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唐突ですが、昨年亡くなった松本零士氏は、「大」がお気に入りだったようです。松本氏のマンガのファンであれば敢えてぼくが語らずとも『元祖大四畳半大物語』『大純情くん』『大不倫伝』など多くの作品をご覧になっているだろうし、これらの作品中にも大喫茶店やら大酒場などなど「大」を冠した単語が頻出します。松本氏にとって「大」は接頭語というよりは固有名詞に近い単語なのかもしれません。松本氏の話はこの程度にしておいて、大東京って歌のフレーズなんかでたまに耳にすることがあるような気がします。確かひと昔には東京の都下全体を指していたと思うのですが、「大」を冠する単語っていうのはそこはかとなくユーモラスな気がします。先ほどの松本氏のマンガにしても『純情くん』はひたすら恥ずかしいし、『不倫伝』はいかがわしいばっかりだし、『元祖四畳半物語』も貧乏臭いばかりでなく、「大」付のタイトルじゃなかったら映画化されるまでのヒット作となることもなかったんじゃないかと思うのです。居酒屋では「大都会」なんてのがありますが、これはテレビドラマや歌謡曲など多くで用いられていますが、もう少し捻った店名のお店があります。 市ヶ谷駅のお堀の向こう側、市ヶ谷橋を渡ってすぐに「大東京酒場 市ヶ谷駅前店」があります。もともと市ヶ谷近辺は昼呑みのできるような町ではなかったのですが、近頃になってこの周辺に昼呑みスポットが増殖しているように思われます。もう大分前のことにはなりますが、「大衆食堂 安べゑ 市ヶ谷駅前店」などは、11時から呑めるので重宝です。ここ松本零士風のネーミングの酒場は、15時の開店。出張で早めに仕事を抜けられたので、知人と合流するまでの時間調整でお邪魔することにしました。1階に空席もあるけれどどしたものか2階に通されます。時間潰しでしかないから2階に上がるのは面倒なんですけどね。この時、季節はまだ初春だったので、外堀を眺めつつ呑めたら良かったんですが暗くどんよりとしたエリアに通されてしまいます。2階は若い人たちで大賑わいです。卒業式シーズンなんでしょうね。残り少ない自由な時間を満喫したいという気持ちは分かります。喧しいけどまあそこは大人の度量で我慢です。この先があるので、酒と肴は控え目にすることにします。なのにオーダーはスマホ経由というのが面倒です。近頃こういうQRコードを読み取ってwebサイトからオーダーするシステムが増えていて、まあ、慣れればどうってこともないのですが、やはりひと手間です。混んでたからまあ、仕方ないって気持ちにもなりましたが、空いてたら苛立つところです。まだ、4時過ぎというのにサラリーマンも訪れ出しました。こんな時間帯に呑み始めるのはどういう商売なんだと、自らを省みず不可解な思いになります。にしてもこの雰囲気からは大東京ってイメージは全く感じられず、そういう辺りは松本氏の一連の「大」付きの酒場や喫茶店と似ているように思えました。
2024/06/17
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若い頃、今はなき(といっても物件跡は未だ当時のまま)飯田橋ギンレイホール(及び併設のピンク映画館のくらら)に足繁く通ったものです(カッコ内のくららはあまり気の利いた作品が上映されることがなかったたま指折り程度)。当時は相当に貧乏生活を送っていたので、映画と映画の合い間に時間を潰そうと思っても喫茶店などで浪費するようなことはできなかったのだ。図書館などの公共施設で過ごそうとはなぜか思わなかったのですね。じゃあ何をしていたかというと、ひたすら歩いていたのでした。映画漬けの日常で足腰の衰えをどこかで不安に感じていたのかもしれません。とにかくただただ歩いていたのです。でも人というのは闇雲に盲滅法歩くなどできるはずもないのです。ぼくの場合は、とにかく朝は早朝から開館する、例えば桜木町にあったヨコハマニュース劇場なんかに向かい、次に川崎の川崎国際劇場、そして次が大井町の大井武蔵野といったスケジュールをこなすわけですが、こういう京浜東北線の沿線でハシゴするとなるとどうしたって沿線沿いを繰り返し歩くことになり、多少脱線しても意識としては常に京浜東北線の線路に沿って歩こうという意思が働く訳です。例外的には多少脱線が過ぎてしまうと持ち前の方向感覚の乱れからとんでもない場所を進んでいることに気付くこともあるけれど、そうなると次の上映開始時間が気になって風景煮など目がいかなくなるのです。純粋に行き先を決めずに散策できるようになるには公共交通機関の縛りから脱するしかないのかもしれません。というか、散策者としてあるまじき蛮行ではありますが、タクシー利用に躊躇しないようになれない限りは自由に町歩きできるようにはなれないんじゃないかなんて思ってしまうのです。 と当初想定していた話から逸脱してしまいましたが、飯田橋も散々歩いている割には首都高速5号池袋線沿いというか神田川沿いを歩くことはほとんどなかったようです。いや、北岸はそこそこ歩いているはずですが、なぜか南岸側を歩いた覚えがあまりないのです。というのが、「中華 アオキ」を目撃した記憶がなかったからで、単にこの渋い中華屋さんを覚えていなくてもまあ仕方のないことですが、以前は恐らくこの通りには居酒屋などの飲食店が立ち並んでいたように思われるから、記憶の琴線に触れることがあっても不思議ではなさそうなのです。ともあれこの外観を目にしてしまっては、いくらお腹が空いていなくても立ち寄らざるを得ないのでした。昼下がりではありましたが、幸いにもまだ営業中です。調べるとこちら、11時から16時までの営業時間と訪れる機会はそうそうなさそうだったので、改めて入っておいてよかったなあと思ったのです。しかしまあ、店の方たちを見るとまだまだ現役世代が活躍されているので、当分は変わらず営業を続けられるように思われます。取り急ぎビールをもらったら、ビールしかないというお答え。特に意地悪だった訳じゃなくて、以前は清酒も提供していたからそう仰っただけと理解します。さて、すでに書いたとおりすでにそれなりにお腹は満たされていたので、まるまる1食分を食べ切るのはちょっと自信がありません。こういう場合2名だと助かるなあ。餃子とソース焼きそばをもらうことにしました。どちらも普通よりちょっと美味しいかな。というかコチラの料理は値段もそこそこするのですが、とにかく盛りがかなりのものなのです。だからでしょうか、腹を空かせたお客さんたち(いかにも食欲旺盛って感じの人ばかりだったような)がポツリポツリと訪れるのでした。今度来る機会があったらやはりしっかり歩いて腹を空かせてから訪れるべきでありましょう。
2024/04/29
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店にとって看板商品というのは一般的には集客のための最重要ファクターのひとつなんだろうと思います。ぼくの場合は肴はそりゃあるに越した方がいいとは思うけれど、2、3杯吞むだけならばなけりゃないで構いはしないし、さすがに酒はなくていいなんて言えぬにしろ、その種類や銘柄にとやかくいうことはしないわけで、だからそのお店に看板商品があろうがなかろうが、店選びの条件となることはほぼないと言ってもいいと思うのです。そりゃまあ時にはあれが食べたいこれが食べたいと食欲が訴える場合もあるけれど、それはもっぱらホリデイのお楽しみにとっておけばよくて、ウィークデイは簡単な肴と酒があれば満足なのです。とまあぼく自身の話はさておいて、店選びには個室の有無だったり、大人数での利用や予約の可否だったりと様々な条件があるものですが、そうした条件を撥ね退けてでも看板商品を目当てに店を選ぶ人は存外に多いようです。それだけの集客力が看板商品にあることは商売人にとっては周知の事であろうし、だからこそその選択には慎重であるはずだし、意欲的でもあるに違いないのだ。しかしですね、近頃、その本気度を思わず疑ってしまいたくなるような商品を店名に冠するお店が多く見受けられるようになったような気がするのです。良かれ悪しかれ昔の飲食店はこれと決めたら生涯を賭してひとつものを作り続ける気概があったものですが、今の経営者はもしかすると飽きっぽいわれわれ消費者の意向に応じるもしくは先んじるように定期的に商品の見直しを図っているようにも思えるのです。それがとても看板商品とは成り得ないであろう肴なんかを堂々と掲げられる所以なんじゃなかろうかなどと思ってしまうのです。 さて、市ヶ谷の外堀の先にある「肉豆冨とレモンサワー 大衆食堂 安べゑ 市ヶ谷店」では堂々と「肉豆冨とレモンサワー」が冠されています。果たして看板商品は肉豆腐とレモンサワーであるらしく、前者は2種用意されていて以下のような説明がなされています。肉豆冨《黒》 438円:国産の牛すじを店内で圧力調理。醤油ベースの甘目の出汁で煮込みました。肉豆冨《白》 438円:牛バラ肉と玉ねぎを共に鰹風味の出汁で煮込みました。 ふうん。なるほどねえ。肉豆腐なんてのは決まりがあってなきがごとしの食べ物で、この2種は牛肉を使っている(《黒》でわざわざ国産を謳っているということは《白》の牛バラ肉は国産じゃないのね)けれど豚肉でも構わないだろうし、鶏肉の店だってあるんじゃないか(「三州屋」だと鶏豆腐って呼んでますけど)。長ねぎ入りのものもあるし、白滝入りも食べたことがあります。豆腐にしたって焼き豆腐を用いた店もあります。つまりまあ、多様なヴァリエーションがあって不思議じゃないから10種程度を用意するなんてことになれば看板に掲げるだけあるなあとある意味感心したかもしれません。が、こちらではキムチなどのトッピングの種類でヴァリエーションを増やすという安直さに堕しているのがどうにも気に入らぬのだ。それと肉には国産だったり出汁は作り分けたりとそれなりの工夫がみられるけれど、商品名の中心となる豆腐へのこだわりが全くないというのも解せないところであります。鍋を片手に明け方タクシーで乗りつけて豆腐を買い求めたという色川武大氏までのこだわりはぼくにはないけれど、それでも肉に国産を訴えるなら豆腐にだって「北海道産大豆100%使用」位の攻めがあっても然るべきではないだろうか(って隈なくメニューを眺めたらその旨の記載などあるのかもしれないけれど)。ってケチを付ける位ならたった2種のみなんだから両方食べてから語れって意見もありそうですが、ぼくはすじ肉は余り好みではないから《白》にいくつもりが同行者が《黒》のみを頼んだようです。まあ味は普通かなあ。圧力調理の目的はきっと肉質を柔らかくするためなんだろうけれど、思った以上にしっかりとした噛み応えでありました。一方のレモンサワーも好みの問題かもしれませんが、ちょっと甘過ぎる気がしました。まあ、何にせよ勘定は安く上がったから文句をつける気はさらさらないのです。まあ、概して高くつくことの多い市ヶ谷でこのお店は財布の助けにはなりそうです。
2023/04/12
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ひと頃は飯田橋に頻繁に通ていました。頻繁に通った割には、飯田橋で呑むってことはあまりなかったのですね。もっぱら映画を見に行くことが多かった。で見終えたら当時住んでいた池袋まで歩くというのがお決まりで、飯田橋から池袋までは実に色んなコースで行けたからそれだけ飯田橋界隈もかなり寄り道、回り道して歩き回ったものです。なのに恥ずかしながらずっと見落としていたエリアが駅前すぐにあったのですね。いや、外堀通りと大久保通りに隔てられている実感的には島地のようになっている場所ではあるけれど、この夜に向かった酒場の表通り、今は「THE SUIT COMPANY」となってしまったかつての「洋服の青山」で初出勤前のワイシャツを買ったがあったのだ。だからその酒場に気付いていてもちっとも可笑しなことではないはずだけれど、どうしたものかそこに足を向ける機会を逸してしまっていました。そうなんですね、飯田橋に限ったことではないけれど、頻繁に散策していたつもりの町であってもどうも歩く気になれないようなウィークポイントってのがあって、結果そこはいつまで経っても死角に阻まれてしまうことになるのでした。だから酒場巡りに限らずその時々の趣味に沿った指南書だったりガイドブックなどに目を通すと意外な盲点に気になる店があることを知らされて、その時初めてそこが死角であったのだなと気付かされることがあるのでした。今では容易にネットで飲食店などの情報も入手できるし、Google Mapなどもそうした役割に大いに寄与してくれるのです。便利になり過ぎると事前に情報過多になり現物に行き着いた時の興奮が奪われて味気なくなったりもするものだけれど、たまには盲点を衝かれるという発見に恵まれることもあるのでした。 でもまあ、ぼくが「三州屋」系列の熱心なファンであったならとっくに辿り着けていたはずです。でも銀座の店舗など悪くないなとは思いつつも熱烈に好きとまではなれないままにこのコロナ禍でこれが直接的な原因とは限らないけれど6店舗もが閉店に追い込まれたのであります。現存するのはわずかに4店舗のみとはいかにも寂しい。といった知識は以下で得たものでしかないから詳しくはこちらを。Syupo 「少人数の忘年会・飲み会に最適!80年続く都心の銘店『三州屋』全店紹介」https://syupo.com/archives/68213 ともあれ、でもまあ「大衆割烹 三州屋 飯田橋店」が残ってくれているのだから良しとしよう。『三州屋』はぼくも熱心ではないけれど、それなりにお邪魔してきたけれど、ここ程ぼくのツボにはまった店舗はないんじゃなかろうか。裏通りの細い路地という立地も素晴らしいし、渋い外観もいい、内観の落ち着く造りは抜群であります。都心のど真ん中とは思えぬ店の方たちの味のある所も大いに楽しめるし、何より肴が最高なのです。いちいち食べた品の各々に感想を述べることは避けるけれど、ブリのアラ煮がとりわけ良かった。濃い目に味付けられてしかも丼いっぱいによそってあるそれは酒の最高のお供であります。実のところ、この一品さえあれば一升は呑めそうなのだけれど、さすがにそうもいかぬののです。唯一難点を挙げるとすれば客の入りが良すぎることと、静かに一人呑む客がいる一方で相席が基本のこの店で遅れてきておいて傍若無人に振舞うオヤヂが多かったことであります。彼らには言いたいことは幾らでもあったのだけれど、たまたま巡り合わせが悪かっただけと思いたい。次あったらきっちり物申させていただくことにします。ともあれ、近頃こんなに満足度の高い居酒屋はなかったといっても過言ではなくって、銀座本店などにまた足を運んでみたくなったのでした。
2022/06/06
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ぼくはわりかし飯田橋には地の利がある方だという自負がありました。その昔は、飯田橋ギンレイホールはもちろん、お隣のくららなどにも足を運んだものですし、法政大学学生会館でシアター・ゼロという自主上映団体がサミュエル・フラーの映画を上映すると聞くといそいそと駆け付けたりと映画中心の生活を送っていた際にも頻繁に待ち時間を埋めるためにうろつき回ったものです。飯田橋界隈では呑みの機会も少なくありませんでしたし、それこそ本格的に酒場巡りを始めてからというもの何度となく足を運んでいたと思い込んでいました。ところが、なんたる迂闊さ、すっぽりと抜け落ちていたエリアが存在していたのですね。路麺マニアには名高い「豊しま 飯田橋店」を訪れる機会さえあったならとうの昔にこの界隈を虱潰しにすることもできていたと思うのですが、そば代よりも入場料金、食事代よりも呑み代に圧倒的に重心が傾いていたぼくにはこの飯田橋駅から至近ではあるけれど、凸版印刷に縁があるとかそのビル内にあるという印刷博物館に興味がない者にとってはまずもっと近寄ることのないエリアだったのです。いや、まあ歩道橋マニアであれば足繁く通ったりもするのでしょうが、ぼくには縁が薄かったみたいです(以前はそれなりの興味があって歩道橋を見掛けたら回り道することもありましたが、今では多少の興味は継続していますがわざわざそれのために遠出しようとは思わなくなりました)。 ともったいぶらずとも酒場放浪記の放映を楽しみにしておられる方であればこれからぼくが飯田橋の「川端」を目指そうとしていることはお見通しだろうと思います。いつもの如くに放映前の公式サイトの予告写真のみを頼りに訪れたから近くに立ってみて、何度か江戸川橋に向かう際に通っていたことを思い出しましたが、その際通り過ぎた路地に味のある呑み屋が立ち並んでいることには気付けずにいたのでした。この周辺はぼくにとっては町外れの印象が強いけれど実際には多くの勤め人が行きかう慌ただしく常に急かされる気分になる雰囲気だもんだからきっと以前通った時にはすぐにも立ち去りたいという感情に追われるように通過してしまったのだと思います。通りを入ってすぐに味があるというにはもう少し時代を経る必要がありそうなだけれどやはり郷愁が漂う店舗が見えます。おやおやその先には「三州屋」があるじゃないか。飯田橋にも「三州屋」があることは知っていたけれど、調べて訪れる程のファンでもないから投げやっていて、そのうちに閉業したものと勘違いしていたけれどきっちり営業しているみたいです。でも本来のお目当ての戸を開きます。少し古びたスナック、いやバーのような風情です。店のママさんに伺ってみたけれどもともと居酒屋だったらしいから願望がそう思わせただけかもしれません。ただし居酒屋といっても二軒目使いが基本のお店だったようで、酒はそこそこ充実しているけれど、肴は控えめで品書きもあるけれど、ママさんのお勧めにおとなしく従うのが作法のようです。珍しく値段も分からぬのに言いなりになってしまいましたが、勘定はやはり安くはなかったですねえ。それでも三種のお通しにこごみの天ぷら、ちりめん山椒と二軒目酒場らしい小盛りでじっくりやれる肴が嬉しいですね。ママさんもお喋り好きって感じではないけれど愛想は良くって馴染むと通いたくなりそうです。そのうちに常連さんがやって来るとお二人は番組のお話で盛り上がってきたのでそろそろお暇することにしましょうか。
2022/04/25
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先日は牛込柳町の酒場の一軒が酒場放浪記で放映されましたが、ぼくとしては本当のところ記録として留めて欲しいと願うのはそこではなかったのであります。テレビ放映された酒場はもともとがマスコミに注目されている人気繁盛店なのだから今更取り上げてみても大した意味はないんじゃないかなあ。だとしたら記録のためにもこれから訪れる一軒を映像として残していってほしいなあと思うのです。無論、こちらの酒場については番組スタッフも既にリサーチ済みで、あの女性店主さんに打診していたりするのかもしれません。実際にこれまで何度かそうした打診を受けたという酒場で呑んだことがありますから、実は放映を固辞されたお店も相当数に上るのではなかろうかと推測されるのです。頼まれたと教えてくれたお店の大概はどうってことのないお店ですが、何軒かはぜひ記録に留めて貰いたいお店もあるのです。彼らは一般ピーポーを装って何度か気さくさを演じつつ通って来ては、何度目かの訪問時に自身の正体を告げるとともに番組での放映をおねだりするそうなのです。姑息といえば姑息であるけれど、真っ当な遣り口であるともいえそうです。でも、ならばもう少し粘り腰があったなら、今はなき酒場の面影を振り返ることもできたのにと惜しまれてならぬのです。ところで、そんなことを書きつつもスタッフが馴染むまでの呑み代はきっと経費で落とせるんだろうなあなどとケチ臭いことを考えると同時に、固辞されるもしくは撮影を完了して以降、果たしてそれでも通い続ける酒場は存在するのだろうか。気になるところであります。 もしぼくがスタッフなら、ここ「三や田屋」は固辞されようが放映済みとなっていようが、きっと通い続けるだろうと思うのです。いやまあ、なんというか仕事で酒場に通うというのは、楽しそうでいて色々と気苦労などもあるのだろうから、多くの仕事にいえることでしょうが好きなものを好きでいるためには下手に仕事に結び付けるものではないと思うのです。趣味と実益を兼ねるというのが理想という人は多いようだけれど、しっかり考えてから夢を追うのがよろしいかと。幸いにはぼくは趣味を実益にしたいという願いはあったけれど、願うばかりで実現に向けて取り組むだけの意思はなかったからそうした失敗とは無縁でいられたのでありました。さて、前回に続き、またも一番乗りすることができました。ここは女将さんの姿が眺められるカウンター席が特等席のはずです。というか奥の卓席は今でも現役で使われることがあるのだろうか。女将さんがご高齢だし、お独りでやってるようだから奥の席に通してもらえても注文は通らなさそうです。ここは早めに訪れて女将さんのおっちょこちょい振りを鑑賞するのが最上の愉しみ方だと思います。お通しをつまみつつチューハイをチビリチビリやります。品書きは以前と同じように見えますが、書き換えていたから季節によってラインナップは変わるのかもしれません。迷って頼んだニラ玉は、アルミの小鍋で出される煮物式でありまして、ゆっくり呑むなら炒め式よりいいものです。しばらくして訪れたちょっとこわもて職人風オヤジは席に着くや瓶ビールを注文、黙っていてもマグラス―でかい―を出されるや一気に瓶を空にするのでありました。このオヤジ、顔つきはおっかないがお喋りするとなかなか愉快でこういうオヤジが常連でいるとますます通いたくなるんですよねえ。
2021/05/17
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若い頃、池袋に住んでいました。池袋に住んだのは何軒も映画館があったからです。池袋の映画館も良く通いましたが、早稲田にもしょっちゅう足を延ばしたものです。だから池袋と早稲田を結ぶ明治通りは本当に歩くことが多かったのです。飽きる位に歩きましたが、この区間は坂道が多いばかりであまり見どころもなくて、散歩の快楽なんてものとはほぼ無縁でただただ義務として行ったり来たりを繰り返したものです。抜け道だったり脇道だったりと変化があればまだしもですが、特に千登世橋からの神田川までの坂などは学習院の敷地が邪魔をしてほぼひたすら明治通りを歩くしか選択肢がないのでした。なので、池袋から早稲田に向かう際に、日頃は嫌悪の対象となっている警察署、こちらは戸塚警察署になりますが、この建物が見えてくるとようやく安心した気持ちになるのでした。警察を過ぎ早稲田通りを間近にするともう映画館はすぐそばですが、ここに蔦の絡んだ"mini pub"を掲げるカッコいいお店があるのです。時は過ぎ、都バスで池袋と新宿を往復するようになってもずっとその酒場はかつてのままの姿を留めており、日中に目にするともう営業していないように見えるけれど、ずっと原型を留めている以上きっとまだ現役なんだろうなと思い続けていたのです。そんな憧れの酒場にとうとう訪れる機会が到来したのです。酔っ払って歩いていて、尿意を催したのであります。さすがに警察署のお膝元で用を済ますわけにはまいりません。これは天啓ということであっさりと長年の宿題を片付けることになるのでした。 ご存じ「アイオー mini pub」であります。都バスの車窓からご覧になっていて見覚えのある方も少なくなかろうと思うのです。で、お邪魔したいと思っている方もきっと数多いんじゃないかと思っています。知人数名が気になるけれど入れずにいたというから少なくとも数名の方の好奇心を満足させることは叶いそうです。そんな好奇心に勝るのが尿意でありまして、積年の悲願を今まさに達成せんとしているのにそんなことでいいのだろうか。いいのである。いや、仕方ないのであります。店に入った瞬間に思ったのが、あっ、これは小さなスナックであるなということで、感想はそれ以上でもそれ以下でもなかったのでした。マスターは凄いご高齢の眼光鋭いじいさんかもしくは真逆に案外気さくな感じの若い方だと予想していたけれど、それは大いに違っていました。マスターはその中間位のお年頃のママさんでありました。ぼくを御覧になって、あらまあうちはお高めなのよと一見客の値踏みをなさいました。ありゃりゃ、トイレを拝借どころか入れてもらえぬかもしれぬとの懸念が芽生えたとき、救ってくれたのは近所の隠居なさったご老体のお二人だったのです。まあまあ入んなさいよ、ここ若い人少ないからねえ、と有難いことに歓迎ムードです。嬉しいですねえ。ママさんも観念したという訳ではないけれど、すぐに打ち解けた様子になって暖かく迎えてくれたのでした。呆気ない位にスナックっぽいけれど、とても気持ちのいいお店です。ママさんの作ってくれる水割りは、それはもう大層濃くていらっしゃってですねえ。リクエストされたこともありまして、珍しくカラオケで数曲を歌ったりもしました。仕切りのアクリル板で感染対策も万全ねとフォローしておきます。といった具合にすごい楽しいから濃いやつをぐいぐいいってしまい、その後酷い目にあったのですが、それはここに記すことはさすがのぼくでも憚られるのでありました。
2021/05/12
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先日、赤羽の路地裏酒場のことを書いたばかりだけれど、早稲田という町も路地が縦横に張り巡らされているという点に関しては近しい感じがあります。それぞれ文教地区と遊興地区と大別できるとしたら、世間的なイメージでは正対する町ですが、路地が多く庶民的な価格帯の店が多いという点では案外似たり寄ったりの町なのかもしれません。それでも早稲田っていう土地は、学生のための町という印象が強くて、学生時代などとうの昔に吐き捨ててきたおっさんたるぼくにとってはどうも座りが悪いことも少なくありません。それなりにご優秀な学生さんが多いはずなのに行き交う若い人たちは、どうしたものか明るい未来など思い描きようもないご時世を生きているにも関わらず能天気に奇声を発したり、我が物顔で細い通りを跋扈し、通行人たちの障害ともなっているのでした。現在ではそこそこ優秀ということが今とそして将来にとって安寧であることを少しも担保するわけではないことをまだ知らないようです。楽しいだけで過ごしたりしたら、瞬く間に学生時代など過ぎ去ってしまうことはぼく自身が身をもって体験しているのだから恐らくは間違いがない事であります。でも若い連中は明るい方に引き寄せられる傾向が強いのに対して、われわれのような枯れていたり枯れかかっていたりする者たちは暗い方へと向かいます。でもこれはけして若者に明るい未来が開けていることを保証するものでもないし、逆に老いを自覚しつつ生き延びるわれわれに緩慢とした足取りで死へと赴いていることを意味する訳でもないのであります。 ともあれ、暗い裏路地に引き寄せられたぼくは、「おでん 志乃ぶ」に吸い込まれることになったのです。店内に足を踏み入れるとやはり年長者が多いようです。枯れたムードの外観とは異なり内装は明るくてこざっぱりとしています。カウンター席に通されます。どこにでもありそうだけれど、それでもどこか懐かしさを感じさせる良い風情であります。カウンターの内側でテキパキと仕事する女のコはワセダの学生さんだろうか。時々ちらちらと視線が交わるので語り掛けたい欲望を抑えるのに必死となります。さて、お高めの価格設定のおでんは、まあおでんだなあといった程度でありますが、久し振りにちゃんとしたおでんを頂けたのはちょっと嬉しかったのです。おでんなんてのは家庭でも簡単に作れる安直料理でしかないのだけれど、家で食べるものとは一味違って感じられるのがいつもながらに不思議であります。何でもないものが何でもなく感じられるのはやはり居酒屋という場の不可解な魅力なのであります。ちなみに初めてと思ったこのお店、実は過去に2度訪れていたことを帰宅後に知ることになります。よくよくぼくは裏路地が好きなんだなあ。
2021/05/10
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都心のど真ん中で閑静な住宅街でもある牛込柳町ですが、大体においてこうしたエリアには飲食店はあまりなかったりするものです。都バスこそそれなりに運行されているとはいえ、都営大江戸線の開通した1991年12月までは、案外不便な場所だったんじゃないかなあなどと思ったりするのです。ぼくの場合、かつてこの界隈は徒歩通勤の経路の一択となっていたから当然に何度となく歩いているけれど、当時は今ほど呑み屋に対しての好奇心は持ち合わせていなかったこともあり、見知った店はあるけれどかなり多くの店は視界に収まることはなかったようなのです。この夜お邪魔したのは、こちらは見知っていた方のお店でありまして、酒場巡りを始めて以降も何度か通り過ぎているし、テレビなどで紹介されているのも目にしていました。わさび飯とデカデカと看板に記されているから気にはなるけれど、ここにお邪魔した以上はその名物を食さぬ訳にはいかないであろうという思い込みがあったのです。いやまあ名物というのだから一度は食べてみたいと思わなくもないのですが、そんなの食べたら酒量を控えざるを得なくなるのがどうも気にくわなかったのです。 でもまあ酒場放浪記でも放映したことだし、そろそろ重い腰を上げてお邪魔してみようじゃないか。丁度良い塩梅にこの夜は、「つず久」からそう遠くない場所に久々の出張でありますし、17時前には十分到着できる算段だから放映後の混雑も辛うじて回避できるのではなかろうか。で、16時半には到着したのですよ。なのにですよ何とまあ客席はほぼ埋まっています。少なくともカウンター席は埋まっていて、今は空いてる小上がりは予約が入っているようです。でも有難いことに小上がりの一卓に通してもらえました。ホッと一息です。でもちょっと窮屈だから長居は辛いかも。ビールで喉を潤しながら品書きや他のお客の注文内容を眺めるといやはらどれも盛りの量がとんでもないことになっています。カウンター席に客たちは比較的ゆっくりとしたペースで料理が供されるのにそれに追いつけず卓上には隙間もなくなっています。そのでかさで特筆すべきは玉子焼きでありまして、ぼくと同様にいかにも一見の恰幅よく食いしん坊風のお客さんがお通しと玉子焼きだけでもふうふうと苦しそうに召し上がっていたのでした。ぼくも玉子焼きはお手頃なので目を付けたのですが、そのサイズを見て遠慮することにしたのでした。頼んだのは無難に煮込みとあと一つは広島(だったかな?)という品。店の元気な女性は女将さんでしょうか、彼女にこれは何と伺うと「広島って言うと?」となぞかけを挑まれてしまうのでした。「カープですかねえ」と答えると、「カープ、カーブ、カブ」と呪文のように唱えられたのです。生のカブだったようです。おお、盛り付けも丁寧で綺麗で見た目にも楽しいですね。と、この酒場の真価を吟味したとはとても言えぬうちに満腹してしまいましたが、とてもいいお店であることはひしひしと感じられたのでした。
2021/05/03
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神楽坂って町はぼくにとって呑みに行く町というよりは散歩コースの途中の町のようなものでありまして、余りそこで呑むということはありませんでした。それはどうしてか、皆さんお察しのことでしょうが、神楽坂の町で呑むのはそれなりの予算を確保しておかねばならぬ気がするのです。その割には寄ってみたいと切望するようなお店はほぼ見られぬという相反するけどいずれにせよ、気軽に立ち寄りたい店はほとんどないと思われたのです。それは思い込みなどではない真実であるとこの夜まではほぼ信じて疑わなかったのであります。しかし、しかしですよ、何のことはない東京メトロの神楽坂駅の出入り口にめり込むというすごい立地にいい感じの居酒屋があったのでした。 今改めて写真を眺めてみたら実際には、出入口と「松兵衛 駅前店」の入るビルとは隙間も見られ、接してすらいないようです。でも実際に店の入口前に立つとアナクロな位に古ぼけて見える神楽坂駅の雰囲気にしっくりと合っていてとてもいいムードを呈しているのでした。店内も、うんなるほど多少の古めかしさはあるけれど正統派で端正な構えではないか。これほどの店を知らずにいたことがいつものことながら情けないことです。で、今になって気付いたのが「松兵衛」というお店、昨年の暮近くになって本店にお邪魔していたのですね。そちらはそこそこのオオバコだったけれど、こちらも思ったより収容能力はありそうですがそれでも広すぎず収まりのいいハコという印象です。初老のご夫婦と若い男性が2人でやっていますが、混雑すると大わらわとなりそうですが、そんなにそういう事態には陥らないのかもしれません。だって女将さんはぼくが勘定を済まそうとしたころにおっとりと姿を見せたのだからのんびりしたものです。その時間になると地元の長年の常連たちが姿を見せ始め、特等席であるカウンターの馴染みの席に迷うことなく着くのでした。普通の焼鳥、ごく平凡な肴が揃う、本当に普通のお店が心地よくて思わず惚れ惚れするのです。帰途を急ぐ勤め人の姿を眺めつつ呑めるのは幸福だなあ。 しかもその向かいには「武蔵」というもつ焼店があったり、ちょっと路地を入り込むと「たまふうみ楽喜居」という店名こそ首を傾げたくなるけれど、雰囲気や品書がぼく好みの居酒屋なんかもあって、これは改めて神楽坂をリサーチしなくてはならぬなと思うのです。
2020/03/31
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何とも挑発的な表題を掲げでしまったけれど、満更大袈裟というわけではなくて、かなり本気なのです。これまで幾度となく牛込柳町の駅前を通過しています。だから当然のことにこの酒場の前も通過していたはずなのです。でも改めて地図など見返してみるとこの界隈から東新宿方面に歩くことがほとんどなかったのですね。大概は、外苑東通りを北上して早稲田方面に向かってしまう。その酒場とは目と鼻の先でニアミスを繰り返していたということになりそうです。幸い酒場が現役であるうちにお邪魔できたからよかったようなものの、このまま出逢えずに消え去ってしまったかもしれぬと考えると、たまには地図を俯瞰してみて自身の辿りがちなルートを見直してみるのがいいかもしれません。 さて、牛込柳町の酒場に話を戻しますが、大久保通りからもその存在は確認できなくはないと思われます。しかし日中だとそこが何かしらの店舗であるとぼんやり通り過ぎて認知することは困難だと思われます。暗くなり、赤提灯が灯されてから大久保通りを通る都バス橋63系統などに揺られたなら、もしかしたらこんなところになんてなったかもしれませんが、それこそ暗くなってからここをバスで通過することなどなさそうです。ともかくとして、こんな都心の一等地にこんな酒場が未だに残っているのは僥倖に違いないからお好きな方はすぐにでも行っていただきたいのだけれど、しかしだからと言って余りに大勢のお客さんで詰めかけてしまわれると困ってしまうのであります。というのもこちらのお店、高齢のお母さんが独りでやっているのです。しかもカウンター席はたった6席しかないから、この夜はたまたま常連が5名だったからぼくも混ぜていただきましたが、さすがに遠慮して端っこに移動しました。空席がなければ奥の卓席に移るしかないけれど、そこだとお母さんが行き来するのに大変そうであります。つまりは常連で混みあう前にそっとお邪魔することにするのが正しい振舞い方なのだろうと思うのです。おつまみももともと簡単な品しかないけれど、できる限り手の掛からぬものにしておくのがよさそうです。酒は人数をそろえてボトルで頼むのもいいかも。なんて遠慮ばかりしているけれど、実際にはとてもフレンドリーであたたかなお店です。この日は、写真にもある水槽で泳いでいるめだかの話題で持ちきりでした。トイレも味わいがあるからぜひたくさん呑んで経験してみていただきたい。ちなみにお店の名前は「三や田屋」です。
2019/12/25
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曙橋にかつて梵寿綱の建築物件「リドー住吉」があったそうな。芸能人なども住んでいた高級マンションであったそうなのだけれど、今では新しい物件に建て替えられているのであります。それでもエントランス付近にはその面影が残されているというので、野暮用ついでに立ち寄ってみることにしました。巣鴨にはごてごてとした石ころのみが放置されていましたが、この曙橋の物件には、それらしき痕跡を認めることができました。でもそれをいちいち指摘することはすまい。というのもその指摘が誤りだとしたらみっともないからであります。 足立育朗という方の建築設計による「第二リドー」は現役で、こちらもユニークなフォルムの建物ではありますが、現在の視点で見ると奇抜という点ではもうさほど驚きは失われつつあるように感じました。 「MORGAN(モーガン)」で一休みしますが、せっかくだからもうちょっと散歩を続けることにしました。 奇天烈物件が好きなら一度は見ておきたい「ハプニングタワー曙橋」を久しぶりに見に行くことにしました。なかなかにケバケバしくはありますが、こちらも今見ると案外、おとなしく感じられるのでした。 一度は行ってみたかった「志満金 支店」は閉店してしまったようです。こちらで親子丼でもいただきつつ、一杯やりたかったなあ。 こちらは見過ごしていましたが、「第二歯朶ビル」であります。こちらはすごいイカしたビルですねえ。トンネルを抜けると異世界に通じているというのではないかと思わせるような吸引力があります。 でも結局お邪魔したのは、「定食酒場食堂」という珍妙な店名のお店でありました。こちらも都心の真っただ中に存在することが驚くべき事態と喧伝しても不思議でない物件であります。ここで酒が呑めるのだから誠に嬉しいことであります。実はこちらの物件、かつては「ハプニングタワー曙橋」で営業していたという来歴がありますので、移転してからの営業はさほどの歴史はなさそうでありますが、これだけの存在感を放っている以上はなんらお邪魔するに支障はないのです。店先に張り紙された80円のナポリタンに俄然興味が湧きましたが、店に入って個性の強い店主に呑むなら千円のセットがお勧めだよと言われるとそれに従っておくという従順さがぼくにはあります。これはドリンク2杯におつまみ3品、それにお替りし放題のごはんとみそ汁がついてくるらしいが、もったいないけど、ごはんとみそ汁は遠慮することにします。基本的にこちらはセルフサービスで酒もサーバから自ら注ぐというシステムで、しかも焼酎やウイスキーを追加できる裏技を教えてくれるものだから当然、思いっきり濃いめにしてしまうのでありました。世間では何かと問題ごとの多いウーバーのお兄さんが独り夕食を食べています。550円だけど大盛りの焼肉定食をお替りを交えつつがっちり食べています。彼はなかなかナイスガイで見た目はゴツイけど応対もちゃんとしていて、彼に届けてもらえるなら頼んでみてもいいかななんて思ってしまうのでした。
2019/12/23
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高田馬場の思い出を語ったところで、個人的な感傷に陥るのがオチであろうから、現在進行形の高田馬場について書くのが良さそうです。ぼくも長くお世話になって、だから必然的にそこで人生の短からぬ時間をそこで過ごした早稲田松竹が未だに現役なのには来る度に感動するし、何とかぼくが定年の日を迎えるまでは現役であってくれと願うのが常なのであります。がそれはともかくとして、何とも嬉しく悔しい事にこの日のプログラムは、なんとなんと驚く事なかれ、スピルバーグの二本立てなのですね。しかもそれが『ジョーズ』と『未知との遭遇』なのでありますよ。こんな贅沢極まりないニクいプログラムをご大層に構えず上映してくれるのがこの劇場の粋なところなのですね。かつて『冒険者たち』と『シェルブールの雨傘』という素敵なプログラムをここで見て、感涙に咽び泣いたものですがぼくの老後にも良き友として支えてくれる可能性は低いのだろうなあ。ちなみに先の二本立てでは、今でも付き合いがあり、頻繁にここにも登場するO氏と遭遇しているのだ。こかで初めて視線を交わしたとか交流が生まれたとかだとエピソードとしてキレイなのだけれどそうは問屋は下ろさぬのです。 その早稲田松竹から徒歩15秒のところに「一膳」はあったんだけど、当時もここはあったのだろうか。あったなら今の我々ならきっと呑みに立ち寄ったはずです。きっとた書くのは早計かもしれぬ。当時は雰囲気とかいったホンワカしたいい加減さを店選びの指標とはしなかったはずた。今だからこそここで、スピルバーグを見て呑みに行きたい。客席はぼくのそんなシネフィル―おフランス語で濁しているはけれど端的に映画オタクね―魂に囚われた不幸な人達などおらず、基本的には奥卓に三々五々姿を見せる競馬マニアの居場所として機能するのである。ちなみに奴らと我々のような酒場好きは互いに互いの活動を補完し合っているのだから彼らを蔑ろにしてはならぬのです。補完の意味するところをクドクドしく記そうかなと昨夜はどうも考えたらしいのですが、今思うとちょっと的外れな気もするのでこれ以上はよしておく事にします。さて、こうした差し向かいの長卓が並べられたお店ではどちら側に座るかで迷う事があります。人相の悪い客と差し向かいになるのは余り気分の良いものではないからです。しかも同じ卓に追っ込まれたならまだコミュニケート可能性が残されているけれど、距離があると互いに視線を交錯させぬよう配慮し合うのがマナーであります。時折、それを無視して無遠慮にコチラを見詰め輩がおるけれど、それは明らかにマナー違反なのであります。そういう時は毅然と見返すのが宜しいと思うのだけれど、稀にそれすら気に掛けずじっと見詰める不気味な奴もおるから油断せず、そういう連中のことは無視するという判断の見直しも重要な決断であります。それにしてもここはなかなかに使い勝手が良いですねえ。まず営業時間が長いのがいい。例えば昼前に映画を見に来たけれど既に上映が始まっている、やはり最初から見たいなあといった場合の時間調整に重宝する。劇場に入ってみると知り合いがいたりして、終わったら呑むかいなんてことになって先に始めておいてもらうなんて使い方もできるのは、中休みがない事の大きなメリットです。しかも一応は定食屋の体裁だから酒の肴というよりもおかずが安価で量も適度なところが至便であります。例えば唐揚げが3個で250円、ナス焼きが100円とか良くないですか。早稲田の定食屋はビールのみ、店によっては早稲田のなんとかいう地ビールしかないことも多いようでそこが残念な点なのだけれど、ここはチューハイだって無論清酒もあるから腰を落ち着けて呑むことができるのです。いやいや、もっと昔からここを利用しておけばぼくの交流範囲も少しは広がっていたかもしれんなあ。
2019/10/25
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早稲田界隈には、やはりというべきか数多くの学生達が我が物顔に跋扈しています。奴等の旺盛な食欲を満足させるべく、心優しき食わせたがりの飲食業者が店を出しました。昔は最低限の営利で最大限の満足をという志をもって、未来の日本国家の繁栄を担う若者に提供し続けようとする熱い魂の持ち主が少なくなかったようです。かつては今よりもずっと多くの学生相手の大衆食堂が存在していたと思われます。実際ぼく自身―とはいえとうの昔に学生を終えていましたが―が早稲田の若者達の胃腸を長年に亘り支え続けてきた多様な飲食店を巡ろうと思ったのは十年も前の事になるだろうか、調べるにつれ、その余りの数の多さ、玉石混交の選別の困難さ、そしてオッサンにはヤバいボリューム等などに辟易とさせられ、脆くもさの目論見は瓦解したのでした。しかし、さらに時を経て、多くの店舗が後継者を失い店を畳んでいると聞くと俄に焦りを感じ重い腰を上げるに至ったのです。現在の学生達は、彼等の大恩など過去のモノとばかりに、油そばとかの興隆に加担しているようで、無論嗜好は時代によって変遷するのは世の倣いであり、それに抗うよう煽動するのは時代を逆行させる事に他ならぬ事は分かっています。また、ぼく自身が学生時代には常に金欠で、外食などしている余裕なんぞなかったことを思うと、さらに仕送りも減らされている彼らの現状を慮ると無闇に老舗食堂を勧めたりする事は乱暴な言動であるかもしれぬ。だったらぼくはかつて利用出来なかった自身への褒美として、そして優しき店主たちの思いに応えられなかったことへの懺悔も兼ねてせっせと訪れるしかないのです。「尾張屋」は、早稲田大学の正門からも最寄りの大衆的な蕎麦屋さんです。外観は見ての通りどこの町にでもありそうな平凡なものですが、ある日、ガラス戸からふと店内を覗き込んでみたら、いかにも大衆食堂的なその実用性重視の内観に大いなる興奮を覚えたのでした。覚えたのならその足で店に踏み入ればよさそうなものですが、あいにくその夜はもう満腹でとても固形物―仮にそれが咀嚼の不要なそばといえども―を受け付けそうになかったのであります。そして気になりつつも数か月、いや1年以上は経ってしまったのだろうか、ようやくにして訪問の機会を得ることになったのでした。早稲田のお店はとにかく休まず営業するお店もある一方で、平日のみ開店しているお店もあったりして、その点に着目して出掛けることになります。こちらは日曜祝日休みと極めて一般的な休みのお店なので土曜の開店間際にお邪魔しました。店内には入れてもらえたけれど、注文はちょっと待ってほしいとのことなので、しばしメニューを眺める。じっくりと眺めるのであります。眺めてはみたけれど気持ちはカレーに向かっているので、カレーともりそばのセットに決まっていたようなものです。まだ独りだからビールも気を遣わず頼めます。添えられた昆布と椎茸の佃煮が甘辛いけどどぎつくなくて食べやすいのがうれしいのでした。あれれ、先にカレーライスが登場です。こういうのって同時進行で食べたいから揃って出してもらいたいなあ。このカレー、蕎麦屋風のトロリとした系やレトルトチックなものではなくて、結構本格的な風味のある気合の入った一品で、これはこれで旨いのだけれど、そばとのハーモニーはちょいとバランスを逸している気がします。というか蕎麦屋らしいそばを想定していたので、どうもそのギャップが際立って違和感がありました。ところでぼくはこの店の入口付近の二人掛け卓を使わせてもらったのですが、ここは店全体が見渡せる番台みたいな席になるのですが、見晴らしがいいということは当然、逆も言える訳で混雑した際にはおっ込の長卓がよろしいかも。
2019/10/23
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早稲田界隈には、目を付けている店が少なくありません。それだけの事を言うのだから地縁でもあるのかと問われると、それはないけれど以前毎日のように歩いたという問いを持ち出すことになりそうです。始終歩いたのは学生時代、と言っても早稲田大学とは無縁なので予めお断りしておきます。大隈講堂などで映画を見た程度の淡い記憶がある程度で、むしろ未だに現役の早稲田松竹や悪名高い、しかしぼくの人生でそれなりの映画的記憶を植え付けたACTミニシアターなど、映画を巡る記憶が殆どでそこに当時はまだそれなりに残っていた古書店で一期一会である古本と巡り会えたことなどを付け加えてもいいかもしれません。それが第一期とすると、次の季節はぼくにとって最悪な心境を随行していたのです。毎朝、呪われたかのような気分で早稲田を通り抜ける道を辿って必死に通勤した記憶があるのです。まだ青臭い悩みを携えながらも青春を謳歌したひと時と辞めるに辞めれぬ憂鬱な通勤の記憶がせめぎ合い、早稲田はぼくにとって憎悪入り交じる町となったのです。とまあそれはともかくとして、早稲田には近頃、ハマっている例の建築家の代表的な物件があるので、大体目ぼしいところは観察し終えた頃だから久しぶりにじっくりと眺めてやろうと早稲田を訪れたのです。 でもその前に、前々から「神田川ベーカリー」が気になっていたので寄ってみることにしました。都電の早稲田電停の目白台側の住宅街に身を潜めるようにしてあります。表ともいえぬ表通りに立て看板が置かれていますが、あれがパン屋の目印とはとても思えぬはず。ぼくもずっとそこが何をやっているか知らずにいたものですが、たまたまネットで調べてそこがパン屋、というかブーランジェリーであることを知り、一度試してみようと思いつつもそのままになっていたのでした。正直値段はお高め、うっかり買い過ぎると数千円は吹っ飛びそうだけれど、アソート―知ってるように書いているけれどその意味を知らぬのだ、でも前日焼かれた商品らしいから大凡の推測はできる―販売された商品は五品程で500円と破格のお値段。初めての方はこれと焼き立てを併せて求めることを激しくお勧めします。ぼくはお店の方たちの人柄をそのままに写したような優しい味わいがとても好きでした。 さあ、いよいよ「ドラード早稲田(和世陀)」を訪ねる事にしました。例の梵寿綱の建築物件として最も知られる一棟になります。外観の威容もさることながら、内部の過激とすら評せるだろうそのユニークでグロテスクな装飾には、初めて目にした時と同じ衝撃があるとともに、この数ヶ月で系統的に氏の建築を眺めてみたこともあり、特別な感慨が湧き起こります。こうしてこの物件を眺めているとかつて目と鼻の先にあった中世の騎士の館のような喫茶店が思い起こされます。しかし、その場所すら確かには思い起こせないのです。 さて、ここでランチタイムです。若い頃から良く知られていて来たい来たいと思いつつも早稲田の学生たちで占拠されている事に怯んでしまいつい敬遠していた「三品(三品食堂)」ですが、店の前に来てみると時間も早めだったためか、まだ数名のお客さんがいるばかりです。今の牛丼チェーンに通じる細く長いカウンター席が行く筋か設けられていて、ゆっくり食事を楽しむというよりも多くの学生たちにガッツリと食べさせたいという店主の意気込みが感じられるのです。でもまあ今は空いているからよかろうと、発泡酒をもらうことにします。さて、食べる方はどうしようとチラリと隣を見ると牛めしの大盛らしきものがまさに手元に届いたところであります。うむむ、結構な量であるなあ、しかしここの牛めしの具とカレー、トンカツで三品となる組合せもヤバそうです。という事であいがけと称しているらしい牛めしカレーを頂く事に、サイズは無論並にします。するとこれが予想外にチンマリとした盛りで失敗したかなと思うのですが、悔んでも時既に遅し。それぞれを味わい三口目で牛肉とカレーを合わせて口に放り込みました。うん、想像通りに何ら違和感もありません。牛丼チェーンで食べ慣れているしね。そうしたチェーンではもう少し味は洗練されているし、値段も安いから学生達はここを離れたのだろうか。そうだとしたら、気持ちと財政難も分からぬではないがとても残念な事です。 へえ、こんな大学の裏手の路地に「純喫茶 エデン」なんてあったのか、知らなかったなあ。現役の頃はどういう感じだったか知りたいなあ。そうそう「GAME ABC」なんてのもあったなあ、なんて早稲田大学とはほとんど縁もないくせに妙に感傷的になったある昼の散歩でした。
2019/10/07
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ぼくのこれまで食べてきたネパール料理は一体何だったんだろう。どうやらこれまでネパール料理とは名ばかりの全くの似非物ばかりを食べてきたらしいことを今更に知ることになったのでした。随分以前からインド料理店が都内の随所で食べられるようになってから、日本人はどうも偏った料理ばかりを食わされてきたらしい。ぼくらが当時、いや現在の多くもお店でもそうだけれど、北インドの料理をベースに日本人の好むタイプのカレーばかりが普及し、インドを始めとした南アジアや東南アジアの各国のカレー文化、いやカレーに限らずスパイス料理の文化は捻じ曲げられた形でわれわれの口に届けられていたようである。そのことを知ったのは、実はもう随分以前のことになるけれど、池袋の「A-Raj」などで南インドの料理を知ったときのことであります。サンバルやラッサムといったそれまでに口にしたことのない酸味やら不可思議な風味に強烈な印象を受けつつも、やはり若かりし頃は肉を中心としたボリューム感を求めてしまいがちだったのです。もともと南インドのカレー定食であるミールスを幼少期から食べていたならともかくとして、若い時分に北インド的な濃厚なカレーでスパイス料理ショックを受けた世代としては、そちらこそ親しい味わいとして長いこと付き合ってきたのでした。ある年齢を超えて再び「A-Raj」を訪れて、北インド料理店にはないドーサなどの料理を口にして、スパイス感はより個性的でありながら胃腸に負担の少なく思えたところが溜まらなく中年たる自分に相応しく思えたのでした。かぶれやすいぼくは南インド料理こそが素晴らしいのだとここ10年ほどそっと吹聴してみせていて、看板にネパールの文字が多くみられるようになるのも無視して、いや無視はせずに単なるインド料理店との差別化をインド・ネパール料理といった国名を増やすという具合で図っていると勝手に憶測していたのでありました。かつてはインド・パキスタン料理店をよく見かけたけれど、大概が単なるインド料理店と何ら差異がなかったのが悪いのですと己を正当化しておくことにします。そんなこともあり、ネパール料理と言われても、そしてなんだか近頃、新大久保が韓国人からネパール人にとって代わるというようなテレビニュースのグルメコーナーなどを見ても、ちっともそそられることはなかったのです。それから世の中に出回っているカレーのレシピで国別の料理のレシピなどが載っているものがあって、そこにネパール料理のレシピも掲載されていたりして実際に作ってみたりしたのでありますが、スパイスの使い方などちっともインド料理と変わらぬのだ。強いて言えば用いるスパイスの種類が少なくて、辛みも控え目だったりする位なのです。レシピに差異を見出せなくてどうしてわざわざ金を払ってまで食べに行く必要があるのか。ずっとそう思い込んでいたのです。でも気乗りしないところを無理矢理誘われて、本格的なネパール料理はすごく旨いのだ、ダルバートという南インドでいうミールスのような定番メニューを食べずして興味がないなどとほざくのは愚かしいこととまでいわれるとさすがに食べてみようという気にもなるのでした。 というわけで小岩が発祥で、つい先達て本八幡にも店舗を拡張している「サンサール」の新宿店にお邪魔することにしたのでした。初めてだからダルバートと呼ばれる定番を頼むことにしました。その概要については、ぼくを痛烈な言いざまで誘った同行者から教育されており、イメージはあったのだ。でそのイメージを伝えられてもちっとも旨そうには思えぬのでした。ちなみにバートはライスを意味しており写真にありますが大概は皿の手前真ん中に盛られていて、後述のあれこれをぐちょぐちょ混ぜていただくことになる。その右側の器に入っているのはダルと呼ばれる豆スープ、同行者が言うには淡白な味わいでカレーというよりは明らかにスープであるとのこと、気分が萎えるのであります。カレーの系譜に連なりつつ辛くないとはいかにも詰まらぬとこの時は思ったものであります。ぐるっと反時計回りに次が大根のアチャール、なんか豆が入っていますが、これは漬物のことですね。帰りにこの豆が旨かったのであれは何かと尋ねるとその答えはピースであるとのこと。ピースってやっぱり豆のことじゃないの、こっちはその豆の種類が知りたいのだと尋ねたがどうも適当な回答をもらえなかったのであります。その次のがタルカリでこれはカリフラワーと鶏肉のスパイス炒めといったものでありました。そしてインド料理店でもお馴染みのサラダであります。これはダルバートではサグという青菜の炒めたものが添えられることもあるようで、どちらかと言えばそちらを食べたかったなあ。ランチビールをグビリと呑んで、各料理を個別に味見することにします。混ぜて食べるのが基本と言われても、やはり最初は個々の味を知っておきたいのが人情であります。見た目はねえ、カラフルな印象のある北インドのカレーと比較するとどこかくすんだ垢抜けない色彩であります。サラダとライス以外はどれもターメリックの黄土色っぽさばかりなのです。食べる前からちょっとげんなりしてしまうのですが、この後、小気味よくその印象は打ち砕かれることになるのでした。ともったいぶるけれど、とにかく結論としては見た目を裏切り無茶苦茶旨いのでありました。南インド料理のミールスの旨さは疑うべくもないけれど、しかしいざ口にする際には身構えてしまうのです。自宅でそれなりのレベルで再現できるようになったと思っているけれど、残った分を後日に持ち越そうと冷蔵庫にしまってもしばらく口を付ける気になれないのでありますが、これは毎日でも日本料理と変わらぬ位に自然に食卓に並べることができる気がするのだ。これは凄いことであります。サンバルは日本食でいうところの味噌汁みたいなものという言い方があるけれど、それに対応するダルは確かに味噌汁気分で毎日あっても飽きずにいただけそうなのです。ほとんど辛くないのにスパイス感が存分に味わえるというのもとても良い。この一食でぼくはすっかりハマってしまい、この夏はこの先、何軒かのネパール料理店を巡ることになるのであります。南インド料理にかぶれた際もちょこちょとと食べ歩いたけれど、今回のハマり方はその比ではないのだ。そして、このお店は確かに美味しいけれど、今のところ知りえた他店を必ずしも凌駕するわけじゃなくて、ベースとなるような平均点をちょっと上回る位と考えればよい程度の店であることを突き付けられるのであります。
2019/08/29
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都心というのはどこもかしこも利便性の高そうな印象がありますが、実際に歩いてみると思ったより不便な町も少なくないようです。牛込柳町駅のあるエリアもそうで、1991年に都営地下鉄大江戸線が開業するまでは、所謂ところの陸の孤島のような様相を呈していたのかもしれません。とここで余談ではあるけれど、どうもぼくには陸の孤島という言い方が的を得ていないように思われて仕方がないのです。この言い方の意味するところは鉄道網の網の目から零れ落ちたような土地の事を指すのだろうけれど、もっと適当な表現はないのだろうか。明らかに地続きで歩くことを苦にせぬぼくのようなモノには島というのが余りに稚拙な表現に思えてならぬのです。しかもこの辺もそうだけれど、都心というのは坂ばかりでその起伏の複雑さは島の地形の単純さとは相容れぬように思えるのです。大体が比喩的な表現を用いるにつけ同じ地形同士をぶつけてみたところで、余り気の利いたものになりそうもないのです。代替案を持ち合わせぬのに偉そうな事を述べているがそのうちもう少し適当な呼び方を見つけたいと思うのです。 と愚図愚図と書いてみたけれど運賃も高く、そんなに使い勝手が良いとも思われぬ大江戸線になど揺られてくるはずもなく、この日は飯田橋からブラブラと自宅に向かって歩いた訳です。牛込柳町駅の界隈は自宅まではまだまだ中間地帯と行った場所でありますが、この界隈に来るなら大概が都バスに揺られるのが便利です。かといえ歩くには辛いと思うディナーの後に乗るくらいで後はほぼ迷わず歩く事になります。そしてこの辺でディナーとなるとほぼビストロに行く場合に限られ、居酒屋はほとんど知らぬのです。だから「家庭料理 はなむら」を目にした時には、この界隈にもこんな渋い店もあるのかと嬉しく感じたものです。さて、店内は思ったよりもずっと広くて、だけどカウンター席などもありぼくのような独り客でも気兼ねせずに済みます。そのカウンター席に着いて背後を眺めると、それが相当に広い座敷になっていてしかもかなりのゆとりを持って卓が配置されています。ふうん、これなら座敷でもゆったりすごせそうです。席に着いても店の人はなかなか現れず若干の苛立ち感じます。しばらくすると目つきのあまり宜しくないオヤジが姿を見せ、横柄な態度で注文を受けます。ぼくの頼んだ料理は何やらよく分からぬ商品名が付けられていたのですが、それは何かと尋ねてもブスリとした表情を緩める事もなく不愉快な応対をするのでした。ならず者相手にしぶとく商売し続けてきたオヤジというよりは、脱サラして上手く転身しきれていないそんな対応に感じられとても不快です。でもその自負がどこから来ているかはすぐに明らかになりました。牛バラ肉と玉ねぎを炒め付けてシンプルに味付けしただけのその料理は味は家庭料理の粋を脱していないけれどとにかく利用が凄いのです。ぼくの後に来た学生三人組は定食を頼んでいましたが、その飯の盛りの凄さは遠目にも明瞭に見て取れます。そのサービス精神が歪に偉そうな態度として顕現しているのだとしたらそれはぼくには迷惑でしかないのです。ところで、酎ハイを頼んで呑んだのですが、壁に貼られた樽ハイが出されるものだと思っていたけれど意外な事にちゃんと焼酎を水で割って出してくれます。ただしその値段は予期せぬ値段で、勘定を頼むと明らかに想定を上回っていて思わず確認してもらう羽目になったので、安く済ませるならちゃんと樽ハイを欲しいと頼む必要がありそうです。
2019/06/07
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曙橋にはあまり縁がありません。縁がないというのは、都営地下鉄全般に縁が薄いという理由が専らで、実際これまで曙橋駅を利用したことがあるかについてはどうも自信を持って言い切れぬのです。あるようなないような。でもこの町の事を知らぬかといえば満更知らぬ事もないのでありまして、かつては通勤の際にたまに回り道して歩いたこともあるし、今もあるかどうか知らぬけれど、パティシエがやけに持て囃された時代にこの曙橋にもそれなりに知られたパティスリーがあって、そこが評判倒れならざるとても美味しい洋菓子を提供していたからちょくちょく買いに行ったものです。実は今回、ぼんやりと記憶に留めるそのお店を眺められるのではないかと少し期待したけれど結局見つからなかったのは、ぼくのぼんやりのせいか、それとも移転なり閉業なりしたということか。まあ、今では甘いモノの趣味もクラシカルなものの方にシフトしつつあるからそれ程の未練はないのであります。なんて店の名を出さぬのは店名すら記憶に危ういからであって、ラで始まってスで終わるので当たりだと思うけれどこれを深追いするつもりはありません。さて、しかし曙橋では呑んだ記憶がまるでないのでありまして、これは恐らく間違いのないことです。近くの四谷荒木町では何度か呑んでいますが、それも数える程度でしかありません。 さて、「もつ焼 煮込み 福よし」は、そんな曙橋駅を出てすぐの脇道を入り、荒木町方面に緩やかに登る坂の途中にありました。見た目には昔風のそれでもまあごく平凡な居酒屋に映ります。でも中はいいですねえ。まだ開店したてだと分かるのは、はじめに店の前を通り過ぎた時にはまだ暖簾が下がっていなかったからで、この界隈をブラブラして時間を潰していたから間違いないのです。案の定、口開けらしくてこれって実は少し照れ臭いのですね。なんか気合を入れて酒場に行くのってどうなのよという衒いがあるのです。でも少し強面のオヤジさんはそんなコチラの自意識の過剰さの発露などどこ吹く風といった様子で飄々と迎え入れてくれました。卓席の一つで開店前の一服を決め込んでいたらしく少し恐縮です。でも至って気さくな様子で迎え入れてくれるからありがたい。でも必要以上にべたべたと愛想を振りまいたりもしないからご安心を。チューハイに添えられた糠漬けがいいねえ。いやサービスが嬉しいという意味でのいいねえでもあるけれど、これが別途注文したいくらいに旨いのだ。そして、しばらくして焼物が届けられます。これがまあなんと実にしっかりとしているではないですか。近くには堀切菖蒲園の「のんき」の姉妹店もあるけれど、ぼくの好みでいえば、こちらのもつ焼の方が断然好みであります。そろそろ店を移ろうかなんてことを思っていたら、女性客が連れだってお越しになりました。煙の臭いが付かぬよう、戸付の棚に仕舞うようおすすめしているなど細やかなサービスもしっかりしていて、今度四ツ谷とか市ヶ谷に出向く際は少し遠いけどこちらでゆっくりやるのも良さそうです。 さて、こちらは黄緑色のテント地の看板が以前から気になっていた「大衆割烹 よしうら」にお邪魔することにしました。外観は渋くて好みでありますが、この界隈で魚介料理を専門にするお店だとついおっかなびっくりお邪魔することになります。でも先の酒場の好ましさにすっかり気が大きくなったぼくはいつもの臆病風も吹き止んで、颯爽と戸を開け放つのでした。あら、店の中は案外平凡なのね。それでもまあ念願のお店に入れたから良しとしよう。しかし頼むのは手頃なチューハイというのが情けないなあ。ここで刺身でも食わぬのはみっともなかろうとイサキをもらうことにしました。すると接客担当のお姉さんが厨房のオヤジさんにイサキ7切れとか指示をするのですね。客の体格とか年齢とかでこの切れの数が変化するように思われたけれど、この夜のサンプル数では統計にて分析するまでに至りませんでしたが、どうも人によって切り身の数が違っているのは確かな事のようです。このおねえさんというのが、きびきびとしているのであるけれど、ちょっと接客というには怖い気がするのです。もう少しソフトというかマイルドな応接だともっとリラックスできるのにねえ。お通しはゴボウサラダでありますが、ハナマサ辺りの商品とそっくり。これでお金を取るのはやはりよろしくないのです。そしてイサキであります。鮮度も良さそうでまず旨いのであるけれど、さすがに7切れは多いのではないか。ちょっと飽きてしまうし、酒もすぐに足りなくなる。なので、まあカッコつけのために銘酒へと流れることになるのだけれど、まあこれは銘酒居酒屋レベルのお値段でありました。ということで、これで店を出ることにしたのですが、一軒目の倍以上の勘定になりました。ならばもう次にぼくの行くのはどちらであるかは言うまでもないのです。
2019/06/04
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神楽坂には、縁がなさそうと人にはよく言われます。そんな風にぼくのことを揶揄する連中は、ぼくの真価をまったく理解しておらぬのだと腹の中で憤ってみせたりする。実際にはまったくちっとも憤ってなどおらず、ぼくを揶揄する彼らは恐らくはいつも安酒場にばかり通い安酒ばかり呷っているぼくがおハイソな町である神楽坂で呑むことが不可解だし口惜しいのかもしれません。彼らはちっともぼくのことを分かっていないのは確かだし、ぼくにしたところでぼくのことを他人に安易に理解していると言われたりしたら、非常に不愉快なのであります。しかし、彼らがホントに分かっていないのはぼくの事もそうだけれど、それ以上に神楽坂の事を知らなすぎるのであります。彼らは、神楽坂の一面しか知らぬくせに知ったように語ってみせるのだから笑止千万であるのだ。しかし、そんな多少はその人たちより神楽坂を知っているつもりだったぼくにしたところで、実のところちっとも神楽坂のことを知ってなどいなかったことが判明したのであります。 いや、「加賀屋」に神楽坂店があることはずっと前から知ってはいたのでした。そして何度かは足を運ぼうとも思ったのでありますが、まああれだけ目立つ店なら現地にさえ行けばどうとでも探せるだろうとか、いざ神楽坂に着くと気になる酒場が案外少なくなかったりしたものだから、ここに辿り着くまでに随分と時間が経過してしまったものであります。この夜ばかりは迷うことなく「加賀屋」へと直行しようとまずは神楽坂駅に急いだのであります。駅周辺を一回りしたら見つかるはず。でも探せど見つからぬのでした。閉店してしまったなんてことはないだろうなあ。先日近所の居酒屋で呑んだ際にその店の女将さんも先日近所の居酒屋で呑んだ際にその店の女将さんもその存在を認める発言をしていたはずです。こういう時にスマホの地図アプリは有り難いよなあ。邪道という気もしなくはないけれど、ぼくは便利にものは大好きだし、多いに活用するに躊躇はないのです。と地図アプリを頼りにあっさりとたどり着いたけれど、ここっていかにも住宅地の只中じゃん。こりゃ、適当にさ迷っていたらきっと到達し得なかったに違いない。いやまあ、ローラー作戦を通せばなんとかなったと思うけど。さて、しかしそこは土地柄の予断がもたらすすかした気配など微塵もないこの系列店の好ましい傾向を余すところなく発揮していたのであります。店の佇まいや内装の渋さ、そして肴の手堅さなど、店舗によっては如何にも外れというのも少なくないうちにあってこにらは正統派ー異端な加賀屋もあるということーらしさを高レベルで維持していてとても満足できるのです。うっかり凄い長居してしまうのも無理からぬ事なのだ。残念なのはここだけは場所柄か、多少お値段がお高めなところ。でもまあ神楽坂で気軽に立ち寄れる酒場を知れて満足なのです。
2019/04/25
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新宿という町にはないものなどはなく、すべてが揃っているという印象がありますが、案外、本当に古いものは思っている以上に少ないものです。池袋や渋谷なんていう後発の副都心とか呼ばれたりする地域も同様の物足りなさがあります。それでもわずか10年も前であればそれなりに古いお店などもあったりしますが、ちょうど世代交代の時期に当たるのでしょうか、次々に店舗は姿を消し、町としての魅力も加速度を増したかのように減じているように感じられます。それでも丹念に歩いてみると、まだ見落としがあるようですね。いや、以前は純粋な酒場という幻想に翻弄されて、世の中のかなり多くのお店が酒場として見做すことも可能であるとの視点が欠如していただけなのかもしれません。いやいやあんたは10年以上前から古い中華飯店や食堂なんかにも嬉々として訪れていたではないかと言われると力強く首を横に振るだけの自信はありません。 新宿駅西口を大久保方面にしばらく行った路地にある雑居ビルの1階、かなり控えめな様子で店を構える札幌ラーメンの暖簾。「札幌ラーメン 大富」なんて立派な店名があるのを知ったのは後のこと。佇まいの渋さもそうですが、無性に味噌ラーメンが食べたくなったのであります。めっきりと醤油派のぼくではありますが―例外的にカレー風味を好みはするけれど―、たまにたまらなく味噌味が恋しくなることがあるのです。昼下がりであったので、ぼくと入れ違いの客が帰った後は店はぼくが独り占めすることになります。店の方すら姿を暗ませて視界には現れなくなったので、実質的に一人だけの空間を新宿の真っただ中で確保し得る体験というのはそうそうないかもしれません。視線を前後左右に向けてみても赤と黒を基調に構成された直線と面のコントラストが実にかっこよく思えるのであります。味噌ラーメンは望んだとおりのオーソドックスなスタイルで、妙にスタイリッシュだったり、凶暴なまでのインパクトが有ったりしないところが大変好ましく思えます。10回に1度はゴテゴテしたラーメンも悪くないかもしれぬけれど、基本的にはシンプルかつ忠実に調理されたラーメンこそがあくまでも定番として不変であったもらいたいし、事実普遍であるのです。以前のように呑み食いがままならなくなると、かつては極力忌避していた昼呑みが愛おしい時間に感じられるのでありまして、つまりは今後ますますラーメン屋やら中華飯店などで過ごす時間が増えるのは必至となりそうです。
2019/01/21
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新宿は好きな町だけどとうも呑み歩くのは億劫に感じられます。ひとえにそれは人が多過ぎるというまあしょうもない理由だからであります。無論、理屈を述べるまでもなく人が多過ぎる程に多いからこそこの町は魅力を放つ訳でありまして、まさに人は人を呼び混沌たる坩堝のごとき有り様を呈しています。多様な地域の文化が入り乱れ、広い世代の人々がそれぞれの欲望をぶち撒けつつ、それでも人という生き物は弱く出来ているせいか同じ臭いのする連中は群れるものらしく、場所毎に特異な町並みを晒しているのです。そういう場所は新宿にあっては挙げると切りがないのですが、酒呑みにとってもいくつかの群れをなす避難場所があって、その代表的な一つが思い出横丁になるでしょう。しかしまあ思い出って何なのだろうか、酒呑みなんてのは思い出などという感傷に溺れがちな最も弱い人種であることは明らかな事で、それは吾妻ひでおの傑作『アル中病棟』を見れば身につまされるに違いないのです。 孤独に耐え難くなれば、取り敢えずこの界隈に来てみれば孤独感を癒せる気分になれます。勿論、それは気のせいで真っ昼間から酒を呑もうなんて連中は大概が孤独に苛まれているものだし、孤独な者たちが寄り集まったところで孤独はさらに増幅されるばかりなのです。「晩杯屋 思い出横丁店」はしかし、どうも少しばかり勝手が違うようです。皆それぞれに孤独なはずなのに何故か悲壮感が感じ取れぬのであります。酒の最高の肴は孤独であると思うぼくにはそれは違和感そのものなのです。最低限の値の付いたお勧めを頼むとちょうど品切れだと言われてもそんなものだろうなあと自然に受け入れる自分がいる。目に止まったポテサラすら実は危うかったらしい。いろんな酒呑みがいるけれど、そして皆それなりに悩みは抱えているものだけれと、ぼくは、程々に悩みをいだきつつも程よく明るく振る舞える人が好きです。そんな程々な悩みすらこの店の客からは感じ取れぬのであります。それは果たしてとうしたことか。きっと彼らはこれから気のおけぬ仲間達と伴って本番の呑みに移行するつもりなのではないか。だからこそ彼らは一見すると独りであるけれど、孤独でなどありはしないのです。きっと彼らは既にこれから落ち合う相手との会話などを思い浮かべてみたりしているのではないか。そんなぼくも実はこれからが本番なのです。果たしてここで独り呑むぼくは周囲からはどう写ったのか、叶う事なら孤独な男に見えれば良いのだけれど。 向かったのは、都内各所で目にする「中国西安料理 刀削麺・火鍋 XI'AN(シーアン) 新宿西口店」でありました。あんまりチェーンの事を悪く述べてばかりいると、そのうち行くべき店がなくなりかねぬから注意せねばなるまい。雑居ビルの二階だったか、そんな雰囲気は悪くないけれど店内に入るとまあ広くはあるけれど、ご当地の方のお店らしい退屈な内装でゲンナリとします。円卓に着いても気分の高揚はありません。まあ仕方のない事と予想通りなのだから不満は述べぬことにします。しかし、ここまでさり気なく腐してはみたけれど、料理は案外悪くないのであります。餃子や小籠包などはそこらの専門店などより遥かに出来が良いし、店の名物の刀削麺はこれまで何度も口にしていて旨いことは旨いけれど感心などしたことがなかったけれど、ここの一番辛いのに山椒を追い掛けし、さらに添えてもらったパクチーを大量に乗せて頂くとこれが風味がグンと増してしかも刺激もあり凄く旨いのです。旨い旨いと馬鹿の一つ覚えで語っているけれど旨いものは旨いという言葉を発せれば十分なのです。こうして口中を痺れさせれば安物の紹興酒もグビグビイケてしまうのだ。ジャンクな食い物に安酒が似合うのは古今東西不変なのです。こうなると満腹中枢も麻痺して食欲は亢進、酒もよく進むのです。しかしまあその見返りとして胃腸は荒れて、翌日は後悔する羽目に陥るのだけれど、それもまた新宿の呑みに相応しい結末であるなあ、なんて出鱈目な結論に至るのです。
2019/01/14
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こんなぼくだって、牛込神楽坂で夜を迎えるなら贅沢でなくてもいい、ビストロなんかで少し美味しい食事とお酒を頂けたなら素敵だななんて思ったりもするのであります。なんて気取って書いていますが、ぼくにとっての神楽坂はそれこそ映画のための町でしかありませんでした。飯田橋ギンレイホールにその地下の今はなき成人映画館のくらら、日仏学院のホールなどにはウンザリする位に入り浸ったものです。くららはそうでもないか。そして、牛込方面に足を向けるとそこには神楽坂牛込文化がありました。ここもやはり成人映画館でありまして、まれに日活ロマンポルノファンなら垂涎のフィルムが上映されたりして、なかなか目が離せぬ小屋なのでした。今思い出すのは、神代辰巳の『美加マドカ 指を濡らす女』で、今ではいかようにも見る手段があるけれど、当時は見たくても見れない幻のフィルムの一本―というのはいかにも大袈裟だけれど―なのでありました。ここにぼくが通った当時は客というと異国の青年たちが多くて、煙草は当たり前だけれど、着席したまま平気で××ションしていたりもしたからかなりハードな環境だったのでした。それでもそんな障害をものともせずに通ったのだからぼくも若かったなあ。今ならそうまでして訪れようとは思わないかもしれないけれど、あの頃のぼくはその程度には情熱的だったのでありました。 外観から既にして強くフランスのエッセンスを散りばめられています。ぼくのイメージするビストロというのは、もっと路地裏の古い民家を改装したような家庭的な雰囲気であるとすれば、ここのはちょっとポップでカジュアルにすぎる嫌いはあるけれど、これはこれで現代的な装いでむしろ気軽な普段使いの店の印象を証しているようにも感じられます。「ラビチュード」は、東京で一番敷居の低いフランス料理店を標榜するだけあって確かに月に一度くらいは訪れても家計をそう圧迫することなく済みそうな手頃さがあり、しかも自宅でもそう手間暇かけずに作れてしまうフランス家庭料理とは一線を画したちょっと外食したくなるようなメニューが並び、いつも迷いに迷ってしまうのであります。店名はたまたま調べてみたら習慣といった意味合いを持つ言葉らしくて、実はもっと裏の意味もありそうな予感があるけれど、これ以上の理由はいま時点では不要です。店のお手頃さも無論重要ですが、ここで出される看板メニューは大定番の鴨のコンフィでこれが確かに習慣化したくなる味と食感なのであります。世の中にはもっと上等の鴨肉で上等の調理をしてくれるシェフが拵えた品を供するビストロがあるのかもしれないけれど、ぼくにはここのが今のところは一番舌に合っているみたいです。そして、ここが個人的には大事なポイントだと思っているのですが、ビストロは出来ることなら電車に揺られて行きたくないのです。今回はバスに乗ってやって来ましたが、ちょっと気張れば歩けなくもないのです。お腹も満足して、酔いはまだほろ酔い加減で寒空をしかしそれを心地よく感じられるくらいで自宅に向かうのが理想なのです。そして、自宅に辿り着くまでにもう少し呑みたいなあと思ったらブラリと立ち寄れるちょっと気取ってるけど、気疲れしないようなバーで2、3杯呑み足すことができればそれはもうかなり素敵な一夜と言えましょう。つまり、ビストロというのは都心に近いけれど、高級住宅街や歓楽街からも外れた都会のポケットのような場所に住むことが大切になるというなかなかに面倒な存在なのです。
2019/01/09
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神楽坂って、これもまたお決まりの思い込みでお値段の張るお店が多いものと考えてしまいがちです。それは必ずしも的外れな想像ではないとは思うけれど、中には手頃な居酒屋さんもあるという事をつい先だって知ることになりました。そもそもどうして神楽坂になど行こうと思ったのか、答えはハッキリしています。神楽坂は目的地ではなく通過点に過ぎなかったのであります。しかも通過点とはいえ起点は定まっていたけれど、終点はどこと決めていないという出鱈目で行き当たりばったりな、つまりはノープランで何となく自宅に向かう方向に舵を切ってみただけなのであります。それにしたって自宅方面という前提が行動をガチガチに縛っていて、結局は見知った通りを歩いてしまうことになるです。だけれども近頃はようやく酒場ガイドというようなマニュアルの呪縛から離れられつつあるので、そうなるとようやくにして生身の町の姿をピュアな視点で眺められるようになるのです。ぼくはどうも教養主義的な一面を兼ね備えているらしく、基本を抑えてからでないとどうも、自由な視線を獲得しうるに至らないのであります。それはまあ根深く巣食った性分のなせる業だから如何ようにもならぬのです。 さて、お邪魔することになったお店は、創業者の奥方らしい方にお聞きした話によると、町名は失念してしまいましたが、40年以上前に蕎麦屋の「松吉」を振り出しに店を始め、30年ほど前に東京メトロの神楽坂駅のすぐそばに居酒屋の「松兵衛 駅前店」を始められたそうです。この日にお邪魔した「松兵衛 本店」は、本店とあるものの開店は一番遅く20年ほど前の事だそうな。とにかく神楽坂で商売を始めて随分と経つようですが、案外町のことをご存知ないのが面白いといっては失礼かな。坂の町、神楽坂らしく店は階段を下るようにして入ることになります。店は広くて、整然と配列されたテーブル席が奥へと伸び、カウンター席はないので厚かましくも中央の卓席を独り占領させて頂きます。まあ、他に客もおらぬから支障はないでしょう。今となってみれば立派な構えのお店ですが、ぼくが学生の頃にどうしたものか財布にゆとりがあった際に通ったとある居酒屋が思い起こされ、ぼくにとっての居酒屋の原風景に通ずるところがあり、回顧的で感傷的なおセンチおぢさんに堕してしまうようです。それを店の女将さんは許してはくれません。まるで思い出の泥沼に嵌まるのはあんたにはまだ早過ぎるとでもいうかのように矢継ぎ早に話題を繰り出すのであります。それも昔の神楽坂は良かったなどという回想に向かうのではなく、たまに顔を見せる娘さんが来る度に変わったねえと驚くその言葉や表情を愉快に受け止め、そして自らもフロマージュ屋さんやパティスリーなどの新しいお店を好んで利用されているらしいのてす。さて、オクラの煮浸しや手羽先唐揚げなどで軽く呑んだら次なる酒場を目指すことにしよう。折よくOL二人組が来られて、怒涛の注文でバタバタしだしもしました。夜の神楽坂はまだまだ隠れた酒場が潜んでいそうです。
2019/01/03
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ビストロなんてものは本来が大衆のための食事処なのだろうから、このタイトルは矛盾しているのかもしれぬけれど、実際、日本のビストロで仮にプレフィックスのコースを食べて、例えば三千円のコースだったとすると、これで週2回通って食事だけという訳にもいかぬからワインをボトルでもらったりすればあっという間にエンゲル係数が跳ね上がるのだから、やはりとても大衆とは呼べぬことが多いのであります。だからここでは大衆フレンチとは呼ばず素直にビストロと呼ぶ事にします。そして、ぼくのようなセコい人間は、例えば高級フレンチ店なんかで食事をする機会に恵まれるとそのサービスのゆったり感にも促され、酒に掛かる費用が食事を簡単に上回るから要注意なのです。そんなぼくでも時にはビストロ料理が食べたくなったりするのです。さすがにビストロで高級店のクオリティは望むべくもないけれど、日常生活におけるプチ贅沢としては充分なのです。 この夜、訪れたのは早稲田の「モンテ(montee)」であります。早稲田通りの路地を入ってすぐの立地で学生街からは少し距離があるから騒がしくもなくいい感じです。こちらは、手頃な価格でフレンチ気分を楽しんでもらおうと伊川順二氏という方が曙橋「オー・ムートン・ブラン」にオープン、四ツ谷「パサパ」へと店を移っても良質でカジュアルなそして低価格で気張らない雰囲気もお店をやってくれたのは、ぼくのようなたまには旨いものを食いたいけれど、根がケチなものだからあまり大金は払いたくないという吝嗇家でも通えるお店を生み出した功績は素晴らしいものであります。今は無き目白台の「パ・マル レストラン(Pas Mal RESTAURANT)」、千石の「プルミエ」、高田馬場の「ラディネット」を始め、荒木町「スクレ サレ」は新宿御苑に移転されたようですね。今でも高田馬場「ラミティエ(L'AMITIE)」、神楽坂「ブラッスリー・グー(Brasserie Gus)」、護国寺「ル・モガドー」「ル・マルカッサン(Le Marcassin)」、市ケ谷「ラベイユ(L'Abeille)」、落合南長崎「エシャロット」といった志を継ぐ店があり、その料理の質や店の雰囲気、サービスのレベルには開きがあるけれど、それでも他の追従を許さぬ魅力を維持するのはシェフたちスタッフのあくなきサービス精神と研鑽の賜物と考えるのであります。なんて何処かから拾ってきた情報を切り貼りして何ともみっともなく辿々しい文章になってしまったけれど、こうした月に一度のお楽しみというようなお店が増えるのは大いに歓迎したいところです。 さて、この早稲田の新しいお店は、左記に書いた「ブラッスリー・グー(Brasserie Gus)」で修行したシェフが独立して始めたお店だそうな。彼の姿は店を出る際のお見送り時に拝顔したけれど、はじめは修行僧のような厳しい表情だったのが瞬時に心からと思える笑顔に切り替わってすっかり好きになったのでした。ここでは前菜で鶏レバーのパテ、メインに鴨のコンフィ、デザートにガトーショコラと大定番を頂きましたが、何れも満足感はしっかりあるのに嫌な胃もたれを残さぬサッパリとした仕上がりで胃腸の衰えを日々自覚させられるぼくにはとても美味しいばかりでなく、食後感も爽やかでした。もう一つ重要なのが、ワインがデキャンタにて手頃な価格で頼めるのが嬉しい。ボトルを開けてもう少しとなり、ボトルを開けてしまい、グラスの残りもあとわずかというのに料理がまだ結構な量残っているということがしばしば生じます。そういう時、グラスワインでは結局2杯、3杯と歯止めが掛からなくなり、ボトルだと呑み切ろうと躍起になりオーバードリンクとなってしまう。こんな時に大変ありがたいのであります。これから齢を重ねてボトル1本呑み切れなくなってしまう時が来ると考えると姉妹店の皆さんにもぜひ取り入れていただきたいと願うのでした。
2019/01/01
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話しには聞いていたけれど、新宿の思い出横丁は随分と喧しい呑み屋街となってしまったものです。いや、賑わうとか騒がしいのはここの成り立ちを振り返るまでもなく当然であるし、世界中の国籍も定かなぬ人々が行き交う、いやいや行き交うとかいった生易しい状況ではない。町中が人で埋まっていて、身動きもままならぬ次第なのであります。それはこや呑み屋横丁にあってはある意味では歓迎すべき側面も存在するのだと思う。例え余りお金を落とさず客単価が低かろうとも上手く収益に繋げることも可能な気がする。しかし、案外それに対応しきれていないように見受けられるのが「カブト」を代表格とした老舗であります。よもや「カブト」に空き席が目立つ事があろうなどとは露たりとて思わぬのでした。品切とかいうハッキリした理由があるのであればひと安心なのですが。ともかく人気なくうら寂しいよりは例え鬱陶しくとも賑わっている方が余程良いのであります。鬱陶しいのが嫌なら近寄らなければ良いだけの話です。そして無論ぼくはここしばらくはそうしてきたのであります。しかし、東京、もしくはその近郊に住まいながら一度もここを訪れたことのない二人がいたとする。いや、一人でも三人でも話は変わらぬけれどとにかくぼくの身の回りには二人いた。そしてその二人とは相当長いこと呑んでおらなかったのです。たまたま出張の合間に散歩していたらその一人に遭遇しただけなのてす。じゃあ、昔のように三人で呑もうということになって勤務先の異なる三人にとって都合の良いのが新宿、そして発起人かつこの中で最年長で親分格の人が望んだのが駅近の赤提灯という事になると選択肢は限られたのです。 人が溢れかえるその横丁で「らくがき」は空いていました。薄暗くてムードも陰気な感じでぼく好みだけれど、外国人にはこの雰囲気は分からないのかねえ。それを理解できぬ限りはぃくらこの界隈を徘徊してみせたところで日本の理解には繋がらないと思うんだけどなあ。まあ、真の理解などあり得ぬのだから、それはそれで一向に構わぬのだけれど思えるのですそれでも何とはなしにでも良いけれどそれを解する外国人がいるなら、日本とそして日本人というものがもう少し位は分かってもらえるようになると思うのだけれど、どうなのだろう。いや、それを言ったら日本の若い奴らだって何となくそんなオヤジの気持ちは理解しても受け入れを拒否し不快に感じてその場をあえてぶち壊そうとする輩もいるから、憎むべきは外国人ではサラサラないし、日本のガキどもなのかと言うとそうも言いきれない。とガキの定義を回避して語ろうとするのだからまあぼくだっていい加減なのは変わらぬけれど。気に入らないのは来るだけ来ておいて、単に遠巻きに冷やかすだけの客です。観光なのだから眺めるだけでいいじゃないか、という意見は悔しいけれど当たっているのです。いつも言うことですが、こうした横丁なり通りそのものが店のようなところは、実際に店に入ったところでそんなに表から見るのと印象に違いなどないのであります。けして一部の例外を除くと安くも旨くもない店は傍から眺めるに済ませ、身のある店で呑んだり食べたりというのが本当は賢明で正解な身の振り方なのかも知れぬ。しかしそれが出来ぬからこそやはりこの横丁でも古参のしかし客のおらぬ店でやり過ごすように過ごしてしまうのです。 次の「一冨士」もやはり空いていたなあ。それにしても路地は人で溢れているし、店によっては満席のぎゅう詰めなとこもある。新しい店は置いておくとして同じような古い店でこの差はどうして生まれるのか。共同便所への距離とかそういう合理的なものではなさそうです。さつきの店はまだしも古めかしさを留めていて、観光として実地に経験するには悪くなさそうでありましたが、こちらはいかにも他店と横並びの当たり前の表情を浮かべていてまさにどこだって構わぬ一軒に思えたのです。顔なじみの客もいるようだけれど彼らがここに来るのは習慣だったり、一見にはキツくてもそれなりに顔見知りになると幾らかは柔らかい表情を見せるママさんを求めての事なのだろうけれど、それ以上でもなさそうです。こうした古い横丁の酒場というのは仏頂面で無愛想なのがお決まりだと思っているから、常連だからとやたらな事では笑みなど浮かべてほしくないのだ。瞬間、認知できるかできぬかの素早さながら確実にコチラをチラ見したことが感じられる圧の強い視線を寄越し、引き攣ったように片っぽの頬骨が浮く程度に持ち上がればそれで充分なのだ。妙なお愛想は時として不愉快なのであります。なんて、これがここの普通なのだからとやかく言う事でもないのですがね。ちなみにきっかけとなったオヤジさんは、ここらの煮込みが気に入ったのか三杯も平らげていましたね。ぼくは二口で満足だったからやはりふた周りほど上の世代の人たちはタフだなあ。
2018/11/23
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下落合駅界隈は、近頃少し気に入っています。それは典型的な呑み屋街のない町、即ちは酒場過疎地帯で呑むのが楽しいからに他なりません。それは必ずしも今に始まったことではなくかねてから好んでそうした町に足を伸ばしていることは、改めて断るまでもないことです。そんな気に入り始めた下落合だからこそ頻繁に足を運んでしまい、これまでも多くの町でそうして来たようにすぐに飽きが来てしまい、その後は余程のことがない限りは訪れる事もなくなるなんていう残念で無様な真似はしたくなかったのであります。先般久し振りに訪れた際にも今後何度かに分けて訪れたいと思えるお店を何軒かマークしましたし、きっと次にも一軒や二軒はそうした店を見つけられる筈だ。そう思っていた矢先に酒場放浪記が下落合の酒場を放映したのであります。それも狙いすましたかのようにぼくが知りもしなかった酒場を取り上げるとは何とも憎たらしい事ではありませんか。まあ、その酒場はぼくのものではないのは当然のことであるし、もしかすると長年やっているお店は店主の店ですらない、もっと公共に開かれた地域みなさん―といっても呑兵衛の事だろうと思うのは思い違いであることはこのあとに報告します―の共有の場となるのかもしれません。 新目白通りを越えた先に酒場があろうなんて思ってもいませんでした。というかこの通りはそう何度もという程ではないけれど歩いて通っているのです。つまりはこんな無粋な大通りに面して古びた酒場などあるのはやはりあまり相応しくないのであり、やはりそうした通りから逸れた車の通れるか通れぬかという程度の幅員の道、つまりは路地なんかにあるのがやはり様になるものだし、実際そういうことの方が一般的なのであります。正直言えばたしかにまあこういう大通りに面した古酒場はけして少なくなかったはずですが、ここ数年でガクンと減少したこともまた事実です。果たして「やきとり 利道」が、巨大ビルに建て変わらずいられるのは、店がそれだけ支持されているからなのか、それとも他に選択の余地がないからだけなのか、その辺りを見極めてやらんとする強い信念を持って臨んだなんて事は全くないのであります。店の外観はまあ悪くないと思う。適度に枯れていて独りでも立ち寄りやすい雰囲気であります。店内に入ってみてその印象が過ちであった事に気付かされるのです。とにかくこのお店は独りで過ごせるようには出来ていないのであります。4人掛けの、それもかなり広めに余裕を持って配置されているのでゆったりはしているけれど気兼ねするのが優先してしまい少しもリラックスできぬのです。だから肴の盛りも非常に多いのである―値段は量相応であります―。つまりはこちらは独りで呑むことはもとより想定されていないのであります。そういう店があっても店の勝手だからまあ構わぬのであって、しかも独り用とは思えぬけれどとにかく入れてはもらえたのだから文句などありはしないのです。だけどどうもぼくの好みではありません。だけれど、他の小上り席はそれそれ子連れのファミリーで占拠されていてさほど騒いだりもせず礼儀正しいのは幸いだったけれど、つまりはまあ、ここは見かけによらずファミレスなのであります。ファミレスに好んで通う酒呑みはそうはいないだろうなあ。
2018/07/11
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そろそろ高速のしかも夜行バスでの旅とは縁を切るのが賢明であろうとは常々思うことだし、近頃の高速バスは以前にも増して手頃なだけが取り柄の単なる移動の手段に成り果ててしまったような気がします。それは夜行バスのカーテンがカーテンとしての機能を完全に封印され、完全に窓をラッピングし尽くしてしまったからです。つまりは車窓が全く眺められぬようになったのであって、暗闇に瞬く町とか人家とかに瞬く灯りすら排除するのはやり過ぎではなかろうかと思うのです。光はアイマスクなどでかなりしっかりと遮ることができるのだから、ぼくは使用するつもりはないけれどスマホやタブレットも認めていいとすら思っています。音の場合はどうしても完全に取り除くのは困難だから一定の縛りもやむなしとは思いますが。とにかく名古屋の場合は、高速バスというのは案外に使い勝手が良いものだからどうしても安直に予約などしてしまい日が迫るにつれ憂鬱に陥るのが決まりとなっています。 新宿のバスタが出来て僅かではありますが、その心の負担も軽減はしました。めっきり新宿などの大歓楽街から身を引いた日々を過ごしているので、出発前のひと時をこの町で過ごすのがけして愉しみとはいえぬ。そればかりか金曜日の夜ということもあってここの勝手を弁えぬぼくは何軒もの酒場に振られるという情けない羽目に見舞われ危うく酒場浪人と成り果てるところでした。 西口の様子もそう大きく変わってはいないはずなのに、知らぬ町に訪れたかのような余所余所しい表情を浮かべています。というかこの辺りってこんなに人で溢れていたっけ。もしかすると家電量販店やオタク系ショップわ目当てにした外国人観光客が増加したのかもしれない。しかし、サラリーマンもかつてよりずっと多い気がする。そんな喧騒から逃れるように地下にある「新宿バール」に足を踏み入れたのです。ちょうど数名のサラリーマンが出てきたところで、上手くすれば入れ替わりで潜り込めるかもしれぬ。しかしその場所には次なるグループがすぐさまに奪われてしまったのだが、カウンターには空きがありました。この後、見送りではないけれど食事がてら呑む約束をしているので、肴は控えめにしたい。お隣の女性一人客が注文したハイボールと煮込みのセットは手頃だけれど、煮込みは重すぎる。なのでブルーチーズの風味が濃厚なポテトサラダを注文します。予想を少しも裏切らぬ味ではあるけれどちょっと摘むのにいい塩梅です。近頃の酒場は食材の組み合わせにセンスを発揮して意外性のある肴にしてしまうという手法が常套化しているけれど、これはもはや定番の味と化しています。周りはギネスなどの生ビールを呑まれる方が多くて、それからハイボールに移行すという流れとなる人がかなり見られました。確かになぜだか新宿では、ビールやハイボールがよく似合い、ぼくのように酎ハイを呑む者は極めて少数派に思われ余所者感を強く放っていたのだろうなあ。 西口のロータリーの向こう側に「老辺餃子館 新宿本店」はあります。実はこのお店、個人的にとても重要な転機を迎えることになった、とても思い出深い店なのですがそれはここには詳述しません。しばらくの待機させられた後にようやく入り込めた店内はかつてとは全く違った印象です。どこがどう変わったのか上手く語れそうにはありません。しかし、とにかく混雑の状態が記憶にある常に閑散とした様子とは隔絶の感があり、やはり新宿という町が大きく変わってしまったのだと思うに至るのです。かつて大いに感心した蒸し餃子は、以前通り多様ではあるけれどどれも似たりよったりで感心しなかったけれど、八宝菜風のおこげや麻婆春雨風の一品料理が思いの外に美味しかった。近頃和式中華ばかり食べていたので、ちゃんとした値段を取るちゃんとした中国人コックの調理した料理の美味しさを改めて確認できました。普段からこんなのばかりでは飽きてしまうけど、時々はこうしたのも悪くないことを知れたのは収穫でした。 さて、もう発車時刻も迫っています。GW後半前夜のバスタは非常に混み合っていますが、駅からも近くて、動線もいいので発車10分前に到着できました。そして、この夜はすんなりと眠りに落ちることができました。
2018/06/16
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下落合は呑み屋が少ない。そんな決め付けをこれまで何度となく繰り返してきて、後にその誤りに気付かされて慌てて事態の収拾に躍起にならざるを得ない、そんな不毛な発言は避けるべきでありますが、ここに関しては下落合をよくご存知の方でも首肯して頂けるものと確信するのであります。そんな酒場不毛地帯であったとしても酒呑みが不在とは限らないものです。そんなに呑みたいならお隣りの高田馬場ならとても回り切れぬだけの酒場があるし、そうでなければ帰宅してからゆっくり晩酌すれば良さそうなものであるけれど、そうも出来ぬ事情などもあるのでしょう。僅かではあるけれど駅前にも酒場があって、典型的な駅前酒場という事になるのでありましょうが、そんな地元で帰宅までのひと時を忙しなくもしっとりと過ごしたいと考える小市民の愉しみを担うような酒場の店主たちは、きっと暴利を貪るように商売しているのだろうなという浅はかで愚劣な思い込みを実際には心地良く一蹴してくれたのでした。 駅前を一巡りして―一巡りすると言っても如何ほどのこともなくあっという間に回り切れてしまいます―、7時までだったかな、のいわゆるハッピーアワーを設定している「松林坊」に伺ってみることにしたのでした。外観から想像した以上に手狭な印象で、そこがいかにも駅前酒場という感じで、人によっては窮屈に感じるかもしれなけれど、ぼくには最適な広さに思われます。女将さんが一人でやっているようで、一人でスマホをいじっているおぢさんは焼酎ボトルから思い出したように酒を注ぎながら、スマホからは目を離しもせず女将さんと何やら言葉を交わしています。あたかも第二の我が家で過ごしているかのような気楽さがここにはあります。酒の肴もそう種類が多くある訳でもなく、さほど手が込んでいる感じでもないけれど、これで過不足ないのですね。自宅ではすでに夕食の支度が整っていて、夫の帰りを奥さんがまなじりを上げて待ち受けておられるのかもしれません。でもこれ位の寄り道、勘弁して上げてもらいたいのです。ともすれば、気分の乗らぬおかずを出されてもオイシイオイシイと頂かなくてはならぬのだろうし、一品二品、好きな肴で呑みたいなんていじましくて、なんかちょっとペーソスを感じるじゃないか。なんて事を想像しながら独りニヤニヤと呑むのでありました。 踏切を渡ってすぐの「鳥ふじ」は、こちらもまた典型的な古民家風の木造仕立ての焼鳥店でありました。昔はこういう焼鳥屋、あちこちで見掛けたものだけれど、近頃は一見すると安価に思われるチェーン焼鳥店に取って代わられ、一掃されつつあるように思われます。壊滅的な危機に瀕しているからお邪魔するのもどうかと思うけれど、こうしたお店の記憶をなるべくたくさん記憶に刻み込んでおかないといけないのではなかろうかという危機感はあります。思ったよりは若い店主がやっているので、まだしばらくは安泰な気がしますけれど、何が起こってもおかしくはないオリンピック前の日本なのでした。先の店よりも居酒屋らしい造作を随所に見て取れ、ぼくのような酒場好きには貴重に思えるけれど、それが未来に向けて記録に止めようという者はそう多くないだろう。いや、レトロ調な酒場がこれ程数多く出来ているからには、それだけ需要もあるという事なのだろうから、だったらそんなもどきのお店ではなく、激減しているとはいえまだまだ生き延びているお店も少なからずあるのだからそちらに行きべきであろうと考えるのはおかしいのだろうか。考えてみれば、真に古い酒場にしたところで大概のお店は民芸調だったりの似非レトロ調だったのだろうと考えると、どうにも分からなくなってしまいます。分からないけれど、同じ似非でも長く続いてきたお店には似非なりの魅力が備わっているのは間違いなさそうだし、大体において長く続くからにはそれだけの努力や工夫が凝らされているはずなのは、きっと喫茶店とも共通することなのだと思われます。このお店も駅近でそんなちょっといい感じを味わうには恰好のお店でした。
2018/06/02
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早稲田といっても高田馬場駅から早稲田大学までの早稲田ではありません。この通りはホントに嫌になる位に散々歩いたけれど、今に至ってもなお好きになれません。その理由は言わずもがな、若くてギラついた連中が周囲にはお構いなしに大声で騒ぎ立てるばかりでなく、ここは我らが往来する道ための道であるぞと我が物顔で闊歩する連中が不快であるからに相違ないのであります。あゝホント嫌だねえ。しかし早稲田大の大隈講堂を越えると町は途端に静けさに包まれて、こういう場所こそがぼくが気分良く闊歩できる場所であると息をつけるのでした。先日書いた江戸川橋もそうだけれど、都心にはこうした静寂さが似合う地域というのが案外残っていて、そうした町をややもすると気忙しくなりそうに逸る気持ちの手綱をしぼってみれば、あらあら見過ごしていた喫茶店までが出没するのだから、時には歩みを緩めて町を眺め渡すことも必要だなあなんて思うのでした。まあ、これからお邪魔する喫茶は既知の存在であり、しかしそれを知ることになったのはやはり普段より三割程度減の歩きをしていなければ、見過ごし続けていたのかもしれません。 なんて、こんな目立つ場所にある「喫茶 レモン」を見逃すのは嘘臭いだろうと言われると、それが嘘ではないだけにかなり肩身の狭い気がします。こんな大きな通りの角地にあるばかりでなく、鮮やかな黄色のテント看板が掲げられているのに気付かぬはずはなかろう、そう詰め寄られたら返す言葉もなく己の不注意を恥じるしかないのです。いや、現実にこの少し可愛らしい外観を見逃していた事に不注意どころか自分には何かしか重篤な欠陥があるのではないかとすら思い悩むのです。時間はランチ時を過ぎているけれど、この時間帯にここを通過するのは初めてかもしれない。店内は広いテーブルに二人がけのテーブルが並ぶ至ってオーソドックスで特筆すべき何がある訳でもない。3席ほどのカウンター席にかつては席の配置が違ったのだろうという想像も働くけれど、それに構って見るほどには独特な店ではなかったと思うのです。店には遅いランチを終えてもなお居座るサラリーマンなどがこもごもに過ごしていて、これこそが典型的な町外れの喫茶店という気がして好感が持てます。そうそうここではカレーライスが名物なのか、何名かの方たちが遅めのランチを召し上がっていました。 次のお店は「cafe de Sun歩みち」という凝ってはいるけれどなんだか垢抜けぬネーミングのお店で、ここは夕暮れ時に通り過ぎた時には確か営業していた気がするけれど、この店名が禍してやり過ごしてしまいましたが、入ってみるとなかなか良いのですね。特別ではないけれど、いかにも都心らしい喫茶店だと思いました。アイアンアームの椅子は幾何学的なデザイン性を店に加味するところが近頃とても気に入っています。純喫茶の大定番であるソファの材質とは異なる実用性と機能性が審美的な価値を上回るようなところが今のぼくには大変好ましく感じられるのです。そうは言ってもカウンター前には夜には酒も出すのでしょうか、止まり木のような広いカウンターテーブルもあって店の方たちもこの店の使い勝手を堪能されているようです。 と、3回続けて都心の喫茶店を巡りましたが、都心のクールで淡白とも評せる店にばかり行っているとどうも感性が鈍るというか、偏向してしまうようです。こうした都会の喫茶はもう十分、なので、次回からはしばらく旅先で出会った喫茶巡りという定番に戻る予定です。単に出し尽くした旅記録をこのGWで補充したというだけなのですが。
2018/05/13
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かつて飯田橋を始めとした数店舗を都心に構えて、極東アジアで束の間の乱痴気騒ぎを当時の若者たちが謳歌していた頃に、今こそ蛮国から抜け切れぬ日本の首都、東京の地で、フランスの庶民はバブル景気に浮かれる日本の愚かな成り上がり者たちなどより余程に豊かな食生活を日夜味わっているのだということを世に知らしめる切り込み隊長の役割を担ってきました。かどうかは定かではないけれど、フランス料理というとマナーが煩かったり正装が面倒だったりとしゃちこばったイメージが大方であった後進国にカジュアルにリラックスしてフランス料理を味わえる場をどこよりも早く提供し続けてきました。つまりは日本における本格的なビストロの先鞭を担ってきた一軒のお店がありました。しかし、いつ頃からかその存在を耳にすることはついぞ絶えてしまったのです。ごく稀に道端で遭遇するノーベル賞を結構本気で狙っているらしき旧友の顔を見る度に彼はあすこが好きだったなあと思い出すのです。どうやら創業者夫婦が息子たちにバトンを手渡したものの不慮の死により店の歴史は途絶えてしまったらしいのですが、数年前に創業者夫婦が満を持して再開を果たしたのです。奥さんとは前回親しくお話させていただきましたが彼らは何よりも食べる事が大好きとのこと。料理人が食べるのが好きである事と彼が生み出す料理の良し悪しは必ずしも因果関係があるとは限らぬけれど、ぼくは食いしん坊シェフの生み出す料理をこそ愛したい。 ともあれ、「東京パリ食堂」にやって来ました。この殺風景なだけどだからこそパリっぽいなあとも思ってしまう雰囲気は、好き嫌いあるだろうけれど、ぼくは案外好みなのです。料理は熟練の技、さすがに間違いがない。しかも種類が多くて毎度何を食べるかで大いに迷うことになるのです。この迷う時間が楽しみなのであります。なんならメニュー、いやムニュを眺めるだけでボトル1本空けてしまいそうな、愉悦のひと時であります。その美味しさは間違いないのであって、もしかするとこちらのシェフは老境に差し掛かっていよいよ円熟期に達したのではなかろうかと思うのであります。ただし今回はすこしばかりぼくの胃腸には重めだったかもしれぬが、それはこちらのコンディションの問題なのでありましょう。ところで、このぼくを心から楽しませてくれる店にも残念な点がひとつだけあります。くだけた雰囲気なのは結構なのですが、隣のテーブルの連中のマナー違反にはモノ申したくなるところでした。他の客の迷惑を顧みず大声で騒ぎまくり、うち中心人物と思しきオヤジなんかときたらとんでもない頻度でゲップを打ち鳴らすのであって、その見苦しさ聞き苦しさはせっかくの御馳走を前に食欲を萎えさせるほどです。度を越したマナー違反者にはきっちりその旨をお伝え頂きたいのであります。このメンバー、若者かと思いきや、このお店が創業した当時に訪れたであろう世代たちであり、やはり彼らは今に至っても周囲に対する配慮というのができないようで見苦しく滑稽なのであります。
2018/05/10
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まあたまにはぼくには似合わぬちょっとお洒落なお店のことを書いてみても悪くはないだろう。このブログの開設の趣旨は、一般的な尺度では評価できぬであろう、むしろ大方の意見からは否定的な感想ばかりで埋め尽くされるであろう酒場を記録したいと思い始めたものであります。そしてしばらくはそうした酒場を少なからず記録してこれたと自負しなくもないのです。しかし、ぼくの行動範囲と探索力の限界もあるだろうけれど、それもままならなくなり、そしてその間で随分と年をとってしまった。年を取ることに今は少しも引け目や恐怖を感じてはいないし、むしろまだ当分カウントダウンにすら至らぬ定年後の生活を思い描くようになったけれど、そうした普通なら見向きもされぬであろう酒場すら減少しているのは間違いなく実感としてあります。近頃、蕎麦屋や中国料理店、南インド料理店やビストロについて言及するを余儀なくされたのは、食の減退たけが理由ではないのです。そしてそんな酒場の没落に反比例するように少しは旨いものを食っておきたいという欲望が首をもたげてきたのです。旨いと言っても高級である必要はない。家庭で模倣を試みてもなかなかに追いつけぬという程度で構わぬのです。日頃、呑み歩いてばかりいるけれど実は料理の腕にはそこそこの自負があるのであります。そこらの居酒屋などよりは余程にマシな肴を拵える自信もあります。料理自慢はこの程度にして本題に入ることにします。 今回お邪魔したビストロは、都内のビストロの中核をなすであろう神楽坂のさらに奥地の牛込神楽坂なのであります。この界隈は有名店が数多ありひと月ばかり滞在して食べ尽くせという指令をどこの誰かは知らぬけれど下してくれたとしてもとても食い尽くせぬのではなかろかというビストロ過密地帯なのです。「ラビチュード」は、それら密集地からは適度に身を引いた閑静なお店です。道路から奥まって店舗建物があるのも環境造りに良い効果をもたらしているようです。ここ数ヶ月でこの界隈なビストロに何度かやって来ていますが、いつも空席が目立っていたため、空いてるのには理由があるの論理的な判断が来店に至る時期を遅らせる要因となったのでした。結論から申し上げるとすれば、総合的な意味でも雰囲気や味とコストパフォーマンスのバランスといった個別の要素においても近隣の何軒かを凌駕していると感じました。そして、どういう訳なのかちょっと聞くに聞けぬけれど、いつもはあんなに空いていたにも関わらずこの夜に関しては全ての席が予約で埋まっていました。お隣の席は30代位の男性の独り客で、これは何とも珍しい事です。いやいや、パリの街角の何気ない店であればそんな光景は少しも奇異に映りはしないのでしょうが、まだまだ保守的で文化的後進国である我らが東京は、本来は下町食堂に過ぎぬビストロという文化すら未だに咀嚼できていないと言って構わぬのです。だから、そうした風潮に風穴を穿とうとするこの中年男の行動は徹底して擁護されるべきなのである。暖かな視線でしか声援に替えることが出来ぬのが歯痒いけれど、ぼくも後進国の一員でしかないのだから許されよ。そして、そんな視線は結局この彼の呑みっぷりや食いっ振りへとフィルター交換する事になるのです。これが何とも平凡で酒はグラスワインで充分なようだし、食事もプレフィックスの定番で満足らしいから期待外れなのであります。まるでダメ夫なのです。ところでここは店の方はお若くていかにもカジュアル感満点でサービスもいい意味で放ったらかしなのです。こういう店では料理に期待してはならぬけれど大いに結構でありました。特にビストロ大定番で、難しくはないけれど自宅で揚げ物をしたくないぼくには外食料理とするしかない鴨のコンフィはこの店の名物らしいがその自負に恥じぬ大層結構な逸品なのでありました。私的にちょっとしたトラブルがあって堪能しきれなかったのでまたお邪魔します。
2018/05/07
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何度も語っているので繰り返しのが誠にあいすまぬ事と思うのですが、これを言って置かぬとこれを読む方は、ぼくが真性のアルコール中毒ないしは依存症と思い込まれてしまうかもしれぬ。いや後者の敷居はとあるテレビ番組の伝えるところによれば、相当に低いらしいのでそれはもう受け入れるしかない事は覚悟しています。しかし一応言っておくと昼間に呑むのは休みの日の愉しみに過ぎないのであります。そうじゃなきゃ、このブログ名だって見直しの検討もしなくてはなるまい。これはまあ勤め人だから当然といえば当然のことなのでありますが、休みの日だって昼呑みは2杯を限度としました。このルールにしたところでどこまで厳守できるかは極めて怪しいところであり、たまに遠出したりすると欲張ってしまう事も有り得そうです。一方では近頃になって古い飲食店全般に視野を広げたことにより、食事量が増すのは必至なのであり、それ故に体調面及び財政面への配慮も欠かす事ができぬのであって、遊びのつもりがなかなかにシビアな計算と計画性が要求されることになります。まあ、それすら遊びの要素に加味すればそれなりに興も増すというものだけれど、そこに力点を傾け過ぎると本来の目的を見失いそうです。ともあれ、飯田橋での昼下がりで呑む事になり、であるならば昼も抜いたことだし、かねてから狙いを付けていた定食屋に向かうのでした。 外堀通りに面した飲食店はそのいずれもがよく知られています。この「インドール」も元はカレーの店ですが、いつの間にか豚の生姜焼きが主力となったとネット上の情報からは知り得ていました。ならば両方を頼まねばならないではないか、普段のぼくであれば激しく煩悶に陥るところであります。この日は問題はないのです。なんとなればなどと勿体ぶるまでもなく、同伴者がいたのであります。それぞれカレーと生姜焼きを取ればいいだけの事です。酒はビール程度と思っていたら清酒もあるから、しっかり呑みにも使えそうです。野菜料理をサービスしてくれるのもとてもいいなあ。カレーは安心安全の定番の味で、生姜焼きはぼくが自分で作るのとかなり近い甘みがほとんど感じられぬスッキリした味わいで好みでした。ここは本来なら学生時代に愛用するようなお店なのでしょう。実際、学生時分にしょっちゅうここを通り抜けましたが、貧乏すぎてついぞ利用する機会を得られなかった。今更ながら悲願のここや食事を取れて、しかも呑みすら出来たなんて幸せだなあ。余りに金のある人は歳を重ねる事に愉しみを見出すのが困難に思われます。 そして、「晩杯屋 飯田橋店」にやって来ました。ここはまだオープンしてからそう時間は経っていないけれど、ほとんどが椅子席です。立ち呑みできるのは精々が10人も入ればやっとのようです。これっていかがなものだろうなあ。ハナから椅子席を設けるなら立ち呑みを標榜するなと言いたい。これが病院だったりすると、行政処分だか指導だかを食らわせるのに全く出鱈目であります。さて、この立ち呑みならざる立ち呑み店は、夥しい勢いで勢力範囲を拡大している訳で、たまには利用する事もあるので、あまり苦言を呈したくはないけれどこのままのやり方で店舗数ばかり増えたとして、すぐに飽きられてしまう事は目に見えているし、そこらへんは想定もしておられるはずです。折角ならヴァリエーションを増やしての拡張を図って頂きたいのです。本当はちょっとしたアイデアがあったのだけれど、案外捨てたものではなさそうだからここには記さぬのであります。ちなみにこちらのニュータイプポテトは好物であると言っておきます。お代りしてもいいくらい、なんてガキ臭い事を言う奴なんてアテにならないと思われてるのだろうなあ。
2018/04/14
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江戸川橋駅って東京メトロの有楽町線利用者以外には馴染みも縁もないことと思います。この周辺は飯田橋のお隣りということもあって印刷や出版業界のビルや工場が目立つのでありまして、ぼくの偏見に過ぎぬかもしれぬけれどそうした業界の方は仕事を終えると弾けたように呑み歩くものだと思い込んでいました。無論そういう方もおられるのだろうけど、どうもこれまでの観察結果が指し示す答えとしては、皆さん、素直に帰宅されるか最寄りの乗換駅で呑まれているようです。いや、端的に江戸川橋の酒場で地元の原住民以外に遭遇することは少ないように思われるのです。これに反論なさる方も当然いるはずだけれど、まあそう見えるのだから仕方がないのです。こう書くと江戸川橋という町は、余程詰まらぬかのような予断を招きかねぬのでありますが、まさにここまでの文章の狙いはそこにこそあるのです。実は都心部にありながら江戸川橋には小ぢんまりした雰囲気のいい商店街もあるし、古くからやっているらしい飲食店も少なからず残存していて、訪れる度に発見があるのです。今回も散策の折にそうした宿題店を何軒か見つける事ができたのです。しかし、今回は同じようにして宿題にしていたお店から訪ねることにしました。こうして町歩きの愉しみは反復されていくのです。反復して訪れても飽きさせぬ町こそぼくにとってのいい町の基準になります。 さて、まず訪れたのは「キッチン タロー」です。カウンター席とテーブル1卓のみの小さなお店です。どことなく煤けて暗く思われる店内は、それでもけして汚いことはなくて、むしろよくぞ磨き上げているものだと感心します。ハンバーグとアジフライで呑むことにしましょう。基本は定食ですが単品にも対応してくれるようです。酒はビールしかないのが残念だけれど、あるだけでも良しとしないとね。どちらも洋食屋の定番でそして出てきた料理は酒の肴とするのは申し訳ないくらいにボリュームもあるし味も良かったなあ。飯の上に乗っけてワシワシ掻き込めたら楽しいのだろうけれどそんな食欲はもう過去の話となってしまいました。何やらオヤジさんが店を飛び出していかれました。どうしたのだろうと思いつつビールの追加を頼むと、女将さんが言うにはゴメンナサイねぇ、冷えたビールが切れてしまったので、今慌てて買いに行ったのよですって。いやいやこちらこそ恐縮至極です。冷え冷えのビールを自転車でえっこらえっこらとご主人が運んでくださったからには、しっかり呑まねば申し訳ない。それですっかり腹は膨れてしまったけれど、なんだかそんな気遣いにすっかりご機嫌になってしまいました。女将さんも最初、ちらちらとこちらを眺めやっては暗い表情を浮かべられていたので、煙たがられていると思い込んでいたけれど、ビールが足りないことを心配しておられただけだったようで、ビールが到着すると途端ににこやかになってくれて嬉しかったなあ。 お腹は一杯だけれど、「和か奈食堂」にはぜひ行っておきたい。まだ暖簾は下がってないけれど、5時を過ぎたので店を覗き込むと、女将さんが出迎えてくれました。しかし、開口一番、どうして店に入る気になったのと問われたのにはギクリとしました。そう、扉には準備中の札が掛かっていたのでした。いやいや札は準備中だけれど、暖簾が下がってるからお邪魔してみたのですよとお答えすると、そうなのふーん、と何だかちょっと変わった人だ。でも営業は開始しているらしい。疑問を残しつつも燗酒を注文、お通しに年代物の糠漬けを出してくれました。先代から受け継いだ相当な年代物だったはずだけれど、何年ものかは女将さんのユニークさですっかり失念してしまいました。ポテサラを頼むとさらに一杯に盛られていて、倍付だからと本気何だか冗談何だかよく分からんのでした。さて、そろそろ札を営業中にしようかねとひっくり返しながら語るには孫が学校から帰ってきたらひっくり返すのが仕事なのよ、がっかりさせちゃかわいそうでしょ、孫には勝てないのよとなるほどな回答が用意されていました。やがて孫も帰宅して、ばあちゃんの手作りのおにぎりやらをコーラでほうばると満足して外に飛び出していきました。入れ違いに近所の御隠居連中が集まり始めて、皆焼酎を呑んでいる。郷に入ってはに従って、われわれも焼酎に移行します。なんとも地元に密着知った愉快な女将さんのいるお店でした。ここのご主人もまた自転車でどこぞやへ買い出しに行ってしまい、しばらくして戻ってからは厨房から客席をたまに眺めやって、心底嬉しそうな笑顔を浮かべられているのでした。
2018/04/06
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高田馬場ってけして嫌いじゃないし、今でも不定期ではあるけれどそれなりに出向く事はあります。しっかりと呑みのできる町として押さえていて、気分が高揚することはけしてないけれど、それでも時には足を向けたくなる町なのです。高田馬場というとまあ早稲田大学が真っ先に町のシンボルということになるのだろうけれど、ぼくにそれは従いたくないというください気概があったりするのだけれど、その理由はここでは呼べないことにします。大体においてJRからも随分と歩かねばならぬという一事をお示しすれば事足りるのであります。って、ここまでは酔った勢いで書いたらしくこの先何を語りたかったかは計り知らぬ事、町の雰囲気は悪くないけれど騒がしいのが気に入らぬといった程度の事を言いたかったのだと思います。しかし、高田馬場駅も早稲田口ではなく戸山口から町に出てみると雰囲気は全く違ってみえて、無論、こちらの方面でも何度も呑んではいるけれど、駅からの町への出方次第で町の印象が一転するということがあったりするものです。使い慣れた駅でたまにはいつもと違う出口から出てみると思わぬ収穫が見込めるかもしれぬとそれらしい事を書いて本題に突入します。 新大久保駅方面に向かってしばらく歩いていくと、古色蒼然たる巨大なアパートがあります。その一階に「そば居酒屋 太閤」はありました。かのセンベロのおねえさんのHPで拝見したのだとここでは正直に告白しておくのがフェアなのだろうなあ。この夜はかつてこのブログにしばしば登場してもらった元上司と呑むので、このお方が好みとする日本酒を手頃に呑ませるというこちらのお店にお邪魔する事にしたのでした。折よく今晩は日本酒一杯が150円であるそうな。グラスはちっこいけれどそれでも確かにお安い。店が指定する三種をランダムに出すという仕掛けなので、もしかすると開けたはいいけれどなかなか捌けぬまま残ってしまった酒を安価に放出するという内幕を疑ってしまうけれど、そうだとしてもそれは悪くないアイデアだし日本酒に対しても申し訳が立つというもの。加えて元上司が新潟出身である事をアピールしてわざわざ越乃寒梅を呑ませていたけだたのに、余り好きじゃないなんて我儘を告げたら三種には含まれていなかった、何やらいう新潟の酒をサービスして頂けたのだからなかなか融通も利いてナルホド悪くない。ちなみに芋焼酎の水割りも日本酒のチェーサーということで180円だかで頂けるのも破格なサービスです。そう考えると生ビールと肴二品で980円のセットはやや割高に思えますが、呑みに徹するならこれは避けてもいいかもしません。しかしまあ全般にとてもいい店で、ロフトスペースが隠れ家風で近隣のサラリーマンが挙って訪れるのも納得です。 早稲田通りの目白寄りの裏通りは良さそうな酒場がありそうでいながら、なかなかこれといった店がありません。「美酒探究 十七番地」なる見知らぬ酒場があったので入ってみることにします。店内は古びた酒場の雰囲気をかなり上手く再現していて、日頃似非レトロ系の酒場をこよなく嫌悪するぼくにも案外好ましく思えるのですが、しかし客の入の悪さは何某か理由があるのだろうなあ。その理由は非常に分かりやすいものであります。ズバリ、お値段が学生価格ではないのであります。ついさっき早稲田大学のことを高田馬場を象徴してはいないと言ったばかりで恐縮ですが、学生が来るにはちょっと厳しかろうというものです。近隣には安価な酒場がいくらでもあるのだからわざわざ足を運ぶ気にはなれまい。また、今日日ではサラリーマンなんぞはアテにはならぬ。学生以上に金欠な人も多いのだ。まさにぼくがそうであります。ではディンクス辺りを狙えるかと言えばそれも苦しかろうと思うのです。そんな優雅な人たちは高田馬場で呑みはしないであろうから。なので、ぼくの見立てではこのお店、このままでは苦戦を強いられることになると言わざるを得ないのであります。それが全くの勘違いであることを願いはしますが、ぼくが独りで訪れることはまずないということになりそうです。酒も肴もそれなりにちゃんとしているのだから、場所を再検討するのがよろしいかと思うのですが。いらんお世話ですけど。
2018/03/23
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腫れ物のように一過性の病のようなものに終始しがちなぼくの食の嗜好でありますか、昨年の半ば頃からビストロ料理を嗜みつつ、ワインをゆるりと呑むなんてことを月に一度程度愉しむようになりました。そして、春まだ遠い3月を目前に控えた本稿の執筆時点において、未だにそれが継続しているのは、自分でもそれは極めて意外な事態なのであります。ウンザリするほどに長くて短い一週間の〆の土曜日の夜の7時頃から初めて10時頃には帰宅してコニャックなと嗜みつつ読書するというスローな週末の過ごし方も悪くないものだと考えるのは年を取ったからという事は無論あるのです。日曜日にはちょっとした用事を済ますと早めに帰って家庭料理レベルではあるけれどフランスの家庭のちょっとしたご馳走程度のものを拵えてみるというのが面倒だけれど楽しくも思えるのです。(まあそれも、近頃マンネリになりつつあり、先般の日曜日は久し振りに中東料理を拵えて、少し疎遠になっている南インド料理用に購入した食器に盛り付けてみたのでした。ヒヨコ豆のペーストのフムスやパセリのサラダであるタブレ―少しでも中東料理っぽくするためにクスクスではなくブルグルという食材を用いている―、レンズ豆のスープといった定番に加えて肉料理も作ってみました。この記事はこれを見せびらかすために書いた気がしてくるのでした。)「ビストロ・ド・バーブ(Bistorot de Bave)」は、牛込神楽坂駅近くの路地裏の通りに民家などに交じってひっそりと営業をしています。トリコロールがはためいていなければ、遠目にはフレンチの店とはとても思えぬさりげなさです。近寄ってみるとフレンチらしからぬ風情は一層高まり、町場の食堂のようなガチャガチャとした外観を晒しています。確かに日本風の食堂とは趣はことなっていますが、この見た目のせいで随分損をしているような気がします。店内も散らかった印象を最初に受けてしまうので、パリの下町にいるかのような小じゃれた雰囲気を味わうのもこうしたお店の愉しみとすると、そこからはかけ離れていると断ぜざるを得ません。ぼくはまあさほど頓着しない方だとは思うのですが、それでももう少し何とかならぬものかなあと老婆心ながら心配になるのです。せめて証明だけでも落とし気味にすれば、随分印象が違って見えるはずですが、豪放磊落という感じのシェフはそんなことはさほど気にしていないのかもしれません。うちの料理を旨いと思ってくれる客だけ来てくれればいいのだ、という自負がおありなのかもしれません。その奥さんでしょうか、給仕というかサービスも感じはいいのですが、けして洗練されているとは思えませんでした。しかし、ぼくが好意的に自負の現れと解釈した答えに誤りはありませんでした。料理は近隣の人気店を遥かに凌駕しており、料理のヴァラエティーも豊富なのでまた来てみたいと思わせる実力は料理の一口一口から受け止めることができました。こんな飲食店も疎らな場所にこれだけの店があるのが神楽坂の真価ではありますが、デートでやってくるようなカップルにはちょっといただけないと評価されてしまう可能性はありそうです。ああ、もしかするとそのためにこそ居酒屋風の雰囲気にしているのかもしれないなんて思わなくもありません。
2018/03/09
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いい大人、もっと言えば中年にもなってビストロに通い出すとはちょっとばかり恥ずかしくはないだろうか。一方でドレスコードすら知らぬのに背伸びして本格的なフランス料理店に足を踏み入れ大恥をかくなんてこともなくなった世代の人たちを肩肘張らずに済むビストロレベルのお店で、リラックスした表情を浮かべて心底楽しげに食事したりワインを含んでいる姿を見るとそれはきっとこの上なく幸福なのであろうな、なんて事を思ってしまったりする事がある。マッチ売りの少女でもないのに、暖かな店内を眺めてウットリするというのは極めて不気味で不審を招く行為に違いないからそこはしっかり己を律して横目遣いでコッソリ忍び見る程度に留めたいものであります。そう、ビストロにはフランス料理店の閉鎖的な在り方とは正対する開放的な一面があって、そこが惹かれる要因の一つともなるのです。 さて、数多のビストロ店がひしめく町、神楽坂にやって来ました。昔、今よりは明白に若いと言い張れたそんな頃に一度だけお邪魔したことのある「ブラッスリー・グー(Brasserie Gus)」に再訪しました。ここは神楽坂でも定評のあるお店ですが、どうしたものかまた来ようという気にはなれなかったのです。美味いか不味いかでいえばちゃんと美味しかったし、店の雰囲気もどうって事はないけれどけして悪くはなかったと思うのです。いや難を言えば食い気旺盛の当時のぼくにとってはややボリューム、いやポーションが小振りだった気もするし、席も同様に窮屈だったという印象はあります。しかし、結論から言うと今回訪れた限りではボリュームはちゃんと満足のいくものだったし、テーブル数が倍くらいになっているように思われ、つまりはかなり広々とした印象があるのだ。そして、肝心の味にしたってやはり悪くないなだな。ナプキンが布っていうだけでもちょっとだけ点を甘くしたくなるのです。大抵は紙だからなあ、衛生面ではその方が上なんだと思うけど、やはり布のほうが気分が出ます。ナプキンは紙というのも悪かないけどね。さて、肉のパテはオーソドックスで衒いがない、妙にスパイスを利かしていたりする店もあるのだけれど、ここのは素材も潰しすぎずゴツゴツしていて食べがいがあります。小羊のトマト煮だっただろうか、いやいや違うなあともあれ肝心の小羊でありますが、これが肉の脂が丁寧に処理されているようでたいへん食べやすいのです。羊肉で脂がキツイのはおっさんの胃袋にはかなり応えるのであります。まあ、それは羊に限ったことではないのであるけれどとにかくサラリと食べ切ってしまいました。これは自宅で肉料理をする際も参考にすべきことなのですが、根が卑しいものだからなかなか大胆な処理はできぬのです。フライパンに脂身をキュウキュウに押し付けて拭き取るという所業で満足しようとしてしまう。それじゃ駄目なんだろうなあ。ともかくここまでは気持ちよく平らげている。デセールのモンブランもふんわりと軽くマロンクリームもくどくならぬのが有り難い。ってな事を書くと悪いとこなどないではないかという指摘があろうかと思う。しかし、店を出て寒風吹き荒ぶ中を最寄りのバス停まで歩いていると、高揚した気分も徐々に冷静さを取り戻すのであって、そうするとふと自分は次来たときに食べたい物があるのだろうかと思ってみると、どうも適当な料理が浮かんで来ないのである。きっとこれが再訪を敬遠してきた理由のようです。優等生というのはどうも付き合いが淡くなるもののようです。
2018/02/27
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早稲田の辺りって喫茶店もそうだけど酒場も今ひとつパッとしないです。無論、全くないわけじゃないし、中には気に入っている店もあるにはあるのだけれど、 わざわざその酒場のために足を向けたくなるような店はほぼ皆無なのであります。なんて断言しちまって後悔しやしないかと追及されればアッサリと済まなかったと頭を下げる程度の確信に過ぎぬのですが、酒場放浪記なんかで登場した酒場のほとんどが、ぼくにはちっとも魅力的と思えぬのです。やれ昔の早大生が通い詰めただの未だに折々に足を伸ばしたりといったようにこの町は早大生とともに変遷してきたと考えたらそれはまあそれで結構な事でとやかく言う事ではないけれど、実際にその酒場で同窓生らしき連中が青春時代を回顧してだかどうだか知らぬけれど、度々大きな声ではしゃぐ現場に居合わせるとさすがにウンザリしてしまう。校歌など歌い出す連中もいたりして、ここまでくると溜まったものじゃない。 ともあれ早稲田には早大生の肝臓を満たすだけの酒場に事欠くことはこれは断言しても良いと思うのですが、それは酒呑みの思い込みに過ぎず、合コンとかのイベント時にしか呑まぬ学生も少なくないのだろうなあ。「小糸ちゃん」はキャンパスからはちょっと距離があるし、高田馬場駅とは反対側にあることもあって、今時の学生が訪れる事も少なかろうという読みはこの夜は正解だったようです。取り立ててどうということのなさそうな外観ではありますが、早稲田通りが、ラーメン屋と中国料理店ばかりがずらり軒を連ねるのに嫌気が差しているぼくには気持ちを安らきを与えてくれます。見た目は結構新しいけれど随分昔からさの存在は知っていました。創業の時期はネットで調べていただくとして、早速店内へ入ります。結構な降雨の中を傘も差さずに濡れネズミで入ったものだから、女将さんらしき方がオシボリ使ってねとちょっと困ったような驚いた表情を浮かべて迎え入れてくれました。注文の際にも明るくて溌剌としていてとても好印象です。そして、驚かされたのは店内が思った以上にずっと広いのです。そしてとてもお客さんの入がいい。カウンター席にわずかに空きがありますが、テーブル席はほぼ埋まっています。早大関係者も混じってはいそうですが、少なくともそれを声高に顕示する愚か者はいないようです。雨で身体も冷え切っていたので、奥のお客が肉じゃがを注文したのに相乗りさせてもらったところ、他からも声が掛かっていました。居酒屋の肉じゃがってどうして時折無性に食べたくなるのだろう。自分で作ったってそこそこの出来上がりになるけれど、居酒屋では別物のように美味しく感じられます。ここはさり気ないけれどいい居酒屋さんだなあ。そうそうお隣の若い常連さんが〆にうとんを召し上がっていましたが、これもこちらの名物のようです。 さて、目白台の坂の下の神田川沿いの裏通りを歩いていくと蔦で覆われた「小料理 みつ井」という怪しげな酒場があります。前々からその禍々しさすら漂わす構えの凄さに立ち寄るべきか迷っていました。特段恐れ慄きその戸を開けられぬという訳じゃなかったはずです。単にここに至るまでに呑み過ぎてしまったかたまたまやっていなかったから機会を逃していただけのはずです。雨脚はまだ強くてそれに後押しされたこともあるけれど、すんなりと戸を開いてしまうのは、いささか興に欠く振る舞いだったと反省しておるのです。さて、店内のテーブル席では勝気そうな女将さんがのんびりテレビの観賞中であります。濡れネズミで現れたぼくを見ても表情ひとつ変えぬその剛胆さに、明らかにぼくは人間としての強度に劣っているなと敗北を認めざるを得ません。そんな女将さんだからこちらも手探りで人柄を探ろうと何気ない話を差し向けてみたりする。しかしそんな気遣いなど無用であったようです。見掛けはキツそうだし、まあ実際それなりに辛口な話しぶりではあるけれど、お喋りはお好きらしく、近頃はずっと不景気で常連は片手に余る程度だとか、でも今更あくせく働くつもりもないからこれがちょうどいいとか他愛ない話をじっくりとお話になりました。やがて常連のヨガのインストラクターのお姉さんがやって来ました。お二人はとてもウマが合うようで、客と店の人との付き合いというより長年の友人のようにすら思えます。こういう馴れ合いめいた関係を嫌う方も少なくないようですが、ぼくはこれもありと思います。けして素敵なお土産をいただいたからその贔屓目が入っているわけじゃないのです(カウンターの棚の瓶に大量にストックされたとある食品をたくさんいただきました)。
2017/12/13
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ぼくが青春時代なんて呼ばれたりもする愚かな人生の一時期を虚しく消費していた頃にビストロなんていうシロモノがまるで固有の名詞を携えて実体のある何者かのようにして派場を効かていたと思うと当時躍起になって予約を取ろうと奮闘していたモテ系男子達の努力はそれなりに賞賛すべき余地もあるのではないかと思うのであるけれど、そういった愚劣な―当時はそう語る事で多くの敵を作ったし、実のところはそれが羨望でしかなかったことも自明なのであります―時代もいつしか過ぎ去り、海のものとも山のものとも判別つけ難い有象無象のビストロが雨後の筍のごとくにあったはずの店がいつしかエスニックの料理店へと姿を変え、それもまた今ではインド料理店や中国料理店に占拠されつつあるようです。そうした移ろいを危惧する必要などさらさらなくて、われわれ日本民族には持ち前の飽きっぽいという美徳があるのだから、むしろ愚にもつかぬ流行りに乗じただけの実力などまるでない店は流されやすいわれわれであっても無意識の内に淘汰しているのでありましょう。その一方で価格というのは諸々の実力すら粉砕する劇薬となり得ると考えるのですが、それを考慮に入れると話の収拾が付かぬので割愛します。ともあれ、そんな時代の無慈悲な洗礼を勝ち抜き生き延びた一軒に実に十数年ぶりに訪問することになったのです。 高田馬場駅を明治通り方面に向かって歩を進めると、かつてとはすっかり様変わりした早稲田通りの脇道に目指すお店はあります。通りの対面には早稲田松竹が変わらず健在であります。そう言えば、それ以上に足繁く通った高田馬場東映パラスや悪名高いACTミニシアターが閉館してどの位の歳月が過ぎ去ったのだろうか、などと感慨に耽るのも容赦いただきたい位に久しくの訪問なのです。「ラミティエ(L'AMITIE)」は、真っ赤な外観の派手ではあるけれど確かにパリの路地にあっても不思議でない小粋な雰囲気を保っています。しかし、かつてと何処かが違っているように感じられ、その理由は見た瞬間に分かったのでありますが、かつては青い外観だったと記憶には焼き付いています。それは単にぼくの記憶違いでしょうか。日本女子大学そばにあった今も現役のお店の隣にあった―先日お邪魔したつい先頃閉店したお店の前にあった―ビストロ、何ていったかなあ。気になったので調べてみました。「パ・マル レストラン(Pas Mal RESTAURANT)」でしたね。ちなみにこの間閉店したのは「ビストロ ヴァンス 06140」でしたね、日仏学院の食堂のシェフだった方がやっていたお店です。さてさて、回り道しましたが、久しぶりの「ラミティエ(L'AMITIE)」の感想を。夜の8時30分にスタートしたこともあり、席にも多少の余裕があったのは助かりました。朧げな記憶を呼び起こすと、とても窮屈な印象があったのです。それも誤解だったのかはたまた内装を変えたのか、満席でも思ったほどには狭い感じはしないだろうなと思いました。給仕の年長のお姉さんはかなりドジっ子でメニューの説明やワインのお勧めの仕方もしどろもどろだし、バケットも落っことしたりして人によっては不快と感じられるかもしれませんが、まあ愛嬌の範囲に入ると思います。というわけで居心地は覚えていたよりは良かったのですが、唯一、大声を出してはしゃぐ子供が気になりました。フランスの食堂レベルの店であまりうるさいことは言いたくないのですが、大人しくできない子供の入店は考えた方が良さそう。まあ大人たちにもべろんべろんになっていたお馬鹿さんたちがいたので子供ばかりを責めるのは公平じゃないかな。オードブルにウサギのゼリー寄せ、メインは牛タンの何とかソース添え、デザートにはご無沙汰振りでクレームブリュレなんぞいただいてみました。それぞれ大目に添えられたサラダは美味しかったけれど、肝心の主役たちがちょっとひと味足りない気がしました。満腹すぎて呻き苦しむことも想定していましたが、量的には満足しましたが、のた打ち回るようなことにはならずに済みました。品数がそれなりにあって、変化に富んではいるけれど、次はまたかなり先のことになりそうです。
2017/11/29
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一昔も前のことになるだろうか、池袋と市ヶ谷を通勤で歩いて通った時期がありました。この経路って実は幾通りもの経路があって案外面白い通勤ができたと今になっては思うのですが、それでも毎朝、毎晩歩いていると飽きてくるものです。当時はその経路上に見え隠れする酒場に気を惹かれこそすれふらり立ち寄るまでの酔狂は持ち合わせていませんでした。でも記憶の片隅ではしつこく燻ぶっていたのです。当時から記憶に刻みつけておくべきと予見していたのでしょうか。といったようなことを記すともう何年も牛込柳町の界隈を散策していないかのようですが、全然そんなことはない事は、よく読んていただいている方にはお分かりだと思います。神田川に沿った随分外れにある地下鉄の市ヶ谷駅を出て、少し先の坂をよちよちと登っていくとやがて牛込柳町駅に至るのですが、まずは駅の手前、坂を登り切る手前の店に入ることにします。 そうそうその前に、「モナコ洋菓子店」という喫茶併設の洋菓子店があります。ここが空いてるタイミングに見掛けたのは初めてです。閉店時間が6時なんですね。まあ喫茶店としてはそう早仕舞いということもないのだけれど、ようやくお邪魔できました。手前に洋菓子のショーケースがあり、その先にカウンター席、奥にテーブル席のある至って簡素で飾り気のないお店ですが、何かのついでに知っておいて損はないかと書き留めておきました。 さて、目指したのは、「大衆割烹 安さん」です。前々から知っていたのだけれど、どういう訳かお邪魔するきっかけを逸していたのです。思っていた以上に枯れた雰囲気でいいなあ。市ヶ谷で仕事してた頃、馬鹿みたいにあちこち呑み歩く事に執着していなかった頃に思い切って入っていたら夜毎伺ったのに。さて、雨も降っているのでさっさと暖簾をくぐることにしましょう。店内にもまた圧倒されます。カウンター席の上には酒の品書が大胆にもカウンター上部に直接書き付けられていて、さらに小上がりではさらに大胆に壁面一杯使って品書が記されているのです。奥は座敷になっていますがこの出鱈目なまでの思い切りの良さは何かと瞬時考えるのですが答えは目の前、品書きそのものにありました。沖縄料理の品書が縦に一列書かれています。そうか、これは沖縄流を内装にまで行き渡らせているのだな。カウンター席に腰を下ろします。まだ他にはお一人さんがいるばかりです。注文はとっくに決まっています。店内を見渡すと驚くような値付けのされた酒がずらりとあって、サワーは250円でこれもお得ですが、何よりホッピーの安さは際立っている。白と黒のどちらにするかでひと悶着あったのだけれど気にはすまい。恐らくは外が200円で中ははっきりと100円というのだから、何とも有り難い。その代わりと言ってはなんだけれど、肴は若干お高めな印象がある。でもそんなことはぼくにとっては何ら障がいにはならぬのであります。赤ウインナー炒めがほんのちょぴりで400円を高いと考えるかどうかは意見の分かれるところではありますが、ぼくには何の支障もない。お浄めらしい近所の団体さんががやがやと奥の座敷を埋め始めました。忙しくなるだろうから余所者は適当に切り上げることにしましょう。 外苑東通りを早稲田方面に歩きます。やがて夢野久作の『ドグラ・マグラ』の舞台のモデルとなったとか聞いたことのある病院が見えてきますが、そのすぐそばに「呑み家」の暖簾が下がるお店を見掛けたのは随分昔のことでした。建物の外観はさほど古そうには見えませんが、店内に入ってその造作の見事さにすぐさま魅了されました。そしてそれに勝るとも劣らぬのが、割烹着姿の女将さんです。手の空いた隙に煙草をくゆらす物腰など、往年の女優さんも形無しな位に決まっています。一見の客への冷ややかな態度に身震いしてはマゾヒストみたいですが、その位のすごみも備えているのです。短冊の品書きには様々ありますが、お手頃なのは串かつです。独りでやってるもんだからと断りつつも、少しも慌てる素振りもなくお隣の女将ファンらしいおぢさんも便乗してきます。奥の座敷の突き当りに冷蔵庫があるらしく材料を取りに行くのだけれど、ぼくとおぢさんが共通して頼んだ椎茸が一本分しか残ってなかったみたいです。それでもおぢさん、ちっとも残念そうでなくむしろ注文という事務的な会話でしかないのですが、それすら嬉しいようです。座敷で呑む常連の一人は仕事が飛び込んだと自分ちのようにノートPCを広げ、何やらキーボードを叩いています。そんな彼氏に女将は何も言わないのは常連を大事にしているからなのでしょう。ちなみにこちらのお店、店名は「辨天呑み家」というのが正解のようです。ちょっとおっかないけどまた行きたいなあ。
2017/11/07
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この夏の旅の第一弾は北陸にしました。ギリギリまで悩みに悩んだ挙句の北陸行きです。その悩みの要因は、日取りを決定する事も当然ですが、それ以上に予算が限られることです。そんなのいつものことじゃんというご指摘はごもっともです。夏に休みが取りやすいのは大方の勤め人に共通します。だから前もって予算を確保する、単純に無駄遣いを極力控えて大人しく過ごしていれば良さそうなものですが、そんなせせこましい工夫などなかなか上手くはいかぬのだ。そこでテレビで不愉快ではあるけれど印象に残ることは間違いのないCMで一躍知られるようになったトリパゴであります。トリパゴと書いたけれどトリバゴだったかもしれないがそれはどうでもいい。とにかくそのサイトで日本中を闇雲に検索した結果、富山行きが浮上してきたのです。これが北陸旅行を決めた理由というのはいかにも寂しいが、そんなものであります。新宿にできたというバスタ新宿から初めて乗車することなど少しも慰めにはならぬのでありました。 今回は久し振りにA氏との二人旅であります。旅自体が久し振りなので久しい気がするのかもしれぬけれど、まあとにかくそういうことであります。折角の新宿発であるし、近頃新宿にも免疫ができてきたので、乗車前に一杯やってからとなるので彼との待ち合わせは酒場になるのは必然です。落ち合う場所は前から気になっていた新宿二丁目の食堂「花膳」です。素面で冷静に眺めてみればまあどうってことはないかな。とりあえず入ってビールでも呑むことにします。このキャパシティで食券式なのはもったいない気もするけれど時間帯によっては混雑するのだろうか。ところが待てど暮せどA氏は現れぬのである。そんなに難しい場所じゃないはずだけどなあ。やむを得ず野菜炒めとサワーを追加。家でも作れそうなどうってことのない味だけど値段を考慮すれば悪くはないか。独りモソモソと頬張る日の通り切らぬ野菜は学生の頃のビタミンをできるだけ破壊せぬよう短めに炒めたそれと似通っていて、なんだか切ない。旅の前にはついおセンチになります。結局、A氏は辿り着けぬだろうと判断したぼくは、ガポガポになった腹を抱えて移動することになるのです。 で、合流して入ったのが「長野屋食堂」です。ここに来るのは何年ぶりだろう。以前この界隈は映画マニアの避けて通れぬ一帯であったのですが、今やその全てが消え失せてしまったのが、悔しい。それも新宿を敬遠した理由と思ってみることにする。この食堂は当時から変わらぬ姿のままなのが救いである。しかし当時ここで食事を摂ることなどあり得なかったのです。なぜなら、あゝ惨めになるから語らぬことにしよう。とにかく就職して以来、折に触れて訪れてはいるけれど、この頃はさっぱり。めっきり外国人の多くなったこの界隈、店の前では記念写真まで撮影しているが彼らにとってもこの店は何某かの感慨をもたらすのであろうか。店内は昔とちっとも変わっておらずひと安心。当分は大丈夫みたいだけれど、それも分かったもんじゃない。朝から夜まで新宿を行き交う人々の胃袋を満たし続けてきたこの古い食堂もあと1時間もせぬうちに閉店となります。ラストオーダー間際に駆け込めたのは運が良かった。ビールとあとはすぐに用意できる品を見繕う。格別に美味しくもないし安くもない。それでも長く支持されるのは流れ作業的な応対とは全く違い、確かにそこには温もりこもった人情があるようです。白のYシャツに漆黒のスーツをノーネクタイで着こなす長身の男が、これから呑みたいと女将さんと交渉を始める。もうラストオーダーだからと丁重に断る女将や言葉など無視するように男はどっかと手近の椅子に腰を下ろしてしまうのです。観念した女将さんは腰を下ろした以上はお客さんに違いないと割り切ったらしい。ところがこの後10名来ると言い出すのだから、この男の非常識ぶりは目に余る。それでも女将さんは余った椅子を掻き集めて席を用意してあげるのが立派です。まあ、彼がその筋の人と思ったのかもしれない。成り行きを見守るうちに遅れて10名が登場します。一体どんな連中だろうと固唾を呑んで盗み見ると何の事はないごく普通のサラリーマンでした。奴は単にベロベロに酔っ払っていただけらしい。ボスらしき男は、迷惑だからよそに移ると女将に丁重に詫びていたが、どれだけ奴に手を焼いたかぼくは知っているぞ。まあ、そんなお馬鹿たちをも受け容れる懐深いお店なのです。 その後、われわれはバスタ新宿から富山を経由して高岡までバスに揺られることになるのですが、さして面白い出来事はなかったので割愛します。ただハナっからカーテンはピッチリと閉じられ、シートも深く倒されていたのは有難かった。すぐに眠りに落ちて気付くと目的地だったなんて経験はこれまでにほとんど経験ありません。
2017/09/02
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飯田橋は若い頃から馴染みのある町で、かなり隈なく歩いていると思うのだけれど呑みとは縁の浅い町ではあります。都心にありながら町並みは案外昔のままの入り組んだ路地や建物が残っていて、田舎者のぼくにはホッと一安心できる好きな町だったはずでしたが、今は余り近寄りたいとは思えません。それは単に町には人が溢れかえるようになったからなのです。混み合う町はどうにも嫌いだなあ。だから自然と飯田橋からは足が遠のくし、仮に行ったとしてもあまり冒険せぬようになってしまう。 歩き回る気力が湧かぬとつい飯田橋ギンレイホールというか今は無き成人映画劇場飯田橋くららの並びにある呑み屋街を歩きたくなります。そして結局「居酒屋 鶴肴」にお邪魔することになるのです。側にはもっと前から通った店もありますが、近頃は開店時間の早いこちらを重宝に利用しています。いつもは5時前にお邪魔しても店な奥に設けられた立ち呑み用の狭いスペースに追いやられる事になりますが、珍しく先客は1、2名しかおらず、座って呑む事ができました。座る事ができると、身勝手なことに立ち呑みの方が上席に思えてきます。おでんはセルフだったと思いますが、どうやってカウントしているのだろうか。悪い奴ならいくらでもズルしてしまいそうなこのシステム、意外と見掛けますが、日本の酒呑みは案外善良なようです。ぼくもケチ臭いから、極力セコくいきたいけれど、どうも不正行為には向いていないようです。せいぜいが調味料、おでんなら辛子をなるたけドバっと遠慮なく使うのが関の山です。ぼくの印象では店主はお若い方であったはずなのですが、何だか随分と貫禄が増してしまい気軽に声を掛けにくい雰囲気となっていたのが、少しばかり寂しい気がします。しかし、ぼくの記憶の中の酒場と現実のそれとの差異を知ることは、こうして公に向かって感想めいた駄文を晒す以上、大事にしなければならない経験なんだろうなあ。 だから次も「スタンド居酒屋 立呑み やまじ」の事を書かなてはなりません。飯田橋では最も安心して通えるお店だし、こうしたお店がすべての駅にあって欲しいとまでは言い過ぎだろうけれど、少なくとも今後立ち呑み屋を始めたいと考える、野心的な方であれば行っておいて損はないはずの良店だと断言します。と言っても実は惜しいなと思う点が一つあって、好きな人は好きに違いないのだけれど、2階の雰囲気が今ひとつ好きになれないのです。それなのにほぼ1階と同じ位の割合で2階に上がることになるのは、飯田橋では座って呑みたいと思うからなのです。飯田橋にも立ち呑み屋は何軒かありますが、あまり気乗りしません。それを昔に遡ってギンレイホールで立ち見させられた頃のトラウマだと考えるのは余りにも穿った考えかもしれません。聞くところによるとこちらを脱サラして始められたというお二方は元々の立ち呑み好きが昂じ、自分たちの理想をこの店で具現化したとか。言葉にするのは恥ずかしいけれどそこには違うことのない愛が溢れているようで、先にならずにはおられぬのでした。
2017/08/24
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最近になってこのブログにもちょくちょく新宿が登場するようになりました。今でも苦手な意識は変わりませんが、新宿というとこれまでは人が溢れかえっているような日の当たる場所ばかりを敬遠していたような気がします。ちょっと裏通りや駅から離れた場所まで足を運んでみたら、これまであまり馴染みのなかった閑静なエリアの面白さがようやく分かってきたような気がします。町のひとつの側面のみを見ただけで嫌いになってしまうのはもったいないですから、これは良い兆候と捉えてやはり強い苦手意識のある渋谷などにも乗り込んでみようかという気にもなるのです。まあ、夏真っ盛りの今は若者たちの血も騒いで穏やかならざる気配が町に充満しているだろうし、もう少し涼しくなって若い連中が大人しくなる頃に訪れることにします。 さて、この夜は特に場所を決めずに新宿で呑む約束がありました。待合せの時間にはまだしばらく余裕があるようです。しからば小田急方面の地下通路に立呑み屋があるとの噂を聞きつけていたのでそこに行ってみることにしました。西口は不得手なので迷うかと思いきや、改札を出て目星を付けた方向に適当に歩いていくとすぐに見つけることができました。ぼくが立ち呑み屋を利用する一番の理由は、何よりも値段にあります。基本的に立呑みというのは回転率の向上、収容定員の増員、人件費の削減などの店側のメリットを価格に反映させるという非常に合理的な思考から成り立ってきたものと考えられます。酒を呑みたい気持ちは景気の良し悪しに左右されるようなものではないはずです。近頃は立呑みという流行に寄り添って、そこら辺をわきまえずに店を始めたもののすぐに椅子が設置され、店名のみに立呑みという単語が残ってしまったりするような無残な失敗例を多く見受けるようになりました。この「たちのみ わぉん。」がその系譜に連ならぬことを祈りつつ、暖簾をくぐります。それにしてもまあ往来から店内丸見えの状況で、平然と呑めるものです。いや平然と呑める程度に抑えておくためにもこうして衆目に晒されながら呑むことを彼らは自ら選択しているのか。そうだとしたらなんと自虐的な呑み方なんだろう。実際、ハイカラセット―断るまでもなくハイボールと唐揚げのセットで500円―で呑み始めてみてつくづく感じるのが、ほとんどの人たちがだんまりを決め込んで、皆さん大変お行儀良いのであります。無論それはそれで結構なことではありますが、なんだか呑んでいても気勢が上がってくるなんてことが起こるはずもない。せいぜい2杯も呑んだらそそくさと店を立ち去りたくなるのであります。無論ぼくもハイボールをお替りしたら、さっさと場所を譲って新宿三丁目に向かうのでありました。 O氏との待ち合わせ場所に向かいます。先に書いたとおり店は決めておらず、適当にぶらついて気になった店に入ろうといういつものわれわれらしからぬ計画性の欠如でありますが、集合時間が9時を過ぎていて、しかも時間が明確でない以上は綿密な予定は却って足かせになると考えたのです。なんてことはなくて、場所を新宿にしたのは、O氏に近くで用向きがあったからであり、新宿にはさほど行きたいと思える店もないものだから、行き当たりばったりを選択したまでです。第一、店を決めておいて万一入れなかった時は路頭に迷うことになりかねない。綿密なスケジュールは大概の場合、行動を規定してしまい柔軟な対応を喪失させてしまうのであります。酔っ払ってもなお時間に縛られるなんてまっぴらであります。なんてまたしても、脱線してしまいました。結局三丁目の真っただ中の呑み屋街にある「おでん・焼鳥 まつ」に入ってみることにしました。ここは何度となく店先を通り過ぎていて、その存在は認識していたけれど、なんとなく入る機会を逸していたのでした。煤けて古ぼけた雑居ビルの2階、暗い階段を上るのはいつだって興奮させられます。逸る気持ちを抑えて平静を装って見せるけれど、実は大いに興奮しています。こんなに気分が昂ぶるのならもっと早く来ていればよかった。よくよく眺めてみれば新宿の町にはこうした枯れた酒場がまだ結構残っているのですね。店内は至ってオーソドックスながらこれぞホンモノの酒場だと快哉を挙げたくなるような佇まいが残っていました。ほう、ここでは年中おでんがいただけるようですね。なんて書くとさもおでんを食べたようですが、おでんどころか焼鳥にもいかぬのであります。すっかりおっさん化したわれわれは、茄子の田楽やら餅揚げなんてもので温めた清酒でもチビリチビリとやるのがお似合いなのであります。いや、この空間すべてが涙が出そうになるくらい懐かしい雰囲気のお店にあっては、肴などしょっぱければそれで十分なのであります。奥のテーブル席では、シルバー世代のサラリーマンが気炎を吐いていて、後から現れた若者グループは、初めてらしいのに案外馴染んだ風に呑んでいる。なんでもないこういう光景が新宿の酒場では見られるのだなあ。どうもゴールデン街なんかの白熱した議論の場という刷り込みが、ぼくを新宿から遠ざけていたようです。また、新たな酒場を開拓しに新宿に来たいと思うのでした。
2017/08/23
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かつては連れられて来ては、歌舞伎町で散々っぱら呑み明かしたものです。そこでの武勇伝など語ってみるつもりなどありはしないのでご安心を。酔っぱらいの戯言でウザい話は様々であるが、武勇伝ほどにストレスの掛かる話題はないでしょう。そこに説教や小言などのスパイスをまぶされたりしたら、直ぐさま万札を叩き付けて席を立ち、憎まれ口の一つも吐き出して立ち去るであろう。なんて事にはまずはならぬのでありますが、それはひとえに己の周囲を見渡すと実際に伝説通りのことをやらかしそうな人が揃っているのとそれを目の当たりにしたとの証言を聞き及ぶに至っているからなのであります。なので、現実に武勇伝を耳にするのは、独りいい気分でカウンター席で呑んでいるところに、後から入ってきたオヤジなり兄さんが太鼓持ち風の子分に語ってみせるという状況ということになります。悦に入って脚本を忠実になぞるように語ってみせるオヤジないし兄さんに対して子分はなんとも思わぬのであろうか。間違いなく彼らは異口同音の物語を耳にタコができる位は聞かされているはずである。おっと、この武勇伝の話題がこの後、何らかの物語を生み出すかというとそういう事はまるでないのであって、ここで語りたいのは歌舞伎町で呑んだというそれ一点なのだから、この駄文のインフレ具合は実に見苦しい。 歌舞伎町と言っても実際には歌舞伎町の外れ、もうひと足で明治通りに至ろうとする雑居ビルに「和食 とよま」はありました。元はと言えば日清食品ビルの先にあるという立ち呑みを目指していたはずですが、強烈な空腹感に見舞われて立ち寄ることを急遽決めたのでした。テレビでよく大歓楽街の憩いの食堂みたいな触れ込みで、定食屋が紹介されたりしますが、ここもそんな一軒のようです。値段に幾ばくかの不安がありますが、あまり機会もないことだしさほど躊躇することもなく店内に足を踏み入れました。座敷、カウンター席ともに靴を脱ぐのは食い逃げ防止を考慮してのことでしょうか。もとより食い逃げなど念頭にないぼくの事ですから、問題はありません。壁の定食メニューを見ると600円台からと手頃です。日頃の野菜不足を補うために野菜炒め定食のライスは半盛りにしました。50円引きだからではけしてなく、近頃はすぐに満腹になるので次のことを気に掛けてのことだとご理解ください。酒は、残念、缶ビールしかないみたいです。まあないよりはずっといいけれど。チビリとビールを呑みながら周りのお客さんを観察させてもらいます。向かいの3人組はそのイケメンぶりからホストの方たちのようです。おやっ、メニューにない玉子焼きを召し上がってますね。ここは彼らのような生業の人たちにとって勤め前の鋭気を養う場所のようです。ごくごく当たり前の野菜炒めを摘みながら、旺盛な食欲を隠そうともしない彼らを、日頃は疎ましく感じていたけれど案外素朴なのかもしれぬと思いそうになるのでした。ヤバイヤバイ、彼らの生きるのはそんなに甘い世界じゃないだろう。この町では、感覚なんかは信用せず、とにかく疑い深く構えておいても、ぼくなどの甘ちゃんには足りないくらいです。しかし、この店は少なくとも正直な商売をしているようで、安心しました。 さて、続いて向かったのは「立ち飲み・もつ焼き 山根商店」です。多分どこかしらのネット情報で仕入れた知識のはずですが、来てみて驚かされました。先に書いたとおり、日清食品ビルの脇の通りを新宿を背にしてさらに進んでいくとこの店はあるのですが、初めに見かけたときには思い描いていた店の印象と隔絶したものであったので、思わぬ拾い物をしたのではないかと冷静さの奥にただ事でない興奮を秘めながら、とりあえずチェックインを済まさねばならぬのだ。気合を込めて奥に入るとお一人なら表のカウンターに回ってくれとのこと。そして回りがけでここがなんの事はない、目指すべき酒場であることを知るのでありました。何だよ何だよ、こんなに雰囲気が良いならもっと早く来ていたのに。酒はサワーが大体330円からだったかな。焼鳥は100円だっけ、まあそんなもんです。文句なし。特筆すべきはお新香の250円であります。これがまあ、見ただけで間違いなく美味いに決まっている。だったらなぜ頼まぬのか、答えは簡単なのです。だってこれな五合は呑めそうな位の量なのだから躊躇したことにご容赦をいただきたいのです。また行こう。
2017/08/15
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この夏1回目の旅行から先日無事帰京しました。出発はこれが初めてのバスタ新宿だったのでした。折角新宿を起点にするのだから、日頃は敬遠する新宿でこの旅の呑み始めとするのも悪くなかろうなんてことを思っちゃったものだから、じゃあ、先般酒場放浪記に出たらしい店にでも行っておくかと、まあそういうことになったわけなのです。ところがなんることか、この夜は貸し切りらしいのです。とまあそんな事なので当初の目論見は無残に打ち砕かれてしまったわけです。しかしぼくは結構しつこい性格なので、それしきの事では諦めたりしないのです。これはいかにも出来過ぎた話なんですが、帰京後すぐにT氏から誘いのメールがありました。四ッ谷辺りに行くのだけれどどこかで落ち合わぬかという誘いです。四ッ谷にも行ってみたい酒場はあるにも関わらず、迷うこともなく先般行きそびれた酒場を指定したのでした。 そこは、「居酒屋 あいうえお」だったのですが、この夜もたどり着いた時点でほぼ満席という状態なのだから、この酒場の支持する人たちの結束の強さはどうもただ事ではない。そしてその理由は偶然にも席が空き、奥の窮屈なボックシートに通されることで白日のもとに晒されるのでありました。なんて大袈裟なことを書きましたが、ここは新宿という町の肥大化と常に伴走を続けてきたアングラとかサブカルとかいった文化に敏感な店だったのです。店内は便所すら文化の発信拠点とでも主張するかのように様々なポスターやらチラシが散乱しているのです。よくよく様子をうかがうとお客さんの多くがそうした店の気風にコミットしているように思われるのです。ぼくも新宿という混沌とした町で若かりし頃の少なくない時間を費やしてきたから分からぬでもないけれど、どうも理解しがたい、いや理解はできるけれどどうも腑に落ちぬ点があるのです。それは何かと言うと、とかく群れをなすその行動規範がぼくの癇に障るのです。人は他人がいることでしか何事かを見いだせないもので、それは一向に構わない、というか真の孤独の中では思考できないというのが人間という生物の限界であるとしても、他者との交流は何も群れという内輪からしか成し得ぬものではないはずです。このお店の店名があいうえおという閉鎖的で群れを直感されるものとなったのは、そうした内輪の意識が根底にあるように思えて仕方がない。そう考えるとちょっと捻りの効いた肴なんてのも、仲間内で語り合った成果のような気がしてくる。とこのまま書くとくさし切って終わりそうになるのであるが、案外いいのですね。70年代の新宿の面影を留めつつも、単なる独りの呑兵衛としては値段も手頃で、肴もそこそこ旨い、店の方も親切だ、悪くないのですね。エアコンから客席に直接き水漏れの雫が直撃するのも一興なのてす。問題なのはこうした酒場を借り切るような仲間とか同士とかいった、連帯感を求めて新宿を跋扈する亡霊のような存在がいることです。まあ本音を語れば、ぼくにはできないけれど、そうした人たちのこと少しばかり羨ましくもあるのですけど。
2017/08/10
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牛込の辺りは職場があったわけじゃないけれどひと頃は毎日のように歩いていました。神楽坂は俗で好きになれないけれど、牛込の辺りは人通りもぐっと少なくて歩きやすいのも好ましい。とにかく人混みが鬱陶しいというよりは嫌悪もしくは恐怖すら感じるのであります。なのにどうして好き好んで都心になど住むのだと随分詰られた事もあったけれど、ぼくも好き嫌いだけで物事を判断するほどには分別を持たぬ者ではないのであります。それでも最寄り駅の人混みさえ解消されたら言うことないのになんて思ったりもしますけど。職場があったのではないと書きましたが、牛込を毎日のように歩いたのは、嘘ではないけれどやや誤魔化しめいた書き方で実際には通勤の中途であったわけです。職場には池袋から有楽町線に乗車するのでありますが、その混雑が嫌で嫌で仕方がなかった、だったら歩いてしまおうという至極納得のいく良い判断をしたのでありまして、飯田橋辺りから池袋方面に向けてのルートは実に選択肢が多いのです。何事においても選択肢が多い事はその余地がないことより断然恵まれたことであるのですが、どうも多くの人は決められた道筋を唯々諾々と従ったり、選択するとこそのこと自体を面倒と思ったりむしろ忌避する傾向があるというのだから、ぼくが世間からは幾分浮いてしまうのはやむを得ないことなのかもしれぬ。おっと、久し振りに文章を書いているのでいつも以上に無駄口が多くなってしまった。とにもかくにも馴染みある牛込でありますが、ここは歩く抜けるばかりの町で立ち寄ったり、時間を潰したりすることはついぞありませんでした。でもしかしなんとはなしに古い店がチラホラ見受けられることは分かっていました。だから遅まきながらも今後は機会を見つけて、明確な目的をもって散策することにしたのでした。 とりあえずは店の目安は立っています。入門編として角打ち巡りは悪くないのではないでしょうか。幸いにもこの界隈にけして近くはありませんが二軒の角打ちがあるらしいことを知っていたので、まずはその一軒を訪ねることにします。牛込神楽坂駅から3分ほど坂を下った路地に「飯島酒店」はありました。ここのことは最近、新聞記事で目にしていたのでした。日本各地の角打ちを巡る娘の連載記事は不定期ながらHPで公開されているので時折チェックしています。さて、都心の角打ちの多くが単に酒屋の片隅を開放するばかりで少しも酒場らしくないのに比すると、こちらは手作りらしい止まり木がいくつかあってそれなりに立ち呑み屋の風情があるのでまずは満足です。壁には古いポスターや扁額なども飾られ老舗らしいことが察せられます。奥のレジには意外やお若い店番の奥さんがおられて、お子さんの相手をされています。缶のビールに乾き物やらを買い込んで精算を済ますと、空いていた入口そばの止まり木に落ち着きます。酒も肴もそんな具合なので感想を述べるようなものではありませんので割愛。お隣には独りのサラリーマン、その先には常連三人組がいかにもこの店があってくれて良かったというように楽しげに語らっています。このお店は地元の方にとって絶やすことのできぬ社交場なのでしょう。 次の角打ちは、最寄駅はというと東京メトロ東西線の早稲田駅と神楽坂駅の大体中間、都営大江戸線の牛込柳町駅からも同じくらいでしょうか、つまりはちょっとばかり不便なのです。そんな外苑東通りの交差点そばにあるのが「升本小沢商店」です。小奇麗な店に入ると店番をするお母さんがいるので、念のためにここで呑んでもいいかと尋ねると、瞬間値踏みするような視線を寄こされますがすぐにどうぞと言っていただけました。樽をいくつも組み上げて作られたテーブルはまあさほどの感興をもたらさぬのでありますが、それはまあ置いておきます。立派な冷蔵庫にはそれなりに銘柄酒が揃っていて近頃よく耳にする酒もきっちり温度管理されているようです。角打ちらしく値段も手頃なのはありがたい。雁木5勺が350円をいただく事にします。うん、うまい。乾き物も用意はされていますが、旨い酒があれば下手な肴など雑味にしかなりません。なんて単にケチなだけですけど。早速呑み干してお代わりを。貴5勺も350円だったかな。白鷹の樽酒も樽のまま冷蔵庫で保存されています。お母さんに樽酒いいですねと声を掛けると呑まれますかと仰られますが、今晩は軽めにしておきますと夜道を再び家に向かって歩き出すのでした。
2017/05/18
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牛込神楽坂は小洒落たビストロや隠れ家風のお店があるという、まあ簡単に言えばぼくとはあまり縁のない町であるという残念な結論に落ち着くのでありますが、実はこの辺はかつて数年に亘って毎日のように歩いていたのであります。だから当時もいかにも古い店が残っていることは知っていたし、日々違う通りをくねくねと回り道していたから路地裏に面白そうな酒場のあることは知っていました。だけれど当時は、まだまだ保守的でもう少し自宅の近くで呑みたいという平凡な暮らし方をしていたのです。考えてみればあの頃は毎日が単調でした。毎日ルーティンで繰り返し生活するのは実は楽なんですけど、まさに生ける屍、ゾンビのようなものだと思ったわけではないけれど、あの頃、ぼくは何が楽しくて毎日を過ごしていたのやら、今思うとゾッとするのです。まあきっと何かしら執着する何某かがあったに違いないのですが、今はそれを思い出したくもない。当時の消極的な自分では立ち入ることも思いもよらなかった店を見つけるやいなや足は考えよりも先に店に向かって歩みを進めるのでした。 正確な住所は、当然覚えていないし、調べもつかなかったけれど東京都新宿区箪笥町、大久保通りの路地のづんどまりにあるのが、「細道」という小体なお店です。焼肉屋の「多文」が目印になるかな。帰宅後、ネットで調べたのですが店名からは調べがつかず、ストリートビューから当たりを付けたので間違っているかもしれません。けれどまあ、この辺の脇道を見逃さず歩けば赤提灯を見つけることができるはずです。たまらなく蠱惑的な赤い灯りに引き寄せられるなんて、蚊とか蝿とそんなに変わらないようなものですが、まあそれはほっておいてもらうことにして、酒場好きならつい引き寄せられるに違いありません。店の前に立ってみると案外きれいな民家のような建物なので瞬間迷いますが、今のぼくなら迷うことはありません。迷わず足を踏み入れた店内はカウンター席があるばかり。せいぜい8席あったかどうか。これはまあ呑んで帰らぬわけにはいかぬのであります。すぐにオヤジさんが現れたのでひと安心。早速麦茶割をもらうとすかさず煮込みをオーダーします。これはぼくには稀有なことなのですが、その理由は申し上げることでもないので黙りを決め込みます。さて、麦茶割りと一緒にお通しが出されます。厚揚げと鶏肉の煮込ともう一品はなんだっけ。ともあれこういうの簡単だけど旨いんですよね。ついその晩すぐに100円ローソンで食材を調達して作ってしまいました。これも旨かったなあ。居酒屋の価値ってそういう何でもないものを思い出させてくれる場所でもあるのですね。その後も乾きものやら出してくれて、まあサービスがいい。その後サービスはそれなりにお値段に跳ね返るのですが、それもまあ適正な範囲かな。そして、煮込、店の奥でしばらくゴチャゴチャしていたので、もしかするとレンジでチンかもしれませんが大変美味しかった。アッサリ系が好みのぼくの口に合いました。何よりこちらのオヤジさん、大変お喋りが好きなのです。ぼくなどもちょっとした野暮用を片付けようと立ち寄りましたが、そんなことをしている暇などないので、ここに来るときは予定をすべて片付けて、ただひたむきに呑んで語るべきと確信したのです。
2017/05/10
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高田馬場というのは窮屈な場所に小さな店舗がギュッと押し込まれている印象があります。実際に駅周辺ばかりでなく、明治通りを超えてさらに早稲田大学に至るまでは、ずっとそんな様子です。表通りには商店が密集し、その裏手には住宅が所狭しと立ち並ぶのです。駅前の呑み屋通り、さかえ通りなどはまさにその典型であろうと思うのですが、細い路地の隙間すら無駄にはすまいとの狂熱すら感じるほどです。それは神田川を背後に控えたさかえ通りの先の方においてもさして事情は変わらず、一旦途切れたと思われた呑み屋店舗が連なる一角が再び出現するのです。 さて、それらの店は、ぼくのようにどんな酒場でもまず躊躇することなく足を踏み入れる自負が多少ともある者にとってもーただし一見高そうな店の場合は話は別でありますー、なんとはなしに足を踏み入れにくい雰囲気があるのです。でもまあ躊躇ってばかりではことは始まらぬのであります。なので、普段ではまず選択肢に入らぬ「飲人 はなはな」というお店を選んだのには、これと言ってしっかりとした理由などありはしません。むしろヤケになって当たって砕けろ的な投げやりさで入店を決意したようにも思います。カフェバーとかスポーツバーのようなカジュアルで仲間内の内輪めいた閉鎖的な雰囲気が、ぼくのような気弱なおぢさんであれば、隅っこの席を探ってしまいたくなるのですが、選択の余地もなく何処の席も落ち着けそうにないのです。姉御肌のママさんは常連となれば話し相手として良いのでしょうが、一見のぼくにはややハードルが高いお相手であります。まあ酒場は呑む場所であって、お喋りする場ではないのだから寡黙な男をしばし演ずることにしようか。しかしこのようなお店で沈黙は、警戒心を助長するものでしかないらしく、ママさんも時折、こちらをチラチラと眺めやる視線が皮膚にチクチクと刺さるのです。さて、こちらは沖縄料理を肴に呑ませてくれるようですが、格別変わった品はなかったような。常連の若い娘はママさんを実の母のように慕っているらしく、まだ姿をみせぬ待ち合わせの彼氏の到着を待ちわびています。ご彼氏が姿を見せるとちょっと呑みに行ってくるね、後でまた寄ると言い残して立ち去ったのですが、ここはそんな一、二杯軽く呑むだけという使われ方が適当なのかもしれません。
2016/12/31
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高田馬場の酒場も随分巡り歩いていますが、未だにその全貌が掴みきれていない印象があります。いやこれはいつも書いてから後悔する傲慢な語りっぷりでした。何十年と暮らし過ごした地元にしたって、すべての路地を通り抜けたかと問われると自身が持てないものだし、それ以前の問題として例えその通りがウンザリするほどに通過していたとしても、仮に床屋さんの佇まいに突如興味を持ったとしたらこれまでは視界を撫でる程度の刺激でしかなかったのが、驚くばかりに鮮烈なものとして知覚され、通りそのものも以前とは違った風景として迫ってくるに違いないでしょう。まあ傲慢さの復習はこれだけに留めるにして、高田馬場を主に酒場と喫茶店、かつては映画館を基調とした視線においてからもう随分と時を経て主たる通りは繰り返し歩いたはずですが、それでも見逃している店があるものです。見逃すというのは正しくないな、最後にその通りを通ったときにはその店は存在すらしていなかったはずだから。新陳代謝の活発さこそ高田馬場の特徴でもあり、それが退屈さでもありー老舗が減っていくー、逆に面白みでもあるらしいのです。 神田川に近い駅からはちょっと歩いたところに喧騒から少し身を離すように数軒の居酒屋が寄り添う通りがあります。そんな一軒が「居酒屋 まき野」です。以前店の前の貼り紙にドリンクがお得に呑めるなんてことが書かれていたので、勇んで戸を開けたがどうしたものか断られる。そんなに金を持っていないように見えるか!一階のカウンター席は空いてるではないかと憤ったことを覚えています。だからその意趣返しということもなく、単に手頃な酒を求めて再訪しました。あらら、この夜は生ビールがお手頃とのこと。いかにも気に入らぬという素振りを隠そうともせぬO氏には気付かぬふりをして、サッとの戸を開けます。今晩も一階が空いています。これで断れたら詰問してやろうと心していたのですが、すんなりと通されました。二階席に通されましたが、これはどうやら一階席は作ってはみたものの導線が悪くなるとかで普段は使用してないのかなと想像しました。ところで、二階は個室風に間仕切りがされていて、それはまあいいとしても仕切るのが白いヴェールというのはなんとも艶めかしくて、どうもおっさん二人組にはむず痒い環境です。周りの客もカップルや女性同士というのがほとんどで場違い感が相当なプレッシャーなのです。でもここそんな恥じらいなどを抜きにすると案外良いのではないでしょうか。魚介がメニューの中心ですがそれがかなりちゃんとしてあるのです。下心ありの表向きしっぽりとした雰囲気で呑むのには向いているかもしれません。 でもわれわれがそんな呑み方に相応しいとは思っていません。高田馬場の酒場では、「双葉 本店」のような酒場こそがわれわれの理想にかなり近しい店なのです。分かっているのなら余計な寄り道をして時間と金を浪費するなとの批判は甘んじて受け止めますが、どんなに好きなものでもあまりに執心し過ぎると飽きるものだということは、誰しも経験のあることだと思います。いつものように混んでもおらず、かといって好きすぎてもいない程の良い客の入はいつもの通り。テーブル席でもいいけれど、テーブル席の親密すぎる距離感は先の店で十分に過ぎるくらいに堪能させていただきました。ここはやはりカウンター席に着きます。近頃やけにコの字のカウンターがもてはやされていますが、あれはちょっとどうかと思うなあ。牛丼屋や回転寿司なんてほとんどがコの字のカウンターなんだし、それがあるだけで全く他の要素が酒場からかけ離れているように思われるお店が賛美されているのを見たりするとホントうんざりさせられるのです。というようなことは当然のことに現地では考えもしません。良い酒場に浸り込み、ただ呑むだけです。不思議とO氏との会話も向き合っていたさっきなどより闊達になるのでした。
2016/10/07
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大久保の駅そばの呑み屋街は、ぼくにとって非常に好ましく感じられます。規模もさほど大きくないのがいい。大きな呑み屋街は、大きくなってもやっていけるくらいの客がいるということで余りにも騒然としていて落ち着かない。大久保は、ひと頃の韓流人気でやけに人手の多い時期もありましたが、今ではそれも随分と沈静化して人の群れを掻き分けという状況から解放されたのは誠に喜ばしいことです。いずれの呑み屋もそれほど年季があるということではなさそうですが、店は良い加減にくたびれていて、店によっては端的にボロと言い切ってもそれほどにはお叱りを受けぬであろうという具合で、それがほぼ現役でやっていてくれるのだからぼくが好きになるのは致し方がないのであります。これが地方になると歯抜けで営業していたり、酷いところでは辺りに店舗すらなくなり、ポツンと一軒だけ取り残されていたりもするのでありまして、それはそれで哀感があって堪らないのですが、せっかく通いやすい都心にあるのだからやはり多くの店舗が残っていてくれたほうが楽しいというもの。何度も来ているとはいえ、馴染みの店があるわけでもないので、毎度目に入った古そうな酒場を訪れることになります。そうすると以前暖簾をくぐった店にうっかり入ることが多くなるのですが、その頻度が大久保の酒場には特に多いのです。 まずお邪魔したのは「峰」でした。言い訳するのではありませんが、このお店、とてもオンボロでいい感じです。見た目には狭そうですが、中に入ると案外広くて奥にはかなり広いスペースがあってここがテーブル席になっていて一組だけすでに呑み始めていました。独りのぼくは当然カウンター席に着くことにします。そしてすでにここには以前も来ていたことに気付いているのでした。こういう時にはいつも書いてる気がしますが、覚えていない店なら初めて入ったのと同じようなものと喝破できればよいのですが、店内の雰囲気は記憶通りだからそうもいかぬのです。酎ハイセットとかいうのがあるので注文しました。下町風のウメ入りのチューハイだったかと思います。これにもつ焼が何本か付いているのですが、こういうセットメニューを見るとついこれがお得なのかどうか確認する前に注文するのが悪い癖。時々セットのほうが単品より高かったり、それはスレないけれど10円程度安いだけで選択肢が少なくなった分損したような気になる店も多いので用心せねばならないのですが。つい呑み物を聞かれるとすぐ応じるのが粋だなんて見栄を張ってしまって後から後悔するのだけどこのカッコつけはなかなか変え難いのであります。まあこちらはそれなりにセットの意味があるので結果オーライです。こんなセット前からあったかなあ。さて、店は女将さんとその息子さんでしょうか、二人でやっておられるようで、手持ち無沙汰らしい女将さんはぼくの何某かに目を付けたようです。仕切りと話し掛けてくれて、それが案外こちはも気を使わなくても済むような話しっぷりで気兼ねなく過ごせたので、やはりここにしておいて良かったななんて店に入ったときのボヤキはどこへやら、案外楽しく呑んだのでした。 ここで知人と合流です。遅くなれぬというので駅からさらに近いところに良さそうなお店を見繕ってあったのでした。「どんどん鬼無里」という店名はなんだか得体がしれませんが、外見には伝統的な日本の正しい居酒屋さんという感じで、どこにでもありそうでいながら都内を歩いてみると案外希少な事を今では身を持って経験しているので、見掛ければ余程のことがない限りは喜んでお邪魔させてもらっています。店の中も雰囲気は大変結構なものでした。かつては炉端焼きをやっていたらしいことが、カウンターの形状から窺えます。ところで先日書いたばかりですが、特に地方都市や都心の郊外の町では、こうした渋い居酒屋が好んで利用されている印象がありますが、どうも町によってはあまり愛されていないらしいのです。さっきの店なら場所が場所ならそれなりの客の入りが見込めそうですが、ここ大久保では閑古鳥が鳴いています。都心に暮らす人など呑みに来る人のごく一部に過ぎぬはずで、多くが郊外へと帰られるのでしょう。彼らは地元では呑まず、地方の酒場にいるのは在住かつ在勤の人たちばかりなのでしょうか。と脱線する理由はお察しの通り、好意的なのは店舗に対してだけであり、若い主人が無愛想なのはまあ良しとしてー若い人が愛想なしというのは本当はあまりいい印象が持てないのでありますがー、とりわけ良くないのは、酒場で呑んでいるという高揚感というかワクワクとした気分が少しも湧いてこないのです。たまに会った知人とも少しも会話が乗ってこないのです。それは店のからただよう空気感がとにかく重苦しいかららしいのであって、そんな雰囲気の中で呑む酒はやはりあまり旨いとは思えないのでした。そうそうこちらもやはり何度かお邪魔していて、毎度似たような感想に至るんですね。
2016/09/09
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四ッ谷には、しんみち通りというそれなりに充実した呑み屋街がありますが、どうもあまり好きになれません。その理由は需要に比して供給が足りていない、言い直すまでもないことですが、この町に生息するサラリーマンやらOLなんていう人たちに店の軒数が追いついていないように思われるのです。それは必ずしも思い過ごしではないはずで、店内を見渡せる酒場はどころ多くの客で席を埋め尽くされており、とてもそんな窮屈そうな店に割り込んでまで席の奪い合いを演じる気にはなれないのです。だからいつでも四ッ谷に来た時にはこのしんみち通りを歩いてはみるものの結局は取りこぼしのなきよう注意を払いながらも、いつしか通りの果てに行き着くことになるのでした。だからこの夜もいつものように虚しく散策を終えて、さらに歩みを進めるしかないのでした。 やがて夜のオフィス街らしく寒々としながらも点々と飲食店が見受けられる裏通りを歩いていました。そこには以前お邪魔したことのある四ッ谷らしからぬバラック風の安普請さをあからさまにした食堂兼酒場があって、面倒だから入ることにしようかと観念してみたものの、以前は閑散としていたこのお店にも若いサラリーマンがみっちりと詰め込まれているのを表から確認すると諦めざるを得ません。いっそのこと荒木町まで足を伸ばしたものかと瞬間思案しますが、実はこの夜は二人の同伴者あり。背中越しに苛立ちの気配を感じたので目に止まった一軒に入ることを決めたのでした。躊躇の猶予がないことを振り返った際に視界を過ぎる二人の視線から敏感に感じ取ってしまったのです。 バラック酒場の2階にも呑み屋があったのは幸いでした。看板には「暖呑酒場 もやん」とあります。これは一体どういう意味なのだろうと思いに耽る余裕もなく階段を駆け上がったのです。店に駆け込むと一階とは別世界の味気なく面白みのない店が待っていたのですが、そんなことを気にしている余地はない。問題は店の人がいないところにある。そういえば客もいないけどこんな店に入ってしまって果たして大丈夫なのだろうかと考える間もなく、二人を残して階段を降りると店主らしき男性が無表情に悪びれた風もなくのんびりと階段を上がってくるのでした。それにしてもご馳走になるというのにこんなに魅力に欠ける店に入ってしまってよかったのだろうか、しかしここまで何軒もメモしておいた有名店に振られてしまったことだし、来てしまった以上は後悔をしてみても始まらぬ。と、ここからようやく呑みの話になるのですが、ここまで至るのに随分と長くなってしまったのでこの先は手短に。客もいないしー場所が悪いことは理由にならない、下は繁盛してるー、店主も愛想なしーこれは別に否定すべきものでもないー、店に味があるわけでもないーいくら年季を積み重ねてもここに味が出ることはないでしょうーのですが、四谷にしては値段も手頃だし、味も悪くない。これだけ空いてるのが不思議なほどにまずまず良いお店です。わざわざ訪れるかといえば疑問ですが、結局長居をしてしまい、三人で30杯以上は呑んだらしいのでまあこのくらいのお店でちょうどよかったのでしょう。 せっかくなのでもう一軒だけ立ち寄ることにしました。スポンサーを駅で見送ると、しんみち通りで行き掛けに見掛けていたお店に引き返しました。「よつや村」とかいう立ち呑み店ですが結構な繁盛振りで賑わっています。オフィス街の立ち呑みには、今では女性客も多くてそれはまずは結構なことだなどと助平根性が首をもたげますが、どうにも落ち着けないムードがここにはあるのです。どこかどう居心地を悪くしているのか明確に言い表しにくいのてすが、少なくともぼくにとって好意的に語れるポイントがあらゆる面で欠如しているように感じられるのです。具体的に述べると切りが無くなりそうなのでここでは口をつぐむことにします。それでも四ッ谷の勤め人たちにとっては貴重な店となっているようです。それなら立ち呑み業界のあの店やこの店なんかが店舗を出せば大繁盛間違いなしなんでしょうけど、やはりこの地の賃料ではペイできないんでしょうか。
2016/06/25
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