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31日が日曜日の礼拝で今年を終わる幸いを感謝しています。年末最終日に礼拝できることは恵みです。一年間はちょうどカーテンがきちっと閉められるようなものです。一年の締めくくりに感謝の礼拝をささげ、明日は元旦礼拝です。生駒聖書学院チャペルで朝11時から礼拝があります。ぜひお出かけください。元旦に全能の愛なる神様のまえで、イエス・キリストの名によって祈ったことはかなえられます。昨年は二人の女性が結婚をとの願いで祈り、二人とも今年結婚式でした。感謝します。 一年に感謝を込めて 詩篇103篇1-5節 健康方程式 H=O+S+T;H=健康(health)O=酸素(oxygen)S=究食(simplified meals =簡素な食事) T=感謝(thanks)•* 究食(造語)=朝は「休食」 昼は求職 夜は球食朝は野菜ジュースなどの液体。昼は炭水化物中心の食事。夜は炭水化物を取らず、球状、つまり大豆食品を主食(豆腐や納豆)に。 最大の健康法はT=感謝、愚痴や不満の多い人には会うな。ゆったりニコニコ過ごそう。それが究極の健康法(元救急医井上敬さん、33歳の提唱するいっぷう変わった健康法です) かぜならば最大の予防法はウイルス感染しないようマスクをしたり、風邪を引いている人を避けること。 愚痴の多い人に接するとネガティブな感情が言語感染する。その結果、免疫力も下がってします。愚痴や泣き言の多い人と会うと、後でドッと疲れてします。相手の愚痴や不平不満に相づちを打つと、ますます免疫力が低下してしまう。不平不満や悪口噂話文句に変わり、ゆったりニコニコ笑って明るく過ごし、感謝し続けると健康は増進する。(25日毎日新聞朝刊より) 大掃除をしよう。 捨てる=ガラクタを整理してしまおう。愛してもいないスキでもない物を邪魔物だと思いながら、長年持ち続けることはプラスにならないばかりかストレスになり、身体にも心にもよくないことです。 不自然な感じがするもの、不快感を与えるようなもの。悲しくなる、気が重くなる感じ、嫌な思い出につながる。雰囲気に合わない。汚く感じる、古くなりすぎたものや必要でないもの。 肯定できるものとは?それを見ると楽しくなる。ふつふつと幸福感が湧いてくる。それを見ると元気が出る。人生の励みになる。その色や形がここと良く、部屋にシッカリなじんでいる。あると便利。自分の人生に必要だと思う(使い勝っての良い机やペンなど) 気持ちの大掃除をしてみよう。不平不満や愚痴、泣き言や悪口そして文句を捨ててしまおう。30年前に思い切ってすべてのマイナスことばを捨て、マイナスの感情も捨て続けました。「自分が口にすることばは、言えば言うだけそれを言いたくなるような現象を引き起こします」 最高のポジティブなことばは聖書のことばです。毎日のデボーションで聖書のことばを口癖にするようにしてみましょう。 特に、新年度は詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 聖書の約束を試してみる価値があると思います。今年もブログを訪れていただきありがとうございました。一年の恵みに感謝をこめ、新しい年も希望と輝きのすばらしい幸せな日々でありますように!祝福を祈ります。ありがとうございました。感謝します。
2006/12/31
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25歳のとき牧師でした。とはいっても駆け出しで、礼拝に集うのは中学生と高校生が数人、70代の夫人が二人くらいでした。 サポートもなく自給自立の開拓伝道で、教団や回りからのサポートもなく、家族からの支援も協力もない、全くゼロ(とは言っても古い家があり十畳一間の礼拝場=住まいがあった)と言っても言い状態からのスタートでした。 空の鳥を見よ。野の花を見よ。蒔かず刈らず倉に納めず、それなのに天の父は彼らを養ってくださる。それならあなたがたにそれ以上良くして下さらないはずがあろうか。何も心配するな。思い煩いや心配をしないで、まず神の国と神に義を第一にしなさい。そうすれば必要な物は豊かに与えるから。明日のことを思い煩わなくていいよ。一日の苦労はその日その日だから。日ごとの糧は毎日与えるからと、イエス様の約束を信じての開拓伝道でした。 心配してもお金が天から降って来るわけでもありません。心配しないですべてのことに感謝しなさいと聖書は教えています。すべてのことに感謝!ありがとうございます。 そんな中で本のセールスの仕事をしました。毎日梅田まで通勤し、カバンいっぱいに本(写真本やグラビア月刊誌、絵本など)を持って大阪市内や府下全域、時には関西一円を飛び込み訪問で売り歩くのです。断られる断られる、邪魔者扱いされる、追い出されるなどろいろとありました。 しかし、不思議なもので喜んで迎えてくれる人や、こんな写真本が欲しかったと言う人。子どもにちょうどふさわしいと喜んでシリーズで注文してくれる方。何も話さなくても、何冊も注文してくれる社長さん・・・・いろいろな出会いでした。日給月給で売り上げがなければ収入もなし。たくさん売れば収入も増える。月曜から金曜まで働き、土曜と日曜に教会をするという生活でした。 話しべたで赤面恐怖症でした。牧師は人数が少なかろうが多かろうが必ず説教をします。週に3回同じ顔ぶれに語りますから、説教の準備だけでも大変です。同じ話をすることはあってもいろいろと例話を変えたりしないといけません。私の説教の中心は、真の神は愛であり、イエス・キリストの十字架の上にその愛は現され、罪と汚れに染まった人間のすべての罪や呪い、病や貧しさを身代わりに背負い死なれ、神ご自身であったので3日目に死に打ち勝ち復活され、復活によって死と滅びから信じる者を解放し、永遠の天国へ救いいれてくださった。そのことを聖書に書かれているとおり、「アーメン。信じます」と言えば救われ、すべての罪が赦され、神の子となり、永遠の命が与えられるのです。そしてバプテスマ(洗礼)を受けるとき、クリスチャンとして正しく健やかに祝福と繁栄の道を天国に行くまで守られると言う約束です。 アーメンと信じるだけで、すばらしい平安と幸せな日々を生きることができる!これにまさる奇跡はないと毎日感謝しながら生きる幸いはありません。 その救われた喜びを感謝しながら働く幸い。ありがたいですね。すべてのことに感謝しなさいは、ムリな要求ではありません。思い切ってすべてのことに感謝し、ありがとうございますと受け止めるとき、奇跡は起こり奇跡は続きます。 理髪店に行った時、奥様が刺繍をしていました。裏側だったので糸がいっぱいでした、ひっくり返して表を見せてくれました。美しい風景画織り出されていました。その刺繍を見たときから、「すべてのことに感謝しなさい」との聖書のことばが実体験になりました。 人生にはどうしようもない裏側がたくさんあります。裏側を見つめるときうめきや悲しみ、のろいやたたりとさえ思えることもたくさんあり、どうして???、なんで???、なぜ???と問い続けます。答えはありません。原因を探します。見つかりません。 聖書は?ではなく!(ビックリマーク)の答えを与えてくれます。もう40年も前になりますが、刺繍を見た瞬間から十字架による救いと復活のいのちの喜びを体験し続けています。聖書のことばが心に響きました。「あなたに対して抱いている計画はわたしが知っている。-主の御告げーそれはわざわいではなくて平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与えるものである。エレミヤ29:11 その日から、「永遠の肯定」の人生を感謝しつつ歩き続けています。そんなに簡単なものじゃないと反論されます。しかし、神のことばは生きていて力があります。神のことばに純粋にアーメンと応答するとき、刺繍の裏を表にするような奇跡が起こります。その応答のことばが、アーメン。感謝します。ありがとうございますです。思い切って自分の現状を肯定し正面から受け止めて、なぜ?なんで?どうして?の?を捨てて(?は裏側ばかり見ている証拠です)、感謝します!ありがとう!ありがとうございます!(!は表側を神の愛の目で見させていただくことです)、主ほめよ!と神を賛美してください。毎日、毎日感謝!感謝!ありがとう!ありがとうございます! 不平不満や愚痴、のろいのことばを捨ててください。年末です。大掃除をする家もあるでしょうし、着る着物を新しくする方のあるでしょう。新しい年を迎える前に、心の大掃除をしてみてください。イエス・キリストの十字架と復活により、心のごみをきれいさっぱり捨ててみませんか。 感謝にあふれて、ありがとうと2006年を送り、感謝にあふれて、ありがとうと2007年をお迎えください。2007年が!!!の連続の感謝にあふれた日々でありますようお祈りします。詩篇51:3 私は、自分がどんな恥ずべきことをしたか、よく存じております。 そのことで夜も昼も責めさいなまれているのです。 51:4 私はあなたに、ただあなたに罪を犯し、この恐ろしいことをしでかしました。 一部始終をご存じの神様が下す判決に、誤りはございません。 51:5 しかし、私は生まれながらの罪人なのです。 母が私をみごもった時から、罪人でした。 51:6 神様をお喜ばせするものは、徹底した正直さだけです。 ああ、そのことを私に心底わからせてください。 51:7 汚れをきよめる血を振りかけてください。 再び身も心もきれいになれるように、私を洗ってください。 雪よりも白くなりたいのです。 51:8 罰は受けます。 でもそののち、喜びを取り戻させてください。 51:9 どうか、いつまでもこの罪を見すえないで、視界から消し去ってください。 51:10 ああ神様。 どうか、きよい思いと正しい願いでいっぱいの、新しいきれいな心にしてください。 51:11 私を見限って、永久に御前から追放しないでください。 聖霊を私から取り上げないでください。 51:12 救いの喜びを再びあざやかにして、心から神様に従おうとする思いに満たしてください。 51:13 そうすれば、私のように罪深いほかの人間にも、神様の道を教えてやります。 きっと悔い改めて、神様に立ち返ることでしょう。 51:14 -15ああ神様。 頼みの綱はあなただけですから、どうか死刑の宣告を下さないでください。 助けてさえいただければ、私の舌はゆるみ、神様の赦しを高らかに歌いだすでしょう。 ああ、どれほど神様をほめたたえますことか。
2006/12/30
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日本語の聖書は約1900ページ。聖書は旧約1439章+新約461章=1176章あります。39章読めば一ヶ月出読了。毎日24章読めば年間8回読める。毎日10ページで年2回読了。毎日3章読むと一年間で読み終わります。 聖書には、口語訳や新共同訳、新改訳などあります。私は通常新改訳を使っています。リビングバイブル訳は、自分の子どもが分かりやすく聖書を読めるように訳した聖書です。どの書店でも置いてあります。また注文すると取り寄せてくれます。大きい字や小さい字など、たくさんの種類があります。ぜひ新しい年、聖書をお読みください。 聖書は真の神のことば、生きていて力があります。聖書のことばを読むと幸せになります。書かれている聖書のことばを、「アーメン。信じます。ありがとうございます。そのとおりになりました(過去完了が一番良い)。感謝します」と、告白するだけで不思議なことが実際に起こります。そのようなクリスチャンとして毎年、祝福に包まれて平安で過ごしています。 今年はヤベツの祈りを毎日祈り告白しました。私を大いに祝福してください。私の地境を広げてください。御手が私とともにあってください。わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください。(聖書歴代誌第一4:9-10) そのような祝福に包まれた一年でした。感謝します。ありがとうございます。と感謝し続けています。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。
2006/12/29
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あっという間に一年が過ぎた感がします。目まぐるしい世相。明るいニュースよりも暗く悲しい事件の連続。今年もあと3日・・・・。 一年の終わりに感謝についてのみことばを引用してみたい。テサロニケ人への手紙第一 5:18 どんなことがあっても、感謝を忘れないように。 これこそ、神様が、キリスト・イエスに属するあなたがたに、望んでおられることだからです。コロサイ人への手紙3:14 何よりも大切なことは、愛にあふれて生きることです。 そうすれば、教会全体が、完全な調和を保てるのです。 3:15 キリスト様からくる平安が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。 そうすることが、キリスト様の体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。 また、いつも感謝していなさい。 3:16 キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。 知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛美歌と霊の歌を、主に向かって高らかに歌いなさい。 3:17 何をするにも、何を語るにも、主イエス様の代理人として行動し、主イエス様と共に、父なる神の前に出て、心から感謝しなさい。コリント人への第二の手紙4:15 こんな苦しみに甘んじているのも、あなたがたのためを思うからです。 キリスト様に導かれる人が増えれば増えるほど、その大きな恵みを感謝する気持ちがますます満ちあふれ、主の栄光がますます明らかになるのです。 ローマ人への手紙8:28 そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。詩篇103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。 103:6 神様は、不当に扱われている者を公平にさばかれます。 103:7 神様はご自分の本性と、これからなそうとすることを、モーセおよびイスラエル国民に知らされました。 103:8 神様は、虫けら同然の者をあわれみ、やさしくいたわってくださいます。 また、短気を起こさず、恵みと愛に満ち、 103:9 いつまでも根に持ったりはなさいません。 103:10 罪の深さに比例して罰を下されるわけでもありません。 103:11 神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくださいます。 103:12 神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ捨ててくださいました。 103:13 神様は、恐れかしこむ者に対しては、父親のようにやさしい思いやりを示してくださいます。 103:14 というのも、私たちが土くれにすぎず、 103:15 また草花のようにはかなく、 103:16 風に吹き飛ばされて消える存在であることを、知っておられるからです。 103:17 -18しかし、神様は、ご自分を信じる人をいついつまでも恵み、神様との契約を忠実に守り従う人を、子々孫々に至るまでお救いになります。 103:19 神様は天に御座をすえ、すべてのものを支配なさいます。 103:20 神様の命令を一つとして聞きもらさず、すぐ実行に移す御使いたちよ、神様をほめたたえなさい。 103:21 四六時中、神様に仕える天使の軍団よ、ほめたたえなさい。 103:22 万物が声を合わせて、賛美しますように。 私も力いっぱいにほめ歌います。 すばらしい年末の日々を祈ります。
2006/12/28
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今年、流行のことばに「ありがとう」があります。いろんな書物でありがとうのことばに接しました。五日市剛さんや野坂礼子さん、そのほか多くの方々がありがとうと言うことばの恵みを書いています。 25歳のとき開拓伝道で厳しい苦労の中でした。教会の礼拝は中学生や収入のない方が数人。献金はほとんどなく、アルバイトで教会の働きをやっと継続している状態でした。朝5時から教会案内のチラシを配り、月曜日は聖書学院で講義し、それ以外の日は大阪市北区梅田まで通勤。 そんなとき、いつもの理髪店で奥様がやっていた刺繍を見た。最初に見たときは裏側だったが、表側を見せてくれた。裏を見たときは多くのきれいな糸が出て何かよく分からなかった。表を見ると美しい風景画だった。 人生も同じようなものですね。人生にはどうしようもない裏側のような辛さやマイナス、様々なトラウマもあります。原因を追究すればするほど分けがわからなくなり、不平不満や泣き言、悩みや苦しみだけを語るのが上手になってしまいます。 刺繍を見た25歳のときから、人生のすべてを肯定することが出来、イエス・キリストの十字架の祝福を豊かに体験し続けています。十字架によりすべての罪や病、のろいや貧乏、死や滅びから救い出されました。復活したキリストは聖霊により心の中に住んでくださいます。 十字架はプラスのしるし。単なるプラスだけではなく神の愛に根ざしたプラス。聖書のことばが心に響いた。エレミヤ29:11 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」 その日以来、自己限定したりトラウマにとらえられたり、プレッシャーやストレスに縛られなず何が起ころうとも、聖書の約束どおり「すべてのことに感謝する」時、すべてのことが神の摂理の中で起こっていることを確信できるようになった。 まさしく神のことばは生きていて力があり、その約束のことばをアーメンと素直に信じて告白するなら、そのすべてが相働いて益になることを様々な出来事を通して体験しました。 ありがとうございます。感謝します。と神さまに感謝するとき不思議なことが起こります。現実に感謝できないことが起こっても、すべてのことに感謝します!と言い切ることが大切です。 感謝の思いや気持ちが歩かないかを問わないで、ただそのことばを口にし続けることです。3000回言えば奇跡が起こるとか、年齢×10000回で奇跡が起こるとか、いろんな例を挙げて書いている本もあります。 いずれにしろあるがままを感謝できれば、幸せな人生になることは間違いありません。 年末を大きな感謝とありがとうで閉め、新しい年もありがとう!感謝しますで迎えたいものです。祝福を祈ります。詩篇 103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。 103:6 神様は、不当に扱われている者を公平にさばかれます。 103:7 神様はご自分の本性と、これからなそうとすることを、モーセおよびイスラエル国民に知らされました。 103:8 神様は、虫けら同然の者をあわれみ、やさしくいたわってくださいます。 また、短気を起こさず、恵みと愛に満ち、 103:9 いつまでも根に持ったりはなさいません。 103:10 罪の深さに比例して罰を下されるわけでもありません。 103:11 神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくださいます。 103:12 神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ捨ててくださいました。 103:13 神様は、恐れかしこむ者に対しては、父親のようにやさしい思いやりを示してくださいます。
2006/12/27
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毎日新聞ニュースインサイド(25日朝刊)に、年始年末は健康方程式という記事。 愚痴や不満の多い人に会うなと、ショッキングな大活字。ゆったりニコニコ過ごそう!と続く。 元救急医・井上敬さんが救急医として1万人の患者の接し、約100人の死を経験し、いっぷう変わった健康法を提唱している。「不満の多い人への会うな!」だそうです。 なぜ「不満の多い人に会うな」が究極の健康法かと言うと、風邪ならウイルスに感染しないようにマスクをしたり、風邪を引いている人を避けることができます。 しかし、不満や愚痴の多い人と会話するとネガティブな感情が言語感染する。その結果、免疫力も下がってしまうという。実験で証明されてはいないが、愚痴っぽい人と会うと、後でドッと疲れるでしょう?と井上さんは語る。 健康方程式とは?H=O+S+T。 Hは健康(health),Oは酸素(oxygen),Sは究食(simplified meals),Tは(感謝thanks) 酸素を十分に取り入れ、食事内容に気をつけ、感謝する心を持てば健康になれるということです。そしてニコニコゆったり過ごすことが究極の健康法だと一面を使って書かれていました。 36日間不平不満や愚痴を言わないで、ありがとう!感謝しますと年内を過ごそうと、11月末の説教で語りました。今年も後5日、感謝にあふれて新しい年を迎えたいものです。 試すも試さないも自分次第ですが、年末はニコニコと笑顔で周囲に感謝し、07年を迎えたいものです。 生駒聖書学院教会、富雄キリスト教会、東大阪エリムキリスト教会では、31日(日)午前10時より06年感謝礼拝。07年1月1日には、生駒聖書学院教会で午前11時より元旦礼拝があります。元旦礼拝では参加者全員の祝福を牧師がお一人お一人のためにお祈りします。ぜひお出かけください。ピリピ人への手紙 4:4 いつも、主にあって喜びに満たされていなさい。 もう一度言います。 喜びなさい。 4:5 自己中心的でなく、思いやりにあふれていることを、だれからも認められますように。 主がもうすぐ来られると、いつも意識していなさい。 4:6 何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。 4:7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。 4:8 さて、皆さん、筆をおく前に、もう一つ申し上げたいことがあります。 真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。 きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他人の長所に目をとめなさい。 神様を喜び、賛美することばかりを考えなさい。 4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。1日には午前11時より元旦礼拝があります。
2006/12/26
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今朝はブログ記入が間に合わないほどの電話や洗礼式などで、クリスマスの挨拶だけでした。昼からも大阪エリムへ出かけますが、すごいクリスマス・プレゼントが届きました。 礼拝のときクリスマスって何?と質問したら、4才の女の子が元気よくプレゼント!と答え、教会の皆に微笑が広がりました。 ほんとうにそのとおりです。クリスマスは神がそのひとり子を全人類にプレゼントしてくださった愛の日なのです。贈り物はありがとうと気持ちよく受取ってもらえればいいのです。受取る側も素直にありがとうと受取ればいいのです。 受けるよりも与える方が幸いです。同時に受取る幸いもあります。クリスマスはその大きな贈り物を受取った人たちが、惜しみなく与えるときでもあるんですね。 今朝、メールの中にビッグプレゼントが入っていました。ラジオ放送でも礼拝案内をしている大阪エリムはレンタルチャーチです。 オーナーから来年3月より10年間、家賃なしの無償提供の連絡でした!もうビックリの感動です。約70坪の教会堂です。説教壇も会堂のイスもピアノも、室内の空調からPAシステム、教会の看板や屋根の15メートルの十字架のネオンまで、すべてお借りしています。教会の正面は1千万円するステンドグラスが輝いています。 多額の家賃を払いつつの10年間でしたが、07年度より10年間無償で使わせてもらうことになりました。オーナーの事業の繁栄意を心から祈ります。ぜひお近くの方、また新世界に遊びに来る機会がある方、新世界の名物串焼きだけでなく、神のことばを日曜の礼拝で味わってください。 場所は、大阪市浪速区恵美須西3-2-4 栄光キリストビル2階です。JR新今宮、御堂筋線地下鉄動物園前、堺筋線えびす町駅、南海新今宮、阪堺線新今宮またはえびす町、どの駅からもすぐ近くです。フェスティバルゲイトの西側になります。日曜日午後2時と水曜日夜7時だけ開いているキリスト教会です。看板はELIMキリスト教会と提示しています。コリント人への手紙第一 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。 その義は永遠にとどまる。」 と書いてあるとおりです。 9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。 9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。 9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。 9:15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2006/12/25
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クリスマスおめでとうございます。幸いなことよ。・・・・・ まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。(詩篇1:1-3) みことばに信頼し聖霊に満たされる幸せを祈ります。榮義之
2006/12/25
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クリスマスイブを迎えます。例年はイエス様のお生まれをキャンドルサービスで祝います。今年は日曜日と重なり、堺エリムの礼拝だけがイブになりました。奈良市、生駒市、大阪市、東大阪市は礼拝とクリスマス祝い会。今日は4箇所を駆け足で動くクリスマスです。 昨日は70歳のご婦人(ラジオ放送とテレフォンメッセージを欠かすことなく20年以上聞き続けている)と、33歳の男性が生駒聖書学院でバプテスマを受け、クリスマスを境にクリスチャンとしての歩みを始めました。新しい年に向って大きな飛躍だと喜んでいました。で感謝します。 「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16)と、イエス・キリストのご命令です。アーメンと言えば救われます。クリスマスに生まれ33歳で十字架に命を捨てられたイエス・キリストは全人類の罪を背負われました。その十字架の贖いにより、全世界は救われたのです。今、そのことを認めアーメン、信じますと言えばすばらしい奇跡が心の中に起こります。 今年でクリスチャンになり49回のクリスマスを迎えます。朝ごとの新しい恵みをいただきながら、ありがとうございます、感謝しますと喜びの日々です。ハレルヤ。キャンディケーンとは、クリスマスツリーのオーナメントなどでよく見かける、杖の形をしたキャンディのこと。18世紀後半頃、ドイツのクリスマスでは、羊飼いの杖の形に曲げた白いキャンディが食べられていたが、これを20世紀初めにアメリカのインディアナ州のキャンディ業者がイエス・キリストをイメージして現在のような形にしたといわれている。キャンディの白色は純潔さを、赤い線は十字架で流した血の色を、緑の線はイエスが「神から人々への贈物」であることを表わしている。 ルカの福音書 2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。 2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。 2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。 2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。 2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、 2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2006/12/24
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ツリーのトップスター クリスマスツリーのてっぺんには、ひときわ大きな星が飾られています。これは、東方の賢者達を幼子イエス へと導いた星をあらわしています。 大きな星の出現に新しい王の誕生のしるしを見た東方の博士たちは、はるばるエルサレムを目指しました。 ヘロデ王は聖書学者を呼び、星について聖書に書かれている所を調べました。聖書には救い主誕生のとき、星が現れると書かれています。 民数記に、「いつか、ずっと先のことですが、イスラエルから一つの星が輝き出ます」と書かれています。 またミカ書には、ベツレヘムの村に救い主が誕生することが、500年前に預言されていました。 大きな星はベツレヘムの上に輝き、東方の博士たちは救い主イエス様の前にひれ伏し、黄金、乳香、没薬などの贈り物をささげました。 現代の星は、クリスチャンたちが輝くとき、人々をキリストに導く星となることが出来ます。ピリピ人への手紙2:14-16、何事においても、不平を言ったり、理屈をこねてはいけません。 だれからも非難されないためです。 心の曲がった頑固な人がひしめいている暗い世の中で、あなたがたは、神様の子供として、汚れのない、きよらかな生活を送らなければなりません。 世の人々の間で、いのちのことばを高く掲げ、星のように輝きなさい。マタイの福音書2:1 イエスはヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムの町でお生まれになりました。 そのころ、天文学者たちが、東の国からはるばるエルサレムへやって来て、こう尋ねました。 2:2 「このたびお生まれになったユダヤ人の王様は、どこにおられますか。 私たちは、その方の星をはるか東の国で見たので、その方を拝むために参ったのです。」 2:3 それを聞いたヘロデ大王は、ひどくうろたえ、エルサレム中がその噂でもちきりになりました。 2:4 大王はさっそくユダヤ人の宗教的指導者たちを召集し、「預言者どもは、メシヤ(救い主)がどこで生まれると告げているのか」と尋ねました。 2:5 彼らは答えました。 「ユダヤのベツレヘムです。 預言者ミカがこう書いております。 2:6 『小さな町ベツレヘムよ。 おまえはユダヤの中でも決して ただのつまらない町ではない。 おまえから偉大な支配者が出て、 わたしの国民イスラエルを 治めるようになるからだ。』」 2:7 それでヘロデは、ひそかに天文学者たちを呼びにやり、例の星が初めて現われた正確な時刻を聞き出しました。 2:8 そして彼らに、「さあ、ベツレヘムへ行って、その子を捜すがいい。 見つかったら、必ず知らせてくれ。 わしも、ぜひその方を拝みに行きたいから」と命じました。 2:9 彼らがさっそく出発すると、なんと、あの星がまた現われて、彼らをベツレヘムに案内し、とある家の上にとどまったではありませんか。 2:10 それを見た彼らは、躍り上がって喜びました。 2:11 その家に入ると、幼子と母マリヤがおられました。 彼らはひれ伏して、その幼子を拝みました。 そして、宝の箱を開け、金と乳香(香料の一種)と没薬(天然ゴムの樹脂で、古代の貴重な防腐剤)を贈り物としてささげました。
2006/12/23
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町を歩いているときれいなイルミネーションが輝いている。クリスマスとイルミネーションは、イエス・キリストの誕生が暗闇の世界を照らす光であったことのシンボルです。ヨハネの福音書に「この方(イエス・キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(ヨハネ1:4-5)とあります。 また、「わたしは世の光です。わたしに従って来る者は闇の中を歩かないで命の光を持ちます」「あなたがたは世の光です。あなたがたの光を闇の中に輝かせなさい」とも言われました。 ところでなぜクリスマス・ツリーは? クリスマス・ツリーは、一般的に樅の木を使いますよ。でも樅の木は、聖書には登場しません。クリスマス・ツリーはドイツで始まりました。昔、ドイツでは樫の木を神として崇拝し、幼児犠牲がその礼拝の特徴でした。その偶像の愚かさをボニファティウス宣教師は語りましたが、長年の偶像崇拝の習慣は変わりません。 宣教師は思い切ってその偶像として祭られている大木を切り倒すことにしました。村人は今にもたたりが来ると恐れましたが、木が倒れても何も起こりません。その切り倒された木の中から緑のもみの木が生え出たと伝えられています。 また宗教改革者のマルチン・ルターがイブの礼拝の帰りに、森の木々の間に美しく輝く星を見ました。彼はその美しさを子どもたちにも見せたくて、そのことがクリスマス・ツリーを家に飾る習慣となったとも伝えられています。 クリスマス・ツリーはドイツがはじまりで、樅の木を使うようになったのは、凍てつく空気に覆われたドイツの冬の森の中、樅の木だけは緑を絶やさずいきいきとしています。その十字架のように広がった枝の形から「聖なる緑の木」といわれるようになり、冬になっても葉を落とさないことから「永遠の命の象徴」とされて、クリスマスで広く使われるようになりました。さて、柊や樅の木の緑といえば、クリスマスの色。他に赤と白を加えた3色が、クリスマス・カラーとして使われています。この3色にもそれぞれ意味があり、赤は愛(キリストの血)、緑は永遠の命、そして白は純粋さを表しているのだとか。そう考えると、クリスマス・カラーって素敵な組み合わせだと思いませんか? 12月25日が特別な日!世界中に神の愛がイエス・キリストの光とともに、世界中に広がることを祈ります。 すばらしいクリスマスをお迎えください。ルカの福音書 2:1 そのころ、皇帝アウグストが全ローマ帝国の住民登録をせよと命じました。 2:2 これは、クレニオがシリヤの総督だった時に行なわれた、最初の住民登録でした。 2:3 登録のため、国中の人がそれぞれ先祖の故郷へ帰りました。 2:4 ヨセフは王家の血筋だったので、ガリラヤ地方のナザレから、ダビデ王の出身地ユダヤのベツレヘムまで行かなければなりません。 2:5 婚約者のマリヤも連れて行きましたが、この時にはもう、マリヤのお腹は目立つほどになっていました。 2:6 ベツレヘムにいる間に、 2:7 マリヤは初めての子を産みました。男の子でした。 彼女はその子を布でくるみ、飼葉おけに寝かせました。 宿屋が満員で、泊めてもらえなかったからです。 スポンサードリンク
2006/12/22
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昨夜の大阪集会からの帰りケイタイが鳴ったが、高速走行中で家に帰ってから事情が分かった。 生駒聖書学院に熊本県から入学し、一年で学院を辞めそのまま奈良市に残り、富雄キリスト教会の礼拝に「出席していた緒方献ニ兄が召されたとの知らせでした。学院を辞めてからは大工仕事や警備員として働いていたが、仕事の関係で日曜日の礼拝出席もままならない状態だった。 今年、熊本の母親が亡くなり気落ちし、体調も崩していたが昭和17年生まれだからまだ64歳だ。弟さんが九州から奈良にまだ着いていないので、具体的な打ち合わせはそれからになるので待機している。 本人がキリスト教会で葬式をとの遺言を残しているので、今日と明日は葬儀の準備と実際の2日間になる。 苦労の多い人生だったが、イエス・キリストを信じてクリスチャンとなり、試練を乗り越えて人生を終えた兄弟は、今は愛する主とともに天国で平安と幸いに中にあることを感謝します。 黙示録14:12 神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。 14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」 黙示録21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
2006/12/21
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ゆとりの一万歩!と決め、歩き始めて3年と2ヶ月が過ぎ、娘に言いすぎないように、書き過ぎないようにと忠告をうけた。 8年前に左脳内出血で倒れ、イエス様の恵みで完全にいやされ、元気に歩き続けている。中学生のときは片道9キロを休まずに通い続けた。生駒聖書学院内に住まいもあり、移動は自動車を使うので、意識して歩かないと一日3000歩がせいぜいの日々だった。 毎週土曜日は生駒山(640m)に上った時期もあったが、毎日というわけにはいかず、思い切って毎日ゆとりの1万歩!と決めて歩き続けている。 雨の日も猛暑の夏も、寒風と雪の降る日も、出かける先々でも毎朝歩いている。アフリカの大地やサバンナの地。種子島の海岸。ときにはホテルの中や新幹線車中を一度だけ歩いたことがある。家内は心配して60歳過ぎたら週3日だけで言いと思うよとアドバイスされたり・・・・。 ともかく歩き続ける日々です。ピリピ人への手紙4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。 4:10 あなたがたが、また助けてくれるようになって、どんなに感謝し、また、主を賛美しているか知れません。 あなたがたはいつも、できるかぎりのものを私に送ろうと心がけていたのに、機会に恵まれなかったのです。 4:11 生活に困っていたから、こう言うのではありません。 私は、物が豊富にあろうとなかろうと、楽しく生きていくすべを学びました。 4:12 文なしの時にも、何でもそろっている時にも、どのように生活すべきか知っています。 満腹の時にも空腹の時にも、豊かな時にも貧しい時にも、どんな境遇でも満足する秘訣を身につけたのです。 4:13 なぜなら、力を与え、強めてくださるキリスト様に助けられて、私は、神様の要求を、何でも成し遂げることができるからです。 今日は、午後から歯科医へ。夜は大阪の集会で説教。
2006/12/20
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久しぶりに月曜日が何もない一日になった。とは言っても午前中には老齢のご婦人慰問、家では風呂場の回収に業者が作業中。何もない日とは縁遠い生活。その間に手紙を7通書く。 「硫黄島からの手紙」を鑑賞に50分ほど車を走らせて映画館に。アメリカのクリント・イーストウッド監督が、「父親からの星条旗」とともに製作した、アメリカから見た太平洋戦争と、日本側からの硫黄島の戦いの映画である。 「世界が忘れてはいけない島がある! 「硫黄島からの手紙(Red San, Black Sand)」も、「父親からの星条旗」両映画とも、国、友情、そして家族の絆を掘り下げるヒューマンドラマなんだ」と、クリント・イーストウッドは語っている。 1945年2月16日、アメリカ軍は硫黄島(日本軍22,000人)を空・海軍の集中砲火で3日目に上陸を開始。すぐ攻略できると思ったが、栗林忠道中将(渡辺謙)に率いられた日本軍は、40日間何の援軍も支援もないまま、矢玉尽きるまで戦い続けた記録である。 日本軍2万人、アメリカ軍6千人が戦死した、「世界が忘れたてはならない島」であると思った。 父親たちの星条旗は、アメリカの戦争意識と戦争がどれほど一人ひとりの自由と尊厳を奪い去るかをシッカリと描き、戦争を反省し、戦争が何であるかを考えさせてくれる。 硫黄島からの手紙は、戦争がどれほど悲惨であるかを描き、何としても国を守らなければならないかと最後まで戦った日本人の姿を描いていると思った。 アメリカ人は国のために国民として戦い、日本人は国のために臣民として戦ったことが、よく分かる映画だと思った。 同じくにだけれどもアメリカは国民があって国があるが、日本は天皇があって国があったので、国のためと言いながら天皇陛下万歳で臣民の姿を明確に描いている。 太平洋戦争に負けたことによって、日本は始めて国になったと言うことができる。戦争に負けて臣民から解放され、1945年8月15日以来日本人は初めて国民となったと言える。 平和憲法によって日本人が国民となったことを、私たち日本人はどれくらい理解しているだろうか? 戦争を知らない首相が始めて誕生し、憲法改正の声がさらに大きくなりつつある時代になってきた。憲法を改正したからと言って国民が臣民になるわけではないが、靖国詣でをする政治家の姿を見ると、心情的にはまだまだ臣民の心情ではないかと思ってしまう。 国民である意識をシッカリ持って、自分たちの責任と権利を果たせる日本人としての誇りを持って生きて生きたい。箴言4:20 わが子よ。私のことばをよく聞け。 私の言うことに耳を傾けよ。 4:21 それをあなたの目から離さず、 あなたの心のうちに保て。 4:22 見いだす者には、それはいのちとなり、 その全身を健やかにする。 4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。 いのちの泉はこれからわく。 4:24 偽りを言う口をあなたから取り除き、 曲がったことを言うくちびるを あなたから切り離せ。 4:25 あなたの目は前方を見つめ、 あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。 4:26 あなたの足の道筋に心を配り、 あなたのすべての道を堅く定めよ。 4:27 右にも左にもそれてはならない。 あなたの足を悪から遠ざけよ。 集中攻撃し
2006/12/19
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昨夜の礼拝で、クリスマスって何と聞いたら、半年振りに家族で参加した4才の女の子が、プレゼント!と叫んだ。すると小学3年のお兄ちゃんがスグ、サンタさん!と叫びニコニコとした顔でことばをついで、「でもほんとうはイエス様の誕生をお祝いする日やで」と、妹に教えるようにみんなにも説明してくれた。 祈りの時間に二人を抱きしめて祈った。特に妹ちゃんは半年前までは嫌がってイスの下にもぐりこんだり・・・・だったが、昨夜は抱きしめられても嬉しそうにアーメンと答えてくれた。 お兄ちゃんは4才のときから祈りが大好きで、ギュッと息が詰まるほどの抱きしめられると大喜びをしていたので、アーメンと祈ると同時に強く抱きついてきてくれる。 可愛い子どもたちもいっしょの礼拝だったので、サンタクロース誕生のお話もすることにした。 サンタクロースの誕生=聖ニコラウス伝説 4世紀頃の小アジアの、キリスト教の教父聖ニコラウスの伝説を起源とする。 「三人の娘を結婚せるお金のない父親の嘆きをたまたま聞いたニコラウスは、気の毒に思って、夜になってからその家に金塊(財布の説もある)を三つ投げ込んだところ、それが靴下の中に入った」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習はこの伝説による。聖ニコラウスは手に三つの金塊(財布)を持った姿で描かれることが多い(若林ひとみ著『クリスマスの文化史』)。ニコラウスは聖人されているため、「聖(セント)・ニコラウス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」(nlSinterklaas) である。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。17世紀にオランダがアメリカに殖民したことが縁で、サンタクロースの語源となった。 主イエスご自身が、「受けるよりも与える方が幸いである」と言われたみことばを思い出しなさい。使徒20:35 世界中の子どもたちに、今年もすばらしいサンタクロースのプレゼントが舞い込むように祈ります。ルカの福音書 6:35 敵を愛しなさい。 よくしてあげるのです。 返してもらうことなど当てにせず、気前よく貸してあげなさい。 そうすれば、天から、すばらしいごほうびがいただけます。 神の子供になれるのです。 神は、恩知らずの者や極悪人にも、あわれみ深い方だからです。 6:36 天の父と同じように、あわれみ深い者になりなさい。 6:37 人のあら捜しをしたり、悪口を言ったりしてはいけません。 自分もそうされないためです。 人には広い心で接しなさい。 そうすれば、彼らも同じようにしてくれるでしょう。 6:38 与えなさい。 そうすれば与えられます。 彼らは、ますに押し込んだり、揺すり入れたりしてたっぷり量り、あふれるばかりにして返してくれます。 自分が量るそのはかりで、自分も量り返されるのです。」
2006/12/18
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クリスマスの近いこのごろです。町にはイルミネーションがあふれ、子どもたちも冬休みも近くクリスマスを楽しみにしていることでしょう。 ある方がクリスマスではなくてクルシミマスですよ。サンタクロースではなくサンザクロースですよと言っていました。しかし、クリスマスはそのような私たちに真の安らぎと平安、救いをもたらすために、天地万物の創造者・愛なる神が、人間の姿になりこの世界に来られた日です。 神は実にそのひとり子(イエス・キリスト)を十字架に釘付け、人類の罪や呪い、貧乏や病を背負い、死と滅びに定められた私たちを救ってくださるのです。 クリスマスはその神の大きな愛が現されたときです。いと高きところには神に栄光があるように。地上にはみこころにかなう人々に平和があるように! クリスマスは十字架を思う幸いなときです。すべての罪が赦され、病をいやされ、のろいから解放され、貧乏から救い出され、死と滅びから救われるときです。 愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれているようにあなたがすべてのことに恵まれ、かつ健康であることを祈りますと聖書にあるように、霊的にも精神的にも肉体的にも、すべての点で恵まれ幸せになり、天国への道を楽しく進む人生のスタートです。 クリスマスのこの時期、一年の終わりも近いこのとき、イエス・キリストを心の中にお迎えください。ルカの福音書2:1 そのころ、皇帝アウグストが全ローマ帝国の住民登録をせよと命じました。 2:2 これは、クレニオがシリヤの総督だった時に行なわれた、最初の住民登録でした。 2:3 登録のため、国中の人がそれぞれ先祖の故郷へ帰りました。 2:4 ヨセフは王家の血筋だったので、ガリラヤ地方のナザレから、ダビデ王の出身地ユダヤのベツレヘムまで行かなければなりません。 2:5 婚約者のマリヤも連れて行きましたが、この時にはもう、マリヤのお腹は目立つほどになっていました。 2:6 ベツレヘムにいる間に、 2:7 マリヤは初めての子を産みました。男の子でした。 彼女はその子を布でくるみ、飼葉おけに寝かせました。 宿屋が満員で、泊めてもらえなかったからです。 2:8 その夜、町はずれの野原では、羊飼いが数人、羊の番をしていました。 2:9 そこへ突然、御使いが現われ、主の栄光がさっとあたり一面を照らしたのです。 これを見た羊飼いたちは恐ろしさのあまり震え上がりました。 2:10 御使いが言いました。 「こわがることはありません。 これまで聞いたこともない、すばらしい出来事を知らせてあげましょう。 すべての人への、うれしい知らせです。 2:11 今夜ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。 この方こそ主キリストです。 2:12 布にくるまれ、飼葉おけに寝かされている赤ん坊、それが、目じるしです。」 2:13 するとたちまち、天の軍勢が現われ、御使いといっしょに神をほめたたえました。 2:14 「天では、神様に栄光があるように。 地上では、 平和が、神様に喜ばれる人々にあるように。」
2006/12/17
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命 が今年の漢字に選ばれた。前向きに考えるとこれから命が尊ばれる良い時代への期待と言える。 しかし、現実は命の尊厳が毎日失われるような一年であったように思う。子殺しに、親殺し、理由のないような殺人事件、飲酒殺人、交通事故死・・・、あげればキリがない。 政治の世界も弱者の命を守るどころか、格差社会ということばが流行、障害を持つものや福祉を必要な者を切り捨て、不公平さがますます加わるような行政になっているように思う。 今年の漢字にちなんで、命の尊さが重んじられる日本であるよう心から祈る。平和憲法護持を主張したら猛烈に反論された。平和憲法こそ命の尊厳を何よりも重んじる、人類史始まって以来のすばらしいものだと確信している。 イエス・キリストは、「剣を取る者は剣によって滅びる」と、明確に宣言された。どのような大国や独裁国家であれ、剣の上に打ち立てられた国は確実に滅びて行ったのが、人類史の歴史である。人類史は命を軽んじた結果を証明している。 今日は朝10時前に出発して、愛知県江南市まで出かける。土曜日だがどうしても解決したい問題の解決のため、帰りが深夜近くなるが、思い切って出かけることにした。マタイの福音書16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。 16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。 16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。
2006/12/16
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今年6月から月一回の聖書の学びを、都ホテルの喫茶店で行っている。今日で七回目になるが、少人数(5-6人)のときは喫茶コーナーで、人数は増えると別室で行う。毎回、新しい方が誘われて参加するが、エリムキリスト教会の礼拝に出席する方はまだいない。ほとんどの方がキャリヤウーマンやトップ証券マン。 トップ証券マンは成績がトップになり、南アフリカ共和国まで8日間の観光旅行がご褒美として提供され、喜望峰まで出かけていかれた。 女性たちも証券マンや生命保険、病院関係の方などほとんど50代だが、すごく時間に追われている方々だが、午後3時ー5時までの2時間、聖書と祈りのときをともに過ごし、また仕事先へ帰って行く。 都ホテルは大きな駐車場があり、喫茶店でコーヒーを参加者全員が頼めば、3時間は無料になるので感謝だ。コーヒー一杯800円。カフェオレは1000円。コーヒーとケーキを頼めば千円をスグ越える・・・・。 午後2時に家を出て帰りは6時。一人でも多くの方が福音に接して救われることを期待しながら月一度都ホテルまで出かけ、今日も新しい出会いを楽しみにしている。ローマ人への手紙 10:1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。 ・・・・・・・ 10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
2006/12/15
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最近、ノロウイルスが流行っています。どんなものでしょうか? ノロウイルス(Norovirus)は、非細菌性急性胃腸炎を引き起こすウイルスの一種。カキなどの貝類による食中毒の原因になるほか、感染したヒトの糞便や嘔吐物、あるいはそれらが乾燥したものから出る塵埃を介して経口感染する。ノロウイルスによる集団感染は世界各地の学校や養護施設などで発生している。 つい最近息子家族は、生牡蠣(カキ)を贈られ美味しくいただいた。2日後、9歳の娘が体調を崩し調べたらノロウイルスとのこと。カキを食べなかった1歳9ヶ月の孫だけが元気に飛び回っている。 昨日訪ねて来た9歳の孫も今は元気で通学しているが、食べるもの、特に生ものには十分気をつけたほうがよいねと、しばらく話し合った。 食べるものもだが、心にはもっと多くの害になるものが情報や文書、噂話やそのほかの方法でどんどん入ってくる。いや自分の口からも出てきて人を汚染していることもあるかもしれない。 いつも御子イエスの血に洗いきよめられ、聖書のことばできれいにされながら、天国への道を喜びつつ進んで行きたいものです。詩篇119:9-18 どうしたら、若い人は身も心もきよく保つことができるでしょうか。 神様のおことばを読み、その規範に従うほかはありません。 私は、神様を見いだそうと、あらゆる努力をはらいました。 どうか、お教えからはみ出さないよう守ってください。 私はおことばを深く味わい、心にたくわえました。 それによって罪から引き離されるためです。 神様、あなたの規範をお教えください。私はあなたのおきてを暗唱し、宝よりもたいせつにしました。それをかみしめて味わい、心からの敬意をはらうのです。 それは私の喜びであり、常に忘れることのないものです。 私を長く生かして、いつまでもお従いできるようにしてください。 私の目を開いて、おことばの中に隠されている、すばらしい祝福を見させてください。
2006/12/14
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今朝5時前に起きていつもの散歩道を歩いた。帰宅すると雨が降り始めたので、今朝の判断はよかったと自画自賛。 家内にはそんなに必死になって毎日歩かなくても、週に2,3回でよいと思うけれど、何年続けるつもり?と時々言われる。自分では必死になんて考えたことはないが、周りから見ていると雨が降ろうが雪になろうが、国内であれアフリカの炎天下やサバンナの中でさえ、毎日ゆとりの1万歩を続ける姿にあきれているのかもしれない。 誰かに言われて歩いているのではなく、自分で決めたのだから楽しく歌い祈り、聖書のことばを告白しながら、時にはトラクトやクリスマスの案内をポスティングしながら・・・・。一石二鳥にも三鳥にもなっている。 歩くコースはほとんど毎日違う道だ。どのコースを選んでも山道や田んぼの畦道を通る。生駒市は坂道の多い町。聖書学院は生駒山の北麓にあり海抜は150メートル。生駒駅まで3000歩の道は行きは良い良い下り坂。帰りは急坂ではないけれどもずっと登り道。 反対方向へ行くときは、1500歩ほど歩くと喜里池がある。その池をぐるっと回ると落ち葉がいっぱいの細い山道。少し下ると天野川の上流。川をひょいと渡ると大阪府四条畷市。落ち葉を踏みしめ行くと田んぼの畦道になり、再び川を越えると生駒市。奈良県と大阪府を行ったり来たりのコース。 一時間ほどのコースをゆとりを持って、自然と触れ合う最高のリラックスタイムを感謝!詩篇 65:5 神様は、恐怖におののかせるような行為や、恐ろしい力を駆使して、私たちを敵から救い出してくださいます。 神様は、世界中の人々にとって、唯一の望みなのです。 65:6 神様は底知れない力で山々をお造りになりました。 65:7 また、怒濤さかまく海原を静め、世界中の騒動を鎮圧なさいます。 65:8 地の果てに住む人々は、神様のまばゆいばかりの行ないに度肝を抜かれます。 夜明けと日没は喜びの声を張り上げます。 65:9 神様は水をまいて、肥沃な土地に変えられます。 神様の川は常にまんまんと水をたたえています。 また神様は、ご自分の国民のために大地を整え、大豊作をもたらされます。 65:10 あぜみぞは十分な雨でうるおいます。 夕立が大地をやわらげ、土のかたまりをほぐして、田畑はいっせいに芽吹くのです。 65:11 -12こうして、大地は緑の絨毯でおおわれ、荒れ地にはみずみずしい牧草が生い茂り、小高い山の木々は嬉々として花を咲かせます。 65:13 牧草地には羊が群がり、谷間には麦の穂が波打ちます。 全世界が喜びの声を張り上げ、歌っています。
2006/12/13
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昨日は、奈良ロイヤルホテルの中華料理店で、還暦を迎えた信徒に招かれ、すばらしい食事をごちそうしていただいた。こちらが祝いをするほうがいいと思ったのですが・・・。普段は礼拝が終わると直ぐ移動する牧師なので、ユックリお話を聞く時間も取れないが、めったにない時間を与えられて感謝だった。 今日は、ラジオ放送希望の声の新年1月の放送録音日。一ヶ月放送分を録音するので、6分30秒メッセージの原稿を4つ準備する。 12月はクリスマスなので、希望する聴取者には「クリスチャン・デボーション・ダイアリー」をプレゼントします。1年間で聖書を通読する日課がついたもので便利です。聖書は一日3章読めば、1年間で全部読み終わることができます。 一日10ページ読むと1年間で2回通読でき、1日60ページ読めば一ヶ月で読了です。クリスマスの時期、ぜひクリスマスの出来事を聖書で読んだらいかがでしょう。ヨハネの福音書 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 1:6 神から遣わされたヨハネという人が現れた。 1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。 1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。 1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。 1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。 1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
2006/12/12
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目の前の壁に、「主を待ち望む者は、新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず歩いても疲れない」(イザヤ40:31)と書かれた紙が張っている。2階への階段にも、洗面所に同じ聖書のことばがハッキリ見えるように掲示してある。 30年ほどまえAIAセミナーに参加したとき、インストラクターが疲れたしんどいと言うからしんどいのだ。忙しいと言わなければいいのだなどと、ことばを前向きにするよう強調した。 口癖が人生を形成するとも言うが、いつもマイナスのことばばかり口にしていると、自分が口にしたことが起こり、また不平不満を言う結果が起こってくるから情けない。 疲れた、しんどいということばの代わりに、今日も元気だ!大丈夫だ!と言えたら、そのとおりに元気で守られると思う。そんなときに聖書のことばが強烈に心に響き、そのまま紙に書いてシッカリ見えるところに貼り付けた。もちろん心にもシッカリと刻み付けるようにした。 特に日曜日は朝出かけると夜の8時過ぎに帰宅するまで、説教と相談、祈りの依頼、時には病院訪問や週報配りまですることもあります。 月曜日は朝から聖書学院がスタートするので、スカッと朝を迎えないと一週間がだらけてしまう。そんなとき、「主を待ち望む者は、新しい力をえ、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」とのことばは、いつも新鮮に新しい力を、身体にも心にもみなぎらせてくれます。ストレスもプレッシャーも吹き飛び、内側から聖霊の清い流れが湧き上がるようにみなぎり、イエス・キリストの復活のいのちの輝きに包まれる。ハレルヤ感謝! 今週から聖書学院は冬季伝道期間に入ったが、今日は今月還暦を迎える方からの招待で昼食会。明日は新年1月のラジオ放送録音でスタジオと連続で準備やいろいろ続く。土曜日は愛知県まで出かけ帰りは深夜に近くなり、すぐ日曜日の礼拝。 社会に出て働いている方々に比較すればなんてことはない日々かもしれないが、聖書のことばに励まされながら、喜びと感謝にあふれて平安な心ですべてのことが出来ることは、無常の喜びです。この希望は失望におわることはない。なぜなら聖霊によって神の愛が豊かに注がれているからです。その愛のバリアの中で守られている幸いも感謝します。イザヤ書(リビング・バイブル) 40:25 「おまえたちは、わたしをだれと比べるというのか。 わたしと肩を並べる者がいるか」と、きよい神様は問いかけます。 40:26 天を仰いでみなさい。 星は、いったいだれが造ったのですか。 羊飼いは群れを導き、それぞれの愛称で呼び、一匹でもいなくなってはいないかと数えます。 同じように神様も、星をぜんぶ数えます。 40:27 ああ、ヤコブよ。 ああ、イスラエルよ。 神様は苦しみを見て見ぬふりをしているから不公平だなどと、どうして言えるのですか。 40:28 まだわからないのですか。 全世界を造った永遠の神様は、絶対に疲れたり、ふらついたりしません。 神様の理解の深さを推測できる者は、一人もいません。 40:29 神様は疲れた者に力を、弱い者に活力を与えます。 40:30 若い人もくたくたになり、若い男もまいってしまいます。 40:31 しかし神様を待ち望む者は、新しい力がみなぎり、わしのように翼を張って舞い上がります。 いくら走っても疲れず、どんなに歩いても息切れしません。
2006/12/11
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過去乗り越えた転機はと題して、今日(12月10日)の朝日新聞、新聞朝刊生活欄に、いじめから子どもを守るページに、昨日クリスマスかを一緒に楽しんだ野田詠氏牧師(アドラムキリスト教会)が写真といっしょに掲載されていました。 生駒聖書学院を卒業し、現在東大阪市で牧師をしています。小学生時代いじめに会い、悲惨な苦しみを体験しました。中学卒業ととともに暴走族で東大阪最大のリーダになりました。彼が少年院を出て生駒聖書学院に入学し、3年間聖書を徹底して学び、現在すばらしい働きをしています。 彼は、元暴走族で、恐喝、バイクの窃盗、交番襲撃までした青年でした。 子どもの頃、親が離婚し、母親が仕事で帰りが遅いので、親の財布から金を盗み、中学生の時にバイクの窃盗、無免許運転で補導される。高校も中退し、暴走族に入り、窃盗を繰り返しの日々でした。仲間とのトラブルで、不安にさいなまれ、覚醒剤におぼれ、最後は鑑別所に、5回も入ったり出たりの生活でした。 少年院にいた時に、自衛官のお兄さんが聖書を差し入れてくれました。聖書の冒頭、創世記「神が人間を創造した」という言葉に「ばかばかしい」と思った。けれど、一方で「本当かもしれない」という思いがわきあがり、聖書を真剣に読み始めました。 聖書は今まで生きてきた価値観と全く反対の価値観を投げかけてきました。「やるかやられるか」という価値観とは、全く反対の価値観が存在することに驚き、そこから、神に見られているという思いが生じました。「それは、見られて怖いというのではない。かといって、べたべたした親父でもない。暖かく見まもられている視線を感じる」という喜びでした。 自己中心的で、何でも暴力で解決する自分に嫌気がさし、「そういう自分を取り除いてください」と謙虚に祈れた時、いままでに経験したことのない、なんともいえない心の平安を感じ、自分は本当に生まれ変われるのだという確信を餅ました。 出所後、教会に通い、聖書を読み、メッセージの言葉を吸収し、「こんな俺だからこそ、俺のために、キリストが十字架にかかる必要があったのだとわかり、今度は自分が神様に恩返しをしたいと思い、生駒聖書学院に「献身入学し、現在は牧師として活躍中です。 詩篇103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 私のうちにあるすべてのものよ。 聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、 あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。 103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。(リビングバイブル訳)
2006/12/10
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7日(火)-8日(水)の両日、朝から夕方まで連続講義でした。大阪市西成区にある神学校の教室で、日本の文化と神道や仏教が日本人に与えている影響についての講義が、大変喜ばれたようで来年も講義を依頼され、また韓国に来て同じ講義をするようにも頼まれ、返事を保留しています。 韓国には35年前初めて行きました。まだ厳戒令の中で日本人に対する雰囲気は今以上でした。キリスト教会の講壇に日本人牧師を上げることなく、当然説教は許されませんでした。 日本人に理解のある牧師たちの決断により、二つの教会で日曜礼拝説教に招かれ、歓迎を受けたことを思い出します。それ以来、10数年前までは毎年1-2回は韓国に説教に行きました。アフリカ宣教の道が開かれたときから韓国はご無沙汰になっています。 韓国のキリスト教人口は41パーセント、80,000のキリスト教会堂が十字架を輝かせています。ソウル市内は50パーセントを越えるクリスチャン人口で、日曜日に走っているバスはほとんど教会行き。道を歩いている方々はほとんど聖書と聖歌を脇に抱えて歩いています。 日本のキリスト教人口は多めに見て1パーセント(ある調査によると4%)、キリスト教会の数は8,000です。韓国の100分の1です。一日も早くすばらしクリスチャンが全国に生まれるよう、クリスマスのこの時期に多くの方をキリスト教会の礼拝にお招きしたいものです。 まあ、珍しい楽しい2日間でした。ただ食事は量も多く、韓国料理の辛さには少々参りました。ルカの福音書 1:67 さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。 1:68 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。 主はその民を顧みて、贖いをなし、 1:69 救いの角を、われらのために、 しもべダビデの家に立てられた。 1:70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、 主が話してくださったとおりに。 1:71 この救いはわれらの敵からの、 すべてわれらを憎む者の手からの救いである。 1:72 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、 その聖なる契約を、 1:73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、 1:74 75 われらを敵の手から救い出し、 われらの生涯のすべての日に、 きよく、正しく、 恐れなく、主の御前に仕えることを許される。 1:76 幼子よ。あなたもまた、 いと高き方の預言者と呼ばれよう。 主の御前に先立って行き、その道を備え、 1:77 神の民に、罪の赦しによる 救いの知識を与えるためである。 1:78 これはわれらの神の深いあわれみによる。 そのあわれみにより、 日の出がいと高き所からわれらを訪れ、 1:79 暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、 われらの足を平和の道に導く。」
2006/12/09
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西成区の通称三角公園のすぐ近くに教会と学校があり、韓国からの牧師が日曜日は昼から礼拝をしている。 礼拝や集会は、労務者やホームレスの方々を招き、いのちの糧である聖書のことばと同時に、肉体の糧である食事を提供している。 セミナーは日本文化と日本人の心情を中心に話を進め、今日は神道や仏教思想が与えた影響について講義するつもりだ。質問を出来るだけしてもらい、お互いの文化を理解し合えればと思っている。エペソ人への手紙2:12 思い出してもごらんなさい。 そのころのあなたがたは、キリスト様とは全く無縁な生き方をしていました。 神様の子供となった人々には敵対し、神様から、何の助けも約束されていませんでした。 神様もなく、望みもない、滅びる以外にない存在でした。 2:13 しかし今では、キリスト・イエスに属する者となっています。以前は、神様から遠く離れていたあなたがたも、キリスト・イエスがその血によって成し遂げてくださったことのゆえに、今では、神様のそば近くに引き寄せられているのです。 2:14 キリスト様こそ、私たちの平和の道です。 この方は、私たちユダヤ人とあなたがた外国人とを一つの家族とし、両者を隔てていた軽べつという壁を打ちこわして、平和をつくり出してくださいました。 2:15 つまり、ご自分の死によって、相互の激しい敵意を、除いてくださったのです。 その敵意の原因とは、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にする、ユダヤ教のおきてでした。 そのおきて制度全体を無効にするために、キリスト様は死んでくださったのです。 そして、それまで互いに対立していた二つのグループを、それぞれ自分の手とし、足とされました。 こうして、私たちを融合させて、新しい一人の人間をつくられたのです。 ついに平和が実現しました。 2:16 私たちが同じ体のそれぞれの器官になったので、互いの怒りは消え去りました。 両者とも、神様と和解したからです。 こうして、反目は、十字架によって、ついに終わりを告げたのです。 2:17 そして、キリスト様は、遠く離れていたあなたがた外国人にも、近くにいた私たちユダヤ人にも、この平和の良い知らせを、もたらしてくださいました。 2:18 キリスト様が成し遂げてくださったことのゆえに、ユダヤ人も外国人もみな、聖霊様に助けられつつ、父なる神のもとに行けるのです。 2:19 今、あなたがたは、もはや神様にとって見知らぬ他国人でも、天国に縁のないよそ者でもありません。 神の家族の一員であり、神の国の市民なのです。 すべてのクリスチャンと共に、神の一家を構成しているのです。
2006/12/08
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今日と明日は、朝から夕方まで大阪にある神学大学で90分×8回の連続講義です。 充実しすぎるほどの日々を過ごしているので、準備の時間も大変です。講義は韓国の牧師たちで30名?ほどと言われています。韓国の牧師さんたちは勉強家で神学的造詣も深く、神学的な講義は聞き飽きていると思うので、日本のキリスト教の現状と、日本文化の中での教会成長を体験的に証しし、質疑応答の時間を取り入れます。 一講義90分で、通訳者がいるのであっという間だと思います。久しぶりに韓国的な雰囲気の中なので楽しみに出かけます。韓国には30歳のときに初めて行きました。下関から釜山まで8時間、ソウルへはバスで到着。まだ厳戒令の韓国は、日本人牧師に対しても非常に厳しく、教会で説教することすら許可しない状態でした。 南山にある解放教会のパクチササン牧師の行為により、東安教会や東幕教会など日本を愛し、日本の救いを熱心に祈る教会の礼拝で語ったことなどを懐かしく思い出します。 現在、韓国はキリスト教徒が30パーセントを声、アジア最大のキリスト教国。しかもその中には、日曜礼拝70万人の歴史最大、世界最大のキリスト教会もあります。礼拝出席者が何千人、何万人にもなる大教会も多く、韓国を訪れたらまず驚くのが夜空に輝く十字架の多さです。空の星よりも十字架の輝きが多く目に入ります。 日本は神社の数が8万を越えるのに、キリスト教会は教会堂のない伝道所を含めても8千くらいです。寺院や諸宗教の数を足したらスゴイ数になります。全国にコンビニのような教会が次々と生まれるよう祈ります。マルコの福音書16:14 その後、十一人の弟子たちが食事をしているところへ、イエスが現われ、彼らの不信仰をお責めになりました。 「どうして、わたしが復活したと言う者たちの証言を信じなかったのですか。 全く頑固な人たちです。」 16:15 それから、こう宣言されました。 「全世界に出て行きなさい。 すべての人々に、このすばらしい知らせを宣べ伝えるのです。 16:16 信じて、バプテスマ(洗礼)を受ける者は救われます。 しかし、信じない者は、罪に定められます。 16:17 信じる人々は、わたしの権威によって悪霊を追い出し、新しいことばを語ります。 16:18 蛇をつかんでも安全だし、毒を飲んでも害はありません。 病人に手を置けば、病気は治ります。」 16:19 こう語り終えると、イエスは、天に上げられ、神の右の座につかれました。 16:20 弟子たちは、命じられたとおり出て行き、あらゆる所で、このすばらしい知らせを宣べ伝えました。 主が共に働いてくださったので、数々の奇蹟が起こり、弟子たちの教えの確かさが証明されました。〕
2006/12/07
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昨日は、朝から夜の10時過ぎまで動き続けの一日でした。早く目覚めたのですが、終業式のメッセージや教授会の準備に時間を使い、午前中終業式、午後教授会、その後愛知県から来た方との面談、あっと言う間に時が過ぎ夕方になっていました。 大阪OCC(クリスチャンセンター)開館50周年感謝の集いに招かれていたので、夜は大阪まで出かける予定があり、生駒駅まで300歩歩きました。 JR環状線大阪城公園駅に少し早く着いたので、ホテルモントレ ラ・スール大阪まで歩きました。ちょうど大阪城ホールでは第九の演奏会が開催される日で、夜店(いつもあるのかな?)も出ており、散歩がてらに歩き回りました。素敵な洋装店でホテルの場所を訪ねると親切に教えてくれ、開催時間の15分前に14階の会場に到着。 顔見知りの方々と挨拶し席に案内されたが、何とメインテーブル。「確かな愛・絆」でメッセージする講師やクリスチャンセンターの理事長、カトリック大司教などと同席。少々ビックリしたが天国に行けばイエス様と同席したり、アブラハムやモーセ、ダビデやソロモン、ペテロやパウロなどとも同席出来ると思うと、ちょと安心。お交わりのときを楽しむことが出来た。多分、招待状が届いたときすぐ返事を出したので・・・・かな?と思ったり。まあ感謝のひと時だった。 大阪クリスチャンセンターには多くの思い出がある。 43年前、結婚式の夜ホテル(当時はホテルも経営)に宿泊した思い出の場所。開拓伝道で導いきクリスチャンとなった若い二人のために式場を借りて結婚式をしたこと。 35年前にラジオ放送を「始めたとき、当時のクリスチャンセンター主事がラジオを聞いて、新約聖書をたくさん贈呈してくれ、聴取者プレゼントが与えられたこと。ラジオ愛聴者の主事は天国に召されたけれども、新約聖書贈呈は今でも継続している。 そのほか、朝の祈り会(大阪朝祷会)でのメッセージや、ビジネスセミナーを開催したことなど数え上げればキリがないくらい思い出の場所です。 何よりも大きな祝福はそこでの出会いを通して、今でも多くの方々との交流があることです。 「確かな絆・愛」のメッセージに心打たれ、その後でのフルコースに、心身ともにいやされる愛にあふれたひと時を過ごし、帰宅して万歩計を見たら1万1千歩を越えており、大阪城公園を歩いたかいがありました。ヨハネの第一の手紙 4:7 愛する友よ。 互いに愛し合いましょう。 愛は神様から出ています。 ですから、人を愛する親切な人は、その行ないによって、自分が神様の子供であることを証明すると同時に、ますます深く、神様を知るようになるのです。 4:8 反対に、人を愛さない不親切な人は、神様を知らないことを暴露しています。 なぜなら、神様は愛だからです。 4:9 神様は、かけがえのないひとり息子を、この不正な世に遣わし、その方の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。 そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを、証明されたのです。 4:10 この神様の行為によって、私たちは、何がほんとうの愛か、知ることができました。 真の愛とは、神様に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神様の愛なのです。 それは、私たちの罪を責める自らの怒りをなだめるために、神様がひとり息子を差し出された愛に尽きるのです。 4:11 愛する友よ。 神様がこれほど愛してくださったのですから、私たちもまた、互いに愛し合おうではありませんか。 4:12 私たちは、これまで一度も神様を見たことがありません。 しかし、互いに愛し合う時、神様は、私たちの心の中に住んでくださり、心の中の神様の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。 4:13 神様は、私たちの心に聖霊様を遣わしてくださいました。 そのことが、私たちが神様と共に生き、神様も私たちと共に歩んでくださる証拠です。 4:14 さらに私たちは、神様がひとり息子を世の救い主として遣わされたのを、この目で見、それを、いま全世界に伝えています。 4:15 イエス様を神の子と信じ、それをはっきり告白する人のうちには、神様が生きておられます。 そして、その人も神様と共に歩んでいると言えるのです。 4:16 私たちは、どんなに神様に愛されているか、知っています。 現に、神様の愛を身近に感じ、また、私たちを心から愛すると言われた神様を、信じているからです。 神様は愛です。 愛のうちに生きる人は神様と共に生きるのであり、神様もまた、その人のうちに生きておられるのです。 4:17 キリスト様と共に歩む時、私たちの愛は成長して、いっそう完全なものとなっていきます。 そうすれば、さばきの日に、恥じ入ったり、うろたえたりしないですみます。 それどころか、確信と喜びにあふれて、主の顔を見ることができるのです。 なぜなら、私たちは、キリスト様と愛で結ばれているからです。 4:18 私たちを心から愛してくださる方を、どうして恐れる必要がありましょう。 もし恐れがあるなら、それは神様が私たちに何をなさるかと、不安をいだいている証拠です。 神様の完全な愛は、そんな恐れを、すべて取り除きます。 恐れている人は、神様の愛をまだ十分理解していないのです。 4:19 これでわかるように、私たちが神様を愛せるのは、神様がまず愛してくださったからなのです。 4:20 もし「私は神様を愛しています」と言いながら、兄弟であるクリスチャンを憎み続ける人がいれば、その人はうそつきです。 目の前の兄弟を愛せない人が、どうして、見たこともない神様を愛せるでしょう。 4:21 ですから、神様を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。 これは、神様が命じておられることです。
2006/12/06
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生駒聖書学院は、今日で2学期の授業を終業し、クリスマス冬季伝道期間に入ります。将来牧師となる彼らに臨床的牧会伝道の体験を重ねてもらうためです。 机上の空論だけで泣く、実際的に生身の人間とふれ合うことによって、たましいに語りかける働きができるよいになります。 しかし、同時に体験や知識も重要ですが、人の心をいやし救うのは聖書のことばであることを実際の場で体験するためです。 院長と言う立場にありますが、現役の牧師で病院を見舞い、経済的に苦しむ者や心の悩みにもだえる人々と常に接しています。 昨日も心筋梗塞で倒れた方を集中治療室に見舞い、回復といやしを祈りました。どのような苦しみのときも、側にいてくださる救い主イエス・キリストの愛をともに感じるひと時でした。 クリスマスのこの時期、神が人間としてこの世界に来られたことを実感として受取る幸いを感謝します。 ありがとうございます。感謝します!と、大声で叫びだしそうになる喜びの日々です。伝道者の書 5:10 金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。 5:11 財産がふえると、寄食者もふえる。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。 5:12 働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。 5:13 私は日の下に、痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。 5:14 その富は不幸な出来事で失われ、子どもが生まれても、自分の手もとには何もない。 5:15 母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。 5:16 これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。 5:17 しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。 5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。 5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。 5:20 こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
2006/12/05
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神のことばは生きていて力があります。聖書は生ける神のことばです。聖書の言葉には力があります。 ことばの不思議な力は、「言えば言うだけ、それをもう一度言いたくなるような事が起こる」ということです。それはもう一定の法則です。 たとえば、「しんどいなあ」と言えば、「しんどい」出来事がいつも起こります。「忙しい」と言えば言うほど「忙しさ」が起こります。特に否定的で消極的なことばほど、同じような現象を引き起こしてしまうようです。 年内いっぱい位は不平不満やグチ、泣き言や悪口、文句や陰口を言わないで過ごしたいものです。 天地万物の創造主である聖書の神様は、この世界が茫漠として闇に覆われ、空虚さだけであったとき「光よあれ」とことばを出しました。その瞬間、この世界に光は輝き、天地創造の偉大な御業は完成しました。 聖書はそのことを有名なヨハネの福音書でこう告げています。 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 1:2 このことばは、初めに神とともにおられた。 1:3 すべてのものは、このことばによって造られた。造られたもので、このことばよらずにできたものは一つもない。 1:4 このことばにいのちがあった。このいのちは人の光であった。 1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 ヘブル人への手紙11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。 人間は神に似せて創造され、ことばを持つようになりました。最初の人間アダムは、そのことばによって生きとし生きるすべてのものに名前をつけ、その名のとおりにすべての物は命名されました。創世記 2:19 神である【主】は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。 2:20 人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。 それはアダム以来変わっていないのです。新しい動物や植物、天体の新星などすべての新発見に、人が名前をつけるとそのとおりになります。子どもの名前も同じです。 今日から、自分の口から出る言葉のとおりになることを理解し、前向きで積極的な創造的ことばを口に出してみましょう。必ずよい結果が出てくるでしょう。 その最も前向きで創造的なことばは、聖書の言葉です。ぜひ毎日、感謝します。ありがとうございますと素直に美しいことばを口にして見てください。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 新共同訳詩篇1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず 1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。 1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
2006/12/04
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アシュレー 幸いなことよ!詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。リビング詩篇1:1 悪人の入れ知恵に耳を貸したり、罪人といっしょになって神様をあざけったりしない人は、なんと幸いなことでしょう。1:2 そうした人は、神様がお望みになることを何でも喜んで実践し、いつも、おきてのことを考えては、どうしたらもっと神様に近づけるかと思いめぐらします。1:3 そのような人は、川の土手に植えられた木が、毎年欠かさず甘い実をつけるのに似ています。 その葉は決して枯れず、することなすこと、みな栄えます。06年度はヤベツの祈りを毎日祈りました。「アーメン。信じます。ありがとうございます。大いに祝福されました。ハレルヤ。感謝します。神の栄光のために。イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン」07年度はアシュレー!幸いだ!の叫びで毎朝を迎えましょう。幸せとは、「何かを得る」とか「欲しいと思っていたものを手に入れる」ことではなく、「今の自分が幸せの中にいること、幸せの中に存在していること」を知ることです。欲しい物を手に入れたいとか、今以上の何かを得たいなどと、自分以外の外に求めるものがあり、それが求められた、手に入れたということで、「幸せ」を感じるならば、人生は実に苦悩に満ちたものでしかないでしょう。思い通りに得られるものなど、ほとんどないからです。「えること」や「手に入れる」ことだけを考えている間は、ほんとうの「幸せ」は手に入ることはないように思います。アシュレー。何と幸いなことでしょう! 悪者のはかりごとに歩まず・・・信仰の義が与えられ正しい者とされました。 罪人の道に立たず・・・・箴言4:18 義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。あざける者の座に着かなかったその人・・・・あざけりに注意!今年は後4週間29日あります。 不平不満、グチ、泣き言、悪口、文句を言わないで生活してみよう。 この世で生きると言うことは、雨あられのように降ってくるありとあらゆる現象にたいして、いかに不平不満を言わないで過ごすか。これが第一のステップです。 さらに同じ出来事に対して不平不満やグチや呟かないどころか、どうのようにしてその現象の中に、「うれしい、楽しい。幸せ」を見つけるか、これがステップツーです。 最後に同じ現象の中で、いかに「ありがとう」と感謝することができるかが、第三段階です。 幸せの3つのかたち 過去、自分に起きたことをすべて「受け入れる」こと。そのすべてが全部自分に必要だったと信じることで、そのひとつひとつすべてが感謝に変わります。 そのすべての過去を受け入れた延長線上にあるのが現在ですから、現在のすべてを受け入れることです。それに感謝することです。「それがなければ、現在の自分はないのだ」と思い定めることです。そうすると、すべての出来事が感謝の対象になってしまいます。それはすべて「喜び」となり、「幸せ」になり、感謝の対象に変わります。 そうするとほんとうの幸い、「自分の存在が感謝される」と言う喜びです。自分の存在(自分がこの世に生まれたこと)が感謝され、喜ばれるという「「幸せ」を一度味わってしまうと、至上のよろこびです。アシュレー!イザヤ43:41:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 自分の口から出てくることばは、「言えば言うだけもう一度それを言いたくなるような現象が起こってくる」と言うのが、聖書の法則です。心を込めなくてもいいから、「ありがとう。感謝します」をたくさん言っている人には、「ありがとう。感謝します」と言いたくなるようなことが、次から次へ起きてくることになる。 嬉しい。楽しい。好きです。愛しています。ありがとう、感謝します。恵まれています。祝福されています。幸いです。 次から次へと起こってくる現実に対して、どんなことがやって来ても、愚痴らない、不平不満を言わない、文句をヤ泣き言を言わない。落ち込まない。悪口や非難、中傷しない。それを笑顔で受け止めて、「あー、これが私の人生なんだね」 ありがとう、感謝しますと、笑顔で生きていく・・・・。 その最高の力は聖書のみことばです。私は、エレミヤ29:11や詩篇103:1-5 23篇、黙示録3:8など、その都度都度に告白することばをたくさん持っています。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。約束は必ず実現します。
2006/12/03
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ほんとうの幸せは何かを得るとか、求めていたものが手に入ったということでは得られません。聖書の話で、ある大金持ちの農夫がいました。その年はいつもより大豊作でした。 彼は心の中で考え言いました。 「どうしよう。作物を貯えておく場所がない」 「こうしよう。あの倉を取り壊して、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう」 そして彼は独り言を続けました。 「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。ああ、幸せだ! さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しもう!」 しかし、神はその金持ちに語り掛けました。 「愚か者。おまえのたましいは今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は、いったいだれの物になるのか」 人のいのちは持ち物の豊かさによるのはありません。ほんとうの幸せも何かを得るとか、手に入れることで幸せになれるのでもありません。 イエス様は、「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこの愚かな金持ちと同じような者だ」と教えました。 ほんとうの幸せは、平安ですべてのことに感謝しつつ、喜びながら今を生きる日々です。御霊の実、「愛、喜び、平安、寛容,親切、善意、誠実、柔和、自制」があなたとあなたの周りに及んでいくすばらし幸せを、12月の日々体験してくだ去るよう祈ります。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
2006/12/02
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師走のスタートです。クリスマスの月で、ジングルベルが流れると何かと忙しさを感じてしまいます。 12月3日(日)の日曜日から教会はアドベント=待降節に入ります。イエス様の誕生日を喜び楽しみながら待つ日々です。 今年はイブの24日が日曜日なので、多くのキリスト教会ではキャンドル・サービスが行われます。ぜひ今年のクリスマスには、お近くのキリスト教会へお出かけください。 キリスト教会には大きな3つの祝祭日があります。 クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念する日 イースターはイエス・キリストが死より復活した日 ペンテコステはキリスト教会のスタートした日 3つの祝祭日の共通項は誕生ということです。クリスマスは文字通り誕生日、イースターは死よりよみがえった日=復活の日(死よりの誕生)、ペンテコステはキリスト教会の誕生日。 今年は赤ちゃんが何人も生まれました。誕生は喜びです。新しいいのちが生まれた喜びは、両親だけでなく教会員全員の喜びです。喜びの波紋が広がります。 キリスト教会は喜びの生まれる所です。いつも喜んで生きる人生を体験したいものです。ピリピ人への手紙4:4 いつも、主にあって喜びに満たされていなさい。 もう一度言います。 喜びなさい。 4:5 自己中心的でなく、思いやりにあふれていることを、だれからも認められますように。 主がもうすぐ来られると、いつも意識していなさい。 4:6 何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。 4:7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。 4:8 さて、皆さん、筆をおく前に、もう一つ申し上げたいことがあります。 真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。 きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他人の長所に目をとめなさい。 神様を喜び、賛美することばかりを考えなさい。 4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。
2006/12/01
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