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浦賀水道でも潮流が速いと言われる走水(はしりみず)地区。横須賀から観音崎方面へ国道16号線(うみかぜの路)向うと、破崎で大きくカーブする場所がある。高さ20m程の崖上に展望デッキが造られている。関東の富士見百景のひとつ、「走水の富士見(No.74)」である。 この展望台からは、馬堀海岸を左に配置した富士山はもとより、東京湾、横浜港、および房総半島の山々が一望できる。眼下に伊勢町港の小型船溜も見える。手前の砂浜は潮干狩りの穴場だという。 国道16号線は、首都圏を環状に結ぶ一般国道で、総延長が約250kmである。西端に当るのが走水港付近。東端は千葉県富津市である。走水破崎と富津岬との海上距離は約9km。地図上でこの2点を結ぶと一応「環」ができる。 走水の丘陵(小原台)に、防衛大学校が展開している。浦賀水道を睨む丘に、広さ65万m2の敷地面積を有している。昭和27年に開校された「保安大学校」が前身で、60年以上の歴史を重ねてきた。6時起床、22時30分消灯の全寮制。自衛官としての基礎学力と技能を学ぶ丘だ。写真-1 走水・展望デッキからの眺め。関東の富士見百景(No.74))に選定されている。 写真-2 馬堀海岸の国道16号線を辿ると展望デッキがある。眼下の光景は伊勢町港の船溜り。 写真-3 走水・破崎と東京湾。国道16号線は、ここで大きくカーブして観音崎へ向かう。 写真-4 走水から横浜方面を望む。ランドマークタワーがひと際目立つ。写真-5 崖上の展望デッキ。夕日の名所を示す看板がある。
2013年12月21日
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関東の富士見百景の地点に選ばれている太平山(おおひらさん)。その山頂(標高341m)の南面・謙信平から見る景色は、富士見百景である。太平山全体が栃木県立自然公園。観光名所には桜並木の遊覧道、あじさい坂がある。もちろん紅葉の名所でもあり、昼食前後の時間帯は大型バスが連なる。 小生らは9時頃、東側の太平山神社参道・あじさい坂から登る。あじさい坂は、太平山の岩石を切り出して作られた1,000段の石段路。湿気を含んだ冷気が気持ちよい。栃木駅から西方約5kmに位置する太平山。謙信平へは南側の大平下駅からのルートもあるが、桜の時期が良いと思う。 栃木県には「関東の富士見百景」が8景(8地点)ある。謙信平はそのうちのひとつで、整理番号No.9となっている。謙信平は、上杉謙信がここから見た関東平野の広さに目を見張らせことが由来。彼は富士山を見たのであろうか。それとも朝霧に浮かぶ「陸の松島」を見たのであろうか。 富士見百景と云うが、実は128景(233地点)がある。関東地方整備局発行のガイド冊子に詳しく記載されている。選考基準は、(1)景観の美(電線や看板有無)、(2)視点場の快適性、(3)まちづくりに活用、 (4)市民活動の有無など。茨城県の土岳No.1から始まり長野県の富士見町No.128がアンカーだ。写真-1 関東の富士見百景のひとつ。紅葉の晃石山斜面と岩船山の彼方に見える富士。写真-2 紅葉と富士山を眺めて弁当。握り飯だけで十分、景色がオカズになる。写真-3 太平山・謙信平の休息広場。暖かい日差しが何よりだ。 写真-4 逆光の筑波山。南東約48kmに浮ぶ独立峰。 写真-5 千段の石段を毎日、昇り降りすると健康に良いだろうなあ・・。
2013年12月09日
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JR市川駅近くに江戸川下流域を一望できる場所がある。市川アイ・リンク展望施設である。「いちかわザタワーズウェスト」の45階の一部が開放されている。地上150mの展望デッキは、江戸川の風を感じて、千葉と東京を眺めることができる。 アイとは「私、市川、会う、愛」などを示し、リンクとは「結びつける、きずな」との意味が込められているそうだ。市川市を西流する江戸川は、千葉県と東京都との県境ラインでもある。両都・県をリンクする場所をアピールしているのだろう。 天気が良ければ、西に富士山、東に筑波山・日光連山を見渡すことができる。東京スカイツリーと富士山をリンクさせて、記念写真をとる人達が多い。午後9時頃まで入場が可能。夏の暑い夜は、夕涼みの人気スポットである。 先日、ストーカー事件が起きた本八幡(もとやはた)駅は、この市川駅の一つ東側の駅で、2kmしか離れていない。10月に東京三鷹市でストーカー刺殺事件があったばかりだ・・。多発化するDV、ストーカー、幼児虐待などは、被害者・加害者と社会がうまくリンクしていない事も要因のひとつだ・・。写真-1 東京スカイツリーと富士山をリンクする。 写真-2 空気が澄み、富士山が綺麗に見えた。写真-3 東京タワーと六本木ヒルズをリンクする。 写真-4 江戸川の上流方向・関東平野を望む。写真-5 市川アイ・リンク展望デッキ。強風時には立ち入り禁止となる。
2013年12月03日
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関東平野は乾燥化に向っているのだろうか。小生が動き廻る江戸川から富士山が見える日数が年々増えているのだ。南西方向、140km彼方の山容が身近に感じる。 関東地方には、11月にもかかわらず連日「乾燥注意報」が発令された。11月の連続晴天日数が9日間となり、観測記録を更新したという。カラカラ天気ではあったが、風が穏やかだったので、風邪ウイルスが拡散しなかったようだ。 東京都内で富士山が見える日数は、年間100日を超え、この50年間で5倍に増えたそうだ。排ガス規制など公害対策と大気の乾燥化によるものだと言われている。乾燥の後は、大雨または大雪が待っているような気がする。 江戸川左岸の堤防補強工事が11月から始まった。利根運河と合流する下流は土砂が堆積し易い。先ず、堆積土砂の浚渫工事からとりかかった。浚渫した土砂は、改良して堤防の補強に再利用するようだ。また洗掘防止用の鋼矢板を打設するようだった。写真-1 140km彼方の遠い富士。午前10時頃までは良く見える。 写真-2 利根運河西口から見る白い富士。 写真-3 日が沈んだ江戸川。遠くにシルエットを現わした山容。 写真-4 運河口から下流にかけて堤防補強(低水護岸工事)が来年の春まで続く。
2013年11月27日
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河口湖六角堂が観光「新名所」となっている。今年3月頃から河口湖水位低下のニュースが、富士山噴火と関連づけて報道され、注目を浴びている。現在も平年水位よりも3m以上低下している。テレメータ水位が表示されない状態だ。おかげで八木崎公園の沖200mにある六角堂まで徒歩で行ける。 六角堂その自体は、歴史的建造物ではない。河口湖町が20年前に建てた。お堂には仏像らしきものは見当たらない。とはいえ昔、日蓮聖人の信徒がお堂を建立した所。1559年の大雨で流失し、その後長い間放置されていた。多くの人がお堂の石垣を直接昇降している。石積みが脆くなる要因だ。 河口湖は、富士五湖の中で最も低い水面標高(平水位EL.833m)で貯水量8.4千万m3である。一方、本栖湖、精進湖、西湖は地下でつながっており、水面標高は平年並のEL.900m。河口湖のみが異常に低いのだ。ちなみに最も貯水量が大きく、水深が大きいのは本栖湖である。 水位の経時変化を把握しているはず。何か公表しても良い頃だ。もし水位を監視しできないのであれば、水位計の増設やGPSを搭載したブイなどを浮かべてはどうか。また、水温、透明度、水質等の把握も大切だと思う。いつまでも原因不明とはゆくまい・・。写真-1 長期水位低下で思いがけなく、六角堂と富士の構図を撮影することができる。写真-2 地続きになった六角堂。乾いた砂地を容易に歩いて行くことができる。 写真-3 六角堂基礎周りの石積みは堅固とは言えない。 写真-4 河口湖の水位標識。現在の水位は、-3.5m程度。
2013年05月12日
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河口湖の「逆さ富士」を見ようと、早朝宿泊ホテルを抜け出してビューポイントへ出向く。しかし、美しい逆さ富士は、多くの条件が揃わなければ見られない。湖面が凪いでいることが絶対の必要条件である。昨夜吹いた風の影響で、この日の逆さ富士は不安定な姿でお出ましになった。 河口湖は、富士五湖のなかで最も長い湖岸線と最も低い標高の湖沼である。更に、交通に比較的便利であり、宿泊施設が多くある。小生のような一元さんには、先ず川口湖である。湖岸からのビューポイントは、産屋ヶ崎、河口湖北岸ウォーキングトレイルおよび大石公園など言われている。 ご承知の事ではあるが、4月30日文化庁はイコモスに、三保の松原を除外する条件で世界文化遺産として登録するよう勧告した。6月中旬にユネスコで正式に認められる見込み。日本国内で17件目となる。全世界には878件もの世界遺産がある。うち日本の比率は2パーセント程度。 文化遺産としての価値を次のように謳っている。「その壮麗な姿から時代を超えて様々な信仰の対象になり、優れた芸術作品を生む母体となるなど、まさに日本文化の源・・」。個人的には、富士山は自然遺産または複合遺産であってほしかった。登録されると制約されることが多くなるだろう・・。写真-1 河口湖の逆さ富士。北岸ウォーキングトレイルから観る。細波で富士が揺れていた。写真-2 早朝の富士。東尾根の陵線が美しい。大石公園から観る。写真-3 遅咲きの八重桜と白い冠の富士山。北岸ウォーキングトレイルから観る。写真-4 産屋ヶ崎から観た夕照の西頂部。このポイントでは、逆さ富士は見られず。
2013年05月10日
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本栖湖岸から南約2kmに富士芝桜まつり会場がある。2.4haの敷地に80万株の芝桜。南方に富士山を望み、絶景を創り出している。今年で開園6回目。期間中の人出は約30万人。山梨と静岡との県境に位置し、公共交通手段では少々不便だ。従って、旅行会社のバスツアー客が多くを占める。 会場となる富士本栖湖リゾートは、「旧本栖ハイランド」の生れ変わり。2輪・4輪のオフロード跡地。またサリン事件のサティアンで有名になった上九一色村と言えば早い。平成の大合併で「分合両用」した珍しいケース。即ち、北部は甲府市へ、南部が富士川口湖町となり上九一色村の名が消えた。 芝桜園奥には龍神池がある。ダブルダイヤモンド富士が見える池でもある。本栖湖に棲んでいた竜が富士山の噴火(延暦19年西暦800年)を予言に従い、村人が難を逃れた伝説に由来する。5色の芝桜畑は、龍神様をあしらったデザインにレイアウトされている。竜ケ岳から俯瞰できるという。 広大な花のテーマ公園は各地で盛況ようだ。桜の花見後温かさが増し、新年度の慌ただしさから解放される時季と重なる。シニア層、お年寄り、更には車椅子の方に好評なのだという。しかし、芝桜以外で車を運転する人には迷惑な、交通渋滞を引き起こしている。世の中は四方丸く収まらない。写真-1 富士山南麓を正面に観ることができる富士芝桜まつり会場。展望広場からの眺め。写真-2 鮮やかな色のコントラスが映える。池と林の構図もたまらない。巨大な庭園だ・・。写真-3 龍神池の奥にあるのが展望広場。その頭上に竜ケ岳(EL.1485m)が見える。 写真-4 園の西側に広がる白いリトルドット。まるで雪原のようなヒトコマだ。
2013年05月09日
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房総鋸山は、富津市と鋸南(きょなん)町にまたがる山。「房州石」を産出する石切り場の切羽が数多くあった。採掘跡がノコギリの歯に見えたことより、この名前で呼ばれている。しかし、見晴しが大変良いので、「日本低名山」に数えられる。標高300mで、東京スカイツリーの展望デッキに相当する。 房州石は、産地により金谷石、明鐘石、元名石とも呼ばれ、明治から昭和にかけてピークだった。横須賀の軍港に大量に使用された。その後コンクリートが安価になると、房州石の需要が激減して、昭和50年頃閉山が相次いだ。すると船運業と港がさびれたのは時の流れか・・。 鋸山展望台からは、三浦半島を行交う東京湾フェリー航路を一望できる。金谷港と久里浜港間は、距離11.5km、所要時間約40分である。運が良ければイルカをウオッチングできるかもしれない。金谷港近くの丘には砲台跡もあり、浦賀水道に睨みを利かせていた時期があった。 JR浜金谷駅ホームから鋸山の北壁を望める。しかし冬季は陽当りが悪い。その分北風をブロックするつい立になる。鋸山の南壁は、北と別世界である。暖かく石像の楽園だ。平安の頃から修行や祈願のために、岩を掘り仏像が奉納された日本寺がある。写真-1 東京湾フェリー航路(金谷港から久里浜港)を望む。11.5kmの距離。写真-2 鋸山展望台と石切り場跡の垂直な北壁。写真-3 浦賀水道および駿河湾の一部を眺望する。丹沢の山並みが良く見えた。写真-4 都心をズームアップ。東京タワーとスカイツリーがギリギリ収まったはずだが・・。
2013年02月03日
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房総・鋸山(のこぎりやま)の尾根は、東西に伸びている。山頂より西へ2.5kmで、稜線は海岸線に沈み、小さな岬となる。明鐘岬(みょうがねみさき)である。「夜明けの鐘」に関係する地名なのだろうか・・。岬を構成する板状凝灰岩に波しぶき上がる。遠景の富士がよく似合う波食台である。 この岬の堆積地層は、大きく北側に傾斜しており褶曲構造である。地質年代も比較的若いので、地山は安定性に欠ける。海に張り出した海岸段丘は、「関東の親不知」とも言われ、交通の難所であった。現在は3つの連続したトンネルと堅固なロックシェルターで守れている国道127号線が通る。 黒色の凝灰岩と白色のシルト岩との傾いた互層ラインが富士山に続いているように見える。きっと海底も凹凸岩場があり、魚類にとって大変棲み良い場所だろう。釣り人に尋ねると、このスポットは大きな黒鯛が上がるという。すぐに刺身を連想してしまう。 この辺りは昔から富士見の名所だった。広重の富士三十六景「房州保田ノ海岸」には、オーバーハングした崖下の道を歩く人が描かれている。近くまで波が打ち寄せ、彼方に富士が見える。近くには寂れた小港が複数ある。昔、安房里見氏の軍事上の要地でもあった所。写真-1 明鐘岬の波食岩台。浦賀水道越しの 富士山を望む。写真-2 色合いの異なった岩層が斜めに堆積している。褶曲作用が創り出す光景。写真-3 保田(ほた)から明鐘岬に至る海岸線。かつて存在した下路は、跡形もない・・。写真-4 広重・富士三十六景「房州保田ノ海岸」。板状の岩肌を描いている。
2013年01月31日
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冬至が近い。陽は南東から登り、南西に沈む。その平面運動角度は約90度であろうか。この時期利根運河西口近くの江戸川土手からは、洛陽と富士が重なる。チョットしたダイヤモンド富士も見られる。約2週間楽しめる。 季節限定で、カメラを手にした人々が江戸川土手に集まってくる。富士山まで約140kmの遠望であるが、北西の風が吹くとき良く見えるのだ。毎年変わらない富士があり、いろいろな表情を見せてくれる。 衆議院選挙が終わった。民主党のシンボル・二つ玉が夕日のように沈んだ。小選挙区制のもとオセロゲームのようだった。次回の参議員選挙までに、一皮むけた党になって昇ってくることを期待する。奢る者、久しからず・・。 この時期朝夕は寒いが、富士を見ながらジョギングするのは大きな楽しみ。しかし、高いビルが建ち始め、ここでの景観も永遠ではない。筑波山の眺望が高い建物で遮られてしまったように・・。写真-1 夕日が富士山頂に懸かる。12月16日に撮影。写真-2 火の玉が富士山に衝突するような光景。12月14日に撮影。写真-3 暗雲垂れ篭る富士。12月11日に撮影。写真-4 静寂に包まれる影富士。12月16日に撮影。
2012年12月19日
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大山は、高さ具合を「合目」ではなく「丁目」で表す。1丁目を大山阿夫利神社下社(標高700m)とし、山頂を28丁目としているようだ。山頂標高は1,252m。従って1丁目分の高さは、平均20mとなる。 途中の展望所・富士見台は、20丁目(標高1062m)で、ヤビツ峠分岐付近にある。登り始めて最初に、富士山の姿を目にする場所だ。このルートは、阿夫利神社下社から約1.9km(約90分)で山頂に辿り着く。復路は雷の峰尾根ルートを利用した。バス停までの下り高低差950mは、足腰にこたえた。 富士山は、5合目付近まで冠雪していた。南斜面の宝永山(標高2690m)も雪に覆われていた。写真-1の左端にある突起が火口尾根だ。宝永大噴火(1707年)から300年が過ぎたことになる。このまま静かな状態が続くことを、阿夫利神社本社に祈願した。 富士山は、日本人の心の象徴であり、日本のランドマークである。2013年の世界文化遺産登録に向け「富士山会議」が7年間活動して来た。正式名称は、「富士山を世界遺産にする国民会議」。中曽根元首相が会長を務めるNPO法人。先ずは先日解散した衆議院の選挙が終らないことには・・。写真-1 大山山頂より富士山を望む。右端に南アルプスが顔を出している。写真-2 大山山頂より相模湾・伊豆大島を望む。写真-3 大山山頂より江の島方面を望む写真-4 大山山頂の東展望台。360゜のパノラマを堪能した。
2012年11月19日
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稲村ケ崎は、太平記の古戦場である。JR鎌倉駅から南西3.3kmの所にある、海に突き出た小さな岬。この岬の地盤が比較的堅固な凝灰岩であるため、長年の波浪に耐えてきた。しかし、年々侵食が進み、南側の崖は地肌が露出して落石しているようだ。 唱歌「七里ヶ浜の磯つたい 稲村ケ崎名将の 剣投せし古戦場・・」を思い出させる景勝地。この歌の作詞は芳賀矢一、作曲者は不詳という。稲村ケ崎公園に「新田義貞徒歩伝説の石碑」が西を向いて立っている。 吉川英治「私本太平記(5)」では、稲村ケ崎という小見出しを付け、約17ページに渡って合戦の様子を描いている。1333年大潮の引き潮を利用して丑の刻に進攻する。しかし、新田軍は海からの北条軍の弓矢攻撃とぬかるむ干潟で苦境に陥る。その時極楽寺切通口方面を突破した味方のおかげで、義貞は九死に一生を得る。 稲村ケ崎公園には「関東の富士見百景」の標識板(平成17年)がある。夕方、若いカップルが集まりだす。芝生や階段などに座り、夕陽と富士山を見るデートスポットだ。小生は大仏方面から極楽寺切通しを抜け、この公園まで歩き稲村ケ崎の夕景を眺めた。写真-1 稲村ケ崎公園より江の島と富士山を望む。(2012-10-21撮影)写真-2 関東富士見百景 稲村ケ崎・七里ヶ浜の夕景。写真-3 稲村ケ崎の南崖。新田義貞はこの崖下海側を進んだとされる。写真-4 絶景のデートスポット稲村ケ崎公園。
2012年10月24日
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5月からの約半年大変お世話になりました。投稿依頼に協力してもらった方、またはブログへのコメントを頂きました方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。おかげで三日坊主にならず年末を迎えることができました。 今年は3月11日から始まったようなもの。それ以前の出来事はディレート状態。ウサギ年は自然災害が多い年と言われていたが、その通りになってしまった。某新聞社の時事川柳は、2011-3-11を12文字で描く。引用する。「陸に船 海に家浮く 地獄絵図」 、「フクシマも ツナミも苦い 国際語」 小生の年間「走思歩観」における印象深い景色を3つ挙げるとしたら、次のようになる。(1)小樽市水源地の「水すだれ」7月。(2)台湾東海岸の「三仙台の橋」11月。(3)江戸川の「ルビー富士」12月。それぞれの写真には、当時の事情、自分の体調、及び自然状況が詰まっている。 清多夢くらぶのブログ様式は、新聞連載の四コマ漫画を参考にしています。何とか第123話まで繋ぐことが出来ました。来年も週2、3回のペースを考えています。身勝手な言い回しが多々あるものと思われますが、来年もお付き合い願います。皆様が良い辰年の正月を迎えるよう願っています。 写真-1 小樽市奥沢水源地の「水すだれ」。10段の階段式溢流路で水エネルギーを吸収。写真-2 台湾東海岸の三仙台。太平洋の海岸に面する場所に造られた八連アーチ橋。写真-3 利根運河近くの江戸川から観る「ルビー富士」。ダイヤモンドとはオコガマしい。12/26の撮影。写真-4 らんべぇのジョギングコース。お気に入りの利根運河左岸小路。春よ 早く来い。 にほんブログ村
2011年12月31日
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