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「私の指を全部へし折ってちょうだい。(それで)ピアノを弾けなくして」「弱音は君らしくないぞ。(中略)オエッとできるか?」「オエッ・・・!」「お見事!(笑) 完璧だ」「コーラを飲んだの」「いいか、(ピアノの)練習の間、何度もオエッとやれ」好きなサスペンス映画にも様々な種類があって、その中にも自分好みのものやそうでないものに分かれる。本作「マイ・ボディーガード」は、吟遊映人好みだ。なんと言ってもグイグイと視聴者を惹き付けるストーリー展開は見事。これは脚本家の腕前であろうか。さらにカメラワークが良かった。臨場感があって、視覚効果にあふれていた。そしてなんと言っても役者陣の迫真の演技はどうだ!子役の健気さと言ったら現実と演技の境界が分からなくなってしまったほどだ。とりわけ印象的なのは、誘拐犯から解放されたピタが、迎えに来ていたクリーシーの方へ駆け寄りながら「クリーシーっ!!」と叫ぶシーン。思わず目頭が熱くなった。そのピタをしっかりと抱きしめるクリーシー役のデンゼル・ワシントンの、心からホッとしたような、実に穏やかな微笑みを浮かべるのだが、とても演技とは思えなかった。治安の悪いメキシコシティーでは、身代金目的の誘拐が横行していた。裕福な家庭は言うまでもなくターゲットにされ、ボディーガードを雇うことが常識とされていた。会社を経営するラモスは、業績が芳しくなく、ボディーガードを雇うことに消極的であったが、誘拐保険更新のためにその場しのぎで新しいボディーガードを雇うことにした。ラモスには9歳になる娘ピタがいて、小学校や習い事に行くまでの送り迎えにボディーガードを必要とした。雇われることになったのは、元軍人でアル中のクリーシーという黒人だった。この作品を観たことで、初めて"誘拐保険"なるものがあることを知り、驚いた。また、身代金目的の誘拐事件が日常茶飯事に起きているメキシコシティーの政情不安も目の当たりにした。他国の不幸を引き合いに出して、己の現状をありがたく思うのは失礼な話かもしれないが、それでも我々の住む日本が比較的住み易く平和な国であることを改めて感謝せずにはいられない。痛みと切なさを伴うサスペンス映画であった。2004年公開【監督】トニー・スコット出演】デンゼル・ワシントン、ダコタ・ファニングまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.28
「旬太郎、俺・・・会社辞めて女房と一緒にいること、後悔してないんだ。幸せってな、自分の気持ちに嘘つかないで生きることだって・・・この歳になってようやくわかったよ」ホームドラマは、どんな時でも我々庶民の味方だ。派手なアクションやスリリングな場面からは程遠いけれど、お茶の間で肩の力を抜いてあっさり風味で軽くいただくスナック菓子のような役割を持っている。本作「築地魚河岸三代目」も青春コメディ、あるいはラブコメディのようなジャンルに区分され、視聴者に優しい作品に仕上がっている。原作はマンガのようだが、映画ではキャラクターのそれぞれに個性を持たせ、誰一人として浮いた存在を作らない自然な演出を心がけているように思えた。東京は青山に本社を置く商社に勤務する赤木旬太郎は、上司からリストラ対象者の名簿を渡されていた。その中にはかつて世話になった上司の名前も含まれていて、リストラの宣告をすることに思い悩む。一方、恋人の明日香が早朝から自転車に乗ってどこかへ出掛けるところをたまたま目撃し、追いかけてみたところ、なんと築地市場の仲卸「魚辰」の一人娘であることが判明。しかし、明日香が装飾デザイナーの仕事と家業を掛け持ちでがんばっている姿に心動かされる。旬太郎は足手まといを承知の上で、市場の手伝いを始めるのだった。主人公の旬太郎役を演じた大沢たかおだが、この役者さんは主婦層にとりわけ支持されている。甘いマスクに高身長、洗練されたファッション感覚などが人気の所以かもしれない。そんな彼のモデル時代からの熱狂的なファンも、今は子を持つ主婦となり、役者として活躍する彼を影ながら見守り続けている図式になるのだろうか。大沢たかおの代表作に、「世界の中心で、愛をさけぶ」「ミッドナイト・イーグル」「解夏」などがある。どの作品も大沢たかおの持ち味をグッと引き出してくれる要素のある、すばらしい映画であった。本作「築地魚河岸三代目」も、例外ではなく、二枚目半のキャラを大沢たかお独自の世界観で、イヤミのない魅力的な主人公に仕立てている。また、彼を取り巻く魅力的な脇役陣も見逃せない。ハートウォーミングなホームドラマなのだ。2008年公開【監督】松原信吾【出演】大沢たかお、田中麗奈また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.25

【マンデラの名もなき看守】「看守の息子が大学生とは驚いた」「マンデラ(の影響)だ。子どもたちを大学に行かせたまえ。教養ある若者が必要だ。彼らは未来の指導者だ、と。・・・元気か?」「君のことを聞きたい。少し老いたが、それはお互い様だ」吟遊映人がいそいそと借りて来たDVDを観るにつけ、いつも思うことがある。それは、作品を通して無意識のうちに我々の「社会」を感じているということだ。現代社会を感じることで、時代の流れや思想・歴史観を学んでいるのかもしれない。難解な社会学としての学術書や思想入門などを読んだところで、どれだけの知識を吸収することができるだろうか。中身を理解することもなしに、歴史や人間の何たるかを語ることなどできない。そう考えると、映画という娯楽はなんと大衆的で、それでいて奥の深いポップ・カルチャーであることか。わずか2時間の映像の中に様々な要素がぎゅっと凝縮されているのだから、思い切り楽しみ尽くさなくてはもったいない。本作「マンデラの名もなき看守」は、人種差別が根強く残る南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラと、看守グレゴリーとの交流が物語の要ではあるが、この作品に潜むテーマは実に教訓的で、現代を生きる我々に自戒を促すものとなっている。1968年、南アフリカではアパルトヘイト政策により反政府運動の活動家たちが日々弾圧を受けていた。黒人指導者であるマンデラに加担する者たちは、謂れのない罪で不当に逮捕され、投獄されるのだった。そんな中、刑務所の看守として働くグレゴリーはロベン島の刑務所に赴任した。そこにはマンデラが投獄されていた。グレゴリーはコーサ語を話すことができたため、黒人たちの会話や文書をチェックし、スパイの役割を果たしていた。だがマンデラと交流を持つうちにグレゴリーは政府に対するそれまでの思想・概念に疑問を抱き、マンデラに特別な感情を持ち始めるのだった。一見、本作は白人に虐げられて来た黒人の謂れなき人種差別をテーマにしているかのように思える。もちろんそれも含まれている、が、それだけではない。作中、グレゴリーはマンデラから彼の妻にチョコを渡してくれるように頼まれる場面がある。グレゴリーは躊躇しながらも、クリスマスということでこっそり渡す。ところがそのことが後に発覚。問題視されて同僚や上司から総スカンを喰らうのだ。それはもう差別以外の何ものでもない扱いを受ける。つまり、人はその時の状況や立場により差別する側にも、差別される側にも成り得るのだというテーマが潜んでいるのだ。本作は、傍観者になりがちな現代社会を生きる我々に、正しく過去の歴史を把握することを訴えているような気がしてならない。社会派ヒューマン作品として秀逸の映画なのだ。2008年公開【監督】ビレ・アウグスト【出演】ジョセフ・ファインズ、デニス・ヘイスバード、ダイアン・クルーガー
2009.09.22
「何が欲しい? 何が欲しいか言え。彼女の安全を約束すれば俺がかなえてやる」「俺が欲しいのは・・・お前だ。2人きりで話せば分かると思って来たんだ。お前だけが本当に俺を理解してた」90年代に入って話題を呼んだサスペンス映画に「羊たちの沈黙」があげられるが、もう一つある。それは「氷の微笑」である。「氷の微笑」という作品には、不確かな犯人像と混乱したシナリオ構成のおかげで、実に多くの賛否両論があった。本作「ザ・ウォッチャー」は、「氷の微笑」のような複雑な謎解きや犯人捜しは含まれていないが、一種異様なオチでしめくくられる脚本には若干類似性を感じさせられた。まず混乱してしまったのが、犯人であるグリフィンが実は男色だったということ。そして、どうやら主人公のキャンベルもグリフィンの異常な執着心が自分に向けられた歪んだ愛情なのではと、薄々気付いていた点である。このどんでん返し的なストーリー設定は、サスペンスとしてはある意味異例とも言える展開であった。FBI捜査官のキャンベルは、心に傷を負い、週に2回のカウンセリングを受けている。きっかけはロサンゼルスに在住の際、担当していたグリフィンという連続殺人鬼に恋人を殺害されたことで、その苦悩から抜け出せないでいたのだ。結局キャンベルはグリフィンの担当を降り、シカゴに転勤。ところが執念深いグリフィンはキャンベルを追ってシカゴにやって来る。そして孤独な女性ばかりを狙い、再び連続殺人の犯行を重ねて行くのだった。本作を“サスペンス”や“スリラー”の観点からのみ見てしまうと、おもしろさが半減してしまう恐れがある。ポイントは、犯人グリフィンと主人公キャンベルとの間にある不思議な関係を、視聴者がどのように捉えるのかでだいぶ変わって来ると思う。孤独な男の孤独な殺人の物語と捉えるのか、あるいは歪んだ愛情表現として繰り返される連続殺人と捉えるのか。半ば壊れた犯人像を追求していくと、現代社会の裏事情が垣間見えて来るかもしれない。 犯人役のキアヌ・リーヴスが、迫真の演技で作品を盛り上げている。2000年公開【監督】ジョー・シャーバニック【出演】キアヌ・リーヴス、ジェームズ・スペイダーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.16
「金星(ビーナス)というのは昔の人が見た目の美しさでそう名付けたの。でもその実態は毒ガスと硫酸雨だって。・・・そう聞いてすごく興味を覚えた。この銀河だけで4000億もの恒星が存在してるのよ。恒星の百万に一つが惑星を持ち、惑星の百万に一つに生命があり、全宇宙には数百万の文明があるはず」「そうでなかったら空間(スペース)がもったいない」本作は正に、ゼメキス監督の代名詞、あるいはゼメキス監督“らしい”作品である。この監督は一貫して失われた時間とか過去の記憶などをテーマにしている。例えば主人公エリーは、幼くして父親を亡くしている。大好きな父親との過去に囚われるあまり、実存的なものは信頼しながらも抽象的なもの(神など)に対して距離を置いている。それは学者としての立場から生ずる理屈なのかもしれないが、妙に意地を張っているようにも見える。これはおそらく、過去との折り合いがきちんと成されていないため、次なる一歩が踏み出せないエリーの苦悩を表現しているようにも思えた。エリナー・アロウェイ(エリー)は、生後間もなく母を亡くし、9歳で父も亡くしてしまう。しかし、その父から無線機の扱い方や星座の見方など、様々なことを教わり、学習した。 そんな幼いころの体験がきっかけとなり、天文学の研究者となった。エリーはSETIプロジェクトという宇宙文明の存在を検知することを目的としたチームに所属しているが、天文学の権威ドラムリンによって研究費を打ち切られることになってしまう。ところが後日、独自で探査を続けていたエリーは、ついにヴェガから発信し続けられる電波信号を受信。大騒動となる。まず驚いたのがヒロインであるエリー役を、オスカー女優でもあるジョディ・フォスターが演じていることだ。彼女のこれまでの出演作品を考えると、時代を映し出す鏡となるような、いわば社会派映画に多く出演して来たこともあり、ここへ来てSF映画に出演というのはちょっと面食らってしまった。ジョディ・フォスターという女優さんは、もともと頭脳明晰でチャレンジ精神旺盛の人物である。そんな理由からも、あらゆるジャンルの映画に体当たりでぶつかって行こうとする姿勢が感じられる。おそらく「コンタクト」もそんな揺るぎないポリシーゆえの出演ではなかろうか。いずれにしても女優としての新境地を匂わせる作品となっている。1997年公開【監督】ロバート・ゼメキス【出演】ジョディ・フォスター、マシュー・マコノヒーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.13
「場所を指定してくれ。明日会おう」「あなたには2年後よ」「分かってる。待つさ!」「本気なの?」「この想いは揺るがない」「じゃ“2年後”に」「“明日”だ。待ち合わせはどこがいい?」「“イルマーレ”」いつのころからだろう、“韓流”という言葉をそこかしこで耳にするようになったのは。 それもそのはず、韓国人スターらのハリウッド進出には目覚しいものがあるし、それだけの教養・演技力・ルックス全てにおいてハリウッドスターらに負けてない。「イルマーレ」はオリジナル版が韓国映画であり、今回観たのはそれをリメイクしたハリウッド版の方である。韓国の作品がにわかに注目を集め、日本でも年々評価が高くなっているのだが、もともと映画というのは過去の記憶の繰り返し、そして先端技術の導入による更新なのだ。斬新さよりも見慣れたラブロマンスやヒューマンドラマに共感を得るのは、大衆の心理ではなかろうか。そんなところから本作「イルマーレ」は、年齢を問わず支持される作品となった。湖畔に建つガラス張りの家から引っ越すことにしたケイトは、シカゴの病院で医師として働いている。ケイトは郵便物の転送を頼むために、次の住人宛てに手紙を残したところ返事が届く。 新しい住人はアレックといい、建築設計士であった。数回の手紙のやりとりから、アレックはケイトが2年後の世界にいることを知るのだった。基本的に映画とはメガホンを取った監督のものであるとされているが、「イルマーレ」などのストーリー性の強い作品を観ると、やっぱり脚本家に興味が湧いてしまう。監督の力量とシナリオが同じ方向性を取って、上手い具合に絡んで完成すれば、素晴らしい映画になるのは間違いない。そこに抜擢された役者も視聴者の求めるようなイメージ通りに演じてくれれば、正に申し分ないというわけだ。そういう観点から「イルマーレ」を堪能すると、どれを取ってもバランスが保たれており、安心して鑑賞することのできる作品なのだ。2006年公開【監督】アレハンドロ・アグレスティ【出演】キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロックまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.10
「薄らバカの次の犯行をクサって待つだけなんて・・・!」「犯人は薄らバカじゃない」「大バカだよ。今ごろバアさんのパンティはいて踊ってる。ナニをしごいてね・・・違うか?」サスペンス映画に転機を迎えたのは、やっぱり90年代に入って公開された「羊たちの沈黙」あたりではなかろうか。単なる悪党の、金欲しさによる殺人とか恨みつらみを晴らすための復讐とか、これまでの犯人像を大きく揺るがしたのがハンニバル・レクターであった。本作「セブン」もそういう意味で、犯人は超人的な意思と信念に支配される男であった。 「セブン」における犯人は、キリスト教の“七つの大罪”をもとに、神への生け贄を捧げるべくして次々と殺人を繰り返していく。あるいは生け贄ではなく、人を罰しているのかもしれない。そうすることで、犯人は社会に警告しているつもりになっているのだ。日本では“人の噂も七十五日”ということわざがあって、世間を取り巻く話題や人の記憶がいかに曖昧で軽薄なものであるかを謳っているが、「セブン」の犯人はその記憶を忘れがたい鮮烈なものとして刻み付けるため、ある仕掛けを施したのだ。大都会での殺人事件は日常茶飯事のことだった。野心家の新人刑事ミルズは、手柄を立てたいと志願して治安の悪いこの街へやって来た。 退職を控えたベテラン刑事サマセットのもとで、早速難事件に取り掛かることになった。 事件現場はとあるアパート。異常なほど肥満した男が汚物にまみれ、スパゲッティの中に顔を埋めた状態で死んでいた。犯人が書き残した“大食”に一体どんな意味が隠されているのか、サマセットはこの事件が連続殺人のスタートであることを予測するのだった。通常のサスペンスモノならば、犯人が捕まるか、あるいは殺されるかしてジ・エンドである。ところが「セブン」は違った。知能犯の仕掛けた策略にまんまとハマってしまったミルズは、愛妻の生首が送り届けられたことで怒り狂い、犯人を射殺。犯人が意図したのは、若夫婦への“嫉妬”そしてミルズの烈しい“怒り”。犯人は見事に“七つの大罪”を成し遂げたという結末なのだ。正直、決して後味の良さはない。暗く陰鬱で絶望的なムードの漂うラストである。しかし、これまでの既成概念を崩し、新たなサスペンス作品の境地を切り開いた本作は一見の価値がある、非常に完成度の高い映画であった。1995年公開【監督】デヴィッド・フィンチャー【出演】モーガン・フリーマン、ブラッド・ピットまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.07
「私を見ろ! 君を助けたいんだ!」「心から出て行け」「君自身まで危険になるぞ。・・・私が力になる! 君はパワーに支配され愛するスコットを失った」「イヤ! やめて!」前2作ではブライアン・シンガー監督がメガホンを取ったこともあり、かなり知的面で仕掛けられた作品であった。言わば社会的マイノリティーのあり方を問う、リベラルな闘いがそこかしこから感じられた。本作は、シンガー監督が降板したことでだいぶ趣が変わった。前2作に比べると、よりドラマチックでストーリー性を重視した運びになっている。前作で死んだかに思われたジーンが発見され、さらに彼女が絶大な特殊能力の持ち主であることが判明。そんなジーンの能力が邪悪なものに支配されようとしている。そこでローガンは彼女を愛するが故に涙を呑んでジーンを殺害する・・・このくだりはシェイクスピアか何か、文学の香りさえ漂うのだ。(あるいは壮大な叙事詩のような趣さえある)大企業ワージントン社の社長は、ずっと部屋にこもりきりの息子を心配して何度か呼びかける。息子のウォーレンは自分の背中に異様なものが生え出そうとしていることに苦悩し、ナイフで削るなどして体中を血だらけにしていた。父親はいよいよただ事ではないと無理矢理部屋をこじ開けてみたところ、息子の背中に翼が生え始めようとしている光景を目の当たりにする。それは紛れもなくミュータントである証拠であった。一方、アルカリ湖で亡くなったはずのジーンが発見された。しかしジーンには恐るべき能力があった。彼女は二面性の人格を持ち、邪悪な一面をチャールズ・エグゼビアによって抑制されていたのだが、なんとその人格が覚醒してしまったのである。本作でポイントと思われるのが、ミュータントの能力を消し去る治療薬“キュア”が開発されたという点である。まるで少数派であることが病気か何かであるような扱い方なのだ。それを良しとするのか否か、視聴者に問題提議する形を取って行くのかと思いきや、やはりネガティヴな問題だけのことはあり、さらりと流している。一方、プロフェッサーXの殉職やローガンの勇気ある決断が物語の大きなクライマックスとなってメリハリを与えている。アクションシーンも満載で、最終章に相応しいSF映画であった。追記:サブタイトルの“ファイナルディシジョン”に踊らされて、本作が最終章かと思いきや、X-MENシリーズはこの後も続きます。遅ればせながらその旨を最近になって知りました。管理人の勉強不足、何とぞご容赦下さい。2006年公開【監督】ブレット・ラトナー【出演】ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.05
「サーカス団員以外の人間は俺を恐がったが、憎くはなかった。むしろ憐れんだ。理由・・・なぜだと思う? 彼らは自分の目で見ること以外何も知らずに生きてくから」「私は憐れみなどとっくに捨てたわ」「君のような美人に怒りは似合わない」「怒りは生きる力になるわ」前作に引き続き、人類とミュータントとの間に起こる様々な摩擦を問題にした2作目。 本作を観て、直感的に思った感想を言ってしまおう。それは、アメリカを襲った9.11事件の影を色濃く落としているのでは、という点である。これまで人類と突然変異のミュータントがそれぞれの持ち味を生かし、平和的に共存しようではないかというテーマが中核にあった。これを現実社会に置き換えてみると分かり易い。様々な人種がそれぞれの文化・宗教を認め、平和的に解決していこうということである。 だが、例の9.11事件である。あの事件をきっかけに世論は激しく動揺した。「やっぱり上手くいきっこない」「○○○民族は敵だ! やっつけてしまえ!」という具合になってしまったのである。「X-MEN2」でもそれが反映されているのか、「やっぱりミュータントは敵だ! やっつけてしまえ!」的な、人類VSミュータントの図式に変化しているのだ。テレポートの能力を持つミュータントが、ホワイトハウスを襲撃する。やっと人類とミュータントが平和的に共存しようとする矢先の事件であった。反ミュータントを推進する対策担当官のストライカーが、ミュータント撲滅のためにプロフェッサーXを監禁してしまう。その間、ストライカーはミュータントの学校を突き止め、捕獲作戦に出るのだった。一方、人類を滅ぼそうと企てたマグニートーは幽閉されていたが、一味の手助けにより脱出。再び人類への憎悪を加速させていくのだった。本作における“ミュータント”を、“よそ者”とか“少数派”という言葉に置き換えてみたらとても分かり易いのではなかろうか。地球という同じ舞台で複数の人種、複数の文化が平等にスポットライトを浴びる日が来るのか・・・?それは、今を生きる我々の永遠のテーマなのかもしれない。2003年公開【監督】ブライアン・シンガー【出演】ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.03
「大丈夫、おれだよ」「証明しろ」「お前はクソ」「(フン)いいだろう」「ギャング・オブ・ニューヨーク」を観ても分かるように、アメリカという国はその成り立ちからして、同じ国土を多数の人種が分かち合うことを余儀なくされた。その場合、文化も違えば信仰する宗教も違うため、一方の人種が他方の人種を支配することで統一を計ろうとして戦争が起こる。しかし、そのリスクと犠牲たるや莫大なもので、多くの人命が失われ、差別が生まれた。 そこで現代は、それぞれの人種・文化・宗教を認め、共存していこうとするスタイルに変わりつつある。なぜ吟遊映人がこんなことを話題にするかと言うと、「X-MEN」はそんなアメリカの多文化主義の象徴ではなかろうかと思うからだ。つまり大まかに言ってしまうと、人間とミュータントがそれぞれの特性を尊重し、共に生きていこうではないかというテーマが見て取れるのだ。マーベル・コミック社から出版された同名マンガである「X-MEN」は、単なるSFマンガとは一線を画す、奥の深い近未来マンガなのだ。近未来、突然変異のミュータントは、人間から様々な迫害を受けていた。自分が何者であるか分からないまま、一匹狼として旅を続けているローガンもミュータントで、指と指の間から鋭い超合金の爪が出て来るのだった。ある時、心に傷を負った少女ローグと出会う。ローグは触れた相手から生命力を吸い取ってしまうという特殊な能力を備えたミュータントであった。そんなローグの力を虎視眈々と狙うのは、同種のミュータントでありながら悪の道を進むマグニートーであった。「X-MEN」は、人間VSミュータントという図式ではない。ミュータント同士の争いとして捉えた方が良い。一方は人間との共存を望み、他方が人間を支配しようと企む同種族の抗争だ。これが一体何を意味するのか?思うに、共存・共生を唱えることは簡単だが、なかなかキレイゴトでは済まされないという現実を、暗に物語っているような気がする。本作をどのような視点で捉えるのか、それは各人にお任せしたい。一人で観るにはもったいない。友人やファミリーと共に鑑賞し、作品についてあれこれディスカッションしてみる価値のある一作なのだ。2000年公開【監督】ブライアン・シンガー【出演】ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.01
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