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歳と共に、身辺を整理し身軽に過ごすべきだと本やテレビで見聞きするが、物のない時代に育った年代には、『まだ使える、勿体ない』とおいそれと捨てられないのである 箪笥の肥やしといわれる着物もそうだが、まだ袖も通してないものが何枚かある。洋服に直してと考えないでもないが、やっぱり決断ができない。 結婚以来の家計簿もある。PCを始めてからは手書きしてないのでその前の分である。 始末しようと持ち出してパラパラめくっていると、書きとめたメモにその頃が髣髴と思い出され、結局もとの位置に戻して現在に至っている。 子供が大学時代に送金した預金通帳も同じく大事に取ってある。子供にその話をすると、笑っていた。留年はしていないが、なんと10年間も大学生であった。といっても博士課程は奨学金だったが・・・ 連れ合いがスチールカメラが趣味でアルバムも随分ある。私と二人で撮影したビデオテープもかなりの量である。 写真も子供の時代までは残されるだろうが、その後は『この人誰?』とことで捨てられることは必定である。 幸か不幸か一度も転勤がなかったので、思い切って整理する機会がなかった。物は増える一方である。仕事関係の講習会があれば、確実に編図と作品が増える。 一度真剣に身を軽くして簡素に生活することを考えねばならないとこの度の地震で考えさせられた。昨夜震度3の地震があったらしいが、熟睡で知らなかった。
2005年03月31日
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朝早く電話のベルがなった。早朝の電話はあまり良い電話ではないような気がするのは私だけだろうか。予感は的中である。 入院中の友達のお母さんからであった。暮れに転院して、一度、見舞いに行かねばと思ってはいるのだが、リハビリ病院は山の上にあり、交通の便が悪いと聞いて、この寒さもあって出かけずにいたのである。 お母さんの話だと、入院前よりダイエットもでき、体調もかなり改善したとのことであるが、脳梗塞、心臓病、糖尿病と3大成人病を一手に引き受けた状態で、脳外科の先生の話だと社会復帰は難しいとのことであった。 本人は実態が認識できないようで、退院したいと言ってきかないらしい。お母さんは80を超しておられて、リハビリ病院の先生は、退院して家に帰したら、食事のこと、諸々で二人共倒れの惧れがあるので、食事付の施設に入ることを勧められたというのである。 別世帯の弟と一緒に相談してそのように話すけど、当の本人がその施設への入居を頑強に拒んでいるというのである。 『もし、お宅に電話するようであれば、施設に入居するよう勧めて貰えないか』というのが電話の要旨であった。 家族が説得してもきかないものを、単なる友達の私が勧めても容易に受け入れられるとは到底考えられない。厄介なことである。 病院の仲介なので入居できるわけで、一旦家に帰り、やはり家での生活は無理となっても、そういう施設はおいそれと入れないのが現状である。 若くして(50代)普通の社会生活が出来なくなった者は、どうしたらいいのだろうか。お母さんが元気なうちはいいが、もしもの時は兄弟のお荷物になるのだろうか。死が許されるなら一緒に死にたいとまでおっしゃるお母さん。 可哀想とは思うものの、難しい問題には首を突っ込みたくないのが正直な気持ちである。自分のことで精一杯なのだから・・・ 電話のベルがならないことを祈りながら、一日滅入った気分で過ごした。
2005年03月30日
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Sさんが夕方やって来て『ねー明日の温泉行き駄目だって~』予報では久しぶりの晴天だというので、どこか連れて行って貰えるのでは?という期待感でHさんに電話したのだそうだ。 Hさんは、ご主人に相談もなく『まだ、風邪がほんとに治ってないので、明日は駄目』と断られたというのである。 車を運転されるご主人は『暇なときはいつでもいいから電話せんの』と言われたので電話したのにと不満気である。確かにそう言われていたが、相手の奥さんが駄目と言われれば仕方ないじゃないか、これは私の思いである。 車酔いするHさんはあまり遠出は好きではないのだが、ご主人はドライブと温泉が趣味の人なのだ。 一人で行くより大勢の方が楽しいといつの間にか、温泉友達のグループができたのだ。 私とNさんは足がないので、連れて行って頂けるのは願ってもないことである。Sさんは、家に車が2台あるし、本人は運転できないがご主人は元タクシーの運転をされていたのである。 Hさんにして見れば、毎度・毎度うちの主人と行かなくても、自分の主人と行ってもいいのでは・・という思いがあるのではなかろうか。 誘われた時だけ喜んで行く私がずるいのかも知れないが、たまにご主人と道で出会えば、『どこか行きましょうか』と言うことはあるが、わざわざ電話して連れて行ってとは言い出せない。 Sさんは『私ばかりが電話しなくても・・』と言うが、人それぞれ考えが違うので、こればかりは仕様がない。 そろそろすずらんの芽が出ているのではと、見に行ったら、すずらんの場所は耕されて野菜が植えられていた。『空いてるところに野菜を作らせて』が最初のはなしだったのに・・・ 肥後しょうぶ、すずらん、深山霧島、思い出の花々がいつの間にか姿を消した。花より野菜が好きなSさんのご主人の仕業である。 蕗は私が植えて育てていて、毎年佃煮を煮ていたが、昨年は私が収穫する前に刈り取られていた。小鉢一皿の佃煮が届いたけど・・・身勝手というか、似たもの夫婦である。
2005年03月29日
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今日もさえない空模様だが、雨が降らないだけマシか。気温は昨日に比べかなり暖かくなった。先週の桜開花予想では今日だったらしいが寒くてずれ込んだらしい。 時節柄、あちこちの総会の案内状が届いている。出欠届けと振込みがあって気になってはいたのだが、19日講習会に出かけて以来全く外出していない。 午後、一大決心で郵便局へ行くことにした。おぼつかない足取りで道を歩いているとほのかに沈丁花の香りが漂って来る。もう3月も残り少ない。早いときは桜便りも聞かれる頃なのに・・・ 用事を済ませて、コンビニへ立ち寄った。近くのAコープが昨日で閉店なので、遠くまで足を延ばせばいいのだが、まだその気力がない。 とりあえず、パンとサラダを買った。生野菜がほしいのだが明日は元気になれそうだからそれまで我慢・我慢。 風邪と花粉症で鼻も目もビショビショである。東京の薬剤師の友達が花粉症の薬が見つかったとメールくれたので、『送ってー』と頼んだのだが今日届けば嬉しいけどね。彼女が効いたからって私に効くかどうかは分からないのだが。 ゲルマニューム鉱石を入れたお風呂はぬるめの湯でも温かく、入っていると汗が出てくる。寝てからもぽかぽかと朝まで熟睡できる。これは自分の体質に合っているように思える。 自分の健康は自分で守る、一人暮らしはなおさらである。
2005年03月28日
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雨の日曜日、部屋から外を眺めると赤い椿とピンクの椿が色鮮やかに咲いている。ゆったりと庭を見ることはそうはない。 先週は体験したことのない地震に驚かされた日曜日だったが・・・いつもより新聞を丁寧に読んでいると『声』の欄に地震の日の心温まる記事が載っていた。 『長崎から博多へ向かう列車が、地震で鳥栖駅の手前でストップ。3時間近く列車から降りることも出来ず、結局復旧の見込みなしで降車、車掌は「一番近い中原駅まで2k位歩いて下さい、ただしそこへ行ってもバスは用意できませんよ」と。 がっくりしつつ、歩き始めたところ、近所の方々が自転車にお茶や湯のみ、おにぎりを積んで集まって下さったそうである。 また、周辺の地図のコピーを手にあちこちに立っていて、バス停まで道案内されたとのこと。『あの行き届いた親切は学びたいね。どうしたらあんなにさっと必要な行動がとれるんでしょう。私たちも困った人に上手に手助けが出来たらいいね』と。吉野ヶ里公園、中原駅付近の皆様本当のに有難うございました』結んであった。 とっさの場合自分のことだけ、目の前のことだけで精一杯、なかなかそこまで気が回らない。いい勉強になった。雨の日曜日もたまにはいいものだ。
2005年03月27日
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久しぶり太陽が顔を見せてくれた。暖かくなるかと思ったがそれほど気温はあがらなくてやっぱり寒い。 先週末から、風邪気味でやる気が起きず、家でのらりくらりの暮らしである。買い物に出なくても、あちこちの友達からの頂き物で不自由なく過ごせた。でも今日はそうはいかなかった。 外出はしたくなかったので、冷蔵庫の中のものでなんとかしようと、夕方から専業主婦である。冷凍庫から魚の西京漬を出して、お米を研いだ。1カップの米を一番小さな土鍋で炊くことにした。古代米(黒米)と粉寒天を入れて火にかける。 この土鍋でのご飯炊きは初めてである。どんなご飯が炊けるか心配だったが、まあまあのご飯が出来た。 庭から取ってきたほうれん草を茹でて、頂き物の見事な生椎茸を焼いてほうれん草と椎茸の胡麻和えを作った。魚も焦がさないように焼いた。焼いた椎茸にレモンをしぼり、 ありあわせの野菜を刻んだ具沢山の味噌汁と、一汁三菜の食事である。 気をよくして食事をしていたら、チャイムがなった。宅配かもと急いで出てみると、新聞の勧誘員である。いつもは『どなたですか?』と声かけるのに、いきなり開けて『しまった』と思ったが、『新聞は代える気ないから』とつっけんどんに言ってがちゃんと扉を閉めた。折角の食事がつまらなくなった。 最近はこの手の訪問は夜の時間帯が多いように思う。共働きの家が増えたからだろうが、仕事とはいえ、夜間寒空に訪問しなければならないのは気の毒なようにも感じる。 ビデオを盛んに撮っていた頃、テレビ局の部長に、編集の仕方によっては逃げる者と追っかける者が反対になるって言われたが、物事はどちら側から見るかによってがらりと変わる。 そっけなく追い返したものの寒いだろうなと同情心がちょっと沸いた。
2005年03月26日
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歩いて10分足らずにあるJAのお店Aコープが、27日日曜日で閉店することになった。 ここに居を定めたのは1960年である。我が家から南は家はなく見渡す限り畑であった。毎日の買い物も郵便局のある参勤交代の旧道まで出かけていた。 昔の宿場町である。魚屋が2軒、八百屋が2軒、肉屋さんが1軒、駄菓子屋と通称『ちょうちんや』というよろずやさんがあった。それでなんとか生活物資は間に合った。 やがて、家が立ち並び、近くに小売店が少しづつ増え、『主婦のスーパー』という小さなマーケットも出来た。そしてAコープが出店便利になった。 郊外に大型店が出来ると、今度は小売店が一つ、また一つ消えて行った。そしてAコープが閉店なのである。 車に乗れるものはいいが、足のないものは今までの倍以上も歩いて、サニーまで行かねばならなくなる。健康のためにはいいかと、思っても、雨の日など考えただけでも億劫である。 昨年末、本屋さんが100均の店になったときもショックだったが、食料品の店がなくなるのはもっとショックである。 3月は年度末いろんなことが変わる時期だけど、段々と住みにくくなるのは腹立たしい。 宅配の人が荷を持って来てくれた。『昨日貰ったので少し堅いけど梅が枝餅食べる?』『わっ大好きです、帰ってチンします』にこっと笑って頭を下げた。最近堅くならないのが多いのだけど、伝来の製法なのかこちこちと堅くなっていたのだが。ダイエット中に5個もはねー。 ライブドアとフジテレビも抗争も高裁の決定でライブドアの勝利かと見えたのに、ソフトバンクの参入でまた、新た様相になった。 ある人が表現が悪いけど『チンピラに絡まれて逃げ込んだらヤクザの本部だった・・感じ』と言ったが、言い得て妙と思った。今後どうなっていくのだろう。 テレビでサッカーの中継が、北朝鮮とバーレーンの試合は現在1-2。北朝鮮の後半の闘いは見事である。 今夜は日本とイラン戦がんばって勝って貰いたい。
2005年03月25日
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さむ~~い、さむ~~い。昨日、朝堀たけのこの散らしすしを頂いて春はそこまでと思ったのに、今日のこの寒さは何なのだろう。ブロック塀のそばのヒマラヤ雪ノ下がきれいな花を咲かせた。 朝の気温が見る見る下がって、強い北風と雪やみぞれ、真冬の気象である。一人が東北旅行、一人が風邪でお休みの教室はハロゲンヒーター二つ点けても何となく寒さを感じる。 土・日と風邪気味で喉のモヤモヤと咳、鼻水と風邪症状だったが、昨日はかなり気分も快くなり、良かったと思ったのに、今日は天気と同様、逆戻りしてしまった。幸い熱はないので気力で風邪を撃退したいと思うのだが・・・ 夕方、綾部さんが出来上がった新聞を取りに見えた。今日は久女協の催しで件の防災センターへ行ったと言う。 地震体験コーナーで日曜日の地震、震度5強を体験した後、淡路神戸の震災の震度7を体験したら、その凄さは想像をはるかに超えていたと話してくれた。 風速30メートルも怖かったということ。この催しは前から計画されていたのだそうで、地震の後、再現体験できたのは大変勉強になったと色々教えて貰った。 天気がよければ梅見のシーズンなのに、大宰府に回ったからと名物の梅が枝餅を頂戴した。まだ温かの残った梅が枝餅は美味しかった。大宰府も雪あられだったそうだ。ご近所から頂いた、かつお菜と春菊を抱えて彼女は帰って行った。『お大事に』の一言と共に・・・
2005年03月24日
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今日も雨である。新聞の最終校正をやる。PCもモニターで見ると正しいのにプリントアウトすると、おかしくなるのは何故なのか。試行錯誤色々やってみるが、どうやっても正しく印字されない。 私の使い方が悪いのか、ワードのバグなのか、パソコンは万能でないことだけは言えると思う。 仕方がないので箇条書きの頭を違う文字で打った。出来ないものは出来ないからクレームが来ても押し通す他ない。 原稿を持ってきたAさんが、春を運んでくれた。山にはもう筍が顔を出しているそうな。筍のチラシ寿司はご馳走であった。 素敵なニットのジャケットを着ていたので『いいわねー』と言ったら、『20年前のよ』と言う。 買うときちょっと高くても永く着られるものを買うんだと彼女の言。納得であるが、20年も体型を維持するのは至難の技である。20年どころか2・3年前のもものも着られなかったりである。 今朝の朝刊の『ひととき』欄に『たんすの服を着てみたら』という一文が載っていた。『バーゲンと聞くと、ワクワクしてつい買い込む。セーターが10枚もあった。これからは買うでなく着ることの方をマジメにやるぞ、決心した・・・』 『体はひとつしかないのだから必要以上の服は買うまい。一枚の服をとことん着ることにしてすっきり暮らす』 反省しきりである。ニット関係の仕事をしていると溜まること、溜まること。喜んでくれる人にあげてすこし身辺を軽くせねば・・・と言いながらお買い物レビューなど見るのだから始末に悪い。
2005年03月23日
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朝起きたら、新聞がビニールの合羽を着て届いていた。地震の後、被災地の玄海島では土砂崩壊の危険があるというのに、神様は非情である。 昨日のテレ朝の朝の番組で司会者が、九電体育館に避難されている方々が家がどうなっているか、気にしてテレビ見ていられるだろうから、できるだけ寄ってカメラをゆっくりパーンして下さいとカメラマンに注文つけていた。 司会者の温かい優しい気持ちが見ている私を和ませてくれた。玄海島の雨はどうなのだろう。激しくないことを祈るのみである。 鍋に水を入れ湯が煮立ったら、はかまを取った土筆を茹でる。友達が土筆摘みに行ったからと、丁寧にはかまを取った土筆を届けてくれた。何よりの春の贈り物だ。 もうこんなに大きくなっているのか、そういえば紀宮も土筆摘みをされたとテレビで言っていたなー。 茹で上がった土筆を油でさっと炒め甘辛く味付けして卵とじにした。今晩のお惣菜が一品出来上がった。一年ぶりの味で春の香りである。 子供のころは川の土手に行くといっぱいあったが、今ではあまり見かけなくなった。草の中に土筆を見つける楽しみは幾つになっても楽しみである。その後のはかま取りは忍耐の2字につきる。指先はあくで真っ黒になる。春の野草の芹もいつの間にか姿を見かけなくなった。『芹ごはん』も美味しいけど・・・ チャイムがなった。出てみると違う友達が『なまこ』を持って来て下さった。これも大好物なのだ。今夜は好物に囲まれて春を満喫できそうである。 外は雨も止んで薄日がさしてました。
2005年03月22日
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昨日は夜になって、親類やら友人やらあちこちから地震見舞いの電話が入った。楽天のお店からのお見舞いのメールもイタダキお店の方の心遣いがとても嬉しく感じられた。 ちょっとぐれてる姪の娘からの『○子さん大丈夫だった』という電話には少なからず驚いた。この春、20歳になったのを機会に、親に家を出されて一人暮らしを始めたと聞いていたが、あの娘もこんな優しい一面があったかと嬉しくなった。 姪は2番目の娘とスペインだという。父親の故国である。話は横道にそれてしまったが・・・ 徳吉先生から2階が大変だったのよと電話があったので、我が家も2階があったっけと上ってみたら、思わずわっと叫んでしまった。階下はなんでもなかったのに、2階は衣装箪笥の上に置いていたものが見事に落ちて箪笥の扉も開いていた。 どこから、片付けようか?生憎今日は田川からY先生が尋ねて見えるのだ。明日がんばるしかないな。子どもが地震が怖いので二階より上には住みたくないと言って、今も2階に住んでいるが、やはり地震の時は、下の階がより安全なようである。 箪笥の上には割れ物などがなかったのが幸いであった。部屋に積んだダンボールは意外にそのままである。友達が尋ねてきて、テーブルの下にもぐったと言っていた。私はストーブのスイッチを切っただけ、扉も開けなかった。もっと地震に際して何をすべきかしっかり勉強する必要がありそうだ。 今夜から天気が崩れると言う。被災地のことを思うと気になって仕方がない。
2005年03月21日
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日曜の朝である、PCの画面を見ながら、テレ朝のサンデープロジェクトの堀江氏と田原氏の話を聞いていたら、突然ぐらぐらっと、わっ地震だ!今まで体験したことのない揺れである。恐怖心が走る。30秒足らずであろうが、長い時間に感じられた。心臓がドキドキしている。 テレビの画面にニュース速報が流れるかと見ていたが、出ない。NHKにチャンネルを変えると、地震の報道があっていた。私の住む筑後地方は震度5強ということであった。 棚の物が落ちることもなかったし、やれやれであったが、怖かった。PCに東京の子どもから、』『えらく揺れたようで』とメール。『怖かった、怖かった…』 津波注意報が出ているようだけど、ここは筑後平野の真ん中、その心配はないのだが。 今までこの地方には大きい地震はないと信じていただけにびっくり仰天である。『取敢えず平穏のようでよかった』と子ども。『はい、心臓も大丈夫でした(笑い』万一の時のこうした連絡は何より心強い。 胸のどきどきがやっとおさまった。地震対策も考えなくてはならないようだ。市内でも1軒家が倒壊したとこと。我が家は家も人間も古いし心配の種が増えた。 災害はいつ起こるか、予測できないので怖い。とんだ日曜日であった。
2005年03月20日
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今朝はぐんと冷え込んで0.5度、それでも梅の花がちらほらほころんでいる。日中はかなり暖かくなったようだが、なんとなく喉がいがらっぽくて、咳もでるので今日は外出しないことにした。 一日くらいお使いに出なくても冷凍庫に食べるものは満杯である。以前は朝起きるとまず新聞だったが、インターネットをやるようになって、まずPCで、たまっていた新聞を読むことにした。 目に留まったのは『しゃべる紙』オーディオペーパーというのがあるそうだ。『しゃべレター』は一枚1260円全国の東急ハンズで販売中だとか。家庭用プリンターで印刷できて、封書と同じ80円で送れるとか、録音時間は20秒で、再生は約50回まで可能。『量産によりもっと安く、ポピュラーな製品にしたい』とトッパン・ホームズ広報室。新しい物に目のない私、見かけたらきっと買うだろう。 長生きはするものである。色んな想像もつかない商品に出会えるし、ライブドアとフジテレビの株取り合戦も・・・ 資金がなくても頭を使えば出来ることがあると、知らされた。蟻と象の戦いだもんね。堀江氏の若さがまぶしい。たとえ転んで、すってんてんになったとしても、若さでまた立ち上がることが出来るしねー。大博打も打てる訳だ。 歳を重ねると冒険も出来ないし、無難に生きる方を選ぶしかない。一生平々凡々と生きるのもそう容易いことではない。夕方になってまた天気は下り坂である。 3連休も無縁だし、何より早く風邪を追い出せれば・・・
2005年03月19日
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暑さ寒さも彼岸まで、今朝は気温が高くて暖かになるかと思ったら、風が出て段々寒くなってしまった。 『女性の会だより』の原稿が持ち込まれ、急遽、新聞作りに追われることになった。 お昼過ぎ、お彼岸だからと『おはぎ』を持ってOさんが見えた。Aさんはトイレットペーパーを3個も持って来てくれた。『当分大丈夫よね、なくなる頃また持って来るから』周囲の人に支えられて不自由なく暮らせるのは本当にありがたいことだ。 一日モニターとにらめっこはあまり楽しい作業ではないが・・・夕方にはB4版2枚なんとか打ち終わった。やれやれである。ほっと一息、おはぎを頂いていたら友人から電話である。最初は誰かさっぱり分からなかった。インフルエンザで声がすっかり変わっている。。『買物に出かけるならりんご買ってきて欲しい』と言う。 こんな時に助け合うのが友達だとは分かっているが、締め切りのある仕事をやっているとそうもいかない。『ごめんね。今日は出られないの、お大事に』と断った。 まさか電話でインフルエンザはうつらないだろうが、夕方から喉が痛くて咳まで出てきた。背中がぞこぞこして慌てて一枚羽織った。今夜はお風呂は止めた方がいいかな~。 断った罰があたったのだろうか。酷くならないといいけど・・・暫くして、斜向かいの奥さんが見えたので『りんごある?』と聞いたら『あるけど余分はない』とにべもなく断られた。 明日、元気になったらりんごを買いに出かけよう。
2005年03月18日
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朝から雨である。気温は14度、三寒四温、一雨ごとに暖かくなるのであろう。今日は彼岸の入りである。暑さ寒さも彼岸までというからね。 3月に入って教室の日に何故か雨、意地悪なお天気である。 春一番なのか今日は風が強く、花粉の飛散も多いようで、目がしょぼしょぼである。 高校入試の発表でお休みが1人、無論お孫さんである。孫のいない私は『おばあちゃん』と呼ばれてもおかしくないのだが、よその子にそう呼ばれても、ピンと来ないで知らん顔、自分が呼ばれていることに気づいて慌てることもしばしばだ。 姪は私を『ねえちゃん』と言い、姪の子供たちは『○子さん』と呼んでくれる。名前で呼ばれるのが一番嬉しい。弟は姉が2人なので『おっかねえちゃん』『おっか』は方言で『大きい』と言うことである。私は下の姉なので『ちんかねえちゃん』『小さい姉ちゃん』なのである。 学校でのあだ名は『こがれ味噌』姓と名をもじったものなのだ。勤めの頃はもっぱら『○○子ちゃん』であった。 子供は『お母さん』と呼んでいたのが、アマチュア無線を始めてからは『コールサイン』に変わった。高校時代はハンディ機で交信していたし、大学の頃は7メガで毎朝、交信するのが日課であった。 パソコンの時代になってからはEメール、携帯メール、今はYahoo!メッセンジャーである。 ○○さん(姓)・奥さん・○○子ちゃん・コールサイン・先生・おばちゃん、hyw0712も私だった。偶には旧姓呼ばれることも・・・ 子供とは形態は変わっても毎日連絡だけは取り合っている。一人暮らしがさほど淋しくないのもそのためだと思う。有難い世の中になったものだ。
2005年03月17日
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今日のラベンダー外来は院長先生の父君、大先生のお話であった。弱い81歳からりとした体つき、矍鑠としておられる。 最近、抗老科学会というのが出来たそうである。読んで字の如し、老いに抗う、つまり年を取らない、老いない、元気に長生きするにはというのが、研究課題らしい。 死の四重奏というのがあるそうで、1・上体の肥満2・高血圧3・糖尿病4・高脂血症 それにタバコどそうだ。肥満の遺伝子(OB)は白色脂肪細胞レプチンというそうだ。 死の四重奏にならないため『一無二少三多』を守ればよいと話された。一無はタバコを失くす。二少は腹一杯食べない、酒も少量。三多は体を多き動かす、即ち運動をする、休息も多く取る、そして多くの人に接するのだそうだ。 ダイエットテクニック52条というのも教えて貰った。何しろ52条もあるので、全部書くわけにもいかない。 大先生の面白い有意義な話の後、体験談を話す役目が今日は私だったのだ。前もって聞いてはいたのだが、13日の早朝から昨夜11時半まで旅行していたものだから、準備も何もなし、出たとこ勝負、ぶっつけ本番、やりにくいことこの上なしである。 旅行中の不摂生で体重は先月より増えてるし、悪い見本である。テクニック52条の中で実際に私がやってることが2・3あって助かった。 ・毎日体重と体脂肪率を計測する ・体重グラフをつける ・食事はきちんとカロリーを考えて摂るなど 日頃の自分がやっていることを話した。人前で話すことなど何年ぶりだろう。52条の中に食べ物は必ず残す習慣をつけるとあるが、戦中派には抵抗感があるのは仕方ないと思う。 大先生はスポーツ選手がガムを噛むのは利に適ったことだと言われた。咀嚼、噛むことは歯を悪くするのを防ぐし、脳に刺激を与えていいそうである。食事中に中休みを入れるというのもあった。 昔なら行儀が悪いと叱られたものである。今は多少行儀が悪かろうとそれが健康に繋がるなら許されるのだそうである。 何を喋ったやらよく思い出せないがなんとか役目を果たしてほっとした。BMI25を切った者は、今のところ私だけ因みに23である。唯一自慢できる数値である。
2005年03月16日
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2泊3日の旅行から今帰宅しました。日付が変わらぬうちに帰れてほっと一息です。今日はこれまで・・・楽しかったけど疲れたなー
2005年03月15日
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天気予報がずばり的中、風が冷たい。朝の番組はライブドアの差止め勝利のことばかり、地元民として、若者の勝利は嬉しくないこともないだが、勝ち誇った顔を見ていると、これからどのような展開になるのか、一抹の不安を感じるもう1人の自分を感じて複雑である。 風の中を講習会へ出かけた。明日は始発の便で羽田へ経つのだが天気が気になる。 まさか、雪で欠航なんてことはないと思うけどねー。久しぶりのメイビイ編みの講習で、今まで習ったことはしっかり忘れてしまって、また一からやり直しって感じ… 昨日、予習やっておけば良かったのにとちょっと反省したが。旅行の準備に気を取られてついついねー。幾つになっても生来の性格は直らぬらしい。誰もとがめるものがいないので、正に自由気ままなのである。 昨夜はグリンピースがあったので、土鍋で1カップの豆ご飯を炊いてみた。た。出来損なっても1人だと気楽だが、思ったよりうまく炊けた。あおさのお吸い物と豆ご飯、タイの塩焼き、食卓は春だが… 明日は4時半起床、今晩は早めに寝ることにしよう。日記は2日間お休みかなー
2005年03月12日
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今、ニッポン放送の新株予約権発行の差止めが東京地裁で認められたというニュース速報が報じられた。現時点ではライブドアの勝利といえるのだろう。 これからもフジテレビ・ニッポン放送側の巻き返しがあるだろうが、どう推移するのだろうか。 株には全く無縁で無知な主婦なのだが、堀江氏が隣の市、八女の出身ということと、子供も質は違うがIT関係の仕事をやっているので、どうしても関心を持たざるを得ない。 米紙調査の世界長者番付で、ゲイツ氏が11年連続1位だという。堀江氏の父君は息子の目的は、孫正義、ビル・ゲイツを抜くことと言っておられるのを聞いた。そうだと単なる金儲けが主眼なのかと思いたくなるのである。 事業をやって、それが拡大気づいたら長者番付1位だというのなら納得いくのだが・・・ 私が古い観念を持っているのだろうか。テレビで株争奪戦から委任状争奪戦へ移ったと・・・果たしてどう決着が着くのかしっかり見極めたい。 資本金の少ない会社は、株を買い占められないよう安定株主の確保にこれまで以上、気を配らないととんでもないことになってしまう。 創って育てるより金で買収とは、マネーが最優先の世の中になったのだろうか。
2005年03月11日
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朝から小雨である。気温は昨日に比べぐんと暖かくなった。雪柳が白い花を咲かせ、庭桜の蕾も膨らんできた。でも週末は雪マークの予報である。冬支度で旅行に出かけねばならないようだ。『晴れ女』ばかりだからいい天気になるとは思うけど… 教室を終えて整骨院へ行った。歩いて10分くらいの距離だが、帰宅したら涙がぽろぽろ、止まらない。スギ花粉がたっぷり飛散と言っていたが、花粉情報にうそはなかった。これから当分この状態が続くと思うと憂鬱である。 甜茶がいいと聞いて試したが、あの甘さはどうしても好きになれない。薬と思っても飲めなかった。 じゃばらドリンクの方がまだ飲めるが特効薬とはいかないのが残念である。 しょぼしょぼ眼でテレビを見ていたら、現職国会議員が強制猥褻の容疑で現行犯逮捕、議員辞職のニュースが報じられた。あーあと思うものの、最近は何でもあれの時代、さしてびっくりもしないのは果たしていいことなのか。 一昔前なら、酒の上での過ちと許されたかも知れないが、今はそうはいかない。国会議員も人間なのだろうが、人として犯していけないことである。選挙民を裏切った責任はどう取るのだろうか。東京4区とか、地元議員でなくて良かったとおもったけど…
2005年03月10日
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気が早いと笑われそうだが、13日からの旅行の支度を始めた。明日10日は教室だし、12日はメイビイ編みの講習で今日やった方いいと思った。 早朝便で福岡空港に6時45分集合だと、4時半には起きないと遅れそうである。 昨年は12日上京し、伊東に2泊した。写真を見ると姪はセーター姿、私は絣のコートである。まぶしいほど暖かな雰囲気である。 それに比べて今年の寒いこと。 帰りも最終便で福岡着21時40分である。家に着くのは23時になりそうだ。絣のコートでなんてとんでもない寒さである。 何を詰め込もうかとキャリーバックを前に思案投げ首である。天気予報は13日は寒波が戻って雪だるまだという。やはり出かける時は厚手のコートが良さそうだ。『伊達の薄日はなんとやら』見栄は捨てて風邪引きの用心が第一と、後は重ね着出来るようなものを入れることにした。 こっちの天候より旅行先の天候が問題なのだが、伊豆箱根・富士五湖めぐりである。寒さ対策は必要だろう。 半分くらい支度は出来た。残りは天気予報を見てと紅茶を入れていたら『ドスン』と衝撃音、車がぶっつかったような音である。外に出て見ると青い車と小型トラックが我が家の4つ角で接触事故であった。 4m道路でそれほど車の往来が多いこともないが、出会い頭の衝突は時々ある。横の小さな川に落ちた車もかってはあったが、ガードレールがついてそれはなくなった。 警官が5名ほどかなりの時間双方が何やら話していたが、現場は見てないし寒いので引っ込んだ。家のブロック塀でなくてよかったと・・これまで2回壊されたから、狭い道だからと安心は出来ない。けが人もなくて良かったけど。
2005年03月09日
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『今日はどこがいい?』『どこでもいいです、連れて行って下さるところで・・』と言うことで瀬の本の三愛高原ホテルに行くことになった。まあいいか、今日は暖かいから。ここの露天風呂は標高920m、阿蘇5岳や久住連山を360度のパノラマで見渡せる眺望絶佳なのである。 途中、お蕎麦の美味しい店に立寄る。一年ぶりだろうか。蕎麦しゃぶしゃぶという新メニューが・・最近ローカルのケーブルテレビが取材に来たと聞いたが、納豆蕎麦を食べた。ここの蕎麦は絶品である。昨年の気象条件が悪く、地元の蕎麦が例年の1割しか収穫できなかったので、よその粉を混ぜて作っていると断り書きがあった。店を出ると名古屋ナンバーの車が入ってきた。 インターネットなので知られているのだろうか。店の名は『駿』という。三愛高原ホテルの露天風呂は、この季節さすがに人はいなかった。 3人貸切で心行くまで湯に浸かった。湯船をでると風が冷たい。もやがかかって自慢の景色は遠くはぼんやりと霞んでいる。日のあたらぬ場所は雪がまだらに残っていた。 今日は温泉のハシゴである。帰りに小田温泉『はなむら』に立寄る。露天風呂と洞窟風呂。露天は熱かったので洞窟風呂に入った。 先客が2人、聞けば北九州からだという、これから一宮の温泉に一泊だとのことだった。 この2人も私たちのグループと同じく『温泉博士』という月刊誌での温泉めぐりの仲間だった。この雑誌には『温泉手形』が載っていて、本を持参すれば無料で温泉が楽しめるのである。 申し訳ないなあと感謝しつつ、毎月利用させて貰っている。老舗旅館などちょっと敷居が高そうなところも時々あって、これも楽しみの一つである。 そういう旅館ほど『温泉手形』の客にも丁寧な対応で、庭園など散策させてくれたりする。有難いことである。 いい気分で帰ったら楽天カード入会キャンペーン「50人に1人、お買い物がタダになります」キャンペーンに当選したとのメールが届いていた。籤運は決してよくないのだが嬉しい知らせであった。今日はいい日だな♪
2005年03月08日
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コンビにへコピーに行ったら、コピー機が新しくなっていた。デジカメや携帯電話で撮った写真がプリントできるとある。 デジカメをバックに入れていたので、好奇心がむらむらっと・・・早速プリントして見ることにした。カメラからSDメモリーカードを取り出していたら、店員さんが、『カードのカバーがないと出来ませんよ』と言う。『そうですか』と言いながら、画面を読んでいると、ミニSDは専用アダプターが必要ですと書いてある。 『多分、これで大丈夫だと思うけど』。店員さんは、『お客さんに取り扱い方聞かれても、実際に使ったことがないので分からないのですよ』と苦笑している。 『じゃー今からやって見ようよ』私と店員さんと二人三脚で挑戦することにした。やはりSDカードのみで良かった。 撮影した分だけ画面に出てくるし、後はプリントしたい分をポチするだけである。1枚30円也。鮮明な色、仕上がりは上々であった。 店員さんも『やっと覚えられて良かった、有難うございました』と笑っていた。自分でプリントすれば直ぐに出来るのが何よりである。また一つ利口になったような気分で家路についた。
2005年03月07日
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今年になって、電気釜で炊いていたご飯を土鍋に切り替えた。2カップの米に黒米を小さじ1杯加えて、リブレフラワー(玄米の粉)をこれは大匙1杯を入れてガスで焚くのである。 沸騰するまで中火で、湯気が出てきたらとろ火で4分で火を止める。あとは10分蒸すだけである。 電気釜だとスイッチを入れたらあとは何もしないで済むのだが、土鍋の場合はきちんと傍についていなければいけないのがちょっと手間だが・・・ 土鍋で炊いたご飯は美味しい。おこげが欲しければ火を止めるのを1分遅らせるとちょうどいいおこげご飯が出来る。 仏壇へ備えるためには毎日炊けばいいのだが少量炊くご飯は不味いので、仏様には申し訳ないが炊いたときに供えることでお許し願っている。 2カップ炊くと、1食、100グラムしか食べないので2日間はたっぷりある。姑がいたら大目玉だろうなと思いながら、割切って暮らさないと窮屈で仕方ないから・・・ 今晩はご飯を炊く日、買って来たグリーンピースを入れた豆ご飯を作ろうかと思っている。
2005年03月06日
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天気予報では、雨か雪とのことであったが、太陽が顔を覗かせて意外に暖かく感じた。それでもダウンの長いコートで出かけることにした。 今日も春夏物の講習会である。バスに乗って暫くすると、晴れていた空がどんよりと曇ってい来た。バスを降りたら冷たい霙である。やはり天気予報を信じて傘を持ってくればよかったと、後悔しながら足早に商店街の中の講習会場へ急いだ。 1月に京都でご主人が肺がんの手術をされたSさんとは久しぶりの再会である。退院後初めての検診に行って帰られたばかりだと言うことだった。胸部の方は9分9厘大丈夫だとのこと、後は糖尿の治療に専念されるという。 我が家の連れ合いが高度救命センターに運ばれ、開頭手術を2回受けて40日足らず入院したときは90数万円支払った。3ヶ月くらい後に高額医療補助で60万ちょっと戻ってきたけど・・・ Sさんの場合、肺がんの手術で入院日数はあまり変わらないが10万は要らなかったそうである。年齢が我が家の場合は60歳代であったので当時2割負担だったが・・・Sさんは71歳1割負担である。 医療費は私大と国立大で違うことはないだろうと思うけど・・・あまりの安さに驚いた。手術の際の謝礼とか退院の際の謝礼なども一切不要だったそうで、それが当然なのだが、教授だと○○万円、助教授だと○万とか、真実は知らないがよく聞く話である。 歳を重ねると早晩そのような事態をいつか迎えるだろうし、色々教えてもらって参考になった。 雪こそ降ってなかったが、帰りは風が冷たかった。明日はもっと冷え込むとか寒い日曜日になるのだろうか・・・
2005年03月05日
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痒い!2・3日前から右足の指が痒くて痒くて仕方がない。初め水虫かな?と思ったが、ソックスを脱いで見たら水虫ではなかった。もうすっかりと忘れていた『しもやけ』である。真っ赤に腫れている。 子供の頃は冬になると、足も手もしもやけで真っ赤か、痒くて痛かった。会社勤務の頃は、痒さが我慢できずに、湯を入れたバケツを机の下に置いて、足をつけて事務を取っていた。『足湯』である。 『○○さん電話』(あの頃は6人くらいのグループの机に1台の電話しかなかった)と呼ばれると『はーい』と返事をして慌ててタオルで足を拭いて・・走って行く。忙しいことである。 やぐら炬燵か、火鉢が暖を取る手段であった。その後ストーブとかカーペットとか、エアコンの普及で家も段々暖かくなり、しもやけもいつの間にか忘れていた。 それなのに、今年になってからの寒波は尋常でなく、ついに何十年も忘れていた『しもやけ』が足の指に出来てしまったのだ。しもやけのかゆみはかゆみ止めの薬では治らないから困るのである。 今日の昼間はわりに過ごしよかったが明日は雪か雨の予報である。講習会で出かけるのだが、こう痒くては講習会どころではないだろうと気になっている。 宇部の友達からバレンタインのお返しにと名産の蒲鉾が届いた。今夜は『板わさ』で夕飯を食べよう。しこしこした食感は美味である。その間だけでも『しもやけ』の痒み忘れられると嬉しいけどね~ 今の子供は痒みはもちろん『しもやけ』など知らないだろうね~。
2005年03月04日
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今日は3月3日桃の節句であるが寒く冷たい。10時から教室である。損保の方から『今から伺います』と電話があった。旅行保険の加入の説明と集金である。 程なく、玄関のチャイムが、『どうぞ』というと玄関に入って見えた。みんなも損保の人と思い込んでいた。『また出直しましょうか?』『いえいえどうぞ』『○○の母です、娘がお世話になってます』とYさん、先方は怪訝な顔である。 差し出された名刺には○○銀行とある。ええっとびっくり、『ごめんなさい、直ぐ行きますと電話があったのでその方と間違えました』『うちもよろしく』と言って帰って行かれた。入れ替わりに待っていた人が玄関へ・・・ 用件が終わって、みんなで笑いこけた。出直しますと言う人をどうぞごうぞと無理やり招きいれた軽率さ、大勢だからいいようなものの、一人だったらどうしたろうか。 幾つになっても、粗忽は直らないらしい。『笑う門には福来る』だもんね。といって大笑いした。 5時までテレビとは無縁であった。西武の堤義明氏逮捕のニュース。『奢る平家は久しからず』頂点に上りつめたら落ちるしかないのだろうか。 ライブドアとフジテレビの綱引きも益々ヒートアップの様相である。経済界の2005年はニュース華やかである。平々凡々で生涯を終えられればそれが一番かも知れない。
2005年03月03日
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ラベンダー外来の看護師赤司さんから電話があった。『先月の肥満と漢方薬の話は如何でした?。それと太田外科の取組みは?』漢方薬はラベンダーでは使ってないし、太田外科のやり方は、今私自身がやってることばかりで、あまり参考にならなかった』と正直に答えた。 先月のアンケート用紙にもそのことは書いたので、なんで今頃電話が?と不審に思ったら、『実は今月は大先生(院長の父君)の肥満の話なんだけど、その後に、私の体験談を話して欲しい』と言うのである。 『私は特別にこれと言ったこともしてないし、みんなの前で話すなど出来ないわ』と断ったが、相手もそう簡単に諦めてはくれなかった。 私がラベンダー外来に通院のきっかけは『膝の痛み』である。2001年の5月であった。最初は近くの別の病院へ行っていたが、毎日、ベッドで膝を温めるだけで、それなら家でだって出来るのではと、今の病院の診察を受けたのである。 先生の『まず体重を落とすこと、今月からラベンダー外来に来ませんか』の一言で、やって見るかと決心した。 赤司看護師の話だと、折角、ラベンダーに来てても挫折や、リバウンドも多く、一度落とした体重を維持してるのは少ないと言う。最初59キロあった体重は年末には52キロに減った。下駄骨折で2ヶ月入院したときは50キロ台まで落ちたが今は51,5~52,5の間を行ったり来たりである。 もう卒業していいと言われるが体重は落ちてもお腹ぽっこりは相変わらずである。ネットでもダイエットのサブリは次々と販売されているが、サブリはなんとなく怖くて、ご飯は玄米の粉リブレホワイトを入れたものを食べている。 食と運動、毎日かかさずやっているのは、体重の測定、これは起床時・朝食後・夕食後・就寝時の4回きちんと計って折れ線グラフに記録する。 血圧は朝と夕食後の2回、暫く服用していた血圧降下剤は全く服用しなくてよくなった。これは病院での減塩食のお陰である。NHKの『ためしてガッテン』でもあったが、体重表は確かに効果ありと思う。 これらのことをどうまとめ話すのか、今の私の頭はそのことで一杯である。子供が東京では坂道をしっかり歩くと話せば・・と笑った。協力、協力と勤めから帰って夜の散歩に連れ出してくれる。お陰で東京生活はダイエットに適応なのであるが・・・
2005年03月02日
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所用があって外出した。ターミナルのスーパーが経営が変わり今日オープンで人出である。一人だとさっさと通り抜けるのだが、友人が覗くというのでついて回った。ネットで買物のこの頃なので、あまり買うものもないと思っていたが、それでも生鮮食品を買い込むと結構な重さである。 お昼はパスタのお店でゆっくりとした時を過ごし、家に帰った。門を入ったら折りたたんだダンボールと発砲スチロールがガレージに山のように積まれている。 ありゃ~・・・やられた~。連れ合いが亡くなって、庭を少し野菜作りに貸して欲しいと言われ、草取りも大変だからと近所のご主人に貸したのだが、いつの間にか、『庇を貸して母屋を取られる』ほどではないが、我が家の物置なのに私の自由にはならなくなった。 ダンボールと発泡スチロールは必要なものだけ、取っていたのである。いらないものはその都度ぺしゃんこに潰してしばり、資源ごみ回収日に出しているのに・・・ 思わず足がすくんでしまった。庭の奥から壊した当人が『今日は温泉ではなかったの?物置片付けた』と・・『あのダンボールは要るから積んでいたのに』と言ったが、破れたダンボールは元には戻らないし、どれがどの箱の発泡スチロールか、わからない。『覆水盆に帰らず』である。『小さな親切・大きなお世話』疲れがどっと出た。 物置まで貸した覚えはないけど、と言って近所とのトラブルはイヤである。女一人に世間の風は冷たい。軽んじられるように感じるのは僻みだろうか。
2005年03月01日
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