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流山から野田市にかけて江戸川沿いの水田は、田植えが終わった。かつてこの辺りの稲は、葛飾早稲と呼ばれ、水運を利用して江戸へ送られていた。昨今は休耕田が多く、目立つ。常磐道流山インターから北3kmの県道(5号バイパス)傍が赤く染まっていた。 近隣の農家さんが植えたヒナゲシが咲き始めていた。小さなポピー畑である。信号待ちのドライバーも、いつの間にか咲いた赤い花を横目で見ている。小生のランコースに時期限定で追加する。好天に恵まれると富士山を望める場所だ。 この春から大規模開発が始まっている。利根運河(工業団地)の南側エリアに、大型物流倉庫群が並ぶらしい。2018年完成予定。39万m2の旧農地が流通拠点になる。都市直下大地震が予想されており、リスク分散に江戸川左岸を選んだのだろうか・・。 今後、工事車両が多くなるのは必定だ。道路も広く整備されるだろう。バイパス道路は、朝夕渋滞している。江戸川土手に出るルートは減ってゆく。変わりゆく我が町をランしながら観察しようと思う。 写真-1 流山・県道5号バイパス沿いのポピー畑。 写真-2 ひなげしと遠い富士。 写真-3 耕作放棄地が広がる。りたつう士。 写真-4 クリーンセンターの煙突が見える。 写真-5 何故かチャリ隊が県道を行く。
2016年05月20日
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江戸川の堤防内斜面に赤と白のクローバーがランダムに咲き誇っていた。堤防補強工事を終えた緩い勾配の斜面だ。黄色い菜の花が終わり、単調気味のランコースが少し生気を取り戻した。「また来るぞ・・」という気なる。 クローバーは、踏みつけられても再生する強さがある。荒地にも繁茂するため、斜面の土砂流出防止にひと役買っているようだ。散歩する常連さんも、この斜面では立ち止まり、屈んで花を見て歩き出す。きっと四葉のクローバーをチェックするのだろう・・。 この斜面と川岸の藪を縄張りとする雉(きじ)がいる。「ケーン」と甲高い鳴き声が響く。縄張り宣言と求愛の呼び声か・・。頭部の赤味が増している。野生の雉は、農家さんを困らせている。柔らかい子葉や新芽を啄んでしまう。虫類をあまり食べなくなったらしい。雉鍋にして食べるぞと・・怒り心頭なのだ。 以前、都内で「キジ丼」を食べたことがある。柔らかくあっさりしている。養殖した雉を使用している。天然ものは、一般の料理店では扱わないらしい。雉に限らず、鹿・猪・狸など農作物を狙う動物が身近にいる。写真-1 江戸川堤防の内法面に咲く紅・白クローバー。下流側を見る。 写真-2 クローバーと五月富士。 写真-3 赤クローバーが多い部分。りたつう士。 写真-4 斜面から上流を見る。 写真-5 頭部の赤味が増した雉(雄)。人を見ても逃げない・・。
2016年05月16日
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五月はジョグするに気持良い季節である。ランコースとなる利根運河は、新緑の匂いを運ぶ水路になっていた。晴れた日、散歩でもチャリでもいい。外に出て背を伸ばし、深呼吸しよう・・。そして、「琴バゥワー」を数回やってみる。 新緑が深緑へ変わり始めた。と同時に気温も日増し上がる。川風が求めて運河口に来ると、其処には太公望が並んでいた。この合流点では、ハゼ、ウグイそしてテナガエビが釣れるという。 運河水辺公園の上に、「こいのぼり」が300匹ほど群泳している。2,3年前から泳ぐ姿があったが、今年は少し増えたようだ。こいのぼりの下では、鯉が恋の季節を迎えていた。盛んに身を寄せ、水しぶきを上げている。5月末まで運河を泳ぐコイがいる・・。強風で飛ばされないか心配でもある。 写真-1 新緑に包まれた利根運河。 写真-2 堤防外の田園風景も新緑。 写真-3 江戸川への出口は釣り場だ・・。りたつう士。 写真-4 鯉のぼりが群泳する運河水辺公園。 写真-5 手が届くほど近いコイのぼり・・。
2016年05月09日
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ゴールデンウィーク恒例の春日部大凧マラソン大会に出かけた。明け方から暴風雨となり、大会への出場を少し迷う。しかし午前8時過ぎには、南桜井駅に降りた。気象情報では、強い南風と高温を予想していた。 今年で第28回となる大凧マラソン大会。平成9年の庄和大凧ハーフマラソン大会から参加している。20年近くの付き合いとなる。平成元年約千名で始めたものが、今日1万人を超えるビッグな大会となった。主催者曰く、埼玉県随一の市民マラソン大会に成長したと・・。900名のボランティアが支える。 大会概要は、(1)ハーフの部6,210人。(2)10kmの部2,960人。(3)5kmの部960人。(4)2kmの部240人。合計10,370人のエントリー数。小生の10kmタイムは、ほぼ1時間。昨年より42秒遅いゴール。来年は更に遅くなるのだろなあ・・。 今年もゲストとして、川内優輝選手とNHK気象予報士の平井信行さんが参加された。平井さんは、熊本地震への募金を呼びかけた。川内選手は、小生より7分遅れてゴールしたが、ハーフをトップタイムで駆け抜けた。何と・・、3日・4日・5日と三連チャンの梯子ハーフらしい。タフな人だ・・。 写真-1 百畳敷の大凧(原寸大)。縦15m×横11m、重さ800kg。 写真-2 ゲストランナーの川内優輝選手があいさつ。写真-3 ゴールした11時の気温は26度。芝生も良く乾いた。 写真-4 ハーフと10kmとのスタート時刻は同じ。川内選手より7分先にゴールする。 写真-5 今年の参加賞は、青色のウェストポーチ。ペットボトル受け付き。
2016年05月05日
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利根川の微水が8.5kmの運河を流れて、江戸川に出会う場所。そこに小さな公園がある。ポケットパークとも呼ばれるが、「運河河口公園」と立派な看板が立っている。40本ほどのサクラが出迎えてくれる。 河口公園は、四方の視界が開けているので、富士山、筑波山、日光連山を望める。大きな送電線が江戸川を横断しているのが難点だが・・。風がよく通る場所。夏が来れば、桜木の下で涼を摂る人が多くなる。 東武線運河駅から歩いて片道2.7km。運河沿いウォーキングする人の格好の憩の場所。また、市川市方面から遡上してくるサイクリング隊の中継点でもある。そのまま江戸川を関宿方面に遡上するか、左折して運河沿いに利根川に出るかだ。トイレがあるとよいのだが・・。時折、後続を待つチャリダーを見かける・・。写真-1 運河大橋から利根運河の河口公園を望む。正面に富士山が見えるはずだが・・。 写真-2 満開を迎えた時のサクラ。運河駅から2.7km歩くと河口公園に到る。 写真-3 休憩小屋で軽食をとる人も多い。りたつう士。 写真-4 江戸川から1km地点の右岸土手道から公園を見る。 写真-5 筑波山を見ながら利根川方面へ向かうチャリンコ隊。
2016年04月19日
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春は花見ラン。夏は月見ランがいい・・。今年は、菜の花と桜の開花期間が長く、十分に花見を楽しめた。東京のソメイヨシノは、開花が3月21日、満開が3月31日そして花散が4月8日だった。関東各地もおなじような傾向だと思う。 最近小生の花見ランは、利根運河2.5kmと江戸川1.5kmを主体とする約7kmコース。給水所ならず観桜所が6箇所ほどある。以前は9kmコースをランしていたが、年齢を重ねる毎に距離が短くなってゆく。あと3年もすると、5kmコースに変更検討する必要がある・・。 江戸川の東側に広がる水田エリアでは、農作業が始まっている。畦の補修、水路の土砂揚げ、草刈などだ。サクラの花見が終わると、農耕機械が動き回る。田んぼに水を張る日が近い。 写真-1 利根運河水辺公園の観桜ポイント。 写真-2 工業団地と運河の間を埋める「におどり公園」。サクラ約80本と散歩道がある。 写真-3 運河河口公園。富士・筑波・日光の三山が見える休憩所。 写真-4 稲荷神社に続く田んぼ道と江戸川土手。 写真-5 愛宕ふれあい広場。朝ラジオ体操。夕陽を見るスポット。
2016年04月13日
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流山市における花見の名所のひとつ利根運河水辺公園。ここ数年、サクラ祭りの際、近くの東京理科大生が祭りを盛り上げてくれる。商店街と学生らが主催する「うんがいい・・花見」である。 東京理科大・野田キャンパスは、東武線運河駅から徒歩4分ぐらいにある。運河を挟んで、駅と大学が向い合っているようなもの。通学時刻、運河に架かる「ふれあい橋」は学生で一杯になる。理工学部と薬学部があり、千名以上の生徒が通う。 東京理科大のYosakoiソーラン部は、札幌で行われる「YOSAKOI ソーラン祭り」をはじめ、全国各地のお祭りに参加しているという。部員が百名以上だという。年を追うごとに、踊りと衣装が進化しているようだ。 札幌大通公園で繰り出される「YOSAKOI ソーラン祭り」に参加するチーム数は270組、27,000人とされる。20年前に見かけた際には、50チーム以下のささやかなお祭りだったが、現在、札幌大通公園の6月の風物詩だ。参加者は互いに影響・感化される。毎年、パフォーマンスがエスカレートする・・。 写真-1 桜の名所のひとつ、利根運河水辺公園。 写真-2 運河の左岸は、地べた舞台。うんがいい・・ライブ、理科大生のヨサコイ・ソーラン踊り。 写真-3 運河の右岸は、観客席と飲食の屋台。りたつう士。写真-4 桜の木の下から。うんがいい、花見を見る。 写真-5 勢い余って、水の中へ。うんがいい・・ワカモノだ。
2016年04月10日
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野田・清水公園内に点在しているサクラを見ながら散歩する。38万m2もの広さを有する自然公園とあって、空気がおいしい・・。つい長居して日没になる。仁王門の明かりが灯っていた。 清水公園のキャッチフレーズは、「自然とともだち」である。フィールドアスレチックには、3つコースがあり、スリルと冒険の100ポイントが用意されている。思い切り、子どもを遊ばせるとよい。 夕方になっても、サクラまつり会場が賑やかだ。周囲のヒトに関係なく、大きな声で盛り上がっているグループが多い。日ごろのうっぷん・ストレスを解消しているようだ。イカ焼きの香ばしさに誘われて、小腹を満たして駅へ向かった・・。 写真-1 聚楽館横のシダレザクラ。エドヒガン系のサクラで、開花の進行に伴い白くなる。 写真-2 水上アスレチックス脇の側道。赤い桃がアクセントになっている。 写真-3 フィールドアスレチック広場のサクラ。りたつう士。 写真-4 シダレサクラは来園記念の撮影スポット。 写真-5 仁王門から入場して、仁王門から退場する。
2016年04月08日
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江戸川40.5km地点から東へ1kmほど進むと清水公園に着く。行く時は追い風、帰りは向い風のチャリ・コンディションだった。清水公園は、野田市にある民営の自然公園。明治27年開園の老舗の公園である。 春の清水公園は、全国さくらの名所百選に選ばれている。広い園内には約2000本もの桜の木がある。園内の一画に、慈光山金乗院(こんじょういん)があり、「劫初の桜」が見頃を迎えていた。仁王門から金乗院までの参道に、例年通り屋台が並ぶ。老若男女の胃袋を満たす。 一般に、馴染みのない「劫初(ごうしょ)」。仏教用語で、反対語が劫末。意味は、「この世の始め」とか「長い時間の始まり」を示す。金乗院のサクラは、「うろ」(虚、空、洞)から若い幹根が生まれて、大きくなった桜だという。 本堂前に木倍子(キブシ)の鉢が置かれていた。ブドウ状の花を垂れ下げている。木五倍子、キフジとも呼ばれることがある。荒地にも育つ日本固有の草木。黒色染料として、お歯黒(鉄漿)に使用されたこともある。 写真-1 慈光山金乗院の仁王門。 写真-2 桜まつり会場を見まもる菩薩像。 写真-3 金乗院境内の劫初の桜。樹齢150年近くのソメイヨシノ。りたつう士。りたつう士。 写真-4 古木・劫初(ごうしょ)の花びら。 写真-5 本堂前の木倍子(きぶし)。
2016年04月06日
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清水公園へ向かって、江戸川上流をサイクリングする。途中、野田橋で道草する。素晴らしい花景色と園児らの土手滑りを眺める事が出来た。 野田橋は、河口から39.3km地点に架かる長さ395m橋。千葉県野田市と埼玉県越谷市を結ぶ主要県道を通す。交通量が多く、常時渋滞している。現在の橋は、昭和38年(1963年)に完成した三代目。 江戸川の右岸土手(埼玉県側)を久しぶりに走る。左岸側からは見えない斜面が一面菜の花に覆われていた。黄色いブランケットを敷き詰めたようだ。活きの良い菜の花を目にするのもあと数日だ。 左岸土手の人家脇にヒメコブシ(樹高5m)が咲いていた。シデコブシ(四手辛夷)ともいう。長細いリボン状の花びらが特徴。しめ縄などに垂らす四手に似ているのが由来とか・・。花言葉が「歓迎」。四月・年度始め、新人などを迎える歓迎会の季節である。 写真-1 江戸川右岸土手の菜の花畑。 写真-2 右岸土手から野田橋を望む。写真-3 左岸土手下のヒメコブシの花びら。 写真-4 土手滑り台で歓声を上げる園児たち。 写真-5 野田橋と浮き赤城山。
2016年04月05日
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江戸川の流れが流山市中心部で大きくフックする区間に、むかし船着き場があった。矢河原(やっから)の渡し跡だ。新選組局長・近藤勇が政府軍に投降する際に使用したとされる。この場所からは、流れの先にスカイツリーを望むことができる。夏の花火大会でも好位置の土手になる。 橋の無い時代、流山には江戸川を渡るために、数多くの渡しがあった。上流の深井新田の渡し(35.2km地点)と下流の幸房の渡し(25.2km地点)間の10km区間に8箇所の渡し場があったという。約1500m毎に、対岸を行き来する渡しがあったことになる。 矢河原の渡し跡に、小さな桜広場がある。地域の自治会が陽光桜11本を平成23年に植樹したものだ。樹齢10数年の若い桜樹。サイクリング道路脇なので、スピードを落とすチャリダーが多い。日当りが良いので、順調に育つことを願う・・。写真-1 矢河原の渡し跡の江戸川土手。専用のサイクリングロードが整備されている。 写真-2 菜の花におう土手斜面。流山橋とスカイツリーを望む。 写真-3 矢河原の渡し桜広場。若い陽光が11本並ぶ。りたつう士。 写真-4 陽光を浴びる桜のつぼみ。写真-5 矢河原の渡し跡を標した木柱。
2016年04月04日
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江戸川の土手を黄色く包む菜の花。今年は咲始めが早く、期間が長い。そのため目と鼻を楽しませてくれる時間も長い。朝の土手ランに絶好な時期だ。休日、隊列を組むチャリダーが菜の花を揺らして過ぎ去る。挨拶してくれるのが嬉しい・・。 週に2日ほどアルバイトに出かける関係で、土手ランが週3回になる。利根運河を経由して約7Kmコースになる。桜の開花状況では、柏の葉公園経由の9kmコースを選択する。しかし、道路横断があるため、難コースになりつつある。 菜の花が好きだった作家に司馬遼太郎がいる。今年の2月、没後20年を迎えた。日比谷公会堂で、第20回菜の花忌シンポジウムが開催されたそうだ。兵庫、北海道、ロシアを舞台にした小説に「菜の花の沖」には、大変な思いれがあったようだ。高田屋喜兵衛をこよなく愛した作家だった・・。写真-1 菜の花の路から江戸川上流を見る。 写真-2 堤防天端路は、菜の花の甘い香りが漂う。 写真-3 江戸川の下流方向を見る。りたつう士。 写真-4 雲が流れる。菜の花が揺れる。 写真-5 淡い富士が見えた。
2016年04月02日
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江戸川を横断する常磐自動車道橋の南1kmに東葛病院がある。331病床を持つ地域の総合病院。葉の花が土手一面に咲く時期、その景色を見ようと入院患者が土手に出て来る。青空の下、黄色とピンクとで、三層の配色になる。三界の景色である。 数年前、家族が足を骨折して2週間ほど入院した東葛病院。数回見舞ったことがある。江戸川沿いに建つ白い7階の建物。病棟からは、江戸川を望むことができる。夏の花火大会なども良く見え、蚊・虫の心配なく、花火を観賞できる特権がある。 三界を彩るピンク色の草花はホトケノザで、三界草とも呼ばれる。道端、田んぼの畦みち、何処でも生える早春の花だ。花言葉は小さな幸せ。病闘生活の小さな楽しみとして、花の成長や香りが何よりだと思う。 東葛病院は、民医連として30年間、病気・怪我の治療、リハビリを担ってきた。つくばTX開業もあって、流山セントラルパーク駅傍に、この5月新病院(病床数366)として開業する。出産から高齢者介護まで行う。アクセスが格段と良くなる半面、江戸川の水辺から遠くなる。少々淋しい・・。 写真-1 東葛病院傍の江戸川左岸土手。 写真-2 上から青空・菜の花・ホトケノザが三層に配色された景色。 写真-3 白い雲と黄色の土手。右奥に常磐自動道が見える。りたつう士。 写真-4 左端の白い建物が東葛病院。土手散歩に好位置だ。 写真-5 流山セントラルパーク駅口から新・東葛病院を観る。
2016年03月29日
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江戸川に黄色い季節が始まっている。チャリダーにとっては、活動的なシーズンだ。花粉症対策も必須になる。下流の方の「菜の花サイクリングロード」では、自転車と人が分離している区間がある。ここ利根運河付近は、両者が共存している。 冬の風物詩である堤防補強工事がシーズンオフとなり、春に向かって加速度的に季節が進む。とりわけ、菜の花の黄色は、春の暖かさと快活をイメージさせてくれる花だ。少しだけ新芽を摘み、晩酌の肴とした。 明治以前の菜の花は、室内の明かり取りに使われ、「アブラナ」とも呼ばれた。春の長雨を「なたね梅雨」ともいう。少し重たい感じがするナタネ。しかし英名が「フィールド マスタード」とか。苦みのある野菜にもなる。菜の花を入れたちらし寿司を見かけなくなった。 花札に芒(ススキ)と満月との役札がある。真っ赤な空に満月が浮かぶ図柄。夕焼けと対極にある満月。常識では考えられない強烈な月の絵だ。菜の花咲く土手で、花札を連想して十三月を撮影してみた。折しも、そこにトンボのような飛行体が横切った・・。 写真-1 江戸川・菜の花咲く土手に浮かんだホワイトムーン。 写真-2 花札の坊主をイメージした。「芒と雁」とではなく、「菜と蜻蛉」の絵になった・・。 写真-3 江戸川の夕景。富士山は春霞の中。りたつう士。写真-4 川の中に出来た砂洲に渡ってみた。 写真-5 堆積した砂洲からチャリダーを見上げる。
2016年03月24日
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流山市と野田市との境ともなる利根運河。東武線運河駅から右岸上流に東京理科大学の野田キャンパスが広がる。キャンパスの東側に、自然林や池を残して整備した「理窓会記念自然公園」がある。理科大の同窓会が造った公園。大学関係者以外にも開放されている。 自然公園は、奥深いなだらかな地で、川の周りが湿原となる谷津地形である。この谷津を横切るように利根運河が造られた。ひょうたん池は、運河堤防が築かれた事により、堰き止められた小池。ひょうたん池近くに、若い梅の木が並ぶ。日当りの良い緩斜面である。梅林を形成するまでには時間を要する。 理窓自然公園内には2.5kmの散策路が整備されている。四季折々の梅、桜、蓮そして紅葉を散歩しながら鑑賞できる。暖かくなるとやぶ蚊が多くなる。虫除けスプレーが散歩必需品となる季節がすぐそこだ・・。 写真-1 利根運河脇のひょうたん池と若木の梅。 写真-2 理窓自然公園内には延べ2.5kmの散策路がある。 写真-3 理窓自然公園の梅林。りたつう士。 写真-4 草広場と梅。 写真-5 利根運河脇の大きな梅。
2016年03月07日
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市川市を流れる江戸川堤防の上に、河津桜が等間隔に並んでいる。国道14号を通す市川橋の下流500m付近(市川南4)である。対岸に東京スイカツリー。気象条件が合えば富士山も見える。 市川橋付近は、下流にJR 総武線が走り、東京と千葉とを結ぶ交通の要衝。総武線の下流には、スーパー堤防を利用した「パークシティ市川」がある。2001年に完成した815戸の街。都心に近く恵まれた住居環境だ・・。 江戸川堤防において市川南地区と妙典地区に、それぞれ42本と50本の河津桜が植えられたのは2004年。市川市・市制施行70周年記念として、「さくらオーナー制」により整備された。従って、桜一本毎(3万円)に、オーナーの名前が表記。樹の管理は、原則各オーナーが行うようだ。 桜並木のある市川南は、江戸川河口より約12km地点で江戸川下流部にあたる。江戸川は全長59.5km。小生の棲むポイントは、河口より34km地点で中流域だ。市川南を往復するとマラソン距離に相当する。15年前ならは完走できたかもしれないが、今はチャリ頼りである。 写真-1 江戸川下流・市川南の河津桜と東京スカイツリー。 写真-2 江戸川左岸堤防のサイクリングロード。 写真-3 堤防の42本の河津さくら並木。りたつう士。 写真-4 江戸川越しの「スカイ-富士」。写真-5 アイリンク展望所から桜並木を覗く。
2016年03月06日
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江戸川沿うに里見公園の展望所に立ち寄る。この公園は、下総台地の西端、江戸川に面した台地にある。市川市内では標高の高い(EL30m)場所で、国府台(こうのだい)と呼ばれる。噴水公園内に植えられた河津桜が満開であった。 江戸川下流の市川橋(国道14号)付近の堤防には、42本の河津桜が植えられている。春の陽気になり、チャリ季節到来とばかりに、江戸川左岸・サイクリングロードを走る。往復で42kmほどになる。その途中に国府台に立ち寄った。久しぶりのサイクリングのため、お尻が痛くなる。 里見公園は、国府台城址。江戸川の河岸段丘上に位置する南北650mの平地が広がる。江戸川が天然の防御堀で、戦国時代城を構えるのに絶好の場所。永禄7年(1564年)に第二次国府台合戦で、里見軍が北条軍に大敗している。5千人の戦死者を出した古戦場である。 この戦いに由来する「夜泣き石」が公園に安置されている。近くに都内を一望する展望所があり、スカイツリーと富士山を並んで望める場所として有名。江戸期幕府は、江戸を望む絶好の場所に、城を造らせなかったと云う「見晴らし台地」である。 写真-1 里見公園から都心を眺める。春の陽気のため富士山は霞む。 写真-2 里見公園噴水公園の河津桜と乙女の像。 写真-3 国府台合戦を偲ぶ「夜泣き石」。りたつう士。 写真-4 展望休息場から東京スカイツリーを望む。 写真-5 江戸川左岸に面する国府台(鴻乃台城址)。
2016年03月03日
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ランコースに梅の匂いが漂う季節となった。利根運河周辺には梅の古木が点在している。日の出も早くなり、朝ラン・シーズンの到来である。 運河土手左岸に、雪が降り着いたような一本白梅の樹がある。畑の端で大きく枝を伸ばしている。野良作業の休憩時に、香りと小鳥のさえずりを楽しんだのだろう。 対岸に味噌醤油の老舗醸造所がある。風向きにもよるが、蒸した大豆の匂いが香ばしい。この醸造所の住居にも白梅が2本植えられている。運河土手を散歩する人の鼻と目を楽しませてくれる。 写真-1 利根運河左岸土手に立つ一本白梅。 写真-2 対岸より一本白梅を見る。 写真-3 利根運河右岸に並ぶ味噌醤油醸造所。りたつう士。 写真-4 醸造所住居の梅の木。 写真-5 左岸土手近くの「踊る梅樹」。
2016年03月01日
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UFOのようなレンズ雲が浮かんでいた。江戸川の土手を夕散歩している時に見かける。西から東へゆっくりと流れゆく。しばらくすると、形が徐々に崩れる。遠くに日光の山並みが見え、空気が澄んでいた。 レンズ雲が見えたら風が強くなると云われている。大陸からの北西の風が吹き出すときに現われる場合が多いという。実際夜間、北風が強くなり、翌日よく晴れた。日が暮れた後からも「UFO」が現れたのだろうか・・。 山と川・湖、そして風により雲はつくられる。四方海に囲まれている日本は、毎日何処かで雲が作られ、雨と雪が降る。また、移動性低気圧と移動性高気圧が列島を通過すると、風向きと風の質がガラリと変わる。雲を観ながら飽きないように散歩を続けよう・・。 昨今、パソコンや携帯で手元を見るのが多い生活習慣。通勤電車内で長い間、スマホを見ている人が多い都会人。休日に遠くの山や雲を見て、眼を労わることを忘れずに・・。 写真-1 江戸川の上空にUFOを思わせるレンズ雲がゆく。 写真-2 夕日を遮る低層雲が広がる。 写真-3 川面を流れるワタ雲。りたつう士。りたつう士。 写真-4 遠い赤城山と流れ雲。 写真-5 筑波山方面の雲。
2016年02月25日
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富士山の頭上が大きなレンズのような雲に覆われていた。これから天気が急変するのだろうか。羊雲、うろこ雲、さば雲とは異なるので、レンズ雲の仲間と思われる。いつもの江戸川土手の景色である。 冬の夕暮散歩は、珍しい雲に会えることが多い。マイ散歩の5つ道具は、スキー帽子、防寒手袋、カメラ、一脚、そしてホカロンである。寒い時期の土手は、蚊や虫がいない。乾燥しているので見晴しが良い。ただ寒いだけ。暗くなるのが早いので、安全面でランよりウオーキングに向いている。 先日長野県では、寒波による倒木が道路を塞ぎ、扉温泉など町が孤立する事態になった。大雪でなく、雨氷(うひょう)が樹木の枝で成長して、重みに耐えかねて倒木したらしい。過冷却の雨が原因だという。つまり、チリが少ない冷たい寒気がアルプス山脈を越えて来たようだ。 今季、暖冬と云われながらも、寒気が強力だ。じわりとインフルエンザの流行も始まった。ワクチンを早めに接種したが、その賞味期限を過ぎるかも知れない。ウィルスと花粉が飛び交うが、日々散歩して基礎体力を維持しようと思う。 写真-1 大きなレンズ状の雲が夕富士の頭上にあった。 写真-2 時間の経過とともに、レンズが崩れてゆく。 写真-3 夕焼け雲が、竜の頭に見えた・・。 写真-4 丹沢・大山の方まで夕焼け雲が広がる。 写真-5 秩父山地にも小さな雲が浮かんでいた。
2016年02月06日
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流山市内から「ダイヤモンド富士」の鑑賞時期が去った。その代りに西の空に浮かんだり、広がったりする夕雲がよく見える。春になると、秩父・武甲山付近に沈む夕日と高積雲がつくる景色がある。夕刻の散歩の楽しみにとっておく・・。 ある意味、富士山は雲発生装置である。独立峰ゆえに、山体に湿った風を受けると上昇気流となり、色々な形の雲が出来る。羊雲、綿雲、レンズ雲など多種多様だ。毎度、異なる表情を示す雲景色。一期一会の空模様だ。但し、低層の雲が広がると、西の山並みが隠れてしまう。観察は冬場に限る。 西の空は、西天(さいてん、西天竺の略)とも呼ばれる。仏教でいう「西方浄土」があるとされる方角。今年は、西天が赤く染まる日が多い。そんな西の空と輝く雲間をしばらく眺める。この世を旅立った人びとが居そうな気がする時空だった。写真-1 富士山の北斜面側で発生する雲たち。写真-2 羊雲だろうか、富士山に向う群れ。 写真-3 雲に反射し陽光が富士に向かう光景。りたつう士。 写真-4 大菩薩嶺方面に沈む夕日。 写真-5 空気が澄み、新宿副都心ビル群が見えた。
2016年02月03日
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冬の夜明けは遅い。朝ラン前に、秩父山地に沈む月を眺めに行く。少し靄が出ていたが、見通しが利く。そして江戸川土手に赤いお月様(レッドムーン)が浮かんでいた。 丸い月が墜ちると、反対側の地平線から太陽が昇る。朝日を拝んだ後、5kmほど運河土手ランして身体を温める。 地平線近くで赤く見えるのは、厚い水平大気層を通過することによる光の特性。より波長の長い赤い光が散乱されずに届くためだ。波長の短い青い光は、途中で迷子になるのだろう・・。 過去にスパームーンの皆既月食で、赤い月が高い空で見られた。ブラッドムーンと呼ばれ、赤胴色の不気味なお月さまだった。レッドムーンは、毎月満月時期に見られる。この度の月は、より赤い色を呈していた。モヤの影響だろうか・・。 写真-1 江戸川右岸土手に浮かんだ赤い月。 写真-2 朝6時半前の月景色。 写真-3 送電線の無い場所へ移動すれば良かった。りたつう士。りたつう士。 写真-4 月没して、朝日が昇る。利根運河口にて。写真-5 利根運河の朝。
2016年01月31日
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日光連山の白さが増した。江戸川土手からも良く見える今日この頃。男体山の左(西側)に見える山容は、皇海山(すかいさん、標高2,144m)だろうか。ならば栃木と群馬の県境である。 寒気の流れ込みと南岸低気圧の具合により、関東平野にも雪が降るようになった。季節外れの暖かさが続くと思ったら、十数年に一回の最強寒波の到来と、気温変動の激しい1月だ。しかし平均すると、例年並に落ち着くようだ・・。 積雪17cmを記録した長崎市を含む九州では、予想外の寒波でライフラインが被害を受けた。水道管の破裂などで一時30万世帯が断水したという。強力な寒気が西日本に流れ込んだことによる。 北極の海氷面積が大幅に減少しているらしい。夏、氷のない北極圏において、ホッキョクグマが餓死して、野晒しになっているという。白クマの食料難である。遠い地球の極点に起きている事象が、北半球の気候を大ブレにしするのか、北半球の気候全体が北極を変えるのか。今年夏の北極に注目したい・・。 写真-1 日光連山遠望。白い河川敷が出現した。 写真-2 江戸川右岸から北方向の山並みを望む。 写真-3 筑波山を望む。りたつう士。 写真-4 白き土手と白き富士。 写真-5 東京スカイツリーとゴルフ場。
2016年01月28日
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冬、富士山と筑波山を眺めながら江戸川土手を散歩する。丹沢山地と富士山の山容はセットで撮影する機会は多い。しかし、秩父の山並みも拝見することがある。そんな真冬の帰り道、右手の指先が冷たくなり痛い・・。ホカロンの不携帯を悔やむ。 北西方向、江戸川上流に赤城山(標高1,828m)が見えることがある。上毛三山の一つだ。流山市内に赤城山神社を祀った小山がある。大洪水の際、赤城山の一部が流れ着いたとされ、流山市のネームに由来する・・。 西方向に妙義山、武甲山が見えることがある。妙義山はキザギザ山で、日本三大奇景の山。武甲山は石灰岩を採掘している山。それぞれ特徴的な山であるため、遠くからでも判別できる。 南西方向に、丹沢大山のピークが見える。富士山と対で眺める事が出来る。大山山頂に冬登山すれば、素晴らしい景色に逢えるのだが・・。そのような体力・気力は無くなってしまった。しかし紅葉時期にもう一度訪れたい大山詣で・・。と帰り道に想う。 写真-1 江戸川上流方向に見える赤城山。 写真-2 裾野がとても長い赤城山。りたつう士。 写真-3 不自然な斜面が特徴の武甲山。写真-4 秩父山地越しにギザギザ冠、妙義山が見える。 写真-5 丹沢大山の山容と都会の建物。
2016年01月25日
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市川アイリンク展望台に立ち寄る。JR市川駅脇の複合タワービルの展望デッキである。地上150mからのパノラマを気軽に楽しめる施設だ。風が冷たくとも、ぐるりと配置されたガラス塀が遮ってくれる。 アイリンクからは江戸川が分岐する川筋がよく見える。2つの堰・水門施設が分岐場所にある。右側の堰は、旧江戸川を調整する江戸川水閘門。左手に見えるのは江戸川放水路を調整する行徳可動堰。洪水と高潮から土地を守っている。 先日(1/15)、成人式があった週末に痛ましい事故が起きてしまった。学生を中心にしたスキー客13名と運転手2名が亡くなるという「軽井沢スキーバス転落事故」。一度に15人もの命を奪うバス事故は、過去30年間で最多だという。背景に大型バス業界と旅行社との構造的な問題もあるようだ。 亡くなった学生の一人に、ここ市川市の法政大学生がいた。若い命が断ち切られた。この事故は海外でも報道される。日本では過激派テロが起きないにしても、バス事故が多発しているかのように・・。大型バス運転手の育成には、時間とコストを要する。優良運転手の取り合いが始まる・・。 写真-1 市川市上空150mから江戸川分岐点を眺める。 写真-2 国府台地と松戸・栗山配水塔や江戸川上流を望む。りたつう士。写真-3 丹沢・大山方面に夕陽が沈む。 写真-4 スカイツリーに「雅」灯る。 写真-5 東京湾とゲートブリッジ方面の夜景。
2016年01月22日
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紅く染まった西の空にレンズ雲が出ていた。富士山が創り出す「吊し雲」のようだ。しばらく、そのレンズ雲ショーを江戸川土手から眺めた。おかげで散歩時間が長くなり、暗い帰宅となる。 富士山は独立した山であるため、ぶつかる気流が乱されて、いろいろな形の雲が出来る。目に付くのがレンズ雲。とりわり形の良い笠雲や吊し雲に遇うと得した気分になる。レンズ雲は、分類・命名されているようだ。20種類の「笠」と12種類の「吊るし」があるらしい。 レンズ雲が出来ると、天候が悪化する兆候と云われている。笠雲の出現率は吊し雲より3倍多く、1年に70回程度。夜間に発生するもの、短時間で消えて行くのもある。一般の人に眼に触れる確率は、かなり低いとされる。 流山からは途中のガスや雲で視界が遮られることが多い。そのため、吊し雲を普段、目にすることはめったに無い。冬の江戸川土手で観測されたが、翌日雨は降らなかった。 写真-1 竜巻のようなレンズ雲。富士さんが皿回をしているようだ。 写真-2 富士山頂にUFOが飛んでいるのかな・・。りたつう士。 写真-3 吊し雲が崩れて、日本列島のような形状に・・。 写真-4 レンズ雲が次々に創られる夕刻。 写真-5 風が弱い江戸川土手だが、上空は異なる気流があるようだ。
2016年01月20日
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利根運河口付近からのダイヤモンド富士が見える季節が去った。今後、望DM富士のポイントは、江戸川を下って行く。河口に当たる舞浜でのDM富士は、2月中旬となる。 江戸川土手の散歩を兼ねて、年末から年初にかけて撮影した「土手夕富士」を整理した。今シーズンの土手は、北風に晒されることなかった。指先が痛くなること無く過ぎた。土手西斜面には、菜の花がチラホラ咲いている。 夕刻、土手ランをする人も、暖かく軽装な姿が多い。真白き富士山は何処に行ったのだろうか。富士山東面は4月のような様相だ。今にこれまでの反動でドカ雪が来るかも知れない。波乱を暗示する今年の気候。北朝鮮の動き、株価の連続下落など、いやーな年明けだ・・。 写真-1 灼熱の坩堝から降りて来た夕陽のよう・・。 写真-2 いつもの「ミカン富士」。りたつう士。写真-3 ちょぴり、ダイヤモンド富士。 写真-4 名付けて、「亡霊富士」・・。 写真-5 綺麗な夕焼け・大焼け。
2016年01月14日
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暖かい正月の中、各地の初詣や初売場は盛況のようだ。12月から始まった暖冬傾向が継続している。ここ江戸川土手を散歩するも、強い北風に遭わない。むしろ弱い南寄り風だ。身体が冷え込まないので、暗くなるまでいても苦にならない。黒い富士などの夜景も美しい・・。 関東では、ロウバイや菜の花が例年より早く咲き誇っているようだ。都内・湯島天神の梅が10日ほど早く開花した。一方、暖冬の年は、大雪になるとも言われている。一夜にして雪景色になるかも知れない。雪かき道具と長靴の点検をしておこう。 暖冬とは、12月から3月まで平均気温が例年(過去30年のデータ)より0.5度高い状態をいう。また、寒暖差が大きいという特徴がある。体調をコントロールする神経がこのストレスについて行けずに、体調を崩しやすくなる。 気温のアップダウンを克服するのに、一定のリズム(規則正しい生活)で過ごすのが良いとされる。しかし、ビジネスや家庭環境で生活リズムが狂うのは世の常。三点セットで「変な冬」を乗り切ろう・・。食事で栄養を。睡眠で体力回復を。運動で体温を上げ免疫力維持を・・。 写真-1 黒富士と棚雲。暖冬で富士山の雪が溶けて、より黒く見えるのかな・・。 写真-2 日が暮れた江戸川水面。利根運河口にて。りたつう士。 写真-3 土手で東京スカイクリーが点灯するのを待つ。 写真-4 寒くない土手から夜景。マンション群とスカイツリー。 写真-5 富士山方向の夜景。
2016年01月07日
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新年あけまして、おめでとうございます。今年も、清・多・夢・くらぶ、をよろしくお願いします。ランして、歩いて、観て」思ったことを気ままにブログします。平成28年の元旦は、良く晴れて穏やかな朝を迎えることができました。 2016年が皆さまにとって、幸多い申年になることをお祈りしています。小生も健康面に留意して、暮らしていますが、「物忘れ」とか「疲れ目」などで、老いに侵食されています・・。 当ブログの更新回数が千回に近づきました。よく長く続いたなあ・・と、我ながら感心しています。それもこれも、コメント等などを頂いたおかげと感謝しております。足と手、そして眼が故障しない限り、作業を続行したいと思います。 今朝の初夢は、小・中学校の教室掃除でした。年末の暖かさにつられて、3日連続大掃除をしたせいかな。1富士2鷹3茄子と昔から言われているが、そんな夢は今だかつてない。早朝、江戸川へ行き、初日の出と初富士を肉眼で観る。その後、運動靴に履き替えた。1年の計は、初ランにあり・・。 写真-1 流山丘陵からの初日の出。[江戸川右岸土手より]。 写真-2 あけましておめでとうございます。 写真-3 新春を飾る朝富士。写真-4 江戸川河川敷と富士山。写真-5 元旦の富士見景。
2016年01月01日
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師走、利根運河口付近の江戸川土手は、ダイヤモンド富士・月間となる。師走の風物詩になっている。富士山との関係で、沈む夕陽が大きく見える。そのため、ダイヤモンドのように、富士の頂が輝くのは一瞬である。 運河口と玉葉橋との約1kmが一般的撮影エリアである。送電線が邪魔しない場所だ。晴れた夕暮れ時、江戸川の左右岸土手に幾つもの三脚が並ぶ。長い期間、ダイヤモンド富士を見られるとあって、写真同好会の練習になるようだ。 今季、夕方冷え込む日がなかった。その分、雲が広がり、赤く焼ける光景が多くなる。今年12月中旬から撮影した夕富士3景を整理した。それぞれの異なる表情を示す夕富士だ。1月上旬まで、夕陽に映える富士山を楽しむことが出来る。写真-1 河口35.5km地点の江戸川土手から見た夕富士。写真-2 利根運河口近くから見たダイヤモンド富士。 写真-3 玉葉橋付近から見たお饅頭富士。 写真-4 日が暮れて、茜雲が美しく染まった。ビルに明かりが灯る。 写真-5 玉葉橋から運河口までの江戸川左岸土手。
2015年12月28日
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水辺の自然環境と谷津地形を残す利根運河。晴れていれば、運河終点から遠い富士山の稜線や箱根山を望むことが出来る。昔、富士山を目印に、運河を建設したようにも思える・・。 利根運河は、利根川と江戸川とをバイパス水路(延長8.5km)で結ぶ大事業であった。明治23年、日本初の西洋式運河を民間の力で創った。以後、125年間維持補修が行われて今日に至る。歴史的価値が認められ、土木学会推奨土木遺産と経産省・近代化産業遺産に認定されている。 明治・大正期、物流の主体は水運であり、当運河にも蒸気船が就航していた。そんな歴史もあり、現在の運河を流れる水量のわりに、土手の面積が広大だ。生態系を保存しつつ、自然と人間社会の共生を図るのがエコパーク。「利根運河エコパーク」構想があるようだ。 ユネスコ・エコパークを認定したエリアは、国内に7箇所ある。志賀高原、白山、屋久島、南アルプスなど・・。利根運河が環境に優しい公園になることを期待したい。長さ8.5kmの「ビオトープ」が実現するとき、エコパークと呼ばれるだろう。 写真-1 水量の割に土手面積が広い利根運河。 写真-2 利根運河西口の正面方向に富士山が見える。写真-3 利根運河の最下流を望む。 写真-4 運河の右岸犬走りを歩けば、土手が風除けになる。 写真-5 運河を渡る県営鉄道が開業したのは明治44年。
2015年12月18日
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秋と春、毎年一度は散策する利根運河脇の自然公園。東京理科大裏に広がる「理窓会記念自然公園」である。利根運河の右岸土手から出入りすることが出来る。江戸川から利根運河を約4km遡ったところあり、とても静かなエリア・・。小さな秋をあちらこちらで見つけることが出来る。 運河建設に伴い、運河土手が谷津(やず)低地をせき止めた形になっている。湧水あり、大小の池ありで虫類が多い。そのため野鳥が理窓記念公園をネグラにしている。白鳥の池、蓮池、ひょうたん池は、紅葉で彩られる秋(とき)が美しい・・。 自然公園のモミジ類は、流山市内では遅めに紅葉する。まわりが自然林であること、池が点在していることなど要因なのだろうか。池を巡る2.5kmの散策コースをゆっくり歩くと約1時間。爽やかの空気と林間の香り漂う場所である。北京に住む中国人が羨む環境だ・・。 写真-1 利根運河に近接して理窓会記念公園が広がる。その出入口のひとつ。 写真-2 大学の建物側にある白鳥の池。 写真-3 散策路を照らすモミジ。 写真-4 ハス池の紅葉。小さな秋見つけた・・。 写真-5 ひょうたん池の紅葉景色。
2015年12月15日
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師走の朝、江戸川に架かる玉葉橋(ぎょくようばし)を渡って戻って来た。日の出時刻が6時40分台と遅くなり、朝日ランが容易になった。自宅から往復9kmのコースだ。 玉葉橋付近は、送電線が視界から外れるので、富士山をよりクリアに眺める事ができる。「関東の富士見百景」として、ビュースポットになっている。埼「玉」県と千「葉」県とを結ぶ橋長=415mの橋。河口より35.5km、江戸川の中間地点でもある。 江戸川は、茨城県五霞町付近で利根川から分派し、埼玉と千葉との県境を流れて東京湾に注ぐ延長60kmの一級河川。江戸時代以前は、埼玉の平地を幾筋も流れていた川のひとつで、太日川(ふといがわ)とも呼ばれていた。利根川東遷の開削事業で現在の江戸川が出来た。 江戸川では時折、うなぎ漁が見られる。主に葦など日蔭できる川岸沿いにうなぎ筒を仕掛けているようだ。小舟で岸に近寄り、竹筒の中味を確認している。どのぐらい採れるのかは不明だ。舟に軽油を消費するわけだから、水揚げがあるのだろう・・。 写真-1 玉葉橋から朝日を拝む。 写真-2 日の出前、薄紅色に輝く富士。 写真-3 青い玉葉橋と白い富士。 写真-4 江戸川右岸土手から富士を望む。 写真-5 河川敷越しの筑波山。
2015年12月12日
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西方の空と東京港を紅色に染める黄昏時、恐竜橋が白く発光する。上空を飛び交う飛行機を翼竜(プテラノドン)に見立てると、ファンタジーな気分になる・・。 舞浜西海岸は、京葉線江戸川橋梁までとすると約1500mの水際線。このうち護岸の改修工事を終えた区間は300m程度・・。南・海岸線のように緑地・ベンチ整備されると、随分歩き易くなる。現在はほとんどにフエンス柵が設置されているため、景気を楽しむことが出来ない。 緑道・自転車道が整備される「日本夜景遺産」になるかもしれない。首都圏には、日本夜景遺産なるものが35箇所あるとされる。(1)自然・歴史系が9箇所、(2)施設系が13箇所、(3)ライトアップ系が13箇所(レインボーブリッジと横浜ベイブリッジなど)。東京ゲートブリッジは未登録のようだ。 舞浜西海岸は、旧江戸川が流れつくエリアである。東京都と千葉県との境界線でもある。対岸の葛西臨海公園は東京都。東京ディズニーランドは千葉県である・・。 写真-1 黄昏時の東京ゲートブリッジと影富士。 写真-2 舞浜海岸は、発光したホワイト恐竜を見るのに適した場所。 写真-3 葛西臨海公園の観覧車とスカイツリーの夜景。写真-4 東京都心ビル群の夜景。 写真-5 舞浜南海岸のプロムナード。
2015年12月09日
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江戸川土手をカメラと三脚を持って夕散歩する。夕陽の沈む位置が富士山頂に近づいてきた。裾野に吸い込まれるようだった。 夕方、暗くなるのがとにかく早い。午後3時を過ぎると太陽が低い。あっという間に日没を迎える。曇天日や雨天日には、なおさら黄昏が早い今日この頃だ。 暦では二十四節季「大雪(たいせつ)」がもうすぐ。山々が雪の衣を纏う頃である。東京近辺では、この大雪の頃一番日没が早い。冬至(12月22日頃)よりも、4分早い16時28分とされる。 スカイツリーの点灯を待って帰宅する。土手で「薄明」と「黄昏時」を過ごすと、復路は「逢魔時」になる。先日、93才で亡くなった水木茂氏の妖怪「ぬりかべ」に遭いそうな気がする。水木・妖怪は、漫画絵もさることながら、ネーム付けも良かった。冥福を祈ります。 写真-1 薄明の江戸川河川敷ゴルフ場。 写真-2 裾野に沈む夕日。 写真-3 黄昏のスカイツリー。夜明りの灯。写真-4 夜の帳が下がり始めた。 写真-5 妖怪・ぬりかべ像。
2015年12月06日
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12月に入り、富士山の南斜面がより白くなってきた。北西の風が吹く午前中、ここ江戸川土手に立つと白い富士が良く見える。カメラを腰に付けて、土手ランだ・・。 朝ランの際、白い富士と紫の筑波山に逢えると得した気分になる。唱歌「からだに雪の きもの着て 富士は 日本一の山・・」のメロディーが聞こえてきそうだ。 今年の富士山初冠雪は、平年より11日遅かった。2015年冬を示唆しているのだろうか。長期気象予報では、暖冬傾向を予報している。理由として、強力なエルニーニョ現象により、寒気の流れ込みが弱くなるだろうとのこと。但し、関東の平地ではドカ雪の恐れもあるという。 2014年は、10年に一度の寒波で大雪に見舞われた。小生は折り悪く、草津に閉じ込められた。スキー場は閉鎖、コンビニでは食べ物が棚から消えた。年一回の(スキーと温泉)旅行が、大変な思い出として残った。今年も例年なみに、滑降できるだろうか・・。 写真-1 江戸川土手の緑と白い富士。 写真-2 田んぼ道を抜けると江戸川の土手。 写真-3 体育の授業だろうか、土手を駆ける生徒たち。 写真-4 田んぼ道から北を見ると日光連山。 写真-5 堤防補強工事で鋼矢板が打込まれていた。
2015年12月05日
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イチョウとムクロジを観るために、近所のお寺に立ち寄る。ぼけ封じの小さなお寺と知られる福性寺である。江戸川や利根運河に出る際、遠くから目立つ銀杏の樹だ。 今年の11月は気温が高かった。紅葉時期がズレたようだ。イチョウ樹の上半分が散り、下半分が紅葉している。ムクロジ(無患子)の実が、まだ残っていた。昨年はイチョウの黄色とモミジの赤色のコントラスが見られたが、今年はまだ青い・・。 サポリンを含むムクロジは泡立つので、衣類の洗剤に使用されている。SAPOとはラテン語で石ケンを意味するそうだ。布パックに入れたもの、パウダー状にしたものが市販されている。環境にやさしいが「エコ洗い」が欧米で広がりつつある。 洗濯の粉石鹸には、頑固な汚れも良く落ちると称して、マイクロビーズ(プラスチックの微粒子)が混入さされるものが多い。下水処理場を通らずに直接海に流出する分が相当量あるという。魚介類に蓄積して生態系に影響を与えるシロモノだ。警鐘を鳴らすが報道番組あったばかりだ・・。 写真-1 福性寺のイチョウとムクロジの樹。 写真-2 六地蔵とイチョウ。写真-3 ムクロジの実が枝に残っている。 写真-4 拾い集めた無患子の実と銀杏。 写真-5 昨年の紅葉の様子。
2015年12月03日
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立冬を過ぎると、利根運河と江戸川が会する場所から三方に3つの百名山が良く見えるが多い。北に日光連山、東に筑波山そして西に富士山である。いずれも遠きにあるため、春・夏の湿度が高い時期は、晴れてもよく見えない 国内の大都市で乾燥化が進んでいる。先日、NHK・お天気番組において、この2、3年の年間平均湿度を比較していた。ベスト1は東京で、続いて大阪であった。12月に入ると、更に空気の乾燥化が進む。すると喉粘膜が弱まり、風邪ウィルスに冒され易くなる。みかんを食べて免疫力アップを図る。 散歩や通勤で、朝日や夕陽を見かける機会多くなった。夜が長くなったのだ。11月中旬の夜と昼の時間比率は、10.2時間:13.8時間=3:4であろうか。小生は夜の長さに反比例するかのように、就寝時刻が早くなる。老いの証だ・・。 写真-1 利根運河西口から見る筑波山。 写真-2 玉葉橋と日光連山。 写真-3 富士山頂付近、冠雪が東側まで及んできた。写真-4 南を見ると東京スカイツリー。 写真-5 野鳥舞う江戸川の土手。
2015年11月16日
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秋の空は変わりやすく、また多様な表情を見せてくれる。春と秋、晩飯前に江戸川土手を散歩する機会が多い。夏は陽が高く暑すぎる。冬は北風で歩き難い。稀に茜色に染まる土手景色に出逢うことがある。太陽が白く見える。そんな日は、得した気分になり食も弾む。 朝日や夕日を浴びて茜色にてり映える雲が茜雲。あかね雲は、赤根雲とは表記しない。「西」と草かんむりで、茜という文字が成り立つ。草原、西の空、および夕日をイメージする漢字だ。また茜雲は、秋の季語にもなるという。 そもそもアカネは、多年生植物。晩秋に黒い実を付けた後枯れるが根が赤い。昔から染料に使用された。先月、岩手県を旅行した際、「南部茜染」の話を聞いたばかり・・。東北南部藩の特産品だった・・。 落陽と富士山との距離は、まだ1ヶ月半以上もある。富士の裾野に陽が落ちるようになるのは、12月中旬だ。今年はどのような雲を伴って、ダイヤモンド富士になるのか、楽しみだ。 写真-1 茜色に染まる空。落陽を際立たせる江戸川土手のシルエット。 写真-2 秩父山系に落ちる夕陽。 写真-3 陽が落ち富士の姿が浮び上がって来た。 写真-4 江戸川土手から見る茜富士。 写真-5 南部茜染の反物。
2015年11月08日
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台風時期が過ぎて、今年も河川工事が各地で始まっていることだろう。ここ江戸川においても、痩せた堤防の繕う工事が始まっている。晩秋から春にかけての風物詩だ。河道浚渫と堤防強化を同時に行う。建設発生土を再利用する仕組みが出来ている。 利根運河口のヤードには建設発生土を再利用する機械が稼働した。改良前の土砂と改良した盛土材のストックパイルの山が展開している。一日当り製造する改良土は500m3程度。ここ数年、土手ランをする度に目にする光景である。 江戸川中流域は、粘性土と砂質土と分布している。利根運河にある土砂混合プラントは、「万能土質改良機」と呼ばれ、4軸直列混合方式を採用している。特徴は、3種混合の全自動運転による均質な混合だという。10cm以下の礫も攪拌混合できる優れものだ・・。 川の上流では砂利や砂が採取できるが、下流の堆積物は、シルト分が多く含水比の高い土砂が多い。盛土材や埋戻し材に不向き。以前は、仮置きスペースが確保できず、不法投棄もあり「やっかい者」だった。しかし近年、不良土は加工してインフラ整備に活用するのが当たり前の時代だ・・。 写真-1 江戸川では堤防強化工事が始まった。いつも土手ランコースにて。 写真-2 稼働している機械の説明看板。 写真-3 「建設発生土リサイクルシステム」が稼働中。 写真-4 二種類の土砂を混合している。 写真-5 4本の軸に付いている羽根により混合攪拌される。
2015年11月07日
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江戸川土手の朝ランで、ようやく富士山が見えるようになった。十月の富士は、黒っぽくて紺色の富士だ。例年だと、10月に富士山が見えるのは4日程度だが・・。富士を眺めての土手ランは、不思議と疲れない。 夕方、江戸川の土手に出る。夕日が秩父山地に沈んでゆく。富士山と太陽との距離は、まだ十分にある。夕陽は12月下旬にかけて、徐々に富士山に近づく。 10月11日、富士山の北側が初冠雪した。初化粧である。昨年より5日早かった。今年の富士山登山者数は23.4万人と、昨年より5.1万人が減少した。世界遺産の熱が冷めたのか、天候の影響なのかは定かではない。ゴミの量も減少したことだろう・・。 関東では富士山が見える日数に比例して、インフェルエンザ患者も増えるしいう。乾燥した空気により、ウィルスが活発化する。人や動物、風に舞うゴミにより移動・増殖する。今年のインフェルエンザ予防接種料金は、三種混合のため値上する。早めの接種を検討中・・。 写真-1 江戸川右岸堤防の落日。 写真-2 昼間見えなかった富士が影絵のように見えて来た。 写真-3 左岸河川敷から富士を見る。 写真-4 午前の早い時間帯の富士遠望。 写真-5 左岸から浅草方面を望む。
2015年10月16日
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雨中の1時間マラソンをした。先日(11日)の第24回流山ロードレース大会のこと。ここ数年、10kmが丁度1時間なのだ。タイム60分を切りことはもう無いと思うが、大きく落ち込むもこともない。高値安定の状態が続いている・・。 流山ロードレースは、体育の日前後に行われるが、雨模様のレースになることが多い。流山おおたかの森駅南口芝生公園が大会会場となっている。新市街地なので、体育館のようなものはない。大会が雨天になると悲惨である。つくばTX線の高架下が雨宿り場所になる。 アップダウンに富んだコースと広くない道路事情ではあるが、大会参加者は約4,000人に及ぶ。60才代は430人ほどだ。最近、女性ランナーが多い。参加者名簿を眺めると2割以上を占めている。シティマラソンの様相だ。 流山市は、この1年間に人口が2,700人増加して17.4万人に達した。10年前の人口は15万人。今年の四月に、小中併設校が新規に開校した。子育て世代の転入が多い。流山市長の顔はほころぶ。しかし他の自治体は嘆き節・・。つくばTX沿線を中心とした開発は、まだまだ続く気配だ・・。 写真-1 流山ロードレースのゴール地点。この頃には、雨は上がる。 写真-2 駅を降りると直ぐに選手受付が待っている。多くの人がスマホで雲レーダーを見ていた。写真-3 つくばTX線の高架下が雨宿り場所に早変わり。 写真-4 大会前日、調整池から駅南口公園を見る。 写真-5 真新しい「おおたかの森小中併設校」。
2015年10月15日
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秋、江戸川堤防は草深い。春に刈り取った土手の草がスクスクと伸び、背丈ほどになった。夕方時、草の中から虫が舞い上がる。この虫対策に、おもに朝ランにしている。 しばらくすると堤防補強工事が始まる。堤防の天端道路は、部分的に通行制限される。迂回道路は用意されるが、景色を見る楽しみは減る。鬼怒川の決壊を目の当たりにすると、堤防の補強、および川底の浚渫作業の完了が待ち遠しい。 堤防を覆う雑草は、早めに刈り取る必要がある。それも台風期のうちに・・。長い堤防、何処に綻びがあるかも知れない。日常的な点検が容易になるから。しかし、予算と人手、そして天候により、遅れ気味になるのは世の常だ。 原発事故当時、草刈後の葉や枝の処分が焼却処分できずに問題となった。いまは、草刈ロールを作っている光景も見かける。多少は有効利用しているのだろう。全国の河川堤防における除草費用も馬鹿にならないと思う。昔は地域総出の草刈行事があった。早く除草機械化が動き回れる堤防になって欲しい。 写真-1 江戸川と秋夕の空。 写真-2 江戸川堤防の天端道路。雑草の成長力は凄い・・。 写真-3 夕方、草むらから虫が舞い上がる。 写真-4 左岸土手から西の空を見る。 写真-5 江戸川に夜が訪れる。
2015年10月13日
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シルバーウィーク5連休の締めくくりに、秋分の日が配された2015年のお彼岸。秋分の日、イコール、お彼岸の中日である。江戸川沿いに咲く赤い花を観ながら「お彼岸ラン」する。家族全員が無事に過ごせることを御先祖様に感謝しながら・・。 春分の日、秋分の日に特別な想いを持ってお墓参りをする日本。そして昔からの「甘いスイーツ」を口にする。このような風習は、日本独特なものだという。墓地が生け花で彩られる日本の風物詩。太陽が真西に沈む秋(とき)が、故人がいる西方浄土に最も近づくと考えた「偉人」がいたのだ。 お彼岸の中日に、ボタモチやオハギを食べるのは我が家だけでない。小生は、粒あん党なので御萩の方を好む。アンパンも粒あんに限る。この時期、ランや散歩の際に秋の花・萩は見かけない。彼岸花は良く見かける。花の萩とオハギは秋の季語。春は、こしあんの牡丹餅と書き季節感がある。 秋のお彼岸は、9月26日までの7日間。彼岸花の開花期間も7日間程度と通じるものがある。曼珠沙華は、根に毒を持っているので虫除けになるとされる。農家さんは田んぼの畦や小堤防に、この赤い花を植えたので、その名残が目につくようだ。来年も同じ場所に突然咲く。再生との花言葉がある。 写真-1 桜の木を守るように彼岸花が咲く畑。 写真-2 ラン途中の坂道から彼岸花を観る。 写真-3 江戸川土手に向かう農道と彼岸花。 写真-4 堤防補強工事をすると土手の赤い花は無くなる・・。 写真-5 遠景のスカイツリーと彼岸花。
2015年09月23日
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先日の大雨で増水した江戸川「巡回」の続き・・。珍しく、玉葉橋の橋脚すべてが茶褐色の川面に浸かっていた。玉葉橋は、埼玉県吉川市と千葉県野田市を繋ぐ道路橋。水色の橋桁が泥水に映えて、少し美しく見えた。 大気が澄んでいれば玉葉橋からは、南西方向に富士山、北東方向に筑波山が見える。しかし大量の雨が降ったばかりなので、大地から水蒸気が上り視界が悪かった。北東方向18kmに、市内の3分の1が浸水した常総市がある。浸水ゴミと堆積土砂の撤去処分が重い課題だ・・。 今回の鬼怒川堤防決壊は、不幸な事象が重なった。特に、「線状降水帯」が西から東へゆっくり移動したため、利根川の増水の方が早かった。合流地点から上流の鬼怒川の流下能力が低下してしまった。つまり、本線道路の渋滞で、支線も渋滞になり、追突事故を起こしたようものだ・・。 江戸川左岸では、昨年に引き続き堤防補強工事が10月から始まる。予算面から細切れ工事となっているようだ。安全・安心な堤防になるはまだ遠い。しかし堤防に過信してはいけない。想定外の事が起こる2010年代・・。避難場所とルートについて、確認・訓練を怠らないように・・。 写真-1 浸水した江戸川右岸河川敷を玉葉橋から眺める。 写真-2 埼玉と千葉を繋ぐ玉葉橋。橋長さ約415m。筑波山の方角・・。 写真-3 長雨の影響でこれから、稲刈りを始める様子。 写真-4 左岸堤防からスカイツリーの方角を見る。写真-5 昨年に引き続き堤防補強工事が始まる。
2015年09月15日
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東日本豪雨災害をもたらした「線状降水帯」が去った9/12日、増水した江戸川を「巡回」した。河川敷で営業するゴルフ場は、依然と冠水状態だ。ポンプで排水して泥掃除を終えるまで数日を要するもの思われる。黒く濁った水辺は、通常の3倍は広がっているようだ。水鳥たちにとって、餌を摂るに好条件だ・・。 鬼怒川左岸・常総市三坂町で堤防が決壊したのは、10日午後12時50分。小生は、都内勤務先のテレビで、傷口が広がって行くライブ映像を観た。一級河川の堤防が破れてゆく姿を・・。隣接する小貝川が決壊・氾濫したのは昭和61年8月4日 (台風10号の影響)。29年後に繰り返された広域氾濫水害。 満水で流下する濁流の流入を押さえている堤防が決壊すれば、津波のような威力になって、人家を襲う。行方不明者15名の捜索が難航している。まだ9月の中半。次の台風まで残された時間は多くない・・。堤防の復旧、ライフライン(道路、水道、電気)などの修復が急がれる。写真-1 江戸川右岸河川敷のゴルフ場。最大1mほど冠水した。 写真-2 常磐自動車道の江戸川橋上流付近。 写真-3 束の間、水鳥たちの活動場となる。 写真-4 ゴルフ場と運動場との段差で小魚を狙うアオサギ。 写真-5 江戸川を越えて救援ヘリが飛んでゆく。上空の黒い2点は虫や鳥ではない・・。
2015年09月13日
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江戸川中流付近の稲は、こうべが垂れ、コガネ色に成長している。早いところでは稲刈りを開始している新川耕作地。流山の水田地帯は江戸川沿いに伸びる。今のところ、台風の直撃がない関東地方。収穫期に強風と大雨により、倒された稲を見るは辛いことだ。 弱いアゲンストの風の中、「チャリオ」で流山花火大会へ向かう。田圃の状態や空もようを眺めながら南下する。途中に小さな供養碑がある。堤防の草刈作業の障害になるので、目印に測量用のポールが立っていた。供養する人がいるようで、花が添えられていた。 先日の台風15号は、沖縄・九州・中国地方を直撃した。石垣島では、観測史上第7位にあたる最大瞬間風速71m/秒を記録。折れた信号機の鉄柱、横転した自動車。怪我した人はいるが、死亡者が無いのが救いだ・・。平地部での瞬間風速の最大値は、沖縄宮古島の85m/秒とのこと。 九州地方では稲と麦との二毛作をする農家が多い。この場合、稲刈時期は9月中から10月中となる。従って、収穫期に近い稲の台風被害が心配になる。長く水に浸かった稲は、低収量と等級ダウンを余もたらす。9月の台風は、南海から放物線を描いて列島を襲うことが多い。暫く油断はできない・・。 写真-1 収穫間近な流山の米。銘柄はほとんどがコシヒカリ。 写真-2 補強工事が完了している堤防と江戸川を望む。 写真-3 江戸川に沿って水田風景が広がっている。 写真-4 江戸川を渡る常磐自動車道路橋。 写真-5 周囲の雑草が刈られ、石仏の供養碑が良く見える。
2015年08月29日
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流山花火大会は、処暑の頃に開催される。流山1丁目から3丁目の江戸川土堤が主会場となる。近藤勇陣屋跡、キッコーマン工場付近の左岸土手である。打上げ会場は、対岸の江戸川河川敷。暦では秋、川面を吹く夜風が気持良い土手だった。雨の予想もあったが、良い天気に恵まれた。 流山花火大会は、市商工会議所が主体となり、今年で39回目を迎えた。三郷市の花火大会と合わせて1万発の花火を打ち上げる。地元の大会なので雨が降らない限り、観に行くようにしている。自宅から江戸川土手沿いに3.5kmチャリで、定位置に向かう。会場から1.5km上流の場所だ。 花火大会は短時間で多額の費用を空に散らしてしまう。商工会は、大会の資金集めに苦労する。企業、自治会、病院関係まで300を超える団体から協賛金集めたようだ。1発平均4千円とすると、5,000発で2,000万円になる。この他に警備費、仮説トイレ・テントなどある。 帰宅すると、秋田・大曲の「第89回全国花火競技大会」がテレビで中継されていた。選りすぐった18,000発が名曲ともに夜空を彩る。歴史ある伝統の大会だ。しかし、小雨が降り、風が弱く今一歩のコンデション。観客数を比較すると、大曲は例年72万人。流山は17万人。市の人口とほぼ同じ・・。写真-1 江戸川がフック曲がりする土手を鑑賞ポイントとする。南風でスカイツリーが霞む。 写真-2 上弦の半月が見える好条件の花火大会になった。 写真-3 夜空を彩る第38回流山花火大会。 写真-4 江戸川の川面に映る華火。 写真-5 東京スカイツリーの灯火が小さい。りたつう士。りたつう士。
2015年08月27日
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小さなお寺の境内に大きなムクロジの木が立っている。羽状の複葉は、夏の日差しを遮ってくれるので、ムクロジの下は貴重な日蔭場所だ。江戸川の土手に向かう際のランコースの途中に福性寺がある。そのお寺に植えられている保存木である。 ムクロジの和名は、「無患子」である。読んで字のごく、「子が患わ無い」との意味だ。この木を植えた屋敷では、子どもが大病することなく元気に育つという言い伝えもあったようだ。秋には飴色の薄皮に堅い黒い種子ができる。 ムクロジの木から抽出される「ムクロジエキス」は、抗炎症、抗菌、洗浄に効用があるとされてきた。果皮にはサポニンが含まれ、石鹸として重宝された時代もあった。また、108個の種子で作る数珠は、仏教的意味もあるようだ・・。 羽子板で突く羽根に付けられた玉は、このムクロジの種子であった。羽根は病気を運ぶ蚊を食べるトンボに似ている。羽子板によって空中高く舞い上がった羽子トンボは、悪い虫を駆逐する。子どもの無病息災を願う風習は様々だ。 写真-1 小さなお寺に大きなムクロジの木。福性寺の無患子。 写真-2 毘沙門天堂の日除けになっている。 写真-3 無患子の実。秋には堅い種子になる。 写真-4 ムクロジの木の下に並ぶ六地蔵さん。 写真-5 ランコースの江戸川土手。健康づくりに運動は欠かせない・・。
2015年08月10日
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熱帯夜が2週間続くと、朝ランの気力が萎えてしまう。江戸川は、水量が減り水温も高くなる。そのため土手の朝は、湿気もあることからジョギングには辛い・・。そこで、朝ランから「朝散」へ切り替え、日の出時刻に合わせて、江戸川の土手を歩くことにした。 猛暑日が連続8日間と新記録を更新した東京。小生在住の流山は、埼玉県の気象に近いので、東京より暑い。東京が猛暑なれば、埼玉・群馬は酷暑である。庭の雑草取りは、涼しくなるのを待っている。家人には、草むしり作業は熱中症に罹りやすいと言い訳にしている。 8月4日までの一週間、全国的で熱中症で緊急搬送された人数が過去最高の11,670人。25名が亡くなり、52人が重傷だという。2010年の猛暑を彷彿させる。2020年の東京オリンピックはこの猛暑を想定した方が良い。野外で活動する選手・ボランティア・観客にとって、過去最悪の大会に化す恐れがある。 8月8日は立秋である。暑さが極り、あとは衰えるのみされる。されど残暑がどうなるかだ。江戸川土手へ続く田圃道を歩くと、稲穂が垂れ下がっていた。猛暑の年は、「米収穫量は平年並みでも質が低下する」とされる。人間の労働意欲が低下する酷暑。家畜や野菜などの生産量と質の低下も悩ましい・・。 写真-1 鉄塔群から朝日が顔を出す。日中の猛暑さを連想させる朝だ。 写真-2 江戸川堤防の斜面。川面も抜ける涼しい空気感がない・・。 写真-3 水量の減った江戸川で朝飯を待つ白鷲たち。 写真-4 土手へ続く田圃道。稲穂の薫りが漂い始めた。写真-5 垂れ下がった稲穂を見ると豊作を予感。しかし品質が問題・・。
2015年08月08日
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