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サッカーの試合において、ディフェンスの選手が脚光を浴びることは、 オフェンスの選手たちに比べると、そうそうない。 中でも、センターバック(CB)は、かなり控えめなポジション。 ゴールキーパーの方が、ずっと目立ってる気がします。 本著の著者は、鹿島や名古屋、京都だけでなく、 全日本でも活躍した名CBの秋田豊氏。 以前読んだ『宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術』の著者で、 ガンバやヴィッセル、ザルツブルグで活躍した宮本氏とは、違ったタイプ。第1章が、いきなり「ヘディング」というところが、いかにも秋田氏。そこに記された極意は、このポジションの神髄を知るには必読の内容。続く第2章は「CBの守備・攻撃」で、ポジショニングやFWとの駆け引き、スライディングやクロス対応、ビルドアップ、セットプレーときめ細かい。 もし、ゴールに一番近い相手選手がフリーでいるのなら、 自分のマークを離しても、その選手を消しに行くべきだ。 そうした危ない箇所をすばやく察知する力がある選手は、 危機管理能力が高いと言える。 しかし、いまはそういった選手が少なくなっている。 「中央を突破されても、自分はサイドの選手をマークしているから……」 そう言って真ん中の危ない選手を消そうとしない光景は、Jリーグでもよく見られる。 確かに、それは別の選手のミスだ。 しかし、CBであるならば、 チームの失点の全責任を負うくらいの気概を持ってプレーしてほしい。(p.130)そして、第3章は「組織的守備」、第4章は「メンタル」という構成ですが、CBに求められるものが、しっかりと伝わってきます。サッカーが、いかに頭を使わねばならないものか(ヘディングだけでなく思考も)、改めて、思い知らされました。 ハイプレスを行うときは、FCバルセロナのような切り替えの早さが必要だ。 さらに、バルサは、攻撃のときから意図的に一人ひとりの距離を狭く、 近くしながらパスを繋いでいる。 つねにパスコースをつくる意図だけでなく、 奪われたときもすぐにボールに対してアタックできるように、 多くの選手が距離を近くしてプレーしている。 ただし、もし切り替えが遅くなったときは一気にピンチを招く。 前に人数をかけている分、後ろには大きなスペースができているからだ。(p.170)まさに、我が愛するチームの失点パターン。そのチームでCBを務めるということは、本当に大変なことです。
2018.05.27
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『リベラルという病 』を読んで以来、 アメリカという国についての認識が一変した私ですが、 その延長線上で本著を読んでいくと、頷くところがとても多かったです。 アメリカという国は、常に表裏二面の顔を持っていることに気付かされます。 日本の教科書では、ルーズヴェルト大統領は、ニューディール政策を打ち出し、 アメリカを世界恐慌の波から脱することに導いた立役者として記されています。 しかしアメリカでは、かつて多くの人々が支持したこの民主党の大統領に対して、 反共保守勢力を中心に、問題点を次々に指摘するようになりました。チャールズ・ビアード博士による『ルーズベルトの責任』や、ハーバート・フーヴァー元大統領(共和党)の回顧録『裏切られた自由』、ソ連・コミンテルンのスパイたちの交信記録である「ヴェノナ文書」等により、ルーズヴェルト民主党政権の実態が明らかになってきたからです。 当時の野党の共和党には、「ストロング・ジャパン」の政治家が多く、 「アメリカの敵はソ連であって日本ではない」と考えていたからです。 こうした野党の共和党の批判に反論するためにも、 民主党のルーズヴェルトとそのあとを継いだハリー・トルーマン大統領は、 「ソ連と組んで日本を敵視した対日政策は正しかった」 と弁明しなければならなかったのです。 その弁明のポイントは、「日本は悪い国だ」というレッテル貼りです。 よって「第二次世界大戦でその悪い日本に勝ち、 野蛮なナチス・ドイツを倒したルーズヴェルト大統領は偉かった」 という歴史観を作り上げたのです。(p.40) そして本著は、アメリカの反共保守派による「日米開戦」に関する最新研究を、著者が、2014年8月にジャカルタの書店で出会ったM・スタントン・エヴァンズとハーバート・ロマースタインによる『スターリンの秘密工作員』を軸に紹介したものです。 「ソ連に甘かったルーズヴェルト大統領と、 その政権内部に潜り込んだソ連の工作員たちが日米両国を開戦へと誘導し、 日米の早期停戦を妨害し、ソ連の対日参戦とアジアの共産化をもたらした」 というスターリン工作史観とも呼ぶべき、こうした見方に対して 「あまりにも一方的過ぎる」「アメリカの歴史学会の主流ではない」 などと批判することは自由です。(p.291)著者が記したこの点さえ踏まえておけば、「アメリカでも、こういう見方がある。 アメリカにも、こんな風に考える人もいる。」ということを知るには、とても良い一冊だと思いました。
2018.05.20
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副題は「本当に戦えるリーダーになる7つの裏技」。 帯には「きれいごとだけでは、人は動かない!」。 つまり、ロジカルシンキングや財務関係知識、プレゼンテーション力、 資料作成・エクセル活用スキル等のブライトサイド・スキルだけでは不十分。 そこで必要とされるのが、ダークサイド・スキル。 「思うように上司を操れ」「KYな奴を優先しろ」『「使える奴」を手なずけろ』 「堂々と嫌われろ」「煩悩に溺れず、欲に溺れろ」「踏み絵から逃げるな」 そして、「部下に使われて、使いこなせ」の7つについて、本著では述べている。 *** 小さな意思決定といっても、いまある状況に手を加えるとなると、 あちらを立てればこちらが立たないケースの連続なので、 リーダーたるもの、みんなから好かれるというのはどだい無理な話である。(中略) 部下から好かれることとと、上司として敬意を払われることは違うのだ。 近づきすぎると、好かれるかもしれないが、お互い緊張感がなくなり、 いざというときに厳しいことを言えなくなる。 だからといって離れすぎても、信頼関係が築けないから、 自分の手足となって動いてもらうことはできない。(p.105)この匙加減が、なんとも難しい。そして、「調和」を重んじ、集団をまとめることよりも、「畏敬」の念を抱かせ、集団をまとめることの方が遥かに難しい。「相手に恐れと敬意を抱かせれば、相手を動かすことできる」と言われても…… 時間のない中間管理職にとって、5分、10分の細切れ時間も貴重なので、 ネットサーフィンをしている暇などないし、 50代になると体力も衰えてくるので、長時間労働にも耐えられない。 だから、生産性を上げなければ、まともに仕事もこなせないし、 最悪の場合、病気になってしまうかもしれない。 それがミドルの現実だ。(p.184)この部分は、大いに共感できる。まさに、50代は時間と体力に気を配りながらの職務遂行が必要不可欠。そもそも、昔々は「人生50年」と言われ、20~30年前は55歳定年が主流だったのだ。医療や衛生環境、栄養状態の改善が進んだとはいえ、50代は決して若くはない。 ほうっておくと同質化して、大企業病に陥ってしまう組織を変え続けるには、 いま言った、仕組み化と社風、あとはすぐれた改革型のトップが出てくる。 この3つぐらいの保険を張っておけば、たいていの企業は生き残れるはずです。 (p.251)本著のパート3は、本著著者であるIGPIの木村氏と、『無印良品は、仕組みが9割』の著者でもある良品計画の松井対談となっており、上記は、対談中の松井氏の言葉。これも言うは易く行うは難し、である。
2018.05.20
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瓜江、そして才子の命懸けの説得により、六月の暴走が遂に止まる。 晋三平も髭丸とシャオが……瓜江班復活! その頃、カネキの意識は、現世と隔絶した世界を彷徨っていた。 そこで遭遇したのは、リゼ。 カネキに、彼のこれまでの行動が招いた数々の罪を突きつける。 それでも、前に進んで行くカネキ。そして、トーカは巨大な怪物の中からカネキ本体を発見。瓜江たちが、そこからカネキを引き離すと、怪物は自壊を始める。そして、仲間たちが続々と集まってきた病室で、カネキは目を覚ます。一方、旧多は望み通り、リゼを手に入れたのだった。街に現れた小怪物がまき散らす毒により、人々が喰種へと変わっていく。街の状況を視察していた才子にも、喰種化の兆候が表れる。一緒にいた瓜江にも、微弱にその兆候が。ただ一人、カネキだけは、その毒に対する耐性を持っているらしい……。 ***この後、カネキは久しぶりにヒデとの対面を果たします。今後も、ヒデがキーになってきそうです。さて、私が今巻で最も印象に残ったのは、次のシーンでした。 ……… … 顔に出すなら 口にだせ 佐々木 え… 話を聞くぐらいなら出来る… お前一人で考えても ロクな結論にならん今巻は、瓜江君のカッコよさが、一際目立ちましたね。
2018.05.13
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目の前にいるエレンに動揺を隠せないライナー。 建物の外では、マーレ軍の中枢、各国大使、名家、全世界の主要新聞社が集結し、 これから始まるタイバー公の重大発表を、収容区の人々と共に待っていた。 その声に耳を傾けるエレン、ライナー、ファルコ。 「戦鎚の巨人」と共にタイバー家が引き継いできた記憶が、初めて語られる。 それは、巨人大戦を終わらせ、世界を救ったのはカール・フリッツだったという内容。 しかし現在、パラディ島内では反乱が起き、フリッツ王の平和思想は淘汰され、 「始祖の巨人」は、反逆者エレン・イェーガーに奪われたのだと。 彼により幾千万もの超大型巨人の進行、「地鳴らし」を発動させられると、 もう、人類にはそれを食い止める手立てはないのだと。 確かにオレは… 海の向こう側にあるものすべてが敵に見えた そして… 海を渡って 敵と同じ屋根の下で 敵と同じ飯を食った… ライナー… お前と同じだよ… もちろん むかつく奴もいるし いい奴もいる 海の外も 壁の中も 同じなんだタイバー公が、パラディ島敵勢力への宣戦を布告した瞬間、建物の中から巨人となったアレンが現れ、タイバー公は絶命。その後、アレンは戦鎚の巨人の猛反撃を受けるが、そこにミカサが現れ支援。そして、アレンが戦鎚の巨人を喰おうとした時、顎が現れアレンのうなじに噛みつく。次に現れたのはリヴァイ、さらに車力、獣、そしてガビ、パラディ島の兵士たち……。突如始まった戦いには、どんな意味があるのだろうか?
2018.05.12
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入学式から1か月、安西こころは学校に行けてない。 きっかけは、真田さん。 でも、そのことは、お母さんに話していない……話せない。 クラス担任の伊田先生はもちろん、スクールの喜多嶋先生にも。 そんなある日、自分の部屋の入口にある大きな姿見の鏡が光った。 その向こう側の世界、お城の中にいたのは、狼の面を付けた女の子。 こころは、そこで他の6人と一緒に、たった一つだけ願いを叶えてくれるという 「願いの部屋」に入るための鍵を探すことになる。 ジャージ姿のイケメンの男の子。 ポニーテールのしっかり者の女の子。 眼鏡をかけた、声優声の女の子。 ゲーム機をいじる、生意気そうな男の子。 ロンみたいなそばかすの男の子。 小太りで気弱そうな、階段に隠れた男の子。(p.47)それぞれが、それぞれの事情を抱え、本来なら学校に行っているはずの時間帯に、城に集まって来る7人。同じ場所で共に時間を過ごすうちに、色んなことが起こり、色んなことが分かって来る。そして、3月。たった一つの願いを叶えた7人は、それぞれの世界へと帰っていく。鏡の中で起こったことを全て忘れてしまう前に、7人は、お互いの名前を教え合ったのだった。 「僕、長久昴。長く久しいに、星のスバル」 「私、井上晶子。井上は普通の井上で、水晶のショウに子どものコ」(中略) 「オレ、水守理音。水を守るに、理科のリに音」 「私、長谷川風歌。風に歌って書いて、風歌」 「私、安西こころ。平仮名でこころ」(中略) 「僕のことは知ってるよね。嬉野遥。嬉しいに野原のノ。遥か彼方のハルカ」(中略) 「だから、政宗青澄(アース)だよ。青いに水が澄むのス。」(p.550) ***7人が暮らす本来の世界の関係や、喜多嶋先生のことは、なぜかしら、結構早い段階で気付いていしまいました。でも、狼の面を付けた女の子の正体や、羊さんのお話は、最後まで思い至りませんでした……リオン君のことも。
2018.05.12
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『リベラルという病』は、私にとって衝撃的な内容だったが、 本著は、それに勝るとも劣らぬほどの衝撃を与えてくれた。 「なるほど、そういうことだったのか」と目から鱗が落ち、 そして、「全然わかってなかった……」と痛感させられた。 本著を読めば、なぜイギリスで国民投票によるEU離脱が決定したのか、 なぜアメリカで泡沫候補とされていたトランプが大統領になれたのか、 なぜ大阪で橋下徹が圧倒的支持を得ることが出来たのかが分かる。 もちろん、ポピュリズムの起源とその進展も。 *** 近年の欧州におけるポピュリズム政党の台頭や、 EU離脱をめぐるイギリスの国民投票、 2016年のアメリカ大統領選挙で露わになったのは、 既存のエリート層、エスタブリッシュメント(支配階級)に対する、 「下」の強い反発だった。 グローバル化やヨーロッパ統合を一方的に進め、 移民に「寛容」な政治経済エリートに対し、 緊縮財政や産業構造の空洞化などの痛みを一方的に負わされ、 疎外感を味わう人々の反感が、 現在のポピュリズムを支える有力な基盤となったのである。 ポピュリズム勢力は、既存政治から見捨てられた人々の守り手を任じ、 自らを「真の民主主義」の担い手と称しつつ、 エリート層を既得権益にすがる存在として断罪することで、 「下」の強い支持を獲得している。(p.9)これは、本著のスタート部で出てくる一文だが、本著全体について、概観を述べる内容となっており、「エスタブリッシュメント」「グローバル化」「移民」「疎外感」「既存政治」等々、本著でキーとなる言葉が散りばめられている。 しかしポピュリズム政党は、党組織が弱い反面、政党や団体に属さず、 既成政治に違和感を持つ人々を広くターゲットにするところから、 テレビをはじめとするメディア露出を重視する。 弁舌巧みなリーダーによる、既成政党に対する容赦ない批判、 「タブー」を破る発言を通じ、 メディアの飛びつく話題を自ら提供することで、 メディアの注目を一身に集めようとするのである。(p.68)この最たる例として、著者は、ウィルデルス率いるオランダの自由党を挙げている。そのウィルデルス登場前に、メディアから注目されていたのがフォルタイン。が、日本に住む私たちは、他国の別の人物や政党を真っ先に思い浮かべるに違いない。しかし、彼らは特別な新しい存在ではなく、実は先例となる人物が他国に既にいたのだ。 既成政治に対する批判、不満の表明は、 それが法治国家の枠に収まる限りにおいて、意味を持ちうる。 しかし実際には、安全弁だと思っていたポピュリズムが、 かえって制御不能なほどに水を溢れさせるリスクもある。 現代のデモクラシーは、 ポピュリズムを巧みに使いこなせるほど成熟しているといえるのか。 慎重な見極めが必要だろう。(p.230)第二次世界大戦や太平洋戦争へと突き進んだ人たちを、声高に批判する私たちだが、イギリスのEU離脱を決定した国民投票や、トランプを大統領に選出した選挙結果は、後の時代に住む人たちに、どのように評価されるのだろうか。現在世界を席巻しつつある大きなうねりが、批判されることにならなければよいが……
2018.05.05
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2012年10月から2017年8月に『読売新聞』に掲載された 「古今をちこち」の文章を中心に 『潮』『新潮45』『ファイナンス』『玉堂清韻社報』『文藝春秋』 そして『朝日新聞』に掲載された60余りの記事をまとめた一冊。 各記事は、新書で3~4ページのコンパクトなもので、読みやすい。 大河ドラマや映画、さらにその出演者や関係者にまつわる文章も多く、 多くの人が興味もって読むことが出来る内容が目白押し。 古文書というものについても、認識を新たにさせられた。近年、「歴女」や「刀剣女子」等が話題になったが、古文書を通じて歴史の真実を探っていこうとする本著が、これほどまでに売れ、多くの人に読まれたことに驚かされた。世の中には、こんなにもたくさん歴史好きがいたのかと。 ***私的には、「中根東里と司馬遼太郎」が最も印象深かった。 肉親を失った者の哀しみには 「出る月を待つべし。散る花を惜しむことなかれ」と優しくいった。 貧富にこだわる者には 「水を飲んでも楽しむものあり。錦をきて憂えるものあり」と諭した。 中根の思想は大きい。 「人説」という文章を残し、 「天地万物は一体のもので、宇宙即ちこれ人。人即ちこれ宇宙」と説いた。 (p.215)日本にも、こんな人物がいたのかと、誇らしく思った。
2018.05.05
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