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朝方だと思うんだけど、めちゃくちゃヘンな夢をみた。私は以前にも葬式の夢とか、死ぬ夢とか見たことがあるんだけど、それは病気や事故で死ぬのではなく、また暴力によって殺されるのでもなく、ただ、死ぬことになっているので死ぬ、という死刑のような感じの死に方の夢なのだ。自分が処刑される、というのはわりと小さいときに見た夢だけど、それはまるでこれから死ににいくということが分かっているのは自分だけで、まわりのひとはいたってカジュアル。もちろん、死ぬのだし、そうなったら帰ってこない、もう会えない、ということはわかっているんだけど、あまり大騒ぎしないのね。それで、私だけ一人で緊張してて、なんだか馬鹿みたい。一種恥ずかしいような感じ。だけど、行くことになっている。行かないといけない。何か、周りの人はまるで私が歯医者とか、せいぜい手術をうけにいく、くらいの度合いの扱いかたで、喪服着せられて、襟とかスカート丈とかチェックして「さ、行こうか」「忘れ物ないね」みたいな。でも、今回のはなんと他の人が処刑されるというもの。最初は自分たちが住んでいることになっている集合住宅の住人で、年配の女性。彼女はおとなしい人で、現実の世界では知り合いではないんだけど、夢の中ではとても懇意にしていて、お世話にもなっている人。藤色の似合う、銀髪の人でした。この人が処刑される。で、なんかおかしいよ、と思うんだけど、本人も含めて、しかたがないじゃない、みたいな感じ。電気椅子といっても、ぶかっこうな木の枝で作ったようなおおきな椅子で、こわれかけて骨組みだけになったとうの椅子みたい。彼女はそれに座り、周りの人が細い竹の棒を束にしたようなものを持っていて、(それで何かを支えるようになっていたような気がするけど覚えていない)側でアシストしてて、それで彼女は死んでいったのです。罪状はなんだかすごくつまらないことだったんだけど忘れてしまった。そして、次にうちのダンナが処刑されることになった。それを私がしなくてはならない。でも、椅子の具合がうまくいかないとか、竹の棒の束がバラけてる、とかでなかなかうまく行かない。本人はめんどくさそう。特に不平も言わないのです。勝手にしてよ、って感じ。だけど、いろいろ準備を手伝っているうちに、なんかおかしいじゃん、って思いはじめる。だってね、罪状が、何かの文書をつくるのに、本来スペースのみのところに、白黒の四角を交互に並べて、それが良くなかったから、(爆)ってものなのです。■□■□■□■□ってやったから、っての。目が覚めてから思い出して笑ってしまった。で、ああでもない、こうでもない、ってやっていたら、誰かが側を通って、何かいうんだけど、「何、アンタは今日は死刑執行人やってんだ。アハハ、たいへんだね。じゃ、また今度ね~」とか言っていってしまう。なんか馬鹿にされた感じでちょっといやな気分だし、ダンナを殺さないといけないなんてほんとにいまいましい、って思うのです。カジュアルだなあ。でも、そのうちこれはあまりに理不尽だし、殺されるほどのことじゃないはず。何かの間違いだろう、って思う気持ちが強くなってきて、みんな(って誰?)にこの死刑は執行されるべきでない!と主張するわけ。でも、みんなはいたって事務的で、ちっとも真面目に考えてくれない。いまこの死刑の命令を撤回してもらわなければ、本当に殺されてしまう。って思ってだんだんパニックになってきて、大声で主張するんだけど、担当の女の人はいろいろ忙しくて書類とかも見てくれない。私はしまいにはみんなが集まってお茶を飲んでいるところにまで出て行って、床に平伏してお願いします、って嘆願する。ダンナもそこにいるんだけど、全く関心なしで、足を投げ出して椅子に座っていて、不機嫌そうな顔をしている。私はその足元に座り、足をひっこめてくれないから、スペースがぜんぜん無いんだけど、そこに無理やり手をついて、頭をさげて嘆願する。そうしたら、やっとその女の人が書類を見てくれて、「あら、本当だ。これは死刑にするほどのことではないわね。こっちの手違いだったわね。Sorry」ってな感じで実にカジュアルに死刑を撤回。英語で必死に主張し嘆願していた私はぐったりと疲れてしまったのでした。そこではっと思い出したのは先ほどの年配女性のこと。彼女の時は誰も何も見直さなかったから、処刑されてしまったではないか!それでよかったはずがない!と思うのですが、もう遅い。死んでしまった人は帰ってこないのです。でも、不思議と涙もなければ感情の高ぶりもない。どういうわけだったのでしょうね。朝、目が覚めてこの夢に何か意味があるのかな、としきりに思案してました。老女の処刑は自分の中の何か古いものを抹消してしまいたい、ということだろう、と思いました。母親の影響とかもあるだろうけど、学校の先生、世の中の決まりみたいなものの人格化、など、いろいろ考えられる。実際そういう風なことを考えてなかったわけでもなかったので、きっとそういうことだろうな、と思う。夢というのはぐちゃぐちゃなので、前後とつながらないことがたくさんあるけど、この夢でも学校の教室で本を処分する、というシーンがあって、あれ、欲しかった、と思っても行ったらもう遅くて処分されたあとだったのです。そのときにその教室の先生(カナダの学校は教室がそれぞれの先生の部屋になっていて、職員室というのはない)と話したりしたのですが、ここでも古いものの処分とか、惜しいと思ってももうない、というような感情がそこにありました。そして、それは惜しんで切なくなることもなく、廃棄されたという事実を素直に受け入れる、というものでした。でも、命拾いしたダンナのほうはどうだったのか。こちらはやはり彼のことを自分の中から抹消したい、という思いと、とどめておきたい、という思いが両方あったからでは、と思う。つまり、もうこれでおしまいにしよう、と決断した部分と、だからといって、全て拒否するのではなく、感情に流されず、文明人らしく対処する(civilized way)つもりだ、という態度の表れかもしれない。それにしてもヘンな夢でした。ふとんの中でそんなことを思い巡らしていたら、息子が紙を持って入って来た。それはダンナの書置きだったのですが、それを受け取ったとき、彼がもしかしてどっかへ行ってしまったのかもしれない、と一瞬思ったのです。でも、そんな重大なことを、メモ用紙に走り書きするひとではなく、実際は単に朝早くに友達と電話で話してハイキングに行く、と決めたから、出かける、というものでした。昨日の友達と行ったのです。でも、もしかして彼が家出してしまったとしても、わりと平静に受け止めていたかもしれない。なんか、覚悟きめちゃってるなあ、私。
2005年07月10日
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またもやえさはやらぬ、とばかりのうちのダンナであります。土曜日は日本語学校の日ですが、いつもダンナの運転で、家族そろってバンクーバーの日本語学校まで息子を連れて行きます。その帰り、今日の予定を聞いたら、ダンナはポーランド人の友達と一緒にトール・シップを見に行くという。バンクーバーに今帆船が来ていて、中をみたりできるらしい。以前にもあったけど、そのときも行ったのはダンナと息子だけで、わたしはまだ見たことがない。いつ行くのか聞くと、昼ごろから行くという。でも、息子の学校が終わるのは4時すぎだ。それを言うと、お前が迎えにいけるだろ、ときた。なんかムカッとくる。そりゃ、いつも運転してもらってる、ということになっているけど、本当は朝なんか私が一人で連れていったっていいんだよね。頼んだわけじゃないのですよ。実際、朝は送っていく時間がちょうどポーランドのラジオ放送の時間で、車の中に閉じ込められて、彼しか楽しめない番組を聴かされるのです。そういうわけで、帰りにしたって私が一人で迎えにいくというのはぜんぜんかまわない。でもさ、そういう言われ方するとムカッとくるかも~。はなから私に行きたいかと聞くつもりなどないわけだし。だけど、これでちょっと腹がたって、私は機嫌が悪くなったのですよ。それなのに、家に帰ったら、いろいろと用事をいいつける。コンピュータ関係がダメな人なので、写真の加工とか、それをメールで友達に送るとかをみんな私にやらせる。彼が手書きで書いてきたポーランド語の原稿を、私がなんとかタイプする、それに彼が目を通し、私がトリミングしたり、サイズを変えたりした写真を添付して送るのです。何通も。そんなことしてるうちに、とうとう言い合いになりました。だって、自分はこれから友人と船を見に行くから、忙しいんだ。お前は迎えにいくまでまだ時間があるだろう、だからこれもやってくれたっていいだろう、みたいな感じで仕事を持ってくる。私の予定は常にオープンで、彼の側仕えだと思っているんだろうか。こっちだって、やろうと思っていたことはあるんですよ。そりゃ、いちいちカレンダーに書きこんでませんが、トールシップを見に行く、といわれたら、なんだかんだ言いながらも、それじゃ、私はこれとあれをしよう、という心積もりは瞬間的にできていたわけで。結局そのあといろいろと話をして、時間は全部つぶれました。彼の友人からは電話がはいり、船を見に行く時間がずれたので、結局彼が独りで息子を迎えに行き、その足で船を見に行き、友人とは現地で合流、ということになったのでした。私は自分の仕事が済んでなかったから行かれなかったし、ご飯のしたくもしなくてはならなかった。え?なんかへんだよね。フェアじゃないよね。しかし、このときした話は深刻なものとなり、妙な夢へと発展(?)したのでした。
2005年07月09日
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日記をずっとサボっておりました。一応メモしてあったのですが、あまりのクラさにアップするのを躊躇しておりました。今なら笑える(^o^) かな?そうでもないか、ま、良かったら読んでやってくださいまし(_ _。)ダンナが帰ってきてはや一週間。いないとやっぱりちょっと寂しいし、いろいろ不便なこともあったけど、切れた電球を二つとも取り替えてもらい、バスタブのお湯の蛇口の漏れを一時的にしろ直してもらったら、あとはけっこううっとうしかったりして。ひどい妻だなぁ。でもね、一日中家にいるのです。そして、息子の学校も終わった。こやつも家にいる。うっとうしい。実に。ダンナの仕事はこれから2ヶ月なし。だから何か別のことをしなくてはならない。でも、いままでの経験と人脈(というより、単なるつて)を使えばけっこう見つかります。だいたいにして、スキルのある人なので、そのへんは問題ないのです。でも、働く気はないんですよね。せっぱつまらないと働かない。今回も、失業保険をもらったほうがいい、ということで、まるまる2ヶ月遊ぶつもりです。予定としては、7月18日から月末まで、オカナガンにキャンプ旅行(奥さんはは連れて行かない)そして、そのあと8月の半ばまでトロントの親戚のところへ。これも、飛行機のチケットが高いから、奥さんはつれていかない。私だって、そういうふうに言われると行きたくない。それに、オカナガンはいっしょに行くのはあの、アダムなんですからね。年末年始のころに、いろいろと悶着のあったあやつです。あのときも一日じゃすまなかったし今回も泊まることになったらどうしよう。私たちの結婚のガンはこいつだ、と思うくらい、ほんとにこやつは全く、もう、もう!(これ書いたとき、かなり怒ってました。しかし、現実はさらに厳しかったのであった)
2005年07月08日
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ドーナツ・ピーチってして売っていたけど、シールにはサターン・ピーチ。土星桃。へんなの。 あ、定規あてて撮ればよかったな。ちょっと小さめです。お味は…桃の味…でした。でも、白桃の味!そうだ、そうだ。こっちではまず手に入らない、あの日本の白桃の味ではないですか!去年日本でさんざん食べたので、うっかりしてましたが、これはたいへんなことです。こっちは黄色い桃(缶詰になってるやつ)しかなかったもん。中華街で白いのを売ってたりしてましたが、ぜんぜんおいしくなかった。これは甘くて香りがあって、わりとおいしかった。でも、一ポンド3ドルは高い。ダンナがいなかった一ヶ月弱の間、私と息子の二人ではちっとも食料が減らず、最初の一週間は冷蔵庫の中のものを必死で食べたり、何かを作って冷凍したりしてました。そのあと、買い物しても20ドルくらいしか買わない。これで何日か持っていた。でもダンナが帰ってきたら、いっきに冷蔵庫は満杯。買い物も一度に50ドルとか70ドルとか。そして、今日もまた90ドル以上買ってしまった。でも、食べるんだもんね。そして、食べ物はちゃんとしてないといけない。だからすごい量と金額です。そしてヘンなものも買ってしまう。しょうもないなあ。でも、こういう珍しいものって家族がそろってないときには買わない。それで、タタが帰ってきてからにしようね、ってことになってたものを一気にいろいろ買うからいけないんですよね。
2005年07月07日
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Lamb's Quarters という野菜があります。でもこれ、普通は雑草として抜かれているんですよね。日本にもあるのか良く分からないのですが、アカザ科のシロザというのがどうやらそれみたいです。シロザは大きくなったら、紅色になる、とありますが、これはあまり赤くはなりません。赤紫蘇と青紫蘇のように、混ざることはあるようで、うっすらと赤いのもありますが。ラムスクウォーターズはほうれん草の代わりになるもので、ビタミンCも鉄分も豊かにあるらしい。ついでに蓚酸塩もあるので、やっぱりたくさんは食べないほうがいいかもしれませんね。実はコミュニティーガーデンでいっぱい生えていたので、取ってきたんです。隣近所の畑にもいっぱい生えてる。わざと生やしているわけではないのは見ればわかります。だからそれも頂戴してきました。大きくなったものは硬いので、やわらかいところだけをむしり、洗って水気を切らずにそのままフライパンへ。 しんなりしたら、水気を絞り、ほうれん草と同じようにあつかいます。これで、以前教えてもらったボスニアの料理を作りました。カッテージチーズがあったので、それをリコタチーズやフェタチーズの代わりにしました。ラムズクウォーターズの加熱したもの2カップくらいと、カッテージチーズ1カップ、卵2個って感じかな。適当です。それでもけっこうおいしかった。久々のゼリャニッツァ。 フィロは日本ではなかなか入手しにくいかもしれません。だからといって、作るのも大変。パイペストリーで代用というわけにもいかないし。春巻きの皮を何倍にも薄く伸ばすとか??このさくさくした感じを出すには、一枚ごとに油を振るのですが、ペストリーそのものには油は入ってないんですよね。箒の柄ほどの長い麺棒と、ダブルベッドくらいの大きなテーブルがあればできるそうです。んなもん、あるわきゃないでしょ。ってことで冷凍のを買ってくるわけですけど、ユーゴの友人は、市販のは分厚くてね、だって。ボスニアに行ったら、彼女の友人のお母さんで、フィロ作りの名人と言われている人を訪ねていって、作ってもらいたい。しかし、ユーゴ、戦争の前に行っておきたかったです。美しい街なみが、戦火にやかれ、銃創で見るも無残な姿になった写真を見ました。戦争はほんとうにむごいですよね。
2005年07月06日
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なんだかすっごい長いあいだ日記を書いてませんでした。それでも見に来てくださったかたがた、ありがとうございます。もっとちゃんと書かないとダメですね。記憶はどんどんうすれていきます。書いてないときというのは、忙しいときで、忙しいと言うことはいろいろと出来事があった、ということにもなります。なのに、それを書いてない。メモもしてない。残念。でも、写真は少しあります。まず、いちごとルバーブでちょっとだけジャムを作りました。 ペクチンを入れすぎて、硬くなってしまいました。穴が開いてしまいます。左のは以前作ったミックスフルーツのジャム。こっちはとろとろでフルーツソースみたい。なかなかうまくいきません。ルバーブは中央ヨーロッパ人にとって、夏の訪れの植物のようで、うちの畑にも植わってます。蕗のような植物ですが、茎は真っ赤。とっても酸っぱくて、そのままではあまり齧らない方がいいみたい。葉っぱは毒といわれていて、食べてはいけないのです。毒といっても、せいぜいが下痢くらいのことでしょうが。だって、これ、漢方薬の下剤であるダイオウ(大黄)と同じ種類の植物なんですよね。蕗も葉っぱは食べちゃいけない、って聞きましたけど、食べる人もいるようですね。本当はどうなんでしょうね。そして、新しい服を買ってもらったうちの息子。 Tシャツとジャケットとサングラスと帽子。あわせて大体60ドルだから5000円ちょっと。日本だと安いと思うけど、カナダだとそれほど感動的に安くはない。でもね、このシャツ、色落ちがすごかったんです。で、洗濯機に入れて、脱水した後、ちょっとそのままにしておいたら、背中のところに裾の濃い色のところがついてしまい、だだだーっとしみが付いてしまいました。くやしい。でも、処分品だったので、ファイナルセール。すぐに干さなかった私のせいでもあるし、その店までいく交通費も考えると、文句を言いにいくってのも、ちょっと…。え?そういうの、文句いいに行くの?って?カナダでは取り替えてもらいに行っちゃいます。お店で働いていた時知ったのですが、そういうのをみんな当たり前のように取替えに来るんです。お店も特に何も言わずに取り替えます。まあ、店にもよりますが。そしてまこにゃん。久しぶりに写真を撮りました。これがこないだの黒猫ビビのおかあさんです。どうしてこんなに違うのに親子なんだろうか。でも、親子です。母親の自覚は全く無し。ビビのご飯を横取りして、肥り放題肥ってます。チャームポイントはでか耳。7月1日にダンナが帰ってきて、またごたごたと忙しい日々となりました。そのことはまた今度。
2005年07月05日
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