全409件 (409件中 201-250件目)
菜の花の香りに誘われて、えど川を歩く。朝ランのコースである。菜の花の期間は例年より長い。その分、サクラの満開が遅れていた。暫く、イエロー・ロード・ランを楽しめる。 青紫色の双耳山は、春がすみを帯びた筑波山。ふたつの峰のうち向かって左側の男体山が高く見えるが、より高いのは東側の女体山頂(877m)だ。日本百名山で最も低いとされる。 次なる低い百名山は、鹿児島県・開聞岳の標高924mである。足を引きずりながら、彼の山容を眺めたのは20年前。第14回指宿菜の花マラソンを4時間06分で走った記憶がある。フルマラソン3回目の挑戦だった。小生にとっては、菜の花はマラソンの花である。 運河口からは、幸いにも日本百名山で最も高い富士山と最も低い筑波山が見える。順光の具合で、朝の富士山、夕の筑波山となる。利根運河沿いのサクラが咲き出した。写真-1 菜の花咲く江戸川から筑波山を望む。写真-2 最も低い百名山(877m)を玉葉橋から見る。写真-3 青紫の山を見ながら運河土手をランする人。写真-4 えど川と菜の花主面。写真-5 菜の花と富士山。
2017年04月07日
コメント(0)
江戸川土手の「尼谷の渡し跡」辺りが菜の花のピークを迎えていた。右岸土手と平行に用水路が掘られているため、江戸川へ出るには橋を渡る必要がある。尼谷の渡しには丸太橋がある。 丘陵地と江戸川との間の広い低地は、早稲米の発祥地とも云われた水田地帯。しかし、近年開発が進み、田畑の面積は減少する一方だ。 土手沿いの水路は、野田市と流山市の田畑を潤していた「今上落し(いまがみおとし)」という農業用水路の跡。利根運河建設に伴い用水路は一時分断されたが、運河の下に横断暗渠を造り、用水を確保した経緯がある。 今上落しは、江戸川の河床より標高が低い。そのため1年中水が流れている。いや溜まっていると言った方が良いかも・・。空き缶などのゴミがポイ捨てされ、環境は良くない。時々アオサギを見かけるので、虫など生息しているようだ。写真-1 江戸川・尼谷の渡し近くの今上落し・用水路。写真-2 堤防天端への小径。写真-3 江戸川33Km付近の菜の花ロード。写真-4 平方の水田地帯と工事中の大型流通施設が見える。写真-5 江戸川砂洲のアオサギたち。
2017年04月03日
コメント(0)
枯れていた柳が若葉を付け、河川敷で揺れていた。にぶい黄緑色の柳色の枝葉。枝垂れ柳を見て、春の風を一層感じる。川岸や池畔などで、よく見かけるヤナギである。 ヤナギは、耐水性に優れている樹木なので、洪水時冠水しても枯れることがない。普通、木は根から養分と酸素を摂る。根元が長い間冠水すると、酸欠状態となり枯れる。しかし、柳は、幹から不定根を伸ばすことで枯れずに済む。 「柳に風・・」という言葉がある。相手の強い調子にあって、さらりとかわす様だ。森友学園問題の国会討議を見ていると、野党の追及にムキになって反撃する閣僚がいる。すぐに熱くなって、大きな声・早口で喋る政治家が多くなった。風見鶏でも困るが、柳のような人が居ないのも寂しい・・。写真-1 江戸川河川敷ゴルフ場の枝垂れ柳。真夏には日蔭を提供する。写真-2 浅緑の枝垂れ柳と遠景のタワーマンション。写真-3 河川敷ヤナギと筑波山。写真-4 江戸川岸の枝垂れ柳。写真-5 ヤナギと東京スカイツリー。
2017年04月02日
コメント(0)
菜の花色に染まった土手は、人呼び人を歩かせる。晴れた日、甘い香り漂う堤防の道を、走・歩・転びとが行き交う。そんな堤防を護るモノが川岸にある。 流山市内の近くを流れる江戸川に「丹後の渡し跡」地点がある。河口より約27km地点。川岸にT字形の水制が設置されている。川の流れが緩やかにカーブしており、市中心街にあたる場所。堤防を防御する目的の施設である。 杭と石で作られた「杭出し水制」は、約20m川に突き出しいる。複数のT字水制により、流速を低減させるもの。川の流量が少ない時に姿を現わすが、本来大雨・洪水時にその効能があるもの。現在、水制に頼らない強固な護岸造りが断続的に行われている。写真-1 菜の花色に染まった江戸川堤防。写真-2 菜の土手と畑。写真-3 流山市中心街に近い江戸川には「杭出し水制」が施されている。写真-4 T字形の水制で、洪水時の激流を低減させる。写真-5 黄色い対岸の遠方に富士が見えた。
2017年03月29日
コメント(1)
菜の花に埋もれるように小さな供養碑がある。高さ80cmほどの地蔵仏が彫られている。草刈作業で傷つけないように、目印に測量ポールが立っていた。 江戸川が緩やかにカーブする場所に供養碑が置かれている。河口より約30km地点、常磐道江戸川橋の上流にあたる。小さな石仏は、江戸川の上流を見つめている。 供養碑には、戒名や没年月日、そして慰霊文が刻まれている。7月の或る日、15才で他界したもよう。水遊びで溺れたか、増水で流されたかは知らない。月命日に、季節の果物や飲料水が供えられている・・。写真-1 菜の花が咲き乱れる土手と江戸川。写真-2 菜の花に囲まれる供養仏。写真-3 江戸川左岸に佇む供養碑。写真-4草刈時の注意喚起の測量ポールが立っている。写真-5 供養碑側面に慰霊文が刻まれている。
2017年03月26日
コメント(0)
江戸川の土手が菜の花で彩られてきた。休日になるとジョギングする人、サイクリングする人そして菜の花を摘む人で賑やかになる。 菜の花が咲くのが例年より早い。今年は梅のピークと重なった。運河の桜並木と歩調があっていたのだが・・。黄色い景色を長く見られることを願う。風の無い朝、菜の香りが立ちこめる中をランする。 雨上がりの日、江戸川土手から富士が見えるときがある。そういう日は散歩などに適している。春霞(砂埃と杉花粉)で、視界が悪い日は、健康にとってあまり良くない。土手を歩くのは、朝から午前10時までとしている。中国大陸から黄砂・PM2.5が襲来する日も近い。写真-1 江戸川の土手富士。写真-2 菜の花と河川敷コルフ場。写真-3 黄色い絨毯が敷かれた左岸土手。写真-4 菜の花ランコース。写真-5 菜の花と富士山。
2017年03月25日
コメント(1)
利根運河の右岸側にも梅林がある。梅を収穫している作業は見たことが無いが・・。古い木造建物の屋根と白梅の上半分が見える風景。 木造建物は、窪田味噌醤油工場で、大正14年の創業だという。90年以上も醤油・味噌造りを続けている老舗。野田市山崎の地である。 利根運河が完成したのは、明治23年(1890年)なので、その35年後に醤油づくりを始めたようだ。当時よりも運河の土手は、嵩上げされている。堤防の法尻が工場敷地との境界だ。ガードレールなどがないので、自動車が転落しようものならば、大変だ・・。写真-1 運河左岸土手から対岸の半梅を観る。写真-2 堤防ぎりぎりまで醸造工場敷地がある。写真-3 少し上流の梅林。いつの間に太陽光発電パネルが・・。写真-4 ウメ・ダイコン風景。写真-5 梅林を訪れた野鳥。
2017年03月16日
コメント(0)
運河右岸の土手沿いに、自然を残す谷津地形の公園がある。観梅をしながら相棒と散歩する。芝生に凛とした白梅が見頃を迎えていた。 利根運河口から上流4kmほどの広がる保存林と自然公園は、理窓会記念自然公園。東京理科大学創立100年を記念して造られ、維持している場所だ。学生にとっての癒しの森と水辺である。 もともとこの辺りは、長谷津や谷津田が入込む複雑な地形。東深井谷津と呼ばれている地区だ。池や台地があり、虫などが多く、野鳥が集まりやすい場所でもある。静かな散歩コース2.5kmはいつも整備されている。小さなオアシスである・・。写真-1 運河傍の梅木と自然林。写真-2 白雲と白梅。写真-3 野原と白梅。写真-4 理窓会の梅林。写真-5 ひょうたん池は野鳥のオアシス。写真-6 利根運河も春色に・・。
2017年03月12日
コメント(0)
利根運河を散歩していると、ふれあい橋の方で賑やかな歓声があがった。近くの幼稚園児100名ほどが土手すべりに興じている。子どもは風の子、元気の素(もと)である。 利根運河には往年の流れはない。利根川口を締め切り、最低維持水を放流している。昔、利根川と江戸川を結んでいたため、通水断面は大きい。従って、土手の斜面が以外と長いのだ。しかも、底を流れるのは小川以下の水量。幼稚園にとって特別な遊び場となっているようだ。 春先、草刈の終わっている法面は、自然のすべり台に適している。気温が低いので、蚊などの虫刺の心配がない。新芽もなく草かぶれもないと思う。ダンボールすべりが楽しそうだ。それを見守る園職員は、気の抜けないことだろう・・。 子ども達の段ボールを良く見ると動物や花のイラストと名前が書かれている。手づくりの「マイ・スリ」のようだ。どこぞの幼稚園がしている教育勅語の暗記に時間を費やすよりも、自由闊達に過ごせる時間を作ってやることの方が大切だ。写真-1 春先の草枯れ利根運河。写真-2 ふれあい橋上流の法面。写真-3 運河の斜面。奥に展望の丘が見える。写真-4 約100名の園児がマイそりで土手すべり。写真-5 のり面を全員でよじ登り、帰園する。
2017年03月09日
コメント(0)
梅の時期、観梅しながら朝ラン・夕ランを楽しめる。ランコースのなかで、利根運河左岸にでる道筋に、個性的な白梅の樹がある。白い着物を纏い、踊るような立ち姿に見える。見慣れているが、可笑しいさがこみ上げて来る。 運河土手と農家の畑が隣り合っている。農作業の気晴らしに、植えたものだろうか。また、小鳥のさえずり期待したものだろうか。自家製の梅干しを作るのによさそうだ。 利根運河左岸側、運河大橋の東地区で進む大型物流施設工事のクレーン群が見える。「DPL流山」の開発事業だ。あと1、2年すると田園風景が一変する。国内最大規模のマルチテナント型物流施設とされる。大きな「器」を造っても、働き手が集まるのだろうか・・。写真-1 運河左岸近くにある「踊る白梅」。写真-2 ダンスする姿を連想させる白梅。写真-3 運河土手沿いの梅木。写真-4 畑の端に立つ梅木。写真-5 対岸から望む。背後で大規模な開発工事が進む。
2017年03月05日
コメント(0)
東京ディズニーランドと葛西臨海公園を隔てる旧江戸川。その河口には、東京と千葉を結ぶ橋梁が多く架けられている。川岸から上を仰ぐと天井のように感じる。その幅約百メートルである。夏は日陰になって涼しい・・。魚も集まってきそうだ。 河口を横断する橋梁は、5本架かっている。最下流の橋が京葉線江戸川橋梁。順に、東京湾岸道路(国道356号) 舞浜大橋上り線、首都高速湾岸線の上下流線、東京湾岸道路舞浜大橋の下り線。これだけ密集していると、「天井」を支える柱も多い。 橋脚が林立している舞浜大橋付近は、川のよどみ、ふかみが出来ている。「シーバス」(スズキとも云う)釣りのスポットだという。小魚を求めて、シーバスが遡上してくるようだ。体長が80cmを越えるものは、ランカーシーバスと呼ぶ。釣り人はこれをねらう。 舞浜大橋の河口左岸は、老朽護岸の改修工事が断続的に行われている。県・市・民間の3者による協働事業だという。舞浜海岸13kmの緑道とサイクリングロードが完成するのはまだ先のようだ。写真-1 舞浜大橋の旧江戸川河口。写真-2 東京ゲートブリッジ。写真-3 舞浜大橋の上流左岸。写真-4 旧江戸川河口に林立する橋脚。写真-5 老朽護岸の改修工事が進んでいる。
2017年03月03日
コメント(0)
北西の風が強い日は、江戸川土手からも富士山がよく見える。西高東低の気圧配置が続くためだ。そんな日対岸の右岸河川敷ゴルフ場でプレーする場合、横風に要注意・・。練習場でウォーミングアップしてからコースに出る人が多い。 対岸地区は埼玉県吉川市ではあるが、ゴルフ場の名前は「KOSHIGAYA G.C」。利根運河口から下流7.5kmに伸びる18ホール(パー72)のコース。平坦なコースであるが、池やクリーク、バンカーが効果的に配置されている。「スループレー」を基本とするゴルフ場である。 最近、いわゆる接待ゴルフは激減している。ゴルフをスポーツ、健康保持に利用する人が増えた。そのため、昼食を摂らないで18ホールをラウンドするスループレー人口が増えているという。低コストのプレー費で、リピーターを確保する作戦のようだ・・。 これまで、ゴルフ日の昼食は、普段より立派なランチをすることが常識だった・・。ゴルフ離れした若い世代よりも、年金生活のシニア層を対象にするゴルフ場もある。エリート会員制とパブリック的なものと、二極化して行きそうだ・・。写真-1 江戸川右岸の河川敷ゴルフ場と富士を左岸土手から望む。写真-2 30打席ほどのドライビングレンジ。北西の風はフロー、あまり曲がらないはず・・。写真-3 池やクリークの多いコース。江戸川への「川ポチャ」もある。写真-4 江戸川が南北に流れている。北西の風は横風コンディションとなる。写真-5 ゴルフコースとスカイツリー。
2017年02月26日
コメント(0)
流山市西端を南流する江戸川から日光連山を遠望する。特徴ある男体山(標高2486m)と女峰山(標高2483m)などが連なる日光表連山。その左手奥に関東地方の最高峰・日光白根山(標高2578m)をかすかに見ることができる。 江戸川土手をサイクリングした。要所で立ちどまり、遠く北の山並みを観る。場所によって、前景が変化するので、日光連山の表情も異なる。 江戸川は蛇行しながら流下する。曲がり部において堤防下部の侵食が進む。従って、弱点になりそうな箇所から堤防補強工事を実施している。河川工事のピーク時期を迎えている。 土手の草むらをよく見ると菜の花が伸びている。疎らではあるが黄色い花が風に揺れていた。春を呼ぶ花が咲き出した。写真-1 江戸川と日光連山。写真-2 江戸川サイクリング道・32km地点から上流を望む。写真-3 江戸川曲がり部から日光表連山を望む。写真-4 常磐道橋梁と日光男体山。写真-5 堤防補強工事の様子。
2017年02月18日
コメント(0)
流山南の馬坂を下ると、大規模な工事現場が広がる。馬坂は、流山街道から河岸段丘を切通して造られた道。緩やかに曲がりながら南西に下っている。馬にとっても、しんどい60mの急な坂だったのだろう・・。 工事現場は、常磐道IC近くで開発が進められている「GLP流山プロジェクト」だ。先進的物流施設の建設工事である。昨年9月から工事が始まり、第1期工事が2018年9月まで。1期工事から3期工事までの建物の総床面積は、32万m2にも及ぶ。 馬坂は、地元では富士見坂と云われていた。現在、常磐道へのアクセス施設で視界が悪くなってしまった。更に、GLP施設が完成すると、この坂道からは富士見ができなくなりそうだ。またひとつ富士見坂が減って行く。 流山市は、江戸川左岸沿いの丘陵地に人口が集中する。そのため市内には、名前のついた坂が28ほどある。ゾッとするような名前の坂もある。以前の流山ロードレース大会は、これら丘陵地を駆け巡るので、アップダウンコースを売りとしていた。写真-1 流山南の馬坂から富士を見る。写真-2 流山街道から江戸川方面へ下りる道。途中から富士山の方向に曲がる。写真-3 坂の下から見上げる。道幅を拡張して擁壁ができた。写真-4 坂を下るとクレーンが林立するGLP工事現場。写真-5 工事現場越しの富士。
2017年02月15日
コメント(0)
夜明け前に、江戸川土手に出る。気温は零度近いが、風がないので寒く感じない。川に堆積した砂洲に降りて、水面に映る逆さ煙突を見る。煙突は流山市クリーンセンターの焼却塔、高さが120mあり、流山のランドマーク的存在だ。 土手から見て東側の丘陵から日が昇る。しかし、厚い雲に遮られて、山火事のような光景・・。曙の丘から暁の丘に変化する。昇る朝日は潰れ、円盤状で出現した。 日の出までの状態を指す呼び方は色々ある。(1)夜明け前・・・未明。(2)夜明け方・・・東雲、曙。 (3)明け方・・・薄明、払暁。(4)日の出・・・払暁、暁。薄明は夕方の状態も示す。薄明をカタカナ語で「トワイライト」という。 薄明の継続時間は、季節や緯度によって異なるとされる。日本において、1年で最も長く感じるのは夏至の頃とされる。また、薄明を短く感じるのは、春分と秋分の頃と言われている。土手を歩くようになって、約4年・・。季節折々の風情を感じて、走思歩観する日々である。写真-1 薄明の江戸川。砂洲の上から下流を望む。写真-2 静かな江戸川の流れと左岸土手。写真-3 トワイライトの水面に、逆さ煙突を見る。写真-4 流山丘陵にかかる曙雲。写真-5 暁の丘。山火事になった森のようにも見える。
2017年01月24日
コメント(0)
サイクリング、ジョギング、ウォーキングの際、立ち留まりたくなる利根運河の江戸川口。延長8.5kmの運河水流は、江戸川に注ぐ。つまり、利根川から江戸川に流れている。大雨が降らない限り、小川のような流れである。しかし、その堤防高さは、1級河川並みだ。 水運に使用された時代、天気が良ければ、船の正面に富士山が見えた。桜並木が続く運河水路を抜けると江戸川に出る景色の良い場所と知られていた。しかし、1890年開通した当時は、江戸川から利根川に流れていたという。 開通6年後の明治29年(1896年)の台風により、利根川と鬼怒川の合流点の川底が上がり、水流が逆になってしまった。当時、洪水被害に悩まされることが多かった水系であった。 東京-銚子間144kmを18時間で結んだ水運ルート(汽船)は、20年間で衰退した。20年間が長いか短いかは時代のスピード感であろう。人間ならば、成人式を迎えてこれからだという秋(とき)・・。常磐線、総武本線の鉄道が物流を制することになった・・。そして、鉄道から・・。写真-1 利根運河の右岸堤防と遠くの富士。写真-2 利根運河の左岸堤防と深井新田橋。写真-3 江戸川口は夕陽の名所。写真-4 江戸川口正面の対岸に漁の仕掛が設置。写真-5 朝焼けを映す川面の左側が利根運河口。
2017年01月15日
コメント(0)
空気が澄んでいる朝・夕に、北の日光連山が見えることがある。朝日にほんのりとピンクに染まる男体山(標高2486m)。その山頂に帽子のような雲が載っていた。 利根運河口から男体山までの距離は約100km。富士山より近いが、山容を見る機会が少ない。日中気温が上がると、南斜面に雲が広がり易い。結果として、北の方は曇りがちになる。 日光連山の西側(群馬県側)には、赤城山が見えた。赤城山は、複数の山が連なっている。一番高いのは、右側に見える黒檜山(くろびさん、標高1828m)。小生の住む流山は、赤城山の欠片が流れ着いた町だという・・。 山への想いは年齢とともに変化せざるを得ない。学生時代は、仲間づきあいとして山に遊ぶ。30代、40代は、仕事と子育てに追われて山を忘れる。50代は少し余裕ができ、マラソン基礎体力づくりのために山に歩く。60代になると体調を考慮して、観る・乗る(ロープウェイ)・撮るになった・・。写真-1 江戸川の彼方に日光連山が見えた。写真-2 玉葉橋から日光連山を望む。写真-3 赤城山地が長く見えた。写真-4 林立するクレーンの間から日光男体山が見えた。写真-5 以前、大谷川ウォークした際の日光山景色。
2017年01月09日
コメント(0)
江戸川に架かる玉葉橋付近から、青い筑波山と青みがかった富士山を眺めた。玉葉橋は、埼 (玉)県と千(葉)県の間の江戸川に架かる。県道326号を通す橋長415mの橋である。河口より35.5km地点。流山市との境が東詰めである。 玉葉橋は東西方向に向いている。西詰付近から筑波山、東詰付近から富士山を望むことができる。特に、冬至の頃にダイヤモンド富士も見られる場所。近隣の人は、カメラ持参で散歩に出て来る。朝は空気が澄んでいるので、東西の二つの名山を同時に眺められる。 歌川広重の「名所江戸百景」に度々登場する筑波山。当時、「西の富士、東の筑波」と謳われていた。無線時代、筑波山晴れ(ツクバヤマハレ)との隠語もあったという。命令文としては、「直ちに帰還せよ」とのこと。 筑波山から白い富士は容易に見つけることができるが、富士山から筑波山を見つけ出すのは難しいと思う。両者は約160km以上離れている。玉葉橋から筑波山までは、ほぼフルマラソンの距離。その3倍離れていても、富士山は筑波山と同じ大きさに見える橋である。写真-1 青き筑波山。写真-2 青みがかった富士山。写真-3 玉葉橋と紫の筑波山。写真-4 玉葉橋と白い富士山。写真-5 広重「隅田川水神の森真崎」。
2017年01月02日
コメント(0)
新年あけまして、おめでとうございます。今年も、清・多・夢・くらぶ、をよろしくお願いします。ランして、歩いて、観て」思ったことを気ままにブログします。平成29年の元旦は、良く晴れた朝を迎えることができました。 2017年が皆さまにとって、幸多い酉年になることをお祈りしています。小生も健康面に留意して、暮らしていますが、「物忘れ」とか「疲れ目」などで、老いに侵食されています・・。 当ブログの更新回数も千回を越えました。よく長く続いたなあ・・と、我ながら感心しています。それもこれも、ナイスやコメント等などを頂いたおかげと感謝しております。体調を壊さない限り、作業を続行したいと思います。 今朝の初夢は、遠い昔大雪山でスキーして、頭から新雪に突っ込んだ夢・・。江戸川土手で、初日の出と朝富士を拝んだ後、運動靴に履き替えた。1年の計は、初ランにあり・・。写真-1 流山丘陵からの初日の出。写真-2 運河土手から初日の出を見る人達。写真-3 振り向けば、元日の朝富士。写真-4 大晦日の沈みゆく太陽。写真-5 上弦の月が出ていた。
2017年01月01日
コメント(1)
良い天気が続くで、連日江戸川土手を夕散歩する。12月なのに、秋空のような景色に遇った。西の空をキャンバスに見立てると、雲筆により次々と絵画が描かれる・・。 燃える雲間から黒い富士が徐々に姿を現す。輪郭がぼやけ、燻製のような雰囲気である。もちろんダイヤモンド富士にはお目にかかれず・・。 しばらくすると、秩父の山並みも浮かび上がってきた。特徴的な武甲山や妙義山を確認する。年末までは、大掃除と土手散歩の繰り返しだ。粗大ごみを早く目に処分すれば、と悔いている・・。写真-1 江戸川の水面と変幻する雲。写真-2 焔のような雲が湧きだす。写真-3 黒い、燻製のような富士山が現れた。写真-4 レンズ雲が東へ流れて往く。写真-5 秩父山地の山並み。左端のピークが武甲山。
2016年12月22日
コメント(0)
まだ暗い朝、師走の望月を観に、江戸川土手へ行く。川面の月の光が反射して、白い帯となっていた。あたかも川の渡し場を照らしているようだ。 宮崎シーガイヤの高層ホテルでは、毎月満月の数日間、「月の道」キャンペーンしていることを思い出す。日向灘から月が昇って来ると、海面に一筋の光の道ができることから観光資源としている。その光景を見て、願い事をすれば叶うという・・。 4年間暮らした宮崎。マラソンを始めるきっかけとなった町。平成5年世界ベテランズ大会、平成6年第6回太平洋青島マラソン大会に出場したことは忘れられない日々だ・・。 当時、宮崎シーガイヤには、「オーシャンドーム」や45階建ての高層ホテルが建設された。一ツ葉海岸は、リゾート地として一時繁栄したが、オーシャンドームは、14年の2007年に閉鎖してしまった。太平から昇る朝日が眩しかった記憶はあるが、 昇月の思い出は不思議とない・・。写真-1 江戸川の「月の渡し」。写真-2 利根運河口から月明りの川面を観る。写真-3 朝の望月と赤城山。写真-4 尼谷の渡し跡から昇月を観る。写真-5 宮崎リゾートホテルの「月の道」パンフより。
2016年12月18日
コメント(0)
江戸川の尼谷の渡し跡付近から富士山に沈む落陽を観る。この日、写真用三脚が時折揺れるほどの風が吹いた。位置取りやカメラ扱いが悪く、イマイチの写真となる。 尼谷の渡しは、河口より33km地点にあった渡し場。利根運河口から1.5km下流に位置する。流山には江戸川の渡し場が8ヶ所ほどあったという。そのひとつが尼谷の渡し。江戸川の堤防を築く以前に、小さな谷筋があったのだろう・・。 ここら辺りから「ダイヤモンド富士」を撮影すると、送電線と鉄塔が画像に入るため人気がない。鉄塔を避けると、富士山天辺に太陽の上端に懸かる場所を決めるのは難しい。そもそも江戸川からは、富士山頂に比べて太陽が大きく見えるため、ダイヤの輝きとは少し異なるようだ・・。 2016年も残すところ約2週間。年賀状を作成すると、大掃除が待っている。年内あと何回、「ダイヤモンド富士’」が観られるだろうか・・。写真-1 江戸川土手・尼谷の渡し跡から観る落陽。写真-2 約20m下流で撮影すれば、富士山の天辺に陽が輝いたはず・・。写真-3 鉄塔は除けたが、送電線はやむを得ない構図。写真-4 スカイツリーの方角。写真-5 土手の黒富士。
2016年12月17日
コメント(2)
早朝、利根運河に霧が溜まっていた。江戸川へ向けて緩やかに移動してゆく。風が無く、冷え込んだため、川霧が発生したものだ。前日、季節外れに暖かかったことも関係している。しかし江戸川は、川霧が発生していなかった。 前日、都内で忘年会があり、アルコールが朝まで抜けない。肝臓の働きが鈍っているようだ。少し頭痛もする。よって、頭を冷やすために早朝散歩した。 利根運河の特徴として、川幅に対して水路法面が大きい。深い堀のような土質構造物である。このため前日温められた地面に予熱があり、水温も低下しなかつたようだ。そこに放射冷却が加わり、霧が発生したものと思われる。 一般に川霧は湿度80パーセントの環境下、水温と外気の温度差が10度を越えると霧になると言われる。水温、外気温、湿度、風そして塵の状態によって、霧の濃さが異なる。今年は、南から暖気と北から寒気が入れ替わる頻度が多い初冬である。写真-1 利根運河の溜まるよう霧。写真-2 運河霧は、ゆっくりと江戸川へ進む。写真-3 左岸土手から江戸川下流を望む。写真-4 砂洲で朝メシを持つアオサギ君。写真-5 帰り道、淡い富士が見えた。
2016年12月14日
コメント(0)
清水公園の片隅に、古民家のような建物がある。聚楽館(しゅうらくかん)と言う大そうな名称だ。その建物の周りには、立派なモミジと枝垂れサクラが植えられている。紅葉のピークは過ぎたようだが、見物客は多かった。深紅のその姿を今年も観ることができた。 この建物は、大正時代から書院として使用されていた。醤油で財を成した茂木家に在ったものをこの場所に移築したもの。当時、中央・地方の有力者を招待する迎賓館の役割を果たしたという。今は、市民の集会所等に利用。特に春、梅園に隣接していることもあり、茶屋として使用される。 野田の醤油造りは、江戸時代から始まったもの。天・地・人に恵まれていたのだろう。原料となる大豆・小麦粉・塩の調達に「地の利」があった。利根川と江戸川に挟まれ、集積・運搬に水運を利用できた。江戸川を下れば、大量消費地・江戸へ「楽」に運ぶことが出来た。 戦前、「関西の帝劇」と呼ばれた聚楽館が神戸市新開地にあった。野田聚楽館は、神戸の百分の一サイズではあるが、富士山の見える風光明媚な丘陵にあった。江戸川の遊覧を兼ねて、この地に足を運んだ人も多かったことだろう・・。写真-1 清水公園・聚楽館前のモミジ。3分残り紅葉。写真-2 梅園寄りのモミジ美景。写真-3 深紅のモミジ。写真-4 もみじ谷付近の紅葉。写真-5 もみじ谷の池。
2016年12月10日
コメント(0)
南西の山に陽が落ちる師走。夕日が沈んだ富士山頂に、北から飛行機雲が伸びてきた。かなり幅のある航跡雲だ。大気の状態や飛行機の種類によって、太い、細いなどの違いがでるようだ。 12月にはいると江戸川の土手は、ダイヤモンド富士月間になる。常磐道橋から玉葉橋までの区間(約5km)において、1ケ月間にわたり富士山付近に夕日が沈む。利根運河での見頃は、12月中旬となる。この頃になると、送電線が視野から外れるので、カメラマンが急増する。 飛行機雲は、いつでも見られるわけではない。飛行高度、気温、湿度など関係する。大気中の水分が多いと発生し易くなるらしい。観天望気では天候悪化の前兆とする説がある。軍用機は、航跡雲を消す技術があるという。 関東の日の入時刻は16時半頃。晩飯前の散歩に都合がよい。土手を散歩する時に、ダイヤモンド富士に遭遇すると食事時間が遅くなる。女相棒に小言を言われながら、熱い味噌汁を啜ることになる。写真-1 江戸川土手のダイヤモンド富士。[河口より31.8Km地点]写真-2 陽が沈むと黄金色の帯が浮き上がる。写真-3 北からの飛行機雲が伸びる。写真-4 江戸川土手の夕景。写真-5 東京スカイツリーの方角。
2016年12月08日
コメント(0)
丹塗りの仁王門が鮮やかな紅葉で彩られていた。期間限定の紅葉門だ。仁王門は、清水公園・ポニー牧場の通りを挟んで向かいに建っている。金乗院の参道でもある。春、桜並木の下に露店が並び、夜桜見物で賑わう場所である。 良い天候に誘われて、江戸川の土手を自転車で遡上する。清水公園まで片道約45分の行程。風が弱く、快適な土手サイクリングとなる。北風が強く吹けば、往路がアゲンストの風になる。そんな時は、電車を利用する。 慈光山の仁王門の中には、朱色の金剛力士像が対で立って居る。阿吽(あうん)の像である。片方が口をあけ、もう一方の像は口を閉じている。これらの像にも、「にかわの丹塗り」が施されている。 古くから神社・仏閣の建物には「丹塗り」が使用されてきた。戦国期を過ぎる頃から、豪華な漆塗りが多用された。「丹塗り」は、丹「鉛丹」をニカワ液に錬入させる伝統的な塗装法。適度な通気性を確保して、木材と一体となる。さらに、虫害、疫害から建造物を守る効果があるとされる。写真-1 慈光山・仁王門と金乗院に続く参道を見る。写真-2 見頃を迎えた仁王門のモミジ。写真-3 丹塗りの朱色門と紅葉。写真-4 金乗院から仁王門参道・広場を観る。写真-5 金乗院境内の鐘楼堂。
2016年12月07日
コメント(0)
11月東京都心で初雪を観測したのは54年ぶり。と同時に積雪を観測されたのは11月24日午前9時頃のこと。当日、アルバイトのため、朝夕に東京駅を利用した。前日が暖かかったので、寒さが身に堪える都内だ。転んで怪我をした人もいた。 翌25日、江戸川土手と利根運河を散歩した際には、堤防斜面の初雪化粧が残っていた。土手の天端道路は、黒いアスファルトなので、昨日のうちに消雪。斜面の草陰には、雪が残っていた。霧が晴れて来ると、白い富士の姿が土手の上に見える。 実は初雪のあった2日後、体調を悪くして、半日以上床に伏して絶食していた。感染症胃腸炎で、関節がだるくなり、下痢に悩まされる。眠ることができず、苦しい時間を過ごした。加齢に伴い、免疫力が低下しているのだ。 東京都では初雪のあった日に、感染症胃腸炎に関する流行警報が発令されていた。千葉県は、患者数が増加中で、流行注意のレベル。インフルエンザの予防接種を検討していた矢先であった。いろんな物を少しずつ食べ、十分な睡眠を摂って体力回復しなければ・・。写真-1 雪化粧した斜面を見ながら土手散歩する。写真-2 白いゴルフ場と土手の富士。写真-3 富士山の半分が見えた。写真-4 東京理科大近くをS字に流れる利根運河。写真-5 理科大キャンパスのイチョウ並木。
2016年11月29日
コメント(0)
雨天を先ぶれする朝焼けが流山丘陵そして江戸川を覆っていた。このところ、周期的に東の空を紅く染める雲が出現する。朝ラン時によく見る光景である。 江戸川土手から赤紫の空のもと筑波山も見える。工事中の「Dプロジェクト」のクレーンがスタンバっている。比較的暖かな朝を迎えた。夕方から雨の予報が出ている。掃除・洗濯は早く済ませるに限る。 明るくなった西の空を見ると、白さを増した富士の姿があった。今年の富士山の初冠雪は、例年より26日遅かった・・。言い伝えで、「富士の頭が白くなれば、台風は来ない」。今年の台風被害は北海道にも及び、野菜の高騰が長く続いた。 昔の観天望気に、「ネコが顔を洗うと雨」とか「ミミズが地上に這い出したら大雨」、「茶碗のご飯粒がきれい取れると雨」などがある。今は、テレビの気象情報番組やスマートフォンで簡単に予報が分かる。その分、五感が退化してゆくようにも思える。写真-1 真っ赤な朝焼け雲は、雨を予想する観天望気。写真-2 赤い雲に覆われる流山丘陵。写真-3 赤い江戸川の流れ。写真-4 赤紫に染まった北東の空。クレーンと筑波山。写真-5 白さを増してきた富士山。
2016年11月18日
コメント(0)
11月の江戸川土手は、まだ歩きやすい。東風や南よりの風が吹くことが多い。蚊や虫は、いつの間にかいなくなった。師走に入ると、北より風が吹き抜けるので、今が散歩に良い時期だ。川面にゆく秋を感じる雲が映っていた。 上耕地付近まで来ると、大型クレーンが林立している。常磐道・流山ICに近いので、耕作放棄地に大型物流施設の建設が始まった。床面積14.4万m2の「GLP流山」ができる。工場と物流とターミナル機能を併せ持つ施設だという。 利根運河付近にも、大型物流施設「Dプロジェクト」が同時期に工事が始まった。床面積18.2万m2の規模。上下流の二つの施設の距離は、わずか2.5kmほどだ。昔の水田が流通施設に開発されてゆく姿がある。いつか見た光景である。 2018年完成を目指す二つの大型プロジェクト。2施設の床面積は、豊洲市場の2/3となる。江戸川左岸が「流通村」になりそうだ。交通量が増大する。土手に出向く際、道路横断に注意しよう・・。写真-1 江戸川の川面に映った雲景色。写真-2 大型物流施設「GLP流山」の工事が始まっている。写真-3 江戸川越しにスカイツリーの方角を望む。写真-4 河川敷のゴルフ場。写真-5 富士山と夕日の距離はまだ十分に離れている。
2016年11月17日
コメント(0)
舞浜駅からヒルトンホテル裏の護岸プロムナードまで、約2kmを歩く。日没が早くなった。16時を過ぎると、気温が下がり、夕暮の気配が下がって来る。 江戸川河口側の護岸からは、葛西臨海公園、東京タワー、そして東京ゲートブリッジを見渡すことができる。ケートブリッジのライトアップを観て、舞浜駅に引き返すと18時からのナイト入園を待つ人々が列をなしていた。 近頃、東京ディズニー・リゾートへの来園者が頭打ちになっているようだ。大阪のUSJに押され気味だという。新企画を次々と打ち出す大阪USJの方がむしろ、東京ディズニー・シーより多いとも言われている。 度重なる入園料の値上げで、一般的1日券は7400円となり、リピーターの足が止まっている。若者の入園が減った分を、(シニア+孫)および外国観光客が穴埋めをしているのかもしれない。いずれにせよ、若者が減少してゆく未来だ・・。写真-1 夕照をうけて光の線が伸びるゲートブリッジ。写真-2 夕闇迫る葛西臨海公園と点灯前のスカイツリー。写真-3 東京都心の夜景。写真-4 恐竜橋のライトアップ。写真-5 東京ディズニーランドの入口から見たホテル。ファンタジーな光の飾り。
2016年11月09日
コメント(0)
江戸川の河口は、レジャーランドである。右岸側に葛西臨海公園、左岸側に東京ディズニーランドだ。ディズニーランドの海側にリゾートホテルが建ち並び、海岸線に沿って護岸と遊歩道が整備されている。夕方、散歩する人やランする人が行き交う場所・・。 ダイヤモンド富士の時期なので、舞浜海岸にやって来た。しかし、残念ながら西の空は雲で覆われていた。海辺を覗くと、ミルキーブルーの海面があった。青潮が沿岸近くに漂っているのだ。河口幅と沖の方は、通常の海面色だ。 氷河湖によくみられる水色とは事情が異なる。青潮は、底に沈んだプランクトンなどの分解で、酸素が欠乏した水塊が上昇する現象。細菌の働きなどでできた硫黄酸化物が、太陽光を反射して海水が乳青色に見える。水質の富栄養化が要因で、潮流の弱い内湾でよく発生するとされる。 千葉県では2年前青潮被害に遭っている。3千トン以上のアサリが死滅したという。三番瀬のある船橋漁協は、その青潮対策として水流発生装置を沿岸に設置して、海水のかき回し行っているようだ。東京オリンピックの年に、青潮の大量発生が起きないことを願う・・。写真-1 舞浜海岸(岩壁)近くを漂う青潮。上空の雲が印象的・・。写真-2 潮流のある沖合と潮流のない水域が色分けされていた。写真-3 東京ゲートブリッジを観る。写真-4 青潮上で休息するカモメもいる。写真-5 グーフィー像を見ながら舞浜海岸まで散歩する。
2016年11月08日
コメント(0)
朝焼けが広がりそうだと思い、朝ランを取りやめて「朝散」に切り替えた。昨夕の茜雲が残っているかのように、東の空が紅く染まった。日の出時刻は5時50分頃。夏至の4時半に比べて、1時間半も遅い。朝メシ前の散歩に丁度良い季節である。 十五朝の月。秩父山地に沈む赤い月を観ようとしたが、雲が垂れ下がっていた。一瞬、太陽のような月が見えた。乾燥して雲が無ければ、月は赤くならない。霧のような雲が薄く広がる津と、月が赤色になる。頃合いが難しい・・。 秋、早朝の江戸川土手は、人が行き交う。ウォ―キングする年配者。少し若いジョガー。更に若いチャリダー。思い思いに、見晴らしの良い堤防天端を利用する。もしかしたら、昼間の商店街よりも人通りが多いかも知れない。 近くの常連「婦人会」6名がご来光に向かって、合掌または礼をしている。農業に携わった人達なのだろう・・。小生も朝ランして、朝日を浴びると一日分の元気をもらった気分になる。写真-1 秩父山地に沈む赤い月。方角的に山は武甲山のようだ。写真-2 利根運河口から見た朝焼け。写真-3 生き物のように動く朝焼け雲。写真-4 南の方角の雲も赤く染まる。江戸川の下流方向。写真-5 流山丘陵からの昇るご来光。
2016年10月21日
コメント(0)
この秋、太陽が顔を出す時間が少ない。日照不足が続いている。久しぶりに、太陽が大地を照らしてくれた。夕方、江戸川の土手を散歩する。 この土手からダイヤモンド富士が見えるまでに後2ケ月を待たねばならない。徐々に落陽が富士山に近づいている。北西の赤城山から戻りはじめて、三ツ峠山辺りで陽が沈む。富士山が作り出す雲で、空が幻想的に変化する。日没時刻が17時に近づいた。散歩しし易い時間帯である。 千葉特産の落花生は、日照不足で収穫量が少ないという。年末に親戚などに送っているが、値上がりしそうだ。初夏までは水不足。秋になると日照不足。冬は何が不足するのだろうか。まさか雪不足・・。そんな予報はない・・。 東の空に雲がなければ、「お月サン」が大きく赤黄色く見る。柏キャンパス駅付近に、高層マンションが建っているが見える。流山市の一部地域でも、住宅やビルの建設ラッシュが続いている。写真-1 秋の夕暮れ、紅い雲が広がった。江戸川の土手から・・。写真-2 富士山は雲・製造機のようだ。写真-3 少しだけ彩雲が見られた。写真-4 十三夜の月。不気味な雲が忍び寄る。写真-5 十四夜の月。高層マンションの上に月がでたァ・・。
2016年10月18日
コメント(0)
朝焼けは雨の兆候と言われる。第25回大会(10/9)は雨中のランとなった。折から、活発な秋雨前線が南下・通過していった。丁度、スタート時刻10時頃は強い雨が降る。生憎のコンディションだ。ゴール時に雨は止んだ。秋雨だ・・濡れてゆこう・・には、少々雨粒が大きかった。 今年も10kmコースが変更になった。と言うのも、4月にキッコーマン・アリーナ(市民総合体育館)が完成したからだ。施設の命名権は、キッコーマン(株)が取得して、年間1200万円の契約だ。 今大会の参加者は4000人及んだ。60歳以上のランナーが約600人。年々ランナーが増加して、道路事情が厳しくなっている。小生のタイムは、59分39秒。何とか1時間を切ることができた。カナダ旅行で運動不足であったが、逆に雨が幸いしたかもしれない。 4年後の東京オリンピックでは、当施設がオランダ選手団の事前キャンプ地になるらしい。リオ五輪の代表選手に、流山市から1名 (女子水泳)がいた。4年後は2名になるかも・・。ゴタゴタ続きの2020年東京オリ・パラ準備事業。シッカリせよとしか言えない・・。写真-1 大会当日の江戸川台学園通りの朝焼け。写真-2 運動公園近くのスタート地点。8時15分頃の雨は小降り。写真-3 雨天でメインアリーナの観覧席を開放した。写真-4 アリーナ裏手の完走証発行所。雨は止んだ。写真-5 晴天時、表彰式会場となる入口広場。
2016年10月10日
コメント(1)
江戸川上空にオタマジャクシ雲が浮かんでいた。先日は、「かなとこ」雲を見る。朝・夕に土手をラン・歩いていると、面白い雲に出逢う。ポケットモンスターのような雲がいるかも知れない・・。昼間の土手散歩は、残暑と紫外線を避けて中止。 秋雨前線の影響もあって、ユニークな形の雲が造られる。回遊するイワシの群を連想する雲、ウナギが泳ぎを思わせる雲。気流の加減で、雲が生き物のように感じられる夕方であった。 水位が高く、川幅が広くなった江戸川。群馬や栃木で、連日強い雨が降ったせいだ。利根川上流8ダムと荒川上流4ダムのそれぞれの貯水量は、ほぼ満水状態だ。ダムの洪水調節ポケットを空けて、台風の大雨に備えているはず・・。 ポケモンにおたまじゃくしをモチーフしたものがいる。おたまポケモン「ニョロモ」。水の中にいる時には、数倍早く動き回ることができ、かつ薄い皮膚は鋭い牙を跳ね返す弾力があるモンスターだ。ポケモンGOでは、新宿駅や新宿御苑にニョロモが出現すると聞いた。江戸川に出現したとの噂はない。写真-1 増水した江戸川上空に、オタマジャクシの形をした雲が泳いでいた。写真-2 群れた小魚を連想させる雲たち。写真-3 泳ぎ出したウナギを思わせる雲か・・。写真-4 ウナギが夕陽で焼かれてしまった。写真-5 江戸川の左岸土手景色。
2016年09月21日
コメント(1)
運河の斜面は、赤色から黄色に変化する。一週間ほど前、紅い彼岸花が斜面を覆っていたが、徐々に黄色部分が多くなった。鐘馗水仙(ショウキズイセン)に咲き替わったのだ。 鐘馗水仙は、ヒガナバナ科の多年草で、6枚の花びらからなる秋花。雄蕊(おしべ)が上方に湾曲しているのが特徴的。中国の「鐘馗」という人物の顎ヒゲを思わせることから名付けられとされる。 鐘馗は。道教系の神と言われる。昔、鐘馗の図像は、魔除けの効験あるされ、旗、屏風、掛け軸と流行した。屋根の上に像を載せる所もあった。端午の節句は、中国唐時代の影響で厄払いを願う日だった。江戸期から鯉のぼりを揚げて、健やかに子どもが成長することを祝う行事になった。 真っ赤な彼岸花より、黄色い彼岸花の方が自然な感じする。赤い曼珠沙華は、死者を弔う花のイメージが強いためか・・。利根運河左岸の散歩は、赤と黄の斜面と蝶を見る楽しみがある。西陽差す斜面だ・・。写真-1 運河斜面中段が黄色花に咲き替わった。写真-2 運河の左岸斜面に西陽が当たる。写真-3 鐘馗水仙と運河水位観測塔。写真-4 湾曲する雄蕊が特徴のショウキズイセン。写真-5 鬼退治の鐘馗像画。歌川国芳による。
2016年09月18日
コメント(0)
西の空が何やら騒がしい・・。間もなく、「かなとこ雲」が形成された。更に、後光のような筋・影芒が夕空に伸びた。江戸川の土手から見る雲景色である。 金床雲は、積乱雲の中の入道雲がより発達したものとされる。湿った空気が上昇気流に乗って、対流圏近くまで昇り、水平に広がったもの。今年はよくよく、太平洋から湿った大量の空気が押し寄せくる年だ。 江戸川周辺の田んぼを見ると、稲刈作業は完了している。流山地区は水害に遭わずに、収穫の秋を迎えることができた。初夏に水不足気味の日々が続いたので、稲の生育を心配した農家さんもいた。米どころの東北地方は、水害の影響が心配だ・・。 秋分の日が近い。日没は午後6時前になった。田んぼの畦道から聞こえる音は、カエルから虫に選手交代した。遠くの雷鳴を聞きながら家路に急ぐ・・。写真-1 西方に「かなとこ雲」が出現・・。写真-2 かなとこ雲が放つ影芒。写真-3 江戸川土手から見る雲景色。写真-4 亡霊のような富士が見えた。写真-5 江戸川の上空に流れる雲。
2016年09月16日
コメント(0)
利根運河を渡る風に、晩夏を感じるようになった。山吹色の花が風で揺れている。後で人に花名を聞くと、キヌガサギク(衣笠菊)だという。菊は秋の花である。 運河岸辺の草むらに、紅紫色のクズ(葛)も見つけた。秋の七草のひとつ。根を干したものは、生薬・葛根(かっこん)になると言われている。発汗作用を促し、解熱剤になるとも・・。 台風上陸が例年より多かった8月は過ぎた。台風10号(ブーメラン台風)が東北と北海道に大きな傷跡を残している。実りの秋を直前に被害を遭われた方にはお見舞いを申し上げるしかない。11月肉ジャガが我が家の食卓に並ぶ日はあるのだろうか・・。 今年は6月末まで台風が発生せずに過ごしてきた。しかし、5つの台風が上陸した。例年の台風事情は、発生が25.6個、本土接近が5.5個、そして上陸が2.7個とされる。2016年の夏は、「台風軍」を次々と日本上陸を許した。14号、15号、16号のトリプル台風と秋雨前線、荒れる秋を予感する。写真-1 晩夏の利根運河。水面に雲が映り込む。写真-2 運河水辺公園の夕焼け空。写真-3 運河水辺の草むら自生するキヌガサギク。写真-4 運河に棲みついたカモ一家。写真-5 秋の七草のひとつ「葛(クズ)」。
2016年09月13日
コメント(1)
利根運河の道斜面に、今年も彼岸花が咲いた。残暑の厳しい頃に背筋を伸ばし、シャンと立つ花なので、「情熱」との花言葉がある。また、天上の花を意味する曼珠沙華とも呼ばれる。 彼岸花の茎に、毒性のアルカロイドを含むので、虫やミミズが近寄らない。それを捕食するモグラも遠ざかる。また、彼岸花の球根が土中に広がり、土砂の流失を防ぐとされた。法面保護の効果が期待されたのかも知れない。但し、昨今の豪雨には期待できない・・。 「白い夢さえ 真紅に染まる」との歌詞がある。白い家が火災に見える・・。庭に群生した彼岸花が火炎に見えたのだろう。放射状の花びらは、焔に見えなくもない。その蜜ある花炎にクロアゲハが飛んできた。飛んで火に入る夏の蝶か・・。 「紅い絨毯」に黄色の彼岸花がリボンのように目立つ。ショウキズイセン(鐘馗水仙)との名があるようだ。「また会う日を楽しみに」とのメッセージがあるという。黄色リボンは、「戻ってくることを切に祈る」ために使用される。韓国セウォル号沈没事故を思い出す・・。写真-1 利根運河の上段法面を彩る彼岸花。写真-2 桜樹を守るように群生する曼珠沙華。写真-3 黄色の彼岸花が一輪。黄色いリボンのようだ。写真-4 対岸から彼岸花斜面を見る。写真-5 蜜を求めるクロアゲハ蝶。
2016年09月10日
コメント(0)
一夜限りの「シアターナイト」が利根運河で行われた。東京理科大生が主体となって、夜の運河水辺公園を光で飾るイベントだ。今年のテーマは「夢境(ゆめざかい)」。運河に集う人々に、シアターナイトが夢であったような一日にしたいとのこと。今年で5回目を迎えた利根運河シアターナイト。運河淵に仮設スクリーンを立てて、アニメ「あしただけみて」を上映する。途中、小雨を降り出し、あいにくの夜になった。 桜の名所である利根運河に因んで、夏の夜に花を咲かせる企画があった。「花とうろう」の放流だ。学生と子ども達が製作した約500個の灯篭を流した。前日までの降雨の影響で、水量が増していた。花筏のような灯篭の速度が思ったより速かった。 多くの東京理科大生は、流山市側の運河駅から運河を渡って野田市側の大学校舎に通学している。運河は両市の境である。この市境の水路を100年前、外輪蒸気船が行き交った。大規模な土木工事を忘れないようにと土木遺産に認定されている。写真-1 運河を見下ろす斜面に彼岸花が咲く。写真-2 日が暮れた利根運河水辺公園。写真-3 「花とうろう」の放流。写真-4 放流前の花とうろう。花筏をイメージする。写真-5 運河シアターナイトが始まった。
2016年09月03日
コメント(0)
雨天で延期になっていた流山花火大会が26日(金)19時から江戸川河川敷で行われた。夕方、カメラを待って、江戸川土手を花火散歩する。歩いた距離は、たかが知れているが約2時間の長散歩となる。 流山花火大会は、今年で40回目を迎えた。対岸の三郷市も同時に行うので、結構な人出となる。1万4千発を実質1時間強で打ち上げる。次から次と咲いては散る光の花びら。少し、打ち急いでいる感があった。子ども達は、来週から2学期が始まる。ゆく夏を惜しむような花火だ。 日中天気が良く、花火・会場の準備には好条件だった。土手に吹く風は心地よい。日没後、鳥の形をした雲が流れてゆく。一方、北の栃木県方面には積乱雲が広がっていた。日光方面は、にわか雨だろうか・・。流山の花火大会に影響はなさそうだ・・。 陽が落ちて辺りが薄暗くなると、生き物の動きが活発になる土手。コウモリが近くまで飛んでくる。以外と多い数だ。虫などを捕食するのか。蚊やブユを除去してくれれば助かる。また、土手斜面にキツネが出没する。立派な尾と毛並みを持つ狐だ。キツネ君も遠花火を見るつもりかも知れない・・。写真-1 鳥の形をした雲が流れゆく。下流の会場へ向かって歩き出す。写真-2 夏空を彩る第40回流山花火大会。写真-3 流山市と三郷市の同時の花火大会。写真-4 川面を照らす惜夏の花火。写真-5 江戸川土手からの遠花火とスカイツリー。
2016年08月28日
コメント(1)
夏、江戸川の土手から眺める名山は、群青(ぐんじょう)色だった。輪郭はぼやけているが、特徴ある山容なので、すぐに分かる。西に富士山と秩父山地、そして東の筑波山が、モヤ色の空に浮かんでいた。 朝ラン時、久しぶりに富士山が見えた。自宅に戻って、40分後にカメラを持って江戸川土手に登る。しかし、気温が上昇したため、遠くの景色が薄くなってしまった。 群青色は、やや紫みを帯びた深い青色である。青の集まった色。ウルトラマリンブルーとも呼ばれる。近い色に紺色(ネイビーブルー)がある。群青より黒味が多い。土手から見た遠くの山々は、空が明るく、群青の山だ。 「群青」は八月の海だと言う人がいる。35年前の8月に、映画「連合艦隊」を観た人は多いと思う。エンデングに谷村新司氏の「群青」が流れる。「泣けと如く 群青の海・・」との歌詞がある。最近、彼の「昴」は良く聞くが、戦争の悲劇を伝える「グンジョウ」は聞こえてこない。写真-1 江戸川から見る夏富士。群青色の山容が浮んでいた。写真-2 水位の下がった江戸川と遠景の富士。写真-3 富士山と対峙する筑波山。上雲がアクセント。写真-4 山頂雲が流れる筑波山。写真-5 秩父山地を望む。武甲山や妙義山などの山並み。
2016年08月25日
コメント(0)
第39回隅田川花火大会が無事終えた。異例の警戒体制で臨んだとされる隅田川花火大会。警視庁は、最悪を想定して銃器対策部隊(ERT)を待機させていた。 小生は今回、我が家の居間でビールを飲みながらテレビ観戦した。夕食前、近くの江戸川土手を散歩しつつ、遠い花火を見に行く。しかし、線香花火のような火が見えただけ。テレビ観賞は、複数の場所から打上がる花火を同時に観ることができる。メリットだ。 2週間前南フランス・ニースの花火大会で、トラックを使用したテロが起きたばかり。一人の実行犯で80名以上死亡させる手口は、模倣され易い。首都で開催される隅田川花火大会は100万人の人出がある。当局はほっとしたことだろう。今大会は雨天順延がないので、一日だけに限定できたのも幸いした。 蚊や他人とのトラブルの心配ないテレビ花火見物は、実はゆっくり観ることができない。司会者のトーク、芸能人のコメントやギャグが少々煩わしい・・。とは言え、テレビに向かって、写真のシャッター押してみた。 写真-1 7月30日の江戸川上流の西空。花火大会には絶好のコンデション。 写真-2 振り向けば、東の空に反射雲が・・。 写真-3 江戸川左岸土手から隅田川花火を遠望する・・。 写真-4 テレビ花火見物。両国橋近くの花火。 写真-5 東京下町の夏空を彩る花火は終わった。
2016年08月02日
コメント(0)
暑い日は、自然公園を散歩するに限る。木々の枝葉が、直射日光を遮ってくれる。下草が刈り取られ、スニーカーでも歩き回ることができる。東京理科大の理窓会記念自然公園である。利根運河から自由に出入可能なので、散歩コースの一つになる。 暑い時期、理窓会公園の蓮池でハスが開花する。大きな葉に隠れて、鮮桃色の花が咲く。谷津地形に造られた自然公園は上流から、白鳥の池-蓮池-調整池-ひょうたん池と配置されている。余水は、利根運河に放出される。 ハス池ならびに調整池は、渇水気味で、池底の泥土が乾いている場所が多い。南関東の6月の雨量は平年並みであるが、地下水の水位が下がっているのだろう。近隣の畑と水田の土は、水を欲しがっていた・・。 しばらくの間、ハス花が散歩に彩りをもたらしてくれる。暑いからとと言って、部屋の中ばかりに居たら、電力料金が嵩む。休みの日は、家事や掃除を涼しいうちに終わらせること。 冷たい水を持って、日蔭を歩こう・・。 写真-1 理窓会公園の蓮池。 写真-2 咲いたばかりのハスの花。 写真-3 満開を過ぎたハスの花。りたつう士。 写真-4 水が枯れ気味の蓮池。 写真-5 自然公園内の休憩ベンチ。
2016年07月12日
コメント(1)
柏-大宮間の東武アーバンパークラインにおける中間点に江戸川橋梁が架かっている。延長約400mの単線鉄橋である。田舎を横切る鉄道のようだ・・。つまり、クロスカントリー的な鉄道だ。但し、大宮-春日部間の15.2kmは、複線化されている。 アーバンパークラインの全長は、船橋-大宮間で約63km。船橋線と野田線に区別されて呼ばれていた時代もあった。大宮方面へ向かう電車が上り。船橋方面に向かうのが下りとアナウンスされる。東京から転入した人は、始め戸惑う・・。 東武鉄道は、スカイツリーライン、アーバンパークラインなどカタカナ英語名称が好きなようだ。アーバンとは、都会的、上品との意味がある。人口の大小で言うと、ビレッジ(村)-シティ(市)-アーバン(都市)-メトロポリタン(大都市)の順であろうか。 野と田を結ぶ鉄道から都市と都市を結ぶ鉄道へと変わりつつある。年配のヒトは、醤油が染み込んでいる野田線が御馴染みだ。野田駅は、大豆の蒸かした匂のする駅だったが、都会の香りする駅に変わってゆくのだろうか・・。 写真-1 江戸川左岸寄りに架かるトラス橋・江戸川橋梁。 写真-2 アーバンパークライン電車が音をたて通過する。 写真-3 上流に「先代の橋脚」の一部が残っている。りたつう士。 写真-4 野田線江戸川橋梁の名前が残っている。 写真-5 河川敷に降りて江戸川橋梁を観る。
2016年06月04日
コメント(0)
江戸川は朝靄のなかにあった。初夏は日々の気温変動と湿度変化が大きい。江戸川上流は、都市化が進んでいない。この時期、風が無い朝は川霧が発生することが多い。玉葉橋を渡ったところで、朝靄の日の出を見ることが出来た。 初夏、羽虫わく夕散歩を避け、朝散歩に切り替える人が多い。小生もそのひとりである。しばらくする梅雨になる。雨合羽を着ては、散歩できないので・・。 霧と靄との違いは、見える距離の違いから区別されるのが一般的。つまり、視程1Km未満が霧、視程1Km以上が靄(もや)。しかし、昔からの言葉の使い方として、春は靄・霞、秋は霧との季語がある。 朝靄や朝霧は、しばらくすると消え、晴れて来くる。夜霧は長く続くことが多い。夜霧をテーマとした音楽や映画も数多い。夜霧は物語を深める効果があるかも知れない・・。 写真-1 朝靄の河川敷。 写真-2 朝靄に陽が昇る。手持ち撮り。写真-3 利根運河付近。 写真-4 右岸河川敷の川霧。 写真-5 左岸岸河川敷の朝靄。
2016年06月03日
コメント(1)
全長60kmの江戸川には、9つもの鉄橋が架かっている。そのうち最上流に架かるのが東武・アーバンパークライン江戸川橋梁である。略してUP江戸川橋梁と呼ぶ。総武鉄道時代(昭和5年・1930年)から鉄橋は存在した。 現在の橋は、昭和30年に架け替えられたもの。それでも60年以上電車を通して来た。還暦を過ぎた橋。橋長は392m、13スパンからなる。都内の鉄道橋はほとんどがトラス橋だが、UP江戸川橋梁は3スパンのみでトラスであるため、電車からは眺めの良い場所と知られている。 東武野田線から改名したアーバンパークライン。イメージアップを兼ねて、新型の60000系電車を積極的導入している。更に、この3/26ダイヤ改正で柏-大宮間に急行電車が走り始めた。複線化工事が徐々に伸びているようだ。 UP江戸川橋梁は、高い建物が少なく、見通しの良い河川敷を通る。そのため江戸川橋梁と筑波山がツーショトに入る。気象条件が合えば、トラス橋越しに富士山が見える。新型の軽量電車導入により、橋梁にかかる負荷が少し軽減したようだ・・。 写真-1 江戸川44キロ地点に架かる東武UP江戸川橋梁。古い電車が通過。写真-2 江戸川を横断する6両電車。 写真-3 右岸堤防と広い河川敷。りたつう士。 写真-4 トラス間の筑波山。 写真-5 トラス橋の彼方に富士山が見えるはずだが・・。
2016年06月01日
コメント(1)
満月が天空に深夜輝いていた。早朝、月見に江戸川土手へ行く。春から夏にかけて、月の入りを見る機会はあまりない。理由とし、(1)超早起き(4時すぎ)しなければならない。(2)春霞が毎日のように懸かるため・・。 5月から7月は、昼間が長い。月の出は北東から、月の入りは南西方向である。ここ流山・江戸川土手からは、南西方向に富士が見えるが、大きな月と富士山が重なる日は限られている。天候と月の満ち欠けが合致する確率は極めて低い。富士は朝靄の中・・。 月が沈むと、反対の方角から太陽が昇る。筑波山方面の空が赤くなる。山頂に雲がたなびくと好景色となるが、そうはならなかった。また超早起きしようと思う・・。 写真-1 江戸川堤防の朝月(ちょうげつ)。 写真-2 月の左側に富士山が見えるはずだったが・・。 写真-3 鉄塔群と朝日。 写真-4 北東の空。 写真-5 淡い朝焼けと筑波山。
2016年05月30日
コメント(1)
赤城山が朱色に染まった。日没が遅くなった今日この頃。東京の日の出・日の入りは、4時半と18時50分。この時期、夕陽が北西の方向に沈む。夕方、自転車散歩する。江戸川を遡上して、夕日を見て戻る。 江戸川上流38km付近の堤防の下に、キッコーマン関連工場が並ぶ。近くの土手から野田橋方面を眺める。沈みゆく夕陽、そして赤城山のシルエットが浮かび上がる。赤城山は、黒檜山など複数の山体からなる。 野田市は醤油の町。利根川と江戸川に挟まれ、水運に恵まれた場所だった。生産と流通に適し、消費地・江戸に近かった。大豆を茨木県、小麦を群馬・千葉県、塩を行徳からそれぞれ集積できる位置に野田はあった。キッコーマンは、「亀甲萬」で親しまれている。 夕陽を見ての帰宅は、土手に舞う虫との戦いである。防止・防虫メガネ・マスク・首タオルは必需品。虫湧く土手道を無言で来た道を引き返す・・。 写真-1 江戸川上流の夕景。 写真-2 赤城山に夕陽が沈む瞬間。ダイヤモンド現象には・・。写真-3 朱色に染まった背景に赤城山が鮮明に見えた。 写真-4 江戸川38km地点と上流の野田橋。 写真-5 江戸川左岸堤防下に密集するキッコーマン関連工場。
2016年05月29日
コメント(2)
富士山頂の残雪が日を追うごとに消えて行く。季節は夏へ・・。先日、北海道で気温33度になった。富士山の白さの現象に反比例して、水田の緑が増してきた。稲が順調に成長していた。 富士北麓地方の田植えの時期、山肌に「農鳥」などの雪形が現れるという。今年の雪形はどうであつたのだろうか。ここ流山からは、遠いので「蛸」または「海月」が覆いかぶさっているよう見えた。 江戸川付近のランコースの道端や空き地に、ピンク色の小花が目に付くようになった。家人に名を問えば、「ユウゲショウ」でしょ・・との答え。和名「夕化粧」という。何と雅(みやび)な名前の花だ。 名前から憶測すると、夕方にかけて咲く花のように思える。しかし、朝には咲いていた。夕方、萎れているように見える。朝の方がより美しく見える。「朝化粧」したユウゲショウだ。昔のヒトは、艶っぽいネーミングがウマイもんだ・・。 写真-1 江戸川左岸の水田。 写真-2 富士山頂の残雪が融けて行く。 写真-3 空き地から富士山を遠望する。足元と花の群落がある。りたつう士。 写真-4 ユウゲショウの群落が空き地に広がっていた。 写真-5 雅な名を持つ「夕化粧」。
2016年05月24日
コメント(1)
全409件 (409件中 201-250件目)