先日、ボストンに来たばかりという方が我が家に遊びにいらしたのだが、実は日本で私の親友であるA子ちゃんと同じ会社だったということが判明した。A子ちゃんとは、おふらんすでの小学校1年生以来の付き合いである。最初の出会いはサマーキャンプ。出発の日、親としばしの別れってことで、A子ちゃんは汽車の窓辺に坐って涙を流していた。その後、9月の新学期になって、A子ちゃんが私の小学校に転校して来た。それ以来、細々とながら近況報告をし合う仲で、この前も里帰りした時にルナに会いにきてくれた。 さて、おふらんすのサマーキャンプ、colonie de vacances とか言うのだが、これがハンパじゃなかった。2泊3日とかじゃなくて、1ヶ月近くもあった。弱冠6,7歳の子供が1ヶ月近く親元から離れて暮らすのである。A子ちゃんが汽車の窓辺で涙を流すのも無理なかろう。しかし、我が子をあえて崖に突き落とさんばかりのうちの親も、さすがに最初と2回目は日本人だけのサマーキャンプに出してくれた(それでも1ヶ月だぞ、1ヶ月)。パリの日本人補習校の主催で、スイスに近い国境の、まるでアルプスの少女ハイジの世界のような村の山小屋に寝泊りして、午前中は日本の教科書でお勉強、午後は山登りなどをするという生活であった。親に手紙を書いたのは恐らくこの時が初めてであろう。私はパリの現地校に通っていたので日本の勉強が遅れていて、算数がまるで分からなくて途方にくれたこととか(私の算数・数学嫌いはここから始まった)、山小屋のフランス人のスタッフが作ってくれたおにぎりが日本のものとはかけ離れていた味だったことや、部屋の外から見える放牧牛がやかんをひっくり返したような大量の放尿をするとか、そういうどうでもいいことだけ覚えている。3度目の夏は、フランスの学校主催のキャンプに行った。こっちは、勉強など一切なくて一日中遊びオンリー。日本人だけのキャンプは、やはり日本式に細かくスケジュールが組み込まれていて、しかも、全員同じことをやっていたような気がするが、おふらんすの方は、いちおう大まかな時間割みたいのはあっても、自分が好きなものに参加するだとかでもっと自由だったような気がする。山小屋の裏が「大草原の小さな家」のテーマソングのときに出てくる草原みたいに、だだっ広い遊び場になっていて、そこで鬼ごっこをしたり、工作の時間があったり、歌を歌ったり。食事はどうだったんだろう?私としたことが記憶にない。パリからだけではなく、南仏からも子供が集まっていたのだが、南仏の子供達にはおフランス語に訛りがあって、最初、て・ふれじえ?って聞かれて、何のことかサッパリ分からず。そのうち、て・ふらんせーず(あんた、フランス人)?って聞いているらしいということが何となく分かった。3度目の夏ということは、すでに3年近くおふらんすに暮らしていたことになるのだが、新たなカルチャーショックもいくつかあった。参ったのは、頭が好きな時に洗えなかったこと。1ヶ月いたうち、洗えたのは真ん中あたりの1回のみ。それも、シャワーの排水口に髪の毛がたまるからとかいう理由で(何でそんなこと覚えてるんだ、私)。一緒に参加した日本人のお友達は、おかあさんから「このシャンプーを使い切ってきなさい」と特大ボトルのシャンプーを渡されていたのだが、私が使ってあげても、当然なくならず。その子は心底困り果てていた。あとは、どうもおフランス人の子供は寝るときにパンツを履かないらしいのだが、パンツを履く日本人の私はきれいなパンツがなくなってしまい、洗濯したいのだが洗濯する日が決まっていて、それも困った。結局どうしたのかは覚えていないし、できれば思い出したくない。全体としてはいろいろ遊んで楽しかったという印象を今でも持っているのだが、母いわく、私は心労のためか?痩せて家に帰ってきたらしい。うーむ、ホントに楽しかったんだろうか???