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2013.10.04
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テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
20131004

【日本経済新聞 春秋】

A・ガードナーという英国のコラムニストが書いている。「人間というものは、いくつかの習慣に上着とズボンを着せたような存在である」(行方昭夫訳)。そう、人生のほとんどは「いつものように」過ぎていく。しかし、そこに割り込んでくる何事かも、またある。

父の会社で働き、父の運転する車でともに外回りをし、会社に戻る道々遮断機が下りた踏切で電車が通り過ぎるのを待つ。そこまではいつもとなにも変わらぬ日常だっただろう。だが、そこで村田奈津恵さん(40)は線路に横たわる男性(74)を見つけ、車を飛び降りて踏切内にはいり、男性を救って自らは命を落とした。

「助けなきゃ」。父が止めるのを振り切った奈津恵さんの、それが最後の言葉だという。たしかに人間は習慣が衣服を着たようなものかもしれない。が、それだけではない。前触れもなしに人生に割り込んでくるできごとにどう向き合うか。咄嗟(とっさ)だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく。そんなことを考えさせられる。

糸井重里さんに「ひとつ やくそく」という詩がある。「おやより さきに しんでは いかん/おやより さきに しんでは いかん/ほかには なんにも いらないけれど/それだけ ひとつ やくそくだ」。子を思う親の真情はいくつになっても変わらない。目の前で娘を失った父の無念もまた、思わざるを得ない。
(10月3日)

~~~~~~~~



いまどきこれほどまでに尊い行いがあるのだろうか、ニュースで一報を目にしてそう思った。翌日、数紙で詳細を読むにつけその思いはいっそう深まり、これこそが慈悲であるのかと確信した。
そして村田奈津恵さんの慈悲深い行いに対し感謝の念が心の奥底から湧いた。翻って我が身を省みて思った。咄嗟にしても熟慮の末にしても同じ行いは絶対に出来なかったはずだ。私は感謝の念と同じだけ恥じ入った。

最澄が上奏したいわゆる山家学生式(さんげがくしょうしき)にこうある。

悪事向己 

好事與他

忘己利他

慈悲之極


書き下し文にするとこうだ。

『悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。』

我々は人として善意を思うとき「悪事を己に向え、好事を他に与え」ということは意識の中で保つことが出来よう。それは我慢や修行といった言わば自分との戦いの中にある意識下の出来事なのだ。
ただ「己を忘れて他を利する」ことはその結果であり易いことではない。春秋は『咄嗟だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく』と書く。つまり、日々どれだけ我慢ができたか、どれだけ修行をつむことが出来たか、そういうことであり、またすべての意識を超越した行為になる。
最澄はその域に達した人を「慈悲の極みなり」といった。

村田奈津恵さんは慈悲の人であった。慈悲の極みを為した人であった。
あらためて村田さんに感謝を申し上げ、少しでも「忘己利他」に近づけるように日々の精進を重ねようと深く誓うものである。
村田さんに衷心の合掌を捧げます。


ただただお悔やみを申し上げるのみであるが、我が心を寄り添わせていただく。
一切の生きとし生けるものは永遠であれ、安穏であれ安楽であれ。合掌。

20130124aisatsu





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最終更新日  2013.10.05 06:02:55


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