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「河北新報のいちばん長い日--震災下の地元紙」(河北新報社)を読んだ。「東北振興」と「不羈独立」を社是とした、宮城県を中心に東北のブロック紙「河北新報」は、3・11の東日本大震災に見舞われて被災したが、電気、幾多の困難を乗り越えて、「無休刊宣言」のもと「紙齢は絶やさない」という方針のもと一日も休むことなく新聞を発行した。河北新報は、朝刊は40数万部、宮城県は30万部の地元紙だ。そして東北6県に370カ所の販売店の持っている。私は仙台の宮城大時代には、この存在感のある優れた地元紙と縁が深かったので、深い共感を持って読み進んだ。震災報道にあたってこの歴史のある新聞は無表情な客観報道ではなく、被災者に寄り添うという紙面づくりにこだわりその方針をやり通したのは見事だった。震災報道を通じて新聞は情報のライフラインであることを新聞社自身が思い知った。「報道とは何か」という根本的な問いを持ちながらの必死の報道によって、新聞ジャーナリズムの底力と使命を記者たちが確認する日々となった。この本はその詳細な内部ドキュメントである。新聞人としての使命感、目標に向けて小異を捨てて大同についたチームワーク、報道と救助の狭間で苦悩する記者たちの煩悶、、、そういう新聞社の動きが乾いたタッチで、しかも暖かい筆致で描かれている。この本は2011年度の新聞協会賞を受賞した。そしてテレに東京系でもドラマ化された。仙台時代に関わりのあった河北新報の社員の名前が出て来るため、臨場感を持って読むことができた。鹿又久孝報道部次長、宮田建栗原支局長、菊池道治気仙沼総局長、大友庸一記者など名前と顔が一致する記者たちを始め、多くの河北新報の方々にお世話になったことを想い出す。そういう気持ちを込めながら、敬意をもって以下に本に登場した人たちの名前を記したい。武田真一報道部長(52歳)、渡辺龍(38)、一力雅彦社長(50)、太田巌(58)、草刈順(56)、原谷守(52)、荒浩一(49)、小島直広(43)、長谷見龍蔵(36)、丹野綾子(35)、佐藤純(54)、八代洋伸(46)、渡辺能央(42)、千葉行也(51)、射浜大輔(35)、桂川実(60)、瀬戸功(56)、昆野勝栄(40)、門田勲(45)、片桐大介(34)、毛馬内和夫(59)、原谷守、安野賢吾(43)、鈴木素雄(54)、練生川雅志(52)、鈴木幸紀(44)、渡辺雅昭(54)、矢嶋哲也(43)、古関一雄(42)、古里直美(45)、宮下拓(41)、藤平優子(40)、渡部勝之(52)、加賀山仁(38)、浅井哲朗(35)、菊池弘志(43)、浦響子(28)、高橋俊也(48)、中島剛(41)、早川俊哉(51)、村上俊(37)、相原重晴(41)、菊池奈保子(28)、佐々木正和(60)、佐藤崇(41)、末永智弘(37)、庄子徳通(41)、相沢美紀(31)、鈴木美智代(36)、佐久間緑(25)、剣持雄冶(26)、松田佐世子(41)、橋本俊(29)、太田巌(58)、、、。------------------------------- 本日の日経夕刊。「米、原発2基新設を承認」と「アラスカ ガス油田開発加速」が同じ面に並んでいました。スリーマイル事故から34年ぶりにジョージア州に続き南部カロライナ州新規原発計画を承認。原子炉は日本の東芝傘下の米ウェスティングハウス。(原発技術は日本が優位)アラスカ原油の記事は、LNGをアジアに向けて輸出すべく、北極海から太平洋にパイプラインを通すというもの。これは「シェールガス」の拡大の影響。(シェールガス革命の影響)---------------------------------学内日誌。 3月31日は本年度最終日。私は3年間つとめた学長室長を交代(後任は中庭先生)。地域活性化マネジメントセンター副センター長も降板。また3年間つとめた多摩大総合研究所所長(後任は望月照彦先生)を退任。明日からは、経営情報学部長に就任します。「学内日誌」は、明日から「学部長日誌・志塾の風」として書いていくつもりです。
2012/03/31
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facebookで「多摩大学同窓会」ができて数日で、登録者が400人を突破した模様です。来年度は同窓会にテコ入れをします。http://www.facebook.com/groups/384999214851724/大学関係者は招待をしますので、私に連絡ください。http://www.facebook.com/hisatune「アカデミア・コンショーシアムふくしま」の広域連携型学士力向上プログラムの23年度事業実施報告書とSD合同研修プログラム報告書が届きました。私は12月に桜の聖母短大で「アドニストレーター養成講座」を担当。福島大学、福島県立医科大学、福島学院大学、桜の聖母短大、会津大学短大、福島工業専門学校の教職員39名が受講。 たいへん参考になった-46.2%。参考になった-46.2%。 研修で得たスキルが今後に活かせそうだ-61.5%。自分の能力レベルを確認できた-57.7%、今後の目標ができた-15.4%。モチベーションが向上した-15.4%。桜の聖母短大入試部林美樹子さん「論理的なものは、すべて図にできる。しかも、その図は常に進化する。」この一言が、今でも頭から離れません。、、研修を受けてから約1か月後、再び「私の仕事」の作図を試みました。確かに、間違いなく図は「進化」しており、、、、日々変動の中にいることを再確認しました。大小さまざまな形と線を頭に描きながら、頭脳明晰に日々の業務を遂行できればと思います。」福島県立医科大学医事課病院会計係 影山昌幹さん「、、、改めて感じたことは、これからの大学職員は「考える力」を身につけていかなければならないということです。企画力、構想力、思考力を鍛えることが個人にとっても大学組織にとっても課題であることが分かりました。、、「図解」を行うことが、いかに思考を伴うものであるかを実感することができました。、、「考える大学職員」を目指していきたいと思います。」------------------------------学内日誌 新年度からの各種行事の資料作成(オリエンテーション、入学式) インターゼミ(社会工学研究会)の志望者面談。梅田君(酒井ゼミ)、山口君(金ゼミ)、古西君(出原ゼミ)。 日産クリエイティブの斉藤人事部長来訪。 夜は永山で学長室の食事会(高野さん、金子さん、山本さん)
2012/03/30
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福岡伸一「動的平衡-生命はなぜそこに宿るのか」(木楽舎)。生命とは、自らを壊し、再構築するという自転車操業的なあり方である。それを福岡は「動的平衡」と言う。生きているということは、生命が壊れていく法則(エントロピーの増大)に折り合いをつけるように、ダイナミックに分解と合成を繰り返しながら「動的平衡」を保とうとする営為だ。【送料無料】 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか / 福岡伸一 【単行本】最近よく使われるサスティナブル(持続可能性)は、常に動的な状態であるということらしい。組織に当てはめると、組織は常に老化し崩壊が進行していく運命にあるが、それを「動的な状態」に保つためには、常に人を入れ替え新しいプロジェクトを進め持続可能性を高めていかねばならないということになりそうだ。平衡状態を超える速度でエネルギーを加えることが組織の進化なのだろう。優れた組織は、様々なプロジェクトを進行させ構成員を変えながら全体として拡大・深化していく。動的な平衡以上のダイナミックな進化状態。組織活性化とはこういうことではないだろうかと思う。この本では毎日の食事によって私たちはそれを分解し体内に取り込み、再構成して生命を保っている。だから食物は非常に大事になる。その観点からどういう食べ物がいいのかを著者はアドバイスしている。いいと聞いているもののよさを理論的に説明してもらった。 体にいい食べ物とは必須アミノ酸をバランスよく含んだ食材。その代表が鶏卵。ホールフーズもよい。 フルコースはできるだけゆっくり時間をかけて食べるのは賢い。ちびちび食べよ。 水は身につかない。どんどん水を飲んで循環させよう。 スローな食べ物をスローに食べる。スローな食べ物とはよく噛まないといけないもの。そば、玄米。------------------------------------学内日誌。 教員ラウンジのソファで雑談を織り交えながら自然に打ち合わせと意見交換。今泉、杉田、豊田、金の各先生たちとじっくり。オリエンテーション、リレー講座、インターンシップ、、、。豊田先生のアドビコネクトを使った授業の動画放送のデモをみた。期待できそうだ。 人事異動に伴って研究室の移動のための引っ越しがたけなわ。腰痛者が出ないかやや心配あり。 父兄用の多摩大広報誌「Rapport」の77号が発刊。充実している。学内ニュース、リレー講座の案内、教授陣の書籍紹介、東北「道の駅」大震災研究プロジェクト報告、父母懇談会の報告、地域プロジェクト発表祭、Student Research Conference、多摩人物紀行。
2012/03/29
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学内日誌 11時から14時まで研究室で仕事 16時、新宿の京王プラザホテルで諸橋学部長、今泉先生、杉田先生、金子さんと雑談。 17時、来年度の学部運営委員会の新委員の顔合わせと打ち合わせ。就職と入試の最新情報の確認、来年度の教授会と各委員会の全体スケジュール、資料・数字の作り方、大学運営会議の報告(エリアマーケッティング・世界展開力、、)、4月からのオリエンテーションの内容確認と担当者の決定、、、、。 18時半、教職員懇親会。京王プラザホテルの42階。昨年は3・11で中止となったが、今年はまた復活。学長挨拶、永年勤続表彰、退職者挨拶、入職者挨拶、、、、。日頃なかなかコミュニケーションが取れない大学院教員、事務局職員たちと話ができた。
2012/03/28
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「消えた年金」ならぬ「消えた文章」でがっくり。書いたブログの文章が消えてしまったので、気を取り直して再度書きます。山折哲雄「寺田寅彦 天災と日本人」(角川ソフィア文庫)。寺田寅彦の名前は受験時代によく見聞きした。試験によく出るのがこの人の文章だったからだ。久しぶりに読むと確かに名文である。寺田寅彦(1878-1935年)は、高知県出身。東京帝大物理学科を出て東京帝大教授になる。物理学者でもあったが、漱石門下でもあり随筆家、俳人としても著名な人物だ。寺田寅彦が、地震・津波・台風など自然災害の多さを宿命とする日本と日本人について書いた随筆集である。[asin:404409439X:detail]-「慈母のごとき自然」と「厳父のごとき自然」-「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向」-「科学的国防の常備軍」--短歌と俳句は、日本の自然と日本人自身をを雄弁に物語るものだ。日本の風物と日本人の感覚のもっとも身近な目録索引が歳時記。座標軸としての時間と空間を表すものが季題である。寺田寅彦は、1923年の関東大震災以後は、東大の地震研究所に移って地震の研究に没頭した。寺田もまた関東大震災によってその後の生き方に影響を受けた一人だった。1935年頃にはこの本に収められている「天災と国防」「日本人の自然観」などのエッセイを書いている。---------------------------午前、財団法人日本総合研究所の評議員会。(赤坂)寺島理事長から・復興構想(宮城)。岩手・福島も・京浜臨海部におけるライフサイセンス分野の国際戦略総合特区構想(神奈川県・横浜市・川崎市)東大医科研「アジア太平洋版NHI」。3万トンの医療船二隻。フローティング病院。医療大学構想。実中研。・三重県の四日市コンビナート。バイオリファイナリー(木材・稲わらなどセルロース系バイオマスを原料)4月から一般社団法人に衣替え・信用力。自由裁量。基本財産の使用(株式。投資、、)--------------午後、大学。-秘書と打ち合わせ-サポート室の金子さんと打ち合わせ(人事案件・オリエンテーション、、)-豊田先生から入試関係のアイデアを聞く
2012/03/27
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銀座にあるLIXILギャラリーはイナックスの運営するギャラリーだ。面白い企画展をやっているのと、併設の書店の品ぞろえがいいので気になるギャラリーだ。今、「鉄川与作の教会建築」という企画展を開催中だ。全国にキリスト教のカトリック教会は1020棟ある。長崎県には130近くの教会がある。五島に生まれた鉄川与助(1879年ー1976年)は、大工棟梁の家系に生まれ、生涯に100ほどの建築物を設計している。そのうち教会は30棟に及ぶ・当時は分業化が進んでおらず、棟梁が設計や施行管理を担っていた。27歳で家業の鉄川組を継いだ与助は、32歳の時に71歳のフランス出身のド・ロ神父と出あう。ド・ロ神父は向学心に燃える与助に、建築に関する書籍や木工用旋盤、カンナなどを授けて指導した。与助の教会建築はこのことでさらに飛躍する。ド・ロ神父は長崎の外海(そとめ)の主任司祭として私財を投じて教会や授産施設を建設。教育、医療、農業指導、そしてパンやマカロニを製造して産業を興すなどの業績がある。外海に遠藤周作文学館を訪ねた折に、ド・ロ神父の建てた教会を訪ねたことがある。記念館では名物のド・ロそうめんを食した。1923年の関東大震災で以後、鉄筋コンクリートの普及が行われたのだが、与助はその前年に日本最初の鉄筋コンクリート造りの長崎神学校を建設している。与助は独学で勉強していた。f:id:k-hisatune:20120326223224j:image宣教師という人たちはどうしてこのような科学技術を身に付けていたのだろうかと不思議に思って、「宣教師東漸」という小説を最近脱稿した八木哲郎さんに聞いてみた。宣教師は僧侶ではなく、職業を持っていた身分の低い熱心な信者であったとのことだった。宣教師の学校で学んだのではなく、もともと知識や技術を身につけていた人が宣教師になって海外に出たということらしい。年譜をみると、九州を中心に実に多い。79歳、長崎県知事から建設功労者表彰。80歳、黄綬褒章。88歳、勲五等瑞宝章。97歳、死去。----------------------------------学内日誌。 永山と大学を徒歩で往復。 15時から品川サテライトで研究開発機構評議委員会。多摩大の研究所の会議。多摩大総研からは2011年度の総括と2012年度の事業計画の審議。また人事では3月末で総研所長を私が退任し、望月照彦先生が所長に就任することが決まった。 情報社会研究所の公文俊平所長と雑談。田村常務に復興構想コンテストの優秀賞受賞の報告。諸橋学部長と打ち合わせ。山田参与と来年度のインターシップの相談。 前任の北矢行夫先生に電話で総研所長の交代を報告。
2012/03/26
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「復興構想コンテスト」の結果が発表となりました。多摩大学インターゼミ(社会工学研究会)の「震災と日本再生」チームが、優秀賞を獲得しました。タイトル:東北グローカルイノベーション~水産業の将来像から見た、被災地に財・サービスが集まる仕組みの提案~http://terashima-bunko.com/http://www.terashima-contest.com/インターゼミ3年目の成果です。表彰式は、4月20日。-------------------------------------以下、選考結果。最優秀作 (1点) テーマ 生物多様性の復元と生活文化多様性の創出に関する提言 ~仙台平野・名取市閖上地区周辺に着目して~ 氏名・団体名 早稲田大学建築学科若手研究者有志(永野、日詰、山田、遊佐) (東京都)優 秀 作 (2点) テーマ 東北グローカルイノベーション ~水産業の将来像から見た、被災地に財・サービスが集まる仕組みの提案~ 氏名・団体名 多摩大学社会工学研究会「震災と日本再生」チーム (東京都)テーマ ファイト!(PHYTO)ニッポンアクションプラン ~ヒマワリを用いたファイトレメディエーション法による被災農地復興及びバイオ燃料創出~氏名・団体名 神田 裕士、段坂 尚揮 (東京都)佳 作 (2点) テーマ 学びの旅「グリーンツーリズム」-農地を観光資源へ- 氏名・団体名 早稲田大学商学部 横山ゼミ (東京都) テーマ 未来への贈り物~福島県浜通り地方に環境未来都市を築く~ 氏名・団体名 安倍 晴日 (北海道)------------------------------------------------------------以下、呼び掛け文。「東日本大震災は、東北三県のみならず、日本全体に大きな損害をもたらしており、震災復興にあたっては、新しい日本の社会システムの創生をも見据えた構想力が求められています。本コンテストは、若者による新しい視点での構想力あふれるアイデアを募り、広く社会に認知してもらう場を創出することにより、若者の復興参画を促す仕組みを構築し、もって広く社会に貢献する次世代の人材を育成することを目的としています。また、本コンテストに応募された復興政策案については、被災地復興への貢献度、創造・革新性、実現可能性等の視点から有識者による審査を行い、優秀な政策案については、その実現に向けた支援を行っていきたいと考えています。」≪最終審査員≫ (五十音順、敬称略) 明石 康 (特定非営利活動法人日本紛争予防センター顧問、元国連事務次長) 片峰 茂 (国立大学法人長崎大学学長) 岸井 成格 (株式会社毎日新聞社主筆) 小宮山 宏 (株式会社三菱総合研究所理事長、東京大学総長顧問) 高藪 裕三 (社団法人日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)専務理事) 寺島 実郎 (財団法人日本総合研究所理事長、株式会社三井物産戦略研究所会長、多摩大学学長) 村上 憲郎 (前グーグル日本法人名誉会長、株式会社村上憲郎事務所代表) 後 援 経済産業省、宮城県、長崎市、株式会社河北新報社、日本BS放送株式会社 協 賛 鹿島建設株式会社、株式会社セブン&アイ・ホールディングス、 ソフトバンクモバイル株式会社、大和ハウス工業株式会社、 東京ガス株式会社、株式会社博報堂、森永製菓株式会社(50音順) 協 力 公益財団法人秋山記念生命科学振興財団、多摩大学、長崎大学、 財団法人日本総合研究所、寺島文庫 事務局 復興構想コンテスト実行委員会事務局 (運営) 株式会社グローバルインフォメーションネットワーク総合研究所/寺島実郎事務所
2012/03/25
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南桂子生誕100年展。義父のお見舞いのついでに群馬県の県立舘林美術館を訪問。この美術館は「自然と人間」をモチーフとしている。腐食銅版画家の南桂子(1911-2004年)は、富山県高岡市で生まれた。祖父は高峰譲吉の妹であるなど、政治家、学者、弁護士など極めて高い教養に恵まれた一族である。34歳で上京し、小説家の佐田稲子の紹介で壺井栄に会い、童話作家を目指す。そして銅版画の浜口陽三と宿命的な出会いをし、銅版画に向かう。43歳、浜口陽三と一緒にフランスに渡る。ニューヨーク近代美術館のクリスマスカードに銅版画「羊飼の少女」が採用される。1958年年には国際連合児童基金(ユニセフ)のグリーティングカードに作品「平和の木」が採用された。61歳、28年余り住んだパリを浜口とともに米国サンフランシスコに居を移す。85歳、日本に帰国。浜口は2000年に死去。93歳、南桂子死去。浜口陽三と南桂子は夫婦だった。私生活は夫唱婦随であったが、画業の分野では同じ銅版画を競い合った。南桂子のモチーフは、少女、鳥、魚、船、樹木、塔などの童画的であり、心をなごませる。
2012/03/24
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三浦しをん「舟を編む」(光文社)。15年という歳月を費やして辞書編集に携わった志ある人々の愛と友情と人生の豊かな物語。出版、辞書、という特殊な職人の世界の雰囲気と使命感の表現、そしてコミカルだが愛情を持って人間を描く描写、三浦しをんの腕前の良さを堪能した。ついに「大渡海」が完成するが、辞書編纂に協力してくれた監修者の先生はガンにおかされ辞書を手にすることはできなかった。最後の場面、先生の死、出版パーティでの関係者とのやり取り、では涙が出て来た。「俺たちは舟を編んだ。太古から未来へと綿々とつながるひとの魂を乗せ、豊穣なる言葉の大海をゆく舟を。」【送料無料】舟を編むビジネスマン時代から人間として尊敬する上司の名前は舟崎だった。「ふなは、ちっぽけな舟の方だ」と言っていたのを読了後思い出した。出版社の一角にある小さな工場、そこでとんかちとやすりで手作業で舟をつくる。いや、確かに舟を編む、のか。その舟が大海原を走る。人間世界という大いなる海を棹さしていくのを助ける乗物が辞書である。三浦しをんは、1976年生まれだから30代の半ば。2006年には直木賞を受賞。この人の小説も読んでみよう。この小説は、映画になるのではないか。------------------新宿の東急ハンズで買い物をした後、九段の文庫カフェでS出版社の文庫編集長と会う。昨年から取り組んでいる単行本がほぼ出来上がっているところで、編集者が病気になってしまう。ということで上司がこの仕事を引き継いだが、単行本ではなく、文庫本で出したいという新提案をもらった。提案理由ももっともなので了解する。夏前には出すことになった。本の出版には、様々のドラマがある。本づくりは危機の連続である。企画が突然ボツになる、編集者が他社に引き抜かれる、本業との時間のやりくりがつかなくなる、タイトルで紛糾する、、、、。その危機の態様はそれぞれ違う。編集者もそうだろうが、著者の立場からも出版は危機管理能力を試されるプロジェクトである。「舟を編む」と同じだ。-------------学内日誌。 九段サテライトで学長主宰の大学運営会議。 エリアマーケッティング。数字。実態。進路。国際化。東南アジア。、、、。
2012/03/23
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学内日誌。学長室ミーティング。高野さん、金子さん、山本さん。ホームページ打ち合わせ。高野さん、山本さん、中庭先生。マグネットデザインの大上さん、岩澤さん。教員ラウンジで。今泉先生と打ち合わせ。大森先生と下井先生と雑談。事務長の矢内さんと相談。------------------以上は、アイフォン4S(iOS5.1)で始まったSiri(音声アシスタント)の日本語の音声入力で書いた(語った)文章です。Siriのコンシェルジェ機能の問いかけも試してみました。「明日の天気は?」 「メッセージを読んで!」、「返信。、、」、、などいろいろなことができるようですが、まだ精度は高くない。キーボードに「マイク」の表示があり、ここを押すと音声入力ができるようになっています。ブログやフェイスブック、Twitterなどへの投稿には、この音声入力は使えそうです。こちらは間違いが少ない。まだ使い始めたばかりですが、可能性を感じます。
2012/03/22
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今年度の寺島セミナーの中心は、「エネルギー」。 原子力は一定程度保持すべきだ。原子力の平和利用に徹した国の代表としての自覚。技術基盤の蓄積と専門人材の育成という国際貢献の視点。 アメリカ。原子力ルネッサンス。スリーマイル事故から30数年。原発をつくらなかったが、この2月に2基初めて増設、そしてサウスカロライナにもう2基。小型原発。マンハッタンの北57キロのインディアンポイントの原発が古いタイプのマークワン(福島と同じ)、これをどうする? 石炭が高効率になってきている。 日米原子力共同体における位相の転換が起こっている。2006年の東芝のウェスティンハウス買収、2007年の日立・GEの新会社、フランスのアレバ社と三菱重工の合弁、など日本企業が原子力の中核になってきたという現実。 原子力の民生、平和利用については日本が中核的担い手になってきた。このことを自覚した上でどう考え、どう再構築するか? 1951年の九電力体制(ポツダム政令・火主水従)。1953年。アイゼンハワーの平和利用。日本の核アレルギー除去キャンペーン、中曽根・正力。広島に原発を。1955年、全国平和利用博覧会。原発基本法。1957年、米と契約、ウラン、プラント。1966年、英国製。1970年、敦賀(GE)、三島(ウェスティン)、福島(GE)。 米国の核の傘に入っていて、脱原発で済むのか? 技術を持っている立場で平和利用の進化。原爆はいつでもつくれるがつくらない。 3.5万人の原子力工学の卒業生。9千人は電力会社。2.4万人がメーカー。 現在の案は財務省主導。アメリカ型。賠償会社になってしまう。モチベーション低下。 国家が原発部門だけを切り離して統合する。技術者の分散配置の問題。危機的対応能力の問題。経済性探求の論理の問題。経営リスクの限界を超えられないという問題。だから国策統合会社で総合管理が必要。フランス型がいい。開かれた推進体制。 中国、ロシアの原発は高度になりつつある。 アメリカ。再生エネルギー熱はしぼんでいる。助成金が必要という弱点。雇用を生まないという弱点。天然ガス(日本16ドル・欧州9ドル・米2.27ドル)シェールガスへの動き。シェールオイル。油田の発見以来の高揚感。シェールガス革命。北海油田以上。」米中連携。非FTA国には売らない? 日本近海のメタンハイグレードは日本のシェーリガス。資源大国への道。海洋と宇宙の相関。 美しい言葉に騙されていけねい。絵空事でなく。どうしたらいいかを考えよ。
2012/03/21
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卒業式。改めて教育という仕事の神聖さを想う。本日の卒業生は2008年度入学生。私の多摩大赴任と一緒の学生達だ。多摩大での初めてのゼミ生。寺島学長挨拶の構造:時代認識と経緯の確認。時代の子。未来の展望と課題の抽出。数字と細部のリアリティ。生き方と働き方。 3・11.格闘。宮城復興会議。ボランティア。東北「道の駅」調査のフィールドワーク。インターゼミが復興構想コンテストの優秀賞。 卒業生は1990年前後生まれ。豊かな時代。平和な時代。出来上がった日本。なんとなく幸福だが希望は? 時代と向き合え。世代のテーマ:世界人口の増大(93億人へ)と国内人口の激減(1億人へ)。アジアダイナミズム(GDPが世界の半分へ)。 人生を貫く仕事を見つけよ。自分は何のプロフェッショナルになるのか。一点の素心。一念。 「春風や藤吉郎のいるところ」(吉川英治「太閤記」)。人間力。人を惹きつける力。味方にして大きくする力。 ゼミ中心の多摩大。人間力の養成。諸橋学部長:情報革命。Think!木村後援会長:自律。軸。こだわり。目標・体系・課題の見える化、可視化。俯瞰。シナリオライター。片山同窓会副会長:社会に出たら勉強の連続。山口ひとみ「新入社員諸君!」。素直さ、愚直さ。阿部卒業生代表:志。現代の志塾。愚痴より提案。田村常務理事:現代の志塾。志。知って活用、意見を実行。壁を乗り越えよ。今泉教務委員長:Be ambitious!北辻君、戸倉君は成績優秀者として表彰される。多摩大はゼミ毎に起立し、代表者が学長から卒業証書をもらうという変わったやり方をとっている。「ゼミの多摩大」をこのように見せるのはいい。「志」もそうだが、キーワードを様々な形で見せていくことに腐心したい。久恒ゼミは、卒業生18名。代表は内藤君を指名。消防士になる内藤君は大柄で姿勢がいいので選んだ。終了後、研究室で全員に私から卒業証書を読みながら手渡す。晴れ晴れとした顔で記念写真の撮影。教員ラウンジで歓談。諸橋、豊田、樋口、浜田、杉田、今泉、、、。樋口先生の車で多摩センターの京王プラザホテルへ。謝恩会。ゼミ生たちを中心に歓談。金子先生、松本先生、酒井先生。諸橋先生。高橋豪君、、。就職後の夏あたりに飲み会をやろうか。終わって、学生課の井川君と喫茶で歓談。
2012/03/20
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今日は大学院の日。学長到着時に、諸橋学部長と最近の学内状況説明。15時から、大学院学位授与式。修了者は19人。家族が一緒に出ているのには、大変だったのだろうなあといつもながら感動する。f:id:k-hisatune:20120317194208j:image寺島学長祝辞。「社会人大学院。3・11。課題解決力。テーマ。視界の広さは情報の量と質による。時間軸と空間軸。時代認識と世界認識、それが解答にかかわる。誰にヒントをもらうか。人を動かす力。人脈、ネットワーク。日常。情けに報いること。心を動かす。情報の世界もウェット。知的に生きる力。友人と先生。大いに飛躍を!」f:id:k-hisatune:20120317151253j:image以下、学園の田村常務の挨拶。「風格と地震。家族の協力。経営の実学、、」成績優秀者表彰。田中さんはタイの外食産業、鈴木さんは出版物の最適初版部数の決定モデル、野島さんは在宅ホスピスケア。橋本研究科長挨拶。「コメンスメント、、」福重同窓会副会長。「同窓会は学びの場。こういう大学院はない。中国古典、佐藤一斎、中村天風、安岡生篤、、」李院生会会長、大塚修了生代表と続く。夕刻から多摩センターのアステナガーデンで謝恩会。先生たち、修了生たちは和気あいあいで、楽しい挨拶や懇談が続く。実にいい雰囲気だ。f:id:k-hisatune:20120317185204j:image私も挨拶を頼まれたので、「3・11からの一年の間、修士論文を仕上げたことに敬服していることと、関東大震災によって人生が変わった人たちの話をする。渋沢栄一、原三渓、与謝野晶子、堀文子、、。東日本大震災でどう変わるか?」という話題。浜田先生、小泉さん、柳生さん、林川先生、鈴木さん、沈先生、野津さん、、、。f:id:k-hisatune:20120317201010j:imageいつも感じることだが、社会人大学院での2年間の夜と土日の勉学は時間的、精神的、金銭的に苦しい状況にあるため、修士の学位を取得した修了式は満足感にあふれており、そして謝恩会は解放感にあふれている。そして教員と院生の距離が近く信頼感で結ばれている。また30代、40代、50代の社会人院生たちが人生の本当の仲間になっている姿は素晴らしい。
2012/03/17
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ナポレオン狂ともいうべき人は多い。世界最大の個人ライブラリーを持つビルゲイツはその嚆矢であるし、日本でも孫正義などもその一人だ。中学生の頃、ナポレオン(1769-1821年)に関する本を読んで、多方面にわたる業績に驚きと感動を覚えたことがある。また、ある企画展でナポレオンの書斎を復元してのを見たことがあるが、簡素な部屋だったことを想い出す。27歳、イタリア遠征軍総司令官。35歳、フランス人民の皇帝。43歳、ロシア遠征。44歳、ライプツイッヒの戦闘に敗北。45歳、退位。46歳、百日天下。ワーテルローの戦いに敗れ「ナポレオン言行録」(岩波文庫)。退位。セント・ヘレナへ流される。52歳、死去。神保町で手に入れた「ナポレオン言行録」(岩波文庫)を読んでみた。「ナポレオンの事績」という小文には、道路、港湾、運河、工場、など自らが記した膨大なプロジェクトが並んでいる。「この財宝は幾世紀も幾世紀も続くであろう」と書いているがそのとおりになった。「遺書」には、個人財産の半分をフランス軍の将兵に遺贈し、残りの半分を諸都市と農村に遺贈する、とある。そのナポレオンの言行録を神保町で手に入れたので、読んでみた。ナポレオンは、おびただしい手紙、布告、戦報、語録などを残している。 私は二年後をおもんばかってしか、かつて生きたことがない。 それにしても、私の生涯は、何という小説(ロマン)であろう! 百に六十の成功のチャンスをかぞえることができない限り、戦闘を交えるべきではない。 軍司令官たる者は勝利した軍隊であろうと敗北した軍隊であろうと決してこれを休息させてはならない。 最悪の策とは、戦争においては、ほとんど常に最も臆病な策である。 戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を取っておく将軍はほとんど常に敗れる。 最大の危険は勝利の瞬間にある。 人は自分がどこへ行っているか知らない時ほど高く昇ることは決してない。 人は制服のとおりの人間になる。 愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。 約束を守る最上の手段は決して約束をしないことである。 立派な農業に基礎をおいた財政は決して破綻することはない。 大きな仕事においては、人は常にいくらか偶然を考慮に入れることを余儀なくさせられる。-------------------------学内日誌。 今泉先生。プレゼミ。 人事委員会。非常勤の選任。 教授会。学部中期計画決定。 諸橋学部長と一緒に村山先生と面談。来年度。 新T-NEXT説明会。 彩藤先生。facebook、サイボーズ。 杉田先生。近隣高校。 学部同窓会片山副会長、出原先生。同窓会連合。facebook。 豊田先生、樋口先生。アドビコネクト。入試戦略。 北矢先生の件、、、、。
2012/03/16
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郷里・中津市の文化総合誌「邪馬台」の2012年春号(通巻182号)が届いた。季刊なので既に45年を経過したことになる。この同人誌は、評論、評伝、詩、漢詩、旅行記、随筆、研究、短歌、川柳、俳句、創作とあらゆるジャンルの作品が184ページの量で並んでいるのは壮観である。今号には、私、母、妻の3人が出ている。「旅行記」は、私の連載「人物記念館の旅23--大山康治」と、私の母の連載「万葉歌碑を尋ねる旅9--企救の浜」が並んでいる。また、埋め草のエッセイ欄は、母の「豚木の歌」だ。今年の年末年始に我が家に逗留したときのことが楽しく記されていた。いつのもように年末年始上京し、息子の家に行った。滞在中、思いがけずベートーベンの第九交響楽を聴くことができた。年末に第九を聴いたのは夫が元気な時以来だから25年ぶりだろうか。場所は多摩センターのぱるてのん。オーケストラはベテラン奏者の中に大学生、高校生がまじりファーストバイオリニストは高2の女子学生、第三楽章の時にソプラノ、アルト、テノール、バスの声楽家、合唱団の老若男女が百名くらいが席についた。指揮者は今をときめく今村能氏、動きが華麗で何べんも飛び上がった。感動して我を忘れて聴き入ったことは言うまでもない。終了した時、長いこと同じ姿勢で腰かけていたので足がしびれて途中で足が前に進まなくなった。嫁さんがすかさず、「お母さんをオンブしてあげて!!」と叫んだ。息子の背中が前にきた。私は生まれて初めて息子の背中にしがみついた。「お母さん重たいね!」と息子。何をかくそう、私は娘時代から背は低いのに54桐、それに寒いのでいっぱい着こんでいるからお米一俵ぐらいの重さがあったのではないだろうか。それでも息子は十何段かある階段を私を背負ってエッチラオッチラ降りた。「お父さんの腰がアブナイ!!」と叫んだのは又嫁さん。翌朝、息子からメモを渡された。やむをえず母を背負ひてそのあまり重きに泣きて三歩あゆまず 豚木------------------------「短歌」欄は、「邪馬台歌壇」と言う名前で、母は選者だ。その母の選者詠。 阿多多良山の空が本当の空といふ智恵子嘆きゐむ放射能の空 除染効果なきヒマワリの花の咲き盛る崩壊せし建屋を遠景として はやぶさに襲われ放れつかたまりつリーダーのゐるやひよどりの群れ 友のくれし三毛門南瓜(かぼちゃ)冬至まで置かむ厨の棚に 原稿用紙の升目に一字づつ埋めてゆくそれしかできねば楽しみて書く今は、妻も母の門下生となって短歌を始めた。私は途中で脱落してしまった。 里帰りの電車のなかは作歌のとき横ゆれのリズムは5、7、7、7、7 車窓よりかすかに見ゆるスカイツリー、あの右下に嫁(ゆ)きし娘(こ)が住む 草と野菜育てし節くれの母のこの手がわれを育てし 節電の暗がりの中浮かびいる白き山茶花われここにあり選者評里帰りは嬉しいもの、電車の中は作歌のときと初心者のけなげな気持ち、電車の横ゆれのリズムは、5、7、5、7、7と表現して楽しい歌。それこそ破調だが気にならない。二首目、車窓から遠く見えるスカイツリー、あの右下に嫁いだ娘が住んでいる。どうしいるのかなと母親としての気持ち。「あの右下」は作者の一位置からみて右下ではあるが、「あの西側に嫁きし娘が住む」とするとはっきりする。3、4首とも気持ちがよく出て素直な歌となっている。-----------------大学で。 学長室ミーティング ホームページ打ち合わせ(skype) 今泉先生といくつか相談。 菅野先生と歓談。 4年生の木村君来訪。今日は往復で1時間以上歩いた。
2012/03/15
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NPO法人知的生産の技術研究会の総会と講演会と懇親会。総会は、理事長の私から昨年の総括と今年度方針を淡々と説明し、承認してもらった。講演会は、小中陽太郎先生にお出まし願った。f:id:k-hisatune:20120314193025j:image「いい話グセで人生は一変する」(青萌堂)を題材に軽妙な話術で会場を魅了。(青萌堂の尾崎四朗社長と名刺交換) 爆笑問題の太田光。優れた批評眼。 鶴見俊輔。後藤新平の孫、東大批判、、。菅直人のエピソード。 中江兆民。ルソー、日本国憲法。「三酔人経綸問答」南海先生、紳士君、豪傑君。 平賀源内。高松藩、、。源内の伝記は5月に出版予定。(この本は楽しみだ) 大江健三郎 東大話法。安富歩「原発危機と「東大話法」(明石書店)」。欺瞞言語。立場の人。自分自身をだます。(必読の書らしい)「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘をつく。「もし〇〇であるとしたらお詫びします」「爆発的事故」「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」、、、。 漱石の名訳。気概。f:id:k-hisatune:20120314210340j:image懇親会は知研の仲間を中心に楽しく歓談。愛妻家・太田正文さん、事務局・高山さん、高橋さん、秋田さん、小野さん、大島さん、、。終わり近くで地震、それを機会に解散。----------------------大学では、諸橋先生。高野課長。山本さん。金子さん。
2012/03/14
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湯川秀樹博士の「外的世界と内的世界」(岩波書店)に、創造性についてのエッセイがある。 デジタル的傾向の人は細かい構造にひかける。アナログ的傾向の人は鋭くないように見えるが大づかみに何かつかむ。そういうほうに関心があるし、そういう能力が優れている。 アナログ的な能力の相当にある人が一生懸命に努力してデジタルな能力を向上させたというケースが、高能力になる。 そういう説があるが、全体をまとめるには分析的な能力が発達していることが重要だ。デジタル的にシャープになりすぎるとまずかったりする。クリエイティブであるためには自律性が必要である。 論理は独り歩きしてしまったらダメだ。コトバから数にいく。さらに記号になる。そして独り歩きしてしまう。抽象化、一般化が進んで、創造性の源泉が枯渇してしまう。 ユークリッド幾何学の特徴は、片や論理でコトバの論理、片や図形。 デカルトの「方法序説」「精神指導の法則」は創造の方法論だ。そこには直観と論理はどう結びつけるかということが書いてある。 メモの習慣-始終自分の考え方をコントロールしている。構造づけをしたり、枠に入れたり、ということを盛んにやっている。湯川先生には平明なわかりやすい歌が多い。 逝く水の流れの底の美しき小石に似たる思ひ出もあり ボーボーと霧笛かなし灰色の有無と空とのただ中にして 弟がもしやいるかと復員の兵の隊伍に沿ひて歩みし 孫はその母と日ごとに菓子くずを庭にまきては鳥をまつなり 天地は逆旅なるかも鳥も人もいづこか来ていづこにか去る 若葉して見なれし庭の草も木も色とりどりに光輝く荘子の徒でもある湯川秀樹の座右の銘「一日を生きることは、一歩進むことでありたい」だ。李白の「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」ということばが何度もでてくる。素粒子というのは逆旅(宿屋)に泊まっているお客さん。-------------------------「蜩ノ記」(葉室麟)を読了。この人の小説をもっと読もうか。「乾山晩秋」「銀漢の賦」「いのちなりけり」「秋月記」「花や散るらん」「恋しぐれ」。----------------------5月に発行予定の本(事例の豊富な図解トレーニング本)のゲラが届いたので、チェックを始めた。
2012/03/13
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永山から大学までウオーキング。少し汗。さわやか。 秘書と打ち合わせ。スケジュールが基本。来年度の講演スケジュールがほぼ決定。 学部運営委員会。方針設定と合意形成の場。ボイスの過去3年間の推移と中期目標の設定。教育関係費の増額分の使い途の考え方。入試の見通し。就職の現況。ティーチインの進め方。ゼミ室アンケート。 2回目のティーチイン。既に新年度が始まった。新年度の各委員長から、課題とスケジュールについての発表と質疑。プレゼミ、プレホームゼミについての提案と質疑。方向を確認。 学長から電話。福島、、、。 中庭先生と学長室長の引き継ぎ。 ラウンジで飯田先生とソーシャルメディア論議。ゼミとfacebook。 大学から永山までウオーキング。風が冷たい。 永山の「梅の花」で同僚二人と食事。楽しく歓談。プロジェクトが一つ発進。
2012/03/12
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今日は、「3・11」から一年。たまたま家族がそろって東日本大震災1周年追悼式をテレビで見て、黙祷。日射しが明るくなってきたので、公園に人が多くなってきた。葉室麟「蜩ノ記」(祥伝社)。直木賞受賞作で評判になっている本だ。直木賞候補4度を経て、本年ようやく受賞。読んでいる途中だが、淡々とした記述ながら、なかなか読ませる熟練の技の持ち主だ。葉室麟は、60歳。九州久留米に住む。福岡明善高校、西南学院大学卒業。50歳から創作活動に入り4年でデビュー。「文春」の「この人の月刊日記」は、直木賞受賞後のドタバタ日記。午前9時から午後7、8時まで仕事の時間だったが、午後9時までになりつつある。「原稿よりも健康」を意識。この人は藤沢周平の後継者の可能性がある。
2012/03/11
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久しぶりに自宅でゆっくり。 「文芸春秋4月号」をぱらぱらと流し読む。芥川賞「事件」の真相(西村賢太・田中慎弥)。「もらっといてやる」と言った田中慎弥と「風俗に行こうかな」と言った西村賢太の爆笑対談。西村は、締め切りギリギリになると一気に書き上げるタイプ。田中は一日5-6枚。「作家10年説」(西村)。改行に悩む田中。、、。小沢一郎論。橋下首相論。 馬場孤蝶「明治文壇の人々」(ウエッジ文庫)を読み始める。鴎外は「如何にもやわらかな暖かな、率直な人」。漱石は、「長者の風格がある人、客扱ひのうまい人」。樋口一葉から、馬場孤蝶は「優美高潔兼ね備えて、をしむ所は短慮小心、大事のなしがたらかん、、、」と批評されている。一葉との関係が面白い。 久しぶりに家族四人そろって自宅で食事。娘と息子も職業を持って世間の風に当たっているので、成長を感じる。人は仕事によって鍛えられる。 東日本大震災の1周年を明日に控えて、テレビ、新聞などのメディアは震災一色だ。なにか、「ゆく年、くる年」を見ている感じだ。 iPad、iPhoneに、新OSのiOS5を入れる。どう変わるか。 知研の八木さんのライフワーク「宣教師東漸」の原稿をテキスト版でももらったので、iPadで読んでいる。清朝末期からの中国を小説仕立てで書いた数十年かけた労作だが、実に面白い。膨大な量だが、何とか読み切りたい。 母校・中津北高から「創立100周年記念誌 百年の風 未来創造」が届く。安倍校長の写真が懐かしい。受験戦争のまっただ中の高校時代だった私たちの時代は、以下のように記されている。中学時代、高校の受験時代、大学時代に到る時代の様子が描かれてる。今振り返るとこの通りだった。「成績優秀な中学3年生を我が校にスカウトしようとする弊害も生みだした。とりわけ、中津北高と中津南校という双子のような高校で繰り広げられたスカウト合戦はいわゆる「南北戦争」とまで揶揄されマスコミでも批判的に取り上げられるまでになった。」「43年春の大学入試成績は北高が圧倒的によく、その影響で、中学の優秀生徒は北高に志望が集中するように見えたが、、」「各新聞が大々的に報じ、さらに週刊朝日にまで取り上げられて、全国的話題となり、強い批判を受けることになった。」「その戦禍は戦士だった生徒たちであっただろう。、、ただ有名大学に合格すれば、人生の道は開かれるという妄言に踊らされた人も多かっただろう。そのため、大学に進学してから、留年、中退などが多く、社会問題にもなった」「結局、受験の勝者として大学には入ったが、闘争もしたが、人生の道筋を自ら、見いだせずにヒッピー(放浪の人)やフリーターとなった人もいた」「東京大学が学生闘争のため、入試を中止した昭和44年から、反省も広がった」
2012/03/10
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愛知県の名鉄知立駅で出迎えを受ける。愛知教育大学に呼ばれて講義。私を呼んだ先生は富山先生で、この人は広告代理店の出身で、「デザイン」という授業のコマで集中講義。受講生は30人ほど。小中学校の教員養成を主眼とする大学、そして国立大学という性格から、自ずと問題のありかも違う。ホームページのトップには、「正規教員就職者数全国一位(2010年度)」とある。愛知県では希望者は教員になれる可能性は極めて高いのだが、最近は教員だけではなく、一般企業に就職する学生も出てきている。3年秋には1か月ほどの教育実習があり、この前後では人間がまるで違ってくるとのことだ。一般の大学のインターンシップが極めて高い成果をあげているということだろう。この点は参考になった。教員を目指す学生たちだけあって、真面目である。講義中や実習中にも熱心に取り組む姿が見られ、こちらも熱がこもる。「初等教育」の所属の学生が多い。小学校の教員過程で、中学校の教員になる場合は美術を担当する、そういう過程のようだ。愛知県では、小学校と中学校の人事交流があるから、小中の二つの免許が必要になる。そういうこともあって、科目数が多くこの時期にも授業があり、春休みはない。以下、アンケートから。今日の「目からウロコ」は一人。 目からウロコ。 事前に何冊か著書を購入。ドラッカー本が印象に残っている。 今回の授業はショックでもあったが、得ることが多かった。教育現場に取り入れるべきことばかり。 図解を用いることで文章の組み立てがここまで楽になるのかととても驚きました。 理解度が格段にアップしたことが驚きでした。楽しく勉強ができました。 あっとう間に時間が過ぎました。これが論理的に考えるということなんだとわかった。 新聞記事の穴や疑問点が明らかになった。 文章に苦手意識を持っていたが、言われた通りにやってみたら、書けたことに驚いた。 一石二鳥。 理論と実践でよかった。 図を使えば文章も書けてしまうことに驚きと興味。 教育現場で活躍できそうだ。 身につけたいと強く思いました。 新聞記事に論理的でないものがあるとは思ってもみなかったので驚きました。頭を使うので凄く疲れましたが、楽しかった。 小論文、卒論、授業構成、スピーチの構成などあらゆる場面で活用できる。 文章がスラスラ書けました。今日から文章が書けそうな気がします。 考える力も表現力も同時に伸ばすことができる。 今までとは根本的にやり方が違う。
2012/03/09
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午前。 永山駅から歩いて多摩大へ25分。少し汗をかく。Boseのヘッドフォン。 近藤秘書とスケジュール確認と打ち合わせ。来年度の講演スケジュールが固まってきた。 来年度入試パンフに関する相談。井川さん。カリキュラム、履修モデル、、。「戦略は細部に宿れり」 ホームページ打ち合わせ。オンリーワン戦略、、、。午後。 学長室ミーティング。学長研究室にて。高野さん、金子さん、山本さん。空気。 入試パンフに関する相談再び。井川さん。キーワード。 菅野特任教授と懇談。来年度の活動、総研、、、。 教員ラウンジ。学生委員会の引き継ぎ場面に遭遇。大森先生。杉本さん。 ニューヨーク出張から寺島学長帰国。電話あり。就職・入試・学内運営など近況報告。別途、学内状況をファックス。夜。 赤坂の野田一夫事務所を訪問。少し歓談。来年度から開学する野田先生が学長の事業構想大学院大学。青森の立志挑戦塾。 エクセルホテル東京の「ジパング」で食事会。野田名誉学長、諸橋学部長、趙先生、高野課長。 野田先生から多摩大の来し方などを聞きながらおいしい料理をいただく。ワイン、日本酒、、。 途中で、若手実業家(plan/do/see)として活躍中の野田先生の三男登場。久しぶり。握手。京都。アメリカ。 電話で総研の松本先生と連絡。人事、運営委員会、、、。 趙先生と情報交換しながら帰宅。来年度委員人事、、、、。 「凡庸な教師はただしゃべる、良い教師は説明する、優れた教師は自らやってみる、偉大な教師は心に火をつける」
2012/03/08
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夕刻から横浜で仲間との飲み会の予定があったため、少し早めに出て、二つの美術館をまわった。 みなとみらいの横浜美術館で開催中の「松井冬子展--世界中の子と友達になれる」。松井冬子とは、国立西洋美術館の青柳正規館長とテレビで対談していたあの美人画家だ。1974年生まれということは、38歳。経歴をみると、9歳でモナリザのレプリカに感動し芸術に目覚めている。22歳で、長谷川等伯に感銘を受けて日本画に向かう。24歳、東京芸大日本画科に入学。その後、修士、博士にすすんでいる。今回の企画展は、狂気や死をまじかにした人間が放出するエネルギーに充ちた世界を表現している。代表的な本画の作品、試行錯誤の軌跡を伝える下絵、厳密に描き込んだデッサンなどに、本展のための新作を加えた約100点が展示されている。心地よい作品群ではないが、迫力はある。 横浜駅につながっているそごう美術館。京都細見美術館の作品。パート1は「都の遊び・王朝の美--美を愛でる、京を知る」。パート2は「琳派・若冲と雅の世界」。本阿弥光悦の書と俵屋宗達の絵、加茂社競馬図屏風、四季河原図巻、若冲の萬歳図、光琳の再来と言われた神坂雪佳らが印象に残った。1998年に開館した細見美術館は、初代の細見良(古香庵。1901-1979年)、二代細見實(1922-2007年)、三代細見良行(1954年)が三代にわたり築いてきた細見コレクションが主軸となっている。3000点以上の美術品がある雄大なコレクション。細見良は、尋常小学校の頃に父が事業で失敗、14歳で単身大阪に奉公に出る。15歳、毛織物業界に入り、24歳で泉大津に店を持つ。その後大々的に事業を拡大。スミレ毛織物株式会社。60歳で事業から引退し、以降古美術三昧の日々を過ごした。二代目細見實は、琳派・若冲を中心とする江戸絵画を得意とした。個人蔵の琳派、若冲コレクションとしては世界有数の規模になっている。この美術館は琳派美術館の異名を持っている。三代目細見良行は、大江匡に設計を依頼している。この細見コレクションの最大の魅力は「楽しさ」にあるとの解説があったが、その通りだった。------------------夜は横浜の「フルーヴェール」という会員制のレストランでビイネスマン時代の仲間である環、堀の両氏と会う。先日亡くなった共通の尊敬する上司を偲ぶ会。一日一組しかとらないという贅沢なレストランで食事も絶品だった。3時間半ほど「舟さん」のことを語り合って楽しい時間を過ごすことができた。新しい死に方の開発、、、。
2012/03/07
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徳島県立鳥居龍蔵記念博物館を先日訪問した。鳥居龍蔵(1870-1951年)という名前は初めて聞いたのだが、経歴を知り、事績を見、そして67歳までの自叙伝「ある老学徒の手記--考古学とともに六十年」(朝日新聞社刊)を読んで、その生涯に感銘を受けた。日本における人類学・考古学・民俗学の先駆者で、中国遼東半島調査、四度にわたる台湾調査、中国西南部、千島列島、中国東北部、内モンゴルなどのフィールドを精力的に調査している。東大人類学教室で博士号を取り助教授にも昇進するが、54歳で辞職しきみ子夫人ら家族とともに鳥居人類学研究所を設立する。69歳、ハーバード・燕京研究所に招かれて家族で中国に移住し、ライフワークである中国王朝「遼」の研究に従事する。81歳、帰国。83歳、永眠。順調に学徒の道を歩んだように見えるが、さにあらず。「私は学校としては正式に修業せず、小学二年の中途で退学されたもおんである」と本人が述懐しているように、小学校中退という学歴である。すべて独学自修という勉強のやり方だった。1862年、同じく四国高知生まれの植物学の牧野富太郎と同じように小学校中退で、後は自分の好きな分野の勉強に邁進した生涯である。 メディア: この商品を含むブログを見る自叙伝の「結語」にはこの鳥居龍蔵の気概が記されている。「私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は私自身を作り出したのでえ、私一個人は私のみである。私は自身を作り出さんとこれまで日夜苦心したのである。されば私は私自身で生き、私のシンボルは私である。」「街の学者として甘んじている」小学校では、富永先生に感化を受けて、歴史、地理、博物等の書物を読み、古墳や石器などに入り込み、これらを探すのを楽しみとした少年となった。学校が面白くなくなり、尋常小学校1.2年の間に二度、落第し、辞めている。その後は、独学で書物を読み進めていく。新聞を読み、中村正直の「西国立志編」を好んで読んでいる。満20歳になり、親戚のおじの「家で商売しておれば一生生活に不安はないが、名誉は得られない。これに反して一心に学問に従事せば生活上の困難はあろうが名誉は得られる」との言に、後者を選び勇躍一家を挙げて上京する。旧知の東大人類学教室の坪井教授から「理科大学人類学教室標本整理係」として採用してもらい、人類学教室の一員となり、その後の大活躍につながっていく。鳥居龍蔵は、シュリーマンの人生についての講演で発奮し、またスマイルスの「自助論」(中村正直「西国立志論」)などを好んで読んでいる。アングロサクソンの自修独立に感化を受け、自助の精神を身に付けた。多摩の国分寺崖線も鳥居の発見のようだ。1923年の関東大震災を鳥居は53歳で迎えている。鳥居は人類学教室員を率いて、震災跡を探査撮影し、考古学の資料に供している。東京市は火災のため焼失し、昔の武蔵野に戻り、鎌倉時代の風景のようであった。多くの古墳が現れたきたので、学問上にはすこぶるいい調査の時期となったようだ。小学校の退学、東大での先輩や先生との衝突などの事情を読むと、独立不羈の精神が旺盛であることが読み取れる位。f:id:k-hisatune:20120307064512j:image鳥居龍蔵はという人は、早い時期から取り組むべきテーマを定め、それに向かって邁進している。そして「極東」を思う存分に踏破し調査した探検家になった。67歳以降83歳までの研究人生も興味深い。------------------------ 午後、目黒の田村学園本部を諸橋学部長と訪問。 夜は、六本木のレストラン「キッチンファイブ」で食事会。菅野特任教授主宰。諸橋学部長、大学院客員教授の西沢さん(菅野先生の京大ボート部の同級生・日本IBM出身)、そして私。
2012/03/06
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来年度のインターゼミ(社会工学研究会・寺島塾)の参加者の面談を学長室・高野課長と行った。今日は4人。全員が「志」という言葉を使って入塾の希望の説明をしていたのが印象的だった。今日のメンバーは男子3人、女子1人。気概のある学生達だった。全員が来年度から2年生。昨日の後援会セミナーでは60通を超えるアンケート回答結果の一部をもらったが、90%近いご父母より「満足した」との回答だった。(「不満」は0件)以下父母の感想の一部。・大学の方針がわかった・子どもに問題解決の意識を持たせたい・上の子が通う大学にはこのような企画はない、多摩大学はなかなかやるな、という感じ・大変良い企画、お知らせは早めにしてほしい・自分の頃とまったく就職に対する考え方が違うことを認識・就職でない切り口のセミナーの開催も希望・今日帰ったら、じっくり子どもと話してみたい・パネルは様々な業種の話が聞けてよかった・大学側が一丸となって動いている感じを受けた、教職員の熱意を感じた・講演を通じ、志塾としての目指すところがわかった、講演に熱意を感じた・企業人事担当の生の声が聞けてよかった・シューカツの厳しさを実感した・「多摩学」の考えはいいが、就活に活用されていない・先生方の理想と学生の現実にギャップを感じる・学生が取り組んでいる姿勢や支援内容をもっと説明がほしかった夜は、勤務帰りの息子と待ち合わせて駅近くの居酒屋で家族の食事会。小学校から大学まで多感な時期の11年間を暮した仙台が息子の故郷だそうだ。東北は豊かだったなあ、、。人間の意識は、実年齢の七掛けあたりではないか、との仮説に皆で納得。90才は60代を超えたあたり、80才は50代半ば、70才は50歳前後、60才は40歳を超えたあたり、50歳は30代半ば、40歳は28歳、30歳は20歳あたり、20歳は十代半ば、、、、。
2012/03/05
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後援会主催の父母対象のセミナーとパネルディスカッションと交流会。父兄の参加は120名ほどで盛況だった。 私が担当した基調講演のタイトルは「現代の志塾・多摩大の戦略--産業社会の問題解決の最前線に立つ志人材(人物)を育てる」。 以下の内容。多摩大鳥瞰図絵・世界潮流とアジアダイナミズム・多摩大ホームページ・多摩大戦略図・カリキュラム全体像・ゼミ中心大学・就職・手厚いキャリア支援体制、、、。現代の志塾・志人材・多摩学・アジア・グローバルビジネスと地域ビジネスとビジネスICT・多摩30%へ・志企業・志人材・、、。 パネルディスカッションのテーマは「世界の変化に対応する企業の志・学生の志とは?」コーディネーターは中庭先生。パネリストは、京西テクノスの安田真人管理本部長、スタック電子の新川雅之取締役営業企画本部長、多摩信用金庫の小池冬記主任調査役、トランスコスモスの名倉英紀人事本部長。 多摩信金:預金量全国6位。幸せづくり。多摩は70以上の大学。30市町村。13万の事業所。9万が本拠が多摩。多摩信ケアは3.2万。事業承継の手伝い。課題解決。1900人の行員。毎年100人採用。キャリアコース。経産省、JETRO、信金中金、市役所、大学等への出向も。 スタック電子:昭島。40年連続黒字。自己資本7割。非同族経営。保守。高周波デジタル伝送。グリーバルニッチトップ戦略。消防・エネルギー・医療・健康・福祉。世界進出。中韓と競争。切り拓く人材。考える力。実行できる力。学び続ける人。熱意・能力・考え方が大事。 トランスコスモス:IT。お客様は300社。課題解決。収入増加面ではインターネット活用、スマホがらみの開発案件が伸びている、アジア。コストでは、ITをどう使うか、説明・手助けサービス、IT周りにニーズ。5年で1500億の規模を2倍に。1.5万人が受験、240人採用。惜しい学生が多い>PRできない。行動力。変化対応力。志。想いの強い学生。 京西テクノス:延命サービス。モノの修理。医療。風力発電。ミドルマネジメント育成。将来的なリーダー候補。自律。軸。向上心。こだわり。階段を登りながら成長していける人。それぞれ、優れた企業の第一線で仕事をしているリーダーであり、言葉に重みがある。大変にいいパネルになった。有難いことだ。終了後は、学食で父母出席者と参加企業の方と教職員の交流会。ゼミ生の父母と教員の交流が盛んに行われた。私も1年生、2年生のゼミ生の父兄と会って話ができた。このブログを毎朝読んでいるお母さん、「致知」に書いた徳富蘇峰論を読んでいて「人物記念館の旅」に関心のあるお父さん、インターンシップのいい仕組みを提案いただいたお父さん、、、。孫が心配でたまらない祖母の話もじっくり聞いた。最後の締めの挨拶。終わって、教員ラウンジで先生たちと歓談。浜田先生、今泉先生、豊田先生、出原先生、彩藤先生、、、、。本日メールでいただいた御礼の挨拶から。「本日はセミナー交流会で名刺交換をさせて頂き、有難うございました。 多摩大の理念、戦略はすばらしく、愚息は良い大学とご縁があったと喜んでおります。 4月から2年生になりますので、いろんなカリキュラム に積極的に参加させたいと思います。 父兄も参加できる勉強会もあれば嬉しいです。」-------------------------帰宅後、テレビ東京で「河北新報のいちばん長い日」を観る。知り合いと思しき記者の名前もあった。東日本大震災は、長い歴史のある河北新報の真髄が現れた場面だったことを改めて確認した。
2012/03/04
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午前は、自宅で懸案事項の解決を考える時間にした。今年度の実績、来年度の計画、予算の考え方、ゼミ生の就職、そして明日の後援会での講演の準備など。午後、永山駅から歩いて多摩大に向かう。教員ラウンジでは、本日の入試関係者がいたので話に加わる。杉田先生、出原先生、豊田先生、彩藤先生、梅澤先生。入学者数は最終的に目標通りになりそうということで安心。学長主宰コンペなどゴルフの話題。、、、。17時からは、産官学で構成する社団法人・ネットワーク多摩の総会後の懇親会に出席。「産官学の連携組織である「社団法人 学術・文化・産業ネットワーク多摩」は、広く市民も巻き込みながら、多摩地域の活性化のために事業を創造し、それを遂行する活動を進化させます。大学を核として連携に加わる各団体がそのもてる力を結集して21世紀の多摩地域のあるべき姿を描きます。そして実現への先導役を担います。我々の一連の事業活動は先駆的なものであり、首都圏はいうにおよばず、日本全地域を主役にした21世紀ビジョンが作り出されるモデルケースになることをめざしています。」官の多摩市の後藤副市長とご挨拶。以下、新たに名刺交換し歓談した方々。産の東京コカ・コーラボトリングの町田営業所の中園所長、岡本課長。学では、嘉悦大学の学生センターの菅野次長、事務本部の長山さん。東京工科大学事務局の宮腰参与。白百合女子大キャリア支援課の山田課長。帝京大学の沖永理事長。嘉悦の長山さんは、お父さんが宮城県庁勤務で、私の最初の行政委員であった宮城県行政改革委員会でお世話になった方だったのは奇遇。自宅は泉パークタウンの寺岡だそうだ。帝京大学の沖永理事長とは、大学運営の話題。「現代の志塾」にも賛同いただく。ソーシャルビジネス、産業循環、、、、。東京工科大学の宮越参与とは初対面だったが、最後の締めの挨拶で私の名前を出したので驚いた。このブログのファンだった。情報源として活用しているとのことで嬉しかった。宮越さん、読んでいたらぜひコメントを!---------------------合田周平「中村天風と「六然訓」(PHP新書)先日、大仏次郎賞のパーティでお会いした合田周平先生から著書が届いたので読了。「中村天風と「六然訓」(PHP新書)。思想家・中村天風(1876-1968年)の弟子である合田周平(1932年生まれ)が書いた天風論。頭山満の書生、済々黌生を刺殺(正当防衛)、軍事探偵として「人斬り天風」、コサックの銃殺から間一髪で救出される、結核を治すためにアメリカへ、イギリスでは大女優の家に居候、帰国途中で出会ったインドのヨガ聖人に弟子入りしそのまま修行。中国で孫文の革命に参画。帰国後、銀行頭取などで活躍。43歳、感じるところあり身分と財産を処分。天風会を創設。政財界の実力者が多く入会。主治医は北里柴三郎。92歳死去。経歴を見ると実に興味深い人物だ。六然訓:超然任天 悠然楽道 厳然自粛 藹然接人 毅然持節 泰然処難「聴松堂語鏡」(明の崔銑著)の六然訓と少し違うが、、。自処超然 人処藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然以下、天風の言葉から。 人生も国家の命運も、最終的には個人の根底に流れる精神力による決断力と行動力に委ねられる。 陽気の発する処、金石また透る 「肛門を締める」につれて両肩の力を抜き、静かに息を吐く動作から始まる。 ザックリと人生を捉えよ 一芸とは一つの芸事のみを指すのではなく、それに打ち込むことで、「心の修行」に励み、悟りの境地に到達するという意味なのだ。
2012/03/03
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徳島の阿波人形浄瑠璃は国の重要無形民俗文化財に指定されている。平安時代の大道芸「あやつり人形」が、鎌倉時代の語り物である浄瑠璃と三味線と結びついて「人形芝居」となり、しだいに人形遣い・語り手・三味線弾きが一体となった現在の人形浄瑠璃の形を整えていった。この人形芝居は、淡路島で開花し、阿波の国守となった蜂須賀公が奨励し徳島で盛んになち、全国に広がっていく。17世紀後半に、近松門左衛門の名作と竹本義太夫の三味線と出会い、時代物(武士の話)や世話物(庶民の悲劇)など芸術性が高まり、総合芸術としての人形浄瑠璃になっていく。阿波の人形浄瑠璃は小屋掛け興業形式であったので、明治中期には徳島県内だけで70を超す座敷ができている。農山村では人形浄瑠璃を迎えるために上演舞台をつくった。その数は250棟にも及に対象牧まで隆盛を極める。昭和初期に入って映画の流行とともい衰退するが、戦後復興の気運が出て、1999年に国の重要無形文化財に指定されるに至る。徳島のお家騒動の物語である人形浄瑠璃の名作「傾城阿波の鳴門」のモデルとなった十郎兵衛の屋敷が「阿波十郎兵衛屋敷」である。f:id:k-hisatune:20120226121637j:image本物の十郎兵衛は、坂東十郎兵衛だ。藍商を営む庄屋の家に生まれた十郎兵衛は、25歳で妻・お弓をめとる。闊達で任侠に富み、人望があった。33歳の時に他国米積入川口裁判改め役という重職を仰せ付けられる。税関長にあたる役柄だ。阿波藩は、全国一の藍作と少量の麦作と製塩が三大産業であり、米の生産が少なかったため、藩外からの輸入が必要だった。しかし幕府が他国米輸入禁止をしたので、米の密輸入が必要となった。九州肥後米を密輸入していたが、肥後米一俵と阿波の一俵の差が三升二合あり、これを「洩れ米」として船頭が懐に入れていた。輸送の途中で肥後米が消失したことがきっかけで船頭を調査したところ、不正が明らかになった。しかし、藩の密輸入が表沙汰になるのを防ぐため、十郎兵衛善後措置を講じたがうまくいかずに表沙汰となってしまったため、幕府の探索が厳しくなった阿波藩は、罪状を明らかにせずに十郎兵衛を刑に処してしまう。このとき53歳の十郎兵衛は口をつぐんで観念した。犠牲者であったが、藩の礎石ともなった。実在の十郎兵衛は悲劇の主人公として徳島では同情された。
2012/03/02
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大学で丸一日「ティーチイン」」と呼ばれている会議。多摩大では伝統的に教職員が一緒になって共通の課題を検討する日を設けてきた。今年は本日と12日の2日にわたって行われる。総勢50人ほどが参集。 学部中期計画案の説明、来年度の学部運営の考え方と委員会メンバーの発表。(ここは私が担当) 教員と職員で構成することになった各委員会ごとに最初のチームビルディング。課題の確認と来年度スケジュールをつめる。12日に発表。16日の教授会で確定。 「ゼミの多摩大」の方針に向って、一年次のゼミのあり方の議論。この結論を明日の教授会にかける。2012年度からの3か年の学部中期計画を職員に説明する初めての機会であったので、やや詳しく説明した。進むべき方向、具体的な目標、、、など全員が明確にイメージできただろうか。来年度の学部運営については、「教授会は方針、委員会は方策」「教職員で構成する委員会中心体制」「課題解決型・問題解決型委員会」「「スケジュール重視」「厚い執行部」、、など、組織的に仕事をしていくことを念頭に置いた運営を目指すことになる。3月から実質的に新しい体制がバトンを受け取りながら走り始めることになり、この一か月間の助走を経て4月からは全力疾走。--------------------本日読了した教育者・森信三(1896年生まれ)のベストセラー「修身教授録」の抄録「運命を創る」(致知出版社)に参考になることが書いてあった。孔子の「吾れ十有五にして学に志す」の「学」とは、大学の道に志すという意味である。大学の道とは、わが身を修めることを中心としつつ、ついには天下国家をも治めるに至る人間の歩む道のことだそうだ。それを体現した二宮尊徳は、午前一時、二時に起きて夜明けまでの数時間を読書と著述にあて、その結果生涯の著述は全集36巻を数える。これは日本人の全集の中で最大だろう。「雑務と思うから雑務となる」「拙速主義」「下座行」(実力以下の地位にありながら真面目にその仕事に精励する態度)、、。
2012/03/01
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