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今日で2月も終わり、いよいよ春の訪れも間近です。隣町・臼井の史跡めぐりも最終回です。映画鑑賞の帰り、隣駅の「史跡めぐり」の案内板をみて、どんな歴史があるんだろうと歩いてみてびっくり江戸時代栄えた佐倉藩の城下町よりも古く、室町、平安、戦国時代と、下総地方を支配した千葉氏一族の臼井氏・その後は同じ一族の原氏が、千葉氏の居城・大佐倉城を守る重要な地として太田道灌や上杉謙信と戦い江戸時代には、成田詣での宿場町としても栄えた古い古い歴史のある地だったようです。長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹の天ぷら梅の花早咲きの桜印旛沼雷電為右衛門の墓臼井城址神社仏閣1 八幡神社 星神社神社仏閣2 円応寺 実蔵院旧成田街道・道しるべ室町・平安時代の臼井氏から戦国時代の原氏の城下町として栄えた臼井は江戸時代に入り、佐倉城が完成して施政は佐倉に移り廃城になりましたが、成田詣出の街道の宿場町として賑わったそうです。相撲力士・雷電も地方巡業の時、街道で茶屋を営む家の娘を見初めて夫婦になったそうで今回は現地を訪れていませんが、生家跡の案内板があるそうです。臼井 道路元標当時宿場町として賑わった交差点にあります浄土宗 長源寺増上寺9世貫主の道誉上人が開山したお寺臼井の地に大きな影響を与えた重要なお寺だそうです。本堂臼井小学校発祥の地でもあるそうです今の臼井小学校は、道路の反対側印旛沼近くにあります。長嶋茂雄氏は子供のころ、このお寺の境内で遊んでいたそうです。道誉上人の墓五輪塔は、戦国時代に建立されたものだそうです墓地には長嶋茂雄氏のご実家のお墓がありました。日蓮宗・妙傳寺坂を登りきった台地上に立派なお寺がありましたが、由緒がわかりません。境内からは印旛沼が見えました。熊野神社古峯神社臼井城址土塁の上にありました道祖神社臼井城の土塁跡の台地 にたくさんの石造物がありました。東日本大震災時に倒れてしまい、そのままになったものも ありました明治時代の秩父巡礼の供養塔1767年に出羽三山講中記念の大日如来像「文久二壬戌年」が刻まれた富士仙元宮(浅間神社?)の石碑※ 文久二壬戌年は1862年だそうで西暦を60年周期で割って余った年が壬戌(みずのえいぬ)で千支のひとつだそうで洪水や暴風雨などの水害を堤防や土塁でせき止めるという意味があるそうで富士講で祈願したもののようです。大きなお寺や神社だけでな小さなお社がいたるところに祀られて当時の村人たちの信仰の篤さを感じました。歴史に疎いhimekyonでしすが、歴史をたどるのも楽しいものですね。himekyonの住む町は、臼井氏中興の祖・臼井興胤の幼少時、殺害しようとした叔父・志津次郎胤氏の居城志津城があった地です。今度は志津の町をたどってみようかと思います。それにはもっと勉強しなければ・・・(完)
2016/02/29
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少し間が空いてしまいましたが、隣町・臼井の史跡めぐりの続きです。長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹の天ぷら梅の花早咲きの桜印旛沼雷電為右衛門の墓臼井城址神社仏閣1 八幡神社 星神社臼井起胤が創建した臼井氏の菩提寺・円応寺幼少時、支城・岩戸城主 岩戸五郎胤安に助け出されて鎌倉建長寺で仏国禅師に養育され元服臼井に戻ってからも臼井氏再興に尽力してくれた仏真禅師の御恩に報いるために創建されたものその後、建長寺派から妙心寺派に変わったそうです。本堂には、千葉一族の家紋本堂の屋根の庇にスズメバチの巣の残骸が古い巣のような感じですが、平日にもかかわらず墓参りに訪れる方が多く当時はお参りするのも気が気ではなかったのでは?臼井氏一族の墓美しい苔に覆われています。幼少時の竹若丸(後の臼井興胤)の命を救って鎌倉建長寺へ預け届けた忠臣岩戸城主・岩戸五郎胤安の墓~~~~~真言宗・実蔵院江戸時代の臼井氏の祈願寺実蔵院本堂私立明倫中学校跡碑明治時代に住職・山口永隆が、真言宗開祖・弘法大師の教えにあやかって、農家の子弟に農業振興のための後継者養成として創設されたそうです。昭和初期には500人規模の中学校でしたが、農村不況で生徒数が減り、昭和17年に廃校になったそうです。長嶋茂雄氏が卒業した県下有数の県立佐倉高校は知っていますが臼井に私立中学があったとはびっくりでした。京都・奈良・鎌倉など観光地化された神社仏閣には訪れたことはありますが、地方にも歴史のあるお寺があることを知りました。もう1日続きます。
2016/02/28
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残念!!千葉からのダイヤモンド富士は雲に邪魔されてしまいました。太陽が沈ぬ瞬間に、富士山がぼんやりと浮かび上がってきました太陽が沈む時間になっても富士山がみえません狭い室内は、満員の人熱れでガラスが曇ってしまいました出るのはため息ばかり・・・あっ、富士山が浮かび上がってきた周りからどよめきが
2016/02/27
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昨日はこの冬初めて雪化粧、朝晩はかなり冷え込み寒さを感じますが昼間は春を感じさせる暖かさです。もしかしていつものところへ行ってみると・・・かわいいつくしが顔をだしていました。ホシノヒトミ(星の瞳)/ オオイヌノフグリアセビ(馬酔木)カワヅザクラ(河津桜)なんとジャーマンアイリス?が咲いているお宅がありましたこちらは寒アヤメかな?以前、ブログ友・bluebirdさんが載せていらした花と同じでしょうかビワ(枇杷)の実もだいぶ大きくなっていました
2016/02/26
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朝起きたら、この冬初めての雪化粧でした。 お隣の庭の椿に雪が積もってきれいです 我が家のプランター菜園にも ~~~~~ 何を間違えたか・・ 雪景色を撮ったつもりが・・・ こんな絵画チックなものになってしまいました。
2016/02/25
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2月も後半 道すがらにも春を感じさせる花が咲き始めています。フラサバソウホシノヒトミよりも小さくて葉にも萼片にも毛が生えています。ホシノヒトミ(星の瞳)※ 一般的にはオオイヌノフグリキュウリグサ(胡瓜草)カラスノエンドウ(烏の豌豆)ホトケノザ(仏の座)カントウタンポポ(関東蒲公英)日本タンポポとのうれしい出会いです別の場所にも日本タンポポがキジムシロ(雉筵) ハルノノゲシ(春の野罌粟)トウダイグサ(燈台草)も咲きはじめ陽だまりにはスミレも咲き始めています。菜の花もあちこちで~~~~~民家の庭にはヒヤシンスも咲きだしています。~~~~~~春の訪れの花とは違いますが・・ガガイモ(蘿藦)の実種は全部飛んだ後でしたこの冬は、キジョランの種も見ることができませんでした。ガガイモ科は、キョウチクトウ科に変わっています。キジョランと同じ仲間で、よく似ています。フウセントウワタの実と種外来園芸種ですが、同じ仲間で 種の感じも似ています。
2016/02/24
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2月も後半になり、散歩道でも春を感じるようになりました。アセビ(馬酔木)レンギョウ(連翹)マンサク(万作)シナマンサク(支那万作)花の時期まで葉を残します。ヤナギの芽ニワトコ(接骨木)の芽吹き
2016/02/23
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2月も後半になり、春もすぐそこまできていますね。ウグイスカグラのの木をみつけました。蕾が膨らみ、花びらがほころんできました。ウグイスカグラ(鶯神楽)この冬は、カマキリ(蟷螂)の卵をたくさん見つけています。ミツマタ(三椏)も咲き始めていました。オウバイ(黄梅)ハコベ(繁縷)~~~~~ヤブツバキ(藪椿)の落花モッコウバラ(木香薔薇、木香茨)の返り咲き
2016/02/22
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2月も後半になり、春もすぐそこまで街路樹の辛夷が咲きだしていました。セツブンソウフクジュソウサンシュユ(山茱萸)サンシュユ(山茱萸)ミモザ/フサアカシア?
2016/02/21
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隣の駅方面に用事があって出かけたので、住宅街を歩いてみました。この駅は、開発会社が街を開発している、京成線沿線では、高級住宅街です。素敵なお庭を眺めながら歩いていたら福寿草が咲いていました。福寿草を植えているお宅が1軒だけありました。声を掛けてみましたが、いらっしゃらないようなので門の外から望遠で撮りました。春はそこまで来ていますね。
2016/02/20
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盆栽のセツブンソウですが、春をみつけました。 今年は、自生地へ行けるかな・・・
2016/02/19
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佐倉市臼井の史跡めぐり長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹の天ぷら梅の花早咲きの桜印旛沼雷電為右衛門の墓臼井城址天満宮臼井興胤が創建したと伝えられています。星神社(臼井妙見社)臼井城築城時、鬼門に当たるこの地に創建されたもので千葉氏の守護神(北斗七星を神聖化したものだそうです)星神社(妙見社)妙見社八幡神社臼井興胤が、臼井の総鎮守として、宇佐八幡を勧請して創建されたそうです。八幡神社拝殿本殿参道の石柱に長嶋茂雄氏の名前が明治時代に枯れた大楠御神木として保存されています。明治時代の常夜灯臼井台稲荷神社八幡神社の近くにある小さな社です。臼井台稲荷神社佐倉市の天然記念物になっている臼井台の御神木・カヤの木川口宗重の墓江戸時代、父の代に関ヶ原の合戦で石田三成側につき、徳川家康の怒りにふれて、伊達政宗に預けれたが、二代将軍・徳川秀忠に仕え、臼井を分与されてこの地で亡くなったそうです。臼井八幡神社を崇拝して 神剣や石灯籠を寄進していたそうです。
2016/02/18
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隣町臼井の史跡めぐり長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹の天ぷら梅の花早咲きの桜印旛沼雷電為右衛門の墓歴史に疎いので、細かい説明はできませんが・・下総地方を治めた千葉氏の一族で、千葉常胤の叔父の臼井六郎常康が平安時代後期、臼井に居を構え、臼井興胤が本格的に城郭として整備したので、中興の祖といわれています。臼井八景臼井城址本丸跡からの印旛沼当時は、本丸のすぐ下まで印旛沼があったそうで、湿地が広がって敵の侵入を防いでいたそうです。本丸跡二の丸跡二の丸と本丸をつなぐ土橋当時は、土橋の巾は2mで下は空堀になっていて、一度に大勢の敵が攻めこめないようになっていたとか本丸跡から1キロほど離れた宿内砦跡と稲荷台砦跡(マンションが建っている)その南側に京成臼井駅があります。平山城の臼井城は、本丸、二の丸、三の丸(遺構は見つかっていないとか)と5つの砦を配した総構で下総の重要な場所でもあったそうです。宿内公園(臼井城の砦跡)臼井城は平山城で、5つの砦に守られていたそうです。今は宅地開発されて、遺構が残っているところはこの宿内砦跡だけで、この地も宅地開発でマンションが建設される予定だったそうですが、公園として残されたそうです。ほぼ当時のままの遺構が残されている砦跡太田図書の墓室町時代、 太田道灌が臼井城を攻めたときに弟(甥ともいわれている)の太田図書が戦死太田図書のお墓臼井城の外側の土塁の上に残っています。上杉謙信 一夜城跡碑(王子台砦跡)臼井城攻撃のために上杉謙信が陣を張った地京成臼井駅南側にあります。一夜城跡(王子台砦跡) 阿辰(阿多津)の墓の案内板 幼少時の名は竹若丸 父が若くして亡くなり、弟・志津城主に後見を託したが、 臼井城を手に入れようと竹若丸を殺そうとしたところ 乳母の阿辰が、支城の岩戸城主に助けを求めて、鎌倉建長寺に逃がしたが 芦原に隠れた阿辰は咳をしたために殺されてしまったとか 竹若丸は建長寺で元服して臼井に戻り、臼井を整備して、 臼井氏中興の祖といわれるようになった臼井興胤 阿辰の墓 阿辰の墓碑 お詣りすると咳が止まると、地元民のよって 手厚く葬られている 今は公園になっている洲崎砦跡に建つ 臼井八景・洲崎晴嵐 洲崎砦跡(公園)から望む印旛沼
2016/02/17
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佐倉市へ越してきて5年歴史の町佐倉、城下町へは何度か出かけていますが、隣町の臼井にも古くからの歴史がありました。長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹の天ぷら梅の花早咲きの桜印旛沼京成臼井駅前ロータリーに建っている看板この日は、午前中久しぶりに映画鑑賞「母と暮らせば」を観て、午後から近場を歩いてみようとカメラを持ってでかけました。印旛沼でも歩こうかと一駅電車に乗って、臼井駅へパンフレットがあればと駅員さんに尋ねてみましたが、ありませんと・・駅前のロータリーにでると「臼井史跡めぐり」の案内板がありました。各所に道標が建っています。江戸時代の名力士・雷電のお墓雷電のお墓は全国で4ケ所ほどあるそうです。生まれは長野県で、松江藩のお抱え力士になり、巡業の地臼井で知り合った女性と結婚して引退したあとの晩年を、臼井で過ごしたそうです。今は廃寺となった浄行寺が妻の菩提寺だったそうで、幼くして亡くなった娘と3人が葬られているそうです。右端が雷電と妻と子供と眠るお墓妻の親族が今もお守りしていらっしゃるようです。江戸時代の名力士・雷電為右衛門顕彰碑書かれている文字は、佐久間象山の筆によるものだそうです。命日には、ここで「雷電祭」があるそうです。雷電の手形妙覚寺廃寺になった浄行寺を引き継いで管理しているのがこのお寺だそうでです。妙覚寺本堂稲荷神社(雷電公園)稲荷神社左から三峯神社 、稲荷神社、子安神社が祀られています。稲荷神社は、雷電が京都伏見稲荷を勧請したと言われています。神社裏からの印旛沼
2016/02/16
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長野に住んでいる孫の〇来ちゃんが、第一志望の大学に合格したと連絡がありました。おめでとう!12月には第2志望の大学に合格していましたが、同じく京都の大学とのこと。東京にも大学があるけど、京都に行きたかったそう。臨床心理学科専攻で大学院まで行く必要があるそうなので、最低でも6年間は、京都生活himekyonも京都に行く機会が増えるかな?弟のし○う君は高校進学、3月が入学試験だそうな 河津桜 歩いて15分ほどの公園に咲いていました。 今まで知りませんでした。灯台下暗し・・・です。
2016/02/15
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隣町臼井の史跡めぐりの後印旛沼へ対岸に行く時間がなくて、臼井の町越しの夕景になりました。長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹の天ぷら梅の花早咲きの桜印旛沼舟戸の渡し跡昭和38年に印旛沼に橋が架かるまで渡し舟があったところ防人の碑万葉の時代、防人に出発する歌を詠んだもの印旛出身で万葉集に選ばれたのはこの丈部直大麿ひとりだけとか 佐倉・ふるさと広場
2016/02/14
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隣町の白井の史跡めぐり暖冬で、静岡の河津桜は、例年よりが咲き進んでいるとのこと公園の桜も咲きだしていました。長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹の天ぷら梅の花
2016/02/13
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隣町・臼井の史跡巡り長嶋茂雄氏の足跡と蕗の薹2月も半ばになり、梅の花も見頃になってきました。 ちょっと桃の花に似ている白梅 緑色に近い色の白梅 ほぼ満開の紅梅 しだれ紅梅は咲きはじめ 蝋梅 ちょっと桃の花に似ている白梅
2016/02/12
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佐倉市民になって、今月で5年になります。佐倉の城下町は何度か歩いていますが、今回は隣町の臼井の史跡巡りをしてみました。臼井と言っても地元以外の方にはわからないですね。 小学校の正門にプレートがはめ込んでありました。近くに寄ってみたら巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄氏の名前を刻んだプレートですプレートがあるということは、この小学校を卒業されたということのようですね。夕暮れの印旛沼長嶋茂雄氏はこの印旛沼畔で生まれ育ちました。※※※※※食べたかった蕗の薹の天ぷら親切な農家のおじさんにいただきました~蕗の薹の天ぷらは、塩で食べました、ほろ苦さが溜まらない、春の香りおいしかった~
2016/02/11
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春を探して城下町へミツマタ(三椏)の蕾にカマキリ(蟷螂)の卵カンアオイ(寒葵)クサノオウは花径が立ちあがってきていますフッキソウ(富貴草)花は開きはじめかなキチジョウソウ(吉祥草)の実が一つだけ鮮やかにマンリョウ(万両)の実もまだ残っていますツルニチニチソウ (蔓日日草)色鮮やかに咲いていました。 城下町の商店街では毎年雛飾りのイベントがあります。今回は時間がなかったので、駅前のお店のショーウィンドーのお飾りを撮ってみました。少しづつ春が近づいていますね。
2016/02/10
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春を探して城下町へ 蕗の薹みっけ! おいしそう でも、前回見つけたときと同じく、 採ってはいけない場所でした。 天ぷらが食べたい~
2016/02/09
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春を探して城下町を歩いてみました。
2016/02/08
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春を探して城下町へ暖冬と言われて咲きだしていた春の花たちも、一変して寒波襲来で、びっくりしたことでしょう12月に訪れた時は1輪がほころび始めたところでした。※※※ロウバイ(蝋梅)
2016/02/07
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春を探して歩いた城下町まだまだ春は遠そうですが・・・ ヒメウズ(姫烏頭) 遠すぎてボケボケ、ブレブレでした シロバナタンポポ(白花蒲公英) シロバナタンポポの綿毛 ヒメオドリコソウ(姫踊子草)
2016/02/06
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春を探して城下町を歩いてみました。暖冬の冬と言われ、春の訪れも早いのではと出かけてはみたけれど寒波の影響か春がとどまってしまったかのようフクジュソウ(福寿草)やっと一輪が開き始めました。、イヌコリヤナギ(犬行李柳)やっと一芽だけ
2016/02/05
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1月の終わり、里山へ春を探しに出かけました。いつもながら、午後からのスタート、少し歩いたら、森の中は薄暗くなってきて誰もいない森を一人で歩くのはちょっと・・・空を見上げると森の向こうに夕空が広がってきました。バス停まで戻ってくると燃えるような夕空に
2016/02/04
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1月の終わり、里山へ春を探しに行ってみました。暖冬で、季節を間違えた花たちをあちこちでみかけますが、里山には、期待したほどの花はありませんでした。畑の脇に梅の木が数本、1本だけ花が咲いていました。やっと見つけた白梅です。庭園の刈り込まれた梅の木ではなく、枝の伸びきった梅の木でしたが、春は近づいていますね。
2016/02/03
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1月の終わり、春を探しに午後から佐倉の里山を歩いて見ましたが、暖冬と言われているわりには、なかなか春を見つけることができませんでしたが・・陽だまりに菫をみつけました。タチツボスミレ(立坪菫)かな?田んぼの畔にセイヨウタンポポ(西洋蒲公英)タネツケバナ(種漬花)ホトケノザ(仏の座)ホシノヒトミ(星の瞳)午後からの日が沈むころ、花びらを閉じてしまいました
2016/02/02
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午後から佐倉の里山へ春を探して歩いてみました。川べりを歩いていると、枯草の中から小さな野鳥が、何羽も飛び出してきました。アオジ(青鵐)?ツグミ(鶫)ツグミも川べりに
2016/02/01
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