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大阪ウオーキング連合の例会「平城遷都1300年記念ウオーク」今年は平城遷都1300年を記念して奈良では各種の行事が計画されています。メイン会場の平城宮跡では大掛かりな準備がすすんでいました。コース:近鉄・飛鳥駅→天武・持統天皇陵→朱雀大路跡→藤原京跡→鏡作神社→唐古・鍵遺跡→賣太神社→九条公園→平城宮跡→近鉄・大和西大寺駅(30km)今日のコースは川が多かったです、歩いた順に「飛鳥川」、「米川」、「寺川」、「大和川(初瀬川)」、「佐保川」そして最後は「秋篠川」を北上して平城宮跡へ。天気予報が大当たりでスタート直後からポツリポツリ結局、小雨ではありましたが最後まで雨中のウオーク参加者45名、みなさまおつかれさまでした。ヤドリギとぬいぐるみ(に見えませんか)嫁取り橋-珍しい名前の橋がありました何かいわれがあるのでしょうね
2010/01/31
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京都でいとこ会の新年会に出かけました少し早めに出て、東寺に立ち寄りました。いつもは境内を素通りするだけですが今日は拝観料800円也を奮発して五重塔、金堂、講堂などを見学しました。五重塔の内部を見るのは貴重な体験でしたがやはり外から眺めているのいいですね。三重塔や五重塔を前にしたときいつも感じるのは日本の木造建築の素晴らしさ特に国宝・五重の塔の姿に惚れ惚れと見とれました。 いとこ会はホテルのバイキングで4,000円で食べ放題!飲み放題!1割引の券があったので3,600円17:00~21:00までとゆっくり出来るのがいい一緒に西国めぐりをしているいつものメンバー14人飲む・食べる・しゃべるの三拍子を満足して散会
2010/01/30
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母をデイサービスに送り出してぶらりと里山歩き水筒にお茶を詰め、近くのコンビニでおにぎりを買うしばらく歩いていないので、こころなしか身体が重い満開のロウバイが朝日を浴びて輝いている見ていると気持ちが明るくなる道中所々に柿の実が残っている手が届くところのを取って食べてみるよく熟していてうまい、手を伸ばしてもう一個食べた時はうまかったが、後の口の中に渋みが残っただから鳥たちも食べ残しているのかもしれない今日のコースは落ち葉の積むふかふかの道歩いていると心が癒されるそれはいいけど、ハナミズが出て困ったおまけにハンカチもタオルもティッシュも忘れている仕方がないのでガキの頃のようにシャツの袖口で拭いたカミサンに言うと何か言われそうだから、黙って洗濯機に放り込んでおいた9:30~14:30、ケータイの万歩計は16.7km
2010/01/29
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母は週に2回、お風呂に入れてもらうためにデイサービスのお世話になりますところが日によっては、入浴を拒否して担当の職員を困らせるらしいある日の連絡帳にそのあたりの様子が記載されています思わず笑ってしまいましたが同時に、さすがプロ!と感心。(前略)午後からのお風呂は少し拒否がありましたが○○さんに入ってもらおうと朝からマキで沸かしましたとか(ウソですけど)ライオンの口からお湯が出るので是非見てくださいとかいろいろなお話をして笑っている間に機嫌よく入っていただきました。(後略)有難うございました。
2010/01/28
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厳頭之感悠々なる哉天襄遼々なる哉古今五尺の小躯を以て比大をはからむとす。ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ。万有の真相は唯一言にしてつくす曰く“不可解”我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。藤村 操(ふじむら みさお、1886年7月 - 1903年5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳の滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)昨日のブログ、祖父の文章から思いついて藤村操と巖頭之感について調べました。一見、歯切れがよくてカッコイイ?でも難解な詩文です。このサイトの「絶筆」→「藤村操」の項が当時の状況を知るのに参考になりました。藤村操も巖頭之感もこのままでは消化不良ではありますがこれ以上深く調べるほど興味がありません。
2010/01/27
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『明治百年記念回想録』(1967年9月)紫山会(紫山会は1910年京都師範卒業生の同窓会名)この中に祖父の文章を見つけ、しばし懐かしい気分に浸りました祖父が亡くなる二年前、79歳のときのものです。頂上の感◇藤村操に巖頭之感あり。吾亦これに習ふべきか。八十の坂をヨジヨジと登り来て、さて後を顧ると、迷雲層々、後悔の涙亦新なり。◇普天の下率土の浜、何れ王土に非るなし。此土に生を享け、此土に育まれた此老人今日に至る。豈神の庇護なしには不可能の事ばかり。伯夷叔斉は清の粟を食まじと、首陽山に餓死したが、吾れ明治の男、世は如何様にもなるとも、戦に負けても、此土を離れない、終始一貫、明日の欣求浄土を楽しむ者なり。◇この男、多くの先輩知友等の援助を得て、茲に到る、嗚呼嬉しさの極である。「この世は仮の宿」、そんなことがあるものか、この世こそ真の此の世だ。謳歌礼賛せずんば非ず。一休和尚は、有漏路から無漏路に帰る一休と仰有ったが、此の世は我にとって一休も二休もない、否、大休止だ。この大休止中に何をなしたか、人のためにつくしたか、邪魔をしなかったか。◇願はくは死後「よい男だった」と言はれたい、「嫌な奴だった」と後指も、前指もさされたくない。ああ、よい児になりたいのう。(後略) 概略の意味はわかるものの人名や熟語など知らないものが多い藤村操に巖頭之感、普天の下率土の浜伯夷叔斉、有漏路と無漏路・・・この際、調べてみよう。
2010/01/26
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「これからでも遅くはない」ボクの大好きな言葉です「もう歳だ」とか、「いまさら」なんて言葉はやらないことのいいわけに過ぎない。
2010/01/25
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今年もハッサクを収穫しましたこれで二本分です。摘果など面倒なことはしないので大きさも不ぞろいです。しばらくおくと味がよくなるというのでこのまま一ヶ月ほど寝かせておきます。
2010/01/24
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土曜日の朝日新聞落合惠子さんのコラム「積極的その日暮らし」今日のタイトルは「手を振る人に」イギリスの詩人スティヴィー・スミスの詩を紹介して思いを綴られています。そのコラムの一部を引用させていただきます 彼女には『手を振ってるんじゃない 溺れてるんだ』という代表作とも言われる奇妙なタイトルの作品がある。「誰にも聞こえなかった あなたの声は」で始まる短い詩だ。たとえばこんな情景だ。わたしは岸辺で海を見ている。と、遠く波間で手を振る人がいる。そこでわたしは、波間の人に手を振り返す。そしてやがて波間のひとのことは忘れて砂浜の貝を拾いだすかもしれないしポットから注いだ紅茶を飲むかもしれない。そうして・・・・。しばらくの後、わたしは知らされるの。波間で手を振っているかのように見えたひとは実は助けを求めていたのだ、と。助けることができなくなって、から。 読むうちに、胸が息苦しくなってきた昔の苦い思い出がよみがえって千葉県の海岸で知人と二人海水浴をしていました台風のあとだったか、接近中だったかで海は少し荒れ模様それでも日曜日とあって、海水浴場は大勢の人で賑わっていました海に入ったものの、波が高く泳ぎにくいのである程度のところから岸へ引き返すことにしました知人はと見ると、もう少し沖の方にいるのがわかりましたボクは帰るよと言う合図のつもりで、岸の方を指差すと彼は、判ったというように左右に手を振りました。砂浜に上がって一息ついて休んでいると波打ち際に人だかり、突然襲ってくる胸騒ぎ知人が紫色の顔をして横たわっていました近くの人が「あなたの知り合い?大丈夫だよ」と声をかけてくれて全身の力が抜けました助けてくれたのは誰できちんと御礼をしたのかどうして彼を家まで送り届けたのか不思議なことにそれからあとの記憶が夢の中の出来事のようにぼんやりしています『ひとりの女性詩人が書いたひとつの詩を前にしてしばし言葉を失った。』落合さんのコラムの書き出しがそのままボクの気持ちに重なります。知人が手を振ったのはひょっとして「助けてくれ」だったのか・・・・
2010/01/23
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柿の木の枝が伸びているのが気になっていました理屈も何もわからずに適当に剪定をしました。5、6年前にも同じようなことをしましたやはり翌年はまったく実がならず母からブーイングをもらったことを覚えています。木から離れて眺めると、思い切って切り詰めたところと切り足りないところがあって中途半端なのがよく判ります。売り物ではなし、家の者が食べるだけですから一年くらいならなくってもどうということはありません。
2010/01/22
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私立探偵スペンサーが活躍するハードボイルドに熱中した時期があったその作者ロバート・B・パーカーさんの訃報を今朝の新聞で見ました。ボクがハードボイルドを読むようになったのは50歳前に出会った本好きの上司・Nさんの影響でした。司馬遼太郎の小説を読むようになったのもやはりNさんの薦めNさんとは居酒屋でよく読書談義を交わしたものでした手帳に小さな字で読んだ本の名前や作者を几帳面にメモしておられた。そのNさん、今年は年賀状が届かなかったけれどお元気にしておられるのだろうか。
2010/01/21
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骨組み組み立て完了点火とんどは当地域に伝わる伝統行事の一つです。以前は1月15日と決まっていましたが最近は、休日が変動したりするため不定期になりました。今年は1月11日に実施しましたそれも“とんど保存会”のみなさんの肝いりによるものです。ボクもおよばずながら組み立ての手伝いをさせてもらいました。底辺3mの三角形、高さ9mのとんどが出来上がり無事点火の運びとなりました。
2010/01/20
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タンポポカンアヤメ (寒菖蒲、寒咲菖蒲) アヤメ科今日は大寒というのに皮肉なことにしばらく続いた冬型の気圧配置がゆるんでポカポカと暖かい1日になりました。今日のような日差しにはこのタンポポがよく似合います。もう一枚の紫の花はなんでしょう?どうやらカンアヤメらしいです。1月20日追記
2010/01/19
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タラヨウの葉長さ20cmくらいあります1月14日のブログでとりあげた“タラヨウの木”下鴨神社で見かけたときは名前もわからなかったのですがすぐに名前もわかり、葉に文字が書けることなども知りました。16日に訪ねた八幡の石清水八幡宮にありました本殿からケーブル乗場に向かって30メートルほど歩いた左側木の切り株に名札が付いていて、近くに大木がありました。木は10mもあろうかという高木、枝に手は届きませんがうまい具合に地面にたくさん青い葉が落ちてたのを拾いました。ところで、ブログに引用した次の文タラヨウにはジカキバ、ジカキシバという別な名前もあります。これは葉の裏にとがった物で字を書くとはっきりとした字が書けるのでつけられたものです。(中略)大きめのタラヨウの葉に宛先の住所氏名を書いて定形外の郵便切手を貼ってポストに入れるとちゃんと配達してくれるそうです。(WEBサイト「大阪百樹」より抜粋)まず先のとがった錐で字を書いてみるとペンで書いたように文字が黒くなります。次に近くの郵便局に行って尋ねてみましたが「葉のままでは私製葉書の規格に合わないのでダメ」と言われました。残念!たとえば透明の封筒にでも入れるとか何か一工夫必要なようです。「タラヨウの葉に文字が書ける」誰がいつ気がついたのでしょう?葉に書いた文字を眺めながらそんなことを考えました。
2010/01/18
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娘夫婦が誕生日のプレゼントにリュックを買ってくれました。使い勝手もあるだろうから、「自分で気に入ったのを選んで」と言われたので、昨日のウオークの帰りにスポーツ用品店であーでもない、こーでもないと一時間ほどかけて選んだのがこれ。古いのはお店で処分してもらったので、次回から使用します。ムコ殿と娘に感謝
2010/01/17
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石清水八幡宮の五輪塔(航海記念塔)高さ約6m、地輪(球形の石材の下の方形の部分)一辺2.4m全国最大規模の鎌倉時代の五輪石塔で、国の重要文化財に指定されている。(現地の説明札より)大阪ウオーキング連合の例会「八幡・男山散策(10キロ)」少し寒かったですが、好天に恵まれて参加者は150名。通常の参詣道と違って登りは「ひだまりの道」下りは「こもれびの道」というコース男山山頂の石清水八幡宮に参拝。カミサンも、いとこ3人を誘って参加終了後、みんなでにぎやかな夕食を共にして帰宅。種明かしをすれば、母が昨日から3泊のショートスティボクたちにとっては帰りを気にせずに出かけられる介護の休息日というわけです。
2010/01/16
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北野天満宮末社伴氏社の石鳥居台座の蓮弁先日訪ねた北野天満宮末社伴氏社(ともうじしゃ)の石鳥居これが洛陽(京都)三珍鳥居のひとつだという。歩友の○野さんがそのことを教えてくれなかったらそのまま見過ごして通り過ぎるところでした。そばに立っている説明札によると「台座に刻まれた珍しい蓮弁により有名」とあります。またこの写真ではわかりにくいですが真ん中の額束が笠木に食い込んでいるこれも珍しいそうです。 三珍鳥居のあとの二つは■京都厳島神社の唐破風鳥居頭部の水平材(笠木と島木)が曲線形■蚕の社の石鳥居3本柱の鳥居で、三方のどれもが正面であり上からは三角形に見える
2010/01/15
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タラヨウ(多羅葉)モチノキ科の常緑高木別名:モンツキシバ(紋付柴),ノコギリシバ(鋸柴)(2010・01・13、京都・下鴨神社)ふと見上げたところに赤い実が点々と目に入りました樹高は数メートルもある大木です。花が咲くか実が付かなければ何の木かなんて注目することはまずありません。 タラヨウはモチノキ科に属する常緑の高木で、お寺や神社によく植えられています。ぼってりと硬くて分厚い葉の縁にはとがった鋸歯があり、ところによってはノコギリバ、ノコギリモチなどとよぶことがあるそうです。 京都府八幡市の石清水八幡宮境内にもかなりたくさん植えられていて、晩秋から初冬にかけて赤い実が目立ちます。もっとも、多くのモチノキ科の樹木と同様この種も雌雄異株ですから、全ての木に実がなっているというわけではありません。 タラヨウにはジカキバ、ジカキシバという別な名前もあります。これは葉の裏にとがった物で字を書くとはっきりとした字が書けるのでつけられたものです。 タラヨウとは「多羅葉」のことで、もともとインドで葉の裏にお経の文字を書いたヤシ科の聖木、多羅樹になぞらえてつけられた名前です。 いつだったか大津の日吉神社へいったとき、あるお宮の入口にタラヨウの葉がおいてあり、それに願文をかいて神前に供えるよう用意してありました。また、大きめのタラヨウの葉に宛先の住所氏名を書いて、定形外の郵便切手を貼ってポストに入れると、ちゃんと配達してくれるそうです。(WEBサイト「大阪百樹」より抜粋)
2010/01/14
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歩友のHさんが企画・案内してくれる新春恒例の「京都の七福神めぐり」は今年で3回目今日は「京都七福神」を訪ねました。ちなみに一年目は「都七福神」、昨年は『京洛七福神』一口に七福神といってもいろいろあることを知りました。JR・嵯峨野線/円町駅からゴールの京阪・三条駅までの20キロ今年一番かという寒さの中を歩友13人で歩きました。途中にある、北野天満宮、下鴨神社にも参拝道中の話題を楽しみながらのウオークでした。参考京都だけでも11の七福神めぐりがあります。こちらをご覧下さい。こんなに七福神があるということは現世が如何に苦しくつらいものであったかだからこそ幸せを求める気持の強さを証明する証ではそんなことを考えましたが、的外れでしょうか。
2010/01/13
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初めて麻雀に出会い、恋をしてしまいました!混老頭・対々和・四暗刻を積もり、益々のめりこんでいます。これは歩友からの年賀状に書いてあった一文です。ボクと同年輩、決して若くない彼女が麻雀に出会ってその面白さに取り付かれた様子が手にとるように伝わってきました。そして彼女が雀卓を囲んでいる姿を想像いかにも微笑ましく笑いがこみ上げました。ボクもマージャンは大好き(でした)最近は滅多にすることはありませんが覚えたのは学生時代で、学生時代は勿論社会人になってもよくやりました。麻雀で徹夜したことも数え切れず麻雀にまつわる想い出もたくさんあり年賀状を見てひとしきり感慨にふけりました。最近は一人で遊ぶゲームが盛んなようですがお正月などに家族麻雀も面白いと思います。「麻雀は本当によく出来た遊びで考えた人は偉い」というのがボクの口癖。
2010/01/12
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「大阪ウオーキング連合」恒例の新年初例会「なにわの初詣(17km)」コース:天満駅→扇町公園(集合)→大阪天満宮→坐摩神社→高津宮→生国魂神社→四天王寺→聖天山→天神森天満宮→阿倍野神社→万代池公園→住吉大社→南海・住吉大社駅 新年初の例会、参加者290名あちらこちらで「今年もよろしく」新年の挨拶が交わされていますコースの説明大阪天満宮にて住吉大社・善男善女住吉大社・太鼓橋太鼓橋の名で知られる住吉大社(大阪市住吉区)の反橋(そりはし)が54年ぶりに全面的に架け替えられ、12月6日、渡り初め式があった。反橋は長さ約20メートル、幅約5・5メートル高さ約3・5メートル、本殿への表参道にあり江戸時代から「住吉の反橋は日本一」と称された。渡るだけでおはらいになるともいわれ正月には大勢の初詣客でにぎわう。(2009・12・6産経ニュース)
2010/01/11
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くちなしの実クチナシ(梔、梔子)、アカネ(茜)科庭のクチナシには滅多に実がなりません近所のクチナシ、こんなにたくさん実が付いて。「八重咲きものは実がならないが 一重咲きものは実がなる」と、聞いたことがありますが、真偽のほどは・・・。カミサンは栗きんとんなどの色付けに使っています。実が黄色の色素を持っているのでしょうね。
2010/01/10
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種を播く時期や施肥、虫害などボクにとっては苦手だったハクサイの栽培今年は虫の害も少なく、立派に出来ました。いつもと同じように育てたつもりですが“どういうわけか” うまくいきました。そうなのです、“どういうわけか” であって情けないことに何がよかったかがわからない。でも結果良しなので大満足
2010/01/09
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エンドウ我が菜園のエンドウは4種類キヌサヤ・スナック・グリーンピース・ツタンカーメン(赤豆)いま成長を止めて、寒さに耐えて、じっと春を待っています。
2010/01/08
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赤ひげネギ寒さが厳しい今の季節はネギがおいしい季節です。赤ひげ、下仁田、九条ネギの3種類のネギを作っています。赤ひげネギはスーパーなどでも滅多に見かけず珍しい、美味しい、色が鮮やかできれいこの3拍子が気に入っています。赤いところは土の中で、引き抜くとこの濃い赤色の根が現われます。ボクは主に焼いてポン酢で食べまが知人に言わせると何で食べてもおいしいすき焼き、煮物、生食サラダ、薬味など。
2010/01/07
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ナツキの落書き正月を我が家で過ごした孫2人来た時同様、高速バスで高松に帰りました。あとにみかんの落書きが残っていますいずれ食べてなくなるのでここに残します。
2010/01/06
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坂道を降りてゆくと山の斜面にある柿の木の下で蝋梅がたくさんの花をつけていました香りを感じるのと花に気がつくのが同時でした手前の山茶花の陰になっていて柿だけが見えていて蝋梅はいきなり目の前に現われたのです欲張って柿と山茶花と蝋梅を一緒に写しましたこんなときはどこにピントを合わせたらよいのでしょう?
2010/01/05
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年末からお正月、家庭の事情でずっと留守番今日はようやく解放されて久しぶりのウオーク「やましろ里山の会」の標識や赤いリボンを頼りに京田辺市の里山を歩きました(約18キロ)道中の木の名札もつけてくれてありがたい。ハイキングコースとはいえ、あまり手を加えた様子もなくほとんど自然のままの素朴な山道ですふかふかの落葉を踏みしめてのウオークを楽しみました。◇三国境大阪(難波の国)、奈良(大和の国)、京都(山城の国)の三つの国が接しているところです◇千鉾山(311m)京田辺市最高点、三角点がある大阪の米相場を堂島から京都まで堂島→交野・旗振山→千鉾山→天王山(大山崎)→伏見わずか4分で伝えたそうです◇棚田風景山の切れ目では、池や湧水を利用して山腹のゆるい斜面につくられた小さい区画の水田が広がる◇笠上神社(瘡(かさ)神社)瘡を患う人たちの平癒祈願の信仰がある千鉾山とほぼ同じ高さにある境内から南山城南部、奈良方面が一望できる。◇柿の木まだこんなに実が残っています
2010/01/04
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母が冬日のあたる窓際でうつらうつら骨折で入院する前の母は好きなときに起きて食べたいときに食べるという実に結構な?生活をしていました。今は逆に寝食共に規則正しい毎日を送っています三度の食事もきちんと、しっかり食べます顔がふっくらとして少し太ったようです。母の姿を見ていると自分の老後はどうなるのだろうチラッとそんなことを考えます。今日は駆け落ちの日だそうです女優の岡田嘉子と杉本良吉が樺太の国境を越えてソ連へ亡命したことにちなんで(1938年のこと)こんな日があるとは驚きました一体誰が誰が決めるのでしょう。1月3日の1と3でヒトミ(瞳)の日これならわかりますが・・・・
2010/01/03
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ナツキが作ったチョコバナナ小さいときは食べ物やさんごっこでしたが最近はホンモノを作ってくれます。ひと通りみんなに食べさせてブログに載せろとのご注文ケントは説明書を読んでナツキに助言、頼もしい助手です。
2010/01/02
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ナツキは中学三年生メガネをかけた顔は母親にそっくりケントは小学6年生声が父親そっくりになりました隣の部屋からケントの声が聞こえると息子がいるのかと錯覚するくらいよく似てきた今春はそれぞれ高校、中学に進学します。
2010/01/01
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