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京阪本線の鳥羽街道駅には、改札口は1ヶ所しかありません。上の写真は下り(淀屋橋方面)ホームです。ホーム南側の階段を降り、地下通路を通って上り(出町柳方面)ホームにある改札口を利用します。エレベータやエスカレータもなく、まだバリアフリーには対応できていません。上り(出町柳方面)ホームの改札近くに、下り(淀屋橋方面)への地下通路の入口があります。改札口(ラチ内)改札口(ラチ外)鳥羽街道駅 駅舎改札口は南側の道路に面しています。南側の踏切から撮った様子です。左側が上り(出町柳方面)ホームで、左端が改札口です。右側は下り(淀屋橋方面)ホームで、地下通路で左側のホームと結ばれています。
2013年08月17日
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京阪本線 鳥羽街道駅京都市東山区福稲下高松町京阪本線の鳥羽街道駅は、2面2線のホームを持つ地上駅です。ホームの長さは7連までに対応しています。明治43年(1910年)、京阪本線の開通と同時に営業を始めました。終戦後、混乱を避けるために半年ほど営業を停止していたそうです。実際の「鳥羽街道」は、京阪国道(国道1号)の付近ですから、鳥羽街道駅から西へ2キロほど離れています。開業当時、東西を結ぶ「十条通」ができて鳥羽街道と直結されたことから名付けられたと言われています。いわば「鳥羽街道口」のような意味合いでしょうか。それほどに、鳥羽街道は主要な道路だったとも言えそうです。ホームの京都寄りには改札は無く、屋根もありません。京都方向(北向き)に撮った写真です。右側の線路はJR奈良線です。線路は接していますが、JR側には対応する駅はありません。
2013年08月16日
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伏見人形 窯元 「丹嘉(たんか)」京都市東山区本町22丁目京阪本線・伏見稲荷駅より北東へ徒歩5分伏見人形は、江戸時代後期に盛んに作られた郷土玩具です。全国にある土人形の元祖とも言われています。かつては伏見の街道沿いに50軒以上の窯元が軒を連ねていたと言いますが、現在も製作を続けているのは寛延年間(1750年ごろ)創業の窯元、丹嘉だけになってしまったそうです。現存する原型(土型)は2000種類ほどあるそうで、人や動物などをユーモラスに表現した人形が多くあります。伏見人形 稲山庵(とうざんあん)京都市伏見区深草藪之内町京阪本線 伏見稲荷駅より東へ徒歩3分伏見稲荷大社のすぐ近くに、伏見人形を展示している「稲山庵(とうざんあん)」という建物があります。資料によると、2002年春のオープンで、高畠商店さんが運営されております。「稲山庵」の庵主、高島喜兵衛さんは、50 歳を過ぎてから独学で伏見人形づくりに挑戦されたそうです。訪問したのは金曜日だったので閉まっていました。事前のチェックでは毎週土日に公開、平日は要予約、となっていましたので、しかたありません。しかしながら、もう一度調べてみると、高畠商店さんのHPには「勝手ながら当分の間、休業させて頂きます」と書かれていました。ちょっと残念。
2013年08月15日
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東丸(あずままる)神社伏見区深草藪之内町京阪本線・伏見稲荷駅より東へ徒歩5分JR奈良線・稲荷駅より東へ徒歩1分江戸時代中期の国学者、荷田春満(かだのあずままろ)を祭る神社です。 伏見稲荷大社の境内にありますが、独立した神社です。 荷田春満は、賀茂真淵(かものまぶち)の師であり、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)と合わせて、国学の四大人(しうし)と呼ばれています。荷田春満は、寛文9年(1669年)、伏見稲荷大社の神官の次男として生まれました。 上の写真は、神社に隣接する旧宅です(というか、神社が旧宅の敷地の一部に建てられました)。大正11年、国の史跡に指定されました。明治16年(1883年)、春満に正四位が贈られたのを記念して社殿が造営され、祀られることになりました。それ以来、「学問向上、受験合格」の神として広く崇敬されています。現在の本殿は昭和11年(1936年)に建てられたものです。赤穂浪士が討ち入りの日を決めるにあたって、吉良邸で茶会が開かれるという情報をもたらしたのが荷田春満だと言われています。吉良上野介も春満の門人だったそうです。大石良雄と親交があったとも伝えられていますが、面識はなかったという説もあります。
2013年08月14日
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先のページ(→京阪電気鉄道 伏見稲荷駅)で、あきらさんにご指摘いただいた廃線跡の位置を、もう一度現地にて確認してきました。京都市電の稲荷線は、京都市電の伏見線「勧進橋」から「稲荷」まで、距離にして700メートルほどの路線でした。全線専用軌道で、途中に停留所は無く、すべて伏見線に直通していたそうです。現在は西行き一方通行の2車線道路、「稲荷勧進橋線」になっています。写真正面が行き止まりですが、稲荷線はここを真っ直ぐに進んでいました。現在は児童公園に変わっています。右側のフェンスの中が公園です。この石垣は当時のままかもしれません。公園の先は、「砂川会館」という建物が建っていました。裏手が京阪の線路です。ここが平面交差していた場所です。京阪の踏切を越えました。ここが駅のホームからも見えていた駐車場です。奥の一段高いところに公園があります。廃線跡です。伏見稲荷大社の方角に向かって、上り勾配だったことがわかりますね。JR奈良線の手前、琵琶湖疏水の上に架けられた橋の上が、終点の「稲荷」停留所でした。現在はここも公園になっています。短い路線ですが、三が日にはたくさんの乗客を運んだのでしょうね。昭和45年(1970年)、残念ながら、伏見線と共に稲荷線も廃線となりました。
2013年08月12日
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いなりせんべい伏見稲荷大社にお参りしたあとは、こんなお土産はいかがでしょう?狐のお面の焼き菓子は、白味噌と胡麻が入った手焼きのお煎餅です。お店は3店ほどあって、本家、総本家、元祖などと名乗っているようですが、それぞれ特徴があるようです。タイミングがよければ、店の一画でお煎餅を焼いているところが見られます。店によっては、「きつねせんべい」と呼ぶところもあるみたいです。
2013年08月11日
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本殿の後ろ、千本鳥居を通り抜けると、正面に奥社奉拝所が見えてきます。 奥の院とも言われているそうで、ここから稲荷山を遙拝することができます。稲荷山はいわゆる「東山三十六峰」の最南端に位置しており、3つの峰があります。境内は約26万坪(約87万平方メートル)もあり、甲子園球場の約22倍の広さだそうです。絵馬(絵狐?)が掛っていました。目鼻はそれぞれ自分で書いています。いろんな表情があって、面白いです。奥社の傍らから、さらに参道は続いています。稲荷山を一巡りするのに約4キロ、2時間ほどかかるそうです。2時間かかると知って、ここで後戻りする観光客も多数おりました。私もここで、退却します(笑)。
2013年08月10日
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伏見稲荷大社といえば、本殿の奥から続く「千本鳥居」が有名です。紹介ビデオでは必ずここが登場しますし、ドラマのロケ地になったりもします。願い事が「通じる」あるいは「通じた」という意味で、江戸時代以降、御礼のために鳥居を奉納する習慣が広がったそうです。振り返ってみると、奉納された日付と奉納者の名前が書かれています。つまり、神様のほうに向けて書かれているんですね。稲荷山の参道全体で、約1万基の鳥居があると言われています。
2013年08月08日
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伏見稲荷大社 外拝殿伏見稲荷大社 内拝殿楼門を入ると、正面に外拝殿があります。その先にあるのが拝殿です。この日も多くの人で賑わっていました。伏見稲荷大社 本殿(重要文化財)拝殿の奥にあるのが本殿。上の写真は横から撮ったものです(右側が拝殿です)。応仁2年(1468年)の兵火によって、境内の建物はすべて焼失してしまいました。その後、本殿は、明応8年(1499年)に再興されたものです。全国に数多くある稲荷大社。「お稲荷さん」と呼ばれ、その数は3万社とも4万社とも言われています。その元締め(総本社)が「伏見稲荷大社」です。商売繁盛・五穀豊穣の神様として、厚い信仰を集めています。初詣の参拝者の数は、近畿の社寺で最多だそうです。ちなみに2012年の三が日の人出ランキングを調べると、全国5位が伏見稲荷大社(270万人)、6位が大阪の住吉大社(250万人)でした。創建は奈良時代の和銅年間(708年~715年)で、延喜式神名帳(927年)にも載っています(いわゆる式内社)。もとは「稲荷神社」が正式な名前だったようですが、戦後の昭和21年(1946年)に単独の宗教法人になり、社名が現在の「伏見稲荷大社」になったそうです。
2013年08月04日
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