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「 立っている者だけが倒れることもある 」これは開高健が好きだった「漂えど沈まず」を連想させる。まぁ、なんにでもいえる。「生きている者だけが死ぬ」ともいえる。ジョークなら「不味いものに美味いものなし」だ。ただ、人間はただ立っているだけではダメだ。浮かんでいるだけでもダメだし生きているだけでも。そこには自ずと目的が必要になる。それが時間を有効に使う条件だろう。
2025/04/28
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「 野心は自惚れの隣人 」これはまったくその通りだ。野心といえば富と名声が相場だろう。それらが自分に相応しいと思えるには相当自惚れている必要がある。実際、それを手にする人は、おそらく宝くじ並みに少ないだろう。つまり、確率ほぼほぼゼロだ。しかし、約8割の人が宝くじを買ったことがあるそうだ。だから野心を持つ人が大勢いてもおかしくはない。
2025/04/16
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「すべてを運命に任せて、最悪に考えることにしよう、そしてこの最悪の事態を静かに、辛抱強く堪えることに決めよう」強く共感する。また、これは、福沢諭吉の「常に最悪の事態に備えておけ」にも通じる。実際、これまで最善を尽くしてきたつもりだが、実にトホホ、グダグダ、悲惨なこともあった。人生、じたばたしても仕方ない。
2025/04/13
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「健康と生命以外には、そのためにあくせくしようと思うものは何もない」強く共感する。しかし、プーチン、トランプ、イーロン・マスクなどは常にあくせくしてるように見える。一体なんのためだろう?傍目には虚栄心のように見える。虚栄心には酒・ギャンブル・セックスなどと同様中毒性があるのだろうか?
2025/04/09
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久しぶりに馴染みのジャズバーへ行った。映画 " PERFECT DAYS " のラストでかかっていたニーナ・シモンの " Feeling Good " をかけて貰ったら案の定店にどんぴしゃだった。マスターもローリン・ヒルがニーナ・シモンにトリビュートしたアルバムで知っていてかけて貰うとニーナ・シモンより洗練されていた。もう一枚持って行ったパーシー・スレッジも店によく合っていた。そうこうする内、外国人四人組がやってきた。その内の一人である年配女性が私にも「コンニチハ」と挨拶してきた。さすが外国人だ。マスター曰く万博のフィンランド館のスタッフらしい。ジントニックを一杯飲んだ彼らが帰りがけ背の高いイケメンがバンドをやってる自分の写真をスマホで見せてくれた。やっぱり、犬も歩けば棒に当たるでたまには外に出てみるものだ。万博にはまったく興味なかったが、ほんの少しフィンランド館に親しみが湧いた。その後、業界人っぽい日本人三人組がすでに結構出来上がってたようで大声で業界人っぽい嫌味な会話をしてたのがうざかったので早々に退散した。
2025/04/08
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モンテーニュは、スポーツ・音楽・朗読・書字すべて得意ではない、あるいは、苦手だったらしい。でも、「エセー」はこんなにも長く読み継がれている。つまり、文才は飛び抜けていたわけだ。ただ、本人も書いているように、決して巧みに修飾された美文ではない。むしろ無骨だ。でも、飾らない率直な内容が読ませる。かえって親しみやすい人間味を感じる。いずれにせよ「器用貧乏」の真逆だ。
2025/04/07
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出血多量で失神していたユリアヌス帝は意識を取り戻すと戦場へ戻ろうとした。しかし、死が近いことを悟り「余は多年いかに霊魂が肉体より尊いものであるか、したがって、この高貴な実体が肉体から離れ去ること、それは苦悩よりもむしろ歓喜であらぬことも、哲学によって学んできた。またしばしば早逝は信仰への報償であること、これも宗教から学ぶことができた」と語った。これは真実だろう。それは芸術においてもしばしば真実である。特攻へ志願した兵士の愛国心においてもそうだろう。「人は霊魂において生きなければならない」と語ったヴィトゲンシュタインの真意でもあるだろう。
2025/04/06
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「最高の価値は認識と真理ではなく、それは芸術である。芸術は、客観的現実を模写したり、ほかの現実から説明したりするのではなく、むしろ、生を聖化し、いまだ生きられたことのないいっそう高い可能性へ引き移す。(中略)魔法によってのみ生は目覚め続ける」開高健が好んだ芸術の妙諦「みっつの真実よりひとつの綺麗な嘘を」を連想する。ただ、不確定性原理・不完全性定理・ダークマター・ダークエネルギーのようなワクワクする学問上のアイディアも存在する。となると、魔法の核心は卓越した創造性ということなのだろうか。
2025/04/05
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