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「村上 吉充」 (むらかみ よしみつ)は、 戦国時代 から 江戸時代 にかけての 武将 。 因島村上氏 の第 6 代当主。父は 村上尚吉 。妻は 乃美宗勝 の妹。又三郎、新蔵人。弟に 村上吉忠 、 村上亮康 。第⒊代当主と同名である。
因島村上氏 は 能島村上氏 と 来島村上氏 に並ぶ 瀬戸内海 を支配した 海賊衆 で、父・ 尚吉 の代より 毛利氏 に近い立場にあり、 天文 24年( 1555 年 )の 厳島の戦い の際、 毛利 ・ 小早川氏 から加勢を求められ、重臣・ 末長景道 率いる因島 村上水軍 を派遣し、 小早川水軍 の一翼を担い毛利方の勝利に大きく貢献した。
その後も毛利・小早川氏に属し、 弘治 元年( 1555 年 )から弘治⒊年( 1557 年 )にかけての 防長経略 では 関門海峡 を封鎖するなどの活躍をした。
また、弘治⒊年(1557年) 1 月 12 日 に 小早川隆景 から 新蔵人 の官位を与えられた。 大友氏 との戦いがはじまると、 永禄 4年( 1561 年 )の 門司城攻防戦 で乃美宗勝の指揮下で大友軍を撃退した。
天正 4年( 1576 年 )の 第一次木津川口の戦い では奮戦し 織田水軍 を壊滅させ、兵糧米を 石山本願寺 に運び込むことに貢献した。
天正10年( 1582 年 )に来島村上氏の 来島通総 が織田方に降った際にも毛利方に留まり、 毛利輝元 から 周防国 都濃郡 内の400石、周防・長門の寺社 半済 の内の500貫などを与えられた。
吉充には子がなかったため、弟・ 村上亮康 の子、 景隆 を養子に迎えたが早世したため、その弟の 吉亮 を後嗣に迎えている。
関ヶ原の戦い 後、毛利氏の減封に伴って 長門国 へ移住したが、知行は1800石(2800石とも)しか与えられなかったため、当主の 村上元充 (吉亮の子)と別れ、因島へ戻り同地で没した。
法名は晟清寺殿英中晟春。
「柿並 隆正」 (かきなみ たかまさ)は、 戦国時代 の 武将 。 大内氏 家臣で、 陶晴賢 の側近。父は 柿並隆幸 。
大永 ⒊年( 1523 年 )、 大内氏 庶流の 柿並隆幸 の子として生まれる。
天文 23年( 1554 年 ) 6 月 5 日 の 折敷畑の戦い において、父・隆幸が戦死したため、その後を継いだ。
天文24年( 1555 年 ) 10 月 1 日 の 厳島の戦い では、 陶晴賢 に従って 毛利元就 の軍と戦い、戦死した。享年33。子の 幸慶 が後を継いだ。
「宇賀島水軍」 (うかしますいぐん)または 宇賀島衆 (うかしましゅう)は、 戦国時代 に 瀬戸内海 で活動した 水軍 ( 海賊 )。 周防国 の 浮島(うかしま) もしくは 備後国 の宇賀島を拠点にしていたが、 天文 24年( 1555 年 )の 厳島の戦い の前後に 毛利氏 ( 小早川氏 )に攻められて滅亡した。
浮島(周防)の海賊
通説では、周防国の 屋代島 (現在の 山口県 周防大島町 )の沖合にある浮島を本拠地にしていた海賊。
屋代島の海賊衆である大浜氏・桑原氏・神代氏・沓屋氏・浅海氏などと合わせて 屋代島衆 や 大島衆 とも呼ばれる。
大内氏 傘下の水軍(警固衆)だったが、天文20年( 1551 年 )⒐月に発生した大内重臣・ 陶隆房 (後の陶晴賢)による 大内義隆 への 謀反 ( 大寧寺の変 )後は、陶氏に仕えた。
隆房は、義隆が能島村上氏( 村上水軍 )に認めていた 帆別銭 ・荷駄別料の徴収権を剥奪、同年冬には将軍への献上米を積載した 廻船 の護衛を宇賀島水軍に命じて村上水軍勢力海域の強行突破を図っている。
天文24年(1555年)の厳島の戦いでは、陶の水軍の大将を宇賀島衆頭取の 宇賀島忠重 (宇賀島十郎左衛門)が務めるも敗北により戦死。その直後から始まった毛利氏の周防侵攻( 防長経略 )により浮島は一時的に無人島になるほど徹底的に掃討され、宇賀島水軍は滅亡した。
宇賀島(備後)の海賊
尾道水道 にあった宇賀島(現在の 広島県 尾道市 )の 岡島城 を本拠地に、周辺海域で 礼銭 ・関料を徴収していた海賊衆 [7] 。
『 老松堂日本行録 』によると 応永 27年( 1420 年 )7月に 李氏朝鮮 の使者・ 宋希璟 が小尾途津(尾道)で「海賊船十八隻」と、『 梅林守龍周防下向日記 』によると天文20年(1551年)4月に 東福寺 の僧・ 梅林守龍 が竹原で「関之大将ウカ島賊船十五艘」と遭遇しており、これらは宇賀島衆だと考えられている。
安芸国で勢力を拡大した 毛利元就 が大内・陶氏と対立( 防芸引分 )した
文23年(1554年)頃、元就の三男である 小早川隆景 により攻め滅
された。岡島城陥落の時期は不明だが、同年10月には隆景の率いる軍
が宇賀島の南側にあたる歌島(現在の 向島 )にある烏崎に陣を構えているその後、岡島城は因島村上氏の支城となったと思われる。
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