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新聞・報道を縛った一部の法に関しての概要・抜粋・「出版法」 公布:1893年4月14日法律第15号、改正:1934年5月2日法律第47号、廃止:1949年5月24日法律第95号 朕帝国議会の協賛を経たる出版法を裁可し茲に之を公布せしむ 第 3条:文書図画を出版するときは発行の日より到達すへき日数を除き3日前に製本2部を添へ内務省に届出へし 第 4条:官庁に於て文書図画を出版するときは其の官庁より発行前に製本2部を内務省に送付すへし 第26条:皇室の尊厳を冒涜し、政体を変壊し又は国憲を紊乱せむとする文書図画を出版したるときは著作者、発行者、印刷者を2月以上2年以下の軽禁錮に処し20円以上200円以下の罰金を附加す──・「新聞紙法」 公布:1909年5月6日法律第41号、廃止:1949年5月24日法律第95号 朕帝国議会の協賛を経たる新聞紙法を裁可し茲に之を公布せしむ 第11条:新聞紙は発行と同時に内務省に2部、管轄地方官庁、地方裁判所検事局及区裁判所検事局に各1部を納むへし 第27条:陸軍大臣、海軍大臣及外務大臣は新聞紙に対し命令を以て軍事若は外交に関する事項の掲載を禁止し又は制限することを得 第42条:皇室の尊厳を冒涜し政体を変壊し又は国憲を紊乱せむとするの事項を新聞紙に掲載したるときは発行人、編輯人、印刷人を2年以下の禁錮及300円以下の罰金に処す──・「新聞事業令 勅令第1107号」 1941年12月13日:公布・施行、1945年勅令第562号により10月6日をもって廃止 第一条:国家総動員法(昭和十三年勅令第三百十七号に於て依る場合を含む)第十六条の三の規定に基く新聞事業の開始、委託、共同経営、譲渡、廃止又は休止に関する命令及新聞事業を行ふ法人の目的変更、合併又は解散に関する命令、同法第十八条の規定に基く新聞事業の統制を目的とする団体の設立等に関する命令及当該団体に関し必要なる事項並に同法第十八条の三の規定に基く新聞事業の譲渡又は新聞事業を営む会社の合併に付ての租税の軽減に付ては本令の定むる所に依る──〓勝手に独断と偏見〓 「大日本帝国憲法」施行は1890年、「大日本帝国憲法」の上諭には「朕か在廷の大臣は朕か爲に此の憲法を施行するの責に任すへく朕か現在及將來の臣民は此の憲法に對し永遠に從順の義務を負ふへし」の記述があり「大日本帝国憲法」は欽定憲法。 「出版法」「新聞紙法」の公布は憲法施行後の明治時代で「朕帝国議会の協賛を経たる」が頭に入っている。 昭和1年(大正15年)は1926年、「新聞事業令 勅令第1107号」は昭和になっての公布で対米英開戦直後の勅令。 大日本帝国に於いて出版は法的に内務省の管轄下であり陸軍省・海軍省・外務省は新聞紙に関して影響力を持ち、皇室に関してはタブーが多かったと推測する、現在との違いはどの程度なのか。 戦前は主権は天皇にあり、政府・軍は天皇の下に存在したのであるから当然とも思える、問題は赤子と呼ばれた臣民だが主権者ではなく国民の為に天皇が存在するの発想は危険思想だったと推測する。 対米英開戦に関し、現在のマスメディアは国民も開戦を望んだ或いは開戦に熱狂したの主張をするときがある、現在に於ける一億総懺悔的な主張で国民に責任を押し付けて自分達の責任を曖昧にする。 軍部や大日本帝国政府の責任は当然が前提と思うが、天皇・皇族等の特権階級の責任については触れない、国民一人と天皇・皇族の一人とでは天皇・皇族の方が遥かに責任が重いのは自明でマスメディアも同様。 また特権階級(天皇・皇族等)で開戦を望んでいなかった(者もいる)の主張もある。 天皇が開戦を望んでいなかったなら、開戦責任・敗戦責任に関して国民は加害者側で天皇は被害者の論法が出現するかもしれない。 マスメディアが長年に渡り国民をマインドコントロール・洗脳、或はそれに加担して開戦へ持ち込んだ歴史をマスメディア自らが分析・発表することが重要、現在のマインドコントロールにも注意が必要。 海外情報や権力の中枢部の情報を独占し直接・間接に発信できたのは特権階級・軍部・官吏・マスメディアである。
2015.05.31
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国家による情報統制は戦時において強化される。・情報局、戦争情報局/ウィキペディアによると 内閣情報局(公式名称は「情報局」)は内閣直属の情報機関、各省の統一化を目指し1940年12月6日に発足。 戦争情報局(United States Office of War Information、略称 OWI)とは、第二次世界大戦期の1941年7月11日にルーズベルト大統領が設置した米国の情報・プロパガンダ機関。戦時情報局とも呼ばれる。──・「新聞雑誌用紙統制委員会設置に伴う閣議了解事項」/1940年5月17日 閣議決定 一、委員会は新聞雑誌用紙の一般的統制方針並に今後創刊せんとする新聞雑誌又は現在発行せられ居る新聞雑誌にして用紙の新規配給又は使用紙量の増加を申請せるものに付供給の要不要及供給数量に関し協議するものとす 二、委員会は内外地及満洲支那に於ける新聞雑誌用紙の調整に就ても協議するものとす 三、委員会は必要に応じ単行本の用紙の統制に就き協議を為すことを得るものとす 四、商工省は委員会の協議決定に基き供給者をして用紙の配給を為さしむるものとす─収載資料:現代史資料 41 みすず書房 1975.10 p.264、国立国会図書館 請求記号:210.7-G29 「新聞の戦時体制化に関する件」が1941年11月28日に閣議決定、12月13日には勅令「新聞事業令」が公布・施行、政府による新聞の統廃合が始まる。・「新聞事業令(昭和16年勅令第1107号)」の第五条は 左の各号の一に該当するときは主務大臣は当該新聞事業主に対し其の事業の廃止又は休止を命ずることを得 一 前条第一項の規定に依る命令又は同条第二項の規定に依る裁定に従はざるとき 二 第六条の規定に依る団体の定款又は統制規程に違反したるとき 三 当該新聞事業の運営が国策の遂行に重大なる支障を及ぼし又は及ぼすの虞あるとき─「中野文庫 - 新聞事業令」よりの抜粋・「新聞統制/ウィキペディア」によると統合後に於いての日刊紙は 全国紙:朝日・毎日・読売報知、 地方紙:一県一紙(北は樺太から南は沖縄まで)、 経済紙:東日本は日本産業経済、西日本は産業経済新聞、 外地:朝鮮は京城日報(日本語)・毎日新報(朝鮮語)、台湾は台湾新報(日本語)。──〓勝手に独断と偏見〓 「新聞事業令(昭和16年勅令第1107号)」等の勅令は天皇が直接発した命令、「大日本帝国憲法 第9条」では 「天皇は法律を執行する為に又は公共の安寧秩序を保持し及臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ但し命令を以て法律を変更することを得す。」 情報統制として「新聞事業令(昭和16年勅令第1107号)」、「出版事業令(昭和18年勅令第82号)」が出されている、また夫々に「新聞事業令施行規則(昭和16年閣令、内務省令第1号)」、「出版事業令施行規則(昭和18年閣令、内務省、文部省令第1号)」がある。 「国家総動員法 第十六条の三」に於いては 「政府は戦時に際し国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り事業の開始、委託、共同経営、譲渡、廃止若は休止又は法人の目的変更、合併若は解散に関し必要なる命令を為すことを得」 新聞事業者の抵抗は真実の報道が阻害される事の懸念か或いは利益か、 真実の報道に命を賭けている人もいただろうし、現実に戦争で沢山の人たちが無くなったり財産を無くしたりしている時代、平時とは真実の重みと影響が異なっている、しかし情報はエリートに独占されている。 用紙の統制が行なわれている、政府が新聞の発行を停止することは簡単と思えるが停止期間が長期に渡ると国民の不信感が高まり国民のコントロールが困難になると推察する。 新聞事業者は陸軍と海軍の両方から反感を持たれると立ち行かない状態になると思われる。 1944年の竹槍事件では毎日新聞が「大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない」と主張、執筆者の新名丈夫(当時37歳)を陸軍は硫黄島に送ろうとしたが海軍が庇っている、硫黄島の戦いでは戦死の確率が高いの判断と思われるので陸軍側は殺す為に硫黄島に送ろうとしたと推察する、之は海軍が善で陸軍が悪と主張しているのではない。 戦争反対ではなくても命令に反対意見を述べると殺される状況下の報道だった、戦争が行なわれている状況下での報道は真実を伝える事は困難であることが解る、しかし新聞や言論が戦争へと国民を誘導していなかったとは言えない。
2015.05.17
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半年間、朝日新聞の社説を読んでいる者と産経新聞の社説を読んでいる者にある出来事の評論を依頼すると、夫々読んでいる社説風の評論を行なうだろう、社説を信じていなくても馴染んでしまうと怖い。 其の後に逆の新聞社の社説を読むようにすると初めは違和感があるだろうが徐々に読む社説に染まっていく、毎年異なる新聞をメインにするのが良いと思う、飽く迄も私の勝手な主張。 多様性の少ない空間・時間はキビシイ、管理されているとすると恐ろしい。 マスメディア・言論は満州事変から敗戦まで報道にどのように向かい合っていたのか、また戦後の占領下に於いて日本が独立した後や現在に於いても困難でも真実の報道を第一義としているのだろうか。 商売として成立している報道は力はあるが独特の限界・制約があると思う。 報道及び其れを行なう組織に過大な期待や完璧な平等性・モラルを求めることは自分自身に対してと同様に困難。◇「記者クラブの歴史と問題点/前坂俊之」によれば(抜粋) 大正時代から昭和十年代にかけて、現在とほぼ同じ記者クラブの原形が形成された。当時「東京日日」(現毎日)の鈴木茂三郎の「新聞批判」などをみると、記者のゆすり、たかりの腐敗問題、官庁や業界との癒着など、記者倫理が問われ、記者クラブのあり方がすでに問題となっている。──◇「記者クラブ/ウィキペディア」によれば(抜粋・纏め) 記者クラブは当初、ほとんどは個人(記者)による直接加入で議会に対する取材の権利などを勝ち取ってきた。 日米開戦前、近衛文麿内閣の1941年5月に新聞統制機関「日本新聞連盟」が発足。11月28日に「新聞の戦時体制化」が決定され、日米開戦後に新聞連盟の設けた「記者会規約」により加盟は記者個人から会社単位となった。 戦後、GHQは記者クラブの解体を執拗にせまった。報道の自由や取材の自由を踏みにじる組織であるとして取材組織から世界一般の親睦団体への転換をせまった。これを受けて、1949年10月26日、 日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成した。記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定した。 1958年には記者室の使用を許可する大蔵省管財局長の通達が出た。── 戦後の占領下に於ける1945年10月15日:治安維持法・治安警察法・思想犯保護観察法など廃止、特高警察官罷免。 「記者クラブ」は国民の知る権利を阻害しているのだろうか、戦時中に政府が管理し易いように加盟を個人から会社単位にしたのなら、個人単位に戻せばと思う。 置かれた状況を考慮しないといけないが、国民を戦争に向かわせ、天皇の為に戦い死ぬことを礼讃していたマスメディアは存在した。 しかし戦争が敗北に終わると、国民が戦争を望んだ、敗北を天皇に懺悔しよう、自分・自分たちは戦争を望んでいなかった、の主張で「昭和天皇独白録」に於ける天皇の主張を代弁しているのかのようである。 敗戦後、沈黙する者、被害者面する加害者、マスメディア・言論は主軸をエリート主義(選良主義)からポピュリズム(人民主義)に変更していく事が求められるが、大衆迎合に走ったりエリート主義を主軸にする表現も存在する。 報道は真実を明らかにする事が重要と思う、前提として「弱きを助け強きをくじく」の姿勢が根底に流れている事が必要と考える、ただ弱いや強いは一定ではないので難しい。 自分達の利益・自分達の主張を優先する事はしかたがない(獄中で亡くなった或いは殺された者もいる)が真実より優先する事は故意であれば報道とは異なり故意でなく思慮不足であればマスメディア・言論であると胸を張れない、言論の自由と言うが真実と乖離した報道は原則として言論ではないと誰でも思う。 大日本帝国と占領下の日本のマスメディア・言論の断片を調べてみたい、言論の自由がなかったのか、言論がなかった(言い過ぎ)のか。 大日本帝国下でマスメディア・言論を縛っていたもの、自らの主張がブーメラン化し自らを縛ったもの、「大日本帝国憲法」は前提として、「国体明徴声明:1935年」・「国体の本義:1937年」の圧力の中で法的には 「刑法:第1章 皇室に對する罪」 「出版法法律15号」 「新聞紙法法律41号」 「新聞事業令(昭和16年勅令第1107号)」 「治安維持法」 「治安警察法」 「思想犯保護観察法」 「国家総動員法」 等があると思う。
2015.05.03
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