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不二の水藤森神社の境内で神水「不二の水」をボトルに入れる人を見かけました。人のいない状態で撮影したくて、午前中に20分ほど待ってみましたが、途切れそうにもないので諦めました。午後にもう一度訪れてみましたが、やはり順番待ちの状態でした。「不二の水」とは、二つとない美味しい水という意味だそうで、武運長久、学問向上、勝ち運を授ける水だそうです。あやかりたいものです。
2013年02月28日
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藤森神社の手水鉢手水鉢の台石といいますから、下に見えている苔むした石のことでしょう。傍らの説明文には、「宇治浮島にある十三重の塔の上より五番目の石を石川五衛門がもち来たりし物と云われて」いるそうです。(「五衛門」は、「五右衛門」のことですね)宇治浮島の十三重の塔(2011.6.10撮影)「現在十三重の塔を見るとその部分だけ石の色が違っているのがわかる」というのですが、そうなんですかあ。私にはよく分かりません。機会があったら別の角度から見直してみます。「違っているのがわかる」と断言されると、ああそうなんだ、と思ってしまいますね。
2013年02月27日
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藤森神社の絵馬堂さすがに競馬関係者の信仰も厚いようで、ここの絵馬堂には、競馬馬のさっそうと走る姿が描かれた絵がいくつか掛けられています。フジヤマケンザン 1995 香港インターナショナル杯 優勝トウカイテイオー 奉納ナリタブライアン 奉納なんてのもありました。秋には京都競馬場で「藤森ステークス」というレースがあるのですが(以前は「藤森特別」だったようです)、ここ藤森神社に由来する名前だと思います。こちらは狛犬ですが、その土台には馬に乗った武者が描かれています。境内に建つ神馬です。躍動感のある立派な馬です。
2013年02月25日
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「菖蒲の節句発祥の地」の碑藤森神社の入口(南側)に建っている碑には、「菖蒲の節句発祥の地」と書かれています。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めているわけです。本殿の近くには、金太郎らしき像が置かれています。「勝運之神」と書かれています。神鎧像(かむよろいぞう)菖蒲の節句(端午の節句)に飾られる武者人形には、藤森の神が宿るとされているそうです。この像はその象徴として建立されたということです。 御旗塚203年、神功皇后が新羅から凱旋した後、纛旗(とうき、いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を造って祀ったといいます。それが藤森神社の起こりだということです。その塚が、本殿の東側にある「旗塚」だとされています。
2013年02月24日
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藤森神社の広い参道を歩くと、正面に見えてくるのが拝殿です。拝殿を過ぎてそのまま進むと、本殿があります。藤森神社は神功皇后によって創建されたと伝わっており、歴史ある神社です。近くの三つの社が合祀されたそうで、12柱の神体が祀られています。12柱のうちの1柱、「舎人親王(とねりしんのう)」は、日本書紀の編者として知られるところから、学問の神様としての信仰も厚いようです。本殿を西から見たところです。本殿は、正徳2年(1712年)に中御門天皇から賜った宮中内侍所(ないしどころ=賢所)の建物と言われています。重要文化財です。大将軍社八幡宮室町幕府第6代将軍の足利義教が造営したものといわれており、いずれも重要文化財に指定されています。
2013年02月23日
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石の鳥居から中に入ると、広い境内の道がまっすぐ続いています。正面には拝殿が見えます。藤森神社では毎年、5月5日に駈馬神事(かけうましんじ)が行われますが、その舞台がこの参道です。実際の行事を見たことはないのですが、駆ける馬の上で逆立ちしたり横乗りしたり、逆向きに乗ったり、そんな「曲乗り」をテレビニュースで見たことがあります。天応元年(781年)、陸奥の反乱に対して征討将軍の勅を受けた早良親王(さわらしんのう)が、藤森神社に出陣の祈誓をされたことに由来するそうです。1200年の歴史があり、江戸時代には伏見奉行所の武士や各藩の馬術指南役、町衆らが参加し、また明治からは氏子によって引継がれ、毎年奉納されています。
2013年02月19日
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藤森神社京都市伏見区深草鳥居崎町京阪本線・墨染駅より東へ徒歩4分藤森(ふじのもり)神社は「勝運と馬の神様」として有名です。競馬関係者や競馬ファンが多く参拝することで知られています。私は馬券(勝馬投票券)は買いませんが、競馬だけが勝負事ではありません。だれしも勝ち運は欲しいものですね。そんな思いを胸に、藤森神社を訪ねてみました。正面には石造りの鳥居があり、奥へと参道が続きます。この鳥居には正徳元年(1711年)の銘があります。江戸時代、参勤交代のために西国の大名が神社の前の道を通っていたそうです。いわゆる大津街道で、京都を通らずに大津に抜ける街道ですね。かつてここには後水尾天皇の宸書(しんしょ、天皇自らが書いた文書)が掲げられていたそうで、大名は神社前を通るときは駕籠から下りて拝礼していたとか。幕末、そんなことでは時代に合わないと、新撰組の近藤勇が額を外したと言われているそうです。
2013年02月17日
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JR奈良線 JR藤森駅京都市伏見区深草大亀谷大山京阪本線にも「藤森(ふじのもり)」という駅があるため、「JR」が付いているのが正式な駅名です。しかしながら、京阪の藤森駅よりも墨染駅のほうが近いという位置関係にあります。開業は平成9年(1997年)と新しい駅で、大きくはないですが、駅舎は新しさが感じられます。 ちょっとしたロータリーがあり、1時間に1本程度ですが、路線バスが乗り入れています。2面2線の相対式ホームを持つ地上駅で、ホームに覆いかぶさるように道路が横切っています。この道路がさきほどの改札口のあるところです。手前が奈良方面で、ここから宇治駅までは単線区間になっています。当たり前のように103系がホームに並んでいますね。
2013年02月14日
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あけやん2515 さんに教えていただいた、西神中央駅近くのパン屋さん「パンドール」に行ってきました。サンドイッチをはじめ、惣菜パンの種類が多く、いろいろ食べてみたくなりました。でもまずは、ベーコン・エピ。それと美味しそうだったのがプレッツェル。数種類ありましたが、買ったのはシナモンとチョコです。素人の感想ですが、ドイツパンの食感で、美味しかったです。ベーコン・エピは1つを4人で分けたため、ちょっと物足りなかったですね。次は一人占めしたい。あけやん2515 さん、ありがとうございました。
2013年02月11日
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「近藤勇 遭難の地」の碑京都市伏見区深草越後屋敷近鉄京都線・伏見駅より徒歩4分昨日ご紹介した料理旅館「清和荘」の門前に、このような碑が建てられていました。碑の説明文によると、慶応3年(1867年)12月18日、伏見奉行所に陣を移した新撰組の隊長・近藤勇(こんどういさみ)は、軍議のため二条城に赴き、その帰路、御陵衛士(ごりょうえいし)の生き残りに襲われました。弾は左肩に当たりましたが致命傷にはならず、そのまま伏見奉行所に逃げ込んだそうです。このあと、近藤は治療のため、大坂に退きます。翌・慶応4年1月3日、鳥羽伏見の戦いが勃発しました。しかし近藤勇は伏見に戻ることができず、副隊長・土方歳三(ひじかたとしぞう)が代わって新撰組の指揮を執ることになります。明治維新へと突き進んでいく時代、ここもまた歴史の舞台の一つだったんですね。
2013年02月10日
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料理旅館 清和荘京都市伏見区深草越後屋敷町近鉄京都線伏見駅より徒歩4分数奇屋造りの座敷は、昭和初期に建てられたものだそうです。昭和32年(1957年)より、料亭旅館として営業を始めたということです。門の中を覗くと、広々として手入れの行き届いた庭園があります。中から出てきた方に声をかけて、入らせてもらいました。敷地内に湧き出ているのが伏見の名水のひとつ、「清和の井」です。創業当時に掘られ、料理に使われています。深さは70メートルだそうです。
2013年02月09日
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柴田屋敷町公園京都市伏見区柴田屋敷町近鉄京都線伏見駅より徒歩2分近鉄京都線伏見駅近く、国道24号沿いに、柴田屋敷町公園があります。(資料によっては児童公園とも)公園の中には京都市電が置かれ、集会所として使用されています。 レールはなく、地面にそのまま置かれていました。近所の子どもたちが傍らで遊んでいました。かつてはこのすぐそばを、これが走っていたんですよね。日本で初めて電車が営業を始めた路線でありますが、それを示す案内もなく、少し寂しい気がしました。
2013年02月02日
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