全29件 (29件中 1-29件目)
1
第三部『血脈の火』も面白く読んだやめられないなあ、次は第四部へ主人公の言葉「・・・したらどうかのお」「・・・あるけんのお」こんな言葉が日常生活に伝染しそうでつい笑ってしまう毎日であります
2024/02/29
コメント(3)
夜の十一時五分から始まるNHKのラジオ深夜便という放送を時々聴いている。先日、「試験、テストと言えば」という番組があった。ほんの一部分を聴いただけで眠りに落ちたので、内容についてはほとんど記憶がない。しかし番組の題名「試験、テストと言えば」はボクにもいろいろ思い出もあるので、今回のエッセイのタイトルに借用することにした。 考えてみればこれまでの人生で実にたくさんの試験とかかわりあってきた。さすがに小学校の試験のことは、あったかどうかさえ覚えていないが、中学、高校では中間試験、期末試験があった。高校、大学の入学試験も受けた。社会人になってからも仕事に関係する資格試験をたくさん受けた。車の運転免許の試験は定年前の五十八歳、定年後はアマチュア無線の資格もとった。八十歳を過ぎた現在でも、運転免許更新の際の認知機能検査が三年に一度ある。 過去の経験から言って、試験との相性は良い方だと思っている。節目の試験では、高校入試は倍率が一倍とちょっと、よほどのことがない限り落ちることはない。大学は二校受けて一勝一敗で国立に入れた。なにも二校に合格する必要はなく、一つ合格すればそれで十分。また我家の当時の経済事情から、どうしても学費の安い国立に行く必要があったので、結果良しであった。 就職試験もまた幸運に恵まれた。時は東京五輪の二年前、東京はじめ日本全国が建設ブームであった。そういう時代に就職期を迎えたボクが目指したのはいわゆるゼネコンで、当時は売り手市場であった。夏休みの初め頃、指定された日時に東京の本社に行くと、胸部のレントゲン撮影をした後、他社は受けませんと言う誓約書を書いておしまい、というあっけなさ。卒業の年次によっては就職氷河期などと言われた世代のことを考えると、ただただ「幸運」の一言であった。 それでも一つだけ苦労した試験がある。それは一級建築士の試験で、仕事の上では一番重要な資格であり、会社からも早期の取得を促される。大学を卒業して三年目に受験資格ができる。試験はいくつかの学科と製図に分かれている。学科が通ってあとは製図だけとなったところで、お粗末なことに試験の時間を間違えた。午前中の試験を午後からだと思い込んでいたのだった。当時住んでいた社宅から道路を一本隔てた試験場に向かうと、受験者がぞろぞろと帰途につくところであった。茫然自失という熟語があるが、この時の心境を表すのに、これ以上ぴったりの言葉はないだろう。 悪いことは重なるもので、この後、試験の制度が変わったため、また元の学科を受け直さねばならない羽目になり、合格までさらに二、三年を要した。 試験と言えばもう一つ、カンニングに関する思い出がある。カンニングと言えば、手元にカンニングペーパーなどの資料を隠し持つとか、他人の答案をのぞき込むなどが考えられる。ひどいのになると替え玉受験というのも聞いたことがあるがそれは問題外のこと。とにかくカンニングのようなせこいことは考えたことがない。そんなにしてまで良い点を取りたいこともなく、また合格したいと思う試験はない。第一、他人の答案を見たところで、それが正しいかどうかわからないではないか。 高校三年の期末試験の時、試験官の教師が突然ボクの席へ駆け寄ってきた。えっ、なに? カンニングを疑われたのある。これには腹が立った。何か紛らわしい動作をしたのかもしれないが、その時はそんなことを考える余裕はなく、疑われたことに無性に腹が立った。それで試験を続ける気がなくなってしまい、答案の裏に「○○のバカヤロウ」と書いて答案用紙を提出、教室を出た。○○はもちろんその時の監督の先生の名前である。 カンニングの話をもう一つ。大学一年の時のいくつかの試験は、無監督で行われていた。教員は試験の用紙を配ると教室からいなくなる。それを良いことに、教科書などを引っ張り出して、いわゆるカンニングをする学生も出てくる。この時は多分ボクも同じことをしたと思う。そんなところにひょっこりと教官が姿を現すことがあった。その時は教科書などを慌てて机にしまうガタガタという音で、教室がざわついたものである。何が行われていたかは丸わかりであったはず。そんなことは見込んだうえでの無監督試験だったのかもしれない。遠い昔の話であるが、現在はどうなっているのだろう。 今回はラジオの深夜放送で聞いた番組が、エッセイのヒントになったのだが、実を言うとボクにとって深夜放送は睡眠薬替わりなのである。トイレなどで目が覚めた時、タイマーを十五分にセットしてラジオをつける。隣に寝ているカミさんに言わせると、ラジオをつけるのはいいが五分も経たないうちにいびきをかいているという。何とも締まらない話である。(2024年2月)
2024/02/28
コメント(3)
2月の楽歩会は大和郡山へ『金魚と梅と雛飾り』を楽しみました参加者22名下見の時に17名も参加しているのでさすがに今回は少なかったコース:近鉄・郡山駅→町屋物語館→源九郎稲荷神社→郡山金魚資料館(昼食)→大納言塚→大和郡山城址→近鉄・郡山駅約6.5㎞の平坦な街歩きのコースコースのタイトルの通り金魚と梅と雛飾りを堪能してきました金魚正面から顔を見るのも面白い!郡山城址の枝垂れ梅ひな飾り(町家物語館)同上、中でもお雛さんは商店などで公開中もういいよというほどたくさん鑑賞させてもらいました今夜、おひな様に言い寄られている夢を見なけりゃいいのですが
2024/02/27
コメント(7)
面白いものを見つけたGoogleマップのタイムラインすでにご存じの方には「なんだ今頃」と言われるでしょうこれがそのタイムライン地図は普通のグーグルマップでその上に移動した軌跡が表示される(矢印などの書き込みはボク)これは2月17日の宝登山ハイキングの日の行動Googleマップを開き[三]の記号からタイムラインを選択①のところで見たい日の日付を指定②の軌跡がボクの移動ごとに表示される移動の手段、時刻、所要時間移動距離が自動で表示されている(間違いがあれば修正できる)道中で撮影した写真もすべて見ることができる(一体どうなってるのだろう?)右の大きい画面は普通のグーグルマップなので地図の移動、拡大縮小は自由自在このタイムラインを見れば一年365日自分がどこにいたかがすべてわかるボクの場合は2014年から記録があるGoogleに何かを登録して以来なのだろう(それ以前の海外旅行の記録がないのが残念)アリバイには使えるけど知られたくない行動までわかるのはなあ!便利なのか、恐ろしいのか
2024/02/26
コメント(5)
ラジオで大阪マラソンを聴いたテレビと違って、他の作業をしながら楽しめるのが良い初マラソンの選手が好タイムでゴールしたようだムコドノと姪も出場しているムコドノは前回に続いて2度目姪が出るのは初めて聞いた3児の母、細身の体でよく頑張って完走したスマホまたはパソコンで「ランナーズ・アイ」を開けばランナーの途中経過や結果が見られると娘から教わったので二人の結果を見たなるほど、ランナーの名前を入力すると5キロごとのタイムや順位、途中何カ所かの動画などが見られるようになっている現地で応援する場合は、ランナーの現在地が常に地図に表示されているので先回りして応援することもできるもちろんゴールのタイム、順位もであるまた、応援のメッセージも簡単に送信できるフーン、これはすごい!
2024/02/25
コメント(7)
知人二人が出展している写真展「フォト7(セブン)」をのぞいたこういう知人が出している展覧会には極力出かけるようにしている作品に対するねらいや工夫などを想像してなにかしら刺激を受けるところがあるからたまたま隣の会場でも写真展をやっていたこちらは「枚方フォト12」よく似た名前だ、関係があるのかな?*帰りに車をおかせてもらったいとこの家で来月のいとこ会の旅行について相談した
2024/02/24
コメント(2)
赤い実をびっしりつけたピラカンサ亡母(はは)は「ピラカンさん」と呼んでいたっけ(高松市)高崎 英子おかしさがこみあげてきますいますぐに思い出せないが花の名にかかわるこんな例はほかにもありそうですね寒ぶりに寒だら寒がき寒さばをチラシに見つつ一人寒ざけ(上越市)藤田 健男寒ぶりに寒だら寒がき寒さばとよくもまあ並べたものであるおとこ一人、悠然と酒を飲むそんな光景が目に浮かんでくる歌しばらくは見なくて済んだトランプをおそらく毎日見る羽目になる(五所川原市)戸沢 大二郎来年からそうなるのでしょうかねえなぜあの人に人気があるのかかの国のことはよくわかりませんがボクはトランプを好きになれません若き日は歴史嫌いの我が眼を開いてくれた人、菜の花忌(茂原市)山口 明男何を隠そう、ボクもまた三十年ほど前にこの歌の作者と同じ経験をしていますなんとなく読まず嫌いであった司馬作品一冊読んだら面白くて次々に何冊も読む羽目になったものです作者没後、東大阪市にある司馬遼太郎記念館にも足を運びました今は宮本輝の小説に夢中になっています
2024/02/23
コメント(3)
とうとうハマッテしまったかなとにかくストーリーが面白い思わずクスリと笑う場面も多い主人公の言動も愉快である思いがけないことを言い思いがけないことをする奥さんの大阪弁も親しめる下ネタも適当に出てくる第二部は埼玉への往復の車内を利用できたので比較的早く読めた現在は第三部『血脈の火』を読書中
2024/02/22
コメント(5)
本日の午後、地元の警察から還付金詐欺の防止についての講習会引き続き、長寿会からフレイル予防のビデオによる勉強会があり、両方に参加した大阪府下だけで年間38億円の被害よくもまあ世の中には金持ちが多くいることよと感心する先のことはわからないが、今のところは詐欺に遭わない自信はあるが・・・方やフレイル、最近よく聞くようになった健康と要介護の中間の虚弱の状態を言う我々老人はみな、フレイルの一歩手前フレイルには身体の虚弱な状態の他に閉じこもりなどが原因の社会的なフレイルそれにもう一つ、心理的・認知的フレイルの三つの要因があるという日本人の寿命が伸びたことを喜んでばかりはいられないようだ長寿は何もいいことばかりではなく当然、マイナス面の現象もあるのだから健康で長寿、理想だけれど・・・クヨクヨせずに自然体でいこうと思う
2024/02/21
コメント(5)
秩父鉄道「長瀞駅」最初は宝登山駅として開業したが後に長瀞駅に改称された駅舎は1911年の開業当時のままで歴史を物語る木造建築の駅」として関東の駅百選に登録されている駅から見た宝登山秩父鉄道沿いに流れる荒川では「長瀞ライン下り」をやっている(冬の1、2月は「こたつ舟」)「ライン下り」の様子をデザインした長瀞町の下水道マンホール蓋下に「秩北」の文字が入っているのは長瀞町と隣の皆野町の下水道を管理する「秩北衛生下水道組合」のこと中央に長瀞町章を配した汚水マンホール蓋ASD(Anti-Slipping Design)と言って耐スリップ表層構造の蓋町章は長瀞の「ナ」を図案化したもの長瀞町の電線共同溝の蓋関東三大民謡の一つ、秩父音頭の振り付けを何種類かの蓋に採用している(→☆)駅から参道を15分ほどの所ロープウエイ山麓駅のところにある宝登山神社にも参拝わずか一日のことであったが初めて訪れた長瀞町を楽しませてもらった、感謝!姪のいる熊谷から近いのでまた訪れる機会があるかもしれない
2024/02/20
コメント(3)
宝登山の頂上付近の斜面には三千本のロウバイが植わっている写真では蝋梅独特の馥郁たる香りをお伝え出来ないのが残念である蝋梅は黄色一色で離れて撮ると花の色もかすんでしまってなんとも単調で面白くない以下のような個々の近影の方が見栄えがすると思うロープウエイの山上駅にあった案内所で蝋梅の種類の説明をしてもらった蝋梅の種類素心蝋梅(ソシンロウバイ)蝋梅(ロウバイ)の定番品種全体が黄色で、花びらが細め他の品種より香りは強い満月蝋梅(マンゲツロウバイ)他の品種より花が大きめで花弁が丸目早咲きで花色が濃い和蝋梅(ワロウバイ)蝋梅(ロウバイ)の基本種で花の中心が暗い赤紫色で花弁は細めおまけに我が家のロウバイこれは近所の木の実から実生で育てたので種類はなにとは言えない関連記事(→☆)なお蝋梅は中国原産の落葉樹だという
2024/02/19
コメント(7)
2月17日(土)秩父鉄道 「野上駅」から宝登山山頂へそして同じく秩父鉄道「長瀞駅」へというハイキングコースを歩いた前日の16日は熊谷の姪の家で泊まり姪の両親である義妹夫婦も合流して四人当日は義妹夫婦の車で出かけた30㎞、車で50分ほどの距離であるコース地図は下記の通りで初心者向けハイキングコースである帰りが便利なように長瀞駅に車をおいて秩父鉄道で一駅、野上駅からスタートコースマップなどがあるかと思ったが無人駅には何もないあらかじめWEBサイトからダウンロードした持参の地図でスタート要所要所に案内があるので地図はなくても大丈夫コースの大半はこのような落葉樹の道天気は文句なし、風もない枯葉が落ちずに残っている低木はヤマコウバシだろうか宝登山口分岐ここから山頂までは200段の階段を含むちょっときつい登りで山登り気分を味わう同上やがて山頂長瀞駅からロープウエイでロウバイ見物に来る人も多い宝登山山頂蝋梅のかぐわしい香りが漂っているここで三千本と言われる蝋梅見物と昼食で一時間ほど過ごして下山
2024/02/18
コメント(2)
<center>秩父鉄道の 野上駅から長瀞駅までの長瀞アルプスハイキングコース約11キロを歩いた目的は宝登山のロウバイ宝登山のロウバイの話を聞いたのはもう二十年も前だろうかたしかNHKのラジオだったホドサンは宝が登る山と書く秩父の山そこには何千本ものロウバイがあって美しい花を咲かせ、素晴らしい香りが漂っているというのであるその放送を聞きながら、ボクは勝手に桃仙郷のようなところを空想していたそして、いつか一度行ってみたいと強く思ったのであったずっとその思いは頭の片隅にあったそれが今日、実現したのであるたまたまカミサン方の姪が埼玉に新居を設けたことにある姪の家から20キロ、電車でも車でも1時間で行けるこれは行かないてはないというわけで今日実現したこういうのって格別に嬉しいですね写真がアップ出来ないので明日以降に•••
2024/02/17
コメント(7)
<center>今朝の朝日新聞 天声人語で若者は SNS で句点(。)を冷たいと感じるだからほとんど使わないと書いている実はボクのブログでも数年前から読点(、)は使っているが句点は使わないことにしているボクのブログの文章は読者が読みやすいようにと意識して短くし、改行を多用ているその短い文章に句点をつけると煩わしく感じるのが理由であるもちろんボクは若者ではなく対極にある老人であるそれでもボクの感じ方は天声人語の言っていることと多少関連があるように思う;
2024/02/16
コメント(5)
焼酎を飲む日々なれど燗酒を今宵は飲まん「舟歌」思い(観音寺市)篠原 俊則ウムウム、そうでしょうともぬるめの間でやりましょう!昨年の夏ごろは体調のせいか日本酒がうまくない時期があったしかし暮れからは復活してうれしい!健さんが倍賞千恵子の居酒屋で聞いてた八代亜紀の「舟歌」(羽曳野市)玉田 一成今週は八代亜紀の追悼歌が多かったそれもこの「舟歌」を詠んだ歌が訃報に接して何度か聞きなおしたがやっぱりいい歌だと思う特に出だしが姉が買うお守りはなんと縁結びはっと息を飲む母父私(富山市)松田 わこ初もうで妹の願い多いのか大きいのかなかなか動かない(富山市)松田 梨子松田梨子、わこさん姉妹の歌が共に掲載されていたお互いを思いやる仲の良い姉妹の様子が歌からも想像されるこの歌壇の常連であるお二人の今後の人生が楽しみである
2024/02/15
コメント(3)
訪問日:2023年12月30日岡山県新見市にある国指定の天然記念物「羅生門」古い鍾乳洞が崩れて一部分がアーチ状の形で残っているというがいまひとつ元の形が想像できない駐車場にある案内板これを見て何やらぼんやりと感じるものがあるいわゆる既視感というやつ同じく駐車場の説明板説明は古文調で趣がある駐車場から100mほど歩くとこの看板ウーン、なにやら見覚えが・・・そして第一展望台に到着冒頭の写真の景色を見てようやく以前に来たことがあるということを確信しかしいつ誰と来たのかが思い出せないこれではどうもひっかかって気分が悪い高さが40mあるという見るからにビッグスケールのアーチここから先は通行止めの看板があるなんとなく大丈夫そうなので先へ進む下の方に降りていくと第二展望台があるアーチが鍾乳洞の断面ならばそれがつながって続いていたことになるそれにしても不思議な景観ができたものだ*帰宅後、ブログを見直して2019年に大学のクラス会で来ていることが確認できたわずか四年前のことなのにこの程度の記憶しか残っていないこれはちょっと寂しいな
2024/02/14
コメント(7)
旧上田市(※)のシンボルマークである「六花文」と「ツツジ」をあしらったデザイン※上田市は、2006年3月6日に上田市丸子町、真田町、武石村が新設合併して誕生した、長野県東部の中核都市本マンホール蓋は、合併前の上田市のシンボルマーク「六花紋(ろっかもん)」を上部に配置し、当時の市花「ツツジ」をあしらったデザインです。 「六花紋」は、天正11年(1583)に築城された上田城の城主・真田氏の家紋である「六文銭」を花に見立てて円形に配置した物です。 戦国時代の上田城は、第一次・第二次上田合戦の二度にわたり、真田昌幸(幸村の父)が徳川家康の軍を苦しめた難攻不落の城です。 現在の上田城は桜の名所で、また、信州上田の主たる観光地として多くの観光客でにぎわいます。信州上田へお越しの際は、上田城とマンホール蓋をぜひ見にいらして下さい。(マンホールカード)ボクは「六花紋」のこと知りませんでした上記の無色版上記とデザインが少し違うが模様の凹凸が逆になっている防火用水槽上田市のマンホール蓋は同じ市内でも地域によって蓋のデザインが違うようです先日紹介の鹿教湯温泉の例(→☆)上田駅JR東日本・しなの鉄道・上田電鉄 が乗り入れている駅である
2024/02/13
コメント(5)
2月4日、鹿教湯温泉の帰り上田城址公園に立ち寄ったそこで日ごろあまり見かけない枝ぶりの木を見かけたなんだろうと思って観ていると「シダレグワ」という名札が見つかったその時は「枝垂れ桑」という漢字を思いつかなかったが、あとで調べて「枝垂れ桑」であることがわかった街路樹として植栽している地域もあるというような説明があった蚕糸業で栄えた信州上田は「蚕都(さんと)上田」と呼ばれました。蚕都上田の歴史・文化は今も豊かに残っています。(「蚕都上田だより」のサイトより)なるほど、それでこの城址公園に植わっているのかと合点がいった上記サイトに上田城址公園の緑の状態の「枝垂れ桑」が紹介されていたボクが撮った写真と反対方向ら撮った写真のようです以上、偶然見つけた「枝垂れ桑」については初めて知ることばかりいつものことだけれど「初めて」というのは刺激的ですね
2024/02/12
コメント(7)
庭の福寿草が開花した何の手入れもしてないので山野草と同じこと、毎年同じ場所で花を咲かせてくれますフキノトウの天ぷらを食べました畑の周りで自生しています春まではまだ少し間がある季節の先取りをした気分です
2024/02/11
コメント(6)
鹿教湯(かけゆ)温泉長野県上田市にある温泉ちょっと読めない名前であるその昔、鹿に化けた文殊菩薩が信仰深い猟師に丸子の山中に湧く温泉の存在を教えたことから「鹿教湯」という名前になったと。読みはともかくこの温泉の由来「鹿が教えた湯」の言い伝えがそのまま地名になっているという文殊様が立派なお堂に祀られている上記、温泉の由来をもとにした鹿の絵のあるマンホール蓋鹿の親子が微笑ましくかわいい同上、色なし鹿の絵と文字の凹凸が上のとは逆鹿は同じだが周辺の模様が異なる*鹿教湯温泉散策屋根の付いた橋は珍しい世界中でベストセラーになった小説『マディソン郡の橋』で有名になったたしか映画化もされたはず日本では四国、金毘羅さんのある琴平駅の近くで見た記憶があるそれも大分以前のことなので今も残っているだろうか念のために調べると無事である屋根のある橋は珍しいと書いたがなんと日本に250本もあるという但し、これには木造以外に鉄骨造や鉄筋コンクリート造も含む温泉周辺には散策路があるこれは散策路の標識の一つ一般的には何キロと表示する案内板の距離を歩数で表示しているのが珍しい同上ボクたちが宿泊した宿「鹿乃屋旅館」美術館兼コンサートホールがあったこれは宿の主人親子の道楽だという絵を集めたのは先代音楽好きは現在の経営者こじんまりした宿で部屋は和室食事もよく親切な対応であった温泉の効能だろうか手指のしもやけが治ってきた
2024/02/10
コメント(8)
先日(2/3)、北八ヶ岳の坪庭散策の際アイゼンにトラブルが発生したロープウエイで山頂駅まで登り坪庭の散策路を一周する予定だまずはアイゼンの取り付けところがつけようとしたらひもの部分がバラバラに!ナニ、コレ! 完全に腐食(劣化)していたようだしばらく使っていないので出発前に一応の点検はした実際に片足(右)に着脱もしたそれで異常はなかったところが具合が悪いのは左足の方だいずれにしてもボクの確認不足坪庭の散策路は散策や登山の人たちで踏み跡がしっかりしているようだった案内図を見ると急な登り下りがそれぞれ一か所ずつあるようだ行けるところまで行ってみよう結果的には、アイゼンなしで歩けたこれが登山だったらと思うと恐ろしい教訓アイゼンの点検は事前にきちんと!何をいまさらと言われそうです*ジャンボレモン3㎏で今年二度目のジャムつくり
2024/02/09
コメント(7)
宮本輝「星宿海への道」 が面白かったので、続いて『錦繡』を読んだこれもまた面白かったそこで知人の推薦もあって『流転の海(第一部)』を読んだボクとの相性がいいのだろう話の筋がとにかく面白いそれで早く先を読みたくなる『流転の海』はシリーズになっていて9巻まであるらしいどこまで読み続けられるかわからないとにかく頑張って読んでみようと思う
2024/02/08
コメント(6)
大和郡山市の代表的な地場産業である「金魚養殖」の金魚が金魚鉢の中を元気よく泳ぐ姿を図案化して製作したマンホール蓋です。 美しい水環境のシンボルとして1989年から使用しています。大和郡山市の金魚養殖は享保9年(1724年)、柳澤吉里候が甲斐から 大和郡山へ入部したことに端を発すると伝えられ幕末には藩士の副業として盛んに行われるようになりました。それ以来歴史を積み重ね、今では毎年4月上旬に金魚品評会が桜花爛漫の郡山城址内の柳澤神社で行われるほか、 8月下旬には金魚スクエアで「全国金魚すくい選手権大会」が開催されるなど大和郡山の風物詩になっています。(マンホールカードの説明)同上、色違い受枠に□の模様無色仕切弁中央に市章、亀甲柄の穴あき蓋楕円模様を3周した受枠付き文字はなし
2024/02/07
コメント(5)
2月楽歩会の下見で大和郡山を歩いた参加者は17名、下見に17名の参加者は初コース:近鉄・郡山駅→町屋物語館→源九郎稲荷神社→郡山金魚資料館(昼食)→大納言塚→大和郡山城址→近鉄・郡山駅約6.5㎞の平坦な街歩きのコース郡山は金魚のまち商店の店先には工夫を凝らした金魚鉢とかオブジェとか同上町屋物語館の見学築百年の木造三階建て、元遊郭シニアグループの方の説明付きで見学金魚の養殖池お城の紅梅同じく白梅が咲き初め本番の27日にはお城の梅林も咲きそろっていることでしょう!ひな祭りも2月24日から始まるのでこちらも、乞うご期待! である
2024/02/06
コメント(4)
布引山釈尊寺は長野県小諸市最寄り駅はJR・小諸駅またはしなの鉄道線・滋野駅千曲川と並行する県道40号沿いにある車が15台ほど駐車できる広場がありトイレもあるが3月までは閉鎖中とのこと信濃の国三十三観音巡り第二十九番札所で観音堂までは標高差約100mほどの登り道駐車場にあった案内板ここから登り始める立札には、自然の山中の寺です落下物、滑落、転倒等の不測の事態を予測し自己の責任にてご入山くださいと書いてある最初のスポットはこの「布引二段の滝」滝の周りは凍ってつららになっている案内板がないのだがこれは二段の滝だとすぐにわかるからよい次の「馬岩」がわからないのでパス下山時に馬頭観音の像を見つけてこれが「馬岩」ではないかと推測正面から見ると馬ずららしく見えるこれが「牛岩」だろうかなどと言ってると近くで「牛岩」の標識が見つかった「牛に魅かれて善光寺参り」の伝承の地にふさわしく、岩に牛の姿が現れておりこの布引渓谷の中でも迫力ある奇岩であるこんな説明があった「釈尊寺六地蔵」このほかにも見守り地蔵など参詣者を見守る像が随所に配置されている「見守り地蔵」道行く人の安全を見守るために信徒が設置したという「善行寺穴」と言って、長野の善光寺まで穴が通じていて、善行寺火災の折にこの穴から煙が出たと伝えられる「不動滝」岩の上に不動尊が安置されていることから「不動滝」と名付けられている岩の上の不動尊懸崖造りの「釈尊寺観音堂宮殿」(重文)1258年(正嘉2年)の建立「懸崖造り」または「懸け造り」は急峻な崖や山の斜面にへばりつくように建てられた建築のこと京都の清水寺本堂が有名であるが日本を代表する建築は鳥取県の三徳山三佛寺投入堂といわれている同上観音堂宮殿の内部観音堂から見た釈尊寺本堂本堂の前にある「幻牛伝説」の説明ざっとこんな具合であとは登ってきた同じ道を降りるだけ往復の間に数組の参拝客に出会った*同じ「懸け造り」の三徳山三佛寺投入堂を訪れたのはもう十年以上前のことになる2011年6月19日のブログ(→☆)
2024/02/05
コメント(5)
鹿教湯温泉の旅二日目は布引山釈尊寺と上田城跡公園散策予定通り夜八時帰宅であった昨日の朝五時出発で今日は午後八時着とても一泊二日とは思えないもっと長い旅に感じられる二日間であった昨夜、旅館の周りは薄っすらと雪もう少し雪世界を想像していたが意外に雪は少なかったりなかったり今日も快晴で天候に恵まれたのは有難い布引山釈尊寺観音堂垂直な岩にへばりつくように建てられた観音堂宮殿は重要文化財この案内図からは想像もできないが観音堂までは高低差のある急な登り道案内図にある滝やら岩やらを楽しみながら往復した訪ねる人は、ぽつりぽつりとありかなり有名なのであろうと思われる
2024/02/04
コメント(3)
今日はカミさんの誕生日娘夫婦がお祝いの意味で温泉旅行に誘ってくれた朝5:00に自宅を出発ロープウエイを利用北八ヶ岳の雪景色を見て15:00に鹿教湯温泉に到着付近を散策、温泉に浸かって疲れをいやし、地酒を楽しむ明日の予定は天台宗 布引山 釈尊寺と上田城を見学して帰阪以下の写真はいずれも北八ヶ岳山上
2024/02/03
コメント(10)
たくさん生り過ぎて実が小さかった柿少し収穫しただけであとは鳥さんたちに提供することにした(年末の写真)一月の終わりに集中して食べに来てようやく全部を食べ終えた(一月末)一方、ナンテンや千両などの実は早いときには正月前に無くなって生け花に困ることがあるというのにこの冬はいまだに残っている庭のナンテン千両万両*野山にある餌と関係があるのだろう鳥たちの行動は、というより自然界のことは素人にはよくわからない
2024/02/02
コメント(4)
孫のナツキから結婚式の招待状が届いた親族は紙、友人にはwebの招待状を送ったという親戚には紙、というのは我々高齢者が多いことに対する配慮なのだろうと推測している念のためにと友人に送ったwebの招待状も送ってきたそれを見ると所定の欄に必要事項を打ち込むだけお祝いのメッセージもき込める早速出席の返事をしておいた*世の中は変わりつつあるセルフレジなどもその一種スマホで買い物や確定申告ができるなど進化が激しいなんとか対応できるものもあるがなじめないものもある
2024/02/01
コメント(3)
全29件 (29件中 1-29件目)
1