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東京ゲートブリッジは、初夏の青空の下では眩しかった。白い雲の下、飛行機が途切れることなく姿を現わす。ゲートブリッジで旋回して羽田へ降下してゆく様は、大恐竜を避けるようだ・・。 ゲートブリッジは、空と海の航路上にたつ建造物。そのため設計上の制約から橋梁が向い合うようなトラス橋になった。長大スパンの橋は、一般に吊り橋の方が経済に優れているとされる。レインボーブリッジ、横浜ベイブリッジは吊橋である。 これらの3橋は、揃って海面までの桁下高さが約55mだ。日本の海上交通法に従っているとは言え、残念な高さである。世界の大型クルーズ船の動向を考慮しなかったようだ。橋を潜れない大型観光船は、臨時の大井ふ頭に接岸したという。 ゲートブリッジ付近は、釣りの季節を迎えている。真夏ほどではないが、太陽の日差しがきつい。サングラスと帽子は必須のアイテムだ。日蔭がほとんど無いので、朝夕が賑わう。但し、防波堤への入場は、6時から21時までとの制限がある。写真-1 中央外防波堤埋立地と東京ゲートブリッジ。写真-2 初夏の青空とゲートブリッジ。写真-3 恐竜橋で左旋回下降する飛行機。写真-4 防波堤は釣り施設。写真-5 釣施設入口から都心を見る。写真-6 恐竜二頭の下は東京港第三航路。
2017年06月05日
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初夏の若洲(江東区)を訪れた。「海の森水上競技場」の進展も気になっていた。埋立地・若洲の南端は、日当り良好で南国的雰囲気がある。可憐なピンク色の花が緩斜面に群生している。 身を寄せてコロニーを作っていたのは、ヒルサキツキミソウ(昼咲月見草)。初夏を彩る帰化植物で、東京港を一望する場所で育っている。日当りと水はきの良い土を好み、草丈が20cm前後。4枚の花びらを持つ。風に揺れて、笑っているようにも見えた。 若洲地区は、14号埋立地「夢の島」(ゴミ処分場)に引き続き、埋立てした15号埋立地。当時、蠅の大量発生や異臭で問題になった場所。その後、物流倉庫、ゴルフ場、キャンプ場など整備された。 中央防波堤外側の海域に工事用船舶が見える。中央外防提の埋立てを更に伸ばすためか・・。中央防波堤内側地区の帰属(江東区と大田区)が決まっていない。小池都政下で丸く収まるのか、見守りたい。写真-1 若洲海岸南端の花景色。写真-2 若洲海岸南端から恐竜橋を眺める。写真-3 芝生のなか群生を成す夏咲月見草。写真-4 東京湾を一望する緩斜面。写真-5 中防外防提の沖合の作業船舶。
2017年06月03日
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江東区・青海フロンティアビルの東側「ゆりかもめ」を挟んで、高さ99mのテレコムセンタービルが建っている。屋上にパラボナアンテナが設置されており、衛星通信基地の役割を有する建物。このビルの21階に有料の展望台がある。 フランスの凱旋門をイメージして造られたビル。シャンゼリゼ通りの西端に立つエトワール凱旋門の2倍の大きさだという。1995年建築当時は、他のビルも少なく、凱旋門のように見えたかも知りない。海側からテレコムセンターを捜すと、他のビルに埋もれていた。 日本夜景遺産のひとつに選ばれているテレコムセンター展望台。夜景の名所だけあって、昼間の来場者は少ない。日没近くになると人が多くなる。同じフロアに、夜景レストラン・バーがあり、夜景を見ながらの飲食ができる。宴会やパーティにも対応可能だとされている。 東側に見える恐竜橋を潜って、ゴジラが最初に目指す門がテレコムセンターかな・・。映画のワンシーンにあったような、無かったよう・・。ゴジラがケーソン製作ドックをかすめて、「凱旋門」に入場する様を空想してみた。写真-1 テレコムセンターの建物とゆりかもめ駅。写真-2 フェリーターミナル、ケーソン製作ドッグしゲートブリッジを望む。写真-3 テレコムセンター21階の展望フロア。写真-4 眼下にコンテナ埠頭が見える。写真-5 ゲートブリッジからテレコムを望む。写真-6 ゆりかもめの車窓から湾岸道路・海底トンネルの換気塔。
2017年06月02日
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「お台場」に、永い間保存されている昭和の船がある。太平洋戦争では、海軍に籍を置き激戦地・トラック島から奇跡的に生還した「宗谷(そうや)」である。 終戦になると、外地在留邦人の引上げ船(1万9千人)の役割を果たす。その後、海上保安庁に籍を移して、燈台補給船となり「灯台の白姫」と呼ばれた。そして最後の任務として、1957年から1962年まで南極観測船(1次から6次)を全うする。晩年は「海のサンタクロース」として親しまれた船だ。 現在、宗谷は海の科学館の波止場にいる。しかし以前の位置と異なっている。近くの工事が影響しているのか・・。科学館の住所は、品川区八潮、宗谷の所在地は、中央区と江東区の挟間にいるようだ。船尾からフジテレビの建物が見える。 現役の南極観測船は「しらせ2代」(2009年から)で、宗谷の排水の3倍以上の規模。南極に日本人最初に足を踏み入れた人間が秋田県・白瀬ノブ陸軍軍人。「五ない主義」(酒・煙草・茶・湯・火)を貫き通した人・・。当時の装備を思えば、大いなる偉業である。写真-1 モノレールから南極観測船・宗谷を見る。写真-2 宗谷と船の科学館が重なる。写真-3 スクリューと宗谷の船尾。写真-4 宗谷の操縦室。写真-5 船内の会議室。
2017年06月01日
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江東区青海・コンテナ埠頭の横に、濃いブルーの青海フロンティアビルが建っている。その20階に「TOKYOミナトリエ」が先月4/28にオープンした。「みなと」、「ヒストリア」、「アトリエ」を合わせた造語がミナトリエだという。東京臨海部広報展示室である。 東京都が運営するもので、フロアは4つのデッキからなる。港・江戸・交流・未来に分類、展示されている。江戸デッキのジオラマは精巧に作られていた。著作権などの問題で、写真撮影NON。 ポートデッキに、先日話題になった東京港視察船「新東京丸」の模型が展示。この船に替わる豪華なクルーザ船が、イタリアで建造中。約20億円の予算だという。金額もさることながら、日本の造船会社に発注できなかったのは残念だ。 オリンピックに向け、このクルーザで要人を迎賓するのだろう。使用しない期間は一般市民も乗船できるというが、維持費が・・。海外視察の際、豪華クルーザをチャーターした知事がいた、また海外視察でスイートルームに泊まる知事もいた。海を見ると気分が大きくなり、気前が良くなるのだろ・・。写真-1 ミナトリエに入ると江戸デッキのジオラマが展示。写真-2 ポートデッキへ向かう際、ヒストリーギャラリーがある。写真-3 埋立てにより、土地・人・財産が増大した臨海都市。写真-4 展望フロアからの眺め。写真-5 青海フロンティアビル20階フロアが「ミナトリエ」写真-6 東京港視察船「新東京丸」の模型。
2017年05月30日
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海を見に東京の臨海付近を歩く。葛西臨海公園は、JR京葉線・公園駅があるのでとても便利だ。バスや車を使わなくても良い。見る人の心を和ませてくれる「空と海と緑」の風景がある。 高さ117mの大観覧車の前庭が芝生広場。ポピーは見頃を過ぎていたが、青い矢車草が残っていた。大観覧車が動き出す前に、芝生広場を離れる。 芝生広場から展望広場、汐風の広場、芦ケ池へと散歩する。気温が上昇し、かつ微風状態のため、東京ゲートブリッジがぼやけて見える。海浜公園側では、しばらくすると潮干狩りが始まる時刻。 強い紫外線が注ぐ日になった。暑くなると葛西水族館が混む。入口に長蛇の列が出来ていた。それを横目にモノレール「ゆりかもめ」を利用して、お台場の方へ移動する。写真-1 大観覧車が動き出す前の芝生広場。写真-2 矢車草が咲き残る芝生広場。写真-3 展望広場から海浜公園側を望む。写真-4 汐風の広場からゲートブリッジを望む。写真-5 釣り人と西なぎさを眺める。
2017年05月28日
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元赤坂の迎賓館ならではの彫刻・ブロンズ像が屋外にある。それぞれに造形・色彩・役割に応じて意匠デザインしたものだろう。手がけた工芸家・職人もやり甲斐があったと思う。 鉄製の正門は、パリの装飾鉄製品会社が製作したもの。当初は黒に金色に作られていた。その後、白亜の宮殿に調和するように白い正門にしたという。車の往来がある通りに面しているので、菊の御紋章が少し色あせていた。 本館正面のファザードの屋根に、睨みをきかせる対の武者像がある。寺院の山門に仁王像を配置するがように・・。西洋式建物のなかにも日本的ものを取り入れている。左右の武者の表情がことなる。一方は口を開けて叫ぶ仕草、片方は口を閉じて思案気。兜の形も異なっている。 主庭の噴水は庭園の空気を潤す。水しぶきで繊細な彫刻は見えづらいが、伝説聖獣・グリフォン像(鷲+獅子)4体が水浴びをしていた。その他にライオン顔像8面、亀像が8体、飛び跳ねるシャチ像がいる。噴水が止んだ時に、ゆっくり観たい「動物達」だ。写真-1 迎賓館赤坂離宮のファザードを構成する外観。対の青銅武者像。写真-2 天球儀と四羽の鸞。開国間もない日本が世界に羽ばたくイメージだとか。写真-3 正門の御紋所と鋼製の飾り模様。写真-4 国宝に指定されている主庭の噴水。写真-5 白亜の宮殿を際立たせる浮彫。写真-6 デザインの教材になりそうな暖炉(彩鸞の間)。
2017年05月20日
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赤坂離宮が改修され、40数年が過ぎた迎賓館。この間、国賓・公賓が迎賓館に宿泊され、晩餐会が行われてきた。サミットの国際会議場にもなった。しかし年間の稼働率は高くない。そこで、本館内部も一般公開されるようになった。庶民にとって、眼をみはる美術品・工芸品が多く集まっている。 本館内部の見学箇所は、大ホールと4つの広間である。各広間は、ぞれぞれの用途に応じて、絵画・焼物・装飾品が備えられている。どれもが力作・逸品で、芸術品のオンパレードだ。工芸の館であり、美術館である。 公式晩餐会が行われる「花鳥の間」は、天井絵と焼物が特徴。重厚な造りと飾り付けだ。格天井の36枚の油絵、壁面に飾られた30枚の七宝焼。最大130席を配置できるという。巨大なシャンデリア(重量1.1トン)の灯りの下で、フルコースを食べる夢を見た。 室内全体が国宝級なので、手を触れることは出来ない。大勢の人が入室して、空気が濁ると絵画などは劣化が早めるという。常に修復作業があるようだ。維持管理費は相当なものだろう・・。写真-1 噴水池と迎賓館本館。写真-2 アプローチ道路沿いの花壇と本館建物。写真-3 主庭への中央玄関とファザード。写真-4 イタリア産大理石の円柱が際立つ大ホール。写真-5 晩餐会を執り行う「花鳥の間」[パンフレットより]。写真-6 表敬訪問時や首脳会談に使用する「朝日の間」。
2017年05月18日
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厄除け大師として知られる西新井大師。灌仏会(4月8日)から5月まで花まつりが開催されていた。足立区西新井に開山した五智山總持寺は、弘法大師と十一面観音を祀る寺院。本堂は昭和46年に再建。木造りではないが、壮観な眺めだ。 お寺の西にあった井戸が西新井の地名の由来。弘法大師によってもたらされた井戸。疫病を平癒したとされ、「加地水の井戸」として、長く保存されてきた。また、健康長寿を願う場合、「水かけ地蔵」に祈願する。水かけ地蔵の横に、樹齢700年といわれる藤の棚があり、日蔭を提供してくれる。 境内に新たに「お砂踏み場」が造られた。八十八体の大師石像と十一面観音石像を一周すると四国八十八箇所霊場を巡礼したと同じ御利益を得られるという。この石造の下に、各札所と高野山の砂が埋まっているとのこと。 隣接した牡丹園には、100品種、3500株が植えられている。東京の牡丹の名所のひとつ。訪れた日、花は見頃が過ぎていた。山門も工事中で、少しがっかり・・。名物草団子をお土産にした。写真-1 藤棚から西新井大師・大本堂を観る。写真-2 池の前の鐘楼堂。写真-3 延命水洗地蔵尊より藤の房・・。写真-4 四国八十八箇所お砂踏み霊場と観音像と大師像。写真-5 花まつりの主人公は3500株の牡丹。写真-6 江戸後期に建てられた山門は工事中。山門の前に団子屋がある。
2017年05月16日
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迎賓館赤坂離宮は、昨年の4月から通年公開になった。と言っても、外国の国家元首など国賓を迎え入れる期間は閉館となる。本館の前庭のみの入場は、事前予約無しで入場可能。本館見学は、当日受付1000名、事前予約2000名の制限がある。5月の晴れた日、相棒と迎賓館を訪れた。 迎賓館は、かつて紀州徳川家の江戸屋敷があった敷地に、明治42年(1909年)に東宮御所(後に赤坂離宮)として建設されたもの。当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げてつくり上げた。日本における唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築。 現在の赤坂離宮は、5年の歳月と108億円の経費をかけて、昭和49年に改修した。その後(平成21年)、本館、正門、主庭噴水などが、明治以降の建造物として初めて国宝に指定された。本館内部の写真撮影は禁止されているが、前庭・主庭での撮影はOKだ・・。 前庭の一部では、喫茶・軽食を摂ることができる。天気の良い日、格調高い建築物と装飾を観ながら飲むコーヒーは格別だ。都内特有の自動車・電車などの暗騒音も聞こえてこない。異空間のひとときを過ごす。迎賓館の見学内容は、3回に分けて投稿します。宜しくお願い致します。写真-1 迎賓館赤坂離宮の正門。ベルサイユ宮殿の正門に似ている。写真-2 正門から中門へ続く200mの石舗装道。写真-3 迎賓館本館の正面前の広場と建物の外観。写真-4 前庭広場で、喫茶・軽食ができる。写真-5 袖玄関と中央玄関前の外灯を観る。写真-6 白い花崗岩に囲まれた装飾の美しい中央玄関。
2017年05月14日
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上野不忍池は、ハス見の名所であるが、桜の名所でもある。不忍池のほぼ中心に六角形の塔をした弁天堂がある。学業、芸術、財産そして縁結びの御利益があるとされる。 不忍池弁天堂のモデルは、琵琶湖に浮かぶ竹生島「宝厳寺」と云われる。その宝厳寺(ほえげんじ)から弁財天を招いて祀っている。 江戸初期に建立した比叡山寛永寺は、江戸の鬼門「北東」を護るために、天海大僧正が発案したとされる。裏鬼門(南西)の増上寺とセットで配置された。天海大僧は、家康の側近として、朝廷・宗教政策に深く関与した怪人である。 面積11万km2、貯水量9.5万トンの不忍池、川を持たない。主たる水源は鉄道である。JR上野駅および京成上野駅の地下湧水をポンプアップして、池に放流している。このため夏でも枯れない。夏の風物詩・蓮池のハス景色は、両駅の協力があってのもの・・。写真-1 上野不忍池の蓮池から弁天堂を見る。写真-2 ボート池と東京スカイツリー。写真-3 額縁風の六角形のお堂。写真-4 夏でも枯れない不忍池は大都会のオアシス。写真-5 清水観音堂舞台から月の松を通して弁天堂を見る。写真-6 ハス池に映るビル群。
2017年04月13日
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上野の岡を花散歩する。例年並みの人出の桜並木通り。通路両側は、場所取り用ブルーシート広場に早変わり。往来する人の半数は外国人のようだ・・。上野公園内には、国指定の重要文化財の建物が点在している。それらを廻ると良い運動になる。 高台から不忍池方面に突き出ているのは、清水観音堂。京都の清水寺をモチーフにして造られたもの。本家の建物の規模・内容には及ばないが、上野の名所である。 上野恩賜公園は、寛永寺の敷地だったことより五重塔がある。1698年に建立された寛永寺は、戊辰戦争で焼失する。幸い五重塔は焼失を免れた。現在、上野動物園の動物たちを見守っている。 東京国立博物館の脇に、重厚な黒門がある。もともとは丸の内にあった池田家上屋敷の表門である。格調高い黒塗りの門に桜が似合う。通行の多い道路に面しているのが難点。折角の文化財は、居場所がないような感じだ。もっと相応しい場所があると思うが・・。写真-1 不忍池を望む位置に造られた清水観音堂(重文建物)。写真-2 旧寛永寺の五重塔(重文建物)。写真-3 ベニシダレサクラが見頃。写真-4 噴水広場から見た東京国立博物館本館(重文建物)。写真-5 旧池田家上屋敷の表門。写真-6 外国人観光客の往来が目立つ桜並木。
2017年04月12日
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川辺のベンチに横になって、アーチ橋とタワーの夜景を眺めると、大きな弓矢に見えた。弓に当たるのが旧中川ふれあい橋、矢がスカイツリーだ。隅田川と異なる雰囲気で、夜の東京スカイツリーを見ることができる。 ふれあい橋は、江戸川区亀戸と江東区平井を結ぶ、歩行者・自転車専用の橋。両区の住民が容易に行き来して、触れ合うことができるようにと1994年に架けられた。橋の幅は広く、10m近くある。ワイヤーロープにより橋桁を支えているので、離れた場所からだと、アーチ部以外は見えない。 ふれあい橋付近の水辺は、景観重点地域に指定され、昨年、このアーチ橋にイルミネーションが灯火された。JR総武本線の鉄橋を渡る電車からも、ふれあい橋の光と川面に映し出される明りが見える。帰宅する人々をチット癒す効果があるかも知れない。 ふれあい橋に使われているLED電球は124個で、青、紫、緑など8通りパターンがあるという。オリンピック・パラリンピックを歓迎する五輪の五色パターンもあるようだ。不意に音もなく、水面を進む影があった。細いレース用のボートが矢のように通り過ぎた・・。写真-1 日没直後の旧中川。写真-2 旧中川ふれあい橋とスカイツリーの夜景。横にすると「青い弓矢」・・。写真-3 総武本線電車の光跡と東京スカイツリー。写真-4 河津夜桜と東京スカイツリー。写真-5 総武本線橋梁の上流に架かる江東新橋。
2017年03月04日
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舞浜海岸にダイヤモンド富士を観に来た続き。夕日がゲートブリッジ後方の雲の中に沈み、暫らくすると「恐竜橋」が輝く。橋梁径間の下に、品川方面のビル影が見えた。 舞浜海岸から西・対岸に、羽田空港がある。離発着する飛行機も見える。羽田空港の更に奥に、ひと際目立つのは、横浜のランドマークタワーだろうか。 ゲートブリッジの傍では、海上工事が進んでいるはず。2020年オリパラのボート・カヌー競技会場となる「海の森水上競技場」である。膨らんだ予算を抑えるために、大半が仮設だという。当初70億円から出発して、1030億円に膨らみ、そして300億円に落ち着いた。 ボート会場に利用される水路は、そもそも運河のように使用されていた。1970年代にかけて大量のゴミと建設発生土がもたらした水路。隣接する海の森公園からは今でもメタンガスが発生しているようだ。風と匂いに負けないで、レースをしてもらいたい・・。写真-1 舞浜海岸から見るゲートブリッジ夜景。写真-2 白く光る恐竜橋。写真-3 羽田空港方面を望む。写真-4 臨海副都心とレインボーブリッジ。写真-5 護岸プロムナードの様子。
2017年03月02日
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舞浜海岸は、ダイヤモンド富士の機会が2度ある。10月中と2月中旬。ディズニーランドの裏にある高潮対策の護岸は、サイクリングやジョギングができるように整備されている。ベンチも置いてあり、夕日のビューポイント。ゲートブリッジと富士山が重なって見える場所。 2月第3週の日曜日に訪れた。あいにくと、富士山の周りに雲がまとわりついて、ダイヤモンド富士にならず。肉眼では見えない富士山頂が、望遠レンズを通して少し見ることができた。 今年、護岸プロムナードがディズニーシーの裏まで延長された。ダイヤモンド富士を撮影する人が多かった。60名ぐらいは護岸プロムナードに並ぶ。なかには海岸線近くまで侵入するツワモノがいる。また、海岸道路一帯がマイカー駐車で連なった。パトカーの警告アナウンスも流れる・・。 堤防上の突然の人だかりに、ディズニー帰りの客、ホテル宿泊者も怪訝そうに寄って来る。海難事故などを予想したのだろうか・・。野次馬のように、人だかりが更に人を呼ぶ光景・・。写真-1 夕照の舞浜の海。写真-2 恐竜橋と夕陽。写真-3 富士山頂が僅かに姿を現した。写真-4 山頂をかすめる落陽。写真-5 海に落なければよいが。遠くの突堤にも撮影の姿が・・。
2017年02月25日
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中川と荒川(綾瀬川)との合流付近に、青龍山薬王院浄光寺がある。地域では、木下川(きねがわ)の薬師さまと親しまれている。病気直しに効くとの信仰を集めた。創建が849年とされるが、江戸期将軍家の鷹狩り御膳所となり、盛隆したお寺。 窮屈な一画に建つ浄光寺であるが、かつては西北600mの場所にあったという。大正期、荒川放水路の掘削工事のために移転を余儀なくされた。荒川に架かる木下川橋の下の河川敷辺りに寺院があったとされる。江戸名所図会に広い山内が描かれている。 境内に立派な松、そして藤棚(双竜の藤)がある。将軍吉宗が植えたとされる松を、勝海舟が「登美の松」と命名したもの。維新後、勝海舟は浄光寺に縁があったようだ。移築前には西郷隆盛の留魂碑などもあったという。 大きな本田ポンプ所施設の陰に隠れるようなーに佇む青龍山浄光寺。かつて3000坪の広さを有していた面影はない。地盤の低いエリアでは、下水をポンプアップして処理場へ送るインフラが重要視される。特徴ある給水塔は、自然流下させるためのものか・・。写真-1 中川と荒川に挟まれたエリアの本田ポンプ所(下水)。写真-2 青龍山浄光寺の仁王門。写真-3 薬師如来像が安置されている本堂。写真-4 境内の「登美の松」。写真-5 江戸名所図会「木下川薬師堂」。3000坪の広い山内。
2017年02月24日
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都内で河津桜を観られる場所がいくつかある。そのひとつに、東京スカイツリーから遠くない江戸川区の旧中川沿いに咲く桜並木がある。濃いピンクの河津桜の木が50本程度。水辺が整備され、散歩・休息するのに適している。駅(亀戸水神)から近いのがよい。 旧中川は、荒川放水路の開削で分断された6.7kmの河川(荒川水系)。一方、中川は利根川水系であり、荒川の左右側で管理者が異なる。隅田川と荒川に挟まれた「江東三角地帯」には10河川ほど流れている。そのひとつが旧中川である。河川整備は東京都が担う。 旧中川の上流端と下流端には、それぞれ排水機場が設置されている。荒川本川が増水した際に、水門を閉めて内水を排水するためだ。近い将来、その排水能力を超える大雨が予想される。多様な対策が考えられているようだ。 平時は穏やかな親水公園ではあるが、大雨・長雨時に対して要注意である。平成25年台風26号では床上浸水被害もあったという。洪水の心配ない時期に花見がある。花見をしながら、河川・堤防等の状況をチェックするのも良いかも知れない。写真-1 旧中川とスカイツリー。手前の橋梁はJR総武線。写真-2 旧中川左岸平井の河津桜並木。写真-3 スカイツリーと河津桜。写真-4 ふれあい橋の方角・下流を観る。写真-5 満開の花に誘われてウメジロが飛び交う。
2017年02月22日
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市川のアイ・リンク展望デッキに上り、冬晴れの景色を眺めた。乾燥した北西の風なので、白い富士山がくっきりと見えた。丹沢山地を従えた「威風堂々」の姿だ。 ザ・タワーズウェスト45階にある展望施設は、地上150mから360度のパノラマを楽しめる。スカイツリーと富士とのツーショト景色があるので、人気の記念写真スポットのひとつ。この日、東京湾に浮かぶ「海ほたる」もぼんやりと確認できた。 新宿副都心の後ろ遠方に見える白い山並みは、奥秩父連峰の甲武信ケ岳(標高2475m)だろうか・・。池袋の後ろ遠方には、お馴染みの武甲・妙義が見えた。その左側の二つのピークは、東西の卸荷鉾山(みかぼこやま)のように思われる。 今冬は、異常乾燥日が続き、インフルエンザが蔓延している。1月26日には、都内のインフルエンザ流行に関して、「流行警報」が発令された。A香港型か主流で、5才から9才の子どもの多くが罹っている。飛ぶ花粉と浮遊するウィルス、目に見えない晩冬の風物詩である。写真-1 都心ビル群と丹沢山地を前景とした真白い富士。写真-2 ツーショツトが似合う名所、アイ・リンクの場所。写真-3 新宿後方の白い山並みは、奥秩父連峰か・・。写真-4 池袋後方に武甲山。中央のツーピークは卸荷鉾山か・・。写真-5 霞んだ東京湾に海ほたるが見えた。写真-6 羽田空港とゲートブリッジ。
2017年02月12日
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東京スカイツリーの頭上に大きな夕陽が降りて来た。スカイツリーの西側で見られる光景だ。かまがやスカイビュー(鎌ヶ谷市役所屋上)からの眺め。 市役所の西側に高い建物がなく、見通しが良い高台なので、スカイツリーと一緒に富士山を展望できる。平日、誰もが上ることができる7階だ。チョット遠くを眺めようか、気分で立ち寄れる場所・・。 屋上が混雑する日がある。2月2日と11月8日。ダイヤモンド富士の鑑賞会が行われる日だ。約50名のカメラスペースは応募・抽選となる。従って、当日を避けるようにしている。東武線沿いにあるので、比較的容易に行くことができる。写真-1 スカイツリー頭上の夕陽。写真-2 厚い雲海へ沈みゆく太陽。写真-3 青いスカイツリーと新宿方面。写真-4 東京タワーのある港区方面の夜景。写真-5 千代田区方面のビル灯り。
2017年02月09日
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「かまがやスカイビュー」から遠い東-東京夜景を眺める。1階ロビーで暖かい飲み物で身体を温めた後屋上に上がる。市役所施設なので、17時45分に閉鎖される。日没前から居ると丁度良い時刻である。 スカイツリーのライトアップは、「雅」の江戸紫。遠くからだとよく見えない。「粋」ブルーのほうが遠目には良く見える。一方、東京タワーのオレンジ色・ランドマークライトは目立つ。白色の東京ゲートフリッジも望遠レンズ越しに確認できた。 遠夜景の撮影は、なかなか上手にならない。三脚を使用しても、視力の問題、風の影響、暗い手元などの理由で、ピント合わせに苦労する。手先が冷たくなるので、すぐ撮影してしまう・・。カメラ操作に集中するとライブ景色の楽しみも減ってしまう・・。 鎌ヶ谷市役所の正面にイオンがある。新鎌ヶ谷駅へ向かう道は、暗くなって人通りがある。小生は成田空港へ行く際、この駅を利用する。所要時間31分×910円也。今年の海外旅景色は、どうなるのか・・。写真-1 かまがやスカイビューから日没を眺める。写真-2 東京スカイツリーの色が次第に見えて来た。写真-3 東京タワーの方面を望む。六本木ヒルズも見える。写真-4 葛西臨海公園の大観覧車と東京ゲートブリッジ。写真-5 富士山シルエットと新宿副都心。
2017年01月21日
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東京スカイツリーと富士山とが写真に収まるスポットのひとつに、「かまがやスカイビュー」がある。千葉県鎌ケ谷市の市役所屋上(7階建)で、平日のみ一般開放している。周囲に高い建物がなく、見通しが良い。西側に鎌ヶ谷C.Cが広がっている。 最寄り駅の新鎌ヶ谷駅は、東武線、新京成線および北総線が交差する場所。鉄道交通の要衝である。しかし、市の人口は約10.8万人と、そう多くない。市内の北と西にある自衛隊施設が影響しているのかもしれない。梨の生産が盛んな街。 市役所屋上からは、左にスカイツリー、中央に富士山、そして右に新宿副都心のビル群が望める。つまり、「イチ富士 ニ高塔 サン梨」と縁起の良い場所だ。一方、市川駅傍のアイリンクは、右に富士山、左にスカイツリーという構図になる。 来る2月2日には、ダイヤモンド富士もこの場所から望める。カメラ撮影者を50名と制限して、応募したようだ。一般鑑賞スペースは先着自由。市の粋な計らいである。当日、事故やトラブルを起こさないことが肝要だ。写真-1 鎌ヶ谷市役所屋上の眺め。左からスカイツリー、富士山、新宿副都心ビル群。写真-2 屋上北東側の塀と筑波山。写真-3 かまがやスカイビューから富士を望む。写真-4 市川アイリンク展望デッキからの眺め。写真-5 スカイビュー案内板と広がる景色。
2017年01月17日
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とっぷりと日が暮れると皇居外苑が暗闇に包まれる。そのなか旧江戸城の建物が白く映し出される。白い夜景だ・・。東京駅近辺のビル明かりとは対照的な空間である。 年末年始の夜の皇居を照らすライトアップは、4年前から行われている。皇居二重橋等の7箇所をライトアップするもので、昨年の12月23日から1月8日までの17日間実施された。 1月2日の新年一般参賀は、平成では2番目に多い9万7千人が参賀したという。昨年8月に天皇陛下が譲位の意向を示されたので、国民の関心が高まったことによる。4回目(13時30分)は、特に人数が多く、入場制限をしたらしい。 小生は数年前に、新年一般参賀に挑戦したが、あまりの人の多さに断念した。参賀するには、体力と意欲が欠かせない・・。テレビで見る天皇陛下のお姿は、元気そうだが疲れているように見える。83歳という年齢を考えれば、バトンタッチを早めにスムーズにできれば幸いである。写真-1 皇居正門の石橋ライトアップ。写真-2 白い伏見櫓が黒空に映える。写真-3 石橋の高欄照明。写真-4 本丸からみて南東にあたる巽櫓。写真-5 桔梗濠に映る大手門。
2017年01月12日
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皇居外苑濠のなかで、最も東京駅から近い桔梗濠。この濠に沿って300mほど歩くと大手門口に到る。石垣と濠の水に自然と視線がゆく。松葉色した桔梗濠水面があった。しかし、水質は以外と良好だ。 水面に漂う緑色のものはアオコでない。良く観ると水に揺れる水草のようだ。海の浅瀬で見かけるアオサに似ている。近く人に聞くと、「ツツイトモ」という水生植物らしい・・。松葉色の桔梗濠は、アオコのような異臭はないが、景観的にはマイナスイメージを与える。 これまで濠の水質対策をいろいろ進めている。ヘドロ除去、浄化施設の設置、そして新鮮な水を注水・循環する方法など・・。近くのビルの貯留雨水の活用なども考えているようだ。 皇居御苑は、東京駅に近いこともあり、海外の人々が訪れる観光スポットとなっている。2020年のオリ・パラと観光に力を入れるので、皇居外苑濠の水質の更なる改善が望まれる。東京の夏は暑い。人間は元気なくても、濠内の微生物は活発だ。写真-1 松葉色した桔梗濠と巽(たつみ)櫓。写真-2 剥げた芝生のようにも見えるこう皇居外苑濠。写真-3 一日1000名ほどの一般参観者が入場する坂下門。写真-4 大手門口の高麗門と渡櫓。写真-5 桔梗濠の池水。水質は濁っていない。
2017年01月07日
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皇居東御苑から富士見櫓をより近くで観ることが出来るようになった。以前のフェンス位置を約25mバックさせた。見学広場も小さながら確保されている。 富士見櫓は、本丸地区に現存する唯一の櫓。どの方向からみても同じような形にみえるので、「八法正面の櫓」と呼ばれた。比高30m(石垣高さ14.5m+櫓高15.5m)と大手門に近いので、天守閣の代用として扱われた。 宮内庁は、皇居に残る江戸城の遺構の公開を拡充している。正月参賀以外の皇居一般参観枠(1時間15分程度)を拡充している。週5日、2回×500人=1000人程度。但し、案内人の引率による団体参観。桔梗門-窓明殿-長和殿-二重橋などを巡る。また、窓明殿では、記念品やお土産を購入できる。 富士見櫓は、やはり富士山の見える西面が正面であろう。現在はオフィスビルが建ち並び、富士見は難しいと思うが、櫓から富士の一部で見えるのだろうか。高さ30mの展望台なのだから・・。耐震性の問題から立ち入りが禁止されている。写真-1 本丸公園側から見た富士見櫓。写真-2 富士見櫓西面を、より近くで観ることができる。写真-3 皇居外苑広場より富士見櫓を望む。写真-4 一昨年の皇居乾通りの通り抜けに参加した際の写真。写真-5 明治初期の富士見櫓とその周辺。
2017年01月04日
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丸ビルと新丸ビル間の行幸通りで、年末恒例の光の祭典が行われた。今年で5回目を迎えた「東京ミチテラス」である。副題として横文字風に、「ハーモニアスひかりアベニュー」とある。直訳すれば、「調和した光の大通り」かな・・。素直に、日本語を使ってほしいと思う・・。 仕事納めを早めに切り上げて、ミチテラスの「大行進」に少しばかり参加した。大変な人出だ。イベントスタッフが叫ぶ「立ち止まらないでください」に従うと、ただ歩く会に参加した気分だ。主催者としては、無事に5日間を過ぎることを願っているのだろ・・。 直径2mほどのバルーン照明が刻々と色が変わり、華やかさを演出している。丸玉は、ほのぼの感を狙ったものか・・。「未知を照らす」とのタイトルなので、バルーン表面に何らかの未来が描かれていると面白かったと思う。 丸の内駅前広場の整備工事は、来年の春完成が冬に伸びたようだ。来年、駅前広場がすっきりして、ミチテラスが開催されるとよいのだが・・。そうすると更に大勢の人々が集まるかも知れない。どうしたものだろうか・・。写真-1 行幸通りのイルミネーションと丸の内駅舎。写真-2 「ハーモニアスひかりアベニュー」と題する東京ミチテラス。ゆっくりと鑑賞する暇はない。写真-3 ビル夜景とバルーン照明。写真-4 東京駅側から準備会場を見る。写真-5 大行進は、丸の内仲通りに誘導される。
2016年12月29日
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大都会の日没景を市川のアイリンク展望デッキから眺める。訪れた日、気温と湿度が急上昇して靄がかかったが、夕陽は見られた。その分、少し幻想的なシーンだ。箱根の山に沈む大きな夕日である。 都内でアルバイトして、東京駅発総武線経由で帰宅する途中、JR市川駅に降りる。すぐ傍には、市川アイ・リンクタワー展望施設に登る。地上150mのデッキは、12月なのに寒くなかった。 展望デッキでの写真撮影は、他のお客さん迷惑がかかるので三脚使用が禁止。従って、感度を上げて手持ち撮りとなる。画像がザラつくのは仕方がない。肉眼でしっかり眺めて、家路に急ぐ・・。写真-1 都会の落陽。東京タワーの左側に沈む。写真-2 靄の中のビル群。写真-3 浅草・秋葉原の夜景。写真-4 シャンパンツリーのライトアップ景。写真-5 江戸川に現われた光クロス。
2016年12月26日
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師走になると各地で開かれる羽子板市。近年は、百貨店での羽子板飾りの展示が盛大だ。比較的近い浅草寺境内の羽子板市を覗いた。都内では、深川不動の羽子板市が最初で、すでに終了している。浅草寺は、相変わらずの混雑で、ゆっくりと押絵羽子板の鑑賞はできない・・。 江戸期より浅草寺境内で行われる羽子板市は、景気のバロメーターとされていた。現在も30軒ほどの露店が並ぶ。一方、食べ物の屋台も同じ数並ぶ。威勢の良い掛け声や時折、商談成立の三本締めが聞こえて来る。 近年、押絵羽子板が主流。なかには数十万円のものがある。女児のいる家庭へ縁起物の歳暮として贈られる。孫に送るケースが多い。無患子(ムクロジ)の種子に羽根をつけて、羽子板で打つ女性の遊技だった。羽根はトンボに似ているので、害虫を駆除するとの縁起を担いだとされる。 12月も浅草寺は、外国人観光客が絶えない。最近、多くの外国人が、出向く都内の観光スポット・ベスト3は、浅草界隈、新宿御苑、皇居東御苑。年の瀬の風物詩となっている羽子板市をどう見ているのだろうか。日本の伝統工芸と風習が並んでいるのだ。写真-1 観光客でごった返す浅草寺境内。写真-2 年の瀬の風物詩、浅草寺の羽子板市。写真-3 伝統工芸品でもある押絵羽子板がずらり・・。写真-4 幸村の羽子板は今年限りか・・。写真-5 江戸羽子板を並べる露店の様子。
2016年12月23日
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広い皇居東御苑公園を散歩する。一般参観も行われていたが、整理券を貰うのには、行列に参加しなければならないので、この度はパスする。東御苑公園の西側にある富士見多聞が先月(11月15日)から内部公開されていた。もちろん、覗いてみ。 城郭における「多聞」とは、防御をかねて石垣の上に設けた長屋造り建物。鉄砲や弓矢を納めて置き、戦時に格子窓から狙い撃ちする。持久戦になっても、風雨や暑寒をしのげる。仏教の四天王のリーダーたる多聞天は、最強の守護神。石垣+長屋+武器庫=最強防御が成り立つ・・。 旧江戸城本丸を守るために、15棟の多聞があったとされる。富士見多聞は、本丸跡に唯一残る建物だという。乾通りから見ると、ハス池掘から垂直20mの石垣がそびえる。寄せ手がこの城壁を眺めて、戦意喪失することを狙ったのかもしれない。写真-1 本丸芝生広場から富士見多聞へ入場する。写真-2 富士見多聞の内部。格子窓から西側の景色を観る。写真-3 格子窓景色。蓮池堀、乾通り、門長屋が見える。写真-4 多聞口の斜面の紅葉。写真-5 乾通りから富士見多聞を観る[2014年12月撮影]。
2016年12月19日
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隅田川最下流に架かる幅広い築地大橋。築地市場に横付けするように建設された。よく見ると、浜離宮庭園との間を流れる築地川に沿って、仮設道路(さん橋)が伸びている。11月8日の豊洲市場開場に合わせて、築地大橋を暫定開通する予定だったが、シナリオが崩れた。今や「時の橋」だ。 昨年5月に大型クレーン船により、約2600トンの主桁を架設した築地大橋。橋長245m×幅32mから48mの3径間中路式アーチ橋そのものは完成している。しかし、橋への取付け道路は工事途中だ。市場の移転延期で、環二通りの計画が修正せざるを得ない。 築地大橋の上をBRT(バス高速輸送システム)が2019年に運行する予定。BRTは、東日本大震災の不通区間に適用するなど、国内では5事業者が採用している。世界的には、ブラジルをはじめ180を超える都市でBRTは運行している。一般的な公共交通施設である。 築地市場の解体工事も延期になる。東京都は、8月知事選最中に解体工事の一部を発注したようだ。4件で約34億円という。会社のトップが居ようが居まいかはお構いなしだ。良く言えば自主的・機動的行為。言い方を変えると勝手放題・無政府的な組織である。写真-1 隅田川下流に築地大橋が架かって久しい。写真-2 築地大橋と築地市場を望む。写真-3 築地市場の南側、築地側に沿って仮設道路が伸びる。写真-4 築地側からは市場を迂回した取付け道路(仮設)が出来ている。写真-5 勝どき側の取付け道路。工事が佳境に入っていた。
2016年09月30日
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世界屈指の取扱量を誇る築地市場。国内外から生鮮食料品が集まる日本最大の中央卸市場である。年間の取扱高は、5650億円を超えるという(2005年)。豊洲への移転事業費5880億円に迫る金額。老朽化著しい市場ではあるが、今や大勢の人々が押し寄せる観光名所のひとつ。 関東大震災で壊滅した卸売市場を統合して、昭和10年隅田川畔に公設市場ができた。当時の旧外国人居留地跡地に造られた「東京市設魚市場」が築地市場の始まり。現在、築地市場の場内と場外と呼ばれるエリアに1000店にも及ぶ専門店が集結。「食と魚のテーマパーク」とも云われる。 仲卸売場内にも入ることができる。床を観ると「ピンコロ」と呼ばれる石が敷き詰められている。海軍拠点の名残を示す遺産である。この石細工は、古くは欧州の道路舗装に使用された。スベリ難いので、サカナとアイスを扱う場所に向いている。ピンコロが照明に光る。 場内に数多くの「ターレ」が行き交う。一般見物客の間を抜け、自在に動き回る姿が風景に融け込む。ターレとは、仲卸さんが荷物を運ぶ電動リヤカーのようなもの。円筒形の動力部が回転する構造・ターレットを略した名称。ピンコロ石とターレとが似合う市場景色である。写真-1 隅田川対岸から築地市場を望む。写真-2 勝鬨橋を渡り、勝どき門から築地市場に入場する。写真-3 勝どき門駐車場と水産物部仲卸業者売場棟。写真-4 仲卸売場床のピンコロ石舗装が光っている。写真-5 数多くのターレ(電動リヤカー)が行き交う。
2016年09月23日
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豊洲6丁目の南西端・東雲運河口に架かる富士見橋。緩やかなカーブを持つ橋で、見晴しがとても良い。展望デッキのようだ。歩道幅が4mと広く、街路樹にサルスベリが並ぶ。橋からは豊洲市場工事を垣間見ることもできる。 豊洲富士見橋は、有明1丁目を結ぶ長さ213mの道路橋。平成26年3月に供用を開始。豊洲-お台場間のアクセスが便利になる。豊洲市場建設にも必要な橋だった。とは言え、豊洲6丁目への公共交通インフラは十分と言えない。 晴海運河側の水産仲卸売棟エリア内にコンクリート塔がぽつんと立っている。旧東京ガス工場の放散塔(高さ約50m)だという。放散塔付近には、仲卸売場の冷蔵庫棟が建つ予定。これから取り壊すのだろう。または他の目的に利用するのか・・。原時点では。石炭ガス工場の遺構だ。 東京ガスは、ガス業界(5.5兆円市場)のシェア約4割を占めるトップ企業だ。海外事業を展開し、天然ガスを輸入して、電力を売るまでになった。かつての石炭・黒煙を纏うイメージはない。総合エネルギー企業に発展した。従って、環境へ貢献が期待されている。写真-1 東雲運河口の富士見橋からレインボーブリッジを望む。写真-2 富士見橋の街路樹はサルスベリ。写真-3 富士見橋から豊洲6丁目の南西端を望む。写真-4 東雲運河側の遊歩道が概成している。写真-5 東京ガスの遺構・放散塔(コンクリート製の煙突)。
2016年09月22日
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渦中の豊洲市場から築地市場まで歩いた。都道304号(通称・晴海通り)を晴海大橋から勝鬨橋までの約2km。晴海通りは、オリンピック道路と呼ばれる「環二通り」と平行に走る北側の道路。その距離間は500mほど。環二通りのオリンピックまでの開通は、難しくなったようだ。 豊洲市場の主要建物地下の空洞と溜り水問題で、築地市場が豊洲へ移転する道筋が遠のいた。二つの市場は、僅か2km。小生のランでも15分間の距離だが・・。都知事選を途中断念した宇都宮健児氏の想いが地下への扉を開けたようだ。 築地市場移転の事業費は、風船のように膨らんで約0.6兆円(5890億円)。建設費2750億円もさることながら、土壌洗浄と用地代で、2700億円を超えるという。土地の売買で、恩恵を受けた方々も居そうだ・・。東京都は、ガバナンスが欠落し、金銭感覚が麻痺した「王国」のようだ・・。 「高床式」建造物になった真相究明と地下空洞への対応策に、多くの時間がかかりそうだ。移転を準備している業者に対して、展望を指し示すことが専門会議と東京都の急務だ。水密性の構造コンクリートを底版に打設すればコストがさらに嵩む。補正予算を巡っても、都議会は紛糾しそうだ・・。写真-1 東雲運河右岸に建ち並ぶ水産卸売場棟。休日返上で外構工事が行われている。写真-2 環二通りを通す北有明橋から青果棟を望む。写真-3 晴海大橋から豊洲大橋と水産仲卸売場棟を望む。写真-4 ゆりかもめ・市場前駅下の環二通り交差点。写真-5 豊洲市場施設概要図。「高床式」の建物がズラリ並ぶ。
2016年09月19日
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馬場先交差点から東側へ200m歩くと、優美な英国風の赤レンガ館がある。三菱が1894年(明治27年)に建設した三菱一号館をレプリカ再建したもの。19世紀の近代美術品を展示する美術館として、2010年にオープンした。 三菱一号館は老朽化のため、昭和43年に解体されたが、都市計画学会の検討を経て当時の姿を復元することになった。三階建煉瓦造りの建物は、英国アン女王の時代に流行した「クィーン・アン様式」だという。設計者は英国人建築家・コンドルによる。 丸の内の街角に建つレトロな当該建物の1階に、「Café1894」がある。創建当時、銀行営業として利用された空間を再現したという。そんなミュージアム・カフェに入り、カプチーノ2カップを注文する。美術館には入らずとも19世紀の空気を吸った気分・・。 東京駅丸の内に来たら、寄ってみたくなる喫茶店だ。人と待ち合わせするには少し遠い距離だなと話しながら、英国風の中庭を抜けて、有楽町駅に向かう。写真-1 三菱一号館美術館の南側。一階右側にCafé1894の入口が見える。写真-2 赤レンガ館の東面を観る。写真-3 英国の街中を歩いた気分・・。写真-4 天井の高い「Café1894」。写真-5 美術館とブリックスクエアとの間にある中庭。
2016年09月07日
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ギリシア風の列柱で守られた威厳ある建物が丸の内にある。日比谷通り(国道1号)と馬場先交差点に建つ明治生命館。昭和9年(1924年)に明治生命保険が建て替えた本館。戦後、米国空軍司令部として使われたこともある。10年ほど前に、改修され荘厳な姿が蘇った。 平成13年に国の重要文化財となった明治生命館。隣接地に30階建ての明治安田生命ビルが建設されたが、一体的に利用されている。丸の内一帯の「風格ある景観」創りの一環・・。 当該建物は、ネオ・ルネッサンス様式のコリント式列柱が特徴的だ。柱頭にアカサンスの花模様が施されている。ギリシアの国花はアカサンス。葉アザミとの和名がある。花が上に伸びるように咲く様が柱のように見える。 馬場先門を真直ぐ進むと皇居外苑の二重橋に到る。海外からの観光客が足を止めて、不思議そうに明治生命館を眺める。昭和に建築した明治館・・。当時の古典主義が今もなお、丸の内にある。写真-1 馬場先門から明治生命館を望む。写真-2 アカサンスの花模様を掲げる列柱と玄関。写真-3 花崗岩の外壁と街灯を見て歩く。写真-4 皇居外苑と二重橋方面。写真-5 柱のように伸びるアカサンスの花。
2016年09月06日
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東京駅丸の内北口から日本橋方面へ10分ほど歩くと貨幣博物館がある。2015年11月にリニューアルオープンしたばかり。車椅子の人、介助犬を伴っての見学も可能になった。バリアフリー化が進む。入場は無料。小学生であろうか、熱心にメモを取る姿があった。展示室内は撮影禁止。 貨幣博物館は、日本銀行金融研究所の一部。このビルから通りを挟んで、日本銀行(Bank of Japan)が建っている。こちらは、事前の予約が必要である。旅行社によるツアー見学もあるようだ。貴重の地下金庫の扉を目にすることができる。 日本銀行の建物は、明治29年(1896年)に完成した。地上3階地下1階の石造りの建物。設計者は、東京駅丸の内駅舎を手がけた辰野金吾氏。上空から見ると「円」の形に見えるように設計だ。当時の住所名は、日本橋区本町常盤橋前である。 貨幣博物館には、古代-中世-近世-近代における金・銀・銅貨や紙幣がずらり展示してある。懐かし硬貨や紙幣もある。織田信長の旗印の永楽銭もあった。日明貿易によって大量に輸入された銭。信長は楽市楽座と銭により経済基盤を固め軍団を組織し、天下布武に乗り出していった・・。写真-1 外堀通り・常盤橋交差点から日銀の建物を望む。写真-2 日本銀行本店を東玄関。国内14箇所で働く日銀職員は約四千人とか・・。写真-3 日本銀行の南玄関。予約すれば中庭に入れる。写真-4 貨幣博物館のレクチャーコーナ。写真-5 展示品配置の状況。[パンフレット]写真-6 日銀建物を上空から見ると・・。
2016年09月04日
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東京駅丸の内駅前の整備工事が長く続いている。来年の春に「都市の広場(仮称)」ができる予定。換気塔も低くなっていた。南側が一部完成して、タクシーが駐車している。完成半年前の工事の様子をスナップした。 駅前広場整備のポイントは、中央部に大きな歩行者空間(芝生とケヤキ並木)を創り、その南北側に交通広場を設けるものだ。東京駅から行幸通り、皇居前広場へと続く直線で、開放感ある広い通りができそうだ。 東京マラソンのコースも変わりそうだ。2017年2月26日大会のエントリーは8月で終了している。今年はエントリーしたが、倍率が10倍以上の狭き門。東京マラソン2017のホームページで、ゴールがビッグサイトから行幸通りに変更予定とある。倍率は更に上がりそうだ・・。 赤レンガの丸の内駅舎は、大正3年(1914年)につくられたので、1世紀を超えた建物。4年前に復原工事を終えている。当時、「Over the Century」と題して、多くのイベントが行われた。来年春の大イベントが東京マラソンかも知れない。運営・警備する側に大変ご苦労をかけることになる。写真-1 来春を目指して工事が進む丸の内駅前広場。写真-2 南部交通広場は供用を開始している。写真-3 駅舎中央部を望む。写真-4 駅舎南建物と八重洲ルーフを観る。写真-5 駅前広場整備内容を示す案内看板。
2016年09月01日
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日本橋三井ホールで、アートアクアリウムが開催されるのは今年で5回目。今年の目玉は、巨大な金魚鉢の「超・花魁」だ。豪華絢爛をガラス容器、金魚および照明で演出し、江戸の華を創りだしている。 様々な形の水槽・鉢に8,000匹の金魚が泳いでいる。室内の照明が消され、幻想的な雰囲気だ。日常の暑さを忘れさせる彩空間である。花魁と題する巨大な金魚鉢(直径2.5m)とそれを囲む14のアクアリウムには3,000匹の金魚が蠢く。 アクアリウムとは、水槽などで鑑賞魚や水草・珊瑚を飼育・育成すること。個人的なガラス鉢から大型の水族館までをいう。これだけの大量の金魚を長い期間、管理するのは大変だと思う。まして高層ビルの中である。弱った金魚を見つけて、補充する作業もあるだろうに・・。 金魚が縦に泳ぐ「ビョウブリウム」の前で、しばらく立ち止る。屏風絵を投影したバーチャル映像の上を金魚が上下に舞う作品。いろんな事を考えつくアクアリストがいるものだ。しかし、キンギョにとっては、ストレスが罹るアートアクアリウムだ。しかし照明を楽しむ「ツワモノ」も居そうだ・・。写真-1 「新・花魁」。花魁を目指す多くの遊女が金魚だとか・・。写真-2 「大奥」。ガラス工芸で豪華絢爛を表現。写真-3 「ロータスリウム」。夏の花「ハス」の中と下で泳ぐ金魚。写真-4 「手毬」。伊賀組み紐を使用した球体金魚鉢。写真-5 「ビョウブリウム」。風に揺れる屏風のよう・・。
2016年08月31日
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夏、金魚に触れあうと涼しさを感じる。現代版・納涼金魚祭が、東京日本橋のコレド室町ビルで開催されている。「アートアクアリウム2016」の入場券(1000円)を頂いたので、暑い盛りであるが都心へ出かけた。 アートアクアリウムは、今年で10周年を迎えた。2007年六本木ヒルズ森タワービル52階で行われた「スカイアクアリウム」を発展させたもの。今年も東京・大阪・金沢の3会場で同時開催中。東京・日本橋会場の企画テーマは、「江戸・金魚の涼」。大阪が「金魚の艶」、金沢が「金魚の密」。 金魚が庶民文化として根付いていた江戸時代。江戸期の水は金魚に合っていたのだろう。日本の金魚の三大産地は、奈良の大和郡山と愛知の弥冨、そして東京の江戸川区。第22回全国金魚すくい選手権大会は、8月21日に大和郡山市で行われた。 金魚の寿命は、10年から15年とされる。縁日の屋台ですくったものは、2ヶ月も持たない・・。適切な手入れを怠るためだ。安価で身近な金魚ではあるが、最高級金魚は100万円の値が付くという。日本橋会場にはそのような金魚は見当たらない。次回も金魚の華と涼を投稿します。写真-1 金魚柄の大提灯が福富参道を彩る。写真-2 第10回目を迎えたアートアクアリウムのチラシ。写真-3 「金魚の涼」を求めて大勢のひとが詰めかけた。写真-4 八面体・プリズリウム内の金魚と撮影見物者。写真-5 江戸切子シャンデリアと青いプリズリウム。
2016年08月29日
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ハイテク閻魔堂と呼ばれる法乗院ゑんま堂は、清澄通りと葛西橋通りの交差点近くにある。御内府八十八箇所巡りの第74番目札所にあたり、江戸三えんま・「深川ゑんま堂」として、昔から親しまれてきた。山号は賢台山。 憤怒の表情を現す赤い大王の大きさは、高さ3.5m×幅4.5m、重量1.5トン。国内最大級の閻魔大王坐像である。大王の前には19個におよぶ賽銭箱が並ぶ。該当する祈願箱に、コインを投入するとスポットライトが付き、有難い説法が流れる仕組みになっている。ハイテク閻魔堂と呼ぶ所以だ。 本堂1階の光照殿に、16枚の「地獄快楽絵」に囲まれた釈迦如来像が輝いていた。釈迦如来像の胎内が預骨墓になっている・・。最近、供養の方法が多様化している。預骨(よこつ)もそのひとつ。供養する人の生活に合わせて、骨壺を移動する方式を選ぶ人が増加している。 閻魔大王と十人の王を描いたのは、江戸の宋庵という絵師だという。長くは観る気がしない画・・。しかし、「因果応報」を絵で訴えている。良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば痛い報いがあると・・。津久井やまゆり園を襲った殺人鬼に見せたい絵だ・・。 写真-1 深川ゑんま堂の閻魔大王坐像。高さ3.5mの寄木造り。 写真-2 賢台山法乗院の境内。向かって左がゑんま堂、右が法乗院本堂。 写真-3 左手に地蔵菩薩像を持ち、右足元に見返り不動明王像が・・。りたつう士。 写真-4 本堂光照殿の様子。 写真-5 江戸期の絵師・宋庵が描いた「地獄快楽絵」の一部。
2016年07月31日
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江戸期、永代橋付近の隅田川は、行き交う船が賑わった場所。隅田川最下流に位置する永代橋は、江戸三橋(両国、新大、永代)の中で最も大きい橋。河口に近いため橋長が大きい。そのような昔の永代橋を深川江戸資料館で見かけた。 巨大な太鼓橋の永代橋は、現在の橋より約100m上流にあったとされる。橋の規模は、橋長118間(約212m)、幅6.8m。帆船も潜り抜けるような高さだ。橋脚も30基ほどあり、木材を大量に使用している。深川の木材商も潤ったことだろう。 「文化四年永代橋崩落事故」の供養碑が都内に数ケ所ある。1807年9月の富岡八幡宮の祭礼日に起きた大惨事だ。原因は、いろいろ要因が重なった。(1)盛り上がった祭りと大勢の渡橋者数。(2)行き届かない維持管理。(3)先日までの長雨と増水。(4)海に流された人の救援が遅れたなど・・ 現在の永代橋は、昔の太鼓橋を連想させるアーチ橋である。橋長さは、初代より27m短い185m。幅は3.7倍広い。夜ライトアップされると、青いアーチリブが力強く輝く。人捉寄場のあった佃島には、高層マンション群が聳える・・。 写真-1 広重画「東都名所 永代橋深川新地佃島」。写真-2 永代橋と大川端リバーシティ21。 写真-3 馬場哲弥「切り絵 永代橋」。写真-4 土木学会推奨の第1回土木遺産に選ばれた名橋。 写真-5 青く輝くアーチリブと東京スカイツリー。
2016年07月30日
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江戸の町へタイムスリップ・・。時代は江戸後期・天保年間。深川佐賀町の町並みを歩いた。冷房の効いた「御休み処」で寛ぐ。但し400円が必要だった。 地下鉄大江戸線と半蔵門線が交差する清澄白河駅から徒歩5分に、深川江戸資料館がある。地下空間に、船宿、米屋、長屋、火の見櫓がコンパクトに配置されている。5家族が暮らした実物大の長屋に入る事ができる。照明効果により、朝・昼間・夜などの雰囲気を演出している。 夏休みになると、限定で「お化けの棲家」をなるイベントが予定。狭い路地や井戸があるので、「お化け」が好む処だ・・。どんな妖怪が蔵の中に潜んでいるのだろうか・・。 訪れた日、隣接する企画展示室では「相撲の魅力展」が開催されていた。勧進相撲・発祥の地らしく、清澄地区には相撲部屋が5つあるという。魅力展を徘徊した後、深川出身の画家による現代風切り絵(橋シリーズ)のポストカードをお土産にして、快適空間から暑い都会に戻った。 写真-1 江戸後期の深川佐賀町の表通り。大店・多田屋の看板が見える。 写真-2 延焼を防ぐための広場に御休み処がある。 写真-3 木挽職人の部屋。りたつう士。 写真-4 深川らしい船宿と猪牙船。 写真-5 深川生まれの馬場哲郎氏の切り絵「小津橋2」。
2016年07月29日
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永代通りから仙台堀川まで南北に伸びる水辺がある。木場の歴史と風景を残す「木場親水公園」である。朝の連ドラ「とと姉ちゃん」において、深川が登場した。材木問屋や木場(貯木場)を懐かしく思い、深川散歩を続ける。 開府以降、江戸は人口増加が著しく、木材の消費が伸び続けた。火災も多く発生するので、材木の置き場に幕府は苦慮する。火事の温床になり得るので、隅田川を渡った深川を木場とした。当時深川は水路が多く、水郷的景観に富む場所であった。 現在、貯木場は埋め立てられて、防災拠点を兼ねて、都立木場公園となっている。山林から切出された木材は、川や海、運河により貯木場に運ばれ保管される。丸太状態で汽水に浸すのは、乾燥によるひび割れや虫食いから品質を守るため・・。 子ども時代、小樽港の貯木場で丸木の上を走り回って遊んだものだ。貯木場への立ち入りは禁止。丸太の上で釣りをする人もいた。陸の仮置き場では樹皮を剥がす人もいた。樹皮には油分があり、乾燥させると良く燃える。石炭に火をつけるのに適した可燃物。拾って家へ持ち帰ったこともあった。 写真-1 木場親水公園。水路長さは約900m。 写真-2 浮き屋根に保管されているのは日米共同による伝馬船。 写真-3 木製の太鼓橋。多くの橋があった深川の掘割を連想させる。 りたつう士。 写真-4 丸太木材-川並のモニュメント。 写真-5 広重「深川木場」。縦横に6条の掘割があった。
2016年07月25日
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江東区深川に成田山がある。深川不動堂は、成田山新勝寺の東京別院である。成田山と山号が付く、別院・分院・末寺は、全国に70か寺以上あるという。あらゆる障害を焼き尽くす火炎を背負う不動明王を信仰する人々は多い。 江戸の下町に成田山別院があるのは何故か・・。時は元禄・・。江戸庶民に親しまれた富岡八幡宮の別当・永代寺で、最初に成田不動尊の「出開帳」(特別公開)を行った縁だ。歌舞伎俳優・成田屋ブームとも関係した。その後約10年おきに永代寺で出開帳が行われ。明治になりと、深川公園に移築された。 平成23年にユニークな新本堂が落成している。真言梵字がビッシリと書き込まれた新本堂外壁。更に新本堂の増築工事が行われている。旧本堂には「おねがい不動尊」が安置され、触れることができる。こちらのお不動様は、木造としては国内最大規模(身の丈5.4m)とされる。 旧本堂の裏手に建つ四階建の内仏殿を観て回るのもいい・・。四国八十八箇所の巡拝所が2階に設けられている。現地・霊場の砂を安置。甲子園の砂はないが・・。暑い日、涼をもらえる巡礼空間だ。 写真-1 成田山深川不動堂の旧本堂と内仏殿。 写真-2 参道「人情深川ご利益通り」より深川不動堂を見る。 写真-3 旧本堂・拝殿の彫物と扁額。りたつう士。 写真-4 旧本堂の「おねがい不動尊」木像。 写真-5 広重「深川八まん山ひらき」。富岡八幡宮から永代寺庭園を見た図。
2016年07月24日
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地下鉄東西線と大江戸線が交差する門前仲町。深川富岡八幡宮に隣接して、門前町として栄えた街。永代通りに面しており、旧名は「深川永代門前仲町」といった。富岡八幡宮は、深川八幡さまとも呼ぶ。 深川と言えば、深川八幡祭と木場であろうか。戦後、木材集散地の機能は新木場に移ったが、八幡祭は健在だ。神田祭、山王祭と並ぶ江戸三大祭のひとつ。三年に一度の祭りとあって、盛大だ。暑い8月なので、水掛け祭りとして知られている。 正面参道脇の神輿庫には、日本一と云われる黄金の神輿が保管されている。平成3年に紀伊国屋文左衛門が奉納した神輿を復活させた。鳳凰の眼などに宝石が多数使われ、金箔で装飾されている。神輿の重さは4.5トンもある。長時間練り歩くには不向きなので、2トンの神輿が祭りで使用される。 相撲にも縁がある宮なので、本殿裏手に「横綱力士碑」が建っている。歴代の横綱が刻銘されている。一番新しい刻銘は、平成26年5月の鶴竜力三郎。今名古屋場所の横綱鶴竜は、4日目から腰痛のため休場した。力士には怪我と病気がついて回る。土俵の段差が大きいのも要因のひとつかな・・。 写真-1 富岡八幡宮から沸き立つ波状雲・・。 写真-2 重層造りの富岡八幡宮の本殿。昭和31年造営した鉄筋コンクリート造り。 写真-3 永代通りから大鳥居を観る。りたつう士。 写真-4 富岡八幡宮縁の絵馬。 写真-5 日本一豪華な富岡八幡宮本社の神輿(重さ4.5トン)。
2016年07月22日
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上野不忍池が蓮の大葉で覆われた。池の存在を隠す、ミドリの群葉(ぐんよう)である。不忍池がハスの花(蓮花)に彩られると本格な夏到来だ。 不忍池は、3つの池に分けられている。そのうち南側55,000m2がハス池である。一周約1.5kmで、誰もが自由に歩き回れる場所。野外ステージがハス池にせり出しているので、上から見ると「ブーツ形」に見える。ブーツの上口に弁天堂がある。 ブーツ底部に「蓮鑑賞ゾーン」が造られて2年が過ぎた。より身近で蓮花を鑑賞できるので、朝から写真を撮る人々が絶えない。しかし桃色の花ばかりで、白い蓮花は見当たらない。案内板には「明鏡蓮(めいきょうれん)」という白色系の品種もあったそうだが・・。都会と水と空気に馴染めなかったのか・・。 ハスの花は、3日間開閉を繰り返して散る。残った果托(かたく)はハチの巣のように見える。日が経つにつれて固く褐色の殻となる。やがて実は熟し、池に落ちて子孫を増やす。水深80cmほどの池は、ハスにとって好環境だが、増えすぎると水の富栄養化をもたらす。目に留まる期間が長い朽ちた花托。3日間だけの花のイノチとは対照的な景色が待っている。 写真-1 ハス鑑賞ゾーンの桟橋から不忍池を観る。 写真-2 蓮花と弁天堂。 写真-3 都会のオアシス・ハス群葉。りたつう士。 写真-4 弁天堂脇の蓮見休憩場。 写真-5 ハスの大葉とスカイツリー。
2016年07月18日
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浅草寺とその下町周辺は、縁日やイベントが多い。外国さんも興味深く観光する・・。7月10日は、「四万六千日」の縁日と「ほうずき市」が浅草寺境内で開催された。となりの浅草神社では、七夕のイベントとして、境内に光る石を並べて幻想な夜を演出したようだ。 ご本尊観音様の特別な功徳日である7月9日、10日に、御祈祷すると「黄札」をいただける。祈祷の申し込みが倍増する四万六千日(しまんろくせんにち)だ。境内には100軒を超す露店が並び、ほおずき(鬼灯)を買い求める人で賑わう。風鈴付カゴ入りほおずきは、夏の風物詩である。 7月10日の功徳日に参拝すると1,000日以上の46,000日分の御利益があるとされる。126年分だ。江戸っ子らしいウィットに富む縁日だ。米一升には米粒46,000粒あると数えた。一升と一生をかけたとの説・・。 いつもの浅草寺五重塔が見えなかった。工事用仮囲いと足場が組み立てられていた。屋根の葺き替え作業のようだ。宝蔵門、本堂に引き続き、屋根がチタン瓦になるのか・・。来年の四月まで工事は続く。5月には三社祭りが執り行われる。 写真-1 浅草寺宝蔵門前にも、ほおずき露店が並んだ。五重塔は仮囲いの中・・。 写真-2 仁王門と吊り下がったほおずきセット。 写真-3 風鈴付カゴ入りほおずきは、夏の風物詩。りたつう士。 写真-4 朱色の鬼灯(ほうずき)の花言葉は、「偽り」、中身が空・・。 写真-5 ほおずき市とスカイツリー。
2016年07月16日
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表門である三解脱門をくぐると、サクラと巨大な本堂が目に飛び込んでくる。そして壮大な増上寺・大殿の後ろに東京タワーがそびえる。境内には300本のソメイヨシノが植えられ、サクラの名所となっている。 アルバイト帰りに芝増上寺に寄り、花見をする。三門から本堂までの距離は48間(86m)。48という数字に仏教的な意味があるという。幅50m参道広場に照明がないので、日没辺りが暗くなる。芝公園へ移動する。温か味のある東京タワーの灯を眺める。 本堂の大きな屋根と東京タワーとの明暗が対称的だ。輝くタワーと漆黒の増上寺。徳川家の墓所で、6人の将軍と皇女和宮などが埋葬されている場所であることを思い出す。黒い大殿の上空を彩る灼熱色のタワーがあった・・。 写真-1 芝増上寺の後ろにそびえる東京タワー。写真-2 三解脱門とソメイヨシノ。 写真-3 子育て招福地蔵群。1300体もあるという。りたつう士。写真-4 日没に芝公園から東京タワーを見上げる。 写真-5 黒い増上寺と燃える東京タワーの夜景。
2016年04月09日
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新宿副都心の上空202mに二つの展望室がある。東京都第一本庁舎ビルである。南展望室と北展望室とがある。昼間は、富士山が良く見える南展望室が人気だ。南展望室から北東方向を見ると、コクーン(繭)タワーが目に入る。設計は都本庁舎と同じT建築設計会社による。 バブル期に建設された東京都本庁舎は、「バブルの塔」とも呼ばれた時期があった。1569億円の巨額の税金を要した「近代的」(ポストモダン)な建物だった。しかし、年間40億円もの維持費がかかると云われている。なお、新国立競技場の建設費は1550億円とされる。 近頃、展望室における見学者の8割は、中国系外国人のようだ。以前よりマナーは向上している。大きな声でのおしゃべりと長時間の記念写真は健在だ。彼らの国では、市庁舎ビルの上部には登れないのだろうか・・。東京都本庁舎45階は、誰でも無料で過ごせる天空の窓際だ。 東京都本庁舎のデザインは、パリのノートルダム大聖堂を参考にしているという。昨年6月、セーヌ川下りを体験した際、チラッと双頭が見えた。東京都本庁舎の建物は、あまり好きになれない「モダンな建物」だ。しかし25年間見慣れると違和感が薄らいで行く。「棲めば都」なのだろう・・ 写真-1 東京都本庁舎展望室の北東の眺め。眼下に繭をイメージしたモード学園タワーがある。 写真-2 南展望室から「国立の整地」を望む。写真-3 白い富士山が良く見える一日だった。 写真-4 新宿御苑から見た双塔の都庁舎ビル。 写真-5 セーヌ川クルーズの際、見かけたノートルダム大聖堂の一部。
2016年02月19日
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神宮外苑・聖徳記念絵画館前通りが、2月上旬にわかに人気スポットとなった。期間限定で、都心からダイヤモンド富士が見られるからだ。2月5日頃多くの人出で賑わったようだ。小生は土木遺産である絵画館前のアスファルト道路を歩く。 絵画館通りと四谷角筈線(都道414号)とが交差する一画から白い富士が見える。工事用仮囲塀の中は、高校サッカーの聖地だったグランド。今はただの「整地」で、北風吹けば土煙舞う。新国立の形状と施工者は決まったが、工事が再開する動きはない。 オリンピックに使用される新国立競技場が1,490億円でA案(隈研吾氏-T社グループ)に決定したのは 昨年12月。ドタキャン後の再選案が2案とは、淋しい限り。先行投資している会社の強みか・・。また森元総理が「B案が良い」と述べたことが影響したのか、スンナリとA案に収まった・・。 「杜のスタジアム」がコンセプトの新国立。しかし暗い歴史もこの地にある。1943年10月21日、国立の前身である「明治神宮外苑競技場」は、約7万人の学徒を集めて、戦争の出陣壮行した地。昨今の北朝鮮の振舞は、戦前の軍政と同じ。中国・ロシアの「北」防波堤たる北朝鮮。長持ちする訳である。写真-1 神宮外苑・絵画館通りから見る富士。 写真-2 工事用仮囲いの塀から顔を出す富士山。写真-3 振り返るとスカイツリー。絵画館前通りの方向は面白い・・。りたつう士。りたつう士。写真-4 信号待ちの時、塀の窓から「国立の整地」を覗く。 写真-5 左が再選で決定したA案。個人的には右B案のデザインの方が好みだ・・。
2016年02月15日
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JR中央線を境に霞ケ丘と反対位置する新宿御苑。面積58.3ha(18万坪)×周囲3.5kmと広大だ。晴れた日に歩き回るには、もってこい場所。徐々に春の色彩が広がって来た。新宿御苑は、都会のオアシス・・。 御苑・中央休憩所近くのカンザクラが見頃を迎えていた。淡紅色の花と濃緑色の植木のコントラスが絵になる。時折、メジロが飛んできては、蜜を吸う。新宿御苑にある1,100本の桜のなかで、トップを切って咲くのがこの寒桜。近くに食堂・売店があり、花見弁当も現地調達できる。 旧御凉亭からは額縁の風景である。傘を開いたような丸い樹形の松は、「多行松(たぎょうしょう)」と呼ばれる園芸品種。手入れが欠かせない松だという。風通し、および日当りのため、剪定作業をしていた。 御苑の南東エリア、フランス式の庭園にプラタナス並木がある。こちらは冬の姿、スケルトン状態。葉が育つ前に剪定作業を終える必要がある。夏に日陰を提供するプラタナスの葉はない。並木に風が通り抜ける。ベンチに腰掛ける人影はない。しかし小生のお気に入りの場所である。 写真-1 旧御凉亭からの眺め。3本のカンザクラが見頃。 写真-2 多行松(たぎょうしょう)とカンザクラ。 写真-3 カンザクラとドコモタワー。 写真-4 プラタナスの並木。2組4列のスズカケの路。写真-5 夏は日陰で写生、秋に落葉の中で読書。そんな風景が似合う場所。
2016年02月14日
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