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発達障害を持つ子は、コミュニケーションが苦手ですが、その中身は本当に子どもによってさまざまだと思います。表情が読めない言葉通りに受け止めるあいまいな表現がわかりにくいTAKUYAは、これらはかなり乗り越えてきたように思います。意識して表情を読む努力をしたり、言葉の裏を教えたり、あえてあいまいな表現をして、開設したりしてきましたが、やはり社会生活の中で、彼自身も自分で学んできたなぁと感じます。ただ、家族だと彼の独特のコミュニケーションに慣れてきて、違和感がないので、意識して教えることが難しくなっているなと思います。今日、こんなことがありました。待ち合わせをしていたのですが、それぞれに事情があり、場所の変更と私が遅れてしまったことでTAKUYAをずいぶん待たせてしまいました。そんな時も、「別にいいよ」といつもTAKUYAは言ってくれるので、私もそれについ甘えていたのですね。TAKUYAは怒りません。いつも淡々としていて、こちらが悪くても許してくれます。でも今日は、悪かったなぁと思って、何度も謝っていると「僕、ずっと外で待っていたんだ。今日は寒かったから手がかじかんだよ」「本当は、8時からのテレビを見たかったんだ」私は、「エ~~!」「室内で待つって言ってたよね?」「テレビのことは初めて聞いたんだけど。知ってたら何が何でも急いだのに・・・」と伝えると、「別にいいんだよ。怒ってないから。不可抗力ですから」と言うのです。「でもね、誰が悪いかということじゃなくて、次にこういうことが起きないように、どうしたらよかったのか、考えてみようよ。途中でおかしいと思ったら、電話をかけるとか。今日は、見たいテレビがあるって、あらかじめ伝えるとか・・・」と提案すると、「え~普通の人は、みんなそうやって、次はどうするかを考えてるの?僕は、許すか許さないか、とか、誰が悪いか、とか、わざとか不可抗力か とか、そういう風に考えるものだと思っていたよ。お母さんが悪気がないのはわかるから、腹を立てたらいけないんだ」「でも、相手がわざとじゃなくても腹が立つときはあるでしょう?!同じ失敗を何度も繰り返すのは、賢くないよね?!」そう言って話し合いました。そして、(訓練のつもりで)予定が変更することもあるから、おかしいと思ったら電話をかけることその日の予定や、希望をできるだけ相手に伝えることこの二つをやってみることにしました。こういう一つ一つのやり取りが必要なのだなと感じます。ところで、その後、私が遅れた理由を説明すると、TAKUYAの反応は、「ふぅーん」だけです。いつものことなので、何とも思わなかったのですが、私も気持ちを伝えてみました。「お母さんはね、TAKUYAを長く待たせて困らせたから、TAKUYAに悪いことをしたと思って、心が痛んでいるんだよ。だから、こんなどうしようもない理由があったんだよ、って事情を話して、TAKUYAの気持ちがちょっと軽くなるかなと思ったの。だから、TAKUYAから気持ちをフィードバックしてもらえるとうれしいんだけど」「え?別に。理由を聞いてもふぅーんとしか思えないんだけど」「あ、なるほど」アスペの大人とコミュニケーションをとるとき、フィードバックがないのでやり取りしていて、心にスッと落ちてこないことがあります。それはそれでいいかと思っていたのですが、TAKUYAにその気持ちを伝えてみました。気持ちを伝えるって、ものすごく難易度が高いものなのかもしれません。でも、これからも伝えてみよう・・・と思っています。Akiko
2010年05月29日
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TAKUYAには、最近、心がけて料理をさせています。手先が不器用なので、いろいろ苦労はあるのですが、なかなかえらいもので、嫌がらずにチャレンジしています。最近、TAKUYAが毎朝焼いているのは、たまごやき。(*^_^*)毎朝、3人分のお弁当を作るのですが、たまご焼きは、ここ何年も私が作っていました。それをTAKUYAにバトンタッチ。普通の鉄製の丸いフライパンで、割った3つの卵を3回に分けて流しいれては丸めていってつくります。味付けは、マヨネーズ。知っていますか?といた卵にマヨネーズを入れて焼くと、フワッとなるのですよ。最初は、その通りに作っていたTAKUYAですが、3日目に「マヨネーズもいいけど、ぼくは別ので行くよ」と何やら内緒で作っていました。シメシメ、「作らされている」気持ちから、「自発的につくる」意識に変わっているよ、と私は内心喜びながら、一体どんなたまご焼きができるのか、楽しみにしていました。4日目の味付けは、しょうゆですね。5日目は、ソース。6日目は、ケチャップでした。ケチャップって、ぼそぼそして、たまごと分離していました。それから、その翌日は、カニカマが真ん中に入っていました。黄色くなくて、茶色いたまご焼きですが、私のランチの楽しみになりました。それから、TAKUYAの得意は、味の素の「Cook Do」これは、材料さえ一緒に揃えれば、作り方が絵入りで箱の裏に載っているので、それを見てTAKUYA一人でつくります。TAKUYAは視覚優位なので、耳で聞いて覚えるよりもこういう視覚に訴えるものは、とてもやりやすいようです。分量も、計量スプーンを使ってきちんと測ってつくっています。炒める時間も、タイマーで測ってきちんとつくっています。だからおいしいです。私が作るよりおいしい。私は、「だいたいこんなもん」と思って、分量も時間も適当にやっていました。どうやらそれがまずかったらしいと思い、ためしに「3分炒める」と書いてあるものをタイマーで測りながら、自分の勘でこんなもんだと思うまで炒めてみました。そうすると、大体2分ちょっと。炒め方が足りなかったんだな~、と知り、料理の勉強になりました。(@_@;)作り方に「タマネギをしんなりするまで炒める」と書いてありました。TAKUYAが、「“しんなりするまで”って、どのくらい?」とたずねてくるので、一緒に炒めて、しんなりしたタマネギを見せ、「こんな感じが、“しんなりしたタマネギ”だよ」と教えると、・・・・・TAKUYAは、「ぼくには、これは、“しんなり”というより、“しんみり”だよ。“しんみりしたタマネギ”っていうことばが、一番ぴったりくるなぁ」あはは。しんみりしたタマネギ ですか。そういう表現が、心にぴったりなのね。自分の感覚で言葉を使い分けるところが面白い。しんないしたタマネギは、落ち込んでいるのかな?なんか、気持ちはわかる(笑)Akiko
2010年02月10日
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みなさん、こんにちは。おかげさまでTAKUYAはすっかり元気になりました。新型のインフルエンザだったので、発症してから一週間は家にこもることになりました。解熱してから長いこと家で過ごしたTAKUYAですが、何を考えていたのでしょう・・・。いろいろなことを語ってくれます。ある食品の表示をじっと見ていたTAKUYA「これ、防腐剤、入ってるね」「うん」「体に悪いのかな?」「そうね、食べてすぐ、どうなるってことはないけど、たくさん、ずっと食べ続けていると体に蓄積されて、よくないかもね」「ふーん、蓄積されて・・・死んでも体が腐りにくいとか?」「あははは、それいい、面白い発想だね~」「僕はこういうことをインフルエンザの間考えていたんだよ」「へ~他には?」「例えば、海の中に“どこでもドア”の入り口をセットすると、水圧で海水がドアの中に入ってくる」「ふんふん」「で、出口を海の上にセットする・・・どうなると思う?」「海水が出てくる」「そう、だから永遠に海水が巡回し続けるんだよ」「うん、なるほど」「で、その巡回する海水を使って、水力発電をすると、永遠にただで電気を起こせる」「はぁ~なるほど!!すごいね~あとは、どうやって、“どこでもドアー”を設置するかだね!」(笑)Akiko
2009年10月03日
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みなさん、お元気ですか?楽しく過ごした連休もつかの間、連休中に、インフルエンザの子に濃厚接触したTAKUYAは、ついに昨夜から発熱。今日、インフルエンザと診断されました。A型今は、PCR検査はしませんが、間違いなく新型でしょうとの診断です。今も、40度の高熱があります。発熱したばかりの時は、まだ体力があるためか、「僕はあんまり痛みや苦しみを感じないんだよね」と盛んに言っています。医師から「気分はどう?」とたずねられようものなら意気揚々と「熱はあっても元気です。別に大したことはないです」などと、答えています。はたから見ていると、赤らんだ顔、だるそうな動きなどを見ると、どう見ても病気なのですが・・・。何年か前にインフルエンザにかかった時も、高熱のさなか、さかんに看護師さんに「僕は元気だよ。大丈夫だよ」と話しかけていたTAKUYAふだんは、比較的寡黙な子なのに、どうして高熱を出すとこうもよくしゃべるのか!?まさか、これはタミフルによる異常行動???などと思ったものです。高熱を出して一日たったら、さすがに体力が落ちてきたのか無口になって、寝ています。かわいそうですね・・・。みなさんもどうぞ気をつけてください。Akiko
2009年09月25日
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19日の日記に書いたことですが、「子どもの人格を否定したくない」という親御さんの気持ちは、自分を責める思いでいっぱいです。自分は子どもの人格を否定してしまう親・・・と、自分にレッテルを貼ってしまって、ダメな自分に苦しんでいます。私は、基本的に親は子どもを愛しているし、子どもは親を愛しているし親の期待にこたえたいと思っているものだと思っています。そのことを信じてほしいなぁと感じるのです。子どものことも、親自身(自分自身)のことも。親もエネルギー切れの方が多いですよね。なんとか充電できたらいいのですが・・・。心が痛むことがよくあります。でも、今回の方のように、自分を責めるのではなく、ちょっとだけコミュニケーションの方法を改善することで親と子の間に、とてもスムーズにコミュニケーションの流れができ、スムーズに愛情のやり取りができ、子どもを愛している自分を確認できることが多いです。日々のこういうやりとりの積み重ねが、子どもの心を育てていくのだと思います。そのために、子育てスキルがあるんですよね。行動を変えることで、心が変わります。心を変えようともがくよりも、行動を変えると心が変わることが多いです。子どもを愛せない、子どもに腹が立つ、という自分の気持ちに悩む時は、ちょっと方法論を変えてみるといいと思います。Akiko
2009年09月20日
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子育て支援のセッションをやってきた中で、忘れられない親子、忘れられない話がたくさんあります。セッションでは、子どもの目標と親の目標を書くのですが、ある母親は、親の目標のところに「子どもの人格を否定するようなことを言わない」と書いていました。子どもの人格を否定するようなこと・・・・・すごい言葉だなと思い、自分の言っていることで母親自身が傷ついているのだと感じました。それで、どういうことかをたずねてみました。そうすると、彼女の小2の息子さんは学校でいじめられているとのこと。そのことで彼女はとても心を痛めていましたが、苦しむあまり、息子さんを見るとイライラしてしまって「そんなだから、あなたはいじめられるのよ」というようなことを言ってしまうのだそうです。セッションでは、いつでも事実に基づいて冷静に原因を見つめ、適切な対処方法を探します。それで、そういってしまった場面を「行動日記」に書いてくることを提案しました。一番最近、そのような言葉をぶつけてしまった場面はこうでした。母親は、「もう時間だからお風呂に入りなさい」と15分前に予告(したつもり)して時間になったとき、台所からリビングでテレビを見ている息子さんに、大きな声で「早くお風呂に入りなさ~い」と言っています。でも、息子さんは「うーん」とうなるだけで無視。「早く入りなさいって言ってるでしょう!聞こえてるの?」「うーん、わかってる」「まだなの?早く入りなさい。聞こえてるの?テレビばっかり見て」「うーん」この辺りから、だんだんイライラし始めます。声も、ますます大きくなり、感情的になり、エスカレートしてきました。「早く入りなさいって言ってるのに、何よその生返事は。人のこと無視して」「うるさいなぁ。もう。くそばばぁ!だまっててよ」それで母親は切れて、「人の言うことも聞かないで!そんなんだからあなたはいじめられるのよ!!」と、一番言いたくない息子さんを傷つける言葉を言ってしまったのです。その言葉で一番傷ついたのは、お母さん自身でした。「私はだめな母親だ。子どもを否定してばっかり。自尊心を高くしてやりたいと思っているのにぜんぜんダメ。」と落ち込んでいます。「私は、あなたが子どもを否定するダメな母親だと思わないけど。お子さんへの愛情が伝わってきますよ。ねぇ、この指示の出し方。どう思う?遠くから・・・大きな声で・・・指示を繰り返しているよ。お子さん、指示を受け取れたかな?」セッションには、さまざまな子育てスキルを学びますがその中の一つに「はっきり穏やかな指示」というのがあります。1.子どもに近づいて2.名前を呼んで、注意をひく3.どうするのかを言う4.一回に一つだけ5.具体的に6.指示を出したら、5秒待つ(心の中で、お・だ・や・か・に と唱える)7.その通りにしたら、心からほめるこれをやってみるようにアドバイスしました。一週間後のこのお母さんの表情は明るくて、会うと照れ臭そうに笑いました。「いやぁ~、息子がこんなにもよく言うことを聞く子だとは思っていませんでした。びっくりしました。すなおで。いい子で。今まで、私の指示がわかっていなかっただけだったんだ・・・。丁寧に、面倒くさがらずに、ちゃんと伝えると、大丈夫なんですね。こんなできる子だなんて知らなかった・・・」「お子さんのこと、かわいいと思ったんでしょう?(笑)」「はい・・・久しぶりに(笑)」Akiko
2009年09月19日
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みなさん、こんにちは。本当にお久しぶりです。この3年近く、ポツリポツリとしか更新しなかったのですが、その間、本当にいろいろなことをやっていました。過去のブログに少し書きましたが、オーストラリアに行って子育て支援プログラムのファシリテーターの資格を取ったり、それを使って、子育てプログラムを開催したり・・・。発達障害を持つお子さんの親御さん向きのプログラムも数回開催しました。本当にそこは、笑いと涙と、学びの花畑です。できるだけ、そこからの経験を知恵に変えて、お届けしたいと思っています。これからまた、よろしくお願いします。Akiko
2009年09月19日
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知り合いの発達障害の専門医の先生が、いよいよ開業することになりました。開業予告のホームページ↓おひさまにこにこクリニックこのホームページの「メッセージ」に心打たれます。この先生は、「医療の分野」とか「医者の仕事」という枠にとらわれずに、「子どものためになることなら何でもやる」という姿勢で、働いておられるんですよね。患者さんの通う学校とのやり取りにしても、「そこまでやる医者なんて見たことない」と最初は驚いたのですが、「それが子どものためになるのならやるのがあたりまえ」と別段特別な様子もなく、淡々とやっておられます。11月7日から開業するクリニックは、大きな理想を掲げて、医療と、療育やカウンセリング、親支援プログラムと、子どもの学習支援(塾)を組み合わせた新しいスタイルのクリニックとしてスタートするそうです。楽しみですね。一つの理想の形ができるというのは、これから、どんどん多くの地域に発達障害児にとって理想の支援場所が増えていくことになると思います。Akiko
2008年10月25日
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今回のブリスベンへの旅の目的は、 私が今、仕事で力を入れているトリプルP(Positive Parenting Program)という子育て支援プログラムの中でも 障害児の親向けのファシリテーター養成講座を受講するためです。 どうしても受講してステップアップしたいと思い、 自腹を切っての参加です。 このプログラムは、本当に優れもので、 一回12人の母親が参加しますが、8週間のプログラムを終了したときには、本当に親子関係が変わっています。 「親が変われば子どもが変わるんだ、っていうことを実感しました」とまるで真理の言葉を、自ら口にする人もたくさんいます。 その事で、親自身が子育てが楽しくなって、幸福感を強く感じるようです。 それほど、親と子の相互関係は深いのです。 相手(子ども、もしくは夫)を変えようと必死になっては うまく行かなかったものが、 関わり方を変えていく経過の中で、自分の子育てを振り返ることができ、子どもの問題と親の問題をきちんと分けて考える力が身につきます。 そんなことで、子育て支援のことをずっと考えているので このトリプルPの受講前のフリーデイを使って、 子ども向きのプログラム「フレンズ」を見学させてもらうことにしたのです。 さて、ブリスベンに到着した夜は、B&Bでぐっすり眠り、 翌朝は、地図を見ながらフレンズの開催場所を探して歩きました。 ブリスベンは、オーストラリア3番目の都会です。 街中を歩き、大きな橋を渡ります。日本とさほど違和感を感じません。 会場を見つけて入り、スタッフの方々に温かく迎えてもらいました。 4歳から7歳ぐらいの子どもたちが親に連れられて集まってきます。 前回の日記に書いた、フレンズというプログラム「回復力」「楽観主義」を身に付けさせるには、 どんな働きかけや体験が有効だと考えますか? どんな力が、回復力や楽観主義につながると思いますか? 私もまだ、このプログラムのことは勉強していませんから、わかりません・・・考えています。キーワードはなんでしょうか? 自尊感情 自己効力感 自分の感情に気付き、表現する力 自己コントロール力 夢を描く力・希望や目標を持つ力 自分を好きだと感じる気持ち・自分も捨てたもんじゃないと思える心 愛されていることを感じる力 感謝できる心 人を愛する力・気持ち 他人の視点で見る力(自分の視点から離れて見る力) そして、神様や仏様といわれる大いなる存在に、自分は確かに愛されている、神様が自分を不幸にしようとするはずはない、という確信 そんなことを考えています。 Akiko
2008年09月25日
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ブリスベンに、8月の末から1週間行ってきました。 今回は、勉強が目的だったので、子どもたちは残して私一人で行きました。 28日の夜、成田空港を出発し、 29日の朝(現地時間で7時)にブリスベン国際空港に到着。 B&B(ベッドと朝食がつく家庭的な宿)にまず荷物を置かせてもらって、 ローンパイン・コアラ・サンクチュアリへ 一人で観光 フリーデーは、この日一日だけだったので、コアラは抱っこしなきゃ、 オーストラリアに来た気がしない・・・と思って出かけたのでした。 コアラは、本当にかわいい。抱っこするとずっしりしていて、 毛は柔らかく、しっかりとしている。そして、私に抱きついてくるのでした。か・かわいい・・・。 あ~子どもたちにも、コアラを抱かせてあげたかった・・・。 カンガルーがたくさん寝転んでいる・・・ 人懐っこいカンガルーは、近づいてきてじゃれてきます。 ここは、まるで、奈良の鹿公園!! あ~子どもたちがカンガルーをさわったら喜んだだろうなぁ・・・。 楽しければ楽しいほど、さみしくなってしまうなぁ・・・と思いながら、まぁ精一杯楽しんで、帰ったらお土産話にしようと気を取り直しました。 本当に色とりどりの鳥がその辺を飛んでいて、 南国に来たなぁ・・・広い国に来たなぁと思わせてくれるのです。 シティに戻り、午後3時ごろから夕方まで、街を散策しました。 保健師魂がでてきて、地区踏査してきました。(笑) さぁ、翌日は、フレンズという子ども向きのプログラムの見学です。 これは、WHOが推奨しているプログラムで、パスウェイズというアソシエーションが開催しています。 幼児コース、前思春期コース、思春期コースがあるそうですが、 翌日の見学は、幼児対象のプログラムの2日目です。(全12回) レジリエンス(resilience )・・・回復力 楽観主義などを伸ばすプログラムだそうです。 これらは、今の日本の子どもたちに、本当に必要な力だと感じています。 色々な苦難困難があります・・・学校でいじめにあったり、人格を否定されたり、家庭が崩壊したり、親に愛されていると感じられなかったり、・・・ 色々なことがあっても、回復していく力(レジリエンス)は どうしたら身に付けられるのでしょうか? どうしたら、楽観的な気持ちを忘れずに、明るく生きられるのでしょうか? このプログラムの養成講座は、来年受講しようと思っているのですが、それまでに私自身も考えを深めていたいと思っています。 Akiko
2008年09月13日
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中学校は、教科毎に教師が代わりますから、小学校の時よりも薄く、広く先生方と付き合うことになります。この個性が強く、支援を必要としているユニークな子どもについて最初に診断名を学校側に話すことはどうなのでしょうか。子どもの状態や学校の理解度によって変わりますから、一律には言えません。でも、あまり理解のない学校では、アスペルガーだということが「伸びていく可能性が薄い子」というレッテルを貼ることにつながってしまうのなら、最初は伝えない方が得策なのかなと感じました。ある程度、白紙のまま子どもを見てもらって、先生方が、その子らしさが見えてきて、愛情が湧いてきたり、関わり方を工夫したりする中で「どうしてうまく行かないのだろう?」と悩んだときに、話をする、という方法も良かったのかな・・・と。社会の中では便宜上「(発達)障害」という言葉を使いますが、障害という言葉が、この子達の特徴を表しているとは思えません。とても個性の強い、独特の成長の仕方をするユニークな子私は、講演などをするときには「チャレンジド」という言葉を使っています。直訳すれば障害者なのですが、「挑戦するという使命を持った子」というようなニュアンスが含まれます。いい言葉だと思っています。 アメリカでは、子どもがアスペルガーだというと「まぁ、一体どんな個性を発揮してくれるのでしょう?!楽しみですね」という反応が返ってくることが多いそうです。アインシュタインもモーツァルトもアスペルガー・・・変わってるけど天才的な素養を持った子・・・という認識です。だからこそ、その子のもって生まれた才能を伸ばすことに力を注ぐのです。その子をどう認識するか、というのはとても大きな問題です。タイトルにも書いた「ピグマリオン効果」って、知っていますか?周囲の大人が、その子にどのような期待をかけるか、によって、子どもの成長度合いが大きく変わってくる、という研究です。心理学や教育学の分野では、よく知られたものだと思います。「7つの習慣」のp454 でも、紹介されています。その内容を次回書きたいと思います。今日のところは、それに関連した、ゲーテの一言を。「現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう」Akiko
2008年07月13日
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「なんとか症とつくお子さんは、ご遠慮いただきたいと思います」今年の秋に予定されている修学旅行についての説明会での教師の話でした。学校側がダメと言っているのではなく、あくまでも「保護者が遠慮する」のだから表向きは取り繕っているのかもしれません。でもこれは、やはり人権問題です。公表したら、必ず問題視される発言だと思います。私立って、こういうことがまかり通るところなのだということに驚きました。どこにも訴え出るところがないのである意味、とても閉鎖的な社会です。公立の場合、(効果があるかないかは別問題としても)教育委員会や文部科学省に事実を公表することはできます。それらから指導が入る、という形になっています。県庁の中に県民部学事振興課の私立学校相談窓口というのはありますが、親の相談は受け付けても学校への指導はできないとのことでした。訴える場が無いのが不満だということを言っているのではなく、外からの指導や視線が入らないと、極端に走ってしまう危険性をはらんでいるということです。本当に大事なことは、「なんとか症とついている子」とレッテルを貼ることではなく、この子は、どんな特徴があるのか、どんな関わり方をすれば落ち着いて学べるのか、どんな支援を必要としているのかを知ろうとすれば、もっと色々な可能性が開けてくるのに、理解しようとせずに、問題がおきないようにだけしようと、学校は躍起になるあまり、子どもの可能性を削り、子どもは返って問題を起こし、対応に振り回され、学校そのものが落ち着かなくなってしまうという結果になっています。診断名をありのままに伝えるというのは、学校のこの体質を考えるとあまりいい方法ではなかったように思いました。小学校の時には、このオープンな関係なくして支援関係は成立しなかったのですが、中学校ではこの方法は、ダメだったなぁと思いました。特別支援教育って、公立の学校だけでやらなければいけないことだと思いますか?そうではないんです。私立の学校も、当然文部科学省の傘下にありますから、当然、その対象校なのだと、県の職員の方に確認しました。特別な支援を必要としているこに支援をするって、教育の基本だと私は感じますが、学校の受け止めは、少しでも無駄を省きたい。でも、やらなくても何の指導も入らないのが、私立の怖いところです。「自主的に」運営している学校では、自主的にやろうといい始める教師がいないと、始まらないのでしょうか?なかなか大きな壁でした。Akiko
2008年07月11日
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「自主性を大切に・・・」という言葉に惑わされて、善と悪をきちんと分けないことに、私は苛立ちを覚えた。多くの親たちがそう思っていたに違いないと思う。他の子をいじめたり、暴力をふるったり、物を壊したりして、相手の子どもは傷ついているのに、教師は加害者の子どもをかばう。被害を受けた子どもの親は、どんな気持ちでいたことだろう。「この子は、小学校時代いじめられていたから、今、学んでいるんです」「親御さんも色々苦労なさっておられるようなので、対応の仕方ももう少し検討したいと思っています」などという言葉で、スルリスルリと学校はかわしてしまう。加害者の子どもに発達障害が疑われる場合は、「そういうタイプの子だから大目に見てあげて・・・」と。そういえば、仕事で相談に見えた方にも同じようなことを訴える方が何人もいた。いじめの被害にあっているのに、学校側はいじめる子の家庭の事情を話し、大目に見てやってくれ、今、成長しようとしている最中だから、謝らせるからなかったことに・・・。そして、形だけ謝らせた後には、一切その話を持ち出せなくなってしまう。ひどいいじめを受けた子やその親は、どっちが悪いのかわからない精神状態になっていた。自分たちが悪いから、加害者の子が苦しんでいるのだろうか?許してあげないといけないのだろうか?子どもにも許すことを学ばせないといけないのだろうか?と混乱しながら悩んでいる。善と悪をきっちり分けることもせずに、ただただ悪いことをした子をかばうのは、お互いに不幸なことだ。悪いことは悪い、と、厳しく叱ってあげないといけない時に、なぜ、善と悪を分けることができないのか。いじめられている子のお母さんに「もっと怒れ!」「怒っていいんだ」とハッパをかけたこともある。学校の中では、見逃されても、社会に出てやったら、立派な犯罪になる。そんなことも気付かずに大人になる子は不幸だ。学校という閉鎖的な社会が、社会のルールを無視して運営されているのは、子ども達にとって不幸なことだ。発達障害を持っている子であれば、なおさら、きちんと今のうちに善悪を教え、してはいけないことを教え、感情をコントロールできるように、家庭でも学校でも連携して支援する必要があるはずだ。そのあたりの甘さが、本当にもどかしかった。何を言っても、「様子を見てくれ」と言って、結局学校は何の手立ても打たないままに一年が過ぎた。自主性は、善悪をきちんと分け、ルールを決め、秩序がある社会の中でこそ育つものだと思う。「善悪を本人が理解して、感情のコントロールができるようになるまで放置しましょう」という姿勢で、子どもの自主性や自発性、社会に適応していく力が育つわけがない。結局、特別な支援を必要としている子どもの教育を、学校側は拒否していることになる。学校側としても、こんなにたくさんのユニークな子どもたちが入学してくるとは予想もしていなかったのでしょう。でも、現状を見て、ほんの少し、特別な支援を必要としている子どもたちの特徴を学び、どのような支援方法が有効なのかを理解し、それに取り組むことをすればきっと良い方向に向いただろうに、「自主性を重んじる校風」という言葉に惑わされて、学校側は何もしなかった。何の手立ても考えず、何の対策も講じず、子どもたちに振り回され続けて疲弊した学校は、一年経ったところで、中2の秋に控えた修学旅行についてこんなコメントをした。「修学旅行は、海外でのホームステイになりますので、○○症と名のつくお子さんには、遠慮してもらいます」スキー合宿の参加について、要検討だとか、あれもダメこれもダメ、と参加させないものを増やしていく。発達障害を持っているという理由で、理由もなく突然暴れるなどということはない。その子個人の問題であったり、対応の悪さの問題であったりするのに。発達障害の子をそんな風に、怖がらないでほしい。きちんと理解してほしい。きちんと対応したらどれほど能力を発揮し、一緒に楽しく過ごせるのか・・・。あの言葉に、どれほど親は傷ついたことか。どれほど悔しい思いをしたことか。何の対応もせずに、発達障害児にレッテルを貼っているのは、学校の問題だ。学校が支援の方法を「自主的に」学び、「自主的に」対応策を検討してくれたら支援を必要としている子どもたちももっと色々な体験をし、学ぶことができるのに。学校は、封じることばかりをやっている。学習することも自主的にできないで、「自主的」ということばを取り違えるのもいい加減にしてほしいものです。上から言っても無駄だと考え、学校の内部に、一人でも理解のある先生を作って、その人数を増やしていくしかない・・・そう考えて、教育相談センターと連携して、学校の理解を求める働きかけを何度も試みました。これが、大海に一滴ずつ水を注ぐような作業だったのですが・・・。Akiko
2008年07月06日
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発達障害を持つお子さんの親が悩む時の一つは、「中学校生活」どれだけ親たちが傷つき、悩んでいるのか、私も痛いほど分かる。私もたくさんの方の悩みを聞きながら、自分自身も一緒に悩んできた。少しずつ、見えてきた。我が家も小学校時代は、先生方の理解を得て、本当によく理解され、よく支援され、個性を発揮する良い教育を受けさせていただけたと思う。中学校に進学するにあたり、色々悩んだ末に私立中学を受験して合格、「自主性を重んじる」「個性豊かな」「伸び伸びとした学校」とPRしている中高一貫校に入学した。でもこの一年間、怒り、悩み、学校と向き合うための作戦を練り、あれやこれやと努力し、このブログにも歯に衣着せたようなことしか書けなかったがとうとう腹を決めた。腹が据わった。まだまだ心の傷は癒えないけれども、できるだけ、感情的にならずに、少しずつ書き進めてみたいと思う。発達障害を持つ子は、その多くがとても自由闊達な発想をし、枠にはめられるのが苦手で、個性豊か、素直でユニークだと思う。集団生活は苦手で、画一的な価値観の世界では、非難されたり、「ダメな子」扱いされることが多いものだから、なんとかその子の個性を伸ばせるような自由で伸び伸びできる環境においてやりたいと願うものだと思う。私もそう思ってきた。TAKUYAは、そもそも大きな集団が苦手で、公立中学の体育祭を見に行った時にも、「こんな大勢の中にいるだけで息が詰まりそうだ」「あんな風に怒鳴られて、命令されながら、やっていけるかな」と不安を訴えていた。受験した私立中学は、1クラス30人、1学年2クラスの少人数。畑で作物を作ったり、学年を縦割りして授業を進めたり、様々な工夫をしている個性的でユニークな学校だとの案内に魅力を感じて、選んだ。でも、入学してみないと見えてこない実態がたくさんある。不満を抑えて、冷静に言うとすれば「自主性を重んじる」ということは、時間も場所もやるべきことも「構造化されていない」ということで、発達障害を持つ子には、とてもわかりにくい。「一体、いつ、どこに行って、誰と一緒に、何をすればいいのか、わからない」そんな悩みに付きまとわれた。それに対して、本人にわかりやすいアナウンスもしてもらえず、本人が望むどんな支援もない。それで悩むのは、我が子だけではない。TAKUYAのような子は、私立にはたくさんいる。6.3%どころではない。似たようなお子さんの多くが、右往左往し、教師は放置し、あらゆるところで、トラブルが起きる。教師は、そのトラブルの事後処理に追われる。手を焼く。善悪をきちんと分かたない。暴力を起こした子どものことを「この子は小学校時代いじめに合っていたので、今、違う体験をしているんです。もう少し様子を見てください」と言って、いじめられている側を納得させようとする。いけないことはいけないとなぜ言わない。言わないとわからないことだってある。発達障害を持っているからって、いけないことが許されるということなどないのだ。きちんと善悪を教えるべきだし、それが教育であるはずなのに・・・。また、なぜ、予防的な措置をとらないのか?「自分で考えろ」というが、考えるための材料を紙面で与えてもらえればできるものをそれがなくて、できない。教師に紙面でのアナウンスを頼むと、「なくてもできるようになってほしいので、それも訓練ですからやりません」と断られるが、結局、トラブルが連発して、教師は疲弊している。子どもたちは、失敗体験を繰り返し、クラス全体が荒れて、「訓練」どころか、日々の授業もまともに進まない。なんて愚かなことを繰り返すのだろうと、学校に同情する気にもなれない。子どもたちには、成功体験を積ませてこその成長があるのに・・・。TAKUYAはというと、中学生になって以来目立ったトラブルを起こさないタイプになっているので教師からしてみたら、放っておけるのだ。常に放置され続けた。目立ったトラブルを起こすお子さんたちに、教師は手をとられて、それどころじゃなかったので・・・。でも、目立たないからといって、苦痛を感じていないわけではない。学校でのトラブルに心を痛め、いじめを目撃しては心を痛め、できない自分に心を痛め、随分内攻的になっていった。校長に、トラブルの予防的な対応をしてくれるよう相談すると、「現場の教師たちに、こうしなさい、と指示を出すと教師の自主性が損なわれ、“校長の言うとおりにやれば良いっていうことですか?”といって自主的に動かなくなる。学校の自主的な校風が損なわれてしまうから・・・」と、なんとも疑問の多い返事。自主性をのばしたいされど、「自主的」という言葉は曲者で、能力の高いお子さんにとっては良いのかもしれないが、構造化されていない環境で、放置する学校ではこのタイプの子どもたちの自主性は伸びない、と考えた方がいい。自主性や自発性をのばすには、ある程度の枠組みを作ってあげて、本人の納得をえられるようルールをきちんと説明し、その中で、自由を与えることが必要なのだと思う。そして、その枠組みを少しずつ大きくし、自由裁量権を少しずつ増やしていく、それに伴う責任や罰則も教えていく必要がある。と、私は思っている。それはある程度、家庭の中でやっておくべきことだと思うけれども、これまで、発達障害があると気付かずに来た御家庭では、本当に手を焼いてきて、それどころではなかったのでしょう。いわゆる「しつけ」がされないままに成長し、学校でもこんな調子だと、本当に、社会に出てからどうするの?と我が事のように悩んでしまう。SST(ソーシャルスキルトレーニング、社会性を持たせるための訓練)も大事だけれども、それを下支えする家庭でのしつけがもっと大事。親との愛着関係を作ることがもっと大事。発達障害児へのしつけの方法や絆を作る方法などを伝えていく必要があるのではないかと、学校に対する怒りとはまた別のところで考え、今取り組んでいる私です。学校に働きかけて疲れるより、その方が効果的なのかも・・・と。(いえいえ、今は学校とのやり取りは大事にしていますよ~)続きは、また書きます。Akiko
2008年07月05日
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今朝、9時ごろ、私の両親宅に電話が入った。母が出ると、「おばあちゃん!僕だよ僕!助けてほしいんだ」「え?TAKUYAなの?どうしたの?」「僕ね、フランスベッドの営業販売のアルバイトを、お母さんに内緒でやっているんだけど、だまされて、お金を回収できなくて、600万円払わないといけなくなっちゃったんだ。お願い、お母さんには話さないで!おばあちゃん、定期預金を崩せない?」(定期預金だなんて、そんなことも良く分かるようになったのね、いつの間に大きくなって)「TAKUYA、アルバイトって、そんな年でできるの?」「うん、15歳からできるんだよ」(あれ?もう15だったっけ?ちょっと会わないうちに、大きくなって)(実際は13歳です)「でも、そんな大金、おばあちゃん一人では払えないわよ。おじいちゃんにも相談しなきゃ」そして、父に代わると、会社の井上と名乗る男が出て、600万もの負債を作ってしまったいきさつを細かに説明され、場合によっては、詐欺や窃盗の容疑をかけられて学校に知られると、退学になるかもしれない・・・と、丁寧な口調で脅されたそうです。そこで、またTAKUYAを名乗る青年に電話を代わり、父は一生懸命説教をしたそうです。そんな借金を安易に作ってはいけない、騙されてはいけない、責任を持たなければいけない、と。そして、「お母さんには言わないで」というTAKUYAもどきの青年に「お母さんに話したら、払ってやる」とまで言ったそうです。そして、相手が「鈴木という男が自宅までお金を取りに伺います」というのに対し、「TAKUYAも一緒に来ないと渡さない」と押し問答になり、話しているうちに、両親は、「あれ?やっぱり何かおかしいぞ」と気づいてきて、詐欺だということに気づき、電話を切ることができたそうです。ふー、身近にもこんなことが起きてしまいました。被害がなくて幸いですが、相手が、二人がかりで、つかんでいる情報をもとに、信憑性を出すよう工夫して、本当に上手に演技をして話してくることと、声がTAKUYAにそっくりだったということで、最初はすっかりだまされていたそうです。「あれは、だまされるわよ~。だまされる人の気持ちが良く分かったわよ~」と、母は言っていました。だまされやすいアスペっ子・・・とうとうだまされて600万もの借金を作ってしまったのか・・・という思いもあったのでしょう・・・。やっぱり、「退学になるかもしれない」というところで、心理攻撃を受けたようです。昨年一生懸命受験勉強をして入った私立中学・・・そこをやめさせられたら・・・祖父母にしたら、かわいそうで、何とかしてやらなければ・・・と思ったようです。私はあっさりと、「もしも本当にそんな事態だったら、本人に責任を取らせるから肩代わりしなくていいよ、そういう気持ちでいてね」・・・でも、祖父母の年代の人にとっては、そうはいかないようですね・・・それも愛情です。が、そういう執着しているところを、詐欺は狙ってくるので、要注意です。そんないきさつを、今朝9時過ぎに、職場で母親から電話をもらって知りました。「TAKUYAはアルバイトしているの?いまどこにいるの?」との母からの動揺した電話に「まさか、今日は休みで家にいるよ」自宅に電話して、TAKUYAが寝ぼけている声を聞いて、「やっぱり○○市の会社でアルバイトなんてしてないよね」と分かりきったことを確認して大笑い・・・何もなかったからこそ笑えたのですが、冷や汗ものです。騙されやすいアスペっ子も、じぃじもばぁばも、私も、みんな騙されないように・・・冷静でいられるように、心しておこうと思いました。どうぞ皆さまも気をつけてくださいね。それにしても、私の父から迫真の説教を受けたTAKUYAもどきの青年・・・少しは、人間らしい心を取り戻したかしら・・・。じぃじ、ばぁば、お疲れ様でした。説教と愛情が、騙し屋青年の心に、少しでも響いてくれるといいのですが・・・。Akiko
2008年03月17日
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今朝、9時ごろ、私の両親宅に電話が入った。母が出ると、「おばあちゃん!僕だよ僕!助けてほしいんだ」「え?TAKUYAなの?どうしたの?」「僕ね、フランスベッドの営業販売のアルバイトを、お母さんに内緒でやっているんだけど、だまされて、お金を回収できなくて、600万円払わないといけなくなっちゃったんだ。お願い、お母さんには話さないで!おばあちゃん、定期預金を崩せない?」(定期預金だなんて、そんなことも良く分かるようになったのね、いつの間に大きくなって)「TAKUYA、アルバイトって、そんな年でできるの?」「うん、15歳からできるんだよ」(あれ?もう15だったっけ?ちょっと会わないうちに、大きくなって)(実際は13歳です)「でも、そんな大金、おばあちゃん一人では払えないわよ。おじいちゃんにも相談しなきゃ」そして、父に代わると、会社の井上と名乗る男が出て、600万もの負債を作ってしまったいきさつを細かに説明され、場合によっては、詐欺や窃盗の容疑をかけられて学校に知られると、退学になるかもしれない・・・と、丁寧な口調で脅されたそうです。そこで、またTAKUYAを名乗る青年に電話を代わり、父は一生懸命説教をしたそうです。そんな借金を安易に作ってはいけない、騙されてはいけない、責任を持たなければいけない、と。そして、「お母さんには言わないで」というTAKUYAもどきの青年に「お母さんに話したら、払ってやる」とまで言ったそうです。そして、相手が「鈴木という男が自宅までお金を取りに伺います」というのに対し、「TAKUYAも一緒に来ないと渡さない」と押し問答になり、話しているうちに、両親は、「あれ?やっぱり何かおかしいぞ」と気づいてきて、詐欺だということに気づき、電話を切ることができたそうです。ふー、身近にもこんなことが起きてしまいました。被害がなくて幸いですが、相手が、二人がかりで、つかんでいる情報をもとに、信憑性を出すよう工夫して、本当に上手に演技をして話してくることと、声がTAKUYAにそっくりだったということで、最初はすっかりだまされていたそうです。「あれは、だまされるわよ~。だまされる人の気持ちが良く分かったわよ~」と、母は言っていました。だまされやすいアスペっ子・・・とうとうだまされて600万もの借金を作ってしまったのか・・・という思いもあったのでしょう・・・。やっぱり、「退学になるかもしれない」というところで、心理攻撃を受けたようです。昨年一生懸命受験勉強をして入った私立中学・・・そこをやめさせられたら・・・祖父母にしたら、かわいそうで、何とかしてやらなければ・・・と思ったようです。私はあっさりと、「もしも本当にそんな事態だったら、本人に責任を取らせるから肩代わりしなくていいよ、そういう気持ちでいてね」・・・でも、祖父母の年代の人にとっては、そうはいかないようですね・・・それも愛情です。が、そういう執着しているところを、詐欺は狙ってくるので、要注意です。そんないきさつを、今朝9時過ぎに、職場で母親から電話をもらって知りました。「TAKUYAはアルバイトしているの?いまどこにいるの?」との母からの動揺した電話に「まさか、今日は休みで家にいるよ」自宅に電話して、TAKUYAが寝ぼけている声を聞いて、「やっぱり○○市の会社でアルバイトなんてしてないよね」と分かりきったことを確認して大笑い・・・何もなかったからこそ笑えたのですが、冷や汗ものです。騙されやすいアスペっ子も、じぃじもばぁばも、私も、みんな騙されないように・・・冷静でいられるように、心しておこうと思いました。どうぞ皆さまも気をつけてくださいね。それにしても、私の父から迫真の説教を受けたTAKUYAもどきの青年・・・少しは、人間らしい心を取り戻したかしら・・・。じぃじ、ばぁば、お疲れ様でした。説教と愛情が、騙し屋青年の心に、少しでも響いてくれるといいのですが・・・。Akiko
2008年03月17日
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私は、2年ほど前から「エンゼル@ホームの会」という不登校児の親の会に月一回、お手伝いに行かせていただいています。色々な方のご相談に乗らせていただいているうちに、不登校に悩む親たちには、ある共通したタイプがいくつかあるということに気付き、それを、「ライオン型の親」「羊型の親」と名付けて、みんなで対策を考えてきました。そして、それらをまとめた本が、エンゼル@ホームの会から出たんです!マンガも満載で読みやすい、いい本ですよ~。不登校を解決する50のアドバイス―マンガ子育てQ&A 親のタイプ別処方せんあなたは「ライオン型」?「羊型」? エンゼル@ホームの会 なんばら ばん (単行本 - 2008/2) 新品: ¥ 1,365 (税込) この本の特徴は、親が自分の心を見つめて心を変えることで、家庭が変わり、子どもも変わる不登校は、家族の成長のためのチャンスです、と不登校を肯定的にとらえていること そして、親のタイプをライオン型と羊型に分けて、タイプ別にアドバイスをしていることです。指示や命令が多く、子どもをコントロールしようとするライオン型優柔不断で善悪を教えるのが苦手、子どもに振り回されやすい羊型私は、第3章の「子どもとのコミュニケーションを見つめなおそうーあなたはライオン型?羊型?」を少し書かせていただいています。遊び心満載で、誰でも気楽に取り組んでいただけるようにライオン型か羊型かを見分けるためのチェックシートを作ったんです。ぜひぜひ、このチェックシートやってみてくださいね!チェックすることで自分を振り返ることができたと、好評をいただいています。この会の名前「エンゼル@ホーム」ってね、不登校で家にいる子どもこの子はどうしようもない子に見えるかもしれないけど、「本当は天使なんだよ」「家にいるのは天使だよ」っていう意味なんですよ。発達障害やいじめなどによる不登校は今回は取り上げていないので、発達障害の子どもが不登校で悩んでいる方は、これをすべてと思わずに、解決法を考えてくださいね。ただ自分の傾向性を見つめて、親子関係を振り返るには良いきっかけになると思いますよ。(発達障害に関する不登校本は、続編で発刊予定です・・・多分・・・売れれば・・・)2月末に発刊されたばかりです。大きな書店には、並んでいると思います。楽天ブックスやアマゾンでも買えますよ。ぜひお読みくださいね。そしてご感想をくださるとうれしいです。Akiko
2008年03月13日
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反抗できたのは、この講師がいい人だったから・・・、反抗したいのに、反抗できないまま成長するのは、子どもにとって不幸なことですが、どんな時に、人は反抗できないと思いますか?・・・と、昨日の日記に書きました。どんな時に、反抗したくでもできないのだと思いますか?一つは、親が強すぎて、子どもの力ではとても対抗できない場合。研修でも、もしも「黙れ!」とか、「こんなこともわからんのか、ばか者め」などと言われたら、反抗どころではなく、みんな萎縮して、何の意見も言えず、自己表現はできなかったでしょう。萎縮していると、その抑えられたエネルギーは、必ずどこかで噴出してしまいます。二つ目は、親が弱すぎて、反抗したら親がつぶれてしまいそうな恐れを持つときです。 親が病弱、またはシングルだったり、夫婦喧嘩が多くて母親が弱っていたり、親は仕事が忙しすぎていつも疲れていたりすると、子どもは、反抗することを抑えてしまいます。自分が親に反抗して、親が泣いたりすると、自分は弱い者いじめをする悪い人間だと思い、自分を表現することに自責の念を抱くようになるんですよ。親が自分より強くないと、反抗しにくいのです。だから、自分が親より強くなったら、もう反抗しませんね。三つ目は、親に愛情がない場合です。子どもに無関心な場合です。反抗してもムダ、意見を言ってもどうせ聞いてもらえない、自分の気持ちを伝えてもどうせ親は無関心、自分はどうでもいいと思われている、自分なんて意味がない・・・そんな深い深いあきらめの気持ちを持ってしまうと、子どもは反抗しません。親からの愛情があるからこそ、反抗できるのです。この講師は、愛情があったから、私たちの中に反抗する気持ちが湧いたのです。どうせ言ってもムダ、アホらしいと思ったら、2日間寝て過ごしたことと思います。子どもは反抗によって、自分を見つけ、自分を表現し、社会と折り合って自己発揮することを覚えていきます。反抗したいのに、反抗できないままでいると、その抑えられたエネルギーは少しずつ蓄積し、閾値を越えた時に、非行となって表現されたり、心の病になって表現されたりします。反抗は、親にとっては子どもの心を見つめる機会であり、子どもが親(自分)と違う価値観をもっていることを認めるきっかけであり、ある意味「自分の思い通りには行かないものだ」とあきらめをつけるチャンスです。だから、「この時期は、反抗して当たり前だから」「思春期だからしょうがない」と思って、本人の心に耳を傾けるのを忘れてしまったら、反抗する意味がなくなってしまいます。「あなたが反抗的なのは、思春期だからよ、大人になれば親に感謝するようになるわ」などという親の言葉は、どれほど子どもの心を逆なでするか、理解できますよね。子どもの反抗は、流すところは流しながらもしっかり受け止めてあげたいものです。親が望むような道を歩んでくれなくても、期待にこたえてくれなくても、子どもが発達障害を持っていても、イライラさせられたとしても、どんな子であっても、愛し、許し、受入れようと、親も努力のいる時なのだと思います。思春期は、親が自分を変えるときなのだなと、しみじみ思っています。みなさんはいかがですか?Akikoこのシリーズは、ここまでです。数多くの励ましやメッセージをありがとうございました。返信が書けずにいますが、心から感謝しています。
2008年03月12日
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なんとなく、講師の話は右から左へ聞き流していたのですが、ふと気がつくと、講師がなにやら「情」のこもった、しっとりとした話をしています。時計を見ると、あと15分でこの2日間の研修も終わりになるという時間でした。講師は、穏やかな優しい口調で、ご自分のことを語っていました。「自分は、若い頃は、頭ごなしに叱りつけ、相手を納得させるために一生懸命説き伏せ、力で押さえつける上司だったんですよ。相手の気持ちを聞いてやろうなどと、思いもよらなかった。自分の主張を通すためにはどうしたらいいかをいつも考えているような、そんな人間だったんです。」「それが、カウンセリングマインドを学んで、びっくりした。相手の気持ちを聞いて、相手の弱いところも認めてあげて、褒めてあげることが大事だということを知り、それを実行するようになったら、目からうろこが落ちたんです。そうしたらね、それまで反抗的で、ちゃんと就職もせずにフリーターになっていた息子が 「親父、変わったな」って言ったんですよ。今は、ちゃんと就職して、一人前にやっています。相手の「情」に耳を傾けるっていうことはとても大事なことなんですよ。だから、今回の研修でも、私は決してみなさんを否定せず、気持ちを聞きながら進めてきました。」(・・・と、胸を張って言いました!!)・・・・ここまできて、みんないっせいに「えっ??」っと、声には出さずに、驚いて、顔を上げました。・・・マジ?!本気で言ってるの?ええー?この講師は、これだけバッサリ人のことを否定しながら、本人としては否定していないつもりだったんだ!!講師は、自分が他人を否定しているとは、気づいていないんだ。驚きでした。親っていうのは、こういうものかもしれません。自分は子どもにとって良かれと思うことを勧めているだけで、子どもを否定した覚えはない、子どもの力になろうと協力したことはあっても、足を引っ張ったり、嫌がるようなことをしたつもりは一切ない。子どもは「親に否定された」と悔しく思っていても、親は露もそんなことは思っていないかもしれない・・・ということを驚きとともに、知りました。・・・それに、この講師は、こんなレベルでも、過去に比べたらかなり人の気持ちを受け入れられるようになったってこと?そうか・・・このオヤジさん、成長したんだな・・・カウンセリングマインドを学んだら、こんなにも自分も部下も子どもも変わって、本当にうれしかったんだな・・・。オヤジさん、がんばってきたんだな・・・。色々な答えがあって良いのに、一つの答えにこだわったのは、自分と同じような間違いを犯さないで欲しい という親心だったんですね。その時湧いてきた感情は、40代ぐらいになった子どもが、親の老いた背中を見て、「親父、反抗ばっかりして悪かったな」・・・とつぶやくような「別に父さんのこと、嫌っていたわけじゃないのよ」・・・と慰めるようなそんな気持ちでした。「オヤジさん、ごめんね、それから良かったね」と心の中で、つぶやいていました。根本に、研修に対する(子育てに対する)熱意と愛情があるのは感じていました。だからこそ、この講師のことを嫌ってはいないのです・・・好きじゃないけど(笑)、嫌ってはいない・・・でも、講師(親)を信頼できず、心を開けず、もちろん尊敬もできず、距離は離れていくばかり・・・。私たちから信頼されていないと感じるからこそ、講師(親)は、努力に比して、達成感がなく、さみしさを背負っているのではないのかな・・・。そうか・・・。ふー。でも、できれば・・・、もしも私が、講師の(親の)立場になってこの状況を一から見直すとしたら、やはり、研修生(子ども)の気持ちに気づいて、避けられる反抗は避けてあげたい、もっと有効に学ばせてあげられる講師(親)でありたい、と思います。講師は、愛情に満ちていたと思うけれども、方法・スキルが間違っていただけなのだと思うのです。動機は良かったのに、方法を間違ってしまった。それから、いい反応がなくて、ちょっとむきになってしまった・・・これはお互い様ですが。親子関係でも、良くあるすれ違いですね。子どものためを思ってのことなのに、裏目に出てしまう・・・。もうひとつ、教訓を得ました。成功体験や自信は、その人の強みに見えますが、そこにこだわってしまうと、その強みこそが弱点となってしまう、発展のボトルネックとなってしまう、 ということです。カウンセリングマインドを学んだことによって、自分を変えて愛情関係を取り戻せたという成功体験こそが、この講師の幸福感であり、強みです。この成功体験を他人にも味合わせてあげたい、という親心です。研修開催の熱意になっています。でも、その熱意ゆえに、それ以外の発言を否定し、色々な考えがあるということを認められなくなっている。成功体験というのは、ある意味恐いものなのだ、と自戒しました。成功体験にこだわってはいけない・・・気づかないうちに、成功体験が自分の成長を妨げているかもしれない・・・気をつけよう。そんな教訓をもらいました。今回は全部、反面教師でしたが、いい学びを提供してくれました。この年齢で「反抗したい!」という、健全な心の揺さぶりを経験させてもらえたのは、とてもラッキーだったなぁと、講師には感謝しています。もう一点付け加えると、私たちが反抗したくなったのは、この講師がいい人(いい親)だったという証拠だと思うんです。そう思いませんか?・・・え?なぜそう思うのかって? それは、明日のお楽しみ。明日が最終号です。Akiko
2008年03月11日
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研修が進むにつれて、講師に質問されても「講師が求めている言葉を言いたくない」と思うようになってきた私たちです。講師がこんな質問をしました。講師 「男性が女性にふられる時のセリフで、多いのはどっち?「私の気持ちを分かってない」「私の話を聞いてくれていない」どっちだと思う?Aさん:「えー(ふー)・・・気持ち」(言葉が短くなる)Bさん:「気持ちをって、ことですよね?(そう言ってほしいんでしょう?!)」Cさん:「えーでも、ふる時は色々だし、そんな・・・まぁいいや!はい、気持ちです」答え方に素直じゃない感じがありありと出てくる。「えー」とか「はいはい、もう」といった反抗的なニュアンスが混じり始め、みんな下を向いて、しらっとする。これが親子関係だったら「その態度は何だ!」なんて怒って不機嫌になる親御さんもいるでしょうね・・・。子どもは、言いたいことがあるのに言えない、もしくは、言っても通じない・・・と思っている・・・といったところでしょうか?次に、コーチングの学習に入った。またまた講師からの質問。 講師 :自分の子どもが、テストで50点取ってきたとする。子どもに何て言う? はい、BさんBさん:ブチ切れます。(全員笑)講師 :ブチ切れちやうの?まぁ、それもありだねぇ。Hさんは?Hさん:なぐります。(爆笑)・・・(絶対に講師が求めていない答えを言ってしまう・・・)(あーなんだろう!この爽快感!こんなことでスカッとしてしまうのか!!)講師 :そうだよな、だから、何とかしないといけないんだよな。Gさんは?Gさん:私もカーッとして叩いちゃう講師 :そうか、そうやっていると親子関係はめちゃめちゃだよな~、テストのたびに叩かな いといけない。それでいいのかい?いいわけないよな。だからこの勉強をするんだ よ。講師と研修生は、だんだんやり取りがずれて行きます。研修生の「反抗的な気持ち」から出た言葉に反応し、講師は、「そんなじゃだめだよ」とさらに否定し、正そうとします。だんだん距離が離れてきたなぁ・・・と思いながら、見ていました。さらにやり取りは続きます。講師 :いいかい。じゃぁ、Cさん、何点取ったらいいと思う?って聞くかい?Cさん:さぁ・・・まぁ、はい講師 :そんなじゃだめだよ。その質問だと、答えは「100点」しかないじゃないか。子どもは100点としか答えようがないけど、100点取りたいとは思っていない。言わされているだけなんだよ。Cさん:(キッとなって)まず、受け止めてあげないといけないですよね!話を聞いてやって、頑張った部分と頑張れなかった部分を受け止めて応援してあげる。それから、コーチングなら、「何点取りたいと思う?」と訊ねて、そこまで努力できるように応援します。講師 :あっそ、でもちょっと言い方が違うなぁ。その時に、「おまえは何点取ったらハッピーな気分になれるか?」って聞いてあげたらいいんだよ。本人に気持ちを聞くんだよ。良いか悪いかじゃなくて、本人にとってハッピーに感じる点数は何点かって聞いてやればいいんだよ。Cさん:えー、(つぶやく)おんなじだと思うけど・・・ぶつぶつ講師は、研修生の発言を否定しているつもりはないようですが、自分の計画通りに講義を進めるために、講師の思惑からはずれた研修生の発言は、ズバズバ否定しています。否定されないように、努力して、いい子発言をしようとしていたのもつかの間、わざと相手の意に反する答えを言って、さらに否定されるような発言を呼び寄せます。そして、そのとおりさらに否定されて、相手は「間違っているものを正そう」として、躍起になってきます。ここでも、「情」の部分で損なったものを、「理」で解決しようとするからこそ、もつれがおきています。まさに、講師の教えのとおりですね(笑)間違いを正そうという思いには、相手を否定する要素が含まれていることが多いのです。講師は(親は)教えてあげようと思っているだけで、そんなつもりはぜんぜんなくても・・・です。ここが、要注意な点ですね。否定される、認めてもらえていない、発言を受け入れてもらえない、自分の発言を講義に生かしてもらえない、と感じると、人は無力感や言っても無駄というあきらめに駆られ、こんな反応をしてしまうのですね・・・。どんな年齢でも、こんな心の動き意は起こります。思春期は、エネルギーが高まっているときなので、「反抗して当たり前」「反抗するのは思春期だからしょうがない」と言われると、言われた方は、「自分の気持ちや言い分に、耳を傾ける気がないんだろう」、「どうせ言っても分かってもらえない」と言う気持ちを強めてしまうでしょうね。本当に逆説的ですが、この講師の言ったとおり、「気持ち」の部分を聞いてあげないと、この反抗的なエネルギーというのは、解消されないのです。そのことを講師は、反面教師として実践的に教えてくれました。ところが、最後の15分に、また心動かされる話があり、この講師のことをいとおしいと感じることになるのでした・・・。(つづく)Akiko
2008年03月10日
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講師は、「感じたまま、思ったままを答えなさい」と言いながら、次々と私たちに質問を投げかけます。でも講義を進める筋道が決まっていて、そのとおりに話を進められるように、ある決まった答えを求めているのです。(まるで親が子どもの人生の筋道を決めて、その“正しい”人生を歩ませようとするかのごとく)講師の望んだ答えが出てこないと、次の話に進めなくて、「ええー?!」とか「そうかい」と冷たく返してくるのです。結果として、研修生の答えを「正」「誤」で分けているように聞こえる。本人にそのつもりがなかったとしても、受容か拒否かで反応されると、「正」か「誤」 「肯定」か「否定」と言われているように聞こえるのです。決まりきったひとつの答えを求められると、そのように感じてしまうのです。 講師が「何のために人を育成したいか?」と訊ねました。Fさん「いい仕事ができるように・・・かな」講師 「ほぅ、Gさんは?」Gさん「うーん、自分が楽するためかなぁ」講師 (かけよって握手をし)「そうだよ、そうでしょう!そのとおりだよ!」こんな風に、期待通りの回答をもらえると、その研修生とうれしそうに握手をします。「あんたはいい人だ」「私の期待に応えてくれる」という肯定的なメッセージを全身で伝えます。(オーバーアクション~笑)何度もこんな様子を見ていると、私たちはだんだん、「自分らしい正直な答えをしよう」「思ったままを話そう」と思うよりも「講師の求める正解「正」を答えよう!」としてしまうんですよね・・・。「正」の答え(期待される答え)を探し始めてしまう。そう、ついつい、「いい子」であろうとしてしまう。人の期待にはこたえたいと思うのが、人間の本能なのでしょうか。一所懸命、講師の求める答えを探し始めるのでした。「あ~はずれか」「当たった当たった!」研修生の多くが、講師の求める答えを探そうとしているのを感じます。そうするとね・・・・・どうなったと思います?すねていた人も、ほくそ笑んでいた人も、だんだんシラーとしてきて、だんだんおもしろくなくなってきたんです。そして、だんだん講師の期待通りに答えようとする自分がいやになってくる。悔しくなる。そう、悔しいんです。相手の求める答えをしたくないと思う。いい子でいたくないと思う。こんなのおもしろくない、もっと自分の感じたままを話したい。もっと楽しく学びたい。もっと自分らしくありたい。・・・そう思うようになったのです。これって、生きるエネルギーなんだ、と感じました。自分らしくありたいって、人間の(思春期以降に強くなる)本能なんだなって。人間って、心の中に「生きるエネルギー」や「自分らしくありたい」という本能や「自発性の芽」が生まれながらに組み込まれていて、それを発揮したいという、本能があるんですね。自分が否定されたように感じたときに、自分の中に生まれてくる悔しい とか、人の思うままになりたくない とか自分らしくありたい っていう感情がこんなにも生き生きと自分の心に揺さぶりをかけて来るんだなぁと、客観的に自分の心情を眺めていました。(「正」「誤」でコミュニケーションしてはいけないと、講師は教えてくれました。なのにやってることは、相手に「正」を求める・・・というパラドックスで、学ばせてくれます。「理」で話されて「正」を求められると、こうなっちゃったんですよ。まるで人体実験)(笑)それが、いよいよ2日目になると、各人が個性に合わせてこの感情を表現し始めるのです・・・クックック・・・(笑)(つづく)Akiko
2008年03月07日
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「いい報告書を読んでも、決裁印を押すだけ」と答えたDさんあの講師とDさんのやり取りを見ていて、他の研修生はどう思ったのだろう?確かにDさんは「硬い人」という印象はあるけれども、私だったら、あんなふうに言われたら傷つくだろうな・・・。貧しい人生だなんて決め付けられて、それがいけないかのように言われると、そんなの放っとけ・・・人には人の生き方があるんだって・・・色々な人がいていいはずなのに・・・講師がああいうと、あの人は硬い人・・・ってみんな思っちゃうのかな?うちの息子なんて、人の気持ちが感じにくいから、「心の貧しい人扱い」されちゃうんだろうな・・・「情」が薄いと・・・感じない人だっていていいはずなのにな・・・そんなことを思いながらも、研修は続く・・・。「OJT(職場内研修)に成功した事例と失敗した事例、その原因を挙げよ」というお題について、グループでディスカッションし、模造紙にまとめろ、という課題を与えられた。グループディスカッションをしていると、他の職場での取り組みや工夫や苦労が良く分かって、とてもおもしろい。大いに盛り上がって、話がまとまってきた。話し合いの結晶を模造紙に書こうとすると、講師が回ってきて、「あれ?何をやっているの?事例を書き出せっていうお題だよ、原因を普遍化して、抽象的に論じろとは言っていないよ、ただ、事例を書き並べればいいんだよ。あんたたち公務員っていうのは、すぐにこうやって抽象化してしまう癖がある、一つ一つの具体例をそのままに挙げることができない。事例に自分勝手な意味づけをせずに、ありのままを書き出すっていう作業が大事なんだよ。自分たちのそういう特徴に気づいた?そのために、何の解説も与えずに課題に取り組ませたんだよ」ええ?なんですって?ディスカッションは意義深かったが、講師の求めているものとは違っていたの・・・?「ああそうか・・・」と納得した人もいたかもしれない。「あーあ、落とし穴に落ちちゃったよ」ガックリした人も。この辺から、私はへそが曲がってきた。講師の言っていることはそのとおりかもしれない・・・正論かもしれない・・・でも、欠点を指摘することで、自分たちの間違いを自覚させて正させるために、こんな落とし穴に落としたんかい?!欠点を指摘して、改善させようっていう手なんだな・・・くそう。講師が「理」で言っていることは、正しいのかもしれないけれども私たちは、指摘を受けたことで「情」の部分を損ない、だんだん口数が少なくなっていった。講師自身が、さっきこう言ったではないか。「人は、言われたことが正しくても、立場・心・気持ちを損なうと、感情的になるものなのだって。だから「情」の部分を聞いてあげることが大事なんだって。そうだ、講師の言っていることは確かに正しい!!正論だ。私たちは、その通り、気持ちを損なって感情的になっているのよ。そのことを証明してくれているのかな?でも「情」の部分も聞いてよ~」でもまぁ、大人なので、大人の態度で、講師を立て、笑顔も見せて雰囲気を損なわないように努力し、きちんと研修の流れに乗って、まだまだおりこうさんにしているのでした。(つづく)
2008年03月06日
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みなさん、こんにちは。先日、仕事で「人材育成指導者研修」という2日間のプログラムで少人数型の研修に参加させてもらいました。これが、なんともいえないパラドックス体験をした、心揺さぶられる(?)研修だったので、「人はなぜ反抗するのか?」と題して、何回かに分けて、書き綴ってみようと思います。何でこんな題名なのか、最初は分からないと思いますが、お付き合いください。反抗期のお子さんがいらっしゃる方は、親子関係と、ちょっとだけ重ね合わせながら読んでみてくださいね。違う視点で見るとおもしろいですよ。**************************2月下旬、この研修に小論文を書いて申し込みをし、選考されたため、参加のチケットを手にしました。職場では、団塊の世代が次々と退職し、新人が多数入ってくるため、育成しないと一定のレベルを維持できないというニーズを持っているため、大いに期待して参加したんです。研修には、県全域から17名の研修生が集まっていました。講師は、人材開発うんたら・・・という民間の会社から、初老の元気いっぱいで話し上手の男性です。身振り手振りを混ぜながら、まるで落語でも話すように、講義を進めていきます。講師は、研修生を次々と当て、質問に答えさせます。講師 「先輩に自分の作成した報告書を読んでもらって、意見を聞きたいときに、“この報告書、どう思いますか?”と訊ねるのと“この報告書、どう感じますか?”と訊ねるのとどっちが答えやすいと思うかい?ハイ、Aさん」Aさん「うーん、“どう思いますか?”かなぁ」講師 「へぇ~、ハイ、Bさんは?」Bさん「“どう感じますか?”です」講師 「そうだよね~、Cさんは?」Cさん「私は、仕事だから、やっぱり“どう思いますか?"」講師 「たいていの女性はね、“感じますか”って訊ねられた方が、答えやすいって言うんだよ」講師曰く、「理」で尋ねると、答えは「正」か「誤」しかない。でも「感じますか?」と感覚「情」を訊ねてあげると、決まった答えはない。どう答えてもいいから自分の気持ちを伝えることができる。「報告書間違っていますよ!」と言われたら、「理」では、そのとおりだと思っても、「情」の部分でムッとする。「理」で尋ねて、「情」でムッとして、また「理」で「まぁまぁ、抑えて抑えて」なんて答えると、後で必ず再燃してバトルになる。だから「情」の部分を聞いてあげないといけないのだ、と。うーん、なんかそのとおりな気がするが。・・・でもなんかなぁ・・・・。さらに、講師からの質問は続きます。講師 「読ませてもらった報告書が、よくできているなぁ、と思ったら何て言う?Dさん」Dさん「うーん、読みました、と言って、決裁印を押します」講師(のけぞるポーズをとりながら)「へぇ~、それだけ?他に何か言わないの?そんな貧しい人生を歩んでいるの?良かったです、とか、言ってあげないの?」Dさん「思いつきませんでした・・・」それ以降、講師はDさんのことを「情」を見失った心貧しい女性だというレッテルでも貼ったのか、やたらと丁寧に説明したり、さかんに「どう感じる?」と質問したり、ちょっとした特別扱いをしています。「あ~、これが目に見えないレッテル貼りかぁ。人が思っていることをやめてくれ、とも言いにくいし、相手には悪意がないし、でもこんな風に決め付けられたら、いやだろうなぁ」さらに、陰でのCさんの話「私はね、プライベートなら どう感じる?の方がいいよ。でもね、仕事上で嫌な感じと思うような報告書読まされても、「嫌な感じでした」と言ったら返って角が立つでしょう?だから、仕事と割り切って、「正」「誤」の判断だけでもかまわないと思ったけどね「ここ間違っていましたよ」の方が、角が立たないと思ったから、ああ言ったのに・・・なのに、大多数の女性は感性を大事にするっていう意味でしょう?・・・私ってそんなに情を大事にしない人間ではないと思うけどな・・・?」「私たちの言い分を言ったり、事情を説明したりする余地がないから、手も足も出なくて、なんだかね~。」でもまだまだ、研修の初日です。みんな何食わぬ顔をして、おりこうさんにし、講師の質問攻撃にも、嫌な顔をせずに積極的に受け答えしています。それが2日目になってだんだん変わってくるのですよ・・・お楽しみに(つづく)Akiko
2008年03月05日
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中学生になって、はや一年がたちました。あの受験から、一年も経ったということがうそのようです。アスペルガーの息子を育てていて、できる限りポジティブに、読んでくださる方の役に立てるようにと願って、このブログをはじめましたが、このTAKUYAの一年間は、アスペルガーのお子さんを持つ親御さんを勇気付けられるようなものは、学校の中では、何もなかったように思います。学校には色々と働きかけたのですが・・・。小学校の先生は、親が子を見るようにありのままに受け入れて、成長を支えてくれました。なぜ、中学校の先生には、本人の気持ちすら分からないのだろうかと不思議に思うことが多々ありました。学校とどう歩み寄るかをもっと考えるか、それとも、学校外で元気に過ごせていれば、それで良しとするか・・・。TAKUYAは、学校外では本当に元気です。学校では授業のエスケープも多く、振るいませんが、塾の先生にそのことを話すと、びっくりなさって、「TAKUYAくんは、塾では優等生ですよ!どんどん質問するし、理解できるまで食いついてくるし、理解も早いです。学校での様子は想像もできません」と。塾で数学と英語のテストをしてもらったら、よく点数も取れています。学校では、まじめに取り組まなかったり、小テストは白紙で出したり・・・。これほどまでに、学校の様子と学校外での様子が違うのかと私も驚きました。学校の先生の話だけを聞いていると、うちの息子の能力の限界なのかとあきらめの気持ちになってきますが、そんなことで簡単に落ち込む必要はないのです。学校の様子が、本来の息子の姿だと思う必要はない・・・学校では、学校の一本のものさしでしか、子どもの能力を測りません。世の中のものさしは一本ではないのです。学校のものさしでは計れない力を持っている子どもなのだと、いつも思い、TAKUYAを勇気付けています。されど、学校で力を発揮できずに悩んで、苦しんでいるのも事実で・・・中学校というのは、本当に難しいものです。なぜこんなにも、中学校で本領を発揮するのが難しいのか・・・考えて見ます。Akiko
2008年03月04日
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TAKUYAは、ソーシャルスキルの未熟さから、学校でトラブルを起こし、「僕はこれでやっていける」とは思えなくなり、自信をなくし、自尊感情を損ねて、落ち込んでいます。であれば、彼を癒すものはなんでしょうか?薬?一時的に補助的には、助けてくれるでしょう・・・。彼の食欲不振を和らげ、腹痛や吐き気を取ってはくれるでしょうが、根本的な解決にはなりません。休養?そう、今はこれが一番の薬なのですが、エネルギーが回復したらそれで解決するのでしょうか?休養だけでは癒されないですよね。やはり、ソーシャルスキルを身につけることだと思うんです。それによって、少しずつ自信を取り戻し、成功体験(というか、失敗しない体験でもいい)を積み、「それなりに自分はこれでいい」と思えるようになってくれれば・・・と。医療機関にもかかっていますが、そこは、中学生の療育(SST・・・ソーシャルスキルトレーニング)の枠は、4名です。何年も満員状態だということで、待機してもキャンセルが出るとは思えません。近隣の医療機関のどこを尋ねても、療育に空白があるところはないですね。医療機関に対してとても不満なのは、療育を受けられない子に対する「どうしようもないわね」という雰囲気です。多くの親が、「どうしようもないのか・・・この子達の将来はどうなっていくのだろう?!」と、将来に見通しの持てないまま不安な思いを抱えているのではないかと思うと、腹立たしくなってしまうのです。それに、多くの親がSSTの効果の程を知らないから、不満も言わず、希望も持てずに、不安なまま置いておかれているのだと思います。最近、SSTの講習に参加したり、本を読んだりして少しずつ勉強を再開しているのですが、SSTを受けた子どもたちは、確かに成長していますよ。ソーシャルスキルをのばして、適応力や人間関係の混乱を解く術を身につけています。少なくとも、SSTをやる療育施設に「つながっている」ということが、本人や親にとっては心強いことだと思うのです。何かトラブルがあったら、そこでもつれた糸を解きほぐすことができるからです。そういう機関とつながっているということが、とても大事だと思うのです。でも、私がさらに腹が立ってしまうのは、どこの療育施設も「研究」や「学会発表」に重きが置かれているとしか思えないほど、少人数の子どもたちだけに、かなり濃厚なケアを提供しています。「研究のために療育してるのか」と、文句を言いたくなってしまいます。そんなの「大名診療」「大名療育」だよ。これだけ困っている子がいるのに・・・。困っている子に手を差し伸べるのが医療の本来のあり方のはずです。うちの主治医のところだって、一体何人の中学生が受診していることでしょう・・・。4人ということはないはずです。4人プラスうちの息子だけというはずはないです。4人プラス大勢です。その大勢の子どもたちに、主治医は「しょうがないですね~」と言っているはずです。医療機関で薬以外に何を提供しようとしているのかと、同じ医療者だからこそ腹が立ってしまうのです。診断だけしたら放置するの?と。親がわが子に対して療育をやるというのはなかなか壁がありますが、でも、親しかいないのなら、親がやるしかない・・・という結論に今、たっているのです。やれることをやるしかない・・・。色々な素晴らしい教材も売っているんですよ。がんばってみます。でも、色々な手を打っていこうと思っています。先日、教育相談センターと相談して、中学校内でSSTをやってもらえるように一緒に学校に働きかけていくことになりました。私立の中学なので、学校の体制に対して、センターとしては、指示は出せない。・・・けれども、他にも発達障害を持つ子はいるので、SSTをやることによって、その子達にとっても良いし、とても効果があるものだし、ひいては学校運営そのものがよくなる(ラクになる)のだということを、保護者の立場からと専門家の立場から、伝えて行くことになっています。そのための作戦を今、練っている最中です。学校側に負担をかけすぎず、学校にとってのメリットを提供できる形でスタートし、多くの先生方の理解をまずは得られるように、何年がかりで進めていくことになるでしょうか・・・。上手にやらないと、普通に考えたら断られるものですよね。実現した時には、息子はもう卒業しているかもしれませんが、それでもいいのです。完璧なSSTである必要はないのです。どんな形でもいいから、みんなで手探りで、子どもたちが必要としているものを提供できるように努力していく、そこから始められればいいと思っています。完璧でなくていい、きちんとした形でなくていい、子どもたちが必要としているものを「体制がないから」とか「やったことがないから」という理由でやらないなんて必要はないのです。子どもたちが必要としていることは何でもやってみよう!!そんな手探り・手作りの支援を提供できるように、子どもたちが過ごしやすい場所が少しでも増えるように・・・努力してみたいと思っています。Akiko
2007年11月12日
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小6の一年間、とても安定してトラブルもあまりなかったので、親も安心していました。周囲の理解を得て、先生とも友達とも仲良く過ごせたゴールデンタイムだったなと思います。中学生になったらこうはいかないと覚悟はしていたものの、やっぱり「中学生の壁」は大きいです。中学生になった今、本人の苦しみの根っこは・・・ソーシャルスキルのなさだと感じます。場面に合わせてどう行動したらいいのか分からない。とりあえず環境が整っていれば、小6の1年間のようにトラブルなく過ごせても、ソーシャルスキルが未熟なままだと、環境が変わるとやっぱりトラブルが出てきてしまうのです。小学生の時は、自分が場面に適した行動をできていないことをあまり理解していなかった。適した行動ができていない自分を恥ずかしいと思わなかった。まわりの子が理解し、苦手な所はフォローしてくれていた。中学生になってからは、自分がどう行動したらいいのかわからないし、何とかしないといけないと思うし、学校の中で、誰が助けてくれるのか、今ひとつわからない・・・。先日、文化祭の準備の段階で、大きくつまづいてしまいました。いつもと違う、構造化されていない授業の中で、漠然としたものを作り上げなければいけなくて、動き方も人それぞれ、学校中が、ワサワサとしていて落ち着きません。何かしなくちゃ・・・と、TAKUYAは毎日焦っていたようです。それで、身近な友達に「何をしたらいいの?」「僕はどうすればいいの?」と聞いたものの、聞かれた友達も分からないのだと思いますが、「うるさい」「あっちいけ」「邪魔だ」さらに、何かしなきゃと思って、友達の後ろにくっついて歩く・・・という行動を選んでしまったTAKUYAは友達に嫌がられて(そりゃそうだ)、「ストーカーと呼ぶぞ」と言われて、切れてしまいました。1.どうしたらいいのかわからない時に、適切な相手を選んで、きちんと質問できる2.後ろをくっついて歩いたら相手はいやがるということがわかる3.どうしたらいいのかわからない時は、「何もしなくていい」と考えて、ただ見ているそんなことができるだけで、乗り越え方は違っただろうなと思います。ソーシャル・コミュニケーションが本当に下手です。こういう場面ではこういう話し方をすれば伝わるということが分かっていない。自分の意図が伝わっていないばかりか、逆効果ばかりです。さらに、学校でかんしゃくを起こしてしまう自分のことを、小学生のときはあまり気にしなかったのに、今はそれがとても恥ずかしく、ひどく後悔して、落ち込んでいます。学校でかんしゃくを起こしたらいけないと自分でプレッシャーをかけてしまうため、頻回に腹痛や頭痛を起こして、保健室でお世話になっています。中学生になって、自分のことを客観的に見る視点が育ってきているのは成長の証なのですが、その上で、「自分はこれでいいのだ」と思えるようになる・・・というのは、なかなか難しいものがありますね。自分のことが分かっているのに、自分のコントロールができないという「軽度」発達障害ゆえの「重い」悩みだと思います。学校でのトラブルが続くと、「自分はダメだ」と自尊感情が傷ついてきて、どんどん感情のブレが大きくなるでしょう。だからソーシャルスキルを身に付けられるようになんらかのトレーニングをしていった方がいいよとアドバイスをもらいました。自分はこれでいいのだ、自分はこれで大丈夫学校の中でもそう思えるようになると、それなりに苦しみすぎずに生きていけるのだろうになと、今は切ない思いでTAKUYAを見ています。Akiko
2007年11月10日
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「こだわり」をはじめとする 自閉症スペクトラム独特の特徴も年齢が上がり、少しずつ社会性が身についてきたことやまたトレーニングを心がけてきたことによって・・・なのか、教えれば、訂正できる教えれば、(常識的な方法を)体得できる教えれば、困難さを回避できる というようになってきたなぁと思います。幼児期には考えられなかったことのように思うのですがはたから見ても、「こんな人、いるいる!」ぐらいで終わってしまうことが増えたように思います。TAKUYAは、「たこ焼きは、爪楊枝で食べるもの」「握り寿司は手で食べるもの」と決めています。こだわっています。(他人には強要しません)今日、家庭でたこ焼きを食べようとすると、どういうわけか爪楊枝が一本もないのです。どこかに消えてしまいました。「ない、ない・・・」と探していたTAKUYA。私と娘のナナコで、ニヤニヤ笑い、「ラッキー!二人の食べる分が増えるね!!」と言って、箸で食べようとしました。すると、「ワァー喰うな!!オレも喰う!」「でも、爪楊枝がないでしょう?!たこ焼きは爪楊枝でしか食べられないんだよ~。私は箸で食べるけどぉ~」「いいんだ、オレも箸で喰う。なくなる前に喰ってやる~」はいはい、こだわりより食い意地ね。なんだ、機嫌も悪くしないのか。泣くどころか怒りもしないんだな。へぇ~あきらめはやくなったね~!!それに、私とナナコが本気で意地悪していないこともよく理解してる・・・。ふざけて言っているだけだとわかってるから、乗ってくれるんだよね。よかったよかった。こんな日も来たのか。ま、今、夏休みでストレスが少ないっていうのも影響しているのでしょう。ストレスが少ないと、いろいろなことがスムーズにできますね。もうすぐ夏休みも終わりですね・・・。Akiko
2007年08月26日
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皆さん、夏を楽しんでいますか?TAKUYAは、夏休みになったらウソのように元気いっぱいになり、東北の友人宅へ行ったり、合宿に行ったり、その後家族で沖縄に行ったりして毎日楽しく過ごしています。1学期の体調不良はどこへ行ったものかと思うほど、遊びでハードスケジュールなのに、毎日ニコニコ元気いっぱいでこんなにも体力のある子だったのかと、ちょっぴり驚くほどです。1学期中は、悩んだ私でしたが、こんなTAKUYAの姿を見て、やっと一息つけた気がします。こどもの笑顔が、親にとっては何よりの薬なんですね。沖縄では、いとこたちと一緒にシュノーケリングを楽しみました。沖縄って、海岸からほんのちょっと沖に出るだけで、珊瑚礁の中に住むたくさんの美しい魚たちを見ることができるんですね。それはそれは本当に美しい世界で、惚れ惚れしながら魚たちを見て海に浮いておりました。TAKUYAは、アスペルガーの特徴でもあると思うのですが、とても慎重タイプで、やや水が怖いので、足の届かないところに浮き輪を持たずに泳いでいくことは決してしません。姉や同世代のいとこたちは、怖いもの知らずです。魚になったようにずっと海に漂い、時々潜ったりして長時間楽しんでいます。TAKUYAは、ひとり海岸から50cmぐらい水に入ったあたりで座ったり寝転んだりして、水とたわむれています。みんなと別行動でもいいと言います。「絶対おぼれるようなことはしないから、お母さんも安心してシュノーケリングして来ていいよ」というので、私も沖に出て、ナナコや姪っ子甥っ子たちと一緒にシュノーケリングを楽しみました。戻ってきた時、TAKUYAに「楽しかったの?」とたずねると、とても満足げな顔で「うん、楽しかったよ」「何をしていたの?」とたずねると、その答えがとても良いのです!「僕ねぇ、珊瑚の気持ちになっていたんだよ」珊瑚になった気持ちで、水の中にいてボーっとしたり空を見たりしていたんだ。この子はみんなと一緒でなくても、自分で自分の世界を持っているんだなぁ・・・ひとしきり、TAKUYAのそばに座ってわたしもボーっと座って一緒の時を楽しみました。「ここねぇ、海岸が全部、貝殻で敷きつめられているでしょう。だから、波が来た時、シャラシャラシャラ~っていうんだよね。小豆だけでは出せない音だね」その発想のおもしろさに、思わず吹き出してしまい、大笑いした私でした。確かに、シャラシャラシャラ~って、本当にきれいな音がしているのです。これは、沖縄の海でしか味わえないような、なんともいえない海の音なんです。そう、海も場所によって色々な姿・色々な音・色々な感じがあるんだよね。こんな感性をいつまでも忘れずに、色々な海を楽しむ方法があることも忘れずに、自分らしい楽しみ方をしていけるといいね。Akiko
2007年08月12日
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昨日も早退したTAKUYAですが、ここ数日、腹痛・胃の痛み・頭痛・発熱などが続いていて、前夜は鼻血まで出してしまいました。おそらく不定愁訴だろうなと思いながらも、身体的な症状が色々あるので、身体の病気が隠れていたらいけないから・・・と、確認の気持ちで受診させました。確認の気持ちで・・・と言いながらも、親としてはTAKUYAのサポーターを一人でも増やしたいという気持ちで受診しているのです。受診したらすぐに良い方向に向くとか、身体症状がスッキリ消えるとは思っていません。でも、サポーターの一人にはなってほしい・・・と。今、教育相談センターの担当者も交代し、中学校の先生ともまだ十分な信頼関係を築けず、不安な思いで過ごしています。だからこそ・・・と思ったのですが。これまで見ていただいていた小児科の医師が退職するということで、今回新しい先生に診ていただきました。悲しかったですね~TAKUYAの目を見ないんです。私と話をするだけです。「食事が取れているなら、腹痛・胃の痛みは問題ない」今ここでできることは「病気が隠れていないか検査をすることと、吐き気止めのお薬を一応3日分出すことだけ」と、割り切り、後のことはここでは診れません・・・という態度で、ばっさり切り捨てられた気持ちになりました。言っていることは、その通りなのですが、でも違うでしょう・・・と言いたい。この先生は、病気を治すのは薬だけ、ここで診れるのは身体だけと思っているのでしょう。TAKUYAの方を向いて、TAKUYAに関わろうとはしていない。言葉とか、愛情とか、愛情のあるまなざしとか、そういうものがどれだけの薬になるか、励ましになるか、そういうことを考えたことないのかな・・・。ここで治せないとしても、目の前にいる子どもが苦しんでいることは事実です。そこに愛情を持ってくれたら・・・と思いました。誰であっても、どんな専門職であっても、どんな技術を持っていようが、何も持っていまいが、大事なのは愛情なのだと、最近ひしひしと感じます。これは保健師という専門職の自分に対しての自戒の言葉でもあるのですが、愛情がないと、どんな仕事も意味がなくなってしまう・・・むしろマイナスになってしまう。大事なのは愛情を持って人と接することなんだ。そう思いました。・・・・・会計で、「2500円です」と言われて、「エーーー高い!」内心、「あーあ、医者に払うより肉屋に払えって言うけど、このお金で回転寿司にでも連れて行ってやればよかった」と思った私でした。ま、冗談ですが・・・。検査はしてもらえたし、受診は必要だったと思うのですが・・・(苦笑)帰宅してから、TAKUYAに「あの先生のことどう思った?」とたずねるとTAKUYAの返事がおかしいのです。「あの先生はね、きっと良い先生なんだよ。テレビのドラマとかでよくああいう先生いるでしょ?!みんな過去に心に傷がつくような辛い出来事があって、それであんな態度なんだけど、でも本当は、実はいい人だったっていう、そういう先生だと思うよ」あっはっはっはっはTAKUYAに拍手!しました。Akiko
2007年07月21日
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中学の壁に突き当たっている今、小学校時代を思い出すと、確かに、確実に成長しているのです。小学校時代は、アスペルガーだということをカミングアウトし、TAKUYAの特徴についての理解を得て、友達が支えてくれていました。彼は、「支えられる側」でした。今、少人数で色々なお子さんがいる環境の中で、いじめられている女の子をかばったり、仲間はずれにされた子をかばったり、友達のことを気に掛けたりしています。「支える側」の自分も育ってきています。TAKUYAは彼なりの正義感で戦いつつ、でもしんどい思いをしています。TAKUYAが守る側にたつ・・・というのは、保育園時代以来のことかもしれません。いつも問題を起こして、叱られたり、かばってもらったりしてすごしていましたから。それだけでも、アイデンティティは相当、変化しているのではないかと思います。彼の世界の中には、「こうであってはいけない」という思い込みがあります。例えば、前の日記でも書いた「女の子をいじめてはいけない」というのがあり、女の子をいじめる子が許せなくて喧嘩をしてしまうのです。2週間ぐらい前でしょうか、「また、やっちゃった・・・・・」と落ち込んでいます。事情を聞くと、話す前に「あれは喧嘩じゃない、暴走なんだ」と言います。学校からの話によると、いじめられている女の子をかばっているうちに、カッとなっていじめっ子に殴りかかったはずが、止めに入った子を殴り、他の子を蹴飛ばしてしまったそうです。・・・相手のメガネをまた壊してしまい、弁償しました。謝りの電話を入れました。そのことを、「喧嘩じゃない、(ぼくの)暴走なんだ」と言っているのですね。「ストレスがたまると、自分が止められなくなる。学校にいるとストレスがたまる。だんだんストレスがたまってくると、きっかけは小さいことでも暴走してしまうんだ」と。本人はよく分かっているのです。でも、止められない。原因になっているストレスをなくす方法もわからない。学校には「不良の卵やひよこがたくさんいるから、学校にいるだけで疲れる」と言います。そういう子は、TAKUYAの価値観の中(思い込みの世界)では許しがたい行動をしているのだと思います。今日、学校の様子を見に行ってきました。TAKUYAが嫌がる気持ちもよく分かりますが、いわゆる普通の中学生の姿でした。大きな問題もなく、トラブルもなく過ごしていますが、TAKUYAは、「疲れる、腹痛がする、頭痛がひどい」と言って、今日も早退してしまいました。TAKUYAが苦しんでいることは事実です。でも原因がいまひとつつかみきれない。それが苦しいですね。どんな風に支えてやったらいいのかわからない・・・。見えないところでも、きっと色々なトラブルはあるので、疲れているのかもしれませんが、TAKUYA自身の認識力を変えて、もう少し楽に過ごせるような支援が必要なのだろうなと思いました。あと一日で、夏休みです。エネルギーを蓄えてやりたいと思います。Akiko
2007年07月20日
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みなさまこんにちは!すっかりご無沙汰してしまいました。みなさまお元気ですか??TAKUYAが中学校に進学し、一学期が終わろうとしていますが、「中学生の壁」というものにぶつかっているのか、四苦八苦しています。中学生の壁ってこれなんだな・・・と、思います。10歳の壁(ところによっては、9歳の壁というところもあるようですが)と中学生の壁の 二つを上手に乗り切ることが大事なのだと言われていますが、これは本当ですね。この春、我が家は上の娘のナナコは高校に進学し、TAKUYAは受験をして私立中学へ、毎月相談に行っている教育相談センターの相談員も異動で交代、私も仕事が超忙しくなり、残業続きの生活になってしまい、家族中がこの変化でかなりばてていました。私立中学に行ったため、よく同じ発達障害児のおや友達から「何も悩みはなくなったでしょう?!」と言われますが、そんなことはない。「どこかに行けば悩みがなくなる」なんていう、お任せモードで勝手に成長させてもらえるような場所は、日本中どこを探してもないと思っていたほうがいいです。またか、という気になってきますが、新しい環境になって、調整をするのにエネルギーが要らないわけはないのです。新しい環境になるたびに、親はしんどいですね。(いつになく弱気発言です・・・)まぁ、公立中学校に行っていたら、1学年8クラスの大所帯で、理解のない校長の元で悩んでいたでしょうから、少人数の私立に行ったおかげで、10の悩みが6か7ぐらいにはなっていると思います・・・いえいえ、4か5ぐらい??でも色々なことがあります。この1学期間のことを気楽に、少しずつ書き進めてみようと思います。更新を呼びかけてくれた、子育てリンクスさん!どうもありがとう。皆さんまたよろしくお願いします。Akiko
2007年07月19日
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GWも終わり、少しリフレッシュしました。おかげさまでTAKUYAの体調もすっかり元にもどりました。GW前にあった、授業参観と保護者会の様子と感じたことを書きますね。この日は、TAKUYAは体調を崩して欠席していたので、TAKUYAのいない授業を参観したのですが、中学校にしては珍しいほど生徒たちは積極的に手を上げて発言し、生き生きとしていました。好印象でした。私のこの感覚は、上の子が通っていた公立中学の様子と比べてのことです。「中学生にしては」というところがミソなのです。確かにTAKUYAが嫌がるとおり、小学校時代より子どもたちが成長して、思春期に突入しているので、言葉遣いが汚かったり、先生をからかうような口調でふざけたり、世の中を蓮に見るような態度や投げやりな態度はあります。特別なことではなく、年齢によるものです。小テストでこっそりカンニングしている子もいました。その子の事をTAKUYAはとても嫌がっているのですが、たしかに「見つからなければズルをしてもいいんだ」という雰囲気を発しているのが読み取れるのです。これは、言ってみれば世の中に出ればどこにでもあるようなものだと感じました。でも、TAKUYAにはこれが辛く感じるのだということがよく理解できました。TAKUYAの世界には、「これが正しくてこれは正しくない」という一種のこだわり(価値観)があり、それに反するものを受け入れるのはなかなか辛いのです。このこだわりは、例えば先日トラブルになったように「女の子をいじめてはいけない」というものだったり、「カンニングをしてはいけない」「先生をバカにしてはいけない」など、世の中のまっとうな価値観でありながら、破られることもある・・・といった類のものです。小さい頃に教わった善悪の基準が、TAKUYAの中に根付いていて、それに反するものを受け入れられずにいるのです。これは、発達障害児らしい反応だと思いました。小さい頃は「TAKUYA君の言っていることは正しい」と言われていたことが、成長すると、周囲は「そこまで怒らなくても・・・」という目で見るようになります。「世の中にはそういう人もいる、そういう人とも上手に折り合いをつけて生きてくことが大事なのだ」・・・ということを理解できるようにならないと、TAKUYAの持つ怒りや嫌悪感は解消しないのだと思います。これはなかなか大変なことだなと思います。中学生の壁とはよく言ったものです。成長の途中で出てくる悩みで、大人社会に適応するには、避けては通れないものです。もう一件、A君のことですが、小学校時代からかなりトラブルが多く、親御さんは苦労してこられた様子です。そのせいで防衛的になっているのだと思いました。保護者会でも浮いてしまうほど、子どもをかばっていました。よろいかぶとを背負って保護者会に出てこられたのだと感じました。いつか、心のよろいかぶとをとって、理解し合える関係になることができたらいいなと思います。きっと似たような悩みを抱えておられるのだと思います。先生ともきちんと話をしようと思っています。Akiko
2007年05月08日
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みなさん、4月23日の日記「悔しかったね」に、たくさんのコメントをいただいてありがとうございます。勇気付けられたり、うなづいたり、また、悔しくて私自身が内心吹っ切れなかった思いが吹っ切れて、これでよかったんだと思えました。スタート地点ですからね~。どうすればこれからうまく付き合っていけるのか、子どもと一緒に考えたいと思います。・・・実は、あの直後から、息子が高熱を出して丸2日間寝込んでいました。40度も発熱して、病院で点滴を受けたり・・・本当に疲れているんだなぁと思いました。疲れていると、こだわりも強くなり、感覚の過敏さも増してしまいますね。なんとなくTAKUYAは、人の口調をいつになく気にしたり、皮膚接触に過敏になっているような気がします。まずは身体を、そして心もゆっくりと休ませないといけないですね。TAKUYAは体調不良でまだ学校を休んでいますが、今日、授業参観と保護者会があったので、親だけ学校にいってきました。学校の様子・友達の様子・TAKUYAが苦しんでいた原因のようなものが見えてきましたし、いろいろな人と親しくなれて、安心感を持って帰ってくることができました。そのこともまた、次の日記でアップしますね。ようやくゴールデンウィークに突入しようとしています。親子ともどもゆっくり過ごしたいと思います。色々ありがとうございました。感謝。Akiko
2007年04月28日
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TAKUYAのここ2週間ばかりの話題は、クラスの一人の女の子をA君がいじめる話ばかりでした。それがイヤでイヤで、A君のことを怒っていました。TAKUYAには、TAKUYAの世界で「絶対やってはいけないこと」がいくつかあって、それを破られると、許せなくなるぐらいに怒るのです。その一つが女の子をいじめることです。でも、「どんなに相手が悪くても暴力はいけない」と約束をしていますからTAKUYAも一生懸命我慢していたのだと思います。この約束は、1年以上守られていたのですが、今日とうとう・・・朝一番に、A君と取っ組み合いのけんかをしてしまったそうです。きっかけはたいしたことではなく、靴を取るのを邪魔して抱きついてきたので、払いのけただけだったのに、相手に手を出されたら、ついカッとなって、のしかかってしまったと言っています。それで、その子のメガネが壊れてしまいました。保険でお金が降りなければ、弁償することになりそうです。その後二人ともすぐに冷静になれて、普通の生活に戻れたそうですが。学校から連絡をもらって、家に帰って本人から話を聞きました。顔つきが変わるほど悔しい思いをしていたようで私がA君の家に、謝りの電話を入れようとすると「二人とも悪いんだから謝らなくていい!メガネを壊したのは僕じゃなくて喧嘩のせいなんだから、事故みたいなものだ。弁償なんてしなくていい!」と悔しそうに怒っていました。「でも、こういうときはきちんと謝らないといけないんだよ、悔しい気持ちも分かるけど、メガネが壊れたんだから」・・・と諭して電話で謝りました。(すると相手のお母さんの反応が、一方的にTAKUYAが悪い、弁償して当然、という対応だったので、私も内心かなり悔しい思いをしたのですが・・・、表面だけでも大人の対応をしなければ・・・、と自分で自分を諭していました)TAKUYAの悔しい気持ちもよくわかります。家族でさんざんしゃべって、「TAKUYA、悔しいよなぁ・・・そうだよなぁ。TAKUYAの気持ち、わかるよ。でも我慢だよ」と、私が悔しそうに言うと、なんと、切り替えの早いTAKUYAが、あっさりとした口調で、「おかあさん、人生なんてこんなもんだよ、しょうがないよ、こんなこともあるよ」なんて、大人の口調で言うのです。(笑)「もう!誰が弁償するのよ」と言いたい気持ちを抑えて、ハイハイと一緒に苦笑いをしてしまいました。TAKUYAにまで諭されてしまった・・・(笑)そんなこんなの一日でした。今日も放課後はバトミントン部で楽しんだようです。喧嘩をして、すこしTAKUYAのイライラが抜けたような気もします・・・。多分・・・。学校に行きたくないとは言わなくなりました。Akiko
2007年04月23日
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こんにちは。すっかりご無沙汰してしまいました。卒業式がおわり、忙しく入学準備をし、入学式が無事に終わり、新しい生活が始まってはや2週間。それぞれに進学や進級をなさって、みなさんどうしておられますか?我が家のTAKUYAもここ一週間ほどは、疲れが出てきたようで、盛んに「だるい、しんどい」と言っています。考えてみれば、初めてのバス通学・初めての制服・はじめてローファーをはいて学校に行き、初めての友達に囲まれて過ごしているわけです。さらに私も仕事が忙しくて残業つづきです。朝、夕食の支度を済ませてから出勤しているのですが、最初の一週間は子どもたちで夕食を食べて、寝る支度もしていたのに、ここ一週間は、夕食を食べずに私を待っています。疲れてきたんだなぁと思います。学校では、一人の女の子がしょっちゅう3人の男の子たちにからかわれて、ちょっかいを出されているようで、それがイヤだイヤだと私に訴えます。TAKUYA自身はトラブルは起こしていないようですが、最近盛んに学校がイヤだと言います。学校を休むと言うかと思うと、部活はバトミントン部に入ったから楽しみだと言います。どこまでまともに話を受け止めて対応し、どこまで聞き流してあげた方がいいのか、判断に迷うところですが、今しばらくは、よく本人の話を聞き、優しい対応を心がけ、楽しい話をして笑わせたりしながら、やり過ごしていけるといいのかなぁと思っています。4月は大変なときですね。私も早く仕事を終わらせて、残業せずに帰りたいです・・・。子どものことだけに集中したいけど、それができない・・・そんな中でがんばれと応援されているような気がします。皆さんもがんばって!4月を乗り越えましょうね。もうすぐゴールデンウィークです!Akiko
2007年04月22日
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TAKUYAは、数字への独特のこだわりがあります。「8」が好き! ・・・本人によると「好きに理由はない」のだそうです・・・確かに。8っていい数字だなぁと悦に入っています。先日の謝恩会で、児童が一人ずつ先生に対してお礼を言うときに、TAKUYAは、「小学校生活の3分の1年間担任を持ってくれてありがとうございました・・・」と。6年間の「3分の一年間」だから、2年間っていう意味か・・・分数を使って、一瞬賢い子っぽく見えて、他のお母さん方からは「ほぉ~」なんて声が漏れたけど、あれは単なるこだわり・・・言葉遊び・数字遊びと言ってもいいのかな。こういう遊びが大好きです。これも悦に入っています。メッセージカードには、「本当に本当に ×102 ありがとうございました」と書いてあります。本人は、「102っていう数字は、キリがいいなぁ」といたく感じ入っています。「キリがいいのは、100でしょう?!」と私が言うと、「102の方が、キリがいい」と言うのです。議論の余地はないのですが・・・。「本当に本当に」が102回だから、204回「本当に」と言ったことになるらしいです・・・。本人が楽しんでいるわけで、誰も迷惑はしていないので、何も言わずに本人の世界を理解しようとしてきました・・・けれども、この感覚は、やっぱりよくわからないのですね。そういえば、4年前に初めて受診した時、私が「自閉症の3つ組の一つにこだわりがありますけど、TAKUYAにはこだわりはないです」と言ったのを覚えています。そうしたら主治医の先生が、「数字へのこだわりがあるみたいだけど、あまり気になりませんでしたか?」と訊ねられました。そう言われるまで、あまりにも日常的で、気づきませんでした。確かに診察の時(小2でした)主治医に「友達は何人いるの?」とたずねられて、「えっとね~、102人」・・・しばらくして「あ、さっき友達は102人って言ったけど、103人の間違いです」と、そんなやり取りをしていました。102人でも103人でもたいして変わらないとは思わず、正確でないと気持ち悪いと思っていたのでしょうか、確かにこだわっていました。その頃の、TAKUYAの「友達」の定義は、「友達になろうよ」と言って「いいよ」といってくれた人の数でした。ですから、公園で初めて出会った見知らぬ子もいれば、大人もいます。103人っていうのは、数えていたのでしょうか?でも、今はこの手のこだわりはなくなっています。TAKUYAの世界では、やはり数字はとても大切なもので、きちんとしていないといけないもののようです。彼が大切にしているものは、わたしも大切にしてあげよう・・・彼が好きなものは、私も大事に扱ってあげよう・・・まぁ、迷惑なことはないし・・・。でも、もっとこの感覚を理解できるようになれたら、どんな感じなのでしょうか・・・。知りたいなぁ・・・Akiko
2007年03月22日
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卒業式に、担任の先生たちに渡したカードには何を書いたでしょう?カード作成に当たって、TAKUYAに質問しました。Akiko:(担任の)Y先生にしてもらったことで、一番嬉しかったことは何?TAKUYA:ぼくの(担任の)先生になってくれたことAkiko:ジーーン そうだねぇ、じゃぁそれをそのまま書こうか。K先生は、教え方がとてもうまかった。作文を書けるようになるために、ポケモン図鑑を作ることを考え出してくれたり、それを小1の子どもたちのぬりえにしてくれた。そのおかげで、1年生達と仲良くなれたね。将来カウンセラーになろうと思うようになったのは、A先生のおかげ。アスペっ子の小2の男の子や、低学年の子どもたちの気持ちがよく分かって、優しくしてあげていることを、褒めてくれたことがきっかけでした。褒められるってすごい力を持っていますね。叱られていたら、そんな風に夢を広げることはできなかったでしょう。その他にも、個別で勉強を見てくれたF先生、身体を張って仲良くしてくれたB先生とは、全面対決もしましたが、やっぱり仲良しです。(このB先生を見るといつも思い出して、心の中で笑ってしまう話があります・・・全面対決になり「分かったらハイと言いなさい」と言われ、言わないとこの場は収まらないけど言いたくなかったTAKUYAは、胸(肺)を指差して「はい(肺)」と答えたのだとか・・・。爆笑・・・詳細はココ)もめていたC先生とも、卒業前に仲直りをしたのだとか・・・親の知らないところでも色々なことがあったようです。この春、お世話になった先生方の多くが異動してしまうと聞いて、がっくり・・・。中学生になったTAKUYAたちは、時にはホッとできる場を求めて、先生の顔を見に母校の小学校へ行きたいでしょう。そこにいつもの先生がいないのは寂しいことです・・・。「ぼくの担任になってくれてありがとう!」Akiko
2007年03月21日
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今日は晴天に恵まれ、晴れやかな気持ちで小学校の卒業式を迎えました。前日に用意したカードや花を持って、学校へ向かいました。カードを書いたりしている時には、色々なことが思い起こされて感謝でいっぱいになり、熱いものがこみ上げ、ウルウルしていたのですが、今日は、涙のない明るい卒業式になりました。この明るさは、子どもたちのエネルギーでしょうか。子どもたちからは、「ありがとう」の気持ち先生方からは、「わかってるよ」の気持ちそして、もうすでに子どもたちの心は未来へ向けて、楽しいことを考えているような、前向きで明るいオーラを感じました。TAKUYAの入場の様子と言ったら・・・!もうすっかり張り切っていて、元気に手を振り、弾むように歩いてきます。熱いものがこみ上げる余裕もなく、思わず笑ってしまいました。卒業証書授与の時には、一人一人が「中学生になったらしたいこと」とか「将来の夢」を語ります。TAKUYAは何を言うのかな・・・と思っていたら、「僕は、将来カウンセラーになって、困っている子どもたちを助けたいです」と、大きな声で言いました。うれしかったです。式後には、みんなと写真撮影をしている隙に、担任の先生と最後のハグ!謝恩会では、「スーツを汚さないで~」という親の無言のプレッシャーも無視して、みんなで暴れていました。人間ピラミッドを必死で作って担任の先生に見せたのは感動的でした。ありがたいなぁと思ったことがありました。クラスの女の子の5つ年上のお兄さんで、TAKUYAが小1の時、小6だったお子さんです。小1の時、「仲良しタイム」という異学年交流の時間に同じグループで、TAKUYAのことをとても可愛がってくれていたそうなのです。TAKUYAがちょっと変わった子なので、気にもなっていたのでしょうね、妹さんとTAKUYAが同じクラスだと知って「いじめられてないか?」「仲良くやってるか」「どうしてるか」と6年間気にかけてくれていたそうです。素直に甘えてきて可愛い、大きな声であいさつをするから可愛いと言ってくださっていました。他のお母さんがたからも、「いつもTAKUYA君は大きな声であいさつをしてくれるから、かわいいのよね」と言っていただき、私の知らないところで随分かわいがってもらい、愛情をかけてもらい、配慮してもらっていたことを知りました。親の知らないところでたくさんたくさん愛情をかけてもらって、育っているんですね。見えないところでかけていただいている優しい思いや、見えないところで受けている愛情への感謝を、忘れてはいけないなと思った卒業式でした。Akiko
2007年03月19日
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明日はTAKUYAの卒業式です。学校で理解され、愛情と情熱で包んでもらってここまでくることができたかと思うと、熱いものがこみ上げてきます。今日は、TAKUYAと一緒に、先生方に渡すカードを書きながら、6年間を振り返り、「あんなこともあったね、こんな風にしてもらったね、あの頃TAKUYAは将来どうなるんだろうと心配していたんだよ、でも本当に成長したね・・・」と、話していました。話しながら、熱くこみ上げてくるものがあり、声がうわづってしまうと「おかあさん、泣くのは明日だよ」などと言って笑われてしまいました。ちょうど一年前の卒業式の後、在校生として出席したTAKUYAは、友達と激しい喧嘩をして怪我させてしまい、そのひどさに担任の先生と一緒に泣いたこと・・・夏に告知をし、秋にはクラスのみんなにカミングアウトをしたときのこと、公立中学校との交渉が難航して、小学校の先生の前で泣いた時に一緒に泣いてくださった先生ほんの一年前までは、将来どうなってしまうんだろうと心配することが多かったのに、今は、小学校の先生方のおかげで、そんな心配をしていたこともウソのようです。発達障害があるとは思えないほど、成長したなと思います。TAKUYAが寝た後、私が先生方への感謝を込めてカードを書いていると、ナナコがそばに来て、しみじみと「TAKUYAは本当に成長したよね。昔はどうなるかと心配していたのに・・・」と、母親のようなことを言います。「あなたも将来を心配してくれていたんだね」「うん、だってね、TAKUYAが保育園時代から、よく人前で駄々をこねたり寝転がったり、不機嫌になって地団太踏んだりとか色々してたでしょう。あの時周りの人たちが、あれは親のしつけが悪いのよね、とか言うから、めっちゃイヤだったよ。この子どうなってしまうのかなと思ってた。」「それにね、ちょっと前までTAKUYAとは、めっちゃ喧嘩してたけど、今は喧嘩しなくなって仲良くなったから楽しいんだ。TAKUYAはもう大丈夫だよね。」ん?TAKUYAとナナコは、親がいないところではとても仲良くて協力し合っていると、塾の先生や色々な人から聞いていたのですが・・・。私が働いているので、不在の時間が多く、二人で協力しないとどうにもならないことも多いのです。「ねぇ、めっちゃくちゃ喧嘩していたの?よその人からは、仲の良い兄弟っていつも言われていたけど・・・本当はそうでもなかったの?」「うん、徹底的に喧嘩してたよ。私もTAKUYAをめっちゃくちゃ泣かしたし、そんなんじゃダメだって言ったりしてた。でも、TAKUYAのいいところは、すごくあっさりしていて、後を引かないことなんだ。朝、お母さんが出勤した後で激しく喧嘩して、もう参ったなぁって感じで学校に行っても、家に帰ったら「おねぇちゃん、今朝はゴメンね、一緒にゲームやろうよ」とか言ってくるんだよね。そういうところが、めっちゃいい子だし、かわいいんだよね。」そうかぁ・・・卒業前なので、ナナコも優しい気持ちで振り返ってくれているんだね。お母さんがいないところで、激しいバトルもあったようだし、親の知らないところで随分大変な思いもしているのだね・・・。ありがとう、ナナコ。これからも大変なことはたくさんあると思うけど、よろしくね。一緒にがんばってくれてありがとう。明日はいよいよ卒業式です。最高の感謝を伝えて来たいと思います。Akiko
2007年03月18日
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コメントやメッセージをくださっている皆さん、返信が遅れていてごめんなさい。とてもうれしく、励まされています。昨日からTAKUYAは微熱を出していたのですが、今日はどうしても仕事を休むことができず(泣)、仕事が終わってから夜の診療に連れて行きました。インフルエンザ B型でした。2週間前に、私と娘のナナコがかかったのは、インフルエンザA型。感染する可能性がありますよ・・・と言われました。TAKUYAは、というと、いつもと様子が違います。多弁で、妙にしっかりした口調でしゃべります。39.2℃も発熱していて、病院では待ち時間にイスに座っていられなくて、イスに横たわるほどなのですが、看護師さんに話しかけられると、ちょっと生意気で元気な口調で「え?別に僕はしんどくないですけど?!(なにか?)」と、ヤナ感じで答えるのです。そして、口が止まらない・・・口調だけは元気にしゃべり続けます。待ち時間ベットに横にならせていただいても、こんな感じでずっとしゃべり続けています。 「笑いは、副作用のない薬なんだよね、えーっと。おかあさん、ちょっと怖いよ~、青い血の話をしてあげる。あるところにかわいい赤ちゃんがいました。おいしいご飯を食べて、言いました。あーおいちー ハハハ。わかった?」内心、ハァ~?という気分です。「わかったよ・・・わかった。TAKUYA、本当に熱が39度もあるの?」「TAKUYA、病院は他にも具合の悪い人がいっぱいいるから、少し静かに黙っていようよ。体が病気と闘うのにエネルギーが要るから、しゃべることにエネルギーを使わないほうが早く治ると思うよ」と、理屈で説明すると、納得しておとなしくなりました。が、診察室に入ると、また多弁です。イスに座っていられなくて、先生の机に突っ伏しながら、「先生、僕いつごろ治りますか?この機械は何?心電図?あのね~、次の水曜日には○○デンキに行く予定だから、それまでには治りたいんだよ、○○デンキ知ってる?あの~質問があるんですけどぉ・・・・・」「先生、この子発熱してからずっと多弁なんです。アスペによるもの?まさかインフルエンザ脳症の始まり?」「うーん、様子を見ましょうね・・・」どう見ても、とても39度も発熱しているとは思えないほど、口だけは元気です。看護師さんはいぶかしそうに見ています。主治医はTAKUYAの特徴をよくわかっているので、インフルエンザの検査も検査室に任せずに、先生ご自身が上手にTAKUYAを説得してサッとやってくださいました。分かってくださっている先生がいるというだけで本当に安心です。この状態で、いぶかしい目で見られたらちょっと辛かったでしょうね・・・。ようやく自宅に帰ってきました。今、担任の先生に電話をして、明日休むこととTAKUYAの様子を話し、「青い血」の話で大笑い。その話を横で聞いていたナナコが、さっそく「青い血」の話を友達にメールしたら、友達から「病院行ってこい!」って返信が・・・(笑)もうマイッタ。今、多弁なTAKUYAもやっと眠りました。私も疲れました・・・今日はもう眠ります。返信遅れますがごめんなさいね。Akiko
2007年03月12日
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受験体験記も終わりに近づいてきました。書いていないことは、何かな?と考えたら、一つは、漢字学習・それから心の持ち方でした。漢字については、12月18日の「もうすぐ中学生」に、部首作戦が効果的だったことを書きました。こんな風に、なんでもゲーム感覚で勉強して、楽しかったですね。でも、本気で漢字を覚えさせよう、点数が取れるようにしようと思って力を入れたのが、入試の3週間前でした。心の中で、常に漢字からは逃げていたんです・・・漢字指導をするのは(親が)大変だ、できないできない、って、いつも言い訳をしていたように思います。漢字は、健常児にとっても根気の要る大変な勉強です。日々書き取りの練習をして、その積み重ねで、できるようになってくるのに、TAKUYAは「発達障害児だから」、「漢字はできないタイプだから」と言ってやらせずにいたら、ドンドンできなくなるのは当たり前。できないなりにも、日々コツコツとやり続けなきゃいけなかったんだ・・・と反省しました。受験ではあまり点数にはつながらなかったと思いますが、これから漢字はこの子にあった方法でコツコツやり続けようと思っています。反省も努力もいっぱいしましたが、ゲームも笑いもいっぱいしました。とにかく、緊張に弱いので、マジになって、キーキーすると実力を発揮できなくなります。だから、いっぱい勉強もしたけど、いつもどおりにお笑い番組も見たし、けじめをつけてゲームもしました。夜寝る時は背中をさすってあげたり、おしゃべりしたり、受験生のナナコとは一緒にお風呂に入っておしゃべりしまくっていました。(が、さすがに男性のTAKUYAと一緒にお風呂って訳にはね~)リラックスさせることは大事でしたね。ゲームの力も偉大だったと思うのですが、友達に借りていたスマブラ(CUBE)を返してと言われて、返した途端にノリが悪くなって勉強が進まなかった時がありました。そこでスマブラを買ったら、また調子が出たんですよ!!・・・不思議な気がしましたが、ゲームはこの子達のエネルギー源なのかもしれません。ゲームするために勉強するんだという気持ちが、テンポを良くしていたような気がします。受験勉強中は、私のほうが「もうだめだ」と思ってキーキーしたり、がっかりしたりしていたのに、TAKUYAは常にドーンと構えていました。「大丈夫だよ、合格するから」などと言って、焦ったりしなかったですね。ドーンと構えていられるのは、あまり感じないからのようにも見えるし、先々のことを考えすぎないから、なのかもしれません。入れ込みすぎないで「なんとかなるさ~」と、他人事のようにしているTAKUYAの様子に、正直言って私が救われました。こんな風にして人生を乗り切っていけたら、いいな~、と、正直ちょっとうらやましく思いました。それからイメージトレーニングは、随分しました。合格してみんなに感謝の電話連絡をしているイメージを家族で話したり、合格の報告をする人のリストを作ったり、入学して制服を着て通学しているイメージを作ったり、姉のナナコも受験だったので、家族でそんなイメージをありありと描いて楽しんでいました。イメージすると実現しますからね!あとは、念の力で、常に強気で進みました。なんせたった3ヵ月半の受験期間でしたから、周りからどんな悲観的なことを言われようとも、跳ね返せるような念力が必要だなと・・・(笑)・・・いやホントです!大事です、念の力。「もうだめだ、やっぱり無理だ」と弱気虫にとらわれることもありましたが、気持ちを「必ず合格するんだ!」という方向に、念の力で持っていく・・・合格したイメージを常に描く・・・客観的に見て、無理でバカなことでも、落ちて「無理なことやらせて、本人に負担かけて」と、笑われてもいいんです。障害のある子が・・・と、落ちたら言われたかもしれませんが、そんなことどうでもいいんです。みんな思ったことを何でも無責任に言いますから。笑われたらどうしよう・・・なんて、思い煩うことはないんです。複数回受験ができる学校なので、「こんな子でもなんとか引っかかって、最後に拾ってもらえたらいいな」・・・などと思っていたのが、第1回目の試験で合格したので、(第1回目で合格したのは、全合格者の半数です)自信につながりました。なにも障害があるからといって、「拾ってもらえたら」なんて弱気になる必要はない。堂々と胸を張って入学したらいいんです。ですよね。障害があろうとなかろうと、持っている力を発揮することができれば素晴らしい仕事ができるはず。今まで人に迷惑をかけたり、支援してもらうことばかりが多かった子だけれども、その分たくさんの愛情をかけてもらってきています。きっと将来は、人を助けたり人の役に立ったりすることもできるようになるんだ、きっと恩返しができるような大人に成長するんだ、きっと人を喜ばせられるような大人に成長するんだ・・・そう信じています。これからの中学生活が、その一歩となりますように・・・。Akiko
2007年03月10日
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私立中学入学のリスクは,受験体験記(2)障害児の親の会に参加してで書きましたが、「私立中学の場合は、公立と違って、ムズカシイ子は“お宅のお子さんはうちの校風には合いません”と言って、簡単に退学処分にすることができる。それはしょうがない。その後で公立中学に入学するのは、さらにつらい結果になる。高い入学金も捨てることになる。そのことを考えた上で、入学を決めたほうがいいですよ」ということだと思います。これに関しては、学校にもよるのでしょうが、入学してみないと分かりません。でも、たくさんの方からこの点に関しては慎重になるようアドバイスをいただきました。私は、一つだけ打てる手を打ちました。第2志望にした学校に何度か足を運び、その学校では、「中学校では退学処分にした生徒はこれまでいない」「過去、公立中学校でなじめなかった生徒の途中編入を受け入れたことがあるが、その生徒はこの私立中学になじんで成績も伸びました」という話でした。(ここも、少人数でとても親切な学校なのです)そこで、もし、第1志望校に入学できて、退学になったとしたら、この学校に編入を頼むことにしよう、そういう学校をキープしておこうと決めました。そのためには、もし今回合格してそれを辞退したら、途中編入は受け入れてくれないでしょうから、1次募集では受験をやめることにしました。第1志望校より受験日が早く、第2志望校(滑り止め校)に合格しておくと自信につながるので、一つでも多く合格がほしくなるものです。でも、踏みとどまってやめました。第1志望校に不合格だった場合にのみ、2次募集で受験しようと思っていました。私立中学入学は、分からないことが多いだけに、念には念を入れておこう、合格したらすべてバラ色というわけではないのだから・・・と、自分に言い聞かせています。ちなみに、第1志望校でも「素行の問題などで中学校を退学になった生徒さんはこれまでにいますか?」と個別で質問したところ、「いません」とのことでした。「まずはみんなで仲良くなるところから始めます。いじめ問題や世間で言っているような問題がないわけではありませんが、教師も生徒も一緒に考えて、考えて、乗り越えようと努力していますし、学校側も一生懸命取り組んでいますから、みんな仲が良くて、まっすぐ成長していますよ。どうぞ安心してください」とのお返事でした。その返事が、私に安心感をもたらしてくれました。何度も志望校に足を運ぶことで、親も少しずつ様子が分かってきたり、個別で質問ができるようになってきたりして、それが安心感につながり、受験のエネルギーになったと思います。入学説明会・授業体験・公開セミナーなど、何度も通いましたよ。最初は、体験授業などに子どもを連れて行くと、「あの子は発達障害だ」と分かったり、トラブルを起こしてしまったりして、ブラックリスト(?)に載せられてしまうのではないか・・・と、真面目に悩むほど、不安でいっぱいでした。そんな不安を持っていると、受験そのものがつらくなります。そんな理由で不合格になるようなら、入学後にきっと退学になるでしょう。それなら、不合格になったほうが入学金も払わなくていいし、よっぽどその方が良いのです。だから思い切って体験授業でも何でも連れて行ってみようと思いました。何度も志望校に行くことで、本人のやる気が高まり、維持され、親の不安感も払拭されて、希望と安心感を持って受験勉強に臨むことができました。学校訪問は大事でした。安心感と希望を持って、受験に臨むことが一番のエネルギーになると思います。Akiko
2007年03月08日
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受験体験は、「合格したい!」という一念のもと、短期間でものすごいエネルギーを発揮するので、TAKUYAの抱えている色々な壁を乗り越えるきっかけをいくつもいただきました。前回書いた作文の壁もそうでしたが、もう一つは「こだわり」でした。TAKUYAは、算数の中では展開図が得意です。不思議なぐらい頭の中で立体を作り上げていけます。TAKUYAもそのことを自覚していて、「展開図だけは正解したい」というのがこだわりになっています。前回も書いたように、第1志望校は60点以上取らないと合格できません。ゆっくりペースのTAKUYAにとって、40分という試験時間はギリギリです。それで算数に関しては、最初の問題から順番に解くのではなく、確実に点を取れるように、まずは計算問題を確実に正解し、易しい問題や得意な問題を選んで、そこから順番に解いていくように作戦を立てました。「得意な問題・・・展開図・・・展開図だけは正解したい!」といって、TAKUYAのお腹のあたりがウズウズとしていました。受験の3週間前に模擬試験を受けたのですが、その結果が悲惨だったのです!!結果を見て塾の先生は、「難しいでしょう」と・・・。私もショックを受けました。そこから、奮起して算数の勉強をまたがんばっていたのですが、ある時TAKUYAが言いました。「お母さん、ぼく、受験の時、展開図の問題を解くのやめるかも知れないわ・・・」「え?」話を聞いてみると、模擬試験では、予想外にとても難しい展開図の問題が出たのです。この問題の正解者は少なかったのに、TAKUYAは正解しています。しかし難問でも、配点はたった5点です。TAKUYAはこの難しい展開図の問題にこだわって、ほとんどの時間を費やしてしまい、試験時間は計算問題と展開図だけで終わってしまったのだそうです。「僕、この問題はどうしても解きたかったんだよ」と言います。「でも、ぼく、展開図をやっていたら落ちるから、受験の時は展開図はやらないでもっとたくさんの問題を解くようにがんばる」そうか!自分でそんなことまで考えられるようになったのか。こだわりを乗り越えようとしてるんだね!!エライぞ。がんばれ!改めて、模擬試験の答案を見て、点数が低かった謎が解けました。そういうことだったのか。それを自分でも分かっていたんだな・・・。それで、がんばって自分のやり方を変えようとしているんだな。今までは、TAKUYAの行動の基準は、目の前にあるものを「やりたいか」「やりたくないか」でした。それが、「遠い向こう」にある「合格という目に見えないもの」を目指して、「今、やりたいことを我慢する」「今やりたくないことでも努力してみる」ということが、少しずつできるようになってきました。その成果を少しずつ感じるようになり、「やりたくないことでもやったら後でいいことがあるから、自分をコントロールしよう」と考えられるようになりました。こだわりについて、よく「やらないとお腹のあたりがウズウズして我慢できないんだよ」と表現していましたが、(その感覚、なんか分かりますよね!)そのウズウズも我慢できるようになったんだな~、と感動しました。問題が配られたら、一度問題全体を見て、できる問題を確実に解いていこう!得意な問題を解いて、すごいと思われるよりも、合格できるようにしよう。そういって、過去問に再び取り組み始めました。こんな選択ができるなんて「大人になったなぁ」・・・しみじみ・・・で、本番試験直後のTAKUYAと私の会話です。「算数どうだった?」「おかあさん、あーよかった。展開図の問題、得意なのに出なかったんだよ。毎年出てたのにね。残念だけど良かった(笑)」「あーそうかそうか、よかったよかった」(笑)Akiko
2007年03月07日
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作文を「なもど法」などのパターンに当てはめて、書く練習をするうちに、親がそばについて、少し方向付けを手伝ってあげれば書けるようになって来ました。この「方向付けをする人がそばにいる」というのは、あるとないとでは大きなちがいです。ちょっとした一言があれば、「あーそれで行こう!」とピンと来て、書き始められるのですが、一人では「ピン」と来ないから困ってしまいます。受験は一人で受けないといけないし、この先親が寄り添ってやれるのはいつまででしょう?!一人で「ピン」と来るようにならないといけません。TAKUYAも一人では、なかなかパターンに当てはめて書き進めることができず、かなり苦戦しました。結局、算数の「習うより慣れろ!受験体験記(9)」と同じなのですが、親が寄り添ってもいいからとにかく、たくさんの作文を書く、という方針で行きました。新しい題を出されると「何を書いたらいいのか、ピンと来ない」ので、とにかくたくさんの題を与えて、たくさんの作文を書いて、本番では今まで書いたことのある題が出題されますように・・・と、願うことにしたのです。受験本番で、今まで書いた作文と似たような出題があれば、何も考えられなくても、その内容をそのまま書けばいいのです。「この方法なら行けるよ!!」と、TAKUYAに提案すると、目を輝かせて「うん!」と大きくうなづくTAKUYA。TAKUYAが納得したね!彼は納得すれば出来る。(まるで、二人は戦友です。)私がヤマかけで、出題を決めました。小学校時代の色々な体験をもとに感じたことや考えたことを書かせるようにしました。あれだけ作文の書けなかったTAKUYAが、私が傍にいて方向付けをすれば、毎日書けました、書きました。ウソみたいです。必死で書く内容を考え、書き始めの文章を決め、マス目を埋めていきます。直前の2週間は、毎日1題の作文を書いていました。最初は、30分も40分もかかっていましたが、次第に15分から10分程度で書けるまでに慣れてきて、私の方向付けも要らなくなってきました。その頃には、なんともいえない自信を感じさせるようなオーラを出していました。作文を書かないと合格できない、という一念で、こんなにもがんばれるんだな、今までは、目の前のことだけしか頭になくて、「やりたいか」「やりたくないか」だけが判断基準で、面倒くさいことは放り投げていたのに・・・。そして受験当日、試験が終わって会場から戻って来たTAKUYAと私の会話です。Akiko:「作文書けた?」TAKUYA:「うん、書けたよ!!!」Akiko:「どんな題だったの?書いたことあるものが出た?」TAKUYA:「出なかったんだよ、でもね~書いたよ!!題は、“何かをうまくなるために努力したことについて書きなさい”だった」Akiko:「えーーー!で、書けたのね!?何を書いたの?」TAKUYA:「ぼくね、作文が書けなかったでしょう。でも、努力して書けるようになったから、そのことを作文に書いた」おおーーー!作文が書けるようになったことを作文に書いたんですか!!嬉しいのと、おもしろいのと、本人の努力の成果が形になったことが感激で、作文が書けたことに、涙ウルウル・・・目が真っ赤になってしまった私でした。「エライね、よくがんばったね。これだけがんばれれば、もうどんな結果でもかまわないよね!TAKUYAは立派だよ!お母さんが合格をあげる!」その後、「母からの合格」だけでなく、学校からの合格ももらえました。今でも、「作文」という言葉を聞くだけで、ウルウルしてしまう母でした(笑)Akiko
2007年03月05日
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第1志望校の受験は、「60点以上とっていないと合格できない」という最低合格ラインがあります。2科と4科の選択性ですが、TAKUYAは2科(算数と国語)を受験することにしました。TAKUYAの苦手は、作文と漢字ですが、国語には必ず「作文」問題があるのです。配点は10点。さらに、漢字問題が、ことわざ問題などと組み合わせて25点分あるのです。受験は、得意な分野で点数を取ればいいのですが、それでも作文と漢字の両方を捨てるとどう考えても合格ラインに達するのは、難しいでしょう。「障害のせいだから、漢字も作文もしょうがない・・・」と言っていると、必ず落ちる、という現実に迫られました。TAKUYAは作文がどうしても書けずにこれまで来ました。小学校の特別支援教育でも、あれこれ工夫してもらったものの、なかなか書けません。小5の時、彼が乗って取り組んだ作文課題はこれでした。ポケモン図鑑を作り、ノートの上半分にはポケモンのイラストを描き、下半分にそのポケモンの説明文を書く。(そしてそのノートをコピーして、小1のクラスで配り、塗絵にしてもらいました)この短い説明文を書くのがやっとだったTAKUYA。しかも、ポケモンという興味を持っている内容だからこそ書けました。課題を出されて、興味があろうとなかろうとそれについて文章を書く、ということは、TAKUYAにとってどれほどの大きな壁だったでしょう。でも!「書けないと落ちる!」そのことをTAKUYAもよく理解し、・・・最初は泣いていました。原稿用紙を前にし、過去問で出だされた課題に取り組みながら、「書けない」「何を書いたら良いのか何も思い浮かばない」「考えて書けって言われても何を考えれば良いの?」と言って、煮詰まって泣いているTAKUYAを見ると、この子はどうしたら考えることができるようになるのか、どうしたら書けるようになるのか、と悩みました。一つは、やはりパターン化してあげることでした。12月19日の日記「考える方法」にも書いたことですが、「なもど法」というパターンを使わせました。例えば、『天才についてあなたの考えを述べなさい』という題が出たら、「単純にこのパターンにはめ込んでごらん」と言って、一緒にはめ込む練習をするのです。 「僕は、エジソンのような人が天才だと思います」「な」・・・なぜなら・・・なぜなら、エジソンはたくさんの発明をしたからです。「も」・・・もしも・・・もしもエジソンがいなかったら、電灯もなく、映画も見ることができず、不便な生活をしていたと思います。「ど」・・・どうすれば・・・どうすれば、エジソンのような人になれるでしょう。それは一生懸命勉強することと、色々なことに興味を持つことだと思います。こんな感じで書き進めていくと、なんとも優等生的で平凡な文章ではあるのですが、形になるのです。説得力も出てきます。考える方法が分からない子どもには、考える方法を教えてあげることなんだと思いました。算数の公式を使いこなすかのように、作文に取り組み始めました。(つづく)Akiko
2007年03月05日
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メッセージをくださったみなさん、返信ができずにゴメンナサイ。月曜日の夜、インフルエンザと診断され、寝込んでいます。先週から微熱があったのですが、風邪だと思って解熱剤などの風邪薬を飲みながら、出勤していました。風邪薬で熱が抑えられていたんですね・・・。ずっと37.2度ぐらいだったのに、インフルエンザA型でした。その後、解熱効果が切れたら高熱が出ました。鎮痛解熱剤は、原因をなくしてくれるものではなく、ただ熱を下げるだけなのでラクにはなるのですが、使い方には要注意だと、改めて思いました。皆様も気をつけてくださいね。我が家は、ナナコも今、インフルエンザで高熱を出しています。タミフルを飲んだ10代の子が、異常行動を起こして亡くなっていますから、私は怖くて、タミフルではなくリレンザという、吸入薬を出してもらいました。効果はゆっくりだそうですが、安心です。主治医の先生にそう頼んだら快く処方してくれましたよ。インフルエンザのあの悪寒は、辛い!!みなさんも本当に気をつけてくださいね。元気になったら、返信します。受験体験記も続けていきますね。Akiko
2007年02月28日
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算数は少しずつできるようになってきたものの、できるはずなのに間違える問題が多いことに気がつきました。単なるケアレスミスもあります・・・が、違うものもあるなぁ・・・。原因は2つあることに気づきました。1.こだわりがあるので、(途中を略さないで立式するので)式がやたらと多くなり、書くスペースが狭くなる。そのうちごちゃごちゃになって、ミスが出る。2.解く道筋を、最初は分かっていたのに途中で忘れてしまう。1.についてですが、例えば分数の計算式で整数の場合、必ず分母を1にして式を立てていました。書かなくても分かるのに・・・と思うことも、本人は略すことができずにきっちりと書きます。これは、こだわりですからやめさせようとすると余計にひどくなります。本人がやめよう・無駄だ、と思うまでやらせることにしました。しかし、そのせいでやたらと式が多くなり、その上端っこから整理して式を書いていくことが苦手なために、気がついたらスペースがなくて、前の式と次の式が重なってしまったり、途中から別のスペースに引っ越したりするうちに、式が途中で切れてしまったりすることがありました。こんな基本的なことでつまづいていたのか・・・要するに、整理ができないんだな。部屋の片付けだけでなく、頭の中も、考える道筋も、問題を解くスペースも、この子達は整理することができないんだな。端っこから順序良く、できるだけ小さい字で、ていねいに書くように努力しようね。ここを教えるだけでもかなり伸びました。2.についてですが、問題の端っこに、解いていく順序を文章で書かせることにしました。こんな感じです。1)中にある半円4つだから円2個分の面積を求める。2)正方形の面積を求める3)円の面積から正方形の面積を引く試験の最中にこんなことを書くのですから、時間は食います。でも、やったほうが確実に点数を獲得することにつながりました。まとめるとこんな感じです。1.式のこだわりは認める2.整理して、広いスペースに端っこから順序良く式を書くことを教えて習慣にする3.考える道筋を文字で書き、そのとおりに計算を進めていくと、やっている途中でどこまでやったのかがわからなくならないこれだけでも、かなり効率が上がっていきました。同じ方法で、効果が上がるお子さんもたくさんいるのではないかと思いました。Akiko
2007年02月22日
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3週間ほど、ノリノリで勉強し、かなり基礎固めができてきた頃、疲れが出てしまったのかTAKUYAは、感染性胃腸炎にかかってしまいました。高熱・嘔吐・下痢・・・病院で点滴をしてもらって、3日ほど寝込みました。やっと元気になってからも、なかなか調子が出ず、「まぁあんなに急激にがんばったんだから、疲れも出るか・・・」と様子を見ていました。久しぶりに過去問に取り組ませてみると、あれ??と思うぐらい、またできなくなっています。算数の公式をほとんど忘れているのです。これには本当に焦りました。三角形の面積を求める公式は?台形は?円周の長さは?円の面積は?あんなにできていたのに?!私は、「公式を丸覚えするだけで、なぜそういうやり方になるのかを理解していないから、忘れてしまうと考えられなくなるんだ」と思い、それからは「公式の意味」を図や立体模型を使って説明しました。・・・しかし、TAKUYAの思考はこうです。「わかった。・・・で、結局、底辺×高さ÷2なんだよね」結論がわかればそれでいい。それ以上のことは、頭の中に入れる引き出しがないのです。図形も百分率の問題も、どれだけ説明しても過去やった方法を思い出そう、公式を思い出そうとするだけで、理解して頭の引き出しに入れることができません。意味を教えたことが無駄だったとは思わないのですが、途中から方針を変えました。とにかく、たくさんの問題を解かせるのです。理解させたり覚えさせるのではなく、慣れさせるしかないと思ったのです。いやというほど、基礎の問題をやらせました。ある程度難しい問題を解くようになると、「見たこともない問題が出た」と言って手付かずになることがあります。ちょっとひねってあるだけで、“考えれば”わかるような問題なのに・・・。でも、“考えて解く”のは苦手で、覚えたパターンを使って解くのは得意です。難しい問題も、しょうがない、同じ方法でいくか!「見たことない問題が出た」ということがなくなるように、とにかく色々な問題を解かせていこう、たくさんのパターンの問題を解かせていこう。半分山掛けで、たくさんの問題を用意しました。習うより慣れろ!!これが、発達障害を持っている子に必要な学習方法なのではないかと思いました。長時間学習のリズムに慣れてくると、繰り返し学習はそんなに嫌がりません。もう一つのコツは、毎日、黄色いクリアファイルに、「今日勉強する課題」を入れておき、「これが終わったらゲームをやってもいいよ」という約束にしておきました。今日やることを明確にしたのです。毎日のパターンを決めたのです。パターンは大体、1)百マス計算 2)国語の読解問題 3)算数の基礎問題 4)過去問から1問でした。そうすると、私が仕事を追えて帰宅した時には、8割がたやり終わっていました。(全部できていないのにゲームはやっていましたが・・・上手にごまかすこともできる年齢になっています、笑)夜は私と一緒に見直しをする。平日はそんな感じでした。要するに、今日の課題がはっきりと分かっていればできるのです。こういう工夫だけで、この子は能力を発揮できるのかと、感心しながら、試行錯誤していました。Akiko
2007年02月21日
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過去問を取り寄せて解き始めてみると、あれ?と思うぐらいに解けません。5年生の時にはできていた分数の基本的な問題や、図形問題が、まったく解けなくなっているからです。よし!最初からやろう!試行錯誤でしたが、「分数が一週間でわかる本」小学館というドラゼミ・ドラネットブックスに取り組むことにしました。私が仕事をしているため、日中は見てやることができないので、毎日夕食後、ダイニングテーブルに並んですわり、一緒にこの本を読みながら問題を解いていきました。1日目の課題から順番にスタートし、並行して練習問題も数多く取り組ませ、本当に一週間で、分数の基本をマスターしました。よくできた本だなぁと感心しました。そして、次の一週間は、図形が一週間でわかる本です。本当に一週間で、図形の基本が分かるようになりました。これらはいい本ですよ。このシリーズはぜひお勧めしたいです。もちろんこれだけで受験はできないのですが、基礎的な「算数頭」を作るにはとてもよかったと思います。学習は30分やって15分ゲーム・・・という具合に、学習の合間にゲームを入れていました。本当によく勉強に乗ってくれましたが、後からTAKUYAに聞くと、この時は「ゲームをしたいから勉強していた」のだそうです。それでもいいと思います。「がんばってる」という雰囲気にならないように気をつけて、楽しみながら取り組めるよう、随分気をつけてスタートしました。アスペっ子って、緊張感に弱い子が多いですよね。TAKUYAもそうです。笑ったり、ゲーム感覚を取り入れながらやると、長時間勉強しても大丈夫だということがわかってきました。この2~3週間で、ぐんぐんと力がついてきました。伸びていくときは気分がいいものです。TAKUYAも私も、いい気分で、勉強を楽しんでいた時期でした。学校での学習にも張りが出てきて、担任の先生からも「いい調子ですよ」と褒められていました。TAKUYAは、私がピッタリと寄り添って勉強を教えてくれるのが本当に嬉しい様子でした。わからなくてどうしようもなかったことを、母親が一緒に取り組んでくれて、分かるようになっていくのが、何重にも嬉しい様子です。私は、信頼されていることを強く感じ、うれしくて、今まで以上にTAKUYAがかわいく感じられました。手応え十分!!この調子で行けば、必ず3ヵ月後には合格だ!と楽天的に思っていました。・・・当然、これがずっとは続かないのですが・・・Akiko
2007年02月20日
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合同学校説明会に参加しました。目をつけていた学校の説明コーナーに行き、TAKUYA本人に学校の特徴を説明していただいたのですが、ここで出会った先生が素晴らしかった!人生は人との出会いで変わると言いますが、本当にそのことを実感しました。この学校は、エコロジーを大事にして、校舎の作りも太陽光を利用したり、雨水をトイレの水として利用したり、廃材を使って机と椅子を作ったり、また畑で作物を育てる授業も行っていたりします。ご存知のようにTAKUYAは、エコロジー好きです!地球温暖化防止のために節電することが好きで、学校では電気を消してまわって嫌がられたりすることもありました。この先生は、エコロジーの話でTAKUYAが目を輝かせたのを見て、エコロジーの観点や作物を丁寧に育てるという観点から、学校の姿勢について話してくれたのです。しかも、クイズ形式で!!アスペっ子のクイズ好きは、皆さんご存知のとおりです。「~~したらどうなると思う?」「うーーん、○○!」「ピンポーン!」TAKUYAは目を輝かせてやりとりしています。そして、最後に「ありがとうございました。この学校に入れるようにがんばります」と丁寧にお辞儀までして、後にしたのです。こういう丁寧な対応は苦手なTAKUYAです。私は「ねぇねぇ僕ねぇ~」と、妙になれなれしい友達口調でおしゃべりしてしまうのではないかと心配していたのですが、こんな丁寧な口調で挨拶ができるということは、かなり感動しているなと思いました。丁寧で大人びた挨拶は、私が知る限りでは、8月に障害名を告知してくれた医師に対しての挨拶以来のこと・・・と思います。私も、TAKUYAの個性に合わせて話してくれる先生の姿に感動し、「この先生が一人いるだけで、きっと理解してもらえる、やっていける!受け入れてもらえる!」と深い安心感を持ったのでした。「よし!あの学校に行こう!!イェーイがんばろうね!!」と、そんなノリで帰ってきた私たち親子でした。さっそく、過去問を取り寄せました。塾の先生にも「受験したいと思う」と話しました。塾には、6年生になってから週に1回45分間だけ行っていました。中3の姉が行っている塾なのですが、アスペルガーだということを説明した上で、普通は1コマ90分のところを集中力の続く45分だけ、個別指導をしてくれる若い先生に頼んでいました。(45分なので、お月謝も半額なんですよ。そのおかげで通わせられました)話すと、先生は驚きましたね!「え?今からですか?」この先生の素晴らしいところは、内心で無理だと思っても私たち親子の意向を尊重して「わかりました、どこまでできるかはわかりませんが、できるところまでやってみましょう。きっと合格できると思いますよ。」と言ってくださったところです。「塾の先生が合格できるっていうんだからきっと大丈夫!」楽天的な私はそう思って、エネルギーをいただいたのです。でも実は、受験直前や、合格後に、「受験すると言ってきた時には本当にびっくりしたんですよ。普通は6年生の4月でも遅いと思うのに、11月なんて普通はありえないんですよ。無理だと思ったのに、よくがんばりましたね」と、言っておられました。客観的に見て難しい状況だったのですね・・・知らなかった。でもそれを言わずにいてくださったおかげで、がんばれました。この塾の先生との出会いも、TAKUYAの人生を変えていく大きな力になりました。Akiko
2007年02月18日
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