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2012.10.18
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カテゴリ: 医療_糖尿病
私の通う糖尿病の専門クリニックでは、定期的に外部の関連企業に対して糖尿病に対しての理解を深めるセミナーを開いており、そこに時々患者代表として体験談を話して欲しいと呼ばれることがある。これまでは、アジア人と糖尿病といった観点で依頼されることがほとんどだったのだが、今回は「妊娠以前に糖尿病を発症していた人に、妊娠前、妊娠中、妊娠後の生活がどう変わったかについて話して欲しい」と言われ、二つ返事で引き受けることにした。

当日は、
- 1型(インスリンが枯渇していて、生命を維持するためにインスリン注射が必須)のお母さん、
- 2型(インスリンは分泌されているが、量が足りないか、上手く利用できない。食事と運動だけで管理できる場合もあるし、それが無理だと経口薬やインスリン注射で管理。一般に、成人病、生活習慣病と言われているのはこのタイプ)のお母さん(=私)、そして
- 妊娠糖尿病(妊娠時だけ2型糖尿病の状態になる。多くは出産後に正常に戻るが、そのまま糖尿病に移行する人や、何年か経って発症する人も)のお母さん

の計3名がパネリストとして参加し、20名ほどの研修者に対し、まず自分の病歴や妊娠前、妊娠中、出産後にそれぞれどんな風に生活スタイルを変えたかについて話をし、その後、質疑応答が行なわれた。

どんなタイプにしろ、妊娠中は血糖値をできるだけ正常な状態に保つことが目標となり、その目標値も普段よりは厳しい。私はこのたとえを良く使うのだが、普段100点満点中75点で合格点のところを、限りなく100点に近づけるようなものだ。普段75点しか取れない人が、100点を目指そうとするのだから、これは結構キビシイ。しかも、それを1年近く続けるわけだ。これを怠ると、巨大児や心臓疾患などの問題を引き起こす可能性が高くなる。問題を抱えて子供が生まれて来る可能性は誰にでもあるわけだが、自分の不摂生のせいでそれを引き起こすのだけは避けたい。でも、それが自分の頑張りにかかっていると考えると、それはそれでかなりしんどい。

3名のお母さん達は、それぞれ病態も妊娠・出産までのストーリーも異なっていて、大まかに言えば、1型・2型を問わず妊娠する前に発症していると、食事や薬物療法などはある程度の変化はあるにせよ既に生活の一部になっているため、妊娠糖尿病の人に比べて劇的な生活の変化を迫られることはない分、ある意味ラクなのかな、と思った。その一方で、妊娠糖尿病の場合は食事や運動だけで管理できることが多いので、管理自体は楽なのかもしれないが。

ただ、ある研修者から「妊娠中、血糖値の管理を良好に保つための一番のモチベーションは何だったのか」と聞かれた時に、まるで事前に口裏を合わせたかのように、誰もが「とにかく自分の体の中に別の誰かが存在していて、その存在に対して自分が全責任を負うという、そのプレッシャー」と言ったのは、もう見事としか言いようがなかった。



もちろん、何の持病もない妊婦さんだって、お腹に子供がいると分かれば体に良い物を食べたり、健康な生活に心がけたりするだろう。だが、糖尿病を持っている場合は、失礼を承知で言わせてもらえば、「そんな生っちょろい」ものではない。自分の不摂生で血糖値が必要以上に上がった場合、子供が砂糖漬けになって何らかの問題を引き起こしてしまうのではないか、という恐怖と1年間近く闘うわけだ。まあ、2人目の時は、少なくとも私の場合は、それほど神経質にならなくても何とかなるということが分かって、しかも上の子の世話に追われて良くも悪くも完璧には出来ないことがかえって救いになったりもしたのだが、じゃあ、もう1度やりたいかと言われると、私はもう2度とやりたくないし、やれない。

そして、多かれ少なかれ、妊娠生活=血糖値に一喜一憂する生活になりがちなこと、それが、周囲の祝福ムードや「妊娠中はお腹すいちゃってついつい食べ過ぎちゃうよねー」といったような別に何の悪気もないコメントとのギャップに傷ついたり悩んだりすることについても皆が同意した。(私はそれで、1人目の妊娠初期に精神的に不安定になって、ソーシャルワーカーのカウンセリングを数回受ける必要があった)

さらに、生まれて来た子供達は、何らかの糖尿病になる因子を持って生まれて来たはずで、将来発症する可能性も高く、それについては心配もするが、やはり、その子供達がお腹の中にいて、自分の行動が直接直ちに影響するそのプレッシャーに比べたら、それはもう気分的にはずいぶん楽だという意見にも納得できたし、また、これに関しては私はそれほどの覚悟があって毎日を過ごしているわけではないのだが、少なくとも子供が大きくなるまでは、自分が健康でいなければならない、という気持ちが現在のモチベーションになっているとの意見にも頷けるものがあった。

セミナーが終わってからは、お母さん同士で子供の写真を見せ合いっこし、その後はあっさりと別れたが(違うセミナーでいつも一緒になる人とはその後朝食を一緒に食べたりするのだが、あの人は元気で過ごしているかな)、研修者の人達のためにというよりは、むしろ自分のためになったような充実した1時間だった。

この種のセミナーに患者として参加して話すと、1時間という短い時間の間に、自分の人生のもはや3分の2を占めることについて、しかも普段はなるべく触れられたくない部分までさらけ出すことになるので、一気に身ぐるみ剥がされたような気分になってどっと疲れる(しかもこれがいつも朝8時開始とか早いんだな)。でも、今日はセミナーの後に、新しい仕事の面接を終えた姪っ子と合流してたわいのないおしゃべりをし、わりと早く日常のペースに戻ることが出来たし、私はこれだけの思いをしても、こうして興味を持ってくれる人達に自分の体験を話すことは意義があると思っている。

自分のマイナス面が、他人にとってはプラスになることは、こうして確かにこの世に存在するのだ。





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最終更新日  2012.10.18 20:21:32


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