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白河天皇陵京都市伏見区竹田浄菩提院町近鉄京都線・竹田駅より南西へ徒歩10分鳥羽天皇陵京都市伏見区竹田浄菩提院町近鉄京都線・竹田駅より南西へ徒歩5分11世紀、藤原季綱(すえつな)が所有していた別邸が白河上皇に献上され、これを大規模に拡張したのが、鳥羽離宮です。12世紀には鳥羽上皇が受け継ぎ、さらに増設されていきます。12世紀から14世紀にかけての院政の時代、幼帝を都に置き、後見人として上皇が直接政治を行いました。鳥羽離宮は政治の中心地だったわけです。鳥羽離宮跡公園や城南宮の東、阪神高速8号京都線(油小路通)を挟むような位置に、西側に白河天皇陵、東側に鳥羽天皇陵があります。
2013年03月24日
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小枝橋京都市伏見区中島秋ノ山町近鉄京都線 竹田駅より西へ徒歩20分「王政復古の大号令」のあと、徳川将軍家の領地返納が強行採決されたことを不満とする会津藩や桑名藩は、慶応4年(1868年)正月1日に挙兵、大坂から京へ攻め入ろうとしました。これを薩摩・長州の新政府軍が迎えうちます。薩摩藩が城南宮に大砲を据えて陣を構えていました。竹田街道を北に進んできた桑名軍や幕府大目付・滝川具挙(ともあき)らは小枝橋を渡ろうとし、それを阻止しようとした薩摩軍との間で、正月3日夕刻、ついに戦闘が勃発します。これが、明治2年(1869年)の五稜郭陥落まで続く戊辰戦争の始まりとなりました。幕府軍の兵力は約2万、新政府軍は約5千と言われており、幕府軍が見劣りするわけではなかったのですが、指揮命令権が混乱したこと、1月4日には幕府軍追討の朝命が出て賊軍とされたことで、次第に劣勢となった幕府軍は、1月6日には大坂に退きます。さらには6日夜、徳川慶喜が側近を連れて大坂から江戸へ退却したことで、戦いの目的を失った各藩は兵を引いていきました。最近まで、小枝橋は、現在より少し南側に架かっていたのだそうです。かつて小枝橋のたもとだったであろう場所に、「鳥羽伏見戦跡」と書かれた石碑が建てられていました。そばの案内板によると、2002年3月に撤去された旧・小枝橋は、全幅5.3メートルのコンクリート橋だったそうです。
2013年03月22日
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鳥羽離宮跡公園京都府京都市伏見区中島御所ノ内町近鉄京都線・竹田駅より南西へ徒歩19分京阪本線・墨染駅より西へ徒歩30分鳥羽離宮(城南離宮)は、平安時代の11世紀から12世紀にかけ、白河上皇および鳥羽上皇が築いた離宮です。14世紀にかけて、代々の上皇がここを院御所としました。城南宮もその一部に取り込まれたようです。治承(じしょう)3年(1179年)、後白河上皇は平清盛によってこの地に幽閉されています(治承(じしょう)三年の政変)。南北朝時代、戦火によって建物の多くが焼失し、衰退していきました。現在は史跡公園として整備されています。「史跡鳥羽殿跡」と書かれた石碑が、公園の南側に隣接する土地の中に建てられていました。ここは「南殿」があった場所で、鳥羽離宮の中で最初に造営された宮殿なんだそうです。公園内の北寄りの場所は「秋の山」と呼ばれる小高い丘になっています。ここは当時、庭園の築山だったのだそうです。現在、この丘の上や麓には、慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いが勃発した場所であることを示す碑が建てられています。鳥羽は交通の要衝であり、また、平安京の外港としての機能も持っていました。貴族達はここで狩猟や遊興を行い、別邸が建ち並んでいたといいます。
2013年03月20日
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城南宮(写真は東の入口)京都市伏見区中島鳥羽離宮町近鉄京都線・竹田駅より南西へ徒歩16分京阪本線・墨染駅より西へ徒歩25分近鉄京都線の竹田駅から500メートルほど南、路線の西側に「城南宮参詣道」と書かれた大きな石碑が建てられています。ここから西へ800メートル先の城南宮へと続く参道の入口です。鳥居の額には「城南離宮」と書かれていました。城南離宮とは「鳥羽離宮」のことです。 東の入口から境内に入ると、さらに参道が続きます。100メートルほど進むと、右手に鳥居があり、その先に拝殿と本殿があります。祈祷殿(手前)と拝殿(奥)拝殿本殿794年、平安京遷都のときに「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」と「八千矛神(やちほこのかみ)」と「神功皇后(じんぐうこうごう)」を祀って以来、城(平安京)の南を守護する社として、「城南宮」と呼ばれるようになりました。12世紀、白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからは、城南宮もその一部となり、14世紀ごろまで、代々の上皇の院御所だったことから、政治の中心でもありました。また、貴族の方違(かたたがえ)の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになりました。ちなみに、方違とは、凶方位へ直接向かうことを避けるために迂回することです。応仁の乱(1467~1477年)などの戦乱で荒廃しましたが、江戸時代に復興します。鳥羽・伏見の戦い(慶応4年=1868年)の主戦場となった場所としても有名です。境内には名園「楽水苑」があります(拝観は有料)。春と秋に催される「曲水の宴」は、平安時代の雅を今に伝える風物詩として、毎年のようにニュースなどで伝えられてます。
2013年03月17日
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藤森神社の境内の一画に、藤森七福神が並んで立っていました。ちょっとデフォルメされたような愛らしい神様たちです。着ぐるみにしてもいいような、ゆるキャラ系の神様たちでした。
2013年03月02日
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