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東福寺 愛染堂(重要文化財 室町時代)朱塗りの赤が鮮やかに目立つ、八角のお堂です。開山堂の西側に位置します。昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊し、現在の場所に移されたそうです。愛染明王が祀られています。 東福寺 月華門(月下門) (重要文化財 鎌倉時代)文永5年(1268年)、一条実経(鎌倉時代の公家で、摂政、関白)が開山堂(常楽庵)を建てたとき、亀山天皇が京都御所の月華門を下賜されたと伝えられています。
2013年11月30日
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東福寺 開山堂通天橋を渡って大きな門をくぐると、正面には開山堂(別名、常楽庵)が建っています。元の建物は文政2年(1819年)に焼失し、文政6年(1823年)に再建されました。屋根の上に突き出た閣が特徴的です。開山堂の前には枯山水の庭があります。訪れたときは、市松模様の砂の紋を描いている最中でした。
2013年11月28日
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いまごろは紅葉で色付いているでしょう。通天橋は、紅葉で有名な東福寺でも中心的な存在で、ここからの渓谷の眺めは言葉に尽くせない趣きがあります。通天橋は何度も架け替えられています。現在のものは、昭和34年(1959年)に台風で倒壊したため、昭和36年(1961年)に再建したものだそうです。ここの楓は黄金色に染まるのが特徴で、約2000本もあるそうです。「通天紅葉」とも呼ばれており、開山・聖一国師が宋から持ち帰ったと伝わっているそうです。
2013年11月26日
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東福寺 偃月橋(えんげつきょう)東福寺には「東福寺三名橋」と呼ばれる橋があります。そのうちの一番東側が「偃月橋(えんげつきょう)」です。庫裡の南側を通って左に曲がったところにあります。桃山時代のもので、重要文化財に指定されています。東福寺 龍吟庵偃月橋を渡ると、正面に龍吟庵が見えてきます。門は閉ざされていて中には入れません。東福寺第三世住持の大明国師の住居あとで、ここが終焉の地でもあり、墓所になっているそうです。大明国師は、南禅寺(京都市左京区)の開山(初代住職)でもあります。方丈は国宝、庫裏と表門は重要文化財に指定されています。室町時代に建てられたもので、現存する最古の方丈建築なのだそうです。
2013年11月25日
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東福寺の西側には3つの門が並んでいますが、その真ん中が「中門(または中大門)」です(上の写真)。桃山時代のもので、平成5年(1993年)に京都府指定の文化財になっています。中門から東に歩いていくと、今度は日下門があります(上の写真)。こちらは江戸時代に建てられたもので、中門と同時に京都府指定文化財になりました。日下門から境内に入ると、正面に本堂や方丈、庫裡が見えます。それらの手前を左に曲がったら、左手に経蔵があります(上の写真)。東福寺の開山(初代の住持職)である聖一国師(しょういちこくし)は、宋から一千余りの典籍を持ち帰ったそうで、現在なお、宋の時代の書物などが数多く所蔵されているとのことです。現在の経蔵は江戸時代に建てられたもので、やはり京都府指定文化財です。
2013年11月24日
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東福寺 方丈方丈とは、1丈四方(1丈=10尺=約3メートル)つまりほぼ四畳半の広さのことを言います。本来は住職の居間のことを指します。鴨長明の「方丈記」は、まさに方丈の広さの居室で寝起きしながら書いた日記の意味です。居間から発展して、方丈は禅宗の寺院建築のひとつで、本堂や客殿を兼ねるものになりました。東福寺の方丈は、明治14年(1881年)の火災で焼失し、明治23年(1890年)に再建されたものです。方丈の四周に庭園が巡らされており、昭和13年(1938年)に、重森三玲氏によって作られたものです。拝観料を払って見学することができます。東福寺 方丈表門方丈の南側正面にある唐様の門(上の写真)は、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の寄進と伝えられています。門には菊のご紋が描かれています。恩賜門ともいうそうです。東福寺 庫裡方丈の向かって右側に、庫裡があります。寺務を行ったり、また、行事のときには食事を用意したりする場所です。方丈庭園の入口にもなっています。 庫裡も明治14年の火災で焼失し、明治42年(1909年)に再建されました。この建物も昭憲皇太后が寄進したものだそうです。
2013年11月21日
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東福寺 東司(とうす)東司とは何かというと、便所です。通称百雪隠(せっちん)、俗に百間便所、百人便所とも言われるそうです。室町時代の建物で、重要文化財に指定されています。便所といっても、馬鹿にはできません。昔は排泄物は大切な肥料でした。美味しい京野菜を作るには欠かせないもので、寺の収入にもなっていたようです。禅僧にとって用便も修行のひとつで、東司に行くにも厳しい作法が決められていたのだそうです。東福寺 禅堂上の写真が禅堂です。我が国最大最古の道場だそうです。南北朝時代の建物で、重要文化財に指定されています。座禅を組むだけでなく、ここで寝食を行います。かつては400人を超える修行僧が修行をしていたこともあったそうです。東福寺 浴室室町時代に建てられたもので、重要文化財です。京都最古の浴室建築の遺構だそうです。内部構造がよくわからないのですが、資料によると「土間を入った奥左右には腰掛けを設け、中央板敷を洗い場とする蒸し風呂」になっているのだそうです。
2013年11月19日
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東福寺 本堂(仏殿)東福寺の仏殿と法堂は、明治14年(1881年)に焼失しましたが、昭和9年(1934年)に再建されました。再建工事が始まったのが大正6年(1917年)ですから、17年かけた大工事だったようです。高さ25.5メートル、間口41.4メートルもあり、昭和期の木造建築としては最大級のものと言われています。本尊は釈迦三尊像で、鎌倉時代の作です。明治14年の火災の後、万寿寺(まんじゅじ)から移されたものです。本堂正面向かって左側に大きな木が立っていますが、これは「イブキ」という常緑高木です。傍らの案内板によると、高さ16.5メートルあり、江戸時代中期の「都名所図会」には「円柏(いぶき)の古樹は開山国師、宋国より携へ来る」という記述があり、「唐木」として描かれているそうです。記述が正しければ樹齢は750年くらいになります。上の写真は本堂を裏手から撮ったものです。
2013年11月17日
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東福寺 三門(国宝 室町時代)三門は、「空門」「無相門」「無作門」の三解脱門(さんげだつもん)の略だそうです。と言われても、何の事だか。。。。 要は、仏の国に通ずる門なのだそうです。応永年間(1394~1428年)、足利義持(あしかが よしもち、室町幕府第4代将軍)が再建したもので、昭和52年(1977年)に大修理が行われました。左右には、階上への階段があります。楼上内部は、二本の柱があるほかは広々としていて、宝冠釈迦如来、十六羅漢像が安置されているのだそうです。高さは22メートルで、楼上からは洛南一帯を見渡せるといいますから、きっと良い眺めなのでしょうね。3月中旬に3日間だけ公開されるので、チャンスがあったら行ってみたいですね。(拝観料が要ります)
2013年11月12日
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東福寺は、京阪本線の鳥羽街道駅と東福寺駅の間にあります。東福寺駅が最寄り駅になっていますが、じつは鳥羽街道駅からのほうが少し近いのだそうです。上の写真は南門です。鳥羽街道駅から徒歩で5分ほどです。上の写真は、境内の南側にあって西を向いている勅使門です。名前のとおり、勅使がやってきたときに使用された門です。桃山時代のもので、京都府指定文化財です。現在は閉じられています。上の写真は、六波羅門です。勅使門のすぐ南側にあり、南を向いています。名前の由来はもちろん京都の六波羅で、もと北条氏の六波羅政庁にあったものを移したと伝えられています。東福寺は、臨済宗東福寺派大本山の寺院で、山号は慧日山(えにちさん)です。本尊は釈迦如来で、嘉禎年間(1235年~1237年)に摂政関白・九条道家によって創建されました。そろそろ紅葉が色づく時期ですが、残念ながら今回は10月に訪れたときのようすを、何回かに分けてご紹介したいと思います。
2013年11月10日
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サンディエゴから離れる日の朝、少し早目にホテルを出て、海を見に行きました。サンディエゴ湾を守る堤防のように南から北へと延びる細い半島があり、その先端部分にコロラドという島があります。ちょうどサンディエゴの空港のすぐ南側です。サンディエゴのダウンタウンから橋を渡ってすぐです。島の半分は軍の施設がありますが、太平洋側のビーチに沿って美しい街並みが続いています。ボードに乗ったサーファーが波を待ってたようですが、この日は穏やかで、サーフィン日和とは言えませんでした。波打ち際を散策する人がたくさんいました。カラッとしたブリーズが心地よかったです。ここはビーチバレーのコートですね。6面ほどありましたが、専用コートなんでしょうか? ハロウィンはもう終わったはずなのに、仮装や覆面をしている人も。ガイドブックによると、海に沈む夕陽がきれいだとか。今度は仕事ではなく、旅を楽しむために来てみたい。
2013年11月09日
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San Diegoのスーパーで買ったDr Pepper。米国に行けば簡単に手に入るのに、なかなか日本ではお目にかかれない。というか、関西では販売していないというのが正しいそうです。東京では珍しくはないのかな?その気になれば通販で手に入るのでしょうけど、そこまで執着心はございません。けど、見かけると飲みたくなるのです。味は、好き嫌いが分かれるみたいですね。味を表現するのは難しいのですが、、、子どもが風邪を引いたときに飲む、お医者さんでもらう飲み薬のシロップの味、といえばわかってもらえるでしょうか。チェリーコークもありました。こちらはもっと、日本では手に入りにくいそうです。
2013年11月08日
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去年に続いて今年も、仕事でSan Diegoに行ってきました。San Diegoは米国カリフォルニア州にあり、南側はメキシコと接しています。滞在中、気温は大阪とそれほど変わらなかったのですが、陽射しが強くて暑いくらいでした。上の写真は、泊まったホテルの窓から撮ったものです。こんなフリーウェイが網の目のように街中に巡らされています。こちらでは当たり前の景色ですが、日本から到着してこの景色を見たら、アメリカに来たことを実感します。昼夜を問わず車が行来していて、部屋の中にいても、少し車の音が聞こえてきます。時差のせいで昼夜逆転し、なかなか寝付けなかったのですが、車の音を子守唄代わりにして、いつの間にか眠っていました。日本だと、アクセルをふかして安眠を妨害するようなオートバイが時々いますが、米国では幸いにもお目にかかったことがありません。というより、ほとんどが4輪車で、オートバイ自体が少ないみたいですね。
2013年11月07日
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仲恭天皇九條陵のすぐ近くに、「鳥羽伏見戦防長殉難者之墓」と書かれた石碑がありました。このブログでも何度か取り上げている「戊辰戦争」ですが、その端緒となったのが慶応4年(1868年)正月の「鳥羽伏見の戦」です。このとき、長州藩(周防・長門)の軍勢2000余りが、東福寺に陣を構えていました。この戦いで戦死・病死した者48名が、東福寺に近いこの場所に葬られたのだそうです。明治33年の33回忌にさいして、現在の墓が整備されたということです。墓標の後ろが仲恭天皇九條陵です。まるで天皇陵を警護しているかのような構図ですが、時代はまったく違います。北西の方角には、京都タワーが見えています。背後は愛宕山でしょうか。京都市東山区本町15丁目京阪本線・鳥羽街道駅から東へ徒歩約10分
2013年11月06日
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