全5件 (5件中 1-5件目)
1
毎月最後の日曜日は「なぎら健壱のフォークライフ」それでもって今日は4回目です学生の間に広まったフォークが段々とテレビに映りなぎら少年たちはギターを手に「フォーク」と名の付く集いにはどんなところへも出かけて行ったそうですとある「うたごえ」なる集いへもそこでは「トロイカ」などのロシア民謡がまたあるときは体育館へちょっと様子が違うんじゃないそこはフォーク・ダンスの集いだったとかクラスに4~5人のフォーク少年がいて3人でグループ結成唄いだします工業高校だったらしく実習工場でいつも先輩たちが唄っているそこで先輩について教えてもらっていた当時は養護学校へも行って子どもたちの前で唄ったりしていたそうです先輩たちは「わらべ歌」をアレンジして唄っていたそうですそこで一緒のなぎらさんたちは覚えたてのフォーク唄うけど子どもたちはザワザワと・・・・「その先輩たちは(当時の)プロ以上に上手かった」となぎらさん豪語グループ名「メイプル・ファイブ」と言ってましたまず1曲目はブラザース・フォアの「風は激しく」が聴こえます「先輩たちはブラザース・フォアそのものいやそれ以上だったかもしれない」と「私の大いなる錯覚かもしれませんけどね」当時はそう思ったそうです次に「先輩たちのレパートリーには日本語曲も2曲ありまして」といってフォー・セインツの「小さな日記」が流れる曲が終わるや否やばっさり「先輩たちの方が断然上手い楽器もハーモニーも!!」そして「もう当然今は唄っていませんけど今の先輩たちの歌を聴きたいなあ」とさらに「先輩の一人くらいこの番組聴いてくれてないかなあ」とつぶやくのでした当時高校1年生のなぎら少年回想録でしたこんな話がおもしろいですねボクは
2010.11.28
コメント(2)
内緒だが一応今日誕生日!!それからもうすぐ100,000!!年齢じゃないからね!!毎年翌日は休みだ!!勤労に感謝だ!!
2010.11.22
コメント(16)
山平和彦さんはなぎら健壱と同年齢初めて知りました(1952年生まれちなみに秋田出身)1970年に(当時高3で)山平和彦とザ・シャーマン名義にてあのURCレコードからシングル盤「昭和44年7月21日早朝に」をリリース70年当時からなぎら健壱とはコンサートで一緒に唄っていたそうです72年にベルウッドからファースト・アルバム「放送禁止歌」をリリース当時の世相を反映して作って唄ったそれが文字どおり放送禁止曲に指定され山平和彦はそのことが悲しくて泣いたそうです なぎらさん曰く「自分で作っていて泣く事はないだろう」と!またこの頃一方で名古屋東海ラジオの深夜放送「ミッドナイト東海」のディスクジョッキーをそこに秋田時代の中学の後輩が(これが「マイペース」)番組に押しかけたのか呼ばれたかして山平和彦のバックバンドとして活動されたそうです。1974年に山平和彦プロデュースでマイ・ペース「東京」が大ヒット山平本人より売れることにこの話を聴いて今日の放送の「放送禁止歌」と「東京」のつながりがようく分かりました!なるほどね!!あ!それから山平和彦さん2004年に交通事故でお亡くなりになったとのこと今はもう彼の歌は聴くことができないしなぎら健壱さんももう一緒に唄えないと・・・。
2010.11.21
コメント(6)
先日のあの頃のフォークを聴かせたい聴き逃しました何と懐かしや『真芽正恵(しんめ・まさえ)』登場「サニー坊や」だったんですね彼女の歌ではこれしか知らないしヒットした訳でもなかった曲でしたがボクにとっては好きな歌でした結構唄ったりしていましたああ聴きたかったなあと・・・・そんでもってこの次の日曜日はなんとあの『山平和彦(やまひら・かずひこ)』登場のようです歌もあの「放送禁止歌」ですこれにどう繋げていくのかもう一曲はマイ・ペースで「東京」が紹介されるようでありますまあ楽しみですなあ
2010.11.16
コメント(4)
心がうきうきときめいています片倉真由子女史が凱旋です!けんみん1,000円コンサートthe MOST jazz live案内状が届いたのでした当然良い席をゲットします明日10時から発売開始です2011年2月26日(土)開演が早いんですね16:00そして会場は東京エレクトロンホール宮城出来ればライブハウスがベストなんですけどねまあホールでも致し方ないか!左から 上村信(b)片倉真由子(p)多田誠司(as)大坂昌彦(ds)凄腕揃いです
2010.11.05
コメント(10)
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()
