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日本列島を縦断する台風が夜から早朝にかけて吹き荒れた。今日30日、上期は終了。台風一過、心機一転、進んで行きたい。-------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120930 | 編集 杉田先生、矢内事務長、池田部長と台風に備えて本日の父母会の進行についての打ち合わせ。時間を少し繰り上げる。 諸橋、今泉、杉田の各先生と人事関係の会議。 2012年度父母会を開催。3年生の父母がほとんど。例年100名ほどの参加者だが、今年は150名を超える申し込みがあり関心の高さが伺える。またほとんどの教員が参加してくれた。f:id:k-hisatune:20120930132927j:image まず、冒頭は学部長としての私の説明。テーマは「多摩大の理念、教育と就職の考え方」。多摩。アジアダイナミズム。多摩大の戦略。産業社会の問題解決の最前線に立つ人材。志人材=人物。ひとかどの人物。志企業。就職率。今年の状況。就職先の説明。インターンシップの相手先。ゼミの多摩大。、、。「大学が用意している練り込んだキャリアプログラムに乗ってもらえば大丈夫」というメッセージを込めて話をした。 杉田就職委員長から、就職についての考え方と父母へのお願い。 池田学務部長から、キャリアプログラムの説明。 終了後、ぞれぞれのゼミごとに分かれて、教員と父母との懇談会。教員の就職に関する方針説明と父母からの質問に応える時間。個別面談も。 私のゼミは5組ほどの申し込みがあったが、台風の関係もあり3組4人となった。全員が3年生。ゼミの4年生の就活状況、個々のゼミ生の動向、アドバイスなど。また父母から家庭での状況を聞いた。隣の梅澤先生は教育に熱心なだけあって保母の数は多かったのに驚く。f:id:k-hisatune:20120930145027j:image 今回は、学部長、就職委員長、学務部長(就職課長)の3人の語る内容の調整を行なって統一感のあるメッセージを心掛けたが、この点はスムーズだった。参加された父母のほとんどがゼミ教員との懇談会に出席してもらった。こちらも例年以上の関心だった。終了後、提出していただいたアンケートをざっと読んだが、この企画は大変好評だった。教職員一体となって努力した成果だと思う。インターンシップ参加人数は昨年の数倍、父母会の参加人数は史上最多、「私の志」小論文募集も1500件を軽く超える最多の応募数、、、、。今年からは、いろいろなものを「史上最高」にしていくと志気があがるかもしれない。 終了後、ラウンジで金先生と雑談。途中、酒井先生も加わり相談を受ける。
2012/09/30
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「大中華圏を旅せよ」--インターゼミが始まる品川での会議と九段でのインターゼミの間に少し時間ができたので、神保町の古本街をうろつくことにした。世界の名言、伝記と自伝、エッセイなど5冊の本を購入。締めて1500円なり。ぶらついている時に。「久恒君!久恒君!」という声が聞こえた。目の前にキャップを被り、ステッキをついた寺島さんが突然現れて驚いた。「学生たちに話をしてきたところだ。後でね」ということを言いながら、古本屋へ入っていった。神保町の古本屋街でばったり会ったのは二度目だ。九段サテライトができてから、インターゼミの前に古本屋街をうろつき本を買うという愉しみを持つようになった。新刊本しか置いていない書店よりも、最近は過去の本に興味を惹かれる。-----------------------------------学部長日誌「志塾の風」120929 | 編集 品川キャンパスで大学院教授会。 九段サテライトでインターゼミ(社会工学研究会)の初回。今日のテーマは「20102年夏」。始まる前に学長と本日の進め方を相談。f:id:k-hisatune:20120929170831j:image まず、教員から。菅野先生「大阪」、バートル先生「台湾視察ツアー」 学長から指名があり私からは「本を一冊執筆。人物記念館の旅は仙台・浜松・群馬・山梨・長野で16館、祖父の事績を訪ねる群馬の旅。ロンドンオリンピック、柔道の嘉納治五郎と水泳の古橋広之進。」を少し長めに報告する。 学生は、台湾視察ツアー参加者5人、インド・ネパールの旅、インターンシップの報告、北海道と九州、起業の途中報告、、などとても面白かった。 寺島学長から。 中国の楊外相の尖閣領有権の根拠は「日清戦争で結んだ1895年の下関条約で日本は台湾を得た。サンフランシスコ条約で敗戦日本は台湾を中国に戻した。尖閣は台湾の一部だ」というものだということが明らかになってきた。 1951年のサンフランシスコ平和条約には、尖閣は沖縄の一部であると明示されている。中国から異論はあったが、米国によって退けられている。日本が潜在主権のを持つ尖閣はアメリカが施政権を持った。 石油資源の存在などで中国が尖閣の領有権を主張し始めたのが1970年代。1972の米中国交回復時にはアメリカは中国に配慮して、領有権にはコミットしないという主張になった。 アメリカ上院のウェブ議員のように尖閣問題では主張を明確にせよとの議論も出てきているが、キャンベル次官補は「施政権は日本。領有権は中立」と一歩踏み込んでいる。ベネッタ国防長官は「尖閣は日米安保の対象」と日本には説明したと報道されているが、「条約の義務は履行する(日米安保第5条)」と言ったに過ぎない。 アメリカは「あいまい作戦」をとっている。尖閣のために自国の青年の血を流すか?米中戦争になる可能性があっても出てくるか? その時の大統領の判断、世論の動向などによって変わってくることになrだろう。アメリカの戦略は「あいまい作戦」をとることによって、日本にも中国にも影響力を最大にする考えだ。過剰期待と過剰依存から脱却しなければならない。常識に帰ろう。 行動や体験から何を見抜くか。問題意識が情報の質を決める。大中華圏を旅せよ。 11月のワークプレイスメントの大会。12月からのBS12での番組(月曜9時)。情報アングザイアティ。「就職」というキーワードに反応する人が対象。ハワイの日本語放送・きくテレビを参考にして訪日外個人向けに夕刻5-7時に韓国語放送と中国語放送を流すなど、、 その後、グループ討議。震災班は出遅れているので、二人の3年生と私が一緒に夏につくったシナリオを、そのまま進めよと指示。「いつまでも議論を拡散させてはいけない。時間が限られている。全員の合意は必要ない。肝心な時に参加していない人の無責任なアイデアは顧慮する必要はない。まとまった対案がなければ今回は農業生産法人に焦点を当てて進めよ」。 終了後、10月からグローバルスタディーズ学部の学部長に就任する安田先生と高野課長と3人で食事。
2012/09/30
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朝は多摩キャンパスで学部の授業の初回の授業、午後は九段サテライトで全学会議、夜は品川キャンパスで大学院の授業という一日だった。---------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120928 | 編集 講義「マネジメントデザイン論?」の初回の授業。人数は200名弱か。新しくyutubeを使って岡本太郎の動画を見せたのが好評だった。f:id:k-hisatune:20120928114341j:image 夏休み?・本の原稿執筆(12月)・記念館(山梨安曇野・群馬・仙台・浜松)16館:500館 臼井吉見 荻原守衛 いわさきちひろ 根津嘉一郎 横溝正史:藤田嗣治(企) :安野光雅(企) 亀井文蔵 松本竣介(企) :原六郎 徳富蘆花 竹久夢二 那須与一 :古橋広之進 賀茂真淵 木下惠介 マネジメントデザイン論2の位置づけ=立志人物伝。志=不条理の解決に貢献。シラバス 海外旅行=文明の生態史観の旅(梅棹忠夫) 国内旅行? 観光とグルメの旅に疑問 =人物記念館の旅!(2005年から8年目) 近代に活躍した日本人。名言・格言紹介。とYutube!100館(百説)。200館(巡礼)。300館(ライフワーク)いかに歴史を知らないか! 人は必ず死ぬ!ブログで訪問記・毎日が総合学習 春学期(図解=アタマの革命)=問題解決学 秋学期(人物=ココロの革命)=立志科目 ロンドンオリンピック:柔道と水泳 嘉納治五郎と古橋広之進 本物の条件=7つの共通項の発見 人生のロールモデルを見つけよう! エニアのチェック:20分 アンケート10分(期待と決意) 寺島学長と案件の相談。 3COO会議。学部長、研究科長、副学長、事務局長で情報交換。 大学運営会議。湘南キャンパスからは10月から就任する安田学部長がオブザーバー参加。 経営情報学部からは、主に入試と就職に関する現状報告と、年度後半の対応施策について説明を行った。静岡・山梨については、学校、企業など、どこに入っていくのが効果的かよく考えて欲しいというコメントをもらった。 自己点検報告書2011年度版が完成。 大学院「図解コミュニケーション」の初回の授業。社会人大学院生が9人。印刷、物流、電器、コンサルタント、不動産(国内外)、貿易、、、などの業種で働くビジネスマン。経営企画、人事、など。中国人と韓国人も。企画書・提案書を書く際に使いたいという声が多かった。f:id:k-hisatune:20120928210544j:image以下、facebookに書かれた感想から。 私が特に印象に残ったのが「考える」ということ。大きく深く考える。丁度、今読んでいる伊丹先生の本の中に、狭く焦点を当てる目と大きく幅広く考える目の両方、複眼の思想が必要、と書かれていて、具体的にはどういうことかと思っていました。それが今日の講義の中で、腑に落ちました。図を描くということは、全体像をとらえることであり、1つ1つの内容に対してフォーカスすることの両方だと感じました。実際に手を動かして図を描くことで考えが見えてきたような気がしました。図を見返してみると、全体像があり、1つ1つのパーツがあって、まさしく全体と詳細が組み合わさっていると思いました。また、普段、そうした目で物事を見れていないな、と反省しました。まずはトレーニングですね。 本日の講義で最も印象深かったのは、自分の仕事を図で書いてみて、とてもスッキリしたことです。このスッキリ感はどこから来るのか?と考えたところ、多分、普段は考えていない領域まで考えられたことが、大きな要因ではないかと感じています。というのも、普段、図を使わないで考えている場合、実は考えたつもりになっているだけで、まだまだ考えるべき余地が残されているのに、その余地が存在することにさえ、気付けていないのかも知れません。今回、図で自分の仕事を書いてみることで、本来考えるべきではあるものの、これまで足を踏み入れることが出来ていなかった領域に到達できたように感じており、これがスッキリ感をもたらした大きな要因ではないかと感じています。これから、考えているつもりにならない様、図解を習得していきたいと思います。 授業で感じたことは、図解があることで、短時間で物事を伝えたり理解することができるのだということを実感しました。何かを文章で理解しようとすると、何度も時間をかけて読み返す必要がありますが、(時間をかけても理解できていない場合が多いですが。)図解があることで頭が整理され、その内容についても、次は自分自身でも説明できるようになれるのではないかと思いました。実際に、『私の仕事』を図解にしようとしたときに、仕事内容を頭で整理できていなかったようで、後から後からキーワードが出てきて、図で表現をすることがとても難しかったです。2週間かけて自分自身の仕事を見直しをして、図解に表現して、すっきりと気持ちのよい仕事ができるようになりたいと思いました。図解にすることは、難しかったですが、とても楽しかったです。 受講して思ったこと、どれだけ自分の仕事について「考えて」いなかったか、ということ。そして、久しぶりに「考える」ということが楽しく思えました。次回に向け、繰り返し「考えて」みます。 近視眼的にひとつのものごとに深く入り込むことはできても、その関係性が曖昧のままで、大局をつかむことが難しかったと思います。図解で考えること、そしてその図解により判断するという過程で、ずいぶんいろいろなことを考え、頭の中が整理されるのではないかと思います。知識の詰め込みで自分の頭で考えていないということは自分で思い当たることです。頭の霧が晴れて全体が俯瞰できかつ個々のものもはっきり見え、現状から脱却できるよう考える訓練ができればと思います。
2012/09/28
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ゴルフ雑誌の「ALBA」から取材があり、本日発売号に掲載された。ゴルフ雑誌に載ったのは初めて。「トッププロの7つの習慣」という企画の最後に、「習慣が大事という3賢人から上達のアドバイスをもらった!!」というコーナー。3賢人とは、経済評論家の勝間和代さん、行動習慣マイスターの佐藤伝さんと私だった。-----------------------------------以下は、「書いていたら面白くなって、分量が増えてしまいましたが、好きに編集してもらって結構です。」というメモをつけて編集者に送付した原案。-----「法則や習慣を作ることで、どうして成功へと導くことができるのか?」 人間は習慣の束ですので、良い習慣を少しづつ増やしていくと自然に成功への道を歩むことになります。 そういう過程で気づいたものを自分なりの法則という目に見えるに形にまとめると、その法則が今度は自分の意識をさらに高めてくれます。自分で自分を律していくという自律の精神、そして自分の足で立つという自立の精神、この「自律と自立」の精神を養いながら、ゆっくり、じっくり、たんたんと、歩んでいけば目的地に達するでしょう。---------------「久恒さん自身のゴルフにおける法則や習慣はなんですか?」 毎回のプレーのスコア(下手の横好き!)、同伴者、ゴルフ場をホームページで公開する習慣を持っており、「生涯平均スコアの向上」(ここだけプロ並み?)というはるかな目標を念頭に置いています。因みに当初は同伴者のスコアも記していたのですが、同伴者本人からのクレームがあり止めざるを得ませんでした。(冗談のわからない人が多くて、困ったものです。)図解ウェブ参照:http://www.hisatune.net/ 私は記録魔なのですが、痛い目にあった反省を込めた「ゴルフ十戒」などを記したメモをポケットに入れておいて、プレー中に何度も言い聞かせせれば何とかスコアがまとまるという自分なりの法則を信奉していたのですが、今はやっていません。これがスコアが伸びない原因だと今(!)気がつきました。 私のゴルフのライバルは仕事上の師匠でもある今年85歳になる肉食系老人ゴルファーです。この人は「80代のうちに90を切る」と宣言して工夫を重ねており、毎年歳が増えるから達成可能だと放言しています。この気概と意欲は見習いたいですね。---------- 「なかなか法則や習慣を作れない人へのアドバイス」 ホームページやソーシャルメディアなどで自分なりの考えや身に付けたい習慣を広く公開することが、深く後悔しないことにつながっていきます。・早咲きのうさぎ型の人は努力を怠りがちなので大成が叶わないことが多いように思います。「遅咲き」を信じて、亀になったつもりで、たゆまず、一歩一歩進んで行きたいものですね。---------------------------------------[学部長日誌「志塾の風」120927」 朝、立川駅のコンコースで多摩信金の長島部長と遭遇! 矢内事務長と定例ミーティング。 池田部長、杉田就職委員長。日曜日の父母会の打ち合わせ。 ラウンジで趙先生から「多摩グローカル・フォーラム」の説明。加わった樋口先生も交えて雑談。 ゼミが今日から始まる。 金子さん、樋口先生と雑談。
2012/09/27
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早朝、秋葉原から筑波エクスプレスに乗って柏の葉キャンパス駅へ。この街は、東大のフューチャーセンターや千葉大の環境健康フィールド科学センターなどの研究施設、科学捜査関係の研究機関、税関の研究所などがある緑豊かな未来都市だ。この一角に財務省関税局税関研修所がある。ここに出講を依頼された。日本の税関は、輸入物品の消費税などを徴集し、5兆円の税収を上げている。これは国税収入全体50兆円の約一割に相当する。ということは、消費税が10%になると税関は10兆円の国税をあげることになる。「関税レポート(世界最先端の税関を目指して)」を読むと、覚醒剤、大麻、あへん、麻薬(ヘロイン、MDMA、、)、こ向精神薬、などの社会悪物品が最近急増していることがわかる。「期待される税関職員」には、柔軟性、国際性、総合性があり、世界最高水準の行政サービス」を提供する高い志をもって職務に精励する職員が書かれている。途上国の税関職員育成への協力としてODAを使って、関税技術協力研修を実施している。専門知識・技術の伝授、登場国税関との交流が目的だ。アセアン域内共通の制度整備などへの貢献、そしてこういった研修は我が国の国益にも貢献している。2011年度で48か国から266名を受け入れている。研修所ではそういった外国人も見かけた。その研修の講師をつとめる職員に対して講義をして欲しいということになった。きっかけはJICA(国際協力機構)での「国際コミュニケーション力の向上」研修の評判を聞いてのことだそうだ。受講者は東京、横浜、名古屋(中部空港)、大阪(関西空港)、神戸、門司(対馬)から11名の税関職員で、それぞれ、調査官、審査官、監視官という職名を持っている。リスク管理、品目分類、評価・事後調査が専門だ。女性が5名と多かった。受講資格は英検準一級。「関税技術協力で、外国の方に何かを伝える際に有効」「日本の税関の事を途上国に教えることが多いのでぜひ図解を中心に実践してみたい」「管理者向けの研修なども行って欲しい」などの反応があった。研修事務局からは「各研修生が口をそろえて非常に有意義であったと申しておりました。、、プレゼンのみならず、職場の改善など多岐にわたり応用ができると喜んでおりました。是非、他の研修でも講義をいただくべきだと申しておりました。」との御礼のメールが届いた。新しい分野でもあり、私もた大変勉強になった。------------------------------------柏市には麗澤大学がある。その創立者は同郷の中津出身の広池千九郎(1866-1938年)である。帰りにその記念館を訪ねてみた。この人物はモラロジー(道徳科学)の創立者。緑豊かな素晴らしいキャンパスの一角に記念館がある。教育者、救済活動者、学者として大きな影響を人々に与えた人だ。山岡荘八「燃える軌道」という小説にもなっている。「道徳科学の論文」の執筆に参考にした3万5千冊の図書を見ることができた。和書1万7千冊、漢書1万3千冊、洋書2千5百冊という膨大なものだった。25歳「中津歴史」を書く。26歳、歴史家を志し京都へ。29歳、「古事類苑」編纂のため東京へ。36歳、早大講師。41歳、神宮皇學館教授。46歳、法学博士。59歳、全国の温泉を巡り湯治と研究に専念。60歳、「道徳科学の論文」完成。65歳、モラロジーに基づく教育活動を展開。69歳、道徳科学専攻塾を設立。71歳、谷川講堂を開設。72歳、逝去。20歳の誓い「人々の生活を豊かにし、国家にとって有益な人物になる」モラロジー「実学の精神に基づいた道徳科学教育」「中津歴史」(1891年)。地域の住人にその土地の歴史を知らせることは、日本人としての自覚の第一歩だ。郷土の偉人でもあり、書物を数冊買いこんできたので、読むことにしたい。中津にも記念館があるので帰省時に訪ねたい。---------------------------------夕刻、新宿の「どん底」で中津の同級生の千葉雄君と松田君と飲む。このロシア風居酒屋は、黒沢明や三島由紀夫が愛した店だ。------自民党総裁選で安倍新総裁。石破さんを決選投票で破る。
2012/09/26
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山梨市の根津記念館。政財界の巨頭、数寄者でもあった鉄道王・根津嘉一郎の本拠地・山梨の迎賓館であり、地主経営の場であり、居住空間でもある、巨大な館が今は記念館になTっている。近代和風建築の粋を凝らした建物だ。f:id:k-hisatune:20120920144852j:imageこの人は先輩の言葉を素直を受け入れて実行し、成功をおさめているという印象だ。 人は短い一生の中にお国のために何か善い事をして置かねばならぬ。 人間というものは、他人の恩になれば一生頭が上がらないもんだ。(父)雨宮敬次郎(1846-1911)。山梨出身の投機界の魔王のアドバイス。 投機よりも事業を起こせ 相場などで一時の利益を逐ふよりも事業を経営し事業を盛り立てて、其の利益を享受することにせよ」 成功の秘訣は先ずどこに無駄があるか、どこに不正があるか、不生産的な費用は早く削除してしまふ事である。それが出来たところで、初めて外へ向かって拡張する。 成功は誠意と努力に在りこの人は人材を多く育成している。正田貞一郎(1870-1961)。日清製粉山本為三郎(1893-1966)。大日本麦酒常務、初代アサビール社長宮島清次郎(1878-)。日清紡社長。社会貢献活動にも見るべきものがある。武蔵高校の創立。山梨県下の全小学校にピアノなどを寄付、根津ピアノと呼ばれる。こういう活動は、ロックフェラーに学んだ。根津嘉一郎の略歴。万延元年6月15日~昭和15年1月4日(1860~1940)山梨県の商家に生まれる。県会議員などを務めた後、企業の株取得を通じて会社経営に乗り出す。現在のアサヒビール、富国生命など多くの企業の再建に手腕を発揮した。「ボロ買いちろう」と揶揄されたほど、経営難に陥っている会社を多く買収したが、それらを見事に再建させた。ボロ会社と言われていた東武鉄道を一躍優良企業に変貌させ、また、東武鉄道をはじめとする24社にのぼる鉄道会社の経営に関係したので「日本の鉄道王」と呼ばれた。事業以外にも、武蔵高校(現:武蔵大学)の創立や、古美術収集などにも精力を注いでいた。また1904年からは衆議院議員を連続4期、1920年からは貴族院議員もつとめている。郷里の先輩の若尾逸平から「金儲けは株に限る。株は運と気合だ」と言われ株の世界に入る。「乗り物」と「灯り」というキーワードをもらった嘉一郎は、東京電灯株を徐々に買い占め、ついに経営権を手に入れる。そして渾身の力を尽くして、東武鉄道の再建を依頼され社長に就任し、コスト削減とリストラを行い、成功する。日光線を成功させ、ボロ会社は一気に優良企業になった。根津嘉一郎が経営を手がけた企業は、日本第一麦酒(現:アサヒビール)、富国徴兵保険(現:富国生命保険)、日清製粉などがある。根津嘉一郎は自らを「生涯、他人に使われたことがない」と話している。多くの実業家は丁稚からたたき上げ、功労を積み、出世街道を登りつめたが、根津嘉一郎は生涯一匹狼を通し、人の下僚になり、使われた経験や人の恩顧を被った経験を持たなかった珍しい人物だ。「会社再生の秘訣は、どこに不正と不合理があるか、その病原を退治することが一番近道である」--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120924 杉田先生、豊田先生、下井先生 午後、プレホームゼミ説明会。1年生の全員を対象に、教員それぞれが10分ほどのゼミ説明を行う。私はトップバッターだった。顧客満足と図解思考を軸に概要を説明し、その後進行中の4つのプロジェクトの解説を行った。東京ヴェルディプロジェクト、にごみプロジェクト、多摩市の手土産プロジェクト、スポーツゴミ拾いプロジェクト。途中でこの様子を動画で撮ってホームページに載せるといい情報提供にになると気がついて中庭学長室長にアドバイス。 府中西高校をOBの増渕君と一緒に訪問。担任だった鈴木清先生と進路指導の佐久間日奈子先生に会う。この高校からは毎年入学者が多い。増渕君(私のゼミ)の大学生活を説明。ゼミで東京ヴェルディ応援チームのサブリーダーをやっていること、この夏休みの4週間の出版社でのインターンシップのことなどをきちんと報告してくれた。このインターンシップはずいぶんと収穫があったようだ。私の方からは、多摩大の内容説明、戦略を説明。また出張講義のメニューを説明し、リクエストがあれば教員を派遣することをなどを話題にした。お土産として、私の著書3冊をお渡しする。「図で考える技術が身につくトレーニング30」「図で考えれば文章がうまくなる」「人生の道を拓く言葉130」。
2012/09/24
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臼井吉見、という名前と少し太り気味の姿は、子供の頃のNHKの番組で覚えている。偉い人のようだったが、クイズでよく間違えるので愛嬌があった。f:id:k-hisatune:20120923203152j:imageその人の記念館が、安曇野の文学館だ。この人は教育者、編集者、評論家、小説家などいくつのも肩書があるが、代表作は大河小説「安曇野」だ。この小説は59歳から書き始め、途中病気の5年間もあり、完結したのは69歳だった。この小説は安曇野の文化史を描いた。この小説に登場するのは、中村屋の相馬愛蔵・良夫妻、荻原守衛、研成義塾の井口喜源冶、木下尚江の5人だ。この小説は足かけ10年、昭和48年に、5600枚で完結する。これは人と時代と事件と書物と思想とのの出会い、邂逅の物語だ。臼井吉見は次に天皇制を論じた「獅子座」というライフワークに取り組むが、これは未完に終わっている。明治維新は臼井吉見によれば、王政復古ではなく、岩倉具視のクーデターであった。吉見は天皇に対しては、戦争責任を問わないわけにはいかない、と同時に天皇に限りないシンパシーも持っている。一人の人間から基本的人権を奪っているという考えだ。ここには私も共感を覚える。小学校卒業時に、下級生の代表の女生徒である黒岩アヤを知る。この人が後の夫人になる。吉見27歳、アヤ25歳であった。松本中学、松本高校、東大国文科というルートをたどるが、この間、多くの人に影響を受ける。同級生の古田晃(後の筑摩書房創業者。筑摩地の出身)、一級上の唐木順三、青柳優、中島健三。そして「土」を書いた長塚節、正岡子規、伊藤左千夫、万葉集、志賀直哉、佐藤春夫、宇野浩二、、、。大学卒業後、吉見は福島県双葉郡双葉中学の国語教師になっている。原発事故で有名になったあの双葉だ。健康優良児の吉見は軍人としても活躍した。幸運もあって生き延びている。臼井吉見の講演を録を集めた「自分をつくる」(臼井吉見文学館)を読んだ。 ぼくは中学に入るや否や、早くも文学をやろうと決めてしまったのです。そして、このことを後悔しているわけです。 ほんとうの友達というのは、これから自分の精神世界をつくり出す仕事になくてはならぬ人間、これがほんとうの友人です。 精神の成長の時期に作られる友だちが生涯の友だちです。たがいに精神の成長の秘密を知っている同志が友人です。 からだを動かし、頭で考え、心に感ずる。 教師といのは、なんといっても神聖な職業だとぼくは考えます。人間の魂と魂が火花を散らす仕事、そういう職業が神聖でないとどうしていえますか? かんじんの発電は、他人まかせにして、電線だけ引っ張っ、自分の精神の火をともそうとしたって、だめなんです。か細くても、消えそうでも、精神の世界では、自家発電でなくては、ごまかすわけにはいかないのです。 教育の中軸は、自己教育だと思いますが、その自己教育の中核は、自分と異質な人間との対話です。「続・自分をつくる」 大きなものを読みなさい。 人間の条件は、自分でものを考える、最後は自分で判断する、判断に基づいて行動する、そして責任を持つ。------------------日馬富士、2場所連続全勝優勝で横綱へ。日中国交回復40周年記念事業延期。
2012/09/23
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本日は丸一日大学。---------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120922 | 編集 学部運営委員会。先週からの変更の確認、教授会の進め方を確認。 教授会。人事案件(採用・昇格・再任)など案件が淡々と進む。------------------秋季卒業式。9名の卒業生のための卒業式。池田佳奈子、熊田純也、山王丸拓弥、高津賢太、鷹野貴也、角田多恵子、永島瑛輝、溝部珠希、渡部翔。全員に私から卒業証書を渡す。f:id:k-hisatune:20120923133459j:image学部長の言葉。 卒業おめでとう!2008年度入学=同期生、感慨が深い。私は探検部活動―低空飛行で卒業。 探検=「外的世界の拡大は、内的世界を深化させる」。地理的探検―極地・山・鍾乳洞、宇宙。個人:大学から就職、転勤、天職、昇進。友人。 外的世界を広げていくことを信条に! 阪急の創業者・小林一三の言葉「下足番を命じられたら日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしてはおかぬ」。地道、持ち場、もう一歩、、。素直な人が伸びる! 「企業は人材を求めるが、諸君は人物を目指せ!」 知識・技術・才能 より、教養・人格。「あの人は人物だ」。ひとかどの人物。一目置かれる人物。促成より晩成。時間をかけてじっくりと成熟 卒業、おめでとう!総代の池田佳奈子さんの言葉も素直でとても良かった。見守る教員と職員、父兄で学園歌「この輝ける日々よ」を合唱。(学生は学園歌に馴染みが浅く歌っていない。少し練習が必要。学内で常時放送で流すことも必要か)懇親会。出席されているお母さん二人と懇談。総代の池田さんとも話をする。全員で記念撮影。f:id:k-hisatune:20120922130652j:image--------------------------- 終了後、居残った諸橋副学長、樋口先生、趙先生と長い雑談。 サポート室でボイス(学生による授業評価)の改善について彩藤FD委員長と教務の金子さんと相談。全体平均と自分のスコアとの関係がわからない、SDなどの専門用語が不明、、、。 教員採用の面接が進行中、何人か、候補者を見かけた。 学園祭が行われているが低調。やり方、時期等について抜本改革が必要か。
2012/09/22
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安曇野では、3つの館を訪問。精しくはそれぞれ後で記す予定。安曇野ちひろ美術館。いわさきちひろ。f:id:k-hisatune:20120921100226j:image本日開会の「日中国交正常化40周年 中国の絵本画家展」は、日中友好関係のイベントが次々と中止される中、7人の絵本画家を紹介する企画が行われていた。f:id:k-hisatune:20120921100549j:image写真は再婚相手の松本善明(共産党の衆議院議員)とのスナップ。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。碌山美術館。彫刻家・荻原守衛。f:id:k-hisatune:20120921120407j:image民間人30万人が設立に参加した、夭折した彫刻家・荻原守衛簿の美術館。高村光太郎が絶賛した「坑夫」、「文覚」が素晴らしい。蕾にして凋落せんも亦面白し天の命なれば之又せん術なし唯人事の限りを尽くして待たんのみ事業の如何にあらず心事の高潔なり涙の多量な理以て満足す可きなり臼井吉見文学館。小説家。f:id:k-hisatune:20120921150002j:image59歳から大作「安曇野」を書き始め、結局69歳で完結させる。5600枚の原稿。邂逅の物語。座右の銘、墓碑銘「滾々汨々」(こんこんいついつ)--考えや知恵がこんこんとわき出るようにしていたい。かんじんの発電は、他人まかせにして、電線だけ引っ張っ、自分の精神の火をともそうとしたって、だめなんです。か細くても、消えそうでも、精神の世界では、自家発電でなくては、ごまかすわけにはいかないのです。
2012/09/21
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山梨市の二つの記念館を訪問。今日は簡単な報告。横溝正史館。犬神家の一族、八つ墓村などで知られる作家。23歳で江戸川乱歩に出会う。これが横溝の生涯を決める。人生の師だった。世田谷区成城にあった自宅の書斎を移築した記念館。結核療養のため長野に行く途中でこの地で降りて過ごしたという土地である。「謎の骨格に論理の肉付けをして浪漫の衣を着せましょう」ーーーーーーーーこの地出身の鉄道王根津嘉一郎など根津一族の本拠地に豪壮な根津記念館がある。根津嘉一郎は、父、甲州財閥の筆頭若尾逸平、雨宮敬次郎、などとの出会いがあり、彼らのアドバイスをそのまま受け入れ実直に守って行く。若尾からは、株をやるなら将来有望な、乗り物とあかり、をやれと言われる。鉄道と電気だ。また、雨宮からは、相場よりも事業をやれと言われる。終わって、安曇野へ向かう。
2012/09/20
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毎日少しづつ読み進めていた安野光雅「絵本 平家物語」を読み終わった。「平家物語」そのものは読んでいないので、今回は安野の絵とまとめの文章とで全体がつかめた。平家が昇殿を許された天承元年(1131年)から「平家にあらずば人にあらず」と言われたその清盛の栄華の極みを少し描いた後、平氏の悪逆非道な振る舞いと、源氏の勃興、そして那須平氏の滅亡までが、巧みな文章と素晴らしい絵画で綴られている。改めて、この物語は大叙事詩であると感じた。講談社学術文庫「平家物語」(全12巻・杉本圭三郎訳注)を中心に、絵画化した場面に沿って安野が文章を書きおろしたものだ。選んだ79場面と、それを含む143の文が原点に沿って配列されている。安野は旧跡を訪ね、昔の時間を探す。その場所に立てばなにほどかの感慨が湧きおこる。地霊が感慨や情景をもたらしてくれると言っている。「絵本」という表現手段は、物語の主要なシーンのイメージを描いてくれているので、文章と相俟って真に迫ってくる。安野光雅は、日本の古典にとどまらず、世界に目を向けて、古典を絵本という方法で再解釈しようとしている画家である。この志やよし。戦い、俊寛僧都の鬼界が島への島流し、巴御前、那須与一、義経の活躍と死、、、。清盛は64歳で没。「頼朝めは死罪にすべきだったのを、流罪にしたのがまちがいだった」「頼朝の首を見ぬことがこころ残りだ。頼朝の首をはねてわが墓の前に供えよ」源頼朝。53歳で没。少しでも平家に縁をもち、謀反の種になりそうな者はことごとく処分するという、あまりに猜疑心の強い頼朝、、。大地震が二回。物語の最初の方の治承3年(京都。1179年)の大地震と、最後の方の元暦2年(京都。1185年)の大地震。「方丈記」がその様子を記している。「そのさまは尋常ではなかった。山は崩れその土が川をうずめ、海が傾いて陸地に浸水した。大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている。いわんや、都のあたりでは至る所、お寺のお堂や塔も一つとして無事なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れている。塵や灰が立ち上がって、もうもうとした煙のようである。大地が揺れ動き家屋が倒れる音は雷の音とそっくりだ。家の中にいるとあっという間に押しつぶされかねない。かといって、外に走り出せば大地がわれ裂ける。羽がないので空を飛ぶこともできない。竜であったなら雲にでも乗るだろうに。これまでの恐ろしかった経験のなかでもとりわけ恐ろしいのはやはり地震だと思った。」「その直後には誰も彼もがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささかの欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後はそんなことを言葉にする人もいなくなった。--------------------------------------■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」120919 | 編集 研究室で会議の準備。秘書と仕事。 研究室で金先生と歓談。多摩グローカル人材。 教育サポート室で金子さんと人事案件や会議の資料の確認。来週の父母懇談会の準備状況(格清さん) 学外活動届けにハンコを押していると、ゼミを中心に学外に出ているチームが多いことがよくわかる。夏はゼミ合宿が盛んだ。今日の書類では河口湖で合宿のゼミ。 多摩大学大学院同窓会会報(AUG.2012) 大学院同窓生の会社に就職した3名の学生が紹介されている。大学院同窓会が学部のゼミ生を支援している繋がりがきっかけ。ここに就活のヒントがある。 私の図解アルチザンの紹介もある。「図解・資本論」(原著マルクス・著者久恒啓一・協力多摩大図解アルチザン)と、今取り組んでいる「図解・ビジネス理論」の電子出版の紹介。
2012/09/19
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新宿のソフトバンクでiPhone5を予約。4Sは半年しか使わなかった。進化に付き合っていくつもり。 JR東日本本社での研修の秋の陣が始まった。今回は100人ほどが対象。東京支社、八王子支社、大宮支社、高崎支社、水戸支社、千葉支社、仙台支社、盛岡支社、秋田支社、長野支社。全員が20代後半の若手社員。今回は、今夏のロンドンオリンピックの話題から入った。柔道の嘉納治五郎、水泳の古橋広之進の人生の軌跡には興味を持ってもらった。たった一人の人物が後世に与える影響の大きさ。頭の体操。モチベーションがあがった。驚いた。個人差に着目。思考の転換。思考が変わった。立ち位置を理解。メリハリ。外的世界。体感。質問時にいい。ソーシャルメディアの話が参考に。驚いた。ビックリした。接続詞についても納得できた。マイプロジェクトに活かす。無限に広がる奥深さ。組み立てること、つなげること。新鮮。応用編も。著書で勉強。視野が拡大。創造力・企画力。頭を使った。感動。鵜呑みにしない。仕事とは何か。脳をフル回転。----------------本日は日中戦争の始まりとなった満鉄爆破の柳条湖事件の日。中国全土の反日デモ、尖閣。
2012/09/18
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「文芸春秋」と「中央公論」。二つの有力雑誌の読書欄を覗いてみた。最近出た本、今から出る本など、なかなか充実している。さて、この中からどれを読もうか。文芸春秋10月号 柴崎友香「わたしがいなかった街で」あちら側とこちら側、、) トレヴァー・ノートン「世にも奇妙な人体実験の歴史」(マッド・サイエンティスト。倫理問題をたくみにすり抜けていく。) アーナルヂュル・インドリダソン「湿地」(ミステリはその国のありようを示す鏡。絶妙の各国ガイドブッ。) 渡辺恒雄「反ポピュリズム論」(山内昌之推薦。(政治への過度の理想や思いこみがポピュリズムを招く、、) 芳沢光雄「いかにして問題をとくか」「いかにして問題をとくか 実践活用編」(背理法や逆向きに考える方法、、) 池井戸潤{ロスジェネの逆襲」(30代ぐらいの人がやるしかない。、、そういう応援の思いを込めて書いた、、」 酒井邦嘉「脳を創る読書」(著者は「わかる」ということを「最終的に言語化して説明できること」と表現する。野口悠紀雄推薦) 川上健三「竹島の歴史地理学的研究」(領土問題の神様が書いた必読の書。佐藤優推薦) 島田荘司「アルカトラズ幻想」(恐竜学、、) 中島京子「のろのろ歩け」(上海、台北、北京) 榎本まみ「督促OL 修行日記」(年間200億円を回収するOLの辛すぎる職場を乗り越える方法) すすきじゅんいち「1941 日系アメリカ人と大和魂」(榊原るみ。日系人の歴史) クリストファー・ロイド「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」(理系と文系) 東川篤哉「魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?」 奥泉光「黄色い水道の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2」(新しい時代の学生像を描くユーモア・ミステリ。電車に乗ったときには人の会話に聞き耳を立てています。テレビでもライオでも、、) スコット・トウロー「無罪 INNOCENT」(リーガル・サスペンス) ファブリッツイオ・グラッセリ「イタリア人と日本人、どっちがバカ?」 平山一政「50°C洗い 人も野菜も若返る」 城戸久枝「あの戦争から遠く離れて」(中国残留孤児、、) 森絵都「君と一緒に生きよう」(捨て犬、、)中央公論10月号 宮崎かづゑ「長い道」(ハンセン病患者の精神的自伝。毎日の雑事を徹底して行うこと、愛される者であるよりも愛する者であることを真に望む、) 山田宏一「トリュフォーへの手紙」(手紙によるもうひとつの映画的人生) 上昌広「復興は現場から動き出す」(一人でもいいので本気でやる人が大切です。そのような人が一人いるだけで、物事はなかば成就したようなものです。覚悟がな人が大勢集まっても、何も進まない。) マイク・ブラウン「冥王星を殺したのは私です」(瀬名秀明推薦。引用される育児日記のエイソード。夜空で惑う星、惑星。それを見上げて人は生きる道を探す) 莫言「酒国」(老酒と白酒の国) 中川志郎「パンダがはじめてやってきた」(私たちは、動物を飼うことを業としている)
2012/09/17
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沖方丁のセストセラー「天地明察」(2010年本屋大賞)を原作とした映画を観る。この原作は、吉川英治文学新人賞、北東文芸賞、舟橋聖一文学賞、大学読書人大賞なども受賞している。最近見た映画の中では一番楽しめた作品となった。大きな志を持ち、多くの人々の支援を得て、幾多の困難を乗り越えて、実現していく過程を描いた映画だが、滝田洋二郎監督(「おくりびと」の監督)は、「青春映画」を創ろうとした。このことが感銘を受けた理由だった。江戸初期の碁打・安井戸算哲(渋川春海)は、暦の改変に取り組む。暦とは季節とともに暮らす日本人の生活の基盤であった。個人の吉凶にとどまらず、宗教、政治、経済にまで影響を及ぼすインフラであった。そのインフラにずれが生じていた。それを正すという大事業を任されたのだ。保科正之、水戸光圀、山崎闇斎、関孝和、本因坊道策らの登場人物にも興味をそそられる。市川猿之助が演じた関孝和が安井算哲に言った「授時暦を斬れ!」という言葉と表情が印象に残った。仕事はこうありたいものだ。冲方丁 天文学とは「社会を動かす学問である」 天皇陛下にはもともと「北斗七星にもっとも近い人」という意味があり、 歴史の「史」という字は、もとは、「星を見る人」を意味していました。この作家の「天地明察」と「光圀」を買った。-------------------今日の収穫 用を雑にした時に、雑用が生まれる(渡辺和子) よき細工は、少し鈍いき刀を使ふといふ(吉田兼好) 身死して財(たから)残ることは、智者のせざるところなり(吉田兼好)-------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120916 | 編集昨日の日経新聞夕刊に野田一夫名誉学長の大きな取材記事が載っていた。中沢義則編集委員の署名記事だ。野田先生の肩書は「事業構想大学院大学学長」。多摩大学、宮城大学に続く三度目の学長だ。立教大学観光学科、3つの大学の創設、日本総合研究所、ニュービジネス協議会の設立など、「初代」という肩書がつくことがこの野田先生の凄みだ。次の構想もある。「起業家を育てる」「強固な志 教え教わる」「大学人生 反骨を貫く」「大学改革を億表に掲げ、成果を挙げたが、苦労の連続だった」「大学改革とベンチャー経営者の育成に半生を費やした」「85歳の今も次の事業のことを考えて胸を躍らせる」
2012/09/16
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朝の散歩で撮ったショット。*--------------------------学部長日誌「志塾の風」120915 | 編集 人事委員会。採用・昇格・再任が議題。 学部運営委員会。秋学期に向けての執行部の戦闘姿勢が確立。 大学院修了式。 大学院入学式f:id:k-hisatune:20120915152402j:image 大学院謝恩会(多摩センター京王プラザホテル)f:id:k-hisatune:20120915174723j:image
2012/09/15
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多摩信金の長島部長からの依頼で多摩ブルー・グリーン倶楽部に招かれて立川のウィンセンターで講演。多摩信用金庫が創設した表彰制度「多摩ブルー・グリーン賞」の最優秀賞・優秀賞の受賞企業や、選考委員、支援機関、多摩地域の行政などの集まりだ。表彰された企業の経営課題の解決と、受賞企業から地域経済振興の発信を目的としている。ブルー賞は技術や製品に優れた企業、グリーン賞は新しいビジネスモデルに貢献した企業ということになっていて、この10年ですでに100社を超えた企業などが受賞している。いずれも多摩大のいう「志企業」である。出席者は、ほぼ全員が社長。前田金属工業、藤和ハウス、キャリア・マム、エクセル、メルヘン、吉本製作所、セキコーポレーション、京西テクノス、タックス、マノ精工、NPOあい、NPO育て上げネット、東京システム運輸ホールディングス、フィットデザインシステ、アイ・ラボCytoSTS研究所、メトロール、エヌエスイー、応用技研、エーアンドエー、成友興業、エニシング、小嶋工務店。他に名刺交換したのは、選考委員の多摩テクノプラザ、NTTアドバテストの方々、電気通信大学情報理工学研究科長、東京都中小企業診断士協会三多摩支部長、、。また、東京工業高専、首都大学東京、多摩地区の商工会などの方も参加。メディアでは日刊工業新聞の記者が来ていた。この倶楽部の総会での講演を頼まれたのだが、私の方から意味のある研修にしたらどうかと提案したもので、15時から18時半までびっちりと取り組んでもらった。テーマは、「図で考える経営者は業績を飛躍的に向上させる」。過去のセミナーの講師陣は、サイバーシルクロードの甲谷会長、「日本で一番大切にしたい会社」の法政大・坂本光司教授、地域活性化分野の大御所である明星大の関満博教授(一橋大名誉教授)など、大物が多い。多摩の優良中小企業の集まりなので、多摩大からも杉田教授、池田学務部長も参加してもらった。多摩信金の佐藤理事長も参加された。受講者アンケートをもらうのを忘れたので、感想を記すには後日になる。終了後は、懇親会で参加された方々とビールを飲みながら懇親し、それぞれの業界の様子をうかがう。その後、杉田先生、池田部長と喫茶で懇談。
2012/09/14
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U出版者の松本さん来訪。カードブックに関する打ち合わせ。 10月から3冊(それぞれ2分冊)の刊行が始まる。 今後の刊行についての手順を確認。 知研の過去の蓄積を生かせないか。------------------------スポーツGOMい拾い連盟(一般社団)の馬見塚(まみつか)代表理事が来訪。私のゼミの萬屋政佳、山本知実、宝田梨恵の3人と一緒に会う。「スポーツX環境X地域活動の社会貢献活動。2008年春日本で誕生。決められた競技エリアで制限時間内にチームで拾ったゴミの質と量を競い合うイベント。地域を巻き込む高いポテンシャル。子どもたちへの高い環境教育効果。ここ数年で100以上の大会を開催。海外からも参加。、、」馬見塚さんが始めたこの運動は暗い「ゴミ拾い」を明るい競技スポーツとして誰でも楽しく参加することができるようにして、ゴミを見つけることが嬉しくなるという心の持ち方に変えるという発想の転換をやったのが素晴らしい。企業や自治体の協賛も多いそうだ。この運動は伸びる。私のゼミで参加協力することになり、まずは、11月10日に多摩センターで行う予定のイベントに参加することになった。-----------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120914 | 編集 25周年事業打ち合わせ。諸橋副学長、中庭学長室長、高野課長。 AO入試の奨学金関係の説明を黒瀬係長から受ける。 池田学務部長から報告。
2012/09/13
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19時からマンションの理事会を開催。理事の人柄も互いにわかり、人間関係も安定してきた。玄関がさびしいので、季節感のある写真を募集して、展示することになった。継続することとと新味をだしていくことのバランスを理事長として心がけていきたい。毎日散歩しながら撮影している写真を出してみようかな。後姿のある風景f:id:k-hisatune:20120912061854j:imagef:id:k-hisatune:20120912061958j:imagef:id:k-hisatune:20120912062115j:imagef:id:k-hisatune:20120912062546j:image---------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120912 | 編集 今泉学科長・諸橋副学長と課題の整理と確認。人事(採用・昇格・再任)の進め方を確認。 本日の教務委員会は2時間の予定が4時間ほど議論が続いたようだ。来年度以降のカリキュラムもテーマだったので活発な議論はいいことだ。豊田先生「いいカリキュラムができました」。昨日のFD委員会、先週の入試委員会など、夏休み中に秋以降の仕込みが活発に行われている。 金子さんと今週末の学部運営委員会の資料確認、人事関係の必要書類の作成。 学生課の井川さん、多摩グローカル人材についてのプログラム説明。奨学金、rarejob、、。 学生課杉本さん。台湾視察、学生会の件。 中村その子先生。 「オーストラリアケアンズにこの夏留学している流川真帆さん、(樋口先生のゼミ生さんです。)が、困難を乗り越えて留学をしてきた学生として地元の新聞の一面に掲載されました。」との報告。大きな素晴らしい記事。
2012/09/12
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9・11から11年。政治家にみる出処進退。谷垣、石原、原口、松野、、、、。以下は、「邪馬台」秋号に載った家内の歌。 急変の父のもとへと急ぐ朝かたき霜柱ふみくだき行く 下宿探して父は軽トラで引越しの荷を運びくれぬ三十年前 あの辻で帰りを待ちてくれし父われに気付けば右手をあげて 次にかかる兄よりの電話恐れいる父急変のケイタイ鳴るな今日の読書。二列目の人生--隠れた異才たち(池内紀)一番を選ばない生き方。ひたすら無名者として日本を愛した、ハーンにならない作家・モラエス。種から胃袋まで、中尾佐助。もう1人のトビウオ、橋爪四郎。--------------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120911 | 編集 金先生から31名の学生・教職員の台湾・韓国の研修ツアー報告を聞く。昨日帰国したばかり。アジアダイナミズムのうねりを感じる報告だった。飯田先生も途中から参加。現場にヒントあり。 浜田先生のイタリアへの煙突掃除人ツアーの様子を聞く。彼らはマイスターだそうだ。この旅も興味深い。面白がること。 金子さんと学部運営委員会の進行打ち合わせ。本日、折込広告(A4版)を配布。日本経済新聞(多摩地域全域)、朝日新聞・読売新聞(多摩地域ランダム)折込広告の実施。表面はリレー講座、裏面は多摩大のPR。さて、効果はいかに?
2012/09/11
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あるゴルフ雑誌から次の3つの質問に対するコメントを求められ、少し考えてみた。---------------------------「法則や習慣を作ることで、どうして成功へと導くことができるのか?」・人間は習慣の束ですので、良い習慣を少しづつ増やしていくと自然に成功への道を歩むことになります。・そういう過程で気づいたものを自分なりの法則という目に見えるに形にまとめると、その法則が今度は自分の意識をさらに高めてくれます。自分で自分を律していくという自律の精神、そして自分の足で立つという自立の精神、この「自律と自立」の精神を養いながら、ゆっくり、じっくり、たんたんと、歩んでいけば目的地に達するでしょう。----------------「久恒さん自身のゴルフにおける法則や習慣はなんですか?」・毎回のプレーのスコア(下手の横好き!)、同伴者、ゴルフ場をホームページで公開する習慣を持っており、「生涯平均スコアの向上」(ここだけプロ並み?)というはるかな目標を念頭に置いています。因みに当初は同伴者のスコアも記していたのですが、同伴者本人からのクレームがあり止めざるを得ませんでした。(冗談のわからない人が多くて、困ったものです。)・私は記録魔なのですが、痛い目にあった反省を込めた「ゴルフ十戒」などを記したメモをポケットに入れておいて、プレー中に何度も言い聞かせせれば何とかスコアがまとまるという自分なりの法則を信奉していたのですが、今はやっていません。これがスコアが伸びない原因だと今(!)気がつきました。・私のゴルフのライバルは仕事上の師匠でもある今年85歳になる肉食系老人ゴルファーです。この人は「80代のうちに90を切る」と宣言して工夫を重ねており、毎年歳が増えるから達成可能だと放言しています。この気概と意欲は見習いたいですね。----------------------「なかなか法則や習慣を作れない人へのアドバイス」・ホームページやソーシャルメディアなどで自分なりの考えや身に付けたい習慣を広く公開することが、深く後悔しないことにつながっていきます。・早咲きのうさぎ型の人は努力を怠りがちなので大成が叶わないことが多いように思います。「遅咲き」を信じて、亀になったつもりで、たゆまず、一歩一歩進んで行きたいものですね。------------------------------今日の収穫 ねたむ、そねむ、ひがむ、うらむ、にくむ。そういう気持ちを持っている人には運はついてこない。(米長邦雄・将棋名人) 運は努力した人のところにしか来ないと思っています。(横綱・白鳳)
2012/09/10
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画家・安野光雅さんは1926年生まれだから86歳。次第に人気が高くなり重みが増していく人だ。この画家は、絵もさることながら文章もうまくエッセイもいい。まず、記憶力がいい人だ。子供の頃からの想い出も細かく記している。それは観察力に優れているからだろう。そして徹底的に調べる人でもある。絵はただイメージで描くというのではなく、この人の描く分野は具体性が求められる場合が多いので、こういう力が必要なのだ。安野は「絵本」というじジャンルで「平家物語」、「三国志」、「ガリバー」、などの古典を表現しようとしている。人形師、漫画家など独特の表現技術を得た人が必ずたどる道である。f:id:k-hisatune:20120910092900j:image安野光雅美術館のある津和野にはぜひ行ってみたい。西周、森鴎外などの故郷。仙台文学館で開催中の「井上ひさしと安野光雅展」の初日で買った本を読みながら新幹線で帰った。「絵のある自伝」から 父が死んだのが72だったから、わたしも72をすぎたら死んでもいいとおもうようになっていた。司馬遼太郎さんが亡くなったのも72の時だった。司馬遼太郎 司馬さんは気配りの人だたっというが、上下の隔てがまったくなかった。 司馬さんの描く絵は、とても味わい深いもので、たとえば「アメリカ素描」の表紙などをミリと。わたしは気後れがするのである。 司馬さんは「絵に描いたリンゴと本物のリンゴとでは、どうして絵のほうがいいんだろう」と難題を持ちかける。いつか明解に答えようと思いながら今日に到っている。佐藤忠良 「シベリアの抑留生活は大変だったでしょう」と聞かれた佐藤さんは、わらって「彫刻家になるための労苦をおもえばあんなものはなんでもありません」といってのけた。 「彫刻家と人が認めてくれたとき、五十歳を越えていた」「絵本平家物語」から。 その旧跡を訪ぬれば、むかしのk時間も帰ってくると考えられるかも知れ?ぬ、、、、、そこにたてばなにほどかの感慨はわき起こるのである。、、地霊というものがあって、それが私に灌漑や情景をもたらすのだ、、、 ほとんどの人物は差引ゼロという感じになっている。それにしても「平家物語」の冒頭は心に響く。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
2012/09/09
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f:id:k-hisatune:20120909052933j:image午前中に仙台文学館で開催中の「井上ひさしと安野光雅展」を観る。井上ひさしの小説の表紙や挿絵を安野は「吉里吉里人」など60冊以上の手がけている。そして安野は劇団こまつ座の宣伝を担当もしてポスターを多く書いている。安野光雅は、絵本太平記、絵本三国志、絵本シェークスピアなど、多くの古典を絵本としてつくっている。当時、井上は35歳、安野は43歳だった。二人は1969年の「世界も名作童話劇場、ガリバー」を共同で出版している。1988年の「ちくま文学の森」の編集者として一緒になって、親しくなった。今年、安野は「ガリバーの冒険」という本を出版している。ガリバーの顔は今は亡き井上ひさしだ。安野光雅「わたしは薬で命をながらえるより、絵を描いて命を充実させることをおすすめしている。」井上ひさし「むずかしいことをやさしくやさしいことをふかくふかいことをゆかいにゆかいなことをまじめに書くこと」f:id:k-hisatune:20120909052751j:image午後は、仙台シルバーセンターで講演。対象は60代、70代の200人ほど。テーマは「遅咲きで活きる自分力ーー発送転換で知る自分の魅力」。アタマの革命、ココロの革命、コミュニケーションスタイルの革命という三つを話した。図解コミュニケーション、人物記念館の旅、ソーシャルメディア、という内容だ。講演後のアンケートによれば、「目からウロコ」と書いてくれた人は4人だった。以下、感想から。人生これから。年をとったと言ってる場合ではない。人生観が変わった、強力な影響力があった。先生の著書全部読みたい。お遅咲き人生、まだ希望あり。新鮮なテーマ、独創性。人物を育てる。先が開けた。元気をもらった。感謝。反省した。鵜生まれてはじめて聞いた内容だ。生き方を見直したい。先生はすべて自分の考え。大成功。itにも関心を持つ。人格を磨き長生きします。人材ではなく人物、重い言葉。大人物。孫に教えましょう。抜きん出て感銘を受けた。偉い人の定義にすべてが集約されていた。ヒマは資源か、なるほど。多くのヒント。偉人の話は合点がいった。内容豊富な名講演。3、11にめげずに元気がでた。人生はこれから。若返った。独特の見解に感動。全国の博物館、美術館をめぐりたい。これから頑張ります。心からうなずける内容。終活に向けて参考になった。エネルギーをもらった。あまりにも素晴らしい内容。今がスタート。資料が素晴らしい。発想転換できた。感動、先生の宮城大の最終講義を聞きました。ブログみます。夕刻からは定禅寺ジャズフェスティバル。夕食は横野さんと。食業に関与してみませんか。食業意識を高めよう。ライフデザイン産業。トマト倶楽部、、、、。
2012/09/08
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このブログを書き始めてから本日で2900日目になる。野球の生涯安打数の数字と比較すると、これより上は、2位野村2901、1位張本3085、その上はイチロー3800超、と遊んでみる。年末には3000日に届く計算。因みに王は2786で日本歴代3位、松井は2629超で4位に相当。9月から10月にかけての講演準備。 仙台:「遅咲きで活きる自分力」 多摩:「図で考える経営者は飛躍的に業績を上げる」 中津「アタマの革命・ココロの革命」「リーダーシップと合意形成」ゴルフ雑誌から取材依頼があった。「他の分野で成功をされ、法則や習慣を作り、実践している人のコメント」が欲しいとのこと。これは驚き。もっとやらなきゃ。------------------------------学部長日誌「志塾の風」120906 | 編集 杉田先生。就活支援キックオフの学長講義の件。 矢内事務長と打ち合わせ。 福中さんと秋季卒業式の組み立て。 中庭先生・金子さん・高野課長。 来週の学部運営委員会の議題を各委員長に通知。 1)教員人事について(採用・昇格) 学部長 2)父母懇談会(9/30)について 事務長・就職委員長 3)就職の現状と対策について 就職委員長 4)入試の現状と対策について 入試委員長 5)各委員会より、秋学期にむけて課題と対策について(以下、必須) ?就職委員会:就活キックオフ学長講演(10/4) ?教務委員会:新年度カリキュラム案、プレホームゼミナール説明会 ?学生委員会:学生会について ?国際交流委員会:グローバル人材育成事業プログラム申請の総括、 海外出張(新疆、天津、台湾)の報告 ?FD・紀要編集委員会:春学期VOICE結果報告 6)その他
2012/09/06
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研究室にP出版社の編集者がみえる。脱稿した「人生戦略本」の原稿を説明しながら渡す。今まで考えてきたことを体系化した内容であるのだが、分量が多いのがやや気になるところだ。この部分は相談ということになる。内容からみて12月に刊行することになる。次の大型企画についても前々から相談があり、そろそろ取り組むこととなった。先日D出版社からは、人物論関係の本の企画の相談があった。こちらも決まったら気合を入れて取り組みたい。今年は、電子ブックの当たり年になりそうだ。各出版社から、過去に出した書籍の電子化に関わる契約の申し出が集中している。各社とも社内体制が整い、電子出版への取り組みが本格化してきた様子だ。8月中に一つ出る予定になっていたが、まだ連絡がない。電子書籍は形がないので、著者に連絡することを忘れている場合も多い。この流れの中でカードブックという新手の電子ブック化のアプローチがある。いわゆる電子書籍とは違って、本を分割、要約し、ごく簡単な形でスマートフォンで気軽に見ることができるようにしたものだ。ひとつダウンロードして読んでみたが、ポイントだけをシンプルに読むことができるので、電車の中で読むのは都合がいい。新しい形態。韓国語版、台湾語版なども視野に入っているので広がりもでてきそうだ。私の著書の多くをシリーズでカードブック化するということであり、面白いのでやってみることにした。また、私の授業を受けたメンバーで構成する多摩大・図解アルチザンでも、一つカードブックの企画が進行中。-----------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120905 | 編集 金子さんと学部行事日程の調整。来週の学部運営委員会の前に人事委員会を開催。学部運営委員会の議題の確認、課題と対策。クロアチア旅行の話を聞く。 大森映子先生。ゼミで日光東照宮の修復見学。歴史の専門家は違う。 大森拓学生委員長先生。学生会について。 海外に出かける先生が多い。樋口先生はバイロイト、ザルツブルグ、、。今泉先生はヨーロッパ、浜田先生はイタリア、今週から金・バートル先生は台湾視察、、、、、。
2012/09/05
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徳富蘆花の代表作の一つ「みみずのたはこと(岩波文庫」は、蘆花の考えがよくわかるエッセイ集だ。かなりの長期間にわたってベストセラーを続けている。108版には11年で10万余部となっている。この著書から、蘆花は蘆花という雅号を廃し、本名の徳富健次郎で出版していく。1977年に書かれた巻末の解説は中野好夫である。みみずのたはこと 下 改版 (岩波文庫 緑 15-6)みみずのたはこと 下 改版 (岩波文庫 緑 15-6) 作者: 徳冨健次郎 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1977/11 メディア: 文庫 この商品を含むブログ (1件) を見る「みみずの真似して、土ほじくりする間に、折にふれて吐き出したるたわ言共をかき集めたるものなり」「土の洗礼を受けて武蔵野の孤村に鍬をとれる著者が、折に触れ興に乗じて筆を走らせし即興のスケッチ、短編小説、瞑想、書簡、紀行等を集む」「年40にして初めてしかと大地に脚を立てた最初の記録です」上巻に「彼は美的百姓である。彼の百姓は趣味の百姓で、生活の百姓では無い。」から始まる「美的百姓」という項がある。この短いエッセイの最終部分は、こうだ。彼は昔耶蘇教伝道師見習の真似をした。英語読本の教師の真似もした。新聞雑誌記者の真似もした。漁師の真似もした。今は百姓の真似をして居る。真似は到底本物で無い。彼は終に美的百姓である。変転の多い起伏に富んだ人生をこの数行で表している。同志社での学び、兄徳富蘇峰の雑誌記者、、、。漁師は私の記憶にないが、巡礼紀行を終えてトルストイのすすめる農業生活に入る、そして最後は美的百姓で終わる。すべてが本物ではなく、真似であったというのが人生の総括だったのだろうか。都心の青山から人力車で1時間半かかる武蔵野粕谷へは、自動車ができたことで30分の距離となった。そして1912年に敷設工事が始まり笹塚調布間で運転を始めた京王電鉄のことも話題に出てくる。東京の寺院墓地移転用敷地2万坪買収事件に対する憤慨など、興味深い叙述もある。新宿から府中まで開通して朝夕の電車が東京へ通学する男女でいっぱいになったり、この村から夏の夕食後にちょっと九段あたりまで縁日を冷かしに行って帰ってくることができるようになったとの記述もある。「世界一周して見て、日本程好い処はありません。日本では粕谷程好い処はありません。諸君が手をたたいて喝采しました。お世辞ではありません。全然(まったく)です。この気いにった場所で「幼稚な我儘とと頑固な気まぐれ」の持ち主で、兄から「多情多恨」と言われた蘆花は、土の生活に入った。長短のある気ままなエッセイは当時の田舎の生活と筆者の感覚を伝えてくれる。やはり蘆花は文章がうまい。この徳富家は、父は93歳、母は91歳、そして兄は94歳で亡くなっているから長寿の家系であろう。ただこの健次郎蘆花だけは60歳でみまかっている。京王電鉄の蘆花公園という駅の名前を聞くたびに蘆花と蘇峰の兄弟のことを思い浮かぶ。----------------------高倉健主演「あなたへ」を観る。内容よりも、主演の高倉健について。高倉健の6年ぶりの映画だ。パンフレットに高倉健のインタビューが載っている。しばらく映画にでなかったのは、「ただ作品を撮って、お金をもらっている生活が、とても虚しく感じてね。」この作品を終えての感想。「もっと自分は仕事をやらないといけないと思いました。仕事をするというのは新しい人と出会うことですから。出会う、というのはいいですよね。」1956年以来2005年までの約50年間に204作品だから、1年に4本というペースでコンスタントに仕事をしてきた大スター高倉健にしても、仕事が虚しくなり、もう一度仕事をするとまた元気が出るという繰り返しなのだろう。仕事というものの不思議さでもある。----------------------------------------学部長日誌「志塾の風」120904 | 編集 諸橋副学長の研究室を訪問。 中庭学長室長の研究室を訪問。 樋口入試委員長とラウンジで。 多摩大総研で松本先生、酒井先生と。
2012/09/04
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藤田嗣治(1886-1968年)について、日本人名大辞典では、以下のように説明されている。--------------明治19年11月27日生まれ。藤田嗣章(つぐあきら)の次男。大正2年フランスにわたり,エコール-ド-パリの一員となる。第二次大戦時は帰国して戦争記録画を制作。昭和30年フランスに帰化。晩年は宗教壁画を手がけた。昭和43年1月29日チューリヒで死去。81歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。洗礼名はレオナール。代表作に「自画像」「猫」など。---------------この画家ほど謎の多い画家はあるまい。海外でもっとも知名度の高い画家ではあるが、日本では評判がよくない。2002年に「藤田嗣治--異邦人の生涯」(近藤史人)が出て、この謎に包まれた画家の姿に迫った。この労作は、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。一冊の伝記が、一人の歴史的人物の姿を明るく照らした。藤田嗣治「異邦人」の生涯 (講談社文庫)藤田嗣治「異邦人」の生涯 (講談社文庫) 作者: 近藤史人 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2006/01/13 メディア: 文庫 購入: 1人 クリック: 33回 この商品を含むブログ (54件) を見る藤田嗣治は謎と誤解が生涯ついてまわる。日本という湿度の高い社会と二つの世界大戦という時代背景の中で、伝聞とやっかみがそういう藤田像を生んだ。オカッパ頭が藤田のトレードマークだった。この異様な髪形も奇をてらった演出であるというのが大方の見方だった。しかし、パリ時代貧乏のどん底にあった藤田は、節約のために伸びる頭の毛を前が見えるように自分で少しづつ切った結果生まれた髪形だった。その貧乏時代を忘れないように頑固にその髪型をまもったのだ。第一次大戦と第二次大戦の間に挟まれた1920年代のエコールド・パリの華やかな時代を藤田はパリで多くの天才芸術家たちと過ごす。酒と議論と女に彩られた狂乱の時代である。モディリアニ、スーチン、キスリング、パスキン、、 、モデルのキキなど。その中心にいつも藤田はいた。しかし、藤田は実は一滴も酒が飲めない体質だった。泥酔して騒ぐ姿をみんな知ってたのだが、実はそうではなかった。藤田のまわりには常に女の影があった。裸婦像のモデルたちとの浮名を流した。しかし、本人の述懐によればこのモデルたちとは友情で結ばれてはいたが、愛情を持っていたわけではなかった。そして藤田の女性遍歴は、捨てられ続けたのが実相だった。第二次大戦の前後、日本に滞在した藤田は、軍部からの要請で戦時意識を高揚させる戦争画を数多く描いている。パリ時代の繊細に女性を描く画法とはまったく違う新しい領域だった。このため、戦後は戦争協力者ということで、画壇から排斥される。しかし、若くしてフランスに住み名を挙げた藤田は、日本の国難にあたって日本人としての務めを自分の領域でひたすら果たそうとしたのだ。そしてあげて戦争協力を行った画壇の責任を一人でとって日本を離れたのである。藤田は68歳の時にフランスに帰化する。日本を捨てたと日本人から非難の声が起こる。策動、嫉妬、迫害、、。しかし、あらゆる場面で陰湿な策謀がパリの藤田を襲っている。藤田は日本に捨てられたのだ。藤田はそのパリでカトリックの洗礼を73歳で受ける。そしてレオナルド・フジタと改名する。レオナルドは、ダ・ヴィンチからとった。これも日本では思いあがっている、不遜であるとの非難を受ける。しかし、藤田はこのレオナルド。ダ・ヴィンチを尊敬していたのだが、この改名は日本との告別の意味があった、こうやって並べてみると、「乳白色の肌」とパリ画壇の絶賛を浴びた才能とは裏腹に、生涯を通じて誤解と中傷の中にいたと気の毒になる。藤田は画業に関してはまことに勤勉だった。どんなときにも絵を描く時間だけは死守していたし、一日の仕事をすべて終えてから騒ぎに繰り出すようにしていた。油絵に流麗な黒の輪郭線という日本画の技法を持ち込んだことが藤田の独創だった。そしてパリで絶賛された「乳白色の肌」は、下地であるキャンバスの3重構造などの工夫の所産であった。そしてその秘密は今でも完全には解明されてはいない。日本画と洋画の融合の所産であった。以下、藤田の絵に対する言葉を拾ってみる。 日本画とか西洋画とか区別して描く絵を取り扱うことがすでに疑問であり、私は私の絵を単に藤田の絵と称している。ただ材料の如何によってそれが西洋画ともなり、日本画とも見らるるにすぎないと思っている。 日本に帰って成功したとて日本の中だけの成功で桃太郎だけでは私は満足できません。 今までの日本人画家は、パリに勉強しにきただけだ。俺は、パリで一流と認められるような仕事をしたい。 「ルーブルでできる限りたくさんの絵を見ることの必要性を語り、大家の真似を決してしてはいけないなどと諭してくれた。」(村山密) ああいう人(藤島武二)の絵を買っていたらあなたの財産はタダになります。ぼくの絵は全部国宝になるんですがね。
2012/09/03
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