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風のない静かな朝、江戸川土手かに富士山の裾野に棚引く雲がみえた。富士山の五合目から見ると雲海が広がっていると思う。肉眼では見づらいが、望遠レンズを通すと確認できる。 当初、富士山の南側に、黒い雲が棚引いていると思った。しかし、よく見ると見慣れた丹沢山地の山容だった。昨年の茜雲と富士山を撮影したものと比較できるよう添付する。 前日と温度差が大きくなる春や秋に雲海が発生する。そして大気が静かなに留まれるスペースが地形条件になるとされる。飛行機で海外旅行など、小窓から眼下に広がる雲の海原をよく見かける。新型コロナ禍で、一般人が海外旅行できるのは、東京オリンピック後と言われている。その分、国内旅行が増えるのでないかと単純に思った。写真-1 薄明の紺色の富士山。写真-2 雲海富士とレンズ雲。写真-3 丹沢山地の「島影」。写真-4 雲海の山容と茜雲(昨年撮影)。写真-5 静かな江戸川の流れ。
2020年09月28日
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江戸川の水面に、揺れる十六夜の月があった。肌色かがった富士山の頭上に丸い月が残っていた。日の出を過ぎると徐々に消えて行く。西から雨雲が移動してくる兆候の空模様。 月齢16日の月夜は、十六夜。または既望(きぼう)とも言う。十五夜の月を望月というので、すでに満月は過ぎたとの意味。また、「いざよい」は、猶予う(いざよう)に通じる。月の出が望月より遅れて、ためらうように月が昇る。 長い間、ためらうことを強いていたことが問題になった。新型コロナウイルス検査の基準である。先日、厚労相が言い放った一言。「37.5度以上の発熱・4日以上は、目安で基準ではない」。保健所や国民が誤解していたという。誤解した方が悪いと・・。保身と逃げ口を用意しておく人のようだ・・。 医療関係者に迷惑をかけるから、39度の発熱でも自宅で耐えた人は少なくない。死亡した後に陽性になった人もいる。あの世に行った故人は、抗議もできない。情けない人達がコロナ対策の中心にいるとしか思えない。秋に訪れるという第2波の感染までに、体制を刷新してほしいものだ。写真-1 十六夜残月と富士山。写真-2 江戸川に浮かんだ残月。写真-3 江戸川土手から見た早朝の十六夜月。重ね写真。写真-4 紅富士とクレーン群。写真-5 紅富士と重ね雲と淡月
2020年05月15日
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新コロナ」の自粛ムードのため、相変わらず近隣を散歩する。日々変わりゆく工事現場の近くを通ると進捗状況が気になる。建設機械群に見え隠れする富士山がある。 富士山は、「不二の山」とも表記される。二つとない美しい山が由来。江戸時代の浮世絵師・歌川広重は、「不二三十六景」を顕した。葛飾北斎は富士を富嶽と表した。不二と富嶽、ライバル意識を感じる。 工事現場では、労災事故のゼロで竣工することを目標としている。無事故は不二己に通じる。特に作業所内で死亡事故を起こすと、工事が一時ストップする。現場規模が大きいほど、経済損失も大きくなる。1年間で約900人が労災事故で亡くなっている。その3分の1は、建設業とされる。 天気の良い日は、高所の足場から富士山がよく見えると思う。気を盗られず、足を滑らせずに、ご安全に・・。写真-1 基礎工事機械と富士山。写真-2 大型クレーンと不二さん。写真-3 工事現場の遠景。写真-4 クラムセル掘削機と富嶽。写真-5 江戸川土手と富士。
2020年03月24日
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黄色い毛布を敷き詰めたような江戸川土手。土手越の白い富士は、遠くにあっても目につく。さながら白いピラミッドのようだ。同時刻に多くの人が眺めていることだろう。菜の花が咲くなかで、白い弥生富士を見ることができる時期はそう長くない。 暖冬なのに富士山の山頂は、積雪量が多いように見える。厚化粧をした白い富士は、遠くからでもよく見える。1月、2月に見える富士は硬く感じ、3月・4月の白さは軟らかく感じる。少しぼやけて見える富士は。春霞に浮かんでいた・・。写真-1 江戸川土手と弥生の富士。写真-2 厚化粧したやわらかな富士。写真-3 菜の土手と白き富士。写真-4 土手越の浮き富士。写真-5 江戸川の左岸堤防から顔を出した富士山とスカイツリー。
2020年03月11日
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舞浜海岸を歩く。利根運河から江戸川を31Km下ると舞浜の海に到る。東京湾の埋立地であり、河口東側に東京ディズニーランドが広がる。その施設とホテルを守るように、強固な岸壁が取り囲む。岸壁の背面は、遊歩道とチャリ道が整備されている。 東京ディズニーランドの外周散歩を行う。1周約5700m、散歩距離としては少し長い。しかし、富士山や東京湾の景色を見ながら歩くと疲れない。 東京湾を行き交う船舶が浮き上がって見えた。蜃気楼の一種、浮島現象だろうか。富士山が顔を出していたので、東京ゲートブリッジとのツーショットを撮影。2月中旬になると、ダイヤモンド富士が見られるので、賑わう遊歩道だ。今は静かな散歩道・・。写真-1 舞浜海岸の名物、「恐竜橋頭上の富士」。写真-2 蜃気楼の一種、浮島現象か・・。写真-3 プレジャーボートが沖へ向かう。写真-4 羽根空港と横浜方面を望む。写真-5 舞浜の岸壁背面は、遊歩道が整備されている。
2020年01月27日
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1月中旬まで記録的暖冬が続いた。夕散歩する人、ジョギングする人には大変都合が良かった。ダイヤモンド富士が撮影できる期間が過ぎたので、江戸川の夕土手は寂しくなった。鉄塔や送電線が邪魔になるためだ。「今は冬 誰もいない土手」・・の歌声が聞こえそうだ。遠くに黒い富士がいた。 暖冬・雪不足は、観光・レジャー業に打撃を与えている。例えば、2月4日開催の札幌雪まつりだ。正月明けから大通り公園に雪運搬を開始している。市内からでは十分な雪量が確保できないとのことで、遠い倶知安の方から運搬している。除雪費よりも加雪費の出費が増えそうだ・・。写真-1 黄金の空に黒い富士山。写真-2 山頂に沈む夕日。写真-3 ダイヤモンド富士の輝き。写真-4 茜雲が灰色雲になると富士も闇に溶け込む。写真-5 茜色の空をバックに東京スカイツリー。
2020年01月20日
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年が変わると、利根運河から玉葉橋までの江戸川土手からのダイヤモンド富士景が終わる。先月27日と28日の夕散歩の際に撮影したものを整理した。雲間に輝く、富士山頂の夕光があった。 年末の天気は、変化の多い1週間。快晴・強風・降雨の繰り返し。それでも暖かな日が2日間あり、大掃除が進んだ。家の内と外の「垢(あか)」落し、そして物品の整理整頓を1時間以上続けると足腰が痛くなる。なので、休みやすみの仕事となる。12月末には終わらず、新年に持ち越している・・。 今回の年末年始、一般サラリーマンは9連休が多い。大手コンピニや外食チェーン店では、元日と2日は休業した店が多い。働き方改革と人手不足の対応となった。長い正月休みも終わりだ。海外旅行組の帰国ラッシュが始まっている。 小生は、昨年12月にNZ国を旅行した日記を作成中だ。雨に「恵まれた」旅行記となる。雄大な自然と美しい景色を作る基(もと)は雨と風である。雨を恨んでも仕方ないことだ・・。災害・交通事故に遭わなかったことを善とすべきだ。写真-1 雲の切れ間に山頂が顔を出した。写真-2 束の間、山頂が輝く。写真-3 12月27日のダイヤモンド富士景。写真-4 南斜面にライオンの鬣のような地吹雪か・・。写真-5 年末の風物詩、江戸川土手の撮影会。
2020年01月04日
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江戸川左岸土手を夕散歩する。このところ、3日に1景ほど夕富士が見える。独立峰である富士山は、風などにより雲が出来易い。いや、雲を湧かせる日本一の山だ。見るたびに、富士見景に変化がある。 夕刻、師走から正月にかけて富士山の後方が夕陽と雲で色づく。しばらくするとダイヤモンド富士景が去る。江戸川土手は、もの淋しくなる。北風が川面と土手を吹き抜ける。 今年、政治家・トップ官僚のモラル低下、質的劣化が目立った年。都合の悪い公文書は、消失させて追及を避ける行政とはいかがなものか。子ども騙しと思える言い逃れが、立法府たる国会でまかり通る時代に・・。大型事業準備段階で、現職の国会議員が逮捕される年末になった。氷山の一角なのだろうか・・。写真-1 富士山の周りに湧き出した雲。写真-2 富士山頂が明るくなる。クジラの尾のような雲形が・・。写真-3 秩父山地と武甲山。写真-4 山頂に雲が流れて来た。写真-5 茜雲が広がった西の空。
2019年12月30日
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太陽が南西に沈む冬至の前後、利根運河河口付近の江戸川土手は、この時期限定で賑わう。ダイヤモンド富士の情景を2週間程楽しめる。但し、富士山まで遠いため、夕日が富士山頂からはみ出してしまう。冬至を過ぎると太陽は、江戸川上流へ移動してゆく。 2019年師走は、各地暖冬のようだ。スキー場は雪不足で悩んでいる。新潟側のスキー場は、オープンしている処があるが、群馬側は苦戦している。20年以上前、年末年始の休暇を利用して、上越国際スキー場へよく出向いた。その「上越国際」は、いまだオープンがままならない。例年より2週間遅れている。 12月の東京(アメダム観測)は、最高気温15度を越えた日が8日あった。秋のような気候、変わりやすい秋の天気に似ていた。傘の出番も多かった。それなのに、インフルエンザが平年より流行している。1週間前に予防接種した。少し安心か・・。写真-1 棚引く夕雲とダイヤモンド富士。写真-2 空が赤く燃えて来た。写真-3 山頂の雲が流れ去った・・。写真-4 江戸川の水面が紫色に・・。写真-5 街の明りが灯る頃。
2019年12月24日
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夕方、江戸川土手を歩く。西の空、富士山の上に雲が広がっていた。茜雲になるかと思ったが、紅く焼けることはなかった。黒い雲と影富士が次第に夕闇に溶け込んで行く。 先月は暖かい日と寒い日の寒暖差が大きかった。身体が気温変化について行けず、いまだ風邪気味だ。暑さは台風から変わった熱帯低気圧が持ち込んだもの。寒さは寒気団の南下による。南と北で天候の綱引きをしているようだ。 11月に台風が6個発生したのは観測史上最タイだという。今年、千葉県は台風に泣かされた。これまで、台風通過の空白地であったのかも知れない。来年からは、「通り道」の一つになることを想定しておこう・・。写真-1 黒い雲が垂れこめた西の空。写真-2 影絵のような富士。写真-3 秩父山地に彩雲。写真-4 日没の黒き富士。写真-5 一瞬の僅かな茜雲。
2019年12月04日
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富士山が雪化粧を増したので、当地流山市からもその姿が良く見えるようになった。南西方向が開けている玉葉橋付近は、関東の富士見百景のひとつ。千葉県から埼玉県へ橋を渡る際には、正面に富士山が見えるはず。橋の上に富士山を載せた構図を試みた。 開山期間中(7月1日から9月10日)の富士登山者数は、今年23.6万人だという。9月中旬以降の閉山期間にも富士登山するが多いそうだ。遭難・滑落に備えて、御殿場山岳救助隊では、早期発見のためにスマートドロンを使用したとか。閉山期間の厳守事項の呼び掛けをしている。つまり、(1)十分な装備、(2)登山計画書提出、(3)携行トイレ等の3ルール。 今年8月下旬、山頂付近で落石による死亡事故が発生した。世界遺産であるのに、登山道や危険個所の整備に手が回っていないようだ。徴収した任意入山料の多くが施設運営費に消えるという。入山者制限や入山料の確実性を高め、登山道などの整備に力を入れる秋(とき)が来ている・・。写真-1 玉葉橋上の白富士。千葉県から埼玉県へ渡る。写真-2 関東の富士見百景のひとつ。写真-3 橋桁の上に富士山。写真-4 歩道橋の上に富士山。写真-5 筑波山と笠雲を載せた富士。
2019年11月28日
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流山江戸川から富士山が見える日が多くなった。季節は冬へ、空気が乾燥していることを示すバロメーターだ。乾燥した風が吹くと、枯れ葉は走り、ウィルスは舞い上がる。うがいと手洗い励行の季節・・。 富士山の冠雪が徐々に下がってきた。五合目ぐらいに達した。雪斜面に朝日が当り桃色ないし桜色に染まる。日の出前後の約10分間の眺めである。 桜と言えば、政界は季節外れの「桜を見る会」に話しの花が咲いた。長期政権の弊害が焙り出た感がある。権力に群れる一コマか・・。会の費用が約5,500万円、参加人数18,000人。事業仕分けしてほしいものだ。特権階級の花見の感がある。来年から3000円会費で行うと、0.5億円以上が集まるのだが・・。写真-1 日の出前の桃色の空と薄暗い富士。写真-2 朝日を浴びる富士山系。写真-3 日の出直後、桜色に染まる富士山。写真-4 朝陽をうける東京スカイツリー。写真-5 秋色づいた土手と白き富士。写真-6 徐草されたサイクリングロード。
2019年11月23日
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前日の荒れた天気が嘘のように晴れるのも、また秋だ。10月は晴れの日が少ない。たまに訪れた秋晴れに、富士の白い冠がまぶしい。10月22日が「富士山の初冠雪」日と報じていた。 令和元年の初冠雪は、平年より22日遅く、過去3番目に遅いという。早い初冠雪年は2008年の8月9日。遅い年が2016年10月26日。振れ幅が2月半におよぶ。これは台風の「当り年」と関係ありそうだ。台風が関東寄りのコースを選択したことによるものか・・。 利根川水系の印旛沼が26日11時頃、氾濫危険水位になった。近接する佐倉市の浸水地域の水がひかない。また、昨夜、成田国際空港で約3000名が交通手段を失い、空港内で一夜を過ごす外国人がいた。タイガー・ウッズが参加している印西市で行われているゴルフ大会は、無観客で実施したとか・・。 即位礼の日は雨だった。ぐずついた日が続く10月。いやそんな生易しい言葉は不適当だ。25日またしても関東・東北地域を大雨が襲う。各地10月観測史上最大の降雨量となった。繰り返しやって来る災害。非情な「イノシシ年」だ。いや猪より強い「熊」年かも知れない・・。写真-1 白い冠を頂いた富士山。写真-2 久しぶりの青空と江戸川。写真-3 江戸川土手から見た冠雪富士。写真-4 シートが垂れ下がっている鉄塔。強風被害か・・。写真-5 実りの秋だが・・。近隣の柿、そのうちカラスが集う。
2019年10月27日
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利根運河が運河らしい光景になった。台風19号によって江戸川のバックウォーターで運河内の水位も上昇したため。平時の運河は、平均流量6m3/秒の小規模な水路。しかし水位が江戸川と連動するため、一級河川に指定されている。 利根運河は、銚子と東京を結ぶ水運のために造れたもの。明治23年(1890年)から戦前までの約50年間供用された。運河の終焉は、物流の主体が陸路に転換したこともあるが、直前の台風災害が大きく影響した。利根川から大量の土砂が押し寄せ、水路全長に渡る堆積したことで決定打となる。 その後、派川利根川とも呼ばれ、500m3/秒の洪水を江戸川へ放流する計画や、暫定導水路として活用される。治水・利水としての役割は、昭和50年をもって終わる。退役兵士して、水辺の環境保全を見守っている。 一時的な往年の運河は、2日間でその姿を消しした。この間、ボートの練習場になったかもしれない。ボートから遠富士が見えたかもしれない。褐色濁水と立木があるので、カヌーの練習には向かない・・。写真-1 利根運河左岸の堤防背面側。運河河口方面を望む。写真-2 昔の人も運河から富士を眺めていたか・・。写真-3 運河の上流(利根川)方面を見る。運河大橋と筑波山。写真-4 上昇した水位を見ながら散歩。写真-5 江戸川のバックウォーターでボートが浮かびそう・・。
2019年10月22日
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新倉山浅間公園の東斜面は、数百本の桜とともに散策路が整備されている。ほとんど桜の木は、まだ若い。ここから富士吉田市街と富士山のパノラマミックな景色が見える。関東の富士見百景(97)に選定されている。 浅間公園の頂部にある「富士パノラマ台」からは、左右バランスのとれた山容を望むことができる。少し潰れたように見える・・。長く伸びた裾野稜線がそう思わせるのかも知れない。 富士パノラマ台から10分ほど上ると、アヤメ群生地がある。6月上旬に見ごろになり、「新倉山あやめ祭り」が開催される。富士山を背景に、咲き誇るアヤメ風景が人気スポットだ。その頃に訪れことはできそうもないので、ガイドブックの写真を添付しておきます。写真-1 パノラマ台から見た裾広がりの富士。写真-2 下吉田駅から新倉山浅間公園を望む。写真-3 浅間公園の桜散策路から見た富士。写真-4 斜面公園の桜と杓子山(EL.1597)。写真-5 六月のアヤメ群生地。[ガイドブックより]写真-6 浅間公園までの見取図。
2019年04月23日
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特に桜の時期、外国人に人気が高い新倉山浅間公園。富士山と桜と五重塔、「 The Japan 」を望む景色は、まるで絵葉書の世界・・。富士吉田市新倉山の中腹に造園されたサクラ公園。 今では富士山撮影の有名な場所となっている。20年前、この場所はあまり知られていなかった。若い頃この辺りをドライブしたことがあるが記憶ない。2011年タイ観光会社へのアピールしたことがきっかけとなり、ブームとなる。「京都と富士を同時に見ることができる場所」として拡散した。 忠霊塔は、富士吉田市の戦没者慰霊塔として昭和37年に建てられた。大きいとは言えない五重塔(本体13m+相輪6.5m)だ。しかし、存在感のある19.5mの塔である。五重塔としては、大阪四天王寺を模したコンクリート製の建造物。 桜が満開になると忠霊塔裏の小さな展望デッキは、順番待ちの長蛇の列が出来る。整理員が配置されているため、トラブルは少ない。30分以上並び、2、3分間で鑑賞と撮影してデッキを降りる。確かに外国人観光客の多い公園だった・・。写真-1 ザ・ニッポンとして紹介された「京都と富士を同時に見える場所?」。写真-2 咲くや姫階段(398段)は、浅間神社の祭神「コノハナサクヤヒメ」に因んでいる。写真-3 1055柱の戦没者を慰霊する五重塔・忠霊塔。写真-4 外国人に人気の三点セットの絶景。写真-5 午前中の展望デッキは長蛇列。午後には逆光となる。写真-6 撮影ポイントの案内図。
2019年04月20日
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春北風(はるならい)の吹くなか、江戸川土手をゆく。昨日の雪と雨で、ホコリを一掃させた北風。そのおかげで、遠くの山々が良く見えた。特に白い衣を纏った富士山がくっきり見えた。平成最後の降雪だという。朝散して、少し得した気分になる。まだ6分ほど残っている運河口の桜をも観る。 先日(4/10)上空の強い寒気の影響で関東に季節外れの雪となった。観光地でも桜に雪が積もる。奥日光26cm、草津14cm、河口湖6cm。四月に雪を見るのは珍しくないが、とにかく寒かった一日。今年の春は、気温のアップダウンが激しい。ジェットコースターのようだという気象予報士もいる。 春吹く風を表す呼び方は、「はるならい」の他に、「はるはやて(春疾風)」、桜まじ、東風(こち)などがある。花粉を運ぶ風は、何というのだろう・・。勝手に「なみだかぜ(涙風)」と命名した。写真-1 春北風に吹かれて富士白き写真-2 なごり菜の花と富士山。写真-3 丹沢山地も白っぽく見える。写真-4 江戸川土手と真っ白き富士。写真-5 秩父山地、武甲山と妙義山が見えた。写真-6 新宿副都心ビル群を望む。
2019年04月12日
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昨年末は、家・庭の大掃除のために、都内などへ出かけずに過ごす。江戸川土手を夕散歩する機会が増えた。関東は乾燥した好天が続く。遠くの富士山が見える機会と時間が多くなる。この時期限定で、ダイヤモンド富士になるので、場所を変えて撮影する。 クリスマスを過ぎると、夕日が富士山に沈む光景位置が徐々に下流に移る。利根運河から下流ポイントでは、視界に送電線や鉄塔が入る。するとダイヤモンド富士を撮影する人々も激減し、日常の土手道になる。 12月30日と12月31日のダイヤモンド富士をアップする。それぞれ、江戸川と平行に走る町道と利根運河口下流から撮影したもの。一月になっても、しばらく好天が続くので楽しめる。しかし、中旬以降は関東でも大雪になることが過去に多い。小生のアルバイト「仕事はじめ」は7日。通勤ラッシュが・・。 写真-1 町道から見た夕陽(12月30日)。写真-2 富士山頂西側のダイヤモンド富士。写真-3 利根運河口下流から見た雲中から降りてきた夕陽。写真-4 富士山頂東側のダイヤモンド富士(大晦日)。写真-5 送電線と平成30年最後の夕富士。丹沢の山々が見えた。
2019年01月04日
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江戸川土手から年末のダイヤモンド富士を撮影する。夕方、富士山の上空には、蓋をするような厚い雲があった。山頂のシルエットは良く見えた。陽が沈んだ後、黒い雲は帽子のような雲に変化した。 12月27日から「年の瀬寒波」が居座る。日本海側を中心に、強風、大雪、吹雪で天候が大荒れだ。帰省ラッシュにも影響が出ているようだ。20181228のダイヤモンド富士が見えた。16時20分頃の気象状態は、気温4度×北北西の風4m/秒。身体が冷えたので帰宅した後、生姜湯を飲んだ。写真-1 帽子のような雲が・・。写真-2 厚い雲の下、富士山頂に陽が落ちる。写真-3 東側に寄ったダイヤモンド富士。写真-4 夕富士を飾る茜雲。写真-5 江戸川と夜富士。
2018年12月29日
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富士山頂が茜雲で彩られた。最近、膝の調子が思わしくないので、ランを控えてウォーキングすることが多い。この日の土手散歩は、夕焼けが美しかった。関東の日の入りは16時30分と暗くなるのが早い。冬至なのだ。 日の入り時刻が早くなると流山・江戸川土手は、ダイヤモンド富士の季節だ。これから年末にかけて土手が賑わう。天気が良ければ、背後から陽に照らされた富士山のシルエットを眺めることができる。雲の出方次第で、異なる夕景となる。写真-1 富士山の三合目付近に沈む陽。写真-2 江戸川から夕富士を見る。写真-3 茜雲が広がった西の空。写真-4 山頂の輝雲と筋雲。写真-5 スカイツリー方面を望む。
2018年12月12日
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平成30年も12月師走に入った。夜明け時刻が遅くなり、冷たい空気が澄んできた。従って、遠くの富士山を見る機会か増えた。御来光を浴びて、一日を始める人々が少なくない。そこで振り返ると、朝日に照らされた富士山がある。 江戸川土手から「紅富士」は見えない。しかし、日の出直前、白い山肌が一瞬ピンク色になる。女性的な優しい表情を見せる富士である。陽が昇るにつれて、普段の白い富士に戻る。 朝メシ前散歩する日、自宅を出る午前6時は、まだ暗い。135mmズームレンズを付けたものを小さなリックに入れて出発。江戸川土手に上る頃には、身体が暖かくなっている。そして、遠くに富士山を見てホットする。写真-1 夜明け前の江戸川。写真-2 朝日に浴びて、ピンク色に染まる桃色富士。写真-3 流山丘陵の御来光。写真-4 河川敷と白い富士。写真-5 穏やかに流れる江戸川。
2018年12月02日
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よく晴れた日、しばしば玉葉橋まで足をのばす。江戸川に架かるこの橋からは、富士山の北稜線が美しくみえる。長散歩から自宅に戻るころには、身体がぽかぽかに・・。 玉葉橋は、埼玉県と千葉県との県境・県道を通す。長さ約415mあり、富士山に向かって架けられている。千葉県側から橋を渡ると正面に富士がある。 富士見橋、富士見台という名称・ロゴは、関東には到るところにある。しかし、近年、都市開発が進んで、富士見ができない所が増加。その名前にふさわしくないところもある。玉葉橋は、以前として「富士見橋」である。写真-1 玉葉橋下流から富士見。写真-2 玉葉橋上流から富士見。写真-3 玉葉橋は「富士見橋」。写真-4 田畑との高低差が大きい玉葉橋東詰。写真-5 吉川市・越谷市方面の視界が開けている。 写真-6 武甲山と妙義山を遠望する。
2018年02月09日
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久しぶりに富士山に懸かる笠雲を遠望した。夕暮れなので、はっきりとは見えないがベレー帽のような形だ。「ひさし笠」のようにも見える。 そのひさし笠を夕陽が燃やすような光景だ。しばらくすると熾火(おきび)のような色へ変化。火勢が盛んな炭火のように・・。 観天気望によれば、富士山が笠をかぶれば、近いうちに雨になると言われている。2日後に関東南部に雨が降った。乾燥続きの都会に恵みの雨と湿気をもたらしてくれた。写真-1 夕富士にベレー帽のような笠雲が懸かった。写真-2 夕陽が笠を燃やすような光景が・・。写真-3 周りの雲を赤く染めあげる夕空。写真-4 熾火のような光景。写真-5 江戸川と遠き夕富士。
2018年01月20日
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夕日が富士山に近づくと、山頂がくっきり浮かび上がる。この時期、天気が良ければ観られる光景だ。この日、太陽光が強めだったので、薄めのNDフィルターをかざして撮影した。 太陽が演出する自然ショーは短い。富士山頂に太陽が接してから、隠れるまで僅か5分間ほど。飛行機雲がささやかな効果を演じてくれた。 日没時刻をスマホで確認して、江戸川土手に向かう。ダイヤモンド富士が見られる地点が一日いちにち下流側に移動して行く。そろそろ、小生の散歩テリトリーから外れる。しかし雨・雪が降らない限り、夕散歩へ出かけよう・・。写真-1 太陽が富士山頂に近づく。写真-2 山頂に太陽円が接する。写真-3 向かって右側のピークは白山岳(標高3776m)か・・。写真-4 飛行機雲がよく見える日だった。写真-5 都心の方を望む
2018年01月13日
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夕散歩すると、富士山周辺の空が橙(だいだい)色に染まることが多い。太陽は白色に見えるが、富士山頂背景を橙色に照らす。そして、黒色と橙色の景色がしばらく続く。 橙色は、「鮮やかな黄赤」とも表現される。暖かさ、温もり、膨張、楽しさの色イメージがある。また、「代々だいだい」に通じ、縁起の良い果実の色である。鏡餅の上に載せるのは、「だいだい」だ。一般家庭では、身近なミカンが多い。安くて美味しい・・、かつビタミンが詰まっているので・・。 西洋では果実・橙を「ビターオレンジ」と呼ぶそうだ。実が木についたまま落ちないとされる。冬に橙色に色付く。暖かくなるとまた青くなるという。ひとつの木に何代もの実が一緒になることから、昔から縁起物とされてきた。受験生にとってもゲン担ぎの実である。写真-1 鮮やかな黄赤色の空。写真-2 白い太陽を包み込む橙色。写真-3 太陽が富士に隠れる。写真-4 シルエットが美しい黒富士写真-5 冬に色付く橙の実。
2018年01月10日
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今季、江戸川(流山)から富士山が見える日が多い。南岸低気圧が関東沿岸に近づかないせいであろうか。はたまた、ラニーニャ現象の影響なのか・・。おかげで、江戸川左岸と運河の土手散歩しながら、夕富士を撮影する機会も増えた。 日中風が強くても、夕方弱くなることが多い。そんな日は、カメラを肩にかけて散歩することが苦痛ではない。この時期、ダイヤモンド富士になるが、日没後の雲景色も見応えがある。日々変化する西の空は、ひとつの楽しみでもある。 利根運河と江戸川との合流点に、運河河口公園がある。西方を見渡すことができる場所。特に冬晴れ日は、夕景の名所になる。運河をウォーキングする人、チャリンコ隊の恰好の休憩所になる。トイレがないのが難点だが・・。写真-1 「ダイヤモンド富士」くずれ。写真-2 噴火したような富士山が・・。写真-3 オタマジャクシのような雲が近づいて来た。写真-4 「街の灯りちらちら あれは何をささやく・・」。写真-5 運河口の四阿と夕富士。
2018年01月07日
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冬、富士は白くなければ、さまにならない。遠くから眺める場合、白い方が見つけ易いし、大きく感じる。今年は富士高根に降る雪は、例年より少ない。そのため山頂部の雪が風で吹き飛ばされるらしい。「禿げ富士」と揶揄されている。 流山からだと、富士山は南西方向にある。つまり富士山の北東斜面が見えることになる。富士山登山ルート4つのうち、須走ルートが見えていることになる。登山道は、遠すぎて見えず。 15年程前、富士山登山をした。その際、下山ルートとして須走を滑るように降りた。登山靴の中に砂や礫が入り、難儀したことを思い出す・・。写真-1 江戸川右岸土手と遠望の富士。写真-2 河川敷ゴルフ場と白き富士。写真-3 江戸川の流れ。水位がかなり低い。写真-4 左岸土手と「舞雲」。写真-5 玉葉橋と筑波山。
2018年01月02日
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師走後半になると、利根運河口から京葉橋にかけて江戸川土手が賑わう。ダイヤモンド富士を撮影するためだ。しかし、ここからは富士山頂より夕陽が大きく見えるので、なかなかダイヤモンドの輝きになりづらい。それでも色々な表情を見せる西の空である。 山頂の上が白く、柔らかく輝く夕日。線のように伸びる雲の赤い稜線。そんな富士と西空があった。大晦日まで土手は賑わう。その後静かになる。年内のアルバイトを終えた。年末掃除が待っている。腰と膝に気を付けて、乗り切ろうと思う。写真-1 富士山頂に柔らかく輝く夕日。写真-2 くっきりとシルエットが浮かび上がる。写真-3 江戸川土手の夕暮れ。写真-4 山頂に被さるように下弦の太陽。写真-5 雲の稜線が赤く伸びた。 写真-6 川面に写った飛行機雲。
2017年12月27日
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雲海に浮かぶ富士山を筑波山梅林から見る。ほどなくして雲海が消え、富士山はぼやけてしまう。もう30分早く到着していたならば、ゆっくりお茶を飲みながら景色を堪能できた・・。つくば駅のシャトルバス始発が8時なので、梅林に着いたのは9時頃。 筑波山中腹(標高250m付近)の南斜面に広がる梅林。所々に休息場がある。遠くはスカイツリーを見渡すことができる梅園だ。白梅、紅梅など約1000本の梅が植えられている。男体山が北風をブロックしてくれる。暖かな観梅日和・・。 筑波山からの富士見は、「関東の富士見百景」に選定されている。筑波山には数回登ったが、富士山を見かけることはなかった。今回、梅林の雲海富士に遭遇することができた。梅の開花状況は、七分咲き程度。梅見期間は長い。今年の梅まつりは、2月25日から3月20日となっている。写真-1 雲海の富士を筑波山梅林から望む。写真-2 雲海の富士山。写真-3 遠望の富士と梅林斜面。写真-4 梅林頂上の展望四阿から東側の山を望む。写真-5 展望四阿(あづまや)の景色。写真-6 雲海の彼方に浮かぶ富士。
2017年03月07日
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絶景とはとても言えないが、富士山が良く見える街・流山。河岸段丘と江戸川の広い河川敷のおかげだ。冬晴れの午前中ではあるが・・。白い富士は、見つけ易い。しかし春から秋にかけては、その姿はほとんど見ることが難しい。 流山市の人口がこの1月に、18万人を突破した。1年間に4,080人増加したという。月平均340人増だ。県内トップの増加率。若い世代の転入が続いている。 市広報によると、「母になるなら、流山。」のポスターを作り、都内各地で宣伝しているらしい。市長も幼稚園などの施設や子育て施策に熱心だ。子どもが増加中なので、施設に人材が追いつけずに、待機児童が増えている。県内ワースト3位とされる。 市内は二極化を呈し始めている。12年前開業した「つくばエキスプレス」の存在が大きい。開業前、市内から通勤する地は隣の柏市が多かったが、最近は都内への通勤者が急増しているという。河岸(かし)で発展した旧市街地とアクセスの良いおおたかの森駅周辺では、子どもの数が違うのだ・・。写真-1 北高校近くの歩道橋と富士。写真-2 常磐道で東京方面を向かう際に、富士山が正面に見えるはず・・。写真-3 多くの鉄塔が並ぶ景色のなかにも・・。写真-4 川岸の生い茂った木々と富士。写真-5 流山IC近くの流通施設と富士。
2017年02月20日
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ここ最近、土手散歩した光景を思い出す。それを並べて「土手の富士、アレコレ」とします。 朝、上流へ向かって、チャリンコ隊が元気良く通り過ぎて行く。江戸川を真直ぐ進むのか、利根運河で曲がるのだろか。関宿方面または利根川・鬼怒川方面の分岐点近くの光景。 富士山は、思わぬ自然景色を創り出す。夕映えに富士山頂の影が映る一瞬。二層の茜雲が夕空を彩る光景にも出会うことができる。 1月中旬以降、写真愛好家の姿が消えた。ダイヤモンド富士を捉える場所が下流に移ったからだ。「今は、もう・・誰もいない土手・・」。夕刻、淋しさが漂う土手である。写真-1 朝、土手を進むチャリンコ隊。写真-2 富士山頂が綿雲で、柔らかく見えた。写真-3 影を背負う富士山。写真-4 二層の茜雲。写真-5 水面の月行灯。
2017年01月30日
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日没後の1月は、富士山の背景が美しくなる季節でもある。黒いシルエットを浮き出させる薄雲に夕陽が染まるグラデーションは、自然が創り出す造形美である。キャンバスに描いた絵画のような景色だ。 独立峰の富士山上空は、気流が日々変化する。いや、朝・昼・晩で変化する。低気圧が近づけば激変する。飛行機雲は良く見かけるが、今回竜巻のような雲にも出会った。 元日早々、富士山で冬山事故が起きた。8合目から5合目まで滑落して、30代の男性が亡くなっている。麓では穏やかな天気でも、冬の富士山は風が強く変わり易いという。江戸川土手からファインダ越しに見る富士山稜線は、風が強いのが良くわか 誰もいない冬の富士山に登り、景色を一人占めにしたいと思ったのだろうか。それとも死を意識して一人で往くことを選択したのだろうか。冬山ならでの魅力はある。小生も冬山大好き人間だ。しかし、それはスキー場の山である。写真-1 黒い富士山を際立たせる日没の雲。写真-2 飛行機雲の帯が伸びて来た。写真-3 富士山に隠れる夕陽。写真-4 右上方に竜巻雲が・・。写真-5 薄い雲の中、太陽が降りて来た。
2017年01月18日
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富士山の北斜面を滑り降りる夕陽。撮影時刻を逆に並べて、朝日が斜面を登るように見せかけた。日本のフジヤマを知らない外国のひとは、朝日と思うかもしれない・・。冗談である。 江戸川沿いのダイヤモンド富士は、玉葉橋付近で折り返す。以後、DM富士を見られる場所が下流に移動してゆく。江戸川河口の舞浜で見られるのは、2月中旬となる。その頃、日程が合えば、河口へ出かけようと思う。 富士山は、山頂標高が3376mで、一合目の標高が1520mである。その標高差は2250m。一方、天辺(写真-1)から一合目(写真-5)までの所要時間は約8分間。従って、夕陽の滑降速度は、約時速30キロ。(1.8×2.25km)/0.13時間=31km/時と計算される。 仮に、富士山頂からマウンテンバイクに乗り、時速30キロで駆け降りることができれば、太陽と同時に一合目にゴールできる。つまり、夕陽の速度との競争である。正月にみた夢のひとつ・・。写真-1 一合目。日の出前・・。写真-2 五合目、レストハウスを通過。写真-3 七合目、日の出館(吉田口ルート)を通過。写真-4 九合目、御来光館を通過。写真-5 富士山頂に到着。
2017年01月14日
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冬の土手からダイヤモンド富士を見ようと、もしくはカメラに収めようとして多くのひとが並ぶ。今では、江戸川土手の冬の風物詩となっている。河口湖や山中湖などに、そう簡単に出向くことはできない。遠くからDM富士を眺め、楽しんでいる。 河口より35Km付近の堤防での撮影ピークは、クリスマス前後の2週間程度。送電線と鉄塔を避けることができる。また、利根運河口が近いこともあり、 若干の駐車スペースがあるので人が集まるようだ。運河駅から運河沿いに片道2.5kmを歩いて来る人もいる。 年末から正月にかけて、撮り溜めた写真を紹介します。フィルターを使って、日没直前の光を強調させたのもある。同じような写真が並びますが、ご容赦ください。今年の土手は、例年より暖かく過した。写真-1 クロスフィルターで撮影した日没直前の光。写真-2 江戸川35km地点付近からのダイヤモンド富士。写真-3 陽が高い時の土手富士。写真-4 35km地点付近の江戸川左岸土手の様子。写真-5 帰宅途中、粋スカイツリーを望遠した。
2017年01月11日
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ダイヤモンド富士が終わると茜雲が西空を覆っていた。束の間の照映の空。雲は流れるが、富士は不動である。北風がやみ、乾燥した大気が移動したのだろう。 利根運河口付近でカメラをセットとして、南西の山並みを見る。逆光で富士山が見えないが、いつもより雲が広がっていた。しばらくすると太陽が富士山頂を浮き出させてくれる。少し変わった真冬の土手景色である。 年末、茜さす光景があった。ハワイの真珠湾において、日米のトップが揃ってアリゾナ記念館で献花したこと。続いて、安部首相が「寛容の心 和解の力」を演説した。良く推敲された内容だ。次期米大統領はどう見ているのか・・。「打算と内向き」の人でないことを願う・・。 真珠湾の「和解」直後、防衛大臣が靖国に参拝して、アジアに白波がおきた。ハワイ沖穏やか、東シナ海波高しである。寛容と和解には、ともに生きる時間と慮(おもんばか)る意思が必要だ。難しい隣国との付き合いがあと何年続くのだろか・・。写真-1 照映の茜雲。これも冬の土手景色。写真-2 夕陽がはっきり見えた。写真-3 ダイヤモンドのように光らない富士山頂。写真-4 日没後、山頂を通り過ぎる雲。写真-5 江戸川土手の夕富士。
2017年01月05日
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蜜柑(みかん)のような太陽が富士山頂の「オデコ」にぶつかる。今が旬の温州みかんを連想した。ヘディングするかのように見える。空が橙色に染まった。 数分後、ほぼ山頂が輝くダイヤモンド富士を撮ることができた。しかし、遠く離れているせいなのか、ピカッと光る輝きでない。夕方の湿気がオレンジ色に見せるのかもしれない。頂に夕陽が消えると、噴火したかのような雪炎が現れる。風邪の予防になるとも言われているむので、毎日1個ミカンを食べている。江戸時代から鞴(ふいご)祭にミカンを食べると風邪や麻疹に罹らないと信じられてきた。フイゴとは鍛冶屋や鋳物師になくてはならない物。ミカンと火は縁があるようだ。 一般家庭では、正月の鏡餅にミカンを載せことが多い。我が家では実利的にミカンを使う。本来は (だいだい)をお供えするもの。家が代々繁栄するようにとの願いの意味もある。松飾りなど橙が使われている。ホームセンターに行くと、しめ飾りやお供え餅セットが良く売れている。写真-1 大きなミカンのような太陽が富士山頂にぶつかる。写真-2 橙の空とダイヤモンド富士。写真-3 山頂が燃えているよう・・。写真-4 煙がたなびいた・・。写真-5 家路途中の土手富士。
2016年12月27日
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12月中旬、富士山からみて北東方向の場所では、ダイヤモンド富士が見える。ビルや森などの障害物が無いとの前提だが。ここ流山からも良く見える。川の堤防には建物がなく、視界が開けているためだ・・。江戸川は、水量の割には堤防間の距離が大きいことも影響している。 ダイヤモンド富士は、日々表情が変わる。雲の有無、大気の湿度、風向きなどによるものだ。そして陽が沈んだ後の静寂なオレンジ色は、ストレスの解消に効果があると思う・・。 冬至がひとつのターニングポイントである。流山では日没位置が西から南にずれてきたものが、冬至を境に南から西へ戻ってゆく。ところで東京では、日没の早いピークが12月5日の16時28分。日の出の遅ピ―クは1月5日の6時51分となっている。 しばらく利根運河口付近からダイヤモンド富士を眺めることができる。色々な夕富士と茜雲が楽しみだ・・。この時期、日が傾くとつい江戸川土手へ出向いてしまう。写真-1 流山からのダイヤモンド富士。写真-2 大きな太陽が富士山頂に差し掛かる。写真-3 夕陽が沈んだ後の「静寂なオレンジ」。写真-4 雲間に沈む夕陽。写真-5 流れる雲と夕焼け。
2016年12月24日
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冬の間、江戸川土手から富士山がよく見える。特に、明け方は朝日を浴びて、ほんのり赤みを帯びる。この日は湿度が高めで、空がピンク色になった。と同時に富士山も同じ色に染まる。しかしピンクと言うよりは、ピーチ色により近い・・。 冬至が迫っている。日の出時刻が6時45分と遅い。富士山は、午前10時頃までが見頃である。12時を過ぎると、雲がかかるか、霞んでしまう。しか夕方には、逆光の黒富士となって現れる。 近頃12色クレヨンに、桃色の表記はあるが、ピンク色、肌色との表記はない。肌色と呼んでいたものは、「ペールオレンジ」と言うらしい。ペールオレンジは、ピーチ色に近い。 灰色味を帯びた薄いオレンジ色がピーチ色か・・。よく熟した桃の果実、とりわけ果肉の色に近い。肌色は、赤ちゃん、または幼児の肌の色を連想させ、日本人にとって親しみ易い色だが。人種差別につがる恐れがあるとの理由で、絶滅語になったらしい。写真-1 明け方のピーチ富士。写真-2 日が昇る前の江戸川。写真-3 ピーチからホワイトに戻る冬富士。写真-4 利根運河土手から富士山を望む。お気に入りのランコースポイント。写真-5 江戸川土手の富士。
2016年12月20日
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冬晴れの空に、白い富士が映える。水色の主桁と蒼い高欄を持つ玉葉橋は、「関東の富士見百景」の場所。北風が吹く午前中、如月の「玉葉の富士」を見に江戸川土手を歩く。 玉葉橋は、埼「玉」と千「葉」との架け橋。河口より35.5km地点に架かる長さ415mの普通の橋。しかし、両側に広めの歩道が設けられ、遠くの山並みを見ることが出来る。昭和59年に完成した32才の青年の橋である。 同じ青年でもダラシナイ者がいる。時のヒトになった宮崎元国会議員だ。昨今、先生と呼ばれる議員さんの質的劣化が止まらない。若い力で日本を「洗濯」してほしいと思った矢先の不祥事。秘書を含んだ政治システムの機能不全か・・。政治家において、「松・竹・梅」の落差も大きい。 政治課題の国会議員削減について、ようやく政権側が重い腰を上げそうだ。しかし、「定数10減」に留まる。3年前の解散・選挙の約束がマイナス10なのか・・。政治秘書を含め、国費に群がる「・・・・」を退治する手立ては余りない。青い橋の上を歩きながら、参議院選挙後を想う・・。 写真-1 玉葉橋上の富士。1984年に完成した若い・青年の橋。 写真-2 玉葉橋下の富士。 写真-3 関東の富士見百景。りたつう士。 写真-4 白い 白い富士山・・。 写真-5 江戸川土手から玉葉橋と遠い山並を眺める。
2016年02月22日
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荒川放水路が開削された昔、暫くその堤防から富士山が見えたという。その後、大気汚染が始まり、東京の空はPM2.5などで覆われ、富士の姿を見るこが少なくなった。現在、東京の上空は改善されている。ここ荒川左岸土手から、高層団地群の狭間から富士山の一部が見える。 東京都北区と足立区、荒川区と足立区の区境は隅田川となることが多い。ここ五色桜大橋の上流、約500m区間は荒川が区境である。荒川放水路開削事業前は、隅田川が蛇行して流れていたのだろう。 足立区側に飛び出た「半島」エリアに北区・豊島5丁目団地がある隅田川の西側に位置する。昭和40年代から入居が始まり、約5000世帯、1万人が住んでいる。14階建て団地・ウォール街の様相を示す。建物の老朽化と高齢化が進むアイランドのようだ。 豊島5丁目団地の上流に足立区・ハートアイランド新田地区がある。こちらは、荒川と隅田川に囲まれた島地のような一画。平成8年に大規模工場が移転し、スーパー堤防と住居開発がなされ、平成16年から入居が始まったようだ。平成24年に開発事業が終わり、快適な居住空間が提供されている。 写真-1 団地群の狭間から富士が顔を出す。 写真-2 北区の団地ビル群と夕富士。 写真-3 足立区・ハートアイランドのビル影。りたつう士。 写真-4 五色桜大橋近くの荒川左岸土手より。 写真-5 荒川左岸土手より池袋方面を望む。
2016年02月13日
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春、利根運河口から富士山が見えるのは、月に11日間程。それも午前中あいだ。この時期関東平野は、地面が暖かくなり春霞がかかり易くなるからだ。更に、スギ花粉、黄砂、PM2.5、野焼きなど各種症状が加わる。そのため天気晴朗なれど、富士見えずとなる。 利根運河出口は、西南西(方位235°)に向かっている。一方、ここから富士山の方位角約240°である。ほぼ運河口と富士山の方向に合致している。昔、利根運河を造る際、富士山を目がけて開削したようにも思える。黄砂、PM2.5が無かった時代、荷を積んだ高瀬舟からも見えたであろう・・。 東京都庁から富士山が見える日数が公表されている。江戸川土手から富士山が見える日数と同じと考える。過去5年間の平均は、年間90日となっている。ちなみ一番良く見えるのは、1月の21.4日/月である。また見えない月は、梅雨6月の1.0日/月。 現在、運河下流側の江戸川堤防補強工事が中断されている。昨年度の工事は堤防の基礎に当たる場所だった。今年度の10月から工事が再開され、新たなのり面になる予定。そうすると、来年の菜の花ロードは一部途切れてしまう。すこし残念だが、洪水や地震に対して安心感は増す・・。 写真-1 江戸川左岸堤防と白い富士を見る。 写真-2 江戸川土手の浮き富士 写真-3 運河大橋から運河の出口方向を眺める。 写真-4 対岸ゴルフ場と富士。風を受け、若葉の柳が気持ちよさそう・・。 写真-5 中断している堤防補強工事区間。
2015年03月31日
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舞浜海岸から見る富士は、五合目から頂部のみの姿である。しかし箱根山や丹沢山系の稜線から頭を出す白い富士山は神々しく感じられる。冬晴で風の強い日に、舞浜海岸(防波堤)南岸を訪れた。 東京デズニーリゾートが広がる浦安市・舞浜地区は、東-南-西と3面が海に面している。このうち南海岸からは、東京ケートブリッジと富士山とを併せて眺めることができるお気に入りの場所だ。少々の北風は、リゾート施設の建物がブロックしてくれる。太陽がいっぱいの防波堤プロムナードである。 舞浜南海岸は、JR舞浜駅から南に直線1.5kmほど。施設を迂回して歩くので、2km以上の歩きとなる。施設内のリゾート・ラインを利用することができる。ベイサイド・ステーションで下車すると便利だ。特に、夕景を見た帰り道に好都合だと思う。 舞浜を取り囲む高い防波堤(延長3.5km)は、海抜7mほど。リゾート施設を守る城壁のようにみえる。防波堤・波返しの前面で、岸壁床板(水叩き)の改修工事をしている。コンクリート防波堤の足元を堅固しているようだ。高潮・津波への備えを、継続的に行っている。 写真-1 舞浜南海岸から東京ゲートブリッジと富士山を望む。 写真-2 葛西臨海公園を望む。 写真-3 舞浜西海岸から都心を望む。 写真-4 箱根山から丹沢山系の稜線が良く見える。 写真-5 防波堤から岸壁の改修工事を覗く。
2015年02月10日
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房総半島の西海岸に位置する元名(もとな)海岸は、千葉県における富士山を眺望する代表的な場所のひとつ。JR保田(ほた)駅から北へ1.5km行くと、小磯川が注ぐ砂浜がある。此処からは、明鐘(みょうがね)岬、浦賀水道、そして富士山が良く見える。やはり白い富士があっての風景である。 鋸山の麓に位置する明鐘岬は、昔から落石の迷所であった。馬も引き返すと言われる陸路の難所であった。物資の運搬は、海上輸送が中心であった。国道127号のトンネル開通、落石防護施設の建設が進み、今では安心して通行できる。鉄道の浜金谷と保田間3.5kmのうちトンネル区間が1.4kmである。 広重・富士三十六景「房州保田ノ海岸」に、オーバーハングした崖下を旅する人を描いている。層状の岩肌と打ち寄せる波を克明に描写。頭上を気にしながら白い富士を眺めているようだ。 明鐘岬の北側に小さな喫茶店がある。映画「ふしぎな岬の物語」のロケが行われた場所だ。1代目の店は、2011年1月に火災で焼失してしまったが、現在2代目の「音楽と珈琲の店 岬」が再建されている。好きな音楽とコーヒーを啜りながら、絶景を楽しむ。狭い空間と大自然の接点が岬にある。写真-1 元名海岸から明鐘岬と富士山を望む。関東の富士見百景のひとつ。 写真-2 元名海岸の富士。もっと白い富士だったらよかったな・・。 写真-3 元名海水浴場から安房勝山方面を見る。 写真-4 明鐘岬は「ふしぎな岬の・・」。北側に喫茶店・岬がある。 写真-5 広重・富士三十六景「房州保田ノ海岸」。
2015年01月28日
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材木座・光明寺の門前は海である。材木座ビーチから国道134号を通す1号橋を潜ると光明寺の総門に到る。本堂は北西方向に向いている。飛砂の影響や若宮大路の位置を考慮して建てられたのだろう。塀が低いためか、解放的な雰囲気を感じる境内だ。そんな中、際立つ山門(三門)が建っている。 鎌倉は、幕府開府以来町づくりのために、大量の建築資材を必要とした。その材木の集積地が材木座町であり、和賀江島湊であった。当時、その湊に従事する人々は光明寺の壮大な山門を目にしたものと思われる。 総門から本堂までの距離は直線150m。その中間に高さ20mの山門(三門)が堂々と建っている。5間三戸二重門である。現在の山門は1847年に再建されたもの。それ以前は鶴岡八幡宮の山門が移築されていた。山門の2階からは由比ヶ浜や稲村ガ崎、そして富士山が見えるという。 鎌倉地方最大規模と言われる本堂の左と右に、特徴的な庭がある。左に蓮池と大聖閣とがある「記主庭園」。右に枯山水の「三尊五祖迎の庭」。いずれも拝観料が無料だ。誰もが気軽に観賞できるようだ。本堂の裏山へ登る路がある。展望台に容易に辿り着く。そこは関東の富士見百景のひとつ・・。 写真-1 光明寺裏山の展望台から稲村ガ崎と富士山を望む。 写真-2 本堂から山門を、更に総門を観る。大きな3つの入口が解放感を与える。 写真-3 大きな屋根の光明寺本堂。国の重要文化財。 写真-4 本堂から蓮池と大聖閣のある「記主庭園」を観賞。 写真-5 本堂から「三尊五祖」の枯山水庭を観賞。3+5=8石に意味がある。
2015年01月24日
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江ノ電・鎌倉駅から5つ目、稲村ケ崎駅から海岸に出ると史跡・稲村ケ崎がある。国道が海へ突出した丘稜地を堀割っているため、小島のように見える。波打ち際は切り立った崖になっている。1333年鎌倉攻めの際に、海側を新田軍が奇跡的に進んで、戦局を変えたという伝説の場所だ。 現在、丘稜地は住宅地に開発され、先端部のみが「鎌倉海浜公園」として史跡整備されている。この公園からは、富士山、江の島、七里ガ浜と鎌倉特有の景観を望むことが出来る。関東の富士見百景の代表的なビュースポットである。昔、歌川広重も足を運んでいるようだ。 海浜公園の片隅に兄弟の銅像が富士山を仰ぎ見ている。いや、江の島までの波間を視ている。ボート遭難の碑である。明治43年1月、逗子開成中学校のボートが転覆して亡くなった生徒12名を慰霊する碑だ。ボートは江の島を目指していたという。当時、「真白き富士の根」という映画や哀悼歌が作られた。 先日(1/7)フランスで、新聞社(シャルリー・エブド)が過激派兄弟のテロをうけ、編集長ら12名が死亡した。平均年齢59歳で、円熟した人達だ。この事件を契機に、ヨーロッパでは民族主義的排斥運動が高まりそうだ。タカが風刺画、されど、大火に繋がる火種である。風刺は文化とも言われるが、行き過ぎると凶器になる。 写真-1 関東富士見百景「稲村ケ崎の富士」。鎌倉を代表する風景・・。 写真-2 稲村ガ崎の崖を観る。昔、新田義貞軍が進んだとされる伝説の海道。 写真-3 稲村ケ崎付近の砂は黒っぽい色をしている。砂鉄分が多く、由比ヶ浜の砂と異なる。 写真-4 ボート遭難の碑。兄弟で、江の島と白き富士を眺める像。 写真-5 広重・本朝名所の「相州七里ガ浜」。波が高い。
2015年01月21日
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富士の高嶺に夕陽が沈む季節が続く。ここ江戸川堤防の上にも三脚が並ぶ。いわゆるダイヤモンド富士現象を観て、撮るために・・。ダイヤモンド富士を追いかけ、関東を転戦するツワモノもいる。ここの観賞スポットは、北限で折り返し地点なのだ。 ダイヤモンド富士の定義は、太陽が富士山頂上の真ん中に重なった状態だという。稜線斜面に入るものは、「DM-富士」と呼ばない。準DM-富士としておこう。国土交通省関東地方整備局のホームページに、「関東の富士見百景」におけるDM-富士の日付が掲載されている。 野田市・玉葉橋(No.40)からのダイヤモンド富士は12月20日から12月22日。また高尾山頂(No.55)は、 12月17日から12月26日とある。富士山-高尾山-玉葉橋は、一直線上にあることが解る。 江戸川土手(利根運河口付近)の準DM-富士は、12月で終わる。1年後にまたやって来る。この後、DM-富士スポットは、徐々に南下して、房総半島の館山付近(No.27)に辿りつくのは5月中旬だ。そして、7月中旬から再北上する。しかし夏場にDM-富士を観ることができる確率は低い。ダイヤモンドは寒いときに輝きを増す・・。 写真-1 江戸川土手(利根運河口上流100m)地点の高嶺日輪。 [絞りF22、焦点距離230mm] 写真-2 準ダイヤモンド富士。北西の強風で地吹雪が舞い上がっている。 写真-3 サーチライトのように宙を照らす。 写真-4 雲の形と輝きが風景を彩る。 写真-5 辺りが暗くなって着た。家路へ急ぐ・・。
2014年12月24日
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好天の夕暮れ時には、しばしば江戸川土手へ散歩に出る。冬の散歩三点セット、毛糸の帽子、マフラーそして厚手の手袋と、北風にも負けずに歩くのだ。 影富士と東京スカイツリーが良く見える日が増えた。ダイヤモンド富士をカメラに納めようとする人も増えた。年末まで、ここ江戸川土手の「夕暮れ時」は、淋しくない・・。 関東は、北風が強いものの日常生活に支障はない。先日の爆弾低気圧よる被害は皆無。24時間に50ヘクトパスカルも低下する超爆弾低気圧の直撃にあった根室市。1ヘクトパスカル低下で1cmの海面が吸い上げられるとか。暴風と高潮と寒冷を同時に被災した方々には、お見舞いを申し上げる。 雪国の山間は大雪と雪崩で孤立した集落があった。高齢過疎村では、除雪とライフライン復旧に難儀するだろう。今年は、大雨、噴火、地震、大雪と自衛隊の災害出動回数が多かった「ウマ年」。土砂取り除き、火山灰除去、除雪と隊員は大忙しだった。清水寺の今年の漢字は「税」だが、「除」も当てはまるのではないだろう・・。 写真-1 富士山の夕暮れ時、その日の雲によって景色は変幻する。 写真-2 江戸川左岸土手から南西の「地平線」を見て家路につく。 写真-3 夕焼けにひとり立つスカイツリー。 写真-4 寒気により雲が富士山を越えて流れてきた。 写真-5 この光景も影富士のひとつ。
2014年12月22日
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師走に入って、空気が一段と澄んできた。日中は空気が乾燥する。このため、朝ランの方がノドに良い。江戸川土手に立つと、西方に白い富士山が見えることが多くなった。 北風が強い時は、ランコースやラン時刻を変更して対応している。 暦はもう冬至である。日出時刻は6時40分台。朝陽は南西から昇るので、江戸川の東方に見える。早朝ランをすると、江戸川の右岸に富士、左岸に朝陽を観ること出来る。 富士山の西方遥か5,800kmにペシャワルがある。アフガニスタンに近いパキスタン北部で、イスラム武装集団(TTP)が学校を襲撃して、子ども130人以上が殺害されるという痛ましい事件が起きた。悪魔たちの所業だ。悪魔には子どもがいないのだろう・・。疲弊と焦土の道を歩んでいる彼の地である。 西方極楽浄土という言葉がある。西に向かって拝む風性は日本にもあった。お墓を建てるとき、東向きして拝むと良いとされた。昨今、遠い西方を想うとため息がでる。「西方地獄焦土」の汚名返上する日は何時来るのだろうか。神様仏様は無言である・・。 写真-1 江戸川土手の朝富士。利根運河西口付近からの眺め。 写真-2 江戸川から西方の眺め。テロに悩む「西方焦土」を想う・・。 写真-3 江戸川右岸土手に白き富士を望む朝ラン。 写真-4 なかなか傘富士にはお目にかかれない。 写真-5 富士と銀杏。
2014年12月21日
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大黒大橋およびその付近から眺める「横浜みなとみらい」は、北西の風が吹く日が良い。更に、真っ白な富士山があれば、日本の絶景のひとつになる。横浜ランドマークを含むビル群が並ぶウォーターフロントに富士山があることで、横浜を知らない外国の人でもここが日本であることが分かる。 関東の富士見百景におけるNo.68「鶴見川からの富士」のひとつが大黒大橋付近である。大黒大橋は、鶴見川から派生した京浜運河西口に架かる斜張橋。最大スパン165mで、大黒町と大黒埠頭を結ぶ橋として昭和49年に完成した。 大黒大橋の隣には横浜ベイブリッジがある。そのベイブリッジの下に、紅白のペア灯台が立っている。昭和14年に造られた横浜防波堤北灯台と南灯台である。横浜港シンボルマークのモチーフになっている。 横浜港の入口に架かる長さ860m横浜ベイブリッジ。桁下から海面までの高さは55mとされる。大型豪華客船クイーンエリザベス号(約10万t、高さ56.6m)が入出港する際は、干潮時を狙って航行する。あと3m橋が高ければ、船長や船会社は安心して橋を潜れたことだろう。メリット多い朝に自由に入港できればと思う・・。 写真-1 「横浜みなとみらい」と富士山を望む。関東の富士見百景に選定された風景。 写真-2 京浜運河に架かる大黒大橋から真っ白な富士山を望む。 写真-3 大黒ふ頭中央公園より横浜ベイブリッジを仰ぐ。桁下のスカイウォーク施設は2010年に閉鎖された。 写真-4 横浜外防波堤の紅白のキャンドル型灯台。 写真-5 大黒ふ頭中央公園テラスからランドマークタワーを見る。
2014年05月11日
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流山市と吉川市との市境を流れる江戸川。12月中旬になると利根運河口付近の江戸川土手から美しい夕富士が見られる。3月に入ると、黄砂・PM2.5や春霞みなどが都会の上空に覆うので、富士は見えなくなる。当該場所は、12月中から1月中が富士見に適しているのだ。 小生のテリトリーは、運河口の上流1km(玉葉橋)から運河口下流3kmほど。この4km区間の江戸川は南東方向に流れている。そして南西方角に富士山がある。従って、対岸にはいつも富士が見える。 富士山と夕日が重なる土手の位置は、一日で約400m程度上流へ移動して行く。独立峰が造り出す雲は毎日が異なる。雲の有り様が富士の魅力のひとつだ。更に夕富士北側の稜線は、自然が造り出した神秘的なカーブである。 高圧送電線が視野から消える利根運河から玉葉橋までの区間は、ダイヤモンド富士の時期になると多い時で40名程の撮影者が並ぶ。その隊列の後方を自転車は徐行して通り過ぎゆく。江戸川師走の風物詩だ。写真-1 玉葉橋下流から見た夕富士。[12月22日撮影]写真-2 利根運河口下流から見た傘雲富士。高圧送電線が視界に入る。[12月14日撮影] 写真-3 四角い夕日。ピントと露出に問題あり・・。 写真-4 落陽後、飛行機雲の線が浮き出て来た。[12月16日撮影] 写真-4 玉葉橋下流の江戸川土手に集まった人達。
2013年12月23日
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