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とうとう最終回を迎えてしまったまだまだ見たいという気持ちが一杯なのですこれだけで終わってよいのでしょうか?たったの4回じゃ語りきれないでしょうねえなぎらさん知る楽 こだわり人物伝 高田渡 孤高のフォークシンガー第4回 絶頂期の死 受け継がれる歌「ブラザー軒」が聴こえてきますさあ幕開けですそして次の曲は「私の青空」も軽快に聴こえてきます2005年4月3日白糠町社会福祉センターでの16曲の唄が高田渡生涯最後のライブとなったその最後に渋谷毅のピアノと片山広明のテナー・サックスをお供にして唄った「生活の柄」がその幕を降ろしたこの時は無理を押してのライブだったようですとても痛々しい姿に心の瞼は瞑ってしまったその夜様態が急変しホテルから病院へそして15日後に帰らぬ人となった♪眠れないのです♪と永遠の眠りについてしまったのでした柄本明の企画で高田渡の生活含めすべてが映画化ドキュメント映画タカダワタル的が1年ものロングラン全国にその名が広まり音楽ファン意外にも知られるようになった「自転車に乗って」(マーガレトズロウス)と「バーボン・ストリート・ブルース」がBGM的に流れるなぎら健壱自分が高校生の時に聴いた時と同じように今の若者たちにも新しい唄として受け入れられたとにかく響くものは響くんですよ心にそういうことなんです江口寿史(熱烈なファン マンガ家)(高田渡はどんな方ですか)早すぎたんですよね宝ですよ日本の宝ですからと柄本 明人に触ってこない人他人に触ってこない渡さんという人を教えたいよねこういう人がいるんだと教えたい藤村直樹(掛かり付けの医師元フォークシンガー)体がしんどいということは言っても仕事が辛いとかもう出来ないとは言わなかった池村美博(白糠町ライブ主催者)「仕事さがし」と「あきらめ節」が続いて聴こえてくる辞めてもいいですよ病院に行ってくださいと言ってもやりますと即答したんです体調がよくないのにそのことを逆に取って客のことを考え気づかれないようにライブを行なったもうプロですね最後まできちんと唄った佐久間順平旅先で唄っている時に亡くなったのはある種の理想であったのかもしれないなと思うんですね中川五郎一番思うことはありえないこといなくなることがそんなことあっていいのいつも一緒にいてくれたのが当然だったその存在がなくなったことが僕の中では考えられないこと突然の死から5年この春にフォークのカバーアルバムを出すと言うパンクバンドのガガガSPが高田渡の「ゼニがなけりゃ」を唄っているまた様々なミュージシャンたちからは高田渡のカバーアルバムがたて続けに発表された高田渡の唄は生前にもまして支持を得るようになり若者たちに歌い継がれる高田渡の唄となったコザック前田(ガガガSP)流行り廃りのものをやってないじゃないですか普遍的なことをホントは唄ってるんですね本質と言うかだからそれに共感する人っているんですよね多くはないんですけど最低限の人達は好きになっていくんじゃないですか鈴木慶一時代を越えて生き続けるのが高田渡の音楽の本質だとかつての音楽を焼き直すんだけどその時代にフィットするんですね自伝 バーボン・ストリート・ブルースよりその歌はみんなが知ってる。誰でも知ってる。だけど誰がその歌をつくったのか、最初に誰が唄ったのかは、誰も知る人はいない。ただ歌だけが今も流れている。歌い手にとって、まさにそれは理想である。何十年かあとに僕の曲がどこかで流れいて、曲名も僕の名前も誰も知らないのだけれど、その曲だけはみんなが知っているとしたら・・・・。想像しただけでもわくわくする。そこまでなれたらシンガー冥利につきるというものだ。エピローグに「系図」が切々と♪死ぬほど働いて そのとおりくたばった
2010.02.24
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「あの頃のフォークを聴かせたい」が聴けなかったと落ち込んでいたボクになんと朗報が舞い込んできましたそれは以下の記載にですごぶさたです。私、いつもは録音しておいて聴くのですが、虫の知らせと言いますか、偶然起きておりました。自動録音でスイッチが入っても、オリンピックをやっていました。諦めていたら「"日曜あさいちばん" は、6時xx分よりお送りしますが、一部放送内容を変えてお送りします。放送しますコーナーは、yyyy、あの頃のフォークを・・・」と、言うではありませんか!・・・で、お裾分け。この番組を教えていただいた、key-san さんへのお礼です。・・・(笑)-- from 匿名さんこんなとってもありがたいメールを頂きましたなんと「あの頃のフォークを聴かせたい」を聴かせてくれたんですこの日は登場人物よりも曲を紹介でしたその曲は「実りの牧場」というものですはじめにオデッタという黒人の女性シンガーフォークというよりゴスペル的な唄い方をする人知る人ぞ知るという方だそうですそして「実りの牧場」がかかりました次に加川 良言わずと知れたフォーク・シンガー「百円札」この歌にこんな詩をつけていいのかなあとなぎらさん三人目にカントリー・ジョー・マクドナルドなるロックの人71年にソロアルバムを全10曲ウディ・ガスリーの作品ウディに影響を受けたロック・シンガー歌は当然の如く「実りの牧場」です三人三様の歌を聴いて初めて聴く人は全部違う歌に聴こえちゃいますねとなぎらが言うと間髪入れずに女子アナがそう聴こえましたとこの「実りの牧場」はウディ・ガスリーの作品砂嵐から逃げて新天地を求め歩く歌でアメリカを切り拓く労働者のために実りある牧場を作ろうじゃないかとそれは永遠に自由で自分たちのものなんだと唄った歌そもそもこの歌はカリフォルニアでコロンビア川にダムを作ることになって地元の建設組織WPAが地元の労働者を助けるためにまた大手の建設会社も名のりあげ対立したところ住民投票でどちらに請け負わせるか決めようとなり大手の会社はPRに有名な歌手を沢山呼んだWPAはウディ・ガスリー一人を呼んでその時にウディ・ガスリーが唄ったのがこの曲で投票の結果WPAが勝ったというのですそんな曰くのある歌なんですね「ウディ・ガスリーはアメリカの民衆の心を唄った民衆の味方であったことがいつまでも愛されるフォークの父なんですね」となぎら健壱は最後に締めるのでした来週はジョン・デンバーです
2010.02.24
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なんか早いですこの2月はそしてもう最後になってしまいました毎週楽しみにしてテレビを見ることなどなかったのにここ最近は水曜日の夜10時に準備万端時間を待つ一人の男がため息をつきながら心奪われているのでしたそう孤高のフォークシンガー高田渡に知る楽 こだわり人物伝 高田渡 孤高のフォークシンガー第4回 絶頂期の死 受け継がれる歌若手ミュージシャンによる楽曲のカバー、CM起用、ドキュメンタリー映画の公開など、90年代以降再評価された高田渡。「バブル崩壊後、未来に確たるものを見いだせない中、地に足のついた歌が再発見された」とバンドメンバーの佐久間順平は話す。北海道の釧路では死後も仲間たちによる追悼コンサートが毎年開かれ、「今の時代だからこそ、この歌が必要」と、その歌は若手によって今も歌われ続けている。生き続ける高田渡を見つめる。
2010.02.23
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今朝はアラームで6時に目が覚めましたがラジオの無い部屋でしたので聴けなかったのでした誰か聴いた人がいたら教えてください「あの頃のフォークを聴かせたい」誰でどんな曲だったのかをなぎら健壱は何を話したのでしょうかそして来週は
2010.02.21
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知る楽 こだわり人物伝 高田渡 孤高のフォークシンガー第3回 反骨人生 時代に背を向けて「夕暮れ」で始まる続いてはフォークジャンボリーの映像が「値上げ」が聴こえてきた。さらに74年春一番がここでは「生活の柄」が流れる。押しも押されぬフォーク界の大御所に大手レコード会社からアルバムを次々と(作らさせられた?)京都から東京に居を移して吉祥寺での生活をなぎらは当時の行きつけだった。洋服屋、青果店、カレー屋さんそしていせやを行くところそれぞれで高田渡の人柄などその生活ぶりを聞いて回った。人間“高田渡”について中川五郎同じことをし続けて来たにも拘らず成長し、進歩し、変化してきた渡の歌の世界がある。佐久間順平社会の変化にあって変わらない自分という心の中に葛藤があった。酔いつぶれた時に心に仕舞いこんでいたものをポツリと吐いたりしていた常には表に出さなかった人。南 高節もっと人間らしくていいんじゃないかとこれでいいんだと唄ってたのが渡だった。生きること暮らしてることを歌にした高田渡聴こえてきたのは「長屋の路地に」しかし時代は80年代ニューミュージックが台頭生活に根ざした歌の高田渡には段々目が向かなくなってきた83年以降はどこのレコード会社もレコードを出してくれなくなった。当然渡さん自身も迎合はしないはずで売るためのレコードなどは作らなかったんでしょう。そんな時代暮らし向きも苦しくなってきて全国のライブハウスを津々浦々周り歩いたどんな小さなことでも呼ばれれば出かけた。そんなライブ活動のなかから10年ぶりにリリースしたアルバムがその名も「渡」でした。そこで唄ったのが「夕暮れ」時代は平成バブル崩壊の時代新しいものを追い求めた時代からの逃避か?ライブハウスの聴衆には多くの若者がその若者の目には新しい音楽と映った。おもしろい歌だお酒飲んで唄ってるそんな言い回しがあるんだなどと再び若者たちから支持され始める。最後に自伝「バーボン・ストリート・ブルース」より今はたぶん目先の時代なのだと思ういつもみんなといっしょに目新しいものを追いかけていたい。〈中略〉洗脳する側も巧みにその不安感を煽ろうとするそんななかで自分というものを持ち続けるためにはガンコであり続けるしかないと思う。「まわりがなんと言おうとオレはコレを信じている」というくらいのガンコさを持っていないといいように利用されて終わってしまう僕は僕だしあなたはあなたなのだ。
2010.02.17
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待ち遠しい一週間でしたがいよいよ明日となりましたなんか今月は日々過ぎてゆくのが早いような気がしております知る楽 こだわり人物伝 高田渡 孤高のフォークシンガー第3回 反骨人生 時代に背を向けて関西フォークの人気は、2万5千の聴衆を集めた1971年の中津川フォークジャンボリーで頂点を迎える。吉田拓郎、かぐや姫などフォロワーも誕生、この動きに、音楽業界は各社あげての争奪戦を繰り広げた。しかし、高田渡はその波には乗らずに地道な活動を続けた。吉祥寺を中心としたフォークシーンでカリスマ的人気を集め、全国のライブハウスで演奏することを中心とした、商業音楽にくみしない生活に密着した歌を全国に広げていった。時代に背を向けて唄い生きた高田渡どんなドラマが待ってるのだろうなぎら健壱は何を語るのだろうかまたしても心ワクワク心浮き浮き静かに待ちましょう明日の夜を・・・・
2010.02.16
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オリジナル・カーター・ファミリー(カーター家の次世代が継承しているので初代を指します)今日はなんともオールド・タイミーなサウンドを聴かせてもらったA.P.カーター、サラ・カーター、メイベル・カーターの三人からなるカーター・ファミリーそうあの高田渡が影響を受けたグループそしてギター奏法カーター・ファミリー・ピッキングもです曲は「キープ・オン・ザ・サニー・サイド」でした1928年に発表されたそうです(82年前かぁ?)(先週キープ・オブと間違いました)ギターはメイベルさんが弾いてるそうです低音部6~4玄を親指で単音を、高音部は人差し指でかき鳴らすように弾くのですこの歌は日本では「陽気にいこう」なんですね聴き比べが高石ともやとナターシャーセブンでした高石ともや、城田じゅんじ、坂庭省吾、木田高介(もう二人は亡くなっています)ともやさんが日本のフォークの現状がいやになってアメリカに渡り帰ってきてセブンを結成古謡に日本語詩をつけて当然サウンドもカーター・ファミリーなどアメリカの古いフォーク調(語弊あるけどこう表現します)アルバムも10枚くらいかな?ワークショップシリーズとしてリリースボクもすべてはそろえなかったけどオリジナル・カーター・ファミリーのシリーズはよく聴いたですそのアルバム・タイトルはそう「陽気にいこう」なんですシリーズ中バンジョーの教則レコードもありましてそれだけは今でも取ってありますPCにはアップできないのが残念ですけど来週は「・・・・」曲目もう忘れてしまいました覚えてるのはこのくだりです「冬季オリンピックの関係で放送時間が変更になることがあります」
2010.02.14
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第2回は“日本語フォーク”の先駆者伝説のフォークシンガーと始まるナレーションにのって若き日の高田渡が唄っている白黒の懐かしい絵が映し出され高田渡がさきがけとなった日本語フォーク誕生の物語です。早速聴くことになったのが「値上げ」その次に「ミミズのうた」「鎮静剤」と続いたところでなぎら健壱登場です。高田渡について歌詞を大事にした持ってる曲の感性を大事にしたそこに高田渡のセンスというものが生まれた(詩の)裏に言葉がある字面だけ追っても分からないんですね。高田渡のフォークとの出会いは中学生の時に兄が買ってきたアメリカの古いフォークを聴いてのことそんな足跡を調べようとなぎら健壱は高田渡の遺品が残ってる奥さんの家を尋ねたのです。まずは沢山のレコードほとんどがアメリカのフォークです。一枚取り出したのがカーター・ファミリーのレコードこれが高田渡が影響を受けた奏法カーター・ファミリー・ピッキング。5弦バンジョーの教則本アメリカから取り寄せたもので自身が訳しながらメモしながら勉強した痕跡がしっかり残っています。18歳の時に衝撃的なもう一つの出会いそれは一冊の本「演歌の明治大正史」アメリカの古いフォークソングより以前に日本でこんな歌があったのかと添田唖蝉坊との出会は生涯にあって大きな転機となった。ここでの歌が「新わからない節」これは唖蝉坊の「わからない節」にウディ・ガスリーの「わが祖国」のメロディーをつけたものなぎら健壱いわくどちらが本物か分からないくらいこっちが(高田渡のほうが)オリジナルだよな向こうが違うんじゃないのと錯覚させるくらい高田渡の世界があると。1969年19歳の時に発表した「自衛隊に入ろう」でデビューリフレインのところを客が一緒に♪自衛隊に入ろう 入ろう唄ったことをなぎら健壱はいけない扉を開けてしまったと表現した。これは一体なんなんっだ胸にグサッと刺さった感じこんな歌があるのかというインパクトがすげえあったとこの歌でテレビ出演も(11PMに)一躍有名になった。この頃から京都に移り住み関西フォークのムーヴメントに乗ってコンサート出演以来が殺到そんななかで独自の音楽をめざしこだわったのはメロディーに乗せる「詞」だった。小学生の時から父の影響で詩を書いていた日本語のもつ詩の力を日頃から感じていた詩集「個人的理由」を出版日々の生活から湧き上がる思いを綴ったその詩集から多くの歌が出来た。「ボロ・ボロ」さらに京都で詩人有馬敲(たかし)との交流も「詩の朗読とフォーク・ソング」を催した有馬氏の詩に次々と曲を付けていったそうである特に気に入ったのが冒頭の「値上げ」だそうであるもともとは「変化」というタイトルだったそうだがタイトルをおもしろいようにと変えたまた「転身」という詩には独自に詩を付け加えたりもした。♪かつての組合書記長 いまの会社重役 組合員をおだてた演壇で 社員に訓示する “180度回転πr 昨日の友は 今日の敵となる”♪と唄ったのである。京都時代に作られた作品が大手のレコード会社の目に留まりベルウッドレコードから屈指の名盤「ごあいさつ」を発表当時としては珍しいプロモーションビデオがあったんですね。貴重な「コーヒー・ブルース」でした22歳高田渡独自の世界!!日本語のフォークが完成!!
2010.02.11
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明日だというのにもうワクワクであります!!なぎら健壱はどんなことを披瀝するのだろうか?!さて第2回は“日本語フォーク”の先駆者とのお題目です!!孤高のフォークシンガー 高田渡「自衛隊に入ろう」でデビューした高田渡。その功績は「日本語フォーク」を確立したことだ。多くのフォーク歌手が、流行のボブ・ディランやピーター・ポール&マリーなどをまねるなかで、高田渡はフォークソングそのもののルーツを研究。日本の現代詩と組み合わせることで、見事に日本のものとした。日本のロック界をけん引したムーンライダーズの鈴木慶一は「高田渡こそ最もオリジナルなフォーク歌手だ」と評す。
2010.02.09
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今日はギターの名手二人の紹介であったフォークというよりはカントリーです!マール・トラビス(故81年)ジョー・メンフィス(故86年)二人の演奏を聴きました「ナッシュビル・ジュベリー」と「ブラック・マウンテン・ラグ」という曲です。なぎら健壱は「すごい!訳わかんないです?!」と表現していましたギャロッピングという名の奏法だそうです。(と言ったて分からないでしょうけど)また74年か75年に実際マール・トラビスを見たそうで「なるほどこういう風に弾くのかこう弾いてるのかと目では追っていけるのですが(見終わって)帰ってから試すも実際そのようにはとても弾けなかった」と回想談をこの二人に(奏法に)影響されたと言われるのがチェット・ワトキンスやドク・ワトソン(と言われても分からないでしょうが共にフォークの巨匠)特にドク・ワトソンは息子に“マール”・ワトソンと名付けたくらいだそうである。来週は「キープ・オブ・ザ・サニー・サイド」だそうである????今日の放送もそうだったが段々と未知の世界に入り込んでいくようです。まあ楽しみといえば楽しみです知らないことを知る喜びかも?!?!
2010.02.07
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孤高のフォークシンガー 高田渡の始まりはまず「アイスクリーム」が流れてきました。京都の拾得が映し出され高田渡を唄いたいというミュージシャンたちがいる。安宅浩司が「年輪・歯車」(渡)十代のパンク・バンドガガガSPが「自衛隊に入ろう」(渡)ハンバートハンバートが「生活の柄」なぎら健壱も一曲「アイスクリーム」を中学の時に出会ったウディー・ガスリー彼から高田渡は多大な影響をうけたそんなウディー・ガスリーが「住む家とてなく」高田渡は民衆の歌を日常を唄う労働者を唄うと「仕事さがし」「鉱夫の祈り」「ゼニがなけりゃ」二十歳の頃から唄い続けた「生活の柄」高田渡が自らの人生を雑草に重ね生涯大切に唄った歌「すかんぽ」を聴いてあっという間の25分であった
2010.02.04
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「SONGS」ってこんな番組だったのかと思ってしまいました!いきなり岡林信康が1970年は中津川ではっぴいえんどをバックに「私たちの望むものは」を唄ってるじゃないですか日比谷野外音楽堂での復活岡林も出てくるはで京都の山村に引っ込み自給自足の生活そして演歌美空ひばりとの出会いもうストーリーがあるこちらもドキュメンタリーです。今回は美空ひばりさんとの“演歌”については予想どおりの展開だったがまさか山下洋輔のピアノトリオをバックにジャズアレンジで「悲しき口笛」そしてあの「山谷ブルース」には驚きましたいつの間にとの思いでしたしかしいつ聴いても山下洋輔のピアノは最高です。そして予想もしていなかったことになんとナレーターが落合恵子さんじゃないですかそうあのDJレモンちゃんにもう何も言うこと無し「SONGS」に大満足でした
2010.02.03
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孤高のフォークシンガー 高田渡「民衆の心を歌に 原点は少年時代」いやあ本当に良かったドキュメンタリー映画ですねなぎら健壱もいつになく真面目にシリアスに渡をフォークを語っている。岐阜時代の5歳になる高田渡(写真)を見てなぎら健壱が口を吐いて出たのが「渡ちゃん“お坊ちゃま”じゃないですか」ボクも初めて見ましたが本当にそう思いました。けれど東京は深川に移ってからの渡さん一番貧乏な時代小学生の時には顔つき変わったとお兄さんたちが言ってました。それにしてもいくら兄弟だとは言ってもそっくりでしたもう似すぎです。長兄の蕃(しげる)さん次兄の烈(いさお)さん初めてお目にかかりました。兎にも角にも良かったよ本当に来週もまた楽しみです
2010.02.03
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