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伏見稲荷大社 神幸道(裏参道)京阪本線・伏見稲荷駅を降りて伏見稲荷大社へと続くのが神幸道と呼ばれる参道です。伏見稲荷駅は、開業当初は「稲荷新道」駅でした。神幸道は裏参道とも呼ばれますが、旧駅名のとおり、「新道」のほうがふさわしいように思えます。土産物屋や飲食店などが軒を連ね、賑わっていました。海外からの観光客も多く見かけました。表参道の鳥居JR奈良線・稲荷駅を降りると、目の前に一の鳥居があります。こちらが表参道です。しかし、参道沿いには店は無く、なんとなく物足りなさを感じました。伏見稲荷大社 楼門天正17年(1589年)、豊臣秀吉によって造営されたとされています。両側に鎮座するのは神のお使い、お狐さまです。狛狐っていうのかな?お稲荷さんというと狐を思い浮かべることが多いかもしれませんが、稲荷大神は狐ではありませんので、念のため。では、楼門を通って中に入ってみましょう。
2013年07月30日
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旧東海道線のランプ小屋京都市伏見区深草稲荷御前町(JR奈良線 稲荷駅内)明治5年(1872年)10月14日、新橋駅~横浜駅間が日本初の鉄道として開業して以来、東海道線は路線延長を繰り返しつつ、明治22年(1889年)に新橋駅~神戸駅間の全線が開業しました。稲荷駅は、明治12年(1879年)、大谷駅~京都駅間が東海道線の一部として開業した際にできた駅です。明治13年(1880年)には逢坂山トンネルが開通し、大津駅~神戸駅間が全通します。大津駅から京都駅に至る区間は、急曲線や急勾配が連続していたため、列車運行上の支障になっていました。大正10年(1921年)には新逢坂山トンネルが開通し、東海道線は現在の路線に付け替えられます。その際、稲荷駅より大津寄り(現在の名神高速道路に近い経路)は廃止され、稲荷駅~京都駅間は奈良線として残ります。上の写真は、稲荷駅が東海道線の駅だったころ、客車の照明などに使っていたランプや燃料の油を保管していた「ランプ小屋」です。稲荷駅開業の年に建てられたもののようです。予約すれば見学もできるとのことです。旧東海道線の建物として残った唯一のものであるだけでなく、現存する国鉄最古の建物でもあるそうです。昭和45年(1970年)に「準鉄道記念物」に指定されました。また、平成20年(2008年)には経済産業省により「近代化産業遺産」に指定されています。
2013年07月29日
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JR奈良線 稲荷駅京都市伏見区深草稲荷御前町相対式ホーム2面2線の地上駅で、平成20年(2008年)にバリアフリー化されました。駅前は北行き一方通行の狭い道で、歩道は設置されていないため、通行には注意が必要です。ホームは曲線部にあります。駅舎は2番のりば(奈良方面)側にあり、京都方面へは跨線橋を渡って1番のりばに渡る必要があります。上の写真は北側の踏切から撮ったもので、1番のりばと跨線橋が見えています。駅の目の前には伏見稲荷大社の鳥居と参道があります。まさに「最寄駅」です。あまりにも近くて、土産物屋の店先を覗きながら参拝するなら、京阪の伏見稲荷駅からのほうが楽しいかもしれません。
2013年07月28日
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京阪本線・伏見稲荷駅京都市伏見区深草一ノ坪町明治43年(1910年)4月、京阪・天満橋~五条間の開業と同時に営業を始めました。当初の駅名は「稲荷新道」駅で、現在の深草駅が「稲荷」駅でした。同じ年の12月には、早くも駅名が変更され、旧・稲荷駅は深草駅に、稲荷新道駅が「稲荷」駅になります。伏見稲荷大社(当時の名前は「稲荷神社」)の最寄駅の地位を、駅名とともに奪い取った形です。その後、昭和14年(1939年)に「稲荷神社前」駅に改称。さらに、稲荷神社が伏見稲荷大社と名前を変えたことから、昭和23年(1948年)に、現在の「伏見稲荷」駅に改称されます。伏見稲荷駅ホーム伏見稲荷駅は、相対式2面2線のホームを持つ地上駅です。向こう側(淀屋橋方面)のホームの屋根は短いですね。民家と接していて、屋根を設けるのが困難だからでしょうか?伏見稲荷大社の最寄駅であることから、駅舎にも神社のイメージである朱色が使われています。戦争中には、空襲の標的になるからという理由で、目立たない色にしていたそうです。出町柳方面ホームの改札口(ラチ内)淀屋橋方面ホームの改札口(ラチ内)双方のホームは独立していて、跨線橋も地下通路もありません。したがって、改札口も別々です。いずれの改札も南側に設けられています。臨時改札口(出町柳方面ホーム)普段の利用者は少ないのですが、正月三が日は伏見稲荷大社の参拝客でごった返します。両方のホームの中寄りにある臨時改札口を使ってさばいています。南側の踏切かつてはこの踏切を、京都市電稲荷線が走っていました(訂正:稲荷線は専用軌道で、この踏切の20メートルほど向こう側を横切っていました)。京阪とは平面交差していたわけです。市電と京阪の衝突事故もあったそうです。出町柳方面ホーム側の駅舎淀屋橋方面ホーム側の駅舎淀屋橋方面ホームの改札口【訂正】あきらさんから頂いたコメントのとおり、京都市電稲荷線との交差は、ホーム南側の踏切そのものではなくて、さらにその南側でした。稲荷線は全線専用軌道だったそうです。師団街道の「伏見大社前」交差点からJR奈良線の間の廃線跡は、公園になっていました。琵琶湖疏水に架かる橋も公園の一部になっています。
2013年07月26日
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七面宮への道本堂の左側に、七面宮へと向かう階段があります。日蓮聖人像途中には、日蓮上人の像があります。さらに階段が続きます。鳥居の額には「七面大明神」と書かれています。七面宮七面大明神(しちめんだいみょうじん)を祀る七面宮です。七面大明神は、日蓮宗総本山・身延山久遠寺の守護神として信仰されていましたが、やがて法華経を守護する神として、日蓮宗系の寺院で祀られるようになりました。
2013年07月23日
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宝塔寺仁王門宝塔寺の総門から入り、石畳の参道を進みます。ゆるやかな坂道を上っていくと、やがて鮮やかな朱色の仁王門が見えてきます。その奥に、本堂があります。宝塔寺本堂(重要文化財)宝塔寺は、応仁元年(1467年)、応仁の乱で焼失してしまいました。天正18年(1590年)になって伽藍が再建され、慶長13年(1608年)には本堂が建立されました。もともとは真言宗極楽寺でしたが、鎌倉時代末期の徳冶(とくじ)2年(1307年)、極楽寺の住職が日蓮宗の僧・日像(にちぞう)に帰依して改宗。日像の没後に宝塔寺となったそうです。 宝塔寺多宝塔(重要文化財)本堂の南側にある多宝塔は、応仁の乱の兵火を逃れたもので、永享10年(1438年)より以前に建立されたと言われています。京都市内に現存する多宝塔の中で最古のものだそうです。
2013年07月21日
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深草山宝塔寺(しんそうざん・ほうとうじ)京都市伏見区深草宝塔寺山町京阪本線・深草駅より南東へ徒歩10分宝塔寺は、藤原基経(ふじわらのもとつね、836~891年)が発願した極楽寺が前身とされています。基経の没後、嫡子の藤原時平(ふじわらのときひら)により、昌泰(しょうたい)2年(899年)に建立されました。はじめに出迎えてくれるのが「総門」。重要文化財に指定されています。総門の傍らには、「源氏物語」の第三十三帖「藤裏葉(ふじのうらば)」の一場面が描かれた像があります。「藤裏葉」に極楽寺の名前が出てくるそうです。「藤裏葉」では、光源氏の嫡男・夕霧の中将が、内大臣の娘・雲居の雁(くもいのかり)と結ばれます。悲劇が多い源氏物語ですが、この二人は初恋を貫き、子どもにも恵まれて幸せな結婚生活を送ったようです。総門から中に入ってみましょう。(続く)
2013年07月15日
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百丈山石峰寺京都市伏見区深草石峰寺山町京阪本線・深草駅より東へ徒歩5分狭い道を進むと、上りの石段が見えてきます。入口には「百丈山石峰禅寺」と書かれた石碑が建っています。上りの石段の上に、門が見えています。百丈山石峰寺(ひゃくじょうざん・せきほうじ)は黄檗宗の寺院で、宝永年間(1704~1711年)に黄檗宗第六世・千呆(せんがい)禅師によって創建されました。江戸時代中期に活躍した画家、伊藤若沖(じゃくちゅう)が、この石峰寺に「五百羅漢石像」(通称「若沖五百羅漢」)を残しています。安永5年(1776年)に着手し、天明年間(1781~1789年)ごろまでの間に裏山に作ったもので、若沖の下絵を石工が彫ったといいます。当時は千体以上あったと言われていますが、現在は四百数十体が残っているそうです。境内には若沖の墓があります。なお、五百羅漢の写真撮影やスケッチは禁止されています。昭和54年(1979年)、放火によって本堂が焼失しましたが、昭和60年(1985年)に再建されました。
2013年07月01日
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