全16件 (16件中 1-16件目)
1
『イスラム報道』増補版 E・W・サイード みすず書房 驚くほど多数の実例が挙げられているこの本の内容を乱暴に要約すると、以下のようになる。 欧米社会では驚くほど多数のイスラム関係のテレビ番組、新聞記事、雑誌の記事から「イスラムとは何か」という情報とメッセージが発せられている。ところがその中でイスラム世界で何が起こっているのかについての信頼できる記事は逆に驚くほど少ない。 なぜか?イスラムは常に政治的文脈で語られ、自国の「国益」とリンクした形で研究され、論じられているからである。 アメリカと西ヨーロッパとの違いはある。アメリカの新聞社の場合、アラビア語も解せない人物が、いきなりアラブ世界に放り込まれ、精々一年間ほどの滞在期間を終えると次の任地に転勤する。対して『ル・モンド』には、アラビア語に堪能でほぼ四半世紀も滞在して報道し続けている記者がいる。『マンチェスター・ガーディアン』にもアラビア語が堪能で15年間も滞在して報道し続けている記者がいる。そして西欧は、植民地支配という目的があったにせよ、まだ現地の状況というものを知っている。 サイードの論点は主としてアメリカの報道姿勢に絞られるのだが、これはもう端的に言ってしまえば、プラグマティズムという「役に立つものが真理である」という実用主義の上に乗っかった、無知と偏見のごった煮であると要約していいだろう。 「イスラムの暴虐」「イスラムはテロリスト」という論調とセットになっているのは、「アメリカが中東で何をしてきたか」については黙して語らないというお約束である。 9・11の直後に、「アメリカがこれまで何をしたかを知らねばならない」との声を挙げたのはノーム・チョムスキーだったが、『9・11』(文藝春秋 2001年11月30日初版)の副題は「アメリカに報復する資格はない!」であり、帯には、「今回の自爆テロは『文明の衝突』などではない。『テロ国家の親玉』アメリカに対する別のテロ集団の挑戦である」とある。 アメリカは、アフガニスタンにソ連が侵攻した時、イスラム戦士たちに大量の武器と資金を与えた。ここからアルカイダが誕生した。イラン・イラク戦争の際には、イランを叩き潰す目的で独裁者サダム・フセインにやはり大量の資金と最新鋭の武器を供与した。アメリカには長期的展望はない。四半期型の思考パターンと言っていい。そして見事に失敗を続けている。 「テロリスト掃討」という名目で民間人を殺し続け、アメリカに対する煮えたぎるような復讐心を持つ人々を大量に生産していてそのことに気が付かない。 ベトナム戦争は、ハルバースタムの『ベスト&ブライテスト』という名著を生んだ。この間の中東に対するアメリカの介入とその顛末について、新たな『ベスト&ブライテスト』は、書かれるのか? フランシス・ベーコンは、「四つのイドラ(偏見)」を挙げている。 「種族のイドラ」。人間に共通の先入見。 「洞窟のイドラ」。洞窟の中から外の世界を正しく見ることができないような個人の立場に囚われた偏見。 「市場のイドラ」。いい加減な言葉をそのまま信じることから生まれる偏見。 「劇場のイドラ」。伝統的学説、権威者の言葉をそのまま信じることから生まれる偏見。 サイードはベーコンを引用していないのだが、アメリカ社会におけるイスラム報道とその効果について、これ以上適切な表現はないと思う。 サイードが唯一肯定的に引用している論者はマキシム・ロダンソンである。彼の『イスラムと資本主義』を図書館で予約した。
2014.11.27
コメント(8)
ポーランドの地方議員が、「くまのプーさん」を公園などに出入り禁止にすべきと提案した。上着しか着ていないような露出度の高い格好であり、性別も不明ということが理由だという。11月22日、ABCなどが報じた この提案は、ポーランド中部のTuszynという町の非公開の町議会で出たものだ。この日の議会では、公園の新しい支援キャラクターをどれするかということが議論になっていた。その中でくまのプーさんというアイデアが出た際に、反対意見として提案されたのだという。 リークされた議会情報によると、Ryszard Cichy議員がプーさんの格好が完全ではないと非難。「半裸なので子供たちのために良くない。(プーさんは)パンツを履いていない。というのも、性別がないのだ。両性具有なのだ」と述べたという。 さらにHanna Jachimska議員は、プーさんの作者であるA.A.ミルン氏について「この作者は60歳になったとき、彼(プーさん)の睾丸をカミソリで削ぎ落とした。というのも、プーさんのアイデンティティに問題があったからだ」となじった。 これらの議員はポーランドのクマのキャラクター「Uszatek」とプーさんを比較。Uszatekはつま先までしっかりと服を着ているので、こちらを使うべきだと提言した。 ☆なんと考えればいいのか、わからない。単純にナショナリズムなのか?それにしても、「両性具有」などという小難しい理屈を立ててくるのがおかしい。スコラ哲学的である。 そうか・・・ぷーさんは、下半身に何も着ていなかったのか・・・と改めて驚いた。 くまもんは、全裸だからいいのか?上だけ着ていて下に何も着ていないから問題なのか?
2014.11.25
コメント(0)
今日、イスラームというものが描かれるとき、そこで犯される誤った表象や歪曲が意味するのは、理解したいという純粋な欲望でもなければ、そこに厳として存在する見るべきもの聞くべきものを進んでみたい、聞きたいという意志でもない。 メディアが西洋のニュース消費者に対して考慮の対象としてイスラームを配信するそのイメージとプロセスは、イスラームに関してナイーブでも実用主義的でも到底ありえない説明によって、ノーム・チョムスキーが一連の著作で見事に分析した敵意と無知を様々な理由によって永続化している。 マスメディアに支配された公共領域で、対話と交流が、ほとんど希少価値になっている。センセーショナリズム、あらわな外国人恐怖症、感受性を欠くけんか腰の態度といったものが日々お決まりの状態となっている。そしてその結果、どちらの側も、非啓発的なこと甚だしい「我々」と「彼ら」のあいだに想像上の境界線を引くことになる。 以上は、1996年にかかれたE・W・サイード『イスラム報道』増補版 みすず書房 の序文の最後のあたりに記されていることである。 サイードの主著は、『オリエンタリズム』である。私はまだこの本を読んでいない。『戦争報道』は、買ったけれどまだ読んでいない。だから、この本が、私が読むサイードの最初の本という事になる。この本の旧版は1986年に出版されている。 現在の「イスラム国」に対する日本の報道姿勢を見ていると、サイードの言説は一層の説得力を持ってくる。16億の信徒が存在すると考えられているムスリム(イスラーム信徒)を十把一絡げにする杜撰さに私は組みしたくないし、地域による、個人によるムスリムとしての多様性の方にこそ目を向けたい。そして、欧米人たちができればなかったことにしたいであろう、ルネサンスに対するアラビア文化の影響についても今後とも関心を持ち続けたい。そういう目で世界を見ていきたい。 読み終えたらまた紹介したい。
2014.11.24
コメント(2)
どうも、引っかかってならないことがある。それは、ガザで起こったことである。イスラエルは、ガザからのロケット砲による攻撃で死傷者が出た(子ども4人を含む)として空爆を行い、発電施設を含むインフラを破壊し、地上軍を侵攻させて、多数の市民を殺傷した。その中には、子どもの死者200人を含んでいる。 何というこの非対称性。 イスラエルの意図としては、この攻撃によって、ガザの人々の間にハマスに対する「もういい加減にしてくれ、お前たちのおかげでまたこんなに死者が出た。はねっ返りの行動はやめてくれ」という気持ちが出てくることを期待したようだが、そうはいっていない。ガザの人々の中でのイスラエルに対する報復感情はますます高まり、爆弾テロにつながり、その事がイスラエル市民の中に、パレスチナ住民と「イスラム国」とを等しいものとする気持ちを生み出し、負のスパイラルは長期間続きそうである。それだけでイスラエルのガザに対する攻撃は失敗だったとしか言いようがない。 それは、パレスチナ問題の解は、「両者ともにお互いの生存権を認め合う」というオスロ合意の線しかありえないからである。ハマスはそれを認めねばならない。しかし、まず認めねばならないのは、核を含む圧倒的な軍事力を保有しているイスラエルである。今回のような愚挙を続けている限り、永遠にイスラエル市民が安眠できる日は来ない。それは、パレスチナの人々及び周辺のアラブ諸国の人々に対するホロコーストでしか達成できないからだ。 ここからは、時間を巻き戻して無茶な想定をしてみる。 ユダヤ人の中に帰還運動は以前からあった。いわゆるシオニズムである。しかしそれは大勢とはならなかった。シオニズムに道筋をつけたのはイギリスによるバルフォア宣言である。さらにそれを決定的にしたのはナチスによるホロコーストだった。迫害が起こるという事態を察知し、救いの手を差し伸べた国はゼロである。その中にはアメリカも含まれる。 大戦後、欧米各国はイスラエルに対して大きな「借り」を背負うところから出発した。だから彼らは、イスラエルの行動に対して、実効性を伴うような制裁措置を何一つとっていない。核査察も行っていない。 夢想してみよう。戦後、ドイツを二つに分割してその半分の地域に「イスラエル」を建国させたら。イギリスのグレートブリテンを分割して、そこに「イスラエル」を建国させたら。イギリス国民とドイツ国民は、自国の政府の犯した過ちを自らの手で償うという機会を失ってしまった。 自らの政府の犯した過ちを欧米諸国はパレスチナ住民に支払わせている。 太平洋戦争末期、米軍は、重工業施設に対する精密爆撃から都市に対する無差別爆撃に切り替えた。効率が悪いということと、都市を焼き払い、多くの人命と財産とを失わせれば国民の間から政府に対する怨嗟の声が上がり、日本の降伏につながるという観測があったという。しかしそうはならなかった。その結果、広島と長崎への原爆投下というおよそ許されることのない暴挙をアメリカは選択した。 日本が降伏したのは、ソ連の仲介によって停戦を勝ち取ろうとする日本側のシナリオがソ連の参戦によって崩壊したからである。イスラエルは、この事実について学んだことがあるのだろうか? ガザへの攻撃のような方法でイスラエル市民の安眠は勝ち取れない。
2014.11.23
コメント(0)
『平田篤胤』田原嗣郎 吉川弘文館 二、「本居宣長学の性格」が面白い。本居宣長についてきちんと調べていないという事が原因なのだが、分りやすく、大変に啓発された。 たとえば、宣長が儒学の政治的有効性を否定する論理。 孔子は聖人といわれる文王・武王・周公といった人の時代からそれほど時を隔てないで世に現れた。その頃はまだ聖人たちが定めた礼楽刑政がまだ残っている状態であったであろうに、孔子がめざした先王の道を行う努力はついに実らなかった。孔子は晩年になってついに諦め、子弟の教育に専念し、先王の言葉を編纂して世に伝えようとした。先王の時代にこれほど近く、さらに孔子のような聖人ですらこの道を天下に行うことができなかった。時代が下って宋代となり、日本でも伊藤仁斎や荻生徂徠が孔子の道を天下に行おうとしているが、そんなことができるはずがないではないか。 なるほど。 また、徂徠についての解説もわかりやすい。 徂徠は『政談』において、その実証的・即物的方法によって当時の社会状態を的確に把握し、支配者の立場からの対策を考えた。ここでもっとも注意しなくてはならないことは、徂徠学の政治理論においては、政治が単に支配者側の在り方からではなく、上からの支配に対する被治者の対応の仕方を不可欠の要素として論じられていることである。 いかなる法も政治も被治者の同意なしには崩れずにはすまないという考え、支配者の意志から独立した被治者の意志が存在する事、したがって、被治者の意志そのものが支配の客体となりうること。 上下の相互信頼に基づく政治的共同体の虚構が被治者的立場から自覚された場合、権威は権威たることの政治的機能を停止し、被支配者=人民はそれ以前のように、無意識のままで支配に服従することができなくなる。ここで問題となるのはいかに支配すべきかではなくて、いかにすれば安定的に支配されうるか、である。ここでは当然に問題は徂徠が示すような政治技術的問題とはならず、権威社会・政治的共同体の再現の要請、問題としては自己の、すなわち、支配され服従するものの精神態度の問題となって現れる。超「権威」(旧来の)的権威(の創造)による「権威」の復権を理論的頂点として、いかにして穏やかに楽しく生きるかという実際生活における心の在り方を定める、いわば生活理論を底辺とする思想が問題解決のために成立する。宣長学の政治理論とはこれに該当するものである。 混乱した社会状況の中で被治者は自らの生き方を模索しなければならなかった。宣長は、民族的生活の伝統発掘という使命感に支えられて、いかに穏やかに楽しく生きるべきかを明らかにしようとした。そのため彼は上に対しては支配の心構えの改善を願い、下に対しては服従と奉仕とを説いたのである。 和歌が、もののあはれを知る心から誕生するという説明は、他の書でも説得的に書かれている。そして、著者は、宣長の説く「支配の心構え」の中核に、「もののあはれをしる心」がなければならないと指摘している。「もののあはれを知る心」は、万人が持たねばならない心であるというのが宣長の論である。わかりやすく、納得させられる。 篤胤の部分。宣長が、「心の安心」を重視しつつも、あくまで現実主義的に現世における生き方と心構えにのみ焦点を絞ったのに対して、篤胤はそれに満足せず、「死後の世界はどうなっているのか」にも関心を集中させ、死後の霊魂は大国主神の主宰する幽冥の世界に行き、そこで現世での生き方に基づいて審判を受けると主張する。そして彼はこの関心を満たすために、中国、インドの書を漁ることにもなる。 どちらかといえば、宣長とか徂徠について学ぶことが多く、篤胤については私はさらっと受け取ってしまった。これは著者の意に反する事だろうが仕方がない。
2014.11.20
コメント(8)
『第一次世界大戦』木村靖二 ちくま新書 今年は第一次世界大戦からちょうど百周年である。ふと振り返ってみれば、第二次世界大戦関連の本は結構読んで来たなと思うのだが、第一次世界大戦についてはほとんどといっていいほど読んでいない。精々、中公の「世界の歴史」シリーズの該当巻のみといっていい。最初の方で紹介されているフィッシャーの『世界強国への道』も買ってはいるが未読。 第一次世界大戦の概説書を読んだのはこの本が初めてという恥ずかしい状態である。それだけに、教えられるところが多々あった。何となく思い込んでいた点もきちんと調べる必要に迫られている。 たとえば、1320億金マルクという「天文学的数字」と評されたドイツに課せられた賠償金。この賠償金の額に驚いたケインズがイギリスへ帰国してしまったと思っていた。こんな賠償金が払えるわけがない、ドイツを追い込むだけだ、と思って・・・と理解していた。 ところが、「賠償総額は条約には記されず、1922年になってはじめて確定したものでドイツ側も・・・条約調印前にも連合国側への高額の賠償金支払いの用意があることを表明していた。総額と支払い方法に問題があった事は確かだが、それも交渉によって修正可能であったし、事実1924年以降にかなり修正、緩和された。...実際にドイツが支払った総額は、191億金マルク程度ではないかといわれている」 ケインズの行動も調べなおしてみる必要が生じた。 また、最初のころから、アッと思うようなことだらけ。 「大戦研究の萌芽は実はすでに開戦直後にあった。開戦直後の1914年8月4日、ドイツ政府は帝国議会に一つの外交資料集(白書)を提出した。これはロシアの開戦責任を強調し、ドイツは防衛のためやむなく武器を取るに至ったことを開戦直前のロシア・ドイツの公文書によって説明しようとしたものであった」p22 フィッシャーの著書の画期的な意義も記してある。読まねば。 開戦に至る詳しい経過も初めて知った。「総力戦」の規定、西部戦線におけるドイツ軍の最後の攻勢の詳細。 そして何よりも、「一民族一国家」という「民族自決」の負の側面。 第一次世界大戦という重要な事項について、あまりにも無知であった。またまた課題が増えた。 良い本を読むことの欠点(?)は、ここにある。
2014.11.19
コメント(4)
『街場の戦争論』(内田樹 ミシマ社)の第一章「過去についての想像力」を読み終わる。 著者は、「1942年時点(ミッドウェー敗戦)で降伏していれば」という仮説を立てる。概略を紹介する。 満州国も、台湾も、朝鮮半島も手放さなければならなかっただろう。しかし、江戸時代に隣国から日本領土として認知されていた領土はそのまま残っていただろう。つまり、沖縄に米軍基地がおかれることもなく、ソ連に千島列島を占領されることもなかった。日本は主権国家であり続け、大正生まれはほとんど生き残って大日本帝国臣民として、敗戦責任を追及し、戦後日本の復興を担う有為な人材となっただろう。 しかしそうはならなかった。 日本は「敗戦の原因を自力で検証できないくらい徹底的に敗戦した」。 もしも42年段階で降伏していれば、 「なぜ日本はこのような無謀な戦争に突き進んでしまったのか。その政策決定過程についての証人がおり、証言があり、証拠文書が残っている段階で、それを当事者の立場で冷静に検証することができたら、そのあと再建された統治システムは今とは全く違ったものとなっていたはずです」(p48) しかしそうはならなかった。その結果、「不愉快な現実を直視するだけの精神力も体力も残らないほど徹底的に負け」、「アメリカの従属国である」という事態、つまり「日本は主権国家ではない」という事実さえも直視できていない国となった。 「ミッドウェーの敗戦の後、大本営は敗戦の原因を指揮官一名の属人的無能に帰して、惨敗をもたらした原因を組織的に点検するという作業をネグレクトしました。『これから起こること』については最大限楽観的な見通しを採用する。『もう起きてしまったこと』については、スケープゴートにすべてを押し付け、遡及的な原因解明をしない。日本官僚制の最悪の傾向がすでにこの海戦で露呈されていた」(p40~41) 見苦しいほどの身内に対するかばいあいがこののち続く。作戦失敗の責任を命で償わされたのは最前線の兵士たちであり、大本営の参謀、高級将校たちはのうのうと生き残ったのである。 最高機密文書を失い、敵の手に渡すという大失策を行った「海軍乙事件」(詳しくは吉村昭氏の同名の作品を読まれたい)。福留参謀は、いったん捕虜になりながら自決もせずに、のこのこ帰って来た。その後、処刑もされずに第二航空艦隊司令長官に栄転している。 特攻隊の若者に、「私も君たちに続く!」と言っておきながら敵前逃亡した富永恭次。敵前逃亡という重罪を犯しながら処刑もされていない。 無謀な作戦を立てて徒に兵を餓死させた牟田口廉也。戦後まで生き残っている。 そして、「戦陣訓」の家元、ピストル自殺に失敗し、「虜囚の恥」を受けた東条。この男を「英霊」、「昭和殉難者」として祀る靖国神社と、そこへ参拝する議員たち、その議員たちを選ぶ選挙民。 「『歴史の必然』を重視しすぎたり、『歴史にイフは禁物である』とする歴史観に私は同調することはできない。天皇から組閣の大命を受けた宇垣の内閣組織が初めから挫折を運命づけられていたと断定するのは、『できなかったものはできなかった』と言っているにすぎない。」と記したのは坂野潤治氏であるが、 「イフ」を設定することで、「なぜ日本はこんな国になってしまったのか」を考えることができる。 そして、こんな若者たちが死なずに済んでいたら...という事も痛切に考えた。 「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩という事を軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。正に本望じゃないか」『戦艦大和』吉田満 角川文庫 p33~34 必敗論が圧倒的な中で、青年士官たちは、「何のために死ぬのか」の議論を始める。「君国のために散る、それでいいじゃないか」という論に対して、「それは分る、しかしその事は何につながっているのだ、何かもっと普遍的な価値につなげたいのだ」という激論を制したのは、上に引いた臼淵大尉の言葉だったと著者は記している。この人が生きていたら・・・と思ってしまう。 日本国憲法を蛇蝎のごとく嫌う人士は、内田氏の論に賛同すべきではないのか。そして、「親米右翼」という鵺のごとき存在を脱するのが筋というものではないか。参拝先を千鳥ヶ淵に変え、「なぜ負けたか」を事実に基づいて究明し、「都合の悪い真実」から目をそらさないことである。 さて、第二章にかかろう。
2014.11.19
コメント(2)
高倉健さんの映画を観始めたのは、私の場合かなり遅かったと思います。「唐獅子」シリーズは、「やはりやくざ映画は『仁義なき・・』」だと思っていたため敬遠。 結局、『幸せの黄色いハンカチ』からでしょうか。『八甲田山』『鉄道員』など。寡黙で不器用な主人公。ご本人とどうしても重なってしまいます。 いい役者さんだったなと思います。合掌。
2014.11.18
コメント(0)
図書館から『草の根のファシズム』を借りて読んでいるのですが、100ページ近くまで来た時に、「こら買わんとあかんわ」と思ってamazonに注文。 『日本政治思想史』丸山眞男で、徂徠学と国学との関係を論じた部分を読む。原文が引用されているので、読み飛ばすことができず、結果としてしっかり読むことになる。論理展開と論証の巧みさとは素晴らしい。 『平田篤胤』田原嗣郎 吉川弘文館・人物叢書 を読み進む。まず、本居宣長について80ページほど記してあるが、これが大変に参考になる。 徂徠、宣長、篤胤はすべて倫理のための下調べ。しかし面白い。加藤周一の『日本文学史序説』は、対象とする範囲が広いために、個々の思想家についての記述量はどうしても少なくなる。 国学とか篤胤は、戦中に持ち上げられたという後遺症があるが、それを横におけば、興味の対象としては面白そうだ。
2014.11.16
コメント(0)
『海軍将校たちの太平洋戦争』手嶋泰伸 吉川弘文館 最初の方に、「国務大臣単独輔弼制」という言葉が出てきます。これは、帝国憲法第55条第1項「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」を根拠とした制度で、ポイントは「『各』大臣」にあります。つまり、「内閣で天皇を輔弼するのではなく、『各』大臣が別々に存在してそれぞれ天皇を輔弼すること」(p14)なのです。 著者は、太平洋戦争に突入する前、突入してのち、そして敗戦を迎えるに際しての海軍の行動原理を、「組織利益追求の姿勢」と「政治的行動をとることに自制的であった」という二つの面から明らかにしようとしています。海軍は陸軍に比べて将校の数は五分の一程度であり、艦隊勤務を花形と見る傾向から、政治的な駆け引きや折衝にあたる余裕もなく、その能力も磨かれなかったと著者は指摘したうえで、「なぜ海軍は太平洋戦争に反対できなかったか」を明らかにしていきます。 海軍の仮想敵国はアメリカであり、太平洋上でアメリカと戦う事を主要な任務としています。そのアメリカと戦えないとなると、物資を中心とした予算の配当面で冷遇されることは目に見えています。だから海軍は組織利益を守るためにアメリカとの開戦に対してその引き延ばしを図ることは行っても、徹底して反対することは出来なかったのです。 「ではそもそも誰が諦めれば開戦が決定されるのであろうか?」と著者は問い、以下のように続けます。 「国務大臣単独輔弼制のもと、各省はそれぞれ管掌する業務において排他的で独占的な立案と執行の権限を持っていたのであるから、アメリカとの戦争は、外交交渉を担当する外務省が諦め、太平洋上での軍事作戦に責任を持つ海軍が容認することによって初めて可能となるのであった。外交交渉や太平洋上での軍事作戦を任務としない陸軍は、普段は大きな政治的影響力を発揮していたとはいっても、自らの管掌範囲に関係する問題が生じない限り、海軍や外務省の業務に干渉することはできない」(p54)。 この一文の小見出しは「開戦決定の責任官庁」となっています。 そして、陸軍については、近衛の対米交渉の中で浮上してきた「中国からの撤兵」がなぜできなかったのかについて著者は以下のように記しています。 「陸軍が組織の維持のために中国からの撤兵に反対することは、陸軍が国家よりも陸軍の組織利益を優先していたことを示している。だが、陸軍の側から見れば、陸軍という組織が維持できなくなってしまえば、日本は国防を全うすることができないわけであるから、中国からの撤兵は国家の崩壊につながりかねない問題と映るのであった。・・・これもまたパラドックス的な状況であるが、組織の維持という本来ならば国家の存続とは秤にかけられない問題が、国防への強力な自負を持つがゆえに正当化されてしまうのである。陸軍は当然の主張を展開しているようでありながら、破滅に至る道を選ぶことになるのであった」(p58) 陸海軍ともに組織利益を守ることを国益よりも上におき、国益よりも上においているということにすら気づかなかったという構図が見えてきます。自らの組織の利益を守ることすなわち国益であったという思考回路です。 そして、挙句の果てに海軍は、隊員からの自発的申し出であったかのようにして、特攻を美化し、自らの組織的決定であるという厳然たる事実さえ隠蔽しようとします。 丸山真男は、「超国家主義の論理と心理」で、「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているに違いない。然るに我が国の場合は、これだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでのところどこにも見当たらないのである」(『現代政治の思想と行動』p24)と記しています。 日本の戦争指導者たちは、最初から最後まで「当事者責任」を感じなかったと言っても言いすぎてはないと思います。 著者は、「敗戦に何を学ぶか」で、官僚制の持つ落とし穴について触れています。官僚制をなくすことは出来ない。そうであれば、我々は官僚制が生み出しかねない状況に常に敏感であり、監督を続け、より高次の価値観を模索することを自らに課さねばならない、と。多くの事を学ばせてもらった本でした。
2014.11.11
コメント(2)
マイケル・ウオルツアーという人の論によれば「正しい戦争と不正な戦争がある」そうです。戦争は全て悪、と思っていた私はびっくり。それによれば、始めた根拠と戦いかた。たとえ戦争といえどもやっていけないことがある、と。 ☆ウォルツァーの『正しい戦争不正な戦争』は、図書館にはありませんでしたが、『国を愛するという事』という本の中に、彼の文章がありますから、借りて読んでみます。 彼は、「戦争がある」という現実の中で、戦争であろうとやっていいことと悪いことがあるという事を考えたいのでしょうか?(推測) ただ、第一次世界大戦が終了した時点で、戦争が引き起こす惨禍が、それによって獲得できたものと比べてあまりに大きすぎるという点から「戦争の違法化」が進みます。「パリ不戦条約」です。「国際紛争解決の手段として戦争に訴えない」という九条第一項の原理はここにあり、日本も批准しています。 一方で、それでも起こりうる戦争に対処するために「戦時国際法」の整備も進められていきます。刀折れ矢尽きた時点で降伏して捕虜となる、そして捕虜を人道的に扱い、捕虜のために支出した金額は停戦ののちに相殺することもその一項で、「戦陣訓」は、その点からも道に外れたものであり、御当人が捕虜となるという二重の恥を曝したわけです。 たとえば、武器に関しても、対人地雷、生物化学兵器の使用禁止など広範にわたっています。また、「空戦法規」のなかの「軍用機」の規定は、以下のようになっています。「軍用機は全方位から視認できる軍用の外部表式と単一の国籍を有し、軍人が操縦する航空機であり、これだけに交戦権の行使が容認される。非軍用機は交戦権が認められず、どのような敵対行為も禁止される。空襲は非戦闘員保護の観点から軍事目標、すなわちその破壊が交戦国に明確に軍事的利益をもたらす目標に限定される」となると、昨今話題となっている「無人爆撃機」は、明白な国際法違反という事になります。また、東京大空襲のような無差別爆撃も国際法違反となります。ウォルツァーが、自国のそのような行動を告発しているのかどうか見てみたいと思っています。戦争自体を違法とする流れの中で、「戦時国際法」という呼称も、「国際人道法」と変更されるという動きもあるようです。 ウォルツァーの本を読んでみなければわかりませんが、戦争の裏側、実態を見れば、それが「勝利」を目的としている以上、「正しさ」にこだわる点で必ず矛盾が生じるように思います。 東洋的には「戦わずして勝つ」という言葉があり、それが最高のリーダーの証、とされています。 明治から昭和という時代、こうした倫理観が西欧化の波におされて流された。まさに激動の時代においてこそ、倫理は思考の柱になるべきだった。にもかかわらず、経済成長のみを目標にして、軍部の台頭を許してしまった。そして、根拠のない戦争で、国民のみならず他国にも甚大な被害を与えてしまった。東京裁判の理不尽さは、この倫理なき戦争に対する断罪、ということでしょうか。 ☆「闘わずして勝つ」を最上としているのは『孫子』ですが、そのなかに、御存じであると思いますが「敵を知り、己を知らば百戦危からず」という一文があります。そして、「敵を知らず、己をしらざれば戦うごとに危うし」と続きます。 希望的観測を積み重ね、それまでの「勝利体験」のみにおぼれ、本当の意味で「総力戦」を研究しなかった結果があの惨敗であり、サイパン陥落の時点で降伏をしていればまだましだったものをその後も無謀な戦いを続けて兵を餓死させ、無差別爆撃で民間人から多数の死者をだし、沖縄戦という悲惨な状況を生み出した。広島も長崎も、満州移民の人たちの悲劇もなかったでしょう。 で、決断も出来ないような愚将達を「昭和殉難者」として靖国に祀る。そこに議員が参拝する。そういう議員に投票し、多数派を与える。よくよく反省も何もない健忘症の国民です。 東京裁判の理不尽さは、勝者のやったこと(原爆の使用、都市への無差別爆撃等)を裁きの対象としなかった点に尽きると思います。ただ、そのことによって日本軍のやったことが免罪されるとは思いません。 「国民は手をこまねき首を垂れるのみ」という一文は、原発再開、消費税率の引き上げにおいて、さらに自衛権問題において、じらされているいまの状況とかぶります。なにかの亡霊にとりつかれているのは、米中露だけではなさそうです。それは、 (2014.11.09 11:08:32) ☆新聞のていたらくは目を覆うばかりです。ここにも反省のなさを感じます。マスコミの中枢にいる人たちが政府要人と何度も会食をしていることが報じられています。御用機関紙となり下がるのももっともでしょうか。
2014.11.09
コメント(2)
11月14日(金)0時より0時50分まで、BS1で「スターリンの亡霊」を放映します。現在のロシアにおけるスターリンの評価について知ることができそうです。
2014.11.08
コメント(2)
『昭和史の決定的瞬間』坂野潤治 ちくま新書 この本が対象としているのは、昭和11,12年です。西暦で言えば、1936年から37年。 叙述の中核となっている事柄は、宇垣内閣の不成立です。そしてあと一つ、著者が何度も強調していることなのですが、ジャーナリズムの中に残っている軍への批判、そして、『近代日本政治史』でも取り上げられていた浜田国松、そして斉藤隆夫の粛軍演説です(粛軍演説は1936年5月7日、反軍演説は1940年2月2日、この演説の結果斉藤は民政党から除名され、議員の地位も失うこととなります)。まるで言論の自由が皆無であったかのような状態で日本は1937年からの日中戦争に突入していったわけではないという著者の主張は、『中央公論』などに掲載された論文の紹介によって裏付けられます。 もちろん、1925年に成立した希代の悪法・治安維持法は1928年に改悪され、1928年の3・15事件、1929年の4・16事件で共産党は壊滅的打撃を受け、1933年には小林多喜二が築地警察署内で虐殺されています。また同じ年の8月に桐生悠々が書いた「関東防空演習を嗤う」は、陸軍の怒りを買い、悠々は信濃毎日を退社せざるを得なくなっています。 1933年には、滝川幸辰がその自由主義的刑法学説の故を以て大学を追われ、35年には天皇機関説が問題となって美濃部達吉が貴族院議員を辞しています。 著者自身も、『中央公論』の発行部数が7万部程度であったことを示し、その影響力が大きなものであったと強弁しているわけではありません。しかし、政党も、ジャーナリズムも完全に沈黙していたわけではないという著者の主張には、確かに目からうろこが落ちた感があります。著者は、新聞記事にまで手を広げているわけではありませんが、ひょっとしたら、「奴隷の言葉」による軍への批判、抵抗の記事が見つかるかもしれません。これは私の課題です。 さて、宇垣内閣不成立の問題です。著者の問題意識がどこにあるかを紹介します。 昭和12年1月末に、前朝鮮総督の宇垣一成は天皇に組閣を命じられながら、陸軍大臣を得ることができずに内閣は不成立に終わりました。それから半年もたたないうちに盧溝橋事件が勃発、日中戦争に発展し、さらに太平洋戦争に突入していった過程をふりかえれば、この内閣の不成立は、日本の将来にとって致命的であったと言えるでしょう(ちなみに、この時に宇垣内閣阻止のために全力を尽くした石原莞爾は、のちに「生涯最大の失敗」と悔やんでいます。石原は日中戦争反対論者でしたから)。 「『歴史の必然』を重視しすぎたり、『歴史にイフは禁物である』とする歴史観に私は同調することはできない。天皇から組閣の大命を受けた宇垣の内閣組織が初めから挫折を運命づけられていたと断定するのは、『できなかったものはできなかった』と言っているにすぎない。このような史観を現代に適用すれば、ブッシュ大統領のイラク攻撃も、それを支持して自衛隊をイラクに送ろうとしている小泉首相の政策もすべて歴史の必然になってしまう」p82(注 この本は2004年2月発行です) 問題は、この時の天皇の決断なのですが、天皇は、陸軍に対して大臣を出すようにと命じることは行っていません。宇垣は、天皇側近の湯浅倉平内大臣に、明治天皇の先例に従って「大命再降下」を要請しますが、湯浅はこれを拒否しています。「2・26事件で斉藤実内大臣が青年将校のテロで殺されてからわずか一年しかたっていない。後任の内大臣の湯浅が右往左往したのはやむを得ない事であった。天皇自身も2・26事件で信頼する側近のすべてを失っていたのである。2・26事件のときのような決断する天皇の姿をもう一度期待するのは無理な注文だった」のです。p83 著者の宇垣内閣不成立についての論点を紹介します。 「昭和12年1月の日本の政治対立を『平和と資本主義』対『戦争(準備)と社会主義』の対立に絞って考えるとき、失敗に終わった宇垣一成内閣の評価は一にかかって『戦争』の切迫性とその規模の認識にかかってくる。...問題は『戦争』の時期についての同時代的認識にあった。当時石原莞爾を中心とする陸軍参謀本部が対ソ戦のための本格的準備を進めていた。・・陸軍省が決定した『重要産業五か年計画』は、飛行機や戦車の製造のための重工業化を含む大掛かりなものであったが、他方で『五か年計画』という名称が示すように、今すぐ戦争を始めようというものではなかった。他方、満州の関東軍が目指す対中戦争は満州事変以来少しづつ進められてきた中国北部への侵略をめざすもので、明日にも起こるかもしれないものであった反面、単なる局地戦で終わるかもしれないものであった。 こうして、歴史的に見れば、半年後の日中戦争を回避できたかもしれない宇垣一成の組閣に際して、天皇側近や西園寺公望には、この内閣が戦争回避のための最後の橋頭保だというほどの認識はなかった。気軽に組閣の大命を下し、気軽にその失敗を受け入れたのである」p99~100 ここで疑問が生じます。何かといえば天皇を持ち出してくる陸軍がなぜ天皇の命を受けて組閣しようとした宇垣内閣を葬り去ったのか、どんな論理を使ったのかということです。 以下、『昭和史探索』(半藤一利 ちくま文庫 巻4)の「組閣工作の109時間」(宇垣一成 「昭和メモ」昭和29年文藝春秋臨時増刊に掲載)を紹介します。 「軍部は『宇垣大将に大命の降下せることそのもの』に反対するのではなく、ただ宇垣が大命をかしこみて組閣することだけに反対しているのだから何ら大命の発動を阻止するものではない、との論法を用いていたのである。しかし間もなく国民世論の趨向よりして『軍部は宇垣大将の組閣そのことにさえも反対するのではなく、推薦した後任の陸相候補自身が自発的に入閣を拒否したのにすぎない』というような見解を以て軍部の行動は決して政治関与ではないとますます『部内の結束を固め』たのである」。 宇垣の回想を続けましょう。 「このころすでに陸軍は『全軍一致』の行動によって政局を左右し、事実上誰が内閣を組織するかを決定するに足る政治機能を持ち始め、『軍部の政治関与』となることなしに、『政治関与』を行い得るほどに強力な組織にまで発展していったのである。 さればこそ私は日本をして日本国固有の憲政を擁護し、国家をしてファシズムへの道を歩ましむることなきよう難局打開に力めなければならなかったのである。これは一人私のみの意図ではなく、あの当時『宇垣内閣成立か否か』」に対して示された国民大衆の心でもあったろう。それは私の組閣工作がいよいよ絶望状態に陥った時、言論機関に次のごとき文字で描かれている。『九人が是とし、一人が非とする。しかもその非とするゆえんがはなはだ分明を欠く。解きがたき謎を前にして国民は手をこまねき、首を垂れるのみ』(1月29日「読売」)、『国論は今やまったく定まったとみてよい。だが、国論が行われないのだ。誰が、かくしたか、人々は肝に銘じてこれを知る』(1月28日「東日」)」 新聞は、陸軍を名指して批判は出来なくなっていました。これが精一杯であったとすれば、日中戦争勃発後の軍への追随は火を見るより明らかという事になります。 宇垣の回想は戦後のものです。 しかし彼の決心がどのようなものであったのかは、坂野氏が引用している「宇垣日記」、そして何よりも陸軍が全力を以て宇垣内閣阻止に動いたことによって逆に証明されているようです。 たしかに、「昭和史の決定的瞬間」です。 なお、坂野氏の著書では「宇垣流産内閣」と、「流産」という言葉が多用されています。歴史的用語としても定着していると言っていいかもしれません。ただ、この言葉を使用する上で個人的に抵抗感がありますので、ブログ主の特権として「不成立」という言葉を使いました。
2014.11.08
コメント(1)
『近代日本政治史』坂野潤治 岩波書店 2006年。 この本がカバーしているのは、王政復古から日中戦争の勃発まで。その理由を著者は以下のように記している。 「どうも筆者には『尊皇攘夷』と『国家総動員体制』に対する共鳴力が欠けているようである。歴史学者は対象とする時代の精神に批判的でなければならないとしても、その時代精神に全く感応するものがなければ、その時代を描くことはできない」(p212) なるほど。そして著者は、自著の特徴を以下のように記している。 「歴史上の人物の生の声に耳を傾けるという筆者の手法から、本書では史料の引用が非常に多くなった」(p216) これが面白い。たとえば、「切腹演説」という名前だけは知っていた浜田国松の寺内陸相に対する質問。 「近年我が国情は、特殊の政情に置かれるものでありまして、国民の有する言論、通信の自由は種々なる事情に依って圧迫を受けて・・・国民は其言はんと欲する所を言ひ得ずして、僅に沙上の偶語を以って其不満を漏らして居るに過ぎない。本員は此国情の下に、・・・何ものにも拘束牽束せられざる(議員の)自由を以ちまして、国民の名に於いて現下の国政に対して忌憚なき御尋を申し上げる」 「軍部の人々は大体に於いて、我国政治の推進力は吾等に在り、乃公出でずんば蒼生を如何せんと云ふ慨を持って居らるると云ふことは事実である。・・・今更之を卑怯に御隠しになることもなからうと思ふ。...此空気と云ふものは、軍部に於ける思想の底を流れて滔々として尽きざるものである。機会があれば、是が政治の方面、経済の方面、社会の方面に頭を出すのであります。五・一五事件然り、二・ニ六事件然り、軍の一角より時々種々なる機関を経て放送せらるる所の独裁政治思潮に関する政治意見然り、...此底を流るる所の『ファシズム』と申しますか、独裁思想と申すか、是等の思想は滔々として強い力で底を流れて居つて...粛軍の進行と共に独裁的思想の重圧と云ふものを並行して行へるものか否やと云ふことに、我々は着眼をして居ったのである」 激怒した寺内は、「浜田君」が述べたことは、「軍人に対して侮辱する」ものではないかと糺した。 浜田は、どこにそんな証拠があるか、事実を挙げよ、と迫る。 寺内は、「そういう風に受け取られかねない発言」があると「忠告」する。 浜田は三度目の質問に立つ。 「私は年下のあなたに忠告を受けるようなことはしない積りである。あなたは堂々たる陛下の陸軍大臣である。併しながら、・・・不徳未熟衆議院議員の浜田国松も、陛下の下における公職者である。...私は公職者、殊に九千万の国民を背後にして居る公職者である。あなたに忠告を受けなければならぬことを、 此年を取って居る私がしたならば、私は覚悟して考へなければならぬ。...日本の武士と云ふものは、古来名誉を尊重します。...速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する。なかったら君割腹せよ」(p198~200) このやり取りののちに広田内閣は総辞職、1937年1月に組閣の大命は宇垣一成に下るが宇垣は、陸軍の反対によって28日に組閣を断念する。 浜田発言の後には宇垣がいた。その宇垣を葬り去った陸軍の構想は石原莞爾(参謀本部戦争指導課長)が中心となっていた「37年から41年までの五カ年間に軍事産業と重化学工業とを飛躍的に発達させるための資本主義経済を前提とした最大限の統制経済への移行」計画であった。 また、面白い指摘もある。 「本書では、1932年の五・一五事件による犬養政友会内閣の崩壊を以って『政党政治の崩壊』とは位置づけず、逆に1931年12月の犬養政友会内閣の成立を以って『軍部独裁』への第一歩と位置付けたい」(p160) 当然ながら、「では、そのような性格を持っていた犬養内閣は軍(海軍青年将校中心)によってなぜ葬られたのか?」という疑問が出てくる。 著者はそれに対して、五・一五を引き起こしたグループと、二・ニ六を主導したグループとの違いを紹介している。五・一五グループは、まず、二・ニ六グループが推戴していた北一輝の「日本改造法案」に基づく国家社会主義的な政権を作らせ、そののちに、権藤成卿の「自治民範」に基づく農本主義的なユートピア社会を作ろうとしていた。彼らにとっては、「英米協調主義の若槻礼次郎の民政党内閣であろうが、荒木貞夫を陸軍大臣として対外政策でも陸軍に同調的な犬養毅の政友会内閣であろうがどちらでもかまわなかった。一命を賭して革命の第一段階を起こして、北らの第二段階につなげればそれでよかったのである」(p164) この指摘を目にして、自分としてはすっきりした。それは、犬養政権の位置づけはこの通りではないかと思っていたことによる。ただ、五・一五を実行した青年将校たちの思想的背景を知りたくなった。特に権藤成卿という人物。 最後に、著者がこの本の末尾に紹介している盧溝橋事件の二ヶ月後に刊行された『日支事変と次に来るもの』(武藤貞一)を写しておく。 「世界は全く一つの戦争坩堝に入ってしまった。日支戦局は何か意外なドンデン返りを打たざる限り、行く所まで行かざるを得ない情勢にある。そしてそこへ、ソ連にせよ、イギリスにせよ、次はアメリカにせよ、支那と緊密なる関係国が一歩でも乗り出せば、ここに日支間の局面は須臾にして世界的大事変の口火に点火することとなるであろう」 「本格的の戦争に入ったら、差し当たり日本国内にはどんな事態が発生するか。大体それは関東大震災の時を彷彿とせしむるものがあろう。一時に、あるいは漸次に影をひそめるものはニッケル銀貨であり、公園や橋梁の鉄材の手摺である。その他一切の鉄、銅、鉛、錫などは街頭から、家庭から、戦の庭へ人間よりも大量に動員されて行く。米は大体一日一石一斗若しくは一石に割り当てられ、国家の強力管理が敢行されねばなるまい。男子の壮丁は大陸へ、男子の老幼と婦人は内地へ、この関係が勢い内地における生産各機構に婦人の受け持ちは拡大されるであろう。いわゆる銃後の婦人の意義はここに一変して来なければならない。 おまけに防空と云う一大事業が銃後の婦人の双肩にかかって来ている。焼夷弾、毒ガス、細菌弾の雨注と闘うには、現在の国防婦人会のエプロン姿は頼りなさすぎる。日本の婦人服と素足は防弾に最も不向き、且つ危険なものであるから、モンペに新工夫を凝らした新服装を創案することが刻下の急務とせられるのである」(p213~4) 1937年に刊行されて本に書いてあることである。頭がくらくらしてきた。
2014.11.05
コメント(2)
いまのところ、『焼け跡からのデモクラシー』(吉見義明 岩波書店)の上巻を読み終えました。庶民の日記、あるいは雑誌や組合の機関誌に投稿された文章を丁寧に拾いながら、「草の根の占領体験」(副題)を明らかにしていくという構成になっています。 ところが、図書館に予約を入れていた本が届きました。 『日本近代とアジア』(ちくま学芸文庫)、『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)、『近代日本政治史』(岩波書店)、すべて著者は坂野潤治さんです。『海軍将校たちの太平洋戦争』(手島泰信 吉川弘文館)。まず、借りた本を読むのが先決です。『焼け跡からの・・』の下巻はその後となります。 『近代日本政治史』に取り掛かっています。明治憲法の成立過程とそこで交わされた論争が興味深いところです。坂野さんの本に目が向いたのは、加藤さんの本を読んだせいなのですが、日本軍の轍をふまないように、戦線を拡大しすぎないように自制しつつ読んでいこうと思っています。
2014.11.04
コメント(0)

夕食であります。小芋は10分くらい茹でます。ひたひたのお酒と白だし+砂糖小さじ二杯。で、そこに、イカのぶつ切りを入れます。肝もつぶして投入、これでぐっとこくが出ます。 お酒をたしなまれる方には絶好の酒の肴でしょうが、酒の原材料のお米を炊いたご飯にもあいます。 人参とピーマンを千切りにして、ウェイパーを足して煮て、豆腐を四等分して入れて、片栗粉でとじます。 コロッケは市販のもの(カニクリーム、すじ肉)。トマトを添えます。 わいわい言いながら食べるとこんなものでもおいしいのであります。
2014.11.04
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1


![]()