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「俺はヤクザに向かなかった・・・ってことなのかな」「俺は後悔してねぇ。・・・美藤のことだ。鈴蘭の負けは見えてた」「だからって言って刃物振り回していいってことにはならねぇぞ」時代に左右されることのないのは、青春期のカオスであろうか。誰もが自分の存在理由を突き詰めたいと思うし、自己主張したいと願う。逆に、自分を押し殺して決められた枠の中を這いつくばって生き抜く者もいる。何が正しくて、何が間違っているのか、杓子定規で計ったような正義に跪くのがイヤで、他人とは違うことをやって目立とうとする。ドロドロとしていて、混沌としていて、何も見えない、見ようとしない現状。それが青春だ。本作「クローズZERO2」は前作の続編であるが、やり場のない鬱屈したエネルギーを喧嘩という手段で発散していくプロセスは、何ら変わるものではない。頂点を取り、己の存在価値を自他ともに認めさせるべく日夜喧嘩に明け暮れる。そんな修羅場があっても良いだろう。2年前、鈴蘭高校のリーダー的存在であった川西は、鳳仙学園と戦った際、鳳仙の王者・美藤真喜雄をナイフで刺し殺してしまった。以来、少年院で服役していたのだが、ついに出所。川西の出所を待ち受けていたのは現在の鳳仙の王者・鳴海であった。かつて鈴蘭との抗争で命を落とした美藤の仇を討とうと、てぐすねひいて待っていたのだ。本作では小栗旬がとてもいい味を出している。ふて腐れたような態度や、どうしていいのか分からず途方に暮れる姿など、演技に込められた熱を感じた。グリコのCMでは大人になったイクラ役を演じたり、大河ドラマ「天地人」では石田三成役を好演し、今とても脂の乗った役者さんであることは間違いない。学校という限られた社会の中で、絶え間ない葛藤と軋轢の中をひたすら疾走する男子たちの姿は見ものである。青春真っ盛りのティーンはもちろん、大人たちも社会常識などに縛られず、我を忘れて鑑賞して頂きたい。熱い青春学園ドラマなのだ。2009年公開【監督】三池崇史【出演】小栗旬、山田孝之、やべきょうすけ
2009.11.23
「わりぃな。おめぇ倒さねぇと、鈴蘭のてっぺん取れねぇんだ」「鈴蘭にてっぺんはない。あんたが芹沢を倒したように、新しい奴が次から次へと出て来る。それが鈴蘭だ。その相手をしているうちに卒業ってことになる。制覇は夢となって消える」「それはどうかなぁ」今も昔も変わらないのは、マンガの世界におけるドラマ性とか勢い、あるいはユーモア力である。現実社会では到底起こりえないような事柄でも、マンガの世界では実に生き生きと瑞々しく表現されているのだ。また、そういう世界観につかの間の娯楽を求めてどっぷりと浸かるのも、日本人固有の醍醐味とも言える。本作「クローズZERO」で目を見張ったのは、何と言っても山田孝之の存在ではなかろうか。数年前、社会現象にもなった「電車男」では、冴えないアキバ系の男子を女々しいほど純朴に演じていた。あれから数年の間に、これほどまで変身するのかと思うほど男クサく、格好良くなった。 主役の小栗旬も、ルックスの面では申し分ないが、山田孝之の存在感に完全に呑まれてしまったような感もする。不良の集まる鈴蘭高校は、喧嘩の強い者が猛者となり、派閥を作り、他者を牽制し、全校統一をかけて争っているが、いまだかつて君臨する者はいない。主人公の滝谷源治は、父親が劉生会というヤクザの組長で、元鈴蘭高校の出身であるが、その父さえも全校統一出来ずに卒業していた。そんな父を越えるべく鈴蘭制覇に躍起になる源治は、宿命のライバル芹沢多摩雄と決闘を果たすべく、徐々に仲間を増やしていく。「クローズZERO」の何がおもしろいかと言えば、やはり一人一人の豊かな個性に溢れたキャラクター設定にあると思われる。中でも吟遊映人が個人的に好きなキャラは、群れない一匹狼的存在で、“別格”とされていたリンドマンである。群雄割拠の乱世を生き抜く周囲の生徒たちを冷静に見つめ、己のスタンスを貫き、孤高な学園生活を送るのだ。本作「クローズZERO」は、他にはない新しい形の熱き学園ドラマなのだ。2007年公開【監督】三池崇史【出演】小栗旬、山田孝之、黒木メイサまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.20

「(頭を思い切りゲンコツで殴る)痛いかっ!?」「いてーが!!」「・・・どんな馬鹿でもな、男には義理というものがある。その義理を欠くんでにゃあぞ(お金を渡す)」「わかった」浪曲でお馴染の森の石松の墓は、静岡県周智郡森町は大洞院の門前に建てられている。 遠州の小京都森町は、白壁の土蔵や遠州瓦の家がそこかしこに点在する。そこは、火伏せの神として祀られる秋葉神社へ通ずる街道の宿場町として栄え、その名残りなのか今なお道幅が狭く、家並みが入り組んでいる。森の石松についての伝承は、諸説ある中で、現在の浜松市浜北区において騙し討ちに遭い死亡という線が有力である。酒飲みの博打好きだが愛嬌があり、次郎長からはとりわけ愛された侠客の一人であった。 余談になったが、清水の次郎長を語る時、その子分である森の石松もまた語らずにはいられない。駿河国は清水に一家を構えるようになった若き次郎長は、喧嘩の仲裁などにより徐々にその名を近隣諸国に轟かせた。参謀役の大政、法印の大五郎、森の石松、追分の政五郎など個性豊かな子分たちにめぐまれ、渡世修行に余念がなかった。本作「次郎長三国志」は、過去にも何度かリメイクを繰り返され、さして目新しさはないというのが正直なところだ。だが、時代劇の中でしか見られなくなりつつある人情話やチャンバラ、駑馬の風景などはかえって新鮮味があり、思わず惹き込まれてしまう。次郎長役の中井貴一は、さすがに貫禄があった。セリフの一つ一つを粋に言い回すところなど、まるで舞台俳優然とした潔さが感じられた。また、次郎長の右腕という設定である大政役の岸部一徳も、侠客らしからぬ高潔なイメージで飄々とした演技を披露してくれた。「次郎長三国志」は、古き良き近代日本の歴史と伝統に触れたような、義理人情にあふれた時代劇作品なのだ。2008年公開【監督】マキノ雅彦【出演】中井貴一、鈴木京香、岸部一徳また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.17

「信じられない・・・光であふれてる。すべて光でできてるようだ。君にも見せたい」 「十分見せてもらったわ」「・・・どうかしたのか?」「一緒には行けない・・・ここまでが精一杯」マトリックス・シリーズも佳境に入っていよいよ最終章となる3作目。しかし本作も実に複雑極まりなかった。・・・いや、待てよ。ふと気付いてしまった。内容は概ねの理解で良いのではなかろうか、と。あるいは作中、ところどころに隠されているキーワードに気付きさえすれば、充分「マトリックス」効果を楽しむことができるのでは、と。誰もがお気付きのように、本作も含めた一連のマトリックス・シリーズには役者陣の熱演という雰囲気はあまり感じられない。(一部、ミフネ船長の熱い殉職シーンを除く)それもそのはず、監督の意向もあるのだろうが、映像と編集のテクニック、つまりデジタルという特殊技法を駆使することによる視覚的な面白さを全面に打ち出すことを主としているのだ。そのため、役者の過度なオーバーリアクションなどは不必要なのである。ネオは意識不明の状態が続いていた。しかしネオの脳波はマトリックスに侵入している時と同じ神経パターンを表していた。 実はネオは、マトリックスとソースの境界であるモービル・アヴェニューという地下鉄の駅に捕らえられていたのだ。そしてその場所は、トレインマンと呼ばれるプログラムに制御されていることを知る。 一方、モーフィアスのところに預言者から連絡が入る。そしてネオがモービル・アヴェニューで捕らえられていることをモーフィアスとトリニティーに告げるのだった。吟遊映人が注目したのは、ネオが閉じ込められてしまったモービル・アヴェニュー駅で出会った少女サティー(インド人ぽい顔立ち)と、その両親の存在する意味である。実はここを何度か巻き戻してセリフを検証してみた。その結果、次ようなことが推測できる。父親はリサイクルのプログラム(コンピュータ)であり、母親はプログラマーつまり人間(人類)である。よって少女サティーは、人間とコンピュータの混血であるということ。両親はそんなサティーを愛している。つまり、どんな形であれ愛することは普遍的なのである、と。これはあくまで吟遊映人個人的な考察なので、間違っていたらご容赦願いたい。一方、理屈抜きで愉快だったのが、クローン化したエージェント・スミスがわさわさと現れるシーン。あれだけの人数(しかも皆スミスばっかり!)に取り囲まれて決闘するネオのプレッシャーたるや、いかばかりか・・・!?何はともあれマトリックス・シリーズは、デジタルとアイデアを惜しげもなく注いだ、画期的なアクション映画なのである。2003年公開【監督】ウォシャウスキー兄弟【出演】キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ローレンス・フィッシュバーンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.14

「トリニティー・・・」「怖がらないで」「・・・君を失いたくない」「失うことはないわ。感じるでしょ? あなたを離さない」マトリックス・シリーズの2作目は、前作と比較しても歴然とした違いがあることに気付かされる。それは言わば“ロマンス”あるいは“ドラマ性”とでも表現すれば分かり易いだろうか。 そう、ネオとトリニティーの愛し合う2人の姿がクローズアップされているのだ。ややもすれば乾いた空間になりがちなSFアクションの中に、男女間の豊かな情感を取り入れることにより、内容に丸みを持たせる効果が期待される。そうは言いつつも、マトリックス・シリーズは一度観ただけではなかなか理解しにくい難解な内容であることは確かである。前作をかなり熟知した上で、本作の鑑賞をオススメしたい。まず吟遊映人が理解に苦しんだ点。それは、時間と空間がある種崩れたような感覚に陥ってしまったことだ。なにしろマトリックス・シリーズにおいて、時間の概念はもはや直線的なものではないからだ。過去の次に現在、そして未来・・・という時系列ではない。もっと平面的で、同時に様々なことが存在している。そしてそれは仮想、つまりバーチャルな世界であるということ。このしくみを解き明かすには、ある種のセンスが必要かと思われる。残念ながら吟遊映人は「たぶんこんな感じでこんな意味があってこんな風になったのかな・・・?」などと想像しながらの鑑賞となった。非常にあいまいな読後感に近いものがある。前作では救世主として迎えられたネオが、宿敵であるエージェント・スミスを倒したところで終わった。本作ではネオが愛するトリニティーを失う悪夢にうなされるところから始まる。現実世界に生き残ったわずかな人類の世界であるザイオンに戻ったネオ。つかの間の安らぎもままならず、倒したはずのエージェント・スミスがクローン化し、ザイオンに侵入していることが発覚。また一方で、マトリックスを支配するコンピュータ側は、ザイオンを総攻撃するべくセンチネルと呼ばれる破壊ロボットを25万体も送り出すのだった。見どころはなんと言っても高速道路におけるカーアクションシーンであろう。手に汗握る見事な銃撃戦であった。さらに、トリニティー役のキャリー=アン・モスは、本当に知的な美しさで視聴者を魅了してくれる。カナダ国籍の女優さんだが、最近では「ショコラ」に出演しジョニー・デップと共演を果たしている。今後ますます期待できそうな大物女優なのだ。2003年公開【監督】ウォシャウスキー兄弟【出演】キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ローレンス・フィッシュバーンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.11

「マトリックスは社会だ。敵は社会だ。その中にいるのは・・・ビジネスマン、教師、弁護士、大工・・・我々が救おうとしている人々だ。だが今はまだマトリックスの一部で・・・つまり敵だ。彼らはまだ真実を知る準備ができていない」「マトリックス」という作品は、あらゆる側面から話題になった映画である。特に印象的なシーンと言えば、何と言っても、エージェント・スミスが撃った弾丸をネオ(キアヌ・リーブス)がエビ反りになって避けるというあの名場面だ。なぜここまでインパクトがあったのかと言えば、おそらく誰もがお気付きのはずだが、実際には見えるはずのない弾丸がどこをどう通り抜けて行ったのかスクリーンに映し出されてしまった点にあるようだ。何かの雑誌に書いてあったのを思い出したのだが、西部劇などは銃を撃ったカットの次に撃たれた人のカット(よろよろと倒れるシーンなど)につながり、視聴者はそれを見て「ああ、あいつが撃たれて死んだ」と知るのである。つまり、目に見えないほどの速さである銃撃シーンにおいては、その手法こそがアクション映画の王道であったのだ。ところがそれを見事に打ち破ったのが本作「マトリックス」であった。この演出は、実に衝撃的な弾丸避けのシーンとして語り継がれるようになる。大手企業のコンピュータ・プログラマーであるトーマス・アンダーソンは、一方で天才ハッカー・ネオという裏の顔を持っていた。ある晩、ネオのところに“白ウサギについて行け”というメッセージが届く。ネオは謎の美女トリニティーに導かれるまま、さる人物のところまで案内される。その人物はモーフィアスと言い、ネオに恐るべき真実を語り始めるのだった。それは何と、今まで現実と思っていた世界が、実は仮想現実でしかないということであった。ところで「マトリックス」という語源だが、ラテン語で子宮を表す言葉とのこと。つまり、何かを生み出す母体という意味なのだとか。とすると、本作は機械(コンピュータ)によって養殖される人類のことをテーマとしているのだろうか?端正な顔立ちでどこか薄幸そうな雰囲気を漂わせる天才ハッカー・ネオ役のキアヌ・リーブスは、正にこの役を演じるために生まれて来たようなベスト・キャスティングである。複雑なSF・アクションの世界にぐいぐいと惹き込んで行く、得体の知れない魅力に溢れる役者さんだ。現代の銃撃戦を最新の映像と演出で楽しませてくれる、秀逸の作品なのだ。1999年公開【監督】ウオシャウスキー兄弟【出演】キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.08

「時間じゃない、不十分なんだ!・・・最後の1発だよ!」「弱すぎる?」「(そうだ)30%アップしないと」「プルトニウム3キロ・・・無理だ・・・!」SF・パニックというカテゴリにくくられるこの作品は、人類の生存がどれだけ恐怖と苦悩の上に成立しているのかを表現している。その証拠に作中では、地球存亡の危機を救うために召集されたスペシャリストたちが、地球のコアに到達する過程において、一人また一人と殉職を遂げていくからだ。このストーリーテリングは確かに新感覚とは言えないまでも、人類の可能性と存在意義を問い直す上で、実にまとまったSF・パニックにセッティングされている。ある日ボストンで心臓にペースメーカーを付けていた32名が突然死してしまった。その後、ロンドンでは鳩が異常行動を起こし、暴走。また、出現するはずのないオーロラが発生。世界中が大混乱に陥ってしまう。この件に関して、シカゴ大学の教授であるジョシュ・キーズは、地球の核の回転が停止してしまったせいであると理論付ける。このままだと1年後には地球が滅亡すると言う。地球存亡の危機のため、世界中の科学者たちが召集されるのだった。「ザ・コア」には、結末の意外性や謎解きなどはほとんどない。しかし地球の外側、言わば宇宙に関心事を求めることなく、地球の内側である核(コア)にその原因があるとするスタイルは、何か暗示めいたものを感じさせる。本作の出演者にヒラリー・スワンクがいるが、この女優さんは本当にたくましい演技を見せてくれる。「エイリアン」に登場するタフなヒロインのリプリーみたいなものかもしれない。か弱く守られるだけの女ではなく、男性と対等にあり、いつもバランスの取れた位置に存在し、身の丈に合った愛情を注ぐ・・・そんな女性像を見事に演じている。「ザ・コア」は、自己犠牲と社会貢献、そして何より愛する人を救いたいと願う気持ちが濃密に凝縮されて完成したかのような映画である。2003年公開【監督】ジョン・アミエル【出演】アーロン・エッカート、ヒラリー・スワンクまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.05
「君のボスは大したプレーヤーだな」「ズルをやったのさ」「では金は払わん。もう一度やって決着をつける」「あなたは金を持っていない。(これは)あなたの財布だ。ショウが女にスラせたんだ」 コメディ映画と言うと、ややもすればチャップリンやキートンを連想しがちだが、モダニズム時代までさかのぼらず、70年代のニュー・ハリウッド時代におけるコメディ映画のことである。本作「スティング」の見どころは、小気味良いセリフの掛け合いや、体を張ってぶつかり合うことから生まれるお笑いとは違い、そのストーリー性にある。「スティング」のストーリー構成は実にはっきりとしたもので、“プレーヤーたち”“段取り”“引っ掛け”“作り話”“電信屋”“締め出し”“とどめの一撃”と言った具合に起承転結が見事に区分されている。この仕掛けられたお笑いは、コメディ映画に抵抗のあるインテリな視聴者にも充分満足感を与えてくれる内容に仕上がっている。舞台は1930年代のシカゴ。違法賭博の売上金を持ったモットーラは、路上で強盗の現場を目撃。黒人男性から巻き上げた財布を持って逃げて行く男、そしてその場を偶然通りかかった男性、さらにナイフで足を刺されて身動きの取れない黒人男性が視界に入る。通りすがりの男性が機転を利かして犯人めがけてバッグを投げつけ、慌てた犯人が財布を落として退散。その財布は無事に黒人男性のもとに返されるはずだった。しかし彼が言うには、約束の4時までにその財布の金を顧客に渡さなければ流用したと思われ、殺されてしまうとのこと。だが彼は足を刺されて立ち上がれない、そこで・・・。ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンの二大スターの共演というのは見逃せない。特に本作ではアカデミー作品賞他6部門を総なめにし、ハリウッド・スターとしての立ち位置を不動のものにした作品でもあるのだ。甘く切ないマスクで売り出された二枚目スター、ロバート・レッドフォードが、若い詐欺師の役というのも実にユニーク。女性ファンのみならず、幅広い層の支持を集めることにも成功した。完成度の高い、優れたコメディ映画なのだ。1973年(米)、1974年(日)公開【監督】ジョージ・ロイ・ヒル【出演】ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.02
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