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前回まで書いていた浜松1人旅も終わったので、今回から通常仕様に戻ってサッカーに関することを連々と書いていきたい。今後ともよろしくお願い申し上げます。で、サッカーに関することを書くのは3週間振りである。いくつか気になる記事はあったのでそれらについて書いていこうと思ったのだが、ネットを見ていて見つけたので今日はこれを。「稲本、トルコの名門に移籍」イングランド2部WBAの稲本がトルコのガラタサライに移籍することになった。正式発表はまだのようだが、クラブ間では合意に達しているらしく、あとは稲本本人の意思とメディカルチェックを残すだけらしい。確か開幕戦には出場していたようだが、その後はベンチ外だったり、ベンチ入りしても出場することなく試合を終えていたのは耳にしていた。一方でガラタサライは、いわゆるボランチのポジションをこの夏の補強ポイントに挙げていたが、シーズンが始まっても選手を連れてくることが出来ずにいた。ということはかなり前(おそらく8月上旬)からガラタサライは稲本に目を付けクラブ間で交渉をしていたんだろう。WBAとしても2部に落ちたことで予算は激減し経費削減が求められていた。特に高給取りの選手やベテラン選手、レギュラー以外の選手は放出やむなしというのが現状だった。日本のメディアが伝えるほど際立った活躍を見せることが出来ず、クラブが2部に落ちたことによる方針転換もあって稲本も放出の対象だった。WBAに放出の意思がなければ試合に出ているはずであり、この点からも稲本が放出対象だったのが分かる。そこに今回のガラタサライからのオファーがあったというわけだ。ガラタサライに移籍したということは、同じトルコのフェネルバフチェで指揮を執るジーコと対戦することになる。おそらく今日、明日のニュースで何度となく聞かされるだろうが、個人的にはあまり興味がない。ジーコがフェネルバフチェでどんな戦術を採用しているのかは知らないが、日本代表と同様のものを用いているなら、ジーコの戦術を凌駕する能力を備えた選手がフェネルバフチェには揃っているからだ。アレックス、トゥンジャイ、ケジュマンなどである。これらの攻撃陣とマッチアップすることで稲本も成長し、ひいては日本代表に選ばれる可能性も出てくる。つまりは視線の先は未来を向いており、だからこそ日本ではあまり馴染みのないトルコへの移籍を決めたのだ。3大リーグへの移籍がある種のステータスだった時代、それ以外のリーグへ移籍するのは若手が経験を積むための移籍、というより練習に参加するのが現実だった。それが今では稲本のトルコ、レッドスターの鈴木、スイス・バーゼルの中田浩二など様々な国に日本人選手が移籍するようになった。世界は広いものである。ほな、また。
2006.08.31
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いよいよ今回の旅も最終日になった。とはいえホテルのチェックアウトの時間も計算しないといけないからこれといってすることは何も決めていない。それでもすぐ帰るにはもったいない気もしたので、午前中は浜松城へ行った。確か徳川家康が、豊臣秀吉によって江戸へ飛ばされるまで住んでいたのが浜松城である。大きな家康像もあり少し期待を抱かせるものだったが、4日間で3つ目の城見学ということで新しい驚きはあまり無かった。城内も狭く風通しも悪かったので、少し急ぎ足で見学を終わらせた。行きはバスを利用したのだが帰りは駅まで歩くことにした。滞在中にブラブラとしていたので、これまたさしたる驚きもなかった。途中コンビニによってコーヒーを買おうとしたのだが、その時にお気に入りのアバグロのTシャツの肩の部分に穴が開いていたのが驚いたといえば驚いた。最後の浜松での昼飯にインドネシアのランチを食べて今回の旅は終了。の予定だったのだが、滋賀に住んでいる大学時代からの親友と晩飯を食べる約束をしていたので寄り道。のはずが、結局そこで1泊することに。まぁ晩飯と言っても酒が入ることは分かりきっていたし、半分泊まるつもりで寄り道する半確信犯だったのだが。夕方からビールを飲んで寝たのが朝の6時くらい。量的には全然飲んでいないのだが、彼といるとどうも意味のない話ばかりで盛り上がってしまう。でもぼくにとっては、離れていても無くてはならない存在なわけで、だからこその親友なんだと思う。以上、6回に分けて今回の浜松1人旅を書き連ねてきた。いろんなことがあったが何分時間が経っているので忘れていることや後から思い出したことも多々あり、全てを書けたとはとてもいえない。今回の旅は結局のところ「歴史と外国人」がキーワードになっていた。先にも書いたように4日間で3つの城を巡り歴史に触れ、数多くの外国人を見(コミュニケーションはほぼ皆無だったが)、普段の生活では決して触れることのできない文化を知ることができた。今回の旅で学んだのは「知らないことは罪である」ということ。スポーツジャーナリストの金子達仁は「無知は怖い。公平さを装った無知は、もっと怖い」と書いている。日本の歴史に知ったつもりでも知らないことはまだまだ多い。外国人を見たらすぐ英語を話そうとする。歴史を全く知らないよりは知っているほうがいい。世界の共通語である英語を知っていればある程度はコミュニケーションが取れる。しかし中途半端な知識だけで、あるいは受け売りの知識だけで、さも全てを把握したような風潮が現代にはあるんじゃないだろうか。単に「良い」とか「悪い」だけでなく、「~だから良い」「~だから悪い」と人の意見じゃなく自分の意見が大切だと思う。そのためには「知る」ことが重要であり、「知っている」後ろ盾があるから言葉にも説得力が生まれるんだと思う。今回の旅でそれを「知る」ことが出来ただけでも『えぇ夏休み』だった。ほな、また。
2006.08.30
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磐田からホテルへ戻ったのは16時頃だった。腹が減ったと思えば、そういえば昼飯をまだ食べていないことに気付いた。この日はサッカー・アジア杯予選があったので夕食も兼ねてブラジル料理でも食べようと考えた。日本で一番ブラジル人の多い浜松だけに、ブラジル料理も結構有名らしい。といってもあまり詳しくはないので雑誌に載ってる店を訪ねることにした。雑誌にはビルの5階と書いてあった。そしてビル全体が雑貨などのブラジル関連の店が入っているとも。そんなビルなら行けばすぐに分かるだろうと手ぶらで出かけたのが失敗だった。途中、店内は中から何かを貼られていて見えなかったが、サンパウロのシャツがショーウィンドウにかけてある店があった。貼られてあるポスターは全部ポルトガル語っぽかったのですこし引いたが帰りにでも寄ってみようと思った。また、やけにこの辺りはブラジル人の多さが目に付く。おそらくそういう地域なのだろう。さすが日本で一番のブラジル街。でも夜に1人では歩きたくない。それにしても行けども行けどもそれらしきビルが全く見えてこない。頭に残っている地図ではもう着いていてもおかしくないはずなんだが。仕方なく元来た道を戻ってコンビニの地図で再確認することにした。するとやはり間違っており、曲がる角を行き過ぎていたようだ。本来曲がらなければいけなかったところまで来てみると、あのサンパウロの店だった。すこし嫌な予感がした。幅が5mほどの川(と呼べるかどうか)沿いを歩いていくと、それらしき建物はあった。1階はこれまた入り口以外のところからは中が見えないようにされていた。中を除くと小さなコンビニほどの広さの食料品店っぽかったが、客は外人、おそらくブラジル人ばっかり。しかも店の横ではこれまたブラジル人らしき婆ちゃんとおばちゃんがBBQをやっていた。BBQとは書いたものの、日本で言う楽しい感じのものではなく、「ここはスラムか!?」と突っ込みを入れたくなるようなくらい感じのもの。雑誌に載るくらいの店だ、もっと良いビルにその店はありここではない。そう自分に言い聞かせさらに歩いてはみたものの、ビルどころか人の気配さえ少なくなってきた。まさかと思い引き返してみると、ビルの5階部分に目的の店の名前があった。やっぱりここだったのね・・ただ中に入ろうとは考えたものの、どこから入っていいのかが分からない。BBQのおばちゃんに日本語が通じるかどうかも分からない。ポルトガル語なんてもっと分からない。仕方なく裏に回ると上に通じる入り口を発見した。ってコーポやんっ!完全に裏の世界やんっ!!ブラジル料理を諦めたぼくは、インド料理の店がホテルの近くにあったことを思い出し行った。しかし時間も時間でまだ準備中だった。開店まで15分ほどだったが待つのもダルかったので、隣の中華の店に入ることにした。テーブルが10コほどしかない小さな店で、客もぼくのほかに1組しかいなかった。席に座ると奥さんらしき人が水を持ってきたのだが、どうも発音がおかしい。日本人が、日本語を話す中国人を真似するような言い方なのだ。それもそのはずで厨房では中国語で世間話が始まっていた。つまり生まれは中国で、今は日本で働いている「宇宙船地球号」みたいな家族なのだろう。ホテルに戻ってイエメン戦を観戦後、腹が減った。中途半端な時間に食べたので仕方ないのだが、下のコンビニに食料調達に出ることにした。部屋のドアを開けると、また日本語以外の言葉が聞こえてきた。さらに今回はカメラのフラッシュらしきものも見えた。「何をしてるのだろう?」と恐る恐るエレベーターまで行くと、トルコの選手がユニフォーム姿で記念撮影を行っている最中だった。ソファーには投げ捨てられたホテルの浴衣。記念撮影をする身長2m強の男が4人。ぼくが一旦引き上げたのは言うまでもない。ほな、また。
2006.08.28
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3泊4日の浜松1人旅も後半戦の3日目。まず朝食を食べようとエレベーターを待っているときのこと。よく見ると1枚の張り紙があった。何語か分からないが時間を表す数字が書いてあったので、おそらくは同宿している世界バスケ出場国のスケジュールだろう。そして紙の右上に国旗も合わせてプリントされていた。普通の人なら分からないだろうが、欧州サッカーに詳しい方なら分かる赤地に白い三日月と星。そう、トルコの国旗である。つまり昨日見た、エレベーターで乗り合わせた外国人はトルコ人だった。だから真っ赤なポロシャツだったのか、と納得はしたものの、じゃあベンツのエンブレムは何だったのかは少し腑に落ちない。それにしても話しかけないでよかった。この日は掛川城と磐田に行った。掛川城ではちょうど「功名が辻」のイベントを行っており、撮影で使用された衣装やセット、当時の生活風景などを再現したものがあった。「功名が辻」は一度も見たことがないが、千代の有能さや一豊の先を読む力など、出来る人間は生まれながらにして何かしら持っており、個人的には現実主義だが、「運命」という言葉を少し感じたりもした。その後、磐田へ移動した。駅を出たときの印象。「田舎やなぁ」ジュビロードという通りがあると聞いていたのでどんな立派なものかと思っていたが、盆休みということで閉まっている店が軒を連ねる、文字通り「商店街」だった。ではなぜ「ジュビロード」かというと、数メートルおきに磐田の選手や元選手の足型プレートが埋め込まれているからだ。その後タクシーでヤマハスタジアムへ移動。試合のある日はシャトルバスがあり移動に不便はないらしいが、この日は試合もなく時刻表を見ると2時間待ち。歩いていけないこともないが、タクシーの運転手曰く、「1時間はかかる」らしいとのこと。唯一にして最高の移動手段がタクシーなのである。タクシーの中でも会話はやはりサッカー、そして磐田のことになり、「磐田は田舎だからサッカーしかない」ちょうど前日ぐらいに名波のローン移籍が決まり「お別れ会がすぐ近くで行われた」など、遠くにいては分からない生の声を聞くことができた。ヤマハスタジアムは試合もなく閑散としていた。次の試合もアウェイなこともあり中に入ることも出来なかった。外から少しだけピッチでは芝の管理が行われているようだった。仕方ないのでスタジアムの周りを歩いたが、スタジアムの裏にはピッチが2面ほどあり小学生がプレーしていた。そしてその横にはヤマハの工場もあった。確かにこれといったものは何も無い。だからこそサッカーしかない、そう運転手は言っていた。でも磐田の町やスタジアム周辺を歩いていて少し羨ましくも思った。娯楽は少ないかもしれない。でも、だからこそ地元のクラブを町を挙げて応援できる環境があり、移籍があればお別れ会が行われるような良い雰囲気も作られている。元々サッカーが盛んな静岡だけに、サッカーに対する造詣は深い。つまり良い雰囲気でも決してなあなあではない。ぼくが見た小学生は「いつか磐田で、ヤマハスタジアムでプレーするんだ」と思いながらボールを蹴り、追い、走っている。その夢が叶い磐田のシャツを着てプレーする。その姿を見た小学生もまた「いつかぼくも・・」と胸に誓う。サッカー百年構想。サッカーを文化に。ヨーロッパのサッカーを見るたび、日本のサッカーを見るたび、サッカーが日本に根付く日は来るのだろうか、といつも不安に駆られる。でも少なくとも、ここ磐田ではサッカーは地域に密着しており、サッカーは文化の1つになっていた。ほな、また。
2006.08.27
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舘山寺の散策を終えたぼくは浜名湖遊覧船に乗ることに。30分コースと60分コースがあったが選んだのは30分コース。遊覧船は2階構造になっており、1階はクーラーの効いた閉め切られた部屋。2階はベンチが並んだ屋根が取り付けられた開放感溢れるものだった。最初2階にいたぼくは海の風を味わいながら遊覧を楽しんだ。緑濃い山々と船の轍。それを追いかけるジェットスキーの一団。気分も良くかる~くさすらっていたものの、海の風も浴び続けると熱風に感じるもので、途中からは1階に下りてクーラーのお世話になった。遊覧船を降り昼飯を食べることにした。浜名湖まで来てやっぱり外すことは出来ない、うなぎである。頼んだのは、ひつまぶし。1杯で3度おいしいひつまぶしは、最初そのまま、次にごま等をかけ、最後はお茶漬けで、というもの。正直食べる前は「ホンマに美味いのか?」と思っていたが、食べてみるとこれがめちゃめちゃ美味い。特にお茶漬けは別格の美味さだった。お茶漬け単品としてメニューにしてもいいんじゃないかと思えるほど。うなぎも普段食べているスーパーのものとは違い柔らかくとろけそうだった。ホテルに戻ってきたぼくはエレベーターで自分の部屋まで戻った。自分の階に着きエレベーターを降りようとすると、外国人の集団とすれ違った。身長181のぼくが見上げるほどの大男ばかりである。そういえば浜松では世界バスケが行われるんだった。ホテルのロビーにも浜松で試合を行う国の国旗が掲揚されていた。昨日の寝る前、廊下から聞こえてきた酔っ払いのおっさんみたいな声は彼らの声だったんだ。しかし彼らは一体、何人なのだろう?晩飯を食べようと部屋を出てエレベーターに乗ろうとすると、ぼくと同じくらいの背の外国人が1人、先に乗っていた。おそらくさっきの外国人の仲間の1人だろう。真っ赤なポロシャツ(なぜ外国人はポロシャツが似合うのだろう)にジャージのハーフパンツ姿。ハーフパンツの袖にはメルセデス・ベンツらしきマークが。「多分ドイツ人だ」そう思ったぼくは話しかけようと考えた。しかし結局話しかけることが出来なかった。理由は2つ。まず相手が外国人だから。車に乗っていて、あるいは道を歩いていて警察の車が通ると、何も悪いことはしていないのになぜかビビッてしまう、それと同じ状況だ。もう1つはドイツ語が全く分からないから。多分挨拶程度の英語なら十分通じるはずだろう。でもそこはやっぱり母国語で話しかけられたほうが相手も嬉しいはずであり、短い時間ながら会話も弾むもの。しかし残念ながらドイツ語を何1つ知らないぼくにはどうすることも出来なかった。まぁ今にして思えば、あの時話しかけないで正解だったんだが。「食のテーマパーク」べんがら横丁でラーメンを食べてホテルへ戻ると、これまた何人か分からない外国人がロビーで談笑していた。「サッカーの日本代表も宿泊先ではこんな感じなのかな」と思いつつ部屋に。それにしても、ブラジル人は多いと聞いていたが、運がいいのか悪いのか、人種のるつばに紛れ込んだよう錯覚に陥る旅だった。さて明日はどこへ行こう?ほな、また。
2006.08.23
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朝7時起床。休みの日では考えられない時間である。しかし今は休みであって休みでない。なぜならぼくがいるのは家ではなく浜松。1人旅の2日目である。この日のぼくの行き先は浜名湖。もろベタではあるが浜松に行く前は観光地はここしか知らなかった。それにあえて避けるのもどうかと思うし。何やら定期観光バスもあるらしいのだが、現地に着いて初めて知ったし予約制らしいので普通の路線バスで行くことにした。浜松駅から約50分の道のり。訪れたのは舘山寺周辺。このあたりには動物園やフラワーパーク、遊園地にプールなどもありいささかレジャーパーク。しかし大の大人が1人でこういったところに入っても虚しさをより感じるだけ。とりあえずロープウェーに乗る。そして山の頂上のオルゴールミュージアムへ。「オルゴールの語源はオランダ語のオルガンを表す『オルゲル』と言われている。 オルゴールは日本独自の言い方で、 英語では『ミュージカルボックス』『ミュージックボックス』と言う。」館内には一般にイメージするオルゴールだけでなく、19世紀のオルゴールや『ミュージックボックス』の言葉のように音を出す箱などを展示していたが、なかにはエジソンの発明した蓄音機も展示されており、オルゴールだけにとどまらず音楽の歴史も垣間見ることができた。さらに毎時20分よりコンサートなるオルゴールの演奏会があり、様々な年代のオルゴールを聴くことが出来た。オルゴールミュージアムを出たあとはロープウェーを下り舘山寺へ。初めて聞く名前だが、この辺りは温泉宿が多数並んでおり湖岸にも近い。ここに泊まって夜景を見たら綺麗だろうと思いつつその湖岸を歩くと、多くの人が泳いでいた。そして海の香も鼻を付く。後から知ったのだが、浜名湖は南側が海に続いているために南側は海水、そして陸地に入り組んだ北側は淡水という珍しいことになっているらしい。そんな湖岸を歩いていると舘山寺に到着。これといって有名なものは何1つなさそうだったが、とりあえず散策してみた。まず舘山寺は檀家を持っていないらしい。つまりは修繕などの費用は全て賽銭から賄われているようだ。ぼくも小銭をいれようとしたが(さすがに札を入れるほど知っているわけではないので)10数円しかなかった。とりあえずそれでも何かの足しにはなるだろう。その後、山の裏手にある聖母像と洞穴地蔵に。寺に聖母とは以外だったが、聖母像に着いた時、12時を知らせるチャイムのようなものがなった。奇しくもこの日は終戦記念日。おそらく日本の至る所で黙祷が行われている頃、ぼくは寺の聖母像を撮っていた。ぼくは一体何者なんだろう。洞穴地蔵は文字通り洞穴の中に地蔵があり、外から除くとろうそくも立っていた。そして入り口には「天災などによる事故の責任は一切負いません」の張り紙が。入り口の高さは約1m。中は2mほどしかないが、もし入っている時に地震や崖崩れが起これば・・結局中には入らずそのまま退散することに。ほな、また。
2006.08.21
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盆休みを利用して浜松へ1人旅に行ってきた。プレミアが今日から始まるが、とりあえずそれは置いといて旅のことについて書いていきたい。そもそもなぜ浜松かというと、ぜひとも浜松に行きたかったわけではない。これまでは中国・九州地方へは何度か行っていたので、今回は東に進路を向けたというのが1つ。さらに北陸地方も捨てがたかったが、乗換えや何やかんやが面倒臭そうだったのと、東京周辺はあまりにもベタに感じたのが1つ。それを踏まえて新幹線の止まるところから浜松をチョイスしたわけだ。期間は3泊4日。では、出発。朝の8時に家を出る。直接浜松に行けば午前中には着いてしまう時間である。しかもチェックインは15時頃と連絡を入れていたので、時間的にはかなり余裕のある出発時間である。それでもこんなに早く家を出た理由は、名古屋に途中下車するためだ。せっかく旅に出るのだから色んなところを見ておきたいと思い、名古屋城を観光することにした。名古屋駅を降り、荷物をロッカーに預けたぼくは歩いて名古屋城まで行くことにした。おそらく交通手段はあるのだろうが、時間も十分にあるし、町並みを見ながらのんびりとするのもいいだろうと考えていた。それが間違いだった。暑いのなんのって。歩き始めて5分で背中に汗びっしょりになったため、近くのコンビニでタオルを購入した。汗を拭きつつ2~30分かけて名古屋城に到着。「名古屋城は1612年、徳川家康の命により加藤清正らによって建てられた平城であり、 加藤清正の像が訪れた客を出迎えてくれる。 金の鯱でも有名で、第2次大戦により消失したものの、 昭和34年、同じく消失した天守閣と共に再建された。」中に入ると冷房が効いていてかなり涼しかった。当時の地図や城下の風景、戦に使われた鎧や鉄砲など貴重なものが数多く展示されており、鯱との記念写真や、石垣の重さを実際に体験できるコーナーもあった。家康といえば織田信長、豊臣秀吉と並んでいわば日本史界のビッグ3である。個人的にこの頃の日本史が一番好きなぼくにとっては貴重な時間であった。名古屋城を出たぼくは、さすがに歩いて駅まで戻る気力もなくタクシーを使うことにした。バスもあるのかもしれないが、バス停を探す気力もまた、なかった。時間は飛んで浜松到着。予定通り15時に到着したぼくはチェックイン後、浜松駅周辺を探索することにした。1日目のメインは名古屋城だったので特に行きたいところもなかったが、これから数日間過ごすのだから飯を食べるところや面白そうな店があるかなど、とりあえずブラブラした。事前の情報で頭には入れていたが、浜松にはブラジル人が多い。人口におけるブラジル人の割合が日本で一番らしい。街を歩いていても最低5分に1回は外国人とすれ違う。1人1人に聞いた訳ではないので分からないが、おそらくブラジル人だろう。何しろ外国人を一目見てどこの国の出身か分かるわけがないし。まぁそんな感じでフラフラしたぼくは早起きと歩き疲れで22時には布団に入ることにした。戦国から江戸時代にかけてを知ることの出来る名古屋城と、5分に1回は外国人とすれ違う街、浜松。今にして思えば、今回の旅のキーワードはこの2つだった。寝ようとしてるのにやけに廊下がうるさい。酔っ払いのおっさんでもいるのだろうか。ほな、また。
2006.08.19
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昨シーズン途中にキーンが去ってから中盤の補強が最優先課題だったユナイテッド。そこで40億円の移籍金でトットナムから獲得したのがキャリックだった。キャリック同様に獲得を狙っていたビエラはインテルに移籍したが、インテルがユベントスに支払った移籍金は約14億円。金額だけを考えれば、40億円という額が果たして妥当だったのか。もちろんプレースタイルや年齢などを考慮する必要がある。しかし足元を見られて40億円を同じリーグのトットナムに支払うのと、クラブがBに降格しバーゲンセール実施中のユベントスを相手にプレミア及びビッグクラブで経験十分のビエラに14億円を支払うのと、どっちが正しい買い物なのかと考える。インテルはビエラを獲得するのに14億円だったが、20億円でユナイテッドがビエラを獲得していたとしてもキャリックの半分である。ちなみにキャリックのユナイテッドでの背番号はキーンが背負っていた「16」である。中盤同様に補強の必要性があるのがFWである。ニステルを約22億円の移籍金でレアルへ放出したためだ。現在のユナイテッドのFWにはルーニー、サハ、怪我から復帰したスールシャール、中盤からの再コンバートのスミス、進境著しいロッシの5人である。人数的には問題ないが、これまでニステルはコンスタントにシーズン20得点は挙げてきた。それにプラスアルファで他の選手が得点を挙げ勝利を積み重ねてきた。ニステルが抜けた今、他の選手だけでその20得点を補うことが出来るのかどうか。ニステルに代わるワールドクラスのゴールゲッター。最初はアトレティコのトーレスを狙っていたようだが、トーレスが残留を宣言し断念。個人的にはこれもユベントスの2トップを引き抜けばいいと思っていた。トレゼゲとイブラヒモビッチ2人ともというわけにはいかないが、トレゼゲならニステル同様、ゴール前でしぶとく待つことができる選手であり、イブラヒモビッチなら足元が優れスペースを作ることが出来るので2列目からの飛び出しを容易にクリエイトできる。しかもユベントスはバーゲンセールの真っ最中である。しかし昨日、現地メディアが伝えた獲得候補はアドリアーノだった。この「現地メディア」がイタリアなのかイングランドなのかは分からない。ただ、アドリアーノが所属するインテルがクレスポ、イブラヒモビッチを立て続けに獲得したことでアドリアーノの名前が挙がったようだ。そして移籍金が、あくまでも噂だが92億円らしいのだ。アドリアーノ自身を否定するつもりはない。強靭なドリブル、破壊力抜群のシュートなどユナイテッドが狙うワールドクラスのゴールゲッターにふさわしい実力は兼ね備えている。でも92億円はないだろう。インテルがイブラヒモビッチ獲得のためにユベントスに支払った金額は約36億円である。何とか残留させようと抵抗を見せたイブラヒモビッチでさえ36億円でユベントスは移籍を認めてしまった。仮に、昨シーズンそしてワールドカップの不調で価値を下げたはずのトレゼゲなら金額はイブラヒモビッチより低くなるはずである。高ければ良いというものではない。安くて良いものがあればそちらを選ぶほうが良い買い物をしたことになる。というよりもそれ以前に、勝利を掴むための補強であって、高額移籍金を争う補強ではない。キャリックの獲得は決定し、プレシーズンマッチにはもう出場している。アドリアーノは噂の域を出ないので今後どうなるかは分からない。しかしながら。「ユナイテッドはキャリックを獲得したことで格段に良くなるだろう。 彼は非常に良い選手だ。 そして彼はキーンが去ってからユナイテッドが抱えていた問題を解決するだろう。 選手を後10人買う必要はないんだ。 正しいポジションに正しい選手を獲得すればいいんだ。 そして私はキャリックの獲得は正しい判断だと思うよ。」たとえ皮肉を交えて話していたとしても、プレミア3連覇を狙う敵将の言葉を信じずにはいられない。ほな、また。
2006.08.11
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いつも楽しくサッカーを中心に拝見させていただいております。ところで先程、今シーズンのヨーロッパの放送予定を見させていただきました。来週末開幕のプレミアしか掲載されていないところを見ると、今週末開幕のブンデスや開幕が延期になったセリエなどはまだ交渉中のようですね。そのプレミア第1週の放送予定なんですが・・・何をやらかしてくださってるんですかっ!?シェフィールドU対リバプール 19日21時30分~アーセナル対アストンビラ 22時55分~エバートン対ワトフォード 20日 5時45分~ニューカッスル対ウィガン 19日22時55分~ポーツマス対ブラックバーン 20日 8時00分~レディング対ミドルスブラ 10時15分~ウェストハム対チャールトン 12時30分~ボルトン対トットナム 19日25時10分~マンチェスターU対フルハム 20日21時25分~チェルシー対マンチェスターC 23時55分~開幕を盛り上げるために10試合も放送してくれるなんて。プレミアには20クラブが所属していることになるから、つまりは開幕全試合を放送するってことで。そりゃあ、他のリーグの放送が(今のところ)ないからといってもこれはやりすぎでしょ。こんなことされたら全部見たくなるのがサッカーバカなわけで・・でもそんなスカパーも大好きなわけで。スカパー様、今後ともよろしくお願いします。追伸なんとしてもブンデスの放送権は獲得してください。出来ればリーガも獲得して、ワールドカップの再放送も・・これは無理だな。ほな、また。
2006.08.08
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久々の更新です。それにしても暑いですね。こうも暑いと何もやる気が起こらないもので。でもあと4日仕事に行けば10日間の夏休み!!あと少しの辛抱です。そんな昨日。レコーダーのHDDがバグってしまい録画していたワールドカップがぶっ飛んでしまいました。これで全戦観戦計画もパーに・・・そのほかにも映画やF1など約100時間分の映像が一瞬にして消滅の事態に。数字に直せばそこまでHDDに貯めていた自分も自分ですが、正直かなり凹んでます。とりあえずあと4日間仕事を頑張って、夏休みを有意義に過ごそうと思ってます。ほな、また。
2006.08.06
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