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子供たちの漢字力が落ちています。 答案をチェックすると、読みはそこそこ出来ていても、書き取りはお手上げという生徒がかなりいます。文章記述の問題や作文などでは、3学年前に履修した漢字も、当然のように“ひらがな”になっています。 学校での授業時間が減り、鉛筆を持つ時間もどんどん削られていく。家ではゲーム、パソコン、携帯メール。読みをイメージで捉えているだけの変換操作。書かなければ筆記力は上達しません。筆圧が弱い、しかも続け字で筆順もバラバラという生徒は、基本を学ぶ段階で書く機会が少なかったのではと思います。 漢字の練習をする時に、よくノートに5回ずつ書かせる先生がいますが、これほどナンセンスなものはありません。量が多くなれば、最初の方に書いた漢字など忘れてしまいます。私なら、5回ではなく1回。それを2度繰り返します。仮に50の漢字を覚えるのなら、5回筆記×50ではなく、1回筆記×50×2回戦とします。 もちろん「かな」を「漢字」で書けるようにする練習ですから、漢字を見てまねて書いていても意味がありません。書き取りテストとして、進めていく必要があります。2回戦後、今度は間違えたものだけで3回戦を行います。それでもさらに間違えたもので4回戦。同様に5回戦までやります。この頃には書けないものはせいぜい5個ぐらいになっています。私はそれは大きく書いて部屋に貼っておけと指導しています。 この手法は、300個の漢字であっても同じです。「毎日10個のノルマを決めて1ヶ月で完成」などとやっていると、大抵失敗します。10日目で初日にやったものをどれだけ覚えているかも疑問ですし、そもそもコツコツと30日も続くとは思いません。私流でやるならば、初日に一気に300やり、前記の消去法で攻略していきます。10日で一通りが終わり、再度初めから300の見直しに入れます。 まず全体を俯瞰する。そして大から小へ絞り込んでいく。この方法は学ぶカテゴリーによっては非常に有効です。国語知識・英単語・古文単語・公式・理社用語の書き取りなど、ほとんどの暗記物に使えると思っています。生徒たちにも勧めていますが、意識の個人差と時間の問題もあり、まだ一部しか実践できていません。 大から小へ絞り込んでいくという考えは、学習計画を立てる時にも必要です。試験範囲が決まったら、まずやるべき道具を揃え、どれだけの量があるかを調べる。次に期間と照らし合わせて日別の量を計算していく。これを行き当たりばったりでやるから時間切れになるのです。計画は足し算ではなく割り算で考えてみよう。これも私がよく言っている言葉の一つです。
2005.12.21
テストの点数がいつも悪い。 こういう生徒は決まって見直しを疎かにしています。自分が何を間違えたのかを調べずに、また次のテストで同じ過ちを繰り返す。まるでゲームです。得点の上下だけをやたら気にする生徒も同じです。得点をスコアとしてとらえ、次へのステップを踏もうとしません。 生徒たちに勉強法を教える時、私はよくスポーツを例にして説明します。大半が運動部に入っているためか、身近なこととして受け入れてくれるようです。文化部の生徒には、もっぱら野球を題材にします。 野球でいつもカーブを空振りしてしまうのなら、次からは大振りせずにまず当てていく工夫が必要です。そして、何がいけないのか、自分のフォームやタイミングを調べ、データを検証する。苦手なものを制するには、自分を見つめ、反省し、改善していく姿勢が大切なのです。これはテストという勝負の場においても同じことです。 「自分のカルテを作りなさい」と生徒によく言います。自分自身が医者になったつもりで、今までの失敗や弱点を一冊のノートにまとめるのです。使える情報や発見も記していきます。模試や解説は切り取って貼り付けても構いません。とにかく科目ごとに一冊作れと指導しています。 「私の弱点ノート」「英語これ一冊」。何でもいいのです。弱点を書き写したカルテには、自分の昨日までの経緯が記録されています。ここを見ろというシグナルを拾い、過去の塗り絵をしていくのです。机にあふれ、散乱したテキストやプリント。その必要な部分をチョイスしていく。一冊にまとめるということは、我々の手帳やフロッピーと同じ行為です。 スポーツの世界では、天才少女などという見出しがよく使われます。でも彼らの現在は練習と努力なしでは語れません。プロのスポーツ選手も始めた頃はみなヘタクソなのです。浅田真央が大会で3回転半跳べるのは、何百回もの失敗があり、反省と研究があったからです。そこにはコーチの指導を含めたカルテがしっかり存在しています。 天才なんかいないのです。 自分を見つめる作業を、ぜひ生徒たちに根付かせたい。 汗をかき、恥をかき、 やがて自分のカルテは、試験会場に持って行ける宝になるはずです。
2005.12.18
私は自分の塾をいつも「教室」と呼んでいます。 「塾」という言葉には、何か管理され閉鎖された負のイメージを感じるからです。子供たちが出入りするスペースは、温か味の流れている自由な空間でありたい。そのため、扉は常に半開き。外界との境をなるべくなくし、夕方からは灯りを外に向けています。 夜帰宅した時に家の玄関ドアが開いていて、家族の笑い声と灯りがもれている。疲れている時にはなぜか優しい“ぬくもり”に感じます。つまらないこだわりですが、カベのないそんな空気を、頑張っている子供たちにも分けてあげたい。そう思い、2年以上も続けています。 「教室」という呼び方には、仲間が集い語り合うコミュニティーの場としての印象があります。規模は小さくてもかまいません。「こんにちは」と大きな温もりで迎えてあげる。そこには違和感のある境界線もわずらわしい言葉もいりません。ただオープンであればいいのです。教室はやがて子供たちの笑顔で埋まるでしょう。そして一人一人素晴らしい「何か」を探し始めます。 これは半分がイメージですが、私はしばらく前からこういった教室の姿を模索しています。開放的なサロンに近い教室。学びの場である以上、知識を提供し、子供たちの学力を育てていかなくてはなりません。自ら取り組める活気のある教室とはいっても、個人差があります。イメージは描けるのですが、仕事を終え消灯の時には、現実との溝を毎日感じます。 生徒が主役ならば、生徒の視点に合わせてみる。何かヒントがありそうです。大人の常識をかざしている限り、いつまでたっても平凡な塾の出来上がりでしょう。童心に帰ってみる。思考も視野も感覚も一度リセットしてみる。子供たちが夢中に通い、楽しめる、学べる刺激的な空間。色々と実験を重ねていますが、近いうちに何とか実現させるつもりです。 その時、「塾か教室か」という発想自体、きっと意味がなくなるでしょう。 子供たちが動き出した時、器は世界になり、言葉でなくなるからです。
2005.12.17
GOAL通信とは、私の塾で不定期に発行している連絡プリントのタイトルです。内容は主に連絡事項ですが、たまに情報やコラムも載せています。 発行から約3年。最近はB5の紙面には書ききれないことも多くなり、枠のないこのブログの利用を考えました。とにかく、言いたいことや日々の出来事を勝手気ままに記録していくつもりです。 もともと書くことは好きなので、弾みでかなり過激な言葉が出るかも知れません。でも私の思いの基本は「生徒あっての教室」であり、それは未知の可能性を秘めた素晴らしい空間であるということ。そして常に生徒を見つめ、生徒の営みを受け入れてあげることが、この仕事の原点なのだろうという思いです。 今までに出会った数多くの子供たち。笑顔があり、涙があり、みな悩みながらも何故か目の輝きだけは忘れていなかった。「塾長ーっ!」と今でも声を掛けてくれる卒生。「ねえ、見て見て!」と、入って1ヶ月で早くもタメ語で話しかけてくる生徒。元気のもとは教室から生まれていくのだなと、つくづく思います。 うちは少人数制個別指導の教室なので、いわゆるハードな進学塾のような堅苦しさがまったくありません。逆に元気いっぱい個性の強い連中や、成績がほぼお手上げ状態といった生徒がよく集まってきます。マンツーマンから1対5まで、みな伸び伸びとして、活気のある授業の主役を演じています。 「学ぶことの楽しさ」から入っていく。意識している言葉です。つまらない学問を与えても生徒は退屈です。学ぶことの価値が見い出せなければ、自ら始めようとはしません。子供たちは正直です。常に肌で感じ取り、態度に表します。満腹の時の勉強は苦痛なのです。楽しみを感じ取ることは次へのステップになり、カベと向き合う原動力につながります。 この手法には時間が掛かります。でも「学ぶ」とは元々与えられるものではなく、自分から取り組み、発見し、攻めていくものだと思うのです。そのための器となる下地を一緒に作ってあげる。これも塾の大切な役割のひとつでしょう。やる気のないヤツは来なくていいではなく、やる気がないのなら芽生えるように仕組むのです。 スケートリンクに立つためには、まずスケート靴を履く。自転車に乗るためには、必ず初めの一歩がある。転びながら覚えていくあの感覚。早くうまくなりたいと目標を持ち、日増しに上達していく自分にワクワクするあの不思議な感覚を、今この仕事で子供たちと共感できればと思っています。 今後も色々と書き込んでいきますので、よろしくお願いします。
2005.12.15
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