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青海の帰り道。江戸前の風に吹かれてレインボーブリッジ(RB)を渡る。芝浦-台場間に架けられた橋長798mの吊り橋。海上50mの空中散歩を楽しみことができる。但し、風の穏やかな日に・・。 歩道は、北側と南側にそれぞれ配置されている。北ルートを通れば、東京タワーやスカイツリーを望める。南ルートを通れば、富士山を見つけることが出来るかもしれない。片道1.7kmのプロムナードである。時折、ジョギングする人に遭う。 お台場には、高さ11.5mの「台場の女神像」が東京タワーを背に立っている。フランス政府公認のパリの自由の女神像で、FRP製のレプリカだという。手に持つ銘板には、1776年と1789年の数字がある。米・仏国に由来する歴史年。 女神像を後にして、吊り橋の北ルートを歩く。2つ主塔にはミニ展望所があり写真撮影スポット。それ以外の径間部では、小刻な振動で手元が定まらない。もし3.11震災当時この吊り橋上に居たらと思うとゾッする。交通網がストップした当日は、寒い中帰宅する人が大勢いたという。写真-1 お台場より白銀のレインボーブリッジを望む。視界に東京タワーが入るのだが・・。写真-2 北プロムナード1.7kmを歩く。風が弱く絶好の空中散歩日和。写真-3 高さ11.5mの「台場の女神像」。左手に持つ銘板の数字が気になる。写真-4 東京夜景名所のひとつ[絵葉書より]。節電の冬、年末の特別照明があるのかな・・ にほんブログ村
2011年12月04日
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青海に宗谷が泊っている?青海(あおみ)とは、9/30で閉館となった海の科学館があるところ。南極観測船・宗谷はずい分前から展示されていたが、テレビドラマのおかげで注目を浴びる。その青海へ江戸風の御座船・安宅丸(あたけまる)に乗り向かう。日の出桟橋から約40分の舟旅である。 安宅船(あたかぶね)は、そもそも戦国時代、海の合戦で活躍していた。九鬼水軍が有名。織田信長の命を受け伊勢で数隻建造したという。安宅船が戦艦なら、巡洋艦は関船、駆逐艦が小早だろう。 東京都観光汽船株の安宅丸は、長さ約50m×486トン。船尾が展望テラスになっている。見晴らしがバッグンに良い。東京湾の岸壁には、"キリン"が数多くいる。コンテナ埠頭には、必ず見かけるガントリークレーンだ。 青海には、宗谷のほかに羊締丸も展示されている。宗谷は家族づれの見学が目立つ。お隣の羊蹄丸の方は、訪れる人がいない。小生は学生時代、青函連絡船に幾度か乗船しているので、羊締丸を感慨深く眺めた。若い頃大きな荷物を背負い、国鉄函館駅から乗り込む。そして畳の広間にゴロ寝した記憶が蘇る。写真-1 日の出桟橋を出港する御座船・安宅丸。今年の3月に就航し、乗客定員500名という。写真-2 将軍が乗った江戸中期の御座船・天地丸の模型。海の科学館所蔵。 写真-3 東京湾岸壁には麒麟のようなガントリークレーンが数多く配置されている。写真-4 青海に停留されている南極観測船・宗谷。 その脇には羊蹄丸(青函連絡船)もいる。 にほんブログ村
2011年12月02日
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飛騨の高山陣屋で山岡鉄舟の銅像を観る。江戸城無血開城を成し遂げた男を3名あげるとしたら、鉄舟の他に、海舟、吉之助だと思う。理念や目標を掲げることは誰でもできるが、その実行能力となると話は別だ。肝を座えて、障害となる事象を突破する雄気が必要。彼らには11年因縁99-88-77がある。 【勝海舟】別名を勝麟太郎。文政6年に生まれ、1899年(明治32年)に没す。77歳まで生き維新を見届ける。幕末の肩書:軍事総裁。人脈として新門辰五郎がいる。無血開城策の立案者。戦略のひと。 【山岡鉄舟】別名を小野鉄太郎。天保7年に生まれ、1888年(明治21年)に没す。53歳病で逝く。維新時の肩書:天皇の侍従、人脈として清水次郎長がいる。父親が飛騨の郡代で幼少期を陣屋で過ごす。混乱した戦線の中、身ひとつで勝の手紙を西郷に渡すキーマン。無刀流の開祖であり、書の達人。 【西郷隆盛】別名を西郷吉之助。文政10年に生まれ、1877年(明治10年)に没す。51歳で西南の役で戦死。維新時の肩書:陸軍大将兼参議、人脈として大久保利通がいる。倒幕軍にあって江戸総攻撃作戦を中止させ、江戸城無血開城を実行した智謀のひと。しかし、戦犯のため銅像設立許可は、皇居から遠い上野。近くに彰義隊の墓がある。正装は許されず浴衣姿で死後21年の序幕。西郷会館が現在改築中。写真-1 勝海舟の銅像。地元隅田川沿いに立つ。お尻を東京スカイツリーに向けている。墨田区役所うるおい公園内。写真-2 高山陣屋傍に立つ山岡鉄舟像[青雲]との題目。幼少期をこの地で過ごす。剣と書と禅の達人。写真-3 上野公園の西郷隆盛の銅像。陸軍大将の正装は許されず小刀のみ。正装像は地元鹿児島にあり、長剣を握りしめている。写真-4 1868年3月14日勝海舟と西郷隆盛が会見した地。地下鉄三田駅付近にあった薩摩藩蔵屋敷で会談。 人気ブログランキングへ
2011年10月19日
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隅田川にはかつて三ツ股(三派ともいう)があった。広重・名所江戸百景「みつまたわかれの淵」にも描かれている。現在は埋め立てられビルが建っている。日本橋中州から箱崎付近で、清州橋右岸下流と思われる。流れが緩やかになることや潮が遡って来るため、浅瀬や洲が出来易いのだ。 「江戸名所図会」でも「三派は 新大橋の下 浅草川と箱崎の流との 分れ流るる所・・」とある。新大橋は、1693年に架けられた隅田川3番の橋。現在の清州橋の少し上流で、カーブする場所のため幾度も洪水で流失している。壮観な長さ194m大橋の下流は月見・舟遊び・納涼の名所だったという。 この名所を幕末浮世絵師の鬼才・歌川国芳が描いている。東京新聞が大震災前に「東都名所 三ツ股図」を取り上げ話題になった。巨大な井戸掘りの櫓が憶測を呼んでいた。国芳のイタズラ心が180年後のいま、スカイツリーと結びついたのだ。絵中の白壁土倉は、佐賀町の米倉・酒倉と思われる。 人間は高いもの、不動なものに畏敬を払う。時には信仰にもなる。小生が住む千葉北西では、太陽以外では富士山、筑波山だ。そしてスカイツリーが加わった。現代はGPS機器がある。位置を知るに苦労はない。しかし、事故や災害でその機能が消失した場合の備えは、していた方がよい。写真-1 隅田川大橋より上流を望む。清洲橋下流右岸を埋め立した中州地区が三ツ股という江戸の名所。写真-2 隅田川大橋より下流を望む。永代橋上流左岸沿いは佐賀町。永代橋の背景は佃島の高層ビル街写真-3 国芳の「東都名所 三ツ股の図」。1831年頃の作品。中州から深川側の景色、巨大な塔が・・写真-4 佐賀町河岸通り。「赤穂義士休息の地」碑が右端にある。倉庫街の面影を残す町。にほんブログ村人気ブログランキングへ
2011年10月08日
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皇居及び江戸城跡や各濠では、多様な岩石と石垣を観ることができる。江戸初期、幕府の御威光のもと諸大名が競って造り上げたものだ。地下鉄・虎ノ門駅構内には、これらの石切り場や運搬ルートを示したパネルが展示されている。主に伊豆半島が産地。大いに海運が栄えたことと思う。 江戸城跡エリアは、「石と水と草木」が調和された空間となっている。パワースポットの源泉である。朽ちない石、生命を育む水、生きるものに安らぎを与える草木が他の場所より豊かなのだ。隠れた世界遺産とも言える場所かもしれない。 前回のブログ「これは何」の全体写真を掲載して解答とします。 【問題1の解答写真】 桜田門の北側の石垣。 現存する枡形城門では最大規模、白ぽいのは花崗岩、黒ずんだのが安山岩かな。上着のデザインにどうか。【問題2の解答写真】 和田倉交差点付近の行幸通り土橋の高蘭模様。道路幅約70m行幸通りを境に和田倉濠と馬場先濠がある。【問題3の解答写真】 皇居正門めがね石橋の飾電燈。旭日と獅子のデザイン。工事中なので近くに寄れず。二重橋も観ることが出来なかった。【問題4の解答写真】 桃華楽堂の正面玄間屋根に注目。鬼瓦の代わりに置かれ屋根の中心をなす雛人形。前皇后さまの還暦記念に造られた音楽堂。 にほんブログ村
2011年09月30日
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江戸時代のこと。江戸湾最大の入浜塩田が行徳(千葉県市川市)にあった。現在の行徳は、旧江戸川と江戸川放水路に囲まれた地域で、付近に「塩浜」、「塩焼」、「本塩」と言った地名が残っている。入浜塩田法とは、潮の干満を利用して太陽光と風で水分を蒸発させた塩田造りである。 塩田で得られた塩田砂を利用して煮詰めた製塩は、新川と小名木川を経由して江戸に送られた。小網町までの約13kmを3時間で結び、「塩の道」と呼ばれた。重い荷をすべて水運で運ぶ省エネ輸送が確立していた。 新川は、船堀川の流路を一部変更した運河で、中川と江戸川を結ぶ。寛永9年(1632年)には貨客船が就航したとのこと。江戸初期は行徳の塩が戦略物資であつたが、そのうち東北地方の米や成田参拝の客も運ばれるようになった。新川の川岸は、「ごったく屋」と呼ばれる料理屋が多く並び、栄えたと言う。昭和にはいり天然ガスの採掘で周辺地帯が地盤沈下したので、運河の水位を低下させている。東水門(江戸川)から導水して、西水門(中川・荒川)の排水機場でポンプ排水している。新川西水門広場には、黒色の「火の見櫓」が造られ、桜並木の新川や反対風景である荒川やスカイツリーを見渡すことが出来る。 写真-1 新川西水門広場より新川を望む。高さ15m黒色火の見櫓と水門コン跡の間に新川が見える。写真-2 新川の荒川方面を望む。遠くに東京スカイツリーが見える 写真-3 旧江戸川に設置されている新川東水門写真-4 「江戸名所図会」 行徳の塩窯 にほんブログ村
2011年09月09日
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