、三ツ峠に登りました。富士急行三つ峠駅から3時間歩き、三ツ峠山頂に着きました。それから河口湖駅まで2時間で下ります。山頂は富士山と南アルプスの山々が見えます。↑ 富士急行 河口湖駅前に展示してある「モ1号」。 後方駅構内の赤い車両は「マッターホルン号」。↑ 「モ1」 製造年:昭和4年(1929年)半銅製2軸ボギー制御電動客車(両運転台式)34トン。定員102人(座席50人)↑ 「モ1号」富士急行の前身である「富士山麓電気鉄道」が、1929年(昭和4年)の開業に際して新造した車両。モ1号からモ5号までの5両が制作され、富士山に向かって走る日本有数の急勾配路線用として、電気ブレーキや砂まき装置を装備するなど、急勾配対策を万全に施した、当時の最新鋭車両であった。本展示車両は、富士急行創立60年記念事業にて、上田丸子電鉄(現・上田電鉄)に譲渡されていた車体を引き取り、整備、復元したものである。「モ1君の豆知識!」僕が乗っているレールを見てみて。CARNEGIE 1897って書いてあるでしょう?これはCARNEGIE カーネギーっていう人が1897年(100年以上昔!!)に作ったレールだということをあらわしているんだ。カーネギーはアメリカの鉄鋼王だった人だよ。鉄鋼王が作ったレールに乗れるなんて最高さ。実は駅のホームの柱にも大昔のレールが使われているんだよ。↑ 富士急行6000系。(FCT:フジサン・コミュニケーション・トレイン)↑ 2017富士芝桜まつりの広告。↑ 富士急行 6000系 FCT。↑ 富士芝桜まつりのヘッドマークが付いている6000系。↑ 富士山と6000系。 河口湖駅にて。↑ 富士急行大月線と富士山。↑ 富士山とマッターホルン号。 富士山も少し写っている。↑ 富士急行 6000系 マッターホルン号。 2016年(平成28年)に、富士急行とスイスのマッターホルン・ゴッタルト鉄道(MGB)が姉妹鉄道提携25周年を迎えたので、記念としてラッピングされた。MGBの車両デザインを再現している。↑ 富士急行1000系 1306。↑ 富士登山電車。 水戸岡鋭冶さんのデザイン。↑ 富士急行1000系 1302。 ↑ 富士山ビュー特急。↑ フジサン特急。↑ トーマスランド号。↑ 富士山と、JR東日本「BOSO EXPRESS E-257 / 房総エクスプレス E-257」。 見た時はびっくりした。↑ 富士急行 河口湖駅前。↑ 富士山と河口湖駅。↑ 富士山。↑ 富士急ハイランド駅。↑ 富士急ハイランド。↑ 富士急行 富士山駅。↑ 富士山駅。↑ フジサン特急と富士急行6000系。↑ 富士急行 三つ峠駅。↑ 富士急行 三つ峠駅。 (2017年5月7日撮影)↑ 三ツ峠へようこそ。↑ 三ツ峠 6.3キロ。 8時半に駅から歩きはじめ、11時半に三つ峠に着いた。3時間かかった。↑ 三つ峠登山の途中。10時30分。↑ 途中で道が崩れた所があり、注意しながら登った。↑ 三ツ峠(1,786m)と富士山。 2017年5月7日。↑ 南アルプスが見える。↑ 南アルプスの山々。 右から北岳、間ノ岳、農鳥岳と続く。↑ 三ツ峠から河口湖駅まで下山する。下りは2時間かかった。富士山や草花、湖を見ながら歩く。↑ 下山中、富士急ハイランドが良く見えた。
2019.06.06
コメント(0)
2017年5月に河口湖駅で撮影した、富士急行5000系の「トーマスランド号」です。富士急ハイランドにトーマスランドが出来たのを記念して、車両に機関車トーマスと仲間の絵が付きました。しかし、2019年2月23日、このトーマスランド号は運転を終了しました。今は、「トーマスランド20周年記念号」が走っています。
2019.06.05
コメント(0)
2017年5月に撮影した大月駅の「フジサン特急 8000系」の写真です。河口湖駅には、スイスの「マッターホルン ゴッタルド鉄道:MGB」と富士急行が1991年から姉妹鉄道提携をしている掲示があります。フジサン特急の車体は、「フジサン特急キャラ選挙」の投票で選ばれたキャラがラッピングされています。↑ フジサン特急。↑ 「子だきフジ」↑ 「子だきフジ」、「ニンジャフジ」、「フジテンボー」、「フニャフジ」、「オガワ」、「JKフジ」↑ 「ニンジャフジ」、「フジテンボー」、「フニャフジ」、「オガワ」、「JKフジ」↑ 「子だきフジ」、「ニンジャフジ」、「フジテンボー」、「フニャフジ」、「オガワ」、「JKフジ」「フジッキュー」、「チビフジ」↑ 「チビフジ」、「アフロフジ」、「フジカップル」↑ 「フジカップル」、「寝フジ」、「マスク・ザ・フジ」、「エジプトフジ」、「カブキフジ」↑ 「エジプトフジ」、「カブキフジ」、「うんちフジ」、「フジカー」、「フジボーボー」、「フジ山ガール」、「おばけフジ」、↑ 「フジラ」、「FJKフジ」、「フージー」、「フジの女王」、「フジ花子」、「ムッシュフジ」↑ 「フジ花子」、「ムッシュフジ」、「フジ運転手」、「フジーマン」↑ ヤマノススメ X 富士急行。↑ 富士急行 河口湖駅。↑ スイスの「マッターホルン ゴッタルド鉄道:MGB」と富士急行が1991年から姉妹鉄道提携。↑ 1991年に創業65周年を迎えた富士急行は、同年100周年になったBVZ鉄道(現MGB鉄道)と姉妹鉄道提携した。調印式は同年9月18日に富士吉田市で、10月13日にはスイスのツェルマットで行われた。この姉妹鉄道提携は、BVZ社の社訓と、「真心」、「信頼」、「安全」、「実行」という富士急行の社訓に一致していたため、さらに両社ともに世界の名峰である富士山とマッターホルンに深い関わりをもち、国際観光地でもあるという共通性を活かして親善交流を培うという趣旨であり、現在も両国を視察するなどの交流を深めている。↑ 姉妹鉄道宣言。 富士急行株式会社とブリッグ・ヴィスプ・ツェルマット鉄道株式会社。1991年9月18日。↑ 富士急行の鉄道むすめ「大月みーな」。
2019.06.04
コメント(0)
2017年5月28日、富士急行の河口湖駅から大月駅まで、「富士山ビュー特急:FUJISAN VIEW EXPRESS」の自由席に乗りました。富士急行が創立90周年記念事業の一環として、JR東海から371系を購入し車両を改造しました。JR九州の観光列車で有名な水戸岡鋭治さんがデザインしています。いつか、指定席に乗ってみたいと思います。↑ 富士急行 河口湖駅。↑ 富士山ビュー特急。↑ 河口湖駅。↑ 富士急ハイランド。↑ 大月駅。
2019.06.03
コメント(0)
2019年5月19日、山梨県の富士河口湖町本栖にある富士本栖リゾートで、「富士芝桜まつり」を妻と見ました。5月上旬に山口県の両親が富士芝桜まつりに行き、富士山と芝桜のコントラストがとても良かったと言っていたので、ぜひ見たいと思っていました。天候が悪く、残念ながら富士山は雲に覆われており、会場で芝桜を見ていると急に雨が降ってきたため、屋根のある所で1時間ぐらい雨宿りをしました。帰る頃に、少し青空を見る事ができました。昼は富士宮やきそば、肉まんを食べ、桔梗信玄餅、天然小粒あわび煮貝を土産に買って帰りました。↑ 本栖湖の近くで行われた「富士芝桜まつり」。晴れておれば、池のむこうに富士山が見える。↑ 会場マップ。↑ 天気は曇りで、後で雨になる。↑ 約80万株の芝桜がある。↑ 曇りのため、富士山は見られなかった。↑ 帰るころに、青空が見えてきた。↑ 富士宮やきそば。↑ 上海菜館の大きな肉まん。↑ 桔梗信玄餅。↑ 酒のつまみに、あわびの煮貝を買う。↑ 本栖湖とダイヤモンド富士の紹介。↑ 千円札に描かれた逆さ富士は、本栖湖からの眺め。写真家の岡田紅陽氏(1895年~1972年)の写真をもとにデザインされたもの。岡田紅陽氏は生涯、富士山を撮り続けた。
2019.06.02
コメント(0)
2019年5月22日から東京駅地下構内で、人工知能(AI)の案内ロボットの実証テストが始まりました。ドイツ鉄道が開発したロボット「SEMMI」で、運転手の帽子を被った人間の顔の人形が、多言語で話をするそうです。週末や平日の夜に行くと、いつも「休憩中です」との張り紙があり、ロボットを見ることができません。何度行っても見られないので、インフォメーションセンターに相談すると、調子が良くないので休日は行わず、平日も17時までと言われました。結局、ロボットを見る事が出来ず、残念でした。↑ ドイツ鉄道が開発したロボット「SEMMI」。休憩中のため、顔の部分が無い。↑ 休憩中です。
2019.06.01
コメント(0)
全25件 (25件中 1-25件目)
1