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多摩川で一番河口に近い、最下流の堰堤は調布取水堰。昭和11年に、飲料水を確保するために作った堰堤と浄水場跡が多摩川13.3km地点にある。堰から取水された水は、調布浄水場へポンプアップされた。最下流ならでの悩みがあった堰堤だ。 高度成長期、多摩川の水質は悪化の一途をたどる。昭和45年には、飲料水から工業用水へと転換した。それに伴い、亀甲山に造られた沈殿池、ろ過池は不要となる。現在、多摩川台公園に水生植物園として沈殿池跡地などがあった。 取水堰が河口に近いが故に、船舶の往来が多かった。このため堰堤の横に閘門が作られている。従って現在も、船は調布取水堰を乗り越えることができそうだ。 近年、多摩川の水質は大幅に改善され、アユが遡上している。遡上期間中は、可動堰を倒してアユの遡上を応援しているという。また、サケの遡上も確認されている。今や堰が水辺を創り出して、多様な生き物を育んでいるようにも思える。写真-1 丸子橋から東横線橋梁と調布取水堰を望む。写真-2 左岸側に閘門が設置。写真-3 多摩川台公園の浄水場跡地利用。写真-4 調布浄水場のろ過池跡。写真-5 アユやサケが遡上する多摩川になった。
2018年05月29日
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2連のアーチ橋が青空に眩しい。多摩川河口より13km地点、中原街道(都・県道2号線)を通す丸子橋(まるこばし)。田園調布側から見ると、丸子橋は武蔵小杉の入口のようだ。急速に発展したこのタウンは、公共交通がパンク寸前だという。 初代(昭和9年完成)の丸子橋は、3連タイドアーチ+10連上部式アーチ橋で延長397mとされる。現在の橋は平成12年に架け替えられたもの。2連アーチが支えるローゼ橋で川を跨ぎ、河川敷を3径間PC箱桁で渡っている。全長は、2×101m+3×66m=400mの橋。 東急東横線と東海道新幹線の橋梁に挟まっている丸子橋。青いダブルアーチは、新幹線からも見える。下りの新幹線で移動する際、丸子橋が見えたら神奈川県だ。そして武蔵小杉のビル群が過ぎてゆく。映画シン・ゴジラでは丸子橋は、都心に向かうゴジラにいとも簡単に破壊されてしまった・・。写真-1 丸子橋で多摩川を渡ると武蔵小杉タウン。写真-2 川幅約200mを二連のローゼ橋で渡る丸子橋。写真-3 力強いアーチ梁が特徴の橋。写真-4 橋の車道部と武蔵小杉ビル群。写真-5 広くて、見晴しの良い歩道。写真-6 橋の高欄と東横線電車。
2018年05月28日
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多摩川にせり出す小山に、神社がある。亀甲山古墳の南端に創られた「多摩川浅間神社」。御祭神は「木花咲耶姫命」(コノハナサクヤヒメノミコト)。社紋に桜の花が使われている。絵馬やお守りにも、桜紋があしらわれていた。 多摩川浅間神社は、東急・多摩川駅から徒歩5分の高台にある。そのため、富士山を遥拝することができる場所だ。参道階段に富士山の溶岩を配している。また、鎌倉時代の北条政子がこの神社の創建に関わっているという。 神社の西側に、富士見晴台がある。多摩川と武蔵小杉のビル群を望む絶景ポイントだ。それ故、映画「シン・ゴジラ」のロケ地に選ばれた。自衛隊多摩川防衛ラインの本部が置かれた。古墳と浅間信仰そしてゴジラ。田園調布の名所のひとつ・・。写真-1 桜の社紋を持つ多摩川浅間神社拝殿。写真-2 浅間神社へ参道入口。写真-3 富士山溶岩を使用した白糸の滝と開運水晶玉。写真-4 多摩川と武蔵小杉ビル群を望む見晴し台。写真-5 亀甲山古墳と浅間神社見晴し台遠景。
2018年05月26日
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多摩川河口より26km地点に、二ケ領上河原堰(にかりょうかみがわらぜき)がある。宿河原堰の上流3.3kmに位置する。二ケ領用水のために、初めて造られた多摩川の取水堰。堰の長さが415mもあり、湛水面は広い。堰から溢れる流水は、白い瀑布となっていた。 コンクリート造りの取水堰になったのは昭和20年。砂礫層の上に建設されたので、「浮き堰堤」とも呼ばれていた。しかし、台風による洪水で破損する。現在のような姿になったのは昭和46年である。可動堰部133m、固定堰部262m。可動部のゲートスパンが40mと大きい。シェル形ローラゲート。 固定堰部は、宿河原堰のように、平成24年に起伏式ゲートに改造された。コンクリート固定堰は、大量の土砂を堆積させ、流下能力を低下させるので嫌われ者。起伏式ゲートの形式は、「SR合成起伏ゲート」。鋼鉄とゴムからなり、圧縮空気を利用して、起こしたり、伏せたりする盾のようなもの・・。写真-1 白い瀑布が続く二ケ領上河原堰。調布市側から起伏堰を望む。写真-2 川崎市側からシェル形の引上げ式ゲートを見る。3門×高5m×幅40m。写真-3 広い湛水面を創り出す上河原堰。直下流の水門は三沢川の逆流防止門。写真-4 ハーフコーン式の魚道と白い瀑布。写真-5 SR合成起伏式ゲートの原理。強靭な風船を内蔵。
2018年05月24日
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多摩川・宿河原堰(しゅくがわらぜき)がリニューアルされたのは平成11年(1999年)。堰の改造ポイントは、固定堰から可動堰へ華麗に変身したこと。また景観に配慮した土木構造物に・・。 堰の水門規模は、次のとおり。引上げ式ゲート:高さ2.5m×30m×1門、起伏式ゲート:高さ2.0m×30m×5門。全幅約220mで、多摩川本流を横断している。魚道も左右岸に3条設置。平時に起き上っている起伏ゲートは、洪水時には倒れて川道断面を大きくする。 宿河原堰は、JR南武線と小田急が交差する登戸駅から徒歩10分にある。多摩川で最古と言われる「ニケ領用水」の取水口もある。古くは1611年頃、竹製の蛇篭で取水していた。コンクリート製の固定堰を建設したのは昭和24年。しかし固定堰のため、流水は堰上げして治水上問題であった。 起伏ゲートの採用は、視界を遮ることなくし、上空の広がりを確保した。2010年に「土木学会デザイン賞 最優秀賞」の評価を得る。黒い洪水が押し寄せる時、ゲートは身を伏せて堤防を守る・・。写真-1 多摩川を横断する新・宿河原堰。写真-2 引上げ式ゲート部。水門脇に魚道がある。写真-3 起伏式ゲート部。赤い小田急ロマンスカーが通過。写真-4 引上げ式と起伏式を拡大。写真-5 堰上流右岸に二ケ領用水の取り入れ口がある。写真-6 新・宿河原堰の説明看板。
2018年05月22日
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複数の橋が集中する荒川河口。江東区と江戸川区を結ぶと同時に、東京と千葉を結ぶ要衝である。最下流に架かるのは、JR京葉線荒川橋梁。7径間のトラス橋で、中央部をアーチで支えて、水運を容易にしている。 架設され50年が過ぎた京葉線荒川橋梁は、水面に近い。あと10m高く、単独に架かる橋だったら、堂々と美しい橋だ・・。いつも思う、ムカデが這っているような感じだ。設計者には申し訳ないが、道路の河口橋に埋没しているようだ。 首都高速の湾岸線と環状線とが合流する葛西JCTもある。橋のジャングルのように見える。橋群の下は、日蔭と淀みがあるので、魚の棲みかに適している。上流の橋は、国道357号の道路橋で、自転車で渡れる。 河口橋の少し上流で河川工事が行われていた。夢の島アリーナに接続する水門の改修工事のようだ。この新砂水門を抜けるで、砂町運河、豊洲運河と水路を進むと隅田川に辿り着く。逆に吾妻橋から下ると荒川河口に到る。水の都、東京の一面を垣間見る。写真-1 荒川河口の橋群を下流から見る。写真-2 JR京葉線荒川橋梁を電車が通過。写真-3 荒川河口の橋群を上流から見る。写真-4 新砂水門の改修工事。写真-5 葛西海浜公園となぎさ橋。
2017年06月13日
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荒川に架かる橋のなかで、夜景が最も美しいとされる五色桜大橋。108個のLED電球がアーチリブに連なる。時に真珠の輝きに似ている。 2002年に開通して以来、この橋で振動発電の実験が行われている。車の振動を電気に変えるユニットを数個設置しているという。スピーカー原理を逆に利用したもの。橋のライトアップ照明の一部をまかなっている。発電量が小さいので、将来照明電力とは異なる電源(センサー、計測装置)に利用されるかも・・。 荒川の土手で春、花見が出来るようになりつつある。そうなると特別ライティングのイベントがあると嬉しいのだが。ダブルデッキ式アーチ橋を五色に彩るとか・・。「東京好快つりー」と合わせて、夜桜見物を楽しめると思う。 写真-1 首都高速環状線を通す五色桜大橋のライトアップ景。 写真-2 五色桜大橋と東京スカイツリー。 写真-3 五色桜大橋の奥に江北橋のアーチが見える。りたつう士。りたつう士。 写真-4 荒川下流から江北橋と五色桜大橋を望む。 写真-5 江北ジャンクション下から遠景の富士も見える。
2016年02月10日
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首都高速中央環状線が荒川を渡す五色桜大橋。アーチの中を2層構造で高速道路を通す、珍しい橋だ。ダブルデッキ・ニールセンローザ橋に分類される。2002年に開通した、橋長146mのアーチ橋。 この橋の右岸側に江北JTCがあるため、道路線形が錯綜しているように見える。2層のうち、上段道路は西に進行し、都内に向かうので上り線。下段道路は東に進行し、都心から離れるので下り線。C1とS1が合流・分岐する場所。中央環状線と川口線が出会う見晴しの良い橋だ。 五色桜橋の名称は、架橋場所一帯がかつて五色桜の名所であったことに由来する。荒川の土手沿線では五色桜の植樹がかなり進んでいる。将来、色とりどりの桜が咲く誇ることだろう。 小生らはバスツアーなどで、五色桜大橋をよく通る。東名道路や中央道を利用する際、都心の渋滞を避けるルートになっているようだ。 夜走ると、東京スカイツリーやビル明かり、そして自動車の光帯が織りなす夜景が美しい。しかし、その時間は短い・・。 写真-1 首都高速環状線を通す五色桜大橋と東京スカイツリー。 写真-2 五色桜大橋と江北ジャンクション。上段道路は西進行、下段は東進行。 写真-3 江北橋から水面に映るアーチを見る。 写真-4 荒川左岸土手・江北JCT側から橋を観る。 写真-5 ダイヤモンド富士が見られる場所近く。
2016年02月08日
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足立区・扇大橋の上流1kmに架かる江北橋。橋長449m、幅員11mの普通の橋。但し、中央スパン部にランガー橋(アーチ橋の一種)が架かる。近くで見ると、多角形が作り出すアーチ形状だ。 江北橋は、首都高速・中央環状線に囲まれて目立たない古参の橋。初代の橋は、関東大震災の4ケ月前に完成したが、不運にも被災した。現在の橋は、大震災後再建された橋を昭和47年に、下流300mに架け替えたという。 コウホウバシは、交通事故が多発した。心霊スポットという噂が流れた時期があった・・。アーチ・リブ梁が車道ギリギリに作られ、運転手に圧迫観を与えそうだ。交通安全対策として、夜間照明を増設している。一般道路に高欄照明を設置するのは珍しい・・。 夕刻、アーチ部と高欄に照明が灯る。明るい若草色の橋は、暗くなると物寂しげな佇まいだ。細長い橋の中間部にポツンとアーチ部が載っている・・。川がS字にカーブする箇所でもある。大震災や大空襲の犠牲者が橋脚や河川敷に打上げられた場所だともいう。 写真-1 都道307号を通す江北橋。足立区の江北地区と宮城地区を結ぶ。 写真-2 橋長449mの中央支間90mがアーチ形状の橋。4と9の数字が並ぶ・・。写真-3 江北橋東詰めの親柱とオブジェ「水」。夜、噴水のように見えるオブジェは、女性の霊に感じるのだろうか・・。写真-4 橋の高欄に蛍光灯照明が設備されている。 写真-5 暗闇に包まれたコウホクバシ。物寂しげな佇まいの橋。
2016年02月05日
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東京都足立区を流下する荒川にシンプルな橋、扇大橋が架かる。この橋の上空に、新しい橋が平行に架けられている。少し離れたところから見ると、二階建ての橋梁に見える。一階が自動車や自転車、2階部分を電車が走っている。 扇大橋は、足立区小台(おだい)と扇地区を結ぶ、橋長445mの3径間ゲルバー橋。隣流する隅田川に架かる尾久橋しは直接接続している。荒川と隅田川との間の僅かな陸地に舎人ライナー・足立小台駅がある。日暮里駅から6分(3km)程度の距離感。 平成20年開業した日暮里・舎人ライナーは、荒川区と足立区を走る、小距離(L=9.7km)・中輸送量の新交通システム。5両編成で坂道とカーブに強く、自動・無人化運転を実施。コンクリート製軌条をゴム製車輪が走行する電車である。 大量輸送に向かない新交通システムではあるが、振動が少なく乗り心地が良い乗り物だ。人口減少・高齢化社会の中、地方での普及が進むとよいのだが。しかし初期投資、維持管理費をどう負担するかが問題・・。ローカル鉄道の憂き目を見たくない。日本各地に無人電車・自動運転車が走る日が来そうだ・・。 写真-1 日暮里・舎人ライナー橋と扇大橋。右手に足立小台駅がある。 写真-2 足立小台駅傍の尾久橋から隅田川を望む。 写真-3 平行に流れる荒川と隅田川を横断する舎人ライナー橋。りたつう士。写真-4 二階建ての橋梁に見える。 写真-5 日暮里・舎人ライナー荒川橋梁の夜景。
2016年02月02日
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首都高が水門を避けるために、平面的にS字に曲げた橋がある。綾瀬川の真中に橋脚(主塔)立てた「かつしかハープ橋」である。48本のワイヤーが織りなす格好が楽器のハープに見えることから命名した名称だ。 首都高速中央環状線を通すハープ橋は、長さ455m、4径間の斜張橋。高さ65mと29mの2本の主塔をもつ昭和62年に完成した。ハープ(竪琴)のS字上梁の滑らかさと優美さを持ち合わせている。国内で珍しい線形の橋だ。高架を走る自動車音が、ハープの奏でる音色に聞こえると良いのだが・・。 ハープを思わせるS字線形に曲げた理由は、上平井水門と中川の出口の存在があったから・・。ハープ橋より上流の高架は綾瀬川左岸沿い、ハープ橋より下流高架は荒川左岸堤防(中川の右岸堤防)に代り、河口で湾岸線と合流する。 ハープ橋を対岸(八広町)から見ると、S字曲線とは思えない。そのため、羽根を広げたトンボ、または紙飛行機のように見える。ドローンで上空から見ると、カモメのように見えるかもしれない・・。 写真-1 葛飾ハープ橋を対岸(荒川右岸)から望む。 写真-2 綾瀬川の終点近くに立つ斜張橋。 写真-3 荒川左岸辺りからハープ橋を見る。りたつう士。 写真-4 平面曲線が優美な橋桁。 写真-5 化粧(ライトアップ)したハープ橋。
2016年01月30日
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荒川と並流する綾瀬川に接するように建っている四ツ木駅。四ツ木付近の荒川左岸土手は、スカイツリーがよみ見える場所。京成押上線で、スカイツリー前から3番目の駅が四ツ木駅。スカイツリーまでは西へ直線約3kmの距離。天気なら歩くべき・・。 「スカイツリー・トーチ」を観た後、スカイツリーが点灯するのを待つ。この日は、特別ライティングの「ラブリー・ショコラ」に当たっていた。バレンタインデーに向けて、ムードを盛り上げるためのようだ。後日、「ホワイト・ショコラ」のライティングも行われる。 14のつく日は、おやつデーが暫く続く。2月14日が場連帯日(バレンタイン)、3月14日が補賄人日(バホワイトデー)、4月14日が柑橘日(愛媛県のオレンジデー)、韓国ではブラックデーというのもある。 東京スカイツリーの天望回廊は、過去に一度上った。その後、周辺や遠くから眺めている。位置確認にとても役に立つ。スカイツリーは、東京7大ガッカリ観光地1位だという外国人がいる。米国の雑誌で紹介されているらしい。その理由として、高額な入場料と待ち時間が長いこと。観光客に人気があるという裏返しでもある。 写真-1 特別ライティングの「ラブー・ショコラ」ツリー。 写真-2 荒川の夕陽と東京スカイツリー。 写真-3 荒川水面の夕照。りたつう士。 写真-4 スカイツリーの夕暮れ。口を開けた魚頭のような雲が迫る。 写真-5 遠くに東京タワーが見える。
2016年01月27日
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木根川(きねがわ)橋は、四ツ木橋の下流500mに架かる道路橋。水戸街道(国道6号)が荒川を横断する箇所に架かる橋が四ツ木橋である。これらの中間には京成押上線の鉄橋もあるので、橋梁密集エリアである。昔は、水道管橋もあったそうだ。 木根川橋は、墨田区八広と葛飾区東四ツ木を繋ぐ都道449号を通す。東京都が管理する橋。昭和44年にトラス橋(橋長=530m)として完成した。完成して47年が経つ。現在、橋の長寿命を目指して、橋脚の改修・補強工事している。都の所管する橋も「高齢化社会」を迎えている。 陽が傾いた頃、木根川橋東詰付近に立つとスカイツリーが巨大トーチに見える。東京オリンピックの宣伝用ポスターに工夫するなど、聖火リレーのコースに取り入れると面白い・・。スカイツリー・トーチを持ってランしよう・・。 キネガワという名称は昔、この辺りが「木毛川村」があったことに由来するらしい。大正期、延長22kmの荒川放水路開削工事の際、村ごと移転の憂き目あっている。神社・仏閣も移動したという。木根川橋という響きは、古地名を思い出させる・・。 写真-1 東京スカイツリーの巨大な「輝トーチ」。 写真-2 木根川橋の若草色のトラスを観る。後方の水色橋梁は京成押上線。りたつう士。 写真-3 長寿命を施す工事が梅雨時前まで続く。 写真-4 木根川橋と輝く「ツリー・トーチ」を観る。 写真-5 木根川橋歩道からスカイツリーが近く見える。
2016年01月23日
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荒川の河口から上流に、4番目に架かる鉄橋は総武本線・荒川橋梁。1971年に完成した長さ611mのトラス橋。荒川に架かる20橋の鉄道橋は、荒川橋梁群と呼ばれる。小生が通勤に使う鉄橋は、つくばエクスプレス線で、河口から9番目の荒川橋梁だ。 東京から銚子まで伸びる約120kmの総武本線。途中、錦糸町駅や小岩駅から分岐する支線があるので、「本線」として区別する。乗り入れている線も多い。中央緩行線(新宿方面)、横須賀線、および地下鉄東西線などある。 総武本線・荒川橋梁は、4本の線路(複々線)が通っている。このうち2本が快速列車や特急列車の専用ライン。特に、墨田区錦糸町駅から千葉駅までを「総武快速線」と案内される。普通列車と快速列車の駅ホームも当然異なる。常磐線に慣れていた小生は、当初戸惑ったものだ・・。 首都圏において、風に弱い鉄道で有名だった総武本線。しかし最近は様子が違う。昨年までに江戸川や荒川、そして高架区間に防風対策が施された。防風柵(FRP製)を設置し、運転中止基準を風速30m/Sに引き上げた。そのおかげで、「強風による運転見合わせ」が減っている・・。 写真-1 河口から9km地点に架かる総武本線・荒川橋梁。長さ611mの堂々たるトラス橋。 写真-2 首都高速中央環状線の下を潜る荒川橋梁。写真-3 複々線が荒川を渡る。写真-4 総武本線・荒川橋梁の橋脚。 写真-5 FRP製の防風柵が設置された海側面。
2015年08月02日
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荒川の河口より上流13番目に架かる平井大橋。都道315号・御徒町小岩線(蔵前橋通り)を通す道路橋。この橋から眺めると荒川は、一直線に上流に伸びている。人口的に造られた放水路であることを実感する。また東京スカイツリーの黒いシルエットが左側に見える。 隅田川花火大会の開催日なので、夕刻荒川左岸の土手を歩く。川幅500m以上もあり、東京湾に近いこともあって都心よりかなり過ごしやすい。但し、川面から西日の反射光は強い。群馬県館林市では連日の猛暑が続いている・・。 荒川放水路は、岩淵水門(北区志茂)から下流の中川口までの約22km区間を開削したものだ。20年の歳月を費やす国家的プロジェクトだった。大正2年の事業開始から数えると、今年で102年が過ぎた。いまでは、放水路という言葉が取れて、単に荒川と呼ばれる。 そもそも荒川放水路は、隅田川が氾濫しないように計画された。当時の流下能力は3,300m3/秒。その後、カスリーン台風などの被害もあって、流量7,000m3/秒(200年確率)に引き上げられた。隅田川もコンクリート堤防が完成して、流下能力がアップ。あと百年間は隅田川が氾濫しないことを願う。写真-1 平井大橋からみた荒川の夕景。東京スカイツリーのシルエットが黒くて大きい・・。 写真-2 荒川放水路の上流・直線区間を望む。旧中川が流れていた区間。 写真-3 隅田川の蔵前橋通りに続く平井大橋を下流から見る。 写真-4 荒川の夕景。平井水門近くの川岸から墨田区方面を観る。 写真-5 広重・名所江戸百景「中川口」。中川と小名木川との交差点付近。
2015年07月29日
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「こうのす」には、日本一が二つある。一つが川幅日本一2,537m、二つ目が水管橋長さ日本一1,101m。いずれも荒川の河川敷の広さ故である。赤いアーチ橋は、とにかく目立つ。地元のランドマーク的存在だ。 鴻巣市大芦と熊谷市小八林とを繋ぐ荒川水管橋は、14連のアーチ橋(ローゼ補鋼式)。昭和59年に完成した上水のパイプライン。荒川左岸河川敷に広がるポピー畑と麦畑に映える。河川敷外の水田からも良く見える。 この水管橋は、直径1.2mのパイプを2条抱えている。埼玉県行田浄水場で作られた上水は、左岸(鴻巣側)から右岸へ送水される。行田浄水場の水源は利根川である。利根川大堰で取水した一部が荒川を越えた地区で使用されているようだ。 荒川河川敷は麦秋を迎えていた。梅雨入り前の乾燥した時期に、熟した麦を取り入れる秋だ。鴻巣市全体の麦収穫量は約1,250トン(米の1/8程度)。ほとんどが小麦である。おそらく幅広のうどんやラーメンに使用しているのだろ・・。 写真-1 2.3ヘクタールのホピー畑から日本一の水管橋を望む。 写真-2 直径1.2mの水道管2条を抱えて、1.1km続く。写真-3 水管橋の背景は秩父連山。 写真-4 水管橋の上流にかかる大芦橋と麦畑。写真-5 コスモスアリーナふきあげ周辺のホピー。秋にはコスモスが咲き乱れる。
2015年06月05日
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河口より上流62km付近の荒川は広い。川幅が2,537mあり、日本一の川幅だという。鴻巣市側(御成橋)の標柱と吉見町側に建つ標柱にタッチして来た。河川敷は右岸側(吉見町)が広い。一般の民家が並び、これが川の中かと思わせる景色に出会う。 県道27号を通す御成橋東詰からは富士山をバックにした標柱を見ることができる。五代目となる現在の橋は、昭和40年に架けられた。18径間。橋長805mの鋼連続橋。後に下流側のみに歩道が増設された。この歩道からポピー・ハッピースクエアが一望できる。 御成橋の名前は、昔あった御成河岸の渡しからきているという。御成河岸の渡しは、当時珍しい官制の渡し。御成とは、徳川家康がこの地に、鷹狩に訪れた際、架けた船橋に由来する・・。渡し場は流れ定まらない河道の維持に、苦労したのではないか。 この地は昔から麦の産地であった。そこでB級グルメ「こうのす川幅うどん」が考案され広まった。うどんの幅が8cmもあるのだ。麺を持ち上げるだけで一苦労。2,537mに因んで、2肉+5卵+3水菜+7茄子が添えられている。こだわりの御麺・・。 写真-1 鴻巣市側・御成橋に建つ「川幅日本一」の標柱。空気が澄んでいれば富士山が見える。 写真-2 荒川左岸より長さ805mの御成橋を眺める。 写真-3 埼玉県吉見町側に建つ「川幅日本一」標柱。 写真-4 吉見町側から川中の県道27号を見る。 写真-5 御成橋からハッピー・ポピー・スクエアを望む。
2015年06月04日
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花畑や麦畑が広がる荒川上流の河川敷。鴻巣市・馬室(まむろ)地区の河川敷は、「ホピー・ハッピースクエア」と呼ばれる。5月中旬から約2週間、ホピーまつりが開催される。きっかけは、河川敷へのゴミの不法投棄防止対策だったという。 地元では日本一広いホピー畑と自慢する。馬室の河川時はこの時期、広さ12.5ヘクタール、約3,000万本のホピーに彩られる。少し上流の吹上河川敷にもホピー畑がある。荒川左岸の広大な河川敷は、季節限定のホピーランドになる。 鴻巣市内は国道17号、高崎線・上越新幹線が南北に通る。江戸期、中山道の7番目の宿場だった鴻巣宿。広重・英泉は、「木曾街道六十九次」の第8景として、この辺りを描いている。細いクネクネ道と富士山そして荷物を背負う旅人・・。 現在版・関東の富士見百景に、鴻巣市御成(おなり)橋付近が選ばれている。ハッピー・スクエア、幸になる四角い広場は、この御成橋の下流に展開する。スクエア下流ではコイノボリが荒川の風をもらい泳でいた。一部のスクエアでホピーの摘み取りが始まっていた。 写真-1 鴻巣ホピー畑の富士遠望。富士の山容が僅かに残っていた。 写真-2 秩父の山並みも見えた。武甲山であろうか・・。 写真-3 荒川の上空を泳ぐこいのぼり。 写真-4 ハッピー・スクエアを散策する人びと。御成橋からの眺め。 写真-5 渓斎英泉の「木曾街道 鴻巣吹上富士遠望」
2015年06月02日
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荒川河口より上流4.5kmに、都道50号(新大橋通り)を通す船堀橋が架かる。昭和49年に架け替えられた長さ524mの橋。橋の両岸の堤防と河川敷は、良く整備されている。特に右岸土手は、荒川スーパー堤防(略:荒川SD)事業後、桜の植樹活動が続いた。東京23区のお花見ベスト30に選ばれるまでになった。 江戸川区が中心となり、桜の名所にするべく平成4年から12年間をかけて、10品種・約1000本の桜を植栽した。新小松橋から下流の「風の広場」まで、南北2kmを小松川千本桜という。今年で12回目の桜まつりを迎えた。 江戸期、小松川地区は、小名木川と中川とが会する場所で、水運が栄えた。小松菜の栽培で知られていた。明治に入ると水運は衰えたが、人口が増えたこともあり、洪水被害が増加。そこに大放水路開削事業が持ち上がり、小松川地区は分断状態となる。 荒川放水路開削事業は、明治44年(1911年)から昭和5年まで約20年間を要した。住民1300世帯が移転を余儀なくされた。掘削量2200万m3(東京ドーム18杯分)、鉄道と道路合わせて17橋を架け替える国家的プロジェクトであった。中川と綾瀬川をも分断した。結果、特異な河川構成を持つ川が出来上がった。写真-1 中川側から小松川桜まつり会場を望む。手前は荒川放水路。写真-2 船堀タワーからの眺めた後、長さ524mの船堀橋を歩いて渡る。 写真-3 小松川千本桜まつり会場。都営新宿線・東大島駅が近くて便利。 写真-4 第12回を数えた桜まつり。年々樹の成長が楽しみだ。 写真-5 小松川千本桜と船堀タワーを望む。
2015年04月05日
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荒川に何とも美しい響きを持った橋がある。かつて架橋地点一帯が五色の霧がたなびくごとく、色とりどりの桜が咲く名所だったことから「五色桜大橋」と名付けられた。明治45年に米国ワシントンのポトマック河畔に寄贈した桜だった。 五色桜大橋は、足立区北部の江北1と宮城1を結ぶ橋長さ146mの二層のアーチ橋である。首都高速中央環状線と江北JCTと王子北出入口にある回廊だ(2002年に開通)。上層部が板橋方面(内回り)、下層部が江北方面(外回り)。上層橋を渡る際に、都内の夜景を眺望することができる橋のひとつ。 二重構造と長スパン橋の特徴を生かして、ある試みが行われた。世界初・走るクルマの振動で発電する橋。夜景を美しく彩るイルミネーションの補充電源として採用された振動発電。発電ユニット10台(0.3m×0.6m)を設置した。スピーカー原理の逆にしたもの。僅かな電力であるが、改良して実用化できればと思う。 似たような試みとして、以前東京駅八重洲改札口でエコ発電が行われていた。発電床と呼ばれ、改札口の足元に敷き、ヒトの歩く圧力と振動などで発電する原理だ。その後普及したとの話はないようだ。近い将来、電車の屋根・壁部に太陽パネルを付け、軌条床には振動発電を施したローカル電車が走るかもしれない。写真-1 足立区北部の荒川に架かる首都高速中央環状線と夜景。 写真-2 日没前の荒川と五色桜大橋。二層アーチ橋(ニールセンローゼ橋)が白く輝く。 写真-3 青色の東京スカイツリーとイルミネーションが灯った五色桜大橋。 写真-4 イルミネーションの補充電源として振動発電が使用されている五色桜大橋。 写真-5 首都高速道の橋梁回廊越し見える東京スカイツリー。
2014年09月10日
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荒川の左岸・鹿浜のスーパー堤防に、足立都市農業公園がある。この公園は、自然との関わりの三原則をコンセプトにしている。つまり、自然と遊ぶ、自然に学び、自然と共に生きる・・。早春に訪れたい場所のひとつである。 農業公園なので、水田と畑が古民家の前に広がっている。都会の子どもたちが、稔った稲穂を鳥から守ること、毎日の水やりと雑草除去などを身近で観察・体験できる公園だ。江戸期の古民家と明治時代の長屋門がこの公園に移築されている。農業が中心だった昔の生活を垣間見ることができる。 この都市公園は、新芝川が荒川に合流する三角地帯に位置する。新芝川は、東京足立区と埼玉県川口市との境でもある。新芝川出口には治水対策のために、水門と排水機場がセットで建設されている。現在水門の耐震補強工事中。しかし川床から躯体を補強するため、工事が平成29年まで続くようだ。 この三角土手は、大変見晴らしが良く、「みはらしの丘」と呼ばれている。関東の富士見百景にも選定されている場所だ。1月と11月にはダイヤモンド富士が見られるビュースポット。富士山を見ながら兄と妹が魚釣りする情景・彫刻がある。ほのぼのとする土手である・・。 写真-1 江戸期・安永2頃の寄棟造り茅葺屋根の古民家。旧和井田家の母屋が足立区に寄贈。 写真-2 明治時代の長屋門(間口17.5m)。谷中門と呼ばれていたものを当公園に移設した。 写真-3 荒川土手・みはらしの丘に建つ「お兄ちゃんと一緒」彫刻像。 写真-4 耐震補強工事中の芝川水門。洪水期は作業を中断。 写真-5 新芝川排水機場樋管と荒川上流を望む。
2014年09月08日
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綾瀬川に小さなトラス橋が架かっている。橋長100フィート(30.5m)の下路式ワーレントラス橋で、京成本線・綾瀬川橋梁である。隣には長さ447mの京成本線荒川橋梁が架かる。上野駅と成田空港を結ぶ68kmのうち、二千二百分の一を受け持つ区間。 京成荒川橋梁-綾瀬川橋梁が作られたのは昭和6年(1931年)。東京と千葉を結ぶ動脈の一つとなって久しい。満員電車の重量と振動を受け続けてきたピアは、かなり草臥れている。あと17年間使用すれば、橋の年齢は百歳をむかえる。架替計画もあるようだが・・。 長い間活躍した橋ではあるが、周辺も地盤沈下し続けた。堤防は順次嵩上げをしたが、橋梁部分は取り残されてきた。隣の道路橋・堀切橋より約3m低い。荒川の治水対策上の弱点になっている個所だ。電車から堀切橋をみると高い位置に見えるはず・・。 荒川の欠損部を必要高さまで、早期に嵩上げる必要がある。洪水時、低い橋桁に漂流物がぶつかったり、ひっかかったりして、流水を堰上げるこが想定される。まして海抜ゼロメートル地帯である。手遅れにならないうちに荒川橋梁、そして100フィートのトラス橋を架け替えしたほうが良さそうである。写真-1 京成本線荒川橋梁と荒川河川敷を望む。綾瀬川水門が左側に見える。 写真-2 都道314号線堀切橋から京成荒川橋梁を観る。老朽化が進む橋脚群。 写真-3 綾瀬川に架かる100フィートのトラス橋。綾瀬川では最も古い橋のひとつ。 写真-4 隣の堀切橋より約3m低い綾瀬川橋梁。 写真-5 垂下る雲と東京スカイツリー。
2014年06月17日
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潮風が快い季節になった。荒川の河口左岸部を通る荒川サイクリングロード(略、荒サイ)は、江戸川の土手の天端道路幅より広い。自転車歩行者道が正しい名前である。ジョギングやウォーキングする人のほうがはるかに多い。 荒川河口には、道路や鉄道のインフラが集中している。湾岸道路に首都高速道路が覆い被さるように架けられている。今や東京と千葉との物流に欠かせない橋梁群である。荒川河口の川幅は約800m、江東区と江戸川区を隔てる境でもある。荒川の左岸寄りは、途中から合流した中川でもある。 河口橋梁群で最も海に近いのがJR京葉線荒川橋梁。JR京葉線を風除けに上流に架かっているのは1996年に完成した荒川河口橋である。国道357号を通すこの橋は、桁下高さ27mと高い。東京都内で第3位の高さを誇る。自転車に乗ったまま渡れる高い橋なのだ。 風が吹くと電車の運転がすぐ止まるのが京葉線と総武線と言われている。特に真南に流下する広い荒川河口部は、海風をもろに受ける。この海風の風圧を低減させるための防風柵設置が始まっている。この柵の設置により、風速5mほど規制緩和される。運転中止基準が、風速25mから風速30mになるという。写真-1 荒川河口からは遠景の富士山が見える。 写真-2 荒川左岸河口の「荒サイ」(自転車歩行者道)と東京湾を望む。 写真-3 七径間ゲルバートラスの京葉線荒川橋梁。隣の荒川河口橋の風除けにもなっている。 写真-4 荒川河口橋に首都高速道路が覆い被さる様子。 写真-5 荒川の上流を眺めれば東京スイカツリーが立っている。
2014年05月26日
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日本一の観覧車がランドマークの葛西臨海公園。赤いシャーレポピーが揺れる芝生公園を訪れた。ヤグルマソウの青色がアクセントになり、今年も鮮やかな花壇が出来上がっていた。毎年、ボランティアによって植えられ、手入れされている。 葛西臨海公園は、江戸川区臨海町の南に位置し、区のなかでも広い町である。四方を「水」で囲まれた水塞の町だ。荒川-東京湾-旧江戸川-新左近川に囲まれている。東西方向に2km、南北方向に1.5kmのエリアに8千人が住んでいる。 数年前に九州の大観覧車「Sky dream Fukuoka」が営業を終了したため、地上高さ117m×直径111mの「ダイヤと花の大観覧車」が現在日本一の規模という訳である。観覧車の管理運営は苦労が多いと思う。強風・大雨での運転中止、季節や曜日による塔乗客の変動も大きいのだから・・。 就業人口9千人の臨海町は、東京都・最東部の海抜0メートル地帯である。津波発生時の避難場所は、4階以上のビルまたは葛西臨海公園の人工の丘だという。バーベキュー広場は標高が10mから12m程度。海岸方面へ出かける場合、防災意識を少し持って出かけよう・・。 写真-1 葛西臨海公園の芝生公園。ダイヤと花の大観覧車は現在日本一の規模。 写真-2 芝生広場を彩るポピーの大花壇。赤色に混じって青いヤグルマソウが咲く。 写真-3 臨海町から東京ケートブリッジを望む。 写真-4 「恐竜橋と扇風機」の構図と呼ばれる風景。 写真-5 葛西臨海公園駅は、ホームから富士が見える駅のひとつ。
2014年05月24日
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隅田川最下流に37本目の橋が架設された。勝どき橋の下流500m、竹芝ふ頭から上流600mの隅田川河口に架かる「隅田川橋りょう(仮称)」である。橋の右岸側に築地市場が広がる。左岸側は運河口(新月島川)にあたる。取り付け部を含む橋の完成は平成27年度を予定している。 大型クレーン船で橋中央部を1日で架けたのは5月8日こと。東京湾・レインボーブリッジの下を巨大な鉄骨を吊り、隅田川を遡上する姿は、ゴジラのようだったという。ゴジラが長さ120mの橋を咥えて、ゆっくり歩く姿を想像する・・。 この橋梁は、環状第2号線の要の場所だ。環状第2号線は、江東区有明を起点として、千代田区神田佐久間町を終点とする延長14kmの都市計画道路。今年3月末に築地虎ノ門トンネルを含む「新虎通り」が開通している。東京都は2020年東京オリンピックの際のメインアクセス道路として期待している。 この橋梁整備工事が完成する頃、築地市場の移転が始まるという。移転先となる新豊洲市場の起工式は、既に3カ月前に終えている。順次、施設の基礎工事を開始している。築地市場跡地の再開発は、湾岸エリアの第一等地である。しかし高いビルの乱立は避けてほしいのだが・・。 写真-1 勝どき橋の下流500mに架設中の「隅田川橋りょう(仮称)」。橋の愛称を応募している。 写真-2 勝どき橋の左岸から架設中のアーチ橋を眺める。アーチ高さは約18m。 写真-3 右岸側に築地市場が広がる。築地移転作業はこれから・・。 写真-4 勝どき橋を下流から望む。河口からアーチ橋が二つ続くことになった。 写真-5 橋梁床版部の断面(幅23.5m)を視る。
2014年05月19日
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江戸期(1654年)江戸市中へ上水を引き、衛生面の向上、ひいては町の繁栄を支えた玉川上水。この玉川上水の起点が多摩川・羽村にある。水を取る堰の下流左岸に公園があり、功績者である玉川兄弟の銅像が設置されている。多摩川河口より上流40km地点である。 多摩川本流をせき止めて、水道の原水を玉川上水路へ導く羽村取水堰。この堰は、昔ながらの方法による水とりが行われている。コンクリート造りの固定堰の他に、左岸寄りに「投渡堰」が併設。投渡堰とは、堰の支柱桁に丸太や枝を渡すやり方。洪水時には流されるか、撤去して水門等の施設を守る。 川中の固定堰が常用水路で、投渡堰が非常用洪水吐きに早変わりする訳だ。第1水門より取り入れられた原水は、玉石積み擁壁の流入部を経て、500m下流の第3水門まで流れ、ゴミが除去される。この間の水路幅は運河のように広いが、第3水門を過ぎると小さな小川になる。 第3水門では、原水が3つに分けられる。(1)本来の玉川上水として流れる水。(2)多摩湖や狭山湖の補給水となり東松山浄水場へ行く水。(3)ポンプアップして3km上流の小作浄水場へ行く水。看板のフロー図を観ると朝霞浄水場で利根・荒川の水と連携している。首都圏の水ネットワークの起点でもある。 写真-1 多摩川本流に造られた羽村取水堰。川の中央部に固定堰、左岸側に投渡堰が見える。 写真-2 羽村投渡堰とその下流減勢の段差工を観る。 写真-3 第1水門を下流から観る。手前が旧水門、奥に見えるのが新水門。 写真-4 案内看板の「多摩川の原水の流れ図」。 写真-5 第3水門の左岸側の水門から勢いよく流出する。原水の行き先は多摩湖や狭山湖。
2014年05月17日
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関東のつつじ寺として知られている塩船観音寺。5月上旬に1万7千本のツツジで山は彩られる。否、山とは言い難く、谷地形とは少し異なる斜面だ。半スリ鉢状の地形であり、舟の中に寄り添って咲いているようだ。周囲の情景が小山に囲まれて、舟の形に似ているが地名の由来とか・・。 塩船観音寺は、JR青梅駅の北東3kmの丘陵地にある。入間川の支川・霞川の上流、霞丘陵自然公園に接している。山門、本堂、護摩堂、観音像ほぼ一直線状に配置され、山門から観音像展望台までの坂道は約500m。高低差が45mで適度な運動になる。 本堂(観音堂)には、十一面千手観音(像身丈1.4m)が安置されている。本堂は木造・寄棟作り。茅葺屋根が特徴、室町時代の建築で、国の重要文化財となっている。火災に特に注意しているという。山号を「大悲山」と名付けられ、開山が西暦650年頃とされる。歴史ある花の寺。 平和観音像の台座(標高220m)は展望台となっており、境内に集合したツツジを一望できる。手入されたツツジは、それぞれ表情や容姿が異なるそうだ。展望台からは、気象条件が合うと秩父の山並や富士山を望めるという。訪れた日は曇りで、霊峰の拝観はできなかった。 写真-1 すり鉢状の斜面が1万7千本のツツジで彩られる岩船観音寺。 写真-2 急斜面のツツジも手入れが行き届き、訪れる観光客も感動する花景色。 写真-3 舳先に当たる観音像展望台からツツジと青梅市街を望む。写真-4 茅葺屋根の本堂(観音堂)。国の重要文化財、防火体制は万全。 写真-5 左手に水瓶を持つ平和観音様。
2014年05月15日
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暑さがやわらぎ始めた。アルバイト帰りに途中下車して、神田川-隅田川を久しぶりに涼風観歩する。JR浅草橋駅で降りて、TX浅草駅で再度乗車する約3.3kmである。特別ライティングが実施中の東京スカイツリーを観ながら、真新しい隅田川テラスーも歩いた。 神田川の浅草橋は、隅田川合流点から250m上流にある。国道6号線を通す交通の要衝だ。浅草橋のひとつ上流に架かる橋は左衛門橋で、管を脇に抱えている。この橋を渡って始めて気が付いたことがある。3つの区境になっているのだ。つまり、中央区、千代田区そして台東区が交わる橋。 神田川最下流に架かる橋は柳橋である。柳色の緑のトラスが力強い橋。付近には屋形船が休んでいる。花火大会などでは総出陣するのだろが・・。柳橋から隅田川に架かる両国橋へは目と鼻の先。両国橋は様子が変わっていた。塗装工事を終え、黒っぽい落ち着いた色に変身していた。 両国橋は、江戸後期に隅田川に2番目に架橋され「大橋」と呼ばれていた。花火見物の名所である大橋は、洪水、火災などで幾度となく消失している。近代的な鉄橋になったのは明治37年で、曲弦トラス3連橋。大勢の人が載っても安心できる橋がやっと出来たのだ・・。 写真-1 浅草橋より神田川最下流をみる。隅田川まで250m、緑色の橋は柳橋。 写真-2 浅草橋より神田川上流をみる。水色の左衛門橋まで屋形船が停泊している。 写真-3 神田川140番目の橋。しなやかの柳を連想できないが、力強さを受ける曲線。 写真-4 白黒で撮影した訳ではない。以前のブルーから変身した両国橋。写真-5 トラス橋になったばかりの明治42年の両国橋風景。隅田川テラスギャラリーの展示絵。
2013年08月29日
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村山貯水池を多摩湖という。東西方向に細長い湖面は奥行き約4kmである。その湖面の左岸に沿って埼玉県と東京都の境界線が走っている。多摩湖は、東京都内にある最大の人造湖なのだ。その長い湖面を分断するように村山上ダムが築造されている。 村山上ダムより上流(西側)が村山上貯水池、下流(東側)を村山下貯水池と区分けされる。上空から眺めると、上貯水池・下貯水池、および山口貯水池は同じ水面標高と見えると思う。しかし、上池の水面高さは下池より約10m高い。上貯水池と山口貯水池とは連絡管で繋がり、同一の水位である。 村山上ダムは、大正12年(1924年)に造られた堤高24mのアースダム。村山下ダムは、昭和元年に造られた堤高33mのアースダム。二つ合わせると貯水量は約1,500万m3となる。東京都への配水量が日当り420万m3とされているので、3.5日分の貯えである。一人当り0.33 m3の水を使用している。 多摩湖および狭山湖の水の一部は、朝霞浄水場へ送られる。一方、利根川大堰から取水された水は、荒川を経て朝霞浄水場へ送られる。利根川-荒川-多摩川は連携している。一方の川の水量が少ない場合を想定した水のネットワークだ。来るべき大震災時にはどのように機能するのだろうか・・。写真-1 村山上ダムの上流面と村山上貯水池を左岸より望む。写真-2 村山上貯水池の高さ27.5m取水塔。4つの取水口が付いている。写真-3 村山上ダムの下流面と村山下貯水池を左岸より望む。写真-4 村山上ダム近くに建つ八角五重塔。チベット風か・・。写真-5 利根川と多摩川との関係を示す水のネットワーク図。
2013年07月17日
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西武ドームのとなりに「ところざわのゆり園」がある。初夏の花・ゆりの花が50種・約45万株が咲く。狭山丘陵の自然林約3万m2の公園である。園内には約1kmの遊歩道あり、日陰をゆっくり歩くことが出来る。花の彩りと淡い香りで癒される。 ゆり園を含む西部遊園地一帯を「アッハの森」とも呼ぶ。2010年に公募で命名される。アッハとは元気に大きく笑うという意味。アッハハ・・がこだまする森を目指すというものだ。小鳥の鳴き声が響く森と共栄を図ってほしい・・。 狭山丘陵には、トトロふるさと基金で取得した「トトロの森」が20箇所程あるという。その多くは一般市民向けの散策地として公開されている。首都圏に残された緑の孤島は、東京都の水源池に隣接している。 ゆりの花名には、風に吹かれるとゆらゆらするという「揺り」説がある。丈夫で育てやすいため、たくさんの品種(100種以上)ある。アッハ森のゆり園に咲く種類は、パンフレットによれば「透かしユリ系」が30種と「ハイブリッド系」20種とある。とても名前と花姿を覚えることは無理だ・・。写真-1 ゆり園入口付近の華やかな斜面。彩り豊かな百合さんが集合・・。写真-2 紅い百合の斜面。遊歩道から斜面を見上げる。写真-3 白い百合。樹木のなかに清楚感が漂う。写真-4 ピンクの百合。ハイブリッド系(品種改良型)のようだが、名前はよくわからない。写真-5 手前のユリは、「ショッキング」と云う品種らしい。
2013年07月13日
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住吉駅(半蔵門線)は、四方を人工河川(運河)で囲まれている。東西南北方向に流れる川は、一辺の長さが約1kmで格子状の配列である。一周4km以上の散歩。川底のクラゲやサカナが見えるほど水質が改善している。昔、隅田川以東は貯木場と縦横に走る水路からなる水の街だった。 住吉駅を中心して、各川をみると以下のようである。東を流れるのは横十間川で、北十間川に通じる。南を流れるのは小名木川で、隅田川と旧中川を繋ぐ。西を流れるのは大横川で、木場へ通じる。北を流れるのは竪川(たてがわ)で、上空に首都高小松川線が通る。川底にはクラゲを見かける。 この四角形面積の約1/5を占めるのが猿江恩師公園である。かつては幕府の貯木庫があったところで、園内に木蔵の面影を残す池がある。中央公園には日当りの良いと桜芝生があり、更に東京スカイツリーも間近に見えるので、桜の名所として人気上昇だ。 小名木川はかつて行徳の塩を江戸へ運ぶ塩の道と呼ばれていた。現在、その水辺は環境保全事業が行われている。新「塩の道」と呼ぶ護岸遊歩道が整備されつつある。横十間川との交差点にはX型のクローバー橋が架けられ、4地区の住民の交流の場にもなっている。写真-1 猿江恩賜公園のミニ木蔵池。かつて幕府の貯木庫の面影残す。写真-2 横十間川と小名木川の交差点に架かる小名木川クローバー橋。写真-3 小名木川クローバー橋から水門橋を見る。この水門から一定量放流されている。写真-4 地盤沈下地帯のため隅田川より約1m水位を下げている。そのための扇橋閘門。
2013年04月27日
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東京でも桜が満開をむかえた。隅田公園へ桜散歩に出かける。台東区側では一部工事中(工事終了は3月末)なので桜橋まで歩く。桜の開花が早まり工事関係者も誤算であろう。桜橋から両岸の桜を眺めた。この橋は台東区と墨田区が施工主体となって、1985年に完成させたX字形の歩道橋である。 両岸を眺めると今年は、左岸・墨田区側の花のツキが良いようだ。従って、墨堤通りの隅田公園にて休憩する。墨堤(ぼくてい)は江戸時代、堤防の保護と風流を考えて桜が植栽されたもの。墨堤通りはその名残を留める。 墨田区は、墨堤(墨)+墨田側(田)から命名されたという。戦後の昭和22年に、北部の向島区と南部の本所区とがひとつなった経緯がある。明暦の大火(1657年)で江戸市中の大半が焼失した際に、幕府は両国橋を架け、南部に武家屋敷を移転させた。「本所と向島」との言い方に歴史を感じる。 週末(3/23、3/24)は花見がピーク。都内の私立大学では卒業式が行うところも多いはず。桜満開での卒業式は、本人達にとって印象強いものになるだろう。早いサクラサクは、合格者にとっても快いもの。一方、入学式や入社式の頃は、「花筏」を見るようになるだろう。 写真-1 言問橋から隅田川上流を望む。唱歌「花」が聞こえそう。春のうららの・・。写真-2 墨田区の隅田公園。錦おりなす・・長堤に・・祭り提灯がつながる。写真-3 のぼりくだりの船を・・船首の風・・花と散る・・眺めを何に・・例えるべき。写真-4 桜に電波塔・・眺めを何に・・例えるべき・・。
2013年03月24日
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佃大橋の東500mに若草色した相生橋がある。隅田川は永代橋の下流500m付近で東西に分流する。東流後、最初にあるのが相生橋である。佃大橋と相生橋からそれぞれ南に500m歩くと地下鉄月島駅となる。相生橋は1998年に架け替えられた長149mのトラス橋で比較的新しい橋。 明治の頃、佃島と越中島との間には中ノ島があり、長短二本の橋が架かっていた。相生大橋と相生小橋である。この二つが相会う場所は、月見の名所であったという。二つの橋が寄り添っている姿は、「相生の松」を連想させたのだろう。 相生橋左岸の橋台付近は、中の島公園となっている。東京都が隅田川の水上公園として整備したもの。中の島公園は、南北140mの細長い公園。現在は越中島側が埋め立てられている。その形は月が欠けたようにも見える。相生橋桁下には、一風変わった上下流連絡通路がある。 中の島公園の南側は、晴海運河前庭部にあたり見晴しが良い。また、この公園は感潮池になっており、満潮時には浸水するようになっている。引き潮の際、入り込んだ小魚などを観察できように考えた人がいた。しかし訪れた時は釣り人の専用スポットになっていた。写真-1 右岸下流より相生橋を観る。橋長149.1mの3径間鋼トラス桁橋。写真-2 相生橋を佃から観る。川に斜めに架かっているので上下流のトラス高さが異なる。写真-3 相生橋桁下の上下流連絡通路。潮が満ちてきたら、円柱に乗り水の中を覗く。写真-4 中の島公園南側の感潮池。釣りをする格好の場所となっていた。
2013年01月28日
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隅田川に架かる清洲橋の東に「名石の野外展示場」がある。東京都公園協会が管理運営する清澄庭園である。園内には、国内各地から取り寄せた名石が泉水池の周りに配置されている。風雨に晒されて黒ずんでいるものもある。近くで観察すると各石の特質がわかる。 清澄庭園は、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡とも伝えられ、その後大名の下屋敷になったという。明治になり、岩崎弥太郎が日本を代表する55個の岩石を「深川親睦園」に配置し、現在に引き継がれている。当時は隅田川の水を引き入れたもので、海に近いため潮の満ち干を庭で見ることが出来た。 岩石は、その成因から大きく3つに大別されている。火成岩、堆積岩そして変成岩である。清澄庭園の石には、岩石の名称と分類、および産地が標記してある。園で目につくのは御影石。御影石は火成岩の花崗岩にあたる。兵庫県御影地方で産出して各地に広まった所以がある。 庭園で最初に目立つのが仙台石の石橋。仙台石は堆積岩で三畳紀の砂質頁岩。板状に産しスレートである。宮城県石巻市稲井町に産するので「稲井石」とも呼ばれている。東京駅丸の内駅舎の屋根にも宮城県産の天然スレートが使われている。震災に調達できるのか話題になっていた。写真-1 清澄庭園の泉水と大正記念館を望む。写真-2 仙台石の石橋。稲井石とも呼ばれる堆積岩。写真-3 さぬき御影石(花崗岩)を用いた山灯篭。 写真-4 相州・真鶴石。神奈川県真鶴町に産する安山岩。写真-5 紀州青石。紀ノ川流域に産する緑色片岩。
2013年01月14日
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長瀞の岩畳とその周辺は、多様な岩石が分布している。これらをよく観察すると、地球の地殻内部を垣間見ることができるので、「地球の窓」と呼ばれている。秩父ジオパーク(2011年に認定)を構成する中核サイトである。 上長瀞駅の近くに県立自然の博物館がある。この博物館の入口に「日本地質学発祥の地」の碑が立っている。明治10年頃近代地質学が導入されるや、ドイツのナウマン博士が訪れ、調査研究が全国的に広まったとされる。この記念碑の岩石は、「赤鉄石英片岩」と呼ばれる。 自然の博物館近くの河原には、茶褐色と白色の縞模様をした長さ15mほどの岩が横たわっている。トラの毛皮のように見えることから、「虎岩」と命名されている。緑色片岩に挟まれように産状し、その存在が際立っている。更に、褐色の鉱物(スティルプノメレン)も珍しいとのこと。 ライン下りの出発点近くに、国道140号・親鼻橋が架かっている。この橋の右岸袂に天然記念物「紅簾石(こうれんせき)片岩」があり、荒川の流れを受け止めている。親鼻橋の直下流には秩父鉄道・荒川橋梁が現役で頑張っている。大正初期の赤レンガ橋脚とSLが走る景勝スポットだ。 写真-1 褐色と白色の互層がうねり、虎の毛皮に見えるという「虎岩」。写真-2 県立自然の博物館入口に立つ「日本地質学発祥の地」の碑。写真-3 荒川の流れに洗われる「紅簾石片岩」(大正14年名勝天然記念物に指定)。 写真-4 秩父鉄道荒川橋梁。高さ20mほどの赤レンガ橋梁が自然に融け込む景勝地。
2012年10月12日
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長瀞(ながとろ)渓谷は、荒川の河口から約120km上流にある。秩父鉄道が荒川に沿うように走る所で、6kmに渡って独特の岩壁が続く。長瀞駅近くの岩畳が有名で、和船によるライン下りの主要基地になっている。紅葉で賑わう前に訪れた。 岩畳は三波川変成帯と呼ばれる結晶片岩からできている古い地層(白亜紀)である。この地層の露出した地帯を荒川が浸食して、幅80m×長さ500mの河岸段丘ができた。タタミを敷き詰めた岩場は、散策できるので、ジオサイトになっいる。 「瀞(トロ)」とは、川の流れがゆっくりしているさま。トロの右岸に小さな島が浮かんでいる。長瀞観光を代表する「蓬莱島」だ。トロを海に喩えると、小島は東方に位置する。中国神仙伝説の不老不死地を意識したのだろう。蓬莱島から昇る月明りは、トロの水面に映え美しいだろう。 岩畳上流の対岸には、「秩父赤壁」と呼ばれる高さ20mの岩崖が暫く続く。この岩壁面が西向きなので、夕陽に照らされ赤く染まるという。更に上流へ200m歩けば、ライン下り最大の難所、「小滝の瀬」の音が迫ってくる。夏場はカヌーなどの人気スポット。静と動が混在する荒川上流である。写真-1 長瀞の海と蓬莱島を望む。ライン下りの乗船場でもある。写真-2 結晶片岩がタタミを敷き詰めたように広がっている。写真-3 岩畳の対岸は「秩父赤壁」と呼ばれる。西陽がよくあたる岩壁。写真-4 ライン下りAコースの難所「小滝の瀬」。カヌー乗りの人気スポット。
2012年10月10日
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東京スカイツリー建設に伴い、息を吹き返した運河がある。カヌー遊びが可能となる。隅田川と旧中川を結ぶ延長3.2kmの北十間川である。江戸初期に開削された運河で、当初は農業用水路として使われた。川幅が10間(18m)あり、本所の北側を流れていたので、北十間川と呼ばれた。 ゆるやかな流れの北十間川は、スカイツリータウンの南を流れ、この一画に潤いを与えている。両岸450mに渡り、遊歩道や親水テラスが整備されている。また、ソラマチ広場への連絡に「おしなり橋」が架けられ、きれいになった川面を真上から覗くことができる。 10年前、ヘドロやゴミが堆積して、異臭が漂う川であった。流速が遅く、川床に有機物が沈殿し易い。そのためどうしても水質が悪化してしまう。今回の整備事業では、水質浄化用に、噴水式曝気装置を5箇所程配置している、赤トンボが飛び交い、魚が泳ぐ水辺になることを願う・・。 18時のライトアップ雅の写真を撮影して帰宅した。この日(9/29)は満月の一日前。雲間が多かったので、美しい月はお預け。9月は満月を2回楽しめる。ブルームーンと言われ珍しい事象。月の公転周期ズレから、約2年半周期に「青い月」がやって来る。台風17号は青い月を吹き飛した・・。写真-1 きれいな水面になった北十間川に映る逆さスカイツリー。写真-2 水質浄化作戦に投入されている噴水式曝気装置。奥の方では、カヌー遊びをしている。写真-3 「プレブルームーンと東京スカイツリー雅」 [9/29日18時半頃、墨田公園にて]写真-4 「手を繋いでスカイ道路を歩き、スカイツリーへ登ろう」。業平橋傍の記念写真台。
2012年10月01日
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荒川河口には、橋が密集している。葛西臨海公園西側に位置する橋梁群である。下流から、(1)JR京葉線荒川橋梁、(2)首都高速荒川湾岸橋、(3)国道357号・湾岸道路河口橋が並行している。更に、高速道路が合流する葛西JCTのポイントもある。 荒川の終点は、この橋梁下流付近と思われがちであるが、実は約2km上流。荒川と中川が合流する付近に、「河口から0 km」キロポストがあるのだ。しかし実質的には河口橋梁群より1.5km海側で、西なぎさの潮流堤先端までが荒川の流れと思われる。港湾と河川との行政が混在する海域だ。 荒川放水路は、大正13年から開削された。その後昭和30年代から葛西海岸の埋め立てが進み、鉄道・高速道路等が順次造られた。上流側の荒川河口橋は、平成8年に新たに架設された。桁高が27mと高く、都内で3番目の高さだと言う。安全な歩道もあり、夕方散歩したくなる850mの橋だ。 荒川放水路完成後は、大きな水害は生じていない。しかし東京都には浸水想定図がある。200年に1回の大雨が生起した場合の想定である。この場合、3日間の総雨量を540mmとしている。最近の降り方を鑑みれば、過去に経験したことがない大雨に遭遇する事例が多い。避難場所の確認が大切。写真-1 葛西海浜公園から荒川河口と橋梁群を望む。写真-2 荒川河口ではヨットが気持良さそう。東京ゲートブリッジ(恐竜橋)を望む。写真-3 左岸上流より荒川河口橋を望む。荒川左岸を南下して来た中央環状線が合流。 写真-4 潮流堤の先端で翼を休めているウミ鵜?黒い羽は紫外線対策にも有効。
2012年08月10日
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荒川の河岸段丘に広がる秩父市街地の中心部に、柞乃杜(ははそのもり)がある。母巣の森とも表記する。この森を境内とする古社がある。創建が2000年前以上と言われる秩父神社である。その頃は「知知之国」と呼ばれ、神話の世界に近い。 秩父神社は、徳川家康が再建した権現造りの華麗な建物。この本殿・拝殿には、数多くの彫刻で彩られている。江戸初期の伝説の彫刻職人・左甚五郎が彫ったとされる作品があるのだ。左甚五郎と言えば、日光東照宮の「眠り猫」が有名。彼の作品は、日本全国に100箇所以上あるという。 本堂正面(南面)には、「子宝・子育ての虎」が飾られている。家康が寅の年、寅の日、寅の刻に生まれたことに由来するという。東北面(鬼門側)には、守護を意味する青龍「つなぎの龍」が掲げられている。鋼製の鎖と彫刻の組み合わせがユニーク。色鮮やかな彫物と森の空気で英気を養える。 秩父神社の南側には、昔の町並みが保存されている。番場通り・買継商通りには、昭和初期の古い建物がいまでも活躍している。秩父織物の出荷する商店や織物工場が軒を連ねた場所。かつての「秩父銘仙出張所」跡の蕎麦店は、平成16年に文化庁有形文化財に登録されている。写真-1 彫刻が彩る秩父神社。参道の南延長線上6kmに武甲山(妙見山)がある。写真-2 本殿正面に飾られている「子宝・子育ての虎」(左甚五郎の作)。写真-3 本殿北東面に掲げられている「つなぎの龍」(左甚五郎の作)。写真-4 「買継商通り」の蕎麦店。昭和初期の建物で、文化庁有形文化財の登録証がある。
2012年06月22日
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秩父武甲山の北方4kmに羊山公園がある。大型連休期間中「芝桜の丘」は、芝桜の株数よりも人の数のほうが多い。近くの荒川はこの一帯では北へ流れる。長瀞(ながとろ)付近から東側に流れを転じ、埼玉県を縦断する。秩父駅から西へ1km歩けば荒川である。 秩父鉄道の御花畑駅(芝桜駅)から徒歩15分の処に羊山公園がある。羊山公園は、秩父市街を見下ろす小高い丘が南北に連なる。その南側に、芝桜の丘がある。武甲山を望みながら、鮮やかな芝桜を観賞できる丘。アニメ「あの花・・」では一面黄色に。菜の花畑に替えた場所だという。 たまたま芝桜駅で、SL列車が発着する場面に遭遇。「パレオエクスプレス」と呼ばれ、都心から一番近い蒸気機関車・・がキャッチフレーズ。パレオとは、2000千万年前この地方に生息していた「海獣パレオパラドキシア」。休日には満員となる四輌編成のC58形SL列車。 芝桜の丘には、9種類40万株以上の芝桜が植えられている。白い花の帯が武甲山へ続く。川の流れの様にも見える。東斜面には、祭りの「囃子手(はやして)」が着込む紅白の襦袢模様をイメージしたデザインが広がる。秩父の祭りは、祭法被(はっぴ)ではなく、男も艶やかな襦袢を身に着ける。 写真-1 芝桜の丘から武甲山を望む。白い芝桜の種類は「リットルドット」。写真-2 芝桜の丘から武甲山を望む。紅い芝桜の種類は「スカーレットフレーム」。写真-3 東斜面にデザインされているのは、秩父祭で使用される紅白の襦袢をイメージ。写真-4 四輌編成のC58形SL「パレオエクスブレス」。熊谷駅と三峰口を2時間半で結ぶ。
2012年05月01日
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JR王子駅の西側の石神井川沿いに「滝野川」という地名がある。渓谷と紅葉の名所だったことを物語る「滝野川紅葉中学校」の校舎がある。 この校舎に近接して正受院が佇む。戦後、胎児の納骨堂をつくったことから「赤ちゃん寺」とも呼ばれている。また千島探検家の近藤重蔵の甲冑姿の石造もある。本堂の裏側には、江戸の名所「不動之滝」跡碑がある。この滝を浴びると病気が治ると信じられていた。 滝野川は、複雑な変遷を経て現石神井川となった。石神井川は流路25kmの一級河川で、荒川水系に属し隅田川に注ぐ。流路の一部(長さ約250m)がJR王子駅月台(プラットホーム)下を貫流している。1958年の狩野川台風で王子駅が冠水したため、治水用のバイパストンネルが2条建設された。 石神井川に限らず都内の中小河川の洪水対策降雨強度は、50mm/時間程度が一般的。地面がほとんど見えない都心では、降った雨がそのまま短時間で流出する。更に昨今の多発するゲリラ豪雨。この夏の雨の降り方と台風の進路に思いを巡らす。 写真-1 松橋から石神井川下流を望む。擁壁護岸のカーブした先には、水路トンネル呑口がある。 写真-2 正受院前の鐘楼門。かつて、この辺りに名所・王子不動之滝があった。写真-3 JR王子駅下を流れる石神井川。飛鳥山公園付近から2条のバイパストンネルが貫流する。写真-4 広重名所江戸百景「王子滝の川」。右端に不動の滝を描いている。 にほんブログ村
2012年02月14日
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荒川中流域の支川に菖蒲川という延長3kmの1級河川がある。戸田市南町から荒川堤防にそって流下し、途中の戸田漕艇場の排水を集め三領水門を経て荒川に出る。また菖蒲川と旧中山道と交差する場所が川岸橋である。近くには、「戸田の渡し跡」や水神社がある。この三領水門は、設置されている地名が川口市緑町なので、水門ゲートには緑色の塗装が施されている。近隣住民には緑水門として親しまれている。また、緑水門の下流3.5kmには岩淵水門の赤門と青門があるので三色が揃う。荒川を船で行き交う人々には格好の道標であろう。 菖蒲川は、江戸時代に農業用に開削されたが、いまは内排水が主目的。川沿いには明治乳業や神戸屋などの工場や住宅が建ち並ぶ。川の水質悪化が問題となっているため、逆に菖蒲川へ荒川の水を流入させて浄化に努めている。河川の管理には、平時と異常時がある。 緑水門は、荒川が増水した場合の防塁である。すぐ脇には、排水能力35m3/秒を有する三領排水機場がある。しかし、近年の気象変化に対応するために排水機場の更なる能力増強が検討されている。治水事情は各地区で異なるだろうが油断しないことだ。自分の所は大丈夫だとの思い込みを捨てること・・。写真-1 旧中山道ルートでもある川岸橋から菖蒲川下流を眺める。川沿いに工場やビルが並ぶ。写真-2 「緑水門」こと三領水門を菖蒲川から見る。水門規模は2門×幅18m×高27.5m、1991年に完成。写真-3 荒川側より緑水門を観る。下流には赤水門と青水門があり、川行く人の目印となっている。写真-4 緑水門の下流3.5kmにある旧岩淵水門の赤水門。遠くに秩父山系が見える。人気ブログランキングへ
2011年10月23日
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「あらちゃん」で注目を浴びている荒川中流域。東京湾から24km上流に戸田橋が架かっている。アザラシが辿り着いた水域は、更に11kmも上流である。戸田橋は、板橋区と戸田市を渡す国道17号(中山道)の長さ519mの橋。その200m下流に「戸田の渡し」がある。 戸田橋とその上流の笹目橋の区間(約4km)は、荒川が東から西へ流れている。これと並行に戸田漕艇場がある。そして荒川の流れは、戸田橋を過ぎると南側へフックする。洪水時、カーブの内側に当る堤防は、激流と洗掘に曝される。そんなことを思い、つい低地の住宅街を観てしまう。 戸田橋下流の戸田市と川口市は、これまで洪水による冠水被害を受けている。カスリーン台風はもとより昭和33年の台風22号では、両市合わせて8万2千戸以上の浸水被害を受け、災害救助が適用された。堤防の強化と排水機場増強を長年かけて今日に到る。タイを襲っている大洪水も人事と思えない。 10月17日付で志木市は、迷子のアザラシに「志木あらちゃん」として特別住民票を交付した。戸田市長は、通り抜けられ悔しがっていたが、戸田水域は少々騒々しいのだ。「あらちゃん」は、護岸工事と水上モーターボートの雑音を避け、上へ上へと秋ヶ瀬取水堰まで来てしまったのだろう。 写真-1 河口より24km付近の荒川に架かる国道17号(中山道)戸田橋と新幹線が走る荒川橋梁。戸田市側より見る。写真-2 戸田橋の下流約200mに残る「戸田の渡し」跡。旧中山道は、住宅街があるため暫し途切れる。写真-3 「英泉 木曾街道 蕨之駅 戸田川渡場」。最盛期13隻の舟が行き来きしたという。 写真-4 戸田橋から荒川上流を眺める。眼下に水上モーターボートが走る。「あらちゃん」もビックリだろう・・。 にほんブログ村
2011年10月21日
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河口より18kmの荒川右岸にハートアイランド新田がある。東京都足立区の高層マンションが建ち並ぶ。そこは、隅田川と荒川に囲まれたスーパー堤防の敷地だ。隅田川が旧カーブする場所で、「天狗の鼻」と言われる廻りの低地を盛り上げたものだ。 荒川には、5地区のスーパー堤防(延べ5.9km)が完成している。堤防幅が高さの30倍以上となるスーパー堤防は、洪水や地震にも壊れない町づくりを目的としている。そのひとつが、荒川放水路によって分断された新田地区。首都高速環状線の道路高架橋が横断し、荒川に架かる五色桜大橋が美しい。 新田地区から約2km下流にも、スーパー堤防小平地区(延長670m×幅180m)がある。この一画に東京都交通局の運営する日暮里・舎人ライナーの小台駅がある。扇大橋より5m程度高いところを舎人ライナー荒川橋梁が併行して架かっている。最新の運行システムで2008年に9.7kmを開業した。 スーパー堤防事業は、新政権の事業仕分けで大幅縮小された。今後このような街づくりは出来ないだろう。急務の事業が眼前にある。3.11大震災で被害を受けた利根川等の堤防修理と補強、及び奈良・和歌山の土砂崩れとせき止め湖の対応だ。災害復旧費では足りない。今後、河川管理維持費が更に増大しそう。 写真-1 隅田川の「天狗の鼻」近傍から五色桜大橋を観る。荒川と隅田川とが最接近箇所 写真-2 スーパー堤防の新田地区にはハートアイランドの高層マンションが建ち並ぶ。隅田川が流れている。写真-3 首都高環状線の五色桜大橋。二層構造のニールセンローゼ橋。振動発電の照明実験に挑戦・・。写真-4 5両編成の電車が走る日暮里・舎人ライナー荒川橋梁。 緑色の扇大橋を見降ろす位置。 にほんブログ村
2011年09月25日
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荒川放水路と岩淵水門は、荒ぶる洪水から首都東京を防御するために造られた。明治43年の大水害がきっかけ。水門下流から東京湾に向け、幅500m×延長22kmの放水路を約20年かけ完成させた。浚渫土量が2,100万m3を超える国家的治水事業だ。以後、岩淵水門が起点となり旧河川が隅田川となる。 岩淵水門(青門)から旧岩淵水門(赤門)を見通すことが出来る。旧岩淵水門の完成は、大正5年(1916年)から8年を要する難工事であった。役割は、荒川が暴走した際に水門を閉めて、洪水を放水路へ流し、隅田川を守ることだ。赤門が老朽化と地盤沈下のため、新水門の青門が昭和57年に造られたのだ。 荒川放水路を大き目に造ったおかげで、水門を閉じたのは過去4回だと言う。岩淵水門は、高さが33mを超え、ゲート(幅20m×高16.2m)が重いので、巻き上げ室が大きい。従って、頭でっかちの昔風ロボットが並んでいるようにも見える。普段の水門は、船が航行できるように開かれている。 荒川を鎮める治水対策は、流域の特徴を生かし3フレーズが用意された。(1)上流域はダムを活用。(2)中流域は調整池に呼込む。(3)下流域は放水路を開削。しかし、岩淵水門が起点であるため欠点にもなる。つまり、大きな水門だけに故障・事故と人間の油断で、水門が閉じない事態が。一抹の不安が残る。写真-1 岩淵水門(青門)を通して、旧岩淵水門(赤門)を観る。青門の下流は隅田川。 写真-2 旧岩淵水門。現役を退き、近代化産業遺産として存置。最右岸の水門は、後年改造された。写真-3 堤防で隅田川と荒川とが分断されている。遠くに川口市のビル群が見える。写真-4 堰柱とゲート巻上げ室は、三つ目のロボットのようだ。ゲート規模は、幅20m×高16.2m×214ton
2011年09月21日
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空がないと言われて久しい日本橋川。小石川橋で神田川から分流して、永代橋近くの隅田川に合流する全長4kmの小さな川であるが、1級河川。橋が多くかつ首都高速道路に覆われているため、陽がこの川面に届かない日陰の川なのだ。その代表的場所が昭和通りを形成する江戸橋付近ではないか。 東京駅から日本橋川沿いに隅田川まで歩き、道草してから人形町の飲み会に合流した。日本橋の次の橋が江戸橋で、江戸橋JCTに隣り合わせである。江戸橋は、日本橋川で幅員が最も大きい44.4m。橋長63.4mの鋼製2連アーチ橋で、昭和2年(1927年)に完成している。 昔、江戸橋の近くは魚河岸として栄え、倉庫がたくさん並んでいたと言う。その面影を残す建物として、三菱倉庫がある。広重名所江戸百景には、日本橋から見た江戸橋と白壁の倉庫群が描かれている。 日本橋川に空が現れるのは、亀島川から分岐して隅田川口に至る約500m区間のみ。首都のシンボル的な川が、コンクリートの覆いから解放されるのはいつか。首都高架橋は、大量の交通量と排気ガスのため老朽化が早い。大地震で高架橋が落下して水路を塞ぐ可能性もある。水路確保は防災の要となる。写真-1 日本橋川で最も幅員の大きい昭和通りの江戸橋。鋼製2連アーチ橋で昭和2年完成 写真-2 江戸橋から見た日本橋川。江戸橋JCTが隣接している。空のない川の代表的な場所。写真-3 江戸橋の南詰に佇むクラシカルな三菱倉庫(株)の玄間。写真-4 広重名所江戸百景の「日本橋江戸ばし」。江戸橋と白壁倉庫群から昇る朝日が描かれている にほんブログ村
2011年09月19日
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北十間川は、「逆さスカイツリー」を映す川面として有名となった。来年の5月開業に向け、東京スカイツリー本体付近には工事中で近寄れない。しかし数年前から実施している水質浄化施設の稼働やヘドロ掃除で水質は大幅に改善されている。親水を意識した護岸工事が旧ピッチで進められている。 荒川水系に属する北十間川は、江戸時代初期(1663年)に開削された。本所の北を横断する幅10間(約18m)、延長3.2kmの運河であり、中川と墨田川を最短で結んでいた。浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景-柳しま」に当時の様子が描かれている。 徳川四代将軍家綱に政権が移行直後の明暦3年(1657年3月)に、江戸市中6割を焼失する大火事があった。火を自在に操る空想の「火龍」が江戸を3日間に渡って焼き尽くしたような大火災。死者が3万人とも10万人とも言われる未曾有の災害である。この「明暦の大火」の反省と復興の一環として北十間川や横十間川が整備され今日に至っている。 この大火以後、江戸城の象徴だった天守閣は不要とされた。この英断に大きく関与したのが保科正之だと言う。彼は、若年の四代目将軍を補佐した会津藩松平家の初代藩主。また、現在風の災害復旧大臣としてもその手腕を大いに発揮した名君だ。パフォーマンスと思いつき迷人の首相、傲慢な復興相とは大いに異なる。「正之」なる人財が切望される秋(とき)である。 写真-1 逆さスカイツリーの名川となった北十間川 2011年7月撮影 写真-2 水質浄化活動によって改善された川面 写真-3 水質浄化施設の案内看板。木炭浄化とエアリフト(電源は太陽光)が基本構成。
2011年07月04日
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